城外の原野を、騎馬の集団が駆け抜けていく。研ぎ澄まされた殺気がある、とでもいうべきなのだろうか。この世界にやってきて、本格的な訓練を見るのははじめてだった。緊迫感がありつつも、どこか心が躍る。一刀のくぐり抜けてきた、剣士の果たし合いとは異なる闘い。そういうものに、興味が湧かないはずもなかった。
隣から服を引っ張られる。なにをやっているんですか、と程昱の茫洋とした瞳が言っているようだった。相変わらず、うまそうに飴を舐めている。頭上に乗せている宝譿に飴を預けてから、程昱が口を開いた。
普通に考えれば奇妙な光景なのだが、さすがに慣れた。
「ふうむ。お兄さんは、あの兵隊さんたちのように、朝から晩まできつくしごかれたいのでしょうか。知ってはいましたけど、結構な変態さんですねぇ」
朱里や思春とは、まったく別のリズムを備えた少女だった。
程昱は、おそらく剣の修練のことを差して言っているのだろう。無闇矢鱈に振り回すような段階は、とうに過ぎている。若い頃は散々やったが、剣を握って気持ちを落ち着けているだけでも、いまは充分だった。
「肩に乗っていくか、程昱。もう、大した距離ではないようだが」
「くふふー。それでは、お言葉に甘えて」
姿勢を低くした一刀の肩に、程昱がよいしょっと乗り込む。
いつものように、顔の左右から甘い香りが拡がる。案内の礼金になるとは思わないが、自分にできるのはこの程度のことだ。馬に合図を送るように、程昱が両脚をばたつかせる。飴を握った右手の指し示す先。長沙の
†
衛兵の視線を受けながら、城門を二人でくぐる。
無駄に目立ってもいけないから、少し手前で程昱には肩から降りてもらっていた。はぐれた仲間たちは、無事にたどり着けているのだろうか。旅の痕跡はまだ見つけられていない。それでも、まずは自分の仕事をするだけだと一刀は思った。
視察がてら、程昱を連れて城郭を見て回る。
戦が近いせいか、物資の出入りが頻繁に行われている。劉表の送り込む密偵にも眼を光らせているのだろうが、民衆の暮らしは乱れることなく活気がある。そのあたりは、炎蓮の手腕が優れているということなのだろう。
しばらく歩いていると、募兵の呼びかけが目についた。
「おっ、ここですねぇ。さっそくいっちゃいますか、お兄さん?」
「ン……。それで、おまえはいつまで私についてくるつもりだ、程昱。旅の目的は、いいのか」
「ええー? だって、風とお兄さんの仲じゃありませんか。いまさら冷たくあしらおうとするだなんて、ひどい……。あの夜交わした約束は、嘘だったのですね……」
「いつの話だ。真名も許していない相手に、よく言えたものだな」
「あっ、そうでしたっけ? でしたら、風は風なのですよ。へんちくりんなお兄さんとは、これからも縁があるような気がしていますので。ほら、これでなにも問題ありませんよね」
「はははっ。なかなかの痴れ者だな、おまえも」
「いえいえ、それほどでもー」
「まあいい。それで、風」
思春の口癖を、ちょっと真似してみる。
風の真意は、きっと沼の底に沈んでいるのではないか。許された真名を呼ぶ気になったのは、道中での付き合いがあるからだった。
一筋縄ではいかないが、心に暗い闇を飼っているわけではない。朱里や思春には嫌な顔をされてしまうかもしれないが、これも旅の流れなのだろう。だから、敢えて逆らうことはない、と一刀は思う。
「宿探しを、たのんでもいいか。それから、私の仲間たちが長沙にきていないか、調べてきてもらえると助かる」
「むむむ。風だけでは物足りないから、ほかにも抱ける女を探してこい、というわけですね。なるほど、承知いたしました」
「どこまで軽くなるんだ、その口は。このあたりで、また落ち合おう。それではな、風」
「はい。気をつけてくださいね、一刀さんも」
歩きだしながら、わざとらしく名前を呼んできた風に軽く手を振る。
練兵所と思わしき場所の入り口に、数人が並んでいる。新兵の募集は、一応成功しているのだろうか。はじめからトラブルを起こしたくはないから、用意しておいた布袋に刀を鞘ごと納めた。
厳しい男が近づいてくる。どうやら、自分の番がやってきたようだ。
「北郷一刀と申します。孫堅さまの軍勢は金払いがよいと聞きつけ、やってまいりました」
「はははっ。正直な物言いは嫌いじゃないぞ、若いの。仕事は楽じゃないが、見返りは期待していい。といっても、働き次第にはなるがな」
「構いません。こんな俺でも、使っていただけるのなら幸いです」
学生時代の感覚を思い出しながら、言葉を紡ぐ。応対してくれた男は上機嫌に笑っている。たぶん、違和感はなかったはずだ。
「北郷といったな。そっちの袋には、なにが入っている」
