※この作品はR-18です。

豊穣の王   作:イロゴト柿

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第9話『ふたりの乱入者』

「駄目だ――もう限界だ……!」

 

 全てを飲み込まんとする灼熱の空間の中で、ひとりの男性学者が呻いた。

 

「崩れるぞ……! 『全知の樹』が……!」

 

 まさにその通りだと、オルビアは、声に出さずに同意した。恐らくは、後数分――もしかしたら、数秒もないかもしれない。表情から察するに、周りの学者(なかま)たちも、そう思っているようだった――悟っているようだった。自分たちの最期を。そして、考古学の聖地である『オハラ』の歴史、その結末を。

 

 しかし、悲壮な表情を浮かべている者はひとりもいなかった。無論、だからといって喜んでいる者もまたひとりもいなかったが、オルビアを含めた学者たち全員の顔には、ある程度の達成感が漂っていた。

 

 奇跡と言う他なかった。政府の役人の手によって火をつけられたのが数十分前。少しでも多くの書物(れきし)を後世に残さなければならないという強烈な使命感と、長年の付き合いによって培われたチームワークによって、オルビアたちは――なんと――樹木内に貯蔵されていた書物の殆どを、窓のすぐ向こう側にある湖の中へ投げ捨てることができた。

 

 無論、書物の一時的な保管場所として、湖の中というのはどう考えても適確ではない――が、これが今のオルビアたちに打てる最善手だった。少なくとも、火に侵されて消し炭になっていくのを黙って眺めているよりは何倍もマシだと、そう思って――彼女たちは、見事にやり遂げた。一冊残らず、とは残念ながらいかなかったが――それでも、驚くべき成果で、喜ぶべき結果だった。

 

 ……が、当然のように、代償もあった。まず、オルビアが少し遅れて作業に加わってから――自分が脱獄するのを手伝ってくれた『サウロ』という元海兵の巨人に、命よりも大事なひとり娘(ロビン)を託した彼女が書物の搬出作業に加わってから程なくして、早々に焼け崩れた樹の一部や巨大な本棚によって、出入り口が完全に防がれてしまったのだ。

 

 そして、今となってはオルビアたちの誰にも、それを何とかする為の体力も気力も――何だったら、時間も残されていなかった。どうしようもなかった。

 

 また、できる限りの書物(れきし)を後世に残せたという達成感はあっても、じゃあ何の憂いも後悔もないのかと問われれば、当然そんなことはなくて――オルビアの場合は、前述したひとり娘であるロビンへの想いが正にそれだった。考古学者としてのこれまでの自身の行いには何の後悔もないが、「母親」としてはどうか言えば――考えるまでもなかった。可哀そうなロビン。私の娘として生まれてしまったばかりに……。

 

 いや、ロビンだけではない――彼女と同じぐらいに想い、思い出すべき存在がいることに、オルビアは気づいていた。気づいていながらも、何とか考えまいと必死で気持ちを抑え続けていた彼女ではあったが――土台無理な話だった。自分はあとほんの少しもしない内に死ぬ。その絶対的で残酷な事実が、彼女の追憶の制御を困難なものにした。

 

 夫の無念を晴らす為、そして何よりもオハラの考古学者として、『歴史の本文(ポーネグリフ)』の探索チームの一員となって海に出てから程なくして出会い、情を交わしたひとりの青年。いけない……オルビアは下唇を噛んだ。こんな状況でなくとも、自分には彼を思い出し、想う権利などありはしない。こちらから肉体関係を迫ったにも関わらず、一方的な都合でそれを断ち切り、紙切れ一枚だけを残して黙って出て行った自分には……。

 

 オルビアがそこまで思考を巡らせた時だった。樹木全体からバキバキバキッ……! と、不吉過ぎる音が鳴り始めたのだ。

 

 いよいよだ。周囲の仲間たちと同じように、オルビアも覚悟を決めた。すぐ傍にはリーダー格の高齢学者、クローバー博士も佇んでいて、やはり、静かに運命を受け入れる心持ちのようだった。僅かに俯いた彼の瞳からはひと筋の涙が流れていた。自分と同じように――更には、彼の乾いた口元から零れた次の台詞を、オルビアは確かに聞き取った。

