フェイクラバーズ 作:かえで
エッジと顔がそっくりな男は、片方だけだが碧い瞳を持っていた。
それは深海の底のように暗く、冷たい色彩を放ちながらリディアに威圧感を与えてくる。
しかも、その瞳から目を逸らすことが出来ず、次第に感覚が狂っていく。
それを見計らったように、男が耳元で何かを呪文のようにささやいてきた。
「エブラーナ王が現れたら、この短剣で自死を図ってやれ。大丈夫だ、ふりをするだけで構わない。どうせ、奴がきみを止めに入るだろうし、きみが傷付くことはない。その隙にひとつでも奴に傷を付けることが出来たら、きみを呪縛から解放してあげよう。そうだな、傷を付ける箇所は……」
そこで、意識がぷつりと切れた。
次に意識を取り戻した時には、男が何を話していたのかうろ覚え。
五感はそのままなのに、視界も身体も全く動かせず声も出せない。
まるで魂と化して、動かぬ人形の中に入ったような……。
そんな感覚にうろたえていると、部屋の扉が開く音が聞こえた。
あの男が言った通り、囚われの姫を救いにきた王子のごとく、エッジが現れた。
あの男が何かを企んでいることだけは覚えていた。
逃げて! 来ないで!
そう訴えたくても、声が出ない。
……気が付けば、リディアは右手で短剣を振るい、エッジの顔に傷を負わせていた。
ほんの数秒の出来事は、リディアに様々なものを残した。
顔を切り裂いた瞬間という、映像として鮮明に残る記憶を。
肉を割いたという、生々しい右手の感触を。
そして、エッジに傷を付けたという、決して消えようのない事実と、自責の念を。
§
「……様、リディア様!」
「う、ん……」
がしがしと身体を大きく揺さぶられている自分に気付いた。
暗闇に落ちていた意識が、少しずつ明るさを取り戻していく。
「おお……! お気付きになられましたか!」
ぱちりと目を開くと、エッジではない男性の顔。
エブラーナ城で何度か顔を合わせた覚えがある。
名前は確か……。
「ゲッ、コウさん……」
「どうもご無沙汰しております。——我が国の問題に巻き込んでしまい、誠に申し訳ございません」
枕元、リディアのすぐ横には万能薬の空きびんが転がっている。
ゲッコウは、これを使って起こしてくれたようだ。
頭を下げてくれるゲッコウに律儀さを感じつつ、申し訳なく思う。
「謝らないでください。それより……エッジは?」
「……お館様はあちらに」
ゲッコウが表情を途端に暗くさせて、右斜め後ろを向いた。
リディアも、その方向へ視線を動かしてみると……。
「っ……お館様、死なないで……!」
視界に飛び込んできた光景に、リディアはひゅっと息を呑んだ。
イザヨイに回復術を施されながら、エッジが力なくぐったりと横たわっている。
しかも、毒か何かの侵食によるものなのか、肌の大部分が不健康な緑色に変わっている。
「エッジ!?」
「なりません! リディア様!」
「え……?」
起き上がろうにも力が入らず、身体を右手で支えて上体を起こした。
ところが、制止の言葉を放ったゲッコウの意図をすぐに読めなかったせいで。
ふいにエッジがいる反対の方向へ視線を向けてしまった。
男性が、血まみれになって仰向けの状態で倒れている。
床が紅く染まる中、村雨もさやから抜かれた状態で転がっている。
「いっ、いやあああぁっ!!」
凄惨な光景を目の当たりにして、リディアは悲鳴を上げた。
「あ……あたしが眠っている間に、一体何が……」
「某とイザヨイがここに駆けつけたら、既にこの様な状態でした」
「っ、そうですか……」
「お館様は万能薬も効かぬほどの特殊な毒に侵されたようです。リディア様を起こすよう、言い残されてそのまま……」
イザヨイがエッジに治療を施している。
その姿を見て、エッジと生まれて初めて出会った時の情景がリディアの脳裏に蘇ってくる。
あの時、リディアは白魔法を捨ててしまっており、回復する術を持っていなかった。
ローザの背後から、ローザがエッジに回復を施す様子を見ていただけ。
しかし、今は……。
「……エッジは、あたしに幻獣を召喚して欲しくて、そう言ったんだと思います」
「誠ですか!? では、お館様は……!」
「痛っ!」
エッジの顔が視界に入った瞬間。
ずきりと両目に痛みが走り、息苦しさのあまり胸を押さえた。
意識を取り戻した時と症状が似ている。
「リディア様?」
「うっ……」
「リディア様? いかがなされました?」
「あ、れ……」
(……治った)
痛いと言わなければよかった。我慢すればよかった。
リディアは申し訳なさを感じながら、ゲッコウの方を振り向いた。
ところが、その瞬間に痛みや息苦しさが消えてしまった。
「大丈夫ですか? 何やら苦しそうでしたが」
「いっ、いえ! なんでも……ないです」
さっきのは一体何だったのだろう。
そう不思議に思うが、今はそれを考えている場合ではない。
リディアには、今すぐやらなければならないことがある。
「ゲッコウさん。もう、大丈夫です」
「えっ?」
「エッジは……絶対死なせないっ!! 【……」
(怒られてもいい!!)
