フェイクラバーズ 作:かえで
——11の月
朝食をとり、洗濯物も外に干し終わった。
玄関近くの壁のフックに掛けてある、濃紅色のつば広帽子を手に取ってかぶる。
「行ってきまーす」
自宅には誰もいないのに、挨拶してから外に飛び出した。
本日は第二の故郷、幻獣界へ里帰りするのだ。
毎年リディアは春と秋の年2回、幻獣界に帰っている。
その日だけは、エッジが朝早くからミストにやってくる。
そして、自家用艇でリディアを幻獣の洞窟まで連れて行ってくれる。
§
西へ歩き、林を抜けてすぐ、リディアの自宅と外観がそっくりな建物が見えてきた。
リディアの自宅より少し大きいそれが、ジャンヌの自宅である。
ミストは基本的に、どのお宅も同じデザイン。
住む人数に対して、部屋の数や建物の大きさが違う。
目的地に到着して、裏庭へ回る。
入るなり、視界に飛び込んできた鳩小屋に何気に近付いてみた。
1ヶ月前に設置されたばかりの小屋の中を、そっとのぞいてみると。
2つがい——4匹の鳩が餌を仲良く分け合って食べている。
(すごいなあ、食べ物の取り合いもしないんだ……)
さすが『平和の象徴』と呼ばれる鳥だけある。
リディアは思わずくすりと笑ってしまった。
全ての鳩の右足には青い輪。左足に小さな円筒が付いた銀の輪が付いている。
そのふたつの輪は、ただの飾りではない。
エブラーナとミストを往復する伝書鳩の目印である。
(そういえば……これでエッジに手紙送れるんだよね)
エッジはしょっちゅうミストに顔を出すので、今は手紙を送る必要はない。
いずれはこの伝書鳩を使って近況報告を交わすようになるだろう。
そう思いながら、鳩小屋から離れて更に奥へ進む。
「おばちゃーん、おはよう」
こちらに背を向けてしゃがんでいる女性を見つけるやいなや、声をかけた。
「おはよう、朝っぱらから元気だね」
「ね、ね。今日のお花、なあに?」
「中に置いてある。ちょっと待ってな」
ジャンヌは立ち上がり、土の付いた手を払うと室内に入っていった。
(春用の種まきの準備してたんだ)
ジャンヌがしゃがんでいた場所——花壇には、昨日までコスモスが咲き誇っていた。
今の花壇は、それが全部根っこから引っこ抜かれていて、丸裸になっている。
ジャンヌはいつも、花壇に咲く季節の花をリディアの両親のお墓に供えてくれる。
ここからコスモスが消えたということは、本日既にお墓参りをすませたようだ。
(ありがとう、おばちゃん)
墓参の礼は不要と常々釘を刺されているため、心の中でお礼をつぶやく。
すると、ジャンヌが花束を抱えて戻ってきた。
「はい」
「ありがと」
「今日もしっかりお供えするんだよ」
濃青の小さな花で埋め尽くされた花束を二束、ジャンヌから受け取った。
幻獣界に里帰りする日、リディアは必ず両親の墓を訪れるようにしている。
ジャンヌには、その際に供える花をいつも事前に準備してもらっていた。
「……今日はりんどうだ」
「今年はこれが最後だな」
「もうすぐ冬だもんね」
ジャンヌはいつも、花壇にない花をわざわざ準備してくれる。
秋の花であるりんどうは、南にある入らずの森で摘んできたものだろう。
「鳩のお世話、もう終わったの?」
「『朝』は、一応」
「……1ヶ月経っちゃったけど、毎日大変でしょ」
「たかが掃除で、いちいち手袋やマスク……めんどくさいったらありゃしないよ」
「病気が移るかもしれないって、鳩おじさん言ってたじゃない」
「ずいぶん偉そうだね。おまえがあたしの立場だったら同じこと言ってただろ」
「うっ……」
図星を突かれて、リディアはがっくりと肩を落とした。
—— —— ——
ジャンヌはこまめ、丁寧といったものを何よりも嫌っている。
そんな彼女にとって、鳩小屋の清掃は相当ストレスがたまる作業である。
リディアもジャンヌと似た者同士。もし、作業を押し付けられたら正直困る。
—— —— ——
なぜジャンヌが嫌々ながらも、伝書鳩の世話をしているのか。
そうなった原因は、2ヶ月前まで遡る。
***
——2ヶ月前
9の月後半の寄合で、ミゼルがこんなことを発表した。
「10の月の下旬から、我が村とエブラーナさんが伝書鳩を使って、『いろいろ』連絡を取り合うことになりました。伝書鳩でエブラーナのお知り合いに手紙を送ってもかまいませんからね」
反対する者は、誰ひとりいなかった。
—— —— ——
カルミネにさらわれたリディアを、エッジが救出してくれた。
けれど今後リディアに何かあっても、ミストの力だけでは助けられない。
ミゼルは『いろいろ』と言いながら、そういった時にエブラーナを頼るつもりでいる。
……みんなミストの現実を認識した上で、彼の狙いを察したからだろう。
—— —— ——
(エッジやエブラーナに迷惑じゃないかな……?)
