フェイクラバーズ 作:かえで
—— —— ——
『だったらさ。帽子買うついでに、今日は1日オレに付き合え』
『そうだな。まずはエブラーナに戻って、風呂に入る』
『あとは、甘いもん食わせてやんねえとなあ』
『ケーキまるごとでも構わねえぞ?』
上限がケーキまるごとだとわかったら、折れざるを得ない。
プロが作ったケーキを食べられる機会も、そう滅多にない。
さすがにまるごとは無理だけど、複数個も食べられるなんて……!
—— —— ——
——7の月17日 午前8時すぎ
大好物の甘味についつい釣られて、リディアは貴重な休日をエッジに預けてしまった。
現在ふたりは巡回艇に乗って、エブラーナに向かっている。
「昨日と今日はおまえの白歴史だな」
ベランダに寄りかかりながら、真青な空を眺めていたら。
隣に立っているエッジが意気揚々と話しかけてきたが、無視した。
昨夜、もう寝ようと思っていたら、エッジがやってきた。
それから今朝までの記憶を捨て去りたい——黒歴史にしてやりたい。
残るは今日だが、こちらは保留中。
もしかすると、これから白歴史と呼んでもいいような出来事が起こるかもしれないし。
黒歴史だと決めつけるにはまだ早すぎる。
「昨日は、オレとヤレたしな」
無視されてもへっちゃらなのか、またエッジが軽い口調で話しかけてきたが無視を続ける。
エッジとヤるなんて、ちっとも望んでやしなかった。
そもそも、そんな発想すらなかったし。
「んで、今日はオレとデート」
(しつこいなあ……)
二度あることは三度あるとばかりに、無視を決め込んだ。
そして、エッジがいる反対側に思いきり首を向けて空を眺め続ける。
いい加減、同じ台詞を聞かされる身にもなって欲しい。
恋人でもなんでもないのに、デートな訳がない。
リディアは、悪人の巧妙な誘い——甘味に釣られて、誘拐された子ども。
そして、隣にいるエッジは、さながら子どもを連れ去る悪人……誘拐犯だ。
「おまえも運がいいよな。初体験の相手がこのオレだぜ?」
からから笑うエッジをまたもや無視した。
それから左腕で顔を半分覆い隠して、見ざる言わざるに徹する。
見ざるなのは、エッジの顔を見てしまうと目に痛みが走って息苦しくなってしまうから。
言わざるは、ばかばかしくて返事をする気になれないから。
巡回艇に乗って1時間ほど経過したが、エッジはずっとこんな調子だ。
運転が出来ず、お客さん状態が嫌なのだろう。
暇つぶしに同じ話題をループして、リディアをおちょくってくる。
最初は必死で言い返していたが、いい加減疲れ果ててしまった。
そのため、数分前から無視して、空を眺めて現実逃避していた。
「なあ」
「……なによ」
急にエッジの声が真剣なものに変わって、リディアはやっと返事をした。
真面目な話を振ってくるのかも知れない。
「まだ自分責めてんのか」
「……すこし」
(それどころじゃなくなっちゃったし……)
巧妙な手口にまんまとはまって、処女を捧げる羽目になった。
しかも、お相手は、今隣にいる元仲間の友人の男。
強烈な事実とみだらな行為が、自責の念を薄れさせてくれた。
「今んとこ、オレの顔さえ見なきゃ問題ねえみてえだな」
「……身体はなんにも変わってないけどね」
こうしてエッジと再び会話が出来るようになったけれど、症状が治った訳ではない。
夜中にエッジの顔を視界に入れたら、目に痛みが走って息苦しかった。
今朝も朝食の準備の際、確認がてら右手で包丁を手にしてみた。
結果は、がたがた震えて何度も包丁を床に落としてしまった。
どうやら右手は、『斬る』に特化した金属の刃全てを受け付けないようだ。
「無意識がそうさせてんだろ」
「だと思うけど……」
「そいつは、他人も自分もそうそういじれねえ。今んとこは、どうしようもねえよ」
「うん」
リディアは小さくうなずいて、エッジの意見に賛同した。
結局、心の底……無意識では、ちっとも自分自身を許していないのだ。
ただでさえ普段の感情や表層の意識ですら、完全に手綱を引ける訳でもなし。
無意識とかいう自分でもよくわからない領域なんて、コントロール出来ない。
—— —— ——
エッジを傷付けた負い目や申し訳なさ。
リディアの身体(処女)を手に入れた恨みつらみ。
本性は下品で女好きと知って、落胆して軽蔑……などなど。
今、リディアのエッジに対する感情は、ごたまぜ闇鍋状態だ。
しかし、この5年の間で負の感情よりも親愛の情が深くなっていたようだ。
昨夜から、自身が発した言葉や起こした行動から。
リディアは自身の無意識と表の意識が、ある共通の思いを抱えている。
そうはっきりと感じ取っていた。
(いろいろあるけど……エッジのこと、どうしても嫌いになれないよ)
その証拠が、不条理な条件を受け入れてまで、昼の関係を続けようとしたこと。
嫌いになっていたら、こうやって一緒に飛空艇に乗っていない。
それ以前に、目覚めてすぐにエッジを自宅から追い出していただろう。
—— —— ——
「こないだ、おじちゃんにね。心の傷は、今のお医者さんじゃ治せないって言われたの」
「そうか……」
「最近やっと研究が始まったばかりなんだって」
「特効薬は時間か」
「うん。あとは昔、ホブス山で……」
「トラウマに直面するって奴だな」
「そう、今はしないけど」
「無理してやらなくていい。自責がぶり返すことになったら意味ねえし」
エッジの指摘はもっともで、リディアは黙ってうなずいた。
あの時の炎のトラウマは、切羽詰まった状況だったから覆せた。
今は切羽詰まった状況に追い込まれていない。
エッジの顔が見れないからといって、リディアやエッジが死ぬ訳でもないし。
世界が滅ぶ訳でもないから。
「ひとつ、聞いていい?」
(これ以上、考えても仕方がないよね)
昨日から気になっていたことをエッジに聞いてみよう。
リディアは思考を切り替えて、隣の男に声をかけた。
「なんだよ」
「どうして昨日、あんな時間にミストにやってきたの?」
「……」
「あんな遅い時間に来たの、はじめてだよ?」
エッジがミストに現れるのは、いつも昼すぎである。
夜遅くにやってくるなんて初めてな上に、タイミングがよすぎる。
昨夜リディアは、ギルバートのバロン公演を観に行っていた。
エッジは公演に行くことを知らなかったのに。
自宅に帰宅して寝る準備をしていた時にやってくるなんて、偶然にも程がある。
「ああ、あれなあ……」
(あやしい……!)
