※この作品はR-18です。

剣聖外史始末旅   作:KKS

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 顔に冷たいものがあたる感覚で、紫苑は目を醒ました。

 普段よりも、ずっと深い眠りだったような気がしている。これも、一刀が苦しみから救ってくれたおかげなのだろうか。寝返りをうち、璃々のぬくもりを探す。昨晩は、悶々として目が冴えるようなこともなかった。一刀のおかげでようやく、娘となんの不安もなく布団に入ることができたのだ。

 

「ン……。璃々……?」

 

 どれだけ手で探ってみても、隣で眠っていたはずの璃々を見つけることができなかった。

 言いようのない恐怖があり、一気に思考が覚醒する。上体を起こしたところで、冷たい感触が再び頬のあたりにやってきた。

 

「うふふっ。さぞかし、よい夢をご覧になっていたのでしょうね。もうすぐお昼になってしまいますよ、奥様」

「そんな。あなたが、どうして」

 

 視線だけを動かし、紫苑は頬にあたっているものの正体を確認する。鋭利な短刀。それも、握っているのはいつも家の世話をしてくれているあの侍女だった。

 やはり、璃々の姿はどこにもない。代わりに、見覚えのない男の顔が三つあるだけだった。

 不安と恐怖が、またしても大きくなる。脳裏に過るのは、璃々のことだけ。自分がどうなろうと、娘だけは助けなければ。こんな時、あの始末屋がそばにいてくれたら。そういうことを、考えずにはいられなかった。

 

「どうしてって、そりゃあねえ……? 黄忠。あんたは、あたしの旦那を獄門送りにしてくれた因縁の女なのさ。だから、こうしてケジメをつける機会を、懐に潜り込んでいつまでも待った。そうしたら、くくっ……。案外、あんたも俗物じゃないか」

 

 わずかばかり、肌に切っ先が押しつけられた。軽い痛みが走り、紫苑は顔を歪める。

 仕事の関係上、領地を荒らす賊徒を幾人も捕え、時にはその場で討ってきた。恨みを買うことは当然あっただろうし、璃々の父親はその最中で命を落とした。それだけに、身辺には注意を払っていたつもりだったのに。

 侍女だった女が、着物の胸元を少しだけめくる。小さな彫り物。それも、あるのは蜘蛛だった。

 寝室の入り口で佇む男とふと眼があう。肥大する嫌な予感に、背中を潰されそうだった。

 

「いきなり男を連れ込んだと思ったら、嬉しそうに跨ってさ。若いチンポの味が、よほどよかったんだろうねえ。あんたたちが盛る姿、なかなかよかったよ。ふっ、あははっ」

 

 昨日までの女とは、まるで別人だった。相手も、それだけの覚悟で襲撃に臨んでいる。

 おそらく、夜の食事に眠り薬を使われたのだろう。殺すだけなら、そこに毒を紛れさせるだけでよかった。自分への復讐が目的なのであれば、璃々はまだ無事なはずだ。

 そう信じなければ、とっくに心は折れている。

 

「以前は弟が世話になったなあ、ええ? てめえと死んだ旦那に負わされた傷も、ようやく治った。だったら、新たなおつとめに励む前に、御礼参りをすませておかなきゃいけねえと思ったのよ」

 

 やはりそうか、と紫苑は唇を強く噛みしめる。

 盗賊の兄弟の片割れ。配下をほぼ壊滅させ、弟である青蜘蛛を捕えたが、兄の方は取り逃がした。その赤蜘蛛が、自分に対する復讐を企てたのが、事の真相なのである。

 赤蜘蛛の指示で、縄を持った配下が近づいてくる。璃々の身の安全を思うと、無闇に反抗することは憚られた。女は、相変わらず下劣な笑みを浮かべている。

 

「せいぜい愉しませてくれよ、奥さん。娘ともども、最後はきっちりあの世へ送ってやるからよ。旦那と再会させてやるんだ。むしろ、感謝してもらいてえくらいだぜ」

 

 満足そうに赤蜘蛛が頷く。腹の奥から出たような笑い声だった。

 縄を打たれた身体が、無理やり起こされる。自由を奪われた口では、助けを求めることもできなかった。

 

 

 泣きじゃくる乳飲み子を、思春が抱きかかえていた。困り果てたような表情。腹が減ったのか、それとも粗相をしたせいで下が気持ち悪くなっているのか。

 突発的な依頼で、請けようと言ったのは思春なのである。だから、簡単には引き下がれない。往来であたふたしているのが気まずくなり、少しだけ路地の方に逃げることにした。あまり奥に入ると、依頼人にも助けを請いに行った朱里にも見つけてもらえなくなってしまう。

 腕組みをして、どうしたものかと一刀は頭を捻った。

 

「ぐぬぬ……。貴様も、見ていないで手伝わないか。あっ、すまんすまん……。ほら、こわくないからな」

「私に、乳が出せるとでも思うのか。子犬の相手くらいならいくらでもしてみせるが、人の子となると勝手が違う。あの母親が、早くもどってきてくれることを願うしかないな」

「はあ……。痴れ者に期待した私が、愚かだったようだ。あとは、朱里に期待するしか……」

 

 手段を選んでいられないから、と朱里が紫苑を呼びに行ったのが十分ほど前。確かに、経験のある紫苑がきてくれれば、事態はそれで解決するのかもしれなかった。

 しかも、いまならば母乳を出せる状態にあることを、一刀は知っている。

 それからしばらくして、朱里がもどってきた。かなり慌てた様子である。風で飛びそうになる帽子を、朱里がとっさに抑えた。

 