 

「これも……人が望んだ歴史か……」

 

 『歴史』――これまで自分たちが求め、調べ、明らかにしてきたもの。

 

「愚かなり……人類(ひと)よ……」

 

 全くだ――オルビアは俯いた。が、すぐに顔を上げ、轟音を響かせながら崩れようとしている全知の樹の内側、その天井部へと視線を向けながら、こう思った。

 

(ごめんなさい……ロビン……。「母」としての役割を、何ひとつとして果たせなくて……)

 

 そして――

 

(フレイ……)

 

 今は亡き夫以外で、唯一身体を重ねた男性。僅かな間ながら、世界的な犯罪行為(けんきゅう)をしているという重圧を忘れることができた――それほどの幸福を覚えることができた青年。今際の際とあっては、やはり、彼のことも考えてしまって、

 

(ごめんなさい……。どうか、貴方に何も言わずに、先立ってしまう私を許して……。そして……できるなら、私のことは忘れて欲しい。忘れて……私とは違って、あなたをちゃんと愛してくれる女性(ひと)と、一緒に……)

 

 更に――もしも、叶うならば。

 そんな「我が儘」が許されるのならば、

 

(どうか……私のたったひとりの娘を……ロビンを……)

 

 お願い――と、そう思って。

 

 同時に、炎纏った大樹が本格的な崩壊を迎え、それを見たオルビアは、周囲の仲間たちと共に、己の人生の結末を、静かに抵抗せず受け入れようとした――()()()()

 

 変化は突然だった。突如、地中から黄金のオーラを纏った半透明且つ極太の触手(?)のような物が現れたかと思うと、それが急激に成長し、巨大樹の内外全体を覆った。これによって火の殆どが消え、何より、樹の倒壊が止まった。

 

 正しく青天の霹靂だった。突然過ぎて非常識過ぎる事態に見舞われたことで、周りの仲間たちは声も出ない様子だった。それは正直オルビアにしても同じことだったが、彼女の内心は、他の仲間たちのそれとは若干異なっていた――なんとなれば、視線の先の触手(?)のようなものに見覚えがあったからだ。より正確には、それを覆っている黄金のオーラの輝きに、だが。

 

 それは、オルビアが今まで目にした中でもっとも温かい光だった――5年ほど前、人生最高の1週間を過ごした際に、幾度となく目にした光だった。先ほどまでは思い出すまいと苦悩していた、ひとりの青年を象徴する黄金の輝き――

 

「――フレイ……?」

 

 今となっては消えてしまったハート形の謎の紋様。それをかつては浮かび上がらせていた下腹部が――その奥にある、彼の子種を、幾度となく大量に受け止め、蓄えてきた雌の器官が、甘く疼いたような気がした。

 

 

  ◆          ◆

 

 

 一方、「絶対的正義(バスターコール)」の名の下に、『オハラ』という島そのものの存在を地図から抹消すべく派遣され、砲撃を()()()()()、10隻の軍艦から成る艦隊。

 

 その内の1隻の甲板の上で、群青色のジーンズと、下腹部が丸見えの、殆どスポーツブラと言っても良い露出度を誇る、真紅のタンクトップという出で立ちの、短いフワッとした金髪と青い瞳、一凛の紅の薔薇が刺さった白帽子と、真っ赤な口紅が塗られた瑞々しい唇が特徴的な美女――ステューシーが、ひとりの『中将』と向かい合っていた。

 

 海軍中将というのは、組織の中における一種の到達点だ。何せ、それより上には3人の『大将』と、ただひとりの『元帥』しかいないのだから――少なくとも、単純に努力さえ重ねれば至れるという訳ではない。

 

 「それ」がまず大前提として、そこへ相応の才能と、更には「運」に恵まれることによって到達できる一種の境地。そこより「上」に上がれないまま退役した者は何人もいるが、それが不名誉なこととして語られることはまずない――どころか、誉れとして称えられることが常の領域。それが『中将』。

 