リディア自身は複雑に感じていたが、反対はしなかった。
本当にカルミネにさらわれてしまった人間が、偉そうに反対出来ないと思ったから。
「誰が伝書鳩を育てるんだよ」
「鳩小屋も建てなきゃならないよね」
住民が口々に今後の予定をミゼルにたずねた。
「大丈夫です。エブラーナさんがどっちも引き受けてくれました。——予算込みで」
「そうなんだ」
「おいおい、ずいぶん気前いい国だなあ!」
「でも……お世話までは、お願い出来ないでしょう?」
問題は、誰がその伝書鳩の面倒を見るか……。
ある住民からの質問に、ミゼルがこう答えた。
「ぼくの家の裏庭に鳩小屋を設置するので、お世話はジャンヌさんにお願いしようと思います」
「えっ」
妻のジャンヌは寝耳の水だったようで、しばらくその場でぽかんとしていた。
(朝と夕方に餌と水をあげて、たまに小屋を掃除したらいいだけでしょ? わざわざここで自分の奥さんに頼まなくてもいいじゃない……)
リディアは、ミゼルの答えを聞いてそう思った。
ちなみに後日聞いた話だが、この時ほとんどの参加者が、リディアと同じことを考えていたという。
「いいよね? ジャンヌさん」
「まったく、この場で村長直々に指名されちゃ、断れないじゃないか……」
「——ちょっといいかな?」
この時ジャンヌは渋々ながらも、ミゼルの要請を受けようとしていた。
ところが、鳩愛好家でもある住民——通称鳩おじさんが横槍に入った。
「ジャンヌさん、これから大変になるけど大丈夫かい?」
「どういうことだよ」
「餌もだけど、水も切らしちゃだめ。鳩の糞には、ばい菌やカビが混ざってるし、乾くとなかなか落ちないよ」
「ちょ、その言い方じゃ、毎日掃除しろってことじゃないか!?」
「そうだよ。あとは糞を素手で触ったら病気になるかもしれない。掃除の時はマスクと手袋を着けた方がいい」
(そんなに面倒くさいの……?)
たかが鳥のお世話じゃないか。掃除はたまにでいい。
そうたかをくくっていた者たちの甘い認識を、鳩おじさんがぶち壊してくれた。
リディアもジャンヌもそのひとりだった。
「だったら、あんたが世話してくれよ……それが一番ベストだろ」
「申し訳ない。うちの小屋はもういっぱいなんだよ」
鳩おじさんは、故郷で開かれるレース用の伝書鳩を4つがい——計8匹も育てている。
自宅の裏庭を鳩小屋が独占しており、エブラーナの鳩まで引き受ける余裕がないという。
「という訳で、ジャンヌさんにお世話をお願いしようと思います。いいですよね?」
「……」
「ジャンヌさん、お願いしますっ!」
ミゼルがそう言いながら、ぶすっとしている妻に向かって壇上から頭を下げた。
(これ、おばちゃんが断りづらいように、わざと頭下げてるでしょ!?)
鳩おじさんのように鳩が好き。そうでなければ、鳩のお世話をやりたがる人はいないだろう。
ミゼルは他人に無理矢理押し付けたくない。かといって、自分もやりたくない。
だから、惚れた弱みと公の場を利用して妻に押し付けようとしているのがバレバレだ。
「ねぇー、頼むよー? ぼくがこうやって、頭下げ」
「——わかったよっ! 世話すりゃいいんだろ!」
ジャンヌは周囲の目を気にしてか、要請を受け入れてしまった。
それから1ヶ月後、エブラーナの担当者がミストにやってきた。
ミゼルの自宅の裏庭に鳩小屋を設置して、伝書鳩運用が始まった。
それ以来、ジャンヌは伝書鳩の世話優先の生活に切り替えざるを得なくなってしまった。
趣味の各国お店巡りを自粛してまで……。
***
「でも、鳩おじさんが助けてくれるから、ちょっと楽でしょ?」
「まあね。この1ヶ月でよくわかったよ。鳩好きには悪い奴はいないね」
鳩おじさんが週に1、2回、鳩小屋の掃除を昼間代わってくれる。
その日が訪れると、ジャンヌは鬱憤晴らしを兼ねたお店巡りにミストを脱出する。
だから、彼女はこうして文句を垂れながらも面倒な作業を続けられている。
「何それぇ! 鳩が好きじゃない人は悪人みたーい!!」
「掃除でうんざりする奴が、鳩好きな訳ないからな。あたしもおまえも悪人だよ!」
豪快に笑うジャンヌと共に、リディアも腹を抱えて笑った。
「おじちゃんもひどいよね。ミストから一歩も出ないんだから、お世話手伝ってあげたらいいのに」
「する訳ないだろ。あの口だけ陰険野郎が」
「とか、なんとか言っちゃってえ。本当は、頼まれて嬉し」
「——いくらベタ惚れだからって、こっちにも限界あるんだよっ!!」
「わっ」
(とうとう喧嘩しちゃったのかな)
ジャンヌの怒声が辺り一面に響いた。
それも、室内にいるであろうミゼルに、わざと聞かせるかのような大きな声だ。
「……ああ、怒鳴って悪かった」
「いいよ。お母さんに、もう愚痴ってきたんでしょ?」
「ああ」
普段からジャンヌは、ミゼルのために駆けずり回ることが多い。
それなのに、毎日朝早く起きて鳩に餌をあげて、きっきと鳩小屋をお掃除……。
早朝から、親友でありリディアの母であるエスタの墓前で愚痴りたくもなるだろう。
「おまえも墓参りがすんだら、幻獣王様たちに思いきり甘えておいで」
「うん。今日はアスラさまに新しい服をお願いするつもりなの」
「その服、飽きてきたのか」
「6年経ったしね。今からお願いしたら、次の里帰りの時に渡してもらえるかと思って……」
リディアは、年がら年中ずっと同じ服。
幻獣界からセシルの元に帰る直前に、アスラに作ってもらったものを着続けている。
—— —— ——
幻獣界の女王さまのお手製だけあって、服は不思議仕様になっている。
リディアの体型に合わせて服の寸法も変わる。
夏も冬も一定の温度を維持してくれる。
汚れたら勝手に綺麗になるので、洗濯する必要がない。
