物音で、アスカは目覚めた。いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。
そう言えば、ミサトがふすま越しに「呼び出しが入ったので、本部へ行って来る」とか、言っていたような気もするが……だとすれば帰ってくるには早すぎる。なら、この近づいてくる足音は――
アスカが身構えるよりも早く、
「アスカ、入るよ」
呼びかけがあり、戸が開けられる。
「シンジ……」
一瞬、虚を付かれたアスカだったが、一気に意識が覚醒する。
「あんた、なにしにきたのよっ!」
アスカは、怒りに任せてシンジを怒鳴りつけた。
「そっから一歩でも入ってみなさい。私、あんたを犯すわよ」
そう言えばシンジは部屋に入ってこられない――はずだった。
「いいよ、それでも……」
シンジは、平然と室内に一歩を踏み入れた。
シンジの意外な行動に、アスカは慌てた。
「なっ」
どう対応してよいか迷っている内に、シンジはアスカのいるベットの傍らまで来てしまう。
「アスカ……」
「あんた……泣いてんの?」
薄暗くそれまでよく分からなかったが、シンジは涙を流していた。
その情けない顔を見ていると、怒っているのが馬鹿らしくなってしまう。
「どうしたのよ。ファーストのとこに、いったんじゃなかったの?」
もしや、レイのところにいくこともできず、そこいらの公園かどこかにい
て、耐えられずに戻ってきたのかとも思う。そのぐらいシンジの表情はみすぼらしかった。
「いったよ……けど……」
シンジは言いよどんだが、その顔から大体のことは想像できた。
「お払い箱にされたってわけね」
アスカが言うと、シンジはびくりと身を震わせた。次の瞬間、突然アスカの肩に掴みかかってくる。
「お願いっ! 犯されてもいいから。奴隷でもいいから、ここにいさせて。お願いだから、僕をここにいさせてよっ。アスカァっ!」
あまり勢いに、アスカは目を丸くした。レイのところで余程ショックなできごとがあったのだろう。シンジの様子は、普段のそれとかけ離れていた。
だが、持ち前の自尊心のせいで、アスカの口からは慰めの言葉は出ない。
「馴れ馴れしいのよ!」
アスカは、シンジを突き飛ばした。不意を付かれたシンジは、床に尻餅をつく。
シンジは、捨てられた子犬のように震えていた。その前に仁王立ちになり、アスカは告げた。
「そんなに言うなら、お望み通り犯してやるわよ」
自分で言いながらその異常な言葉に、アスカは内心でどきりとした。
「じゃ、じゃあ、僕は、ここにいてもいいの?」
シンジは、アスカの足にすがりつきそうな勢いで近付いてきた。実際、アスカが黙っていたら、そうしていたかもしれない。
「それは、あんたしだいね。私を気持ちよくできないんじゃ、おいてやる価値は無いわ」
心臓が跳ねるのを感じながら、アスカはシンジを見下ろした。
「うん、アスカに気持ち良くなってもらえるなら、なんでもする。おまんこ舐めろっていうなら、何時間でも舐めるよ。足でも、お尻でも。それに、僕の体はどう使ってくれてもいいよ。ねえ、だから、だからぁっ」
本当にすがりついてきたシンジに、アスカはたじろいだ。
(こ、こいつ……だいじょうぶなの……?)
