フェイクラバーズ 作:かえで
——それから約2時間後
ここはミストの集落の中央にある広場。
これからリディアが奪還した幻獣を利用して、ミストドラゴンのたまごを孵化に導く。
無事に生まれたら、ドラゴンと召還獣としての契約も結ぶ予定になっている。
ミストの歴史に新たな1ページを刻む……。
その瞬間を目にするために、たくさんの住民が集まり、みんな座って待っている。
まるで、お祭りさながらの雰囲気である。
「——先生っ! たまごに力入れといてやったぜ!」
「ありがとう。長い間ご苦労様」
オリバがミストドラゴンのたまごをリディアに渡す。
すると、得意げな表情で鼻の下をこすりながらこう言った。
「まあ、うち5割ぐらいは、俺の力なんだけどさぁー!」
「そんな訳あるかーい!」
「どっからそんな自信が出てくるのー?」
いつもつるんでいるふたりから、オリバが突っ込まれている。
それを見て、集まった住民がどっと笑い出した。
—— —— ——
今回はエッジとルカ、そして御伽衆もミストの集落にやってきた。
黒衣の男は、ファルコン号でお留守番である。
集落の入口で待っていたエスタに、広場へ案内されてから。リディアはその中央へ。
エッジたちは広場の片隅で、傍観者に徹することにした。
当初多くの住民が、4年ぶりに姿を現したエッジを不審げに見ながら、ひそひそ話をしていた。
しかし、村の守護幻獣の復活目前とあって、彼らの興味関心はすぐにそちらへ移った。
……約1名を除いて。
—— —— —
『さあ、幻獣たちを召喚してあげて』
「エーテルもたくさん準備してあるからね」
「ありがとうございます。それじゃあ……【……」
エスタとラルフに勧められ、リディアは奪回した幻獣を立て続けに召喚した。
広場の中央上空に浮かぶ、ラムウ、シヴァ、イフリート、タイタン、そしてシルフが。
エスタの指示に従い、リディアが抱えるたまごに次々と力を注いでいく。
幻獣たちの力が黄色、白、赤、橙、緑……色とりどりの光の粒子として、たまごにすいすい吸い込まれる。
この世でそうそう見られぬ神秘的な光景だったが、1分も経たないうちに。
リディアが抱えていたたまごが、白紫色の淡い光を放ち始めた。
『もうすぐ生まれますよ』
「早いですね……! もっと時間がかかると思っていました……」
『みなさんが力を注いでくれたおかげですよ』
エスタがたまごの孵化を告げると、ラルフが目を見開いている。
エスタたちだけでなく、エッジや住民たちも固唾を飲んで、たまごを見守る中。
ぴきぴき何かが割れる音のすぐに、たまごにひびが入った。
すぐにその隙間から、大きな竜——子どもミストドラゴンがひょっこり頭を出した。
歓声が沸き上がる中。子どもミストドラゴンが上空に向かって、ぴゅいっと飛んでいったが。
すぐに急降下して、リディアの前にふわりと降り立った。
「はじめまして、ミストドラゴン」
『きゅうきゅう』
「ふふっ、かわいいねっ……!」
子どもミストドラゴンは、生まれたてにもかかわらず。身体はいっぱしの大人。
言葉は通じるが、まだ人語は話せないようだ。
「契約する前に、お願いがあるんだけど……聞いてくれる?」
『きゅう?』
「あなたと契約するのは、今はわたししかいないんだけど……これから、いろんな人と仲良しになって、契約してあげて欲しいの」
『きゅうきゅう』
「あと、一蓮托生はもうおしまい。他の幻獣たちと同じ契約にしてもらえないかな?」
