フェイクラバーズ 作:かえで
——3の月4日 午後3時過ぎ
瞬間移動術の目的地——ミゼルの自宅の私室に到着した直後。
「——この、盗人があぁっ!!」
物音を聞きつけて、ジャンヌが棒を片手に部屋に入ってきた。
昼間からこうして自宅にいるぐらいだから、避難生活は終わっているようだ。
泥棒扱いしてきたジャンヌに現状を報告。そして、クオレの紹介を済ませると。
リディアたちはミゼルの自宅を後にした。
空を見上げれば、雲ひとつない青が一面広がっている。
真月が消滅して、全ての同胞が暮らしていた世界に戻ったのを察知したのだろう。
集落を覆っていた白い霧を、洞窟に住まう子どもミストドラゴンが解除したようだ。
何もなかったかのような故郷の風景を視界に入れながら。
リディアは出来立てほやほやの『家族』のふたりを連れて、長らく留守にしていた自宅に帰った。
すぐにエッジとふたりで、クオレがミストで暮らす環境を整え始めた。
大方それが片付いた頃には、すっかり日が暮れていた。
晩ごはんは、非常食の缶詰の中身をお皿に移しただけの簡素なもの。
それでも生まれて初めて、家族3人での団らんの時間を過ごして、すっかり夜が更けた頃……
——午後9時過ぎ
入浴を済ませて、寝室でクオレの眠りを見届けてから。
リディアとエッジは居間兼台所へ移動。向かい合わせで居間机についた。
「お疲れ」
「お疲れさま」
あらかじめ置いてあったガラスのびんをそれぞれ手にして。
お互いに労いの言葉をかけながら、びんを合わせて口をつける。
(エッジが持ってきてくれたお水、冷やしておいてよかったぁ……!)
冷たい水が喉を通り過ぎて、身体全体に染み渡るようだ。
こうして落ち着いて夜を過ごすのも、ずいぶん久しぶり。
リディアはさておき、エッジは喜びもひとしおに違いない。
数年ぶりに本来の姿で好きな女性と一緒に過ごせるのだから。
「あぁー、うめぇ……」
「ふふっ、酔っ払いみたい」
エッジも息をつきながらびんを置いた。
その仕草が酒を煽るおじさんのように見えて、思わず笑ってしまった。
「水じゃ酔いたくても酔えねえんだが」
「ごめんね。うち、お酒置いてないの」
「いい。ここじゃ飲まねえから」
酒場のおかみさんのように答えたら、エッジが不要と返してくれた。
(お城でいくらでも飲めるもんね)
エッジはとてもお酒が強いが、ここでは一度も飲酒したことがない。
クオレがいるからだろう。これからもその気はないようだ。
「……クオレの奴、すぐ寝ちまったな」
「寝心地がよかったんだよ」
「これからおまえも落ちなくて済むぞ」
「残念。一度も落ちたことないもーん」
—— —— ——
自宅に戻って早々。エッジは裏庭で、リディアとクオレ用のベッド作りに励んでいた。
毎晩クオレがリディアと一緒に眠るには、いつものベッドでは狭い。そう考えたらしい。
自宅裏の樹木を数本拝借して、エブラーナから持参した大工用具を使いながら。
家具職人見習い経験のスキルを活かして、たった2時間弱で完成させた。
これまで寝室に置いてあった書机とベッドは、隣の部屋にお引越し。
§
大人が余裕でふたり眠れるぐらいの大きなベッド。
その上で、リディアとエッジがクオレを真ん中に挟んだ状態で添い寝を始めたら。
クオレは数分も経たないうちに、とろんと眠たげな目に変わって。
途切れ途切れに『おやすみ』と言い残すと、夢の世界へと旅立った。
—— —— ——
クオレはエブラーナ到着後、ツキノワとふたりで城下町を散策。
ミストに着いてからは、リディアと一緒にラルフとアリサ夫婦のお宅訪問。
これでもかと動き回っていたから、疲れてすぐに眠りについたのだろう。
「急にいろんな奴と会ってしゃべって疲れたかね」
「……悪いことしちゃったなぁ」
「生後1日じゃな」
「そういう風にはあんまり見えないんだけどね」
顧みると、真月を脱出してからクオレはハードスケジュールだった。
生まれたてなのに、少し配慮が足りなかったかもしれない。
「明日、やめとけよ」
「何を?」
「家回るっつってたろ」
「うん」
「明後日に延ばして、明日は1日ゆっくりしたらどうだ」
エッジから提案されて、ほんの少し悩む。
(どうしようかな……)
明日はエッジを見送ってから、ライザの自宅を皮切りに。
クオレの紹介と、クオレにモノを教える手伝いをお願いするために。
ミストのお宅を訪問する予定でいる。
過密スケジュールではないか?
