フェイクラバーズ 作:かえで
駆け足で自宅から去っていく、リディアの翠の後ろ髪が大きく揺れる。
その度に髪で隠れていた背中が、ちらちらっと見える。
リディアが新しい服に変えてから、その背中を拝むのは、これで2回目だ。
「うわぉ! やっぱり、後ろは布がない!」
ミゼルは思わず感嘆の声を上げてしまった。
髪が風に吹かれる。走って髪が揺れたらほぼ白い肌の背中を晒してしまう。
にもかかわらず、公衆の面前を堂々と歩くリディアの度胸のよさよ……。
「おまえがリディアに堕ちてどうすんだよ」
「え? 嫉妬してるの? ぼくはジャンヌさんひとすじですよ?」
「よく言うよ。……全く、ストールで隠そうともしないんだから」
「ここのみんなもジャンヌさんといっしょのこと思ってるよ」
「からかってるだけじゃないか」
「面と向かって本人に言えない代わりだよ」
妻のジャンヌは、見た目にそぐわず貞操観念がかなり高い女性だ。
未だにリディアの身を案じ続けている。
—— —— ——
約2週間前の夜。
新しい服を着て自宅に現れたリディアを見るなり、ジャンヌはそれはもう激怒した。
日付が変わるまで、リディアと喧嘩のごとく言い争った。
結果、リディア可愛さから渋々折れたけれど。
§
それ以降、帰り道で会ったローレルをはじめに。
ミストの住民はリディアをからかうようになった。
『エッジ様は喜んでただろ?』
『気合入れるために、その服にしたんでしょ? エッジ様、早く堕とさなきゃ』
『いやあ、それでも色気が足りんかもしれんぞ?』
もっとも、住民の多くの本音は『水着みたいな服で、よく外を歩けるな……』だけれど。
—— —— ——
「今から、またガキどもにからかわれちまうじゃないか」
「もういいじゃん。ぐちぐち言わない」
「家の中だぞ? 別にあいつに言ってる訳じゃなし」
「口に出すのが問題なんだよ。——きみは、アスラ様には勝てません」
現実を改めて突きつけてあげたら、ジャンヌの表情にかげりが差した。
「っ、それとこれとは」
「——あんまりしつこいと、リディアさん幻獣界帰っちゃうかもしれないね」
「……!」
「ほら、中入ろう」
(帰らないと思うけど)
未だ諦めきれない妻の肩を叩いて、中に入るように促した。
「いい加減あきらめなよ。もうあの子は、ミストだけのリディアさんじゃないんだから」
「……わかってんだけどねえ」
(未練たらたらだな……)
ジャンヌが肩を落としながら居間のソファに座る。その姿は、普段とはほど遠い。
7年前の火災で、いろいろなものが変わってしまった。
いい加減に諦めたらいいのに、妻にはそれが出来ない。
—— —— ——
ジャンヌの数少ない泣き所は、亡き親友のエスタの娘リディアの存在だ。
リディアは小さな頃から、ジャンヌを姉のように慕っている。
しかし妻はエスタと同様、リディア好き好き病にかかっているため。
姉と思われることに不満を持っている。
§
火災の日に行方不明。もう死んでいるかもしれない。そう思っていたリディアが生きていた。
ジャンヌはそれを知り、真っ先にこう考えた。
地上にリディアが帰ってきたら養女にしよう、と。
その数ヶ月後、待ちに待ったリディアがミストに帰郷。
すっかり大人の女性に成長した彼女は、ジャンヌに嬉しそうにこう話した。
『幻獣王さまとアスラさまが、あたしの義理の両親になってくださったの!』
その夜、妻は日付が変わるまでさめざめと泣いていた。
たった1年足らず離れていた間に、リディアは変わってしまった、と。
—— —— ——
リディアが幻獣界に染まっている。
そんな現実を目の当たりにする度に、ジャンヌはへこんでしまう。
アスラお手製の新しい服装はその代表例とも言えよう。
「心配しなくても大丈夫だよ。あの子から、ずっとここで暮らすって言質もらった」
「……は? あいつ、怒っただろ?」
「ええ、それはもう」
「ばっかだなぁ、試すようなことして。信用されてないって怒るに決まってるじゃないか」
「まさか、6年もここに居続けてくれるとは思ってなくて……ちょっと怖くなったんだよ」
—— —— ——
ジャンヌほどではないが、ミゼルにとってもリディアは娘のような存在である。
しかし、今は小さいながらも村の長にある。
大なり小なり公的な立場にいる者は、私情をあからさまにしてはならない。
そう思っているから、幻獣界に帰るな、ミストから出て行くな……。
