フェイクラバーズ 作:かえで
国王様は見た!
8 years later
——7の月20日
今日必ずやらねばならない公務、すなわち本日の最低ノルマ。
エッジがそれを達成し終えた頃には、お昼が過ぎていた。
それからエブラーナ城を飛び出し、向かった先はもちろんミスト。
自家用艇を発着場に着陸させると、懐から懐中時計を取り出した。
「うわ、マジかよ……」
(また1時間も早く着いちまった……)
時間を確認してみれば、午後3時ちょっと前。
到着時間ひとつとっても、自分が気が急いているのがよくわかる。
ミストに来る日数を減らしたからといって、リディアに会いたくなくなった訳ではない。
むしろその逆、会いたい、ミストに行きたいと思いが加速する。
—— —— ——
リディアは週に5日、朝8時から昼の4時まで公民館で働いている。
午前は、子どもたちに基礎学力を少数指導で教える、『学習』の先生のお手伝い。
休憩を挟んで、午後からは子どもたちに向けた黒魔法講座の講師をつとめている。
—— —— ——
リディアは、いつも講座が終わる午後4時ちょっと過ぎた頃に、公民館から出てくる。
ここで待っていても、いずれは移動しなければならない。
かと言って、自宅の前でじっと待つのも性分に合わない。
ならば……。
「しゃーねえ、出待ちすっか……っ!」
懐に懐中時計をしまい込みながら、エッジは自家用艇から飛び降りた。
(暑いから、今日は西だな!)
時間潰しも兼ねて、集落の西沿いを歩いて公民館に向かう。
そして、そこの裏手にある森の木陰で、リディアの帰りを待つことに決めた。
§
部外者にもかかわらず、8年近くもミストに通い続けていたら。
この村の地理に、まあまあ明るくもなる。
(こんなくそ暑い時間から外に出る奴、そうそういねえよな)
本日選んだ西沿いの経路は、他に比べて日陰が多いが、暑いものは暑い。
そのせいか、ここまで誰ひとり住民と顔を合わせていない。
経路を進んでいると、五軒ほど連なる民家が見えてきた。
それを西沿い経路の中間地点の目印にしており、次々と民家を通り過ぎる。
そして、四軒目の民家を通り過ぎようとしたところで、思わず立ち止まってしまった。
「……?」
五軒目の民家の玄関口の前で、長袖の男性——ミゼルが棒のように立っている。
(何してんだ、あいつ)
日差しを遮るものは何もない。
あの男はこんなくそ暑いところで、誰に待たされているのやら。
ちなみに、エッジはリディアとミゼル以外の住民が、どこに住んでいるのかは知らない。
しばらく様子を見ていたが、格好が格好なので、ミゼルはいつ倒れてもおかしくない。
声をかけようとエッジが歩き出した、その時。
ぎいと扉が開き、中から仏頂面を掲げた中年の男性が現れた。
「……今年分だ」
「あぁ、いつもいつもすみません」
(確かキロンって奴だ)
男性——キロンが、不機嫌そうな声で白封筒をぞんざいに差し出した。
ミゼルが腰を折ってそれを受け取る。
すると、キロンがさげすんだような目でミゼルを見下ろしながら、両腕を組んだ。
(どっちが村長だか、わかんねえ……)
村長でない者が、まるで村長かのようにくそ偉そうな態度をとっている。
一方、当の村長は、貴族から施しを受ける物乞いのような低姿勢ぶり。
立場逆転の構図を目にして、エッジはふと思いついた。
(あいつらが何やってんのか何しゃべってんのか、オレには全部筒抜けだしな!)
これは、リディアが終生過ごす予定のミストを、更に詳しく知るいい機会かもしれない。
気分の悪い場面でも、このまま様子を眺めることに決めた。
「毎年毎年、何の益も得られぬ上に、遅くまで大騒ぎなどやりおって……! みながあの世で悲しんでおるわ」
「年に一度くらいお許し下さい。何の楽しみもないようでは、みんなミストから去ってしまいます。せっかくここに納めてくれた分を少しでも還元してあげたいんです」
会話を聞く限り、白封筒の中には花火大会の予算が入ったお金が入っていると思われる。
「出て行ってもらって結構だ。召喚術はおろか黒魔法も使えぬ役立たずが増えても困るからな」
「そのための黒魔法講座なんですよ。リディアも召喚士のたまごを育ててくれています」
「……無駄なことを。7年経っても、チョコボを喚べる者すら出てこんではないか。しょせんミストの血を引かぬ者が召喚士になどなれる訳がないのだ」
ミストの火災では、リディア以外の子どもが全員亡くなったと聞いている。
現在、村で暮らしている子どもたちは、全員移民の子どもである。
(こいつ、授業見たことねえだろ! 先生も生徒も一生懸命やってるぞ!?)
キロンは、ミストの血を引かぬ者——移民は人以下と言いたげ。
しかも、生徒が移民の子どもしかいない。
そんな理由から、黒魔法講座をも否定しているように聞こえる。
「まだ7年ですよ。中級黒魔法を使える子も現れました。あともう少しです」
「召喚術を使える者が現れたとしても、それがよそ者なら、わしらは召喚士とは認めんぞ」
「そんな……」
(くだらね。時代遅れも甚だしいぜ!)
キロンをはじめとした年配の先住民、いわゆる保守系先住民は移民を嫌っている。
リディアからそんな話を聞いたことがあったが、ここまでひどいと思わなかった。
「全く、リディアにも困ったものだ。よそ者に術の指導する時間があるな……!?」
(やべっ!)
文句をぐちぐち垂れていたキロンが、ふいにこちらを向いて、目が合ってしまった。
おまえがどうしてここにいる。そこで何を見ている。
そう思ったのか、キロンが言葉を切るとこちらをぎろりとにらんできた。
エッジは召喚士でもないし、よそ者である。
そんな男がリディアと親しいのだから、にらんでくるのも当然か。
「あの、どうかしましたか?」
「何でもない。それでやりくりしろ」
「はい、今後も……」
ばたん!!
キロンが吐き捨てるような言葉を残すと。
ミゼルの挨拶が終わらぬうちに、強く扉を閉めてしまった。
(なんだあいつ!!)
もしかしたら自分と目が合ったせいで、あんな応対になったのかもしれない。
ミゼルに、ほんの少し申し訳なさを感じる。
そして、何とも胸糞悪い態度を見せたキロンに、どうしようもなく腹が立った。
「……よろしくお願いします」
キロンの姿はもうないというのに、ミゼルが律儀に一礼と挨拶を残した。
それから、白封筒を懐に納めながら玄関口に背を向けると、キロンの自宅から離れた。
「はあ……」
ところが、ミゼルが数歩進んだところで、その場にうずくまってしまった。
気が抜けたのか。暑さにやられたのか。それとも、そのどちらでもあるのか。
「おい、大丈夫か」
「!?」
エッジが駆け寄ってミゼルの肩を叩く。
すると、ミゼルが身体を一瞬びくりとさせてから、ゆるゆる顔を上げた。
「あぁ……久しぶり……」
「んなこと言ってる場合じゃねえだろ」
「大丈夫だよ……今日も……ほんと暑いね……」
「こんなくそ暑い時間に出歩きやがって。おまえ、干からびて死にてえのかよ」
ミゼルがへらへらと笑みを浮かべているが、声はひどく弱々しい。
そんな暑苦しい格好だから、暑さに余計やられるとは、もちろん言わない。
この男は、そうせざるを得ない事情があるから仕方がない。
「忠告……ありがとう。今の時間じゃないと、だめだったから……」
「おい」
「それじゃ……」
ミゼルがおもむろに立ち上がると、エッジに手を振りながら、その場から去っていった。
……仕事場でもある、公民館がある方に向かって。
(なんだ、同じ方向じゃねえか)
どうやら仕事の途中で、公民館から抜け出してきたらしい。
エッジも同じ目的地。仕方なく、ミゼルの後をつかず離れずの距離で歩き始めた。
§
「……どうしてついてくるの?」
突然、先を歩いていたミゼルが立ち止まった。
エッジも彼に追い付いたところで、足を止める。
やはり暑いのか、ミゼルの声は普段に比べて弱々しい。
「オレもそっちに用があんの」
「あぁ……お姫さまのお出迎えか……」
「るっせえ」
お互いに軽口を叩き合い、肩を並べてまた歩き始める。
ミゼルと初めて会ったのは、リディアが帰郷する前にミストを訪れた時だった。
それから約8年が過ぎて、エッジは彼にまあまあ高い信頼を寄せるようになっていた。
なぜなら、ミストの村長であるミゼルと彼の妻のおかげで。
リディアはさしたる不満もなく、ミストで暮らすことが出来ているから。
「出迎えなら、ばらの花束抱えてなきゃだめじゃん……」
「あいつの好みは、ばらよかラベンダーだ」
「ははっ……そこまでわかってるのに、手ぶらで来たんだ……!」
ここの住民には、とうの前からエッジがリディアのことが好きだと気付かれている。
今、隣で歩いている、ミゼルもそのひとり。
この男は、リディアの兄のような存在でもあるが、エッジは邪険にされたことがない。
(なんでリヴァイアサンは、ああなんだ……?)
