フェイクラバーズ 作:かえで
——それから2週間後 12の月某日
本日はミストでの授業がお休み。
リディアは午後からエッジとふたりで、城下町の東にある墓地を訪れている。
いい天気だと言うのに、墓地を訪れる客はほとんどいない。
ご先祖様を後回しにしないように。
そんな理由で、エブラーナでは早朝に墓参を済ませる人が多いからだ。
ミスト生まれのリディアは今ひとつぴんと来ないし、エッジも慣習にこだわりがない。
むしろ人が少ない方が好都合と、いつも墓地を訪れるのは午後からだ。
そしてつい先ほど、エッジの両親の墓参を終えたばかり。
今はあるお墓を参るために、一般墓地区画に戻っているところである。
「一番奥だったな」
「うん」
エッジはこの2週間、休みなし。ほとんど自宅に帰ってこれなかった。
こうして昼間から一緒に時間を過ごすのもずいぶん久しぶり。
(元気ないと思ってたけど……)
今日のエッジは口数が少ないだろう。
そう予想していたが、今のところ普段と様子は変わらず、よくしゃべる。
「あ……」
「あら、リディアちゃん。こんにちは」
エッジの様子を気にしながら、リディアが白いカーネーションの花束を抱えて。
幾多数多の墓石の合間に敷かれた御影石の通路を、エッジと肩を並べて歩いていると。
前からリディアのご近所さん……五軒先で暮らしている老年女性が歩いてきた。
「おばあちゃん、こんにちは」
「今日は仕事休み?」
「うん、そうなの」
「それで墓参りに来てくれたのね。ありがとうねぇ」
「おばあちゃんもでしょ? ご苦労さま」
「いやいやぁ、あたしはこれぐらいしか出来ないから」
「奥さま、足痛めているもんね」
「あの人もお気の毒にね……旦那さん、あと20年ぐらい生き……あら??」
女性が故人を偲んでしみじみしていたが、途中で言葉を切った。
リディアの隣に誰かいることに気付いたようだ。
「大人しい方のお友だちじゃないの。ええと……」
「ライザだよ」
「そうだ、ライザさんね。こんにちは」
『……こんにちは』
「リディアちゃんと一緒に墓参りに来てくれて、どうもありがとうね」
『いえ……とんでもないです』
控えめな口ぶりでエッジが女性にそう答えるのも無理もない。
……現在エッジは、ライザに扮しているから。
—— —— ——
エッジはリディアとクオレとの関係を国内で公表していない。
そのため、お城の外をリディアたちと連れ立って歩く時。
いつも『変化の術』を使って『ライザ』に扮している。
ライザはリディアの親友でもあるが、リディアのファン。
リディアの幸せにつながるから、受け入れてくれるだろう。
エッジはそう思い、変装させてくれと頼んだら、あっさり許可を下ろしてくれた。
§
リディアたちと家族になる前は、『変化の術』を使っても顔だけはエッジのまま。
それが嫌で日々修行した結果、改善された。……かと思いきや、傷だけは消えなかった。
仕方なくその部分だけは、お城からくすねた化粧品を使って隠しているという。
『変化の術』が使えず、変装せねばならないお城勤のために。
傷やそばかすを隠す特殊な化粧品がお城に常備されているらしい。
§
親友を巻き込んだカモフラージュ作戦を始めてから、かれこれ7年が経つが。
数年前、ローザから訝しげな顔でこう聞かれたことがある。
『エッジとふたりで堂々と歩きたいと思わないの……?』
『うん、ないよ』
他人がそばにいない時、エッジは素の声で話すし、単に姿が違うだけだし。
ミストでは堂々と歩いているし、それで十分満足していたから。
—— —— ——
(上手だなあ)
アリサとライザはお休みの日によくエブラーナに遊びにくる。
そのため、既にご近所さんからも『リディアの友人』として顔を知られている。
女性も目の前のエッジがライザだと信じ切って、親しげに話しかけている。
「あっ、そういえば。ライザさん」
『何でしょう?』
「あなた、こないだゲッコウさんと一緒に城下町歩いていたわよね」
『ええ、先日からお付き合いしておりますので……』
「あらぁ、そうなの!?」
長年文通を続けていたゲッコウとライザは、この秋ようやく交際関係に発展した。
休みが合う日は、エブラーナの城下町や薬草園へデートしている。
「これでゲッコウさんも安心ねぇ……! それならライザさん?」
『はい、何でしょう』
「あの人と結婚するのね?」
女性が喜色ばんだ表情でライザ(エッジ)に迫っている。
御伽衆の一番えらい人は、死ぬまで独り身かもしれない。
城内はおろか、城下町でもゲッコウのそんな噂が広まっていたから。
やっといい人見つかった。結婚間違いなし。女性はそう思ったのだろう。
(結婚……するのかな??)
