フェイクラバーズ 作:かえで
——7の月30日
ざああと激しい雨音が、音も景色もない暗闇の世界にいたリディアの聴覚を刺激する。
おもむろに目を開けば、薄暗い寝室でシーツに包まっていた。
「……また見ちゃったよ……」
そう言いながら、右腕で目元を覆い隠すと大きなため息を吐いた。
(どれだけ欲求不満なの……!?)
これで『春雨の夜のエッジだけ無言の睦事』の夢を見るのは、5回目である。
『先月ヤレなかった罰ゲームだよ。最後まで黙って抱こうって思いついたんだ』
あの夜。お互いに達してから、エッジがそう言っていたが。
それがリディアがエッジに恋情を抱くきっかけとなった。
本人はそんなこと気付いていないだろう。
—— —— ——
エッジとの不健全な夜の関係が始まってから、ちょうど1年になる。
それ以来、同時並行で続く昼の関係で、エッジの人となりや、見えない善意を知るうちに。
早く終われ。早く気が済んでくれ。
そう思っていたはずが、夜の関係を受け入れるようになっていた。
更にはセックスの最中に胸が高鳴る、いわゆるときめきが頻繁に起こり始めた。
こうしてエッジは今まで女を堕としてきた、女好きの常套手段。
どれだけ自分自身にそう言い聞かせても無駄だった。
気が付けば、『セシル』ではない、『エッジ』の声を聞きたい。そう望むようになっていた。
そして6の月の末日が近付いた、ある日の夜。
長らくご無沙汰していた自慰を復活させてしまった。
……『おかず』の相手を、初恋の人からエッジに変えて。
親愛の情は恋情へと変化して、他の女性たちと同じように。
自分もエッジに堕ちてしまった。そう認めざるを得なくなった。
—— —— ——
人生二度目の恋は初恋に比べて、ずいぶん盛り上がりに欠けている。
昼間の健全な友人であるエッジには、胸の高鳴りはほとんど起こらない。
過去にローザに感じたような、エッジと近しい女性に対する嫉妬も湧き上がらない。
嫉妬がないから、独占欲もセシルの頃に比べてあまりない。
エッジのそばにいてあげたいし、いてほしい。
かと言って、エッジを24時間365日拘束したいとは思わない。
むくりと上体を起こして膝を抱えてから、大粒の雨が降り注ぐ窓の外を見やる。
明日の夜になれば、エッジが雨に打たれてずぶ濡れになりながら、この家にやってくる。
初恋の人でもあるセシルの仮面をかぶって、この自分を抱くために。
「でも……エッジじゃなきゃ、やだ……」
例え初恋の時のように燃え上がるような恋でなくても。
エッジが自分に恋情を持ち合わせていなくても。
不条理なルールを敷かれて、偽りの姿で抱かれても。
リディアにとってのいちばんは、エッジだということだけは決して揺るがない。
——午前9時
(せっかくのお休みだもん。憂鬱にひたっている時間がもったいない!)
7の月終わりのミストの恒例行事、夏の帰省2日目の早朝。
昨日から雨期も始まり、ざざ降りの強い雨音を背景に。
リディアは書机に向かいノートに文字を書き綴っていた。
「……エアロで作れるかなあ」
ぶつぶつ呟きながら、使用目的と風魔法エアロの詠唱呪文を記入する。
(トルネドは、全部吹き飛ばしちゃうから却下だね)
ここでのエアロは、手造り魔法の基本になる魔法のことである。
この術を作る上での問題は、目的物以外をどう飛ばさないようするか……。
「それと……」
(温風なら早く乾くよね)
今度は次のページの一行目に、『髪を早く乾かせる魔法』と記す。
再びエアロの詠唱呪文を書き終えると、数行空けてファイアのそれも書いておく。
この魔法は、女性に受けがいいと思う。
問題はエアロを使える者がミストどころか、この世界にリディア以外、誰もいないこと。
なんともったいない……。
「あと、何かあるかなあ」
あごにペンを当てて天井を仰ぎ、思案を巡らせる。
—— —— ——
手作り魔法は趣味と実益を兼ねた、リディアのライフワークである。
出来るだけ他の人も使えるように。そんな考えから。
初等黒魔法——ファイア、サンダー、ブリザドの詠唱を改造して作るようにしていた。
夏場必須のブリザドの応用、飲料用の氷魔法もそのひとつ。
ブリザドしか使えないジャンヌに教えてあげたら、重宝してくれている。
—— —— ——
人を癒す白魔法と違って黒魔法は殺傷というイメージが根強いが、そんなことはない。
こうして日々の生活を快適にしてくれることもあるのだから……。
「リディアさーん」
「あっ」
「起きてるー?」
雨音に混ざって男性の声と、とんとん軽く玄関を叩く音が聞こえてきた。
リディアは玄関に向かい、扉を開ける。
「やあ、おはよう」
「おはよう、おじちゃん」
黒眼鏡を掛けた長袖の男性——ミゼルが、黒い傘を差しながら立っていた。
彼もリディアと同じ。帰省と縁がない、お留守番組のひとりである。
「今年はご機嫌じゃない。何してたの?」
「新しい魔法考えてたの」
「へえ、どんなの?」
「部屋のちりやほこりだけ集めてくれる魔法とか、早く髪を乾かす魔法とか」
「っ、ははっ……! リディアさんらしいねぇ!」
「もう、質問して笑うなんて失礼だよ」
ほうきで掃くのが面倒だから、ちりを集める、いわゆるお掃除魔法を思いついた。
ものぐさゆえの発想をミゼルに笑われてしまって頬を膨らませる。
「いやぁ、ごめんごめん。——はい、エブラーナからお手紙だよ」
「あ、わざわざありがとう」
ミゼルから、小指ほどに折り畳まれた小さな紙の塊を渡される。
伝書鳩で届けられたお手紙をもらうのは、これが初めて。
リディアは手のひらに置かれた紙の塊を、物珍しげに眺めてみた。
「……すごく小さいね」
ミゼルは手紙と称したが、ちっともそうは見えない。
「伝書鳩で運ぶには、こうしなきゃ無理なんだよ。鳩の足に筒がついてるの見たことない?」
「あ、そういえば……」
「その中に入れないといけないから、ちっちゃく折り畳まないといけないんだよ」
塊の表面を覆うように、小さく自分の名が書かれた細長い紙が巻かれている。
ぴりりと巻紙を破り、慎重に紙の塊を開くと便せんよりも小さな用紙。
文字の方向にくるりと回転させて、用紙に書かれた内容に目を通す。
「……エッジだ」
そこにはリディアの宛名と共に、本日9時半を目処に自宅に迎えに行くと手短な文章。
無記名かつ殴り書きの手紙(メモともいう)を、送ってくるのはひとりしかいない。
「何かあったの?」
「今日、お出かけに連れてってくれるって」
「へえ、よかったじゃん」
(2日連続って、久しぶり……!)
エッジはしょっちゅうにミストにやってくるが、立て続けには来ない。
1年前の薬草園の時以来、今日も明日もエッジと会えるとは。
今年の帰省休みは、いいことだらけだ。
「伝書鳩、すごく便利だね」
「手紙が届いてやっと実感出来たみたいだね」
「エッジ、前は直接ここに来てくれてたの」
「これからすれ違いになる心配しなくていいね」
あれは、ちょうど4年前になる。
ひまだひまだとぐだって朝寝を決め込み、居間でまどろんでいた。
そんなリディアの元にエッジがやってきて、エブラーナ城に連れていってくれた。
あの時、所用で朝からミストの外に出ていたら、彼は肩透かしを食らっていただろう。
「伝書鳩って、どれぐらいの速さなのかな?」
「うーん……鳩にもよるけど、飛空艇よりちょっと……?」
ミゼルが言葉を止めて、さっと上空を見上げた。
リディアの耳にも、雨音に混ざってエンジン音がかすかに届く。
「どうしたの?」
「あれ見て」
「ああ、巡回艇だね」
ミゼルが指さした方向を見上げると、飛空艇が飛んでいる。
「いや、色がついてないから違う。——エドワードくんじゃないの?」
「……そうかも!」
(雨が降ってるから、お国の飛空艇で来てくれたんだ……!)
