フェイクラバーズ 作:かえで
——約1か月後 11の月上旬
幻獣界の空は濃灰色に覆われており、樹々のひとつも見当たらない。
無機質な建物や風景が一面広がり、時間の流れも感じさせない。
普段は静かな世界だが、4年前からごくたまに騒がしい時間が訪れるようになっていた。
「……!!」
「……!」
「いやー、異世界で呑む酒ってやっぱ一味違うぜー」
「おや? もう空っぽじゃのう」
「あ、ああ……」
「ほれほれ、もっと呑め呑めぇー」
「……すまない」
幻獣オーディンがウリエルたち、呑んだくれ親父どもにはやし立てられながら。
グラスに酒を注がれると、くいっと一杯ひっかけた。
(こんな騒がしいのによく起きねえな)
少し離れたところに目をやれば。オーディンの相棒である馬が立った状態で寝息を立てている。
そんな酒宴の輪の端っこで、エッジはあぐらをかいて座っていた。
そして時折、近くに置かれているお皿からおつまみの豆を適当につまんで。
ぽいぽいっと口に入れながら、いささか醒めた目で酒宴の傍観に徹していた。
(幻獣と人間が仲良く酒を飲み交わすなんて、昔じゃ考えられなかったぜ)
—— —— ——
ちょうど今から4年前になる。
ミストの花火大会に、幻獣界の王と女王が参加した。
それを機に、長らく続いた幻獣界と地上世界の冷戦状態の雪解けは近い。
そうにらんだリディアが、花火大会終了後の寄合でこんな案を打ち立てた。
『幻獣界に興味がある人、わたしが里帰りする時に一緒に遊びに行きませんか?』
『ミストの住民限定幻獣界日帰りツアー』と称されたそれに。
行事が大好きでノリがいい大人と、召喚術を習得中の子ども。
合わせて20人ほどの住民から参加希望の申し出があったことで。
その年の秋、第1回目のツアーがつつがなく執り行われた。
以後は毎年春と秋の年2回。リディアの帰郷日に開催されている。
—— —— ——
そんなツアーの第1回目から欠かさず参加しているのが。
元定住医ウリエルをはじめ、ミストの中高年男性集団呑んだくれ親父どもだ。
—— —— ——
彼らは陽気で明るく、兎にも角にも酒が大好き。そして、エッジ並みに強い。
何かにかこつけ、夜バロンの酒場に呑みに行くか、ミストの集落の端で宴会をやっている。
更にはミストの各行事に酒を持ち込んだ上で参加するのがお決まりとなっていた。
—— —— ——
仮に存命であれば、自分たちと同世代。
親父どもはそんな理由で、ツアーでは毎回オーディンと一緒に酒を呑みながら。
彼の人間時の記憶を掘り起こさんとばかりに、懐かし世間話に花を咲かせていた。
「おーい! エッジ様も呑もうぜぇー?」
「毎度毎度そんなとこで見てるだけじゃつまんねーだろぉ??」
お皿に手を伸ばそうとしたら。親父どもがエッジに声をかけてきた。
「ばか言うな。オレに飲酒運転させる気か!?」
「あー、そうだったぁー」
「あんたもドライバーじゃなかったらなぁ」
怒鳴りながらお断りしたが、親父どもは何のその。げらげら笑ってまた酒を呑んでいる。
—— —— ——
国有艇には自動操縦機能がついている。肝心のボタン操作がまた複雑で時間がかかる。
しかもボタンを一度押し間違えたら、最初からやり直し。
ミストには飛空艇の運転、とどのつまりボタン操作を行える人間が誰もいない。
よってエッジは春と秋のピクニックと幻獣界ツアーの日は運搬役。
いわゆるドライバーを買って出ており、その日はいつも飲酒を控えていた。
—— —— ——
(わかってるくせに……何度も言わせんじゃねえよ!)
