飲み会の次の日から、木村は文献漁りを始めた。自分の研究に関係のあること、関係のないこと、古いもの、最近のもの、一見何の関係もなさそうに見えるものを集めては読み込んでいた。
「木村さん、どうしたんですか? 溜息出てますよ。」
「え? ああ、溜息ついてたか...特に溜息つくようなことがあったわけでもないんだけどな。」
ゼミの学生室で、後輩にそんなことを指摘されて、改めて自分の心に失調があることを思い知る。
全ての元凶はあの飲み会の日に小泉から見せてもらった高瀬さやかの映像と、大場の話だ。大場に対する高瀬さんの気持ちが良くわからない、大場に気があるなら大場と話をすればいいのに、今でも俺に話しかけてくる。分からない。俺の感覚では、わざわざ自分から話しかけるのは興味があるから、話をして楽しいから、いずれにしても好意的な感情によるものだ。
一方で、あの飲み会、いや、大場が高瀬さんをモノにしたと自慢していた飲み会以降でさえ、バイト先の休憩時間に高瀬さんが大場に話しかける所を見たことがない。一度だけ、高瀬さんが大場に「一緒に帰ろう」と大場を誘ったらしいが、その時は大場が断ったようだ。それ以降、高瀬さんと大場がバイト中に雑談したという話は聞かない。付き合っている二人が、バイト中と話もしないという状態が理解できない。
もし二人が付き合っているというのならば、高瀬さんと大場の関係は恋愛というよりもっと歪な関係に思えてくる。
大学からバイト先に向かう途中、そしてバイト中、高瀬さんと大場の関係についてずっと考えていた。どうにも違和感がある、あるいは俺の感覚がズレていて、世間的にはあんな感じなのか?
「おい、小泉。お前、高瀬さんと大場、どう見る?」
「どう?って何ですか?」「高瀬さんかわいいですよね、大場の野郎許さねぇ。」
「お前...あの席では全然そんな素振り見せてなかったよな。」
「そりゃそうですよ、大場さんの前で怒ったり悔しがったりしたらあいつの思うつぼですからね。」
大場は3年、小泉は2年、一応学年が上なので普段は「さん」付けしているが、小泉は大場のことを、専門分野においては自分よりも下だと思っているようで、影で呼び捨てにすることも多い。大場は小泉と同じく専門が経済学なのだが、小泉によると大場は数学が分かってないから理解が表面的、らしい。勿論専門外の俺にはその差は分からない。
「で、木村さん。なんでそんなに高瀬さんが気になるんですか? やっぱり木村さん、高瀬さんが好きなんですか?」「いいですよ、俺。高瀬さんの相手が木村さんなら潔く身を引きます。」
「何わけの分からないことを言ってるんだ。」「ちょっと高瀬さんと大場の関係に疑問を持っていてな。大場の動画にあったように、二人はあんなことをする仲なのにバイト中に話をしている様子はない。一度、高瀬さんの方から大場に一緒に帰らないか誘ったことがあるらしいが、そのときは大場が断ったらしい。これ、変じゃないか?」
「つまり、木村さんは、あの二人が付き合ってはいないんじゃないか?、と言いたいんですか?」
「付き合っていると仮定すると、彼らの行動は辻褄が合わない、と言っているんだよ。」
「それってどう違うんですか?」
「俺はまだ何の判断もしていない、ってことさ。」
「ふーん、これだから哲学やってる人って...」
そこに木村と同学年の高橋がやってきた。
「お前ら、何サボってんだ、仕事仕事。」
高橋は、高瀬さやかと同じA大の大学院生、高瀬さやかは高橋にもよく話しかけるが、高橋は気分次第で話し相手になったり、適当にあしらったりする。どうやら、そうやって高瀬さやかの表情の変化を見るのが楽しいらしい。
「俺は木村さんから話しかけられたから、話を聞いてただけですよ。」
「ああ、知ってるよ。実は俺も気になってな、さっきからお前らの話を仕事しながら盗み聞きしてた。」
