フェイクラバーズ 作:かえで
——それから数時間後 午後8時すぎ
「あぁー、さっぱりぃ……」
夕食をとってから、クオレに続いて入浴を済ませた。
暦は春の季節に入ったが、この時間はまだまだ冷える。
浴衣の上にスト―ルを羽織りながら、居間に戻ってきた。
—— —— ——
お祭りがあった。そんな理由で、本日の夕食は超手抜き。
リディアは『お好み焼き』。クオレはそれに加えて『焼きそば』と『やきとり』
……ライザとアリサを見送った帰りに、屋台に立ち寄って買ったものだ。
クオレはそれぞれ4人前をぺろりと平らげてくれたから、問題なし。
—— —— ——
『リディア』
「お待たせ。お菓子分けっこしようか」
『ああ』
既に居間机についていたクオレに呼ばれて、対面の席に着く。
机の上には、モノがぎゅうぎゅうに詰め込まれた大きな紙袋。
そして、ぺたんこ状態の紙袋が置かれている。
リディアは午前午後の菓子まきに参加し、たくさんお菓子をゲットした。
けれど、クオレはお仕事で不参加。これからふたりで獲物を分けっこするのだ。
——数分後
『これはクオレがもらうぞ』
「うん、いいよ」
クオレが大きな紙袋から取り出し、『塩揚げ餅』を自身の手元に置いた。
このお菓子はクオレの大好物。甘くもなく固いのでリディアは進んで食べない。
幾度となく分けっこを繰り返して、獲物が入っていた紙袋もすっかりぺたんこ。
そろそろ終わりが見えてきた。
『これは……』
引き続きクオレが大きな紙袋に手を入れて、さっとお菓子を取り出すと。
小袋には『きんつば』と書かれていた。
『……リディアだな』
「いただきます」
クオレが残念そうな表情で個包装された『きんつば』を、こちらに差し出してくれた。
四角く固めた粒あんを、小麦粉の皮で包んだエブラーナの甘ーいお菓子。
それがリディアの大好物、きんつば。
クオレは塩っ気を好むので、進んで食べない。
『終わったな』
クオレが紙袋を振り、中身は空っぽを強調して獲物の分配作業はおしまい。
自身の取り分を、それぞれ紙袋に入れ始めた。
「結構多かったでしょ」
『アリサがあられやおせんべい好きでなくてよかった』
「ははっ……」
かりんとうの小袋がひとつもなかったことに気付いていたようだ。
もっともクオレも、アリサのかりんとう愛をよく知っているし。
本命のおせんべいをたくさん無事にゲット出来て、不満はないように見える。
§
紙袋に自身の取り分を入れ終えてから、しばらくクオレと雑談していた。
『……で、最後にエッジから村雨を渡されて、ツキノワが泣いてた』
「これから国王さまだもんね」
『プレッシャーに潰されないかちょっと心配だな』
「明日から助けてあげなきゃ。クオレはそのためにがんばってきたんでしょ?」
『ああ、そのつもりだ』
午後から行われたツキノワの即位式に、クオレも立ち会ったという。
その時の様子を、顔を赤くさせながら——興奮していたと思われる——話してくれた。
「そういえば、演説でこれからツキノワくんが『お館様』って言ってたけど、エッジはどうなるの? 『元お館様』?」
『「ご隠居様」。明日のXで告知する』
「ふふっ、おじいちゃんみたいだね!」
『隠居したようなものだからな。仕方がない』
クオレがそう言ってから、壁時計に視線を向けた。
『……もうすぐ9時か』
「時間過ぎるの早いね」
『っ、そろそろ行くか』
「えっ、もうお部屋行っちゃうの??」
『明日も仕事だ。いつもと変わらないぞ』
部屋に戻ろうとするクオレを見て、リディアは戸惑う。
今日は特別な日。愛する夫をリディアひとりで出迎えて差し上げろ。
クオレが遠回しにそう言いたげだが、納得行かない。
「一緒にエッジ待たないの……?」
『クオレは毎日顔を合わせているが、リディアはそうじゃないだろう』
「そんなの気にしなくていいの。ふたりでエッジ出迎えてあげよ?」
『気持ちは山々だが、エッジはクオレがいるとかっこつけに拍車が掛かる」
「……!」
図星を突かれて、言葉が出ない。
エッジは元来、リディアの前でかっこつけたがる癖が目立つが。
娘のクオレの前では、それ以上に『頼もしいお父さん』風にかっこつけているから。