エッジが珍しく言い淀んでいて、疑念は晴れるどころか増すばかり。
「まさか、昼間からおうちのそばで待ち伏せしてたの!?」
「んな訳ねえだ……おい、やっと見えてきたぜ」
ほら、とエッジが指で示してきた方向に視線を向けた。
「……あっ、ほんとだ。久しぶり」
リディアにとって、もはや懐かしの場所であるエブラーナ城が見えてきた。
その途端、疑問はちりと化してしまい、記憶の片隅へ追いやられてしまった。
それも、リディアの性格上突くとは思えない重箱の隅のような場所へ。
「やーっと、こいつとおさらばか。もう乗らねえ」
「ええ、便利なのに……」
「しょうがねえだろ。相性合わねえんだからよ」
(じっとしてられないんだろうなあ)
エッジは何でも自分でやりたがりな男である。
ただ乗せられているだけでは、つまらないのだろう。
「お城、前と変わってないね」
「忍者の城に飾りは要らねえからな」
「……エッジは目立ちたがり屋なのに、そういうところはちっとも派手じゃないの」
「見てくれよくするためだけに金使うなんて、もったいねえこと出来っかよ」
(なんだかんだ、しっかりしてるんだよね……)
エッジの言葉に、これは内装も以前と変わってなさそうだと予想した。
—— —— ——
いかに国を良くするか。
いかに民に潤いのある暮らしをさせてあげられるか……。
エブラーナを愛するエッジのことだから、そのための投資は惜しまないと思う。
しかし、お城の見栄えをよくすることは、そうではない。
だからお金を出さないのだろう。
処女を奪ったことに恨みはあるけれど。
愛国心の高さについて、エッジへの高い評価は以前と変わらない。
—— —— ——
視界に収まるエブラーナ城が、ぐんぐん大きくなってきた。
着陸後すぐに降りられるように、リディアは背を翻した。
ベランダから離れて出口に向かおうと、足を一歩踏み出した瞬間。
「こんな清々しい朝帰り、生まれて初めてだぜ」
言葉通り、清々しいエッジの独り言(たぶん)が耳に入ってきた。
リディアはがっくりと肩を落としながら、そのまま出口へと向かう。
(これがエッジの本性なんだろうな……)
下品なことは口にしない、人畜無害のエッジはもういない。
この数年の間、リディアの前で猫をかぶり続けていたのだ。
——午前10時過ぎ
「こいつを風呂に連れてってやってくれ」
エブラーナ城に着くなり、エッジが女中にそう指示すると、どこかへ行ってしまった。
一方のリディアは、女中に案内されて浴場へ連れていってもらった。
浴場には、白い石鹸の隣に小さな紫色の石鹸がちょこんと置かれていた。
色と香りから、薬草畑で採れたラベンダーが配合されているとわかった。
考えるまでもなく、それを使ったのは言うまでもない。
無事に、昨夜の穢れと汗を流し終えることが出来た。
ラベンダーの香りも手伝って、リディアの心身は爽快さを取り戻した。
客間で身支度を整えると、執務室に案内された。
エッジの仕事場でもある部屋に入る。
すると、女中が「もう少しお待ち下さいませ」と、言い残して去っていった。
ひとり執務室でエッジを待っていると、じいが入ってきた。
リディアは、老齢の忠臣に、エッジの目の具合……失明の危険はないかたずねた。
昨夜エッジは失明の危険はないと話していたが、強がっている可能性もある。
今ひとつ信憑性に欠けて、気がかりだったのだ。
「ご心配なさらず。若様がよほど無茶をされない限り、見えなくなることはありませぬ」
じいの答えが、昨夜のエッジの返事と同じだったことで、ようやく胸をなでおろした。
§
「遅いなあ……」
執務室に案内されてから10分ほど過ぎたが、エッジはまだ姿を現さない。
ここを訪れたのは、じいとお茶を運んでくれた女中だけである。
湯浴みしているのだろうか? それにしても遅くないか?
そうやきもきし始めたリディアには、もうひとつ気がかりなことがあった。
(今も誰か見張っているんだろうなあ……)
見えない視線がこちらに向けられていると思うと、気が休まらない。
この城内では至る所で、使用人が隠れてエッジや客人を護衛兼監視している。
今も見えない護衛が、どこかからここを見ているのは間違いない。
気を紛らわせるために、部屋一面をぐるりと見回してみた。
国王さまが座る執務用の机と、リディアが今座っている応接用のソファと小さな机。
一方の壁の下半分を占めるたくさん引き出しが付いた棚。
室内にはそれらぐらいしか調度品と呼べるようなものがない。
この部屋を含めてエブラーナ城は、内装外装どちらも以前と変わらず質素なまま。
他のお城でよく目にする金銀ぎらぎら輝く調度品は、この城では見当たらない。
***
過去と現在の執務室の内外装を、簡単に比較出来るぐらいには。
リディアは以前、2、3ヶ月に1回の割合でエブラーナ城に足を運んでいた。
お城と聞くと、どうしても敷居が高いイメージがある。
しかし、当時はエブラーナ城で働く使用人の数が少なかったため、敷居が高くなかった。
そこで何をしていたかと言えば、もっぱら湯浴みと食事だ。
湯浴みは、入浴習慣がないミストで暮らすリディアにとって超レアイベント。
毎回、『日帰り温泉 食事とおやつ付き』のノリで、お城に足を運んでいた。
そんな楽しいお城通いも、2年ほど前に終わりを告げた。
その日、いつものように城を訪れると、まばらだった城の者が倍以上に増えていた。
人が増えたのはいいことだ。
落ち着かないが、自分自身にそう言い聞かせることにした。
更に違和感を感じたのは、その後。
この執務室でエッジと歓談している最中だった。
誰かの視線を感じて落ち着かない。
時折、天井からがたがたっと小さな物音が聞こえる。
ついには、「ごほ、ごほ」と音がかすかに耳に届いた。
「ねえ」
「あ?」
「ねずみって、咳するの?」
「しねえよ。なんでそんなこと聞くんだよ」
「今、天井から咳の音が聞こえた気がして……」
「あ……!」
「さっきも、上から何か物音が聞こえたよ? 天井裏に誰かいるの?」
エッジを問い詰めたところ、見えない護衛を設置させられたと聞かされた。
「そうなんだ……」
「使用人総出で頭下げられちまってな。数の力にゃ勝てねえよ」
エッジが当時そうぼやいていた。
それ以来、一気に敷居が高くなったと感じて、エブラーナ城に足を運ばなくなった。
***
リディアは現在バロン城(年1、2回程度)しか、お城へ足を運ばない。
そこで日々暮らしている友人たちは、慣れているかもしれないけれど。
リディアは、お城特有の硬い雰囲気がどうしても好きになれない。
ばたん!