よく見れば、飛空艇の側面の色が巡回艇の左回りを標す青でも、右回りの赤でもない。
ミゼルの指摘通り、エッジがエブラーナの国有艇でやってきたと思われる。
「朝イチで鳩を飛ばしてから、ここに来たんだろうな。やる気満々じゃん」
「どうしよう」
「え、何が」
「お出かけの準備、何にもしてないよ……」
そう言ってから後ろを振り返る。室内の壁時計を見ると、9時10分を過ぎている。
エッジは時間指定の時は一度も遅れてくることがなく、むしろその逆である。
5分前到着や10分前到着なんてざらだ。
「あの人なら待っててくれるさ。ま、滅多にないお出かけだ。ゆっくり楽しんでらっしゃいよ」
「うん!」
今や友人ではなく想い人の男は、本日どこに連れてってくれるのだろう。
リディアは、そう胸を躍らせたのであった。
——午前10時
今、リディアたちが乗っているのは、エブラーナ国有の飛空艇、略して国有艇。
巡回艇と同じ形式の量産型の飛空艇である。
ミストから離れても黒灰色の雨雲は消えず、今も雨が降り続いている。
エッジは、雨降りのミストでの移動を考えたのか。
本日はマントの代わりに、夜訪れる時と同じフード付きの黒い雨合羽を着ている。
「そこに椅子あるだろ」
「えっ」
「いい加減突っ立ってねえで座ってろ」
「……」
運転スペース前方で舵を握るエッジから、ぶっきらぼうにそう言われてしまった。
(やっぱりバレてた……)
数十分前に飛空艇に乗って以来、リディアはエッジの後ろで立ちっぱなしでいる。
一方、エッジは雨合羽のフードを外した状態で、ひたすら前を向いて舵を握っている。
リディアから座る気配をちっとも感じないので、とうとう業を煮やしたと思われる。
「何のために椅子があると思ってんだ」
「でも、エッジは……ずっと立ちっぱなしじゃない……」
エッジの背後に向かって、口を尖らせながら反論する。
—— —— ——
国有艇も巡回艇と同じように、運転スペースには端に2、3人分座れる席があるだけ。
来年、巡回艇に自動運転機能が設置される予定。そう新聞に書いてあった。
だから運転手は立ちっぱなし、かつ舵をずっと握り続けていなければならない。
—— —— ——
自分だけが楽をして申し訳ない。
そう思って、リディアもエッジに合わせてずっとここまで立っていたのだ。
「こんなの苦じゃねえよ」
「ええ……?」
「いいから、早く座れっ」
「ああ、もう。わかったよ……」
まるでリディアを追いやるかのように、エッジがしっしと後手を振ってきた。
仕方なく、手にしていた赤い傘を、壁の隅に倒れぬよう少し斜めにして立ててから。
スペースの四隅の一角に設けられた座席に腰を掛けた。
「この飛空艇、すごく便利だね。雨よけがあるだけでも全然違うもん」
「オレのは古いし、屋根もついてねえからな」
—— —— ——
運転スペースには、運転席を中心に2メートルほどの区画に雨よけの屋根がついている。
四方の壁は丈夫で透明な素材で囲われている。
これでもかと言うぐらい、水の粒が透明な壁を叩きつけようが。
強い風がびゅうびゅう吹こうが、壁が割れたりすることもない。
—— —— ——
ちなみに、艇の後部にも雨よけスペースが設けられている。
こちらは乗客用なので、運転スペースよりも更に広く、椅子もたくさん設置されている。
「エッジの飛空艇だと、雨が降ってきたら中に入らなきゃいけないもんね……」
「まさにお荷物だ」
「エッジのしかならないもんっ! ほっといてちょうだい!」
くつくつ笑うエッジに言い返して、苦々しげに背中をにらみ返してやる。
「雨降ってたから、こいつにしたが、やっぱ自分のがいいや」
「新しいのには、まだ変えないの?」
「壊れるまでは、ずっとあれだぞ」
「そうなんだ。わたしも雨じゃなかったら、あっちの方が好きだよ」
「昔からよく乗ってっから、そう思うのも無理ねえな」
(セシルたちの結婚式の時からずっとだもん)
エッジの自家用艇とのお付き合いも、かれこれ6年近くになる。
幻獣界への里帰りの送迎で定期的に乗せてもらうし。
巡回艇と並んで、リディアの移動手段のひとつになっている。
リディアですら愛着を持つぐらいなのだ。
普段乗り回しているエッジの自家用艇への思い入れは、相当なものだと思う。
「そういえば、ミストの外に連れてってくれるなんて珍しいね」
「珍しい?? こないだ連れてったばっかだろ」
「こないだって……っ、4カ月も前じゃない」
まるで昨日のことのように、エッジがしれっと答えて、思わず吹き出してしまった。
—— —— ——
エッジと共にミストから脱出したのは、3の月の里帰りの送迎以来。
エッジとは、リディアの自宅で時間を過ごすのがもっぱらである。
過去に夏季休暇の時にミストの外から出た機会も少ない。
カルミネを知るきっかけになった、エブラーナ城での宝探しの時ぐらいだ。
—— —— ——
「そういや、昨日からミスト連休だろ」
「そうだよ」
「まーた、暇だ暇だってぐだってたのか?」
「ううん。昨日はローザのところに遊びに行ってきたし、明日はアリサのおうちに遊びに行こうと思ってるの」
「……アリサ? あいつ実家に帰ったんじゃねえのか」
「今年から夏はひとりでお留守番なの。どうせ冬に帰るし、本が読みたいんだって」
「へえ……今年は予定詰まってんな」
「そうなの。こんな連休、初めてだよ」
(明日の夜も楽しみだなあ……! 声がセシルじゃなかったらもう言うことないのに)
帰省期間中は、黒魔法講座も料理教室もお休みになる。
数年前はやることがないと、この時間からうだうだしていたはずなのに。
今年はなんと、昨日も今日も明日も予定が入っている。
「手紙には、お出かけとしか書いてなかったけど、今日はどこに連れていってくれるの?」
「エブラーナだ」
「薬草園?」
「いや。親父とおふくろの墓に連れてってやろうと思ってな」
「ほんと!?」
エッジから行き先を聞くやいなや、座席から勢いよく立ち上がった。
—— —— ——
かねてからエッジの両親の墓参は、リディアの望みであった。
昨年の晩秋、エッジに話を持ち出して以来、ようやく訪れることが出来るとは……。
—— —— ——
(待って! お花持ってきてない!)
しばし、望みが叶った嬉しさに浸っていたが、重大なことに気付いた。
「……着いたら、お花屋さん連れてってよ」
「花なんかいらねえ」
「だめだよ! お墓参りには、お花が必要だもん!」
花をお墓に供えるのは、賑やかしに加えて、花を通して命のはかなさや尊さを知るため。
リディアは母親からそう言い聞かされて育った。
だから、花なしの墓参は考えられない。
「だから、いらね」
「——エッジがいらなくても、わたしはいるのっ!」
ねえねえとばかりに、エッジの背後から合羽をぐいぐい引っ張り続ける。
(手紙に書いてくれたらよかったのに!)
ジャンヌの自宅の裏庭に、今はあさがおとひまわりが咲いている。
それらを数輪分けてもらって、持ってきたのに。
「わかった、連れてってやっから! ガキみてえなことすんな!」
何が何でも生花店に連れて行ってもらわねば。それまでマントは離さない。
リディアの、おもちゃをせがむ子どものようなおねだりは、エッジが折れるまで続いた。
——午前11時
「ありがとうございました」
店員の挨拶に背中を押されるかのように。
リディアは生花店から出ようとしたが、軒先で足を止めて上空を見上げた。
(エブラーナの雨って、優しいなあ)
灰色がかった空から、しとしと細く弱い雨が降り注いでいる。
どしゃ降りが続く、雨期のミストと大違いだ。
「おい」
「あっ」
「ぼさっとしてねえで早く来いよ」
「……ああ、ごめんね」
傘を差して、待っていてくれているエッジの元に駆け寄った。
小さな赤い屋根の下に入ると、先客と共にエブラーナの城下町を歩き始める。
エッジが手にしているのは、リディアの赤い傘である。
エブラーナに着くやいなや、真っ先に取り上げられてしまった。
それ以来、ずっとエッジが傘を差してくれている。
(仕立ててもらったばかりだから、潰さないようにしなきゃ)
そう思いながら、改めて白いカーネーションの花束を包み込むように抱え込んだ。
「ねえ、エッジ」
「あ?」
「これ、一束だけで本当にいいの?」
(どうせ、また同じ答えなんだろうな……)
傘を差してくれているエッジに恐る恐るたずねた。
—— —— ——
生花店に入ってすぐ、リディアは店員へこう頼んだ。
『お墓参り用に、白いカーネーションの花束を二束下さい』
『はい、かしこま』
『——一束でいい。本数はふたり分な』
……エッジに横やりを入れられてしまった。
結局、白いカーネーションの花束を一束渡されて、店を後にした。
—— —— ——
「花はふたり分買ったろ」
「もしかして、ご先祖様のみなさんと一緒なの?」
「ひみつ。行きゃわかる」
「またそれ……」
(これ以上聞いても、時間の無駄だよね)
何度理由を聞いても、エッジの答えは今と同じだ。
内緒や秘密としか答えてくれないし、ついに追及を諦めることにした。
リディアは、雨の城下町を歩くのが初めて。新鮮な光景を、物珍しげに見回す。
あちらこちらで合羽を身につけている者がたくさんいる。
傘を差しているのは、自分たちか着物を着ていない人ぐらいしかいない。
「エブラーナの人たちは、雨が降るとみんな雨合羽を着るんだね」
「ここで傘は差すのは、移民か観光客ぐらいしかいねえよ」
「どうして?」
「忍者ってのは動くのありきでな。傘なんか持ってたら動きにくいし雨止んだら荷物になって邪魔でしょうがねえ」
エッジは朝からマントの代わりに黒い雨合羽を羽織ったまま。
ここまで傘よけを徹底するお国の王様は、あの言葉を知らないかもしれない。
「ねえ、『相合い傘』って知ってる?」
「ああ。狭っまい傘の下で、男と女が縮こまって歩く、甘酸っぱい青春の代名詞。——今のオレたちのことだな」
「……なんだ、知ってたんだ」
「おまえも本で読んで知ったクチだろ」
「前からだもん。傘を使ってるところはみんな知ってるよ」
「へえ、オレと相合い傘出来てうれしくてたまんねえのか?」
「えっ!?」
「腕組みするか?」
「い、いい! そんなのいらないよっ!!」
エッジが腕組みだけでなく、ほらほらと肩組みや手繋ぎまで誘ってくる。
(顔を見られなくてよかった……!)
