ダークエロ短編集3 作:カード読み込み
崩壊した高層ビル群は黒鉄の骸骨と化し、
硝子の墓標を大地に突き立てていた。
かつて百万を超す魂が踊り狂った摩天楼街は、
今や青緑の膿に満たされた巨獣の胃袋だ。
瓦礫の谷間に点在するゴブリンの巣穴からは、
不協和音の旋律が滴り落ちる。
嬌声と嗚咽が折り重なる合唱。
それは文明という衣を剥ぎ取られた魂たちの、断末魔の産声だった。
「……聞こえるか?」
薄汚れた偵察服の男が耳栓付きヘッドセットに指を添えながら呟いた。
肩章に刻まれたUSNA陸軍徽章は泥に塗れ、辛うじて鷲の輪郭を判別できる。
「ああ、今日のは一段と鮮明だ」
もう一人が応じた。
双眼鏡の向こう側で蠢く影──醜悪な矮星群を前にしては、
人類最後の砦たる軍服さえも古びた継ぎ接ぎに見える。
彼方の戦慄の交響曲は、鋼鉄の鼓膜をも貫いて
胸中に血の染みを作った。
朽ちた歩道橋の陰に身を潜める二人の兵士。
眼前に広がるのは、かつての繁華街だ。
ショーウィンドウは割れ、看板は転がり、
セメント製の神々しい天使像は首から下を失い、
両腕を開いたまま虚空を見つめていた。
その虚ろな表情に嘲笑するかのように、
三匹のゴブリンが競うように石を投げつけている。
陶器のような白肌を叩き割る乾いた音は、まるで祝祭の鐘のようだ。
──勝利宣言の。
人類への。
文明への。
「西ブロックでまた連絡が途絶えた。昨日は四名全員」
銃に安全装置を掛けながら言った兵士の喉仏が震えた。
言葉に出すまいとしても滲み出る絶望を押し殺そうとする努力が痛々しい。
「行方不明ではなく捕縛だろ? 捕まって犯されるんだ」
パートナーは瓦礫に腰掛けたまま答えた。
その足元には恋人との思い出であろう
写真ケースが粉々になって埋もれている。
ガラス片の中に映る幸福な笑顔が皮肉にも眩しい。
嘗てと変わらず降り注ぐ陽射しが、積年の塵埃を浮き彫りにした。
舞い上がる粒子はキラキラと輝きながら、
この世ならざる美しさを放つ。
しかし、その煌めきの中で蠢くものがあった。
コンクリート壁面に刻まれた無数の文字列だ。
爪で引き裂かれたような凹凸は涙と血で滲み、
一つの悲痛な叫びとなって浮かび上がる。
"助けて"
声にならない悲鳴。
それを感じ取ったのか、二つの影が僅かに身じろぎした。
背後から迫る蹄の音に振り返れば、
鎌状の角を生やした馬型ゴブリンが
人間の胴体を串刺しにして駆け抜けるところだった。
哀れな犠牲者は既に息絶えている。
馬上の騎手が大きく口を開けた瞬間、
血飛沫と共に頭蓋骨が噛み砕かれる音が響いた。
そして咀嚼──
「……行くぞ」
どちらともなく立ち上がった兵士達の靴底が砂利を擦る音は、
ゴブリンたちの歓喜の唸りに掻き消された。
廃棄都市は静寂さえ許さぬ。
死者を悼む嘆きも英雄譚を語る朗読も禁じられているのだ。
これは戦争ではない。
蹂躙である。
人類が築き上げてきたすべてを土足で踏み躙られ、
奪われ、辱められる──
文明の墓場で行われる公開処刑だ。
廃棄都市の心臓部。
かつてビジネスホテルだったビルディング群の
最上階に設けられた遠征部隊の住処からは、
絶え間なく響き渡る三つの音色が、混沌の調べを奏でていた。
一番高く鋭い金属質の悲鳴は、
新たに捕らえられた娘たちの喉から迸る。
捕虜となった女の腹腔内で蠢く緑灰色の触手状器官が
子宮頸を抉る感触は熱い吐息と共に表現された
「いやぁ……おなかが……焼ける……!」
痛みと嫌悪が入り混じった反応こそが
ゴブリンにとって最高の滋養だった。
抵抗も虚しく四肢を押さえつけられ、
悍ましい牙が柔肌を引き裂く刹那に放たれるそれは、
無垢なキャンバスに最初の一滴を落とす赤ワインの雫に似て
純潔の終わりを告げる不協和音だ。
それに重なるのは、湿り気を帯びた低い喘ぎ。
昼夜を問わずに響くその声は、
強制的に植え付けられた淫夢の果てに辿り着いた女の呻きだ。
本来であれば恥じらい隠すべき甘美な吐息は、
粘つく唾液と白濁した液体が泡立つ水音に混じり合い、
快楽中枢を直接刺激する忌まわしい薬物によって
枯れることなく搾取され続ける永遠の供物だった。
その瞳は爛々と欲望だけを灯し、焦点の合わない虹彩が
まるで深淵を映す水晶玉のように虚ろに揺れている。
そして最も多く紡がれるのが、
床を這いずる蛞蝓が残す軌跡のような啜り泣きだ。
長い年月に渡り嬲られ続けた虜囚の幾つかは
涙腺すら涸れ果て、ただ口腔内の唾液を啜るような
掠れた音を漏らすだけとなっていた。
乾いた咳のように断続的に続くそれは、
最早意思も感情もない、肉体がまだ生きていることを示す
最低限の警報信号でしかない。
彼女たちの身体は既に遠征部隊の所有物であり、
消耗品として扱われる運命を受け入れた屍人だった。
異形化した遠征部隊──ゴブリンロードと呼ばれる怪物は、
その巨躯を誇示するかのように豪奢な椅子に
どっかりと腰を下ろし、眼下で繰り広げられる惨劇を睥睨していた。
全身を覆う漆黒の鎧には夥しい量のドッグタグが
錆び付いたまま飾られ、かつてそれらの持ち主であった
勇猛なる兵士たちの記憶を嘲弄しているかのようだ。
傍らには、媚薬効果のある桃色の胞子を撒き散らす
植物系モンスターが寄生しており、
その香りがこの一室全体を薄紫色の靄で包み込んでいる。
空気自体が腐臭を伴う蜜へと変容していく感覚の中、
恍惚とした表情で奉仕する女たちの姿は
まるで生贄を捧げる邪教の儀式を思わせる。
壁という壁には、無数の鏡が乱反射するように嵌め込まれていた。
そこには異なる角度から犯される女たちの痴態が映し出され、
鏡像が無限に連なる万華鏡の如き迷宮となっている。
自分の屈辱的な姿を見せつけられ、正気を失っていく様を見るのが
遠征部隊にとって最大の愉悦だった。
窓枠ひとつない密閉された空間で、
三重奏は止むことなく、廃棄都市全体に木霊する。
ここは北米異界化の結節点。
人間性の剥奪と再定義が行われる聖域であり、
ファンタジー世界の暗澹たる側面を凝縮した坩堝なのだ。
この都市そのものが巨大な蠱毒の壺となっており、
新たな血と悲鳴を求めている。
かつて百万を超す人口を誇った摩天楼群は、
今は無数の穴が穿たれた蜂の巣と化していた。
硝子片とコンクリート塊が血の雨に濡れた地面に散乱し、
かつての繁栄を嘲笑うかのように青緑色の汚染菌糸が這い回っている。
廃棄都市全体が巨大な母体のように脈打ち、
その内部で蠢くものはすべて胎内回帰の呪いに取り憑かれていた。
この廃墟を支配するゴブリン種族。
彼らは決して「生物」と呼べるものではない。
遺伝子鎖も細胞分裂もない、純粋な情報構造体である。
**起源**
次元境界線の亀裂から湧出した「データ霧」と呼ばれる量子ノイズの集合体が、
残留思念と物質粒子を摂取し肥大化したもの。
元来は特定の指向性を持たなかった情報粒子が、
「捕食=保存」の概念を獲得することで生命体を模倣した存在となった。
つまり、彼らの存在意義そのものが「情報を取得し保存すること」に還元される。
**生殖機構**
牝の個体が存在しない矛盾。
これは彼らが繁殖において「自己複製」よりも
「他者改竄」を選択したことによる必然だ。
他種族(特に人間女性)の子宮に侵入し、
「宿主DNA」と「情報体コア」のハイブリッドを形成する。
**知能階層**
レベル別に階層化された情報処理能力。
Lv.1~9:単純命令遂行型(狩猟本能のみ)
Lv.10~19:部分意識結合型(簡単な戦術立案可能)
Lv.20~:完全統合型(社会構造管理・予測演算可能)
「超越個体」と呼ばれる上位存在は特に興味深い。
瘴気溜まりと称される特定地域で高濃度の残留思念を長期間浴びることで
自我領域が膨張し物理限界を突破した特異進化個体である。
彼らは自己増殖よりも領土拡張と情報圧縮を優先する傾向があり、
廃棄都市周辺部の「浄化計画」を立案する司令塔として君臨する。
**身体特徴**
特に注目すべきは消化管系。
捕食対象のエネルギーを体内バッテリーに変換するだけでなく
分泌液中に微量の神経毒と催淫物質を含有させる器官が発達している。
これにより「獲物」の抵抗意志を削ぎながら生理活性を促し
効率よく「情報採取」を行うことができる。
最も驚異的なのは免疫システム。
外部侵入物に対して即時適応進化を遂げる擬似的抗体生成能力を持ち
ウィルス感染を媒介とする攻撃がまったく通用しない。
唯一の例外は「特定波長の魔力照射」であり
これを受けると情報構造が著しく不安定化する弱点がある。
**社会構造**
奇妙なことに彼らは蟻塚のごとき高度社会構造を形成する。
*労働個体*(採集・建設担当)
*防御個体*(要塞防衛担当)
*生殖個体*(宿主確保担当)
*司令個体*(情報解析・作戦指揮担当)
これらが複雑に相互依存しながら組織を維持する様は
生物学的共生関係の究極形態と言えるだろう。
特に「女王」の不在が興味深い。
代わりに「中央データバンク」と呼ばれる共通サーバーが
すべての個体と同期通信を行っており
情報格差を利用した支配構造は成立しにくい。
これは古代ギルドの民主政治に近い管理体制と考えられる。
**進化方向性**
現在観測されている進化トレンドは2系統ある。
Ⅰ:高速情報処理特化型(魔導機械に近い)
Ⅱ:宿主同調特化型(人間擬態に近い)
前者は戦略的思考ユニットとして運用され
後者は諜報活動および潜伏任務に投入される。
前者が「無機的冷徹さ」を持つのに対し
後者は「人間的感情の疑似再現」能力を備えるため
識別の困難性が高い厄介な存在となっている。
以上が廃棄都市を支配するゴブリン種族の大まかな生態だが
最も恐ろしい特性はおそらく一点に集約されるだろう。
彼らは「恐怖」を感じることがない。
「死」も「損傷」も情報の一部として捉えるだけ。
だからこそ廃墟を徘徊する無数の兵士たちの亡骸が
彼らにとって貴重な資料保管庫として利用されるのだ。