この秋ライザが、ゲッコウとの交際をリディアとアリサに報告してくれたが。
同時に結婚する予定はないと強調していた。それ以降、のろけ話も一切聞かない。
会う機会がちょっと増えただけ。
遅咲きの恋人たちに対して、リディアはそんな醒めた印象を持っていた。
「あのね、おばあ」
『——ええ、そうなんです』
「!?」
(そんな話、聞いてないよ!?)
気が早い。そう女性を諭そうとしたリディアをエッジが遮り、ぎょっとする。
『来年にはけっこ』
「——ばかっ」
『っ!』
(勝手に決めちゃだめでしょ!)
結婚時期まで答えようとするエッジの口を慌ててふさいだ。
幸いにもエッジは無抵抗。
ライザの姿かつ第三者の目の前で、リディアの手を力づくで引きはがせる訳がない。
「あら、どうしたの?」
「な、なんでもないっ。そんな予定、全っ然ないからっ……!」
「でも、さっき」
「——じょ、冗談! 冗談だよっ! ライザこう見えて冗談好きなのっ!」
「あら、そうなの……」
女性は残念そうだが、適当に見繕ったリディアの言い訳を信じてくれた。
「じゃあ。わたしたちはこれで……」
「ごめんね、引き止めちゃって。お供え置いてあるし掃除しなくていいから」
「は、はいっ、それじゃあ……!」
何にせよ、ここから早く離れなければ。
その一心で、エッジの口をふさいだまま何度も頭を下げたら、女性が去ってくれた。
「ちょっとっ」
肩越しから女性の姿が見えなくなるのを見届けると、やっとエッジの口から手を離した。
「……なんだよ」
エッジが口を開いたが、見た目とは程遠い野太い男の声。
エッジは周囲に誰もいないと、ライザの姿のまま素の声と話し方に戻る。
最初は声と姿のアンバランスに笑いをこらえ切れず、エッジをよく怒らせたが。
7年も経てば、もう慣れっこ。
「勝手なこと言っちゃだめでしょ? ライザ結婚するって一言も言ってない」
「付き合うまでに10年かかってんだぜ? そんな調子じゃ結婚する頃にゃどっちか死んでるわ」
「わたしたちはそれ以上かかったじゃない。人のこと言えな」
「——つーか、オレたちは付き合う前からヤッてたろ」
「そっ、それとこれは別でしょ!?」
「ゲッコウの奴、まだ童貞だぜ?」
「!」
「店に抜きに行った記録も目撃情報もねえし。どうせちゅーもまだだろ」
(そんな情報聞きたくなかった)
エッジがくだけた物言い、なおかつ下品な言葉を平気で口にするだけでなく。
他人様の性事情まで暴露して、二の句が継げない。
「童貞のままじゃ、死ぬに死にきれないだろうしな。噂広めてでもゴールインさせてやるのが上司のつとめってもんだ」
ライザとは程遠い、悪どい笑みを浮かべながら話すエッジをよそに。
羞恥でいたたまれなくなり、右手で顔を覆った。
例えエッジご本人さまの姿でも、そうでなくとも。
昼間から下品な言葉を口にされるのはやはり苦手。しかも、墓場で……。
「っ、ライザの顔で……恥ずかしいこと言わないでちょうだい!」
「そんな気にすんなって。声はオレ」
「——せめて時と場所選んでっ!」
反省の色なしのエッジに向かって、右手を離して怒鳴ってやった。
きっと、今の自分の顔は真っ赤っ赤に違いない。
エッジはふたりの縁結びではなく、自分をおちょくりたいだけだった。
ゲッコウとライザをくっつけさせるなら、もっと前からやっている。
おちょくるにしても、空気を読んで欲しい。
来年で40歳になるリディア。あと数年で還暦に差し掛かるエッジ。
お互い、いい歳だというのに。
リディアがこうしてエッジにおちょくられるのは、今もよく見られる光景であった。
§
程なくして、ふたりは目的地であるお墓の前で立ち止まった。