荒々しく扉を開く音で、エッジが入ってきたとすぐわかった。
顔を避けるために、リディアは上半身をひねって入り口に背を向ける。
ところが、エッジの足音が一向に聞こえてこない。
以前は入るなり、執務机へ一直線だったのに、一体何をしているのだろう?
リディアはそう心の中で首をかしげていた。
「おいリディア」
「なに?」
「そっち行くから、下向くか目ぇつむっとけ」
「わ、わかった……?」
「絶対、上見んなよ」
エッジがそう言った目的や意図がよくわからない。
それでも、ぶっきらぼうな口調のエッジに言われるがまま。思いきり顔をうつむかせる。
その直後、エッジがばさばさマントがはためく音と足音を立てながら、そばにやってきた。
「……」
そばにいる気配を感じるが、エッジはだんまりを決め込んでいる。
何がやりたいのかわからない。
うつむきながらも、上目遣いでエッジがいる方向へ恐る恐る視線を向けると。
なんと、エッジが片膝をつき、胸に手を置いた姿勢で深々と頭を下げていた。
「ちょっと!? 何してるの!」
リディアは驚きの声と共に顔を上げた。
しかし、エッジが頭を上げなかったので症状は起こらなかった。
昨夜に引き続き、エッジは額に濃紺の細い布を巻いている。
よほど荒っぽくこちらへ向かってきたのだろう。
半分めくれ上がったマントのおかげで、見慣れない黒い服が顔をのぞかせていた。
(服、変えたんだ……)
エッジは事件の日まで、建国前から続くと言われる民族衣装を身に着けていた。
しかし、今は以前の面影がほとんど残っていない。
驚いたのは服装だけではない。
腰どころか、頭まで低いエッジを見たのも生まれて初めて。
しかし、驚きはこれだけでは終わらなかった。
「この度は、我が国エブラーナ内々の問題で、あなたに多大な迷惑を掛けたことを大変申し訳なく思う」
「!?」
どこか威厳と落ち着きを伴う低い声で、エッジが謝罪を述べた。
それも、いつものくだけたしゃべり方ではなく、お堅い言葉遣いで、だ。
リディアは目を見開いて、ソファから慌てて立ち上がった。
「ここにエブラーナ国王として謝罪の意思を表明する」
「……はい」
「加えて、あなたの厄介な後遺症の治療、もしくは緩和出来るように全力で協力させ」
「——わ、わか……承知いたしました!! ですから、席に戻って……いただけないでしょうか……」
頭も腰も低いエッジは、もう十分。
リディアはエッジの言葉を遮ってまで、席に戻ってくれるよう懇願した。
相手に合わせて丁寧語を使ったが、恥ずかしくなった。
あまりのたどたどしさに、話し慣れていないのがバレバレで。
それでも、エッジはびくとも動かず頭を下げたまま何も答えない。
顔を見られないために、自ら動かないのかもしれない。
そう思ったリディアは、うつむいて両手で顔を覆ってこう言った。
「目、つむったよ。席に戻ったら教えて」
目の前にいたエッジの気配が足音と共に遠ざかっていく。
程なくして、「もういいぞ」と声をかけられた。
「はぁ……」
よろめくようにソファに座り込むと、天井を見上げて息をついた。
神経をごりごりすり減らされた。
やっぱり形式ばった儀礼や言葉は苦手だ。
「なんだ、おまえ。びびりすぎじゃねえか」
「だって、あんなエッジはじめてで、びっくりしちゃって……」
「迷惑掛けたんだから、頭下げて謝るのが当然だろ」
「だからって、ここまでしなくてもいいじゃない」
エッジが先ほどの謝罪は正しいと言い張る。
けれど、リディアはどうも納得が行かない。
「……『迷惑掛けて悪かったな』って、ぞんざいに謝罪すりゃいいと思ってんのか」
「そうだよ? それじゃだめなの?」
エッジの言う通りで、謝罪するにしても堅苦しくなくていいと思っていた。
「国王じゃなけりゃ、そうしてたかもな」
「あ……!」
「国を代表とした詫びは、いい加減に出来ねえ。個人的な詫びとは別もんなんだよ」
悪いことをしたら謝る。いいことをされたら礼を言う……。
エッジが物事の筋、道理を重んじる人間なのは知っていた。
しかし、エブラーナに非がある場合は、『国王として、正式に頭を下げて丁寧に謝罪する』。
ここまでがエッジの道理にかなったことなのだと。
それと同時に、改めて気付かされた。
あの日、リディアを城に連れて帰れなかったことをエッジが悔やんでいると。
もしそうしていたら、怪我をしていないか侍医に診せていただろう。
そして、その日か翌朝、先ほどのような言葉遣いでリディアに謝罪していただろう。
「……ごめんなさい」
先ほどの謝罪にけちをつけたこと。
加えて、事件直後にわがままな行動をしたことも含めて、エッジにお詫びした。
「謝んな。おまえとアスラはオレの命の恩人なんだ。勲章贈りてえぐらいなんだぞ?」
「エブラーナに、そんなのないよね」
「おっ、さすがエブラーナ博士」
「みんなの中で一番詳しい自信あるもん」
「まあ、嫌でもそうなっちまうわな。おまえかパロムぐらいしかここ来ねえから」
「え……ふたりだけ?」
「個人的にここに来るのは、おまえらだけってこと」
「ああ、そういう意味ね」
確かにセシルやヤンたちも、この城を訪れる。
ただ、それはあくまでも国王としての公的訪問、いわばお仕事。
もうひとりの私的訪問客、パロムはミシディアから脱走して、時折この城に顔を出す。
ただし反抗期に差し掛かると来なくなるだろう。だから、今の間だけ。
エッジがそう話してくれたが、その理由までは聞かなかった。
黒魔法講座の生徒にも、そのお年頃に入った子どもがちらほらいる。
何かと不安定な彼らに少々手を焼いていたのもあって、聞く必要がなかったから。
「さっきちらっと見えたけど……服、とうとう変えちゃったんだね」
「ついこないだな」
つい数日前、倉庫の中で偶然見つけた。
試しに着用してみたら。思った以上にしっくりきたから変えた。
エッジが得意げな声でそう話してくれた。
「前のはすごく寒そうだったし、これから風邪引かなくて済みそう」
「あれは王家。もともとジェラルダイン家の民族衣装だったんだよ」
「そうなんだ……あ、でもエッジは風邪の心配する必要なかったね」
「ほっとけ!!」
(冗談で言っただけなのに……)
遠回しに『ばか』とからかったら、逆に怒鳴られてしまった。
「じいやさんはなんて言ってたの?」
「素晴らしいってさ。泣いて喜んでたぜ」
そろそろ国王らしい装いにするようにと。度々じいから文句を言われている。