『きゅ……?』
「それでもよかったら、わたしと契約してくださいっ」
リディアがお願いを伝え終えると。子どもミストドラゴンに頭を軽く下げた。
(予想通りだな)
リディアのお願いに異を唱える住民は誰もいない。
エスタも神妙な面持ちで、ミストドラゴンを見つめている。
「あんなお願い、他の幻獣にしてたっけ?」
「ミストドラゴンは特別でな。親ん時は、ひとりだけしか契約させてもらえなかったらしいぜ」
「もったいないなあ。ミストの守り神みたいな幻獣なのにひとりだけって……」
「さっきの願いごとは、この村の希望でもあんだよ」
「へえ、エッジやけに詳しいね」
「村長から書状がしょっちゅう届くんでな」
ミストの事情は、ここの住民並みに詳しい。そう自負している。
しかしルカにそれを悟られぬよう、あいまいな解説に留めておいた。
—— —— ——
幻獣界の幽閉が解かれたリディアがミストに帰還した後。寄合が開かれた。
オリバたちが発見したたまごは、ミストドラゴンのそれだと確定。
しかも、幻獣界で生きる者たちの寿命。
ジリアンが最期に言い残した、ミストの召喚士の村としての成り立ち……。
今まで知り得なかった情報が明らかになり、話し合いの結果。こんな取り決めがなされた。
§
今は亡きミストドラゴンの契約内容は、他の幻獣たちとは明らかに違う。
その契約内容は、今のミストにそぐわない。
今後たまごが割れて、子どもミストドラゴンが誕生した暁には。
他の幻獣たちと同じように、召喚士の修行を積み、幻獣と心通わせた者なら。
誰でも契約を経て、召喚出来るような契約を結ぶように。子どもミストドラゴンに交渉する。
もし拒否されたら、契約を見送ることにする。と。
—— —— ——
『……』
(心話でも使ってんのかね?)
子どもミストドラゴンが、ラムウやシヴァたちと視線を交わしている。
一蓮托生の契約の意味がわからず、先輩方にたずねているのだろうか。
「や、やっぱり……だめかな?」
反応がなく、このままでは契約見送りになると思ったのだろう。
不安げな表情で、リディアが子どもミストドラゴンにたずねると。
『きゅきゅきゅきゅきゅー!!』
子どもミストドラゴンが鳴きながら、ぴょんぴょん飛び跳ね始めた。
(めっちゃ喜んでる……)
どこからどう見ても『いいよ』と了承したようにしか見えない。
「よかったぁ……! お願い聞いてくれてありがとう!」
条件を呑んでもらえたとわかり、リディアがうれしそうな表情で。
ミストドラゴンを抱きしめながら、お礼を述べている。
「それじゃあ、早速ですが。わたしと契約してください」
『きゅー』
リディアが差し出した小さな白い手の上に、子どもミストドラゴンの大きな手が乗せられた。
その瞬間。ドラゴンの身体から、紫がかった白い光の粒子があふれ出して。
リディアの体内にすいすい吸い込まれていく。
「あの瞬間……いつ見てもきれいだよね……!」
「そうだな」
幻獣との契約を交わすリディアの姿を、ルカが惚れ惚れしたような顔で眺めている。
一方で、エッジは複雑な心境で契約場面を見ていた。
—— —— ——
ここ数日、リディアが幻獣と契約する瞬間の場面に。エッジは全て立ち会ってきた。
その度に、神々しい美しさを感じながらも思い知らされた。
これからもリディアは、この世界と幻獣界に必要な存在なのだと。
—— —— ——
(こいつは、絶対死なせちゃならねえ……!)