きっと、今の自分の顔は、りんごのように真っ赤に染まっているはず。
完全におちょくられている。
そうわかっていながらも、どれかひとつはやりたいのが本音だ。
けれど、エッジに気持ちを悟られてはならない。
結局、以前の自分ならこうしていただろう反応——右手をぶんぶん振り回すしかなかった。
おかげで、大事に抱き抱えていた花束がぐしゃぐしゃになったのは、ここだけの話。
§
目的の場所は、エブラーナ城から歩いて約10分。緑あふれる小高い丘の上にあった。
「うわあ……」
入口に入るやいなや、50は軽く超えるだろうか。
綺麗に配置された墓石が視界に飛び込んできた。
どのお墓も、雨風や経年劣化による傷や目立った汚れがほとんど見られない。
「ルビカンテに襲われた時に、やられちまった奴らがここで眠ってる」
「……そうなんだ」
遺族の希望でここではなく、先祖と同じ墓地に眠っている者も少なくないという。
淡々としたエッジの口調に胸が痛くなり、思わず両手の花束を強く抱え込んだ。
がさがさと包装紙が潰れそうな音が立った。
「ここのお墓は、色も形もみんな一緒なんだね……」
「白灰色の御影石で統一してんだ」
引き続きエッジに傘を差してもらいながら、物珍しげに辺りを見回しながら歩く。
エブラーナのお墓も、ミストと同じ個人墓のようだ。
「もっと人がいるかと思ってたけど、誰もいないね」
これだけたくさんの墓があるにもかかわらず、墓参客が誰もいない。
雨の日だからかもしれないが、それにしてもひとりやふたりはいてもいいのに。
「今日は来る奴いねえぞ」
「どうして?」
「うちじゃ、雨の墓参りは不吉って言われてっから」
「……それじゃ、エッジも来ちゃだめじゃない」
「おまえ、人が少ねえ方がいいだろ?」
「っ、それは……そうだけど……」
「不吉不吉って言うがな。んなもんただの迷信だ」
現在エブラーナは火葬だが、建国より更に昔の時代は土葬だった。
当時は今のように整備されておらず、伝染病をもらう可能性が高く、死臭も漂っていた。
昔の雨の墓参りは、危険だらけでしかなかったという。
「昔はそういった理由を全部ひっくるめて、単に『行くな』って言ってたんだよ。そしたら『不吉だから行くな』に捻じ曲げられちまって、今もそのまんまってだけ」
「みんなそれを信じてるから、お墓に来ないんだ……」
「エブラーナは、ジンクスや縁起担ぎをやたら重んじるお国柄だからな」
「エッジはあんまり信じてなさそうに見えるよ」
「ああ。だからこういう日にわざと来てやってんだ」
「ふふっ、エッジらしいね」
どうだとばかりに胸を張るエッジを見て、リディアはくすくす笑う。
四つ葉のクローバーのような、幸運を呼び寄せるものは別として。
迷信やジンクスといったものは、リディアもあまり信じない方である。
エッジは、自身の愛刀の闇深い伝説を一蹴するぐらいだから、現実主義者かもしれない。
そう思いながら、奥にたたずむ林に向かって、灰色の御影石で構成された通路を歩く。
「ご両親のお墓は、林の向こう側にあるの?」
「王族、つーかジェラルダイン家の墓がそこだからな」
「……襲撃で亡くなられた人たちのお墓をここに建てたのは、名誉ある死、だから?」
「そうだ。エブラーナの礎になってくれたからな。これでも足りねえぐらいだ」
未だに顔を見れないせいで、エッジの表情を窺い知ることが出来ない。
それでもお城を襲撃されて、民を守れなかった。
国王として、その責任を感じているのはありありと見て取れる。
そんなエッジに胸がいっぱいになりながら、林の向こう側へ向かったのであった。
§
「——着いたぞ」
「え、ここ?」
「そーだが?」
「……さっきとほとんどいっしょ!」
リディアは、意外な光景を目にして驚きの声を上げた。
王族のお墓だし、さぞや豪勢なものに違いない。
これまでそう思いこんでいたのだ。
まるで林を軸として、線対称のように暮石が綺麗に配置されている。
先ほどの区画との違いは、墓石の数と、色が黒ずんで古い暮石が多いことぐらいだ。
「そんな驚くことか?」
「うん。さっきと一緒のお墓でびっくりしちゃった」
「自分が死んでも、それまでのジェラルダイン家と同じ墓でいいってのが、初代国王の遺言でな。それが今も受け継がれてる」
「そうなんだ……」
(こういうところが、みんなから慕われているゆえんなのかも)
国王だから、王族だからと、飾り気や権威を前面に押し出さない。
そういった所は、初代国王もエッジも似ているように感じる。
「さっきの区画を作ったついでに、こっちの通路も整備したんだよ」
「ほんとだ。きれいだね」
「だから、余計にそっくりに見えるわな。——行くぞ」
「うん」
しばらく灰色の通路を歩いていると、エッジの本名と同じ名が刻まれた暮石が増えてきた。
それが歴代の国王の墓だとわかるまで、全く時間はかからなかった。
「エドワードさんがいっぱいだ……」
「そりゃ、みんな同じ名前付けられるし、嫌でも増えちまうわな」
「エッジもおんなじだね」
「生没年と場所で区別するしかねえな……で、これがおやじとおふくろの墓」
(だから、花束は一束でいいって言ったんだ……!)
エッジが指差す方向を見ると、綺麗な墓石がひとつ、刻まれた墓標名はふたつ。
彼の両親のお墓は、夫婦墓だった。
「ご両親のお墓だけはふたりでいっしょなんだね」
「自分たちが死んだら一緒にしろって、結婚してからずっとじいに頼んでたんだとさ」
「仲が良かったんだね」
「そうだな……ずっと一緒に引っ付いてたな」
片側の区画が空白になっている。遠い将来、そこにエッジのお墓が建てられるのだろう。
墓標名の下には、エッジの両親それぞれの生年と没年が刻まれている。
没年はふたりとも、ルビカンテの襲撃に遭った時だ。
(今もこんなに、お花がいっぱい……ご両親もすごく慕われてたんだ)
刻まれた文字を避けるように、たくさんの花束や花が供えられている。
いや、積まれているといった方がいいかもしれない。
中でも、きくの花が多いのは、エブラーナでは墓参用の花だからだという。
「お花、供えてもいい?」
「もうちょっとだけ待っててくれ。——悪りぃが、こいつもな」
「う、うん……」
黙祷を捧げようとしたリディアだったが、なぜか赤い傘を差し出されてしまった。
仕方なくそれを受け取ると、エッジが赤い屋根から外に出て、お墓の目の前でしゃがんだ。
何をするのだろう。
リディアがそう思った矢先、なんとエッジが供えられた花を集め始めた。
「え、エッジがお片付けするの!?」
「オレは唯一の身内だぞ?」
「でも、国王さまじゃない……」
「そんなもん関係ねえ。雨降りだと墓守りも来ねえからちょうどいいんだよ」
「っ、わたしも手伝う」
「——いらねえ。濡れちまうからそこにいろ」
口と手で制されてしまい、片付け作業を見守るしかなかった。
エッジの後姿をリディアが見守る……いつもと違う真逆の構図だ。
(いつもこんな感じで、お墓参りしてるんだ)
花をある程度集めて、隣の空き区画に積んでいく。
エッジが黙々とそれを繰り返している姿からは、王族の気配が感じられない。
ミストにいる時や旅の頃と同じで、どこにでもいる一青年に見える。
「今でもみんな、お参りにきてくれてるんだね」
「みんな偉いもんだぞ? この下に、なんもねえのわかっててきてくれんだから」
「……」
エッジがさらっと話してくれたが、リディアは黙り込んでしまった。
ここはエッジの両親の墓だが、彼らの遺骨は納められていない。
—— —— ——
エッジの両親はルビカンテにさらわれてから、ルゲイエによってモンスターに改造された。
ふたりは、完全なるそれに変わる前に、エッジの目の前に姿を現した。
そして、息子に永遠の別れを告げると姿を消してしまった。
完全にモンスターと化すと、人として生きてきた記憶や心が消えてしまう。
人の死と同等だ。
エッジは両親が最後に遺した言葉に従い、ふたりの行方を追わなかった。
今も生きているのか。それともモンスター狩りに狩られたか。
同族同士の争いに敗れて命を落としたか。……安否は誰にもわからない。
—— —— ——
リディアはそれを知っていたから、どう返事していいかわからなかったのだ。
「……ふたりとも、今のエブラーナを見て喜んでくれてるよ」
「だといいけどな」
エッジが空き場所にすべての花を集め終えて、すいすい腕を振り印を結んだ。
ぼうっと音を立て、花の山から炎が上がる。
雨の勢いをものともせず、みるみるうちに山を赤く染めていく。
エッジが、炎に包まれるいくたあまたの花を方を向いてしゃがみ込んだ。
うつむき加減で眺めている様が、ルビカンテが城を襲撃した時と重ねて見ているように見える。
「エッジのご両親、どんな方だったの?」
「家系かもしんねえが、おやじも血が上りやすくてな。ちっせえ頃、オレがなんかやらかすとすぐ怒鳴ってきた」
「お母さまは?」
「おふくろはなぁ……おやじに怒鳴られた後、すげえ叱られたけど、怒られた覚えは一度もねえな」
「叱ると怒るは一緒じゃないの?」
「違うぞ? 『怒る』は、感情に流されて怒鳴ったりすること。で、『叱る』は感情抜きで相手に、自分のやったことはどこがどう悪いか諭すように伝えるもんだ」
エッジが、怒ると叱るの違いをわかりやすく教えてくれた。
彼の両親は上手くバランスを取りながら、息子を育ててきたのだと感服する。
どちらも怒ってしまうと、子どもの逃げ場がなくなってしまい追い詰めるだけ。
だから、自分が怒り役で、主人は逃げ場役と夫婦で役割分担している。
ライザからそう聞いたことがあった。
「脱走した時も、そんな感じだったの?」
「……帰ってくる度に、おやじもおふくろもまたかよって呆れ笑いだ。その分、じいにはこってり絞られたがな」
「意外だね。怒られも叱られもしなかったんだ」
「おやじも、オレといっしょだったからな」
「え?」
「国王になると縛りが増えちまうのがわかってたからさ。今のうちにって、城から逃げ出してたんだと。まあ、おやじの逃亡先はオレと違って国内だけだったようだがな」
引き続き、エッジが両親の馴れ初めを話してくれた。
—— —— ——
ある日、エッジの父親は、何度目かの脱走の最中に城の追っ手に見つかってしまった。
逃走を繰り広げる中、ある女性——エッジの母親が、父親を匿ってくれた。
—— —— ——
「それがあったから、オレはいい国王になれやら、早く後を継げやら一度も言われたことはねえの」
「エッジに、自分たちの若い頃を重ねて見てたんだね」
「だから、あの日までオレはおやじやおふくろに甘えてた」
「っ……!」
エブラーナの復興に、エッジを熱を注いだのは、もともと高い愛国心からくるもの。
それに加えて、『両親の死』があったからかもしれない。
淡々と言葉を紡ぐエッジの話を聞いて、リディアはそう思った。
(だからって、あんな亡くなり方は……)
—— —— ——
エッジの両親は、人として死ぬことすら許されなかった。
ふたりと最後の邂逅を果たしてから、エッジは激しい怒りに震えながら慟哭の声を上げていた。
—— —— ——
当時の様子は、リディアの記憶にも深く刻み込まれている。
リディアも悪の存在によって故郷が襲われて、肉親を死に追いやられた。
エッジと同じ境遇だったから、尚更かもしれない。
「たまにな。オレがもうちょい真面目に忍者や国王の修行やってたら、おやじやおふくろ……みんな助かってたんじゃねえかってさ」