危ういレベルで娘を溺愛する、リディアの父親代わりをつとめる幻獣の王を思い出した。
ミゼルが彼と同じ性格なら、エッジは今頃ミストに出入り禁止にされていただろう。
「そういえば、今年もまたツクヨミさんが来てくれるんだってね」
「ああ。ミストが気に入ったんだとさ」
エッジはこの月に入ってすぐ、ミゼルに伝書鳩で通信文を送っていた。
『花火大会に、ツクヨミを連れて行く』……たった、それだけだが。
その日だけは、部下——ザンゲツに、『ツクヨミ』を演じさせるつもりでいる。
「そ、そんなこと言ってくれてるの!? 嬉しいなあー!」
「今年も連れてってくれって直訴されたら、言うこと聞いてやらねえとなあ」
エッジ自身の本音と嘘を混ぜ込んで話してから、ちらりと隣に視線を移した。
ミゼルが諸手を挙げて喜んでいる。
騙している自覚はあるが、罪悪感は一切ない。
将来的に『ツクヨミ』として、リディアやミストと関わり続けるつもりでいる。
エッジはそのためなら、殺傷や戦争戦闘以外、手段を選ばないのだ。
§
「……もしかして、さっきのずっと見てた?」
少しの間、雑談を交わしてから、しばらく無言で歩いていると。
突然ミゼルがばつが悪そうな表情で、エッジに話しかけてきた。
「ああ。偶然通りかかってな」
「参ったなぁ、きみじゃなかったらごまかせたのに……」
ミゼルが大きくため息をつきながら、がっくり肩を落とした。
よほどあの場面を見られたくなかったらしい。
ミゼルもリディア並みかそれ以上に、エブラーナや忍者のことに詳しい。
エッジの簡易な答えひとつで、会話を全て聞かれたとわかったようだ。
「花火やる度に、ああやってあいつに頭へこへこ下げてんのか」
「村でお金が入り用な時は、いつもあんな感じだよ」
「はあ?」
「……あの人は昔からミストの金庫番で、今もお金の管理だけ頼んでるんだ」
「何もあんな横柄な奴に任せなくてもいいじゃねえか。管理出来る奴、他にもいるだろ」
上の者が仕事を全て抱えるよりも、ある程度は部下や他人に任せた方がいい。
だから、ミゼルが他人に金の管理を任せるのはわかるのだ。
わかるのだが……人選を間違っていないだろうか?
「させてあげないと、すねちゃうんだよ」
「はっ、じじいがガキの真似か。だっせえな」
「餌を与えて、時々ああやってガス抜きさせてあげないと、いつ死ぬかわからないから」
「……何だと?」
「あの人の得意魔法、サンダガなんだ。——月終わりは絶好のチャンスだと思わない?」
(おいおい……)
自分はキロンに命を狙われている。
不穏なことを軽い口調でほのめかしたミゼルに、開いた口が塞がらない。
「……村長になれなかっただけで、そんなことすんのか」
「ぼくらが生まれる少し前まで、ミストはものすごく物騒だった。あの人は、それを見て育った世代だから油断出来ない」
ミゼルが何を言いたいのか、エッジはすぐに察した。
—— —— ——
過去のミストでは、黒魔法が反乱や不穏分子の排除だけでなく、政争の道具にも利用されていた。
黒魔法や忍術は使い方を誤れば、人を殺傷出来る危険なものになってしまう。
工夫を重ねれば、証拠が残らない傷害や殺人も出来てしまう。
—— —— ——
ミゼルは、リディアが生まれる前から、リディアの父と一緒に脱走者の手助けをしていた。
以前エッジは、リディアからそんな話を聞いたことがある。
仮に、物騒な時代のミストなら、ミゼルたちは反逆分子として始末されていただろう。
「……リディアさんには、全て内緒で頼むよ」
「ああ、わかってる」
「ありがとう。察しがよくて助かる」
—— —— ——
リディアは現在、世界でひとりしかいない召喚士である。
おまけに、両親共々召喚士で純血ときたら、ミストでは尊ばれる存在だ。
例え本人が望まなくても、ミストの中ではリディアには嫌でも権力がつきまとう。
リディアがその気になれば、たった一喝でキロンを黙らせることぐらい余裕だろう。
ミゼルはそれをわかっていながら、リディアを極力一住民として扱っている。
黒魔法や召喚士の育成に関すること以外では、リディアをあまり頼ろうとしない。
—— —— ——
エッジはそれを知っていたおかげで、口止めされることに抵抗はなかった。
「けどよ。他の奴らがあんなの見たらリディアにチクるぞ? ジャンヌにも」
「——ジャンヌさんが知ってたら、今頃ぼくは墓の下だよ」
「っ、ははっ……」
ミゼルに惚れ込み、気性が激しいジャンヌがあんな場面を見ようもんなら。
怒り狂ってキロンに殴りかかる姿しか想像できない。
「通り過ぎるだけなら、きみじゃなきゃ会話までは聞かれないからね」
「ってことは、オレ以外、誰も知らねえってことか」
「うん」
リディアやジャンヌを含めて、他の住民にこの事実を知られないように。
謎の落雷死を装われるのを防ぐために。
ミゼルは、人通りの多くない時間帯を狙って、キロンの元を訪れているようだ。
「おまえ、魔法使えねえんだっけ?」
「うん、ゼロだからね」
「……ああ」
ゼロ——リディアから聞いていたが、すっかり忘れていた。
キロンにとって、ミゼルは対極の思想を持つ生意気な若者だけではない。
魔法が使えないゼロは、移民と同じぐらいに人以下の存在。
だから、キロンはミゼルにああもさげすんだ態度を取っていた。
おそらく火災が起こる前から、ずっとあんな感じだったのだ。
「同情はいらないよ」
「するか」
「ゼロって、神さまに選ばれた気がして、時々優越感に浸れるんだよね」
(嘘つけ。あんな扱いされて何が優越感だ!)