今こうして、ミストの守り神でもある幻獣と契約を交わすところを目の当たりにして。
エッジはますます、そう痛感させられたのであった。
§
無事に契約を交わし、幻獣やミストドラゴンは姿を消したが。ミストを覆う霧は消えずに残ったまま。
子どもミストドラゴンは親と同じく、ミストの洞窟に帰った。
引き続き、子どもミストドラゴン集落を霧で覆い隠してくれるだろう。
広場にいる住民に、エスタがそう説明した直後。住民が一斉に歓喜の声を上げた。
「リディアおめでとう!!」
「せんせー、さっすがぁー!」
「幻獣が復活したぞぉー!」
ミストの歴史が変わった瞬間に立ち会えたのだから、嬉しくもなるだろう。
「エスタ、本当にありがとう……!」
『もう、お礼を言うのはこっちの方よ』
「ごめんね、っ……何にも知らなくて……」
(リディアのおふくろと顔見知りだったのか)
ミストの若い先住民が、エスタの元に集まってきた。
そんな中、ミネルバがエスタに抱きついて泣き始めた。
『過ぎたことはもういいの。それより、ミゼルが戻ってきたら今日のこと、教えてあげてね』
「うん、っ……」
若い先住民は過去のミストを嫌っていたから、喜びもひとしおだろう。
契約者というだけで、周囲に持てはやされるも。
実はミストドラゴンと一蓮托生——人柱的な存在であった。
そんな者は、エスタを最後に二度と現れないのだから。
「今晩は宴会だぁ!」
「お、おい! 今月初めてじゃねえか?」
「この日のために、酒樽キープしといてよかったのう……!」
「いやいや、呑めずじまいだっただけだろ」
(今月から酒断ちしてたら、まあ……飲みたくなるか)
世界規模で危機的状況に陥っているにもかかわらず。
不謹慎なこと——飲酒——を口にする、酔っ払い親父どもまで現れる中。
エスタが広場に集まった住民に向かって頭を下げた。
『みなさん。長い間ご協力ありがとうございました』
「いいよいいよ」
「こっちこそ本当にありがとう」
「助かりました」
「なあ。これからあんたのことさ。ミストの女神って呼」
『——お断りします』
住民が次々とお礼を述べる中。ある中年男性の提案に、エスタが言葉をかぶせて拒絶した。
「ありゃあー、だめですかい」
『だめですよ。わたしは神でもなんでもありませんもの』
残念そうに頭をかく中年男性へ、エスタがにっこり笑んで改めて丁重にお断りしている。
「本当に謙虚な人だな……」
「リディアちゃんとそっくりだ」
「親子だもん。似ていてもおかしくないよ」
(この母親にして、この娘あり、か)
住民たちからそんな声が上がるのを聞いて、再確認する。
平時はどこにでもいる普通の娘でいたい。リディアがそう望む理由を……。
『村長さん、本当にありがとうございました』
「とんでもない。こちらこそ、大変お世話になりました! あなたがいなかったら、ミストはどうなっていたか……!」
『いえいえ、ミストドラゴンも他の幻獣と同じ契約になりましたし、こんなに明るくなったミストをそばで見ることが出来て……もう満足です』
「あ、っ……エスタさんっ!?」
(時間切れか)
満面の笑みを浮かべながら、エスタが話し終えると。力が抜けたかのように、その場に倒れてしまった。
「お母さ……っ!?」
リディアがエスタのそばに駆け寄る。
その間にエスタの姿が元のジャンヌのそれに、すうっと戻っていった。
「っ……」
「おばちゃん」
「これで……最後、っ……早く行け……」
すぐに意識を取り戻したジャンヌが、ゆるゆる腕を上げて。
リディアに向かって、指で上空を指し示した。
ジャンヌには、エスタの魂が浮かんでいるのが見えているようだ。
魂と幻影はほぼ同じ状態。エスタの娘であるリディア。
そして、ジャンヌのような霊感の強い者ぐらいしか見えない。
「っ……お母さんっ!!」
ミストドラゴンの誕生を見届ける使命を終えて。
これからあの世に行く、エスタの魂に最後の別れを告げるために。
