勢い余って転びそうになる朱里を、一刀が抱きかかえる。この世界にやってきた当初、二人一緒に派手に転んだことを思い出す。少女の尊厳を守るためにも、それからのことはあえて言葉にするまでもない。
朱里の額に汗が浮いている。そのくらい、必死になって自分のことを探してくれていた証拠だった。呼吸が落ち着くと、朱里が腕を使って懸命に抱きついてくる。もう、離さない。それとも、絶対に離れないと朱里は言いたいのか。炎蓮が、得心がいったという表情で一刀と朱里のことを見つめている。
気まぐれなあの姉妹を除けば、これで始末屋一味が勢ぞろいしたことになる。朱里と二人旅を始めたときには、こんな大所帯になるとは思いもしなかった。しかも今度の新顔は、あの江東の虎なのである。
「おう。噂に聞く諸葛亮というのは、貴様だな。北郷のことだから、もっと乳のデカい娘を想像していたんだが、ククッ」
「えっ? なっ、なんですか、その意味深な笑い方は? 私だって、あと数年もすればきっと」
「いや、なんだ。その小さな身体で、よくもまあこの男の無双の豪剣を受け止めきれるものだな、と感心していたところよ。気分を害したのなら許せ、諸葛亮」
「はわっ!? んっ……。ご理解頂けたのなら、私は別に……、ってそうじゃなくってですね」
自分に抱かれたまま、朱里が手脚をばたつかせている。合流して間もなく始まった寸劇に、思春の視線が一段と冷ややかになっているのは、おそらく気のせいなどではない。
「旦那、旦那。もしかしなくても、こちらの覇気と色気むんむんの御方があの?」
かなり遠回しな言い方で、風が炎蓮の素性を尋ねてくる。
おどけた声色の割に、視線が鋭い。普通に考えると、孫堅の生死は一国の行方を左右しかねないほど大きなものだ。とはいえ、賢明な軍師であっても、炎蓮の豪胆で奔放な思考までは読み切れていないらしい。最初に誘ったのは自分なのかもしれないが、心に従い決断したのは炎蓮だった。
「この身一つで生きると、オレは決めた。孫堅の影を追いたくば、勝手に追えばいい。今より、オレは
おのれの墓石を振り返ることなく、炎蓮が言った。主人の新たな門出を後押しするかのように、南海覇王が柄から伸びた飾りを靡かせる。
「みんな、聞いた通りだ。この炎蓮も、今より始末屋に加わることになる。私の独断を、許してもらえるだろうか」
始末屋の面々を、見回した。声はない。反発するなら真っ先に声をあげそうな思春が、沈黙を保っている。
静かな肯定だと、一刀は受け取った。
「女のことは、貴様の判断に任せる。それよりも」
思春が、後ろ手に持っていた刀を見せてくる。
北郷の刀。期待に応え、怨敵をあの世に送り届けてきた。しっかりと両手で支え、押し頂くようなかたちで思春が差し出す。
「私ひとりの力では、宿願を成し遂げられなかっただろう。これでまた、剣とはおさらばだ」
「稽古なら、いつでも付き合う」
「むっ……。い、一応、考えておいてやる。この、痴れ者め」
刀を手放して少し気が抜けたのか、思春が身体の空いているところに倒れてくる。
二人仲良く、腕に抱かれている。さすがに、朱里も対抗するべきではないと思っているようだ。
「どこかの街まで、歩きながら話そうか。炎蓮に、新しい服を用意してやりたい」
血で汚れている上に、痛みも激しい。それに、孫堅の名に拘らないと決めたのだから、服装を改めてみるのもいいと思っていた。
なにか、じっとりとした視線を感じる。風からというより、頭に乗っている人形からの圧力というべきなのか。
「なあ、始末屋の旦那よぉ。ぴかぴかの新参者だからって、ウチの嬢ちゃんにかける言葉はないってのかい」
「こら宝譿。いくら人肌恋しいからって、図々しいことを言うものじゃありません。それはもう、ずぶずぶの関係で成り立っている世界なんですから、始末屋さんは。ねえ、お兄さん?」