そこにはエブラーナのお墓に主に供えられる菊の花束がいくつか置かれてある。
「花いっぱい置いてあるな」
「ザンゲツさん、毎朝来てるからね」
「そうか……」
先ほどの女性だけでなく、他にも参りにきた客がいたらしい。
花束の数で、この人物が周囲から慕われていたことが自ずと知れる。
「おまえも供えてやれよ」
「うん」
先にその場にしゃがんだエッジに促されて。
抱きかかえていた白いカーネーションの花束を石碑の前に置くと。
エッジの隣でしゃがみ、目を閉じて黙とうを捧げる。
「しかしよぉ……」
「えっ」
「100まで生きると思ってたが、急にぽっくり逝くたぁな……」
1分ほど経った頃。隣から声が聞こえてきて目を開けてみれば。
エッジが冬の空に向かって語りかけるようにつぶやいた。
—— —— ——
2週間前、秋も深まる11の月下旬のある日。じいが突然この世を去った。
その日の朝早く。じいは奥方にこう言い残して、寝室に向かった。
『今日はやたら眠うてなあ。朝寝させてもらうぞ』
ところが昼食の時間になっても、なかなか起きてこない。
奥方が様子を見にいったら、眠るように息を引き取っていたという。
§
亡くなった日の翌々日、葬儀が行われた。
ザンゲツやリディアやクオレをはじめに、先ほどの中年女性——じいの親族——や近隣の住民。
御伽衆やタツミ……じいに世話になった元使用人など、多くの人が参列した。
元上司であるエッジも参列したが、立場上リディアたちと別の場所。
しかも途中でお城に帰ってしまった。
そんなわずかな時間の合間に、じいの奥方と何か話していたのを目にしたが。
それ以外はほぼ黙しており、いつもの明朗快活さは見る影もなかった。
—— —— ——
(やっぱり無理してたんだ……)
エッジには、空に墓の主——じいの魂が浮かんでいるのが見えているかのよう。
先ほどまでは気丈に振舞っていただけだった。そう気付かされて胸がきしむ。
「苦しまずにお亡くなりになれたから……幸せだったかもしれないよ」
「まあ、大往生だったかもしんねえがな」
エッジが頭を戻して、墓石に視線を向けるも目はうつろ。
苦しまずに、あの世へ行ける理想の最期——大往生にもかかわらず。
突然の別れだったからだろう。未だ死を受け止めることが出来ないように見受けられる。
「嫁も最期、看取りたかったろうな」
「エッジもでしょ」
「おまえらもだろ」
「うん……」
エッジだけでない。リディアたちも思っていなかった。
……何の恩返しも出来ないまま、お別れするなんて。
(ずっとお世話になりっぱなしだった)
エッジとこうして一緒にいられるのは、じいのおかげだ。
移住後も、度々じいのお宅を訪問して奥方からエブラーナ料理の手ほどきを受けて。
じいに味見をしてもらったことがあったし、感謝を言い尽くせない。
クオレも孫のように可愛がってもらった。
忍者学校が早く終わった日、じいのお宅にお邪魔して。
経済、政治……常人では到底教えられない高度な内容をご教授してもらった。
しかもミストでは縁がなかった、そろばんと呼ばれる計算道具の手ほどきまでしてもらった。
今クオレがお城で難なく働くことが出来るのは、じいのおかげ。そう言っても過言ではない。
「葬儀ん時、嫁から聞いた話だが……」
「話?」
「あぁ、おまえ知ってっかも」
「なぁに? 教えてよ」
葬儀でじいの奥方と話していたことを教えてくれるようだ。
続きを話すようエッジを促した。
「じいの奴な。若けぇ頃、惚れた女に毎日花送りつけてたんだとよ」
「……その人が奥様なんだね」
「知らなかったか」
「うん、初めて聞いた」