『今日はリディアひとりで出迎えてやれ』
クオレがそう言いながら、リディアの頭を撫でてきた。
自分がいると、エッジは感情を完全に解放出来ない。
クオレがそう思い、リディアひとりで相手するよう勧めてくれている。
「……本当にいいの?」
『ああ。代わりに、こっそりのぞかせてもらうぞ』
「それなら……今日は、クオレに甘える。ありがとう」
両親を気遣ってくれたクオレにお礼を述べた。
以前からそうだったが、精神面での成長が早かったのも余計して。
クオレは、リディアの方が子どもに見えるような大人びた挙動をよく見せる。
『おやすみ、リディア』
「おやすみなさい」
『うたた寝するなよ? エッジが悲しむぞ』
「っ、寝ないよぉ……!」
(ありがとう、クオレ)
配慮の一方で小意地悪なことを言い残し、獲物を片手に部屋へ向かう。
そんなクオレの後姿を見送りながら、心の中で改めて感謝したのであった。
——それから約30分後
エッジの帰りを待ちがてら、リディアは居間で本日のXを読んでいた。
今日は朝から忙しく、新聞を読む時間がなかったのだ。
「……トロイア、国王さまいなくなっちゃうんだ」
この夏でトロイアは、国の予算の都合を理由に王制を廃止する。
王族や国王が暮らしていたトロイア城は、今後観光場所にリニューアル。
そう記事に書いてある。
(お城まで追い出されるんだ。ちょっとかわいそう……)
トロイアは、女性神官が権力を握っている。国王や王族はとどのつまり、お飾り。
民が納めた税金で暮らしていたから、財政面で国の足を引っ張る存在。
女性神官からそう認識されて、足切りされたようだ。
夏からは収入源を絶たれて、一般民として生きねばならない。
廃止前に、王族全員に住居費と当面の生活費が支給される。
記事の最後にそう書いてあったが、少し冷たいのでは……。
がらがら……
「!!」
(エッジが帰ってきた!)
引き戸が開く音がかすかに聞こえてきて、勢いよく席を立ち上がると。
音がした方向へ駆け出した。
今の自宅には、玄関と居間台所など各部屋をつなぐ廊下が設けられている。
廊下を通過する途中で、夫と出くわす。そう思ったが、エッジの姿は見えないまま。
「……」
目的地に着いてみれば。当の本人がうつむきながら、その場で立ち尽くしていた。
「おかえりなさい」
「……だいま」
小さな声で挨拶されたが、エッジはその場を動かず、顔も上げない。
夫の目の前に立ち、見上げるように顔をのぞき込めば。
エッジの双眸が、ゆらゆら水面が揺れるように潤んでいるように見えた。
「エッジ」
息を軽く吸ってから名を呼ぶと、エッジの頬に手を伸ばす。
「——25年間、お疲れさまでした」
「っ……!」
労いの言葉を送ると、まるで堰堤——ダムが決壊したかのように。
エッジの瞳から頬へ、涙がぼろぼろ伝い落ちて口布に吸い込まれていく。
「エッ……っ!?」
もう一度、夫の名を呼んだ瞬間。エッジに寄りかかるような形で抱きしめられた。
(泣いちゃうよね……)
エッジがリディアの首筋に顔を埋めて、身体を小刻みに震わせている。
時折、ず、ずっと鼻をすする音も聞こえてくる。
「……っ、今まですまな……かった……」
「謝らないでいいの。『当分の間』、今日で終わったんでしょ?」
「ああ……ディア」
「なぁに?」
「今日……ありがと、な……」
よほどリディアに泣き顔を見られたくないのだろう。
エッジがそのままの姿勢で、途切れ途切れに謝罪。続けて、お礼を言ってくれた。
演説を終えて、真っ先に声を上げてくれたことが嬉しかったようだ。
「へへ……『エッジ』が泣くの、『ひさしぶり』だね」
「う、るせえ、っ……」
嬉しいのは、エッジだけでない。リディアもだ。
生まれて初めて、『エッジ』が涙を流しながら甘えてくれたことに。
胸がいっぱいになりながら、身体や頭をぽんぽん叩いてエッジをなだめる。
—— —— ——
これまでリディアは、エッジの涙をほとんど見たことがなかった。
それは周囲に見せぬようにしているだけで、エッジも泣く時はある。
『ツクヨミ』の正体を知って以来、リディアはそう信じていたけれど。それは正しかった。
—— —— ——
(クオレ見てる? お父さん、泣いてるよ……!)