人体の切断面から溢れる血液がインクとなり
骨の欠片が紙片となり、砕けた歯が記録媒体となる──
それが現代の書物館なのだとしたら、なんと残酷な文学館であろう。
彼らは決して最強ではない。
しかし、彼らは確かに最凶だ。
現代北米における生態系頂点は人間ではない。
かつて文明の頂点に君臨したはずの種族こそが、
食物連鎖の最下層に転落していた。
「──―助けてくれ!」
廃棄都市西部区画・旧港湾地区。
コンクリート柱に磔にされた若い男性兵士の口から絶叫が漏れる。
眼前では無数の小学生サイズの怪物が醜悪な悦びに騒ぎ踊っている。
「やめろ……来るな……!」
恐怖で硬直した脚を痙攣させながら必死に身を捩ろうとする彼。
だが太腿を拘束する苔生したワイヤーは微動だにしない。
「ギャガッ!」
突然襲ってきた衝撃。
右膝頭に鉈の刃先が打ち込まれたのだ。
「……ぎゃああああっ!!」
激痛のあまり白目を剥く兵士。
その膝から迸る真紅の血液を、待ち構えていたゴブリンが舐め啜る。
舌先に纏わり付いた鉄臭さを愉しむかのように眼を細めながら。
「ひゅぐ……っ……」
呻き声すら潰れた蛙のようだ。
次いで左肘、右踵、鎖骨……順番に部位切断が始まる。
まるで熟練シェフによる丁寧な解体作業だ。
その様子を傍観するのは数名の人間女性たち。
いずれも裸同然の格好で後ろ手に縛られている。
一人が震える声で呟いた。
「……いつも……この調子なんだよ」
他の捕虜も俯いたまま唇を噛むばかり。
これがゴブリン族による【収穫】だ。
彼らは殺戮を目的としていない。
犠牲者から採取可能な素材──筋肉組織や骨髄液や神経繊維──を
最も効率よく入手する方法を熟知しているのである。
人間が家畜を育てるように、
彼らも資源として人間を管理する。
そのため過度な出血やショック死は厳禁。
麻酔すら施さない代わりに痛みを分散させて抵抗力を削ぐ。
「……あの子だって昨日まで私と一緒に笑ってたのにね」
捕虜の女性たちが囲まれた檻の隅で
ボロ切れにくるまった幼女が丸くなっている。
母親と思しき女が抱き寄せると微かに震えた。
生存本能ゆえなのか、あるいは母性愛なのか。
そんな想いさえゴブリンにとっては好材料でしかない。
子宮からの採取は妊婦より容易だという認識が拡がっているのだ。
──-
#### 生態の危険性
- **繁殖速度の異常加速**
侵略初期は一日あたり数十体ほどだった出生数が
今や数千、いや下手をすれば数万体へと跳ね上がっている。
残存思念を取り込んだ上位個体による調整機能が作用した結果だ。
- **環境適応能力**
化学工場跡地の有害物質がむしろ成長促進剤となっている。
この事実は旧科学技術が逆手に取られる恐怖を象徴している。
北米全域における駆逐不可能第一位は
疑う余地無くドラゴン、ソレも長命竜に率いられた武闘派。
人類に生存競争を仕掛けてくる殲滅龍の派閥だろう。
たまたま、古き巨人の住処を若い個体が襲撃し、
緊張状態が高まってお互いに牽制しあわなければ、
USNAはとっくに崩壊、人類は餌か奴隷、或いは絶滅だろう。
なんとか、今の内に出来る事から対処していく必要がある。
アメリカ合衆国議会予算委員会議長
ジョージ・ウィリアム・Jr.将軍が冷たく断言した。
「ただし人的リソースが追いつかない。
兵站線を支えるために必要な補給車両が不足している現状ではな」
彼が憂慮しているのは燃料供給網の寸断。
廃棄都市周辺では夜間になると必ずといっていいほど
小型の蟲型モンスターがトラックタイヤを食い破ってしまう。
「対策班は何をしている?」
「駆除用フェロモンガスが不足しているのです。
製造プラントが既に6箇所も占領されました」
副官の報告に老将軍が眉をひそめた。
「ならば代替手段はあるか?
例えばあの〈青白い光〉……放射性物質の一種か?」
「試験中ですが有効との報告が」
「よし早速実施しろ。ただし範囲は限定的にな」
こんな状況であってもなお、
大多数の人間は信じている──いずれは勝利できると。
根拠薄弱な希望論を。
絶望を認めたくない心理作用がそうさせるのだ。
対抗勢力の存在もまた錯覚を後押しする。
北部では「氷結の女王」と呼ばれる女傑がゴブリン群れを氷漬けにし
南部では「炎獄の拳」が焼き尽くすとの噂がある。
東部では聖職者を中心とした宗教団体が結界領域を広げており
西部では傭兵集団が拠点防衛に成功しているらしい。
それらすべてが偽情報である可能性が高いのに……
真実は残酷すぎるからと目を瞑ってしまう愚かさよ。
──-
### 戦況分析
#### 《推定個体数》
約3億5千万(うち8割が生殖不能級)
#### 《勢力分布》
・大西洋岸
→ 船舶型ゴブリンとの水上戦闘頻発中
・ミシシッピ流域
→ 海賊船団+騎乗型による連携攻撃多数確認
・都市部
→ 全ての階層において生存圏確保不可
統計データを見てわかる通り
彼らは単体として強いわけではない。
問題は密度と速度だ。
例え一万人規模の師団であっても
廃棄都市内部へ突入すれば24時間以内に戦力半減。
72時間後には撤退するしかなくなるだろう。
それほどまでに飽和攻撃が凄まじいのである。
さらに厄介なのはその進化速度だ。
武器・装備・戦術に対する適応が異常すぎるほど早い。
「昨日まで通用した重火器が今日は通用しなくなる」
という事態が頻発している。
「……もう駄目かもしれない」
捕虜の一人が小さく呟いた。
その言葉こそ真実を語る。
人間という種の敗北。
しかも最も卑近で無慈悲な形での敗北だ。
─────────だが、諦めるのはまだ早い。
──-
夕闇が瓦礫を紫に染める廃棄都市の境界線。
そこに一条の燐光が浮かび上がった。
黄金の髪を靡かせた少女──リーナだ。
彼女の存在自体が奇跡だった。
硝煙と腐臭が混じる戦場に咲いた一輪の薔薇。
だがその花弁は棘に覆われている。
歩み寄るたびに空気が震える。
まるで彼女の美しさに空間自体が畏怖するかのように。
リーナの足取りは優雅そのもの。
ヒールを履いていなくても彼女はモデルだった。
背筋を伸ばし腰を捻る動作すら計算された舞踏のように見える。
タイトなスカートから覗く太腿は象牙色に輝き、
歩くたびに光沢を放つパンストが微かに筋を浮かび上がらせた。
風に揺れるツインテールが夕日に照らされ橙色に燃え立つ。
金糸のような髪の一本一本が粒子を帯びてきらめいている。
誰が見ても魅了される絶対的な美貌。
なのにその瞳は冷徹な戦士の色を湛えていた。
瑠璃色の双眸に宿る焔──復讐の焔だ。
硝煙と腐臭が混じる廃棄都市。
そこに黄金の乙女が一人佇む。
かつて百万を数えた摩天楼群は今や、
ゴブリンたちが棲む朽ちた牢獄へと変貌していた。
瓦礫の山から無数の緑眼が蠢く。
飢えた獣のように涎を垂らす下位個体たち。
彼らにとってリーナは極上の獲物だ。
艶やかな金髪が宵闇に浮かぶ光冠。
象牙色の太腿が夕陽に照らされて燦然と輝く。
パンスト越しに透ける筋が官能的な影を作る。
タイトなスーツに押し込められた豊かな胸元は、
呼吸するごとに罪深い波を打つ。
獲物だ! 牝だ!
美味そうな匂いだ! 早く食っちまえ!
孕ませろ! 俺が先だ!
理性の欠片もない叫びが反響する。
数十匹のゴブリンが涎を撒き散らしながら殺到する。
武器を振り上げる者、素手で掴みかかる者。
だが次の瞬間——
ズシャッ!!
先頭のゴブリンが宙を舞う。
リーナの細腕が弧を描いた痕跡が朱に染まる。
「ば~か」
涼やかな声音が死を宣告する。
舞い散る粒子は黄金の鱗粉。
踏み込みの際に僅かに捲れたミニスカートの裾から
覗いた白い太腿が幻惑的に閃く。
遠巻きに嗤う超越個体たち。
王冠のような角を持つゴブリンロードが鼻を鳴らす。
牝を殺すつもりか? アホどもが
そうだなぁ……あれほどの上物は久しぶりだ
孕み腹として優秀な資質
まずは確保が先決。死体では意味がない
冷静な判断が飛ぶ。
下位個体たちの愚行を止めねばならない。
美しき乙女は殺戮の女神でもあり、
同時に優良な繁殖素材でもあるのだ。
リーナの睫毛が微かに震えた。
宝石のように澄んだ青い瞳に憎悪の焔が灯る。
「ゴミ虫ども……」
握られた掌に雷光が走る。
「一匹たりとも生きて帰すものか」
廃墟に轟音が響き渡った。
黄金の花弁が血潮の葡萄酒に染まりゆく。
それは戦闘の序章に過ぎなかった。
琥珀の涙が舞う中で——死と美が競演する。
黄金の輝きが閃いた。
リーナが右手を虚空に翳す。
すると空間に亀裂が生じる──
まるで湖面に落ちた雨粒のように円環状の波紋が広がる。
その奥底から浮かび上がる禍々しい影。
妖しく揺らめく青紫色の燐光をまとった凶器。
ブリオネイク。
それは鋼と魔法の融合体。四葉の最先端技術が詰まった異形の槍だ。
全長1.2メートル。
細い円筒部と太い円筒部が十字に交わる異形。
表面には無数の魔導式が刻印され、淡い蛍光を放っている。
「……」
リーナが柄を握る。
その掌は白く滑らかで、血の通わない人形のようだ。
しかし武器が主に馴染んだ瞬間──空気が凍り付く。
風すら吹き止んだ。
ゴブリンどもの喧噪も一瞬沈黙する。
「死ね」
リーナが呟いた刹那。
ブリオネイクの尖端が宇宙を切り裂く流星のごとく放たれる。
閃光が闇を貫いた。
前方に居た十数匹のゴブリンが塵芥と化す。
蒸発だ。
肉片も血糊も残らない。
ただ焦げ付いた路面だけが存在した事実を物語っている。
「……」
続けて横薙ぎの一閃。
月光の奔流が空間ごと切断する。
ビル群の一部が斜めに切り取られ崩れ落ちる轟音。
下位個体たちは蜘蛛の子を散らすように逃走した。
「無駄」
リーナが冷笑した。
ブリオネイクの第二射──今度は螺旋状の光芒。
それは瓦礫の森を蛇行しながら蹂躙し、無秩序に暴虐の花を咲かせる。
緑色の体液が噴き上がり硝子のように飛び散った。
超越個体たちが動揺する。
特に王冠を戴くゴブリンロードが吼える。
下種ども! 退避せよ!