リディアがひとりで、ジャンヌが指さした方向へ歩き出した。
リディアは嗚咽をもらしながら、時折うん、うんとうなずく程度で。
エスタと何を一体話しているかは、エッジどころか。この場にいるみな、誰にもわからない。
「あ、あたし……これからも、幻獣界とミストのためにがんばる! もっと欲張って……幸せになるからっ!」
それでも最後に、空に向かってそう叫んだことで。
母親に永遠の別れを告げたことだけは、誰の目にも見て明らかであった。
§
「今よろしいですか? エッジ様」
「おう、久しぶりだな」
「こちらこそ。わざわざ足を運んでいただき、本当にありがとうございました」
友人やジャンヌと言葉を交わすリディアの元へ、ルカが向かったのと入れ違いに。
ラルフが、エッジのそばにきて挨拶してくれた。
彼はミストの村長でもあり、エッジを冷遇しないとても珍しいミストの住民であった。
「こうしてお会いするのは、4年ぶりですね」
「……そんな前だったか?」
(久しぶりって感じ、全然しねえ……)
『ツクヨミ』としてミストに頻繁に顔を出し、その際ラルフとよく顔を合わせているせいで。
全くもって4年ぶりの対面を実感出来ない。
「そうです。リディアがいなくなって、すぐそちらにお伺いした時以来ですね」
「ああ……そんなこともあったな」
4年前を『一応』懐かしんだ後。ラルフと情報を交換した。
情勢が落ち着いたら、エブラーナのお手伝い——支援をしたい。
ラルフがそう申し出てくれたのは、とてもありがたく思えた。
「——おまえ、なんで黙ってたんだよ」
「はい?」
話題が一段落したところで、ラルフにある疑問を振ってみた。
「災害手引書。作った奴の名前ぐらい載せとけよ」
「ミゼルさんから頼まれたんですよ。既に僕が村長でしたから、顔を立ててくれたと言いますか……」
「だったら、ミゼルが作ったって最初っから言やいいだろ」
責めるような口調でたずねると、ラルフがふっと苦笑した。
「リディアがミストにいなかった頃、僕が防災対策の資料を送っていただくようにお願いしたことを覚えておられますか?」
「ああ、しっかりとな」
「当時ミゼルさんは、自分がエッジ様に頼んだら断られると話しておりましてね」
「は??」
「あの人はエッジ様に嫌われていると思い込んでおりまして、名を出さないよう僕に頼んできたんです」
「っ、ばかじゃねえのか? んな理由で、断る訳ねえだ……あ……」
ミゼルが頼んできたから、お断り。そんなガキのような真似を誰がするか。
そう思いながらラルフに反論していたが、途中で言葉を切った。
「ははっ! どうやら、心当たりがあるようですね」
ラルフに軽く笑われながら、脳内で過去の記憶をざっくり振り返ってみれば。
心当たり——過去のミゼルへの振る舞いが、次々と出てきた。
—— —— ——
ツキノワのミスト派遣を無償にする代わりに、私情にまみれた条件を、ミゼルにいくつか提示した。
条件が呑めない場合は、忍者——ツキノワを貸さないと。
ミゼルの当時の弱みに付け込み、半ば脅しのような形で呑ませた前科がある。
催促されても、ミゼルからの書状に返事をしなかったこともある。
『ぼくは嫌われてる(から返事が届かない)んだ』と、口にしていたこともあった。
—— —— ——
ミストの大掃除の直後に、村長が入れ替わって以降。
ミゼルとは『ツクヨミ』としても、ろくに顔を合わせていない。
「……オレはよっぽどじゃねえと、よそさまとの付き合いを辞めねえぞ」
「そうですよね。僕も気に病み過ぎだとミゼルさんに言ったんですけど……」
勝手に思い込んだミゼルが悪い。
前科があるのを棚上げして、自身に非はないと主張すれば。
ラルフも私情に流されずに判断を下せるため、同意してくれた。
「そういや、あいつ見ねえが……」
エッジは素知らぬふりをしながら、わざと周囲を見回した。
先日『隠れみの術』を使って、集落に潜入した時。