「だったら話を中断させないでくれよ、高橋。」
「いやいや、今バイト中だし、それに、今日は高瀬さんも入ってる。」
「そういやそうだった。」「すまん、小泉、色々聞いてもらって...」
「いえいえ、先輩からのありがたいお話ですから...」
バイト中のちょっとした会話は、こんな感じで始まり、すぐに終わる。平日とはいえ、夕方はそれなりに忙しい。
「木村さーん。」「昨晩のドラマ、あれどう思います?」
仕事のほんの合間だった、屈託のない笑顔で高瀬さんが話しかけてきた。
「あー、あれね。あのラストは一見するとどんでん返しに見えるけど、実は先々週に放映された第3話の駅名で言い合いする場面で突然りんごの静止画をバックにセリフが進行するところがあったでしょ? あれはりんごが一種の暗喩になってて、この展開を暗示していたんだよ...」
俺の話をうなずきながら聞いている高瀬さんは今までの高瀬さんだが、ときおり俺の顔をじっと見たかと思うと目を伏せるような仕草が気になる。
「なあ、高瀬さん。一つ聞いていい?」「...いや、バイト上がりにちょっと付き合ってもらえるかな?」
「えっ?」
「いや、最近少し考えていることがあって。それについて高瀬さんの意見を聞いてみたいと思って。」
「あっ、ああ。」「いいですよ、木村さんの考えていること、聞きたいです、是非。」
「よかった、じゃあバイトが終わったら。」
「はい。」「なんか楽しみです。」
笑顔とともにそう言い残して高瀬さんは仕事に戻っていった。
高瀬さんが去ってしばらくすると小泉と高橋が近づいてきた
「木村さん、ついに勝負に出ましたね。」
「何のことだ?」
「え? だって高瀬さんのことを誘っていたじゃないですか?」
「ああ、あれは個人的な興味というか、最近考えていることを高瀬さんに聞いてもらいたいだけだ。」
「へーぇ」
小泉は明らかに納得していない様子で引き下がる。
「それにしてもどうしたんだ木村。お前から高瀬さんを誘うって、俺らにしてみると相当な珍事なんだが。」「やっぱりあの件が絡んでるのか?」
「そうだなぁ、絡んでいるというか、あれがきっかけといえばきっかけかもな。」「だから、それに対する仮説めいたものを彼女に聞かせたい...のかも知れないなぁ。」
「ねぇねぇ、木村さんと高瀬さんトコに俺達も同席しちゃだめですかね?」
「そりゃダメだな。高瀬さんが遠慮しちゃうから。」「ただ、彼女に気づかれないように隠れて盗み聞きするのは構わんよ。」
「えー、なんか『聞いてもいいよ』みたいに言われると、途端にやる気なくすなぁ」
「分かったよ、じゃあダメってことで。」
「えっ? あっ、じゃあ今のナシで、ハイ、謹んで拝聴させていただきます、ってことで。ねえ、高橋さん?」
「俺もか? まあ仕方ねぇな。」
高橋もこの話題には興味があったのだろう、渋々という体裁を取りながらも乗り気ではあるようだ。
「全く、しょうがない奴らだ。」
バイトが終わり、念のため別々にバイト先を出た俺と高瀬さんは、高瀬さんのアパート最寄り駅近くの喫茶店に入った。バイト先に近いと、二人でいるところを目撃されるリスクがあるからだ、別に見られてまずいことはないのだが、今のバイト先の人間関係にできるだけ影響を与えたくない。
ここは俺が奢るから、と高瀬さんに好きなものを注文してもらい、俺はコーヒーを注文すると。
「すみません、私の家に近いところにしてもらって。」「ところで、木村さんが最近考えてることってなんですか?」
相変わらず興味津々であることが伝わってくる。彼女のそういう表情を見ると、なんだか話をするのが楽しみになる。
「そうだな、問題意識自体は別に目新しいものじゃない。」「高瀬さんは、『精神』あるいは『心』、と言ってもいいかな、は肉体と切り離して考えてもいいと思う?、あるいは、精神なり心なりは、肉体に付随するものであると考えるべきだと思う?」