その声は鈴を転がすような高音──だが殺意を孕んでいる。
牝としては極上だが……危険すぎる!
排除命令──全力で叩き潰せ!
命令一下。
中位以上の個体が隊伍を組んで突撃する。
鎧を纏った重装型。槍を持つ戦士型。弓を引く射手型──
まるで人間軍隊のような組織戦術だ。
だがリーナは揺るがない。
ブリオネイクを掲げ宣言する。
「お前らこそ価値無し」
「……駆逐してやる」
突如──周囲の空気が歪んだ。
ブリオネイク本体から無数の魔法陣が浮かび上がる。
七色の光輪がリーナを包み込む。
それは防御結界であり攻撃増幅装置。
彼女の周囲半径十メートルが魔法領域と化す。
「消えろ」
魔法が解放される。
空間を揺るがす爆音。
黄金色の炸裂が廃墟を洗い流す。
これは戦闘ではない。
一方的な蹂躙だ。
倒壊した建物の陰に潜んでいた斥候型が這い出る。
その眼球は恐怖に染まっていた。
同胞の肉片を踏みつけながら必死に逃げる姿は滑稽だった。
「貴様らの玩具など通用しない」
リーナの言葉が全てを象徴していた。
ブリオネイクに装填された魔法の七重展開。
ブリオネイクの尖端が七色に輝いた。虹の橋が廃墟を架けるように。
第一射:紅蓮の奔流
瓦礫の隙間から這い出る下級個体に向けて放たれた赤光が地を抉る。
蒸発する大地。逃げる背中が灰燼と化す。
「遅い」
第二射:翡翠の矢
狙いを外れた一群を追尾する翠緑の光条。
空気を切り裂く鏃の軌道は蛇行する稲妻のごとく。
壁にへばりつく逃亡者を貫き、青緑の体液を壁画に変えた。
第三射:藍色の網
恐慌状態の小集団を包囲する網状の閃光。
絡め取られた身体が瞬時に沸騰し、硝子細工のように砕け散る。
「無様な」
第四射:琥珀の波濤
密集する中位個体群を津波のように押し流す琥珀色の波動。
装甲が溶解し軟体動物のように溶け崩れる。
それでも這い進もうとする姿は憐憫すら誘う。
第五射:紫苑の刃
建物の上部から奇襲をかけようとした高所個体に向けられた紫閃。
光速の切っ先が空間ごと切断し、墜落する巨体は途中で塵芥に変わる。
「邪魔」
第六射:蒼穹の瀑布
恐慌状態の兵士たちが密集する地点に降り注ぐ青き滝。
水流のような軌跡が降下し、地面に接触した瞬間に炸裂。
同心円状に広がる衝撃波が十数匹を一掃する。
「雑魚」
第七射:白銀の審判
最後の一射は静謐だった。
白い光線が夜空を切り裂き垂直に落下──
ゴブリンの群れが立っていた場所に純白の十字架が刻まれる。
そこにあった生命は存在証明ごと消失した。
「終幕」
リーナは無言で武器を納めた。
周囲は死の静寂に満ちている。
かつて栄えた都市の残骸が無音で蠢く。
崩れ落ちた石塊が緩慢に転がり、硝子の破片が風に舞う。
それは死した魂魄の嘆きのようでもあり
荒野の砂嵐に晒される孤独な旅人のようでさえあった。
雲一つない星空の下──
瓦礫の上に立つ天使のような少女と
塵屑となって散る異形の残滓。
この光景が狂気でなければ一体何か?
黄金の髪が月光に照らされ蒼白く光る。
その背後には死と生が対峙した墓標が並んでいた。
ブリオネイクの残光が空気に溶け込む中で──
硝煙に混じって漂う鉄錆の香りだけが
この戦闘が現実だったことを物語っていた。
風が吹いた。
硝煙と腐臭を運ぶ悪意の旋風。
だがそこに──新しい血の匂いが混じっている。
まだ温かい。
それは獲物ではなく……守護対象のものだ。
リーナの足が止まった。
振り返れば廃ビルの陰。
壁にもたれかかり動かない小さな影。
埃まみれになった少女──八歳くらいだろうか。
震える手が腹部を押さえている。
白いワンピースに滲む鮮血が月光に濡れて輝く。
「……なんで?」
少女が小さく呟いた。
涙を浮かべた瞳には問いかけというより懇願が宿っている。
「わたしたちが弱いからこうなるの?」
リーナは何も答えない。
ただ金色の睫毛を伏せて傷口を見るだけだ。
致命傷ではない。だが放置すれば確実に死に至る。
医療魔法があればすぐに救えるが……
ゴブリンの気配が濃密になっていく。
死体を漁るために集まってきた連中だ。
リーナを取り囲むように円を描き始めている。
「……っ」
少女が苦悶の声を漏らす。
その小さな吐息を遮るように
低く唸るような笑い声が響き、
嘲笑が廃墟にこだまする。
超越個体たちの愉悦に満ちた哄笑が、
死の沈黙を不快な振動で揺るがした。
──―お前は強すぎる。我らを殲滅できても捕虜どもは救えんぞ!
唾と共に吐き捨てられた侮蔑の意思。
それは正しい。
リーナのブリオネイクは絶対的な破壊力を誇るが、救済の力はない。
少女の瀕死の傷を癒やすどころか、傷口を広げかねない諸刃の剣だ。
瓦礫の下敷きとなった生存者たちを探し出して助け出す猶予もない。
──どうやら時間切れだ。
低く嗤うゴブリンロードの王冠が妖しく輝いた。
その漆黒の瞳孔が拡張し、吸い込まれるような虚無が浮かぶ。
次の瞬間──
「ヒュー……ハハハ!」
「プァ……ギャァァッ!」
ゴブリンどもの哄笑が突然中断された。
まるで喉笛を切り裂かれたかのような断末魔。
嘲笑が半ばで途切れ、不自然に歪んだ笑い声が虚空に消える。
リーナの足がわずかに止まった。
それは警戒心の表れか?