リディアとクオレを気遣い、エッジは延期を勧めてくれたようだ。
「やっぱり、明日行く。クオレの紹介は早い方がいいから」
「いいのか?」
「何ならクオレを抱っこするし、それが終わったらしばらくゆっくりするよ」
「……そっか」
エッジが小さな声でそう答えると、びんを手にして残りの水を飲み干した。
勧めを断られたにもかかわらず、すぐ折れるとは珍しい。
「あの子たちが、クオレは『心が空っぽ』って言ってたけど……」
「だいたいわかってきたな」
「言葉は話せるけど、心や頭は赤ちゃんとあまり変わらないね」
人に挨拶する理由以前に、挨拶そのものを知らなかったことをはじめとして。
クオレはモノをほとんど知らない子どもであった。
マイナスたちと様々な情報を共有出来なかったからだろう。
一方で感情を滅多に表さない。無感情な言葉遣い。『指示待ち』傾向……。
マイナスの際立った特性は、クオレにも受け継がれているようだ。
親と認識しているリディアやエッジには従順。その反面、ふたり以外の人物への興味が薄い。
散策を共にしたツキノワ。お面に興味を持ったミゼル。
このふたりは珍しい部類に入ると思われる。
「つっても、めっちゃ呑み込み早くねえか?」
「挨拶も出来るし、『ありがとう』も言えるようになったしね」
クオレの育児は、しつけやあらゆることを教えることがメイン。
夜泣き対策やおむつ交換、授乳の必要はない。
質問される度に説明すると、すぐ覚えてくれることから。
クオレはこの星の子どもよりも知能が高いように見える。
「悪りぃこと教えなきゃ真っ当に育つさ」
「そうだね」
(明日からがんばらなきゃ!)
ここで暮らしているうちに、マイナスではなく青き星の子どもとして育つだろう。
リディアやエッジはそんな希望的観測を持っていた。
「……わ」
クオレの今後にぼんやり思いを馳せていたら。突然胸に何かが当たった。
うつむいてみれば、骨ばった人差し指。
……エッジが右手を伸ばして、胸元を触っていた。
「な、なに……?」
「ここ、寂しいだろ」
「!?」
エッジが楽しそうに胸をつんつんつついてきて、ぎょっとする。
クオレの代わりに授乳させろ。そう言いたいのか?
「あとで吸っ」
「——ばかっ」
「痛っ!」
エッジの右手をぴしゃりとはたいたのは言うまでもない。
女性の前でも平気で下品なことを言う、ミストのおじさんたちと同レベルだ。
「眠ったからって、調子に乗らないでっ」
「いちいち冗談真に受けんなよ……」
「うそばっかり」
(襲う気満々のくせに!)
寝室の隣の部屋には、これまで使っていたベッドが置かれている。
昼間に行われた暴露大会は、まだ終わっていない。
このあと暴露大会を再開して、過去をお互い清算してから。
その部屋で『初夜』を迎えることが、ふたりの間で暗黙の了解のようになっていた。
「クオレにアレ見せなくてよかったな」
「目に毒だからね。でも……」
「なんだよ」
「おばちゃん、見たでしょ?」
「……鬼の目にも涙だったな」
「感動しちゃったよ。おじちゃん連れて帰ってきてよかった……!」
なぜか自宅の寝室にいたミゼルの姿を目にするなり。
ジャンヌは棒をほおり投げて涙を流しながら夫に抱きつき、濃厚な接吻……。
舞台に出てきそうなラブシーンを始めたが、子どもの教育的には問題。
すぐにクオレの目を隠したのは言うまでもない。
いやらしい場面を目の当たりにしながらも、リディアは嬉しく思ったものである。
エスタの魂があの世に旅立って以降。ジャンヌがずっと寂しく過ごしていたのがありありと見て取れたから。
「……おまえも大概幸せな奴だな」
「何が?」
「中年の男と女が人前でちゅーだぞ?? 年考えろってんだ」
「エッジも同い年じゃない」
「そうだったかねぇ……?」
つまらなさそうな顔で、頭の後ろに手を組んで椅子の背に寄りかかった。
そんなエッジを見て思わず顔をしかめる。
「うそつき。本当はうらやましかったくせ」
「——うらやましくてむかついた」
「っ……」
「出来るもんなら、ここの奴らに見せつけてやりてえよ」
悪びれもなくエッジがそう答えてくれて、閉口してしまう。
ご本人様としてお付き合いできるようになったからだろう。
はしたないことを平気で口にするぐらいには、エッジは本性を晒しまくっている。
『ツクヨミ』を演じていた頃、ではなく。この13年間、やはり猫をかぶり続けていたのだ。
「それよかさ」
「なあに?」
「金輪際、オレに罠仕掛けんじゃねえぞ」
「……どうして?」
「やられるのはオレの性分じゃねえんだよ」
(結果得してるんだから、別にいいじゃない)
ここのところ、リディアにハメられっぱなしで面白くないようだ。
エッジの不満を聞いて口をとがらせる。
「じゃあ、これからここに来たらお料理やお掃除全部やってちょうだい」
「なんで!?」
「誰かに何かされるのが嫌なんでしょ? だったら、エッジが全部自分でやればいいよね?」
「待てよ! それとこれとは別」
「——冗談だよ」
「ったく、そういうのをやめろっつってんだ……っ」
エッジがふてくされたような顔をしながら、残りの飲料水を一気に煽っている。
それを横目に、リディアはひとりほくそ笑む。
(明日もあるよ! 覚悟してね!)