いくら自動操縦運転だろうが、飛行中は数十人の命を預からねばならない。
そう考えたら、例えうわばみを自負していても飲酒は無理だ。
「おまえら、酒に呑まれて喧嘩だけは絶対すんなよ!」
「大丈夫大丈夫!」
「何度も言われなくとも、わーっとるわい」
「俺らがトラブったら、愛する愛するガイドちゃんが幻獣界に1年縛り付けの刑にされちまうもんなぁー」
「そらぁ、必死になるよなぁ!」
エッジの訴えもむなしく、親父どもはからかい混じりで笑い続けるだけ。
こうも彼らの気を大きくさせてしまう、酒の力は恐ろしい。
もっとも親父どもは、素面でもこの調子だからどうしようもない。
—— —— ——
エッジが移動運搬役——ドライバーなら。
リディアは幻獣界ツアーの日に限り、ガイドと呼ばれている。
その理由は、何と言っても幻獣界を知り尽くしている人間だから。
なお、リディアはツアー中の保証人も兼ねている。
仮にツアー客が、幻獣界やその住民に迷惑を掛けたら。
リディアに『1年間幻獣界で過ごす』ペナルティが課せられる。
そういった事情から、ツアー客はみんな迷惑行為を起こさないようにしている。
ただ、呑んだくれ親父どもだけは信用性に欠ける。
酒は飲み方次第で薬にもなるが、毒にもなり得る。
一旦暴走が始まったら、ひと悶着起こしかねない。
—— —— ——
(こいつらのせいでリディアと1年も離れ離れになってたまるか!)
エッジはそんな理由から、幻獣界ツアー中は毎回リディアやクオレと別行動。
もっぱら、親父どもの監視に費やしていた。
「俺らとオーディンさまの仲だぞ!? 喧嘩なんかしねーよ!」
「そーだそーだ! なめんじゃねーぞぉ?」
「いえーい! 呑み友サイコぉー!」
「心配せずとも、私はこれぐらいでは酔わぬ」
親父どもに肩を組まれた、呑み友——オーディンがきりっとした声で答えた。
「いや、あんた今幻獣だろ……」
幻獣が地上のアルコールに左右される訳がなかろう。
エッジは半目で呆れたように、オーディンにツッコミを入れたのであった。
§
じじじ……
(おっ)
懐から振動を感じて、中から懐中時計を取り出す。
あらかじめ時間を設定しておけば、その時間が訪れると時計が振動する。
数年前、シドに頼んで懐中時計にそんな機能を付けてもらった。
ふたを開けてみれば、時計の針は午後3時15分を指している。
午後3時半に、ツアー客は全員幻獣の町の一角に集合することになっている。
「もう時間だ!! さっさと帰る準備しろ!」
「えー?」
「マジかよ!」
「ごみも全部集めろよ!」
幻獣界の環境を荒らすのも、迷惑行為——ペナルティ対象だ。
ぶうぶう文句を垂れる親父どもへ片付けも促せば。
彼らは重い腰を上げて、そこらに散らばったびんやグラスを集め始めた。
「もう帰るのか……早いのう……」
「時間経つの早えーよ」
(他の奴らが日帰り観光気分でよかったぜ……)
帰りたがらない親父共どもを見て、つくづく思う。
他のツアー客が彼らと似たような感覚でここに来ていたら。
誤差レベルだろうが、地上と幻獣界で時間のズレが発生していたかもしれない。
—— —— ——
友人や身内など、幻獣界からの帰還を待ってくれる存在がいる。
帰還後の翌日以降、地上に戻らねばならない用事がある。
そういった理由で今後も地上で暮らすつもりで幻獣界に足を運べば、時間のズレは起きない。
地上に戻っても、おとぎ話の浦島太郎のような現象は発生しない。
—— —— ——
以前エッジがそんな仮説を立てたことがあったが。
それが正しかったことが、これまで数回開催されたツアーで実証されている。
程なくしてごみを全て集め終えると、未だ新入り幻獣とのお別れの時間がやってきた。
「またバロンの酒持ってきてやるからなぁ」
「今度は南部のXXだ」
「……懐かしいな」
親父どもは単にお酒好きなだけでなく、知識も持っている。
バロンの銘酒を口にすれば、オーディンがぴくりと身体を動かし、反応を見せた。
(セシルの奴、前国王が酒豪だってこと知ってんのかね……)
どうもオーディンと言う幻獣。人間の頃は大の酒好きだったらしい。
「北のQQもいいぞぉ」
「……それも聞いたことがあるな」
「どっちも持ってこようぜ」
「楽しみに待っててくれや」
「ああ」
「また半年後な!」
中高年男性の集団が別れを告げて、その場を離れると。
