※この作品はR-18です。

剣聖外史始末旅   作:KKS

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十一

 あれからも、孫堅軍は勝ち続けていた。支城である樊城を陥落させ、襄陽の攻囲に移る。さすがともいえる手際であり、勢いとしては完全に劉表軍を飲み込んでいた。

 その中で、黄祖の本軍がまだ姿を見せていない。宿敵不在の戦場を、軍の上層部は気にしているようだった。あの女が、単なる籠城を選ぶとは思えない。狙っているのは奇襲、あるいは孫堅の暗殺なのか。

 襄陽に近づくほど、仕掛けは施しやすくなる。朱里と風も、なにかあるなら襄陽付近だと言っていた。もっとも気が緩み、また不安にも襲われる瞬間。黄祖のような策謀家であれば、そこを狙ってくるはずである。

 街道の周辺には、兵を伏せるにはうってつけの森林が見える。軍団を統轄し、奇襲を警戒するためにも、炎蓮は丘陵の上に本陣を置くことを決めたようだった。しかも背後は崖になっているから、搦手からの急襲を受けることもない。

 夜中、歩哨に立っている一刀に近づいてくる影があった。ほかの連中とは離れているから、ある意味気楽な仕事である。日中のように話すこともないから、無理に若い頃の言葉を使わずに済む。

 影が、まだ忍び寄ってくる。気づかないふりをして、一刀が小さな石を蹴りつける。それで、影がびくりと震えた。

 

「おまえか、周泰。黄祖の手の者だったら、斬り殺していたところだった」

「相変わらず、油断も隙もない御方です。正直、炎蓮様のご友人でなければ、黄祖なんか目じゃないくらいの危険人物なのではありませんか」

 

 文句を言いながら、周泰が隣に並ぶ。自分の裏の顔を直接知る数少ない人物である。街中でも時々顔を合わせ、一刀が煙に巻くということが何度かある間柄だった。

 無類の猫好きらしいのだが、本人には犬のような愛らしさがある。それで、なにかと付き合ってしまうのだろう。

 

「仕事の話か、周泰。炎蓮から、始末屋には干渉するなと言われているはずだが。特に、戦場ではな」

「ふむ。北郷さんの気が立っているなんて、珍しい気がします。今夜、なにかあると?」

 

 陣営、それから街道を、大量の篝火が照らしていた。これだけあれば、夜襲の部隊はすぐに見つかる。

 関係性からいって、荊州南陽郡にいる袁術が劉表を助けることはない、というのが軍師たちの見解だった。いつまでも籠城していることに利がなければ、どこかで打開策を見出す必要がある。それが、決死の夜討ちなのか。

 

「ははっ。周泰にそう見えてしまうのなら、私もまだまだ青い。むしろ、成長の余地があると喜ぶべきなのかもしれないが」

「なんでしょう。ちょっとこう、引っかかるような言い方な気がするのですが」

 

 周泰の言った直後、風が揺らめいたような気がしていた。

 篝火に照らされた奥。闇を見通そうと、一刀は目を凝らす。

 

「なにかが向かってくる。もういけ、周泰」

「はいなのです。北郷さんも、ご武運を」

 

 周泰にも、闇から感じるものがあったのだろう。短く言葉を交わすと、小さな身体を跳ねさせて消えていった。

 

 

 厳戒態勢を敷いていただけあって、孫堅軍の対応は早かった。城方が押し出してきた軍勢を迎え撃つため、孫策と黄蓋の部隊が出撃していく。本陣を固めるため、一刀の所属している程普の部隊はそのまま待機していた。

 寝静まっていた陣内が、一気に慌ただしくなっている。聴き馴染みのある鈴の音が、背後で鳴った。

 

「思春」

 

 兵士の格好をした思春が、そこには立っていた。張り詰めた表情から、無駄口を叩くな、という声が聴こえてきそうである。

 朱里と風の、読み通りの展開ではある。だが、問題は始末の的である黄祖が、どこにいるかである。

 

「朱里がこれを。道具がなくては仕事にならないだろう、痴れ者め」

 

 思春が、朱里に預けておいた愛刀を差し出してくる。改めて握ると、支給されている剣とはまったく別の重みがある。剣客としての旧来の自分。それから、始末屋としての新たな自分。そのすべてを、見守ってくれている命の片割れだった。