実はミストに戻る直前、ミゼルとの話し合いをきっかけに新たな罠を張ることにした。
決行日時は、明日エッジがエブラーナに発つ前。
目的はもちろん、エッジとこれから幸せになるためである。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。そんな言葉もあるようだし、エッジにはもうひと踏ん張りしていただきたい。
「まあ、おまえが真月で押せ押せだった理由は昼で大体わかったわ」
「おじちゃんたちに深入りされなくてよかったね」
「……あいつら意外と空気読んだな」
「みんな、エッジの性格よく知ってるもん」
「ちっ!」
舌打ちに続き、面白くないと言いたげにエッジが頬杖をついた。
その様子を得意満面な表情を見やりながら、リディアも飲料水を口にする。
—— —— ——
人様の恋愛事情について、外野の人間が当事者に直接物申すのはよしとしない。
以前からミゼルたちは、そんなポリシーを貫いている。
そのためエブラーナの避難所での暴露大会では、エッジに質問はほとんどしなかった。
—— —— ——
「……おまえさ」
「え」
「オレに聞きてえことあるだろ」
ついにエッジが昼間の暴露大会の続き——夜の部開催をほのめかした。
リディアがエッジのことで知っているのは、お城に潜入した時にゲットした情報だけ。
なぜ『ツクヨミ』になろうと思ったのか。『エッジ』としてミストに来なくなったのか……。
エッジ自身の心情に関わることは『どうして』がいっぱい。
「……エッジもだよね」
「そうだな」
エッジもエッジで、なぜ『ツクヨミ』の正体がバレたのか。
今日の昼間に知ることが出来たが、リディア本人から聞きたいことはあるようだ。
「え」
「あっちで話そうぜ」
突然エッジが立ち上がると、くいっと首を振って寝室の隣——空き部屋の扉を指し示した。
「ここじゃだめなの?」
「ここじゃ事情聴取と変わんねえだろ」
「何それ……?」
暴露大会夜の部が終わったら、そのまま初夜になだれ込んでやる。
エッジのそんな目論みが、ちらほら垣間見えて呆れてしまう。
「ほれ、行くぞ」
(あっちに行くことになってたし、別にいいか……)
空き部屋へ行く時間が早くなっただけ。そう思い直して席を立った。
§
エッジの後に続いて空き部屋に入った。
既に入浴を済ませており、リディアはいつもの夜着。
エッジは『ツクヨミ』時代から置いてあった、浴衣を身にまとっている。
「先座れよ」
「うん……」
エッジから指で指し示された場所——ベッドのど真ん中にちょこんと座る。
続けてエッジがこの家の主然としてベッドに上り、壁にもたれながら片膝を立てて座った。
「っ……!」
まだ初夜ではないのに、緊張の面持ちでエッジをちらりと見た瞬間。
胸がどきりと高鳴り、慌てて視線を逸らしてしまう。
(うわ……『ツクヨミ』さんより、似合ってる!!)
傷を隠すために頭に布を巻いているが、口布は付けていない。
珍しい肌露出が多い浴衣姿で、普段とのギャップが大きいのもあったけれど。
何より男の色気にあてられてしまった。
「どうした」
「えっ」
「惚れ直したか?」
エッジが悪い笑みを浮かべながらそう言ってきて、返事に躊躇してしまう。
(まだ早すぎるよ)
まさに図星なのだが、正直に答えたらこのまま押し倒されてしまいそう。
逡巡を終えて首をぶんぶん横に振る。
「ううん」
「ちっ、なんだよ」
「お互いすっきりさせたら、いくらでも惚れ直してあげる」
「っ……」
既に惚れ直しているのに、ほんのちょっぴり嘘をついてあげると。
エッジが一瞬虚を突かれたような顔を見せたが、すんと鼻で笑った。
「最初で最後だ。——何でも聞いていいぞ」
エッジが口火を切ったことで、暴露大会夜の部がスタート。
早速リディアは質問をぶつけることにした。
「どうして『ツクヨミ』さんになろうって思ったの?」
「……めっちゃ長げえぞ?」
「いいよ」
(これが最初で最後だもん)
エッジが右手の親指から指を折っていたが、途中で止めた。
「7年前か……」
つぶやくように切り出してから、こう続けた。
「おまえから言質取ってヤる時に、身ィ引こうって決めたから」
「……あれは一応合意だったじゃない」
「おまえなあ。あん時どんだけいやいやしてたか忘れちまったのか?」
「うっ……」
「合意風に無理矢理持っていっただけで、犯罪と変わんねえよ」
言質を取ることと無理矢理襲うことは同じ。そう言わんばかりのことをエッジが言う。
しかし、今と当時ではエッジに寄せる情が違う。そのまま次の質問に移ることにした。
「どうして、セシルのふりしてたの? 名前呼ばせてくれなかったの?」
「ルールか」
「うん。あれ……すごくいやだった」
「何が気に入らなかったんだよ」
「え」
質問を答えてくれるかと思いきや、逆にエッジから質問を振られてしまった。
「いくつかあったろ」
「うん……」
「気に入らねえルール、言ってみろよ」
「……??」
エッジに答えるように促されたが、今それを聞いてどうするのか?
「いいから、言ってみろ」
「……っ、なまえ……」
催促されてしまい、仕方なしにぼそぼそ小さい声で答えた。
(目隠しはしょうがないし……)
夜の関係において、エッジに有利でしかない不条理なルール。
その中でも、リディアの最たる不満は名前呼び禁止であった。
最初から名前を呼ばせてもらえないことを不本意に思っていた。
エッジが好き。そう気付いてからは、好きな人を求めて止まないのに。
名前を呼べない鬱憤が少しずつ溜まっていった。
「えっ」
突然エッジが前のめりになり、リディアの耳元に顔を寄せてきた。
「——これは気に入ったんだな?」
「!?」
色気を漂わせる声でささやかれ、背中がぞくぞくっと栗立つ。
同時に身体……それも下腹部にぽっと小さな熱が灯ってしまった。
「どうなんだ?」
「やぁ、っ……」
「口で言ってくれねえとわかんねえぞ?」
弱点は耳。夜の関係と『ツクヨミ』を経て、既にそれがバレている。
エッジに耳元でささやかれる度に、灯った熱が身体中にじわじわ広がっていく。
(おちょくられてる!!)
ルールの中に『声を我慢したら耳をいじめる』があった。それは嫌ではなかったのか?