妻と違って、村長でいる間はリディアには本音を言わないようにしている。
—— —— ——
常日頃からそういうスタンスでいるものの、感情はそう簡単に割り切れるものではない。
少しの不安といたずら心で、本日リディアから言質を引き出してみた。
そうしたら、ミストの住民で居続けたいと言ってくれて、どれだけ嬉しかったか。
「いい人ぶってたばちが当たったんだよ。ざまあみろ」
ジャンヌから、にやりと意地の悪い笑みを向けられて、思わずむっとする。
「きみはいいよね。お姉さんお姉さんって懐かれちゃって、まーまー、うらやましいったら」
「あたしは、それじゃ満足出来ないんだよ」
「まだ言ってるの? お姉さん以上は、もう無理だよ」
「はっ、諦めきれないから死ぬまでこのままだ」
「ジャンヌさぁん……」
「あいつは何も悪くない。こっちの感情が追いついてくれないんだよ……」
その言葉通り、どこかに置き去りにされたのか。
ジャンヌの表情から、感情がすっぽり抜け落ちているようにミゼルには見えた。
(あの人が、『時間が特効薬』って言ってたな……)
エッジの言葉通り、妻のリディア好き好き病の完治までには相当時間がかかりそうだ。
「そういえばね。リディアさん、今日の記事読んでびっくりしてたよ」
「さっきの様子じゃ、ぶちギレてたようには見えなかったな」
「実名記事じゃなかったからね」
「そうなのか」
「普通の人でいるってずっと言い続けて……本当、欲がないというか」
「——甘いもんに全振りだ。いいことじゃないか」
「はは、それは言えてる」
ミゼルとジャンヌは、リディアの親代わりにはなれなかった。
けれど、生前彼女の母エスタがよくこう口にしていた。
『リディアには、出来るだけ普通の生き方をさせてあげたいの。ふたりには、それを手伝って欲しいのよ』
普通の生き方は、亡き幼なじみの願いかつ、リディアの望みでもある。
それを叶えてあげるための協力なら、いくらでも出来る。
「コーヒー飲む?」
「ああ」
「淹れてあげる。ちょっと待ってて」
「頼む」
単に作り置きのコーヒーをグラスに注ぐだけだが……。
ミゼルはつい最近から、火を使わないことについては自ら率先してやるようにしていた。
「しかし、あんな記事まで出してもらっちゃって。リディアさん、エドワードくんにますます頭上がんなくなっちゃったね」
「王様が、あいつの尻に自分から引かれに行ってんだろ」
「まあね」
「全く……夜な夜なリディアの家に通うなんて信じられないね」
「夜な夜な? 夜は、月に1回って聞い」
「——どっちでも変わんないよ!」
「っ!?」
「それさえなかったら、王様を信用できるのに……!」
ジャンヌがそう言って頭を抱えてしまった。
貞操観念が人並み以上に高いと、いろいろ気苦労が多いようだ。
—— —— ——
毎月毎月、月終わりの雨の夜。
エッジがリディアの自宅を訪れて、一夜を明かしているらしい。
ジャンヌからそんな話を聞いてはいたが、ミゼルは信じていなかった。
ところが、あの夜。エッジ本人がこの自宅を訪ねてきた。
本当だったとわかり、とても驚いた。
なぜなら、リディアが恋情の目でエッジを見ていないのは、誰の目にも明らかだったから。
—— —— ——
「こないだは看病してたでしょ? 夜にお邪魔しても、何もやってないかもしれないじゃないか」
ジャンヌもミゼルも、あのふたりが毎月、月終わりの夜に何をやっているか知らない。
ミゼルは興味はあるが、そこまで詮索する気はない。
「おまえも、そこらへんの男と一緒だね」
「え……?」
「やってようがやらなかろうが、遅い時間から付き合ってもいない男と女が、夜に一夜を過ごすのが問題なんだろ!?」
「そうですね……ジャンヌさんが正しいです」
そこまで言うなら、面と向かってリディアに言えばいいのに。ジャンヌはなぜか言わない。
怒鳴られるから、その理由は聞いていない。
「リディアさんは、いつ無償の愛に気付くかなー」
「気付いたところで、何も変わりゃしないよ」
「それ、いつもの勘?」
「違う」
「あ、そう……」
(よかった)
ジャンヌの言葉が、あくまでも彼女の推測だとわかり、ほっとした。
仮にジャンヌが『王様が、別の女と結婚式挙げた』みたいなことを言い出したら。
勘という名のランダム予見……確実に別れが見えている。
「今日、エブラーナの城下町で、店回ってたらさ……」
—— —— ——
ジャンヌがお店巡りをしていると。