地上でいうところの下着を着ける必要がない……。
—— —— ——
この夏、エッジが装いを新たにした影響を受けて。
リディアも新しい服に変えて欲しいと思うようになっていた。
「普段着をこっちのにする気は」
「ないよ」
「……どうして」
「半年に一度しか帰らないから、幻獣界のものを少しでも身につけていたいの」
「……幻獣王様や王妃様の存在をそばで感じたいから、服を着るってことか」
「うん。そんな感じ」
そう答えると、ジャンヌが苦虫を噛みつぶしたような表情に変わってしまった。
「……おばちゃん?」
「全く! 幻獣王様たちが、うらやましいったら……!?」
(ああ……また、やきもち焼いちゃったんだ……)
言ってしまったとばかりに、ジャンヌが突然言葉を止める。
すぐに背を向けて、その場にうずくまってしまった。
—— —— ——
昔も今もジャンヌは、亡き親友の娘であるリディアを自分の娘のように可愛がってくれる。
親友があの世へ行ってしまい、リディアの親代わりになりたくて仕方がない。
夫のミゼルからもそんな話を聞いている。
ジャンヌには申し訳ないが、リディアはリヴァイアサンとアスラが自身の親代わりの存在だと思っている。
それは公然の事実でもあり、もちろんジャンヌも知っている。
それでも彼女はふたりに対して、ごくまれに妬みのような言葉を口にしてしまうのだ。
—— —— ——
(おばちゃんをなんとか元気にさせないと……)
半年ぶりの里帰りで、ついつい喜んで話をしたのがまずかった。
リディアはそう悔やむが、そうしてばかりもいられない。
「おばちゃん、大丈夫?」
「……すまない」
そうぽつりと口にしたジャンヌの姿がすごく小さく見えて、胸がつきりと痛む。
—— —— ——
ジャンヌがリディアに固執し、幻獣王夫妻にやきもちを焼いてしまう。
それは、とある事情も一因にあるとリディアは気付いているが。
ジャンヌは、よほどその事情を知られたくないのか、リディアに打ち明けてくれない。
—— —— ——
「気にしちゃだめ。あたしが余計なこと言ったのが悪いんだから」
また声をかけるも、ジャンヌはただ首を横に振るだけだ。
自分のせいで、ジャンヌを追い詰めてしまった。
とある事情を抱えて、今でも密かに悩んでいることも知っている。
けれど、こんな暗くて弱々しいジャンヌは大嫌い。
「もう! いい加減にしてっ!」
「っ!?」
ジャンヌの隣に立ち、両手で彼女の服の袖をぐいっと引っ張った。
しかし、力や体力はリディアよりもジャンヌの方が上である。
一度引っ張っただけでは、彼女の姿勢は崩れない。
「へなへなしたおばちゃんはきらいっ! 見たくないっ!」
「ちょ、っ……」
「ほら、早く立って! 立つの!」
(元気になるまで辞めないんだから!)
何度もぐいぐい袖を引っ張ると、やっと姿勢が崩れてきた。
あともうちょっと。
そう思っていたら、ジャンヌの背がしゃんと伸びた。
「わかった! わかったから服を引っ張るんじゃない!」
無理矢理ながらも、ジャンヌを引き起こすことに成功した。
(引っ張りすぎちゃった……!)
ところが、よく見れば、服の袖がへなへなになっている。
ジャンヌが崩れた袖を手で直しながら、ぎりりとリディアをにらみつけてきた。
「おまえの服と一緒にするなっ!! 破れたら弁償してくれんのか!?」
「……へへっ」
怒鳴られたにもかかわらず、リディアは笑みをこぼしてしまった。
(よかった。元に戻ってくれた)
ジャンヌは男勝りで、口調や振る舞いが男性に近い。
しかも、手が出るわ、怒るとすごく怖いわ……。
それでも、リディアはそんなジャンヌが大好きだった。
「怒られて笑うって、おかしな奴だね」
「こっちのおばちゃんの方が好きだもん」
「それはマゾって言うんだぞ」
「いいの。おばちゃんは、今も昔もこれからも、あたしのお姉さんなんだから」
妹として、ジャンヌの(ミゼルも)支えになりたい。
常々そう思っているリディアは、ジャンヌに改めて言葉を届けてあげた。
こういう時、一気に大人になってよかったとリディアは思う。
仮に、リディアが今も子どものままだったとしたら。
ジャンヌはリディアの前で保護者然として、苦悩をおくびにも出さなかっただろうから。
「だったら、あたしをお姉さまと呼びな」
「えー? 無理だよ。もう諦めてよ」
「……おもしろくないねっ。エスタも余計なこと言ってくれたもんだ!」
ジャンヌがエスタへの恨みごとをぶちぶち口にしている。
最近『おばちゃん』と呼んでも、ジャンヌはあまり怒らなくなったと思っていたけれど。
単にそれは、リディアの矯正を諦めた——さじを投げただけだったようだ。
何はともあれ、元気になってよかった。
リディアがそう思っていたら、かぶっていた帽子をジャンヌにちょんちょんつつかれた。
「おばちゃんも、これ気になった?」
「ああ、王様に冬用買ってもらったか」
「そうなの。真冬に麦わら帽子は合わないって……」
帽子は基本的に、室内かつエッジがいる時にしかかぶらない。
だから、ジャンヌが今まで知らなかったのも無理もない。
「どこで買ってもらったんだ」
「知らない」
「は?」
「箱渡されて、おしまいだったから」
「王様は、なにも言っちゃくれなかったのか」
「うん」
***
エッジから冬用の帽子をいただいたのは、先週の話である。
その日。いつものように自宅に遊びにやってきて、おしゃべりしていた。
すると突然、両手で抱えるくらいの大きさの箱をこちらに差し出してきた。
よく見れば、箱にはリボンが巻かれており、お上品な造りをしている。
「なにこれ」
「冬はこれにしとけ」
(どこに忍ばせていたの……?)