そう言いたげなエッジに『はいそうです』と素直に答えるのもはばかられて。
ぐっと唇を強く噛むことで、身体に灯った熱を消し去ってやった。
「やめてよっ……!」
「おっと」
両手でぐいっとエッジの身体を押せば、あっけなく離れていった。
くつくつ笑い続けるだけで、リディアには手を出してこない。
エッジのそんな様子から、(性的な)ちょっかいをかけたかったのが丸わかり。
おそらく、これがやりたくて早々からこの部屋に連れてきたのだ。
「は、話し合い中に変なことしないでっ!」
「また後でな」
「もうっ……!」
ふくれっ面を見せても、エッジは何のその。笑いを止めて足を組み替えている。
「……名前呼ぶなってルール設けたのは、オレ自身への罰だ」
「罰??」
「おまえがオレを呼びながらあんあん喘いだら、オレは満足しちまう。だからって、セシルの名前で呼ばれんのも気分悪りぃ。だったら誰の名前も呼ばせねえのがベターだと思ったんだよ」
エッジが理由を打ち明けてくれたが、リディアは戸惑ってしまう。
「魔導船でセクハラしてきた時……わたしがセシルって何度も呼んで、やっぱり嫌だった?」
「まあな。けど、そん時はおまえセシルじゃねえと嫌だったろ」
「……そうだけど」
「軽いノリで手ぇ出して、後悔したな」
リディアから、『セシルのことはもう諦めた』と言われても。
セシルがリディアの初恋の男だった事実は消えない。
エッジは自罰とセシルへの嫉妬を兼ねて、誰の名も呼ぶなルールを設けたと思われる。
エッジを既に許しており、責める気も別れる気も全くないため。
さっさと次の質問を振ることにした。
「夜おうちに来ても、最初だけ全然しゃべってくれなかったけど、あれはどうしてなの?」
「月終わりの夜は、オレはセシルのふりしてたから」
「……最初から??」
「ああ。オレが来たばっかの時、おまえ目ぇ隠してなかったろ?」
「当たり前じゃない。目隠ししてたらお出迎え出来ないよ」
最初から目隠しして欲しかった。
そう言いたげなエッジにかちんときて、きつく言い返してしまった。
「……なかった」
「えっ」
「おまえに……見られたく……なかったんだよ」
エッジが顔をうつむかせて苦しそうな声でそう答えた。
見た目はさておき、性格や仕草、言葉遣い……。セシルとエッジは対照的。
例え自宅訪問直後のほんの数分だろうが、何だろうが。
好きな女にセシルを演じる自分の姿を見られたくなかった。
だから、リディアを目隠しするまで黙秘を貫いていたようだ。
「っ、ふふっ……」
だんまりだった理由を知り、思わず笑ってしまった。
今まで知らなかったエッジの一面を垣間見た気がしたのだ。
(恥ずかしかったんだ。たぶん今も……)
豪快で大胆な目立ちたがり屋。それが、リディアが常々抱いていたエッジの印象。
恥ずかしいというものとは、全く縁がない。そう思い込んでいた。
「笑うなよ」
「ごめん、っ……恥ずかしがりって……イメージなくて……!」
エッジに厳しい声でたしなめられても、笑いが止まらない。
当時エッジが『セシル』のふりをして自宅に入ってきたら。
顔は見れなくても、間違いなく笑っていたと思う。
「おまえ限定でそうなっちまうんだよ」
「っ!」
限定の一言を耳にするなり、笑いを止めて顔を上げれば。
エッジが苦笑交じりに立てる膝を変えながら、頬杖をついた。
王家の血の影響で愛念対象のリディアにだけ、内に羞恥心を抱えている。
エッジはそう言いたいようだ。
「話戻すぞ」
「……お願いします」
「まあ、身ィ引くって決めたけどよ。おまえ、段々セックス嫌がらなくなったろ」
「うん。その頃にエッジのことが好きになったからね」
「オレもこのまま二重関係がだらだら続きゃいいなって思ってたら、いつの間にかミストの雨夜とおまえ限定で、自分の声が出せなくなっちまってな」
「え? 朝は普通だったじゃない」
「夜だけな。毎回、日が昇ると治ってた」
『出せない』を強調するためだろう。
エッジが自身の喉を押さえながら話すのを見て、原因の見当がついた。
「それ、もしかして……『もうひとり』のせい?」
「当たり」
『もうひとり』は、エッジの中に潜む自罰的な存在。
『ツクヨミ』——エッジが、リディアとセックスした。
それだけの理由で、ヤッたすぐ後にエッジから声を奪ってしまった。
「その頃から、声をいじられてたんだ」
「そうみてえだな」
エッジが『もうひとり』の存在に気付いたのは、つい最近。
『ツクヨミ』として、リディアと恋人になるちょっと前だったという。
「事情がわかってたら、声が違ってもわたしは気にならないけど」
「おまえはそうでも、オレはそうじゃねえし」
「そんなに、見られたくなかったの……」
「ああ」
『もうひとり』は、エッジがどういった人間かよくわかっている。
そのため、エッジが一番嫌がること——リディアの前で素の声を出せない——をすることで。
リディアと距離を置くように仕向けたと思われる。
「『呪淫』かけられてた頃、そいつがしょっちゅう夢ん中に出てきてさ」
「何言われたの?」
「いろいろ説教されたぜ? 『血ィ言い訳にすんな。遠いとこからリディア眺めて、それで満足しとけ』とかな」
「どうしてそんなに厳しいの……?」
「忍者は忍び耐える者って言うしさ。その頭領が忍び耐えるを実践しねえでどうすんだってのが奴の言い分」
(エッジは神さまじゃないのに)