「うーん、確かに昔からそういう話はありそうでしたけど。でも、人間の心って、人間の脳内のものですよね。だとするならば、心や精神も肉体に付随するものだって考えるのが正しいんじゃないかって思うんですけど。」
「人間をパソコンのようなものとして捉えれば、それが正しいのかも知れないね。精神や心がプログラムとして実装されたもの、と考えるならば、そのプログラムを記憶するメディアを、あるいはそのプログラムを実行するCPUが破壊されれば、「精神」あるいは「心」のプログラムは実行不可能になるからね。」「高瀬さんは、精神や心は、我々の脳内で実行されているプログラムのようなものだと思う?」
「うーん、それは少し違う気がしますね。」
「であれば、パソコンのアナロジーは適切ではないかもしれないね。」
「そう言われればそういうことになるかも知れませんが、肉体がないのに精神や心だけが実在するという状態はちょっと考えにくいですよね。」
「そう、確かに考えにくい、けれどもそう考えていけない理由もないよね。」
「うー、木村さんは、精神や心が物という形をとらずに存在しうると考えているんですか?」
「いや、完全に否定できないものは、とりあえず否定しないでおこうって考えかな。俺自身、精神が単体でその辺をウロウロしていて、気まぐれにその辺の石とかポッキーとかに宿ったりするとは思ってないよ。」
「あははは、ポッキーって、なんでポッキーなんですか?」
「ポッキー好きなんだよ、で、なんとなくつい。ポッキー、面白かった?」
「ええ、あまりにも意外だったんでつい。」
「それはそれとして、さっき高瀬さんは、精神や心は脳内にあるものだと言ったよね。」
「そう思います。」
「精神や心が、脳内に実装されたプログラムかどうかはさておき、脳内にある何かだ、ということであれば、脳は精神や心の入れ物だ、ってことにならないかな?」「そこでもし、人間から脳みそを取り出す手術みたいなことが可能になれば、精神や心そのものを取り出すことはできないものの、精神や心の入れ物を取り出すことはできる、ということになるよね。」
「そう...なりますね。でも、そんなことができるんでしょうか?」
「今はできない。でもそういうことができるようになったら、という仮定ね。」
「はい。」
「例えば、俺の脳みそを取り出して高瀬さんの体に移植したとすると、俺の精神や心はそのままなのか、あるいは少しずつ今の高瀬さんの心のような形になるのか? って、どうなると思う。」
そう例え話をしたところ、高瀬さんが考え込んで俺を睨みつけた
「私の体に脳を移植されても変なことしないでくださいね。」
そう言って顔を赤くしていた。
「あー、まあそういうのもあるんだけど...」
高瀬さんは顔を赤くして更ににらみつける
「感覚的にわかりやすい話をすると、例えば、高瀬さんは甘いものが好きだろ? でも俺はどちらかと言うと甘いものは苦手だ。さて、高瀬さんの体に移植された俺の脳みそは甘いものが好きになると思う?」
そうたずねると、落ち着きを取り戻し、少し考えてからこう答えた
「体が変わってもそういうのは変わらないと思います。味覚ってセンサの刺激からの情報を処理するだけでしょうから。」
「でも、俺の舌と高瀬さんの舌が同じものを食べて同じ出力をするとは限らない...」
「うー、そうなると甘いものが好きになる可能性はありますね。」
「まあ、これはかなり極端な例だけど、体が変わるだけで心が変わるってのは割とありそうだよね。さっきセンサって話が出たけど、センサの感度や出す信号のクセ、あと、さっき言いかけたことだけど、男女が違えば特定のセンサについては有ったり無かったりする。そんなのまで全部ひっくるめると、脳にとっては世界の見え方そのものが変わってしまう、そして、そのことが心に与える影響って大きいと思うんだ。」
