フェイクラバーズ 作:かえで
——翌日 午前10時すぎ
エブラーナの城下町は、薬草園に次いで、この国の観光名所。
北のお城から南の発着場を結ぶ長い大通りを挟んで、東と西に分かれている。
本日のエブラーナの空は、雲ひとつない快晴。
それなのに、リディアの心はどんよりとした曇り空に覆われていた。
「はぁ……」
「ちょっと、リディアさぁーん?」
大勢の観光客に紛れて、重い足取りで発着場を出ていこうとする中。
隣から間延びしたような声をかけられた。
「せっかくの遠出なのに、テンション低いじゃん」
「……当たり前でしょ?」
「どうして?」
「……うさんくさい人と歩いてるもん」
リディアは、隣を歩く男——ミゼルをにらみながらそう答えた。
「これ、エブラーナで流行りのファッションだよ??」
「知らないっ」
ささやかな反抗代わりに、ぷいっと顔をそむける。
本日ミゼルは、白猫の半面をかぶり、着物の上から羽織を羽織っている。
どこからどう見てもエブラーナの人にしか見えない。
けれど、素直に『そうだね』と返事したくなかった。
「ほら、周り見て確かめてみなさいっ」
「……」
ミゼルに従い、遠慮がちに行き交う人々を観察する。
全員ではないが、ミゼルと同じ——着物とお面の組み合わせの人がぽつぽつ目につく。
「どう?」
「……結構多い」
「じゃあ、うさんくさくないじゃん」
「……」
「リディアさんも魔女コス。すごく似合ってるよ」
「っ……!」
リディアは、ぐっと唇を噛むことでミゼルを無視した。
今はどれだけ誉められても、ちっとも感情が湧いてこない。
「そんなにいや? 猫のお面かわいいよ??」
「猫はいいの! おじちゃんとお揃いがいやなのっ!」
実は本日、リディアも猫のお面をかぶらされている。それも、ミゼルと同じもの。
お面を渡された時、これでもかと抵抗したが。すぐ考えを改めた。
なぜなら……。
「あっ、ツクヨミさん」
「うそっ!?」
ミゼルが指さした方向に視線を向けるも、真っ黒忍者の姿はどこにもいない。
「もうっ! 驚かせないでちょうだい!!」
「危機感足りないなぁ。ツクヨミさんに見られたら修羅場だよ?」
「っ……!!」
「ぼくは嫉妬のえじきにされちゃうなぁ。あー、怖い怖いっ」
ミゼルがけたけた笑っているのを横目に。
リディアはお面の下で、苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
(そこまでして、あたしをエブラーナに連れてきて……何考えてるのよ!?)
一体どうしてこうなった。
この男とふたりで、エッジの暮らす国にいるなんて……。
***
——昨夜
ライザ一家と夕食後、お片付けをしていたら。ライザの自宅に来客が現れた。
客の正体は、ミゼル。彼はリディアに用があり、ここにやってきたという。
「それより、リディアさん。明日ひま?」
「一応休みだけど。なに?」
「じゃあ、ぼくとお出かけしよう」
「……」
とんでもないお誘いを持ちかけられて驚きのあまり、しばし呆然としていた。
(おじちゃんとデート!?)