エッジがよくそうぼやいていたが、上から下まで和装なら、じいも喜ぶだろう。
「ね、ね。もう1回、服見せて」
「そんなにかっこいいオレが見たいのか」
「違うよ。どんな服か見たいだけ」
「あっそ……よし、こっち向いていいぞ」
許可が降りて、後ろを振り返ってみたら。
エッジが執務机の前にわざわざ出てくれていた。
おまけに、机に置いてあった書類と思われるもので顔も隠してくれていた。
「どうだ?」
「……やだ、もう! かっこつけちゃってぇ……!」
エッジがマントの両端を背中に流して、隠れていた服を見せてくれた。
しかも腰に左手を当てポーズを決めてくれて、思わず吹き出してしまった。
「せっかくリクエストにお答えしてやったのに、笑うんじゃねえよ!」
「ふふっ、ごめんごめん……!」
「つっても、変えたの上だけだぞ? 下はたっつけ袴のまんま」
「なにそれ?」
「エブラーナじゃズボンのことを袴って呼んでんだが、その一種でな。普通の袴と違って動きやすいんだよ」
「……なんか、だぼだぼしたズボン履いてるなあって思ってたけど、エブラーナの服なんだね」
「うちの服は、たくさん種類があってめんどいんだよ」
—— —— ——
エブラーナ大陸は独自の文化を築いており、衣服を『和装』と呼んでいる。
儀式や社交の場では、女性は留袖や振袖と呼ばれる長着を。
男性は紋付羽織袴と呼ばれる、長着と袴の組み合わせ。
それらには袂と呼ばれる長い袋のようなものが、袖に付いている。
一方、日常生活では動きやすい構造をした和装を身に着ける。
就寝時や普段着に着ることが多いのが、浴衣と呼ばれる長着。
ぱっと見、振袖や留袖と似ているが、安価な素材で作られていて下着を着ける必要がない。
ただし何か作業をする時に浴衣を着ると、袂が邪魔で仕方がない。
そのため筒袖と呼ばれる、袂がない細い筒のような形状の服を着る。
—— —— ——
「エブラーナは国民ほぼ総忍者状態だ。普段は今のオレみてえに筒袖の長着を着て、たったか袴を履いてる奴が多いな」
「それが忍者の基本ユニフォームなんだね」
「だから、忍者の頭領にふさわしいってじいが喜んでんだ」
「わかるなあ。すごく落ち着いて見えるもん」
(あたしもそろそろ新しいの……)
以前のものに比べて、肌の露出が非常に少ない。
まるで明るく騒がしい夏から、静かで落ち着いた秋に変わったように見える。
元々大人なのに、更に大人へと成長したようなエッジが、少しうらやましくなった。
「服だけじゃねえ。実際大人しくなった」
「ええ? そんな風には見えないよ」
「あ……おまえ、まだ知らねえもんな……」
「あっ、もういいよ。ありがとう」
少し抑揚が下がったエッジの言葉に、今ひとつぴんと来ないまま。
お礼を述べて、視線を元に戻した。
(本当かなあ?)
リディアが知るエッジは、大人しいなんて言葉に縁がない。
さっき見せた国王としての彼は、演技も入っているだろう。
どうせかっこつけて、大人しくなったと言っただけだ。
「そうだ、エッジにお願いがあるの」
「なんだあ?」
「カルミネやエミールのこと、教えて欲しいの」
—— —— ——
リディアが消えた翌日の朝。
偶然エッジがミストに現れたおかげで、その日中に救出された。
カルミネの指導者、エミールは自死。
その直前に手下の者に証拠隠滅を指示して、その者の手によって施設は破壊。
怪我人はエッジのみ、それも大した傷ではない。
エッジ本人がそう話してくれた……。
—— —— ——
そんな話をミゼルから聞いていたが、当事者から直接聞いてみたかった。
「だめなの?」
「いや、そういう訳じゃねえけどさ……」
言葉を濁すエッジを見て、小さくため息をついた。
なぜそんな態度を見せたのか、心当たりはある。
「ギルバートもカルミネのこと知ってたよ。隠してる訳じゃないんでしょ」
「……話聞いて、自責がぶり返したらどうすんだ」
(やっぱり、そうだと思った)
もし話そうものなら、リディアが昨夜のようにパニックになるかもしれない。
エッジはそれを恐れて、カルミネの件を話すのをためらっているようだ。
エッジが事件に巻き込んだ負い目を感じているのが、ひしひしと伝わってくる。
今朝、エミールから聞かされた話をエッジに話した時もそうだった。
もう思い出さなくていいとばかりに。しつこく追及してくることはなかったし。
「大丈夫。おじちゃんから話聞いた時も、今日の朝も平気だったもん」
「……そこまで言うなら、しょうがねえな」
エッジが大きなため息をついてから、どこか気乗りしなさげな声で話し始めた。
—— —— ——
3年前。宝探しの最中、リディアがエッジの教育係だった者の日記を偶然見つけた。
それをきっかけに、エッジはカルミネに偵察を派遣。密かに内情を探らせていた。
そして、リディアが連れ去られた翌日。エッジが救出に向かう準備をしていたら。
突然目の前に、エブラーナ秘伝忍術書から初代国王の残像が現れたという。
—— —— ——
その残像が未来のエブラーナ国王宛に遺した言葉も、話してくれた。
「もしかして、あたしが会った人って……」
「身体は別だが、中身……魂は、本物のエミールだった」
「でも、王族の人じゃないと乗り移れないんでしょ?」
「ひ孫がいたんだよ。奴も否定しなかった」
「うそ!?」
「術を使った時期は、さすがに言わずじまいだったがな」
「なにそれ、ひどいよ……!」
「ただでさえ厄介な術持ちで、簡単に身内を犠牲にするような奴だ。あんなんじゃ、次期国王に指名される訳がねえ」
—— —— ——
以前より、地上から確認出来た傭兵施設は、資金集めを兼ねた表向きの施設。
カルミネの心臓部は、地下に設けられた研究施設。
そこではエミールに洗脳された者たちによって、薬品開発と人体実験が繰り返されていた。
エッジが受けた毒も、その施設で作られたものだった。
おまけに、あのルゲイエが過去にカルミネで薬品の研究に携わっていたという。
—— —— ——
「やっぱり、エミールはエブラーナとエッジの命を狙ってたんだ」
「手ェ込んだ毒を作ってたぐらいだ、オレを殺そうとしてたのは間違いねえな」
「毒の作り方とか、何か記録残ってないの? あんなのが出回ったら大変なことになっちゃうよ」
「その心配はねえ……オレに盛るだけの毒だったみてえでさ。人体実験が成功した時点で、証拠全部消しやがった」
「ええ……?」
エッジの話を聞いて、不条理だと感じた。
(どうして、エッジばっかり……?)