「んー、脳が体を通じて世界と繋がっているから、心は体の影響を受ける。つまり、心は脳内だけにあるわけではない、ってことですか?」
「そうだね。今の俺がこういう精神や心を持っているのは、俺の脳みそがこうだから、ってだけじゃなくて、俺の体がこうだから、っていうか俺がたまたまこういう脳みそとこういう体の組み合わせだったから、たまたまこういう精神や心を持つに至った。」「高瀬さんの精神や心が、今の高瀬さんのようであるのは、高瀬さんの脳みそと体がたまたまそうだったから、ってことだね。」
「今の私がこういう心を持っているのは、私の脳みそと体の両方に要因がある、ってことですね。」「だとすると、私が色々考えても心のあり方を制御できない部分がある、それは体のありようがこうだから、ってことも言えそうですね。」
「そう、『心の持ちよう』とはよく言われるけど、その心の部分でさえ自分でどうにもできない部分がある。仕方ない、って諦めざるを得ない部分があると思うんだ。」
「例えば、私の性格みたいな部分で、もっとこうだったら、とか思う所もあるんですが、それはもう仕方ない、と。そうやって、自分の努力ではどうにもできない、ってことなんでしょうか?」
「高瀬さんにもそんなのあるんだ。」
「そりゃありますよ。私だって、もっと女の子っぽい性格だったら、とか。」
「そう? 今の高瀬さんも十分女の子っぽいと思うけど。」「で、本題に戻ると、さっき高瀬さんが言ったみたいに、心の問題は心だけの問題じゃなくて体が絡んだ問題だから、何ていうか、自分ではどうしようもない部分がどうしてもあって。だから、『だからしょうがないじゃん』って開き直りも時には必要だってことになるんだと思うよ。」「あくまでも、時には必要、ってことで、すぐに何でも体のせいにして努力すれば出来ることまで諦めちゃったら成長がなくなるから。」「逆に、真面目すぎて何かのせいに出来ないタイプの人...高瀬さんは実はこういうタイプじゃないかと思うんだけど、そういう人にとってはこういう考え方が大事なんだと思う、でないとこじらせちゃうからね。」「って、処世術みたいな話になっちゃったね。」
「なるほど...そうですね。というか、私の悩み話をサラッと流しましたね。」
「それから、脳を入れ替える話で見えてくることは、精神や心の脳内部分ってのも外側からの刺激で割と簡単に変わってしまうものでもあるってことかな。」
「そんなに簡単に変わるものでしょうか?」
「変わるときは割と簡単に変わるよ。例えば、高瀬さんって牡蠣って好き?」
「あー、あれはちょっと...」
「ああ、まだか...じゃあ海産物とか、子供の頃好きじゃなかったけど成長してから好きになったものってある?」
「そうですねぇ、雲丹とか...」
「雲丹!」
「あれ、小さい頃は全然食べられなかったんですけど、最近になってから美味しいって思えるようになって...」
「子供の頃から雲丹食べてたの?」
「ええ、美味しいから食べてごらん、って食べさせてもらったけどちょっと好きになれなくて。」
「いや、普通子供に雲丹食べさせないでしょ?」「もしかして高瀬さんのご実家って漁師?」「あるいは...お嬢様育ち?」
「実家は漁師じゃありませんし、お嬢様ってほどじゃないです。」
「そうか。で、体が成長して昔は嫌いだった雲丹が好きになった、みたいなことって結構あるでしょ?」「好き嫌いだけが心の変化じゃないけど、雲丹の例みたいなのも心の変化だと思うよ。」
「うーん、さっきから気になっていたんですが、食べ物の好き嫌いの変化って、心が変わったって言えるんでしょうか?」
「じゃあ、そうだね、例えば俺が、今まで何とも思っていなかった女優さんのことが、あるドラマを見てから好きになった、というのは心が変わったって言えるんじゃない?」