「……後悔してるの?」
「エブラーナにゃ、『孝行の したい時分に 親はなし』ってことわざがあってな」
—— —— ——
親孝行をしたいと思った時には、親はいない。
親が生きてる間に、孝行しておけばよかった。
そう後悔しないように、常日頃から親孝行しておくように。
—— —— ——
「忠告みたいだね」
「親に関することわざは他にもいくつかあるが……どれも同じ意味を持ってるな」
エッジがそう話し終えると同時に、彼の手元から水が飛び出した。
防火目的で水遁を使ったのだろう。
水がばしゃばしゃと雨の勢い以上に、燃え尽きて灰と化した花の山へ掛けられる。
「おまえの言うように、おやじとおふくろは今のエブラーナをどっかで見て喜んでるかもしれねえ。けど……それは親孝行とは言えねえからな」
「っ……!」
エッジの苦々しいつぶやきと、もの悲しげな後姿からはいつもの明るさは感じられない。
それは、リディアの胸をずきずき痛ませるだけでなく。
ことわざの教訓を生々しく教えてくれる。
—— —— ——
母親を亡くした当時、リディアはまだ幼く親孝行と言う概念を持っていなかった。
そんな発想をする間もなく、母親は娘やミストを守るためにあの世へ旅立ってしまった。
一方、エッジはどうだろう。
親孝行出来る時間はたくさんあったはずだし、ことわざの意味も知っていた。
それにもかかわらず、まだ大丈夫、まだまだ遊べると。
本人の吐露した通り、よほどあの日まで両親に甘えて好き勝手していたのだろう。
両親と最後の別れを交わしたことで、ことわざの教訓を身をもって痛感した。
そして、未だに悔いを引きずっているように見える。
—— —— ——
(あたしたちは似てるようで、違うんだ)
エッジの後悔や無念の度合いは、リディアのそれよりもはるかに大きいと思った。
「……ほんと、だっせえったらありゃしねえよなっ」
エッジが自らを嘲笑うかのように話を締めると、さっと立ち上がる。
それまでどこか寂しさや物悲しさを気配に漂わせていたが、すっかり霧散している。
(他の人に見られたくないんだ……)
リディアは、エッジが迷信を逆手に取って、ひとりで墓参に訪れる理由に気付いた。
リディアや周囲が持っているエッジのイメージは、明朗快活といった前向きそのものだ。
けれど、先ほどエッジが垣間見せた姿は、その真逆だった。
「待たせたな。花供えてやってくれ」
「……うん」
持っていた赤い傘をエッジにひょいと奪われると同時に、背中を軽く押された。
リディアは、その拍子で一歩前に踏み出したが、自身が雨に濡れていないことに気付いた。
(あたしが濡れないように、傘を動かしてくれている……)
ちらりと上に視線をやると、赤い屋根が雨から自分を守ってくれている。
そんなエッジに甘えて、お墓の前で中腰にかがむと、中央に花束をそっと置いた。
それから、どうかエッジを守ってあげてください。
終始そう祈りを込めながら、黙祷を捧げた。
「っし、行くか。来てくれてありがとな」
「……」
エッジにお礼を言われたが、何も答えずうつむいてしまった。
「おい、どうした」
「お礼なんて……いいのに……」
(あたしは、まだ1回だけ……)
本日リディアは、はじめてエッジの両親の墓参に訪れた。
一方で、エッジはその数倍以上、エスタやニクスの墓参に付き合ってくれている。
申し訳なさで胸がいっぱいでいると、エッジがこう言った。
「エブラーナ生まれでもねえ、おやじやおふくろと話したこともねえ。それなのに墓に参りたいって言った奴は、後にも先にもおまえだけだ」
「うそ……!?」
「嘘じゃねえよ。あん時、おまえがああ言ってくれてすげえ嬉しかった」
エッジから真剣な声で思いがけないことを言われた。
言葉から見え隠れする事実にリディアは身が震える。
リディアが墓参にきてくれたことを嬉しく思ってくれたこと。
エッジが、この地に誰かを連れてくるのは初めてだということ。
それは今日までエッジが、たったひとりで両親の墓参に訪れていたということ。
「どうした?」
「あ……あたしも、エッジといっしょ……あたしの、お父さんやお母さんと会ったこと、ないのに……エッジが、お墓参りの度に後をついてきてくれるとすごく……嬉しい」
「……っ」
リディアは震える声で途切れ途切れに言葉を伝えるも。
エッジはただ息を呑んだだけで、何も答えてくれない。
エッジは見返りを求めない。
次に口にするであろう言葉を言われたくないかもしれない。
それでも、今ここで伝えたい。
「あ、あたしも……お礼言わせて、っ……」
エッジが、両親の墓参にやってきたリディアを嬉しく思ってくれた。
同じように、リディアが、エスタとニクスの墓参に向かう時。
いつもエッジが後をついてきてくれるだけで、どれだけ嬉しくて心強いと思っているか。
「い、いつも、来てくれて……ありが、と……う、っ……」
それ以上言葉にならなかった。
リディアは両手で顔を覆って、しゃくり上げるばかり。
両手で受け損ねた涙が、降り注ぐ雨並みの速さでぽたぽた足元に落ちていく。
短い言葉なのに、しっかり伝えられなかったのがひどく情けない。
—— —— ——
墓参に限った話ではない。
不条理な夜の関係を、たった半年で帳消しにするぐらいには。
ミストに帰郷してから、リディアにとってエッジの存在はとてつもなく大きい。
—— —— ——
エッジがリディアにくれたやさしさは、たくさんありすぎてキリがない。
ありがとうを言ったけど、とても足りない。
「……どーすっかなあ。胸貸してやりてえんだけど」
「いい、貸してっ」
冗談交じりの言葉に甘えて、エッジに寄りかかった。
「っ、おい」
まごついているような様子のエッジの胸に、顔を埋めて嗚咽をもらし始めた。
べったべたな雨合羽で顔が濡れても、ちっとも気にならない。
むしろ、こぼれる涙が雨粒と混ざってちょうどいい。
「っ……!」
「ったく、泣き虫なのは全然変わんねえの」
慰めとばかりに、エッジが帽子のてっぺんをぽんぽん叩いてきて、ますます泣けてくる。
「う、っ……」
「たぶん死んでも治んねえな」
リディアは、エッジの胸に顔を埋めて、ぐずぐず泣き続けながら心に誓った。
—— —— ——
エッジは、いちばん大好きな人。
けれど、一国の王である彼はいずれ王妃さまを娶るだろう。
だから、それまでの間だけでいい。
自分に寄り添ってくれているように、エッジに寄り添ってあげよう。
王妃さまを娶っても、エッジの生き様をずっと見守ってあげよう。
—— —— ——
弱かった雨が、急に強くなった。
それまで雨粒は傘を滑り落ちていたのに、今は傘を跳ね返すぐらいの勢いだ。
「村雨か……」
エッジがにわか雨の別名でもある、自身の愛刀と同じ名をぼそりとつぶやいた。
それを聞いて、エッジの胸に埋めていた顔を上げるとこう言ってあげた。
「エッジが……」
「あ?」
「エッジがここにきてくれたから、っ……ふたりとも……喜んで泣いてるの……」
息子が墓参にやってきてくれたのを見て、エッジの両親が空の上から嬉し泣きを始めた。
だから、強い雨——村雨に変わった。
「ばーか。違うぞ」
「わ、っ!?」
エッジが麦わら帽子のてっぺんを強くつかみ、頭をがしがしと左右に揺らしてくる。
そして、ひどく嬉しそうな声でリディアにこう言ってくれた。
「おまえが賑やかしにきてくれたから、おやじとおふくろが喜んで大泣きしてんだよ」
§
叩きつけるような雨は10分も続かず、また小雨に戻った。
リディアはひとしきり泣き終えて、エッジの胸から顔を離すと目元や顔をぬぐう。
「いい加減泣き止んだか?」
「う、うん」
「また、ざざ降りになるかもしんねえからな。こっから撤収するぞ」
「……それからどこ行くの?」
「っ!?」
「もうミストに帰るの?」
撤収——墓地を後にするのはいい。
しかし、エッジからは両親の墓参に連れていくと言われただけ。
それ以外の予定を何も聞いていない。
「エッジ……?」
「やっべ、何も考えてねえ……」
エッジがしまったというような声をもらしている。
(本当にここに来ることしか考えてなかったんだ)
珍しいと思った。
エッジはもともと、思い立ったらすぐに行動する直情型人間だ。
しかし、リディアと行動を共にする時は事前に予定を立てていることが多い。
朝起きたら雨が降っていた。
ちょうどいいと伝書鳩を飛ばして乗り慣れぬ国有艇に乗って……。
自分をここに連れてきてくれた経緯を想像すると、嬉しくなってきた。
「薬草園は? 雨だしお客さん、少ないかもしれないよ」
「構わねえが……おまえ、緑ばらが出来るまで行かねえって言ってなかったか?」
「ええ? そんなこと一言も言って」
「——お館様」
背後から聞き覚えのある男性の声が聞こえた。
振り返ると合羽姿のゲッコウが片膝をついて、こちらに頭を下げている。
(『大人しい』エッジに変わっちゃった)
ゲッコウの存在を確認したからだろう。
エッジの気配が一瞬にして、1年前にイザヨイに見せたのと同じ、緊張したものに変わった。
「ゲッコウさん、お久しぶりです」
「こちらこそご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
「何かあったのか」
「はっ、例の女性の遺体をこちらに引き取って参りました。ご指示を」
(白魔道士の人、亡くなったんだ)
例の女性が誰のことなのか、リディアはすぐ気付いた。
事件後、エッジが記憶を頼りにカルミネから逃亡した女性の似顔絵を描いた。
そして、それを参考に女性の行方を探していたのは知っている。
「……遺体?」
エッジがゲッコウの報告を聞いて、たった一言、そう口にした。
女性が死んだのは予想外。生きたまま捕まえられると思っていたように聞こえる。
「はい」
「昨日までは何もなかっただろ。一体何があった」
「それが……」
—— —— ——
昨日、似顔絵とそっくりな女性がファブールの城下町にいるとの情報を入手した。
エッジの命を受けて、ゲッコウがファブールに向かった。
到着すると、女性は既に城下町から逃走。ファブールに常駐する忍者が後を追っていた。
ゲッコウは彼らと合流して、ファブール領内の崖の上まで女性を追い詰めた。
ところが、女性が彼らの前でそこから飛び降りてしまった。
—— —— ——
「断崖絶壁の崖から、何のためらいもなく……」
ゲッコウが終始苦々しい声で、ファブールでの出来事をエッジに報告した。
「事情はわかった。だが、連れてくるのが早くないか」
「ファブールではこの季節、即日ないしは翌日に死体が火葬される決まりでして。早いうちにと思い、引き取って参りました」
「いい判断だ。おまえを向かわせたのは正解だった」
「しかしながら、生け捕りとの命を果たすことが出来ず……申し訳ございません」
「気に病む必要はない。エミールからの最後の命令に従ったから、そうなっただけだ」
「はい……」
リディアは、ふたりの会話を黙って聞きながら、この後の予想をつけていた。
エッジはお城に戻ったら、以前話していた記憶透視の術を女性に使うはず。
ゲッコウへこれからどんな命令をするか……。
「おまえ、飛空艇の運転出来たな」
「はい、それが何か?」
「遺体は、空きの地下室へ運んでおけ。あと、こいつをミストに送って行く準備をしておいてくれ」
(やっぱり、あたしをカルミネの件に関わらせないようにしようとしてる!)