リディアがミゼルの不在を話題にしていたのを、しっかり聞いていた。
「旅に出ました」
「どこに」
「さあ……? いつかふらっと帰ってくると思いますけど」
しれっとした表情で答えるラルフに、エッジは首をかしげる。
先日集落に潜入した時も。そして、本日も不思議に思っていたのだが。
ラルフも住民も、リディアも、みんなミゼルがどこに行ったのか。さして心配していないように見受けられる。
幼なじみのエスタですら、ミゼルの放牧を娘に勧めていたぐらいだ。
「もうちょっと心配してやれよ」
「大丈夫です。まずジャンヌさんが全く心配していませんし、エスタさんも放置でいいとおっしゃって、みんなそれを聞いて心配しなくなりました」
やはりラルフは、先日の盗み聞きと同じことを答えただけだった。
それでも変人の部類に入るあの男なら。ラルフの言う通り、ふらっとミストに戻ってきそうでもある。
結局エッジは、ミゼルの話題をこれで終わらせたことで。
その男の存在をも、脳内の片隅に追いやってしまったのであった。
——30分後
何でも食いついてくる明るい住民20人程に加えて。ラルフやジャンヌ、リディアの親友たちに見送られながら。
ファルコン号はミストを離れた。
エッジは運転席すぐ左側にあるベランダから、地上を見下ろしていた。
ファルコン号の運転手をつとめる、イザヨイ以外の御伽衆を背後に控えさせた状態で。
「ミストって明るい人ばっかりで楽しそうだね」
「そうなの。昔とは大違いなんだよ」
エッジと同じ、左側のベランダの最前方にいるリディアとルカの会話が聞こえてくる。
ファルコン号は、旧式の飛空艇で小さめのサイズ。
リディアたちの会話は、エッジや御伽衆たちに全て筒抜けであった……。
目的地が遠方なら、ふたりとも部屋に戻っていただろう。しかし、ミストとバロンはお隣同士。
よって、ベランダでバロン到着を待つことにしたらしい。
「わたしもミストに住もうかなあ」
「バロンに近いし、いいと思うよ」
「ねえ! リディア一緒に暮らそう!」
「えぇ!?」
リディアの自宅への居候を申し出たルカに、エッジはぎょっとした。
(ばかやろう! オレらの邪魔すんなよ!)
ミストに移住するだけならまだしも、居候は辞めろと言いたい。
『ツクヨミ』とリディアがふたりきりで過ごす時間が無くなってしまうではないか!
「あ、ぁ……え、と。それは……」
リディアもエッジと同様のことを考えていたのか。うろたえながら返事をいいあぐねていたが。
「冗談だよ」
「なんだ、びっくりさせないでよ……!」
「リディアすぐ引っかかるから、面白いねえ」
「もうっ!」
リディアが、けらけら笑うルカに怒っている。
(10以上も若え奴に騙されて……大丈夫かよ)
ルカとリディアの同居がお流れになり、安堵する傍ら。いささか心配になってしまった。
リディアの何でも真に受けてしまうぐらいの純粋さは、この先も治りそうにないことに……。
「——ツキノワ」
「はい?」
「どうだったよ。久しぶりのミスト」
エッジは後ろを振り返り、子ども忍者にたずねてみた。
ツキノワは以前任務を兼ねて、1年間ミストで暮らしていた。
本人なりにミストに愛着があったのを、エッジは知っていたため。
御伽衆を護衛として、ミストの集落に連れていく格好で今のミストを見せてあげたのだが……。
「みなさん、お元気そうで安心しました」
「ガキんちょどもも、すっげえでかくなってたな」
「はい。中身は全然変わっていませんでしたけどね」
目を細めて答えてくれたツキノワに、エッジは感心してしまう。
ガキんちょ——よくつるんでいたオリバたちは、元気で楽しそうだった。
そんな彼らを目にして、まるで自分のことのように喜んでいるように見えて。
「でも、ひとりだけ……」
「どうした」
「昔泣き虫だった子が元気で明るくなって……びっくりしました。3年で人って変わっちゃうんですね」