「それは、そうですね。」
「じゃあ、なんで雲丹が好きになったのは心変わりにならないと思うの?」「嫌い、あるいは別に関心がなかったところから好きになったって話で、対象が女優なら心が変わった、雲丹だと心が変わったとは言えない、ってのは変じゃない?」
「そう言われて見ると、そこに本質的な差はないように思いますね。なんか騙されてる気もしますけど。」
「ははは、そこは信じてよ。さっきの例はドラマの中である女優を見たのがきっかけで、その女優が好きになる、みたいな、刺激の種類と心の変化が同じ内容をもつものだったけど、これとは別に、ある刺激が、脳に直接働きかけて心の中身を変更したり、脳内麻薬的なものの分泌を助けて、それが心に影響すると言った間接的な刺激の在りようってのもあって、どっちかと言うとこっちの方が興味深い。」
「木村さん、それってどういう...?」
「例えばお酒を飲むと気分が晴れる...って高瀬さんはお酒飲んだことないか。」「勿論、お酒を飲んで美味しいかそうでないかって感覚があって、それが好き嫌いに転じる普通の心変わりはあるんだけど、その副作用的な要因で心に影響を及ぼすものがあるんだよ。」
「そう言われてみるとお酒に興味が湧きますね...試しにお酒飲んでみようかな...」
「実験するとしたら家でこっそり、少しずつにしときなよ。急性アル中になったら目も当てられないから。」
「あははは、冗談ですよ。」「でも何でそんなことが起こるんです?」
「さっき、心が脳内で動くプログラムみたいなもの? って話が出たけど、それに当てはめると例えとしては分かりやすいかな?」「例えば、ゲームキャラに経験積ませたりするとレベルが上って色々なパラメータが変わるでしょ? これが普通の心変わりみたいなものだとすると、特殊なツールを使ってゲームのコードやデータを直接書き換える、みたいなことが起こる。」「脳みそと言っても、電気信号と化学反応で色々な処理をしているから、アルコールとかその他化学物質で割と簡単にバグる。」
「結構そういうことってあるもんなんですか?」
「日常生活ではあまりない、というか危険だから法律で禁止されてるものも多いかな。例えば、麻薬の類...だから、残念ながら俺もやったことない。逆に、精神病に効く薬は、そういった化学物質を薬として使ったものだな。まあ、そんな感じで化学物質を摂取することで精神状態が、心がって変わることがあるんだよ。」
「確かに、毒にも薬にもなるという感じですね。危ない部分はあるけれど、効果と程度がわかっていれば役に立てることもできるっていうか。」「ところで、特殊な化学物質以外でこういうのってあるんですか?」
「そうだな、極限状態になると出てくる脳内分泌物の影響で幸福感が生まれるとか、これなんかは外部刺激での心変わりの例っていえるんじゃないかな? それから、恋愛がらみだと性的な行為によってそういうことがあると聞いたことがあるけど、これについても俺は経験がなくてなぁ...恥ずかしながら。」
「.....」
「それで、化学物質の摂取とか外からの刺激とかで精神とか心が変わることがあるんだけれども、その一方で変わらない、あるいはかなり変わりにくい部分ってのもあると思うんだ。」「例えば、俺は普段はいわゆる陰キャだけど、酒を飲むといつもより陽キャっぽくなるんだが、それでも俺は俺って部分が残ってると思うんだよ、多分。例えば、高橋なんかと飲んでると、あいつも酒のんで性格変わるんだけど、やっぱり高橋らしい部分って残るんだよな、そういうの。」
「木村さんは陰キャじゃないと思いますよ。陽キャではないですけど。」