さすがに心配になってくるが、今更後には退けない。
「だったら、さっさと準備しなさいよ」
アスカは蹴飛ばすようにして、シンジを振りほどいた。
「うん」
シンジは嬉しそうに返事をする。まるで命令されることを喜んでいるかのように。
躊躇いなく、あっという間にシンジは服を脱ぎ捨てた。その照れのなさに、逆にアスカの顔が赤くなってしまう。
「アスカ、早く犯して」
ベットに横になり、シンジが言う。その目は完全に陶酔してしまっている。
つられて、アスカも発言がエスカレートする。
「アスカ? なに呼び捨てにしてんのよ。あんた、私の奴隷になりたいんでしょ。だったら、様でしょ。あ・す・か・さ・ま」
これにはシンジも戸惑いを見せたが、
「ア、アスカ……様……」
それも一瞬で、瞳の中の酔いをさらに深くする。
「アスカ様、お願いです。僕を、僕を犯してください」
その艶めかしい物言いに、アスカは震えた。
(なによ、こいつの声……ぞくぞくするじゃない)
アスカは、自分の体が興奮で火照っていくのが分かった。
とりあえず、シンジも裸になっているのだからと、服を脱ぎに掛かる。といっても、身につけているのはキャミソールにブラ、下半身に至ってはショーツだけだが。
先ほどのシンジに比べればゆっくりと衣服を脱ぎ、アスカは覚悟を決めてベットのシンジの上にまたがった。が、
「……あんた、馬鹿にしての? ぜんぜん起ってないじゃない」
シンジの性器は、平常時と大差ない大きさだった。自慢の身体を晒してやっているにも関わらずこの仕打ちに、アスカはすくなからずショックを覚えた。今のシンジは精神状態がおかしいのだからしかたがない、とプライドを納得させる。
「もういいわ、寝る」
残念だが、やはりこんな状態のシンジとしても仕方がないと思い直し言う。
(起たないんじゃ、犯しようもないしね)
慌てたのはシンジの方で、
「ま、待って、お願いっ! おちんちん起たなくても気持ちよくするから。アスカ様のこと、気持ちよくするからっ」
錯乱気味に叫んで、アスカに飛びついてくる。
「ちょ――」
アスカが制止するよりも早く、シンジがアスカの唇を塞いだ。
あまりの唐突さに一瞬理解できないが、数秒してからキスをしているのだと分かった。シンジとは二度目のキス。あの時は、当て付けで、気まぐれで、ただ重ねただけの口づけだった。
(……キスしてるんだ)
挑発したのでもなく、扇動したのでもなく、シンジから口づけしてくれた。その事実はアスカを高揚させた。だが、次の刹那にはそんな思いは吹き飛んでしまう。
「うっ、うぅ」
シンジの舌が、アスカの口内へと入り込んでくる。舌同士を絡ませ、歯肉をなぞる。こそばゆい初めての感覚に、アスカは身悶えした。
離れようとするが、シンジはしっかりとしがみついていて引き剥がせない。
舌を伝って侵入するシンジの唾液が、口の中でアスカの唾液と混じり合っている。それを思うと、思考が溶けてしまいそうに熱い。
アスカの口内全てを侵し尽くし、ようやくシンジは腕を放した。
アスカは、へなへなとベットに腰を付けた。息が荒い。顔も真っ赤になっていることだろう。
「ねえ、気持ちよかった?」
とろんとした目で、シンジが言う。
アスカは自分ならば「調子に乗るんじゃないわよ」とか「全然。これっぽっちも気持ち良くなんてないわよ」とか言うべきだと思うのだが、
「ま、まあね……」
と、思わず正直に答えてしまう。
それを聞いて、シンジは瞳を輝かせた。
「良かった。ねえ、次はどこを舐めればいい? 胸? おまんこ?」
(ま、まずいわね……。これ以上されたら、私の方がおかしくなっちゃうじゃない)
シンジに責め続けさせるのは危険だ。かといって、もういいと言っても今のシンジは修まらないだろう。
考えあぐねている内に、
「ねえ、アスカ様?」
いつの間にか間近に来ていたシンジが、至近距離で顔を覗き込んでくる。
「!?」
驚いたアスカは、咄嗟に平手を振るってしまった。けっして力を込めたわけではないが、きれいに決まってしまい、パチンと甲高い音を響かせる。シンジの頬が赤く腫れ上がった。
「あっ、ごめ――」
シンジは最初苦痛に顔を歪ませたものの、すぐに笑顔になる。その異常さに、謝ろうとしたアスカは言葉を途切れさせた。
「ぶつの? いいよ、ぶってくれても。アスカ様が喜んでくれるなら、いくらでもぶって」
「……あんた…変態じゃないの……」
常軌を逸したシンジの発言に、侮蔑の言葉が口をついで出てしまう。言い過ぎだと後悔するが、
「うん、僕は変態なんだ。変態で奴隷なんだ」
それすらも、シンジの狂気を加速させるものでしかない。その証拠に、シンジの性器は見る間に立ち上がって、アスカを絶句させた。
「ほらぁ、おちんちん勃起したよ。犯してよ。変態のおちんちん犯してよ、アスカ様」
シンジは勃起したペニスを、腰を動かしてアスカの眼前で揺らして見せた。その姿に昨日までの――いや昼間までのシンジの面影はどこにもない。
(ファーストのやつ、シンジになにしたのよっ!)