名は出さなかったが、おそらくツキノワはユノのことを指している。
—— —— ——
元夫にトロイアへの強制帰還を迫られて、ライザと娘ふたりがミストを離れてから。
再び戻ってくるまでの2年の間。それは、もういろいろあった。
母娘で夫の実家を飛び出し、離婚が正式に決まるまで。
3人でトロイアの町で暮らしていた時期もあった。
§
その町で自立を目的に働き始めたとはいえ、根は控えめな母親。
そして、人の気配や声に敏感で対人関係が大の苦手な姉。
ふたりの代わりに、本人なりに世間の波にもまれた結果。今のユノになったのだろう。
以上は母ライザの予想として、以前リディアが『ツクヨミ』に教えてくれたことである。
—— —— ——
(あんな騒がしい奴じゃなかったもんな)
ツキノワ——『ノア』が知るユノは、泣き虫で怖がりだったから。驚くのも無理はない。
「ジャンヌさんも、お元気そうでよかったです」
「あいつ、見送りん時おまえばっか見てたな」
どこから見ても『ノア』とツキノワは、姿が違うのに。
ジャンヌは見送りの際、ほぼツキノワばかり見ていた。
まるで母親のごとく、慈愛の笑みまで浮かべていた。
「これで、ボクがノアだと気付いてくれたみたいです」
「……どうしたんだそれ」
ツキノワが、これ——右耳についた大きく丸いヒスイのピアスを指さした。
エッジはその理由にうすうす気付いていたが。知らぬふりして聞いてみた。
「ミストを離れる前に、ミゼルさんたちが贈ってくださいました」
「それが『ノア』の目印になってんだな」
「そうです。ボクがミストを離れてからも元気でいるかどうかだけは知りたいと、ジャンヌさんが言ってまして……」
「んで、ミゼルがおまえにピアスを買ったのか」
「はい。そうです」
忍者のレンタルをエッジに依頼したミゼルとその妻だけが。
『ノア』が、姿も名も変えた子ども忍者だと知っていたが。
さすがに『ノア』の本当の名や正体までは知らない。
『ノア』が任務を終えてミストを離れれば、死に別れも同然。
ただ、このピアスを付けていれば、例え言葉を交わせなくても。
互いに生存確認だけは出来るとでも思ったのだろう。
ミストを去る前に、ミゼルたちからヒスイのピアスをもらった。
以前ツキノワが『ツクヨミ』にそう教えてくれたことがあった。
その時は、お揃いで買った単なる記念品だと思っていたが。
ピアスを贈ったミゼルたちの狙いは、『ノア』の生存確認だったようだ。
「でも、ミゼルさんは今日……」
ツキノワが突然表情を暗くさせた。
世話になった男が、ミストにいなかったことを寂しがっているように見える。
「話聞いてたろ。このご時世に旅出るような頭おかしい奴だ。ちょっとやそっとじゃ死にゃしねえよ」
「そうですね。昔から変わった方でしたから……あの、お館様」
「なんだ」
「——ミストに連れていって下さり、本当にありがとうございました」
ツキノワが頭をぺこりと下げて、お礼を言ってくれた。
視線を交わすだけの簡素な生存報告ながらも、お互いに『元気です』と。
お世話になった女と、意思の疎通が図れたことに満足しているように見えた。
§
話も一段落したことで、エッジは再び前を向いた。
しばらく、暗い空を見上げながら。リディアとルカの話の盗み聞きに興じていたところ……。
「リディアのお友達で、よくしゃべる人いたよね」
「アリサ?」
「そうそう。その人、今日すごく大人しくなかった?」
やはりルカは、リディアの親友の名までは覚えていないようだ。
ルカは1年ほど前から、ミストに足を運ぶようになったが。
年に数回に留まり、あまり集落に足を踏み入れたことがない。
本日ルカ自ら、エッジにそう話してくれた。
「……旦那さんにサイレスかけられてたの」
「え?」
「アリサは、エッジのこと好きじゃないの。エッジに喧嘩売ったら、旦那さんが困っちゃうもん」
(しゃべれねえから、こっちにらんでたのか!)
