フェイクラバーズ 作:かえで
——7の月
「何の実験をしてるのかわかれば、多少流れも変わるか……」
長い報告書を読み終えて、書類を机に置いてから腕を組む。
「……けど、すげえな。こんなの全部暗記出来るって大したもんだぜ」
エッジはゲッコウの暗記能力を褒めてあげた。
ゲッコウはカルミネの施設内で、偶然『調剤配合一覧表』なるものを目撃した。
薬品の研究をしているのかもしれない。そう思って、内容を全て暗記して、エブラーナ城に帰還した。
その後、本人が記憶を辿って内容を書き写したのだ。
「盗むとなると、後が厄介ですので」
「何はともあれ、長い間ご苦労だった。後でこいつ、化学班に回しといてくれ」
報告書の中で、調剤配合一覧表の複製だけ抜いてゲッコウに返した。
努力の結晶とも言うべき書類を、これから科学班が分析してくれるだろう。
エッジには、意味不明な文字の羅列にしか見えないけれど。
「……あ、ありがたきお言葉……ううっ」
約10ヶ月ぶりに、城に戻ってこれた喜びからか。
それとも、この偉大なる上司からのお褒めの言葉に感動したのか。
大の男が人目をはばかることなく、むせび泣いている。
(涙腺ゆるい奴ばっか……いや、そうでもねえか)
エッジは、ゲッコウの隣で一切表情を変えない女性に視線を移した。
「イザヨイ、こっからはおまえの番な。期間」
「——1年でも2年でも何なりとお申し付けを」
「半年でいい。『変化の術』は応用や機転が利くし、長期潜入する必要はねえ」
「しかし……」
「命令だ。それまでに何か重大なことがわかったらすぐ戻ってこい」
「かしこまりました。明日にでもカルミネに向かいます」
「頼む。そんで、ゲッコウ」
「はっ」
「おまえは明日から1週間休暇。終わったら、しばらく城ん中で仕事な」
「どういうことですか?」
ゲッコウが怪訝そうな顔を見せた。
(こいつは外の任務が多いから、まあ不思議に思うよな)
護衛や門番、新人の指導はおろか。事務方をはじめ内勤部署の手伝い……。
ゲッコウはそこそこ賢いので、城の中で出来る仕事はたくさんある。
「どうもこうもねえよ。中の仕事と同時並行でやってもらいてえことがあってな。——ほれ」
引き出しから取り出した小冊子をゲッコウの前に突きつけてやる。
それを受け取った彼の表情が、みるみるうちに複雑なものに変わっていく。
「『エブラーナ人口政策総合案内』……??」
「ちょっとぐらい察しろ。城で仕事してる間に手当たり次第、女にアタックしろって言ってんだ」
「はい!? 今、なんと……!?」
「だーかーらー。早く結婚して子供作れって言ってんだよ」
「そっ、それでしたら、お館様が民の模範となるよう、まず先陣を切ってリディ」
「——なんだとぉ!?」
エッジはゲッコウをぎろりとにらみつけた。
一番触れられたくない話題を、なぜ周りはこうも軽々しく口にするのか。
「他人の心配する前に、まずてめえの心配しろ!」
「っ!」
「このオレがラストチャンスやるって言ってんだ! これ逃したらおまえは童貞独身のまま死んでくんだぞ!? いいのか!?」
「いや、あの……」
「ああ、嫁さん見つけるだけじゃなくて、子どもも作らねえとだめだぞ? おまえがいない間に、エブラーナの出生率がほんの少し上がってな。文句あるなら、もう一度カルミネに……」
身を乗り出してまで、これでもかとゲッコウにまくしたてる。
上司に圧倒されたのか、ゲッコウが冷や汗をたらたら流し始めた。
そんな上司と大の男を見ながら、イザヨイが失笑に付している。
「……な、内勤で……お願いいたします」
「よし。オレからは以上だ。明日からそれぞれ頼むぞ」
小冊子を片手に、とぼとぼと扉に向かうゲッコウの肩を、後ろからイザヨイが叩いている。
仲間思いはいいことだ。
エッジはそう思いながら、執務室を後にするふたりを微笑ましく見送った。
引き出しを開ければ、そこには全て同じ青色の図柄が描かれた、お札が多数入っている。
その紙切れをまとめてつかむと、ぶんと宙に飛ばした。
8枚のお札は、ほぼ同時に天井と床のそれぞれ四隅にぺたぺたっと貼りついた。
ぴきぴきと水面が急速に凍結するような音が室内に響く。
それが鳴り止めば、結界の完成である。
外から侵入不可能かつ執務室にいるエッジの存在は全く感知されない。
(何が『先陣を切って』だ! 余計なお世話だ!!)