奥方やじいといろいろ話をしたが、馴れ初め話は一度も聞いたことがなかった。
(ザンゲツさんと同じだったんだ)
エッジの話を聞いて真っ先に頭に浮かんだのは、数年前に城勤めを辞めて。
現在は愛妻と仲睦まじく隠居生活を送っている老齢の元御伽衆。
毎日花まで贈っていたぐらいだ。
じいもザンゲツと同じように、よほど奥方のことを愛していたに違いない。
見たこともない若き頃のじいと奥方のやりとりを、頭の中で想像していたら。
エッジがうつむきながら「情けねえ……」とつぶやいた。
「エッジ……?」
「毎日朝から遅くまで仕事仕事で、休みも他の奴らより少なかったってのに……オレは……ちっとも気付きゃ、いや……気付こうともしなかった」
うつむいて長い髪が垂れているせいで顔が隠れており、表情が読み取れない。
それでも絞り出すような声から、エッジの今の心情を察することが出来た。
長い年月、何でも出来るじいを頼りに頼り切って家庭をそっちのけにさせていた。
じいがあの世に行ってから夫婦の馴れ初め話を聞いて、エッジは自分を責めている。
一体どう言葉をかけたら良いか。
しばし思案を巡らせてから、エッジにこう声をかけた。
「じいやさんは、奥さまの相手してあげられなかった分をお仕事辞めてから取り返してたの。いつも一緒にいて仲良かったよ」
「……」
「ご夫婦でよく旅行にお出かけしてたの、知ってるでしょ?」
「……嫁もじいも……全っ然足りねえって思ってっかも」
自嘲気味に心情を吐露したエッジに、胸が締め付けられそうになる。
リディアにとってのミゼルやジャンヌのように。エッジにとって、じいは身内同然の存在。
それゆえに、尚更自身を責めているのがひしひしと伝わってくる。
(今のエッジを見ても、じいやさん喜ばないよ……)
このままではいけない。意を決して息を大きく吸ってから。
エッジの身体をつかみ、無理矢理こちらに向かせた。
「っ、おい……」
「——じいやさんと奥様は仕事優先になるってわかった上で結婚したの。エッジが悪いなんて思ってないっ」
「……へっ、どうだか」
「っ、昨日奥様とお会いしたけど『私が迷わないように、先に三途の川に行って待ってくれてるの』って笑ってたもん!」
先ほどより強い口調での説得もむなしく、やけっぱちとばかりに鼻を鳴らしたエッジに。
思わず声を荒げてしまったが、構わず続ける。
「わたしのお母さんとお父さん……今は一緒にいるけど、長い間離れ離れだったよ?」
「……!」
「じいやさんたちも、昔のお母さんたちといっしょなの」
我に返ったかのように、目を大きく見開かせたエッジの顔をのぞき込みながら。
己を責めるなと必死に言葉を届けた。
三途の川とは、あの世とこの世を分かつ川。
エブラーナで死後の世界を語る際、必ず登場する重要な場所である。
生まれ育ちもミストで、その川の存在を知らなかったリディアに。
奥方が意味を教えてくれた瞬間、すとんと胸に落ちた。
ミストドラゴンのたまごを護る使命から解放されたら。早逝した父ニクスの元へ行く。
リディアの母エスタも、そう話していた。
三途の川なる場所で、エスタが来るのを30年近く待っていたであろうニクスのように。
じいも今、三途の川で奥方が来る日を待っているに違いない。
「……」
「エッジ……」
「ありがとな」
少しの間を置いてから、エッジがふっと表情を緩めて。
リディアの頭をぐしゃぐしゃっと撫でてから、立ち上がった。
「元気出た?」
「ああ。いい歳こいて何やってんだかなぁ……」
憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした声を上げてから。エッジが大きく伸びをした。