 ここからは、始末屋として自由にさせてもらう。

 陣内の話を聞く限り、襄陽から出てきた軍勢は一万ほどなのか。夜襲としては、かなり力の入った数である。ただ、孫策たちが上手く抑えたらしく、丘陵の本陣は落ち着きを取り戻しつつあった。

 

「黄祖の手下が、動き出す頃合いかもしれない。朝になれば、総攻めがはじまるだろう。狩りに出るぞ、思春」

「いいだろう。手下を締め上げて、親玉の居場所を吐かせてみるとするか」

 

 黄祖は、どうにかして炎蓮を討とうとするはずである。頭さえ潰してしまえば、孫家という名の猛獣であろうと崩壊する。その邪魔を徹底的にしてやれば、最後には黄祖が出てくるしかなくなる、というのが軍師たちの考えだった。

 

「二手に別れよう。思春は、部将たちの周囲を頼む」

「ちっ。孫堅に入れ込んでいるようだが、後手を踏むなよ」

「わかっている。ほかでもない、おまえから直々に受けた仕事なのだ」

 

 目配せをし、思春と別れた。

 明かりに照らされた中にも、やはり闇はある。それに、この非常時だから、いちいち上官も兵の顔を確認していられない。

 炎蓮のいる陣幕。残された闇を縫うように蠢くひとの影があった。気配も消さず、一刀が素人兵士を装い気を引いてみる。影。白刃を構えて、心臓を突き破ろうとしてくる。即座に柄に手をかけ、一刀は叩き斬った。そういえば、と思春が尋問しようとしていたことを思い出す。

 

「捕らえたところで、な。私は、私のやり方でやらせてもらう」

 

 黄祖の手下を斬っている最中、次々に兵士が起きてくる。不眠で総攻めに向かうよう指示が飛んでいるらしく、夜中でも陣内は活気を取り戻していた。

 飛び出してきた一万は、結局手詰まりとなって投降を選んだのだという。指揮官の首は刎ねたそうだが、気にはなる存在だった。そちらは、おそらく思春が様子を見に行っているのだろう。

 やがて太陽が昇り、篝火がなくともあたりを見渡せるようになった。手下は六人ほど斬り捨てたが、まだ黄祖本人が動く気配はない。だが、これだけの人数を差し向けているのだから、なにも起こさないまま終わるはずはない、という確信はあった。

 

「総攻めがはじまる。このまま、孫堅が襄陽に旗を立てるのか」

 

 朝。孫堅軍が行動を開始する。投降してきた軍勢を先鋒として使い、襄陽の防御の緩みを探るつもりなのだろう。孫策をはじめ、部将たちの軍勢が丘陵を駆け下りていく。最後に残っているのが、炎蓮直属の部隊だった。

 しばらくすると、本陣に思春がもどってきた。手下を数人締め上げたが、やはり成果はなかったようである。ちょっと疲弊を感じさせる肩を、一刀が叩いた。

 

「本番はこれからだ。疲れてなどいられないぞ、思春」

「わかっているさ、それくらい。しかし、あの女はどこに隠れている。これほどまでに、巧妙な」

 

 敵味方、どちらにも執念を感じさせる闘いだった。

 汗を拭い、一刀が空を見上げる。なにかが、空を切り裂いて飛んでいく。耳障りな音だった。一本。それがあとから数十倍に膨れ上がり、本陣に降り注ぐ。

 

「夜討ちの兵は、囮だった。黄祖がくるぞ、思春」

 

 旗本兵の悲鳴をよそに、一刀は矢の飛来した先を見た。土煙があがっている。数は、ざっと五百ほどなのか。夜間の騒動を利用して、上手く部隊を潜ませたのだろう。旗も鎧も孫堅軍の装備を使っているが、放たれる敵意は少しも隠しきれていない。

 遠くで矢を斬り払いながら、炎蓮が兵を叱咤している。最初の一撃で、命を落とすようなことにはならなかったようだ。ちょっと安堵の色を滲ませ、一刀が思春を伴い駆け出した。

 

「ははははっ。襄陽という餌を眼の前にして、ついに我慢ができなくなったようだな。孫堅、貴様の命はここでもらうぞ」

 

 敵兵に囲まれて、弓を構えている女がいる。間違いなく、黄祖だった。あちらとしても、我慢を重ねてきた戦だったのだろう。溜め込んできたすべてを、ここでぶつける。黄祖の昂揚が、はっきり伝わってくるようだった。