エッジの指示内容を聞いて、自身の予想が見事的中したと思った。
「はっ、かしこま」
「——送迎、いらないです」
「は?」
「リディア様?」
リディアは、ゲッコウを遮った。
ゲッコウが上司の命令に従って、このまま立ち去ってしまうと。
本当にミストに帰らなければならない。それが嫌だった。
「おまえ、巡回艇でミストに帰るつもりかよ」
「違うよ。術が終わるまでエッジを待ってるの」
「だめだ」
「どうして?」
「いてもやることねえから」
「エッジを待つのがやることだよ」
「それでもだめだ。時間もったいねえから、ミスト帰」
「——もったいなくない」
「おい……」
「エッジ、あれから全然カルミネのこと教えてくれないもん。ゲッコウさんがきてなかったら、女の人が見つかって亡くなったこと、わたしに隠してたでしょ?」
「……っ」
(ゲッコウさん、来てくれてよかった)
エッジからは返事はなかったが、息を呑む音で肯定だと受け取った。
—— —— ——
1年前、リディアは久しぶりにエブラーナ城を訪れた。
そこで『カルミネやエミールのこと、教えて欲しいの』とお願いしたところ。
エッジが、その時点でわかっていることを教えてくれた。
しかし、それを最後に、エッジはカルミネのことについて何も話してくれない。
定期的に、リディアの右手とエッジの顔を見れるか見れないを確認してくるだけだ。
こちらからエッジの右目の調子をたずねても、いつも『へーき』で済まされてしまう。
—— —— ——
(このままミストに帰れないよ)
今ここでリディアは、白魔道士の女性が亡くなったことを知ってしまった。
これからエッジに何を聞いても適当にあしらわれて、なあなあにされてしまいそう。
場合によっては、聞かせたくないことは隠し通すか、嘘をつく可能性もある。
「……バレたか」
「わたしが今でも、エッジの顔を見ることが出来ないから、気を使ってくれているのは知ってるし、ありがたいと思ってるよ」
「そうだ。おまえは被害者だから、これ以上関わる必要」
「——いやっ!」
リディアは大声で叫んで、エッジを遮った。
術が終わるまで、エッジのそばにいてあげたい。
それでも断られたら、どうしようもないから諦めるしかないけれど。
「わたしもあの場にいたんだよ? ひとりのうのうとしてるなんて嫌だよ」
「おい……」
「せめて、付き添いだけでもさせてください……お願い」
リディアは小さくエッジに頭を下げた。
女性の記憶のことは気になるし、本音を言えば知りたい。
けれど、どうしても話したくないならそれでいい。
「お館様」
「なんだ」
「そ、某は、これからどうすればよろしいでしょうか」
ゲッコウが、うろたえながらエッジにたずねた。
彼はここまでリディアとエッジのやり取りを、困惑した表情で眺めていた。
「……遺体は地下室、送迎の準備はなし。昼すぎに城へ戻る」
「かしこまりました。それでは失礼します」
エッジに改めて命じられると、ゲッコウは一瞬にしてリディアたちの前から姿を消した。
「エッジ、ありがとう……」
お礼を言うと、エッジが緊張漂う気配を霧散させて大きなため息をついた。
「おまえ、本当にいいのか?」
「さっきからそう言ってるじゃない。わたしは温室のばらじゃないよ」
(野外のラベンダーになりたいの)
最後はエッジに伝えるよりも、自分に言い聞かせるように言い切った。
—— —— ——
この世で生きていくために必要なことを、エッジは容赦なく言ってくれる。
温室育ちからの脱走も勧めてくれたのも、今、目の前にいるこの男だった。
その一方で、リディアが本当に嫌な思いをするようなことはほとんどしないし、言わない。
そうさせないための努力を怠らない。
ばらのように温室で育てるがごとく、リディアに過保護になることもある。
—— —— ——
長い付き合いのおかげなのか、エッジのリディアに対するやや矛盾した行動原理を。
リディアは、ほんの少し読み取れるようになっていた。
「……しょうがねえ。付き添いお願いすっか」
「ありがとう」
「んじゃ、その前に腹ごしらえしねえと。——城下町でメシ食うか」
(ばらじゃないって言ったばっかりなのに……)
この自分を、出来るだけお城にいさせないようにしてくれている。
外での昼食を勧めてきたエッジの狙いに、呆れながらも嬉しさがこみ上げてくる。
「ふふっ……!」
エッジは、ばら扱いを完全に辞められないようだ。
きっとこれも、エッジのやさしさのひとつなのかもしれない。
これぐらいは好きにしてあげよう。
そして、こちらも思いっきり甘えさせてもらおう。
「なんだあ? 急に笑いやがって、怖ええ奴」
「っ、なんでもないよ。行こ、お腹空いちゃった」
「はいはい」
今度はこちらからとばかりに、黒い合羽をくいくい引っ張って。
リディアは墓地からの撤収を、エッジに促したのであった。
「楽しみだなあ、エブラーナのごはん……!」
「店で何頼んでもいいが、甘いもんは禁止な」
「そんなぁ!?」
「おやつにゃ、まだ早ええぞ」
(こ、こういうところは厳しいんだから……!)
§
城下町で昼食を済ませてから、1年ぶりにエブラーナ城を訪れた。
相変わらず、お城の人たちは慌ただしく行き交っているし、見えない護衛も健在だった。
記憶をのぞく術を使うには、準備が必要らしい。
リディアは執務室に通されて、エッジの準備作業を見守ることにした。
——午後1時半すぎ
エッジが執務机に背を向けた状態で座りながら、村雨の刃へ模様を入れている。
その様子をリディアが客間用のソファに座って見守り始めてから、30分が経過した。
(国王さまの刀が、おもちゃみたいになっちゃった)
きらりと冷たい銀の光を放っていた刃が、青で埋め尽くされていく。
刃の輝きは見る影もなく、とても人やモンスターを斬るものには見えない。
「お館様、あの……」
「どうした」
「青墨の残りが少なくなって参りましたが、いかがなされますか」
エッジの傍らで作業を見守っていた中年男性が、そう声をかけた。
—— —— ——
男性の名は、ザンゲツ。
先ほど自己紹介してくれたが、その場でエッジに怒られていた。
どうやら自ら『熟練の忍者』と口にしたのがまずかったようだ。
昨年、エッジと共にカルミネにさらわれたリディアを助けに行った。
ザンゲツが自己紹介の時にそう話してくれた。
大変申し訳ないことに、当時リディアはそれどころではなかった。
イザヨイとゲッコウがいたことは覚えているが、彼のことは記憶に残っていなかった。
—— —— ——
「……なんだよ、もう終わりかけってのに。今頃ストック切れか……っ!」
エッジが不満げにそう言い捨てると、少しの間を置いてから。
後ろ手に自身の右手を、机に置かれた塗料が入った容器に近付けた。
するとその親指から流れた血が、ぼたぼたと容器の中に落ちていく。
「うそっ!?」
エッジが何をやったのか見当がついてしまい、驚きの声を上げた。
「おいリディア。なんかあったか?」
「……と、塗料にエッジの血も混ぜてるの!?」
後ろ姿だからはっきりとわからないが、自身の親指を噛み切ったように見えた。
—— —— ——
記憶透視術を使うには、村雨を刃全面に青い墨で装飾を施さなければならない。
術者自らの手で、秘伝忍術書に描かれた見本通りに村雨へ模様を施さないといけない。
少しでも模様を間違えたり、一筆でも他人が模様を入れたら術は発動せず失敗に終わる。
—— —— ——
この部屋に来る前に、エッジからそんな準備内容を教えてもらっていた。
それを聞いただけで、準備の面倒さにうんざりしたのに、エッジの血まで必要とは……。
「しょうがねえだろ。そうやって書いてあんだから」
「この術だけではありませぬぞ? 忍術書の術は全てこうしてお館様の血が必要になります」
「ええ……?」
ザンゲツが青い液体を容器の中に足しながら、そう教えてくれたが、啞然とするばかり。
「エッジが面倒なことしたり、身体張らなきゃだめって。ちょっとひどくない?」
術者自ら——エッジが装飾の施しもしなければならないのに。
さすがにこれは、負担が大きすぎるのではないだろうか?