故郷を襲われただけでなく、多くの民と両親の命が失われた。
6年前のエッジの境遇はリディアとほぼ一緒。
元凶であるゼロムスを倒したことで、この世界は平穏を取り戻した。
エッジやリディアを含めてセシルと戦いを共にした者は、故郷で平和に過ごしている。
それなのに、なぜエッジだけが災難に(それもご先祖さまによって)遭わねばならない?
(やっぱり、妖刀の呪いのせいなんじゃ……)
自死したエミールのそばに転がっていた血に染まった村雨が、ふと脳裏に浮かんできた。
刀を巡る逸話を知っているせいで、非現実的な仮定を捨てきれない。
—— —— ——
エブラーナ秘伝忍術書が作られた本当の理由。
カルミネが新たな資金稼ぎとして、副作用が強い薬を開発したこと。
それを売り出そうとしていたが、施設の破壊によって阻止出来たこと。
カルミネで働いていた者を、ほぼ全員エブラーナ城に連れて帰ってきたこと。
ただし地下で働いていた者は、みなエミールの術によって洗脳されていたこと。
彼らはみな術から解放されたが、洗脳されていた間の記憶が一切残っていないこと。
エミールが死ぬ間際に逃がした、最後の操り人形——白魔道士の女性に爆破された。
そのせいで、カルミネは廃墟と化したものの。
損傷が激しく、これと言った証拠が見つからなかったこと。
—— —— ——
「……現時点で判明していることはそれぐらいだな」
エッジは淡々とした声で、話をそう締めくくった。
「それだけ……?」
「詳しく知ってる奴が誰もいねえし、証拠も出てこなかったからな」
「どうしてみんな忘れてるの? あたしははっきり覚えてるよ?」
「おまえと逃げた女だけは、同じ洗脳でも別の術みてえでな」
「……その女の人を捕まえても、何も話してくれないんじゃないの?」
「秘伝忍術書の中に、人の記憶をのぞく術があったから、それ使おうと思ってんだ」
「すごい術があるんだね。悪用しちゃだめだけど」
「しねえよ。何にしろ、女とっ捕まえてねえと……」
エッジの話を、扉を叩いて開く音が遮った。
「失礼します」
執務室に入ってきたのは、イザヨイだった。
(あれ?)
室内はそこそこ和やかな空気が漂っていた。
ところがイザヨイが姿を現した途端。ぴりぴりしたものに変わってしまった。
しかも、イザヨイがなぜかリディアの元に早足でやってきた。
「あの……」
リディアの前で、イザヨイが片膝をついて頭を下げた。
それだけで彼女がこれから何をするのか、おおよその見当が付いてしまった。
「先日は、大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした」
(イザヨイさんまで謝らなくてもいいのに)
詫びの言葉を述べたイザヨイに、戸惑いを隠せない。
実は本日エブラーナ城に来てから、ここまでの間。
じいをはじめとした使用人が、リディアと顔を合わせる度に。
イザヨイと同じように、詫びの言葉とエッジを助けてくれたお礼を言ってくれた。
「とんでもないです。あたしの方こそ助けていただいて、本当にありがとうございました。ですから、もう頭を上げて下さい」
(そこまで気に病まなくていいのに……)
お礼を伝えてから、イザヨイに頭を上げるように声をかけた。
こちらを見上げた彼女の表情は、心苦しそうように見える。
カルミネから脱出して、ミゼルの自宅に送り届けてもらうまでずっと付き添ってくれた。
回復術もかけてもらったし、時折気遣いの言葉もかけてくれた。
だから、イザヨイには感謝し切れない。
「それで、お身体」
「——イザヨイ」
「はい」
エッジのどこか怒ったような低い声に、リディアは身体をびくりと揺らした。
(なんか怖い……)
慣れているのか、当のイザヨイは平然としているように見える。
エッジを怒らせるようなことを、彼女が何かしたようには思えないのだが。
「おまえは、リディアに謝るためにここに来たのか」
「いえ、そうではありません」
「外で聞いてただろ。おまえらがいちいちこいつに謝る必要ない。——早く用件を言え」
「はい」
イザヨイは申し訳なさそうな表情で、リディアに会釈してから執務机へと移動した。
(これ以上、みんなが謝らなくていいように、エッジはさっき……!)
