フェイクラバーズ 作:かえで
—— —— ——
ごめんなさい、お母さん。
『身の危険がない限り、黒魔法は人に向けて使っちゃだめよ』
お母さんがよく言い聞かせてくれた、ミストのそんな決まりごとを。
わたしは、たった1日だけ破ることにしました。
あの人にかけられた『アレ』を解いてあげたくて、人生初の賭けに出ることにしたから。
—— —— ——
——11の月30日 夜
『リディアさま』
「はーい、なに?」
『こちらでよろしいでしょうか?』
声をかけられて、返事をしながらその方向を向いてみたら。
ツクヨミが廊下側の棚の前で、何枚か重ねたお皿を持ったまま突っ立っている。
「そう、そこ。上に載せておくだけでいいから」
『はい。かしこまりました』
ツクヨミが目の前の棚の扉を開けて、お皿を中に収めた。
すると、調理室後ろの出口そばにある縦長の棚へ向かい、その前で立ち止まった。
その棚の中には、ほうきが入っている。
「今日は掃除しなくていいよ」
棚の扉を開けようとするツクヨミを呼び止めた。
『よろしいのですか?』
「今日りんごしか切ってないもん」
『あぁ……』
—— —— ——
本日の晩ごはんは、ピロシキであった。
いろいろな具材を生地に包んで揚げたパンのことを、トロイアではそう呼ぶらしい。
本日の料理教室では、肉や野菜を詰め込んだもの。とろとろチーズとソーセージが入ったもの。
リディアお好みのチョコ入り、カスタードクリーム入りの合計4種類のピロシキを作った。
—— —— ——
先ほど、そのピロシキとデザートのりんごをツクヨミと一緒にいただいた。
もちろん、ピロシキは朝ごはん用に何個かキープしてある。
「こっちも終わるから、そこで待っててちょうだい」
『はい、かしこまりました』
ツクヨミに待機を指示してから。手提げのバスケットに、自分用こども包丁を入れた。
それと入れ替わるかのように、ガラスの中空管を右手に忍ばせる。
これで帰宅準備はおしまい。バスケットを手にしてツクヨミの元へ向かった。
(よかった。こっちに戻ってこなくて……)
ツクヨミには、周りに何もない場所にいてもらわないと困る。
もし、調理台に囲まれたリディアのそばに戻ってきたら……。
この後、机の角で頭をぶつけて、打ちどころが悪くて死んでしまうかもしれない。
『それでは、参りましょう』
「……あの」
出口のそばで待つツクヨミの前で立ち止まり、甘えたような顔をしながら声をかけた。
『はい?』
「ツクヨミさんに大事な話があるの」
『今ですか?』
「うん。帰り道だと聞きづらいでしょ」
本日は月の最終日。ミストの集落には大量の雨が降っている。
大事な話を伝えるなら、そんな帰りの道中より屋根があるここの方がいい。
『そうですね。では、聞かせていただきましょう』
ツクヨミから続きを促されて、緊張のあまりバスケットを強く握りしめる。
「……わたしと、本物の恋人としてお付き合いしてください」
少し間をおいてから、ツクヨミにそんな希望を伝えた。
先日リディアは、望みをふたつ考えた。『本物の恋人になりたい』は、そのうちのひとつだ。
『契約変更ですか……?』
「うん」
リディアがうなずくと、ツクヨミは口をぽかんと半開きにさせた。
(びっくりしちゃうよね)
これまで、リディアは『偽装は辞めない』と言い続けていた。
そんな女から、突然180度違うことを言われたのだ。ツクヨミも驚くだろう。
「勝手なこと言ってるのはわかってる」
『そんなことございません。リディアさまから申し出てくれるとは……こんな嬉しいことがございますでしょうか』
ツクヨミが言葉通り、心底嬉しそうな声をもらしてくれたが素直に喜べない。
好きな相手から交際を申し込まれたにもかかわらず。
現にこうして、リディアを抱きしめるどころか、触れようともしてこない。
「それじゃあ、わたしと本物」
『——あと1年、待っていただけないでしょうか』
「どうして??」
『っ、それは申し上げることが出来ません』
「そう……」
案の定、ツクヨミが延長希望を申し出た。
そんな彼に少し腹立たしさを覚えながらも、冷静に振る舞う。
(隠しごとは正体だけで、もうお腹いっぱい……!)
今までも、これからも。ツクヨミは都合の悪いことを聞かれたら、ノーコメント。
もしくは『もろもろの事情』とごまかして、リディアに真の理由を隠し続けるのだろう。
『ご心配なさらずとも、リディアさまへの気持ちは決して変わることはございません』
「それはよく知ってるよ」
ツクヨミの言葉は、エッジ本人の本音でもあるから正しい。
ツクヨミに切り替わった途端。露骨に嫉妬を見せるようになったぐらいだ。
今でもエッジが、リディアのことがだいすきなのはわかっている。
『会う回数はこれからも減らしません。そこは誤解なき』
「——それも、もう知ってるよ」
ツクヨミの足元に向かって、右手に忍ばせていたガラス管を投げつけた。
ぱりーん!
