フェイクラバーズ 作:かえで
今回からラストまで一日二回更新
——翌日 午前8時すぎ
(もう時間か……)
正真正銘の初夜を滞りなく終えてから、一夜明けた朝。
エッジを迎えにくる飛空艇が、ミストに到着する時間が近付いてきた。
「そろそろ帰るな」
「えっ?」
きょとんとするリディアをよそに席を立ち、玄関に向かうと。
そばのフックに掛けてあったマントを羽織る。
昨夜は一度しか抱かなかった。それでも思う存分、リディアを堪能させていただいた。
これで心置きなく祖国の復興に取りかかることが出来る。
「そんじゃ……」
「——待って、エッジ」
「どうした」
「発着場まで一緒に行くよ」
扉を開けて外に出ようとしたら。リディアがクオレを連れて後を追ってきた。
「ガキじゃあるまいし、ひとりで帰れる」
「でも」
「——いつもここだったじゃねえか」
「……じゃあ、クオレと一緒にここで見送ってあげる」
いつもリディアの自宅を去る際。ここ——玄関先で、はいさようならしていた。
それが今はどうだ。
リディアとクオレが玄関の外に出てまで見送ってくれるという。
それだけでもう十分だ。発着場まで見送りにくる必要はない。
「なんかあったら、ひそひ草使えよ」
「ううん。代わりに、お手紙いっぱい送ってあげる」
(手紙?)
リディアの答えを聞いて、首をひねってしまう。
—— —— ——
ひそひ草は遠くで暮らす相手と会話が出来る音信植物。
昨日ダムシアンに到着後。ギルバートが仲間にそれを配ってくれていた。
—— —— ——
ひそひ草を使えば、毎日でなくても互いに近況報告がてら会話が出来るのに……。
「なんで手紙なんだ」
「え? ひそひ草は急ぎ用じゃない」
「!!」
当然とばかりにリディアが答えて、胸の鼓動が一瞬止まったような感覚を受けた。
—— —— ——
昨日、ミストに到着後。リディアがクオレを連れてラルフの自宅へ向かった。
報告とクオレを紹介し、ギルバートからもらったひそひ草も渡している。
—— —— ——
(こいつと認識が違う……)
便利な音信植物を、リディアはミストのもの——緊急用だと認識している。
かたやエッジは自身が所有、いわば実質私物だと捉えていた。
「……なら、オレも手紙書く」
「当分文通生活だね」
「そうだな」
『なあ、リディア』
「どうしたの?」
『クオレもエッジに手紙書く』
クオレがリディアの見えないケープを引っ張りながら、お願いしている。
—— —— ——
昨夜、エッジとリディアは寝室でクオレに絵本の読み聞かせをしてあげた。
その際、『絵本』を皮切りに、そこに書かれていた『絵』や『文字』……。
文中の単語をいくつか説明してあげたが、その中に『手紙』も含まれていた。
—— —— ——
当分エッジと会えないから、手紙を送りたい。
クオレがそう思ってくれていることは、とても嬉しいが……。
「おまえ、まだ字ィ書けねえだろ」
「絵を描いて送ってあげようか」
『いやだ。文字を覚えて、手紙送りたい』
リディアの見えないケープを両手でつかんでまで、クオレがせがんでいる。
生まれたて早々から字を覚えてまで、エッジに手紙を送りたいようだ。
「うーん……」
リディアがうなりながら、エッジと一瞬視線を向けてからこう言った。
「じゃあ、今日の挨拶回りが終わったら教えてあげるよ」
『本当か?』
「さすがにすぐに全部は覚えられないと思うけど、それでいい?」
『ああ』
「うんうん。これから一緒にお勉強しようね」
おねだりが成功して目を輝かせている。
そんなクオレの頭を、リディアが微笑みながら撫でている。
出来立てほやほやの母と娘のやりとりが、エッジにはいじらしく見えた。
「これからリディアの言うこと、よーく聞くんだぞ」
『わかった』
リディアに続けとばかりに、エッジもクオレの頭をがしがし両手で撫ぜると。
これまた珍しいことに、はにかむような笑みを浮かべてくれた。
しかし、いつまでもこうしてはいられない。
頭から手を離すと、ほんの一瞬クオレの表情に陰りが差したように見えて。