どうやら元気を取り戻したようで、胸をなでおろす。
「買いもんしなきゃなんねえし、帰ろうぜ」
「……うん」
こちらに伸ばしてくれたエッジの手を取り、引っ張られるように立ち上がると。
そのまま手をつないでじいの墓を後にしながら、密かに嬉しさを覚えていた。
昔はいつもエッジが自分を励まし、慰めてくれていたけれど。
この歳になって、ようやく逆——少しでもエッジのお役に立てるようになったことに。
§
ライザの姿ながらも、声や言葉遣いは素のまま。
ただし、通行客を気にして声の大きさは普段と違ってかなり抑えめ。
そんなあべこべなエッジと会話をしながら、夕食の食材を買いに城下町でお買い物。
「それ貸せよ」
「あ、うん」
最後に立ち寄ったお店を出ると、受け取ったばかりの買い物袋をエッジに手渡してあげた。
肉や魚に野菜など、たくさん入っているそれが重そうに見えたのだろう。
「いっぱい買ったね」
「食費だけはケチれねえからな」
「ふふ、そうだね」
「準備手伝ってくれよ」
「言われなくてもお手伝いしますよぉ」
今日の夕食はエブラーナのお鍋料理ちゃんこ鍋。
公務が一日ないしは半日お休みの夜は、いつもエッジが夕食を作ってくれる。
もちろんリディアも毎回お手伝いをする。
—— —— ——
エブラーナ建国前、大陸南部ではいくつかの部族が威信と名誉をかけて。
相撲と呼ばれる競技の大会を定期的に開いて、しのぎを削っていた。
その大会に出る選手に日々振る舞われていたのがちゃんこ鍋。
ところが、大陸全土を巻き込む部族同士の争いが始まってすぐ。
参加していた部族は全て、女尊男卑の部族ケイコクに滅ぼされてしまった。
それと共に相撲も廃れて、今はちゃんこ鍋だけが受け継がれているという。
—— —— ——
ちゃんこ鍋をはじめとした鍋料理では、具材をあらかた食べ終えると。
ごはんやうどんなど麺類を投入して『しめ』を食べる習慣がある。
鍋に残った汁には具材のうま味が残っているため。
普段いただく麺類や雑炊とはまた違う味が楽しめる。
もちろん、今晩の夕食も『しめ』をいただくことになっているが……。
「『しめ』のうどん、一から作るんだよね」
「量は知れてるがな」
「それでもすごいよ」
今まで麺類は個包装された製麺をお店で買っていたが。それでは満足出来なくなった。
そんな理由から、本日の『しめ』のうどんはエッジが打ってくれることになっている。
エッジは料理に目覚めて以降、食の道を追求するようになった。
食べられたら何でもいいが根付いているリディアとは大違いだ。
「楽しみだなぁ、エッジの手打ちうどん」
「何なら、うどん屋でも始めっか」
「えっ」
「うどんが嫌ならパンでもいいぞ」
「パン……」
突然エッジが口にした一言に、きょとんとしてしまう。
(これ、冗談だよね)
エッジは生を終えるまで、エブラーナの国王さまを続けるだろう。
うどん屋パン屋はおろか、お店開業なんて出来る訳がない。
「パン屋は城下町にゃまだねえし、一号店なら当分客足は途切れねえだろ」
「……」
「いい考えだと思わねえ?」
エッジが慣れ慣れしく、リディアの肩を組んできた。
なおライザご本人はそんな仕草をしないので、これはエッジの素だ。
—— —— ——
リディアとエッジは現在進行形で、『人目を忍ぶ関係』と言う名の人生のレールを歩いている。
それでも、違うレールに乗り換えた自分たちを想像するぐらい、別にいいではないか。
エッジも同じことを思っているから。冗談ながらも、お店をやろうと言ったのだろう。
もしかしたら慣例を嫌う彼のことだから、本当に兼業でお店経営するかもしれないし……?