リディア相手でも、こうして泣き顔すら隠そうとするのだから。
ここにクオレがいたら、泣くのを必死で我慢していただろう。
「これから、いっぱい泣いていいからね。わたしが全部受け止めてあげる」
「っ……!」
リディアの肩に顔をくっつけたまま、むせび泣きを続ける。
そんなエッジの身体を支え続けながら。リディアは昼間の出来事をこう回顧したのであった。
—— —— ——
エッジ自ら主演をつとめた舞台『エブラーナ第7代国王エドワード・ジェラルダイン』
その終幕とカーテンコールを見届けることが出来てよかった。
—— —— ——
§
鬼の目にも涙ならぬ、エッジの目にも涙から、数分後。
泣きが収まった頃合いを見計らい、リディアはエッジの手を引いて。
居間のソファに座るよう誘導すると台所へ向かい、お湯を沸かし始めた。
「はいっ」
「……サンキュ」
熱湯より少しぬるい、深煎り緑茶が入った湯のみを渡してあげれば。
エッジがふうふう息を掛けてから、お茶をすすり始めた。
「それもらうよ」
隣に座り、お茶をすする夫の様子をしばらく眺めていたが。
全て飲み干したのを見計らって湯のみをもらうと、台所へ置きにいった。
「……」
(朝からばたばたしてたから、さすがに疲れたよね)
居間に戻ってみれば。エッジがソファから足を投げ出し、ふんぞり返っている。
顔に手を当てているところを見る限り、脱力しているように見える。
「今日1日大変だったでしょ?」
「いや……すげえ、みっともねえとこ……見られちまったと思ってな……」
エッジが顔に当てた手をそのままにそう答えると。顔から手を離して姿勢を正した。
先ほどリディアの前で涙を流したことに羞恥を感じているようだ。
「エッジはかっこつけたがりだもんねぇ」
「……ほっとけ」
再びエッジの隣に腰を掛けながら、おどけたように口にすれば。
エッジがいじけたように、ぷいと明後日の方を向いてしまった。
かっこつけたがりの夫は、涙を極力見せないように自分自身に言い聞かせて。
この家に帰ってきた(そして見事失敗した)と思われる。
相手から喜怒哀楽をそのまま表現してもらえる。それが伴侶の特権。
かねてからそう思っていたリディアにとっては、エッジの涙は嬉しい限り。
「これからオレもここで暮らすからな」
「ほんと!?」
「ちょっとずつ荷物運んでくるさ」
「新生活が始まるんだ……!」
(エッジとずっと一緒に暮らせる!!)
これなら正体を隠しながらでも、パン屋やうどん屋も出来るのではないか?
エッジが国王を退いたことで、未来の可能性……人生のレールが増えた。
そう思うと、にやつきが止まらない。
「その前に、ひとつやりてえことがあってさ」
「えっ」
「明日から1ヶ月、新婚旅行な」
新婚旅行という晴れやかな響きにもかかわらず、言葉が出てこない。
昼間の譲位宣言に続き、不意打ちで旅行。しかも、1ヶ月も……。
「明日、お仕事なんだけど……」
旅行には行きたいが、急に言われても困る。
なぜならエッジと違い、リディアの環境や立場は何も変わっていないから。
「心配しなくても、4の月は全部休ませろって、ミストに話つけてある」
「ふぇぇぇっ!?」
「今はおまえがいねえ日多いし、1ヶ月ぐれえならなんとでもなるってさ」
「エ、エッジが国王さま辞めちゃうって……アリサ知ってたの!?」
「ああ」
「そうだったんだ……」
エッジが国王を辞める。新婚旅行に行く。
アリサは事前にそれを知っていたから。演説の際にリディアに追随してくれたり。
見送りの際に『幻滅しないのー?』と、リディアにたずねてきたりしたと思われる。
「あれで口が軽かったら救いようなかったな」
アリサが毒吐きの割に口が堅かった。それを意外に思ったのだろう。
エッジがくつくつ笑う一方、リディアはぷうと頬を膨らませる。
(何よ! ミスト帰る前に教えてくれたっていいのに!!)