どこか楽しそうに話すミゼルに、エッジは心の中で叫んだ。
単に強がっているだけではないか。
落雷で死ぬかもしれないと、口にしたばかりではないか。
先ほどの会話を見たせいのもあって、エッジはそう思えて仕方がない。
—— —— ——
知性は、精神などと並んで先天的な体質である。
黒魔法や召喚術、一部の忍術を使うために決して欠かせない。
知性が高いほど、より高度で強力なものを使いこなせる。
知性が1でもあれば、本人のやる気と努力という前提があるが。
修行で知性を高めて、ある程度の魔法や術を使えるようになる。
そんな中、生まれつき知性が0な特異体質の者も少なくない。
彼らはゼロ、ないしは知性ゼロと呼ばれている。
ゼロは精神依存の白魔法を除いて、特殊な能力を一生使うことが出来ない。
ゼロの出生条件は、神のみぞ知るところ。言うなれば不明である。
先祖代々の血筋や、両親の能力関係なく突然生まれてくるので予想がつかない。
エブラーナの王族にも、過去にゼロだと思われる者がいたことが記録に残っている。
両親ふたりともがゼロでも、知性を持った子どもが生まれてくることも確認されている。
—— —— ——
ダムシアンやファブールなど、知性に依存しない国で生まれたら、ゼロでも問題はない。
しかし、過去のミストは召喚術や黒魔法に依存する村だった。
当時その体質を持つ者は、相当生きづらかったはずだ。
「魔法が使えねえ奴のために、アイテムがあんだよ」
「えっ」
「光のカーテン肌身離さず身に付けときゃ、サンダガなんかちょろいもんだ」
光のカーテンは白魔法リフレクの効果を持つアイテムである。
仮にサンダガを打たれても、鏡のように相手に跳ね返してしまう。
「っ、ははっ!」
「どうした」
「あれは非売品じゃないか!? それゲットするために、ぼくに死ねって言いたいの!?」
光のカーテンの入手方法を知っていたようで、ミゼルが大笑いしている。
(えれえ詳しいな)
月やバブイルの塔に現れる特定のモンスターを倒した時に、落とすことがある。
もしくは、そのモンスターから直接盗む。
光のカーテンの入手方法はそれぐらいしかない。
もちろん、アイテム屋では一切取り扱って……。
「幻獣界のアイテム屋に売ってるぞ」
「え!? それ本当!?」
「ああ。さすがにちょっと値が張るがな」
「それなら……!」
「リディアが今度あっち帰った時に買ってきてもらえ。おまえなら理由なんてどうとでも考えつくだろ」
寝込みを襲われないよう、毎日使用するのは正直もったいない。
それでも、お守り代わりに持っておくには越したことはない。
「あ、ありがとう……! エドワードくんっ!」
「おい、やめろって!」
朗報とばかりに、晴れやかな表情に戻ったミゼルに。
身体をつかまれると、がしがし揺さぶられて大声を上げた。
「ただでさえ暑いのに、暑っ苦しいことすんじゃねえよ!」
「やっぱり、持つべきものは友だぁ!」
黒眼鏡で顔が半分隠れていても、今のミゼルがにっこにこしているとすぐにわかった。
「……オレがいつてめえのダチになったんだ」
この男はやたらエッジに馴れ馴れしく、調子を狂わされることが多い。
どう反応していいのかわからずぶっきらぼうに答えるしかなかった。
「こっちの話だよ。それじゃあ、お姫様のお出迎えがんばってちょうだい」
軽い足取りで公民館に入っていくミゼルを、エッジは醒めた目で見送ってやった。
ミゼルにそうやすやすと死なれては、リディアが困ってしまう。
だから助言したやっただけなのに、よくもまあ、あんなに喜べるものだ。
「……ダチねえ」
エッジは立場上、エブラーナには友人がいない。
国外でも親友や友人と呼べる者は、ゼロムスの戦いで共に死線を潜り抜けたセシルたち。
そして、彼の同志であるシドやギルバートやヤンたちぐらいしかいない。
ミゼルから、自分でも忘れがちな本名で呼ばれても、馴れ馴れしく友人扱いされても。
それがどうした、勝手に友人面しやがってとしか思えない。
……はずだったのに。
(城に置いてある光のカーテン、3つぐらい今度持ってきてやるか)
昔からここに通っているうちに、わずかながらも情が移ったのだろうか?
ミゼルの浮かれっぷりを目の当たりにして、悪い気がしない自分もいたのだ。
——午後6時 少し前
いつもより早く夕食をとり、片付けも先ほど終わったばかり。
「それじゃあ、読みますかぁ」
リディアが寝室から紙の束を運んできた。
ばさりとそれらを居間机の上に置いてから、エッジの正面に座る。
紙の束の正体は、夕食の準備中にミゼルが届けてくれた本日付の主要5カ国の新聞だ。
—— —— ——
リディアは、人生の半分を幻獣界で過ごしてきたおかげで、世間慣れしていない。
2年前に、エッジが『温室育ち』と揶揄したことがきっかけで。
リディアはミゼルに新聞を、アリサから書物を借りて、読む習慣を始めるようになった。
—— —— ——
更なる『立派な女性』を目指して、温室からの脱走を図るため。
リディアなりに世情を知り、知識を仕入れようと日々鋭意努力しているようだが……。
「寝る前か明日でいいだろ。新聞は逃げねえぞ?」
「今のうちに、出来るだけ読まなきゃだめなの」
「なんで」
「えっ、新聞は逃げないけど、エッジが逃げちゃうから」
リディアが積まれている新聞のうちひとつを手に取り、机に広げた。
(毎度のことながら、めっちゃアテにされてんな……)
リディアは、エッジのことを知識の宝庫か、歩く辞書だと思っている節が見られる。
わからないことがあれば、何でも教えてくれると期待しているようだ。
それでも、エッジはこの新聞読みの時間が嫌いではなかった。
なぜなら、リディアの顔を見ることが出来るから。
……麦わら帽子に隠れて、上半分くらい見えないけれど。
「そーだ。あと1時間でオレはとんずらだ」
「……ごめんね。伝言送ればよかった」
「いちいち謝んな。ほら、とんずらされる前にさっさと読んじまえ」
「うん」
エッジは机に頬杖をつき、リディアに軽く手を振ってやった。
§
リディアは室内にもかかわらず、麦わら帽子をかぶったまま、紙面に目を通している。
時折ばさばさっと紙をめくる音が立つぐらいで、室内は静寂に包まれている。
エッジは、リディアといる間の沈黙は全然気にならない。
例え顔を拝めなくても、そばでリディアを眺めているだけで。
リディアと同じ空間にいるだけで満たされるからだ。
(しかし、相変わらず早ええな……)
リディアはエッジのように、端から端まで新聞を読まない。
戦友が関わっていそうな話題、やたら目立つ見出し、ご当地甘味の話題……。
これ以外の記事は、ほとんど切り捨てて次から次へと移って行く。
(ま、新聞に見向きもしないことを考えたら、全然いいわな)
そんな偏った読み方でも、エッジは一度もリディアに注意したことはなかった。
ふいに壁掛けの時計に視線を移すと、午後6時を回ったばかり。
エッジは苦々しい表情で、ちっと舌打ちをした。
「どうしたの?」
「……別に」
リディアの前では平静を装ったが、心の中では思いっきり本音を叫んでいた。
(なんで、今日に限って寄合なんだよ……!)
お出迎え直後、リディアから真っ先に、「ごめんね。今日は寄合があるの」と言われた。
もちろん、がっかりしない訳がない。
月2回行われる住民たちの寄合が、夜の7時から公民館で行われる。
その前にリディアの友人ふたりが、リディアを迎えにここに来たら。
いつもより1時間も早くお別れせねばならない。
いずれ、こうしてふたりで時間を過ごすこともなくなる。
来たからには出来るだけ長く、リディアと一緒にいたかったのに。
(昼間は胸糞悪いもん見ちまうし、ツキがなさすぎる……!)
