※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

100 / 160
ユラユラ・2

 

 

——それから10分後

 

 

 片付けと日誌付けを終えて、リディアは控室を後にした。

 公民館の出入り口を出てすぐ、左側をちらりと見ると。

 ツクヨミが腕を組みながら壁にもたれて、リディアを待ってくれていた。

 

「おまたせ」

『……早かったですね』

「エライアがほとんど片付けてくれてたから」

『では、参りましょう。——ライザさんのお宅でよろしいですね』

「うん」

 

 ライザの自宅に向かって、ツクヨミと横並びで歩き始める。

 

『どうされました?』

「……ベスたちに、なんか悪いことしちゃったなぁと思って」

 

 リディアは小さく肩を落としてそう答えた。

 

 ベスとユノは、ほぼ毎日リディアと一緒に自宅に帰っている。

 いつもなら、ここで待っていてくれているし。今日もそのはずだった。

 

『何をおっしゃっているのですか。そのベスさんが、僕たちに気を利かせて下さったのですよ?』

「はい……」

『何かお礼をしなければなりませんね』

「クリスマスに、お菓子たくさん贈ってあげなきゃね」

 

 子どもにまで気を使われていることに、苦笑いを浮かべるしかない。

 

 本日ツクヨミは、不意打ちミスト訪問。

 これからライザの自宅にリディアを送ったら、エブラーナに帰るという。

 ベスはそれを聞いて、ユノを連れて先にライザの自宅へ帰ってくれたのだ。

 

『本日は何をお作りに?』

「ホワイトシチューだよ」

『美味しそうですね……』

「春が来るまでに、作ってあげるね」

『はい。楽しみにしております』

 

 ライザがお仕事の日は、リディアもちょっぴり慌ただしい。

 

 授業が終わったら、ベスたちと一緒にライザの自宅に帰る。

 夕食の支度をして、ライザがお仕事から帰ってきたら。

 一緒に夕食をいただき、片付けをしてから自宅に帰っている。

 

 ライザが、材料とレシピを事前に準備してくれているし。

 ベスがごはん作りを毎回手伝ってくれるから、ちっとも苦ではない。

 

『しかしながら。あれだけ大声を上げたリディアさまを、僕は初めて拝見いたしましたよ』

「……叫ばないと、やってられないもん」

『大声を上げるとストレス発散出来ますから、別に構わないでしょう』

 

 悪ガキたちの相手も、そこそこ骨が折れるのに。

 そこにパロムが乱入したら、悪ガキがもうひとり増えたようなものだ。

 ツクヨミが来ていなかったら、怒声の連続でもっと疲れていただろう。

 

「授業の終わりでよかったよ。もっとめちゃくちゃになってたかも」

『屋外授業のデメリットは部外者の乱入ですね』

「でも、召喚は外じゃないと無理だから……」

『公民館が壊れてしまいますか』

「タイタンやバハムートなら全壊しちゃう」

 

 幻獣の多くは、身体がとても大きい。

 そのため、幻獣を召喚する際は必ず屋外でと決められている。

 

『あぁ、リディアさまに改めて、お伝えしておかなければ……』

「はぇ?」

『僕は、お館様だけでなく、あなたに近付く男を全て排除したいですよ……!』

「!」

 

 冷たくおぞましい声で、ツクヨミに耳元でささやかれて。

 背筋にぞくぞく冷気を感じていたら、頭に素朴な疑問がふと浮かんだ。

 

「それじゃあ、ここの男の人もみんなアウトになるよ……?」

『ミストの方はよいのです』

「どうして?」

『奥様やお付き合いされている方ばかりです。何よりみなさまを信頼しておりますので』

「例外もいるでしょ?」

『はい。ひとりだけ』

「ふふっ……! その人は、単に嫌なだけでしょ」

『そうとも言います』

「あははっ!」

『もっとも、ここ数年はほとんど顔を合わせておりませんから至って平和です』

「ひどいなあ、ツクヨミさん……!」

 

 ツクヨミの指す人物が誰なのか。すぐ察してしまい、天を見上げて笑った。

 