異性とふたりきりでお出かけなんて、デート以外の何者でもない。
ツクヨミ(中の人も含め)以外の男性と、そんなものに行くつもりはない。
「ライザぁ……」
しばらくしてから、泣きそうな顔で隣のライザを見上げた。
「どうしたの?」
「明日休みでしょ? ベスたちも一緒」
「——特別授業の日なのよ」
「あぁ、そうだったね……」
デート阻止のために、ライザやふたりの娘を誘ったが、速攻お断りされた。
—— —— ——
ライザはお仕事の都合で、通常の白魔法講座に出席出来ない。
そんな彼女に救いの手を差し伸べたのが、講師のアルベルトだった。
アルベルトは特別授業と称して、週に1回ライザ一家に白魔法を教えている。
—— —— ——
「ごめんなさい。前からわかっていたら、なんとか出来たかもしれないけど、今日の明日じゃね」
「ううん。こっちこそ無理言ってごめん……」
特別授業は、朝の9時から昼食を挟んで4時まで続く。
リディアは、ライザの白魔法への熱意をよく知っている。
貴重な習得時間を削らせてまで、一緒についてきてなんて言えなかった。
「あのさぁー。ライザくんたちまで連れてったら、デートにならないでしょ」
「っ、おじちゃんとふたりきりじゃいかないよっ! おばちゃんも一緒じゃないと、いやっ!」
「1日ぐらい別にいいじゃん」
「絶対やだっ!」
「わかったよ……明日朝8時。発着場に集合ね。ローブも羽織ってきてちょうだい」
ジャンヌが行かなければ、行かない。
そう言って聞かないリディアに、ミゼルが渋々折れてくれた。
§
一夜明けて、待ち合わせ場所に向かってみれば。ジャンヌの姿はなかった。
「あっ、リディアさん。おはよー」
ミゼルがひとり、のほほんとしながらこちらに手を振ってくる。
黒眼鏡の代わりに、半面のお面。そして、異国の服。
そんなミゼルの姿を目にするなり。本日の行き先に気付き、彼を問い質そうとしたら。
運の悪いことに、巡回艇が発着場にやってきた。
リディアは、ミゼルに腕をつかまれ、ずるずる引っ張られながら。むりくり乗艇させられた。
「うそつきっ!!」
巡回艇がゆるやかに上昇して、ミストを離れる中。
甲板の上で他の観客の目も気にせず。ミゼルにつかみかかった。
「残念だったね。今日は先約が入ってた」
「……チャンバラごっこでしょ?」
「そうだよ」
ジャンヌは休みの日になると、オリバたちの棒術訓練——通称チャンバラごっこに付き合っている。
それは知っていたけれど……。
「そこをなんとか都合つけて、連れてきてくれると思ってたのに!」
「きみに一言も頼まれてません」
「っ、それを察して何とかするのが、おとなってもんでしょ」
「リディアさんもおとなでしょ? ぼくがこうするって察して、あれからジャンヌさんに根回ししておけばよかったんじゃないの?」
「ぐっ……!」
「はい、きみの負けぇー」
ミゼルなら、ジャンヌを連れてきてくれるはず。そう思い込んだことが、リディアの敗因。
ミゼル自身から指摘されて、ぐうの音も出ない。
「おばちゃんにチクるから!」
「ジャンヌさんも知ってるよ」
「え……?」
「きみとふたりで出かけるのは、今日が最初で最後です。だから、許してくれたんだ」
(最初で最後って、また縁起でもないこと言うんだから……)
ジャンヌが容認した。そう言われたら返す言葉もない。
「……おやつもごはんもおごってくれる?」
「いいよ。そのつもりで来たからね」
「じゃあ……今日だけ我慢する」
「ありがとう。——はいっ、これ」
「なにこれ」
ミゼルから猫の半面を手渡された。それも、彼がかぶっているのと同じものだ。
「エブラーナでは、これをかぶって歩いてください」
「わたしも!?」
「ツクヨミさんに見られたらどうするの? フードかぶってても、あの人は絶対きみに気付くよ?」
「うっ」
「顔も隠しておいた方がいい。わかった?」
「はい……」
リディアはミゼルに渋々従い、お面をかぶることにした。
(けんかはもう、こりごりだよ)
つい昨日、ツクヨミとパロムがやり合ったばかり。
リディアが、他の男性と歩いている。そんな場面をツクヨミ(中の人)に見られたら、修羅場は間違いなし。
「だからって、お揃いはないでしょ」
「これはセール品。同じお面、2枚以上買うと3割引きでね」
「……そう」
「お買い得だったなあ」
(無駄遣いか、けちなのか、はっきりしてよ!)