厳格かつ冷徹な声でイザヨイを咎めるのを見て。
エッジが先ほど堅い口調で謝罪した理由に思い至った。
先ほどの謝罪は国だけでなく、城の者たちを代表してのものだったのかもしれない、と。
この部屋を監視している見えない護衛も、さっきの様子を天井裏で見ていたはず。
その人物が『お館様がリディア様に謝罪の意を表明された』と城内に伝達したのかもしれない。
(それでも、あんなきつい言い方しなくったっていいじゃない……)
先ほどのエッジの声は厳しさの中に、どこかとげがあるようにも感じられた。
イザヨイに思いを寄せられていると気付いているだろうに。
「用件は」
「カルミネから連れて帰った者全員に、意志確認を済ませましたのでご報告に上がりました」
「ここに残る奴は?」
「32名です」
「結構多いな」
「大半は傭兵業に携わっていた者です。加えて、早期帰郷を望む者も少しずつ増えておりますが」
「そうだな……明後日から、順次各地に送ってくと伝えてやれ」
エッジの言葉遣いが、再び堅いものに変わった。
(やっぱり、あたしは部外者なんだ)
エッジとイザヨイの話をぼんやりと聞いているうちに。
身の置き所がなくなり、頭が垂れていく。
(こんなエッジ、知らない。いやだよ……)
何よりも気がかりなのは、エッジがミストにいる時と全く違うことだ。
以前も、こうして話をしている間。使用人がよくここにやってきた。
それでも当時のエッジは、彼らとももっと親しげに話をしていたと記憶している。
これが本人が話していた『大人しくなった』エッジなのか。
寂しいような、置いてけぼりにされたような。
せっかく湯浴みで爽快になった気分が、どんよりとした黒い雲に覆われていく。
結局イザヨイが部屋を去るまで、リディアはうなだれた状態で話を聞いていた。
——午後2時すぎ
「うわあっ」
ぴゅうと突風が吹いて、頭を覆う麦わら帽子が浮き上がりそうになった。
リディアは咄嗟に、首元に長くぶら下がっている黒いひもを両手でつかむ。
「間に合ったぁ……!」
なんとか帽子が飛ばされずに済んで、安堵の息をもらした。
「買って早々から飛ばすなよ」
「ひもがあるから大丈夫だよ」
前方を見て、舵を握っているはずのエッジにたしなめられてしまった。
右手で帽子を押さえて、左手で帽子のあごひもをぎゅっと握りしめる。
(どうしてわかるんだろう……?)
これがなかったら、帽子は今頃青空の彼方。
帽子を買ってくれたエッジに怒られていたかもしれない。
「でも、帽子にひもが要るってよく気付いたね」
「あっち帰る時は、これに乗るからな」
帽子そのものが、エッジの顔を見ないようにするものなら。
あごひもは、帽子が風に飛ばされないようにするものだ。
—— —— ——
エッジと会うのは、もっぱらリディアの自宅——室内が多いから。
あごひもは特に必要ないように思える。
しかし、毎年春と秋の年2回。リディアは幻獣界に里帰りする。
その際エッジが、毎回送り迎えを買って出てくれている。
空の上に行けば行くほど風は強くなり、突風が吹くこともざら。
今のようにエッジの自家用艇に乗っている間、帽子が飛ばされやすい。
そのため帽子にあごひもをつけてもらった。
—— —— ——
「ひもがあると、ちょっと便利だよね。どこかに吊るしたりも出来るし」
「それより、自分の首締められねえように、気ィ付けた方がいいと思うがな?」
「はい……?」
「強え風が吹くと、後ろに引きずられちまうかもな……下手すりゃ窒息死すんじゃね?」
エッジがせせら笑うように、ろくでもないことを言い抜かす。
強風で後ろに煽られるように、あごひもがついた帽子が飛ばされる。
同時にその帽子によって、身体が後ろにずるずる引きずられる……。
「そんなことある訳ないでしょ!?」
憤慨してエッジに怒鳴った一方で、心の中では安堵していた。
目の前にいる男が、『大人しい』エッジでなくてよかったと。
***
エブラーナ城の執務室で『大人しい』エッジを目の当たりにして。
リディアはどんよりとした気分に陥っていた。
「悪かったな。ここは息詰まっちまうよな」
イザヨイが部屋を去ってから。エッジは『いつものエッジ』に戻ってくれた。
それだけでなく、エブラーナ城の外に連れ出してくれた。
エッジが出口の手前で、じいから呼び止められて何か包みを渡されていた。
リディアがいくらたずねても、エッジはその正体を教えてくれないまま、お城を出た。
それから徒歩でエブラーナの城下町へ。
数多くの店が立ち並ぶ中、エッジがある服飾店の前で立ち止まった。
「帽子買ってやるから、ついてこい」
エッジがそう声をかけると、先に店内に入っていった。
さすが、エブラーナ。並んでいる商品は和装ばかり。
そう思いながら、リディアもエッジの後を追った。
エッジが向かった先は、店内の一番奥——小物類が置かれている売場。
そこには帽子もいくつか置かれていた。
その中でも一際目立ったのが、丸くて平らな柔らかい帽子。
どこかこじんまりとした赤い帽子がかわいく見えて、手に取ろうとしたら。
エッジに「それはやめとけ」と止められてしまった。
ベレー帽と呼ばれているそれは、つばがない。
つばがなければ視界を遮ることが出来ない、それをかぶっても意味がない。
それがエッジがベレー帽を止めた理由であった。
今回はおしゃれ目的で買ってもらう訳ではない、仕方がない。
エッジに従うことにして、売場で悩みに悩んで1分後。
イメージ最優先と言うのか。ある意味適当と言うのか。
夏は日差しが強いし、やはりこれしかないだろう。
そう思って、つばが大きく、赤いリボンが巻かれた麦わら帽子を選んだ。
***
(あたしが悩むより、ひもをつける時間の方が長かったかも……)
麦わら帽子を手に取った時点では、あごひもはついていなかった。
エッジがひもを帽子につけるよう、店員に依頼したのだ。
待ち時間の間に、店内で振袖や留袖も見せてもらった。
前者は未婚の女性。後者は既婚の女性が着るとも教えてもらった。
エブラーナ版のドレスだけあって、どれもきらびやかだった。
何はともあれ、帽子を買っていただいたおかげで。
先を歩く、背を向けるなど、互いに配慮することがなくなった。
エッジは身長が高い。目深に帽子をかぶって、見上げさえしなければ。
近くにいる時、エッジの顔はリディアの視界に入ることはほとんどない。
当面の問題はひとまず解決した。
けれど、リディアの頭の中にはまだ疑問が残っている。
「いい加減、今からどこ行くのか教えてちょうだい」
この自家用艇が今どこにいるか、どこに向かっているか。全く検討がつかない。
周囲を見回しても、雲が時折漂うぐらいで見渡す限り、ほぼ青一色。
太陽の位置で大方の方向を知るか、下を見下ろして現在地を予想するぐらい。
「ないしょ」
「もう、っ……!」
そっけない返事をされて、またかとふてくされる。
自家用艇に乗ってから何度聞いても、エッジは行き先を教えてくれない。
(もう1回チャレンジしてみよう!)