 だからこそ、大半の賞金首や海賊にとって、()()に至った者と敵対することは、即ち「投獄」、酷い時には「死」を意味するのだが――しかし、片手を腰に当てながら初老の中将(それ)と向かい合っているステューシーの表情は至って平静そのもので、何なら、その口元には微かな笑みさえ浮かんでいた。恐れるものなど何もないとでも言うように――()()()中将程度の存在など、どうとでもないというように。

 

 間違いなくそれが気に入らなかったのだろう。こめかみに浮かばせた青筋をピクピクと震わせながら、初老の中将が次のように言った。

 

「どこの誰かは知らんが……やってくれたな……。私の部下たちを一網打尽にしおって……!」

 

 今、その場に()()()()()のはステューシーと初老の中将のみだったが、人影自体は甲板上の至るところに見受けられた――中将の部下として同行した海兵たちだ。

 

 本来は中将と並んで立ってステューシーに銃口を向けていたり、島に向かって砲撃を続けていたりして然るべき筈の彼らは、しかし、今は気を失っていた――()()()()()()()、と言うのが正確かもしれない。つい先ほど、オハラを含めた周囲一帯に迸った埒外の威圧感――通称、『覇王色の覇気』によって。

 

 もっとも、先の初老の中将の台詞には少々誤解が混じっている。即ち――クスリ、とステューシーは緊張の欠片も見えない薄い笑みを漏らすと、

 

「随分と光栄な勘違いをしてくれるのね? 嬉しいけど、今の覇気は私じゃないわ。私の役目は、あくまでも『彼』が気絶させ(たおし)損ねた海兵を無力化させること……。まあ、()()()()()なら、私にもできるしね?」

「……舐められたものだな」

 

 ビキリ、と額に新たな青筋を浮かばせながら、初老の中将は言葉を返した。

 

「それに……『彼』、だと? 『彼ら』ではなく? まさか……貴様の仲間は他にひとりだけか? つまり……たったふたりだけで我々を――『バスターコール』を、どうにかできるとでも言うつもりかっ!?」

 

 最後のほうはハッキリと怒鳴り声になっていたが、あくまでもステューシーは落ち着いたもので、

 

「無謀とは言わせないわよ? 現に、あなたを含めた5人の中将以外は、皆、強制的なお昼寝タイムに突入されられちゃったじゃない。『声』を聴けばわかるわ」

「……『覇王色』はどうかは知らないが、少なくとも『見聞色』の心得はあるようだな」

 

 腰に提げた大振りの刀をゆっくりと抜きながら、初老の中将は続けて、

 

「――だが、もう少し精度を上げたほうがいい。それとも知らないだけか――教えてやる。今回、指揮を任された5人の中将の中には、()()『クザン』と『サカズキ』も含まれている」

 

 予想外だったのだろう。余裕一色だったステューシーの表情に、初めて変化が見られた。今度は、初老の中将のほうが余裕の表情を浮かべる番で――眉をひそめる彼女に対して、ニタリと口元を歪ませながら、彼はこうも言った。

 

「知っているようだな? 自分で言っておいて何だが、よもや4つの海、『西の海(ウエストブルー)』にまで名が轟いているとは――そうだ、3名の定員となっている関係上、未だ中将という地位に甘んじてはいるが、タイミングさえ良ければ、今頃は確実に大将にまで上り詰めていたに違いないと言われている、3人の天才海兵、その内のふたりだ。残りのひとりは、少し前から『科学班』管轄の島に入り浸っているが――それでも十分だ。貴様が言うところの『彼』とやらが、どれ程の実力者だろうと――クザンとサカズキのふたりがいる限り、我々に『敗北』はないっ!」

 

 そして、

 

「無論――あのふたりを除いた()()()の実力も侮ってくれるな! 生憎と、貴様らの正体を探っている暇もないが、いずれにせよ任務妨害の罪だ――無駄な抵抗をしなければ始末する(ころす)のは勘弁してやる! 何なら『彼』とやらもすぐに沈めて、同じ牢に入れてやるから――安心して眠れっ!」

 

 叫び、初老の中将がステューシーに向かって突貫した。彼女の背後から、()()()()()接近していたふたりの中将とタイミングを合わせる形で、だ。

 