ミゼルのぶれぶれの金銭感覚に、腹立たしさを覚えながら。
ぶすっとした表情を、猫のお面で隠して。先ほどエブラーナに到着したばかり。
***
「さてさて、東と西……どっちから攻める?」
「あっち」
ミゼルにたずねられて、西に向かって指さした。
西の城下町は食事処、甘味処、銘菓店……。食べ物系がメインなのだ。
「えー? 来て早々から……?」
「いいのっ」
「しょうがないなぁ。食べ物巡り、行きますか」
(おみやげも買ってもらおうかな?)
リディアのターゲットは、甘味処か和菓子屋。
それに気付き、がくりと肩を落とすミゼルを放置して。
足早に西の城下町に繋がる連絡通路に入ったのであった。
§
通路をくぐり抜けて、西城下町に入ったら。通りがたくさんの観光客でにぎわっていた。
リディアのようなローブ姿の人もちょこちょこいる。
「おじちゃんも……」
「はい?」
「おじちゃんも、ローブでよかったんじゃないの?」
「きみは何を言ってるんだ」
「えっ」
「エブラーナと言えば着物! 着物と言えばエブラーナだよ!? こういう時に着ないでどーすんのっ!?」
「っ!」
ミゼルが自身の服——羽織をつまみながら、鼻息荒く反論する。
「そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「んー、きみは異文化にとっても寛容だけど、知識はあと一歩ってところだね」
「さすがにおじちゃんには敵わないよ」
「そう? では、聞いてください。エブラーナの代表的な民族服、着物の……」
それから数分かけて、ミゼルが着物の魅力を(一方的に)語ってくれた。
—— —— ——
本を読めば、内容を記憶。何かあれば、記憶からすぐ知識を引き出せる。
それが、ミゼルが生まれつき持つゼロの特質。彼が賢いゆえんでもある。
仮に難しい医学書を読めば、知識だけは医師と大差なくなる。
ただ、その職につくなら。年数をかけて技術を自身のものにしなければならない。
—— —— ——
「……内面の美しさを引き出してくれる、素晴らしい衣服なんだよ」
「ふうん、そうなんだ」
「あっ、着物着たくなった? 今度買ってあげ」
「——いらないよ」
「なんだ、つまんないなあ」
「それより、おじちゃん……エブラーナ好きすぎない?」
(いつもエブラーナのことになると、熱っぽく語るんだよね……)
はっきり口には出さなかったが、着物の知識を授けてくれたことよりも。
ミゼルの重いエブラーナ愛の方が、インパクト大であった。
「大好きだよ。移住するなら第1希望」
「……じゃあ、第2希望はファブール?」
「うん。どっちもミストと全然違う文化だからね」
(やっぱりね!)
今ここで、『エブラーナ生まれです』と言っても、誰も疑わない。
それくらいには、ミゼルはエブラーナにがっつり染まっている。
「お店で甘いものでも食べる?」
「うんっ」
「お昼ごはんもあるから、ほどほどにね」
「お昼ごはんも甘いものでいいよ」
「ばっ、ばか言うんじゃありません! ごはんどきぐらい普通のお料理食べなさいっ」
「甘いものも、お料理だもーん」
「屁理屈言う子は、お兄さん許しませんよっ??」
(どのお店にしようかなあ……?)