別れ際に『また、明日ねー』と言い残して、ミストに帰っていった。
そんな親友を、少し恨みがましく思ってしまう。
「じゃあ、クオレもお休み取るんだよね」
「あいつは行かねえ」
「えっ?」
「ふたりで行ってこいってよ」
「うそ!?」
エッジの答えが毛頭信じられず、勢いよくソファから立ち上がった。
長くても2泊3日だが、家族3人で何度も旅行に行っている。
クオレが働き出してからもずっと続いているのに、突然遠慮するなんて……。
「嘘言ってどうすんだよ」
「エッジが無理矢理言わせたんじゃないの??」
「まだ起きてるだろ。本人に聞いてこいよ」
「そうするよっ!」
(説得しなきゃ!!)
エッジがにやついていたように見えたけど。絶対3人で旅行に行く。
そう心に決めて、鼻息荒くクオレの部屋に向かった。
§
数分後、リディアはがっくり肩を落としながらエッジの元に戻ってきた。
「ただいま……」
「どうだった」
「行かないって……」
「ほれみろ」
クオレに説得を試みたが、見事失敗に終わった。
(エッジだけじゃなくて、ツキノワくんを支えるために使用人として働いているんだもんね……)
国王が代わったばかりの大事な時期に、1ヶ月も休む訳にはいかない。
クオレからそう言われたら、ぐうの音も出なかった。
「1ヶ月、お城で暮らすって言われちゃった」
「ひとりでここで寝泊まりするよか安全だろ」
「そうだね……」
リディアたちが旅行の間は、エブラーナ城で寝泊まりする。クオレはそう話していた。
クオレは忍者だが、未成年かつ女性だ。治安面を考えたらベストな選択だと思う。
「あんまぶうぶうすんなって」
「うん……」
「フルムーン、楽しみにしとけよ」
「……ハネムーンでしょ?」
「フルだぞ」
「ハネムーンだってば。初めて夫婦ふたりで旅行行くんだから」
リディアは眉をひそめながら、エッジに反論する。
—— —— ——
巡回艇の運航が始まり、観光客が大幅に増加した影響で。
とある旅行会社が、新婚夫婦向けに『ハネムーン』という旅行企画を打ち出した。
それ以来、新婚旅行はハネムーンとも呼ばれるようになった。
数年後、その旅行会社は新たな客層を得るために。
中高年以上の夫婦を対象とした『フルムーン』という企画を考えついて。
こちらもすっかり定着してしまった。
—— —— ——
真月の戦いが終わってから、エッジとふたりきりで遠出や旅行に行ったことがない。
一度もハネムーンに行ったことがないのに、なぜフルムーンなのだろう?
「今のオレとお前の歳、足してみろ」
「……91」
それがどうかした? と思いながら、自分たちの年齢を合算した数字を答えた。
エッジは年明け早々に52歳。
リディアは今年の夏に42歳になっていたはずが。
2年間ストップ状態で幻獣界に幽閉されていたため、現在39歳である。
「残念だったなぁ。88歳超えっとフルムーンになるんだよ」
「そんなぁ……」
「おまえの言い分じゃ、離婚と再婚繰り返したらなんべんでもハネに行けちまうだろが」
「それはそうだけど、でも」
「——別にいいじゃねえか。ハネだろうがフルだろうが旅行にゃ変わんねえんだからさ」
(年齢で決めないでよ……!!)