胸につきりと痛みが走るのを自覚しながら、背を向けた。
「……じゃあな」
「じいやさんたちによろしくね」
「覚えてたらな」
「もうっ! 忘れちゃだめだってばぁー!」
肩越しからリディアとクオレに別れを告げて、発着場に向かう。
曲がり道に入るまで、ふたりからの視線を背中でひしひしと感じながら。
§
リディアの自宅から目的地まで時間はかからない。
このまま誰にも会わず、ミストからおさらば出来そうだ。
(運がいいな)
そう思いながらも、エッジの胸の内は複雑な思いで占められていた。
—— —— ——
昨晩の夕食や今朝の朝食時。クオレからこう何度もたずねられた。
『次にミストに来るのはいつだ』
復興の見通しが不透明な現段階では、明確な時期を答えられない。
よって、こう答えるしかない。
『悪りぃな。今は答えられねえんだよ』
『そうか……』
あいまいな答えをする度に、眉を寄せるクオレの表情から。
エッジと離れ離れになるのが寂しいのかもしれない。そう感じ取った。
§
そして先ほど、リディアの言葉で改めて痛感させられた。
『ひそひ草は急ぎ用じゃない』
自分はリディアやクオレと身分や立場が違うことを。
自分の感覚は庶民に近い。そう自負していたが、単なる思い込みだったことを。
—— —— ——
これからリディアは、ミストでクオレを手塩に掛けて育てるだろう。
けれど、エッジはクオレのそばにずっとあげられない。
育児で大変なリディアの手助けすら出来ない。
それでもリディアは大丈夫と言う。クオレもエッジを慕ってくれる。
それが心にしみるも、心の片隅に後ろめたさがこびりついて消えない。
この手で、この姿で。リディアと身も心もつながることが出来た。
事実上でも婚姻関係を結び、彼女とクオレと家族になることが出来て喜んでいたら。
ふたりとしばしの別れを終えて、一気に現実に引き戻されてしまった。
(やっぱ現実はおとぎ話と違うわな)
王子と姫が結婚して、めでたしめでたしとはいかない。
もやもやしながら発着場へ向かっていると。太陽の光がやけにまぶしく感じた。
ふと立ち止まり、東の空を見上げた。
「オレだって……」
さんさんと輝く太陽に語りかけるように。長い年月——リディアに出会う前から。
心の奥底に埋めていた本音をつぶやきかけたが、途中で口をつぐんだ。
「……エブラーナ、なんとかしねえと」
再び本音を胸の奥にしまい込み、前を向いて歩き始める。
これからしばらく復興問題に向き合わねばならない。
己の願望なんか、祖国や民のことに比べたらちりも同然。
§
(本当に誰とも会わなかったな)
気が付けば、集落の出入り口を通り過ぎて発着場に到着していた。
「なんだよ。まだ来て……!?」
一面広がる草原を視界に入れた瞬間。思わず立ち止まった。
迎えの飛空艇の姿が見えない。
代わりに、リディアの親友アリサがこちらをにらみながら仁王立ちしていた。
(なんでここにいるんだよ!)
この女は昔からエッジに攻撃的。その後、もろもろの事情で敵意まで持たれるようになった。
おまけに『ツクヨミ』の演者を知っている。
リディアから昨日、真月での出来事——エッジと付き合うようになった経緯を聞いて。
これまでの恨みつらみを晴らすために、ここで待ち伏せしていたのか?
(関わった時点で負けだ)
どこかに隠れて『隠れみの術』を使って姿を消してやろう。
そう思って、元来た道を戻ろうと背を向けた。
「こら!! 待ちなさい!!」
「!?」
「逃げんじゃないわよーっ!!」
大きな叫び声と共に、思わず足を止めたのがいけなかった。
恐ろしい勢いで背後からアリサの気配が近付いてきて。
目の前に回り込むように立ちはだかり、通せんぼしてきた。
「……どけ」
「いやですー」
「いいからどけ」
「——愛人とその娘のところから朝帰り。そんな国王、初めて見たわぁー」
「!?」
アリサが侮蔑を滲ませながら嘲笑ってきて、頭にかっと血が上る。
(愛人でも妾でもねえわ!!)