ミゼルが、実の兄さながらに、きいきい小言を言ってくる。
それを適当にあしらいながら。両端に立ち並ぶお店の中から、甘味処がないか探していたら。
「あれ……?」
「どうしたの?」
「あの人たち、どこ行くのかな??」
リディアは立ち止まり、西に向かって指をさした。
着物を着た多くの人が、通りの路地にぞろぞろ入っていく。
「近所の人たちだな」
「子ども連れもいるし、お祭りでもやってるのかな?」
「……気になるな」
「あっ!」
「そこで、ちょっと待ってて」
ミゼルがそう言ってから、ぞろぞろ通行人の流れに突撃した。
その中のひとりに「すみませーん」と声をかけている。
「……」
「……」
通行人に事情聴取するミゼル。その様子をリディアは遠巻きから眺めていた。
(こういう時、すごく便利だなあ)
ミゼルは相手関係なしに、気兼ねなく声をかけられる。
しかも、リディア以上にエブラーナに精通している。
仮にミストで、エブラーナ観光ツアーが開催された暁には、ガイドを余裕でこなせるだろう。
「……なるほどね……住民大移動する訳だ」
ミゼルが通行人に軽く手を上げて、その場を離れると。
ぶつぶつつぶやきながら、リディアの元に戻ってきた。
「何かわかった?」
「あと30分くらいしたら、忍者学校の校舎の竣工式をやるんだって」
「……竣工式?」
「建物が無事に出来たことを、関係者や近隣の人たちに報告してお祝いするんだよ」
城下町の西の外れに、忍者学校の校舎を建設していた。それが、先日ついに完成。
周辺に住む人たちが、その竣工式に参加するために会場に向かっているという。
「エブラーナでは、建物を作る前、その途中と完成してから……建物ひとつ建てるために3つも儀式をやってる」
「みっつも……!?」
「エブラーナはもともとお祝いの儀式が多いんだよ」
結婚式や出産に誕生日や成人祝い。受験や試験の合格祝いだけでなく。
ある地域では、生まれて初めて月のものが訪れた女の子を祝うために。
『お赤飯』と呼ばれる赤色のごはんを炊いて、家族全員で食べる風習もあるという。
「近所の人たちもわざわざお祝いしにいくんだ」
「まあ、お祝いする人もいるだろうけど、ほとんどの人は他に目的があるから参加するんだよ」
「どんな?」
「お菓子狙い」
この国には『菓子まき』という風習がある。
結婚式や竣工式の最後に、『祝ってくれてありがとう』『幸せのおすそ分け』とばかりに。
主催者がお客さんたちに向かって、お菓子が入った袋をたくさんばら撒いてくれるという。
「すごーい……!」
「国の建物だから、大盤振る舞いすると思って袋を持ってきたって、さっきの人が言ってたよ」
「やる気満々だね」
「まあ、全部甘いお菓子とは限ん」
「——ねえ!!」
「わっ!?」
「わたしたちも、行ってみようよ!」
お菓子と聞いて、じっとしていられない。
リディアはミゼルの服をぐっとつかみ、何度もぐいぐい引っ張った。
甘いものが入っていなくても、アリサに物々交換してもらえばいい。
アリサのおうちは、おやつ用に塩っ気のあるお菓子もたくさん揃えている。
「単純だなあ」
「それが終わったら、甘いものおごってね?」
「……いくらでもどーぞ」
「やったぁ!」
「ちょっ、ちょっと待ってよぉ……」
リディアは、嬉しさのあまりにミゼルの服をぱっと離す。
そして、路地に向かってひとり走り出した。
(やっぱりおじちゃんは、あたしに甘いなあ……!)
どうせミゼルはその時になれば、お昼ごはんの代わりに甘味食べ放題を許してくれる。
そう思っていたら、早速許可を下ろしてくれた。
あんみつか、ぜんざいか。それとも、どちらもか。
あんみつならクリーム入りか。ぜんざいならこの季節の主役、栗入りにするか……。
リディアとミゼルは、人の流れに紛れ込み。みんなの後をついていく。
路地裏を抜けると、うっそうとした森の中に入った。
両手で抱えて歩かなくて済むという理由から。
道中、ミゼルが近くを歩く通行人にお願いして、お菓子を入れる袋を分けてもらった。
これも彼の人徳のなせる業なのか。はたまた、エブラーナの人がいい人すぎるのか……。
§
森を抜けて、目的地——忍者学校の敷地内に到着した。
運動場と呼ばれる大きな広場の端に、3階建ての綺麗な建物がある。
この度、完成した忍者学校の校舎だと思われる。
「すごーい、大きい……!」
運動場や校舎のサイズが、ミストの広場や建物より倍の倍以上もある。
リディアは思わず感嘆の声を上げた。
「あれが舞台か……」
「カーテンまでついてるよ」
(誰かが挨拶するのかな?)