『リ』
ツクヨミが何か言いかけたが、突然身体がぴたっと止まった。
重力に従い、ぐらりと身体が傾いていく。
どさっ
大きな音を立てながら、ツクヨミがその場に倒れた。
リディアは平然とした表情でその場にしゃがむと、倒れた男の顔を至近距離でのぞき込む。
どんなお面も、目の部分は必ず穴が開いている。
左右の空洞の奥にそびえる両の瞳が、部屋の明かりに反射して小さな光を放っていた。
「よかった……」
目が開いたまま、ツクヨミが固まっている。
それを確認して安堵の息をついてから、右手の指ぬき手袋を外すと手のひらを見る。
その中央には、二重丸の中を赤く塗りつぶした記号——蛇の目が刻まれていた。
先日ザンゲツから聞いたところによると、その記号は紋章。
『アレ』にかかると紋章が刻まれ、解除されるまで消えない。
『変化の術』を使って姿を変えても、紋章は残ってしまうという。
「これのどこが怪我なのよ……」
呆れたようにぼやきながら、外したばかりの指ぬき手袋を再び着けてあげた。
これで本日のツクヨミが、エッジその人だと確認出来た。
「早くおうち帰らなきゃ【……」
これから一世一代の大勝負——賭け事を始めるために。
リディアは普段使わない、ある黒魔法の詠唱を始めたのであった。
——それから約20分後
ざあざあとバケツをひっくり返したような音が、外から聞こえてくる。
10分ほど前、自宅に到着。朝ごはんの準備や片付けを終えてから。
リディアは寝室に入るなり、ベッドの上に乗った。
(そろそろ動くかなぁ)
ベッドの上では、ツクヨミが壁にもたれて座っている。
今はお人形のようにびくとも固まっているが、いずれ再び動き始める。
賭け事を成功させるためには、その瞬間に立ち会わねばならない。
ツクヨミと向かい合わせになるよう座ってから、黒いフードをぺろっとめくってみたら。
「顔以外、違うんだ……!」
紫がかった銀の髪は、炎のような紅色に。
エッジと同じ短髪だが、全体的にパーマを当てたようなゆるい波が打っている。
エッジとは程遠いツクヨミの髪型や髪色を眺めていたら、ふと既視感を感じた。
「どこかで見……あっ」
(『あの人』とそっくり!!)
ギルバートのバロンでの演奏会に毎年現れる、男性客の髪色髪型と一緒だ。
その客はリディアの視界に入る席に必ず座っており、演奏中も眠り続けていた。
そして、年を重ねる度に席が近くなり、2年前はついにリディアの隣……。
(エッジがいつお出かけしたか、お城に記録が残ってるかも)
もし、その客とエッジが同一人物だとしたら、一体何しに演奏会にきていたのだろう。
謎を呼ぶが、今は『アレ』を解除する方が大事。明日以降ミゼルに相談することにした。
それから、ツクヨミの頭を少し動かすと、面ひもが後頭部できつめに結んである。
このようにエブラーナのお面は、後頭部で止めるものが大多数を占めるが。
よく見れば、ツクヨミは左右の耳にも面ひもがかけてある。
「……特注品かな??」
よほどでないと外れない、がちがち二重構造。こんなお面、普通のお店では売っていない。
(それだけ顔を見られたくないんだ……)
エッジも『変化の術』を使えるようになったが、顔だけは変化出来ないと聞いている。
何にせよ、この人物はエッジ本人。右手の紋章がそう証明してくれているため。
お面には一切手を付けず、ツクヨミが動き出すのを待つことにした。
§
それから、数分が経った。
『ぅ、っ……!』
ツクヨミが身体をぴくりと動かした。意識が戻ったようで、顔をのぞき込む。
すると、お面の穴の向こう側——瞳の輝きが波のように大きく揺れた。
(やった! 目が合った!)
視線を交わすことに成功。
リディアは心の中で歓喜しながら、ツクヨミに向かってにっこりと笑う。
「おはよう」
『リ、っ……っ、ああぁっ……!』
(すぐ発情しちゃうんだ……)
ツクヨミがリディアの名を途中で切り、身体をびくりと揺らして荒い息をつき始めた。
早速『アレ』——『呪淫』の症状が現れたようだ。
—— —— ——
先日、リディアはエブラーナ城に潜入した際。
お城の使用人だけしか知らない、こんな事実を教えてもらった。
2年前。ツクヨミの中の人——エッジが、『青ばら』をとっ捕まえようとした。
その時、犯人から『呪淫』と呼ばれる術をかけられてしまった。
『呪淫』は、男性を籠絡する術。
術をかけられると、手のひらに蛇の目の紋章を刻まれてしまう。
以後3年間、女性の目を一度も見なければ自然解除。紋章も消える。
しかし、女性と視線を交わした途端。術が発動されてしまい、性欲が急激に増す。
その女性とセックスしなければ、性欲はおさまらない。術も解除されないという。
—— —— ——
ツクヨミは、あと1年で『呪淫』が自然解除される予定だったが。
先ほど、リディアが視線を交わしたために術が発動されてしまった。
『ま、さか……はぁ、っ……面を……外され……』
リディアがお面を外していないかどうか。ツクヨミはとても気になっているようだ。
けれど、お面を外していないし、外すつもりはさらさらない。
この人が『エッジ』なら、それでいい。
「外してないよ」
『ほ、ほん……と……で、すか……??』
「ツクヨミさんの顔はこれだもん」
『……ぁ、ぁ、っ……た、すかります……』
リディアが、お面をちょんちょんつつきながら答えれば。
ツクヨミがその振動に反応してあえぎながらも、ほっとしたような様子を見せた。
「なんか苦しそうだけど……大丈夫?」
『っ、あぁぁ、っ……っ』
体調を気遣うふりをしながら、胸元をちょんと触ったら。
ツクヨミがたったそれだけで反応して、声を上げた。
(何、この術……こわい……!)