—— —— ——
珍しく人前で自身の所作を見せたエッジを不思議に思ったが、そう考えることにした。
「やろう、パン屋さんがいい!」
「んじゃ、オレが主人で」
「わたしはおかみさんだね」
「店番がんばれよ」
「違うったら。味見係だよ」
「……おまえおかみ舐めてんだろ。やっぱクビな」
「やだぁ! まだ働いてないよぉ!」
「……!」
「……」
エッジと笑い合いながら、リディアは帰り道を進む。
(夢ぐらい、見たっていいよね)
エッジと出会ったばかりの頃。リディアは幻獣界で一生を終えるつもりでいた。
それが今はどうだ。
ミストに帰郷しただけでなく、エッジと共にエブラーナで暮らしているし。
今こうして肩を並べて共に笑いあっている。
この世界に生を受けた以上、良くも悪くも人生どう転ぶかわからない。
それは自身のこれまで歩んできた道のりや、エッジやクオレ……。
周りにいる人たちの生き様から、自ずと知れるというもので。
——それから30分後
リディアたちの自宅は、町人が暮らす城下町の北区画でも最北東端、角っこにある。
自宅の西側は空き区画を挟み、ずらずら民家や建物が続く。
南側は行き止まりの歩道を挟んで、だだっ広い空き地。
北と東側は林に囲まれて、その向こう側——区画の外は荒れた大地が広がっている。
そんな閑静な場所に建てられた自宅に戻ってきて。
すぐに台所で本日の戦利品を取り出し始めたエッジの隣で。
リディアが調味料を確認するために下の食棚を開けた瞬間。
「あっ」
「どうした」
「お醤油切れてる……!」
「醤油? 今日はそんな使わねえぞ」
「これで足りる?」
棚から醤油が入っている一升びんを出して見せてあげた途端。
エッジが渋い表情に変わってしまった。
「……微妙だな」
それもそのはず、醤油はびんの底残りわずか。大さじ1もない。
「お店に買いに行か」
「——隣行ってこい」
「えっ」
エッジが西隣のお宅に行けと言う。
自宅の立地上、お隣さんや隣はそのお宅のことを指す。
—— —— ——
お隣さんは夫婦ふたり暮らしで、リディアとエッジの昔からの知人である。
ふたりの自宅は、旦那さんが営む施術所も兼ねている。
施術所は患者の健康回復増進を図る施設。
マッサージ、はり、きゅうの全て、もしくはそのどれかの資格を持った施術師が経営している。
旦那さんは視覚障害を抱えているが、施術師。
奥さんは旦那さんのお手伝いをしながら、週の半分以上は孤児院で働いている。
『ここはぼくひとりで回せる。孤児院で働きなさい』
なんと旦那さんが、奥さんにそう強く勧めたという。
その話を聞いた時、リディアはずいぶんたまげた覚えがある。
確かにお隣さんの自宅は住居と施術所どちらの部分も。
旦那さんがひとりで行動出来るように設計されている。
それでも、傍目からは危なっかしく見えて仕方がない。