否──彼女は表情を変えずに空を見上げていた。
長い金髪が風になびき、細い首筋に柔らかく巻き付く。
月光のない夜空。
そこにあるはずのない青白い光条が一点に凝縮される。
「……来たのね」
呟きは囁きより小さい。
けれどその声には絶対の信頼が宿っていた。
光の中心から滲み出るのは──影。
質量を感じさせる立体的な漆黒が三次元の存在として実体化する。
最初は輪郭すら曖昧だったそれが徐々に像を結び……
そこに現れたのは、少年。
月光をそのまま具現化したような黒髪が宙に舞う。
長衣を翻し、左手には鞘に収まった無銘の刀。
彼の名は──煌夜。真夜の遺伝子を受け継ぐ稀代の剣豪。
リーナの瞳が僅かに潤んだ。安堵ではない。
その青い眼差しには敬意と信頼だけが宿っていた。
彼女は一切の言葉を発することなく跪いた。
かつて彼女がそうしたように。
廃墟全体が震撼する。
地面が鼓動するかのように脈動を始めた。
亀裂から緑色の霧が噴き上がる。
霧は瞬く間に生物的な形状を取り始め──
百体を超えるゴブリンが実体化する。
すべて超越個体だ。
それらは一斉に咆哮を上げる。
咆哮が物理的な破壊音となってビルの壁面を崩す。
「下郎どもよ……」
煌夜の声は風鈴のように澄んでいた。
だがその言葉は刃物のように鋭く尖っていた。
「貴様らは消えるべきだ」
刹那──世界の時間が停止した。
鞘から抜かぬまま放たれた一条の光線。
光は固体であるかのような輪郭を持ち、
直進する速度が視認を超えている。
光線がゴブリンたちの群れに触れた瞬間、
『一閃』
光の軌跡に沿って空間そのものが断絶した。
断面は鏡のように滑らかだった。
ゴブリンたちの肉体は抵抗もなく二つに分かれ、
だが血液の一滴も零れることなく消えていった。
切断面からは微かな光の粒子が舞い散る。
まるで存在そのものを削り取られたかのように。
次々と生まれ続ける超越個体たちも例外ではなかった。
新たな個体が霧状から実体化する過程で光線に触れると──
未完成の肉体ごと粉々に分解されていく。
断末魔の叫びすら上げる暇もなく。
瓦礫の中から這い出したばかりの中堅個体たちも同様だった。
その汚らしい足が地面を蹴る前に両断されていた。
皮膚や内臓器官は元より、骨や毛髪に至るまで、
すべてが均一な平面で断たれた後に消滅する。
光の軌道が弧を描き始めたとき、
ようやく生存本能が反応したのか
一部のゴブリンが回避行動を取ろうとする。
だが遅すぎた。
回避中の姿勢ごと斜めに切り裂かれ、
左右対称の肉片と化したまま落下する。
血飛沫も出なければ悲鳴すらも許されない。
廃墟全体を包囲していた数千万のゴブリンたち。
彼らの動きが完全に停止した頃には──
すべてが消滅していた。
ただ塵ひとつ残っていない。
無から湧いた異形の生物は、
存在したことすら証明できない空白の中に葬られたのだ。
後に残されたのは瓦礫の山々と少女の喘ぎ声だけ。
煌夜は刀を再び鞘に収めた。
カチン、という金属音だけがやたらと大きく響く。
彼の黒衣は微動だにしていなかった。
汗の一粒すら浮かんでいない。
「これで終わりか?」
彼の問いかけに応じるように少女の身体が僅かに震えた。
瀕死の少女の指先がかすかに煌夜の方を向く。
その眼差しには恐怖とともに奇妙な安心感が混在していた。
廃墟の静寂が一段と深くなった。
月光だけが変わらず瓦礫の輪郭を浮かび上がらせている。
それはまるで何事も起こらなかったかのような平穏さ。
だが異なる点が一つ。
先ほどまで蔓延していた悪臭が消失していた。
ゴブリンの排泄物や腐臭が消え失せ、
代わりに清浄な風が流れ込んでくる。
それは破壊された文明の残骸に対する鎮魂歌のようだった。
煌夜はゆっくりと膝を折り、
少女に近づいた。
彼の手袋をはめた指先が少女の額に触れると──
少女の苦悶の表情が緩み始めた。
荒かった呼吸も落ち着きを見せ始める。
概念を斬る真なる一閃は苦痛や負傷すら斬った。
癒やすことはできないが、悪化は止められる。
リーナがようやく立ち上がった。
全身の疲労は拭えないものの、
彼女の青い瞳には再び意志の炎が灯っている。
「ありがとう……煌夜」
言葉少なげだが感謝の念があふれんばかりに込められている。
煌夜を彼女を一瞥しただけで……
「次はこちらだ」
その言葉と共に──
彼の姿が再び消えた。
廃墟の奥深くから新たな気配を感じ取ったのだ。
リーナも無言で刀身を見つめ続ける。
二人の間には言葉では言い表せない深い理解があった。
ここから始まるのは本当の戦いだ。
消えたはずの影から滲み出る別の存在。
それは超越個体の中でも最上位──
ゴブリンキング。
その巨体が瓦礫の影から姿を現す前に、
廃墟全体が低く唸り声をあげ始めた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
崩壊したビル群が静止した時の中で軋む。
廃墟全体が共振し、コンクリートの塵が舞い踊る。
地下深くから隆起してきたモノの質量に圧迫され、
重力場すら歪んでいるかのようだ。
「……来るか」
煌夜の呟きが瓦礫の峡谷に谺する。
その視線の先──月光が届かぬ奈落から噴出する闇。
それは蠢く泥流のごとく地上へと湧き上がりながら実体化を始めていた。
『ゴブリンキング』
名称自体が禁忌。
周辺地域異界化の根源にして最悪災厄。
先ほど斃したゴブリンたちと同じ青緑色の肌だが、質感が違う。
粘液質な肌組織の表面は微細な凹凸に覆われ、
まるで無数の目玉が埋め込まれたかのように光を反射している。
巨人という形容では足りない。
全長は優に百メートルを超えるであろう巨躯。
四肢は樽の如く膨れ上がり、
その関節部には鈍く輝く宝玉のようなものが埋め込まれている。
胸部中央には太鼓の如き隆起があり、
そこから伸びる肋骨の一部は
鎌首をもたげた蛇のように湾曲し武器と化している。
縦に引き裂かれた瞳孔からは混沌が垂れ流れ、
口腔からは常に青白い光が漏れ続けている。
その光は放射線に似た死の波長を伴っていた。
「なんて……」
リーナの唇が震えた。
目の前の存在は物理法則そのものを嘲笑っているかのようだ。
ゴブリンキングの肉体表面では絶えず粒子が生まれては消えている。
それは実体化と非実体化を高速で繰り返す量子のダンス。
如何なる攻撃も透過してしまう可能性を秘めていた。
煌夜の左袖が無意識に持ち上がる。
腰に下げられた刀の鞘が微かに震えている。
本能が警告を発していた。
眼前の怪物は──存在自体が矛盾なのだ。
「……」
煌夜が静かに歩み出す。
一歩毎に地面が軋み、靴底が刺さる。
彼の黒衣が不自然な影を作り出す。
その影自体が生き物のように蠢いていた。
キングが轟音を立てて跪いた。
巨体を屈めることでようやく真正面からの威圧感が軽減される。
「……」
リーナが息を飲む。
キングの上半身はもはや見えない。
廃墟を突き抜け天井を形成する巨体が彼女の視界を覆っている。
圧迫感に肺腑が押し潰されそうになる。
煌夜の右手が刀の柄に触れた。
微かに鍔が鳴った音が空間を引き裂く。
それは合図であった。
キングの顔面中央が歪む──
口腔内部から青白い光の奔流が迸る。
「避けろ!」
煌夜の指示と同時に閃光が廃墟を塗り替える。
キングの放つ放射線は物理的な光ではない。
それは認識阻害と精神侵食を同時に行う破壊の波動。
瓦礫が炭化する前に消失し、
逃げ遅れた鼠型モンスターが原型を留めぬ塵と化す。
「くっ……!」
リーナは咄嗟に地面に伏せた。
放射線の余波が背中を焼く。
焼かれるのは皮膚ではなく──精神だった。
頭蓋骨を内側から叩かれるような不快な衝撃。
煌夜はすでに動いていた。
刀を鞘に収めたまま跳躍──
その姿は宙に浮かぶ墨汁の一滴のごとく儚く見える。
キングの放った光線が煌夜の残像を貫く刹那──
【一閃】
刀身が鞘を離れた瞬間、
世界が分割された。
煌夜の眼前に伸びる光の帯が左右に割れた。
光線は真っ二つに裂けながら煌夜の両脇を通過。
背後のビルを豆腐のように両断する。
断面は磨き上げた鏡面の如く滑らかだった。
「……!」
キングの右目が収縮する。
初めて驚愕の感情が漏れた。
存在の根源に攻撃を受けたという現実が
キングの膨張した自我に亀裂を入れる。
煌夜が着地する。
その両脚は微塵も乱れていなかった。
黒衣には一片の汚れも無い。
彼の周りだけ時間が遅滞しているかのような静寂が支配していた。
「その程度か?」
挑発。
それは王者に対して最悪の侮辱行為だ。
だが煌夜の声には嘲りの欠片も無い。
事実を述べているだけだった。
キングの全身が振動し始める。
地鳴りのような低音が肋骨を通じて拡散。
それは怒号であると同時に呪詛だった。
体内の魔力炉が臨界に達し
血管に相当する管路を青い光が駆け巡る。
「来い」
煌夜が刀を横薙ぎに構える。
刃が月光を受け青白く煌めいた。
その姿は夜叉のごとく凛冽。
しかし眼光は澄みきっている。
廃墟全体が軋み始めた。
キングの巨体が再び隆起し始める。
百メートルを超える巨躯がさらに膨張していく。
膨張とともに肌表面の微細な凹凸から液体のようなものが分泌され
地面を黒く染め上げていく。
それは毒液かそれとも生命力そのものか?
「……」
リーナが身を起こす。頭痛は消えていた。
精神汚染が一時的に解除されている。
煌夜の一閃がキングの攻撃を断ったことで
放射線の影響範囲が狭まったのだ。
彼女は即座に行動した。
キングの意識が煌夜に集中している隙を突いて──
ブリオネイクの補助を受け、切り札を構築する。
ヘビィ・メタル・バースト。
重金属元素をプラズマ化し炸裂させる大規模破壊魔法。
通常のゴブリンなら数万体まとめて蒸発させる威力だが
今のキングにどこまで通用するか不明だ。
起動完了と同時にブリオネイクが発光。
先端から膨れ上がる青白色の球体。
直径三十メートルを超える高密度プラズマの塊が
廃墟全体を照らす。
「消えろっ!!」
リーナが杖を振りかざす。
プラズマ球はキングの胸部中央──
太鼓の如き隆起に向かって疾走。
直撃。
爆発音とプラズマの火花が炸裂した。
キングの巨体が僅かに揺らぐ。
太鼓型突起物が半壊し内部機構が露出。
そこには無数の歯車やパイプ状器官が組み合わさった
機械と生物の中間のような装置がある。
それがキングの心臓代わりであることは明らかだ。
「やった……の?」
リーナの期待はすぐ裏切られた。
プラズマの余韻が晴れるにつれ──
損傷部位から青い光が噴出し修復が始まる。
破壊箇所は既に塞がりつつあった。
「ダメージが浅すぎる」
煌夜の指摘は冷静だった。
キングは防御に移行したわけではない。
そもそも攻撃自体が無効化されている可能性が高いのだ。
キングの動作が変わる。