秒を追うごとに、ツクヨミが唯一晒している口元の肌も赤みを増していく。
これでは女性と視線交わさないように。エッジが外で黒眼鏡をかける訳である。
「ウリエル先生に診てもらう?」
『い、いえ……ぁっ、っ、必要……ござい、ません』
(診てもらっても意味ないしね)
診察はいらない。ツクヨミがそう答える気持ちはとてもよくわかる。
—— —— ——
これは病気ではない。しかも、あの呑んべえのことだ。
『あの忍者、年がら年中リディアに発情しとるぞぉー!』
仲間との宴会中、そう叫びながら酒の肴にするかもしれない。
—— —— ——
ミストをよく知る者なら、ウリエルのそんな習性もわかっているだろう。
『っ……こ、こは……?』
「わたしのおうちだよ」
『っ……!?』
「調理室で突然倒れたから、連れてきたの」
『ど……どうやって……はこん……』
「トード使った」
『あぁ、っ……』
突然倒れたは、真っ赤な嘘。
トードでカエルにして自宅に連れて帰ってきたは、本当。
しかし、ツクヨミはリディアの言うことを全て真に受けている。
快楽に染まり切っていて、真偽を疑う余裕がないようだ。
「ウリエル先生のところに行きたくないなら、今日はここにお泊まりするしかないよね」
『ぁ、っ……な、んです……って……!?』
信じられないといったような声を上げて、ツクヨミが驚いている。
リディアは今日中に、ツクヨミをエブラーナに帰すつもりはない。早くて、明日の午前中だ。
「そんな状態で、飛空艇の運転出来ないでしょ」
『っ……ぅ……』
「お面の下も、顔真っ赤っ赤なんじゃないの?」
ツクヨミの顔は見ていない。そうアピールするのも忘れない。
『く、っ……く、すり……ござい……ます』
「くすり? あぁ……」
そういえば、そんなものあったっけとばかりに。
とぼけたふりをしながら、ベッドから降りて書机に向かう。
書机の上には、赤い手裏剣や細長い棒に回復アイテム……。
帰宅してすぐ、ツクヨミの懐の中に入っていたものを全て取り出しておいた。
その中から細い注射器2本を手にして、後ろを振り返る。
「もしかして、これのこと?」
『っ!?』
どどめ色の液体が入った注射器を目にして、ツクヨミが息を詰まらせている。
『はっ……はやくっ、それを……っ!?』
なぜ、それが書机に置いてあるのか。そんなことを考える余裕もないのか。
ツクヨミが注射器をせがんだが、言葉を途中で切った。
『っ……ど、っ……うして……?』
性欲が上がった他にも、身体に異変が起こっている。そう気付いたようだ。
「ごめんね。暴れないように麻痺状態にしたの」
『っ、何ですって……!?』
申し訳なさそうな声で謝罪すると。ツクヨミはまたもや信じられないとばかりに声を上げた。
「あんまり薬に頼らない方がいいと思うよ」
『い、いけません……ぁ、っ』
「明日の朝まで治らなかったら、その時使おうね」
(大丈夫! その前に治ってるよ!)
