放課後の教室。よそのクラスの扉を開けるのも慣れたものだった。
「お、彼氏じゃーん。やっほっ」
そして、そんな事を続けていれば、手前に座っていた女子に ひらひらと茶化されるようになるのも、ある程度は仕方が無いとも思う。
「彼氏じゃない。で、アイツは?」
一応の否定は、口癖みたいなものだ。
だが、彼氏と言われるのも無理はない。雨が降る度迎えに来ているんだから、傍からみれば、そんなに違わないだろう。
「いや、それはごめん。ちょっとからかいすぎたみたいで…」
頬を掻き、困ったようにその女子は言葉尻を濁した。いつも軽い態度の彼女にしては珍しい様子に、それなりの後悔は見て取れる。
「今でてったとこだから、追いかければ間に合うかも?」
「わかった、ありがとう。でも、こんな日にはやめてくれ」
「うん、それはホントごめん。奏の事お願いね」
「ああ」
廊下に戻り、玄関へと急ぐ。
窓の外に見える曇り空はますますと重くなり、雨脚は強くなる一方だ。
別に誰が悪いわけじゃない。
強いて言うなら、雨の日に外で遊んでいたアイツが悪い。
掲げた傘に雷が落ちたのも不運だし、居合わせた俺に何かできた筈もない。
雷が嫌いだとは知っていても、それを苦手程度に考えてしまう友人を責めるわけにもいかないもんだ。
雷に打たれた直後のアイツは、雨が降る度に怯えるようになっていた。
時間がたって、トラウマも多少落ち着いてはきたものの、やっぱり大嫌いな事には違いない。
小雨が降る程度ならまだしも、こんなどんよりと、今にも雷が落ちそうな空模様に一人で帰るなんて出来るんだろうか。
ピカっと、雲中に光が奔る。
ゴロっと、空気の震えが遠くから伝わってくる。
前触れは、大きな雷を予感させるのには十分だった。
足早にたどり着いた玄関に、アイツの影はなかった。靴箱の中は空っぽで、雨の中を飛び出していったのは容易に想像が出来る。
「昔は、好きだったもんなぁ…」
黄色い雨合羽をドレスにみたいに踊らせて、黄色い雨傘をバトンの様に遊ばせる。水溜りから、水溜りへ。飛んで、跳ねて、はしゃいで見せて。
楽しそうに遊ぶアイツを見ていると、こっちまで楽しくなってきて。
それも、今はもう、見ることの無くなってしまった面影だ。
その代わりに、俺の胸を逸らせるようになったのは、雨脚から遠ざかるようになってしまったアイツの姿。雷に怯えるアイツの泣き顔だった。
ーーーーー
その日は雨だった。
天気予報は五分五分で、朝の快晴を信じた私は、お天道様に裏切られた事になる。
朝の授業が始まって、お昼を過ぎた辺りには、空はドンヨリ雨模様。
神様お願いします、神様お願いします、神様お願いします。
心の中で3度と唱える間にも、不穏な気配は増していく。
そうして、日頃の不信心を責めるかのように降り出した大雨を前に、私はがっくりと肩を落とすのだった。
そんな雨の中を駆け出した。
正直、強がりだったと思う。
雨が嫌い。雷が怖いって。そんな日の度に、彼と一緒に帰ってるんじゃ、彼氏と茶化されてもしょうがない。
私は良いんだ。その気がないではない。幼馴染からのステップアップを何処かで期待しながらも、結局その関係の心地良さに甘んじてるのはそう。
でも、茶化される度に「彼氏じゃない」と否定されるのは悲しいし、悔しい。
それを事実にしてしまえば、アイツの手間もちょっとは減らせるんじゃないかってのは、まあ、余計なお世話というやつだろう。
いい加減、何かきっかけが欲しかった。
雨の中一人で帰って、雷なんかもう怖くないんだって言えたなら、少しは勇気も持てるんだろうか。
売り言葉に買い言葉。
「じゃあっ、家に帰ったらメッセ送るからっ」
勢い込んで返してしまった言葉に引っ込みが付かなかった。
バケツをひっくり返した様な大雨の中、肌に当たる水滴が地味に痛い。
その上、立ち往生していた他の生徒達からも「何だアイツ?」と、不審者を見るような視線が、これもまた痛かった。
けれど何と言うか、開放的ではあったのだ。
雨の中。傘もささずに駆け出して、ずぶ濡れになる。
スカートはおろか、パンツの中まで水浸しになると、色々諦めがつくもんだ。
少しだけ、子供の頃に返った様な気分
昔はこんな風に、雨に濡れて遊ぶのが楽しかった。晴れの日よりも、雨の日の方が好きだったくらいだ。