エッジに疑問をたずねたところで、どうせ何も教えてくれない。
とりあえず、許しをもらって箱を開けてみたら、中に濃紅色のつば広帽子が入っていた。
***
「帽子が入ってた箱があるだろ。それ見りゃ、どこの店で買ったかわかるかもしれないぞ?」
「……もう捨てちゃった」
そう答えた途端、ジャンヌが呆れたような表情に変わってしまった。
「おまえね……いくら興味ないからって、適当すぎやしないか?」
「ええ、ひどい。おばちゃんにだけは言われたくなかった」
リディアはむうと頬を膨らませる。
邪魔だったから、捨てた。それのどこが適当なのだ。
「まあ、いいや。ちょっと見せてくれ」
「いいよ。——はいっ」
帽子を脱いで手渡してあげると、ジャンヌがそれを興味深そうに凝視し始めた。
同じがさつでも、リディアの興味の先が甘味なら、ジャンヌは服飾である。
デザインや素材に出来上がりに加えて、一体どこの店に売られていたものなのか。
非常に気になって仕方がないようだ。
「冬も夏も女優帽ねえ……」
「ライザも同じこと言ってたよ」
「そりゃあ、あいつの地元が女優帽の語源だからね」
—— —— ——
昔トロイアで名を馳せた、とある舞台女優が、つば広帽子をかぶって劇場に通っていた。
それが、女優帽の名の走り。
以来トロイアでは、つばが広い帽子を全て女優帽と呼ぶらしい。
『麦わら帽子もつばが広いから、トロイアでは女優帽なのよ』
一昨日、ライザが自宅に遊びに来てくれた時、そう教えてくれた。
—— —— ——
「しかしまあ、いい素材で出来てるじゃないか……」
「触っただけでわかるの?」
「庶民は、固くもなく柔らかくない素材とは縁が薄いんだよ」
「そうなんだ。あたしがかぶっても変じゃない?」
「全然。色も形も、おまえにぴったりだよ」
「よかった。そう言ってくれたら普段使い出来るよ」
ジャンヌが太鼓判を押してくれたことで。
リディアは安堵の表情を浮かべた。
—— —— ——
リディアはおしゃれに疎い。
アクセサリーにはほんのちょっぴり興味があるが、衣服には興味すら湧かない。
夜着以外、地上の服を着る機会がないのも余計かもしれないけれど。
—— —— ——
ジャンヌの感想は、とても信頼度が高い。
各地のお店巡りで審美眼が鍛えられており、リディアに一切お世辞を言わないから。
「あごひももついて、抜かりな……!?」
帽子を裏返しにしたり、触ったりしていたジャンヌが、突然言葉と手を止めた。
顔を見れば、目を大きく見開かせている。
「どうしたの?」
「これ……特注品じゃないか!?」
「うそでしょ!?」
特別仕様、オーダーメイド、一点もの……。
いくらおしゃれに疎くても、リディアもその名前ぐらいは知っている。
「おまえに嘘言ってどうするんだ。——ほら、こいつが証拠だ」
ジャンヌが帽子のすべりをリディアに見せながら、ある部分を指で示した。
指の先には、金糸の刺繍が施された小さな四つ葉のクローバーがついている。
「なあに? このマーク」
「トロイアで歴史が長い服飾店のマークだ。この店は、お偉いさん御用達でね。受注生産しか受け付けていないんだよ」
「あっ……!」
エッジから箱を手渡された時のことを思い出した。
箱のはしっこに帽子と同じ、四つ葉のクローバーマークが入っていたような気がする……。
—— —— ——
一昨日、アリサとライザが自宅に遊びにきた。
夏の麦わら帽子に続いて、ふたりに冬の女優帽を見せびらかしたら。
ライザがしばらく時折リディアの方を見て、にやにやしていた。
なぜ笑っているのか、その日はわからなかったけど、今ならなんとなくわかる。
彼女はトロイア生まれ。
帽子を見せびらかした時に、クローバーマークを見つけたのかもしれない。
—— —— ——
(すぐに教えてくれたらよかったのに)
ライザはリディアやアリサと違って控えめな性格。
すぐにああだこうだと言わないから、仕方がないのかもしれないけれど。
「別に、麦わら帽子のままでもよかったのに……」
「冬に麦わら?? 季節感ゼロじゃないか」
「そうだけど……」
「たぶん、王様はそういうのが見過ごせない性分なんだよ」
「そんな風に見えないけどなぁ」
「わざとがさつなふりしてるんじゃないのか?」
「うーん……」
「何にせよ、あの人は、あたしやおまえとは逆の人間。それにね……」
「?」
耳元に近付いてきたジャンヌから、ひそひそと耳打ちされる。
「……奴だぞ」
「それ、おばちゃんの勘だよね?」
「そうだよ。間違いない」
ジャンヌは勘が鋭く、しかもよく当たる。
一番得意なのは、天気読みだ。
雨が月末しか降らないミストの集落では、役に立たないけれど。
それ以外の場所で、ジャンヌが「あと10分したら雨降ってくるぞ」と口にしたら。
10分後、本当に雨がざあざあ降ってくる。
「それで思い出したよ。一昨日、久しぶりに『勘が働いて』ね」
「えっ、なになに?」
(自分から言うんだもん、きっといいこと!)
