フェイクラバーズ 作:かえで
「今からエッジは、わたしの恋人になるの」
リディアがそう告げると、エッジの頬から手を離してその場に腰を下ろした。
不意打ち同然の申し出に、頭の芯は甘く痺れて思考も上手くまとまらない。
こちらの反応を窺うリディアを、呆然と凝視すること数十秒。
「オレが……おまえの……こいびと……」
やっと喉から言葉を絞り出すことが出来た。
「これからは見た目も中身もエッジじゃない人とは、お付き合いしないことに決めたの」
(あん時と同じじゃねえか……)
2年ほど前。幻獣界の幽閉を解かれた直後に、カマをかけられた時と同じ流れだ。
わざと『ツクヨミ』の正体を暴いた。
先ほどリディアがそう暴露した時に、かすかに抱いた疑念がより濃厚になっていく。
「まさか、さっきのアレ……」
「そう。第2第3の『ツクヨミ』さん以外、全部嘘だよ」
「やっぱり……!」
「またカマかけちゃった。——ごめんね」
リディアがおどけたようにぺろりと舌を出した。
(やられた……!)
やはり罠だった。そうわかり、顔に手を当ててまんまと引っかかった己を恥じる。
地獄から一転して天国のような状況に置かれて、どうもおかしい。そう思っていたら。
先ほど浴びせられた辛辣な言葉の数々は、あらかじめ準備されたものだったのだ。
「久しぶりに会えたのに、全然相手にしてくれなくていらいらしてたら、わたしを守って死ぬ気満々でしょ? エッジを止めるにはもう恋人になるしかないと思って、待ち伏せしてたの」
「っ、悪かった……」
「もういいよ。さっき謝ってくれたじゃない」
エッジの演技に愛想を尽かし、リディアは泡沫の存在を消してまで。
エッジ本人と交際するつもりで、用意周到な準備をしてから話し合いに臨んだようだ。
『呪淫』解除の夜以来。こんな強気で積極的なリディアを見たことがない。
今宵の彼女からは、並々ならぬ本気を感じる。
「はいっ」
突然リディアがこちらに向けて手を出してきた。
「何だよ……」
「指輪、返してちょうだい」
「……」
リディアに甘えた声でせがまれるも、返事が出来ない。
「ねえったら」
「っ……」
「指輪返してよ」
煮え切らないエッジの態度に腹を据えかねたのか。
リディアが両手でマントをつかみ、身体をがしがし揺さぶってくる。
「っ、今すぐ……恋人には……なれねえ」
「え」
「だから指輪は返せねえ」
重苦しい口調で、先延ばしを口にした途端。
リディアが揺さぶりをぴたりと止めたが、マントをつかむ両手はそのまま。
「どうして?」
「おまえに……いろいろ詫びなきゃならねえから」
地獄から天国行きのような申し出を、すぐにでも受け入れたい。
それはやまやまだが、無理だ。
このまま水に流した状態で、交際を始めていいのだろうか?