オーディンが、ようやく目が覚めた相棒の馬と共に見送ってくれた。
これも酒の為せる力か。呑んだくれ親父どもの偏見のなさとゴリ押し力か。
それとも、そのどちらもなのか。
本日も無事に交流を終えることが出来て、胸をなでおろしたのであった。
§
酔っ払い中高年集団と共に集合場所に向かう中。エッジは最後尾を歩いていた。
「なんじゃい、しみったれた顔して」
「あぁ?」
(うわ、酒くっせ……)
突然ウリエルが歩く速度を落として、エッジの肩に手を回してきた。
ところが、強烈な匂いが口布を通り過ぎて鼻腔をくすぐり、思わず顔をしかめてしまった。
「呑めんかったから、いらついとるんかぁ?」
「……別に」
ウリエルから漂う酒臭さに耐え切れず、ぷいとそっぽを向いて答えた。
酒が飲めなかったつまらなさはどうでもいい。とにかく臭い。
「兄ちゃーん、また春も頼むぞ」
「……」
「おいおい先生ー。無理言ってやんなよー」
「次はピクニックだろ」
「ピクニックはリディアとべったりなんだから、邪魔しちゃ気の毒だぞ」
「おお、そうじゃ」
「——うるっせえ! 減らず口叩いてる暇あったらさっさと歩けよっ!」
好き勝手あれこれ口にする親父どもへ大声で怒鳴り、尻を叩いた。
(ったく、どいつもこいつも!)
エッジのミストへの愛着は、リディアへの愛あってのもの。
ミストの住民には、すっかりそれを見抜かれているため。
エッジは反論する術を持っておらず、こうして怒鳴るしかない。
「うわー、怖え怖えー」
「酒の恨みは何とやらじゃのう」
「けどよぉー? エッジ様がいるから、あのこえーこえー村長に叱られずに済むんだよなぁー」
「ぎゃははっ!!」
「そりゃ言えとるわい!」
案の定、親父どもはどこ吹く風とばかりに肩を寄せ合い、何とも楽しそうに先を歩く。
ミストの住民はエブラーナの民と違い、エッジに容赦なくモノを言ってくる。
特に呑んだくれ親父どもは、誰よりもそれが顕著だ。
そんな彼らの背中を視界に入れながら、鼻ですんと笑い、こうつぶやいた。
「……悪かねえな……こういうのも」
エッジは物心ついた頃から、互いに何でもモノを言い合える場所が欲しくてたまらなかった。
それを求めて、若き頃から頻繁に大陸を飛び出して世界をさまよっていたけれど。
この歳になってようやく得られた気がする。
これもリディアが、エッジの『私』の部分を大事にしてくれるおかげ。
彼女と出会って結ばれた、収穫のひとつだ。
§
酔っ払い親父どもと共に、集合場所——幻獣の町の片隅に到着した。
ここの床には、一瞬で幻獣の洞窟入口に移動出来る転送盤がある。
「戻っ」
「——リディアがまだですぅー」
人の集まりに近付くと、アリサが出迎えてくれた。
きつい口調、かつ仁王立ち状態なのもまた腹が立つ。
「ラルフは呼びに行ってたぞ? 村長なら、ぶう垂れてねえで呼んでこいよ」
(くそ! 先が思いやられるぜ!)
村長のバトンタッチに伴い、今回からアリサがツアーの仕切り屋。
当然ながら、春と秋のピクニックも花火大会も……。
他の行事を仕切るのも、この女。憂鬱でたまらない。
「いやですぅー。エロじじいに挨拶するだけでストレスたまっちゃうもーん」
「……!」
ぷいと明後日の方を向き、エッジを一蹴してきたアリサにぎりぎり歯ぎしりする。
(この二枚舌め!)
アリサは普段から、リヴァイアサンのことを『エロじじい』と呼んでいる。
なお、王の面前でのみ、『幻獣王様』とかしこまっている。
自己中心的な女だ。改めてそう思わせてくれただけでなく。
この女が村長の間は、ミストと断絶してもいい。そこまで思ってしまった。
……そんなことしようものなら、リディアとクオレが悲しむのでやらないけれど。
「では! 今から点呼取りますねー?」
「村長さん」
「はい、何でしょー?」
「点呼って、普通ガイドさんがやるものじゃ……?」
点呼を取り始めようとしたアリサを、あるツアー客が呼び止めて質問している。
(新参者なら、事情知らねえわな)
見慣れぬ顔からして、最近引っ越してきた者だと思われる。
「あのガイド。保証人ついでに幻獣王の妾候補ですからね。毎っ回引き留め食らってるんですよー」
「そ、そうなんですか……」
「そのガイドがいないんじゃ、あたしがやるしかないでしょー?」
「……よくわかりました。ありがとうございます」
リディアの代わりに、なぜ自分が点呼をやらねばならないのか??