看護婦のようにツクヨミをなだめながら、書机の上に注射器を置くと。
ベッドに上がり、再びツクヨミと向かい合わせで座った。
—— —— ——
注射器——性欲抑制剤についても、事前にザンゲツからレクチャー済である。
性欲抑制剤は『呪印』が発動してしまい、高まった性感を抑える即効性の薬品。
エッジは、普段からそれを2本携帯しているという。
当時、ザンゲツはリディアにこう話してくれた。
『抑制剤は、身体によくない成分も入っております。しかも、「呪淫」をかけられて発動していない人間は、この世にお館様だけしかおりません』
『それ、薬が効くかどうか人で実験してないってことだよね』
『さようです。「呪淫」の呪縛が消えるまで、あと1年ございます。2年耐えられたのだから残りもなんとかなる。お館様はそう思われているようですが、何があるかわかりませんしなぁ……』
仮に今ここで、効くかどうかわからない薬を使ったとしよう。
一時的にも落ち着きを取り戻した途端。ツクヨミはここから逃げてしまうかもしれない。
そして術が解除される1年後まで、だましだましで薬を使い続けながら。
エブラーナに引きこもり続けるかもしれない……。
—— —— ——
ツクヨミにそんなことをさせないために。
例え自身の身体を投げうってでも、リディアは『呪淫』を解除させるつもりでいた。
それが潜入を終えてから考えた、第二の望みであった。
『い、いや……明日は仕事……』
「大丈夫! ここに帰ってくる前に、おじちゃん家に寄って、明日休ませてあげてって、じいやさんにお手紙送ってもらったから」
『え……っぁ……いつのまに……??』
「鳩、もう飛ばしたんじゃないかなぁ?」
さらっと嘘八百を口にしたら、ツクヨミががくりと頭を垂れてしまった。
—— —— ——
ミゼルの家には寄っていないし、鳩も飛ばしていない。
それでも明日は、じいがエブラーナ城の指揮を取ることになっている。
ミゼルとじいたちのパイプを利用して、あらかじめそんな段取りにしていただいた。
—— —— ——
もし、本日中にツクヨミがお城に帰ってきたら。リディアの前から逃げてきたということだ。
じいやザンゲツは、さぞやがっかりするだろう。
『あ、あの……そういう……問題では……』
「あっ、そうだ!」
ツクヨミを遮り、ぽんと手を打つと。ベッドからぴょんと飛び降りた。
「お茶入れてくるねっ」
『っ、ちょ……お待ち……く……ぁ、っつ……』
「ツクヨミさんは休んでて」
『ぁ、そ、それよ、り……くす、り……』
「逃げないように、もう1回かけておかなきゃね。【……」
『あっ……お、おやめください……っ……!』
幻獣マインドフレアを召喚して、ツクヨミの麻痺状態を上書きしてから。寝室の窓に向かった。
「あぁ……空気も入れ替えた方がいいかなぁ」
『あ、お、待ちください……!』
ツクヨミを無視して、少し窓を開けると。
ひゅうと音を立てながら、大きな風が部屋の中に入ってきた。
「うわぁー、すごいあめー」
『呪淫』並びに『邪淫』という術の威力は半端がない。
ささいな刺激——そよ風程度でも感じてしまうと言われている。
『っ、あぁぁっ……!』
「もういいかっ」
背後でツクヨミがあえぎ声を上げた。それを聞き届けてから、再び窓を閉める。
そして、ツクヨミをベッドに残して寝室を後にした。
今やっていることは、鬼の所業。そんな自覚はある。
それでも、ツクヨミが『呪淫』の存在を自ら打ち明けてから。
リディアとセックスする決意を持たせるために、どうしてもやり切らなければならない。
(多めにお茶作っておこう)
台所で茶葉を入れたガラスのティーポットに、沸かしたお湯を注いで紅茶を作った。
先日バロンで購入したフォンデュ鍋の土台に、ティーライトキャンドルを置いて火を灯す。
その上にティーポットを載せれば、紅茶は保温状態。
紅茶とカップ、お砂糖のびんをトレイに載せて寝室へ戻った。
§
「お待た……」
『あ、ぁっ、リ……リディアさまぁ……!』
ツクヨミが神か救世主にすがるような声を上げながら、リディアを見てくる。
リディアが台所にいたのは、10分程度。
その間、手足を動かせない状態で放置されていたのだから。
今ツクヨミの頭の中は、とろとろにとろけ切っていると思われる。
(こんなエッジ見るの、はじめて……!)
口元やあごの火照りはおさまらず、はあはあ息をついている。
ツクヨミのそんなみだらな様を見て、なけなしの加虐心がむくむく湧き上がるも、ぐっと抑える。
(いじめるのは、今日が最初で最後だもん!!)
今ここで、予定以上にいじめたら。後日ツクヨミから仕返しされるかもしれない。
中の人の性格上、どんなことをされるか想像するだけで恐ろしい。
「お茶飲む?」
『い……いりませんっ……』
「口移しで飲ませてあげるよ?」
『そ、そんな……こと……リディアさまに……させられ……せん』
「そう……」
(飲んでる余裕ないか)
お茶を勧めても、ツクヨミは唯一動かせる首を横に振ってまで拒否してきた。
ここからは、娼婦さながらの演技をお見せしなければならない。
羞恥心が高いリディアには、とても難易度が高い。けれど、術を解除するためなら……。
(1日だけ女優!!)
書机にトレイを置きながら、唇を強く噛みしめて気合いを入れてから。
ベッドに上がってツクヨミの前に座った。
『っ、はぁっ……』
「大丈夫? すごく苦しそう」
『……っ、ぁぁ……』
熱い息をもらすツクヨミがかぶるお面を、右手でそっとなぞりながら首を下に傾ける。
「やだ……興奮してる……!」
(ずっと前からだけどね)
ツクヨミの下半身のある部分だけ、異様に盛り上がっているのを見ながら。
今気付いたかのように、わざとらしく驚きの声を上げた。
『っ、くっ……!』
リディアに興奮しているところを見られて、羞恥に耐えきれなかったのだろう。
ツクヨミが唇をぐっと噛み、うつむいてしまった。
「え、何もしてないよ? どうして??」
『あ、あぁっ……お、おやめ……くださ……いっ……!』
みなぎる一部分をそっと触っただけで、ツクヨミが天井を見上げてあえいだ。
ツクヨミの中の人——エッジは、圧倒的に攻め側の人間である。
それがこうして、一方的(それも性的)にやられっぱなし。
こんな経験、人生初めてな上に屈辱でたまらないだろう。
(ごめんね、今日だけ我慢して!)