『もうひとり』の異様なまでの自罰心の高さに、改めて辟易してしまう。
「今は普通にお話してるけど、もう治ったの?」
「バブイルの塔から落ちた時にな」
「そんな時に?」
「『あぁ、これもう死ぬわ』って思いながら落ちてたからな。そいつもオレの一部だし、そのまま引っ込んじまったんだろ」
(ぎりぎり声が出るようによかった)
仮に真月で再会した時、声を取り戻していなかったら。リディアとの接触を避け続けていただろう。
場合によっては、リディアの囮や盾として命を落としていたかもしれない。
「おまえの前で自分の声を出せねえのは、おまえとヤる夜だけだって思ってたんだがな」
「……そうじゃないの?」
「おまえ久しぶりに、うちの城に泊まった時あったろ」
「えぇ、と。ご両親のお墓参……!?」
当時を思い出している途中、はっとして言葉を切った。
「わかったか」
「1日中、雨降ってた……」
「そん時、おまえと一緒にどこにいようが雨夜ならアウトって気ィ付いた」
「熱を出して夜に目が覚めた時、はじめはセシルの声だったよね」
「ああ。風邪って嘘ついたがな」
—— —— ——
リディアとエッジがふたりでエッジの両親のお墓を参った、あの日。
エミールの助手をつとめていた女性の遺体が、エブラーナ城に運ばれてきた。
エッジは午後からその女性の記憶透視を行い、術の副作用で高熱を出して倒れた。
夜に意識を取り戻したが、第一声はセシルの声。
すぐに某官能推理小説に出てきた人物『バルト』に変わったけれど。
—— —— ——
「セシルよりも演じやすかったから、すぐ『バルト』の声に変えちゃったんだね」
「そいつはオレとやってることがそっくりだったからな」
リディアもその官能推理小説を実際に読み、エッジにも朗読してもらったことがある。
だから『バルト』がどんな人物かよく知っている。
当初『バルト』は、主人公を性的にいたぶっていた悪人。
ただ、それは理由があってのことで、最終的には主人公と結ばれている。
清廉潔白な人物かつ好きな女の初恋の男。悪人だけどいい人。
エッジが演じる際に羞恥を感じないのは後者だろう。
「声が出ないって気付いたから、『ツクヨミ』さんを作ろうって考えたの?」
「それだけじゃねえ。あん時にエミールの記憶……見ちまったってのもあんだよ」
あの日、エミールの真意を探るために記憶透視術を使って。
エミールの助手であった白魔道士の記憶をのぞいたところ……。
—— —— ——
エッジの愛念対象はリディア。
そうにらんだエミールが、リディアを利用してエッジを罠に陥れようと目論んでいる場面。
§
『毒を作ってくれ。ただ、エブラーナ王が助かってしまう可能性もある。王家の血が確実に途絶えるように、不妊体質に変えるようなものをな』
『奴と似たような年齢、体型の実験体も準備してやる』
エミールがカルミネの研究員にそう命じた場面。
§
洗脳されたリディアが、毒が塗られた短剣をふるってエッジに傷を付けた。
『いいぞいいぞ……! 毒が発現すれば、ジェラルダインも終わりだ……!!』
白魔道士と一緒に別室から様子を見ていたエミールが、高笑いした場面。
—— —— ——
「あの人は王家に復讐したかったんだ」
「らしいな。そん時はおまえはもちろん、じいやザンゲツにも言いたくなくて黙っていたが……」
世襲制は継続不可能——国家の一大事にかかわることをいつまでも内緒に出来ない。
仕方なく1年経ってから、じいとザンゲツに打ち明けたという。
「アスラ様も治せなかったんだ」
「発症と同時に体質が変わる毒だったから、間に合わなかったんだよ」
「……過去には戻らないし、戻せないもんね」
「そ、こいつと一緒な」
傷がある右頬の辺りを、エッジが指でとんとんとつついた。
(毒を浄化したり、目の傷の処置は出来ても……)
幻獣王妃でも、受けた傷や身体に生じた変化をなかったことには出来ない。
アスラを召喚した時には、手遅れの状態だったようだ。
「けど、おまえがミスト帰った後……これでもかってぐれえ荒れたな」
「当たり前だよ……」
「このままだと昼間も声が出なくなるのが目に見えてる。おまけに『種なし』じゃ、おまえを完全に幸せにしてやれねえ。本気で縁切らねえとって考えた結果が『ツクヨミ』なんだよ」
リディアに近付こうとする、ろくでもない野郎を追っ払いながら。
リディアを幸せにしてくれる。そうエッジが判断した男にリディアを託そう。
そんな目的で架空の忍者『ツクヨミ』を作ろうと思い至った。
しゃべり慣れている。そんな理由で『ツクヨミ』でも、セシルの声を採用したという。
「最初はザンゲツさんが『ツクヨミ』さんを演じていたんだよね」
「ああ。あいつは花火大会要員な」
リディアとミストの住民へ存在を周知するために。
ザンゲツに『ツクヨミ』に扮してもらい、ミストの花火大会に2年連続参加してもらった。
「あいつがはなからミゼルにほだされるとは思ってなかったな……」
「ザンゲツさんを選ばなければバレなかったのにね」
「何言われても何されても逃げねえから、めちゃくちゃ頼みやすいんだよ」
「……いい人だよね」
(いい人すぎるから、エッジのサンドバックになってたんだろうなあ)
忍者の能力を幅広く持っており、どんな命令にも応じることが出来る。
お館様に無茶を言われても何されても、文句は言いつつ仕事は辞めない。
それがザンゲツ独自のエッジへの忠誠心なのかもしれない。
「じゃあ、クリスマスの『ツクヨミ』さんはエッジ?」