リディアとクオレと後ろ暗い関係にある。アリサがそう言いたいようだが。
リディアは恋人であり妻。クオレは血はつながらなくても娘だ。
「何だと、この野……っ!?」
死なない程度に気絶させてやろう。そう思って、殺気を込めようとしたが。
目の前に迫ってきたアリサに両手で胸倉をつかまれ、失敗に終わった。
「ちょっとツラ貸せ」
「!」
マントをつかんだまま、アリサから顔を貸せと言われて。ぎょっとする。
(こいつ、リンと同類か!)
ガラの悪いこの言い回し。元婚約者かつ『青ばら』の娘と一緒だ。
「っ、誰がてめえに貸すか」
「あたしが貸せっつってんだから貸すんだよ」
「勝手に決」
「——Gに『しもべ』の正体ばらすぞ」
「!?」
顔を貸さないと、『ツクヨミ』の正体を大衆紙にタレコみ、世界中に拡散するという。
「てめえ、オレを脅すのか……!」
「脅されるようなことやる方が悪いんだろ」
「ぐっ……」
仮にアリサがGに告発しても、国王の特権を使って事前に記事をひねり潰せる。
ただ、それを実行しようものなら。今度は『強権発動』と罵られるオチしか見えない。
「どうするんだぁ? 貸すのか、貸さないのか」
「っ、わかったよ。貸しゃいいんだろ……」
今後のことを考え、エッジはアリサの脅しに屈してしまった。
「なら、今からあたしの話。耳かっぽじいてよーく聞いとけよ」
それからアリサが、粗暴な言葉遣いで一方的にまくし立ててきた。
真月滞在中も含めて、親友に対するこれまでの仕打ち。
この数年『ツクヨミ』で、ミストの住民を欺いてきたこと。
エブラーナの民まで持ち出して、リディアを守って死ぬ気でいたこと……。
本人は説教しているつもりかもしれないが、口汚いなじりにしか聞こえない。
反論する隙ももらえず、地獄だ。
挙句の果てに、リディアと関係ないことまで言い出した。
「てめえが『しもべ』でうろちょろしてたせいで、ステラがギルバート様に見向きもしねえしなっ!」
「そんなもん知ったこっちゃねえわ!」
『ツクヨミ』は、とても女児受けが良かった。
アリサの娘も、しもべしもべと懐いてきたのは記憶に新しい。
「将来忍者になりてえって言い出したの知らねえだろ!」
「ああ、知らねえ!」
「あたしとラルフがどんだけ苦労して諦めさせたか……!」
妊娠が判明した直後から、アリサは胎教してまで娘をギルバート信者にしようとしていた。
その反動で、ステラはギルバートへの興味を失ったのだろう。
言うなれば、アリサの自業自得。エッジはそう思っていた。
そもそも家庭内の問題を言われて、こちらはどうしろと。
「いい加減にしろよ! 言い掛かりにも」
「——黙れ!」
「っ!!」
胸倉から手をぱっと離されて、こちらを指さしてきた。
「この中出しくそ野郎っ!!」
「な、っ……」
「リディアとクオレを二度と困らせるんじゃねえぞ!!」
中出しくそ野郎に胸を抉られてしまった。
以前この女が、エッジのことをそう罵っていた場面を盗み聞きしたことがあるが。
直接言われたら精神的苦痛が半端ない。
「次やらかしたら、今度こそGにタレこんでやるから覚えとけっ!!」
吐き捨てた瞬間。アリサの表情が爽やかなものに変わり、くるりと背を向けた。
「あぁー、すっきりしたぁー♩」
「お、おい……」
「さぁーて、お洗濯の続き続きぃー♩」
「ちょっと……まて……」
呆然としながら二度声をかけるも。アリサは無視して集落へ戻っていく。
スキップしながらの撤退ぶりが、またむかつきを助長させてくれる。
「あんの、くそ女……! 早速小姑面しやがって……!!」
アリサの後ろ姿をにらみつけるように見送りながら。小さな声で憎々しげにつぶやいた。
リディアに関する説教はさておき。ステラの忍者志望のくだり……何だあれは。
ただの八つ当たりではないか。
最後に『中出しくそ野郎』と罵ってきたことから。
あの女はそれを言いたくて待ち伏せしていたように思える。
程なくして、アリサの姿が消えたのと入れ違いに。