(おじちゃん、大分嫌われてるなあ……)

 これまでツクヨミは、ミゼルに散々振り回されてきたため。

 嫉妬ではなく、苦手な人物の枠に入ってもおかしくはない。

 

「……あの」

『何でしょうか』

「もしかして、パロムにも嫉妬してるの?」

『もちろんです』

「!?」

 

 笑いがおさまり、ツクヨミに気になることをたずねてみたら。

 しれっとしたような声で答えが返ってきて、ぎょっとする。

 

「あ、あの子まだ17! 未成年だよ!?」

『それがどうかしたのですか』

「……わたしの友だちだろうが、年下だろうが、ツクヨミさんは容赦しないんだね」

『恋人が他の男性と話しているのですよ? 平穏でいられるとお思いですか?』

 

 熱がこもった声で話すツクヨミに、及び腰になってしまう。

 

(やきもちを焼いたことは、一応あるし……)

 みにくい嫉妬をやめろとまでは思わないし、言わないが。

 嫉妬対象はミストの住民以外の全ての男性。それも、老若問わず。

 さすがにこれは異常だ。

 

「……わたしが、ベスたちと年が近い男の子によろめくように見える??」

『年下彼氏や姉さん女房という言葉もございますからね。可能性はゼロではございません』

「まあ、絶対は絶対にないけど……」

『あの若者がリディアさまに迷惑を掛けていなければ、背後から殺気を飛ばすつもりでおりました』

「ええ……?」

 

 ツクヨミの告白にドン引きして、思わず声を上げてしまった。

 

(どれだけパロムに嫉妬しているの……!?)

 謎の転倒などと見せかけて、相手を気絶させる。それが、ツクヨミの嫉妬通常レベル。

 先ほどの晒し上げ吊し上げのような対応は、最大級だったということになる。

 

『それにですね……』

「はい?」

『10年と強調されて、腹立たしさを覚えました』

 

(『エッジ』は、パロムより先だったじゃない。気にしなくてもいいのに……)

 どうも『エッジ』は、ツクヨミを演じている時ですら。

 他の男性に対し、マウントを取りたくて仕方がないように見える。

 

「あの子とは、2年ぶりに会ったんだよ」

『それでしたら、リディアさまの体感的には、つい先日会ったばかりですね』

「でも、しょっちゅう会ってる訳でもないし……次会うのも……いつかわかんないし……」

 

 リディアはしどろもどろになりながら、ツクヨミへ弁解する。

 

(あたしは『あなた』のことが好きなの! 仲間以上に特別な存在なんだから!)

 今ここで、そう言ってあげたいのに、言えない。それが、とてももどかしい。

 

「ラムウに拒否されちゃったから、ミストにはもう来な」

『——もうよろしいです』

「はい?」

『リディアさまが、僕をかばってくれたことで大分溜飲が下がりましたから』

「そ、そう……じゃあ、これからは男の人に……気を付けるよ……」

『ええ。ぜひそうして下さいね』

 

 リディアは小さな声でぽつぽつと返事をして。この件に関する話題を打ち切った。

 

 外に出る時は、ローブを羽織るし。

 リディアの恋愛模様に首を突っ込み、ミストに襲来する知り合いなど、パロムぐらいしかいないし。

 これ以上、もめごとは起こらないだろう。

 

§

 

 それからしばらくの間。リディアとツクヨミは黙って歩き続けた。

 

 パロムのことをまだ引きずっているのだろう。

 本日のツクヨミは、普段以上に無口。しかも、足早に先を歩く。

 リディアは、隣を歩くツクヨミと歩調を合わせるのに必死である。

 

(いつもはあたしのスピードに合わせてくれるのに……)

 心の中でそんな不満をごちながら。ツクヨミに視線を移すと、野ざらし状態の左手が見えた。

 

「……ねえ、ツクヨミさん」

『はい?』

「右手、まだ治らないの?」

『……深くてなかなか癒えないのです』

 

 ツクヨミが、左手で右手を隠すように胸元にやってから。

 申し訳なさそうな声で答えながら、やっと歩く速度を落としてくれた。

 