そんなためらいが、エッジの心の片隅にこびりついているから。
「謝らなくていいよ」
「何?」
「許したから『ツクヨミ』さんと付き合っていたんだもん」
リディアがきっぱり言い切ると。薄く笑みを浮かべながらこちらを見つめてくる。
2年間も幻獣界に幽閉したリヴァイアサンを、あっさり許した。
それぐらいには、リディアは海のように寛容な心の持ち主である。
エッジの所業に目をつむるのもわからないでもない。
だからといって、心の中のためらいが消える訳でもなく。
リディアの視線から逃れるように、顔をうつむかせる。
「それ抜きにしても……今すぐは無理だ」
「理由は?」
「おまえ、オレに聞きてえこと腐るほどあるだろ」
「エッジもだよね?」
「ああ。他にもおまえに話しておきてえことがある。恋人になる、ならねえはそれからだ」
「今からだと、朝までかかっちゃいそうだね」
「だろ? 落ち着いてからじゃねえと」
「——だったら、先に恋人になっちゃえばいいよね」
「何だと!?」
「それから、いくらでもお話出来るじゃない」
「いや……」
「だから、早く指輪返してちょうだい」
エッジはリディアが『ツクヨミ』の正体に気付いた理由を知りたい。
その逆もしかり、リディアもこちらに聞きたいことがあるだろうに。
順番をすっ飛ばしてまで、恋人になりたいというではないか。
「話が先だろ」
「結婚する訳じゃないのに、いちいち段取り踏まなきゃならないの??」
「っ……そりゃあ、話聞いたら……ドン引きして……おまえも手のひら返すかもしれねえし……」
リディアから視線を逸らしたまま。恋人延期の理由をしどろもどろに答えた。
(隠れてミストに出入りしてたって聞いたら、さすがに引くだろ……)
普段とは程遠い弱々しい振る舞いだが、仕方がない。
今は指折り数えるほどしかない人生の正念場。はきはき答えている余裕がない。
—— —— ——
素性や経歴を9割方捏造していた、『ツクヨミ』とは訳が違う。
リディアと恋人になるなら、出来る限り隠しごとを打ち明けるつもりでいる。
『ツクヨミ』になった理由や、自身に流れる王族の血の特質も話しておきたい。
傍目から偏執狂——ストーカーと思われても仕方がないこともやってきた。
結局のところ、改めて謝罪をせねばならない。
リディアがそれらを知って、へらへら許してくれるとは限らないだろう。
下手をすれば『やっぱり恋人にはなれないよ』と取り消すかもしれない。
—— —— ——
今ここで恋人になれば天国だ。けれど、事情を話せばまたもや地獄に落ちるかもしれない。
エッジはそれを極度に恐れて、交際に踏み切れないでいた。
「昔のことより、今や未来のことの方がよっぽど大事だと思わないの?」
「いや、それでもな」
「——へなちょこ」
「っ!?」
リディアが身を乗り出し、右手をにゅうとこちらに伸ばしてきた。
「痛っ!!」
その瞬間、エッジの頬に鋭い痛みが走る。
「こら手ェ離せっ!! つーか爪立てんなっ!」
「いつの間に、そんな情けない人になっちゃったの!?」
左目の下あたりを、リディアが怒りながら爪を立ててぎゅうぎゅうつねってくる。
声を上げても、顔を歪ませてもやめてくれない。
「いって……つねるなっ……!!」
「話聞いても別れないよっ!」
「っ、頼むっ……もうやめてくれっ!」
エッジが二度制止の声を上げると、手を離して再びその場に座ってくれた。
「たった1ヶ月で誓い破るの?? 早すぎるよ」
「あれは『ツクヨミ』に誓ったんだろ?」
確かに1カ月前。薄暗い部屋の中でいかがわしい愛の誓いを交わした。
けれど、あの時の誓いの相手は『エッジ』ではなかったはず。
「『ツクヨミ』さんじゃないよ」
「え」
リディアがどこか勝ち誇ったような表情で、こちらを指さしてきた。
「わたしは『あなた』に誓ったの」
「……!?」
『ツクヨミ』として最後の逢瀬の夜。
互いに誓いを交わした記憶を、脳内でほじくり返してみた。
—— —— ——
『わたしも、この命ある限り、身を盾にしてでも……「あなた」を愛し、守り支え……敬い、慈しむと誓います』
—— —— ——
あの時、誓った相手は目の前にいた男——エッジゆえに今も誓いは継続されている。
遠回しにそう主張するリディアに、開いた口が塞がらない。
「……おまえ、わざと主語ぼかしたのか!?」
「そうだよ? こんな時のために保険掛けたの。すぐこうなるとは思わなかったけどね」
リディアは『ツクヨミ』の正体を暴いた、暴かれた場合を見越して。
『エッジ』に誓いが引き継がれるように、あえて『あなた』呼びで誓いを立てたらしい。