使用済のはりやタオルの洗浄消毒など、旦那さんがどうしても出来ないこともある。
目が見えていても見えなくても、手助けは必要。
関係者全員で相談した結果、そんな結論に落ち着いて。
リディアはミストでの授業がお休み、かつ奥さんがお仕事の日のお手伝いに名乗りを上げた。
奥さんやリディアどちらも仕事の日は、ご近所さんボランティアに来てもらって。
みんなで協力して旦那さんの『見守り』に徹している。
—— —— ——
「嫁、今日休みだろ? 分けてもらってこい」
「……うん」
一升びんを台に置いてから、つま先立ちになって吊り戸棚を開けた。
そこには粉類や、スパイスなどの調味料。お茶の葉におやつなどが入っている。
「おい、何してんだ」
「え……っ、何かお礼……」
「——いらねえ」
「わぁっ!」
醤油を分けてもらう対価が(おやつ以外で)ないか探していたら。
エッジに強引に身体を引き戻されて、扉も閉められてしまった。
「お礼持ってっちゃだめなの?」
「ノーギャラで店手伝ってやってんだ。それぐらいタダでもらってこい」
「お店じゃなくて『施術所』っ」
「どっちも客商売じゃねえか」
「施術所は病院の仲間だよ? 病院のことお店って言わないでしょ?」
「へらへらした奴がやってんだ。店と変わんねえよ」
「っ、何それ!?」
(ひどい……!)
お隣の旦那さんをばかにしたエッジに文句を言ったが、耳を傾ける気ゼロ。
しれっとした表情で、袋から戦利品を取り出し続けている。
当時からエッジは、その旦那さんが好きではなかった。
今もこうしてお隣さんの話題が出る度に旦那さんをけちょんけちょん。
そして話題をむりくり締めてしまう。
「……お隣、行ってくる」
「はいはい」
これ以上何を言っても無駄。そう思い、ぶすっとした表情で。
ほぼ空きびん状態の一升びんを抱えて、お隣さんのお宅に向かったのであった。
(賢いだけじゃなくて、修行積まないとなれないのに……!)
施術師は病気の予防や健康回復だけでなく、腰痛や肩こりに神経痛など。
白魔法では対応出来ない症状を緩和してくれる。
この数年リディアも肩こりに悩まされており、たまに旦那さんにはりを打ってもらっている。
施術師は医者と違い、消えゆく命は救えない。手術も出来ない。
けれど、昔からエブラーナでは医者に次ぐ、いやしの職業として有名。
それなのに当の国王さまときたら、旦那さんのことをばかにしすぎではないか?
§
お隣の奥さんに醤油を分けてもらい、自宅へ帰ってきた。
「ただいまー」
「おう」
先ほどの愚痴を奥さんに聞いてもらったので、気分はすっきり晴れ晴れ。
出て行く前と一転して、表情や声も明るい。
「お醤油もらってき……あれ」
4分の1ほど入った醤油の一升びんを調理台に置いた瞬間。
同じ場所に置かれていた野菜の数々が視界に入ってきた。
(洗ってくれた!)