お館様——民からエッジはそう呼ばれている——と、リディアの未来を案じる民の会話が聞こえてきた。
それも一度二度だけではない。
お館様は推しが弱い。プロポーズしろ。
リディアが王妃になれば申し分ないのに、なぜいつまでも結婚しないのか。
会話のほとんどが、ふたりの恋愛成就に期待を寄せるものだったという。
—— —— ——
ミゼルは、リディア並みにエブラーナに詳しいと自負している。
しかし、あいにく現地を一度も訪れたことがない。
ジャンヌの話から、エブラーナでもエッジの恋愛事情が筒抜けだと初めて知った。
「王様とくっついたら、王妃まっしぐらだ。あいつが普通を捨てられると思うか?」
「うん……無理だね……」
「たぶん王様は、それに気付いてるんだよ。で、下心隠して、ずーっとダチ面してんだ。 距離はなかなか縮まらないさ」
エッジもリディアと同じだ。
生まれながらにして、特別扱いされる人生の『台本』を与えられた者である。
本人の努力や、周囲の協力など……。
リディアはそういった条件付きだが、『台本』の書き換えが出来る。
一方のエッジは、ほぼ『台本』に沿った人生を過ごさなければならない。
将来の肩書きや使命はおろか、伴侶の女性も……。
(あの人は、エブラーナや民を捨てることが出来ないからな)
エッジはいくらミストで庶民的に振舞っていても、一国の王であることに変わりはない。
道理を重んじ、責任感が強い男性だから、『台本』を破り捨てることも出来ない。
だから、リディアが普通の生き方を望めば望むほど、ふたりの距離は離れていくだろう。
「これからどうなるんだろうね……」
ガラスのジャーに入ったコーヒーをグラスに慎重に注ぎながら、 思いを馳せる。
(あの人は『台本』から、もがいているように見えるんだよな)
とうにエッジの気持ちを知っている上に、同い年だからか。
おまけに、同性かつ集合体のトップ同士だからか。
ミゼルは恋愛面のみ、リディアよりもエッジの肩をついつい持ってしまう。
「知らないよ。言ってるうちになんとかなるんじゃないのか?」
「またそれ言うの?」
「なるようにしかならないんだから、しょうがないじゃないか。考えたって無駄無駄」
「確かに、それは身に染みて思います。——はい、どーぞ」
「悪いね。【……」
「ちょっ!?」
ジャンヌが以前、リディアに教えてもらったブリザドの応用魔法の詠唱を始めた。
大粒の氷が、ぼちゃんぼちゃんとグラスに落ちていく。
乱暴に入れたおかげで、机の上は黒い水しぶきが飛び散ってびしゃびしゃだ。
「あーあ、普段氷なんか入れないのに……」
「今日は暑いし、喉も乾いたからね」
「せめて、先に入れておきなよぉ……」
「さすがに、半日で2カ国は疲れたなあ」
ジャンヌがそう言ってから、コーヒーを飲み始めた。
机の上の惨状を意に介さない妻の自由っぷりに、眉をひそめながら台所へ布を取りにいく。
(リディアさんも、この人の影響受けちゃったからな……)
そう思いながら、ソファに戻って机の上を拭きはじめる。
神経質なミゼルは、ジャンヌのがさつさについていけない。
もう1名もジャンヌとそっくりだから、身の置き所がない。
「あーあ、びしょ濡れの机で、よくコーヒーなんか飲め」
「——拭けば、なんとかなるだろ!」
「っ!」
「現におまえが、今こうやって拭いてるじゃないか!?」
「はいはい……」
『なんとかなる』は、ジャンヌの口癖である。
火傷で身も心もぼろぼろだったミゼルが、今こうしていられるのはその言葉のおかげ。
妻の存在には本当に感謝している。よき伴侶を得てよかった。
……がさつさは、死んでも見習いたくないけれど。
「あのね、ジャンヌさん」
「なんだい」
「……ローレル、カイポに引っ越しちゃった」
「ああ、発着場で会った。あのばばあは、あいつに悪影響しかないから逃げて正解だ」
「だからさ。これからもローレルと連絡取りたいから、カイポ用の伝書鳩も育てようかなって思ってるんだ」
「何だって!?」
「これからも鳩のお世話、ふたりで一緒にがんばろうねっ」
「……!」
(あーあ、久しぶりに腹パンされちゃうな)
優しく頼んだつもりなのに、なぜか妻が両拳をぷるぷる震わせている。
それを見て、ミゼルは顔をひきつらせながら臨戦態勢で身構えたのであった。
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