ミストの寄合は、毎月10日と20日と開催日が固定されている。
そして、本日は20日……。
寄合がある日に、ミストにやってきた自分が悪いのに。
エッジはそれを棚上げして、自身の運の無さを呪い続けていたのであった。
§
「……先生欲しいなあ」
今度は紙をめくる音ではなく、リディアの独り言で室内の静寂が途切れた。
夜の訪問直後、地声が出せず沈黙を貫くエッジに嫌悪感を露わにする。
それぐらいには、リディアは沈黙が好きではない。
こうして突然、雑談に切り替わることもしばしばであった。
「そろそろきついか」
「今はまだ大丈夫だけど、オリバがチョコボ喚べるかもしれなくて……」
「なんだよ。あいつがたまご1号か」
「あの子なら、他の幻獣とも仲良しになれると思うよ」
「へえ、あの生意気なガキんちょがね……」
「お母さん譲りだね」
オリバはアリサの長男で、悪ガキと呼ばれる部類に入る。
エッジを見る度、遊べ遊べと広場に拉致しようとするわ。
リディアと早く付き合え、嫁にしろと、ど直球にせっついてくるぐらいだ。
(でもなあ……)
昼間、キロンのが口にしていた言葉を思い出した。
『召喚術を使える者が現れたとしても、それがよそ者なら、わしらは召喚士とは認めんぞ』
なお、ミゼルに口止めされたのでリディアには話さない。
ミストの現状では、このままオリバが召喚士のたまごになれたとしても。
キロンたち保守系先住民のせいで、召喚士としての未来は暗いかもしれない。
「他にもそういう子がちらほらいるの。そろそろ手伝ってくれる人が欲しいんだけど……」
「ここの年寄りは、全然アテにならねえしな」
「困った人たちだよ。魔法が使いたくても使えない人だっているのに……」
リディアの沈んだ声を聞いて、こちらの胸まで締め付けられそうになる。
リディアの不幸は、まるで自分の不幸とばかりに。
—— —— ——
リディアはごくごくたまに、『先生欲しいなあ』と口にする。
ミストの子どもが増える一方で、講師がひとりではいずれ授業を回せなくなる。
黒魔法講座の指導者不足を憂うそれは、リディア唯一の悩みと言ってもいいだろう。
リディアの他に、ミストで黒魔法を指導出来る者が誰もいない訳ではない。
キロンをはじめに昔からミストで暮らす年配層、いわゆる保守系先住民の中に数人いる。
リディアは3年前、1回目の花火大会が終わった後に、彼らの自宅を回って協力を仰いだ。
ところが、『よそ者に魔法を教えたくない』を理由に、全員に断られた。
更に、リディアにこうお説教する者がいたという。
『むしろ、おまえが講師を辞めるべきだ。ミゼルの言いなりになるな。おまえはあいつに騙されておる』
自分の教え子たちをよそ者とさげすまれた。
更には、身内同然のミゼルを悪人のように言われた。
リディアは不親切な保守派先住民に怒って、彼らをアテにするのを辞めた。
保守系先住民はミゼルに非協力な態度をとり、ミストでのうのうと暮らしている。
一方で、昔からミストで暮らす若者——改革派先住民や移民はミゼルの支持者。
もちろん、みんな村の各種行事や業務に積極的に協力している。
ただ、ミゼルの支持者には、リディア以外に黒魔法の指導者をつとめられる者がいない。
要は魔法が使えないか、指導出来るほどの黒魔法を習得していない者ばかり……。
—— —— ——
(なんとかしてやりてえけど、さすがに黒魔法はなあ)
忍者の国エブラーナは、黒魔法と全く縁がない。
リディアの望む、黒魔法の講師を派遣するようなことは出来ない。
役に立てないとは、無力すぎる。
……エッジがそう感じていると、頭の中にある考えがぱっとひらめいた。
「くくっ……」
ついつい底意地の悪い笑みをもらしてしまった。
我ながら、素晴らしいことを思いついたものである。
—— —— ——
ミシディアに工作員(お城勤)を派遣して、最高指導者ミンウをそそのかしたらいいのだ。
黒魔法の普及事業を始めてはどうか、と。
白魔法のそれは、昨春からバロンとミシディアの共同事業として運用が始まっている。
黒魔法のそれを始めても、何も問題はないはず。
そうすれば、講師が一時的でも増えるわ、リディアが講師不足で悩むこともなくなるわ。
召喚士のたまごも誕生し、リディアは大喜び……言うことなしではないか。
—— —— ——
「どうしたの? 急に笑うなんて怖すぎ……」
「いや? ま、あんま気にすんな。そのうち何とかなるって」
エッジは『何とかなる』と口にしたが、正しくは『何とかしてやる』である。
工作員の派遣を勘付かれないように、ここで本音は口にはしない。
「……」
「どうした?」
「っ……! あはははっ!」
しばし無反応だったリディアが、ぷっと吹き出した。
そう思ったら、突然上体を反らしてまで大笑いを始めた。
何もおもしろいことを口にしたつもりはないのだが。
「急にばか笑いしやがって、おまえの方が怖ええわ」
「うんうん。ほんと、なんとかなる……。実はね、ひとりアテがあるの」
「なんだよ、魔法使える奴いたのか」
「ここの人じゃないの。ミストから逃げた人」
「あ、そっちな……」
講師候補は、ミスト生まれのエライアという名の女性。
リディアよりも少し年上で、中級黒魔法まで習得済、更にはブリザガを使える。
指導者にもってこいの人物だとリディアが話す。
—— —— ——
火災が起こる3年前。
エライアは、両親から嫌いな男性と結婚するように迫られた。
それが嫌で、ミゼルの手引きでミストから脱走したが、そのまま行方知れずとなっていた。
ちなみに、エライアの身内や関係者は、3年後の火災で全員亡くなっている。
エライアの行方を見つけたのは、ミゼルだった。
彼は黒魔法講座が始まった直後から、講師不足を懸念していた。
ミゼルの手引きで、ミストから脱走かつ黒魔法に長けていた者は、エライアぐらい。
妻以外の者には内緒で、ミスト外で暮らす脱走者のツテを頼って、彼女の行方を探し続けた。
その結果、1週間前にバロンで暮らしていることがようやく判明したという。
—— —— ——
リディアが終始嬉しそうな表情で経緯を話してくれた。
「明後日ね、おばちゃんと一緒にその人に会いに行くの」
「話通してあんのかよ」
「バロンから通勤でよければって、お手紙もらってる」
「へえ、そっちで結婚したのか」
「授業が終わってからバロンに帰っても、夕食の準備には間に合うし。お昼ごはんと交通費は、こっちが負担することになってるの。昔からいる人たちに戻ってきたことを知られたくなかったら、偽名を使っても変装してもいいし、眼鏡とかつら代ぐらいならおじちゃんが出すって」
(裏切り者って罵られるのが目に見えるから、近寄りたくねえよな)
話を聞く限り、エライアという女性は、保守派先住民と接触したくないようだ。
これまで行方不明扱いになっていたようだが。
連絡を断つなどして、自ら足がつかないようにしていたのかもしれない。
「まあ、そこまで配慮するなら大丈夫だろ」
「もし、その人が来てくれても、もっと欲しいんだよねえ」
「言ってるうちに、ガキどもの中からなりてえ奴が出てくるさ」
「……わかってるけど。たまに『学習』がうらやましくなっちゃうの」
「そっちは、おまえでも手伝い出来るからな。ミストの大人はみんな先生になれちまうぜ」
「もう! 失礼なこと言わないでちょうだいっ!」
ちょっとからかってあげたら、リディアがぷうと頬を膨らませてしまった。
—— —— ——
『学習』とは、ミストの子どもが基礎学力をつける学習時間のこと。
先生役の大人が分担して、子どもたちに少人数指導を行っている。
学がある大人なら、誰でも先生役になれる。
『学習』は、午前の部と午後の部に分かれており、午前は全員参加。
そして、午後は自由参加となっている。
ゼロで黒魔法講座を受けられない子ども、魔法に依存しない生き方を選んだ子ども。
そして、将来のために魔法より勉学を優先したい子どもが午後の部の主な生徒だ。
—— —— ——
『学習』の先生役は、リディアのような非常勤やボランティアも含めると、15人は超える。
リディアがうらやむのも仕方がない。