 相手が手ぶらの女であろうとも、バスターコールという作戦行動の前では一切の慈悲もない。その指揮を本部から任されるというのは、()()()()()()だ。非情な正義を迷いなく執行する鉄の意思こそが、その選抜基準で――少なくとも、ステューシーに無力化せんと肉迫している3人の中将は、それを有していた。

 

 有していて――結果、迷いなく、それぞれが手に持っていた、刀や槍といった獲物をステューシーの細く柔らかそうな肢体に殺到させるに至ったのだが、

 

「何っ!?」

 

 先ほどまでステューシーと話していた(恐らくは、他のふたりが駆けつけるまでの時間稼ぎの意味合いもあったのだろう)、初老の中将から、驚きの声が上がった。彼らの獲物の切っ先に斬られ、貫かれたと思われたステューシーの姿が、奇妙にぼやけたのだ。まるで、水面に移った人影のように、ぼやけて、崩れて、そして――

 

「――『紙絵(カミエ)・残身』」

 

 いつの間にか、ステューシーがそこにいた。つい先ほどまで、初老の中将が立っていた、正にその場所に。

 幻影――残像だ。『六式』という、政府や海軍に属する一部の人間が主に使っている超人的な『体術』であり、その内のひとつの『応用技』。それを目の当たりにした中将たちの表情が、改めて強張った。

 

「『六式』――元海兵、いや、政府の関係者か……? そういえば、ごく最近、CPから出奔した女の諜報員の噂を聞いたが、まさか……」

「あら、もうそんなことになってるの?」

 

 そうは言ったものの、ステューシーの表情には、再び例の余裕の笑みが戻っていた。

 

「一応、時間稼ぎの意味も込めて、まだ退職の意思は表明してなかったのだけれど――まあ、いいわ。どの道、今回の一件で決定的になるでしょうし。……ねえ、どうせだったら、ちょっとお願いを聞いてくれない? これから発行されるであろう私の手配書なんだけど――異名は、『豊拳の正妻』っていうものにして欲しいの。できる? これから先、彼はきっと多くの雌を囲って、孕ませることになるし、というよりは私がそうさせて見せるんだけど――だからこそ、序列は大事にしたいじゃない? あくまでも、一番は私。オルビアっていう女にも、これから彼が囲うことになるまだ見ぬ女たちにも――()()だけは、絶対に譲るつもりはないわ」

「何を、訳がわからないことをゴチャゴチャと……! よもや、少し意表を突いたぐらいで、もう勝った気でいるつもりじゃあるまいな!? 如何に『六式』を納めた人間だろうと、それだけでどうにかできる程、海軍本部『中将』の肩書きは軽くはないぞっ!」

 

 未だ引っ込む様子のない額の青筋をピクピクと痙攣させながら、初老の中将が吠えた。しかし、相変わらずステューシーの態度は落ち着いたもので、

 

「確かに、本部の中将が3人も相手じゃ、普通なら負け確でしょうね……。でも、今の私なら大丈夫……。彼の『加護』を受けた私なら、ね……♡」

「加護、だと?」

 

 訝しる中将。そんな彼の疑問に答えるかのように、ステューシーはポツリと呟いた。

 

「『実り豊かな君(フレイ・イン・フロージ)』――あぁぁんっ♡」

「なっ……?」

 

 3人の中将たちが不覚にも顔を赤らめてしまうような、状況にそぐわぬ嬌声がステューシーの唇から発せられて――それと同時だった。彼女の下腹部にあるハート形の紋様が、目が眩むような、赤紫色の強烈な光を発した。かと思うと、それは一瞬の内に金色のオーラへと変わり、まるで水蒸気のように彼女の全身から立ち上った。『全知の樹』の倒壊を防いだ謎の触手や、オハラ全体をすっぽりと覆っているドーム状の膜を形作っている物と同じオーラに違いなかった。後から加入したふたりの中将の片割れが、ハッとしたような表情を浮かべた。

 

「まさかとは思っていたが――この辺りで噂になっている『豊拳』の能力か!? 男だと聞いていたが……?」

「あら、彼を知っているの?」

 