そう言いたげなアリサの迫力に負けたのだろう。
当のツアー客が礼を言いながらも、どこかおののいているように見えた。
「リディアちゃんも毎度毎度大変だなあ」
「最初に会っときゃいいのに」
「だめだよ。それじゃあの子、どこも回れないよ」
「娘相手にしても、ちょっと度が超えてるよね」
ツアーの常連たちが言うことに、心の中でそうだそうだと同意する。
—— —— ——
リディアがひとりで里帰りをしていた頃。
最初にリヴァイアサンとアスラと面会したまではよかったが。
リヴァイアサンに『まあまあお茶でも……』と引き留められて。
他の幻獣たちに会えず、元自室でもくつろげずで終わってしまったことがあった。
それ以来、リディアは幻獣王夫妻との面会を一番最後に回すようになった。
—— —— ——
それは幻獣界の王様のリディア溺愛を如実に現した、ミストでも有名な逸話だ。
§
「何よー!! まーたステラとクオレがいないじゃなーい!」
点呼が終わったらしい。アリサの大声が聞こえてきて、思わず額に手をやった。
(あいつらもか……)
クオレもステラも、ほぼ毎回集合時間に戻ってきたことがない。
「ちょっとエッジ様ー!」
「……なんだよ」
大声で叫びながら、こちらにずかずかと大股で近付いてきたアリサに身構える。
今からエッジにクレームをつけてくるのだろう。
「何とかならないのー? 遅刻常習犯の身内どもー!」
「知るか。それより、きんきんきんきんうっせえんだよ」
「アリサ、もうやめなさいって……」
「さすがにそれは言いがかりだよ」
「そーだぞー? 小姑も大概に」
「——あんたの遺伝もろ受け継いで、クオレも協調性ゼロになっちゃったみたいだしー!」
止めようとしたライザや他のツアー客を無視し、アリサに嘲笑られて。
ぷちんと頭の血管が切れたような感覚を覚えた。
(てめえんとこのステラもだろが!!)
クオレと行動を共にしているアリサの娘ステラも同罪ではないか。
それを棚上げしてエッジに非があるような言い草に、心底腹が立つ。
そもそも、クオレと血は繋がっていないのだから遺伝もくそもない。
「なんだとぉ! この野」
「——なりません! エッジ様っ!」
アリサに食ってかかろうとしたら、背後からラルフにつかみかかるように止められた。
「っ……おい! 離せっ!」
「いちいちアリサの煽りに反応していたらキリありません! 相手にしないのが一番です!」
「っ、くそっ!!」
煽りに乗る方も煽る者と同レベル。そう遠回しに告げられ、渋々引き下がった。
確かに40過ぎた男が感情的になるのは大人気ない。
「いい加減にしなさい、アリサ」
「えー、何がー?」
「いつまでエッジ様に敵意むき出しなんだ」
ラルフがアリサの前に立ち、自制を迫っている。
(こいつがそんなもんで反省するような女だったら、今こうなってねえよ……)
そう思ったのは、エッジだけではなかったであろう。
「あんた、いっつもそいつの肩持つわねー」
「君がしつこいのが悪」
「——やだー! もしかしてあんた、デ〇でホ〇なのー!?」
「!?」
すっとんきょうな声でアリサに叫ばれ、ラルフの身体が固まっただけでなく。
その場がしんと静まり返った。
(なんでそうなるんだよ!?)