「それよか、早く読まねえとアリサたち来ちまうぞ」
「ああっ……!」
リディアが慌てて新聞を持ち上げると、紙面で顔を隠すように記事に目を通し始めた。
(『学習』ほどの人数は無理だが……先生の数、もうちょい増やしてやりてえな)
その一方で、エッジは先ほど思いついた工作活動について思案を巡らし始める。
—— —— ——
ミシディア内で噂を流す、ミンウにお近付きになり、本人に耳打ちする……。
工作員——お城勤なら、ミンウが事業開始を決意するような流れを余裕で作れる。
風向きが悪そうなら、各地にばら撒いた諜報に号令をかける。
そして、各地で黒魔法普及運動の世論を作らせたらいい。
洗脳や脅しで仕向ける訳ではないし、これぐらい別に構わないだろう。
エッジ自らミンウに直談判するのは、最後の切り札に残しておくことにする。
—— —— ——
エブラーナが、ミストを除いた世界各地に諜報をばら撒き、情報収集や工作活動している。
そのことをリディアをはじめとした戦友は、誰ひとりとして知らない。
いくら気心知れた友人でも、国家の機密事項をばらす訳には行かない。
「ねえ」
「なんだよ」
「……次って、花火の日に来るの?」
(花火って15日だろ? ほぼ1ヶ月空いちまうじゃねえか……)
持ち上げた紙面の向こう側から、リディアが質問してきた。
来る回数を減らしていると言っても、現段階でそのスパンはエッジもきつい。
「その前に顔出せると思うぞ?」
「月変わってすぐ? その前?」
「月明けすぐだな」
「ふーん……」
昼間は、夜の関係のことについては互いに一切触れない。
毎月最後の夜に、この家でヤるのはもはや暗黙の了解となっていた。
「——ねえ!」
リディアが突然手にしていた新聞を、机に叩きつけるように置いた。
「どうした」
「エッジ……」
深刻そうな声でエッジの名を呼び、にゅうと机から身を乗り出してきた。
もちろん、帽子を前のめりにかぶり、うつむいたまま。
—— —— ——
リディアがエッジの顔を見ることが出来なくなって、2年が過ぎた。
右手と違って、こちらは全く改善される様子がない。
この2年の間で、リディアの身体はエッジの顔を見ぬよう自然と動くようになった。
経過確認のために、わざと顔をのぞく。
今はその時以外で、うっかり顔を見てしまうこともなくなっている。
—— —— ——
「なんだよ、急に改まって」
「……最近ミストにくるの、しんどくない?」
「はあ?」
「だって、これ見てよ」
リディアが指をさしたのは、『元気なあなたにも、突然死は忍び寄る』という見出し……。
エッジも今朝、この記事を読んだ。
そうでなくても、突然死の概要を把握している。
—— —— ——
何の前触れもない病死、いわゆる急死のことを、今のご時世では突然死と呼んでいる。
近年はこの見出し通り、働き盛りの人を突然襲うことが増えている。
そのため、以前から度々こうして新聞記事に取り上げられていた。
—— —— ——
(わかりやすい奴だな……)
リディアがこの見出しを見て、『しんどくない?』と聞いてきたのは明白である。
「おまえにゃ、オレが突然死するように見えんのか」
「顔以外は全然見えない」
「ならいい」
「——過労が原因って、前にも書いてあったもん」
「……」
「エッジ、だんだん忙しくなってきてるじゃない? だから、心配になったの」
言葉通り、心配そうな声で話すリディアに、嬉しさがこみ上げてくる。
同時に、胸がつきりと痛くなる。
現実に公務が増えに増えて多忙なら、素直に喜べたのに。
—— —— ——
1年前のある出来事がきっかけとなり、エッジはリディアとの関係を断つことにした。
その上で、長期的な計画を立てた。
……『エッジ』がいない日常に、リディアを少しずつ慣れさせなければならない、と。
まず手始めとして、昨年の12の月はリディアの前に一度も姿を現さなかった。
更に新しい年が始まってから、ミストにやってくるペースを減らした。
以前は、月に4、5回だったが、現在は月に3回程度だ。
理由は公務の多忙。もちろん、真っ赤な嘘である。
ただし、月終わりの夜の訪問や、幻獣界への里帰りの送迎は以前のまま。
—— —— ——
時期が訪れたら、身体の関係をばっさり切るし、ミストにも現れない。
その後も幻獣界の送迎を続けるか辞めるか、それだけはまだ決めかねていた。
「まさか、おまえがオレを労ってくれる」
「——40歳に近付くと危ないんだって。エッジももうすぐ40だしね」
「!?」
リディアの何気ない一言に、エッジは頭をがんと殴られたかのような衝撃を受けた。
(まだ35だ!!)
どうして、こうも余計な一言が多いのか。
エッジの3大地雷要素でもある、年齢に触れられてしまい。
身体を気遣われた喜びが、一瞬にして台無しだ。
例えリディアでも、おいそれと許せるものではない。
それでも、エッジは怒りをぐっと我慢した。
多忙と嘘をついているこの自分が、リディアに地雷を踏まさせたのだから。
「それでも、オレは死にませぇーん。大丈夫ですぅー」
「……突然、そんなことになったらどうするの」
「ならねえよ」
「エブラーナのみんなが悲しんじゃうよ……自分たちは何も手伝えなかったって……」
エッジはよい国王。
リディアはそう思い込んでいるのもあって、エッジが日々公務に追われている。
本気でそう騙されてくれている。
(おまえは、オレのこと買いかぶりすぎなんだよ……)
エッジは高い愛国心を持っていると自負している。
けれど、初代国王のそれには到底及ばないとも思っている。
なぜなら、こうして度々好きな女の家に押しかけている。
しかも、リディアのことで何のためらいもなく職権乱用しているから。
「そいつ、最後まで読んでみろ」
「え?」
エッジに言われるがまま、リディアが記事をのぞき込む。
しばらくしてから、「……あ、ストレスかあ」と、つぶやくような声が聞こえてきた。
どうやら、エッジが突然死を回避出来ると納得したようである。
「2連続短眠すりゃ睡眠と休養は余裕で取れる。毎日修行もしてるしな」
「それは知ってるよ」
「メシもしっかりしたもん食わせてもらってるぜ」
「国王さまだからね」
「毎日、健康診断も受けてるぞ」
「え、毎日!?」
「国王さまだからな」
リディアがとても驚いているが、こればかりは仕方がない。
立場上、突然何かあるといけないので、毎日侍医による診察は避けられない。
もっとも、毎日、『なんもねえよ』と口頭で済ませておしまいだが……。
「そんで、残りはストレス解消。気分転換だ」
「息抜きしないとストレス溜めちゃうって、ずーっと言ってるもんね」
「だろ? だから、オレはそんなことにはならねえの」
ミストにやってきて、リディアに会いにくる理由は、多忙な公務の気分転換である。
当初から変わらないそれは、あくまでも表向き。最大の理由ではない。
何よりもリディアの顔を見たいから、ここに来ている。
見ないと、逆にストレスが溜まって仕方がない。
もし、エッジが突然死するなら、そのストレスが原因だろう。
「ふふっ、ライザが聞いたら気分転換多いって怒っちゃうよ」
「……あいつの旦那も、よその野郎にきゃーきゃーうっせー奴とよく結婚出来たな」
「それはアリサ。わたしが言ってるのはライザだよ」
「あ、そっちか。悪りぃ」
リディアにやんわり注意されて謝ったが、罪悪感はない。
—— —— ——
リディアと、とても仲がいいアリサとライザは、エッジの中ではふたりで1セット。
実質、口うるさいアリサのことである。
長男もやたら目立つので、母子共々嫌でも印象に強く残ってしまう。
一方、ライザはアリサと正反対でおしとやか。
それはいいが、印象が薄すぎてエッジの中ではおまけ扱い……。
—— —— ——
「アリサは、ギルバートの追っ掛け続けてもいいって言われたから、ラルフさんと結婚してあげたの」
「……へえ」
「今月はね、合計3回もギルバートの演奏会に行くんだよ?」
「……そうか」
(『あげた』って、何なんだよ!? 旦那もなんで、そんな女と結婚したんだよ……!)