「同感。んなもん嫌がらせだ」
「でしょう?」
「けどよ、こいつは未来の国王への初代からの挑戦状でもあったんじゃねえかって思ってんだ」
「準備の段階で音を上げちゃうような人には、エミールを倒す資格はないってこと?」
「そう。んで、オレはその嫌がらせを受けて立って免許皆伝。見事、奴の眼を潰してやったって訳」
「なるほど……」
免許皆伝のごほうびが、初代国王の残像の出現と、残像が語った情報。
それならば、時間や犠牲を払う価値はあるかもしれない。
リディアはそう無理くり自身を納得させた。
数分後、エッジが筆を置いた。それから村雨を裏表に何度もひっくり返している。
乾燥ついでに模様の確認をしていると思われる。
「よーし、出来た。今からテス」
「——必要ございません」
「6年前にちょろっと使っただけだぞ? テストした方がいいだろ」
男ふたりのやりとりを眺めていて、ふとこう思った。
(ザンゲツさん、エッジから信頼されているんだなあ)
エッジは、ゲッコウをはじめに使用人に対して、『大人しいエッジ』として接している。
去年から知っていたので、もう驚きも落ち込みもしなかったけれど。
そんな中、じいとザンゲツだけは『大人しいエッジ』の対象外だった。
もっとも、じいと違ってザンゲツへの態度は雑極まりないが。
「テストが失敗しても成功しても、また最初からしちめんどうな模様を施さなければならぬのですぞ?」
「え!? 模様全部消えちゃうんですか!?」
便利な術の新たな事実を聞いて、驚きの声を上げてしまった。
「さようです。ですから若様に、一発勝負をお勧めしているのです」
「それぐらい耐え忍べねえと、てめえは忍者の頭に向いてねえって、初代は言いたかったんだよ。たぶんな」
「そう……」
(ただの嫌がらせにしか思えないよ)
初代国王は、自分以上に他人に厳しい人物だったに違いない。
「話を戻しますが、お館様」
「なんだよ……」
「下手をすれば、術を使う時間よりも模様入れに時間がかかってしまいますぞ?」
「……」
「お館様は、非常に優秀な忍者でございますから、ミスは犯しておらぬでしょう。ですから、テストは必要ございません」
ザンゲツが必死の形相で、エッジに一発勝負を訴え続けた。
しかし、肝心の上司は指で耳を塞いでうざったそうにしている。
「今度は、誰を実験台にお使いになるつもりですかな? どうせ、せっ」
「——わかった。テストはもういいや」
「さすがお館様。素晴らしいご判断です」
エッジがテストを諦めて、ザンゲツがそれはもう安堵しきったような表情を見せた。
(もう記憶をのぞかれたくないから、必死で反対するよね……)
ここまでのやりとりで、ザンゲツが以前実験台にされたその人だと気付いた。
死んでいるならまだしも、この先も人生はまだまだ続く。
他人に過去の行いを知られるなんて、見えない護衛以上の個人情報や私事の侵害だ。
「その村雨、どう術で使うの? 踊る時に持ってるの?」
「踊らねえよ。女の頭にぶすっと一差しすんだ」
「そんなの生きてる人に使ったら死んじゃうじゃない……」
「お館様ぁ……冗談も大概になさってください。リディア様がお困りになられておりますぞ?」
「いちいちうるせえんだよ。ちょっとぐらいいだろが」
「リディア様、心配ご無用です。跡が残らぬよう、額に薄く傷を入れるだけです」
ザンゲツが上司をたしなめてから、リディアに声をかけてくれた。
それから、優しく笑みを浮かべながら自身の額を指で横になぞってくれた。
「あっ、なんだ。びっくりしちゃった」
傷を入れる箇所を示しているとわかり、ほっと胸をなでおろす。
一方で、エッジへこう抗議してやった。
「いい加減にしてちょうだい! 冗談も言っていいことと悪いことがあるんだから!」
「はいはい。——そんじゃ、とっとと地下室行こうぜ」
すぐにでも術を使いたくて仕方がないのか。
エッジは抗議など意に介さず、威勢よく席から立ち上がった。
§
(懐かしいなあ)
ザンゲツに案内されて、リディアとエッジは城の地下の一番奥の部屋に入った。
—— —— ——
その部屋は石造りで出来ており、数年前に宝探しをした隠し部屋とそっくりだった。
高窓がある壁のそばには、小さな机と簡素な椅子がふたつ置かれている。
そして、部屋の中央には机付きの細長い台車の上に載せられた木の棺。
その中に女性の遺体が納められているのは一目瞭然であった。
—— —— ——
「そこ座ってろ」
「うん」
さすがに、遺体とご対面はさせられないと思ったのか。
エッジが椅子に座るよう勧めてきたため、リディアは腰を下ろした。
「記憶を読み終わるまで、どれぐらい時間かかるの?」
「……半日はかかんねえと思うがな。2、3時間ぐらいか?」
数年前、エッジはテスト目的でザンゲツの記憶を1年分読んでみた。
術者の思いのままに映像の静止や速度が変えられるとわかった。
しょせんテスト。ザンゲツの記憶なんかどうでもいい。
そう思って、早送りしてテストを終えたら。たったの2、3分しか過ぎていなかったという。
「すごいね。記憶を自由自在に操れるんだ」
「つっても、のぞくだけだけどな」
「過去は変えられないからね」
「そういうこった。あんま戻ってこねえようなら、誰かに声かけてミスト帰れよ」
「……うん」
「じゃあ、始めっとすっか」
「気を付けてね」
「っ!」
棺のふたを開けた直後、エッジが身体を揺らして息を詰まらせた。
「どうしたの?」
「術使ってる間、絶対この中見るんじゃねえぞ」
「……わ、わかった」
(崖から身投げだもんね……)
リディアが素直に応じたのは他でもない。
エッジが棺のふたを開けた時の反応が、遺体の損傷の激しさを物語っていたから。
「【……」
エッジが棺のそばで、村雨を片手に呪文めいたものを唱えながら。
刃先を棺の中に入れて動かしている。
おそらく、遺体の頭部に傷を付けているのだろう。
「……】」
「えっ!? 消えちゃうの!?」
1分以上の長い呪文が終わった。
同時に、リディアは驚きの声を上げて、その場から立ち上がった。
エッジの身体が、足元から少しずつ篝火ほどの明るさを持った青い光に変わっていく。
それは輝きを保ったまま、ふわふわ漂うように棺の中へ入っていく。
(身体に触れたり、念じて記憶をのぞくかと思ってたのに……)
小説で出てくる想像上のそれらと、今回も同じだろう。
そう予想していたら、まさかエッジ自ら光に姿を変えて、対象の中に入るとは。
「だから、付き添いはいらねえって言ったんだ」
「……いる」
「リディア?」
「姿が見えないだけで、ここにエッジはいるもん。だから付き添いは必要っ」
「……へっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」
リディアの訴えに、エッジが鼻で笑ってからそう答えてくれた。
続けて、手にしていた村雨をザンゲツに渡した。
青一色だった刃からは、既に模様が消えて銀色の輝きを取り戻している。
「そんじゃ、おやつでも食って適当に待っててくれ」
「うん、いってらっしゃい」
互いに挨拶を交わした直後、エッジの姿が青い光に変わってしまった。
程なくして、それが棺の中へ全て吸い込まれてしまったことで。
少しだけ明るかった部屋は、元の薄暗さを取り戻したのであった。
§
「……リディア様」
「はい?」
「よろしければ、別の部屋を準備いたします。そこでお待ちになられたらいかがでしょう」
エッジの姿が消えた直後、ザンゲツにたずねられた。
「どうしてですか?」
「いやぁ……いくら棺に入っていても、死体と同じ空気を吸うのは、お辛いでしょう」
「……今は大丈夫です。行きたくなったら、その時に声をかけさせてもらいます」
ザンゲツの気持ちはありがたかったが、お断りした。
最後に声をかけると答えたけれど、そんな気はなかった。
姿が消えたが、遺体の中にいるエッジのそばにいてあげたかったから。
「さようですか。でしたら、何かありましたら外の護衛へ」
「はい、どうもありがとうございます」
ザンゲツが部屋を後にして、改めて部屋の様子を確認する。
死体と同じ部屋。
ザンゲツがそう話していたが、お茶ならここでいただけるような気がする。
さすがに、おやつはここでは食べられ……。
「わたし、何考えてるの……!?」
(エッジにおやつを食べて待てって言われたからって、おこがましい……)
リディアはそうつぶやきながら、首を大きく横に何度も振った。
恥ずかしいことに、おやつをいただくつもりで、すっかり期待している自分がいた。
(でも、お昼ごはんの時……本当に甘いものを食べさせてくれなかったし……)
おやつ食べたい。
いや、おこがましいから、こちらから断るべき。
脳内で甘味欲と葛藤していると、ぎいぃと扉が開く音が聞こえた。
「失礼します」
「……あれ? ザンゲツさん、どうしました?」
ザンゲツが、再び部屋の中に入ってきた。
ただ、今度は数冊の書物を抱えている。
「ここでじっと待たれるのも辛かろうと思います。よければこちら、時間潰しにどうぞ」
「わ、わざわざありがとうございます……!」
(すごく、いい人!)
ザンゲツが両手に抱えていた書物を机の上に置いてくれた。
てこでもここを動かないと察してくれたのだろうか。
気を利かせてくれたザンゲツに、ありがたくお礼を述べた。
「エブラーナでも、他の国の小説も読まれてるんですね……」
1冊ずつ手にとってみると、以前アリサから借りた小説も混ざっている。
「異国交流が始まりましたからな。以前では考えられなかったことです」
「これなら待ち時間も楽しめそう。本当にありがとうございます」
「これらとは別に、拙者一押しの書物もございますぞ」
「えっ」
「こちらなど、いかがでしょうか?」
ザンゲツがにこりと笑みを浮かべる。
すると、手にしていた最後の1冊をリディアに差し出してきた。
「こ、これ……国王さま以外は、読んじゃだめなものだって……!?」
古い紙の綴りの表紙に書かれた文字に、驚きの声を上げた。
本の正体は、『エブラーナ秘伝忍術書』。
エブラーナ国王しか閲覧出来ない、門外不出の書だった。
「ザンゲツさん……さすがにこれはまずくないですか?」
怪訝な表情でリディアがザンゲツを見るも。
全く表情を変えることはなく、笑みを浮かべたままである。
「既に拙者は目を通しておりますぞ」
「……それは、エッジのお手伝いをしなきゃいけなかったからですよね?」
「さようです。しかしながら、お館様が不在の今を逃せば、リディア様がこれを読むことは二度と不可能だと思われます。もちろん、無理に読めとは言いませぬが……」
(す、すごく読みたい! でも……)
これは長い人生の読書歴で、ものすごく希少価値の高いものになるのではないか?