憤りが湧くが、今はこの場を治めるのが先決だ。
「言われなくたって、犯してやるわよ。とっとと、寝なさいよ」
「はい」
素直に横になるシンジの上にまたがり、血管の浮き出たペニスを見下ろす。それは昨日よりも長大に見えた――錯覚だろうが。
アスカは、自らの秘所をそっと撫でた。しとどに濡れている。ペニスを挿入するのに問題はないはずだ。
腰を下ろし、亀頭を秘所にあてがう。踏ん切りを付けて、アスカは秘所にペニスをくわえさせた。
「あっ、うぅ」
ペニスの半分ほどがアスカの中に飲み込まれた。思ったほどの衝撃や痛みはない。それでも、昨日の体験からそれ以上進むのは躊躇われた。
「アスカ様ぁ」
媚びるような笑顔を浮かべる、シンジ。最初、艶めかしいと思えたそれも、今は狂っているとしか見えない。早くシンジをその狂気から、解放してやりたかった。
その思いで、腰を深く沈める。
「はぁ、あぁっ」
アスカは、シンジのペニスを完全に挿入させた。膣内が満たされる。
(お、大きい……指なんかより、ずっと……)
後はゆっくりと動いて、快楽を得ていこう。が、アスカの思惑はシンジによって阻まれてしまう。
「ひゃぁ、あっ、あぁぁっ! ちょ、ちょっと――」
下から突き上げられてアスカは悲鳴を上げた。
「ば、馬鹿シンジっ! や、やめなさいよ。あぁっ、あんたは、動かなくて、い、いいのよ」
制止しようと命令するが、
「駄目だよ」
シンジは相変わらずの笑顔で、きっぱりと言う。信じられずに、アスカは聞き返した。
「な、なに言ってのよ」
「だって、アスカ様にもっと、もっと気持ち良くなってほしいだもん」
シンジの声音は完全に本気で、腰の動きをさらに激しくさせる。
「あぁぁっ、あはぁっ、うぅっ」
あまりに性急な刺激で、快感なのか痛みのなのかアスカには区別がつかない。
(だ、だめっ。頭ん中が真っ白になりそうぉ)
アスカは、秘所からペニスを抜くために立ち上がろうとした。だが、
「駄目だったら。ちゃんと気持ちよくなってくれなきゃ」
シンジの手が、アスカの腕を固定する。振りほどこうにも、秘所を突かれている状態では、力が入らない。
(そ、そんな……これじゃ、どっちが犯されてるか分からないじゃない)
アスカは絶望的にそう思った。
「はぁ、ああんっ」
緩急をつけて、シンジの腰の動きは続く。
その内に、アスカがシンジを犯しているのか、シンジがアスカを犯しているのか、そんなことはどちらでもよくなってしまう。
「あはぁ、あ、ああぁぁっ」
快楽が脳を突き抜ける。頭の中が白んでいくのを感じながら、アスカは絶頂を迎えた。
すっかり体力を消耗して、アスカはシンジの胸に手を付いた。しばらくは、なにも考えられそうにない。しかし、
「ア、アスカ、どいて! 出ちゃうよ」
シンジが、せっぱ詰まった声を上げる。
「ちょ、ちょと、我慢しなさいよっ」
アスカは慌てて、身を起こして腰を上げた。
「あぁっ、出でるぅ」
間一髪で、シンジのペニスから精液が放出される。白い液体はベットのあちこちに飛び散って、白い斑点を作った。
「ご、ごめん……すごく強く締め付けられたから…我慢できなくて……」
申し訳なさそうに、シンジは目を伏せた。その姿を見ていると、それ以上怒る気にはなれない。勝手に突き上げられたことも――シンジは本当にアスカに気持ち良くなってほしくてしたのだろうし――不思議と、まあいいかと思える。
「別に怒っちゃいないわよ。でも、気をつけなさいよね」
この年齢で子供を作るつもりはない――というかアスカは、将来的にも子供が欲しいなんて欠片も思ったことはなかった。
「うん……」
「……もう、いいわ。身体を洗って、寝なさいよ」
「で、でも、後始末しないと」
シーツに付いてしまった精液を、目で指してシンジが言う。拭いても落ちないから、代えて洗わなくてはいけないだろう。
「私がやっとくわよ。いいから、さっさといきなさいよ」