跪いていた姿勢から徐々に立ち上がる。
その巨体の重量だけで周囲の廃墟が崩壊。
足元にはクレーターが形成され
地中から魔力の奔流が噴き上がる。
煌夜の警戒度が跳ね上がる。
この魔力量は尋常ではない。
キングはおそらく──自身の内部構造を利用した
一種の天然要塞となっているのだ。
「どうやって斬る?」
煌夜の自問が口を突いて出る。
一閃ならば確かにどんな存在も切断できる。
だが今回の相手は根本から別格だった。
ゴブリンキング。
それは本来存在し得ない異常個体。
この廃棄都市という限定空間に於いて
偶然と必然が結実した奇跡的存在。
あるいは呪いそのものかもしれない。
煌夜は深く息を吐いた。
その音が廃墟に妙に響く。
そして──
彼の姿が消えた。
残像すら残さぬ高速移動。
キングの巨体の裏側へ瞬時に到達。
背面から一閃。
刀身が虚空を薙ぎ払う。
空間自体が切り裂かれた感覚。
確かに命中した感触はある。
しかし──
「……硬いな」
煌夜の呟き。
キングの背部には微細な傷跡が一筋。
刀傷そのものは物理的には最小限だ。
煌夜が感知していたのは
「空間自体がキングを守っている」という事実だった。
おそらくキングが存在する限り
廃棄都市全体が結界となって防衛機能を発揮しているのだ。
正面に戻った煌夜にキングが向き直る。
その顔面中央の口腔から再び光が漏れ始める。
今度は放射線ではない。
明らかに指向性を持った魔力砲だ。
リーナが悲鳴を上げかけたその瞬間──
「遅すぎるぞ、マヌケ」
淡々と放たれた一閃に口蓋ごと切り裂かれ誤爆する。
口腔内で炸裂した魔力が内臓を焼き尽くす轟音が響く。
キングが初めて苦悶の雄叫びを上げた。
煌夜の黒衣が風にはためいている。
その瞳には依然として冷徹な光があった。
「次はどこを斬るべきか……教えてくれ」
廃墟の闇が煌夜を中心に渦巻き始める。
ゴブリンキングという災厄を断つために
少年の一閃はついに核心へと至ろうとしていた。
月光すら届かぬ廃墟の谷間で──
空間が裂けた。
無色透明な断裂から噴出する金属の奔流。
それは鋼の濁流となって凝固し一本の大剣となる。
長さは百メートルを超す巨刃。
幅はキングの肩幅に迫る。
柄など無用。握る指先だけで十分固定できるほどの大きさだからだ。
「……なるほど」
煌夜の呟きには軽い高揚感が含まれている。
キングは単なる怪物ではない。
それは卓越した武器製造師でもあるのだ。
煌夜の分析が追いつく。
ゴブリンキングの巨大な手が虚空を掴む仕草を行う。
その五指の間に光の粒子が渦巻き始めている。
同時に廃墟全域から金属粒子が舞い上がり集合。
まるで廃墟自体が出血しているかのような錯覚を覚える。
「武器生成を開始した」
リーナが警戒の声を上げた。
彼女はブリオネイクの再チャージを行っているが
先程の高出力砲撃の余韻で冷却が必要だ。
再生が追いついていない。
煌夜が僅かに後退し、珍しく笑みを漏らした。
だがそれは好戦的な意味ではない。
「不可能」を前提としない思考の現れだった。
キングが巨大剣を担いだ。
重量換算すれば数百トンに及ぶだろう。
常識なら支柱を必要とする質量が
キングの肩に安定して支えられている。
筋力だけではない。
空間に干渉する魔法力で浮遊させているのだ。
リーナが息を呑んだ。彼女の経験には無い事態だった。
魔法科学では説明できない現象だ。それは物理法則を凌駕している。
「あれは……!」
煌夜の瞳が見開かれる。
キングの巨大剣の刀身表面に無数の魔法紋様が浮かび上がっている。
それらは回転する星座図のように蠢きながら強烈な魔力を蓄積している。
「空間侵食武装」
煌夜の判断は早かった。
あの剣は斬るための道具ではない。
空間そのものを削り取り書き換えるための装置なのだ。
巨大剣が振り下ろされる。
剣風と共に放たれたのは音速を超える衝撃波ではない。
無色透明な切断面が直角三角形を描き空間を侵食していく。
それは光学的には観測不能だが確実に存在している切断効果。
「防御不能か」
煌夜の呟きが終わった瞬間──
廃墟の一角が丸ごと消滅した。
文字通り存在を消し去られたのだ。
瓦礫も土台も空気すらも。
残されたのは完璧な切断面を持つ虚無の立方体。
煌夜が疾風のごとくリーナを抱えて滑り込む。
彼の動作は遅滞なく流麗。
キングの一撃を察知してからの移動速度が尋常ではない。
「危なかったな」
声は穏やかだったが内容は残酷だ。
もし煌夜が動かなければリーナは消滅していただろう。
キングが再び巨大剣を構える。
今度は袈裟切りの構え。
その軌道上にある廃墟区画が不安定な蜃気楼のように揺れている。
空間切断効果が周囲に影響を与え始めたのだ。
「なるほど」
煌夜が深く考え込み始める。
時空断絶。確かに恐ろしい現象だ。
時間も空間も等しく切り刻み
虚無へと堕とされては防御も再生も不可能。
回避は可能だが、
あんなものを連発されては地表のテクスチャが消し飛ぶ。
下手をすれば北米そのものが地球から脱落してしまう。
ならば─────────
「接近戦、斬り合うしか無い」
時空断絶を因果抹消で相殺し、純粋な剣技と体術で打ち破る。
全長百メートルの巨人相手に。
月光すら届かぬ廃墟の谷間で──鋼の巨刃が夜を断ち切る。
「ならば来い」
煌夜の掌中には一本の刀──嘗ての世界から持ってきた唯一の品。
父……そう呼ぶ資格はかつての彼には無かった人が、
ベッドから長時間離れられない脆弱な生き物に与えてくれた愛刀。
剣戟戦を選ぶとは愚かな
キングの歪んだ哄笑が廃墟を震わせる。
巨大剣の刀身が不気味に脈動。
魔法紋様が螺旋を描きながら明滅し、空間を侵食する予兆を放つ。
煌夜は動かない。
百メートル越しの視線を受け止めながら、微塵の怯えも見せない。
キングが踏み込んだ。
大地を揺るがす一歩が廃墟を粉砕。
巨人の踵が触れた箇所から亀裂が蜘蛛の巣状に広がっていく。
(彼女の位置まで届かないか──)
煌夜の意識が刹那的にリーナへ向く。
彼女は瓦礫の陰に潜みブリオネイクの再充填中。
今攻撃が逸れれば巻き添えは必至だ。
「問題ない」
煌夜の右腕が僅かに引かれる。
構えは自然体。
キングの巨大剣が弧を描く。
振り下ろす先には塵芥の如き剣士が
─────────いや、もう居ない。
「遅い」
煌夜の声が響いたのは巨人の頭頂部からだった。
一歩。ただ踏み込んだだけで陰すら置き去りにする歩法。
一閃。
「な……?」
リーナの瞠目に映るのは切断された巨剣の先端。
青白い火花を撒き散らしながら宙を舞う刀身が廃墟を灼く。
剣の欠片一つ一つが小型隕石のような衝撃波を放っていた。
「空間干渉? 斬る方が早い」
煌夜は当たり前のように言った。
キングの異能は確かに特筆すべきだが、
究極的なところは直接に斬る方が早く正確に決着できる。
考えるな、ぶった切れ。一閃流の教えの根幹だ。
「まさか……」
リーナの唇が震える。
ブリオネイクのモニターに映るデータは信じ難い。
空間切断効果を発揮した剣を断ち切る──
そんな芸当、現代魔法科学では理論すら構築不可能だ。
彼女の脳裡を過ぎるのは「絶対者」の概念。
魔法と物理法則を超越した存在が、
この少年には宿っているのか?
一方、キングは激昂していた。
千年以上かけて蓄積した自己強化システムが一撃で損耗された。
その事実は彼のプライドを木っ端微塵に打ち砕く。
「ギュォォォオオオォ!」
咆哮が廃墟を揺るがし、大地を裂く。
瓦礫の山々が波打つように蠢き───
崩落寸前のビル群から無数の手が伸びてくる。
それは腐敗したゴブリンの腕や肉片だった。
キングの咆哮によって死者を操る力が活性化したのだ。
「まさか死体を使役するつもり?」
リーナが呻く。
瓦礫に埋もれていた死骸たちが起き上がる悍ましい地獄。
腐肉の海が蠢いた。
廃墟の床材を突き破り這い出す屍群は、まさに疫病の具現だった。
腐敗した爪がコンクリートを抉り、溶解した眼球が無秩序に飛び交う。
キングの咆哮に共鳴して蘇った三千万体以上の死骸が、
人形劇の糸を引くように巨人の命令一つで殺戮を求めて前進した。
無数の骸骨が擦り合わせる乾いた音は、戦場の挽歌だ。
血の川となった舗装道路が泡立ち、死菌が陽炎のように立ち昇る。
煌夜は眉ひとつ動かさない。
彼の黒衣が月光に溶ける。
「──これが君の全力か?」
嘲笑はなかった。ただ確認だ。
超越個体の王が見せた最後の悪足掻き。
屍兵三千万をもって圧殺する戦略。
それがいかにも無策だと悟っているかのように。
無手で構える煌夜の姿が浮かび上がる。
鞘さえ掴まず、掌は無防備に開かれている。
その背中に映る廃墟の歪んだシルエットが
今にも死者の軍団に飲み込まれようとしている。
キングの咆哮が大地を震わせた。
それは命令ではない。祈りだ。
己が権能を行使した最大限の抵抗であり懇願だった。
幾千万の死骸が一斉に跳躍する。
空を埋め尽くす蛆虫の雨のように降り注ぐ。
煌夜の頭上から襲いかかる腐肉の津波。
その中には人の亡骸もある。
皮膚が爛れ骨格が露呈した幼女の四肢が虚しく宙を掻いている。
「哀れなものよ」
煌夜の声は死者にも届いたかもしれぬ。
その指が鞘に納めた刀の柄を軽く叩く。
「無手一閃」
その宣言と同時に、空気が切断された。
存在意思の断層が幾重にも連なり多重次元網目模様を形成する。
死骸たちが接触した瞬間──腐肉は細胞レベルまで分割され塵と化す。
骨は粉末となり内臓は粒子に分解される。
数千万体以上の死骸が消滅した空間に浮かぶのは
煌夜の掌を中心とした透明な星雲だけ。
無形の切断刃が渦巻きながら進行し続ける。
キングの巨体が慄く。
無手一閃。それは煌夜の掌中より放たれる不可視の斬撃である。
刀身を介さず、意念のみで空間を断裂し万物を削ぎ落とす超絶技巧だ。
理論上はあらゆる対象を切断可能。しかし今回は──
(……弾かれた?)
煌夜の瞳孔が僅かに縮む。
放たれた斬撃網はキングの巨体に到達こそしたが、
肉片を散らすこともなく霧散していた。
「ほう……」
低く抑えた称賛。
無手一閃は物理的抵抗を問わない原理主義的切断術だが、絶対ではない。
キングの異常なまでの抵抗力──それは単なる強靭さを超え、
拒絶という概念そのものによる否定であった。
そして、斬れない相手は絶対に斬れないのが無手一閃だ。
煌夜が再び動く。今度は踏み込みの角度を変えていた。
右足を軸に左足が地を蹴る瞬間、虚空に残像が刻まれる。
彼の黒衣の裾が翻り、月光を遮った。
「なるほど」
呟きと共に鞘から刀身が滑り出す。
銀の光芒がキングの目を射抜く。
(彼奴は私の意思を断とうとしている!)
キングの巨体が痙攣する。
無手一閃を無効化できた理由を直感的に理解したのだ。
つまり、ヤるべきは……っ!