リディアはわくわくしながら、ジャンヌの返答を待つ。
—— —— ——
ジャンヌは、天気読みに留まらない。
突然頭の中に未来の出来事が、ぼんやり浮かんでくることもあるという。
それは勘というより、予知や予見——特殊能力の一種。
しかし、浮かんでくる出来事は本人や身近な人物限定。なおかつアットランダム。
ミストの火災、親友が亡くなる、夫が大火傷に遭う……。
事前にそんな場面は浮かんでこなかったと聞いている。
占い師みたいに国や村の未来なんかわからないし。
見知らぬ人から『私たちの相性見てください』と頼まれても適当にしか答えられない。
そんな中途半端さでも、他人から予知や予見だと騒がれる可能性がある。
そのためジャンヌは、予見も『勘が鋭い、勘が働く』と称して、ごまかしている。
それを知るのは、夫とリディアだけ。
—— —— ——
「ローレルの嫁さん、来年おめでただよ」
「……やったぁ! 朗報じゃない!」
ローレルは、ミストの若き先住民の男性。
カイポ在住の恋人がいるにもかかわらず。
この夏、母親が勝手にリディアとの縁談をまとめようとしていた。
幸せそうにしているローレルと恋人、そしてふたりの子ども。
そんな場面がジャンヌの脳内に浮かんだと思われる。
「いっそのこと、結婚したらいいのにな」
「時間の問題でしょ? 言ってるうちに結婚するよ」
「まあ、あんなでかい家建てたら、いずれは……って噂立てられてもおかしくないね」
ローレルは夏の縁談(そして即破談)以来。母親との仲が悪化の一途を辿るばかり。
ついに先月、ミストの北区画に新しく自宅を建ててひとり暮らしを始めてしまった。
来年早々にも恋人と結婚し、ふたり暮らしを始めるのではないかと憶測も流れている。
「あっ、話が脱線しちまった。——はい、ありがとな」
「うん」
お返しついでに、ジャンヌが帽子を頭にかぶせてくれた。
(世界でただひとつしかない帽子……)
それをエッジはくれたのか。
リディアは、ぎゅうとつばを両手で握りしめながら。
改めて、帽子をいただいたことの重大さを痛感する。
「……なんか、エッジに悪いことさせちゃってる気がする」
「おまえまだそんなこと言ってるのか」
「だって、いつ治るかわかんないし……」
「償いだと思うから気に病むんだよ。こんなもん、ただのプレゼントじゃないか。おまえはかぶっときゃいいだけ」
「でも……」
「——だったら、王様に会うのやめちまいなっ!」
「いやだよ!」
ジャンヌに負けじと、リディアは叫んで拒否した。
今では右手でなんとか包丁を扱えるようになった。
あとはエッジ(の顔)さえ排除したら、治ったようなもの。
ジャンヌはそう言いたいのだろうが、それは出来ない。
例え、一生顔を見ることが出来なくても、エッジがいる日常を、おいそれと捨てたくない。
「じゃあ、そいつをかぶってやり過ごすしかないじゃないか」
「っ、わかった……もう気にしないようにする」
「そうだ。そうするんだ」
ジャンヌに両肩を叩かれる。
ぽんぽんと軽い叩き方が、どこか励まされているように感じた。
「きつい言い方して悪かったね」
「そんなことない。ありがとう、おばちゃん」
リディアはぶんぶん首を横に振った。
悪いのは、すぐに弱音を吐いてしまう自分であって、ジャンヌは悪くない。
現にリディアは今のように、ミゼルに弱音をこぼしたことがあった。
—— —— ——
『いろいろお世話になって、エッジに申し訳なくて……』
『気にしすぎ。あの人は好きでやってるんだから、放置しておけばいいんだよ』
『無理だよ。そんなの……』
『ふーん? 申し訳なくなる方法、ひとつあるけどね』
『えっ』
『……知りたい?』
『うん、教えて!』
『それはですねぇー。エドワードくんと縁を切って会わなき』
『——そんなのいやっ!』
—— —— ——
ミゼルからも、今のジャンヌと同じ——エッジと会わなければいい——ことを言われた。そして、断固拒否した。
実は当時ジャンヌも、その場に立ち会っていた。
だから、自分にミゼルと同じ言葉をかけてくれたのだと思う。
……ミゼルと違って、叱咤を込めて。
「あれから4ヶ月か。心が弱くなる時期かもしれないね……」
「おじちゃんも、弱音吐いたり焦ったりしてた?」
「まあね。今は死ねって言っても、へらへら笑ってるけど」
ジャンヌがぷいと明後日を向いて、頬を膨らませている。
一方、リディアは何も言えなかった。
ジャンヌが発した『今』『まあね』の言葉。
そこに、当時のつらい思い出が凝縮されているように感じたから。
「もしかして、おじちゃんと喧嘩したの?」
「6年ぶりにな」
「仲直りした方がいいよ」
「ほっといてもそのうちなんとかなる」
「またそれ……」
「それのどこが悪いんだ。おまえも、そのうちなんとかなるってゆるーく構えときゃいいんだよ。本当になんとかなっちまうから」
「うんう……あ、来ちゃった」
経験者が語るとは本当によく言ったもので、言葉の重みが違う。
ジャンヌの助言にうなずいていると、上から聞き慣れたエンジン音が聞こえてきた。
空を見上げなくても、エッジが飛空艇でミストにやってきたとすぐにわかる。