「その手袋、わたしが幻獣界から帰ってこなくなってからつけてるって、アリサたち言ってたよ?」

 

 リディアを幻獣界に迎えに来てくれてから、ツクヨミはいつも指ぬき手袋をしている。

 ……それも、右手だけ。

 

(あたしが幽閉される前は、そんなものつけてなかったのに)

 当時ツクヨミ本人は、怪我をしたと話していたが。

 どうも気になって、先週アリサやジャンヌにたずねてみたら。

 幽閉直後から右手に手袋をはめている。ふたりともそう話していた。

 

『……ええ。ささやかなおしゃれとしてつけていたのです』

「あ、そうなんだ」

『リディアさまにお話しましたが、先日怪我をして外せなくなってしまいまして』

 

 少し間を置いてから、ツクヨミがそう答えてくれた。

 

(本当に怪我なの? 何か他に事情があるんじゃないの?)

 納得したような素振りを見せたが、彼の正体を知るだけに怪しんでしまう。

 

「お仕事してたら、治るものも治らないと思うよ」

『ですから、左手を使うようにしております』

「両利きなんだ」

『はい。こういう時は便利です。しかしながら、リディアさまにはご迷惑をおかけしておりますね』

「どうして?」

『これが治らない限り、お皿洗いが出来ません。果物も切ってさしあげられませんから』

「……!」

 

 カウンターを食らい押し黙るリディアを、ツクヨミがくすくす笑ってくる。

 

 ツクヨミの右手限定指ぬき手袋は、リディアにささやかな実害をもたらしている。

 水仕事が出来ない以上。お皿ふきや食器収納しかお手伝いしてもらえない。

 

「あ……」

 

 何とも言いようのない空気が漂う中。ふと視界の先に人影が見えた。

 女性がふたり、こちらに背を向けた状態で顔を突き合わせている。

 誰と誰なのかは、すぐにわかった。……北に住む主婦ふたり組だ。

 

 このふたりは、リディアがミストに戻ってくる直前。

 新聞の心ない記事を利用して、リディアの悪口を言いふらしていた。

 ミストのみんなから、そう聞いている。

 

『どうされたのですか』

「なんでもないよ。早く行こう」

『はい……』

 

 横道に入って、遠回りするのもばかばかしい。

 そもそも、ここは一本道。先へ進まないと、ライザの自宅に辿り着けない。

 

「こんにちは」

『……こんにちは』

「!?」

「っ……!」

 

 主婦たちが、通りすがりにリディアに挨拶されてこちらを振り返る。

 その途端、ふたりの表情が一変した。

 

(え、何??)

 まるで化け物を見るようなそれに、リディアは思わず立ち止まってしまった。

 

「い、行きましょ」

「ええ……」

 

 主婦ふたりがそう言い合いながら、背を向けてから。

 挨拶もなしに、そそくさと足早に去っていく。

 

(挨拶ぐらい出来ないのかな?)

 ふたりが消えるのを見届けてから。小さく息をつきながら、また歩き始めた。

 ツクヨミもそれに追随した。ところが、リディアをすぐに抜かして、先をぐんぐん進む。

 

「ちょっと、ツクヨミさん」

『……』

 

 リディアが呼びかけても、ツクヨミの歩くスピードは変わらない。

 このまま離れてしまいそうで慌てて後を追う。

 

「ねえ、待ってったら」

 

 もう一度呼びかけたら、ツクヨミが止まってくれた。

 しかし、こちらを振り向いてくれないし、背後からただならぬ気配を感じる。

 

『……なぜ、怒らないのですか』

「いいの、怒らなくて」

『あなたが何をおっしゃっているのかわかりません』

 

 ツクヨミが物々しい声で、前を向いたままそう言った。

 先ほどのふたりの態度におかんむりなようだ。

 

(あの人たち……もしかしてツクヨミさんに怯えていたの!?)