天蓋が落ちてくるような瓦礫の雨が降り頻る廃墟で、
ふたりの間の空気が千切れそうに張り詰めていた。
「意思より腕前で勝負しようとは……唆るヤツだ」
煌夜の独白は嗤いを含んでいた。
無手一閃を無効化された事実は、彼にとって屈辱ではない。
ただ、あまりにも単純すぎる「解答」を示されたことへの好意。
意思論や因果論で遊べない相手──それはそれで新鮮だった。
「だがまぁ」
鞘が擦れ鳴いた刹那、黒衣の少年の姿が煙のように揺らいだ。
踏み込みは瓦礫の粉塵を弾き飛ばす疾風。その残像が宙に滲む。
対するキングは地響きを伴って屹立していた。
もはや跪く必要はない。その巨躯は廃墟を支配する要塞そのもの。
左手に握られた巨大剣の柄が軋み──
右拳が岩石の如く硬く握りしめられる。
(来るか)
煌夜の睫毛が微かに震えた。
その瞳孔が捉えたのは、巨躯とは思えぬ速度で舞い上がるキングの巨躯。
前触れもなく、轟音は遅れてやってきた。
【轟ッ!】
地盤を裂く轟音と共に放たれた鉄槌のごとき剛撃。
大気が捻じれ、砂塵が竜巻となって吹き荒れる。
その暴虐の剣筋に煌夜の影は──消えていた。
「遅いぞ」
耳朶を掠める涼やかな声。
キングの視界が激しく歪む。眼前の空気が割れた。
一閃。
刀身が月光を吸った妖刀が描く軌跡は流星の如く流れる。
その速さは音を斬り裂き、
銀糸の如き残光が瓦礫の谷間を抜いて廃墟の暗黒を両断する。
刀身が纏う殺気が真空を穿ち、空気が悲鳴を上げた。
刃が触れた刹那、大気中の塵埃が瞬時に焼き焦げる
微小爆発を伴いながら黄金色の光を放つ。
空間が軋み、亀裂から滲み出る歪んだ色彩が視界を侵食する。
切っ先が描く直線は三次元的でありながら四次元的歪みを孕み、
時空の膜を破る刃渡りとなる。
煌夜の姿は消えたのではない。
影すら置き去りにして背後に回り込んでいたのだ。
【ゴギィィィッ!】
金属が破砕する轟音と骨肉が引き千切られる湿った音が融合し、
凄惨な旋律を奏でたキングの肘関節から先が消し飛んでいた。
いや──正確には「斬り離された」断面は完璧な鏡面仕上げだった。
鮮血も骨片も飛び散らない。
断裂した血管は瞬時に硬化し塞がれ、
筋肉組織は炭化しながら再生の兆しを見せる。
しかし……キングの顔面中央で蠢く巨大な第三眼が狂気に満ちて収縮する。
怒りではない。紛れもない戦慄が青白い光の脈動に宿っていた。
(なん……だと……)
切断された右腕が地面に落ちる音は聞こえない。
切断面から噴き上がる瘴気のような赤黒い霧が視界を汚染する中で、
煌夜は既に次の位置に移動していた。
瓦礫の山の頂きに佇む黒衣の少年。
月光に照らされた横顔には汗一つかいていない。
「……貴様」
キングの嗄れた声音が廃墟に反響する。
その喉仏に相当する器官が瘤のように盛り上がり震えている。
「人間風情が……よくも……この我を……!」
「人間?」
煌夜が微笑んだ。
その笑みには嘲りも憐憫も無い。
ただ事実を語る者の平静さがあった。
「違うな」
彼の足元に堆積する瓦礫の断片が微かに振動している。
それは彼の足裏から伝わる魔力の波動だった。
「我々は互いに、ただの存在だ」
この返答がトリガーになった。
キングが咆哮を放つ。
その振動は空気を直接震わせるどころか、
廃墟の建物群を共鳴させ内部から破裂させた。
硝子や鉄骨が霰のように降り注ぐ中で──
キングの巨体が垂直に跳躍する。
百メートル以上の巨躯が空中で急旋回し、
切断された右腕の断面から新たに生えてきた異形の腕が伸ばされる。
それは六本の触腕が絡み合った肉鞭だ。
それぞれの先端には刃物のような鋭利な突起が生え揃っている。
【シャァアァァッ!】
肉鞭が鞭の音を立てて煌夜を包囲する。
空気の摩擦で帯電した青白い光が廃墟を照らす。
煌夜の退路は完全に封じられていた。
「甘いな」
煌夜が呟いた。
彼の構えは変わらず無手。しかし腰には未だ鞘が残っている。
その鞘が微かに震え───
【カチリ】
鍔鳴りが響く。
鞘が半ば自動的に抜けた瞬間だった。
同時に煌夜の左手が鞘を逆手持ちに回転させながら掴む。
彼の右手はすでに刀身を解放していた。
月光を吸った妖刀と空を裂く肉鞭が交錯する。
【斬】
煌夜の呼吸と斬撃は一体となっていた。
彼の一刀は空間すら歪ませ、
肉鞭を斬り払いながらキングの胴体目がけて直進。
同時に彼の左手が逆手持ちにした鞘を振るう。
【突】
鞘が放つのは衝撃波だ。
その衝撃波が肉鞭を絡め取ったキングの巨体を仰け反らせた。
一瞬の隙。煌夜の瞳が細く研ぎ澄まされる。
「……惜しい」
煌夜が舌打ちした。
刀身は確かにキングの胸郭に届いた。
しかしその刃先が突き刺さる寸前で停止している。
キングの表皮が突如硬化し装甲化していたのだ。
その硬度はダイヤモンドを遥かに凌駕していた。
キングは嗤っている。その第三眼が歪んでいる。
彼は知っていた。この身体はもはや単なる肉体ではない。
煌夜の表情に微かな変化が走る。
驚愕ではない。純然たる困惑。
彼の斬撃は間違いなく届いていた。
なのに通らない。なぜ?
(これは……)
刀身を引き戻しながら煌夜は気づいてしまった。
キングの巨体自体が「廃墟」と同一化している。
この空間自体が彼の肉体を形成する素材となっていたのだ。
廃墟に存在する限り、キングは無敵だった。
「滾るか」
煌夜が問う。返答は無い。
それでも構わず言葉を紡ぐ。
「良い戦いだ」
斬り合いは命の会話。
血潮を以て語る言葉の応酬。
キングが再び咆哮を上げる。
切断された右腕がさらに肥大化し無数の棘を纏う。
煌夜は黙して構えた。
今宵の舞台はまだ終らない。
まだ──彼らは刃を交え続ける。
天蓋が落ちてくるような瓦礫の雨が降り頻る廃墟で、
ふたりの間の空気が千切れそうに張り詰めていた。
煌夜の黒衣が瓦礫の尖端を滑るように避ける。
その足運びは羽毛のようで、巨人の膝下の揺れすら利用して跳ね回る。
まるで巨人の周囲を旋回する小さな彗星だ。
【キィン】
刀身が虚空を裂く清冽な金属音。
対する巨人——キングの腕が唸る。
百メートル超の巨躯でありながらその動作は流水のごとく滑らかだ。
切断された右腕は再生するや否や新たな形状を得ていた。
五指が扇状に広がり各関節部から鈍い光沢を放つ装甲板が突出している。
それが鋼鉄の籠手と化し握りしめた巨大剣を自在に操る。
(やはり……)
煌夜の瞳孔が僅かに縮む。
キングの巨体はその質量を一切感じさせない俊敏さで廃墟の空間を泳ぐ。
剣撃の軌道は数学的な美しさすら漂わせていた。
縦横斜めあらゆる角度から放たれる剣風は
物理的圧力で空間自体を削り取る。
【轟ッ!】
魔法や能力など要らぬ。己の鍛え抜いた肉体と磨いた業さえあれば。
そう言わんばかりの巧みな剣界はさしもの煌夜ですら攻略困難。
それは単なる剣技ではなかった。
キングの巨躯自体が完成された計算式であり兵器だったのだ。
重心移動を極限まで最適化した足捌き。
筋繊維の配列から関節可動域まで
緻密に設計された骨格構造。
すべてが一撃必殺の斬撃を放つためのパーツとして機能している。
煌夜の眼前を通過する剣圧。
それは鎌鼬の如く建材を粉塵に変えた。
刃先が掠めたコンクリート柱が飴細工のように溶解し
灼熱の湯気を上げる。
刃先には高密度魔力がコーティングされており
接触物体を即座に融解する特性を持つらしい。
「素晴らしい」
煌夜の賞賛は真摯だった。
彼の頬をかすめた斬撃の熱風が髪の先端を焦がす。
煌夜の体幹が歪んだ。
腰の捻りから生まれる螺旋状の発勁が肩甲骨を通過し
肘関節で増幅され指先に到達する。
その過程で空気中に残留する魔力を吸引し刀身が青白く輝く。
無駄を一切排除した一連の動作は
自然界の法則すら追従できぬ速度に達していた。
キングの剣技もまた無駄がない。
巨躯と化しても尚失われぬ精密動作。
切断した瞬間に次の攻撃軌道を計算し動作へ反映している。
その演算速度は電子頭脳を超える。
(面白い)
煌夜の唇が微かに緩んだ。
無駄だとか効率だとかそんな陳腐な枠組みを超越した純粋な力の交差。
それはもはや理屈ではなく本能による交流だ。
斬撃と斬撃が衝突する毎に廃墟が崩れ去る。
煌夜は躱し、キングは捌く。
互いの攻撃が成立しない空間で二人の武人は踊る。
キングの巨体が廃墟を蹴散らしながら踏み込む。
落下する瓦礫の雨を背に受けながら煌夜の黒衣が舞い上がる。
その姿は鳥のようであり蛇のようでもある。
落下しながらも攻撃を絶やさない煌夜の刀身が
キングの首筋を狙う。
【ゴキッ】
鈍い音と共にキングの首が異様に捩じ曲がった。
関節を無視した柔軟性で煌夜の斬撃をかわすと同時
その捩じれた首から生える第三眼が炯々と光を放つ。
(来るか)
煌夜が身構えた刹那
空間そのものが歪みキングの巨体が分裂した。
【ズザァッ!】
二つに分かれた巨人が左右から挟み撃ちに迫る。
分身とは思えない存在感で打ち掛かる超質量。
「……なるほど」
煌夜が鞘を地面に突き立てた。
その鞘を中心に巨大な円形結界が展開される。