 目をパチクリとさせるステューシーではあったが、すぐに、例の余裕を含んだ笑みを取り戻すと、

 

「海軍本部の将官クラスの耳にも届いているなんて――愛する男の名が知れ渡っているというのは、やっぱり気分がいいものね」

「図に乗るな! すぐに悪くしてくれる――そんな、よくわからん蒸気のような物が、一体なんだというのだ!」

 

 改めて、初老の中将が吠えた。ステューシーの瞳が、スッと細まった。

 

「言われなくとも、すぐに教えてあげるわ――その体に、直接ね♡」

 

 直後だった。ステューシーの姿が消えた。かと思うと、三角形状に構えていた3人の中将たち、その中心に、彼女は佇んでいた。速い――! そう思いながらも、すぐさま手に持った獲物を振るうべく、それを握った手に力を込める中将たちではあったが――その時には、すべてが終わっていた。遅すぎだのだ。

 

「『(ソル)』+『嵐脚(ランキャク)』+『実り豊かな君(フレイ・イン・フロージ)』――『旋風黄金(つむじこがね)』」

 

 突如、3人の中将の全身から鮮血が噴き上がった。見れば、彼らの身体には、大振りの刃物でつけられたような切り傷がいくつも散見されていて――鮮血が噴き上がった時には既に、中将たちの意識は途切れ、ステューシーの姿は、姿を消す前にいた場所に戻っていた。髪の毛の1本まで『彼』――イングナル・フレイの所有物となった自身の身体を、彼以外の男の血で汚したくなかったからだ。

 

「愛し、精を注ぎ込んだ女に、その量に見合った力を与える。身体能力の底上げだけじゃなく、黄金のオーラとして顕現させれば、『武装色』と同じように、矛にも盾にもなる――それが、未だ全貌が明らかになっていない彼の能力、そのひとつ」

 

 先ほど黄金のオーラを立ち上らせた、下腹部にある紋様を愛おし気に撫でながら、ステューシーが静かに言った。そして、砲撃は中断されたものの、未だあちこちから火の手を上がらせているオハラに真剣な眼差しを向けると、

 

(クザンとサカズキの参戦は確かに予想外だったし、こっちに来てたら相当な覚悟が必要だったけど――『声』を聴く限りでは、彼のほうへ向かったみたい)

 

 というよりは、そうなるように彼が気を利かしてくれたのだろう、とステューシーは推測した。そもそも、砲撃の嵐をどうにかするだけならば、先の『覇王色』だけで十分の筈で、あの金色の巨大なドームは必要ない。となれば、あれは「防護幕」ではなく「檻」と考えるべきだ――その外側にいる自分にサカズキが向かうのを防ぐ、一種の障壁。サカズキがどのような思考を巡らそうとも、先にフレイの元に向かう以外の選択肢を与えない為に、彼が打った先手。

 

 なら、問題ないわね――と、ステューシーは一切の不安もなくそう思った。断じて油断ではない。クザンやサカズキの噂は、元CPである彼女も聴いている。『ボルサリーノ』という海兵と並んで、近い内の『大将』昇進を確実視されている天才たち。

 

 しかし、それらの情報を十分に吟味しても尚、ステューシーには確信があった。如何に彼らが天才と称えられていようとも――自分が愛し、自分を愛してくれているイングナル・フレイの才覚は、間違いなく、それよりも更に「上」――遥かなる高みの代物である、と。

 

 そんな確信を持ちながら、ステューシーは、さて、と周囲を見渡した。むしろ、大変なのはここからだ。たった今無力化させた中将たちを含めた、この軍艦に乗っている海兵全員を、別の軍艦に移さなければならない。

 

 軍艦の鹵獲。それこそが、愛するフレイから頼まれた、ステューシーのもうひとつの任務だった。無論、簡単なことではない。特に、海兵たちの移動が普通ならとんでもない重労働だったが(海に放り捨てるという選択肢はない。どう考えてもせっかく気絶させた海兵が目を覚ましてしまうし、そうなってはおちおち鹵獲の為の作業にも移行できないからだ)、まあ、問題はないわね、とステューシーは思った。その為の『加護』。その為の、フレイから()()()()能力(ちから)」だ。