 炎蓮の手元にある兵力は、一千ほど。陣内で受けた急襲だったから、防御の陣形は固まりきっていなかった。それでも、遠目に映る炎蓮は、まるでこの状況を待ち望んでいたかのように笑っている。

 接敵。黄祖の兵を、手当たり次第斬り捨てる。敵は精鋭だが、炎蓮の麾下も押し負けてはいなかった。どちらにしても、大将首がつながっている限り退くことはない。そうでなくては、旗本など務まるはずがないのだ。

 

「ハッ……! くたばるのは貴様の方だぜ、黄祖。このオレが餌になれば、貴様は必ず食いついてくる。溝鼠一匹狩るには安くない対価だが、まあよかろう」

「ふっ、クククッ……。減らず口は、そこまでにしてもらおうか。死ね、孫堅」

 

 どうやら、炎蓮にも独自の考えがあったようだ。大軍勢を率いるような人間が取っていい作戦ではないような気もするが、戦に対する美学はひとそれぞれなのである。

 炎蓮も矢を番えて、互いの急所を狙い合っている。勝負は一瞬。先を越されると思ったのか、思春に焦燥の色が浮かんでいる。

 放たれた矢。軌道を描いて、身体に吸い込まれていく。悲鳴。上げたのは、黄祖の方だった。動揺が拡がる。炎蓮は、ぎりぎりのところで矢を避けたようだった。

 

「クソババアの首を奪るぞ。亡骸を、持ち帰らせるな」

 

 弓を捨て、炎蓮が命令を飛ばしている。黄祖の首は、戦の勝ち負けを左右する決定的なものになるからだ。紫苑が既に出奔しているから、襄陽には黄祖以上に闘える将軍が存在していない。その死が知れ渡れば、城の防御は確実に脆くなる。あとは、劉表の首を刎ねるだけの戦だった。

 

「一刀。おい、あそこだ……、あれを見ろ」

 

 組紐を構えながら、思春が叫ぶ。獲物を見つけた少年のような声。視線を移すと、そこには冷酷に笑うもうひとりの黄祖の姿があったのだ。炎蓮が射たのは、上手く似せた影武者だった。思春ですら騙されたのだから、誰も責めることなどできない。

 矢が放たれる。当然、狙いは炎蓮の命だった。おのれの死すら偽り、徹底して弱点をつく。これが思春を苦しめる黄祖の戦か、と一刀は舌打ちをした。

 

「勝った。私の勝ちだぞ、孫堅。あはっ、はっ……? ぐっ、ぬぅ……!?」

 

 発射の瞬間、思春の投擲した組紐が黄祖の腕に巻き付いていた。炎蓮は。無事なのか。稀代の女傑が、足をふらつかせている。流れ出る血。狙いがぶれたことで急所は避けられたようだが、炎蓮の身体は深く傷ついていた。

 

「くだらない小細工にしてやられるとは、オレもついに焼きが回ったか。はあっ、ククッ、ごほっ……」

 

 危ない、と思う前に身体が動き出していた。

 思春に向けて、鞘ごと刀を投げる。この始末、やって然るべき人間に、流れが巡ってきたというわけだ。

 

「斬れるな、思春。私は、私のやるべきことをする。あとは任せたぞ」

「当然だ。私は、始末屋なのだからな」

 

 もう一度、今度は吹っ切れたように叫んだ思春が、力いっぱい投げた組紐を引き寄せる。口に咥えられた鞘。抜き放たれた北郷の刀も、思春を一時の主だと認めているようだった。

 狂乱に満ちた黄祖の瞳が、思春に向けられる。全速力で駆け出し、そこからは顧みなかった。

 

「ああ、ああっ、思春ではないか。このような場所まで、私を殺しにきてくれたのだな」

「思春、思春と馴れ馴れしいんだ、貴様は。いい加減、私の道から消えてもらうぞ」

 

 駆けに駆ける。この数秒の間にも、炎蓮の命が縮まっている気がしていたのだ。ふらついていた身体が、完全に支えを失い後ろに倒れていく。

 背後にはなにもない。崖と、川があるだけの地形だった。狂ったような悲鳴が耳に届く。炎蓮が崖下に落ちていく瞬間だった。思春は、本懐を遂げた。あとは、自分も。

 

「炎蓮」

 

 空中で身体を掴まえ、一刀はともに落ちていった。

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