 主婦ふたりが見せたさっきの表情を、リディアは一度も見たことがなかった。

 リディアがミストにいない間に、殺気を軽く飛ばされたか。何か報復されたのか。理由はわからないけれど。

 あのふたりは、ツクヨミに恐れおののいていたのしれない。

 

「ちょっと待って!」

 

 このままだと、ツクヨミがふたりの後を追いかけて気絶攻撃しかねない。

 リディアは慌てて駆け寄り、背後からツクヨミのコートをつかんだ。

 

『リディアさまも大概甘い方ですね』

「知ってる!」

 

 主婦たちだけではない。そのふたりに怒ろうとしないリディアにも不満なようだ。

 

『なぜあんな態度を取られて気分を害さないのですか。おかしいですよ……!』

「わかった! わかったから、落ち着いてったらっ!」

『……』

 

(あれでも、ましになったんだよ)

 暴れ馬をなだめるかのごとく。ツクヨミに声をかけながら、何度も身体を軽く揺さぶると。

 言葉の代わりに、大きなため息をついてくれた。

 

「あの人たち、アリサに釘刺されてからああやって逃げちゃうの」

『……そうなのですか?』

「そうなの」

 

 —— —— ——

 ミストに戻ってきたばかりの頃。さっきのふたりと鉢合わせしたことがあった。

 

『あら、裏切ったんじゃなかったの』

『戻ってこなくてよかったのに』

『不老不死のチャンスを逃すなんて、もったいないこと』

 

 嫌みったらしくいろいろ言われた。

 しかし、ふたりの敗因は、リディアの隣にアリサがいたこと。

 

『ねたみ、ひがみ、そねみ。全く、みにくいったらありゃしないわねー。まー、あんたたちはそれしか武器ないからしょーがないかー』

 

 アリサにこれでもかと言い返されて、心が折れたのだろう。

 それ以来、ああしてリディアを避けるようになった。

 —— —— ——

 

「わたしの記事が出回ってから、ますます肩身が狭くなったみたいだし、もうほうっておけばいいの」

『……かしこまりました。あなたがそうおっしゃるのでしたら』

「そう。相手にしないのがいちばんだよ」

 

(ああ、よかった……!)

 説得が聞いたのか。ツクヨミがもう一度大きく息をついたら。

 それまで漂わせていた怒りの気配が、ぱっと霧散したように感じた。

 

『……ずいぶん、お変わりになりましたね』

「え、何が?」

『あなたです』

「わたし??」

『あの日以来。大抵のことに動じず、どっしり構えるようになられました』

「……っ、あはは……大げさだなぁ」

 

 リディアはぷっと吹き出して、ツクヨミに笑いながらこう言った。

 

「こないだまで時間止まってたんだよ? 急には変わらないよ」

『ひとつの出来事が、変化や成長を促す起爆剤に変わることもございます』

「……!」

『あなたが変わっていくところを、そばで拝見出来て……僕は幸せです』

 

 どこか感無量といった口調で、ツクヨミが発した言葉ひとつひとつが。

 リディアの胸を喜びで覆い尽くしていく。

 

 この男は、リディアが変わるきっかけをくれた。

 今は姿を変えているけれど。変わっていくリディアをこうしてそばで見ていてくれている。

 

「ありがとう、ツクヨミさん」

 

 ツクヨミと同時に、彼の向こう側に潜む『エッジ』にも感謝の言葉を贈った。

 

『お礼など……とんでもございません』

「謙虚だね。これからもまたよろしくね」

『はい。かしこまりました』

「もう、仕事じゃないんだからぁ……!」

 

(あたしも……あなたのために何か出来ないかなあ……)

 この人は知っているだろうか? 

 姿を変えても、そばにずっといてくれて、どれだけ心強いか。

 リディアにとって『エッジ』の存在は、何物にも代えがたいものになっているか。

 

『あなたを見習って……僕も……なければ……』

「え?」

 

 喜びに浸っていたが、はっと我に返る。

 ぼそぼそつぶやいているツクヨミの声が聞こえてきたから。

 

『あの、どうかされましたか?』

「……ううん、何でもない。ここにいてもしょうがないし、行こう」

『はい、かしこまりました』

 

 肩越しから優しく声をかけられて、首を小さく横に振ってから。

 ツクヨミを促すと、ふたりでまた帰り道を歩き始めた。

 

 ところが、ライザの自宅に向かうさなか。

 リディアは胸の内で、もやもやが広がっていくのを感じていたのであった。

 

(何する気なんだろう……?)

