「糞食らえだ」
そう言いながら自分のしたためた57000文字を消していく。
消えていく文字列が、男の網膜に焼き付き、心の内側を腐らせて行くような、薄ら寒い感覚があった。
男が35時間書いて仕上げたソレは、ものの数分で白紙に変わる。
いいようもない、虚脱感を感じつつ電源を落とせば、ディスプレイに冴えない男の顔が浮かんだ。
キーボード横に積まれたエナジードリンクは、既に30本を有に超え、鼻につく厭な匂いを発し始めていた。
男は何本かの缶を揺すり、まだ中身の入っていた何日前に空けたかも解らぬそれを呷る。
甘い、炭酸の抜けた泥の味がした。
視線を向けると、デジタル時計が04:11の文字を刻んでいる。
今から寝れば睡眠時間は2時間と30分。
ギリギリ仕事には間に合うが、睡眠時間は全く足りていない。
それでも、ベッドに倒れ目を瞑るよう努めた。
男の仕事はルート配送。
顧客の家を巡り、小さな部品の入った荷物を届ける。
普通自動車免許さえあれば誰でも出来る仕事で、少なくとも彼にとってやりがいを感じるものではなかった。
だからか……仕事に集中できず、5年目を迎える今でさえ微々たる昇給すらない。
存外、上司は男の仕事ぶりをよく見ていたのである。
先程口にしたカフェインのせいか、それとも数日前に医者から診断された病の影響か、心臓が跳ねるようで、全く眠さを感じない。不安だけが脳に溢れ、途端に強い吐き気を覚えた。
なにかしなければならない。
漠然とした焦燥感にかられ、男はまたパソコンに向き直る。
ディスプレイに浮かぶ男は、泣きそうな表情でパソコンの電源を入れた。
わかっている。
こんなことしている暇があるなら寝たほうがいい。
たとえ自分に才能がなくても、今の状態で書くより、寝てリフレッシュして、一度執筆から離れたほうがよい。その方がマシなものが書ける……筈だ。
男は慣れた手付きで、もう何千回も何万回も行っているコマンドを入力し、白紙のテキストファイルを開いた。
そして、恐ろしく早いタイプ速度で文字を刻み込んでいく。
今回は、あれを使おう。
まえにボツにしたあれはどうだ?
この前の受けなかったヤツを使い回すか。
脳内で物語の構成を考え、出力していく。
アイデアを練り上げ、1つのストーリーを紡ぐ。
それは、この男にとって唯一誇れる……
「……君は、何が書きたいの?」
「この物語の意味は何?」
男の手が止まる。
昔、共同創作者に言われた言葉が、胸の奥に深く刺さった。
マウスカーソルを動かしSNSを開く。
自分のペンネームで検索をかけると、もう数ヶ月前にあげた作品の評価しか表示されていない。
何度も見たそれを、男は再度読み直す。
作品に対するモチベーションを取り戻すための時間。
指は重く、思考は鈍い、そしてなにより心が軋む。
しかし、男は言い聞かせる、俺にはこれしかない。
下らない自己暗示、下らない、ああ下だらない。
だが、こんな自慰行為でもしないよりはマシだ。
開き治ってテキストへ向う…
ソコには無数の意味不明な文字列が羅列され、淡く輝きを放っていた。
目を擦るが、見間違えではない……ならば、夢か幻覚か?
とにかく、こんなもの早く消さなくては。
バックスペースキーを長押しにする。
そして、ボトリとナニカ奇妙な音が響く。
視線を向ければ、男の右腕が落ち、キーボードを長押しにし続けていた。
「……はぁ???!?」
間抜けな声が出るが、男の身体は消える文字列と同じ速度で消失していく。
男は鈍い頭でやっとこさ恐怖を覚え、自身から離脱した腕に左手を伸ばす、しかしその両の手にはもう指はなく、上手く掴めない。
「ちょ、まっ…」
なんとも間抜けな言葉が響き、たった数分で男の身体は、消えて無くなった。
男の消えた部屋に、白紙のテキストが表示されたパソコンだけが残された。
カーソルがひとりでに動き文字を刻む。
『ようこそ消えるべき世界へ』
タグは後で直します。