校舎を背にして、ステージ台が設けられていた。
地面より数10センチ高くしたその中央には演台が載っている。
背後には赤と白の縦じまの幕が張られている。
「紅白幕って言うんだ。こういった式で使われる」
「なんか派手だね……」
「エブラーナでは、赤と白は縁起がいい色って言われてるんだ。今日はまだ地味な方だよ」
黄金色も、この国では縁起がよく、お祝いにふさわしいとされている。
紅白幕とステージ台の間に、金箔を張った屏風を置くこともあるという。
「金屏風は、結婚式に置くことが多いそうだよ」
「エブラーナは縁起担ぎを重んじる国だって、前に聞いたことあるけど本当だったんだ」
—— —— ——
数年前に、エッジと一緒に彼の両親のお墓を訪れた時。
『エブラーナは、ジンクスや縁起担ぎをやたら重んじるお国柄だからな』
エッジがそう教えてくれたことがあった。
—— —— ——
「お金のかけ具合や、見た目の派手さ……ミストじゃ考えられないよね」
「海を隔てただけでこんなに違うんだ」
「しかし、まあ……座れそうにないな……」
ステージ台の対面に、4、50の席が設けられている。
残念ながら、先にやってきたお客さんたちによって全て席が埋まっている。
「ねえ、あの席は?」
リディアは、ステージ台のすぐ右側を指さした。そこには、きれいな椅子が7脚置かれている。
「あれは来賓席。お偉いさん専用ですよ」
「なんだ……」
「出来るだけ前に陣取るしかないな。行こう」
「うん」
こうしている間にも、人がどんどん広場に集まってくる。
リディアたちは、客席最後尾のちょっと後ろの場所を確保した。
「親が子どもに忍者の修行をつけてるって聞いたけど、忍者学校っているの?」
「昔はね。最近はお母さんも働いたり移民が増えたりして、修行つけられないおうちが増えてきてるんだ」
「時代の変化かぁ……」
「昔から北部に忍者学校があったんだけど、それを国が買い取って、ここと西に同じものを作ることにしたんだって」
「すごいなあ。エブラーナの未来は安泰だね……!」
「そうだね」
リディアは、エッジの慧眼と手腕に改めて感服した。
(忍者って『芯』があれば、いいんだもん)
国がこどもたちの修行の面倒を見るだけではない。
拠点を分けて競争心を煽り、忍者のレベルアップを図るつもりなのだ。
これから優秀な忍者が今以上に、たくさん現れるかもしれない。
§
「ただいまより、国営忍者学校新校舎の竣工式を執り行いたいと存じます」
それから10分ほど経ってから、竣工式なるものが始まった。
建物を建てた会社の社長。西と東、それぞれの城下町の長。そして、学校の長になる予定の人物……。
ステージ台の中央で司会の男性が、来賓を次々と紹介していく。
「司会の人、声が大きいね」
「それはね、マイクのおかげ」
「あの人が持ってる棒?」
「そうだよ」
舞台に向かって、リディアは指をさした。
司会者が、短い棒の先を口に近付けた状態で話を続けている。
「マイクに長いひもがついてるでしょ」
「うん……」
「さて、どこにつながってるでしょう?」
ミゼルに言われるがまま。マイクから垂れているひもを視線で辿ってみたら。
ひもの端が、ステージ台にある黒い箱のど真ん中にぶっ刺さっている。
「……何、あの箱」
「拡声器。箱の中で司会の声を大きな音に変えて、お客さんたちに流してるんだよ」
「もしかして、シドおじちゃんが作ったのかな?」
「そうだよ。去年発明したんだって」
「やっぱり……!」
「バロン城は大きいし、民の数も多いから必要になったんだろうね」
「ミストはあんなのいらないね」
「地声で余裕だよ」
リディアは、ミゼルとくすくす笑い合った。
小さい村のミストには、マイクや拡声器なんかいらない。
笑いがおさまり、改めてステージ台をよく見れば。
中央にある演台の上にも、マイクが立てられていた。
「これから偉い人たちがひとりずつ挨拶をするはずだよ」
「終わったら『菓子まき』かな……」
「たぶんね」
司会者による紹介が終わり、偉い人たちが7つ並んだきれいな椅子に座った。
(もしかして、あの席って……)
ところが、ステージ台のそばにある椅子は空いている。来賓がひとり足りない。
「ねえ、おじちゃん」
「何?」
「もしかして、エッジもここに来るの?」
リディアは、ミゼルの肩を揺さぶりながら。素朴な質問をぶつけた。
(『菓子まき』は、そのついでなんじゃないの?)
