朝――気持ちの良い朝だ。私はベットから出て、カーテンを開けた。
「う~~ん」
朝日を浴びて伸びをする。心が軽いのが、ちょっと信じられない。いつもなら、また布団の中に潜り込んでしまいたい衝動に駆られるのに。
私は心が弾んでいる原因を思い出し、クローゼットに向かった。自然と顔がほころんでしまう。こんなに一日のはじまりを嬉しく感じるのは、いつ以来だろう。
クローゼットを開けると、そこには裸の少年――碇シンジ君が寝転がっている。私は安心した。夢のようなできごとだったので、本当に夢だったのかも知れないと思う気持ちがあったから。
私は、しゃがみ込んで彼の様子を観察した。穏やかに寝息を立てている。手足は革のベルトで拘束してあった。可哀想かも知れないが、暴れられると困るので仕方がない。
「あら」
私は、彼の肉体の変化に気がついた。性器が勃起している。
「ふふっ、昨日あんなにしたのに、元気なんですね」
嬉しくなって、私は彼のものを握った。最初、グロテスクに思えたそれも、今では可愛くてしょうがない。これを刺激するたびに、彼は様々な反応を見せてくれる。
数回性器を擦り上げると、彼は目を覚ました。混乱していたようで目をしばたかせて、周りを見回す。その様子も滑稽で愛らしい。
「うぅぅ、うぅ、うぅ」
彼の言葉は声にならない。口枷をさせてもらっている。声を聞けないのは残念だけれど、彼が大声を上げて他の人間がここにくるようなことになったら嫌だ。
ずっと聞いていると口枷を付けままでも、彼がなにを言いたいのか分かるようになった。今は、「やめて」と言いたいらしい。
けれど、私は手の動きを止めなかった。むしろ早くする。彼だって気持ちいいはずだもの。ただ、私と同じで遠慮深いから、そんなことを言うの。
「うぅ、うぅうぅ」
彼は言い続けていたけれど、二分もたたない内に精液を噴出させた。撒き散らされ、私の手にも白い液体が付く。
私は、その手を口に運んだ。舌を這わせる。暖かい。苦みも彼のものだと思えば気にならなかった。
青臭い匂いも好きだ。彼の匂い。彼のスペルマの匂い。
彼を見ると、目に涙を浮かべていた。そんなに気持ちよかったのだろうか。起き抜けには刺激が強すぎたのかもしれない。
私は、おはようのキスがしたくて――その欲求が抑えきれずに――彼の口枷を外そうと手を伸ばした。彼だってもう、私がどんな風に彼のことを思っているか理解してくれたはず。無闇に声を上げたりはしないと思う。
口枷に手が掛かる。なぜか彼の顔は怯えているように見えた。そんなわけないのに。
転校の挨拶は苦手だった。教室中の視線が、私に集中している。見られたくないのに。
「山岸マユミです。よ、よろしく、お願いします……」
受けを狙ったり、かわいこぶったり、そんな余計なことは入れずに、必要最低限のことだけを口にする。普通に自然に言おうとしたつもりだったけれど、つっかえてしまう。それに、少し早口過ぎたかもしれない。これでおどおどしたやつだと、決めつけられただろうか。嫌。
「では、山岸さんは、あそこの席に座って下さい」
「は、はい」
担任の年輩の先生――若い先生で無くて良かった。男の先生で元気の良さを強制する人とか、女の先生で友達口調で馴れ馴れしい人とか、耐えられない――に促されて、私は席に向かった。その間にも好奇の目が向けられているのが分かる。きっとみんな値踏みするような目で、私を見てる。
「よろしくね」
「よろしく……」
席に着くと隣の女の子に挨拶された。ハーフだろうか、とても綺麗な青い目をした女の子で、私は気後れしてしまう。
とりあえず授業に集中しようとして端末に目をやって、私は驚いた。メール着信が表示されている。それも複数。
開いてみると、どれも転校生に対する他愛のない質問。私は、ちょっと呆れた。このクラスはいつもそうなのだろうか。今までの学校では、さすがに授業中に質問攻勢を受けることはなかった。
けど、授業中だからと真面目ぶるのも反感を買ってしまいそうだ。無視するのは、もっといけない。
結局、私はその授業中、メールに当たり障りのない返信をすること忙殺されてしまった。
休み時間になると、予想通り私の机の周りには人だかりができた。
「どこからきたの?」
「制服、前の学校の?」
誕生日は? 血液型は? 兄弟は? あちこちから矢継ぎ早に投げかけられる質問を、私は「ええ」とか「はい……」とか、曖昧な返事をしてやり過ごした。苦痛だ。
「山岸さんて、おとなしいんだね」
誰かが言うのを聞いて陰鬱な気分になる。喋らないからって、勝手に決めつけないで欲しい。なにも分からないくせに。