適当に相づちを打ちながら、リディアが話すアリサのエピソードを聞き続けた。
しかし、心の中ではアリサとその夫共々、なぜ結婚したのか理解に苦しんでいた。
「でもね。ライザは夜遊びもお出かけも出来なくて……バロンでやってるギルバートの演奏会だけ、どうしてもって頭下げて許してもらったんだよ」
「……年1??」
「そうなの。他の奥さんは、だいたい年3回や4回ぐらい遊びに行ってるのに少なすぎる……」
「他の主婦うらやましくてたまんねえな」
「それがねぇ、ライザもやっと夏のお留守番許してもらえたの!」
「ってことは、ふたりともお泊まりか」
ミスト夏恒例の帰省期間まで、あと1週間に迫った。
毎年7の月終わりの3日間、移民は家族を連れて実家に帰る。
しかし、8年近くも経てばこちらが実家とばかりに、ミストで過ごす家庭も増えてきた。
アリサは、数年前から家族だけ実家に帰して、ひとり優雅なお留守番を過ごしている。
今年は、リディアの自宅に泊まりにくると前から聞いていた。
そこにライザが入るなら、リディアも更に嬉しくてたまらないだろう。
「そうなの。これから夏は、誰かのおうちでお泊まり出来ちゃう。すごく楽しみだよ」
「そうか、よかったじゃねえか」
リディアの嬉しそうな声を聞くだけで。
リディアの幸せは自分の幸せとばかりに、エッジも同調して喜んでしまう。
—— —— ——
昨年末のクリスマスをきっかけに、リディアは他人と一緒に夕食を共にする機会が増えた。
他人と言っても、ミゼルとジャンヌだけ。リディアの自宅と彼らの自宅の往復だ。
それでも、それすらなかった時期を考えると、かなり成長したと思う。
—— —— ——
(ギルバートのアレは、30日だったな)
リディアの幸せを喜ぶ一方で、エッジは不安も抱えている。
……愚か者どもが、バロンの町を歩くリディアを付け狙うかもしれない。
エッジからしてみれば、彼らは凶悪な存在である。
リディアは、明後日もバロンに行くらしいが、その日はジャンヌが同伴だからいい。
あの女は、そこそこ腕が立つので護衛にはもってこいだ。
しかし、1週間後の演奏会は、か弱き主婦2名がリディアの同伴者。
その日は、人通りも多くなる。
そんなところを若い女3人だけで、うかうか歩かせられない。
だから、エッジは今年『も』、不届き者を成敗する予定を立てていた。
§
その後もしばらく、リディアはエッジと雑談と交わしながら、記事を読み続けていた。
「……はあ」
大方読み終えたのか、突如リディアが大きなため息をついた。
すると、両手を思い切り広げて、開きっぱなしの新聞の上に突っ伏してしまった。
「おい。先に新聞片付けろよ」
「あーとーで……」
左頬を新聞の上に置いて、明後日の方を向いてだらけている。
その様は、珍しく疲れているように見える。
時計の長針は6を過ぎたところ……まだ、少し時間がある。
(いいこと思いついた!!)
またまたエッジは、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
今日は運がない分、頭がとても冴えている。
そう思いながら、麦わら帽子の頂上をつんつんと何度もつつく。
「……ちょっと」
「あーあー」
「つつかないでったら……」
「汚ったねえな。顔にインクがついてやがる」
エッジは意地の悪そうな声で、リディアに話しかけた。
もちろん、インクが付いたは真っ赤な嘘である。
「——うそぉ!?」
リディアが嘘を真に受けて、左頬を押さえながら慌てて立ち上がった。
「インクは水洗いじゃ、なかなか落ちねえぞ」
「いやだぁ!!」
「真っ黒黒でアリサたちに笑われちまうなあ」
2年前の秋に浴槽と同時に設置された洗面所へ、リディアが慌てて走っていく。
それを見送ってから、机の上に開きっぱなしにされたままの新聞を手にとった。
(オレは、あいつのダチらしいからな)
あっちが勝手に思っているだけだが、友人のものはオレのものとばかりに。
重ねて折り込まれている1枚だけを抜き取ると、横向きにして両端をつかむ。
そして、何のためらいもなく、折り目に沿ってびっと2分割に裂いてやった。
ふたつに分かれた新聞紙を、それぞれ手のひら大ほどボール状に丸めていると……。
「やられたぁ!」
洗面所からリディアの叫び声が聞こえてきた。
エッジはしてやったりの表情を浮かべると、紙のボールを両手それぞれでつかむ。
そして、鼻歌を歌いながら洗面所へと向かった。
「うそつきっ! 全然汚れてないじゃない!」
エッジが洗面所に入るやいなや、足音と気配で感じ取ったのか。
鏡に向かったままのリディアに、開口一番怒鳴られてしまった。
(おーおー、こえー顔)
騙された怒りからか、鏡に映るリディアの顔は鬼のような形相をしている。
怒鳴られても、エッジは一向に気にしない。
これから即興で思いついた授業を受ければ、機嫌は途端に治るのだから。
「今日は、たまたまな。やたらめったに触ると本当にインクで汚れちまう。これから気ィ付けろ」
「え?」
「新聞は大量に刷って、次の日に配達するから、乾きが遅っせえ安いインクを使ってんだよ」
「……じゃあ、普段から新聞を読み終わったら手が汚れてるんだ」
「そういうこった。けど新聞にゃ、いいこともあるぞ」
自身の両の手のひらをじっと眺めるリディアをそのままに。
エッジは鏡に映らないように、彼女の隣に立った。
そして、右手のボールを洗面台の端に置くと、人差し指をすいすい振り始めた。
「……何するの」
「久しぶりの『授業』」
「うそぉ!?」
リディアの表情が、一瞬でぱあっと輝くような表情に変わった。
『授業』は、『立派な女性』に次いで、彼女のご機嫌を1発で直せる切り札である。
(今回も教えがいがありそうだぜ)
笑いを必死でこらえながら、水遁の応用で少し水を出して左手のボールを湿らせる。
「こいつで、こうやって拭いてやるとな……」
「あ、落ちてく」
「新聞のインクが汚れを吸い取ってくれんだ」
(全っ然気付いてねえ……)
濡れた新聞のボールで、鏡に映るリディアの顔左半分あたりを何度もこする。
これから返さねばならない新聞で拭いているのに、全く気付いていない。
それぐらいには、鏡に映るリディアの表情は真剣そのもの。
怒りはすっかりどこかへとすっ飛んでいったらしい。
ほこりや曇りを落とすと、濡れたボールを床に置かれているごみ箱に放り投げた。
今度は、台上に置いてあった乾いたボールで、先ほど磨いた部分を再びこすり始める。
「んで、仕上げにこうやって乾拭きすっと」
「うわあ……!」
「鏡にインクの膜が出来て、綺麗になる」
「すごい、ぴかぴかだあ!」
数度の磨きを終えると、リディアが驚きの表情で鏡を見つめながら感嘆の声を上げた。
鏡の汚れや曇りが一切なくなったおかげで。
鏡に映るリディアの顔左半分を、より鮮明に映している。
エッジがここに来た直後に見せてくれた、鬼の形相は見る影もない。
「雑巾で拭いても、こんなに綺麗にならないんだよね」