椅子にも座れないほど、お客さんが多い。
みんな、お館様の姿を見にきたのではないだろうか? そう思ったけれど。
「さっきの人、そんなこと言ってなかったけどな」
「そう……」
ミゼルの答えを聞いて、少し肩透かしを食らった気分に陥りながら。
ステージ台に再び視線を移すと、ミゼルがこんなことを言い出した。
「ただ……あの人の性格考えたら、ぱっと現れて、ぱぱっと挨拶して、ぱぱぱっと帰るかもしれないね」
「えぇ!?」
エッジが来るかもしれない。それがわかった途端。リディアの胸が高鳴る。
そして、思わず大声を上げてしまった。
「こら、しーっ」
「わわっ……ごめん」
ミゼルに静かにする仕草をされて、慌てて両手で口元を隠す。
「お菓子袋もらえるし、最後まで見てこうよ」
「そうだね……」
「袋もあるし、いっぱい持ち帰れるしね」
「うん……」
ミゼルが話しかけてきたり。ビニールの手提げ袋をちらりと見せてくれたりしたけれど。
リディアは、空返事を繰り返すだけ。……お菓子よりも、あの男に意識が向いているせいで。
—— —— ——
2年前。6の月の終わりにトロイア名物ザッハトルテを、ふたりで分けっこして食べた。
その日以来、リディアはエッジ本来の姿や声を。一度も見たことも、聞いたこともない。
—— —— ——
(びっくりさせるのも好きだし、やりかねない!)
ミゼルの言う通り、エッジは儀礼的なものを好まない。
サプライズ——飛び入りでの挨拶もあり得る。
「……引き続きまして。来賓の方々に、おひとりずつお祝いの言葉をいただきたいと存じます。まず……」
結局、司会者の口からエッジのエの字も出てこないまま。来賓の挨拶が始まったのであった。
§
5分ほど過ぎただろうか。来賓席の端は、未だ空いたまま。
ここまで、お偉いさん2名の挨拶が終わった。
今は来年から校長になる男性が、演説台のマイクに向かって何かしゃべっている。
これが終われば、残るはあと3名。
「……関係者のみなさまがたには感謝しております。心よりお礼を申し上げます」
また、聞き覚えのあるフレーズが聞こえてきて。思わず顔をしかめてしまう。
(早く終わんないかなぁ……)
『菓子まき』がなければ、誰もここに来なかったのでは?