心の中で申し訳なく思いながらも、更に攻めにかかる。
「どうしてだめなの?」
『……う、ぁ……っ』
下半身の膨らみを右手でかぶすように覆えば。ツクヨミが上を向いて、歯を食いしばる。
その様が愛おしく見えて、リディアは思わず身を乗り出した。
『……っ!?』
軽く触れるだけの口付けを落とす。
最後にツクヨミの口元をぺろりと舐めてから、顔から離れた。
『リディ、ア……さま……っ……はぁっ……っ』
「キスしたら治るかと思ったのに、治んないね」
ツクヨミの隆起した下半身を視界に入れながら、大きなため息をついた。
(おっ、乙女のキッスじゃあるまいし……!)
今の状態は口付けでは治らない。
それをわかっていながら、わざとらしいことを言った自分自身に呆れてしまう。
それでもツクヨミが堕ちるまでは、演技を続けなければならない。
「触り続けたら治るかな??」
『っ、うああぁっ……っ!!』
もう一度、右手で盛り上がりに触れる。すると、ツクヨミが今にも泣き出しそうな声を上げた。
(え、これだけでイッちゃった!?)
一瞬そう思ってしまったが、下半身は張り詰めたまま。達したようには見えない。
「もしかして……舐めたら治るの?」
『あぁ……っ!! い、いけません……っ!』
「おうちに、はちみつあるし……やろうと思えばできるよ」
『!?』
(……驚くよね)
右手で屹立をさわさわ撫でながら、口淫をほのめかすと。
ツクヨミがひゅっと息を呑んだ音が聞こえたような気がした。
—— —— ——
一夜限りの娼婦を演じるために、リディアはこう考えた。
口が悪いが世話焼きの親友に、セックスのお勉強本を借りようと。
アリサは4人も子どもを作っただけあり、夫婦共々セックスに積極的。関連本をたくさん持っている。
事情を話したところ、ついにツクヨミと付き合う気になったとわかったからか。
アリサが大喜びしながら、女性向きの教本を貸してくれた。
—— —— ——
教本を読んで、口淫を苦手とする女性がとても多いことを知った。
しかも、『男性のアレにはちみつをまぶせばマシになる』。そんな口淫対策まで載っていた。
『それでも……っ、絶対に……させられ、ませんっ、お……おやめください……っ!』
切実な声でこちらに懇願するツクヨミを見て。
リディアは口淫を諦めて、右手を彼の下半身から離した。
—— —— ——
口淫は一度だけしたことがある。というよりも、策略にはまってさせられた。
当時はエッジに対して恋情の欠片もなく、嫌々だった。
苦しかったし、うっかり飲んでしまった精液は本当にまずかった。
泣きながら、まずいまずい。そう言い続けていたリディアを目の当たりにして。
エッジはそれ以来、口淫を強要どころか話題にも出さなくなった。
—— —— ——
(あの時のこと……ずっと引きずってるんだ……)
この女には二度とさせない。今もそう思っているかもしれない。
「じゃあ、どうするの?」
『っ、ぁぁ……っ……っ』
「だんだんひどくなるばっかりじゃない」
『っ、はぁ……っ……さ、触っても……舐め、てっ、あぁ……も、無理な……です』
「治す方法あるの??」
『く、くすり……』
ここにきても、まだツクヨミが性欲抑制剤に頼ろうとする。
「それで完全に治るの?」
『い、いえ……っ、あ、あなた……を……抱かないと……この、まま……』
「媚薬は盛ってないよ?」
『ち、っ……違います……そ、そういう術に……っ、あぁぁっ……!』
(やった!!)
ついにツクヨミが、『呪淫』にかかっていることを白状してくれた。
内容を聞いてみれば、リディアがお城潜入時に読んだ資料とほぼ同じ。
ここまでの努力が報われたようで、嬉しくなってしまう。
『リディ……さま……て、手袋を……』
「え、外していいの?」
『はい、っ……おねが……します』
ツクヨミがあえぎながら、右手の手袋を外すようせがんできた。
『ああ、っ……!』
「ごめんね。あともうちょっとだから」
『う、ぅっ……』
外そうとしたら、手を触られるだけでも感じてしまうのか。
ツクヨミがあえぐわ。はあはあ息をつくわ。顔(口元)が更に真っ赤になるわ……。
いじめているような気分に浸りながら、やっと手袋を外した。
「何これ!?」
野ざらしにされたツクヨミの右手には、手のひら中央には赤い蛇の目の紋章。
『術を受けた……っ、証です……これが……消えない限り……』
「っ、怪我って言ってたじゃない! うそついたんだ!」
『……申し訳……ござい……せん』
公民館で、既に紋章を目にしている。
知らないふりをしながらツクヨミをののしると。うなだれて謝罪してくれた。
「これがあるから、恋人になるのを待てって言ったの?」
『は、い……っ、不慮の……はぁ、ぁっ……事故で……手を出す……訳には……』
「どういうこと?」
『っ、こん、なっ……状態で……はぁっ……っ、抱く……信条に反……』
術を受けた状態でリディアを抱きたくない。
ツクヨミはそんな理由で、本物の恋人になるのを延期しようとしたらしい。
(今更いい子ちゃんしても遅いよ!)