 

「手際よくやらないとね……。『実り豊かな君(フレイ・イン・フロージ)』――ううぅんっ♡」

 

 そう思い、改めてステューシーは、短い喘ぎと共に金色のオーラを立ち上らせた。島のどこかで、今頃はクザンやサカズキとの戦闘を始めているであろう、愛する男の勝利を確信しながら。

 

 

  ◆          ◆

 

 

 場所は変わり――突如出現した、金色のオーラで出来た巨大なドームで覆われたオハラ。

 

 そのとある海岸で、ステューシーたちのほうで話題に上がった大将昇進を確実視されている中将にして、バンダナ、ロングコート、その下のスーツなどを黒で統一した服装に、針金のような細い手足、図抜けた長身と丸いサングラスが特徴的な男、クザンは――しかし、いつ以来かもわからない冷や汗を頬に伝わせていた。それ程の威圧感、雰囲気を、視線の先にいる青年から感じていたからだ。

 

 青年は、若かった。恐らくは20代になったばかりだろう。クザンに背を向け、少女――ニコ・ロビンの目線に合わせるようにして膝を着いているので少々わかりにくいが、身長は2メートル近い。それでも自分(2メートル98センチ)よりは大分低いが、その程度ではなんの優越感にも浸れないほどの『覇気』を、クザンは感じていた。

 

(強いな……? いや……)

 

 ()()()()……? 嵐のような砲撃を強制的に中断されたことで――間違いなく、先ほど一帯に轟いた『覇王色』が原因だろう。その下手人が誰なのかなど、今となっては考えるまでもない――波の音だけがさざめいている、奇妙な静けさに支配された空間で、クザンは人知れず戦慄した。

 

 戦慄し――馬鹿な、と心中でかぶりを振った。猛者蔓延(はびこ)る『新世界』でも上澄みに位置する豪傑たちとの戦闘経験がある自分が――あの『英雄』を師に持つ自分が、そんな弱気なことを……! いや、しかし、この存在感は……。

 

 と、そのような思考をグルグルと巡らせている内に、フレイたちのほうで変化が起きた。いまだ、状況が飲み込めないまま目を白黒させている(そりゃそうだとクザンは思った)ロビンの顔の前辺りに、フレイが手をかざした。かと思うと、そこから金色のオーラが現れ、ロビンの身体をすっぽりと球状に覆ったのだ。まるでバリアのように……。

 

「……()()()でジッとしててくれるか? そうすれば安全の筈だ」

 

 さながら、現在進行形でオハラ全体を覆っている金色のドームの超小型版といったところか。そこまで考えたところで、クザンははたと気づいた。

 

「……お前さん、『豊拳』だな? 西の海(ウエストブルー)で名を轟かせている、凄腕の賞金稼ぎ……。まあ、こうして実際に目にした身から言わせてもらうと、とんだ()()()()にも程がある、ってもんだが……」

 

 「凄腕」どころじゃないだろ、という言葉を、クザンはすんでのところで飲み込んだ。「事実」とはいえ、あまり弱気な台詞を吐くべきではないと思ったからだ。どんなきっかけで言霊が宿ってしまうのかわかったものではない――無論、今更そんな「無駄な抵抗」をしたところで、あまり意味はないだろうが。

 

 まだ拳を交えてもいないのに、いくらなんでも弱気が過ぎる。そう言われては立つ瀬がないが――クザンに言わせれば、これでもまだ()()()()ぐらいだった。中将としてのプライド、自負が、彼の客観的な洞察力を鈍らせていた。

 

 そして――そんな現在の彼でもハッキリとわかってしまう程の実力を、眼前の青年は備えていた。中将という地位に至るまでに積んだ経験が成せる技――かなりポジティブな表現をすれば、まあそんなところかもしれない。

 

 もっとも、これほどの「怪物」の前に立てば、そういった経験(もの)がない新兵はおろか、荒事とは無縁の一般人でさえ、この美しい青年の身体から発せられている、尋常ならざる気配を感じ取れたには違いないだろうが――それはともかく、