そう思ってしまうぐらいには、お偉いさんたちは似通ったことしか話さない。
「みなさまにこうして、ご挨拶をすることが出来て嬉しく思って……」
(みんな、つまらなさそう)
周囲を見渡してみれば、あくびする人。うとうとする人。
『菓子まき』を待ち切れないのか。「おかーさん、まだー?」とせがむ子ども……。
挨拶をろくに聞いていないお客さんが、あちこちで目立つ。
(あたしも寝よう……)
リディアも、他のお客さんにならって目を閉じた。
朝早くから、ミゼルと半ば喧嘩しながら、ここにやってきて少し疲れた。
ちょっとぐらい仮眠してもいいだろう。
もしエッジが現れたら、ミゼルが起こしてくれるだろうし。お面のおかげで、寝ていてもわからないし……。
そう思いながら、立ち寝に興じたのであった。
§
「……」
「——起きなさい」
こつん
「っ、いたっ……」
「……で、あるからして、こちらの施設建設にあたりまして、当社は建物の設計を担当して……」
頭に軽い衝撃とぼやいたような声で、意識を取り戻す。
すると、熱弁を振るう男性の声が聞こえてきた。
隣を見れば、拳を振るってきた犯人が口をへの字に曲げている。
「何やってんの。鼻風船ぷーって、ふくらませて」
「お面で見えないでしょ……?」
「すき間」
「——出してないっ」
周囲に配慮して、声を極力抑えてミゼルに言い返した。
居眠りしている人の鼻から出ている風船のことを、鼻風船という。
雑誌や広告などのイラストでよく見かける。けれど、実際にふくらませてる人を一度も見たことはない。
「エッジ、出てきた??」
「出てきてません」
「っ、そう……」
「今の人が最後だし、来ないんじゃないの?」
ステージ台に視線を移してみたら。そこに立つ人物が、立ち寝に入る前と別の人だった。
「……なんか、似たような話でつまんないね」
「こういった儀式の挨拶はひな形があるから、単調になりがち……あっ」
「終わったね」
最後のお偉いさんの挨拶が終わった。
会場からは、ぱち、ぱちと気の抜けたような拍手の音が聞こえてくる。
「はぁ……やっと『菓子まき』かぁ……」
隣から脱力したような声が聞こえてきた。
(へらへらしてるけど、こういうところは真面目なんだよね)
ミゼルは我慢を強いられながらも、挨拶を全て聞いていたようだ。
「来賓のみなさまよりご祝辞をいただき、誠にありがとうございました」
全員の挨拶が終わったからだろう。
多くの客が『菓子まき』に備えて、懐から袋を取り出している。
「そろそろ始まるな」
ミゼルが袋を取り出すために、懐へ手を突っ込んだ、その時。
「——では、最後にエブラーナ国王陛下が、みなさまにお礼のご挨拶を申し上げます」
「ええっ!?」
司会者がエッジの名を口にした途端。会場にどよめきが起こる。
もちろん、リディアも驚きの声を上げた。
「お館様。どうぞよろしくお願いいたします」
司会者が、ステージ台のはしっこをさっと手で示す。すると、そこからもくもく白い煙が上がった。
すぐに煙は霧散して、そこから銀髪の男性——エッジが現れた。
「うわぁ! マジかよー!」
「きゃあぁぁー! お館様ぁー!」
「かっこいー!」
たちまち会場のあちこちから、悲鳴や歓声が上がる。
「お姿をそばで見られるとは……わしゃもう死んでもいい……」
「じいさんや、縁起でもないこと言わないでおくれよ」
お館様がここに来る。お客さんは誰ひとりとして、そう思っていなかったようだ。
(やっぱりびっくりさせたかったんだ!)
みんなをあっと言わせたくて、出席を隠していたようだ。
エッジは今、心の中で含み笑いを見せているに違いない。そう思ったのも、つかの間。
「なにあれ……?」
2年ぶりとなるエッジの姿を、はっきり視界に入れた途端。
リディアは目を大きく見開きながら、ぽつりとつぶやいた。
(ツクヨミさんより顔が隠れてる!)