デ〇はいつものことだが、その後がいけない。
同性愛者を称する言葉を異世界で口にした人間は、おそらくこの女が初めて。
ちょっと人をかばっただけなのに、言っていいことと悪いことがあるだろう。
それも自分の伴侶に。
呆然とするエッジたちをよそに、アリサがふんと鼻を鳴らしてから、ラルフにこう言った。
「ホ〇でも別にいーけど、絵面が良くないわー。あんたもっと痩せなさいよー」
「っ……」
辛辣なことを吐き捨てられた途端。まるで魂が抜けていくかのように。
ラルフががくりとその場に両膝を突き、四つん這いになってしまった。
「お、おいっ……」
「デ……デ〇で……ホ〇……」
よほどショックだったのだろう。エッジの問いかけにも答えず。
ラルフがそのままの姿勢で何かぶつぶつ口にしている。
あくまでエッジの主観だが、ラルフはミストで聖人のような存在。
非の打ち所と言えば恵体、いわゆるデ〇ぐらいなものだ。
(もしかしてこいつ、マゾなんじゃねえか?)
愛する妻から、デ〇はおろか同性愛者のレッテルまで貼られてしまった。
しかしながら、これまでこんな仕打ちを散々受けているのに。
離婚しないところを見る限り。もしやそういった性癖の持ち主なのかと邪推してしまう。
「ほらほら、エッジ様。責任もって回収してきてくださぁーい」
「っ、わかったよ……!」
しっしとばかりに手を振ってきたアリサに、悪態をつきながら。
その場を離れて、幻獣王夫妻とリディアが過ごしているであろう部屋へと向かった。
§
その部屋は幻獣図書館の地下にあり、謁見の間の役割を兼ねている。
館内に入り、地下への階段を降りきると。
リディアと老人と熟年女性の3人が椅子に腰掛けて、何か話している。
老人はリヴァイアサン、女性はアスラだ。
ふたりの真の姿は大きすぎるため、幻獣の町やこの部屋。
加えてミストに現れる時は、いつも夫婦揃って人型の姿を模っている。
「おい、まだか」
「あぁ、エッジ……」
リディアに声をかけながら、緩慢な速さで3人のそばに近付く。
(まだ未練あんのか。しつこい奴だぜ)
アスラがエッジに向かって微笑んでくれた。
一方、リヴァイアサンから向けられる視線は厳しい。
身体にちくちく刺さるような感覚を覚える。
……それもそのはず。
エッジはリヴァイアサンにとって、『可愛い自分の娘を寝取った人間の若造』だから。
「ガイドがいなかったら、オレら帰れねえんだが」
「うっ……」
リディアが申し訳なさそうにうつむいてしまった。
その反応を見る限り。ツアー客を待たせている自覚は一応あったらしい。
「幻獣王さま、アスラさま。今日はこれで失礼します」
「ええ、お気を」
「——なんと! もう帰るのかぁ!?」
リヴァイアサンが信じられないと言ったような表情で大声を上げた。
リディアを引き留めていたのは、やはり幻獣界の王。それがありありと見て取れる。
「……申し訳ございません」
「来たばかりだと言うに、寂しいのう」
「幻獣王」
それ以上口にするなとばかりに、たしなめてきたアスラに構わず。
リヴァイアサンが「はぁーあ……」ともらして、なおもこう続ける。
「いっそのこと、ここでずっと暮ら」
「——あなたっ!!」
「ひぃっ!?」
「幻獣たちの王であろうお方が、ぐちぐちぐちぐちみっともない!! いい加減になされませ!!」
「は、はい……」
アスラに怒鳴られて、リヴァイアサンが肩を小さくさせた。
真の姿であったら、みっつある顔のうち『鬼』の顔を正面に持ってきていたであろう。
「幻獣王さま、ごめんなさい。わたしたち、みんな明日仕事や用事があるんです」
「そうか……」
「幻獣王」
「な、なんじゃ」
「またわたくしたちがミストに遊びに行けばよいのですよ」
「……おお、おお、そうじゃ。そうじゃ。すーっかり忘れとったわい」
妻に怒鳴られ、娘には帰ると告げられて落ち込むリヴァイアサンを。
当の妻が今度は『仏』とばかりに、慈愛の笑みを浮かべながら優しく諭した。
「リディア?」
「は、はいっ」
「また『ふたりで』ミストにお邪魔させていただきます」
「アスラさま……!」
「楽しみにしていてくださいね」