やりたい放題の空間が完成すると、先ほど部下の言葉を思い出して、ちっと舌を打つ。
ゲッコウも大概空気が読めない男である。
この1年半の間、世間と離れていたから余計かもしれないが。
王妃を娶り、世継ぎをもうけてエブラーナ王家の繁栄に貢献する。
それはわかっているが、王妃を娶るならリディアじゃないと嫌だ、絶対に。
—— —— ——
王家の繁栄より自身の恋愛を優先して、現実逃避を続けている。
そんな自覚は大いにあるが、エッジは今の環境を捨てる気はない。
リディアとの関係は、相変わらず平行線を辿っているが、この1、2年で変化があった。
なんと、月に3、4回程度だが、自宅でリディアの手料理をいただくようになった。通い妻ならぬ通い夫状態である。
実際ミストの住民から、『リディアのヒモ』とよく声をかけられる。
リディアも料理中は文句をこぼすが、食事中はまんざらでもなさそう。
人生は一度きりしかない。この際だから、味わえる内に徹底的に味わってやろう。
エッジはそんな精神を掲げて、国政の合間にリディアと過ごす日々を満喫していた。
—— —— ——
最後にミストを訪れたのは、1週間前。
いい加減、脱走してもいいだろう。そういう訳で、今のうちに。
「もっかい読み直しとくか」
椅子に深く寄りかかって、机の上に組んだ両足を乗せてから。
ゲッコウから提出された分厚い報告書を手に取った。
王族らしからぬ姿勢だが、この姿勢の方が集中出来て効率がいい。
***
約2年前、宝探しの最中に、リディアが若き日のザンゲツの日記を偶然発見した。
エッジはそれをきっかけに、カルミネの調査をザンゲツに命じた。
しかし、成果を上げられぬまま、ザンゲツは半年後にエブラーナ城に帰還した。
次にカルミネに向かったのが、先ほどのゲッコウという男性である。
当初はザンゲツと同じく施設の周辺を探っていたが、収穫が得られない。
このままでは、ラチがあかぬと思ったのだろう。
ゲッコウは一度城に戻ってきて、エッジにこう宣言した。
「傭兵見習いに扮して、施設内部に潜入します」
ゲッコウは再度カルミネへ。そして、約10ヶ月後の昨日、城に帰ってきた。
施設内で傭兵訓練所を確認出来たこと。そこで細々と傭兵を育成していること。
訓練所の地下で、何かは不明だが薬品研究や人体実験を行っていること。
そして、あのルゲイエが、過去にカルミネに在籍していたこと。
以上が、ゲッコウが集めてきた情報の全てである。
涙ぐましい努力のおかげで、実態が少しだけ垣間見えてきた。
部下による潜入調査と並行して、エッジもやれることはやっていた。
時間の合間に、城に現存している資料や文献を漁った。
過去にカルミネと接触歴がなかったか、諸外国に問い合わせた。
しかし、カルミネの真の狙いは、はっきりしなかった。
***
『施設の地下にいる者の大半は、何やら暗示を掛けられているように見受けられました。目がうつろで話し方も単調かつ機械的。人間らしさと言うものが、ほとんど感じられませんで……』
(まさか、洗脳……?)
ゲッコウからのある報告を思い出して、ひとつの仮定が浮かび上がる。
もし、それが正しければ、こうしてのんびり構えていられない。
エブラーナの民にまで、それが及んだら……。
「ったく……! オレが狙いならとっとと襲ってきやがれっ!!」
(返り討ちにしてやるのに!)
仮定を打ち消すかのように、報告書をばさりと机の上に叩きつけるように置いた。
これが子どもの秘密基地の取り合いなら、真っ先に相手の基地に飛び込んでやるのに。
そのついでに、ぎったぎたのめっためたに基地を叩き潰してやるのに。
しかし、これは遊びではない。正当な理由や揺るがぬ証拠が見つからない限り、これ以上は表立って動けない。
「……よしっ、在庫作るか」
ひとつ息をついて、思考を切り替えると、別の引き出しを開ける。
今日は仕事が早く終わった。
時間があるうちに、結界を張るために必要なお札のストックを作ることにした。
引き出しの中から、真っ白な紙束と矢立を取り出して、机の上に置く。
エッジが国王に即位してから、5年近くが過ぎた。
順調に進めば、あと1年ほどでエブラーナは復興を完了する。
これもひとえに部下や民が協力してくれたおかげである。
ひゅーー……どーん!!