「さあて、今度おまえに会えるのはいつになるんだろうね」
「今日中には帰ってくるよ。いつもそうでしょ?」
「……おまえはいつもそう言うけどね。この日だけは、どうしてもばくち打ちの気分にさせられちまうんだよ」
「ええ? 縁起でもないこと言わないでよ」
「ははっ、これが最後の会話じゃないことを祈ってるよ」
(やっぱりおばちゃん、心配なんだ……)
幻獣界の里帰りはリディアにとって楽しみでもあり、いささか不安でもあった。
なぜなら、地上に戻ってきた時に時間がものすごく進んでいる可能性があるから。
それでも、リディアが楽観的だったのには理由がある。
—— —— ——
黒魔法講座が翌日にあるので、いつも里帰りは日帰りである。
午前中に幻獣の洞窟に入って、幻獣の町で半日ほど過ごす。
そして幻獣の洞窟に戻ってきたら、いつも夕方近く。
そう。今まで何度も里帰りをしているが、時間のズレは起きていない。
毎度毎度、そんな奇跡的な結果で終わる原因はわからない。
なぜなら、幻獣界で暮らした経験があり、定期的に幻獣界に足を運ぶ。
そんな人間はリディアしかいないため、検証のしようがないからだ。
—— —— ——
「大丈夫。今までなんともなかったんだから。——それじゃあ、行ってくるね」
「ああ。気をつけてな」
「早くおじちゃんと仲直りしてあげなきゃだめだよぉー」
「余計なお世話だっ!」
怒鳴り声を上げたジャンヌに見送られながら。
リディアは花束を二束抱えながら、集落の南にある発着場へ向かったのであった。
§
(もう、知らないふりなんか出来ないよ)
エッジを問い詰めて、改めてお礼を伝えた方がいいだろう。
使用に関しては、既に当たり前のように何度もかぶっているので問題ない。
……などと、このすぐ後の行動を思案しながら歩いていたら。
発着場の入口に辿り着いていた。
遠目からでも、すぐにわかった。
既にエッジが飛空艇から降りて、自分を待ってくれている。
実はこの瞬間。小さくてもエッジの顔を拝める貴重な機会でもあった。
—— —— ——
まるで反発し合う磁石のように。
視界に入れるエッジの顔が遠ければ遠いほど、症状は軽く。
近ければ近いほど症状がひどくなると、先月判明したばかり。
—— —— ——
(世界でたったひとつ、それもあたし専用、お値段も高いよね……)
エッジの元に向かって歩く。
しかし、畏れ多い事実がリディアの頭を垂れさせて、足取りも重くさせる。
下を見ながらしばらく歩いていると、地面の色とは全く違う色が混ざりこんできた。
……とうとうエッジの元に着いてしまった。
足を止めたが、頭を上げられない。
「よう、リディア」
「おはよう……」
「朝っぱらから暗えな。寝不足か」
「違う」
リディアは下を向いたまま、ぶんぶん首を横に振った。
「じゃあ、何だよ」
両手で帽子のつばを握ると、更に下に引っ張りながらこう言った。
「この帽子、特注品なんでしょ?」
「……」
「どうして何も言ってくれなかったの?」
エッジは黙ったまま何も答えてくれない。
いつもリディアは、エッジにやり込められてばかり。
しかし、長い付き合いでひとつ学習したことがある。
それは証拠や根拠さえ提示したら、さすがのエッジも折れることだ。
そして、先ほどジャンヌに聞いたばかりの話をぽつぽつと話し始めた。
「——なんであいつが、あの店知ってんだよ!?」
話を聞き終えた途端。
エッジがそう叫ぶと、頭を抱えてしゃがみこんでしまった。
(悔しそうだなあ……)
誰も気付く訳ない。エッジはそう踏んでいたのかもしれない。
しかしリディアを騙せても、ジャンヌ(服飾限定)はそうはいかない。
「ずっと黙ってるつもりだったの?」
「ああ。おまえがドン引きするのが目に見えてたからな」
「うん、まあ……それはあるかも……」
事実を知った今でさえ、申し訳なさでいっぱいなのだから。
最初から本当のことを言われて差し出されていたら、断っていたと思う。
無理に受け取らされても畏れ多くて、自分からかぶろうとしなかったかもしれない。
「どうせなら、似合った奴贈りてえと思って黙ってたのに……くそっ!」
最後に吐き捨ててからエッジが立ち上がったが。
リディアはもうひとつ大いなる疑問をぶつけてみた。
「でも、こんなぴったりなサイズ。よく作ってもらえたね」
(麦わら帽子のサイズを測って、作ってもらったのかな?)
帽子を目深にかぶった時の、絶妙な装着感よ……。
リディアは、お店に一度も足を運んでいない。
にもかかわらず、いつ頭の寸法を測ったのか気になっていたのだ。
「え、なに」
返事を待つリディアの目の前に、エッジが近付いてきた。
「おまえが知らねえうちに、こーやって……ひも巻いて、目印付けりゃいいだけだ」
「うそぉ……!?」
「ちょろいもんだぜ」
エッジに帽子の巻きを、ぐるりと一周指でなぞられた。
それがひもを巻いた大まかな場所なのだろう。
(知らないうちって……まさか、月終わりの夜……!?)
散々モノにされて、エッジより早く眠り、遅く目を覚ます。
その間しかないではないか。
(眠っている間に、あたし襲われてるのかも……?)