 聞こえないふりをしたけれど。ツクヨミの独り言を聞いていた。

 何かを決意したのだろうか? 仕事のこと? それとも、エブラーナのこと?

 ……ツクヨミに聞きたくても、聞けない。

 

 

——その夜

 

 

「ユノー! ごはんだよー!」

「やったー! シチューだー!」

 

 ユノが部屋から鉄砲玉のように部屋から飛び出してきて、勢いよく席についた。

 

 机の中央に置かれた、『ガラスの黄色いばら』を囲むように。

 ライザとリディアが、4人分のシチューとパンやサラダのお皿を次々と置いていく。

 

 —— —— ——

 『ガラスの黄色いばら』は、2年前にアリサが買った小説の懸賞プレゼントだった。

 この応募券を黄ばら好きのライザに渡してあげよう。

 リディアはそう思いついて、アリサに応募券を譲ってもらった。

 

 ミストを離れてから、ライザは懸賞に応募して見事当選。

 小ぢんまりとした置物だが、ライザたち家族の心の支えになっている。

 —— —— ——

 

「いただきまーす!」

 

 全員が着席してすぐ、ユノがにんまりと笑みを浮かべながら、食事の挨拶をするやいなや。

 スプーンを手にしてシチューに手をつけ始めた。

 

「……うるさいよ」

「あっ、お姉ちゃんごめんごめん」

「ユノは、夕方からお腹空いたばっかり言ってたもんね」

「えへへ……」

 

 ベスから大声をたしなめられても、ユノはへっちゃらな顔をしている。

 

 —— —— ——

 姉のベスは繊細で大人しい女の子。以前と変わらない。

 ところが、妹のユノは違った。

 2年の間に、明るく活発で少し食いしん坊な女の子に変わっていた。

 以前は怖がりで泣き虫だったのに。当時の面影は今は見る影もない。

 —— —— ——

 

「おかあさん、おいしい?」

「ええ。とっても」

「今日は、ユノもお手伝いしてくれたんだよ」

「あら、そうなの?」

「お野菜洗ったのー」

「それで、ベスはシチューの見張り……ねっ?」

 

 ベスとユノが満足げに、うんうん首をうなずかせながらシチューをすすった。

 

「っ、ふたりとも、ありがとう……」

 

 ライザがそう言ってから、指先で目頭を押さえた。

 娘たちの日々の親孝行に感極まったのだろう。

 

 ライザは食事中に涙を見せることが多い。

 こうして娘たちが文句も言わずミストについてきてくれた。しかも、お手伝いまでしてくれるから。

 

「やだぁー! おかあさんなきそうっ!」

「……余計なこと言わない」

「本当のこと言っただけじゃない」

「……もっと静かに……ごはん食べて」

「はいはーい」

 

 ベスからまた注意されても、ユノは動じた様子を見せない。

 

「ほら、ライザも。早く食べないと冷めちゃうよ」

「え、ええ……」

 

 ライザが目を少し潤ませながら、シチューをすすった。

 

「あなたにもすごく感謝してるわ」

「それ、おとといも昨日もその前も聞いたよ……?」

「おかーさん、きにしすぎだって」

「今から帰って、お家のことするのよ? 気にするに決まってるじゃない……」

「ひとり暮らしだもん。量はしれてるよ」

「でも……」

「いいのいいの。朝休んでも、もう怒られないもん」

 

 心配そうな表情でこちらを窺うライザをよそに。リディアは気丈に振る舞った。

 

 —— —— ——

 リディアは2年前まで、『学習』の補助教師をしていた。

 しかし、ミストに戻ってきてからは、飛び入り参加のボランティアに変えてもらった。

 —— —— ——

 