ぱっと見は、2年前と変わらない。何がおかしいって、顔だ顔。
もともとエッジは、顔の下半分を口布で覆っていた。
ところが、今は黒眼鏡も掛けていて、顔がほとんど見えない。
「くくっ……」
「ちょっと、おじちゃん」
「っ、鳩が豆鉄砲を食った顔してるでしょー?」
隣に立つミゼルが、くつくつ笑い出した。
リディアの反応を見て楽しんでいるようだ。
そうこうしているうちに。エッジが、来賓席に座るお偉いさん方と握手を交わし始めた。
みんな嬉しそうな表情で席を立ち、ぺこぺこ頭を下げている。
「あの人……ほんとうにエッジなの?」
「周り見たらわかるでしょ」
「……!」
きょろきょろ首を振って、辺りを見渡せば。
突然現れた国王さまに、みんな驚きながらも。顔については無反応。
「きみ、顔見ても大丈夫なの?」
「平気だよ。あれじゃ傷は見えないもん」
「ああ、そうだったな」
幸いなことに、目の痛みや息切れは起こらなかった。
しかし、あなた誰ですか状態のエッジを目の当たりにして。感動よりも、ただ驚くばかり。
「エッジ、怪我しちゃったの?」
2年の間に、一体何があったのか。ミゼルにたずねてみた。
「きみがいなくなってから、外回りの時はサングラスを掛けるようになったらしいね」
「セシルたち、そんなこと言ってなかったよ? 年に一度集まってるはずなのに」
「普通サングラスは、外で掛けるものだよ?」
「ああ、そうか……」
(お部屋の中は、直射日光関係ないもんね)
ミゼルと話しているうちに。お偉いさんたちとの握手が済んだようだ。
エッジがマントをなびかせながら、ステージ台に上がる。
そして、身体を支えるように演台の端に両手をついた。
「始まるよ。話、聞いてあげなさい」
「う、うん……」
静まり返った会場を。エッジがゆっくりと見渡してから。口をマイクに近付けた。
リディアは演説台に視線をこらす。
だいすきなひとの一言一句を、聞き逃すまいと耳も傾ける。
「校舎完成の竣工式に、足を運んでくれて心より感謝する」
祝いの式だからだろう。エッジの口調はやや堅い。
声も以前より更に深みを増していて、改めて時の経過を思い知らされる。
「挨拶に先立ち、この場を借りて、みなに聞いてもらいたいことがある」
(先に聞いて欲しいことって……やっぱり……)
一旦休止とばかりに、エッジがマイクを口から離した途端。会場全体がざわざわし始めた。
「婚約者が決まったのかな?」
「もう38だもんね」
「そろそろ、お世継ぎ様も……」
「じゃあ、リディア様はどうすんの?」
「だいぶ前から、ミストに足を運んでないって聞いたぞ」
「あれだけ長いこと異世界にいたら、お館様の心も離れるって」
「人前で発表するってことは、リンと違ってまともな人だと思うよ」
お客さんたちが、ひそひそと話し合う声が聞こえてくる。
突然となると、婚約発表を予想するお客さんが多い。
とうの前に、箝口令は解除されたのだろう。リディアの名前も聞こえる。
会場と同じく、リディアの胸もざわつきが止まらない。
ローブの胸元を両手でぎゅっと握りしめる。
(エッジが、他の女の人と……いやだ)
『青ばら』のお嬢さまの時以上に苦しい。
エッジに祝福の言葉を贈らねば。そう何年も前から覚悟していたはずなのに。
いざその時が訪れると、私情が先立ってしまうなんて。弱すぎる。
「……」
「いつもの格好じゃなくてよかったね」
「う、ん……」
ミゼルが小さな声でささやいてきたが、返事をするだけで精いっぱい。
(お面、かぶっておいてよかった)
婚約発表となれば、きっと泣いてしまう。お面は、その涙を隠してくれるだろう。
会場の反応を窺い終えたのか。エッジが再び台に寄りかかり、マイクに口を近付ける。
会場は一気に静まり返り、みんなお館様の次の言葉を待つ。
「我が国、エブラーナは——」
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