やや疲労を感じさせる動きで、思春がゆっくりとついてくる。
無理もない。夜の間、幾度となく精を放ったのだから、相手にも体力を使わせたという実感はある。
始末料の足しだという話だったが、そんなものはきっと方便に過ぎない。互いに満たし、満たされ合う。これまでの道中で、思春とはそういう関係を築くに至っている。ある意味では、その最終確認が昨晩の行為だったのか。
「なんだ、私の身体をまじまじと見つめて、はっ、まさか……!?」
悪態を吐きかけていた思春の表情が、さっと赤らんだ。
軽やかな跳躍。流れるような防御姿勢。惚れ惚れするような素軽さではあるのだが、なにか意図を勘違いされているようで、一刀は思わず苦笑する。
「こ、この痴れ者め。あれだけ好き放題に私を使っておいて、まだ足りないとでも言うつも……」
「そうではない。確かに、始末料の不足分は愉しませてもらった。はははっ。それにしても、まったく信用されていないのだな、私は」
「ふ、ふんっ……。貴様のような得体の知れない男の相手、してやれる女など限られているだろう。散々感謝するのだな、われら二人に」
ちょっとした衝撃がある。肩をぶつけるように、思春が身を寄せてきたからだ。
並んだところで、空を見上げる。わずかに薄暗さを残した時間帯。今日は、朝から城外で軍事演習を行うという話だった。
ほとんど眠ってはいないが、体力に不安はない。むしろ活力は漲りすぎているくらいで、ガス抜きをしておいてちょうどよかったのではないか。
「うまくやれよ、一刀。普通にしているだけでも、貴様はなにかと目立つ」
「これでも、気をつけているつもりなのだが。たとえば、見てくれの年齢に合わせて、口調を変えてみたりしてな」
「んっ、あははっ。なんだか、想像するだけでも気色が悪いな。不慣れなくせにあまり無理するなよ、くっ、ふふっ……」
堪えきれなかった思春の笑い声が聞こえてくる。
穏やかな朝日の中、少し早歩きで二人は宿に帰った。
†
慌ただしく食事を済ませ、一刀は調練に向かう支度を整えた。
といっても、身ひとつあればそれでいいのだから楽なものだ。上官が貸してくれた木刀を片手に、宿をでる。自分の刀は、朱里に預けておくつもりだった。
「ふわぁう……。まだまだ眠いですねぇ、お兄さん。で、思春さんとはどのくらいお愉しみになられたのですか? きっちり朝帰りなさったようですし、ええと……」
なにかの回数を、風が指折り数えている。食事の途中で起きてきたくらいで、まだ寝ぼけ眼を擦っている。嫌々にでも思春と真名を交換してしまえるのだから、風の交渉能力はさすがのものだ。
眠いのなら寝ていればいいのだが、腕にしがみついているのを振りほどくのも憚られる。特に決め事をしていたわけでもないのだが、なんだかんだで四人一緒に宿を出立した。
「せっかくですし、遠くの方から調練を見学していようかと。朱里ちゃんだって、いろいろと気になりますよねぇ」
「そうですね。今後の動きを考えるためにも、私も孫堅軍の動きを知っておきたいです。その中で、風さんのお考えも伺いたいですし」
「おうおう、張り切ってるねぇ、お嬢ちゃん。その調子で、始末の舞台をきっちり作り上げてやろうじゃねえか。ねえ、北郷の旦那」
「ちっ……、なにが旦那だ。一刀と朱里をうまく言いくるめたのだろうが、私が簡単に気を許すと思うなよ。怪しい動きを見せたら、すぐに寝首をかいてやる」
なんともいえない腹話術を披露する風の隣に立ち、思春が鋭い視線を送っている。
新たな始末屋仲間、といってもいいのだろうか。とにかく、つぎの仕事には風も加わることになっている。両軍の行動を見極め、最終的に黄祖を追い込む。裏方的な役割を任せることになるが、補助があれば朱里も助かるはずだ。
「おお、こわいこわい。痛いのは風も嫌ですので、もしそうなったらお兄さんを盾に使えるようにしておきませんと。ねっ……? ですから、くんずほぐれず、こう……しっぽりと」
「あ、あのう……。お二人とも、言い争いはそのくらいで……。一刀さんが遅れてしまったら、大変じゃないですか」
どうにか朱里が仲裁を試みる。ほとんど子供の喧嘩のようなもので、風は暖簾に腕押しの状態だった。そこに思春が突っかかっているだけのやり合いなのだから、誰を対処すればいいのかは一目瞭然なのである。
朱里の背中に軽く触れる。少し冷静になって周りを観察するといい、と伝えたつもりだった。
「あ、はいっ。ええと、ですね」
おそるおそる朱里が切り出す。意識は、思春に向けられているようだった。
「風さんと二人きりになるのはまだちょっと不安なので、思春さんにも同道願いたいのですが。さ、昨晩の積もる話もありますし、その……いけませんか?」
「むっ……。同行すること自体は構わないが、余計な詮索には断固とした措置をとらせてもらう。具体的には、こうだ」
「はわっ!? し、思春さん」
無表情の思春が、立てた親指で首をかき切るような動作をしてみせる。
ありきたりな脅しだったが、どうやら朱里には効果的だったようだ。そのやり取りを少々顔をにやけさせながら見ているのだから、風には充分始末屋に馴染む資格があるといえるのか。
方針が決まったところで、一刀が少し足を早めた。引きずられた風が躓きかけて、驚いたような声を洩らしている。
「今まで訊きそびれていたのだが、あの二人は」
「面倒事に巻き込まれるのは敵わないからと、どこかに出稼ぎにいってそれっきりだ。ただまあ、やつらのしぶとさについては証明済みだからな。そのうち、しれっと顔を見せにくるんじゃないか」
言いながら、思春が路傍の石を蹴り上げる。
自分以外の二人も、あの姉妹が都を追われた元大将軍だと気づいているはずだ。それでも、思春の態度はなにも変わらない。朱里にしても、おそらく同じなのだろう。
「おおっ? なにやら、ほかにも訳ありのお仲間がいらっしゃったみたいですねぇ。ふむぅ、これは興味津々です。ほっ、よっ、んむむむっ……!」
風は背中によじ登ろうと頑張っていたのだが、しばらくすると力尽きたかのように声が消えていく。
「このあたりで、別れるとしようか。朱里。私の刀を、よろしく頼む」
「はい。お帰りをお待ちしていますね、一刀さん」
腰に差していたものを手渡したついでに、朱里の頭を撫でておく。
照れくさそうな笑顔に頷き返してから、一刀は孫堅軍の調練に出かけた。