フェイクラバーズ 作:かえで
(さようなら、か……)
手紙を読み終えて、黙って封に便せんを封に納める。
結びの挨拶からして、ミゼルとは本日でお別れのようだ。
時期や行き先は知らないし聞く気もないが、ミゼルは妻と共にミストを離れる気でいる。
エブラーナを立つ直前。『タタラ』を自分の秘書に据えたい。
そうほのめかしたエッジに、じいが真っ向から反対した理由をはじめに。
失明に至った経緯をおおむね知ることが出来たが、気になる点がある。
「……ちょっと聞いていいか」
エッジは手紙を懐にしまい込みながら、ミゼルに声をかけた。
「どうぞ」
「イフリートがとどめで失明したのはわかったが、引き金はライザの旦那か」
「そうだね」
「っ、なんでやられっぱなしでいたんだ。抵抗すりゃよかったろ」
妻がアドニスにカエルにされて、はさみで足を切られそうになった。
その事情説明と謝罪に訪れたミゼルを、ライザの(元)夫がこれでもかと殴った。
そのことをミストで知る者は意外にも少ない。
なぜなら、その翌日。ミゼルの顔にはあざが出来ていたが。
夫婦喧嘩の果てに、ついに妻に顔を殴られた。多くの住民は、そう思い込んでいるから。
「きみがそれ聞くの?」
「え」
「きみがぼくと同じ立場だったら、旦那さんの好きにさせてたでしょ」
「……!」
当時村長として事件を起こした責任を取るために無抵抗を貫いた。
ミゼルの話を聞いて、すぐに言葉が出なかった。
エブラーナで同じような案件が発生すれば、この男と同じことをしていたはずだから。
「けど……ちょっとは旦那のこと恨んでるだろ」
あの(元)旦那は、本来責められるべき犯人には怒りの矛先を向けていない。
ミゼルひとりが責められて、結果失明では割に合わなさ過ぎる。
「ない」
「っ、嘘だろ!?」
「奥さんたち連れて強引に実家帰ったことの方がよっぽど腹立ったよ。その仕返しで離婚と新生活のサポートしてあげたんだ」
「いや、それとこれとは……」
「——正当な理由がある暴力じゃ、心までは傷付かないんだよ」
「!」
「ミストの人たちが、ぼくをそういう人間に仕込んでくれたおかげかな?」
軽妙な語り口で答えたミゼルの言葉に重みを感じた。
キロンたち——ミストの頭の固くて古い奴らによる、ゼロに対する蔑視に比べたら。
妻を傷つけられた怒りによる(元)旦那の暴力は、大した問題ではないということだ。
幼少の頃、この男はキロンたちにどれだけ不遇を強いられていたのだろう。
自分やリディアとは真逆の人生を歩んできた男に、ぼんやり思いを巡らせていると。
「はぁーあ、早く身体治らないかなぁー?」
ミゼルが間延びしたような声を上げながら、ベッドに仰向けになった。
早く第2の人生を歩きたくてうずうずしているように見えて、眉を寄せる。
「……なんでそんなにへらへら出来んだよ」
「前も……わたしだけ泣いてたの」
「それ、失明した日だろ??」
「うん……」
改めて事実を目の当たりにした上に、エッジとミゼルの会話を聞いて。
何か思うところがあったのだろう。リディアが目を潤ませている。
第三者が心理的動揺を受けているのに、当の本人はへっちゃら。
事前に告知を受けていたとは言え、失明当日からそんな調子だったとは。
ミゼルの精神が理解出来ない。
「あのよ、普通は本人がもっと落ち込」
「——死ぬよりマシだろ。死んだら何にも出来ないんだぞ?」
「っ……!」
「今も昔もこの世には、生きたくても生きられずに死んでいった人たちがごまんといる。その人たちに申し訳が立たないよ」
ミゼルが暗に指しているのは、主にリディアの両親だと思われる。
リディアは生まれて間もなく父親。13年前に母親を亡くしている。
大人になるまで娘の成長をそばで見届けたかったのに。
親としてのつとめも果たせず、志半ばでこの世を去った。
そんなふたりの近くにいたから、この男は目が失明したことでは絶望しないと言いたげだ。
(生きてりゃ何とでもなるってのに、オレは何やってたんだ……)
死んだら元も子もないとは、まさにこのこと。
真月で生の道に引き戻してくれたリディアと共に生きる未来を選ぶまで。
エッジは『リディアを護って死ねるなら本望』となりふり構わなかった。
少し前までのそんな己を恥じていると、すすり泣くような声が聞こえてきた。
「う、っ……」
「ザンゲツさん、こっちこっち」
対面側に立つザンゲツが手の甲で目元をこすり、涙を拭いている。
声で気付いたのだろう。ミゼルに手招きされるとベッドのそばにきて腰を下ろした。
「申し訳ない……拙者があんなことを申したがために……」
