昼休み、もうじき5時限目の始まる気だるい時間。トウジは組んだ腕に顎を乗せ、机に突っ伏していた。瞼が重い。
(あぁ、あかん……こりゃ日本史なんて子守唄になってまうで)
昨夜は深夜テレビをだらだらと見続けてしまったせいで、いささか寝不足気味だ。
と、前の席に座っていたケンスケが、振り返り声を掛けてくる。
「なぁ、トウジ」
「あぁ、なんや?」
トウジは、欠伸混じりの声で答えた。
「最近の碇、変だと思わないか?」
「はぁ、せんせの何が変やいうねん?」
当人の方に視線を動かすと、シンジは物憂げな表情で窓外を見つめている。特別変わった所などない。
ケンスケは数秒間を置いて、
「……色っぽいんだよ」
つぶやくように言った。
「……おまえ、そっちの趣味があったんか」
同じように一拍間を開けて言いながら、しかしトウジも同様のことを感じていた。この数日のシンジの所作の端々には、確かに艶っぽさがある。
「俺は、重大な機密に気付いてしまったかもしれない!」
ケンスケは、トウジに顔を近づかせて力んだ。
「その機密ちゅうんは?」
内心どうでもいいと思いながらも聞くと、ケンスケはさらに顔を寄せた。左右を見渡し、声を潜めて言う。
「シンジは女なんだよ」
ケンスケは本気の声音だったが、馬鹿馬鹿し過ぎて笑う気にもなれない。
「アホか、うちら三人並んで連れションしたことかてあるやんか」
トウジは、わずかでも睡眠を得ようと瞳を閉じた。が、ケンスケに体を揺さ振られ、それを阻止されてしまう。
「いつの話だよ、それ。現実は常に変化していくんだ。昨日の常識が、今日の非常識になるなんてよくあることさ!」
「はい、はい」
目は瞑ったまま、投げやりに相槌を打つ。
「俺の最新の調査によれば、碇はここ三日間、トイレで個室しか使っていない」
「腹の具合が悪いだけやろ」
「音がしないんだよ……」
「音?」
「おそらく個室で小だけをして、けどすぐに出ると怪しまれるから、大に要するであろう時間を待ってから外に出ているのさ」
なんということだろう。この男は、親友の生理現象に聞き耳を立てていたと言っているのだ。少し――いや、かなり退く。眠気も飛んでしまった。
(あかん……自分の欲望に素直なやつやとは思っとったけど、こりゃ、あかんわ)
早くこの妄想から解き放ってやらなくてはいけない。
「よう見とけや」
トウジは立ち上がり、シンジの席に向かった。気付かれないように背後に立ち、その胸を鷲掴みにするために手を伸ばす。なんの膨らみもない男の胸であることを確認するために。しかし――
「あぁぁん!」
掌がささやかだが確かな弾力を感じると同時に、シンジの口から今まで聞いた事のない艶かしい声が漏れ、トウジは慌てて手を放した。
教室中の視線が一斉に集まる。トウジは訳が分からず、シンジを見つめた。
「シンジ、おまえ……」
シンジは瞳を潤ませて、小刻みに震えているようだった。何かを言わなくてはいけないと、必死に言葉を探すが、言うべき言葉がなにも浮かばない。
「うわぁーん!」
そうしている内にシンジは、脱兎の如く教室から出ていってしまう。
残されたトウジは、無意識に柔らかな感触を反芻するように指を動かした。
(女の胸やったよな、あれ……)
不注意から野に咲く花を散らしてしまったような罪悪感が、胸中に広がる。と、背後に人影を感じてトウジ振り返った。
「惣流――」
アスカが強く握った拳を振り上げたのが見えて、トウジの頭上に星が瞬いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
(どうしよう……どうしよう……)
シンジは人気のない体育館裏で、うずくまって泣いていた。どんな顔をして教室に戻ればいいか分からない。
近づいてくる足音に顔を上げると、アスカが呆れた様な表情で歩み寄ってくる。
「だから言ったじゃない、絶対にばれるってさ」
「だって……」
涙を流しながらアスカを見上げると、額を軽く押される。
「めそめそすんじゃないわよ」
そう言われても、感情の乱れを抑えることができない。もともと打たれ強い性格ではないが、この体になってから心がより脆弱になってしまっている気がするのは、言い訳だろうか。
「アスカはいいよ……女の子の格好のままでいられるんだから……」
秘密の共有者であるアスカに甘えてしまい、ついそんなことを漏らしてしまう。瞬 間――
「あんた、あたしがなんの苦労もしてないとでも思ってんの!」
息ができないほど強く胸倉を掴まれる。
「ご、ごめんなさい……」
「わかりゃあいいのよ」
アスカの手が放されて、シンジは苦しげに息を吐き出した。アスカの身をまるで考えない、軽率な発言だったと反省する。
「じゃあ、今日はもう帰って、明日からは〝女の子〟で登校するのよ。いいわね?」
「……うん」
アスカの持ってきてくれていた鞄を受け取り、シンジは不承不承頷いた。今夜は酷く長くなりそうだと、陰鬱に覚悟しながら。