 そのため、午前中は『学習』のお手伝いに入るか。

 休んで疲労回復するか。たまった家事を片付けるか……。

 リディア自身が自由に選べるようになっている。

 

 こうして人に囲まれながら、より充実した生活が送れるようになったのだから。

 ライザが気に病むことは何もない。

 

「それより、ライザはお仕事もう慣れた?」

「ええ。もう1ヶ月経ったなんて信じられないわ」

「エライアのおかげだね」

「あんないい情報教えてくれるなんて……すごく恵まれてるわ」

 

 ライザが感慨深げにそう言いながら、パンをちぎり始めた。

 

 —— —— ——

 ライザは、ミストに再び帰ってきたが、今度はひとりで娘ふたりを養わなければならない。

 畑仕事をするか。どこかで働くか、悩んでいた矢先。

 

『城下町の薬草店が、売り子さんを募集してるわよ』

 

 バロン在住のエライアから、そんなお得情報を聞いた。

 翌日、バロンのそのお店を訪れて、そのまま面接を受けた結果。

 根っからの薬草好きが決め手となり、すぐ採用が決まった。

 —— —— ——

 

 ライザは離婚が決まるまで、トロイアの町でベスたちと暮らしながら。花屋の売り子として働いていた。

 そのため、接客仕事に抵抗がなくなったと聞いている。

 

「あのね、お母さん……」

「どうしたの?」

「今日……ツクヨミさん……ミストに来てくれたよ」

「珍しいわね、突然なんて」

「仕事の帰りに……立ち寄ってくれたの」

「次は30日に、ごはん食べに来るって言ってたよ」

 

 ツクヨミはそれを伝えるためだけに、本日ミストにわざわざ立ち寄ってくれた。

 

(あたしの顔を見たくてしょうがなかったのかな……)

 伝書鳩で通信文を送ってくれたら、それで済む話なのに。

 よほど会いたかったのだろう。リディアはそう楽観的に捉えていた。

 

「ライザはその日、お仕事だよね?」

「ええ……ごめんなさい」

「それじゃあ、おねえちゃんといっしょに、明日おばちゃんちにおねがいしにいってくる」

「ありがとう。お願いね」

 

 ユノへ小さく頭を下げながらお礼を言った。

 

 ツクヨミがミストに来る日と、ライザの仕事が重なったら。

 その日は、ジャンヌがベスとユノの面倒を見ている。

 

「それでね……わたしが、シルフ召喚してたの……見てくれてたの……ほめてくれたよ」

「よかったわね。契約したら、またほめてもらえるわよ」

「うん……がんばるよ」

 

 リディアはちぎったパンを口に放り込みながら。ライザの演技力に感心してしまう。

 

(ライザも演技上手だなあ……)

 ライザもツクヨミの正体を知っている。

 それなのに、ベスたちから彼の話題が出てくる度に、素知らぬ顔で。

 ふたりの話に真剣に耳を傾けるふりをしている。

 

「でもね……」

「どうしたの?」

「ツクヨミさん。先生のお友だちに……敵意むき出しにして……すごくこわかった」

「お友だち?」

「男の人……天才黒魔導士って……自分で……言ってた」

「パロム様ね」

「おかあさん……知ってたの?」

「ええ。バロンでは有名なのよ」

 

 バロンにある白魔導士団。そして、黒魔導士団に所属する魔導士が、城下町でよく買い物をする。

 そんな彼らの会話に、パロムの名前がよく出てくるという。

 

「弟さんよりも、お姉さんの方がもっと有名だけどね」

「どうして?」

「お買い物で、よく町を歩いているの。うちのお店にもきてくれたことがあったそうよ」

「そうなんだ……! ライザがポロムとお話する日が来るかもしれないんだね」

「来てくれるといいわね。——でも、ツクヨミさんはどうして怒ったのかしら」

「……」

 

 ベスが不安そうな顔で、リディアに視線を向けてきた。

 パロムとツクヨミのぶつかり合いを話していいか、迷っているようだ。

 

「しゃべっていいよ」

 