エッジの言い分は道理にかなっている。そうわかっていながらも。
3年前でハネムーンの条件から外れてしまった悔しさから。
ぷうと頬を膨らませて、ハネムーンフルムーンを定義づけした旅行会社へ恨みごとを述べる。
「えっ」
突然エッジが席を立ち、流れるような動きで。
リディアの前で『騎士』のごとくかしずいて、胸に手を当てた。
『それよりも、リディアさま?』
「わっ」
『リディアさまは、まずどこを訪れたいとお考えなのでしょう?』
「……」
よほど浮かれているのだろう。
エッジがこの10数年ぶりに『ツクヨミ』をお面なしで演じたが。
リディアは何も答えず、うつむいてしまった。
「なんだよ、急に黙りやがって」
「……もう……お姫さまって歳じゃないもん……」
妻のノリの悪さを見て、演技を辞めて再びソファに座ったエッジへ。
急にテンションがだだ下がりになった理由をぼそぼそと答える。
「まだ割り切ってねえのか」
「うん」
エッジが怪訝そうな声でたずねてきたのは。
リディアから、これまで何度も悩みを聞かされているから。
—— —— ——
もうすぐ40歳に突入するというのに。昔から容姿がほとんど変わらない。
リディアは数年前から、自身のそんな外見について悩んでいた。
昔から度々、周囲から『昔と変わらないね』と指摘されていた。
ところが、この数年でリディアと同世代のアリサやライザ、ミネルバたちが。
しわやシミが出来たと訴えるようになったことで、悩みが表面化された。
歳を取って昔ほど体力がない自覚はある。肩もこるようになった。それもひどい。
それなのに、顔にはしわやシミひとつ出来ない。
『何かいい美容法でもあるの?』
『あんた本当に死ぬの?』
『おまえさんの知らないうちに、不老不死にされたんじゃないのか?』
うらやましがられるならまだしも、不老不死を疑われたこともあった。
昔からリディアを快く思わない、北住まいの主婦ふたり組と出くわすと。
『あたしたちがみんな死んだら、きれいなきれいな姿で幻獣界に帰るんだろうねー?』
リディアに聞こえるように、わざと大きな声でそうひそひそ話をされたこともあった。
§
自分は本当に人間なのか? もしかして……既に幻獣界の住民に?
リディアがそんな疑惑を持ち始めた矢先、強力な援軍が現れた。
『長い間幻獣界で過ごしているうちに、大気中に触れた部分の新陳代謝が良くなったようですね。身体そのものは人のそれと変わりません。安心なさい』
『肩こりは更年期症状。じきに情緒不安定やイライラが増えるかもしれないねぇ。何にしろ、心臓止まったらあんたも死ぬから心配しなさんな』
幻獣界の女王でリディアの母親代わりのアスラ。
そして、今もミストでローレルの手伝いを続けているアイリスが。
不老不死ではない。そう太鼓判を押してくれた。
—— —— ——
「贅沢って言ってるだろ。普通おまえぐれえの歳の女は、しみシミ欲しいって思わねえぞ?」
「知ってる……」
「ローザも、セシルにがっかりされんのが怖ええから、内心びくびくして高っけえ高っけえ化粧品使って、シミしわ増えねえようにしてっかもしんねえぞ?」
「やってるって……ローザからこないだ聞いた」
「だろ?」
「でも……」
エッジには、リディアがどれだけ年を重ねようがお姫さまに見えるのだろう。
けれどリディア自身は、受け入れることが出来ない。
「でも何だよ」
「……わたしだけないって……いやだよ」
後ろめたさゆえに顔を上げられず、ぼそぼそ声で答えるのを辞められない。
世の女性が聞いたら、なんと贅沢な悩みだと怒られる自覚は十二分にあるが。
自分だけが『みんなと違う』ような気になってしまう。
これまで特殊な事情を気にすることなく。出来る限りごく普通の人生を歩んできたつもりなのに。
「おまえだけじゃねえぞ」
「えっ?」
「この世にゃ、おまえみてえにきれーで若々しい年寄り。——美魔女ってのがいんだよ」
「……なにそれ」