ベランダから地上を眺めたら、場所の見当がつくだろう。
もし海の上だったら、上も下も青で挟まれてどこにいるのかさっぱりわからない。
それでも、見て見ないことには何も始まらない。
エッジに行き先を聞くより、絶対早い。
かかとを返してエッジに見つからないよう、その場を離れようとした。
「——ここにいろっつったろ」
「わっ!?」
腕を強く引っ張られてしまい、先へ進めなかった。
後ろを振り返れば、やはりと言うべきか。エッジの腕がリディアの腕をつかんでいた。
(また失敗した……!)
地上を眺めようと、たった一歩足を踏み出そうものなら。
エッジがこうして、素早い速さでリディアの身柄を確保してくる。
そして、運転席のそばに縛り付けの刑にされる。
前を向いて舵を握っているのに、腕ひとつで身柄確保してくるのが恐ろしい。
「忍者の目はごまかせねえぞ」
「っ、忍者……きらい……」
エッジに腕を強く引っ張られて、定位置——運転席のそばに戻されてしまった。
—— —— ——
今朝も似たようなことがあった。
エッジに洗濯を頼んだまではよかった。
しかし、本当に洗濯出来るのだろうか?
朝食の準備を終えてから、こっそり裏庭に様子をのぞきに行った。
そうしたら、なんとエッジが『よっこらせ』と言いながら腰を上げているではないか。
お年寄りくさい姿に、必死で笑いをこらえていたら。
見事気付かれてしまった……。
—— —— ——
夜目が利く、犬並みの聴覚、気配察知……。
修行の成果にしても、反則すれすれ能力をたくさん持つ忍者が恨めしい。
いや、忍者ではない。エッジが恨めしい。
不満たらたらのリディアに、エッジが更に追い討ちを掛けてきた。
「これで質問は5回目。逃げたのは7回目だぞ」
「え」
「ミスリル発ってから何回繰り返してんだよ。おまえこそ、いい加減諦めろ」
「い、いちいち数えてたの!?」
(信じられない!)
何かにつけて文句を言いだす姑のような、エッジのねちねちさよ。
ライザは、毎日毎日姑にこのようなことを言われ続けているのだ。
リディアはエッジに腹立たしくなると共に、親友を不憫に思う。
「ねえ……どうして、行き先教えてくれないの?」
「淡々と予定こなすだけじゃ、つまんねえだろ?」
「あとはケーキと晩ごはん食べて終わりでしょ?」
「おやつも晩メシもまだ時間にゃ早ええぞ」
「まだ、何かあるの……?」
「別に何だっていいじゃねえか。普段ミストでのんびりしてんだ。今日ぐらい、いっぱいびっくりしとけよ」
エッジの言うことはごもっとも。
ミストに帰郷してから、ここまで目まぐるしい1日を過ごしたことがほとんどない。
昨日とは違う意味で、今日も驚きの連続ばかりだ。
「ううっ……」
リディアは恥ずかしくなって、両手で顔を覆ったのであった。
その間、エッジに後ろ手で何度もあごひもをくいくい引っ張られていた。
***
リディアは、エッジと共に服飾店を後にした。
あごひもを付けてもらった帽子を、早速かぶった状態で。
そして今度は、エッジの自家用艇に乗せられた。
10分もかからないうちに、エブラーナのどこかの海岸に到着した。
白い砂浜、穏やかな波。
太陽の光で、水面がきらきら輝いている。
水遊びにはもってこい。
そんな季節にもかかわらず、なぜか人っ子ひとりもいない。
不思議そうに、辺りをきょろきょろ見回していると。
この海岸は、人が滅多にやってこない穴場中の穴場。
エッジが得意げにそう話し終えると、じいから渡されていた包み——重箱を見せてくれた。
「今からここで、早めの昼メシな」
中身は、なんとリディア悲願のお弁当だった。
ミストに来る時に持ってきてほしい。
何度もそうせがんで、その都度断られていたのに。
驚きと喜びのあまり、歓声を上げたのは言うまでもない。
エブラーナの料理は、何度もごちそうになったことがある。
どこか控えめでやさしい味を、リディアは気に入っていた。
そして、誰もいない静かな海を背景に……。
「デートみてえだな」
「デートじゃないよっ」
そんな応酬を何度も繰り返しながら、全て平らげた。
もっとも、中身の3分の2は、エッジのお腹の中に消えていったけれど。
エッジは、リディアがお城の中では落ち着かないことを前々から知っている。
これもあらかじめ考えていた予定だったのだ。
そう気付くまでには、大して時間はかからなかった。
§
昼食を済ませ、次に自家用艇が向かったのはミスリルの村だった。
到着した瞬間、リディアはまたもや驚きの声を上げた。
なぜなら、この村は武器防具を含めて、ありとあらゆる金属製品の扱いに長けている。
謝罪の言葉通り、エッジが右手……刃物持てない問題をなんとかするために。
早速実行に移したとわかったからだ。
エッジにずるずる引きずられながら、連れて行かれたのは店舗も兼ねた工房。
「あのおっさんに刃物持った時の症状、詳しく話してやれ」
店内に放り込まれて早々、エッジがぶっきらぼうに指図してきた。
リディアは言われるがまま、おっさん——職人に原因と症状を話した。
その結果、職人のおじさんは作り甲斐があると大喜び。
「刃物に見えない包丁なら使えると思います。数日お待ちください」
職人魂に火を点けてしまったようで、やる気満々でそう答えてくれた。
そんなおじさんに見送られてミスリルを後にしたのが、1時間前のことだ。
***
(ん? そういえば)
慌ただしく時間が過ぎた上に、エッジの顔を物理的に視界から遮断している。
そのせいで、今の今までエッジが顔に包帯を巻いていることを忘れていた。
「あの……」
リディアは、顔を覆っていた両手を外して、エッジの肩をちょんちょんとつついた。
「なんだ、言われたはなから6回目か」
「違うったら。片目で運転って、危ないんじゃないの?」
「……今頃気付いたのか」
「ばたばたしてたから、それどころじゃなかったの」
「だから、こうやって低空低速を心掛けてんだ。オレが安全運転するってはじめてだぞ?」
貴重な機会に居合わせたおまえは運がいい。
エッジが自慢げにそう話したが、首をかしげるばかり。
地上を眺めさせてもらえないので、低空飛行かどうか把握出来ない。
速度はエブラーナの海岸に向かうまでは、いつもより遅かった。
今は、巡回艇のそれ以上か同等。
そういえば、エッジは昨夜、巡回艇に乗ってミストにやってきた……?
