摘んできた花を見比べながら、璃々ちゃんとの会話にも花を咲かせる。切り株に座る思春さんはいつものように無口だけど、その裏にある優しさを知っているから、場の雰囲気自体はいたって和やかだった。
白い塊のたゆたう空を見上げて、朱里は大きく息を吸う。
赤蜘蛛一党の始末を終えた。
あれから二日が経ち、紫苑さんたち親子にも、笑顔がもどりつつある。一命を取り留めたが、邸宅を襲われた事実が変わることはない。それに、賊徒の討滅と同じくして、紫苑さんの将軍位に対する拘りも消えている。すべてが、流れだったのだ。
もはや、現状を維持し劉表に仕えるのは難しい。それが、紫苑さんの出した結論だった。出奔し、愛娘と静かに暮らすことだけが、最後に残された願いなのである。
後々、黄祖を討つことを考えれば、自分たち始末屋にとっても、それは悪い判断ではなかった。
沈黙していた思春がなにかに反応を示す。原っぱの向こうから、傾さんと瑞姫さんが歩いてくる姿が見えていた。
「なんだ、今日はちんちくりんと陰険女の二人だけか。稼ぎのよい仕事がないか、始末屋に尋ねにきたのだが」
「ちっ……。いちいち失礼な女だな、貴様は。不純な空気を璃々に吸わせたくない。用がなければ、さっさと消えろ」
「そういえば、昨日はどうされたんですか、傾さん。せっかく、紫苑さんがご馳走してくださったのに、すっぽかすだなんて」
「うぐっ……。やっ、それはだな」
傾さんの言葉がそこで詰まる。顔色も、なんだかよくないみたいだった。
というか、始末屋の仕事が欲しいのなら、自分か思春さんにあたってくれればいいだけなのに。一刀さんを元締め格だと認識するのは構わないけど、まだ子供扱いされているようで少しむっとしてしまう。
「うふふっ。やっぱり、せこい真似なんてするものじゃないわね。姉さまってば、そればもう大変で」
「い、言うな。私の尊厳を守るためにも、昨日のことだけは絶対に黙っているのだぞ、妹よ」
「えー? まあ、私はなんだっていいんだけどねぇ?」
傾さんの顔色の悪さ。加えて、瑞姫さんのからかうような態度。始末のあった日の様子を思い出す。
売れ残った多量の卵。しかも勿体なくて捨てきれなかっただけではなく、傾さんはそれを口にしていた。
頭の中で、点と点が繋がっていく。確かに、これは口に出さない方がよさそうだ、と下を向いたまま朱里は苦笑する。
「大方、意地汚いことをして、腹を下していたのだろう。はははっ。むしろ、いい教訓になってよかったのではないか?」
「ぐっ、ぐぬぬぬ。そこに直れ、このド陰険めが。余が直々に、斬り捨ててくれる」
「おっ。なんだ、やる気になったのか? いいぞ、くるならこい。一刀がもどるまで、暇を持て余しているのでな、私も」
「はあっ、はあっ。ふっ、ふふふっ……!」
売り言葉に買い言葉とは、まさしくいまの二人の状況のことを言うのだろう。一触即発。ただし、体調分を差し引けば、傾さんに勝てる見込みはおそらくない。璃々ちゃんに悪影響という意味では、思春さんの態度も大概だから、そろそろにしてほしいものだ。
それにしても、と朱里は涼しい顔をしている瑞姫を見つめた。
時折見せる、姉妹の貴人然とした振る舞い。それが結構板についているのが、不思議といえば不思議ではある。
「あら、噂をすればいいところに。一刀くんってば、ほんとに空気を読めるいい男」
瑞姫さんの言葉に、威嚇し合っていた二人が振り返った。
一刀さんと紫苑さん。どちらも武器を手に、ゆっくりと近づいてくる。なにもなかったことに、璃々ちゃんはほっとしているのだろうか。
幼くても、大人の発する気配を察知することはできる。聡い璃々ちゃんだからこそ、一刀さんの内側に秘めた闘気まで、敏感に感じてしまったのだろうけど。
「おかえりなさい、一刀さん」
「朱里、思春。私の我儘で、待たせてしまってすまない」
「いいんです。急ぐ旅路でもありませんから」
劉表軍の黄忠だと知ったうえで、本気の勝負をしてみたい。それが、一刀さんの願いだった。
一度は、剣の道だけに生きたような人。けれども、その本質を理解できるのは、紫苑さんのような武人だけだとは思いたくなかった。
「おかーさん。璃々、いい子にして待ってたよ。ほら、これ。朱里おねーちゃんと、お花集めたんだ」
「ありがとう、璃々。これで、冠でもつくりましょうか」
花を手にした璃々ちゃんが、紫苑さんの胸に飛び込む。