「謝らなくていいんです。——あなたのおかげで、やらずの後悔せずに済みました。ありがとうございました」
「う、っ……」
「おいザンゲツ」
「何で……しょう……」
「おまえ、まさかじいについててくれってこいつに頼んだのか」
「さ、さよう、です……」
ザンゲツが返事をするとベッドの端に突っ伏し、むせび泣きを始めてしまった。
それ以上は何も口にしなかったが、事情をおおむね察することが出来た。
(こいつも『ほんの一握り』の人間だったんだな)
今のザンゲツは御伽衆。13年前とは違い、じいをそばで支えることが出来ない。
いずれミゼルがこうなるとわかっていたにもかかわらず。
じいをひとり城に残すのが忍びなく、じいのことを頼むとでも言ったのだろう。
一旦城に戻ってきたら、予定よりも早くミゼルが光を失っていた。
ザンゲツは無茶な頼みごとをした己をそう悔いているようだ。
もっとも様子を見る限り。ミゼルは誰から頼まれずともエブラーナに渡っていたと思うが。
「ザンゲツさん」
「っ……」
「ちょっと、ザンゲツさぁーん? 返事してくださいよー?」
ミゼルが突っ伏してぐずぐず泣いているザンゲツに声をかけながら。
手探りで見つけると、ばしばしと身体や頭を叩き続ける。
「はい……っ」
30秒ほどしてから、ようやくザンゲツが頭を上げた。
(よっぽど、こいつのこと気に入ってたんだな)
目や鼻が赤く腫れて、ぐちゃぐちゃな顔だけ見て取れば。
とてもではないが、御伽衆に属する老練の忍者とは思えない。
「泣いても何も始まりません。笑ったもの勝ちですよ」
「……っ」
「復興が終わったら、飲み会やりましょうねー?」
「た……楽しみに……し……ます……」
笑えとばかりに、ミゼルがザンゲツの身体や頭をあてずっぽうに叩く。
「おじちゃん、わたしやおばちゃんたちもっ!」
「いいよ。エドワードくんはどうす」
「——誰が行くかよ」
「ははっ、ですよねー」
いつ開催されるかわからない謎飲み会のお誘いを受けたが、即お断りした。
『ほんの一握り』の人間ではない者が、その輪に入れる訳がない。
程なくしてザンゲツの泣きは収まり、老後の楽しみや定年退職後の生活など。
私的な話題に入ったため、エッジはひとりベッドから離れた。
「……」
「……」
部屋の壁に背を預けながら傍観者に徹していると、リディアがひょこひょことそばに近付いてきた。
号泣したザンゲツを見てもらい泣きしていたからだろう。今も目尻がほんの少し赤く染まっている。
「残念だったね」
「何が」
「ザンゲツさんに、おじちゃん取られちゃったよ」
おどけたようにリディアからそう言われて、小さく肩をすくめる。
ミゼルはちっとも相手にしてくれないエッジを見限って、ザンゲツと親しくなった。
リディアがそう言いたげ。
「どうでもいい」
「……そんなに嫌いなの?」
「ああ」
アドニスが暴れていなければ、じいの後釜にこの男を据えていたかもしれない。
もっと早くからリディアと結ばれていたら、友人になれたかもしれないが。
それらはしょせんたらればの仮定でしかない。
「おじちゃん、かわいそう……」
「知るか。——オレは、おまえらがいりゃ十分なんだよ」
困ったような表情を見せたリディアに、少しだけ見栄を張ったとは言わないでおいた。
すぐに歩み寄れば失明したと知り、手のひらを返すかのごとく同情を寄せてきた。
ミゼルはそう思って、喜ぶどころかがっかりするだろうから。
§
(そうだ……!)
歳も身分も生きる場所も何もかも違う。
そんな男ふたりの微笑ましい友情を遠巻きから眺めていたら。
とってもいいことを思いついて、頭の中が忙しなく動き始めた。
これから復興に追われて、リディアとは当分会えなくなる。
禊と言う名の過去の清算も半分以上済んだ。
『ごほうび』でなくても、今晩ぐらいは……。
「おい」
ある程度思索を終えると、肘でリディアをつついてやった。
「どうしたの?」
「やっぱ、オレがおまえらミストに送ってく」
「……え?」
リディアがきょとんとしたような顔でこちらを見上げた。
あと1時間ほどで、ここに戻って来る魔導船でミストに帰るつもりでいたから。
そんな顔を見せてもおかしくないのだが……。
エッジはすかさず顔を恋人の耳元に寄せて、悪人さながらの声でこうささやいた。
「ってことで。——今夜、おまえん家。泊まらせてくれよ」
……病室内にすっとんきょうな叫び声が上がるまで、全く時間はかからなかった。
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