新たな疑問が浮かび上がったが、今の時間に夜の話題を出しても、エッジは無視する。
さっさとこの話題を締めよう。
そう考えて、エッジに向かって深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。これからもぜひ使わせ」
「——丁寧な礼するな」
「!」
吐き捨てるようなエッジの返事にかちんときて、上体を勢いよく起こした。
「前にエッジもご丁寧に謝ってくれたじゃない! どうしてあたしはだめなの!?」
ご丁寧だろうが雑だろうが、お礼には変わりないではないか。
最後まで言わせてもらえないどころか、けちをつけるなんて、心が狭すぎる。
「国と個人は別もん。前にそう言ったろ」
「あっ……!」
「礼だろうが何だろうが、おまえにまでそうされっときついんだよ」
どこか苦しそうなエッジの声を耳にするなり。
彼の言わんとすることを瞬時に理解して、胸をきしませた。
—— —— ——
エッジの両親は、この世を去ってもういない。
エブラーナ、特にお城の中では、国王さまであるエッジにぞんざいな話し方をする者はいない。
気心知れた個人的な友人は、ゼロムスの戦いで知り合った仲間ぐらい。
指折り数えるほどしかいない。
—— —— ——
エッジは、数少ない気心知れた友人のひとりであるリディアにまで。
へりくだった言葉を使われたくないのだと。
「……『贈ってくれてありがとう。ずっと使うからね』」
「ああ、それでいい」
「ごめんなさい……」
「もういい。これから気ぃ付けろよ?」
(ばかだ、あたし……)
ミストでは、住民とうやうやしくない関係を築けるから、楽しそうにしているのに。
ずっと近くで見ていたつもりが、今更ご丁寧に言ってしまった。
「お母さんのところ、行ってくる……」
「はいはい」
気の利かない自身を恥じながら、リディアはぽつりとつぶやく。
そして、かかとを返してひとり墓地に向かう。
(今日も後、ついてきてくれてる……)
しばらくして後ろから、ざりざり土を蹴る音が耳に入ってきた。
誰かさんが、後ろを歩いている。
歩くのが遅いリディアに合わせるかのように、普段の早歩きを影に忍ばせて。
—— —— ——
幻獣界に向かう前に、こうしてふたりで両親のお墓に参るのも『習慣』になっている。
……エッジが勝手に、リディアの後をついてくるといった方がいいかもしれないけれど。
エッジはリディアの母エスタと一切面識がない。付き合わせるのは申し訳ない。
そういった理由から、リディアがエッジへ誘い文句を口にしたことは一度もなかった。
—— —— ——
リディアは、突然足を止めて顔をうつむかせる。
「おい、どうした?」
「いちいちついてこなくて」
「——ぐだぐだ言ってねえでとっとと歩けっ」
とん
「いたっ!」
後ろから背中を軽くつつかれてしまい、思わず声を上げてしまった。
ちっとも痛くないのに、痛いと口にしてしまうのがすっかり癖になってしまった。
(今日も来てくれるんだ……)
これも毎度のことで、エッジに墓参の意思を確認する儀式のようなものになっている。
「早くしねえと、墓参りで1日が終わっちまうぞー」
前を向いて再び歩き出したら、背後から間延びした声が聞こえてきた。
「……ありがとう」
「礼はいいから、早く歩けって」
(今日はあたしの急かし役なんだ)
嬉しさが、じわじわ湧き上がってくる。
エッジに見られないように顔を花束で隠して、笑みをほろりとこぼした。
—— —— ——
儀式もどきの習慣を重ねてきたおかげで、最近気付いたことがある。
エッジが墓参に付き合ってくれる理由は、その時の状況に応じて毎回変わる。
しかしリディアの両親に感謝を伝えたい。エスタとニクスに会いに行く……など。
リディアが納得出来るような理由だけは、一度も口にしたことがない。
そういった、エッジが一度も口にしたことがない理由が。
実は、墓参に付き合ってくれる本当の理由なのかもしれないと……。
—— —— ——
「そういえば、さっきね」
「あ?」
「おばちゃんが、エッジのこと『蛇みたいな奴だ』って言ってたよ」
「……当たってるじゃねえか」
「ね? おばちゃんの女の勘、すご」
「——蛇は神聖で縁起がいいんだよ。オレにふさわしいよな」
感謝の気持ちは、一瞬にして軽蔑に変わった。
「……ばっかじゃないの」
そう言い捨ててから、エッジから逃げるように速度を上げて先を急ぐ。
(過大評価もいいところ!)
何がふさわしいだ。
日頃の行いからして、神聖などといった清らかなものと一番縁遠い人間なのに。
—— —— ——
あの時、ジャンヌは『蛇みたいに執念深くてしつこい奴だからな』と耳打ちしてきた。
エッジが蛇なら、リディアはさながらその蛇ににらまれるカエルだ。
今にも後ろから取って食われてしまいそう。
—— —— ——
(でも……)
未だに温室育ちで未熟な自分を、後ろから見守ってくれているような気がして。
蛇——エッジに恐れる一方で、後ろにいてくれることに安心している。
そんな思いに至らせてくれるのも、『習慣』のおかげなのかもしれない。
§
「——あれ? 掃除したばっかか」
墓地に辿り着くなり、エッジが物珍しげに辺りをきょろきょろ見回している。
一面に並ぶ墓石が、全て汚れが落ちて綺麗になっている。
はびこっていた雑草も全てむしり取られているからだろう。
「昨日ね。寒くなる前に1回きれいにしておこうって、おじちゃんが」
「だだっ広いのに、よく1日で終わったな」
「魔法で水をぶっかけちゃえば早いよ? それに、みんな強制じゃないのに手伝ってくれるもん」
「……わざわざここに越してきたぐらいだ。ちっとも苦じゃねえんだろうな」
「ほんとそう。みんないい人ばかりだよ」
—— —— ——
ミストでは、年に2、3回ほど有志を募って墓地の清掃を行っている。
家族全員が命を落として、守りをする者がいない。
そんな事情を抱える無縁墓が、6年前の火災で一気に増えてしまったからだ。
ミゼルは鳩のお世話をやらないのに、この日は毎回精力的に動き回っている。
清掃作業は無縁墓の手入れと共に、火災の犠牲者への追悼の意味も込められている。
主に後者の理由で、移民がこぞって参加してくれるため人手不足とは無縁である。
—— —— ——
程なくして、ふたりはエスタのお墓に到着した。
「なんだ、このきったねえ置き方は……」
エッジがぼやくのも無理はない。
お墓の前にはこれでもかと、コスモスが山のように積まれている。
花は方々を向いていて、並びも統一感がなく乱雑に投げ捨てたようにも見えるが。
ひと目見ただけで、ジャンヌがお墓を参ってくれたとすぐに気付いた。
「これでいいの。ジャンヌらしいって、お母さん喜んでるよ」
「逆にこっちはしょぼいな。親父さんも、あいつらと顔見知りなんだろ?」
実はエスタのお墓の左隣には、リディアの父ニクスのお墓もある。
ジャンヌが火災直後のどさくさに紛れて、ニクスの墓をエスタの墓の隣に移したのだ。
エッジが話した通り、ニクスの墓前には仕方なしに置いてやりました。
そう言わんばかりにコスモスが、たったの2輪しか置かれていない。
—— —— ——
父のニクスはリディアが生まれて間もなく、この世を去った。
父親の顔を知らないリディアに、エスタがミゼルより男前だったとよく話してくれた。
その都度、ジャンヌがエスタに反発していた覚えもある。
—— —— ——
「おばちゃんは、昔からお父さんにはお花を供えないの」
「なんで」
「男は気持ちだけで十分だからって。でも、今日は珍しいよ? 2輪もお供えしたんだもん」
「なんだそれ。ひっでえ奴だな」
(お母さんも笑って見逃してたからいいんだよ)
男女差別なんて時代錯誤だとばかりに、エッジがぶつぶつ不満を垂れ流している。
昔からジャンヌはこういったスタンスなのだから仕方がない。
そろそろジャンヌがあしらえてくれた花束をお供えしよう。
そう思って、リディアがエスタの墓前に座った瞬間。
「わっ」
突然そよ風が吹いて、山積みの頂上に置かれた数輪のコスモスが軽く宙を舞った。
そして寂しげな左隣の墓前に、ぽとぽとと落ちていく。
これはただの風ではない。
「お母さんだ……!」
リディアは、直感的に風の正体を口にした。
「風になって、ここ来たってか」
「うん。お父さんに自分のお花を分けてあげたかったんだよ」
「おまえに会いに来たんだろ。花はついでだ」
りんどうの花束をそれぞれの墓前に供えながら、リディアは思う。
きっと、ニクスの墓前に置かれていた2輪のコスモスは、風と化したエスタが運んだものだと。
そしてジャンヌは、男だからニクスの墓前に花を供えないのではなくて。
風に姿を変えたエスタに会いたいから、わざとそうしているのかもしれないと。
(幻獣界から帰ってきたら、おばちゃんに聞いてみよう。教えてくれるかな?)