アスラの一言に、リディアが晴れ晴れとした表情に戻った。
(操縦すんのうめえな……)
妻とふたりで行動する限り、リヴァイアサンも粗相は出来ない。
アスラが手のひらの上で、夫をころころ転がしているように見える。
「気をつけてお帰りなさい。みなさまにもよろしく」
「はい、ありがとうございます。今日はこの辺で失礼します。——行こう」
リディアが明るい声で挨拶してから。ふたりで謁見部屋を後にした。
……それまで、エッジの背後からぐさぐさ突き刺さるような誰かさんの視線や。
悪意増し増しの気配を感じていたことは、リディアには秘密。
§
「ごめんなさい」
「アスラがいなかったら、いろいろ終わってたな」
「……そうだね」
エッジとの関係。ミストと幻獣界との関わり……。
今があるのは、アスラのおかげでもあると言っても過言ではない。
ちなみに、お互い歳老いてから『こんなこともあったんだぜ』と。
リディアを驚かせるのも、これまた一興。そんな思いから。
エッジはアスラと密会していたことを、未だに内緒にしたまま。
何はともあれ、リディアを回収出来たからいい。
エッジは次の回収先へと向かうため、図書館を出て西の方角に進む。
「あれ? 集合場所そっちじゃ」
「——クオレとステラもまだなんだよ」
「ええ?」
「おまえら、揃いも揃って遅刻常習犯扱いされてんぞ」
「うっ……」
「ほれ、行くぞ」
しょんぼりしてしまったリディアの肩を叩き、先を促す。
トランプやチェス。オセロやフラフープにボール遊び……。
ツアーの度に道具を持ち込み、幻獣界に住まう子どもに地上の遊びを教えてあげる子どもツアー客はまあ多い。
クオレとステラもご多聞に漏れず、いつも西の外れで幻獣の子どもふたりと『ごっこ』遊びをしている。
「——いた」
リディアと共にしばらく西に向かって歩いていると、クオレたちの姿を発見した。
いつもはそこらをはしゃぎ回っているのに、今日は珍しく4人でしゃがみこんでいる。
「何やってるんだろう?」
「あやとりみてえだな……」
クオレとステラが幻獣界の子どもたちに、あやとりで作ったはしごを見せているようだ。
あやとりとは、輪っかにした長い糸を手首や指に掛けて。
はしごや川など様々な模様や形を作り上げる世界共通の女児の遊びである。
「おまえら! もう時間だぞ!」
アリサにまた『遅かったわねー』と、嫌味ったらしく言われるのもしゃくにさわる。
エッジはすぐさま、大声を上げてクオレたちに帰りを促したのであった。
§
『……』
「……」
遅刻者全員の回収を終えて、4人で集合場所に戻っている最中。
エッジとリディアの前を歩くクオレとステラが、何か話しているのが聞こえてきた。
『あやとりは面白くなさそうだったな』
「そうだね。反応薄かった……」
耳をすませてみれば、ふたりで反省会をしている模様。
『あやとり』が幻獣界の子どもに、とても受けが悪かったことを残念がっている。
(橋やはしごを作っているとこ見てるだけじゃ、そらつまんねえだろ)
何せ、ふたりと仲がいい幻獣界の子どもたちの外見は『竜』。
人間と違って、彼らの手はあやとりが出来るような形をしていない。
「次は何持ってこよう?」
『……缶けりにするか』
「そうしよ! やっぱりみんなで身体動かす方がいいもん」
『半年後楽しみだな』
「うん、そうだね!」
(そういうのでいいんだよ)
缶を蹴っ飛ばして追いかけっこする遊びなら。あの子どもたちも一緒に遊べる。
みんなで楽しむことこそが、異世界との交流につながる。
クオレやステラも試行錯誤しているうちにそう悟ったようだ。
§
「ああ、来た来たー!」
「おっせーぞ! ガイドー!」
「添乗員がいなくてどーすんだよ」
「ごっ、ごめんなさい……!」
ようやく集合場所に到着。ぶうぶう文句を言ってくるツアー客へ。
リディアが心底申し訳なさそうに謝った。
「ほら、ガイドー。お仕事お仕事ー」
更に追い打ちをかけるように。アリサが先を急かした。
なお、彼女の夫はよほどダメージを受けたのか。立ってはいるが憔悴しきっている。
「で、では今からバロンに向かいます! わたしの後からひとりずつ盤の上に乗って下さーい」