「か、一刀さん、思春さん!」

「おお。待ちかねたぞ、朱里よ。それで、紫苑はなんと」

 

 膝に手をつき、朱里がどうにか息を整えようとする。

 やはり、どこか様子がおかしい。水の入った竹筒を手渡し、背中を擦ってやる。それで、朱里はひと息つけたようだった。

 

「結論から申し上げますと、紫苑さんのおうちの様子が変だったんです。侍女の方が対応してくださったのですが、その態度がどうにも。この前お会いした時は、あんなにこわい顔じゃなかったと思うんですけど。誰にも会わせることはできないから、さっさと帰れって……」

 

 初対面の時、侍女にちょっと鋭さを感じたことを、一刀は思い出していた。

 どうやらあれは、主人と家族を守るためのものではなかったようだ。ズボンの右ポケットに、璃々のくれた銭が入っている。感触を確かめる。じゃりじゃり、と擦り合わせている間に、考えをまとめた。

 そうなると、乳飲み子を早急に返す必要があるのか。通りに出て、周囲を見渡す。捜しに行こうかと思った矢先に、母親がタイミングよくもどってきた。

 

「ごめんなさいねえ、突然子供を預けてしまって。けど、とっても助かったわ。ありがとうね、始末屋さん」

 

 思春が、子供の駄賃のような銭を受け取った。大らかというかなんというか、赤の他人に乳飲み子を預けてしまえるのだから、ものすごい胆力ではある。

 

「場所を移そう。二人に、相談したいことがある」

 

 路地裏の奥の奥。朽ち果てそうなあばら家を、偶然見つけた。人の気配がないことを確認してから、足を踏み入れる。

 いいところにあった樽に腰かけてから、一刀が口を開く。直接現場を見てきた朱里だけでなく、思春まで殺気立っている。きっと、璃々の身を案じてのことなのだろう。

 

「紫苑の邸宅が、何者かの襲撃を受けている。そう仮定して、話を進めたい」

「実際、朱里はどう思った。中から、声などは聴こえなかったのか」

「そこまでは、私も。ですが、ひとりやふたりでの犯行ではないと考えるべきでしょうね。紫苑さんの弓の腕は、思春さんもご存知の通りですから。あの雰囲気だと、侍女の方は最初から紫苑さんを狙っていたのだと思います。信頼を得たところで、家の情報を渡して身内を引き込む。卑劣なやり口です。こんなの、許せない」

「銭なら、先払いで貰ってある。急ぎの始末だ。すぐに、取りかかるぞ」

 

 搾り出したような朱里の声に、怒りが滲んでいる。立場上、紫苑は逆恨みを買いやすい。悪党には、悪党なりの理屈があることも知っている。ただし、そんなものがまかり通っては世の中終わりだ。

 砂を踏んだような音。穴の空いた戸板の隙間から、人の横顔が見えている。即座に反応した思春が、鈴つきの組紐を穴に向かって投げた。

 

「はははっ。随分な歓迎をしてくれるじゃないか、陰険女」

「ちっ……。やはり、貴様か」

 

 思春の投げた組紐は、外にいた何者かに掴まれていたようだ。ちりん、と音を立てて鈴がもどってくる。思春が舌打ちしたのと同時に、戸板が横に動く。入ってきたのは、先日商売を潰されたばかりの姉妹だった。

 在庫の処分でもしているのか、傾が殻をむいた煮卵をかじっている。

 消費期限は大丈夫なのだろうか、などと心配になるのはおそらく現代に生きた自分だけだ。いつものように色香を振りまいて、瑞姫が隣に座ってくる。

 

「金の匂いにつられて、まんまときてやったぞ。貴様らの辛気臭い顔を見ていれば誰でもわかる。あるのだろう、裏の仕事が」

 

 半分残っていた卵を口に放り込んで、傾が意味深に口角をあげた。

 手が多いに越したことはない。思春は嫌がるだろうが、傾は立派な戦力だ。

 

「へへっ、図星なのだろう。だったら、私にも一枚噛ませてもらおうか。陰険女に邪魔されて、ちょうどむしゃくしゃしていたところなんだ。クズのひとりでもいたぶらなければ、気が収まらん」

「見下げたクズなら、ここにいるじゃないか。好きなだけ、殴ればいいぞ」

「あー、もうよいもうよい。陰険女のくだらん戯言など、聞き飽きたわ。おい始末屋。話のわかる貴様なら、乗せてくれるよな? なあ、なあっ?」

 

 紫苑に敗けず劣らずな迫力のある谷間が、顔の間近に迫っている。商売の失敗からはじまり、傾は鬱憤がたまりにたまっているのではないか。

 圧すら感じさせる乳を手で押しのけ、璃々がくれた袋の中身を樽のうえに広げる。少額だろうが、込められた気持ちに応えてやるのが大人の務めだ。露骨にショックを受けている傾を無視して、瑞姫に取り分を手渡す。

 銭をじっと見つめていた思春が、最初にあばら家を飛び出した。全員が出ていくのを見届けてから、入り口で待っていた朱里を連れて紫苑の家に向かう。

 もうすぐ、夕暮れになる。始末は、それまでにつけるつもりだった。

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