信条に反する。その言葉が解せない。
影縛りの術を使って、セクハラしてきたのは誰だ。
言質をとって、おとなの関係を強要したのは誰だ。
「他の人の目、絶対見ないって限らないでしょ」
『っ、は、い……おっしゃる、通りです……』
「もし誰かの目を見ちゃったらどうするつもりだったの?」
『ぁ、あっ、く、くすりで……っ……』
(あたし、薬以下なの!?)
ツクヨミがまた薬と口にした途端、頭に血が上った。
「薬じゃ、その場しのぎにしかならないんでしょ!? 相手と寝なきゃ完全に治らないんでしょ!?」
『は……は、い……』
(薬、薬、薬……いい加減にしてちょうだい!)
リディアは腹立たしさを覚えながら、責め立てるような口調でたずねれば。
ツクヨミが荒い息をつきながら、肯定した。
—— —— ——
『もうさ。いっそのこと、お館様の部屋に忍び込んで目を……』
—— —— ——
先日のイザヨイの友人の言葉が脳裏をよぎった瞬間。
リディアは感情の赴くままに、ベッドからささっと降りて自身の書机へ向かう。
「っ、ツクヨミさんが……! 他の人と寝るなんて、っ……絶対やだっ!!」
机に置いてあった2本の性欲抑制剤をぐっとつかむ。
そして、勢いよく書机そばの窓を開けると、大雨が降る闇の中へ抑制剤を投げ捨てた。
—— —— ——
イザヨイは色仕掛けで、エッジを堕とすような女性ではない。リディアはそう思っている。
それでも彼女は、お館様への忠誠心がとても高い。
敬愛する上司が苦しむのを見かねて、いつ身体を差し出してもおかしくない。
—— —— ——
術を解除するためだとしても、イザヨイがエッジと閨を共にするなんて嫌だ。
もちろん、他の女性もあり得ない。
『あ、ぁっ……!』
ばたん!
もはや逃げ道を塞がれたとばかりに、ツクヨミが情けない声を上げたのをよそに。
大きな音が立つぐらい、窓を荒っぽく閉めてから。鼻息荒くベッドに戻り、ツクヨミの前に座った。
『はぁ、っ……』
ツクヨミの頬を両手で挟み込み、二つの穴の奥で光る瞳を見つめながらこう言った。
「わたしじゃだめ?」
『ぁ、っ、今……なんと……』
「ツクヨミさんに抱かれたいの」
『……な、にを、おっしゃって、っ……!?』
ツクヨミがひっくり返ったような声を上げた。
身体を捧げる。そう言われて動揺を隠しきれないのだろう。
「ミストに帰ってきてから、ツクヨミさん……触れてくれないし……手の甲にもキスしてくれないし。わたしのことも、ろくに見てくれてなかったでしょ?」
この2ヶ月近く抱えていたもやもやを、ツクヨミに直接吐き出した。
『っ……気付いて……おられ……とは……』
「お面してても、バレバレだったよ?」
2ヶ月前、ミストに帰ってきてから。ツクヨミからの視線を感じなかった。
それも、もやもやのひとつであった。
—— —— ——
あまりにも気になって、ある日のツクヨミの顔の動きを観察してみた。
そうしたら、以前のリディアとそっくり。相手の顔から視線を外す動きをしていた。
その後、お城に潜入して『呪淫』の詳細を知ったことで。
ツクヨミは、リディアの目を見ないように、わざと視線を外していると気付いた。
—— —— ——
「これから薬でごまかすぐらいなら、今治した方がいいよ」
『ぅ、っ……』
「本物の恋人になります、逃げずに続きやりますって誓ってくれたら、万能薬使ってあげる」
『な、っ……それは、脅し………』
「ツクヨミさんもこの間、似たようなことしたじゃない」
『っ……』
「これ返せって言われた時……すごく悲しかった」
リディアは右手を、ツクヨミの顔の近くまで差し出して。
オリーブグリーンに光る指輪を見せてあげた。
(だいすきな人が贈ってくれた指輪、返したくないよ)
お館様を忘れます。そうツクヨミに誓わされた夜。
もし、ツクヨミとさよならして指輪を返せと言われても、必死で抵抗していた。
「誓ってくれないなら、今すぐトードかけて外に放り出して絶交。二度と会わ」
『——ちっ……ちかいます……!!』
(あと、もう一押し!!)
リディアと二度と会えない。到底無傷でエブラーナに帰れそうにない。
そんな脅し内容を聞いて、ツクヨミが慌てたように誓うと申し出てくれた。
「じゃあ、本物の恋人になってくれる?」
『は、い……ぜひ……こちらから……っ!!』
「逃げずに、わたしのこと抱いてくれる?」
『え、ええ……逃げも隠れも、っ……いたしません……』
リディアがお願いする度に、ツクヨミがうなずきながら返事してくれた。
快楽のとりこと化して、物事を考える余裕がなさそうだ。
(拷問に使えるんじゃない??)