幻獣の町とのお別れを告げた、ガイド役のリディアに続いて。
ツアー客は次々と転送盤の上に乗って、幻獣の洞窟入口に移動したのであった。
§
先頭のリディアに続き、ツアー客が洞窟の外を出て地底に停泊中の国有艇に向かう中。
ようやく最後尾のエッジも転送盤に乗って町から出入り口にやってきた。
リディアに次いで幻獣界に多少顔が利く。何かあっても大抵のことなら何とか出来る。
そんな理由から、エッジは幻獣界ツアーでの歩行移動中、最後尾を任されている。
「邪魔したな」
出入り口を通り抜けようとする前に。
赤いローブをまとった幻獣界の番人、ミトラに声をかけた。
「ええ……」
「どした。元気ねえな」
ミトラはいつも瞬間移動で訪れた客を町まで運び、帰りはこうして客を見送ってくれる。
しかし、今日はいつもと比べて声に張りがない。
「お茶を飲みに来てくれるお客様は増えたけど……本業にあまり影響がなくて……」
「んなもん当たり前だ。泊まりじゃねえのに売上は上がらねえよ」
ミトラが残念そうな声でぼやいて、思わず苦笑いしてしまった。
ツアー効果で自身が経営する宿屋の売上倍増を期待したのだろうが。
4年経った今も、思った以上に跳ね上がらないことがご不満のよう。
日帰りツアーから宿泊ツアーになっていただきたくてたまらないらしい。
「リディアにそれ話したか?」
「いや、何も」
「今度話してみろ。ツアー客も増えてっし、年1でなら宿泊ツアーを検討するかもしれねえぞ?」
「……ああ。そうさせていただくよ」
「じゃ、元気でな」
「お気を付けて。またのお越しを」
本業を彷彿とさせるぐらい、丁寧な礼をしてくれたミトラへ。
エッジは軽く手を振ってから洞窟を後にした。
§
「点呼終わったよー」
国有艇に戻り、エッジが運転室で出発準備をしていたところ。
リディアが飲料水のびんを胸に抱えて運転室に入ってきた。
あっちあちの地底を移動するため、水分補給は欠かせない。
点呼と同時にツアー客に飲料水も配ってきたのだ。
「どうだった」
「みんな揃ってた」
「……っ、寄り道するとこねえしな」
(干からびちまう)
リディアの答えに鼻で笑いながら、地底世界から脱出するために。
自動操縦の目的地をバロンに設定し終えて、国有艇を発進させた。
「はい、これっ」
「お、サンキュ」
リディアが、飲料水のびんを差し出してくれた。
それを受け取ってみれば、指や手のひらからじんじん冷感が伝わってくる。
甲板にいるツアー客に配布した時に、魔法を使ってきんきんに冷やしてきたのだろう。
自動運転に切り替えたこともあって、飲料水を口にしながら。
壁に背を預ける格好で腰を下ろせば。リディアも隣に座り、ちびちび飲料水を飲み始めた。
「おまえら、今日どうする?」
「どうするって、何が?」
「今晩ぐれえミストに泊まってもいいんだぜ?」
リディアとクオレがエブラーナに引っ越してから約1週間が経過した。
ミストの自宅にはまだ荷物が少し残っている。
冗談半分、本気半分でミストに帰って寝るよう勧めたら。
「——ばかっ」
「ぢめてっ!!」
リディアが手にしていたびんをエッジの頬に押しつけてきた。
「おまえなぁ……! 心臓止まるかと思ったぞ!?」
地底にいようが、急に冷たいものを押しつけられたら、驚くのは当たり前。
「エッジが変なこと言うのが悪いよ。——今のおうちはエブラーナにあるのに、どうしてミストに帰らなきゃならないの?」
「……ははっ、そうだよな」
ミストに帰らない。そう意思表示したリディアへ軽く笑いながら返事した。
ホームシック——ミストに焦がれて、そこで一夜を明かすと言ってもおかしくない。
そんな悪い予想が外れたことに、心の中で安堵する。
「さっきライザから聞いたよ」
「何を」
「アリサにまたいじめられてたって」
「……あぁ、そういうこともあったな」
「ごめんね……」
「オレは別に。旦那の方がダメージ食らってたな」
怪訝そうな顔をするリディアに心配かけまいと。
妻に〇モ扱いされた、ラルフのことを笑うことで強がって見せた。
あの女にけちょんけちょんにされる度に、はらわたが煮えくり返る。