—— —— ——
美魔女とは、35歳以上の才色兼備の女性のこと。
20年ほど前からトロイア領内にある町で『美魔女コンテスト』が開催されている。
ただし、10万ギルという破格の賞金と参加資格がある者はトロイアの民限定。
大々的な告知もしないため、他国からの知名度はほぼ無きに等しい。
—— —— ——
ここ数年、コンテストにおいて異変が続き、不正行為を疑った主催者が。
今年の2の月に『何でも屋』業務を行っている、エブラーナに調査を申し込みにきたことで。
エッジは美魔女とそのコンテストの存在を知ったという。
「54歳で優勝した奴もいるんだとよ」
「す、すごい……!!」
「な?? おまえだけじゃねえってわかったら気持ち楽だろ?」
「うん……わ、っ……!」
エッジが目を細めながら、リディアの髪を撫ぜてくれた。
荒っぽい手つきでぐしゃぐしゃされるうちに、悩みが少しずつ霧散していく。
「ま、余計なこと言わねえように気ィつけとけ」
「うん、気を付けるよ……」
とんとんと何度も軽く肩を叩かれているうちに、物憂いは晴れてしまった。
生涯に渡ってひとつの対象に愛を注ぐ、王族の血の為せる業なのかもしれないが。
エッジはリディアが抱える些細な悩みを、言葉や仕草などで和らげてくれる。
こういうところは、昔も今も変わらないし、だいすきなところだ。
「おまえが今のまんまでいてくれねえとオレは困るんだよ」
「どうして?」
「これがしなしなになっちまうだろ」
「っ!?」
エッジが突然、リディアの肩を叩いていた手を。
するりと胸元にスライドさせて、やわやわともんでくる。
—— —— ——
もともとリディアの胸は、どちらかと言えばぺたんこ寄りだった。
ところがエブラーナに移住後。ほぼ毎日エッジに食べられているうちに。
ふくらみを増して、もみがいのある大きさになってしまった。
—— —— ——
(誰のせいでこうなったって思ってるのよ!?)
さぞや口布の下で、ゲスい笑みを浮かべているに違いない。
とてもいいことを言ってくれたのに、全部台無しである。
「もうっ……やだぁ!」
「おっと」
押し返そうとしたら、エッジが背を反らしてあえなく空振りに終わった。
逆にこちらに手を伸ばしてきて、思わず身をすくめてしまう。
(またもまれちゃう!)
「ぶっ……!」
「で、どこに行きてえんだ?」
「う゛……」
「ほれ、言ってみろ」
エッジの指先の行き先は、リディアの胸ではなく右頬だった。
それはもう楽しそうな表情で、二度三度ぷにぷに頬をつまんでから手が離れていった。
「薬草園」
「……来月行くだろ」
「ウルキさんのお見舞いに行きたいの」
「たかがぎっくり腰で!?」
—— —— ——
ウルキは夫イナミと共に薬草園の管理人をつとめる傍ら、園内にあるばら園の女主人。
新種のばら作り職人として、この10年もの間にリディア念願の緑ばらや紫ばら。
色だけではない。通常の倍以上濃厚な香りを漂わせる品種まで作っている。
そんなウルキには、青ばら作りという夢がある。
『奇跡の花』と呼ばれるその色のばら開発は、これまで誰も手掛けたことがないのだ。
ところが、念願の青ばら作りに着手し始めた矢先。
ぎっくり腰に襲われて、寝たきり状態になってしまった。
—— —— ——
先月の半ば、薬草園で働くユノが、リディアにそんな連絡をよこしてくれたが。
園は国の管轄下に置かれているため、エッジの元にも報せが届いていたようだ。
「寝たきりの間に、青ばら作るのやーめたってならないようにしなきゃ」
「わざわざ尻叩きに行くのか……」
エッジは呆れているが、リディアにとっては他人事ではない。
緑ばらに続いて、ウルキが手掛けた青ばらを見てみたい。
「それで、お見舞いが終わったら幻獣界でしょ? 次は……バロンでセシルやローザたち……あちこち回ってみんなに会いに行くんだよ」
エッジとふたりきりの旅行に思いを馳せながら、予定をつらつら口にする。