「ああ」
(ザンゲツさんとあたしをふたりきりにさせたくなかったんだろうなあ)
花火大会はザンゲツ。クリスマスの日はエッジ。
使い分けしていた理由は自ずと知れたため、聞くのは辞めておいた。
「『ツクヨミ』さんは、エミールみたいにならないための予防策でもあったんだね」
「そうだな。おまえと会ってしゃべれねえって考えると、保たなくてな」
(嫉妬でおかしくなって血が流れるかもって、ザンゲツさん言ってた……)
ザンゲツは誰よりも早く、エッジの愛念対象がリディアだと気付いていた。
そして、こんな懸念を抱いていた。
現にエミールが、国王の座からジェラルダイン家の終焉に目的を変えて達成した。
エッジも愛念対象を得られずにいると、迷走や暴走しかねない、と。
エッジはエミールの助手の記憶を透視した結果。
ザンゲツに言われるまでもなく、自身の愛念対象を知ってしまったことで。
エミールを反面教師に、『ツクヨミ』に扮して首の皮1枚つなげたと思われる。
「そっから、オレはちょっとずつミストに来る日を減らした」
「あの頃、すごく忙しいって言ってたよね。違うの?」
「オレがいなくなっても、おまえが平気なように慣らし期間作るための言い訳」
「ええ……?」
「そんで予想通りっつうか、声出ねえ時間が増えた」
「それが原因で夕方早く帰るようになったの?」
「ああ。ちょうどあん時にな……」
リディアがビーフシチューを作っていた時に、突然声が出なくなった。
風邪とごまかして、自宅を去ってから発着場に向かう途中。
ふと西の空を見たら太陽が沈んでいて、察してしまった。
リディアの前では太陽が出ている間しか、自身の声が出せなくなったと。
「で、6の月にミスト来て、おまえとヤったら朝になっても元に戻らねえの」
とうとうリディアの前から『エッジ』が消える時が訪れた。
そう悟って『授業料回収』と綴った置き手紙を残して、リディアの自宅を去ったという。
「ビーフシチューもだけど『もうひとり』っていじわるだよ……」
「3年経ってもオレが身ィ引かずにずるずるしてたから、いらついてたんだろ。——そっからは、もうわかるよな」
「うん……」
リディアは小さくうなずいた。
『エッジ』が黙ってミストを去ってから、1週間後。
早速『ツクヨミ』としてミストに現れて、リディアに接触を図ってきたから。
それ以後のことについて、エッジにいちいち説明してもらう必要はない。
「……いくつか聞いていい?」
「ああ」
「ギルバートの演奏会に行くとね。毎年赤い髪をした男の人がいるの。そのお客さん……エッジだよね」
「……」
「やっぱりエッジだったんだ」
エッジが何も答えてくれない。沈黙は肯定とみなすことにした。
「……なんで気付いた」
「『ツクヨミ』さんのフード取ったら、そのお客さんと髪型や髪の色がそっくりだったの。演奏会でもいつも顔隠してたしね」
「なんだよ、バレねえようにしてたのに」
「エッジはそのつもりだったかもしれないけど、ストーカーみたいで怖かったよ? 席が毎年近付いてきたし……」
「——席はオレのせいじゃねえぞ! 偶然だ!!」
「あっ、そうだよね」
その後、ツクヨミと付き合うようになってすぐ。
ミゼル経由でお館様の過去の不在記録を調べてもらった。
その結果、過去の演奏会開催日時とお館様の不在日時が合致した。
「どうして変装して演奏会観にきてたの? いつも眠ってたから、歌を聞きにきた訳じゃないよね」
「……おまえが行き帰りに、野郎にナンパされて連れてかれねえように見張ってたんだよ」
「それだけでわざわざバロンに?」
「実際、野郎から度々声かけられてたじゃねえか」
「っ、うん……」
「そんなエロい服着て、町中歩いたらどうなるかって自覚が足りねえって、おまえに言ってもちっとも聞かねえ。だったら護衛するしかねえだろ」
町中を歩く時は、せめてストールぐらい羽織れ。
今の服に変わった直後。エッジやジャンヌからそう助言された。
けれど、リディアは聞く耳を持たなかった。
その結果、本当に連れていかれそうになり、翌年からストールを持参するようになった。
「で、でも今はお出かけの時、ローブ羽織るようにしてるよ」
「だから、これからはもう行かねえ。ついでに、二度とその話題に触れるんじゃねえぞ!?」
「う、うん、わかったよ……」
つばが飛んできそうな勢いで言われて、及び腰になってしまう。
エッジにとって赤い髪の居眠り観客、もといリディアの護衛は。
『ツクヨミ』を演じていたこと以上に、つつかれたくないことだったようだ。
「じゃあ、次ね。——『ツクヨミ』さんなのに、わたしとしゃべってても満足出来たの?」
「おまえがしゃべってくれてるってだけで十分満足してたぜ」
「自分に嫉妬してたけど、あれも本気だったの?」
「当たり前だろ」
「っ、そう……」
「おまえの前じゃ『オレ』は捨ててたからな」
リディアの意識や視線、声かけがこちらに向けられているならそれで満足。
そう言いたげな、エッジのいとも複雑な心の在り方を不憫に思う。
「はじめは『ツクヨミ』がおまえとダチになれたら十分って思ってたが、やっぱ気ィ変わっちまってな」
「……アドニスがうろちょろしてたから?」
「いや。『種なし』ってバラしたら、おまえ泣いてくれたろ」
「それだけで……?」
「おまえはものごとに寛容な奴だって思い出してな。夫婦は無理だが、恋人としてなら付き合ってくれっかもって思った」