タツミ所有の飛空艇が上空に現れて、ミストを後にしたが。
エッジの心はどんよりしていた。
(リディアの奴……何とかするって言ってたが無理だろ)
今後もミストの集落に堂々と出入り出来そうにない。
自業自得なのだが、先ほど露悪的な態度を見せたアリサをはじめに。
エッジにいい心象を持つ住民など、ほとんどいないのだから。
悶々としながら運ばれていたが、1時間ほど経ってから。
上空からほぼ焼け野原のエブラーナを改めて目にすると。
瞬時に祖国の復興問題に思考を切り替えたのであった。
——それから約2週間後 3の月某日の午後
「ほらよっ」
「は、はい」
目を通し終えた書類を、机の上にぽいっと投げ捨てると。
向かい側で処理済の書類を抱えて立っていたじいが、それを手に取った。
真月から帰ってきてから、エッジは書類を床に放り投げる癖をついに辞めた。
じいももう80手前。腰に負担がかかるようなことはさせられない。
「今日はこれでしまいだな」
「はい。いつものことながら早いですなぁ」
「早く視察行きてえんだよ」
「おや、本日もですか」
「っ、わかってるくせにいちいち聞くなよ……」
復興が始まって以来。毎日城内での業務を終えてから、城下町の様子をのぞきに行っている。
住民に声をかけるのはもちろんのこと。時には片付けを手伝ったりもする。
単にエゴを解消したいだけではないか?
そう思われるかもしれないが、ひとりだけのうのうとしていられない。
「さすが、若様……民の暮らしを早急に元に戻さんと日々情熱を捧げられるとは……!」
今にも泣きそうなぐらい感極まるじいに、気づかれぬよう小さく息をつく。
(毎日毎日よく飽きねえな)
城外へ出向く前に、じいがエッジを褒め称える。
そんな流れは日々の寸劇と化している。
「一昨日から片付け作業が始まりましたし、前回と比べて復興のペースが早いのは良いことですなぁ」
「お城勤が手薄だってのに、みんな文句ひとつ言わねえ……ありがてえよ」
前回と違って隕石群により、エブラーナ全土が被災したため。
御伽衆、そしてお城勤の半数以上が、シビエンを除く各地へ支援に出向いている。
その代わりに、未だ避難所暮らしが続いているにもかかわらず。
動ける城下町の住民が協力してくれるおかげで、作業は概ねはかどっていた。
「住居提供の確約もですが、死者がひとりもいなかったのが大きいでしょう」
「建物は替えがきくが、命に代えられるもんはねえしな」
城下町は被災を機に、大幅な区画整理を行うことになった。
それに伴い、国が被災民に新しい住居を提供することも決まった。
そうとなれば、いつまでも半ば焼け野原状態のままで放置しておけない。
数日前から、壊れた自宅や店舗の柱や壁を退ける作業が始まっている。
「そういえば、若様」
「何だよ」
「本日より、ミストからの支援が始まりましたぞ」
「……そうだったな」
ミストと聞いて、じいに小さな声で返事をしながら。
文具や小物があちこち散らばり、荒れ果てた机上の後片付けを始めた。
—— —— ——
以前よりラルフからは『有志を集めている』とほのめかされていた。
そして、ミストで一夜を過ごし、エブラーナに戻った翌日の夜。
『30人ほど集まりました。何なりとこき使ってください』
ラルフがひそひ草を使い、正式に支援を申し出てくれた。
『ツクヨミ』が暮らす国を助けたい。
そんな理由で有志に名乗りを上げた者が多かったという。
エッジはラルフの申し出を二つ返事で受け入れて。
以後は担当者と水面下で交渉してもらうことにした。
交渉の結果。しばらく避難所に滞在し、怪我人の診療にあたるウリエルを除いて。
壊れた民家や建物、がれきやごみの後片付けや、避難所の炊き出しや洗濯。
避難民の話し相手などを手伝ってもらうことになった。
—— —— ——
誰がどの日にエブラーナに来て、どこで作業するか……。
日々の人員配置は、ラルフが調整すると聞いている。
「バロンより我が国を優先してくれるとは、ありがたいことです」