そこまで言ってもシンジは、おろおろと汚れとアスカの顔とを交互に見ている。アスカは強引に、シンジに衣服を持たせ出口を向かせて、背中を押した。
たたらを踏みながらシンジは戸の前までいき、振り返った。
「あ、あの、僕……こ、ここにいても、いいの……かな?」
アスカは、深いため息をついてから、答えてやった。
「いいに決まってんでしょ。ここは〝ミサトの家〟だし。あんた、他にいくとこなんて、どこにもないじゃない」
「あ、ありがとう」
シンジは安堵の表情を見せた。
「ほら、早くいきないよ。私も使うんだからね」
アスカは腕を振って、シンジを急かした。
「う、うん」
ようやくシンジは、戸を開けて出ていく。
残されたアスカはもう一度嘆息して、シンジのまき散らした精液が染みこんでしまったシーツを、しばらくの間見下ろしていた。
翌朝、アスカが目を擦りながらダイニングにいくと、眠気の吹き飛ぶ光景が待ちかまえていた。
「……な、なによこれ」
「あ、おはようございます、アスカ様ぁ」
アスカに気づいたシンジが、昨日の調子で挨拶してくる。にこにこと嬉しそうだ。
「さ、様はもういいってのっ。しゃべり方も普通にしなさいよ」
アスカは赤面して言ったが、シンジは納得できない様子でアスカを上目遣いで見る。
「でも…僕はアスカ様の奴隷だから……」
アスカは頭を抱えたくなった。
「ああっ、奴隷とか言うのも禁止! いい? これは命令よ」
「はぁい」
命令と聞いてシンジは、笑顔でうなずいた。
「で、〝これ〟はなんなのよ」
目の前のテーブルには、料理が所狭しと並べられている。どれもアスカの好物ばかりだった。パーティーでも開けそうな量がある。
シンジは、えへと、照れ笑いして答えた。
「アスカ様…じゃない、アスカに喜んでもらいたくて」
「あのねぇ、限度ってもんがあるでしょうが。朝っぱらから、しかもこんな量、誰が食べられるっていうのよ」
特に語気を荒げたつもりはなかったのだが、
「ご、ごめん……」
シンジは笑顔から一転、この世の終わりのような表情を浮かべる。アスカは慌ててフォローした。
「ま、まぁ、作っちゃったもんはしかたないわね」
アスカはテーブルに着いて、あらためて料理を見渡した。アスカの好物ばかりだから、肉料理が中心だ。一通り箸をつけるくらいは、しなくてはいけないだろう。
(太るかしらね……)
と、ミサトが顔を見せた。いつの間にか帰っていたらしい。
「おっはよ。あら、すごいごちそうじゃない」
ミサトは、舌なめずりした。
「おはようございます、ミサトさん」
「シンちゃん、あんまし夜遊びしちゃだめよん」
「えっ、あ、はい……」
ミサトに言われ、シンジはたじろいだ。ミサトはどこまで知っていて言っているのだろうかと、アスカは思う。
アスカの耳元に、ミサトが口を寄せた。
「仲直りできたみたいで良かったわね」
「ちょっと、そんなんじゃないったらっ」
反論しようとするが、ミサトは意味ありげにウィンクして自分の席に座ってしまった。
結局、料理は半分以上残ってしまった――それでも、ビールまで持ち出してミサトが相当な量を平らげたのだが。まあ、夕食の時に温めて食べればいいだろう。
登校中はシンジがアスカの鞄を持つことを頑強に主張して弱ったが、アスカは鞄を渡さなかった。いつもなら押し付けることも多いのだが、自分から言い出されると返って渡しづらい。
登校してからも、シンジの変貌ぶりを周りに悟られぬように気を張りつめていたので、二時間目が終わる頃にはアスカはすっかり疲労してしまっていた。
「う~~」
机に突っ伏して唸っていると、親友のヒカリが声を掛けてくる。
「どうしたの、アスカ? すごく疲れてるみたいだけど」
「うん、ちょっとね……」
アスカは、目だけをヒカリの方に向けて答えた。
「だいじょうぶ? 保健室いこうか?」
ヒカリは、世話焼きぶりを発揮して訊いてくる。
「平気よ、平気」
心配掛けまいとアスカは笑顔作ったが、ヒカリの表情を見る限りあまりいい笑顔は作れなかったらしい。