リディアは気を奮いおこして、その場で詠唱を口にし始めた。
今から召喚する幻獣の詠唱時間は、通常1分もかからない。
しかし、今回は特別。通常の2倍以上の時間がかかる。
程なくして、詠唱を終えると、3つの顔と6本の腕を持つ幻獣がリディアの前に現れた。
「……リディア」
「はいっ!」
「この状態の幻獣を、無闇に召喚してはならないと何度も注意したはずです! しかとした理由を聞かせなさい!!」
正面に怒りの表情を向けた、幻獣にして幻獣界の女王アスラ。
その表情の通り、リディアに向かって怒声を上げた。
「申し訳ありません。でも、アスラさま本来のお力を借りないと、エッジが死んでしまう……! お願いですっ! どうか、エッジを助けてくださいっ!」
「……」
アスラが何も答えず、宙を浮いたままエッジを眺めている。
『この状態』でないと、本当にエッジの治療が出来ないのか見定めているように見えた。
「わかりました。善処いたしましょう」
「あ……! ありがとうございます!」
エッジの姿を見て、事情を察してくれたようだ。
アスラがリディアの願いを受け入れて、慈愛の顔を正面に向けた。
そして、自身の身体から光を放ってエッジの治療を始めた。
「『浄化』」
意識がないエッジの身体を、柔らかな黄金の光が包み込む。
体内の毒が形を変えたのだろうか?
緑の霧が少しずつ身体から排出されて、辺りを漂う。
しかし、それらは黄金の光によって、かき消されるように次々と消えていく。
それと併せて、緑に染まっていたエッジの肌も少しずつ元の色へと戻っていく。
「リディア様」
「ゲッコウさん……」
「よろしかったのですか? アスラ様は相当お怒りの様子でしたが」
『浄化』を見守るリディアの元にやってきたゲッコウは、村雨を手にしていた。
村雨の刃はさやに納められていて、柄の部分だけ紅く染まっている。
リディアが詠唱を行っている間に回収し、刃の部分だけ血をぬぐったのだろう。
「通常だと、召喚された幻獣は制限がかかって力が弱まるんです。いくらアスラさまでも、そんな状態だと今のエッジを助けることは無理で……」
「では、今のアスラ様は」
「はい。幻獣界にいる時と変わらないので最大限、力を使えます」
これはアスラに限った話ではない。
どの幻獣も、通常だと制限がかかり、弱体した状態で召喚される。
アスラの場合、味方全員に3種類の白魔法のどれかをランダムで使うことしか出来ない。
それでは、エッジは助からない。
よって、リディアは通常とは違う詠唱を用いて、フルパワー状態のアスラを召喚した。
「おお、それは素晴らしい……!」
「でも、代わりにあたしの持つ知性が1に減ってしまう。だから、アスラ様は……」
「なるほど。後々のためを考えたら、少なからず残しておいた方がよいですからな」
知性がないと召喚術はおろか黒魔法も使えず、ただの人状態になってしまう。
知性を回復するには時間経過しか術がなく、完全回復までには日数がかかる。
それでも、リディアは初めてハイリスクを背負う召喚を行った。
アスラに、エッジを助けてもらうために。
「1じゃデジョンも使えないし、すぐにここから逃げられない……」
「脱出のことなら心配ご無用です」
「えっ?」
「ここから瞬時に外の飛空艇に戻る術がございます」
「そんな忍術あったんですね。初めて聞きました」
「それが、お館様しかその術を使えませんで……兎にも角にも回復されないことには……」
エッジが助かるかどうかは、アスラ次第。
リディアたちは見守ることしか出来ない。
しかし、アスラが最大限の力を発揮してくれたおかげで。
10分もかからないうちにエッジの肌の色は8割方、元に戻った。
「うっ……!」
突然アスラがうめき声を上げた。
身体を大きくぐらつかせて、どさりとその場に崩れ落ちてしまった。
『浄化』が止まったからか、エッジの身体を取り巻く黄金の光が徐々に薄くなっていく。
「アスラさまっ!!」
リディアは慌ててアスラの元に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「……っ、ええ。あと……少し……」
アスラが顔を歪ませながらも、気遣い不要とばかりに手で制してきた。
息を切らしながら、アスラが再び立ち上がる。
そして、『浄化』を再開させるために力を解放すると、光は輝きを取り戻した。
(浮遊状態を維持出来ないなんて……)
アスラをここまで手こずらせるほどの複雑な毒を、今まで見たことがない。
リディアたちが不安な表情で光景を見守ること2、3分。
「リディア、終わりました。もう大丈夫ですよ」
「あ、ありがとう……ございました……!」
アスラがそっとリディアの肩に触れてから、その場を離れてエッジたちの元へ歩いて行く。
未だ浮遊出来ないようだが、幻獣界に戻ればすぐ力は戻る。
やはり、知性を1にしてでもアスラを召喚してよかった。