「セシルが自力で何とか出来るって思ったんだろ」
本来ミストは、バロンの支援を優先すべきところだが。
ラルフはバロン王セシルに連絡を取り、エブラーナ支援のお許しをもらったという。
「確かによその国は早くて年内……遅くとも来年には復興を終えそうですしな」
世界中が隕石や火球による被害で復興に追われる中。
数多くの飛空艇を所有するバロンが、早々と巡回艇の運航を日中限定で再開させた。
主たる交通手段が復旧したとなれば、人の往来やモノの運搬は容易になる。
じきに各地の新聞社も、新聞発行を再開させるだろう。
バロンの被害も比較的少なく済んだおかげで。
復興からわずか2週間で、ミストのエブラーナ支援が始まった。
「リディア様とクオレ様。村長も二代続けて親エブラーナの方……いつまでもミストと縁が続くとよいですな」
「そうだな」
「……寂しゅうございませぬか?」
後片付けする手を止めて見上げてみれば。じいが神妙そうな顔をしている。
「リディアたちか」
「はい……」
せっかく出来たばかりの家族と離れ離れ。
そんな若様をじいが気遣ってくれているように見えた。
—— —— ——
2週間前にエブラーナに帰還して以降。事情を知る最側近ぐらいには……の精神で。
エッジはじいとタツミにだけ、リディアたちのことを話すようになっていた。
—— —— ——
「……寂しくねえつったら嘘になるな」
「そうでしょうな」
「ま、こればっかはしゃあねえよ」
じいにそう答えながら机上の片付けに戻ったが、それまでと一変。
ずいぶん緩慢な手付きになってしまい、なかなかはかどらない。
—— —— ——
復興が始まってから、まだ2週間ほどしか経っていない。
未だエブラーナ国内は慌ただしい。
エッジは当面の間、エブラーナを離れられないし、離れる気もない。
さすがにリディアも、小さな子どもを連れて被災地の支援に来れない。
次にふたりに会えるのはいつになるか。現段階では見通しもついていない。
§
そんな中、先週リディアから約束通り伝書鳩で手紙が届いた。
ミストは通常運転に戻り、リディアもクオレ同伴で召喚術の授業を再開させたという。
手紙には、クオレ直筆のメッセージも添えられていた。
『元気にしているか。クオレは元気だ』
お世辞にも字は上手とは言えなかったけれど。
エッジに思いを伝えるために、教える側も教わる側も必死だった。
そう思うと、ぐっと感極まるものがあった。
—— —— ——
「たまには、ミストにお出かけになられてもよろしいのですぞ?」
「今は行かねえよ」
「そんなことおっしゃらずに、タツミも引き続き残ってくれておりますし……」
「こんな状況で会いに行けっか。半年ぐれえ経たねえと無理だ」
「それではリディア様たちが」
「——あいつにも追い返される」
エッジは机の上を片付けながら、じいの勧めを一蹴した。
時間が経てば『〇年後には復興するであろう』とおおよその見通しも立つだろう。
それからでないとエブラーナを離れない、ミストに行かない。
—— —— ——
リディアも、エッジの意志を尊重してくれている。
仮に中途半端な状況で、リディアたちに会いにミストへ行こうものなら。
『エブラーナのみんなほっといてここ来ちゃだめじゃない!!』
喜ぶどころか、そうめちゃくちゃ怒ってくるのが目に見える。
—— —— ——
エッジと会えない。仮にクオレがそう寂しがったとしても。
リディアはエブラーナの事情やエッジが置かれている立場を。
クオレに噛み砕いて説明し、理解を求める努力をするだろう。
「っ……」
引き出しにモノを入れていると、頭上からすすり泣くような声が聞こえてきた。
「おい」
「う、っ……」
手を止めて見上げてみれば、じいがぼろぼろ涙を流している。
老臣が若様に涙を見せるのは、5年ぶり。
この部屋で禅譲制にすると告げた時以来である。
「何泣いてんだよ」
「お、おいたわしい限り……せっかく……結ばれたというのに……っ、何ひとつ公に出来ぬとは……」