からかって愉しんでいる中に、ちょっとは本音が見え隠れしているのか。
また面白いものを見つけた、といった様に炎蓮は顔をにやつかせている。
「そこまで言うなら。おいで、風」
「おやおやー、これは風まで食べられてしまう展開だったりしてー? ていっ」
朱里と思春の間を縫って、風が一刀に抱きつく。これではまともに歩けたものではないが、急ぐ旅ではなかった。切ったばかりの髪にしきりに触れながら、炎蓮もついてくる。
「それにしても、なかなかの面子が集まったと思いませんか、お兄さん。元江賊大将に、その気になれば数万の軍勢を動員できる炎蓮さん。朱里ちゃんの洞察力にも素晴らしいものがありますし、なにより。よっ、ほっ……」
一度身体を離した風が、背中をよじ登ってくる。頭の左右から脚が伸びてくると、以前のごとく甘い香りに包まれた。
「二度目の生を得た、稀代の剣豪。しかも、ひとを魅了する力にも長けているとなると、ちょっと気持ちがむくむくしてくるんじゃありませんか」
言いながら、風がやわらかな腿の内側で顔を弄んでくる。
意図しているのか知らないが、後頭部にはさらにもっちりとした感触が押しつけられているのだから、たちが悪い。
「私の肚の中を探って、どうする。言っておくが、なにもないぞ」
「ちょっと嬉しそうな顔をするな、痴れ者め。風。私がこの男で、しかも野心を抱いているとするなら、今頃どこぞの悪徳領主を叩き斬って成り代わっているだろうな」
「けどそれは、一刀さんの望む道じゃない。私も、真の意味で一刀さんがご主人様になってくださるんじゃないかって、そう考えていた時期もありますから。でも、始末屋をしながら一緒に旅をして、思ったんです」
なにひとつ遠慮をすることなく、朱里は思いきり。思春は、やや控えめに腕を抱いてくる。二人のくれるあたたかさが、なにより心地よかった。
「ふむふむ。皆さん、無欲なんですねぇ。やっ、その分、動物さんのように激しく盛っておいでなのかもしれませんが、くふふー」
少々引っかかる内容ではあるものの、風は自分たちの答えに納得したようだった。やや強くなっていた腿による締め付けが、ちょうど良い加減になっている。
華奢に見えて、風も普通に馬を走らせる程度の鍛練はしているのだろう。ご褒美にどうぞ、と半ば無理やりいつもの飴を突っ込まれる。
「二度目の生? おかしな奴だとは思っていたが、そんな馬鹿げたことが起こり得るとはな。ハハッ。始皇帝が聞きつけたら、墓場の底から這って出てぶん殴りにくるぞ」
「炎蓮さん。あの、這える時点で充分目的は達成できていると思うのですが、違うんですか」
「あ? 確かに、違いねえな。北郷気に入りのガキだけあって、頭がよく回るじゃねえか、ハハハッ」
「はわわ!? や、やめてください。これ絶対に、私のこと子供扱いしていますよね!?」
頭を撫で回してくる炎蓮のことを、朱里が必死になって振りほどこうとしている。拗ねられてしまいそうだが、ほほえましい光景だった。そちらにはまったく関心がないのか、思春は風の脚をどけようと闘っている最中である。
家を次代に託したとはいえ、まったく寂しさがないわけではない。江東の虎も、ひとの親なのだ。
「寂しかったら、いつでも乳を吸わせてやるからな。ほら、どうだ?」
恥ずかしがる素振りもなく、炎蓮が片方の乳房を露出する。かたち、張り。広い乳輪から存在感のある突起の先まで、見事な造形美である。
「ええっ!? こ、こんな道端で胸を出したら、いけませんってば。はあ……。毎回毎回、始末屋に入ってくるのはどうして変なひとばっかり……」
「朱里。なにか、聞き捨てならん言葉が聞こえたような気がするのだが。私の空耳か?」
「し、思春さん!? はい、きっとそうだと思います!」
「おおっ。とっても苦しい言い訳、これは面白くなりそうですねえ、お兄さん」
騒がしい旅も悪くない。次々に聞こえてくる朱里の泣き言が、おかしかった。