エッジの中で、久しぶりにラルフ株が右肩上がりにぐんと上昇した。
—— —— ——
集落にいる間。いつアリサが突っかかってくるか。ほんの少しだけ、ひやひやしていた。
『よくいけしゃあしゃあとミストに顔出せたわねー! リディアやミストのこと見捨てたくせに!』
あの女なら、人前でもそれぐらい平気で言ってくる。
しかもアリサは、時折エッジを憎々し気ににらんできた。
その度に、エッジの背後にいたイザヨイがアリサに殺気を向けていた。
仮にあの女が、エッジに突っかかってきていたら。イザヨイに成敗されていたかもしれない。
アリサも負けじと、毒と屁理屈でこちらに5倍返しするだろう。
……エブラーナ(実質イザヨイ)とミストに、更なる遺恨を残すのが目に見える。
—— —— ——
ラルフはミストの長としても有能。しかも、口限定荒くれ者の妻の操縦法に長けているとは。
人並みの体型に戻れば言うことないのに。戻る気配がなさそうなのが残念だ。
「うわぁ、珍しい。エッジのこと好きじゃない人っているんだ」
(ミストじゃ、オレの好感度はほぼゼロだぞ!)
ルカはミストの住民たちが向ける、エッジへの視線に気付いていなかった。
忍者でもないので、ひそひそ話も聞こえていなかっただろうから。
リディアの言葉に驚くのも無理もない。
「アリサはギルバートのファンなの」
「へえ、やっぱり女性に大人気なんだ」
「アリサにとってギルバート以外の男の人は、ちりも同然だから余計かもしれないね」
「すっご……その人、大物じゃない」
「今頃、旦那さんと喧嘩してるんじゃないかなあ……」
そう言いながら、リディアがかばんから何かを取り出した。
「うわぁ、いいにおーい!」
(薫衣草入りの香水か)
突然ルカが歓声を上げた。
その直後、薬草のかすかな香りが、風に運ばれてきて鼻腔をくすぐってきた。
エブラーナでなじみ深い、優しい花の香りも混じっていた。
薬草園も隕石の被害に遭ったと、本日じいから聞いている。
薫衣草の開花時期ではなかったのは、運がいいかもしれない。
今が夏なら、紫色の畑は焼け野原になっていただろう。
「どしたの、これ?」
「ライザが作ってくれた香水だよ」
「あぁ、すごく大人しいひとだね」
「薬草を使った香水作りが趣味でね。安眠用と落ち着き用と……元気になれる用。たくさん作ってくれて、旅のお供にって渡してくれたの」
「へえ、また借りてもいい?」
「いいけど……運転前は、安眠用使っちゃだめだから」
「やったー!」
ルカがうれしそうな返事をしているのが聞こえてきた。
この数日間、モンスターとの戦いか、空の上にいるかのどちらか。
非日常が続き、否が応でも精神的に疲れがたまる。
香りの力で多少でもいやせるのなら、利用する手はないと思う。
「……なんと……薬草……薫衣草が好みとは……」
後ろから、どこかうっとりしたような野太い男の声が聞こえてきた。
嫌な予感がしてたまらない。
(マジであいつに惚れたのか!?)
恐る恐る肩越しからのぞいてみれば。声の主——ゲッコウがぽやんとしたような顔で、顔を赤くさせている。
—— —— ——
集落にいた時、後ろを見る度に。ゲッコウが誰かに熱い視線を送っていた。
その視線の先には、必ずと言っていいほど。リディアのもうひとりの親友がいた。
発着場での見送り時に、彼女はリディアに香水が入ったガラスびんをたくさん渡していた。
ゲッコウはその場面もしかと見届けていたらしい。
—— —— ——
「……しかし……どう誘えばよいか……」
(ばかばかしい!)