「ねえねえ、山岸さん。彼氏はいるの」
眼鏡を掛けたニキビの目立つ男が聞いてくる。いかにも男の子らしい下卑た質問。そんなこと、あなたには関係ない。それを知ってどうしようというの? そう思うが、さすがに口にすることはできない。
「い、いません……」
「なぁ、ちょっと眼鏡取って見せてぇな」
これは、見るからに下品そうな男の子。教室に入ったときから気になっていたが、なぜかひとりだけジャージを着ている。制服を汚しでもしたのだろうか。
とにかく、そんなことはしたくない。
「こ、困ります……」
「そないなこと言わんと――」
ジャージの男の子は食い下がる。すると、
「鈴原ぁっ! なに言ってんのよ。山岸さん、困ってるじゃない」
女の子が、ジャージの男の子――鈴原?君の前に歩み出て、その耳を思い切り引っ張った。クラス委員だと紹介された。確か洞木ヒカリさん。
「ごめんね、こいつ馬鹿だから。気にしないで」
「せ、せやかて、眼鏡外したら、えらいべっぴんさんに見えると思うで。なあ、シンジもそう思うやろ?」
鈴原君は、やや後ろ――人の輪の外にいた男の子に助けを求めた。シンジと呼ばれた男の子は、急に話を振られ困惑した表情で曖昧な答えをする。
「え、そ…そうだね……」
質問の輪に加わらず離れてそれを見ていた彼のことが、私はなぜだか気になった。
私が見つめていることに気がつくと、彼はさっと視線を外した。
それで分かった。彼は――私と似ている。
この学校の図書室の蔵書量は、なかなかのものだった。他では見かけないものも、けっこうある。嬉しい。これで学級文庫程度の書籍量だったりしたら、学校にくる楽しみも、意味も、なにも無くなってしまう。
私は、前の学校で読み切れなかったシリーズの続刊など数点を見つくろって、席に向かおうとした。
と、本棚の影から出てきた人影とぶつかってしまう。
「きゃっ」
私は、悲鳴を上げて床に倒れた。本が辺りに散らばる。
「ご、ごめんなさい」
私は身を起こして、相手を確認する前に、反射的に謝っていた。
「いいよ。僕もぼうっとしてたし。君の方こそだいじょうぶ?」
見ると、碇シンジ君が尻餅をついたような格好でいる。
「は、はい」
私は慌てて、本を拾い集めようとした。碇君も手近にある本を拾ってくれる。
ちょうどふたりの中間に落ちていた本を取ろうと手を伸ばす。私の手は、わずかに早く本に触れていた碇君の手に被さってしまった。
一瞬――時が止まったような一瞬、私と彼は見つめ合い、
「ご、ごめんなさいっ」
「ご、ごめん」
同時に、手を引っ込めた。
頬が熱い。彼の方も少し気まずそうだ。
私たちは、互いに目を逸らして本を拾い集めた。
顔の熱が落ち着いた頃に立ち上がると、碇君が拾った本を渡してくれる。
「はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
「本、好きなんだね」
碇君に言われて私は、
「ええ、本を読んでいるときは、自分の世界に没頭できるから」
普段心の中だけで思っていて口に出したりはしないことを、自然と喋ってしまっていた。彼には知っていて欲しい。
「い、碇君は――本、好きですか?」
私は、すこし上擦った声で碇君に訊いてみた。他人に問い掛けをするなんて、初めてかもしれない。
「うん、わりとよく読むかな」
「よかった……」
心の底から、そう思った。彼との共通点をまた見つけることができたから――だろうか?
「じゃあ、僕、いくね」
「は、はい」
背を向け図書室を出ていく碇君を、私はずっと見送っていた。
家に帰ってからも、彼のことが頭から離れなかった。
いつもならずっと本を読んでいるのに、それよりも――そう驚いたことにそれよりも、楽しい。彼のことを考えると胸の内が暖かくなる。
自然と顔がほころんでしまう。私はベットの上で身悶えして、慣れないくすぐったい喜びに耐えた。
彼のような人は今までいなかった。土足でこちら側に入り込んでくることもないし、他の男子のように下品でもない。
それに私と似ている。
彼となら、〝友達〟になれるかもしれない。彼になら、本当の私を分かってもらえるかもしれない。
(でも、もし裏切られたら……?)
その想像は、心の高揚を一気に萎えさせた。
彼は――今日会ったばかりの男の子。他人。私とは別の人。彼のことはなにも分からない。私が勝手に都合よく思っているだけ。
私は、彼について努めて冷静になろうとした。期待をすればするほど、裏切られたと時に辛くなるから。