「繊維が引っ付いちまうからな。窓もこいつでいけるぞ」
「でも、エッジは普段お掃除しないのに……まさか、また若い頃?」
「昔、窓拭きの手伝いでな。一緒に働いてたおっさんにコツ教えてもらった」
「やっぱりそうなんだ。エッジは国王さまじゃなくてもどこでも生きてけそうだね……」
(ほんとにな)
王族や王子に生まれてこなければ、どんな生き方をしていただろう。
たらればの世界線で生きる姿をどれだけ想像し、夢見たことか。
その思いは現実逃避に形を変えて、若き日のエッジを幾度となく脱走へと駆り立てた。
そこで得た様々な経験が、現在こうしてリディアを驚かせて、影響を与えている。
そう思うと、とても感慨深くなる。
以前教えた、洗ったタオルを柔らかく乾かす秘訣も活用してくれている。
今授けた知恵も、今後活用してくれるなら言うことない。
「そん時ゃ、古い雑誌を破って使ってたな」
「新聞が出来たの、最近だもんね」
「雑誌よか、新聞の方が断然艶がいいぞ」
「どうして?」
「インクが乾き切ってねえから」
「ああ、そういうことかぁ……エッジ先生、いつもありがとう。年末試してみるね」
「年末ぅ? 掃除ぐらい明日やれよ」
「え、毎日ちりとりは……!?」
(あ、バレた)
リディアが途中で言葉を切った。
エッジの右手にある紙のボールの正体に、ようやく気付いたらしい。
鏡の向こうで満足気な笑みを浮かべていたのに、みるみるうちに鬼の形相へ戻っていく。
「ちょっと!! 人の新聞勝手に破っちゃだめでしょ!?」
「1枚ぐらい別にいいだろ」
「1枚でも何枚でも、借り物には変わりないじゃない!?」
「黙って返しゃ、バレやしね」
「——ばかっ!! 返す時に言いつけるから!」
「どーぞ、ご勝手に」
「おじちゃん怒らせるとおばちゃんより怖いからね! 怒られても知らないっ!」
リディアがぷいとそっぽを向いて、荒っぽい足音を立てて居間に戻っていった。
エッジはその背中を見送りながら、ぺろりと舌を出す。
(こんなもんで、あいつがオレに怒る訳ねえだろ……)
リディアに家事の知恵を授けてあげる実演授業のために、1枚拝借しただけではないか。
罪悪感を感じないまま、新聞のボールをごみ箱に捨てるとエッジも洗面所を後にした。
§
居間に戻ると、リディアが机に開きっぱなしだった新聞を荒っぽく折り畳んでいる。
エッジが居間机の席についたのに、まだ怒っているのか何も話さない。
他の新聞と一緒に寝室兼書斎へと運ぶと、すぐ戻ってきて席についた途端。
「はあ……」
大きな息をついて、リディアがまたもや机に突っ伏してしまった。
片付けをしている間に、怒りがすっかり冷めたようだ。
「……やだなあ、寄合」
(ミストの行事、嫌がるって珍しいな)
リディアの独り言を聞いて、エッジは首をかしげる。
寄合が憂鬱だから、先ほどからうだうだしていたらしい。
「なんで」
「キロンさん。こないだ村長決めで、おじちゃんに負けたから、いらいらしてるかもしれない……」
ミストの村長の任期は4年である。
ミゼルの任期がもうすぐ切れる。近々村長決めが行われると聞いていたが。
知らないうちに終わっていた。
「そいつ、前も出てなかったか」
「……こないだで3回目だよ」
「毎回出てんじゃねえか。で、結果は」
「そんなの、ぼろ負けに決まってるじゃない……」
(ざっこ!)
負け戦とわかっていながら、よくもまあ懲りずに出馬出来るものだ。
エッジは心の中で、キロンのことを嘲笑してやった。
—— —— ——
キロンの同志はいるにはいる。
しかし、今のミストは人口の大多数を移民——ミゼルの支持者——が占めている。
ミストで少数派となるキロンは、現状ミゼルに勝てない。
—— —— ——
「それで八つ当たりされたら、たまったものじゃないよ」
「気にすんな。あんまりうっせえのが続きゃ、あいつらは村八分一歩手前だ」
「え? 村八分ってなに?」
「仲間はずれのことだ。ミストの住民総出で無視、だーれも口利かねえ無視地獄だ。寄合に出ようもんなら締め出し食らうぜ」
「……それはさすがに、かわいそうじゃない?」
憐れみの情をちらりと見せたリディアに、ますます愛おしみを感じてしまう。
自業自得でそうなってもかわいそうと思えるなんて、エッジには真似出来ない。
(……ほんと、おまえって奴は)
リディアはつくづく寛容な女だと思う。
完全な悪や一部の極悪人は別として、心の底から他者を憎めないし嫌えない。
身体を奪った悪人のエッジですら受け入れて、こうして同じ空間にいさせてくれている。
「ミゼルがそんな陰湿なことさせねえだろ。せいぜい悪口言われて嫌われる程度だ」
「それは、みんなもわたしももうやってる……」
「じゃあ、なんも悩む必要ねえじゃねえか。好き勝手やらせとけ」
「……村長の任期、10年にならないかなあ」
「贅沢言うなよ。4年でも長げえんだぞ?」
「おじちゃんには、わたしが死ぬまで村長やり続けて欲しいの」
リディアがそう願う気持ちはよくわかる。
時代が時代なら、純血の召喚士であるリディアはミストに縛られていた。
更には、ミストの犠牲になっていたかもしれない。
それをミゼルが村長の立場にいることで止めているようなものだからだ
「老体に鞭打ちって。おまえは鬼か」
「おにじゃないもーん……」
リディアがいじけたような声で返事した。
それから、机に突っ伏したまま、指で机の上を何か文字を書くようにいじり始めた。
こんなリディアをこのまま放って帰りたくない……。
(そうだ!!)
またまたまた、素晴らしいことを思いついた。
ミストの事情を探るため、寄合を(隠れて)見物したらいいのだ。
「あーあ、やだなぁ……」
本日三度目となるそれは、もはや神懸かりと呼んでもいいだろう。
エッジはうだうだ中のリディアに向かって、にんまりと笑みを浮かべたのであった。
——午後7時少し前
ミストの集落の最北、公民館の中にある会議室。
ここでは毎月2回、世帯代表者が集まって話し合う、いわゆる寄合が開かれている。
朝も夜も早いミストで、住民たちが夜に出歩く珍しい日でもある。
—— —— ——
普段、会議室は子どもたちの『学習』に使われている。
30ほどの机と椅子が室内均等に並べられているが、それでは足りない。
よって、隣の多目的室の椅子を各自引っ張ってきて、好きな場所に置いて座っている。
—— —— ——
夜とは言え、季節は夏。
風通しをよくするためなのか、会議室の窓が全て開いている。
(おっせえなぁ……)
エッジは会議室の窓枠に頬杖をついて、前後2ヶ所の出入り口をちらちら眺めていた。
リディアたちは、少し前に館内に入ったのに、なかなか姿を現さない。
—— —— ——
つい10数分前。
エッジはリディアと別れてから、『隠れみの術』で姿を隠すとすぐ後を追った。
公民館に到着したが、やや気後れして室内ではなく、外からのぞき見することにした。
—— —— ——
(ミストはオレが代わりに諜報やればいいって、じいも前に言ってたしな!)