 リディアが笑いながら、話の続きを促せば。

 ベスがパンをちぎりながら、ゆっくりとした口調でこう言った。

 

「その人が……授業中にやってきて……先生を困らせたから」

「まあ、それはよくないわね」

「あと、その人が……先生の古いお友だちだったから……」

「あー! しろぎつねさん、しっとしたんだぁ!」

「……」

 

 楽しそうな声を上げたユノに、ベスが黙ってうなずいた。

 

 仮にユノがあの場にいたら。おののくどころか、目をらんらんと輝かせながら。

 ツクヨミとパロムの対決——しゅらばを見ていたに違いない。

 

§

 

「ごちそうさま……」

「あー、おいしかったー!」

「さ。お風呂まで、好きにしてらっしゃい」

「はーいっ」

「わかった……」

「……【……」

 

 夕食を食べ終えて、ベスとユノがそれぞれの部屋に入っていく。

 それを見届けてから、リディアは魔法の詠唱を始めた。

 

(いつ誰が聞いてるかわかんないもん)

 ある出来事の反省から。ライザとふたりで話をする時だけは、『防音結界』を張るようにしていた。

 

「……】……これで、よし」

 

 ライザの肩を叩き、詠唱を終えるとふたりで台所に向かう。

 これから手分けしてお片付けするのだ。

 

「ツクヨミさんが来るの、次は30日だったわね」

「うん」

「残念ね。それが終わったら当分来なくなっちゃうじゃない」

「ほんと。来年まで先が長いよ……」

 

 12の月。『エッジ』は多忙により、ミストにやってきたことがない。

 ようして、クリスマスに来てくれるかどうか。

 

「それにしても、元気がないわね」

「……」

「ツクヨミさんに飽きたの?」

「……いじわる」

「ふふ、冗談ですよ」

 

(そんな訳ないの、知ってるくせに)

 頬をぷうと膨らませると、ライザがくすくす笑ってきた。

 

「他の人にも、嫉妬深くて引いちゃった?」

「それは別にいいの。ただ、未成年にもやきもち焼くのはどうかと思うけど」

「だったら、何か嫌なことでも言われたの?」

「それがね……今日も右手だけに手袋してたの」

「あら、まだ治ってないの?」

「傷が深いんだって。でも、本当に怪我なのかなあ……?」

 

 本日ツクヨミと会えた。にもかかわらず、リディアはもやもやを抱えていた。

 その代表的なものが、右手の指ぬき手袋だ。

 

 ごはんを作って食べていたら。そんなことどうでもよくなるけれど。

 それが一段落すると、再び釈然としない何かが胸を襲ってきた。

 

「今日ね。わたしがミストにいない間も手袋してたって、ツクヨミさん本人が認めてくれたの」

「その頃から怪我してたの? 長すぎるわね」

「最初は、おしゃれでつけてたんだって」

「……それは、きっと嘘ね」

「えっ!?」

「本当なら、あなたに久しぶりに会ってすぐに説明してたはずよ?」

 

 ツクヨミの嘘は、咄嗟についたもの。ライザはそう言いたいようだ。

 

「お皿洗いが嫌なのかな」

「ばかね。それぐらいあの人ならやってくれるわよ。何か別に理由があるのよ」

 

 ライザと話しているうちに。右手の怪我は嘘疑惑がますます濃くなっていく。

 

「はあ……」

 

 そんな中。リディアは、思わず大きなため息をついてしまった。

 

「どうしたの?」

「なんか、正体知らないままの方がよかったのかなぁって。たまに思っちゃうの」

 

 いくら疑惑が濃くなろうが、確定ではない。

 だからといって、それをどう調べたらいいかわからない。

 

 リディアが、自身の正体に気付いていると悟ったら。

 ツクヨミは、たちまちミストに来なくなってしまうだろう。

 

 リディアはそれが怖いから、本人に聞けない。だから、このままもやもやし続けるしかない。

 

(前はそんなこと考えたこと、なかったのになぁ……)

 こんなもどかしい状況に陥るぐらいなら。

 ミストの住民のように、騙されていた方がよかったのではないか?