「まぁまぁ、つまり何って言うか、その変わらない部分、変わりにくい部分ってのがその精神なり心なりの根っこの部分、それってどこから来たのかな?っていうね。生来のもの、つまり、たまたまそういう脳みそに生まれついた、ってことなのか、あるいは体の作りに引っ張られてそうなったものなのか、更に言うと、やっぱり体っていうハードウェアとは別に何か霊的なものがあるのかも、って話にまで広げても面白いかなって。」
「やっぱり木村さんは精神だけで存在しうるって思ってるんですか?」
「あ、いや、俺がそう思っている、ってよりは、そう考えても面白いんじゃないかっていう。」「つまり、俺にとって重要なのは、何が正しいか、ということよりは、どう考えると面白いか、ってことなんだ。だから、否定できないことであれば、否定しきらないほうが面白いって思うなら、とりあえずは可能性の一つとして消さないでおくようにしているんだ。」「だって、高瀬さんは、精神とか心だけでその辺フラフラしている奴らがいた方が面白いと思わない? 俺はそう思うんだけど。」「でも、そういう奴らがいる、とは思ってないんだよね。」
「うーん、良くわからないんですが。木村さんの話って、例えば、神様の存在を信じていないけど、神様がいる世界のほうが面白いって思うから、神様の存在を否定はしない、ってことなんでしょうか?」「なんだか、矛盾しているようにも思えますが。」
「矛盾かあ、矛盾はしてないと思うけど。」「神様...だとその存在を俺自身信じそうになる瞬間があるから、高瀬さんの例えにするならツチノコかな。俺はツチノコとかチュパカブラの存在を信じてはいない、多分いないと思っているけど、でももしいたら面白いよね、とは思ってる。高瀬さんは、ネッシーの存在を信じてる?」
「うーん、いないと思いますね。興味があるので調べたことありますけど、UMAとか。」「っていうか、木村さんは神様はいると思ってるんですか?」
「いや、存在を信じそうになるってだけで神の存在を信じてるわけじゃないよ。ツチノコよりはちょっと信じちゃうかもってくらいかな?」「で、話をネッシーに戻すけど、高瀬さんは、ネッシーはいないと思ってるとして。でも、もしネッシーが実在したら面白いと思わない? わざわざ調べたってことは興味あるんだよね。」
「うー、そう言われてしまうとそうですね、ネッシーいたら面白いと思います。」
「俺がさっき言ったのはそんな感じかな。」「話大分それたけど...」
「あっ、すみません、思いっきり話を逸してしまって...」
「いや、俺はこうやって話が発散したり脱線したりするのも好きなんだ。だって...」
「その方が面白い、ですか?」
「そう、そうなんだよ。で、いい感じで話が発散したり脱線すると見えてくることもあるじゃない? そういうのが楽しいんだよな。」「こういうのって一人で考えているよりは誰かと話をしたほうが脱線が起こりやすいし、いい感じに脱線させるには話をする相手が重要だと思うんだ。」
「私で良かったんでしょうか? 私は高校出たばかりで何も知らないですし...」
「いや、今日の脱線は相手が高瀬さんだったからだと思うよ、とてもいい感じに脱線してるよ。」
「そう言っていただけると嬉しいです。私も楽しいですし。」
「で、さっきの話。化学物質とか外部からの刺激で変わらない心ってのがあるって話の続きだけど、これはこれで大事なんじゃないかって思うんだ。」「その前に、心って外からの刺激で簡単に変わる、体と紐づいてるから、って話のときには変わってしまうことに対して居直ってもいいんだ、って話をしたけど...」
「さっきの処世術っぽい話ですね。」
「そう、今度は、変わらない部分に関しては無理に変えようとしなくていいんだって話。」「結局さ、変わった心は変わらなかった心に引っ張られるし、変わらなかった心は変わった心に引っ張られる。だから苦しくなるんだって思うんだ。」「だから、変わった部分は『仕方ない』って開き直って、でも変わらなかった部分は『そのまま変わらなくていい』って思っていればいいと思うんだ、同じ心だからどう折り合いをつけるかはその人のバランス感覚でいいんだけど、それはそれ、これはこれって考えていいと思うんだよ。」