「もしかして、運転……あの日以来……?」
「そっ、慣らしにはちょうどいい機会だしな。あと2、3回乗りゃあ夜間も行けるだろ」
この1週間、忙しくて運転する時間なんてなかったか。
仕方がない。……なんて、割りきれるはずもなく。
ドヤ顔で答えたエッジとは反対に、リディアは自身の顔から血の気が引いていくのを感じた。
他人を道連れにするのはやめて欲しい。
犠牲になるのは、エッジだけでいい。……自業自得と言うことで。
リディアはそう思いながら、後ろを向くと抜き足差し足忍び足で歩き始めた。
「——おい」
「ふゃぁ!」
今度は両肩を後ろからつかまれて、変な声を上げてしまった。
今度こそエッジの側から離れられると思っていたのに。
またもやベランダ行きを阻止されてしまった。
これで通算8回目。
それでも、今回は3歩進めたので自己記録は更新出来た。
「逃げるなっつっただろが。なんべん言わせんだ」
「……シルフ喚ぶだけだよ」
「おま……乗ってからどれぐらい経つと思ってんだ!?」
「2時間ぐらいかな?」
「今更、ばかみてえなことすんじゃねえよ」
「なっ、ばかってなによ! 人を道連れにするそっちの方がばかだよ!」
より安全な空の旅を続けるために、講じた策に遅いも早いも関係ない。
自分はシルフに運ばれながら、エッジが運転する飛空艇の後をついていけばいい。
仮に飛空艇がうっかり墜ちようものなら、シルフにエッジを助けてくれるよう頼めばいい。
そう考えていたリディアは、気付いていない。
こうして度々逃げようとして、エッジの集中力を紛らわせている。
……自分自身の行いが、最も墜落する可能性を高くしているとは。
「墜ちたらどうし……!?」
リディアはうつむき加減でエッジの方を振り向くと、目を見開いた。
エッジが、舵から両手を離し……運転席から離れている。
その状態で、逃げようとするリディアを捕まえているではないか!
通常の飛空艇は、運転する装置は舵ひとつだけしかない。
一瞬ならまだしも、ずっと舵から手を離していたら、上下左右の方向が定まらない。
ほぼ確実に墜落してしまう。
「ちょ、っと!! 早くあっち戻ってよっ! ほんとに墜ちちゃうじゃない!!」
「自動運転に切り替えてありますからぁー。手を離しても大丈夫なんですぅー」
(む、むかつく!)
くるりと身を翻して運転席に戻るよう、エッジの身体を目一杯押してやった。
そうしたら、エッジが生意気な子どものような口調で言い返してきた。
きっと、口を尖らせているだろう。
そう簡単に想像つくしゃべり方なのが、また無性に腹が立つ。
何が『大人しくなった』だ!
人が変わってしまったと一瞬でも落胆したのが、ばかみたいだ。
ふと、運転席がリディアの視界に入ってきた。
舵部分には見慣れぬボタンが他にもいくつか付いている。
それを見て、バロンに住むある男性の顔を思い出した。
「シドおじちゃんに無理言ったんだ!」
なぜここでシドの名を出したかと言えば。
少し前に届いた、ローザの手紙にこう書いてあったから。
—— —— ——
飛空艇の自動操縦。
運転手の負担が軽くなる新技術を、昨年シドが開発。
この春から実用化に向けて、赤い翼の専用艇に新技術を搭載されることになった。
—— —— ——
巡回艇をはじめ一般の飛空艇には、まだ最先端の技術が備わっていない。
この自家用艇もそうだったはずなのに……。
シドは主犯のエッジに命令された被害者でもあり、実行犯だと思われる。
「逆だ逆。オレがシドに無理言われたんだよ」
「うそばっかり。噂聞いておじちゃんに付けろってせがんだんでしょ」
「赤い翼と普通の飛空艇じゃガタイが違うからなぁ。普通のもんが素晴らしい技術に耐えられるか、これで検証実験してやってんの」
「……ちゃっかりしてるんだから」
(もう知らないっ!)
エッジが悪びれもなく実験体に選んだシドが悪いと責任転嫁する。
リディアは頬を膨らませたものの、それ以上は何も言わなかった。
—— —— ——
よくよく考えたら、シドも一概にエッジの被害者とは言えない。
ふたりは似たもの同士だ。
『オレの飛空艇に付けてくれよ。実験にちょうどいいだろ?』
『おまえさんが、それを言うのを待っとったんじゃ! すぐに付けてやろう!』
……エッジが意気揚々と実験台に名乗りを上げて。
シドもシドで、ノリノリで自家用艇をいじったに違いない。
—— —— ——
再びリディアは、エッジの側に縛り付けの刑にされた。
しかし、ついに悪あがきをやめて、逃げもせずエッジに話しかけもしなかった。
お互いに黙ったまま、場所も目的もわからない空の旅を続けて、10分ほど経った頃。
「……もうベランダ行っていいぞ」
「え? いいの?」
「もうすぐ着くから、下眺めてろ。目立つ色が目印な」
(やったぁ!)
ついに刑期を終えたのか、気まぐれからの釈放なのか。
エッジに解放を告げられたと同時に。
リディアは駆け足でエッジのそばから離れて、ベランダに寄りかかった。
上空から地上を眺めるも、草原の緑や荒野の茶色ばかり。
エブラーナに戻ってきたのだろうか?
(そういえば、こうやって上から見てろって言われたことが一度あったなあ)
確か、あの時はやさしい夕闇の赤に包まれた、生まれ故郷を……。
既視感を感じていると、緑や茶色といった地の色の中に、一際目立つ色彩が見えてきた。
「うわあ……!」
ラベンダーの紫を目にして、驚きと歓びが入り混じった大声を上げたのであった。
(薬草畑に連れてきてくれたんだ!)
.