一
襄陽近辺から北に向かった始末屋たちは、南陽郡にたどり着いていた。いまさら、孫家の支配地域にもどるわけにはいかない。荊州を出てからのことは、特に考えていない旅だった。
整然とした感じではないが、その分
特に遠慮することもなく、着流し姿の炎蓮が堂々と道を歩く。さらしを巻いて片肌脱ぎにしたスタイルが、むしろこの城郭の雑然とした雰囲気に馴染んでいるようだった。
「景気づけに一杯いきたいところだが、持ち合わせがあるはずもねぇしなあ。行きがけの駄賃くらい、くすねてくるんだったぜ」
「仕事をしろ、仕事を。私も貴様も、始末屋なのだ。銭なら、汗をかいて稼げばいい」
ツンケンとしながらも構ってしまう思春の面倒見のよさが、ほほ笑ましい。当主時代も奔放な性格で小言をもらうことが多かったのか、正論をぶつけられても炎蓮はどこ吹く風である。
今日も今日とて、朱里の背中で『万事始末請負』の旗が揺れている。こうして気兼ねのない旅に出るのも、かなり久しぶりのことだった。黄祖の襲撃によって始末屋が散り散りになってから、あっという間だったように思えてくる。兵士の真似事もそれなりに愉しかったが、やはりあそこは自分の居場所ではなかったのだ。
人々の流れ。雑踏と表現するのが、ちょうどいいくらいだった。
孫家の軍勢がおそろしくて南陽郡まで逃げてきたが、どうやら襄陽の殿様は首を刎ねられたらしい。それだけじゃなく、城攻めの途中で、孫家の当主も命を落としたようだぞ。
道行く人々の声に耳を傾けてみると、大雑把だが孫堅死後の情勢が見えてくる。現代的な言い方をするなら、戦争難民が袁術領に流れてきているようだった。
肩で風を切って歩いていた炎蓮の歩幅が、ちょっと小さくなった気がしていた。名を変え、姿を変えようとも、すべてを捨て去ることなどできはしない。それも多彩な縁に縛られた人間の在り方なのだと思い、一刀は静かに歩調を合わせた。
「いまはいい感じに賑わっていますけど、いずれ限界が訪れそうですよねぇ、ここ。袁術さんのところは、悪い意味でゆるゆるですから」
「領内にひとが流れてくるのはいいことですけど、ご飯も仕事もそれだけ増やさないと成り立ちませんもんね。だけど、こんな状況だからこそ、始末屋にお仕事が舞い込んでくるかもしれませんから。みなさん、気を引き締めていきましょう」
「おおっ。朱里ちゃんのお顔が、やる気に満ちているのですよ」
朱里が言っているのは、もちろん真っ当な仕事のことなのだろう。たとえば、流れてきた親が働きに出たくとも、赤子を抱えていてはそうもいかない。一時的な助けにしかなってやれないとはいえ、それも始末屋の領分だといえるのか。
依頼を受けたからには全力で応じる。自分たちには、その心がけさえあればいい。
「安宿ならどうにかなりそうか、朱里。部屋なら、ひとつかふたつあれば充分だろうし」
「ええっと……。はい、一刀さん。長沙での滞在中に、私と風さんだけでこなせる依頼を受けていましたから。無駄遣いはだめですけど、ちょっとくらいならお酒も」
袋の中身を確認しながら、朱里が言った。つい頭を撫でてしまった一刀の顔を、朱里が気持ちよさそうに見上げている。
「みんな、見てみろ。あそこに、なにか人だかりができている」
「立派な建物ですね、思春さん。呼び込みの方も元気いっぱいで……、ってあれ? か、一刀さん。私を、いつも風さんにしているみたいに持ち上げてもらえませんか」
「お、なんだなんだ。まさか、知り合いの顔でも見つけたのか」
調子のもどった炎蓮が、肩車をされた朱里と同じ方向を見つめている。
嫌な予感でもしてきたのか、思春は手で顔を覆っていた。集中してみると、確かに聴き馴染みのある声であるように思えてくる。それに、この世界ではまともな知り合いなど数えるほどしかいないはずだ。
肩に乗った朱里に促されて、一刀たちが人だかりをかき分ける。近づくと、独特な匂いが若干鼻についた。建物にかかげられた看板には、『湯』の一字が鎮座している。
「はーい、安いよ安いよー。そこの髪の長いお姉さん、ウチで湯浴みすればさらにきれいさっぱり、南陽美人になること間違いなしだよー」
「お得な時間帯を逃したら、きっとみんな後悔するわよ。それに、嫌でしょう? 芋っぽい男が入ったあとのお湯だなんて。ここのお風呂なら、夕方までは女性限定。しかも、慈善事業としか思えないような値段で入らせてもらえるのだから、使わないだけ損よ、損」
威勢のいいかけ声がよく聞こえる。