「うーん、ちょっとイメージがわかないんですが、変わった心と変わらなかった心がお互いに排他的だったらどうなるんです? たとえば、ピーマンが好きでピーマンが嫌い、みたいな。」
「逆に、それってどういうことよ? ピーマンが無性に食べたくなるときと、見るのもイヤってときがあるってこと? それなら無性に食べたいときに食べて、見るのも嫌なときは見なくていいんじゃないかな?」「別に、一貫した行動を取らなければならないってことはないよね。」
「そうですねぇ、いい例が思い浮かばなくてピーマンの話を持ち出したんですが...」
「でもちょっと分かる、例えるなら、大学の講義は聞きたいけど、大学に行くまでの満員電車が耐えられない、的な葛藤かな。」
「そう、そう、そんな感じです。」
「例えば、大学の講義は別に興味無いし満員電車もイヤ、だったのが何かのきっかけで大学の講義が面白い、ってなった場合だね。心変わりの理由は普通だけどね。」
「そうです、そうです。」
「その場合は、大学の講義が面白くなったのだから、それは居直っていいよね。だって、面白いんだからしょうがないじゃん、って言って。別に無理に嫌いになる必要はない。」「一方で、無理に満員電車が好きになる必要もないよね。別に満員電車が嫌いでも、それに勝る『講義を聞きたい』って気持ちがあれば大学行くでしょ?」
「そうですね。私ならそうします。」
「今の例は対処が難しくない例だけど、やっぱり切り離して考えにくいことってあると思うんだ。そういう時にも、自分の心のあり方を少し見直して整理して考えると、少し心が楽になることもあると思うんだよ。」「まあ、本題からはズレちゃったけどね。」
「私も脱線好きなんで、大丈夫ですよ。」
その後、俺たちは、精神とか心とかに関係するともしないとも言えないような脱線話に花を咲かせ、気づいたら店に入ってから2時間近く経過していた。
「おや? もう外が暗くなり始めているので、今日はこの辺にしとこうかな。」「長々と変な話に付き合ってくれてありがとう。」
「こちらこそ、面白いお話ありがとうございます。少し気が晴れました。」
「ん? 何か気が滅入るようなことでもあったの?」
「い、いえ、大丈夫です。」
「あ、まあそれなら良かった。またこんな感じで誘っていいかな? 色々と考察が進んだ気もするし、何より面白かった。」
「こちらこそ楽しかったです、私で良ければ是非。」
「じゃ、今日は駅まで送るよ。」「っていうか、俺が駅に行くんだけどな。」
「はははは。」
こうして、高瀬さやかとは駅で別れた。
「へへぇ、ところで今日の話は何ですか? 木村さん。」
高瀬さやかの姿が見えなくなった頃を見計らってか、小泉が話しかけてきた。彼の横には高橋もいる。
「本当にずっと聞いていたよな、お前たち...この暇人共。」
「そりゃあそうですよ、木村さんが例の件に絡んで高瀬さやかと話をする、っていうんで結構根掘り葉掘り聞いてくれることを期待したんですけどね。」「それがなんです? 心とかチュパカブラとか...」
一方高橋はニヤニヤしているだけで何も言わない。
「いや、今日高瀬さんと話していて大体疑問は解けたよ。」
「疑問ってなんですか?」
「それは秘密だ。」
「ええーっ? そりゃないっすよぉ、木村さん。」
「冗談冗談...、やっぱり高瀬さんと話をするのは楽しい、ってことかな。そして、高瀬さんも俺と話をするのを楽しんでくれたようだ。」
「えー、それだけですか?」
「ああ、俺と話をしている時の高瀬さんは楽しそうだった。一安心だ。」
「アホだ、木村さんは、アホになってしまったんだ...」
「それで、木村はこれからどうするんだ?」