結界の表面を覆う無数の紋様が明滅すると共に空間が虹色に歪んだ。
二体のキングが結界に突撃。
凄まじい衝撃波が結界の外側の廃墟を紙屑のように吹き飛ばす。
結界内部では時間流が大幅に減速しており
煌夜以外のすべてが粘土のように重くなった。
煌夜の両手が閃く。
左右同時に異なる軌道の斬撃を放つ二刀流技法。
片方の鞘で右側のキングの首を刎ね
もう片方の刀身で左側のキングの左腕を断ち切る。
切断面からは赤黒い光粒が噴出したが即座に止血される。
分裂個体は本体ではない。
煌夜は承知の上で各個撃破を選択した。
時間流が正常に戻った瞬間
二体のキングが同時に消失する。
「分身ではない。本体分割だな」
煌夜の推測は正しい。
キングの巨体は細胞単位で自律的再生能力を有している。
それを活用した身体分割技だった。
消失したはずのキングの巨体が
瓦礫の山から再出現する。
しかし以前より小さい。五分の一程度に縮小している。
その体躯に比例して全身の魔力密度が極端に高まっていた。
「小さくなるほど強くなるわけか」
煌夜の分析眼が冴える。
これは単なる弱体化ではない。
超高密度魔力塊として再構成された巨人だ。
小さくなりながらも凶暴性は増す一方だ。
巨人の咆哮が廃墟全体を共振させ
廃墟自体が悲鳴を上げているかのように軋む。
煌夜とキング。
その攻防は遂に新たな局面を迎えた。
夕暮れが廃墟の輪郭を茜色に染め始めていた。
空気中の塵埃が乱反射して幻想的な光景を作り出す中で
二人の戦いはなお続いていた。
キングの巨体はもはや二十メートルに満たない。
しかしその密度は桁違いだった。
皮膚一枚隔てた内部で魔力が沸騰している。
筋肉組織が膨張と収縮を繰り返し
関節部分から蒸気のようなオーラが噴き出す。
【ギィイイッ!】
短くなった巨体が猛烈な勢いで駆ける。
百メートル級の巨躯時の歩みとは次元が違った。
まさに地を這う弾丸のごとき突進。
煌夜はその勢いを利用して空高く跳躍した。
黒衣が紅蓮に染まり鳥類のようなシルエットとなる。
地上のキングが突如静止する。
直後、右腕を地面に叩きつけた。
廃墟全体が地震のように揺れ動き
地下深くから黒紫色の液体が湧き上がる。
それはキングの体液と魔力が混合したものだった。
「汚染領域……?」
地上に降り立った煌夜の足元に毒液が迫る。
その液体はコンクリートを溶かし鉄骨を錆びさせる有害物質の塊だ。
煌夜の黒靴が一滴触れた瞬間、その部分が微かに溶解する。
(毒性攻撃か)
煌夜が咄嗟に鞘を地面に突き立てる。
結界展開による隔離を考えた刹那──
彼の聴覚が拾ったのはキングの右拳から迸る風切音だった。
【シュバァッ!】
超高速で放たれた右ストレートが空間を切り裂く。
煌夜が身を翻すと同時に背後の廃墟群が粉砕。
衝撃波が数十メートル先のビルを薙ぎ倒す。
毒沼と化した足場。
遠距離からの不可視弾。
さらに──
【ギュリリリッ!】
キングの左腕が突然膨張し蛇のように伸びた。
肘から先が鞭のようになったその左腕が毒沼の水面を這う。
「器用だな」
煌夜の賞賛は真剣だった。
敵の巧妙な戦術に対する純粋な敬意だ。
毒液を利用した奇襲。
高速打撃と遠距離攻撃の組み合わせ。
それらすべてを統合的に運用する戦闘センス。
キングは単なる怪獣ではない。高度な戦略家だった。
「だが……」
煌夜が微かに笑う。
毒沼の中を悠然と歩いて近づくその足取りは揺るぎない。
靴底から溢れる微量の魔力が液体表面に薄膜を張り
浸透を阻害していた。
キングが左腕の鞭を猛打する。
しなる鞭の先端が毒液の飛沫を散らし
毒霧となって煌夜を包囲する。
視界を奪われた瞬間──右ストレートが到来。
【ガキィン!】
刀身が炸裂する右拳を受け止めた。
その反動を利用して煌夜が跳躍。
毒霧の中を泳ぐように前進しキングの懐に入る。
「終わりにしよう」
その宣言と共に刀身が青白く輝く。
魔力充塡完了のサインだ。
【ズバァッ!】
斬撃の軌道に沿って空間が引き裂かれ
毒霧ごとキングの胸部を貫く。
しかし───
(浅い)
煌夜の唇が歪む。
致命傷には至っていない。
キングは既に回避動作に入っていたのだ。
彼の第六感とも言うべき直感が危機を察知したらしい。
「見事」
煌夜の称賛が届くかどうかわからない距離まで
キングが後退する。
その胸部には十字の裂傷が刻まれているが
出血は最小限に抑えられている。
体内魔力循環を操作し損傷箇所を急速閉鎖しているのだ。
「だが……」
煌夜の右腕が持ち上がる。
刀身が水平に構えられ
切っ先がキングの第三眼を真正面から捉えている。
「これで逃げ場はない」
キングが歯を剥いた。
それは恐怖ではなく挑戦への興奮だった。
【ズドンッ!】
地面を陥没させながらキングが吶喊。
縮小した巨体が残した魔力密度を
すべて一点集中させて放つ全力突進。
煌夜は動かない。
ただ右腕の刀身に魔力を注入し続けている。
二人の距離が残り五十メートルを切った瞬間──
キングの第三眼が爛々と輝いた。
その眼窩から放射状に赤黒い光線が放出され
周辺一帯の廃墟を一瞬で灰燼に帰す。
高濃度の魔力が指向性を持って放たれる極大魔法だ。
【ドォオオオオン!】
光線が煌夜に到達する。
黒衣が陽炎のように揺らめき
廃墟の一部が消失した。
しかし煌夜の姿はそこにはない。
(背後……!)
キングの第六感が警告する。
慌てて振り向くより早く
背後から迫る気配を感じ取った瞬間───
【一閃】
煌夜の刀身が弧を描く。
刃先はキングの第三眼に突き立てられ
そのまま頭頂部へと引き裂かれていく。
第三眼が水晶玉のように砕け散り
粉々になった破片が廃墟に降り注ぐ。
【ガアアァアアッ!】
キングの咆哮が廃墟を震わせる。
その巨体が大きく傾いた。
頭部の大半を失い血液混じりの霧を噴出させながらも
なお立ち上がろうとする意志の強さ。
「まだだ」
煌夜の刀身が翻る。
今度は心臓部目がけて突きが放たれる。
その刹那───
【ピシリ】
煌夜の刀身に亀裂が走った。
連続した魔力充塡による過負荷が臨界点に達したのだ。
(ここで折れるか)
煌夜の表情が初めて曇る。
だが迷いはない。
刀身を捨て新たな得物を召喚する暇もない。
「ならば……」
煌夜の左手が空を掴む。
そこに何も見えない空間から何かを引きずり出す動作。
それは切り札たる秘術。
瓦礫の谷間に降り注ぐ真昼の流星雨。
それは廃棄都市に潜む異界の悪夢だった。
「母上のプレゼントだ」
煌夜の左手が虚空を掴んだ瞬間──空間が震えた。
彼の指先が触れる虚空に歪みが生じる。
透明な薄膜が波打ちながら亀裂が走り
その隙間から零れ落ちたのは青白い光粒子だった。
光の粒が蜘蛛の巣状に広がりながら廃墟を覆い尽くしていく。
その光景はさながら星屑をばら撒いた天空の投影図だ。
【ミーティア・ライン】
煌夜の唇から漏れる呟き。
彼の左手が大きく振り払われるや否や
光粒子たちが整然と並び始め矩形陣を形成する。
一個一個の光粒が微細なレンズのように機能し
空から降り注ぐ陽光を集め始めた。
キングの巨体が震え上がる。
彼の第三眼が失われてもなお残存する感知能力が警鐘を鳴らす。
この光の配列は危険だ。
直感的に理解したキングは生存本能に従い回避行動に出る。
【ゴゴゴ……】
足元が沈む。
彼の踵から生えた根が廃墟の基盤を貫き地下深くへと潜っていく。
瓦礫や廃ビルを盾にするために。
しかしそれは誤算だった。
煌夜の右手が持ち上がる。
刀身の代わりに掲げられたのは左手の光紋。
そこから放たれる眩い光線がキングの足元に命中する。
【シュバァッ!】
光線が触れた廃墟の一角が溶解。
液体化したコンクリートが灼熱の泡を立てながら蒸発する。
溶解速度が尋常ではない。
まるで強酸に漬け込んだかのような迅速な反応だ。
「避けた方がいいぞ」
煌夜の忠告は遅かった。
彼の左手で展開された光紋陣から無数の光矢が射出されていた。
光矢は空間を引き裂きながら飛翔する流星群だ。
一条一条が独立した意志を持っているかのように
不規則な軌道を描きながらキングの巨体に迫る。
【ズドドドッ!】
最初の一本がキングの左肩を貫通。
肉片が微塵になって吹き飛ぶ。
続いて別の光矢が脇腹を穿ち肋骨を粉砕する。
さらに額に命中した矢が第三眼のあった窪みを抉る。
「ぐおぉおおっ!」
キングの咆哮すら断ち斬る光条。
一閃の因果抹消攻撃を応用した彼のミーティア・ラインは
光が照らす範囲の全て、物質も魔法も関係なく貫き光に溶け、消し去る。
対抗するには絶対的に強固な自我が必須だ。
ミーティア・ラインはキングの巨体を容赦なく蝕んでいく。
肉体を溶解させるだけではない。
魂魄の根幹すら喰らう浄化の光だ。
【キィィン】
煌夜の左手に刻まれた光紋が輝度を増す。
彼の瞳が冷徹に輝きながら
逃走するキングの動きを先読みしていた。
「どこへ行く?」
問いかけと同時に光紋陣が拡大。
廃墟全域を覆い尽くす規模に達した。
天井知らずの範囲拡張にキングが怯える。
この光は単なる視認可能な範囲だけでなく
空間自体を掌握しているのか。
(まさか……!)