 

「…………」

 

 クザンの言葉に、青年――確か、名前はイングナル・フレイだった筈だ、とクザンは思い出した――は、しかし、何も答えなかった。ゆっくりと立ち上がりながらこちらへ身体と視線を向け、わずかに首を傾げて見せただけだ。仕方なく、クザンは言葉を続けることにした。

 

「……おれは、クザンって(モン)だ。まだ、お前さんが事情を知らないまま介入してきたって可能性がわずかに残ってるから、『中将』として警告させてもらうが……。()()は、巷の海賊がやるような破壊行為じゃなく、政府主導による海軍の作戦行動――『バスターコール』だ。……今すぐ『能力』を解除して立ち去ってくれ。その子を放っておけねえっつうんなら、まあ、それぐらいなら見逃す。さっきの『覇王色』についても不問にする。どの道、他の連中はお前さんの顔を見ちゃいねえだろうからな。……けど、()()()()()。それ以上は譲れねえ。善悪を論じるつもりはねえし、そうなったらこっちが不利だってのはわかってるが、それでもこっちにはこっちなりの――「黙れ」……っ!」

 

 らしくもなくペラペラと回る口を、クザンは言われるがままに閉ざした。そうするよう言われたから? それもあるが――青年から発せられる威圧感、目に見えない強烈なエネルギーのようなものの激しさが、間違いなく1、2段階程上がったからだ。自分の心臓がこれほどの鼓動を刻んだのはいつ振りかと、やや現実逃避気味に、クザンはそう思った。

 そんな彼に対して、フレイは、

 

「『あの人』と同じ中将だっていうなら、尚のことそれ以上はやめろ。ただただ不快なだけだ。正直、今すぐアンタを含めたこの辺りの海兵を粉微塵にして、海に撒き散らしてやりたいぐらいの気持ちではいるんだが――16年前の事件で、おれは、海軍(アンタら)にどデカい恩がある。まあ、正直、あの時の『あの人』の行動が、海軍の作戦とは一切合財関係がない、単なる気まぐれだってことはわかってるんだが……。それでも、だ。……なあ? それでも――」

 

 直後だった。フレイの姿が何の前触れもなく唐突に消えた。それを受けてハッとしたクザンが即座に意識を研ぎ澄ませるが――すべてが遅過ぎたと、彼は殆ど同時に悟った。フレイの姿は、いつの間にかクザンの懐にあった――半身で足を肩幅に広げながらわずかに腰を落とし、右の人差し指「だけ」をクザンの胸にトン、と軽く当てた状態で。

 

 この構え……何かに似ているような? スローモーションになった意識の中でそんなことをボンヤリと考えている内に、フレイは続けて、

 

「――折角生きて帰れるようなチャンスを、わざわざ自分からフイにすることはないだろ?」

「――っ!」

 

 逃げなければ! そう思った。即座にそう思ったのだが――先程も言ったように、遅過ぎたのだ。全てが。

 要するに、

 

()()()――『六王銃(ロクオウガン)』」

「がっ……!?」

 

 たかが指一本――でありながら、そこから生じるは、やはりクザンにとっては随分と久しい、筆舌に尽くし難い程の「衝撃」。先ほどまで覚えていた精神的なものではなく、純然たる、身体へと響く物理的な現象。埒外の痛みが、1本の指を当てられた胸部から、彼の全身へと駆け巡って――弾けた。

 

(『六式』の奥義……! 馬鹿な、()()()()、だと……!?)