「あの日、ごはん食べてる時にブーケの話をしたの、覚えてる?」
「あ、ああ……」
「それから様子がおかしくなったように見えたの。そうしたら、その後『あなたには大変申し訳ないです、僕は結婚する気はございません』だもん」
「……おまえが強がってねえか、心配でしょうがなかったんだよ」
—— —— ——
その日は、リディアが同僚ミネルバの挙式に参列していた。
話を聞いているうちに、エッジは不安を抑えきれずセックスの合間に心情を吐露した。
リディアに諭されて、セックスした結果。
声が出るようになり、真夜中に誓いを交わしてミストを後にしていた。
—— —— ——
「前から『ツクヨミ』さんは結婚の話題になると、いつも『こんな僕でよろしいのですか?』って聞いてくるから、その度に相手が『エッジ』のつもりでお返事してたのに、全然伝わってなかったんだね」
「あれ、全部おまえの本音なのか?」
「当たり前じゃない」
「マジかよ……!」
「あの日も『ツクヨミ』さんがまた弱気なこと言い出したから、付き合い始めてから考えていたこと、がつんと言ってあげたの」
—— —— ——
『ツクヨミ』としてリディアと交際中。エッジはこんな不安を常々抱いていた。
果たしてリディアは、子を成せず結婚もしない男と終生交際を続けてくれるのか?と。
『永遠の恋人だから、結婚と変わらないよ』
不安を吐露する度に、リディアはあっけらかんとしながらそう答えてくれていた。
—— —— ——
(いつ『ツクヨミ』の正体に気付いたんだ??)
リディアは正体を知っていた上で、『ツクヨミ』との将来について意思表明していた。
それがわかったものの、正体を知った時期がものすごく気になる。
「おまえさ」
「え」
「本気で……エブラーナで暮らすつもりでいるのか」
エッジは弱々しい声で、リディアに恐る恐るたずねた。
あの夜、リディアが将来について話してくれた。それは今でも変わっていないのか。
「前から何度も言ってるし、さっきも言ったばかりじゃない? さすがにすぐには無理だけど」
「恋人以上には……なれないんだぞ……?」
「贅沢言わないよ」
「子どもも……」
「——これからふたりで、他に幸せを探したらいいの。それも前に言ったでしょ?」
リディアの意志は変わっていなかった。
そう確認出来たけれど、表情を暗くさせて視線を落とす。
エッジに向けられた、ミストの住民の冷ややかな視線やひそひそ会話……。
数日前にミストを訪れた時の記憶が、脳裏に蘇ったせいで。
「まだ何かあるの?」
「今更……ミストに顔出せねえ……」
リディアと恋人になれば、ミストやその住民との関わりは避けられない。
恋人面して、ミストにのうのうと現れようものなら。
リディアを『ツクヨミ』から、寝取った最低な男として。
住民から何しにミストに来たと言われるのが目に見えている。
「大丈夫。わたしが何とかするから」
「何か考えでもあんのか」
「えっ? あ……えぇ、と……真月追い払ってから考えるよ!」
笑いながらリディアにあいまいな返事をされて、自己嫌悪に陥ってしまう。
何とかする。そう申し出てくれたリディアに期待してしまうなんて。
住民から嫌われるように自ら仕向けたくせに。調子が良すぎるではないか、と。
「適当なこと言いやがって……」
「大丈夫大丈夫。なんとかなるから。——エッジはなーんにも心配しなくていいのっ」
なぜリディアはこうも楽観的なのだろう。
不思議に思う一方で、尻込みしている自分がだんだんばかばかしくなってきて。
眉尻を下げると、リディアが「ふふっ」と笑ってきた。
「何がおかしいんだよ」
「エッジのそういう顔、初めて見たなぁって思って」
今の自分はお面で表情を隠せず、相当情けない顔をしているに違いない。
好きな女の前ではかっこをつけたくて、そんな表情を見せたことがなかったため。
リディアは珍しく思ったのだろう。
「悪かったな……」
「いいんだよ。それで」
「!?」
笑われたことを恥じて、エッジはぷいとそっぽを向いたものの。
即座にリディアから両手で両頬を挟まれ、こっちを向かされてしまった。
「エッジのいろんな顔、もっと見たい」
「っ……!」
「『ツクヨミ』さんじゃ、顔は見えないし。ぶっきらぼうなしゃべり声も聞けないもん」
ぐだぐだしているエッジに不安なのだろう。
先ほどまでと一転して、頼りなさげにこちらの顔をのぞき込んでくる。
リディアのそんな表情がエッジの胸を痛ませて、葛藤を生じさせる。
(オレはこれ以上、こいつを不幸にさせるつもりなのか?)