抱える書類を潰しかねない勢いで、男泣きを見せるじいを見て、眉をひそめてしまう。
—— —— ——
エッジは終生、リディアを王妃として娶らない。
今後もよほどのことがない限り。リディアとクオレとの関係を公にするつもりもない。
将来リディアたちがエブラーナに移住しても、姿を変えて自宅に出入りするつもりでいる。
その理由は、数年前に民に掲げた禅譲制並びに男やもめ宣言だ。
リディアと恋人になったから『もうやめとく』と撤回するのは筋が通らない。
国王であり続ける限り、それを遵守し続けるつもりでいる。
せめて交際関係だけは公にしよう。そう思ったが、すぐ取り下げた。
公表すれば、国内でリディアやクオレが否が応でも注目されてしまう。
リディアやクオレを公妾や庶子と揶揄する者も出てくるだろう。
今いる次期国王候補をそっちのけにして、クオレを次期国王に据えよ。
そんな声も上がるかもしれない。
リディアやクオレを、エブラーナのお国事情に巻き込ませたくなくて。
エッジはふたりとの関係を隠すことにした。
—— —— ——
(真月行くまではめっちゃ冷静だったのに……)
この数日、じいの様子を見る限り。リディアとの縁が成立するまで。
その話題について感情を晒さないよう我慢していたように見える。
「つーか、あいつ王家とか王妃とか好きじゃねえし」
「それは以前より承知しておりますが……」
「あいつが外にいてくれて、オレはめっちゃ助かってる。だから、これでいいんだよ」
「あの方は……我が国の事情や若様のお立場を重々理解されている。若様はそうおっしゃりたいのですな」
「そ。——オレよりよっぽどな」
最後にそう自嘲すると、机の上に未だとっ散らかっていた文具や小物を。
雑な手付きで全て引き出しの中に入れ終えて、席を立った。
—— —— ——
リディアは以前より、終生普通の人として過ごすと公言している。
恋人だからと言って頻繁にエブラーナ城に出入りする気はない。
交際を始める際、そう言い切ったぐらいだ。
そんなリディアの意志をエッジは尊重してあげたい。
生まれついた『身分』ゆえ、エッジはリディアやクオレと暮らせない。
ふたりに対して後ろめたさや引け目もあるが。
リディアはそんなエッジの『公』も『私』も大事にしてくれる。
『エッジも普通の人でいたい時だってあるんだよ!』
『エッジの「心」、守ってあげるからね』
そうローザに叫んでくれたり、エッジに伝えてくれて。どれだけ救われているか……。
—— —— ——
「行ってくる」
「お戻りは?」
「そんなの、行ってみねえとわかんねえよ」
「さようで」
「——時間来たら、家帰れよ」
「……若様」
「今じいに倒れられっと困っちまうからな」
「っ、お気遣いありがとうございます。お気を付けて」
高齢なのに、連日休みなし。
そんなじいに定時帰りを言い渡してから執務室を後にした。
§
エッジは視察に向かうために、緩慢な足取りで廊下を歩いていた。
緊張と不安で胸が埋め尽くされており、いつもの俊敏さは見る影もない。
(今から苦行……)
つい十数年前まで、ミストとは全く縁もゆかりもなかった。
そんな小さな村が、はるばる海を越えて支援してくれるなんて、とてもありがたい。
……ありがたいのだが、諸手を上げて喜んでいられない。
現在エッジは、ミストの住民からリディアやミストを捨てた男。
いわゆる『くず』という認識を持たれている。
彼らと出会えば冷たい視線を向けられる。そう思うと憂鬱で仕方がない。
だからと言って、視察取りやめは道理に反するし。
この自分が、わざと『エッジ』の株が下がるように仕向けたのだから自業自得だ。
何を言われようが、にらまれようが耐えるしかない。
自分自身にそう強く言い聞かせながら歩いていたら。いつの間にか、城門をくぐって外に出ていた。
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