「よかったね。わたしとお付き合い出来たよ」
「……ったく、早々にバレてたってな。ばかみてえ」
そうぼやいてからエッジが頭を抱えてしまった。
『ツクヨミ』の正体がバレることはない。そんな自信がよほどあったようだ。
—— —— ——
時折悔しそうな表情を見せるわ。声を荒げるわ、頭を抱えるわ……。
昼間ミゼルやザンゲツから事実説明されている間。
リディアの隣に座っていたエッジは終始冴えなかった。
演技力や忍術を駆使して、数年間『ツクヨミ』を演じて周囲を騙し続けていた。
そんな確固たる自信があったように見受けられるが、甘い。
頭の回転が早いゼロのふたりと、満遍なく忍術が使える老齢の御伽衆。
その3人が束になれば、さすがのエッジでも敵わない。
—— —— ——
「もしエミールに毒を盛られてなかったら、誰かお妃さま……娶ったの?」
「『青ばら』はノーカン。知ってるだろ?」
「うん」
リンとメイは、かねてよりエブラーナで悪名高い母娘であった。
そんなふたりの悪行を暴いてやろう。
エッジはそう決めて自ら囮となり、リンと表向き婚約しただけ。
恋情のみじんも欠片もない。じいたちからはそう聞いていた。
「おまえ以外の女は、妃に娶る気なかった」
「えっ」
「つっても、昔のおまえはオレに全然気ィなかったからな。その頃から禅譲制にすっか検討してたんだよ」
「うそ……!!」
エッジが指名した者にエブラーナを託す禅譲制。
しかし、当時は即位してまだ数年しか経っていない。
そんな理由で、検討段階に留まっていたという
「世継ぎのために、好きでもねえ女と結婚ってばかばかしい。おまえもそうだったろ」
「うん……」
(あたしと一緒……)
エッジも同じ思いでいたことを、うれしく思う。
—— —— ——
結婚相手や村での立ち位置……。
ミストでも、リディアにあれこれ物言いする勢力がいた。
彼らはミストで優位に立ちたくて、リディアを利用したいだけ。
召喚士の血を残すために、愛のない結婚なんてばかばかしい。
『普通の人』で生きたいと望んでいるのに、勝手に人生を決めないで欲しい。
—— —— ——
そんな思いから、リディアはうるさい勢力を一切相手にしなかった。
そしてミストの大掃除で、彼らはすっかり大人しくなった。
「世継ぎを残しても、エブラーナが安泰とは限らねえしな」
「エッジは、国王さまだから……そんなことしたくても出来ないって思ってたよ」
「昔はな。今はオレしか王族いねえんだ。誰にも文句言わせねえよ」
「お父さまやお母さまが今も生きていらっしゃったら……悲しむかもしれないよ……?」
「そりゃ愚問だな。親父とおふくろが生きてりゃ、おまえと会ってねえ」
「……そうだよね。じゃあ、次で最後ね」
リディアはそう言ってから、最後の質問を投げかけることにした。
「わたしにお妃さまになって欲しい、世継ぎをもうけて欲しいって思ったこと、ある?」
「ちょっとだけ期待してたが。——潰されちまったな」
「っ……エミールのこと、恨んでるよね」
「頭回る奴だったなぁ。あの世に逃げられちゃ、どうしようもねえや」
エミールにはめられた。
エッジがそんな自身を嘲笑っているように見えて、胸を痛ませていると。
いつぞやのクリスマスの出来事が脳内に蘇ってきた。
—— —— ——
その日、帰り際に『ツクヨミ』がこう声を荒らげた。
『どうしてこんな生き方しなきゃならないんだよっ!!』
この叫びには、エッジその人の本音が集約されていると思う。
§
エッジはこの世に生を受けた瞬間から、王子という貴き身分。
国王に即位して治政にあたり、王妃を娶って世継ぎに国を託す……。
『将来のエブラーナ国王』という人生のレールが敷かれていた。
そんなレールを歩む中。ゼロムスの戦いに巻き込まれてリディアと出会った。
リディア以外の女性を娶る気はない。
そう決意するぐらい、リディアに惚れてしまったが、当の本人はエッジに興味なし。
ならば一生独身でいようと、禅譲制移行を検討していた矢先。
エミールによってその決断を強制的に迫られてしまった。
人生において自身で決断出来る数少ない機会を、エミールに奪われたようなものだ。
愚痴のひとつぐらい、ぶちまけたくもなるだろう。
なのに、当のエミールはあの世に行ってしまったから。恨みごとも言わせてもらえない……。
—— —— ——
胸の内から、ここまでに至るエッジに対する様々な感情が沸いてきて。
視界に映るエッジの姿が徐々に歪んでくる。
「ぅ、っ……」
まるでダムが決壊したかのように、双眸から涙がぼろぼろ流れてきた。
ザンゲツから聞いた話や、お城で読んだ書物や資料と内容がかぶる部分も多かったが。
エッジ本人の言葉ほど、心に訴えてくるものはない。
「おい」
「……」
戸惑いがちに声をかけてきたエッジの視線を遮るように。
両手で顔を覆い隠すも、涙は止まりそうにない。
「泣き虫は治んねえな」
「ごめ、ん……」
当事者でもあるリディアに、今こうして打ち明けるまで。
ずっとエッジはひとりで苦しんできた。
やっと彼の苦しみを共有出来たと喜ぶ一方で。
どうして何も言ってくれなかったのか。エッジをそう責めたくもなる。
「……また不幸にさせちまったな……」
「!!」
エッジのつぶやきを聞いた瞬間。涙がぴたりと止まった。
濡れた目元を手の甲でぐいぐいぬぐってから。両の拳を固く握りしめる。
「——ばかっ!」
「っ……」