世界各地の観光名所を巡りながら、エッジの譲位報告という名目で。
故郷や各地で暮らす戦友たちを訪ねたらいい。
「ダンジョン巡りもいいかもしれないね……!」
「わざわざ疲れに行ってどうすんだよ」
「疲れたら、デジョンやとんずら使って逃げたらいいじゃない」
この星の存亡を賭けた二度の戦いは、リディアとエッジの人生には欠かせない出来事だ。
当時訪れた各地のダンジョンへ足を運び、あんなことがあったと。
当時の思い出を振り返りながら、モンスター退治したら面白そうだ。
「……みんな連れてってやるか」
「だめ」
「なんで」
「せっかくふたりっきりで世界一周旅行だよ? ハネムーンだよ?」
「フルムーンつってるだろ」
「う……」
フルムーンと認めたくなくて、エッジの一言に息を詰まらせるも。
すぐに思い直し、両手を横いっぱいに広げながら高らかにこう口にした。
「どっちにしても、後の楽しみがなくなっちゃうもん。みんなを乗せるのは次からにしようよ」
いずれクオレがおとなになって、独り立ちする日がやってきたら。
フルムーンに旅立つ機会も増えるだろう。
その時にセシルたちを乗せて、みんなで世界を巡ればいい。
「さすが立派な女だなぁ」
「どうも……わっ」
「オレが見初めただけあるぜ」
エッジがひょいとリディアの身体を持ち上げて、お姫さま抱っこした。
(やっぱり、今日もヤるんだ)
夫とは長い付き合いだ。特に、この時間からの人となりは知れている。
ここまでされると、この後すぐ何が待っているかは容易に察しがつく。
「ずっとおあずけ食らってたし、今から返してもらうか」
「……!」
「おまえも溜まってんだろ?」
さっきの涙はいずこへ?? と言わんばかりに
エッジが獰猛かつ鋭い視線を向けながら、リディアにたずねてきた。
(ええ、ええ! そうですよぉ!!)
この1ヶ月ほど、おあずけ状態でうずうずしていました。
恥ずかしくてそんなこと口に出来ず、代わりに唇を噛むが。
エッジはその場で立ち止まったまま、一歩も進んでくれない。
「っ……! やだ……降ろし……っ!?」
降りるために身体を動かしそうとしても、動かせない。
こうなることを予測して、エッジは既にリディアの動きを封じ込めていたようだ。
これまでの経験上、リディアから本音を引き出さない限り。
エッジはここから動いてくれないし、降ろしてもくれない。
(いじわる!)
リディアはセックス真っ只中にならないと羞恥の皮をはがせない。
エッジはそれをわかっていながら、時折こうしてリディアに迫ってきて。
羞恥の皮をべりべりっとひっぺがそうとしてくる。
「今日はシねえと思って、油断してたろ?」
「……」
「甘めえなぁ」
首を横にぶんぶん振って抵抗を続けながら、こう言った。
「っ、一緒にお部屋行くから。降ろ」
「——返事は?」
「っ……!」
とろりと濡れたような『性欲のけだもの』の声で。
エッジが耳元にささやいてきて、身体を大きく震わせる。
「っ、うずうず……してた……」
「オレにどうして欲しい?」
「……好きに……して……」
「誰を好きにしたらいいんだ?」
(もうやだぁ!!)
小さな声でぼそぼそ答えたが、主語がないと一蹴されてしまった。
「……っ、わたしを」
「どうしたらいいんだ?」
「……す、好きにして……下さい……」
「最初っからそう言えっつーの」
(恥ずかしいこと言わせないでちょうだい!!)
頬を赤らめさせながら答えると、エッジがようやく歩き出した。
一方、リディアは見ざる言わざる聞かざるに徹しようとするが。
両腕を未だ封じ込められており、耳を塞ぐことが出来ない。
「ったく……死ぬまで、この寸劇やらなきゃならねえのかね」
「……!」
くつくつと笑うエッジの声を嫌でも聞きながら、部屋へ運ばれる中。
リディアは悔しさを噛みしめながら、今夜も夫に白旗を上げたのであった。
(こういう時だけは、エッジに全然勝てない……)
.