「それと――」
ヒカリは、ひそひそ話するように顔を寄せた。
「碇君となにかあったの?」
ヒカリの言葉にアスカは飛び起きた。
「なっ、な、な、な、な、なに言ってんのよっ」
盛大にどもりながら叫ぶ。なにか知られてしまったのだろうか。アスカは血の気が引く思いだった。
「え、だって、今日の碇君、ずっとアスカのほう見て、にこにこしてるわよ」
言われて、シンジの席を見ると本当に笑顔でこちらを見ている。アスカと目が合うと、さらに顔を破顔させた。
(あの馬鹿……)
アスカは目の前が暗くなるのを感じた。あんなに露骨にされては、なにもないと思う方が変だ。
「もしかして……アスカが疲れてるのって……でもでも、そんな、いくらアスカと碇君が同じ家に住んでるっていっても…私たちまだ中学生なんだし……ううん、責めてるわけじゃないのよ。本当に好きな人同士だったら、自然なことだと思うし……私だっていつかは」
ヒカリは頬を紅潮させ、自分の世界に入り込んでしまう。なんとか現実に戻そうと、目の前で手を振ったり、肩を揺するが全く反応がない。と、
「ちょっと、ヒカリ。ねえ――」
視界の隅にレイが廊下に出ていく姿が写った。
(チャンスね)
レイにはシンジのことを問い詰めたいと思っていたが、さすがに他のクラスメートの前でできる話ではない。ふたりきりになれる機会を待っていた。
アスカは妄想に浮かされたままのヒカリを置き去りにして、廊下に走り出た。
レイの背中を見つけ、追いついて腕を取る。
「ちょっときてっ」
アスカは言って、手近な視聴覚室にレイを引きずり込んだ。滅多に使われることのない特別教室で、案の定無人だ。アスカは念のため、後ろ手で鍵を閉めた。
「なに?」
なんの戸惑いも見せず、落ち着いた表情のままレイが尋ねてくる。
アスカは一拍置いて、対決の覚悟決めてから言った。
「……あんた、シンジになにしたのよ?」
「私は、碇君が望んだことをしてあげただけよ」
レイは笑みを見せた。人を馬鹿にしたような嘲りのように、アスカには思えた。堪らなく頭にくる。
「なに言ってんのよ! シンジのやつ、おかしくなっちゃったんだからね――今日は、すこし落ち着いてるけど。昨日、帰ってきた時なんて、酷くて見てらんなかったわよ」
アスカが語調を強くしても、レイは冷静な態度を崩さない。
「そう? でも、それが碇君の本当の姿なんじゃないかしら」
本当の姿――アスカの脳裏に昨夜のシンジの痴態が次々に映し出された。
(あれが、シンジの本当の姿……?)
そんなものは疑問でもなんでもない。間違いに決まっている。アスカは力一杯、否定した。
「んなわけないでしょ! あいつのことはねえ、一緒に住んでる私が一番よく知ってるのよっ!」
「そう。じゃあ、間違っているのは私の方かもね」
レイがあっさりと自分の意見を下げたので、アスカは拍子抜けした。大声で怒鳴った自分が滑稽に思えてくる。だが、言いたいことは言って置かなくてはならない。アスカは気を取り直して、レイに告げた。
「と、とにかく。もう、シンジには指一本触れるんじゃないわよ。分かったわね!」
「ええ。約束するわ」
これまたあっさりと、レイは承知した。アスカの、自らの正当性を証明するために用意していた数々の言葉――中には暴言や、ただの悪口も含まれている――は一気に霧散してしまう。
今度こそ完全に肩をこけさせたアスカの脇を擦り抜けて、レイは鍵を開けて廊下へと出ていった。
「あれ……?」
取り残されたアスカは、掻き立てた闘争心のやり場を失い、休み時間中その場に立ちつくしていた。
風呂上がりのアスカは、スポーツドリンクを喉に流し込んだ。上気した身体に冷たい水分が吸収されてゆくのが心地よい。
「ふぅ」
と、入れ替わりに風呂に入っているシンジのことを思う。結局、レイになにをされたのかは分からず終いだ。それとなく訊いてみても、シンジもあまり喋りたくないらしい。
(どうしちゃったんだろ、あいつ?)