作業の準備中に、大きな破裂音が聞こえてきた。
後ろを振り返ってみれば、窓の向こうには大輪の菊の花。
紅、青、白、緑など、先端が色とりどりに光って、夜空に広がっていく。
「おっ、すっかり忘れてたぜ」
今日は、年に一度の納涼花火の日だった。
景気がいいからと早いうちから再開して、今年で3年目になる。
これは作業のお供にもってこい。
すぐに見られるように、椅子を対面側に移動させて腰を下ろした。
(どうせすぐ切らしちまう、200枚くらい作っとくか)
いよいよ作業開始である。
青い墨汁が入っている矢立の筆を取って、無地のお札に図柄をさらさら描いていく。
「……ったく、こいつのどこが秘伝なんだよ……」
そうぼやきながらも、筆の進みが止まることはない。
術者の血を混ぜて作られた硯に、水と術者の血を2、3滴入れてから青墨をする。
その墨汁でお札を作らないと結界が張れない。
面倒くさいが、エブラーナ秘伝忍術書にそう書いてあったのだから、そうするしかない。
—— —— ——
エブラーナ秘伝忍術書は、初代国王が死の直前に遺したと言われている。
その書は国王のみ閲覧が許されている。
当然のことながら、エッジが即位すると、すぐに許可が降りた。
わくわくしながら書を開いたことは、記憶にまだ新しい。
ところが、記載されていた術は、全て地味な補助系であった。
エッジ好みの術——攻撃系がひとつもなく、どれだけがっかりしたか。
おまけに、術の発動までに何かと準備せねばならない。
更には、人生でたった3回しか使えない術まで……。
—— —— ——
結界を張りたければ、手間暇かけて札を作り続けるしかない。
そんな作業を自らに課してでも、エッジが結界を張りたい理由は大いにある。
……自分ひとりだけの時間と空間が欲しくてたまらない。
***
ここ1、2年の間で、エブラーナは政策や復興が進んで少し人口が増えた。
使用人も増えて、城内は以前のような活気を取り戻しつつある。
1年ほど前のある日、エッジはじいたち使用人からこんな要求をされた。
「いくら若様がお強いと言えど、やはり国王には護衛が必要だと思われます」
将来、国王に即位する者がみんな強いと限らない。
彼らの言い分は間違っておらず、将来のことを考えてエッジは渋々受け入れた。
それ以降、エブラーナ城内限定でエッジに護衛がつくようになった。
護衛は24時間365日、交代制である。
彼らは、お館様のやることなすことを天井裏や壁の隙間から黙って見守る。
人によっては、隠密——『隠れみの術』を使っている。
しかも、就寝や入浴中も監視の目が光る。自慰なんてとんでもない。
プライバシーが晒される日々に耐えきれず、エッジも『隠れみの術』の修行を始めた。
それと同時に、結界を張れる術が秘伝忍術書に載っていたことを思い出した。
それ以降、結界術で必要になるお札のストック作りに勤しむようになった。
見えない護衛がついたことによる弊害は、もうひとつある。
……リディアがエブラーナ城に遊びにきてくれなくなった。
「働く人も増えたし、天井に護衛さんがいると思うと……落ち着かないの」
本人に理由をたずねてみれば、遠慮がちにそうこぼしてくれた。
リディアは、人混みが苦手かつ庶民感覚の持ち主である。
こうなってしまえば、城を敬遠するだろうことは予想していた。
代わりに、エッジがミストに通う回数を増やした。
結果、リディアの自宅で夕食を共にする、通い夫状態になることが出来た。
例えミストの住民からヒモと揶揄されようが、得られたものはとっても大きい。
***
作業の合間に、夜空に舞う花を見て……を繰り返していたら。
1時間ほどで目標の8割方、お札を作り終えた。
(言ってるうちにそろそろだな)
休憩に入るため、椅子に深く寄り掛かる。
窓の向こう側刹那に光る花を眺めながら、来月のとある行事に思いを馳せる。
***
——2週間ほど前
その日もエッジは、ミストにいるリディアのところに遊びに行った。
夕方、一緒に晩ごはんを食べていたら。リディアがこんな話をしてくれた。
「8の月にね。花火大会をやるって決まったの」
「へえ、オレも見にきていいよな?」
リディアに誘われる前に、エッジは参加宣言した。
デートが疑似体験出来る、とっても貴重なイベントを逃してどうする。
「あははっ、やっぱり言うと思ったぁ……!」
(こいつ、息抜きしたいからオレが花火見にくるって思ってんな)
リディアがからから笑ってくれたことで、エッジの参加も許された。
「どんなことやるんだ?」
「おもちゃ花火で遊んで、最後にアイス食べるの」
「……そんだけ??」
「そうだよ? 生まれて初めてのお祭りだから、気合い入れないって方針なの」
「……は? 生まれて初めて??」
「うん。ミストは今までお祭りがなかったから」
(なんだよそれ……)
この発言を聞いて、エッジはとても驚いた。
それから話を聞いてみたら、幻獣界にも祭りはなかったという。
***
7歳で幻獣界へ。そこで10年近く修行漬けの日々。
遊びや娯楽の経験が足りないまま大人になり、ミストに帰郷した。
そんなリディアを少し不憫に思っていると、とってもいいことを思いついた。
「おもちゃ花火で遊ぶだけじゃつまんねえよなぁ……!」
やんちゃな笑みを浮かべてそうつぶやいた。
元来エッジはおせっかい。
特に好きな女に関わることなら誰にも負けないぐらい、世話焼き。
若い頃に培ったスキルを活かし、来月の某村の花火大会に花を添えることにしたのであった。
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