ジャンヌは、無二の親友と、邂逅を果たせただろうか?
花束を置き終えると両膝を地につけて、目を閉じて黙とうを捧げる。
「お母さん、お父さん、また来るね。——行こう、エッジ」
「はいよ」
黙とうを終えたリディアは、立ち上がって後ろを振り返る。
既にこちらに背を向けているエッジの背中を叩いてから、横に並んで歩き始めた。
§
「毎度毎度思うけどさ」
「なあに?」
「……おまえの親は幸せもんだよな」
「どうして?」
「隣同士で並んで賑やかしも途切れねえから」
普段、墓地を訪れるのは、リディアをはじめに火災で落命を逃れた先住民しかいない。
辺りをざっと見回しても、花や何かしら供えられているお墓はとても少ない。
それだけ無縁墓が多いと言うことでもある。
エッジの言葉通り、両親は恵まれていると思う。
娘である自分だけではない。
ミゼルやジャンヌが頻繁に墓参に訪れて、賑やかしてくれるから。
そして……。
「『みんな』が来てくれるからね。きっと喜んでくれているよ」
(エッジも賑やかしに一躍買って出てくれているじゃない)
リディアは主語をぼやかした状態で、エッジに本音を伝えた。
—— —— ——
最近気付いたことがある。
エッジは目立ちたがり屋のくせに、善意だけは自己アピールしない男なのだと。
夜も、他者を演じる声の向こうに潜んでいる、演者の人となりを感じることもしばしば。
いかに、自分を見せないかにお得意の悪知恵を働かせて。
黙って寄り添う影のごとく、善意を引けらかさないのがエッジのやさしさなのだと。
—— —— ——
ここに来て、長年の『習慣』や、あれだけ嫌だと思っていた夜の関係が。
リディアが知らない、もしくは知ろうともしなかった。
エッジのいろいろな一面を気付かせてくれる。
「……あ」
どこか懐かしくもあり、心地いいそよ風が、後ろからリディアの長い髪を撫でてきた。
墓地の周りを囲む、木々がざわめく音は。
リディアたちに、『ありがとう、また来てね』と言ってくれているように聞こえる。
「ふたりとも見送ってやるってさ」
「……うん」
エッジも同じことを思ってくれていたようだ。
リディアたちが消えるまで吹いてくれているのか、未だ風が止むことはない。
そんな中、今までリディアの中で漠然としていたある願望が。
必ず実現させたいと望む、夢に変わった。
「あたしも……いつかエッジのご両親のお墓参りに行ってもいいかな?」
「っ……!」
(口滑らせちゃった……)
ついつい夢を口にしていたことに驚いてしまう。
言われた側のエッジも同じだったようで、息を呑む音がかすかに聞こえてきた。
(どうしよう)
気を悪くさせてしまったかもしれない。リディアは焦る。
悲惨な死を迎えた両親のことに触れられたくないかもしれない。
そう思って、今までこちらから一度も話題にしたことがなかったのだ。
「で、でもね? あたしじゃ、賑やかしにはなれないかも」
声がひっくり返ってしまったが、エッジが何も言わないので続ける。
「普段から、エブラーナのみんながいっぱいお墓に参ってくれているだろうしね」
エッジからの返事がなく不安になるも。それを抑えて話し続ける。
「それに、今すぐって訳じゃないの。エッジが嫌じゃなかったら……」
「構わねえよ」
「ほんと!?」
「本当。——親父もおふくろもぜってえ喜ぶ」
エッジにぽんと軽く頭を叩かれた直後、風がようやく収まりを見せた。
(言ってよかった……!)
エッジの声から、不快さを全く感じなかった。
いつになるかわからないけれど、夢は叶えられそう。
胸をほこほこさせながら、エッジと共に無風の墓地を後にした。
§
(さっきまで、風がちっとも止まなかったのは……)
発着場に向かう道中、リディアは先ほどまで吹いていた風に思いを巡らす。
『あなたも、お墓参りに行ってあげなさい』
もしかしたら、風に姿を変えた両親がそう言いながら。
リディアの背中を押してくれていたのかもしれない。
*7年後につづく
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