国王さましか読めない書だし、素晴らしい術が載せられているはず。
しかし、この書の持ち主かつザンゲツの上司である男が、リディアの脳裏にちらつく。
おかげで、よだれものの書物をザンゲツから受け取る勇気が出てこない。
「もしバレたら……エッジにまた怒られちゃいますよ?」
「……聞いておるか? このことは決して誰にも、お館様にも口外してはならぬぞ」
(口止めをお願いしてるんだ)
ザンゲツが出入り口に首を向け、大きめの声で誰もいない空間に話しかける。
すぐさま、出入り口の扉の向こう側からこつこつ何かを軽く叩く音が返ってきた。
「これで拙者とリディア様の秘密です。何の気兼ねもなく読めると思われます」
「すごい……! エッジか、じいやさんしか口止め出来ないと思ってました」
「拙者はこう見えても、お城勤の中で最年長でしてなぁ。年功序列で若者に圧を掛けただけです」
「お城勤?」
—— —— ——
お城勤とは、エブラーナ城直属の忍者のこと。
国内外でありとあらゆる任務をこなし、現場忍者とも呼ばれている。
ザンゲツだけならず、イザヨイもゲッコウもお城勤だという。
—— —— ——
(だから熟練忍者って自己紹介したんだ)
護衛もお城勤の任務に入っており、若い者に多少の口止めも出来る。
ザンゲツがそう話してくれた。
「どうして、わたしにこの書を見せようと思ったんですか?」
「お館様から、読書がお好きだと伺っております。それに……いや、それより、お館様が戻らぬ今のうちに、どうぞお読みくだされ」
「ありがとうございます。それじゃあ、お言葉に甘えます」
(あたしが黙っていれば、エッジにはバレないよね)
ようやく、ザンゲツから秘伝忍術書を受け取った。
ザンゲツが、もうひとつある椅子に腰を落ち着けた。
それを、ちらりと視界に入れながら細心の注意を払って古い書物の表紙をめくる。
すると、空間移動術と書かれてある文字が飛び込んできた。
「この術、人生で3回しか使えないって厳しすぎませんか?」
「さようです。既にお館様が1回テストで使われましたからなぁ……」
「じゃあ、あと1回ですよね? もったいないなあ……」
「拙者もリディア様に同感です」
よくこんな貴重な術を、やすやすとテスト使用したものだ。
エッジにそう呆れてから、術の解説を読んでみる。
「すごいですね……」
「同じ空間移動でも魔法のテレポやデジョンより便利だと、お館様が以前話しておられましたな」
「ええ。3回しか使えないのもわかる気がします」
魔導船があれば、月に一瞬で向かうことも可能だ。
その場合、魔導船に迎えにきてもらわないと青き星に戻ってこれないけれど。
感心しながら、リディアは次々とページをめくっていく。
どのページにも、文字か謎の図柄しか書かれていない。
—— —— ——
透明人間さながらの隠密術。
今まさにエッジが使っている、人の記憶をのぞく記憶透視術。
捕獲目的と書かれているが、有事の際の避難に使えそうな封印術……。
—— —— ——
「……ん?」
最後の項目で、結界術のページで首をかしげる。
外部から侵入不可能な上に、中にいる人の存在が全く感知されない。
そんな空間——結界を、お札8枚を使って作るというもの。
リディアが使う防音結界魔法の上位互換ともいえる、これまた便利な術だ。
執務室にお札を貼れば、見えない護衛を気にしなくて済むではないか。
(これなら、今もお城に遊びにこれたかもしれないのに……)
リディアはそう悔やむも、すぐに思い直した。
お札を作るのはエッジだ。血も必要になるし、負担を掛けさせられない。
「ありがとうございました」
「もうよろしいですか」
「ええ、もう満足です……!」
程なくして、リディアは全て読み終えた忍術書を、お礼と共にザンゲツにお返しした。
「ザンゲツさんが話した通りですね。どれも術者の血が必要なんだ」
さすがに、ここまでのものは手作り魔法では作れない。
この書の術の難点は、どの術も何かしら道具を介さないと使えないこと。
更にその道具を作る手間暇と術者の血が必要で、すぐに使えないことぐらいか。
「ここでの術者は、国王というよりも王族でしょうな。王族の血に反応し、術が発動されるようになっておるようです」
「他の人が使えないように、術を作ったのかな?」
「さようです。王族の者以外は、エミール……『深海の碧』の術にかかってしまいます。利用されるのを恐れたのでしょう」
—— —— ——
この書は、初代国王の残像いわく、『深海の碧』と悪しき心を併せ持った者。
……実質エミールに対抗するための手段を載せたもの。
術を使えるのは、彼の特殊な術が一切効かない初代国王の血を引く王族のみ。
—— —— ——
(誰が読んでも術を使えないから、あたしに見せてくれたのかも……)
ザンゲツもエッジからこの書を預かった直後に、自身の血を使って。
記憶透視術以外の術を使おうとしてみたが、何の効果もなかったと話してくれた。
「あの」
「はい、何でしょう?」
「初代国王さまの残像って、エッジが月で村雨を見つけていなかったら、見ることが出来なかったと思うんですけど」
「そこに気付かれるとは……! おそらくお館様が全ての術を使われた初めての国王ですな」
「エヴァ……あっ、2代目の方は使わなかったのかな」
「使いたくても使えなかったのかもしれませぬ」
—— —— ——
エヴァンは2代目の国王として、村雨と共に忍術書を譲り受けた。
ところが即位して数年後に大病を患ってしまった。
寝所で政を行っていたが、10数年後に逝去。享年45歳であった。
—— —— ——
「拙者の個人的見解ですが、2代目は術を試そうとした頃には、病床に臥しており、余裕がなかったのでしょう」
あまりにも出来すぎた話だ。
リディアがそう思っていたら、エッジの愛刀がふと脳裏によぎる。
「……もしかして、村雨の呪い?」
「なんとぉ!? 妖刀伝説までご存知とは……!」
リディアが何気に口にした言葉を聞いて、ザンゲツがとても驚いてから、こう続けた。
「村雨がいわくつきと呼ばれるようになったのは、その次、3代目の国王が即位してからなのです」
—— —— ——
2代目の国王エヴァンには、3人の息子がいた。
エヴァンがこの世を去り、長男が3代目国王に即位した。
ところが、即位してから1年足らずのある日。
末の弟に村雨で斬られてしまい、死んでしまった。
空いた国王の座には、エヴァンの次男がついた。
ところが、4代目国王は村雨を城の文殿——国王専用の書物宝物庫にしまい込んだ。
それ以来一度も村雨を手にすることなく、在位10年足らずで突然この世を去った。
死因はおそらく自殺。
遺書には、『村雨を手放せ』と記してあったと伝えられている。
そして4代目のひとり息子が5代目に即位した。
彼の国王としての初仕事は、父親の遺書に従って村雨を売りに出したことだったという。
—— —— ——
「大事な刀を売っちゃうなんて、信じられない」
「この頃には、民衆にも村雨の呪いの噂が既に広まっており、国王の周囲にも、村雨の存在を恐れる者が多かったようです」
「でも、持ち歩いていたじゃないんでしょ?」
「初代国王は、代々の国王が忍術書と村雨を受け継ぐよう言い残しただけです。当時は誰ひとりとして、刀の重要性に気付かず、売却に賛成する者ばかりだったようですな」
沈痛な面持ちでザンゲツが話してくれた。
村雨の呪い、いわば妖刀伝説の詳細を知ったのはこれが初めてだ。
「それが流れに流れて、月に埋もれてたんだ……」
「そこまでご存知なら、初代国王が遺された言葉も、お館様から聞いておられますかな」
「ええ、『深海の碧』のことや、魂を入れ替える術が使えるとか……王族の方たちは心が強い者が多いとか」
「素晴らしい、そこまで知っておられるとは……!」
「心が強いって、すごいですよね。みなさん打たれ強いってことですもん」
「確かにお館様を初めとして、精神が頑丈な方が多いですな。しかしながら、それだけではありませぬ」
「え?」
「心が強いということは、揺るがないほどの強い信念や思いを持っていることです。王族に生まれた多くの方は、通常に比べて非常に強い信念、特定の人物や物事に非常に強い思い入れを抱く傾向にあると言われております」
「『芯』が、ものすごく強いと言うことですね」
「さようですな。それは一種の愛でもあり、言い方が悪いと、こだわりや執着、妄執ともいえるでしょう」
「……エミールのことですね」
「国王の座への執着が、長い年月を経て、お館様への憎悪に変わったようですな」
(愛の反対は実は無関心かもしれないって、何かに書いてあったなあ)
国王への道が閉ざされたのに、身内を犠牲にして延命を図ってまで。
エブラーナどころかエッジの命を奪おうとしたぐらいだ。
普通なら他のことに興味を向けたり、目的を変えて人生の軌道修正を図るところ。
エミールがそれを出来なかったのか、する気もなかったのかまではわからないけれど。
「あまりに深い思い入れも、一歩間違えると厄介なものに変わっちゃうんですね」
「実は歴代の国王にも、そういう方がおられました」
「国王なのに?」
「さよう。3代目の国王です」
—— —— ——
3代目国王は即位前から、愛国心を上回る勢いで金に異常な執着を見せていた。
長年彼のそばで、それを目の当たりにしていた末弟は、普段から国の未来を憂いていた。
こんな守銭奴に国を任せたら、エブラーナは滅んでしまう。
異常に強い愛国心が悪い方へ向かい、末弟は即位して間もない兄を手に掛けてしまった。
—— —— ——
「2代目の息子たちの軋轢や村雨の扱いを記録を読んだ限りでは、歴代の国王や王族が、みな初代国王のようにエブラーナに深い思い入れを持っているとは限らないようですな」
「……エッジやエッジのお父さまは、そんなことないですよね? エブラーナや民に対する思い、深いですよね?」
「さようです」
ザンゲツの答えを聞いて、胸をほっとなでおろした。
—— —— ——
初代国王は忍術や忍者と言う職業を作り上げて、国を興した。
彼がそこまでの偉業を果たせたのは、エブラーナを深く愛していたがゆえのものだ。
初代国王は、信念や思いがとてもいい方向に作用していた。
だから、何も問題が起こらなかった。
—— —— ——
ザンゲツも太鼓判を押してくれたことだ。
エッジの治世下で、エブラーナは安泰を保ち続けるに違いない。
リディアがそう思っていたら。
「しかしながら……」
「?」
(どうしちゃったのかな)
突然ザンゲツが表情を曇らせて、そうつぶやいたっきり黙り込んでしまった。
あまりにも静寂が続くので、不思議に思う。
王族を抜けて真逆な方向を突っ走ったエミールは、この世にもういない。
希少種である、『深海の碧』の新たな持ち主が生まれるのも、遠い未来だと聞いている。
当面の間、懸念材料などないだろうに。一体何が、ザンゲツをこんな表情にさせるのか。
「あの、ザンゲツさん?」
「あぁ、いやいや。何でもありませぬ」
(気のせいだったみたい)
リディアに呼びかけられて、ザンゲツが我に返ったのか顔を上げた。
先ほどまでの曇った表情は一切消えており、続きとばかりに口を開く。
「エブラーナが建国されて100年以上経ちましたが、国の存亡の危機に陥ったのは7年前……例の襲撃だけです。仮にエミールが国王に即位出来ていたら、それなりに国を治めていたかもしれませぬな」
「王族に生まれた方は、みなさん大なり小なりエブラーナに思い入れがあった。ザンゲツさんはそう考えているんですね」
「さようです。しかしながら、この話は、ただの年寄りの戯言。聞き流していただいて構いませぬぞ」
(そんなことしないよ)
予想以上に、リディアがエブラーナに対する知識が深く、非常に食いつきがいいからか。
ここまでザンゲツが、ほぼ終始満面の笑みを浮かべながら、話をしてくれた。
「ここまでのお話、エッジも知っているんですよね」
「さようです。戯言以外はざっくりとですが全て」
「……すごいなあ、ザンゲツさん。エブラーナの生き字引みたい」
ザンゲツが生まれる前、それももっと昔の話にもかかわらず。
まるでその場にいたのではないか?