思いを告げたくせに愛する女に迫られた途端、及び腰。
現在進行形でリディアを困らせている。
「エッジとして抱いてもらえないまま、人生終わっちゃうなんて……やっぱり嫌なの」
藍色の双眸を揺らめかせながら、声を震わせるリディアを目の当たりにして。
エッジの心の片隅に淀んでいた、ためらいや不安が昇華されていく。
リディアはエッジに思いを寄せてくれている。
うすうすそう気付いていたにもかかわらず。セシルの声しか出せない己を恥じて、逃げ続けていた。
自身の声も取り戻せたことだ。
いい加減『エッジ』として、リディアを向き合ってもいいのではないか?
せっかくリディアがこう言ってくれているのだから、甘えてもいいのでは?
「たった一度しかない人生だもん。わたしと一緒に幸せになろうよ」
「リディア……」
「わたしの恋人になって下さい。——お願いします」
今にもこぼれ落ちそうなぐらい、両の瞳を潤ませたリディアの真摯な訴えに。
残っていたなけなしの心の淀みが完全に消えた。
「ははっ……」
エッジは晒された左目を隠すように、顔に手を当てと力なく笑い出す。
「エッジ?」
「——おまえの勝ちだ」
「わっ」
リディアを力強く抱きしめ、うなじに顔を埋める。
薫衣草のかすかな香りが鼻腔をくすぐり、愛しさがこみあげてくるのを感じながら。
エッジはそのままの姿勢でこう口にした。
「オレは……国王で……普通と全然違うところにいる奴だ」
「知ってるよ」
「一度、民に宣言したもんも……覆せねえ」
「それも知ってる」
「子どもどころか、ひとつ屋根の下で……一緒に暮らしてやれねえ……」
そう言い終えると、身体を離してリディアの両肩をつかんで真剣な眼差しを向ける。
「本当に本当に、このオレでいいんだな!?」
「いいよ。わたしはエッジじゃなきゃだめなの」
一般男性とは違って、特殊な立場に置かれている上に。
自身の信条を貫きたいがために、禅譲制に伴う終生独身宣言の撤回という道理を覆さず。
恋人以上になれない自分と一生を共にしてくれるのか。
半ば叫ぶように問いかけると、目を細めて了承してくれた。
リディアは『ツクヨミ』の正体に気付いていながら。『ツクヨミを演じるエッジと生きる覚悟を決めてくれていた。
それがわかり、胸の底からうれしさが込み上げてくる。
「くそ、っ……!」
喜びとは裏腹に、汚い言葉をこぼしながら。またまたリディアの小さな身体を強い力でかき抱く。
「なんなんだよおまえ……! 知らねえうちに……一段と立派な女になりやがって……!」
「エッジが『温室育ち』って言ってくれたおかげだよ」
10年も異世界で過ごし、大人になってしまったせいで。
リディアは『温室育ち』、いわゆる世間知らずの面が大きかった。
この世にはびこる知識。世間の波を乗り切る知恵を吸収すれば。
時間がかかっても、温室育ちを脱却して更にいい女になれるはず。
エッジがそんな気持ちで、本や新聞に目を通すよう助言したことが。
精神的成長だけでなく、エッジへの思いを育んでくれた。
リディアがそう言いたいのが伝わってきた。
「あ、そうだ……」
「——指輪か」
「うん。エッジに付けてもらいたいなぁ」
しばしの抱擁を終えて、リディアがにへらと笑みを浮かべながら自身の右手の甲を見せてきた。
エッジは恋人の証である指輪を懐から取り出し、右手の小指にはめてあげた。
「これでいいか」
「うん。ありがとう……ああ、やっと戻ってきた……!」
リディアが自身の右手を顔に向けて、うっとりしたような表情で。
戻ってきた指輪を眺めながら感嘆の声を上げた。
「どう? きれい?」
今度は得意げな表情で手を翻して、指輪を見せてくれた。
4粒のペリドットがプラチナの台座の上でまばゆい光を放っている。