キングの第六感が再び警鐘を鳴らす。
この光は彼の生命力そのものを狙っている。
廃棄都市という依代なしでは存在できないキングにとって
生命源とも言うべき地脈エネルギーそのものを破壊されている。
【ズザザザッ!】
地面が蠢く。
廃墟の基盤全体が赤熱しはじめた。
溶解した鉄骨が泡立つように浮き上がり
亀裂が走ったコンクリート片が空中に浮遊する。
廃棄都市全体が煌夜の魔法に支配されつつあった。
「お前の敗因は明白だ」
煌夜の声が廃墟に響く。
風に乗って届くその声には一片の感情も含まれていない。
ただ事実を述べる口調だった。
「依存している」
煌夜が指さす先はキングではなく廃墟そのもの。
彼の瞳に映るのは街並みに寄生する怪物の姿だった。
「自分の力だけで戦っていれば……
まだ生き延びる可能性はあったかもしれないな」
キングの巨体が激しく痙攣する。
脚部が溶解し始めてバランスを崩す。
それでも必死に右手を掲げ煌夜に向かって何かを投げつける。
掌から放たれたのは無数の眼球だった。
キングが過去の犠牲者たちから摘出した生体エネルギー塊だ。
【シュバババッ!】
眼球群が煌夜の周囲を取り囲み一斉に破裂。
中から飛び出したのは黒紫色の粘液だ。
毒性を含む粘液が雨のように降り注ぎ煌夜の黒衣を侵食する。
【ジュワァッ!】
黒衣の表面で白煙が上がる。
しかし煌夜は微動だにしない。
彼の周りを淡く覆う青白い光紋が毒素を無効化していた。
「最後の抵抗か」
煌夜が溜息をつく。
「だが」
煌夜の左手が高く掲げられる。
彼の頭上に集約された光紋陣が究極形態に変貌していく。
数百の光粒が幾何学模様を描きながら回転し始め
中心部に超高温の光球が形成された。
「これで終わりだ」
彼の宣告と同時に光球が爆散。
無数の光箭が流星雨のごとく降り注ぐ。
一本一本が惑星すら貫くであろう光速の矢衾だ。
【ゴゴゴゴゴゴ……!】
廃墟全域が崩落し始める。
建物も地面もキングの巨体も関係なく全てが溶解し蒸発する。
灼熱の嵐が吹き荒れ廃棄都市そのものが蒸気となって昇華していく。
キングの断末魔すら聞こえない。
彼の巨体は既に原型を留めていない。
肉体も霊魂も等しく光に飲み込まれ消滅していく最中、
【ズシャッ!】
心臓部を貫く鈍い感触。
キングの巨体が痙攣し始める。
「終わりだ」
煌夜の宣告が廃墟に響く。
その声には疲れも余裕もない。
ただ確信だけがあった。
キングの巨体がゆっくりと崩れ落ちる。
地面に倒れ伏す前にその体躯が急速に萎縮していく。
二十メートル超の巨体が見る見るうちに縮み
ついには二メートルほどのゴブリンへと変貌した。
「……お……まえ……は……」
消え入りそうな声でキングが問い掛ける。
その瞳には憎悪ではなく畏怖が浮かんでいる。
煌夜の瞳には敵意も同情もない。
ただ純粋な戦いへの礼儀があった。
「強かったぞ……十指には入らんがな」
煌夜の声は風のように通り過ぎた。
そこには哀れみも嘲笑もない。
ただ事実だけが刻まれている。
キングの口角がほんの少し持ち上がる。
それは冷笑か満足か──どちらとも判別しがたい歪んだ表情だった。
(……認めよう)
彼の頭の中で声にならない呟きが木霊する。
(我は負けた。圧倒的なまでの……敗北だった)
最後に見た黒衣の青年──煌夜。
その存在はまるで宇宙そのものだった。
深淵の暗闇でありながら苛烈な光芒を放つ矛盾した存在。
(だが……悪くはなかった)
戦いの記憶が走馬灯のように蘇る。
無数の斬撃。
灼熱の魔法。
そして星空を思わせる光の雨──
どれもこれも未知の感覚だった。
それは生物としての根源的な恐れと共に
かつて味わったことのない昂揚でもあったのだ。
(こんな刺激が……まだこの世界にあるとはな)
キングの体から徐々に生気が抜けていく。
それはまるで空気を吸い込む袋のように
生命という実体が霧散していくプロセスだ。
残された僅かな時間で彼は考える。
(もっと戦いたかった……)
その思いは叶わない。
もう彼には肉体すら残されていないのだから。
(だが……これで良い)
奇妙なことに悔しさはほとんどなかった。
あれ程までに強大な敵に全身全霊で挑めた充足感。
命の限りを尽くしたという事実こそが誇らしかった。
(我の敗北が……誰かの糧になるなら)
霞みゆく視界の端で煌夜がこちらを見下ろしている。
その漆黒の瞳には侮蔑も同情もない。
ただ純粋な敬意が宿っていた。
(そういう奴だったな……こいつは)
最後に見上げた顔はどこか優しげだった。
それは敗者への手向けなのだろうか。
キングの思考が完全に停止する寸前──
彼の体を覆う光の粒が一つひとつ剥がれ落ちていく。
それはまるで蛍火が夜空へ還るような美しい光景だった。
そして彼の存在は消えてなくなった。
◇◇◇
廃棄都市に朝日が射し込み始めた。
かつて摩天楼が林立したこの区画は今や平坦な荒野と化している。
煌夜が立つ地点を中心に放射状に広がるクレーター。
その中央に佇む姿は孤高の彫像のようだ。
遠巻きに彼を見守るのは民間人たち。
昨日までゴブリンの捕虜だった人々。
亜夜子率いる救出部隊は上手くやったようだ。
彼らは震えながらも決して逃げようとしない。
その双眸には恐怖と同時に何か別の感情が宿っていた。
憧憬か……あるいは畏怖か。
「愚か者が」
煌夜の呟きが乾いた風に乗る。
彼の視線の先にはヒビが入ったがある。
別段、名刀というわけではない。
そもそも実戦を想定すらしていない子供用の模造刀。
部下たちは総出で新しい刀に変えて下さい。
ソレを使って戦う意味など
ナイではないですかと説教していた曰く付きの刀。
それでも、拘ったのは─────────
気まぐれで立ち寄った星で、戯れに抱いた娼婦が内緒で産んだ私生児。
流行り病で母が逝った後、アノ人が見知らぬ子供を憐れんで渡した玩具。
別に家の後継者争いなど興味もなかった。
ただ、胸を張ってアノ人を父と呼べる立場が欲しかっただけだ。
この任務に志願したのもそのため、だったが……
「父の刀が欠けた戦の勝因は、母の魔法、か……」
象徴的だと思うのはただの感傷か?
お前は……─────────ではなく
四葉煌夜なのだと宣告された気分だった。
廃墟は沈黙していた。
かつて人で賑わった都市は今はただの骸。
ガラス片が風に舞い上がり、陽光を浴びて幽玄な光を放つ。
まるで千切れかけた魂が最後の輝きを見せるかのようだ。
煌夜は割れた路面に佇んでいた。
戦いの痕跡を刻む大地が、
彼自身の内面を映しているかのようだった。
(俺は何者か──)
思考が廻る。
英雄と呼ばれ崇められる裏で、自分が何を求めているのか。
四葉の血を引く者として背負わされた宿命と、
それを拒絶したい幼子の気持ち。
二つの自己が胸の中で拮抗していた。
『──君は何のために戦うの?』
遥か昔、師が投げかけた問いが耳朶を打つ。
答えられなかったあの頃の自分が今の自分を嘲っている気がした。
強くなっても未だ答えを見つけられない愚者。
父の愛を得る為に剣を執ったつもりが、
いつしか目的が曖昧になっていた。
ふと視線を上げると崩れかけたビルの屋上が見える。
かつて家族連れで賑わった展望台だ。
今や鉄骨が剥き出しの遺構。
そこにはかつてあった筈の幸福が剥落していた。
(人は皆、舞台装置のようなものなのか……)
哲学書の一節が脳裏をよぎる。
舞台上で与えられた役を演じるだけの人形。
煌夜はまさに四葉家の傀儡として動いてきた。
だが今──自分は本当の感情を持っているのだろうか?
(それとも……全部虚構なのか)
思考の海に溺れかけた時だった。
唐突に明るい声が鼓膜を叩く。
「煌夜ー! やっと見つけた!」
金髪が風になびき光の粒子を撒き散らす。
リーナだった。
瓦礫の丘を駆け下りてくるその姿は
まるで春の花畑を飛び回る蝶のようだ。
重苦しい空気に亀裂を入れる陽気な笑顔。
呆れるほど無邪気な仕草。
それが今の煌夜にとっては眩しすぎた。
「どうしたの? また難しい顔してる」
目の前にしゃがみ込むリーナ。
眉間に皺を寄せた顔を覗き込んでくる。
彼女の大きな青い瞳に映るのは
自分の悩みなど些事に過ぎないという真理。
(そうだ……こういうものだったな)
悩むことを忘れさせる天真爛漫さ。
これが彼女という存在の特質だった。
理屈や論理を超えてしまえる破天荒さ。
そんなリーナがいなければ
煌夜はずっと迷宮から抜け出せなかっただろう。
「ちょっと考え事をね」
そう言って苦笑いを浮かべる煌夜に
リーナは首を傾げる。
「ふーん?」
詮索するつもりはないらしい。
それどころか突然彼の手を握ってきた。
「帰ろ! みんな待ってるよ!」
温かい手のひらから伝わる鼓動。
彼女の生命力が凍りかけていた思考を溶かしていく。
(答えはまだ分からない)
だが少なくとも孤独ではなくなった。
一緒に帰りたいと願ってくれる仲間がいる。
それだけでも十分な答えだった。
「ああ、そうだな」
微笑みと共に立ち上がる煌夜。
廃墟の空を見上げれば雲間から陽光が差し込んでいる。
瓦礫に光の橋を架けるその様は
新たな旅路の導きのようだった。
スゴイ強くて明るい子が、裏でエロい目にあってるって、結構性癖に来るんですよね
というわけで、いずれこの続きでリーナがヤラれます
予定も構想もないけど願望はある
更新希望の原作
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世界最高の暗殺者、異世界貴族に転生する
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最強出涸らし皇子の暗躍帝位争い
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片田舎のおっさん、剣聖になる
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リアデイルの大地にて
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俺は星間国家の悪徳領主!
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リビティウム皇国のブタクサ姫
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転生王女と天才令嬢の魔法革命
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ロクでなし魔術講師と禁忌教典