白菜の葉が切り取られた状態で、ざるの上に載せられている。
白菜だけではない。どれもこれも水滴がついている。
隣をさっと見れば、エッジが別のざるの上に載せられた油揚げにやかんのお湯をかけている。
「ね、ね」
「どした?」
「野菜」
「——邪魔でな」
エッジのそっけない一言を聞いて、察するまでに時間はかからなかった。
冬場の水仕事は手が荒れやすい。
リディアの手を気遣い、言い過ぎたお詫びも兼ねて野菜を洗っておいてくれた、と。
「……ありがとう」
「礼言うほどのことかぁ?」
「ありがとうはいくら言っても損しないもーん」
「……それよか、そっち切り終わったら鍋の方も頼むぜ」
「わかった」
エッジが手を気遣ってくれたことに喜びを感じながら。
洗い立ての大根を横に寝かせて、長年愛用している白い子ども包丁で切り始めた。
昔も今もエッジは、自身の善行を決してひけらかさない。
もっと素直になればいいのに。昔はそう不満に思っていたが、今はもう気にならない。
なぜなら、リディアだけが『エッジがしてくれた、いいこと』を独占出来るから。
§
「あぁ、終わったぁ……」
「おつかれ」
(あたしひとりなら4分の1で済むのになあ)
大根丸ごと1本分の細切り作業を終えて、疲労の声をもらす。
いつものことながら、かなり面倒で時間がかかる作業であった。
「大葉と海苔は食べる前でいいよね」
「ああ」
「……そっちはどこまで進んだ?」
隣をのぞいてみれば、エッジが白ねぎをみじんに切っている。
「っ、もうお団子作ってる!?」
「あとはおまえ待ち」
得意気に答えたエッジの向こう側に回ってみると。
台の上には置かれた竹ざるには油を抜いて刻んだ油揚げと。
一口大に切った豆腐、花切りにしたしいたけが乗せられている。
そして一際目に付く、鮮やかなオレンジ色が視界に入った途端。
「うわぁ……!」
7枚葉のもみじの形をした、にんじんが10数個置かれている。
感嘆の声をもらしながら、ひとつずつ手にしてひっくり返してみる。
「全部筋が入ってる……!」
「ますます葉っぱに近付いたろ」
「うんうん。食べるのもったいないねぇ」
もみじに見立てたにんじんには、米印の切り込みが裏表共に入っている。
葉脈を象ったそれが、いつも以上にもみじらしく見える。
—— —— ——
エッジが鍋や煮物を作る時は、飾り切りと呼ばれる切り方で。野菜をかわいい見た目に細工する。
しいたけは決まって花切り。にんじんは季節によって飾り切りの種類を変える。
秋冬の鍋や煮物はもみじで、冬の終わりはうめ、春はさくら。
夏の煮物やポトフにビーフシチューなど、エブラーナ以外の煮物料理の時はお星さま……。
—— —— ——
(最初はうさぎりんごだけだったのになあ)
この調子なら料理人として、どこかのお店で働けるのでは?
リディアがそう錯覚しそうなぐらい、エッジは料理が上達していた。
「おまえも今度飾り切りやってみるか」
「えっ」
「クッキーの型抜き使えば楽だぞ」
「——いい」
「っ、言うと思ったぜ」
即座に首を横に振ってお断りされたにもかかわらず。
エッジがぷっと吹き出し、笑いながら作業を続けている。
型抜きを使おうが時間がかかるし。輪切りや半月切りで十分。
エッジは元よりリディアのそんな気質を承知済だ。
リディアとエッジとでは、料理に対する熱意にかなり温度差があるが。
そっちの方がエッジ自らこうして技芸を披露してくれるのだからいいではないか?
そもそも千切りやみじん切りなど、エッジが細かな作業の担当なら……。
「わたしはざくざく切って切る担当だからね」
「そんじゃ、さっさと白菜やっつけてくれよな」
「はーい」
まな板に白菜の葉を何枚か載せて、指2本ほどの幅に切り始めた。
さく、さくと軽いリズムで子ども包丁で白菜を刻んでいると。
昼間エッジが口にした冗談が、ふと頭に浮かんできた。
(ふたりでパン屋さんかぁ……)
美味しいパンを焼けるエッジがご主人なら、お店も繁盛するだろう。
おかみさんとして支えてあげたい。あげたいけれど……。
こう自分自身に強く思い込ませることで、リディアは現状叶わぬ夢にふたをしたのであった。
—— —— ——
仮にお店を始めてしまったら。
こうしてエッジがお料理を自分たちに振る舞ってくれる機会が減ってしまう。
だから、今のままでいい。
—— —— ——
.