リディアにそう思わせるほど、彼の話は詳しい。
エッジ以上に、エブラーナの歴史に造詣が深い人物だと感じた。
「いやいや、拙者はただの歴史好きでしかありませぬ」
もともとザンゲツは文官を志望しており、試験に合格してお城で働き始めた。
ところが、文官のお仕事——国王の補佐や事務作業は、当時からじいが取り仕切っていた。
月日が経つごとに、じいが鬼のような仕事ぶりを発揮して。
ザンゲツをはじめ、他の文官のやることがなくなっていく。
結局、わずか2年で文官から現場——お城勤に配置転換させられたと話してくれた。
「じいやさんが、とても優秀過ぎたんですね」
「代わりにじい様は、忍術がほとんど使えませぬ」
「……じいやさん、忍者じゃないんですか?」
「いやいや、じい様もれっきとした忍者です。ただ、それよりも事務処理や調整……今の仕事に活かせる能力の方が圧倒的に高かったのです」
「そういうことですか」
(薬草園で会った、イナミさんと同じタイプなんだね)
ザンゲツの話を聞く限り、じいは忍者でも戦う忍者ではないようだ。
「逆に拙者は、ほとんどの忍術を使えますし戦闘も出来ます。まあ、適材適所ですなぁ」
「ザンゲツさんのやりたいことと適性が合わなかったんですね」
「確かにおっしゃる通りですが……」
ザンゲツは、文官として働いていた2年の間に、お城の書物を片っ端から読み漁っていた。
特に歴史書は全て読破して、頭の中に叩き込んだという。
「短い間でしたが、有効に時間を使わせていただきましたので悔いはございませぬ」
ザンゲツが清々しい表情できっぱりと言い切った。
「よかったですね。お仕事の合間に趣味を極めることが出来て」
「拙者には夢があるのです」
「夢、ですか?」
「さよう。引退後に、歴史書を書き上げたいのです」
7年前、エブラーナ城がルビカンテに襲われた際に。
お城に所蔵されていた歴史書の大半が燃やされてしまったという。
「引退って、まだまだ先ですよね」
「あと15年弱といったところですな」
「後世に残すためにも、出来るだけ早く新しい歴史書を作った方がいいと思いますけど、今じゃだめなんですか?」
「お館様から、引退後に史実をまとめるよう既に命じられておるので……」
「ああ、エッジに言われているのなら厳しいですね」
秘伝忍術書の実験台として、いつも指名されてしまう。
エッジにとって、自分はとても都合のいい便利屋。
いわゆるパシリの立場なのだとザンゲツは自嘲めいた。
「でも、エッジが忍術書を預けるぐらいですもん。ザンゲツさんはすごく信頼されていると思います」
「ならばよいのですが……しかしながら、リディア様も我が国の歴史にお詳しい。やはりお館様の影響ですかな?」
「そうなんです。前に隠し部屋の片付けのお手伝いをしていたら、エッジの教育係をされていた方の日記を見つけたんです」
「教育係……」
(そういえば、あの日記を書いた人、やっぱりお亡くなりになったのかな)
聖書のカインとアベルを彷彿とさせる、初代国王のふたりの息子の話に始まり。
村雨の妖刀伝説、各種薬草の絵入りの解説、図解付きの戦術の解説……。
当時の懐かしい思い出を振り返るように、リディアは日記の内容をザンゲツに話した。
「——ね? すごいと思いません? 5ヶ月『も』エッジの先生がお出来になる方なんて、そうそういませ……?」
「っ……」
よく見れば、ザンゲツは両手で頭を抱えながらうずくまっている。
話に熱中していて、気が付かなかった。
「どうかされました? 体調悪くなってしまいました?」
「なっ、なんでもありませぬっ! 時間も過ぎたことですので、おやつの手配に……」
「おやつですか!?」
「さようです。どうかここまでの話、お館様には内密にお願いいたします……」
「はい、わかりました!」
ザンゲツがよろよろと立ち上って、地下室から出ていった。
(ぜんざい、あんみつどっちかな? でも、今は夏だし……)
ザンゲツの様子のおかしさに気付きながらも。お城でおやつをいただくのは数年ぶり。
そのせいで、すぐ先に見えるお楽しみの時間の方が気になって仕方がない。
ここまでザンゲツから感じた少々の違和感は、記憶の片隅に追いやられてしまった。
——午後5時半過ぎ
ザンゲツが去ってから30分ほど過ぎてから。
リディアは別室でエブラーナの甘味を堪能し、再びこの部屋に戻ってきた。
それ以降は、ここで書物を読みながら、エッジの帰りを待っている。
ザンゲツやイザヨイをはじめとするお城の者は、時折ここに顔を出してくれる。
しかし歴史談義を交わしたザンゲツ以外は、誰もこの部屋に居座らなかった。
「ああ、おもしろかったあ……!」
書物を1冊読み終えて、満足気な表情でそれを机に置くと立ち上がる。
少し冷たい壁に両手を添えて、細い高窓から外を眺めた。
雨足の強弱に関わらず、本日のエブラーナはずっと雨模様。
空は一面、どんよりとした灰色雲に覆われている。
このまま夜通し雨が降り続くだろう。
ここに様子を見にきた使用人の誰かがそう話していた。
後ろを振り返って、部屋の中央に視線を向ける。
数時間前、青い光に姿を変えたエッジは記憶透視の真っ只中。
ザンゲツいわく、透視が終われば、傷を付けた箇所から青い光があふれてくるという。
「うーん、っ……!」
自分と棺しかいないこの部屋をぐるりと見回してから、大きく伸びをする。
ずっと座りっぱなしで固くなっていた筋肉がほぐれて心地いい。
まるで自室にいるような振る舞いを、リディアが見せたのは他でもない。
あれほど敷居が高いと思っていたエブラーナ城が、今日は身近に感じられるせいだ。
お城の構造上の関係で、ここには見えない護衛を配置出来ない。
扉の向こう側で護衛が待機しており、視線を気にする必要がない。
ザンゲツが持ってきてくれた書物を読んで、気が紛れたのもあるかもしれない。
(ううん、それよりも……)
小さく首を振り、頭に浮かんだ仮説を全て取っ払う。
もちろんそれらも要因ではあるが、リディアは気にならない最大の理由に気付いていた。
—— —— ——
数年前。バロン王妃としてお城で暮らすローザに、こうたずねたことがある。
『ここで暮らしていて、疲れたりしない?』
『あら、どうしてそんなこと聞くの?』
『お城って、お付きの人たちがいっぱい働いているし、ローザはみんなから王妃さまって呼ばれて、頭下げられるんだよね』
『ええ、そうよ』
『……ずっと気を張ってなきゃいけないじゃない。ローザはあまりそういうの、好きじゃないでしょ?』
大国ゆえにバロン城の敷居の高さは、エブラーナ城のそれをはるかに凌ぐ。
ローザもリディアほどではないが、質素を好んで豪勢なものがあまり好きではない。
それなのに、よく生活出来ると疑問に感じたのだ。
『そうね……もう慣れてしまったのもあるけれど……』
ローザはそう前置きした上で、こう答えてくれたのだ。
『セシルやセオドアも一緒だし、バロン城はわたしたちの家ですもの。疲れたことはないわね』
—— —— ——
(あの時のローザの気持ちが、やっとわかった気がする)
好きな人が暮らすお城だから、護衛の目や人の多さが大して気にならないのだと。
「エッジ、早く戻ってこないかなあ……」
つい数分前、じいからここでの夕食を勧められて、素直にはいと返事した。
(もうおやつをひとりでいただいちゃったし……)
エッジと共に夕食を過ごせる。
そう考えたら、今はこの城での夕食も苦にならなかった。
仮にエッジの戻りが遅くて、夕食をひとりで食べることになっても大丈夫。
このままエッジが帰ってこなければ、宿泊してでも帰りを待ってあげたい。
これから明日にかけての予定に算段を立てていた、その時。
「わっ!?」
(きれい……!)
突然、棺の上部……額に傷を付けたと思われる辺りがぱああっと青い輝きを放つ。
不謹慎にもその光に美しさを感じてしまった。
感動しているうちに輝きは消えて、代わりに無数の青い光が棺から次々と現れた。
それらはふわふわ漂いながら、床のある一点を目指して移動する。
(エッジだ!)
やがて青い光の集合体は人の姿に変えてくれた。
エッジが女性の記憶をのぞき終えて、こちらの世界に戻ってきた。
「おかえり、エッジ」
「リデ……」
こちらに背を向けたままのエッジの元に近付きながら、声をかけた。
ところが、エッジは何か言いかけてそのまま黙ってしまった。
「どうしたの?」
「……っ」
再度声をかけると、エッジががくりと膝を折ってしまった。
まるで魂が抜け落ちたかのように、上体がぐらりと前に傾いていく。
「エッジ!?」
咄嗟にエッジの正面に回り込んで座り込む。
床に倒れ伏す寸前のところで、彼の重い上体を支えた瞬間。
「えっ!?」
(うそ!?)
エッジに強く抱きしめられてしまい、胸がどきりと高鳴った。
昼間にこんなことをされた記憶は一度もない。
自分たちは恋人同士。一瞬、そんな錯覚を覚えたぐらいには。
恋愛小説のお決まり、男女が思いを通じ合わせた瞬間の抱擁のように抱きしめられている。
「ね、ねえ、エッジ……どうしたの?」
「……」
うろたえながらも、エッジに声をかけたが返事がない。
リディアの肩に顔をくっつけて、苦しそうに息を吐いている。
(なんか熱い……)
エッジの顔の熱さが、見えないケープを挟んでいても、肩肌に伝わってくる。
嫌な予感しかせず、顔を見ないように恐る恐る手で触れてみた。
「——すごい熱!!」
手のひらに伝わってきた温度に、リディアは驚きの声を上げた。
「え、っ!?」
誰かここに来てもらうよう、外にいる護衛に頼まなければ。
リディアが扉の方に首を向けると、更にエッジが強く抱きしめてきた。
「エ、エッジ……ちょっと離して、誰か呼んで来なきゃ」
ここまで弱っているなら、身体をはがせるかもしれない。
リディアは両腕に力を込めて、エッジの上体を何度も押すも。
両腕に全力を注ぎ込んでいるのか。そう思うぐらい、エッジの身体はびくともしない。
行くな、行くな、離れるな。
そう言わんばかりのエッジのすがりようは、まるで母親離れが出来ない駄々っ子のよう。
こんなエッジを見るのは初めてで、リディアは戸惑ってしまう。
「……いい」
「え?」
「……護衛……消えた、すぐ……か来る……それまで」
エッジが荒い息をつく合間に、途切れ途切れのかすれ声でそう口にした。
「このままで」
エッジが最後に、はっきりとした声でそう告げてから。
意識を失ってしまったのか、それ以上何も言葉を発することはなかった。
言葉通り、決して離れぬようにリディアを強く抱きしめたまま。
「ちょっと!? ねえ、エッジ! ねえってば……!」
横細長の高窓から聞こえてくる強い雨音が、薄暗い部屋中に響く。
そんな中、リディアは抱きしめられながらも何度も声をかける。
けれど、エッジからは何ひとつ反応が返ってくることはなかった。
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