ツクヨミが、目の前ににんじんをぶら下げられて走り続ける馬のように見える。
この術を黙秘を貫く犯罪者に使えば、みんな自白するかもしれない。
『っ……ひとつ……お願いが……』
「なぁに?」
『ど、どうかっ……お面だけ、は……この、まま……』
(あれだけ頑丈にしてたらね……)
この期に及んでも、ツクヨミが最高機密——素顔を隠したがる。
彼の白い狐面をちょんとつついてから、おどけたようにこう言ってあげた。
「恥ずかしがり屋さんなんだね」
『もう……ぁぁっ……しわけ……ございません……』
「薬取ってくるね。ちょっと待ってて」
『……あ、ありがとうっ……ございます……っ、!』
寝室を離れて居間に向かいながら、リディアはしみじみ思う。
(こんな状態でも、よくツクヨミさんでいられるなぁ……)
ここまでの間、快楽で頭をどろどろにされながらも。
エッジは頑として、『ツクヨミ』の仮面を外さない。
憑依したような演技力の高さに、一種の感動を覚えながら。
居間机に置いてあった万能薬を持って、再び寝室に戻った。
「はい、どうぞ」
万能薬のびんのふたを開けて、ツクヨミに薬を飲ませてあげる。
喉をこくりこくりと動かしながら、最後の一滴を飲み干した瞬間。
『あ、ありがとう……ございます、っ……!』
「っ……ひゃぁっ!」
四肢と胴体の縛りが解けるやいなや。ツクヨミがお礼を口にしながら。
リディアの両肩をがっとつかみ、ベッドに押し倒してきた。
『はぁ、っ……』
「ツ、クヨミさん……」
『はぁっ……や、さしく……出来……そうに……』
ツクヨミがこちらを見下ろしながら、余裕のなさを口にする。
リディアには、そんな彼が獲物を目にしてよだれを垂らす獣のように見えた。
「いいよ。術が解けるなら耐え……っ!?」
そういいながら、ツクヨミの身体をそっと抱きしめてあげると。
鎖が外れたけだものと化して、リディアに襲い掛かってきた。
——それから数十分後
はしたなく開かされたリディアの両足の間に、ツクヨミが顔を埋めている。
「っ、あぁっ……そこ、やだぁ……!」
『っ……!』
「おっ、音立てないでぇ……あぁぁっ……」
『……』
砂漠のオアシスのごとく。ツクヨミがじゅるじゅる水音を立てながら。
秘所からいやでもこぼれる蜜を吸っては飲み、吸っては飲みを繰り返している。
優しく出来そうにない。そんな事前予告通り、ツクヨミはここまでろくに話しかけてこない。
いつかの雨夜に、罰ゲームという名の無言プレイをされた時以上のがっつき具合である。
「っ、はぁぁっ……!!」
『……』
濡れそぼつ秘筒の中に指を挿れられて、リディアは悲鳴めいた声を上げた。
おそらく、中をほぐすつもりなのだろう。
「あ、ぁっ……」
『……』
『ど、どっちかに……ぁ、あぁんっ、だめ、そこおぉっ……!』
(こんなの……はじ、めて……)
ツクヨミが指で、中——秘筒を蹂躙しながら。外——秘所を舌で舐めまわしてくる。
同時愛撫は、『エッジ』にも一度もされたことがない。
今のツクヨミは『呪淫』のせいで性欲が底上げされているから、がっついてくる。
それをわかっていながらも。身体はじわじわ熱くなり、心は歓喜に震えてしまう。
(見えるだけで……こんなに変わるんだ……!)
これまでセックスの際、目隠しで視覚を遮られていたせいで。
リディアがまともに男性の裸を見るのは、これが初めて。
ツクヨミが顔以外、全てを晒した状態で、胸やうなじに背中やお腹……。
身体のあちこちを舐めて吸って、今は一番恥ずかしい場所に顔を押しつけている。
そんなツクヨミの姿を見ただけで、快感が上乗せされてしまうものの。
未だに、ツクヨミのモノだけは直視出来ないでいた。
§
「あっ……ぅっ、ぁ、あぁあぁぁっ……!」
中と外を同時に愛撫されて、喉を反らしながら愉悦に浸っていたら。
仕上げとばかりにツクヨミがじゅうと音を立てながら、秘所に吸い付いてくる。
その途端、頭の中が白く弾けて悲鳴じみた声を上げた。
「……はあ……ぁ、っ」
『はぁっ……はぁ……』
秘所から顔を離したツクヨミと、しばらくお互いに顔を見合わせて息をついていたが。
突然ツクヨミが上体を起こしてから。
リディアの太ももに自身のモノを押し当てながら、こう言った。
『リディア、さまっ……そろそろ……』
(最初の時よりは痛くないよね)
すっかり喉が潤ったのか。早くつながりたくてたまらないのか。いよいよ挿れられる。
そう察したリディアは、こくこく小さくうなずくことで、了承した。
『くっ……!』
「あ、ぁっ……っ……!」
濡れていても、男の身体を受け入れたのは2年ぶり。
破瓜の時よりははるかに軽いけれど、痛さに思わず声を上げてしまった。
『っ……大丈夫ですか』
「そ、そのうち慣れる……っ、から」
(場数踏めばいいんだし……)