以前から人の顔色を伺うところはあったが、それにしても異常すぎる。アスカのために朝からご馳走を用意して、鞄を持とうとして、さっきも背中を流すと言ってアスカを困らせた。昨夜、シンジが言っていたことを信じるなら――おそらく本気なのだろうが――アスカが望めばどんな破廉恥なことでもするだろう。
今のシンジは、それに喜びを感じている。それは間違いない。逆に命令がなかったり、奉仕を断ったりすると泣きそうな顔になる。
そこにあるのはむき出しの好意。
(そりゃ悪い気はしないけど……)
今のシンジにはアスカが全て――というはさすがに言い過ぎか。そこまででなくても、以前よりもシンジの中でアスカが重要な位置を占めているのは確実なはずだ。
(悪いことじゃないわよね……。うん、悪いことじゃない)
アスカは自分に言い聞かせるように、ひとりうなづいた。
洗面所のドアが開く音がして、シンジが出てくる。上着を身につけ財布を持っているので、アスカはあれっと思った。
「アスカ、僕、ちょっとコンビニ行ってくるね」
「なに買いにいくのよ?」
「シャンプー、切れちゃって」
言われてみれば、アスカが使ったときにはもう残り少なかったような。
「べつに今すぐいかなくても、いいじゃない。湯冷めするわよ」
「うん。でも、ミサトさんが入るとき困ると思うし」
シンジが言ってることは、至極真っ当だった――真っ当なのだが、なぜか今シンジを外に出すのは躊躇われた。
「いいわよ。一日くらい髪洗わなくたって、死にゃあしないんだし」
「あは、でもアスカ、このあいだシャンプー無くなっちゃったときには、一日でも髪洗わないと死んじゃうって、僕に買いにいかせたじゃないか」
シンジは笑って言った。そんなこともあったかもしれない。
「そ、そうだった……?」
「じゃ、ちょっといってくるね。ついでに、なにか買ってこようか?」
「べ、べつにいいわ。気をつけていってらっしゃいよ」
それ以上、特に止める理由もない。
「うん。いってきます」
笑顔で言って、シンジは背を向けて玄関に向かう。その背中が奇妙に名残惜しく、アスカは視界からシンジが消えてしまうまで、瞬きもできずにじっと見つめていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
窓から差し込む月明かりを浴びて、少女が立っている。
月光は彼女の白い肌を、さらに白く染めている。色素の薄い髪は銀髪のように輝いている。それらが、紅い双眸をより映えさせていた。
少女はなにをするでもなく、ただ窓の外の月を仰ぎ見ていた。
やがて、静寂に包まれていた室内に、遠くから物音が聞こえてる。一定のスピード近付いてくるそれは、靴音だとすぐに知れた。
音が玄関の前で止まり、扉が開き、さらに十分に近付いてから、少女は振り返った。
「きっとくると思っていたわ――いいえ、分かっていた」
そこには、息を切らせた少年がいた。少年の頬が桜色に染まっているのは、走ってきたからばかりではないだろう。
「望みを叶えて欲しいのならどうすればいいか、分かるわね?」
少女の言葉に、少年は大きくうなづいた。もどかしげに服を脱いで、生まれたままの姿になる。四つんばいで少女に近付き、その足下に跪いた。
少年は、丁寧に少女の靴下を脱がし、その素足に躊躇いなく――むしろ恍惚を持って、口づけした。
少女は、満足げな笑みを浮かべた。
淡い月の光だけが、少女と少年を照らしていた。
これは はじまりのおわり
それは おわりのはじまり