声すらかけていないのに、デートのお誘い妄想だけは一人前。
後ろを向いて、「おい」とゲッコウに声をかけたが、返事はない。
「おい」
「……」
「ゲッコウ!」
「は、はいっ!?」
「おまえ……ミストで茶髪のおかっぱ女ばっか見てたろ」
「っ!?」
(うわぁ、マジか……)
ゲッコウが目を真ん丸にして巨体をびくりと震わせた。
それを見ただけで丸わかり。茶髪のおかっぱ女——ライザに一目惚れしてしまったのだと。
「まさか、ライザおばさん……?」
ツキノワがそうつぶやいてから、不安そうな表情で、隣のゲッコウを見上げている。
エッジが口にした特徴だけで、ゲッコウの想い人に気付いたらしい。
「そいつに一目惚れしたのか」
「なっ、何をおっしゃるのです!? 某は一生結婚せぬつも」
「——しねえじゃなくて出来ねえだろが」
「うっ!?」
「もう手遅れだ。諦めて一生独身で過ごすんだな」
「っ……」
(人が結婚勧めてやった時に、女見つけりゃよかったのに)
エッジのすげない一言に、ゲッコウががくりと肩を落とした。
現実を突きつけてやっただけなので、罪悪感はゼロである。
—— —— ——
本日は本人と娘ふたりが、違う場所にいたから。独身女性に見えただけで。
ライザは離婚歴がある子持ちの主婦。しかも、ミスト愛(リディア愛ともいう)の持ち主だ。
ゲッコウは、御伽衆の立場かつ祖国愛が高くエブラーナ以外に移住する気はない。
しかも、いかつい見た目に反して。イザヨイ以外の女の前では、しどろもどろになる。
—— —— ——
エブラーナ一辺倒、なおかつ恋愛偏差値ゼロでは。どんな女が相手でもお話にならない。
「と、ところで、我ら御伽衆はバロンで……」
「ああ、ちょっと待て」
今後の予定をたずねることで話題を逸らしたゲッコウに、そう告げてから。
腕を組んで、しばしの間思考を巡らせる。
「……救護室で休んでる奴ら、守ってやってくれ」
「お供は必要ございませんか」
自分の護衛をしろ。そう命じたせいで、御伽衆(1名を除く)は、エッジと行動を共にしたがっている。
バロン城殴り込みの際、ぜひともお供をしたい。
ゲッコウの言葉から、ひしひしとそれが伝わってきたが……。
「これ以上、あいつらに寝込まれちゃ困るんだよ」
バロンで一体何が待ち受けているかわからない。
まだ寝込んでいるヤンたちは回復後、戦力として計算している。
彼らが襲われて、回復が遅れでもしたらとても困る。
「……かしこまりました。お館様のご意志に従います」
「ああ。頼んだぞ」
エッジの指示を、ゲッコウは難なく受け入れてくれた。
れっきとした理由があれば、この男はすぐ従ってくれる。
次の予定もほぼ決まり、バロン城到着までの待ち時間を潰すために。
前方でルカと話しているリディアをちらちら見ながら。ぼんやりと思いを巡らす。
(『ツクヨミ』に戻りてえ……)
リディアとは、エブラーナを発つ前から一言も口を利いていない。
あちらさまも、エッジを避けてくれている。
狙い通りの展開になってくれたものの、その状況がだんだん辛くなってきた。
仮にバロン城の結界が解かれており、謎の少女と対決して勝利したら。一気にスピード解決。
『ツクヨミ』として、リディアに会える日がぐっと近くなるが、そう簡単には行かないだろう。
—— —— ——
下手をすれば、リディアはこのまま『ツクヨミ』と永遠にさようならかもしれない……。
—— —— ——
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