なんの損得勘定もなしに動けることがうらやましい、なんてちっとも思っていないんだから。きっと、絶対。
一刀さんの顔をじっと見つめる。
怪我らしい怪我は、当然のようにしていない。思春さんと二人で決めて、勝負の行方はあえて知らないでいよう、ということになったのだ。
いまさら、一時の勝ち負けで一刀さんの価値が上下するわけでもない。そもそも、負ける場面を想像することすら困難だった。私にとっての、特別なひと。旅の道連れであり、命運を共にしている始末屋仲間。
そして、心の中ではご主人様とお慕いすることもある。
「おいで、朱里」
「むぅ……。一刀さん、いまちょっとだけ子供扱いしたでしょう、私のこと」
「いいから、さっさと行ってやれ、朱里。でないと、痴れ者がほんとうの意味で痴れ者になってしまう」
「はっ、はいっ。それでは、遠慮なく……」
腕を拡げた一刀さん目がけて、小走りで突撃を開始する。
思春さんは、こういう時に背中を押してくれる人でもある。すごくありがたいけど、まだまだ私は精神的に子供なんだな、と密かに反省。
寡黙で恰好よくて、武芸に秀でていて。それでいて、好きな人にちゃんと甘えることだってできる。胸はあんまり大きくないけど、思春さんは理想とする大人の女性のひとりだった。
「おい、朱里。いまなにか、凄まじく失礼なことを思い浮かべなかったか」
「はわわわっ!? な、ななっ、なんでもありませんから、なんでもっ!」
鋭い眼光に胸を射抜かれる。
あ、危なかった。これで一刀さんの腕に抱かれていなかったら、恐怖でおもらししちゃってたかも……。
「それで? 親子仲良く、文無し旅でもするつもりなのかしら。うちの姉さまを見ればわかると思うけど、いろいろと厳しいわよ」
「い、いえ、さすがにそれは。朱里ちゃんから、水鏡先生にお世話になるのはどうか、と案をいただきまして。同年代の子も多いようですし、璃々の成長にとってもそれが最善なのでしょうね」
「ふうん。せいぜい、長生きすることね。仕事があったら、いつでも受けるわよ。もちろん、金払い次第ですけど」
瑞姫さんなりの優しさが、言葉にあらわれているような気がしていた。
紫苑さんの母性は、きっと水鏡女学院の助けにもなるはずだ。それに、高名な先生のところに身を寄せていれば、劉表だって余計な圧力をかけにくい。名士に嫌われでもすれば、荊州の統治どころではなくなる。その危うさを、漢室に連なる劉表が知らないわけがない。
ついでにというか、紫苑さんには先生への言伝もお願いするつもりだった。しばらくは帰れそうにないし、自分のせいで心配をかけ続けていることにもなる。
「状況が落ち着いたら、私も先生を訪うつもりです。その際は、始末屋全員で一緒に。ねっ? 一刀さん、思春さん」
二人が静かに頷く。
一刀さんはともかく、思春さんが同じ気持ちでいてくれることが嬉しかった。黄祖を討ち、錦帆賊を堕落させられた恨みを晴らしても、始末屋として変わらず旅を続ける。思春にそうした思いがあることがわかって、とにかく朱里はほっとした。
言い終えてから、姉妹が微妙な表情をしていることに気がついた。
頭数に入っていなかったのが、そんなに寂しかったのだろうか。含めたら含めたで、自分たちは別に始末屋をしているんじゃない、とかなんとか反論されそうだったから、あえて省いたのに……。
「原野で野垂れ死んでいなければ、勝手にあらわれるのがこの二人だ。わざわざ、合わせて勘定することはない」
「ほんっとーに、いちいち嫌味な女だな、貴様は。その舌、いつか引き抜いて豚に食わせてやる。せいぜい、いまのうちに飯の味を噛み締めておくのだな」
「ふんっ……。貴様のそのだらしのない乳こそ、家畜の隣で搾ってもらうべきなんじゃないか。なあ、朱里?」
「うえっ!? どうして、そこで私の同意を得ようとするんですかぁ……!?」
こちらの会話を聴かせたくないのか、紫苑さんが璃々ちゃんの耳を塞いでいる。その内に、自分が含まれていることがあまりにも悲しかった。
「あーっ、ったく……。それにしても、もっと金が欲しいな」
子供の前での意地の張り合い。その生産性のなさに気がついたのか、あるいは恥ずかしくなったのか。
関係のないことを呟きながら、傾さんが乾いた土と一緒に石を蹴り上げる。その姿がおかしくて、朱里と璃々は一斉に笑い声をあげた。