「おまえがな」
「……もう逃げないんだから、今更口説かなくてもいいのに」
「本当のこと言っただけだぞ」
苦笑するリディアに、エッジは言い返す。
しょせん指輪は、リディアの美しさを際立たせる飾りにしか過ぎないのだ。
愛する女を体現するかのような、オリーブグリーン色の宝石で四つ葉のクローバーを模った指輪を見つめながら。
エッジは思考を瞬時に巡らせ、話をこう切り出した。
「大分先になるが、これと同じ石でオレも指輪作ってもらう」
「ほんと!?……あっ」
小さな白い右手をつかまれ、ぽかんとした表情でこちらを見つめてくる。
そんなリディアをじっと見据えながら、右手を目の前に引き寄せた。
「この命ある限り、身を盾にしてでもおまえを愛し、守り支え、敬い慈しむことを改めて誓う」
改めて誓いを立てて、手の甲に口付けしてあげると。
リディアが満面の笑みを浮かべてくれた。
「じゃあ、わたしも……」
「おまえはもういい」
あの夜、誓ってくれたのだからそれで十分。
エッジが遠回しにそう告げて、手を離してやれば。
リディアが考え込むような仕草を見せるも、すぐ口を開いた。
「だったら、エッジの指輪が出来た時にまた誓ってあげる」
「そん時、忘れてなけりゃな」
「忘れないもん。——恋人になるとこうやって楽しみもいっぱい増えるね」
見るからに楽しそうなリディアの言葉を聞いて。昨夜、某年配者から頂いた助言を思い出した。
「昨日な……王が幸せじゃねえと民も幸せになれねえって。ヤンに言われちまった」
「そうだよ? ご両親の代わりにエッジが幸せにならなきゃ、みんな悲しんじゃう」
今更ながら、ヤンの言葉は言い得て妙だと思う。
言われたすぐは、リディアを護ることで頭がいっぱいでぴんとこなかったけれど。
—— —— ——
ここでリディアと縁が切れて、ひとり寂しく男やもめ暮らしを続けようものなら。
それこそ箝口令を敷いたり、リンと嘘の婚約を交わしたり。
迷走していた時のように、民が国王を案じて空気も悪くなるだろう。
『ツクヨミ』として、リディアと付き合っていた間。エブラーナは平穏だった。
それは、たぶんエッジが公私共に充実していたから。
この先もエッジが幸せに過ごしていれば、民は満足してくれるだろう。
—— —— ——
「わたしもね、お母さんとお別れする前に誓ったの」
「『もっと欲張って幸せになる』だろ」
「……やっぱり聞いてたんだ」
「まあ、あんだけ泣き叫んでりゃな」
一度きりしかない人生のうち、2年——幻獣界に幽閉——も無駄にしてしまった。
リディアはその経験で気付きを得たのだろう。
地上に戻ってきてからは、自身の生きる道を自ら考えて動くようになった。
母親も娘の成長を喜び、今頃あの世から見守ってくれているに違いない。
「……絶対死なねえ」
「うん」
「生きて帰るぞ」
「そこまで言い切ったんだもん。ギルバートたちに相談しなくてもいいね」
「ああ」
(あのパロムにも夢が出来たんだ。若けえ奴らはオレたち以上に死ぬ気ねえだろ)
この真月にやってきた者たちは、星を守った後の未来に向けて目標や夢、楽しみがある。
だから、みんな弱音を吐かずに戦いに臨んでいる。
エッジはひとりだけ、将来にそっぽを向いていたけれど。
リディアが恋人の座を与えてくれたおかげで、ようやく未来を見据えることが出来た。
これからもふたりで生きるために、生きて青き星に帰ると——。
「あっ、ひとつ言い忘れてた」
「何だよ」
「真月にいる間は、キスだけで我慢してちょうだいね」
「……っ、わかってる」
にっこり笑いながらリディアから告げられた注意事項に。
一瞬、間をおいてからつまらなさそうに返事をした。
(全っ然、足りねえ!!)