しかし、楽しかったのも最初の数十メートルまでで、濡れた体は次第に冷えてくるし、水を吸った制服は肌に纏わりつき、更に重くなっていく。
「へっくちゅ…!」
ガタガタと、夏場とは思えない肌寒さに鳥肌が立つ。
ここから家までの距離を考えただけで、もう泣きそうだった。
そんな私に追い打ちをかけたのは雷様。
ピカッと光って、ゴロッと怒る。
その内、ビッシャーンっと私に向かって落ちてくるんじゃないかって。その恐ろしさを思い出しては、足が竦んでしまうほどだった。
たとえずぶ濡れになってでも、こうなる前に帰りたかった。
子供の頃の小さなトラウマ。
こんな酷い雨の帰り道に、たまたまだ。たまたま怒った雷が、私の傘に落ちてきた。それ以来、雨が怖い、雷が嫌い。一時は傘を見るのでさえイヤだった。
公園のフェンスに手を掛けるのが精一杯。
その場で蹲らなかっただけまだマシで、震えた足は一歩だって動かない。何ならほんとに涙まで溢れてくると、完全に怯えてしまった心臓を宥めるのに必死だった。
「何やってんだ、お前は…」
「ふえっ…だ、だいきぃ…びぇ…えぐっ」
その時、後ろから聞こえた彼の声の頼もしさと言ったらもう。
自分がどんな顔をしているのかも分からない。
きっと、女の子がしていい顔じゃあないはずだ。ぐしゃぐしゃになっているのにきづいていて、それでも、彼の顔を見た途端に、次から次へと涙が溢れて止まらなかった。
「せめて傘ぐらいなぁ…」
「だっ、だって、いつもはアンタがもってて、だから、へっぐ、びえっ、ひっくえぐ…うぇぇえん!」
駆け寄って、抱きついて、彼の服がびしょびしょになるのも構わず泣き続ける。
せめてもの救いは、急な大雨で人通りが途切れていた事。
お陰で、私が落ちつくまでの間、思いっきり泣いてしまえた事だった。
ー
「ごめんよぅ…ごめんよぅ…」
謝りたい事はいくらもある。
今だって支えてもらっている事、それで歩きづらそうにしている事。何より、濡れた私が抱きついたせいで、同じ様に、ずぶ濡れの憂き目に合わせてしまった事に関しては大変申し訳なく思う。
「良いけど。今日はどうして一人で帰ったんだ?」
分かっている、分かっていたはずだった。
雷の嫌いな私が、あからさまな雷雲の中を、一人で帰るなんて無謀も良いとこだ。
彼の小言は正しい。
ほれ見たことかと、本当に足が竦んでしまったんだからしょうがない。
「いやまぁ、なんと言いますか。良い歳して雷怖いってのも恥ずかしいし。いつまでもさぁ、ほらね? 大樹が一緒してくれるわけでもないしね? 一念発起てやつですよ」
それが嘘だとは言わない。怖いなりにも出歩けないのは、この先どころか、今だって不便がある。
そんな私の答えに、彼は少し余所見をした後、呆れた見たいに笑っていた。
「まぁ、冷やかされた位で飛び出せるようになったのは進歩じゃないか」
くすっと、くつくつと、肩を揺らして笑われる。
言い返したいけどそれも無理。
酷い時は、雨が降る度怯えていたのだから無理もなく。進歩、と言われれば確かにそうではあったのだ。
「なんだよ笑っちゃってさ。こっちはいろいろと、ひっ!!」
ビシャーンと、会話を遮るように雷が落ちた。
いきなりの大きな音に、彼だって少しは驚いた素振りを見せたけど、私なんかはもう、それどころじゃなくなっていた。
ほんとなら、きゃっとか可愛く鳴いて、彼に甘える見たいな強かさがあっても良い。あるいは、驚かされたことに腹を立てて見せるのもアリだと思う。
でも、そういう笑い話はもっと余裕のある人ができることだ。
私にはできたもんじゃない。本当に怖い時には声すら上がらないもんだ。
稲光が光った時にはもう、体が固まって動け無い。遅れて轟く雷鳴に、過去のトラウマを抉られると、どうしていいか分からなくなる。
手足が震えて、頭の中が真っ白になって。
もし、何か口にする余裕があったなら、きっと「ごめんなさい」を、意味もなく繰り返していたことだろう。
「はぁ、はぁ…っ。うん、ゴメン大丈夫、だから」
「無理するな。俺の事は良いから」
「あはっ、あははっ…はぁーあ。いつも済まないねぇ」
「いいって事よ」
無理に笑って、冗談めかして。全然大丈夫じゃないくせに。それでも、私の強がりに付き合ってくれる彼の優しさが嬉しかった。