「ああ、これですか。父が遺してくれた剣なのですが、俺にはまだうまく扱えなくて。ですから、どこかで揉め事にならないよう、口をきつくしばって隠しているんです。必要なら、預けても構いません。ですが、俺にとっては命同然のものですので……」
「いや、それには及ばん。ここで腕を鍛え、戦場で振るえるようになればいい。こっちだ、ついてこい北郷」
男気溢れる上官のあとに、一刀は素直に続いた。
開けた場所にでると、威勢のいい声があたりから聞こえてくる。ここは新兵ばかり集めた施設らしく、ほとんどの者が前のめりに訓練に打ち込んでいた。雑兵らしく、やはり持たせるのは長物が中心か。まともな心得がなければ、剣を使っての闘いはかたちにならない。その点、戟や槍であれば遠くから叩くだけでも成果が出せる。
初々しい闘気が流れてくる中で、ひとり異彩を放っている女が目に止まった。見るからに、兵卒などではない。屋根の下で胡床に座り、全体の動きを観察している。しなやかに伸びた足。傾や紫苑にも劣らない、大きな胸。すぐ後ろには、長柄の武器が建物の壁に立てかけてある。
炎蓮直属の誰かが、激励に訪れているのだろうか。あれだけ視線できつい闘気を浴びせられたら、新兵だって嫌でも動くようになる。
「あの、あちらの御方は」
「孫家の重臣、程普さまだ。お偉方に、目をつけられるようなことはするなよ。でないと、命がいくらあっても足りなくなる」
「気をつけます。それで、俺はどうすれば」
「せっかくだから、俺が相手になってやろう。剣の訓練だ、北郷」
立ち止まった上官から、木製の剣が投げ渡される。
思っていた展開とは少し違っているが、やることは同じだ。黄祖の出てくる戦の当日まで、目立つようなことは避ける。
上官の足が動く。悪くない踏み込みだった。この男も炎蓮の戦に同行し、生き残ってきた実績があるのだろう。それだけでも、原野に蔓延る賊徒とはまるで別物だ。
軽く切っ先で受け流してから、かためられた砂のうえに尻もちをつく。上官は笑ってから、手を差し出してきた。
「初日にしては、悪くないんじゃないか。だが、これが戦場であれば死んでいたと思え。つぎいくぞ、北郷」
「はい、まだまだ」
打ち込みが何本も続いた。寸前で気づかれない程度に防御を行い、負けることを繰り返す。これだけでも、なにかの鍛錬にはなっているような気がしていた。
日が暮れている。いつの間にか、程普も帰ってしまったようだ。ずっと相手をしてくれていた上官も息があがっている。そろそろ、終りを迎えそうな頃合いだった。
「このあたりにしておくか。明日は朝から集合し、城外での調練を行う。寝坊はするなよ」
「ありがとうございました。また、よろしくお願いします」
どこか新鮮な気持ちを抱いたまま、指定しておいた場所で風を探した。
積荷に隠れるように、寝ているのを発見する。歩き疲れて、そこから意識を飛ばしてしまったのだろうか。くるまっている姿など、まるで猫だ。
布に包んだ鞘の先で、腹のあたりを突く。大きな欠伸を漏らして、風が身体を起こした。
「はふぅ……。おはようございます、お兄さん。もう、朝なのですか?」
「これで、よく襲われなかったものだ。単に、長沙の治安がいいだけなのかもしれないが」
「くふふ。なんだか、悪いことをしちゃったみたいですねぇ。訓練で疲れたお兄さんのどす黒い欲望、寝ている風にぶちまけようとしていたり?」
「疲れるようなことは、なにも。風の軽口の相手をしているほうが、よほど気疲れする」
「おおっ。言うようになりましたねぇ、一刀さんも。調子がでてきたところで、今夜のお宿に向かいましょうか」
それほど疲労を感じていなくとも、腹は減ってくる。まだ空いている店を見つけて、飯を食ってから宿にいくべきなのか。そんなことを考えながら、暗くなっていく路地を歩いた。
ちりん。どこかから、懐かしい鈴の音が聴こえたような気がして、一刀は振り返った。風が首を傾げている。やはり、勘違いだったのか。そんな空耳が聞こえてくるほど、自分は朱里や思春の存在を近くに感じていたいのか。
「まったく、どこまで痴れ者なんだ、貴様は」
「し、思春さん!? はっ、はわわわわーっ……!」
ちりん。鈴の音がはっきり聴こえたかと思うと、今度は組紐が腕に絡みついていた。屋根から、影が飛び降りてくる。ひとり展開についていけない風だけが、素早く物陰に身を隠している。
思春に抱えられて降りてきた朱里が、恐怖で目を回している。紐の絡んだままの腕。持ち上げると、かわいらしく鈴が鳴った。
ふてくされたように下を向いた思春から、朱里を受け取る。この分なら、傾と瑞姫も無事でいてくれたのだろう。
「黄祖には、きっちり落とし前をつけさせてやろう。今回の始末、私も俄然やる気になってきた」
「一刀……。ああ、よろしく頼む」
思春と拳を打ち合わせる。
まだ目を回している朱里も、うわ言のようになにかを口走っているようだった。