リディアに命を賭す覚悟を決めて、エッジはこれまで性欲を抑え続けていた。
けれど、つい今しがた結ばれた途端。欲がむくむく蘇ってきた。
このまま勢いでヤレるかも。いや、ヤラせてくれるかもしれない……。
心の底でそんな期待をかすかに持っていたが、甘かった。
「ふふっ、わかりやすーい」
「しゃあねえだろ。男ってのは単純な生きもんなんだからよ……」
くすくす笑うリディアに向かって、悔しそうに言い訳する。
よほど拍子抜けした表情をしていたのかもしれないが。
エッジは性欲の塊。それをすっかり見抜かれているのが恥ずかしい。
「代わりにごほうびあげるから、それで我慢してよ」
「ほうび?」
「うん。耳貸して」
手招きするリディアの顔に、エッジは頭を近付けてみれば。
『……』
「!!」
リディアが耳元でささやいてきた内容に、目を見開く。
「マジかよ……!」
信じられない表情で見上げたら、いたずらっ子のようにリディアが微笑んでいる。
我慢——真月を追い払う——のごほうびは、エッジのかねてからの望みであった。
一度か二度しか実現出来ず『ツクヨミ』として付き合うようになってからも。
紳士的な性格ゆえに言い出せず、一度も機会がなかった。
リディアが最高のごほうびを提示してくれたことに喜んでいたら。
突然、頭の中で自分自身の声が聞こえてきた。
—— —— ——
枯れねえうちに リディアとヤレるだけヤっとけよ
—— —— ——
(こいつも撤退か……)
『黒』が告げた言葉は、まるでお別れの挨拶のようだった。
ようやくリディアとお付き合い出来ることに満足したから。
『白』に続き、エッジの深層部分に引っ込むのだろう。
「切り札にずっと残しておいたけど、その前に恋人になってくれてよかったよ」
「へえ? だったら……」
「えっ」
「キスはいくらでもしていいんだよな、っ……!」
「わ、ちょっと!?……ぅ、っ」
事前予告通り。リディアを強引に引き寄せて唇を奪った。
どちらともなくお互いの頬を包み、口内に舌を潜り込ませると。
ふたりで深い口付けを交わし続ける。
—— —— ——
リディアに首輪をつけたい。どこかに閉じ込めておきたい。
エッジは長年、そんな仄暗い願望を持っていたが。
実は先にリディアから首輪をつけられていたのではないだろうか?
—— —— ——
そんな可能性が頭にぼんやり浮かんできた。
しかし、エッジは現在愛する女と接吻の真っ只中である。
疑問を一切合切無視して、リディアの口内を舌先でひたすら貪り続けたのであった。
(犬だろうがペットだろうが……こいつと一緒にいられるなら、もう何でもいいや……)
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