忍者お得意のこっそり報復も考えていたが、早々に諦めてしまった。
1期なのか2期なのか。一体、何年つとめるか知らないが。
否が応でもアリサが村長を辞める日は訪れる。
早く時間が過ぎ去ることを祈った方が、まだ精神的に健全だ。
「ツアー、すっかり恒例行事になっちまったな」
「そうだね。エッジは楽しかった?」
「ああ」
「ほんと?」
「能天気な奴ばっかで、うらやましいぜ」
「エッジもお人好しだよ。お酒飲めないのに、ウリエル先生たちの見張り役買って出ちゃって……」
「見てるだけってのも、結構楽しいもんだぜ?」
「そうなんだ……」
リディアがそうぽつりとつぶやいてから、こくこく水を飲み干す。
空っぽのびんを床に置くと、身体をエッジのそばに寄せてきた。
「どした」
「『覆水盆に返らず』、覚えてる?」
「……懐かしいな」
「完全に破れたり、だね?」
「……」
リディアがくすくす笑っている。
エッジは何も答えなかったが、彼女の言う通りだと思った。
エブラーナ発祥のあのことわざは、自分には当てはまらなかった。
—— —— ——
未だ『マダム』や、酔いどれ親父どもを中心に。
ミストの住民から『ツクヨミ』を肴に茶化されることがある。
けれど、『ツクヨミ』を演じた時期は一体何だったのか。そう思うぐらい。
エッジが今こうして、ミストの光景の中に当たり前のようにいることが出来るのも……。
『これからこぼさないように気を付けなきゃね』
4年前、リディアがことわざのご都合解釈を口にしてくれたおかげだ。
あれがなかったら、エッジは強がってミストにこそこそ足を運んでいただろう。
もちろん、こういった行事にも参加していなかった。
—— —— ——
(王族に生まれてなかったら、こんな人生歩んでたかもしんねえな)
リディアと出会い、ミストを訪れるようになってから早17年。
『ツクヨミ』という偽りの存在を経て、現在に至るまで。
普通の人でいられる環境があることがありがたく思える。
例えこうしてミストに関わっている間だけだとしても、だ。
「……なあ、リディア」
数年前から、胸に秘めていたことを聞いてみよう。
ふとそう思い、リディアに声をかけた。
「なぁに?」
「もしオレが……っ」
(オレが国王じゃなくなったら、おまえは……)
リディアが首をこてんと傾けて、可愛い仕草を見せるも。
宙色の瞳はこちらをじいと見据えていて、言葉を切って息を呑む。
—— —— ——
リディアと事実上の婚姻を結び、ふたりの娘としてクオレを迎え入れた。
それから4年。復興も終えて精神的余裕が出来たからだろう。最近気が付いた。
……現状の関係では、満足出来ない自分がいることに。
その心の隙間を埋める方法は、一応あるにはある。
けれど、そのためには『国王』という鎧を外さねばならない。
初めて出会った頃から、リディアは一貫してエッジの『国王』。
いわゆる『公』の部分を尊重し続けてくれている。
もしエッジが鎧を外そうとしたら、彼女は受け入れてくれるのだろうか?
—— —— ——
「どうしたの? 続き」
「——いや、なんでもねえよ……っ」
(聞けねえ……)
かぶりを振ることで、自ら振ろうとした質問を自ら遮ってから。
リディアの両頬を両手で挟んで唇を寄せると、自身の舌を口内に潜り込ませた。
「っ……」
「んっ……ふ……」
この運転室は、ほぼ全面透明な壁で覆われている。そのことをすっかり忘れた状態で。
お互いに舌を絡ませていると、リディアが色気付いた息をもらした。
どうかこの調子で、さっきの話題を忘れてくれ。
エッジは心の中でそう願いながら。引き続き愛する女の口内を貪り続けるのであった。
—— —— ——
偶然誰かが、運転室のそばを通りかかったのだろう。
『やだぁー。せんたーたち、いちゃいちゃしてるー!』
『お熱いねぇ!』
『あんたたち……! せめて時と場所わきまえなさいよー!!』
数分後、運転室の周りにツアー客が集まってきて大騒ぎするまで。
—— —— ——
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