 

 戦慄しつつ――圧倒的な物理的法則に抗えぬまま、彼の身体は蹴り抜かれたサッカーボールのように、岸の向こう、海の上まで飛んで行って――マズイ――痛みで途切れそうになる意識を渾身の精神力で繋ぎとめながら、クザンは焦燥した。『能力者』である自分がこのまま海に落ちたら――そこまで考えた時には、既に対応を始めていた。この辺りの判断、行動の速さは、流石「中将」と言うべきか。

 

「――『氷河時代(アイスエイジ)』!!」

 

 海面に向けたクザンの両掌から青白い悪魔的冷気(ヒエヒエ)のエネルギーが飛び出し、海面に接触。瞬く間に広範囲のそれを凍りつかせることで、着水からのリタイアを防いだ。

 

 彼は『ヒエヒエの実』を食べた「氷結人間」。瞬間的な破壊力や制圧力といった点では、他ふたりの大将候補である、サカズキやボルサリーノの「能力」にはどうしても遅れをとってしまうが、「能力者」共通の弱点である海への対応が容易であることが、クザンが持つ優位性のひとつだった。単に、着水する前に凍らせてしまえばいいのだから――無論、そういった判断ができるように、何とか意識を繋ぎとめた彼の心身の強さも評価すべきだろうが。

 

 自らが作り出した氷床にしたたかに叩きつけられ、それでも勢いは収まらず、何度かバウンドしながら、最終的には20メートル近くも吹き飛ばされて――ガハァッ! と肺の中の空気を吐き出しつつも、なんとか体勢を整えようとするクザン。

 

(自然系(ロギア)のおれにも、攻撃が通る、か……! まあ、当然だな……! さっきの『覇王色』からもわかる……! 当然のように、『覇気使い』だ……!)

 

 唇の端からひと筋の鮮血を滴らせながらも、彼が何とかヨロヨロと立ち上がった頃には、グニャリとした視線の先にあるフレイとロビンの姿はかなり小さくなっていて――たった一撃でそれ程の距離まで吹き飛ばされ、更には視界が歪む程のダメージを負わされたという事実に、クザンは改めて戦慄した。戦慄し――そんな彼に向けて、フレイは、

 

「へえ……今のを受けて、意識を保ってられるのか。思ったより優秀だな」

 

 本気で感心してるような声だった。それがまたクザンにとっては(しゃく)ではあったが、彼我(ひが)の実力差については認めざるを得なかった――目前の青年の実力が、海軍本部の「主力」とも言える、「中将」の肩書きを持つ自分を子供扱いできる――()()()になれば、いつでも息の根を止められる程の実力者である、と。

 とはいえ――

 

「こちとら……『燃え上がる正義』が、モットーなんでね……」

 

 クザンが言った。(おか)にいるフレイは特に追撃の為に向かってこようとすることもなく、悠然と佇んでいたが、クザンにはそれが、まるで、このまま逃げるなら見逃してやる、と最後の恩情をかけられているように見えて――しかし、彼はそうしなかった。こんな自分でもやはり中将なのだ、と。その肩書きを持つに至るまでの努力と経験が、普段のクザンには似つかわしくない、気骨に満ちた表情を浮かばせるに至っていた。

 

「ここまでされちゃ、反撃しない訳にもいかないじゃない……! 『アイス(ブロック)』――」

「……っ! 『実り豊かな君(フレイ・イン・フロージ)』+『嵐脚(ランキャク)凱鳥(ガイチョウ)』――」

 

 滅多に見せることのない「本気」の視線を向けながら、身体の前で両手を交差させるクザンと、それを察して、黄金のオーラを纏った右足を振りかぶるフレイ。そして、

 

 

「――『両棘矛(バルチザン)』!!」

「――『黄金怪鳥(ヴィゾフニル)』!!」

 

 

 大将昇進を確実視されている有望な中将と、『億越え』の賞金首も歯牙にかけない、埒外の怪物。

 それぞれが撃ち出した複数の氷の矛と、巨大な鳥の形をした黄金のオーラを纏った斬撃が、互いの中間地点で衝突。

 それによって凄まじい衝撃波と衝撃音が発生し――それを本格的な開戦の合図として、ふたりの「怪物」は、それまでとは比較にならない、苛烈極まる戦いを開始させた。




 『六王銃(ロクオウガン)』は本来、食らった相手が吹っ飛ぶような技ではないのですが、有名な中将としてクザンの外見(と能力者であること)を知っていたフレイ君が、海に落とすことを主目的にした為、あえて吹っ飛ぶような衝撃の指向性を持たせた、という背景があります。まあ、こんな細かい部分ぶっちゃけどうでもいいという読者が大半だと思いますが(苦笑)。
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