感極まったリディアの視界がじわじわ潤んできた。
「お館様っ!」
「……っ、地獄行きは……免れたか……」
「よ、よかった……もうだめかと、っ……!」
目を覚ましたエッジのそばで、イザヨイが涙を流している。
ゲッコウが、エッジの身体を支えながら上体を起こしている。
「っ、アスラ……やっぱ来てくれたか」
「毒はすべて排除いたしました。回復も施しましたので、すぐに動けるでしょう」
「そうみてえだな……助けてくれて、ありがとな」
落命の危機は、無事回避された。しかし……。
エッジたちを遠巻きから眺めていたリディアは、ある方向に恐る恐る視線を向けてみた。
「痛っ……!」
目に鋭い痛みが走り、息苦しさを感じて思わず目をつむる。
同時に、症状が収まったことでリディアは確信した。
症状を引き起こしているのは、エッジの顔だと。
自分の心と記憶だけでなく、身体にも重く辛い事実が残ってしまったのだろうか。
「ただ、顔の傷は相当深かったので、それだけは……」
「いい。命が助かっただけでも十分だぜ」
「そうおっしゃていただけると、ありがたいです」
エッジが快活な声でアスラに答えている。一方、リディアは肩の力を落としうつむいたまま。
やはり傷跡が残ってしまうことがわかったからだ。
エッジは目にも傷を負っているはず。
あえてアスラに言わないのか。どうでもいいから話題に出さないのかは定かではない。
しかし、片方だけとはいえ、目が見えなくなってしまったら。
忍者としての致命傷になるのではないか?
無理して明るく振る舞っているだけで、本当は辛いのではないか?
気が気でなく、自身を落ち着かせるために両手を胸の前で握りしめたその時だった。
「お待ち下さいっ! アスラ様っ!!」
イザヨイの叫び声で、その場に緊張が走った。
「どうされました?」
「っ、そのおっしゃりようですと……お館様の顔に傷が残ったり、傷付いた右目が見えなくなったりする可能性があるということではありませんかっ!」
「その通りです。可能性は決してないとは言い切れません」
「そんな……」
イザヨイが呆然としたような表情で、がっくりと肩を落とした。
アスラなら完全に治癒してくれる。
イザヨイもそう期待していたのかもしれないが、現実は……。
リディアも、完全に治らなかったことを残念に思う。
それでも、幻獣界の事情を知るせいでアスラを責める気にはなれない。
「イザヨイ、アスラ様に無礼な口を叩くんじゃない」
「オレを差し置いて、口を挟」
「——納得出来ません!!」
注意したゲッコウと咎めようとしたエッジを遮って、イザヨイが叫んだ。
やるせなさの中に、怒りと悔しさが混じっているような声だ。
「どうぞ話をお続けになって」
「……幻獣は、強大な力を持つと聞いています。そんなあなた方が……」
(やめて)
イザヨイから一方的に責められるアスラにリディアの胸がつきりと痛む。
好きな人の顔に傷が残るだけではない。
失明の可能性があると知って、不安でたまらないのだろう。
気持ちはわかる。わかるけれど、イザヨイは責める相手を間違えている。
「なぜ、傷ひとつ治せな」
「——イザヨイさん、もうやめてっ!!」
母親代わりの存在である、アスラが責められるなんて耐えられない。
未だ震える手をぐっと握りしめて、リディアはうつむいたまま声を張り上げた。
しん、とその場が静まり返る。
「……リディア様」
無音の空間は、イザヨイの声で終わりを迎えた。
「いくら幻獣が強いからって、その力は万能じゃありませんっ!」
「え……」
「『どんな力をもってしても、過去は変えることは出来ない』……アスラさまでも傷をなかったことには出来ないのっ!」
リディアは無我夢中で叫び続ける。
目からぼたぼた雫が落ちようが気にしない。
誰がエッジの顔に傷を付けたのか、今ここで言わなければならない。
「リディア、やめろ! それ以上……」
「アスラさまは何も悪くない! 悪いのはあたしなの!……あたしが……エッジの顔に傷を付けたのっ!……っ、うっ……」
「リディア、あなた……」
エッジの制止を遮って、激情に流されるがまま叫び終えると、その場で泣き崩れた。
(みんなあたしが悪いんだ!)
助けにきてもらったエッジに、二度と消えない傷を付けてしまった。
忍者として致命傷になりかねない怪我を負わせてしまった。
エッジを慕うイザヨイを悲しませてしまった。
アスラに、相当な負担を掛けさせてしまった。
……何もかも、さらわれてしまった自分が引き起こしたものだ。
「リディア様っ!」
遠くで何かが爆ぜる音が聞こえても、何者かに抱きかかえられても。
涙を流し続けるリディアは気付いていない。
自らを『自責』という名の鎖で、ぐるぐる縛り付けていたことなんて……。
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