 ミストに再び戻ってきてから。リディアは度々そう思ってしまう。

 

「そんなこと言っちゃだめよ」

「え??」

「前からツクヨミさんの正体を知っていたから、あなたは今ここにいるのよ?」

「っ、確かに……」

 

 ライザの言う通りだ。

 ツクヨミの正体を知らないままなら。彼にカマをかけられた勢いで。

 バハムートを召喚して、幻獣界に帰っていたかもしれないから。

 

「それに、まだあるの」

「……何が気になってるの?」

「ツクヨミさん、エッジのことぼろくそに言うの。演技じゃなくて、本気で自分のこと嫌いなんだって思っちゃう」

「前はそうじゃなかったでしょう? いつから?」

「あの話、聞かれてから」

「ああ……アレね」

 

 チーズフォンデュリベンジの日。ツクヨミは、リディアとアリサの会話を盗み聞き。

 そして、アレ——妊娠疑惑のことを知ってしまった。

 

 リディアを困らせていた。そう自分自身に腹を立てているのかもしれないが。

 ツクヨミの『エッジ』に対する異常な嫉妬は、もはや演技を通り越している。

 

「あなたの言うこと。あながち間違いじゃないかもしれないわね……」

「そう思う??」

「アレが原因かはわからないけど。ツクヨミさんは、ただのお城勤でしょう? エッジ様の時より、あなたに積極的に迫れるじゃない」

 

 ライザの言葉は、リディアを大いに納得させた。

 そして同時に、エッジの特殊な立場を改めて思い知らされてしまった。

 

 エッジは『国王』という固く崇高な鎧をまとっている。

 その状態では、言いたくても言えないこともたくさんあるだろう。何より、好き勝手に動けない。

 彼は『ツクヨミ』でなければ、リディアとお付き合いしたり、自身の思いを吐露するのは難しい。

 

「……エッジに、自分のことけなしてほしくないよ」

「それは難しいでしょう。エッジ様の株を下げることを言った方が、バレないもの」

 

 ツクヨミが『エッジ』をけなす。リディアはそれがどうしても嫌でならない。

 自分大好き目立ちたがり屋だった男が、自分自身をぶっ殺してやりたい。

 そんなこと言って欲しくないのに。

 

§

 

 その後、別の話題に移り、ライザと雑談しながら片付けの続きをしていたら。

 

 とんとん

 

 玄関を叩く音が聞こえてきた。

 

「……こんな時間に誰かなあ?」

「アリサじゃないわね」

「うん。それは間違いない」

 

 アリサなら、もれなく『ちょっと! 誰かいるー!?』と、大きな声がついてくる。

 ライザが不思議そうな顔をしながら、玄関へ向かった。

 

「はい……」

「やっ」

 

(何の用だろう?)

 ライザが玄関の扉を開ければ、ミゼルがそこに立っていた。

 

「あら、こんばんは」

「リディアさん、まだいるよね?」

「え、ええ……」

 

 ライザがちらりとこちらを振り返り、目配せしてくれた。

 『防音結界』を解除した方がいい。

 そんな合図を受け取り、解除の詠唱を唱えながら玄関へ向かう。

 

「講座はどうされたのですか?」

「今日は休んだんだ」

「珍しいですね」

「用事があって、さっきミストに帰ってきたばかりなんだよ」

「……そういえば。ケアル、覚えられそうですか?」

「いやぁー、回復はどうもさっぱりでね……」

「……】だめでしょ。授業さぼっちゃ」

 

 ライザとミゼルの元へ着くと同時に、詠唱が終わった。

 その直後、ぱりんぱりんと結界の解除音が辺りに鳴り響く。

 

「今日だけだよ。1日ぐらい目をつぶってちょうだいよ」

 

 ミゼルも結界の存在を知っている。それには触れずに、続けてこう言った。

 

「それより、リディアさん。明日ひま?」

「一応休みだけど。なに?」

「じゃあ……」

 

 思いがけないミゼルのお誘いに、リディアは目を丸くしたのであった。

 

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