今までずっと黙って小泉との会話を聞いていた高橋が、ここで会話に加わってきた。
「いやさ、俺、結構高瀬さんのこと気に入ってて、一緒に話をしてると楽しいし、学生時代こういう友達がいたら楽しかっただろうなって...」
「いや、お前今でも学生だろう。」
「そうなんだけど...でも、高瀬さんは友達っていうには年が離れすぎてるし、友達って感じになりにくいだろ?」
「いや、傍で見ていてそうは感じませんけどね、高橋さんはどうです?」
「俺も、全然問題ないと思うぞ。むしろ、高瀬さんの方から話しかけてきているようだしな。こういう場合、むしろ高瀬さんの側が歳の差を気にするもんだが、少なくともそこは彼女にとって問題ではなさそうに見えるし、いいんじゃないか? 友達ってことで。」
「だからさ、友達っていうか、妹みたいな、そんな感じで見守るつもりでいたんだけど、そこに大場のアレがあったもんだから。」
「自分の気持ちに気づいたってやつですか? 木村さん。」
「俺の妹に何するんだ! って気になって...」
「そっちですか?」
「まあいいんじゃないか? 木村の方はもう仕込みは済んでるみたいだし。」
「??? 何ですか、仕込みって。あのチュパカブラな会話に仕込みがあったんですか?」
「高瀬さんの方にはな、あとは彼女次第だ。妹とはいえ兄貴がしてやれるのはこのくらいだし。」「もう一つは、妹を騙して傷物にした挙げ句、晒し者にした奴には相応の報いを受けさせてやろうって気にはなったかな...」
「大場さんにですか?...」「どうやって?...」
「ああ、それについては考え中だ。ところで、大場に本命の彼女がいるってのは本当なのか?」
「実はそれに関してはバイトの男子メンバーでも意見が別れてて、いるって奴が7割、見え張ってるって奴が残り3割って感じですかね。ちなみに俺は「いる」派です。」
「じゃあ、いる事を想定して考えると...」
「いいんですか? 俺の単なる勘ですよ。」
「いいんだよ、どうせ情報ないんだし、勘でもなんでも。」「大体、彼女がいるのに、他の女子を好きだのなんだのって言って回るやつには、やっぱりお仕置きが必要だと思うな、下手をするとバイト先の女子がみんな大場のお手つきになってしまうって状況は考えたくないしな。」
「そうですねぇ、でもそれはないと思いますよ、大場さんの性格からして。」
「へぇ、その心は?」
「大場さんって、ああやってヤッた自慢する割に慎重だから、女子同士が情報を共有することは想定していると思うんですよ。つまり、同じコミュニティーの女子複数と関係を持つと、そこから女子全員に情報が漏れて総スカンを食う可能性があるってことです。」
「でも、それを言うなら、男子全員に自慢することも同じリスクがあると言えないか?」
「それでは、先輩方は、高瀬さんのことをバイト先の女子に話そうと思います?」
「それはないが...バイト先の男子全員が全員そう考えているってことはないんじゃないか?」
「俺の感覚では、それが普通の男子の考え方だと思うんですよ。だから、女子の情報が漏れる可能性はないと思っていいんじゃないかと。だって、そんなこと女子に話したところで最初は信用されないし、それどころか女子の気を引くために嘘の噂を流す奴扱いされて、それが女子全員の間で情報共有されて総スカン、ってパターンが見えてますからね。メリットないですよ。」
「なるほど、そりゃそうだな。まあ、そんなに損得勘定できる奴ばっかりじゃない気もするが、まあいいや。」「そうなると、それだけ慎重な大場が、なんであんなことをってことが気になるが、それはまた別の機会に考えてみるか。」
「木村は...そうやって、何でも考えるネタにしちまうんだな。」
「まあ、それが俺の専門、っていうか性分みたいなものだから。」
その後、ちょっとした雑談の後、俺たちは喫茶店を出た。