ツクヨミが上から覆いかぶさってきて、リディアを抱きしめながら。
額や首筋、頬……顔周辺の至るところに軽い口付けをしてくれる。
リディアもツクヨミの首に腕をまわせば、互いの唇を触れ合わせて、深い口付けを交わした。
「はぁ、っ……」
『……しばらく、このままでいましょう』
「う、んっ……」
『ご迷惑をお掛けして、申し訳ございません……』
「っ、わたしが……相手でよかったでしょ?」
『はい……薬に頼ろうとしていた自分がばかばかしくなりました……』
けだものから人に戻ったようだ。
ツクヨミと1、2時間ぶりに、まともに言葉を交わしている。
「もしかして……もう、おさまっちゃった?」
『完全ではありませんが……っ、挿れた瞬間に大分緩和されました』
「あ、そうなんだ」
『っ……これが完全に消えれば……』
ツクヨミが自身の右の手のひらを見せてくれた。
先ほど見せてもらった時よりも、赤い蛇の目の紋章がかなり薄くなっている。
「つながるだけでいいんだ」
『そのようですね。文献には身体をつなげるとしか残されていなかったものですから』
(『青ばら』のことは、やっぱり隠しちゃうか)
『青ばら』は『呪淫』と深く関わりがあった。
ツクヨミはそのことを、リディアに話すつもりはないようだ。
—— —— ——
もし『呪淫』をかけられて、最初に視線を交わした女性が。
南にあったケイコクという一族の女性だった場合。その一族の傀儡にされる。
—— —— ——
(あのふたりの操り人形にされていたら……エブラーナ、終わっちゃうよ)
『青ばら』のボスとその娘——エッジの元婚約者は、ケイコクの末裔である。
なおかつ、エッジに『呪淫』をかけた張本人。
エッジがそのふたりと視線を交わさなくて本当によかった。
『……意外でした』
「ふぇ?」
頬をそっとなぜられ、見上げてみたら。ツクヨミの口元が微笑んでいるように見えた。
『あなたは……ご自身を大切になされる方だと思っておりましたから』
「相手が好きな人でも、大切にしなきゃだめなの?」
『それは……』
「わたしね。ツクヨミさんと本物の恋人になって、こうしたかったの」
『僕も同じでしたが……それでも、あと1年』
「——ばかっ!」
ばちん!!
『ぅ、っ!』
1年と聞くなり、かっとなってツクヨミの胸元に張り手を食らわせた。
素肌に張り手は本当に痛いから辞めてくれ。
この男から、昔そう何度も言われていたにもかかわらず。
頭からそのことがすっかり抜け落ちていた。
『く、っ……!』
「人の一生って短いんだよ!? 時間無駄にしたくないのっ!」
痛みを必死でこらえるツクヨミに、容赦なく怒鳴り声を上げた。
(若ぶってるけど、本当はもうおじさんじゃない!)
ツクヨミの中の人は、現在38歳。
世間的には、中年と呼ばれる沼に片足突っ込んでいる。
みながみな60、70歳まで生きるとは限らない。
そもそも、歳を取ると性欲がなくなると言われている。
「それにね……」
そう言うと、ぷいっと横に首を傾けてツクヨミの視線から逃れた。
「急にそっけなくなっちゃって……わたしのこと、もう飽きちゃっ」
『——ばかなことをおっしゃらないでくださいっ!』
「っ!?」
ツクヨミが慌てたような声を上げながら。
リディアのあごをつかみ、強引に自身の方へ顔を向けさせた。
『ぎゃ、逆ですっ!! 日常生活に支障が出るレベルで……魅力がございますっ!!』
「へへっ……」
唾を飛ばしそうな勢いで、ツクヨミが熱弁をふるった。
その必死さに思わず笑みがこぼれてしまう。
ツクヨミとして、そう言われただけで喜んでしまうのに。
エッジご本人さまに同じことを言われたら、一体どうなってしまうのだろう?
『……悔しくてなりませんよ』
「え?」
『っ、どうして……あの方が先に、っ……!』
「え、それは……」
ツクヨミが怒気をはらませながらこぼした言葉に、うろたえてしまう。
(あなた、エッジでしょ……)
ツクヨミはリディアが既に処女を失っており、その相手がお館様だと知っている。
今のツクヨミは演技なのか。それとも、本気で自分自身——お館様に嫉妬しているのか。
一体どちらなのか、リディアがそれを考える余裕はない。
『っ、僕がこれから……あの方を忘れさせてあげます……っ!』
「え、っ……あっ、ぁぁ、ぁあっ……!」
言葉通り、リディアの身体に残る『エッジ』の記憶を上書きせんとばかりに。
ツクヨミが腰を激しく前後し始めた。
(さ、最後まで『エッジ』の名前、呼ばない!! 気絶……しないんだからっ……!)
達したら『呪淫』は解除される。本物の恋人になってくれると誓ってくれた。
リディアは快楽と幸福の潮流に呑み込まれながら。心の中で、必死で自分自身に言い聞かせていたのであった。
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