風呂屋と思しき店の前に、知った女が二人呼び込みとして並んでいた。道行く女性たちが興味ありげに足を止めて話を拝聴しているが、けなされた男たちはちょっと腹立たしそうである。それでも暴動にならずに済んでいるのは、投げやり気味に愛嬌を振りまく瑞姫の美貌によるものなのだろう。
いつものように舌打ちをしながら、思春がもう片方の呼び込みに照準を合わせている。傾。黄祖による襲撃を受けてから、まだ再会できていなかった姉妹だった。相変わらず乱世を逞しく泳いでいるようで、悦ばしく思えてくる。
「うげっ……!? し、始末屋に、陰険女だと。ふっ、ふふふっ……。貴様らも、たいがい暇なようじゃないか。毎度毎度、われらの商売の邪魔をしやがって……」
「あら、一刀くんじゃないの。うふふ、ごきげんよう。ねっ♡ せっかくだし、あなたたちも、旅の疲れを癒していきなさいよ。ここのお湯は、いつかの卵と違ってほんとにお安いわよ」
顔を引きつらせている姉とは対照的に、瑞姫は愉しそうに一刀にしなだれかかっている。不審者を監視するような態度で思春はあたりを見回していたが、いまのところ別におかしな様子はない。
「あん? 貴様たち、北郷の知人らしいがオレもどこかで見覚えがあるような……」
「名乗りもせずに、なんだ貴様は。おい始末屋、このでくの坊はどこのどいつ……」
炎蓮と傾の二人が、似たようなタイミングで沈黙する。
元江東の虎の発する鋭い視線に晒されて、傾はすでに冷や汗を流しはじめている。どこか具合が悪そうなのは、瑞姫も同じだった。
「ハハハッ。そうか、思い出したぞ。貴様は、洛陽の宮殿でふんぞり返っていた、なんとかという女ではないか」
「なっ、ななっ……! そういう貴様こそ、まさか、そんけ……」
最後まで言いかけた傾の口を、炎蓮が素早くふさいでしまう。この城郭に到着してから、捨てたばかりの過去に、何度も引きずられているのだ。
その中にも、真っ向から受け止めるべきものと、そうではないものがある。
「おっと、いけねえなぁ。オレは始末屋の新入りで、潜影ってもんだ。北郷の知己なら、特別に炎蓮と呼ばせてやってもいいが、どうする」
「む、むぐぐ。わかった、わかったから、この手をどけないか。はあっ、ふう……。炎蓮、炎蓮な。始末屋と鉢合わせると、どうしてこう面倒事ばかり」
下を向いた傾が、吐き捨てるように炎蓮を真名で呼ぶ。近頃、よく耳にする文言のおまけつきだった。
「傾と瑞姫だ、炎蓮。この姉妹とは、たまに一緒に仕事をする付き合いでな。一応、頼りになる助っ人といっていいのだろう」
「一応とはなんだ、高貴な私に失敬な。それで、いい加減はっきりしてもらおうか、始末屋ども。湯を使うのか、使わないのか。どっちなんだ、貴様らは」
「はふう……。ずっと口を挟み損ねて居眠ってしまいましたが、お風呂に入れるのなら風は賛成なのですよ。あっ、ちょっと影が薄かったかもしれませんが、風のことも始末屋としてどうぞよろしく」
「ああ? これは、どうもご丁寧に……」
傾と風が、なぜか神妙に会釈をし合っていた。
なにをどう突っ込んでいいのかわからなくなってきたのか、思春は終始言葉を失っている。
「あの、瑞姫さん。ほんとうに、お安くお湯を使わせてもらえるんですよね。ご存知のとおり、あまり懐に余裕がありませんので、私たち」
「ええ。その点については、安心してちょうだい。私たちも合間に使わせてもらっているけど、質のいいお湯であることは保証するわ。ふふっ。女性限定の時間だから、一刀くんと一緒に入れなくて、朱里ちゃんは残念でしょうけど」
「はわっ!? れ、瑞姫さん!?」
呼び込み役の姉妹が雑談に興じている間にも、風呂屋の入り口には女性客が列をなしていた。
明るい時間にいつでも湯を浴びられるだけでも、ありがたいことなのだ。それが、特別安い価格で提供されているのだから、人気を生んで当然ともいえるのか。
「みんなで、さっぱりしてくるといい。私は、宿を探すついでにそのあたりを散歩してくる」
「ああ、そうしていろ。ククッ……。隅々まで磨いた身体で、夜は愉しませてやるからな、北郷。なあ、思春?」
「んなっ……!? そ、そこで私に振るんじゃない」
乗り気ではないように振る舞っていても、入浴が愉しみでないはずがない。
思春の背中を軽く押してやると、恥じらうような仕草だけが返ってくる。引率役をする気になっている炎蓮にこの場を託し、一刀はひとり散策に出かけた。