上官に引率され、原野を駆ける。数十人ほどの塊で、周りは不慣れな新兵ばかりだった。
真新しい凹凸のある大地。孫家の騎馬隊が、昨日ここで調練を行なっていたのだろう、と一刀は思う。それで、今日は歩兵の番だった。
命令に合わせて、塊が辿々しく隊列を変化させる。明らかな失敗をすれば、即刻罰が飛んでくる。これは遊びでもなんでもなく、殺し合いの訓練なのだ。だから、みんな真剣になってやる。新兵だけでなく、上官の方も必死だった。
「おい。見てみろよ、北郷。美人将軍さまが、また監督に来てくださっているぞ。へへっ、滾るなぁ」
「鼻の下ばかり伸ばしていると、そのうち尻をぶっ叩かれるぞ。いいから、集中していろ」
素っ気なくあしらうと、声をかけてきた同僚が、つまらなさそうに口を尖らせた。
孫家の宿将である程普が、この日も姿を見せていた。歴戦の人物が現場にいるだけで、全体の空気が引き締まる。ただし、中には程普の美貌にばかり関心を寄せる輩もいるようだ。
口に入った砂を唾と一緒に吐き出しながら、小さく見える程普の背中を見つめる。剣客としての本能に従うのなら、願い出るのはむしろ手合わせだった。
いつか味わった豪剣の感触は、まだ手の中に残っている。あれだけの武人が側に置いているのだから、程普もかなりの手練れのはずだ。
「ン……。そのうち、孫家の殿様の顔も見られるのかな」
「なんだ。おまえも結構な趣味をしているじゃないか、北郷。孫家の殿は、猛獣だって専らの噂だぞ。それも、戦狂いの狂虎だぜ」
雑談をしているのを気づかれたのか、上官にきつく睨まれる。
部隊の緩みは、率いる人間の緩みでもあるのだ。
上官だって、きつい叱責を受けたくない。地面に視線を落としながら、一刀は同僚の頭を下げさせた。
†
調練に出るようになってから、十日が過ぎていた。
その段階に至っていないのか、炎蓮は新兵の前に姿を現してはいない。始末屋として、目立った行動を取りたくないのなら、それでいいはずだった。
「北郷。まさかとは思ったが、程普将軍からのご指名だ。あまりにもなっていない兵がいるから、直々に引き締めてやるとのお達しでな。殺されることはないだろうが、心していけよ。上官として、一応無事を祈っておいてやる」
話の内容が聞こえたのか、周囲から同情の眼を向けられる。
負けるにしても、もう少しうまくやるべきだったのか。とにかく、思春が言っていたように、自分は部隊内で浮いた存在になっていたらしい。
「平気ですよ。打たれるのには、慣れています。俺ほどの負け上手、孫堅軍のどこを探しても見つからないでしょうから」
「むっ。確かに、それはそうかもしれないが」
こうなったら、開き直って演じきるしかないと思った。
胡床から立ち上がった程普の前に進み出る。まだ抑えているのだろうが、さすがの闘気だった。
「あなたね、評判の弱卒くんというのは。この機会に、私が鍛え直してあげる」
「将軍。それは、戦でお遣いになる武器なのでは」
「戦場では、誰も手加減なんてしてくれないわよ。死にたくなければ、あなたも本気で剣を振るいなさい。いいわね」
問答無用。
こちらが剣を構えた瞬間を見計らって、刃のついた蛇矛を手に、程普が襲いかかってくる。打ちどころが悪ければ、待っているのは死。ひどい弱卒だろうが、見せしめくらいの仕事はできる、ということなのか。
本番で真っ先に死ぬのは、自分のような負け癖のついた人間だ。
それに、生き残れば意外と見どころがある、となる可能性もある。
「ふうん。案外、しぶといじゃない。弱いなりにも、調練の成果は出ているのね」
髪を靡かせながら、程普が激しく攻めてくる。
まともな武人相手に、防戦一方で闘うのは骨が折れる。それも、時々よろめくような動きをしながら打ち合っているものだから、体力を使う。
「噂になるほどの負け上手。うふふ、確かに面白いじゃない」
「光栄です。俺のような端くれの存在を、将軍が認めてくださっているのですから」
「あなたねぇ……。その認知が極めて不名誉なことだって、わかって言っているのかしら」
突き。払い。流れるような連撃を、際どいところで受け止める。
気分が乗ってきているのか、程普が唇の端をちろりと舌で舐めた。これはこれでよくない流れなのだが、どこかで愉しんでいる自分がいることに、一刀は気がついていた。
程普が、蛇矛を低く構える。切っ先が狙っているのは、おそらく自分の急所なのだろう。殺すことだけを考えた一撃、と言ってよかった。
呼吸。筋肉の動き。闘気の高まり方。集中力を研ぎ澄ませて、観察を行った。この世界に来てからは、特に気の流れを読めるようになっている。一度死してなお、己にあったさらなる可能性を知れているのだから、人生とは不思議なものだ。
「将軍。将軍に、城から急使がきております。なんでも、殿からのお召しがあったそうで」
「なっ、この中途半端なところで……。ああもう、わかったわよ」
構えをとき、程普が解散を告げる。
見方によっては、炎蓮から助け舟を出されたことになる。面倒事を回避できたのだから素直に喜ぶべきなのだろうが、釈然としないのはきっとそのせいだ。
「ねえ、弱卒くん」
一度振り返った程普に、声をかけられた。
「いえ、なんでもないわ。このあとも、しっかり励みなさい。みんなも、いいわね」
それだけ言って、今度こそ程普が城に帰っていく。
一刀は静かに剣を鞘にしまい、頭を下げてその背中を見送った。
†
宿までの帰り道だった。誰かにつけられている感じがして、わざと遠回りをしながら気配を探した。
最後に、ほかに人通りのない裏路地に誘い込んでみる。かなりの手練れだ。ここまでしても、存在を完全に掴めてはいない。
靴紐を直すふりをして、あえて油断した背中をちらつかせてみる。相手も、それなりに焦れてきているはずだ。だったら、餌を撒いてやればいい。
一歩。二歩。にじり寄ってくる気配が、段々と大きくなっていた。
落ちていた小石を拾う。それを、手首の力だけで投げつけた。
「はうあっ……!?」
礫が命中したのか、驚いたような声が発せられる。それも、少女のものだった。
気配と一緒に、影が大きくなっていく。長い黒髪。夕暮れに溶け込む、褐色の肌。手にしているのは、日本刀にも見える武器だった。
「いたた……。はあっ、はあっ……。で、ですが! ついに、正体を現しましたね。その命、頂戴いたします」
一難去ってまた一難。しかも、刀は朱里に預けたままだから、いまはまったく手ぶらの状態だった。
猫の如く身軽な跳躍を披露し、追跡者が仕掛けてくる。今日という日は、当分終わってくれそうになかった。