「何も相談してもらえない、話してもらえない方がよっぽど不幸だよ!! 信用されてないってことじゃないっ!」
『もうひとり』を含めた、エッジの心の癖への怒りを。拳に変えてエッジの胸にぶつけた。
「温室から抜け出す方法、エッジが教えてくれたんじゃない!」
「……」
「あたし、ばらよりラベンダーになりたいって言ったっ!」
1発では到底足りず、無我夢中で胸を何度も叩き続けるも。
エッジは何ひとつ文句を言わず、抵抗もせず、されるがまま。
「なのに……あたしのこと……ずっと、温室のばらだと思ってたでしょ!」
—— —— ——
エッジは言質にひっかかったリディアに、温室育ちからの脱却を勧めてくれた。
一方で、まるで温室の番人のごとく。リディアを温室のばらのように扱っていた。
—— —— ——
……言いたいことをぶちまけて、拳を止めて見上げれば。
エッジが困ったような笑みを浮かべている。
それを目にした途端。怒りが、打ち上げ花火が消えたかのように引いていった。
「エッジがあたしのこと気にかけてくれて……すごくうれしいし、感謝してる」
「……」
「けど、うれしいことも、楽しいことも、苦しくてつらいことも……ふたりで分かち合いっこするのが愛なんじゃないの?」
「……」
「だから真月で、独りよがりだって怒ったんだよ……」
リディアはエッジの胸元に両手を置いたまま。
先ほどまでとは一変して、しんみりとした口調で語り掛けた。
—— —— ——
リディアを苦しませたくない。死なせたくない。
不幸にさせたくない。幸せになってほしい。幸せにしてあげたい……。
エッジはそんな自身のエゴを解消するかのごとく。
リディアの幸せを最大最優先に考えて、その努力を惜しまない。
エッジに流れる、王家の血が助長させたのかもしれないけれど。
これまでエッジの思考や行動のほぼ全ては、独断専行。言うなれば、独りよがり。
当のリディアにすら、今の今までほとんど心情を吐露しなかったぐらいだ。
茶々を入れようとするミゼルやじいたちに、妨害工作を図るし。
真月でもリディアと共に生きることをそっちのけで、死に急ごうとしていた。
—— —— ——
「……その通りだ」
「っ!?」
突然腕をつかまれて、身体を引き寄せられる。
気が付けば、リディアはエッジの腕の中に包み込まれていた。
「おまえのことになると……オレが……オレじゃなくなっちまう」
「知ってるよ」
「ついでにおまえの前でいいかっこしいだ」
「それも、さっき聞いた……」
「ははっ、そうだったな」
リディアが両手でやんわり身体を離して見上げれば。
エッジが苦笑しながら、未だ濡れていたリディアの目元や頬を指でぬぐってくれた。
そんな中、ふと思い出した。
昔——エミールに連れ去られる前から、エッジは表情を悟られたくない時。
いつもリディアから背を向けていたことを。
今まで自身をとりまく事情どころか、こんな表情すら、ろくに見せてくれなかった。
本人が口にした通り、この13年間。エッジはリディアの前で『かっこつけ』ていたのだ。
「おじちゃんにも独りよがりって言われたでしょ?」
「あいつらには悪いが、どんだけ正論かまされても心に響かねえんだよ」
「やっぱり、わたしじゃないと……だめなんだ」
「ああ」
—— —— ——
かねてよりミゼルたちは、エッジのこんな傾向を憂いていた。
エッジはリディアのことになると独りよがりになり、なりふり構わない面がある。
性質の悪いことに、エッジに注意しても進言しても報復されてしまう。
この世でエッジを正せる者は、愛念対象であるリディアだけだと。
—— —— ——
「真月でも言ったが、おまえのおかげで目ェ覚めた。——ありがとな」
エッジがそう言ってから、頭をぐしゃぐしゃ撫ぜてくれた。
髪が崩れないように頭を押さえる、セシルの撫ぜ方ではなく。
雑極まりない手つきが、いかにもエッジらしくてだいすきだ。
「……これからは、隠しごとしないでちょうだいね」
「ああ。他聞きてえことは?」
「もうないよ。教えてくれてありがとう」
「ずっと黙ってて悪かったな」
荒れた髪を手ぐしで直しながら。『エッジ』が目の前にいることをうれしく思う。
「わたしに聞きたいことある?」
「……『ツクヨミ』の正体わかってんのに、よく付き合ったってことぐれえだな」
「それだけでいいの?」
「あとはこれからおまえがおいおい『こんなことあったねぇ』って勝手にしゃべってくれるだろ」
「う……」
リディアの声真似を混ぜてのエッジの答えに、ぐうの音も出ない。
リディアはエッジのように隠し事が得意ではない。
何かしらをきっかけに、エッジに思い出話として打ち明けること間違いなし。
そして相変わらず声真似がお上手……。そう思っていたところ。
(そうだ!!)
突然いいことを思いついて、ベッドからぴょんと飛び降りた。
「どうした」
「クオレの様子見てくるよ。ちょっと待ってて」
エッジに軽く手を振り返して、部屋を後にしたリディア。
クオレが眠る寝室へと向かいながら、改めて実感する。
—— —— ——
泡沫の忍者『ツクヨミ』として、リディアとわらにすがるような交際を続けながら。
エブラーナに骨を埋めるつもりでいた……。
エッジという名のそんな男に、真月で迫りに迫ってよかったと。
—— —— ——
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