そんな大義名分を胸中で掲げるも、結局リディア最優先であることには変わりはない。
(お、やっと来たか)
程なくして、後ろの出入り口の扉が開いた。
そこから現れたのは翠色……リディアたちだ。
多目的室から持ってきた椅子を、出入り口すぐそばの空いている席に置く。
それから椅子に腰を降ろすと、早速ひそひそ話を始めた。
「あら、ジャンヌさんいないじゃなーい」
「当分寄合には来させないって、おじちゃんが言ってた」
「おしおきかしら」
「まー、こないだキロンさんたちと一触即発だったもんねー」
「キロンさんが元気なうちは、おばちゃん連れてきたらだめかも」
(しゃべりてえから、いつも後ろの端っこに陣取ってんのか)
前に座る者が圧倒的に多い。そんな中、女3人は陸の孤島さながら孤立した状態である。
それでも、リディアたちに前に座れと声をかける者は誰もいない。
「ちょっと、見てあれー。性懲りもなく今日もど真ん中ー」
「おじちゃんのこと、にらみつけてそう……」
「どうせ花火に来ないんだから、今日ぐらい出席しなくてもいいのにねー」
「今日は大丈夫でしょう。一昨年から花火の話題になると大人しいもの」
リディアたちの会話で、問題人物と思われるキロンの姿はあっさりと見つかった。
エッジのほぼ正面、会議室内の中央付近に同年代の者数人と固まって座っている。
リディアのことばかり気にしていたので、全く気付かなかった。
キロンたちは、みな無言で表情も険しい。
周囲に、そして壇上にいるミゼルに重圧感を与えているようにも。
逆に、やる気のある若者たちに囲まれているようにも見える。
一見浮いているようだが、場の雰囲気に溶け込んでいるリディアたちとは違う。
キロンたちがこの場で異質な存在だというのが、エッジにも伝わってくる。
「なんか言ってきたら、今度こそしっぺ返ししてやるんだからー」
「おばちゃんが手なら、アリサは口だね」
「あなたが村長なら、毎回修羅場になりそう」
「そんなの死んでもやらないわー」
「あら、身の程を弁えてるじゃない」
「アリサは口が悪くて、声が大きいだけだもん」
「——おだまりっ」
「いたっ」
リディアが余計な一言を口にして、アリサから額を小突かれている……。
普段からこの調子なら、死ぬまでこの癖は治らないかもしれない。
エッジは頭を抱えたくなってしまった。
§
そして午後7時、寄合の時間が始まった。
7の月の後半に行われるミストの寄合は、毎年同じ議題になる。
翌月に行われる、花火大会の係決めを含めた話し合いである。
リディアからは、今年もアイス発注担当に立候補すると聞いている。
先月の終わりの夜、寝室の書机に各国のご当地グルメ本が積み上げられていた。
まだ決まってもいない時期から、やる気満々である。
「恒例の係決めに入る前に、ぼくからひとつ提案があります」
司会をつとめる村長のミゼルが壇上で自ら手を挙げた。
リディアたちもひそひそ話を止め、話を聞く姿勢に入っている。
「今年から子どもたち数人とぼくで、打ち上げ花火を上げるお手伝いをしたいと思っています。みなさんどう思われますか?」
(マジかよ!?)
当日『ツクヨミ』の代役を演じるザンゲツに、子どもがわらわら近付いてくる。
おまけに妙に聡いミゼルまでひっついてくる。
(せめて契約が切れてからにしろ! 空気読めよ!)
早速計画の修正を余儀なくされてしまい、エッジはがっくりと肩を落とした。
偽物と本物は出来る限り整合性が取れていないと、昨年末の二の舞になってしまう。
礼儀正しく真面目な忍者を演じろ。
ザンゲツに、そう命じるだけでは足りないかもしれない。
「あんた、火はもういいのか」
「打ち上げ花火は大丈夫かな。リハビリだと思って肩肘張らず頑張りますよ」
「何するんですか? いくら村長さんがいても危ないと思います」
「現場に立会うと言った方がいいかもしれませんね」
「あっ、見守るだけなんですね。それなら賛成」
「ミゼルさん、押し付けられる人を放っておけなかったのね」
「おじちゃんは弱い人の味方だからね」
「どーせ、エッジ様の自作自演じゃないのー? 本人から聞かないと信じられなーい」
(くそ……! 全部あいつのせいだ!!)
住民とミゼル、リディアと友人ふたりの会話。
それらを聞いて、エッジは心の中で中年の部下に怒りを露わにする。
—— —— ——
去年のクリスマス。
エッジが『ツクヨミ』としてケーキを届けた際、リディアがこう話していた。
『村長さんが言ってました。片付けの時、ツクヨミさん泣いてたって』
……昨年の花火大会に来ていた『ツクヨミ』は、ザンゲツが扮していた。
—— —— ——
ミゼルは、泣きながら片付けするツクヨミ(ザンゲツ)を見て、不憫に思った。
だから、『ツクヨミさんを見守ってあげよう係』を作ろうと考えたに違いない。
「あの人、今年も来てくれるのか」
「どうやら、ミストを気に入ってくれたようで、ツクヨミさんご本人から申し出があったんですって。今年も連れてくるそうですよ」
「へえ、いい人じゃないか……!」
「でもさぁ、またエッジ様に仕事押し付けられるんだろ?」
「見守ってくれる人がいるなら、多少は心強くなれるんじゃない?」
「よっぽど、ここを気に入ってくれたってことよね。嬉しいわあ」
ミストの住民は、真面目な青年がお好みらしい。
そもそも、自分たちが暮らす村を気に入ったなんて言われたら、悪い気はしないだろう。
『ツクヨミ』が来ることを嫌がる者が誰もいないことに、エッジは安堵した。
—— —— ——
3年前、第1回目の花火大会が終わった直後。
『来年から日当払うからさ! うちと5年契約結ばない?』
ミゼルから、花火大会の裏方複数年契約を提示されて、その場で契約を結んだ。
契約も再来年で終わってしまう。
昨年は、『ツクヨミ』に変装したザンゲツに打ち上げ花火の雑務をやらせた。
もちろん、今年もその予定だ。
長くてもあと3年、花火大会の日は、ザンゲツに『ツクヨミ』を演じてもらう。
それ以降は、エッジが完全に『ツクヨミ』となり、リディアの顔を拝みがてら。
打ち上げ花火の雑務のためにミストへ向かう……。
それが、1年前に考えた、リディアの日常から『エッジ』を消す計画の一部だった。
—— —— ——
この調子で、『ツクヨミ』が毎年花火大会に参加を続ければ。
リディアやミストの前から『エッジ』を消す代わりに。
『ツクヨミ』としてミストにやってきても、抵抗なく受け入れてもらえるだろう。
「ミゼルさん、突然そんなこと思いついた理由教えてください」
「花火大会もこれで4回目ですしね。いつまでもエブラーナのお偉いさんのご好意に甘えちゃいけないと思うんですよ」
「……好きにやらせてあげたらいいんじゃないですか?」
「ここの人たち並みに楽しそうだしな」
「いやぁ……ああ見えて国王さまですからねえ。いくら本人がよくてもそろそろ周りが止めるんじゃないかって」
「ああ、そういえばそうだったな」
「全然そんな風に見えないのよね」
(エブラーナには、オレを止められる奴なんかいねえんだよな)
思い出したかのように、「忘れてた……」と、声をもらす住民たちのまあ多いこと。
互いに肩肘張らなくていい、ほぼ対等な人間関係が構築されている証でもあるそれに。
エッジは満足げな笑みを浮かべる。
—— —— ——
エッジは、エブラーナの王子として生まれた。
だから、エッジのことをみんな『若様』と呼び、へこへこしながら敬語で話してくる。
幼少の頃は、城下町で暮らす同じ年頃の子どもたちとよく遊んでいた。
しかし、月日が経つと、彼らも敬語を使ってエッジに話しかけてくるようになった。
……疎外されているようで、ものすごく気分が悪かった。
両親以外で、ほぼ対等な人間関係が欲しくてたまらなくなるまで時間はかからなかった。
しかし、王子として暮らしている、エブラーナでは実現不可能。
そう悟ってから、城を抜け出すにしても、国外——大陸の外に飛び出すようになった。
国外では、エッジの身分を知る者がいない。
理想の人間関係を簡単に構築出来たが、短期間の滞在だったからだろう。
今でも交流が続いている者は、片手で足りる程度しかいない。
—— —— ——
今、エッジが理想する人間関係を築くことが出来る場所は、このミストである。
エブラーナと違って、ここにはエッジに畏れて媚びへつらってくる者はほとんどいない。
「エッジ様とは、5年契約交わしてるんだろ?」
「はい。契約真っ只中ですが、いつあの人がいなくなってもいいように準備を始めようかと思っています」
「出来るだけ、ここの人たちでミスト唯一のお祭りを作って行きたいと思っているのね」
「その通りです。子どもたちはミストの未来を担う存在です。花火大会の準備側として、ちょっとずつ参加を始めて欲しいんですよ」
「ツクヨミさんの作業の立会いは、その手始めと言ったところか?」
「そうです。そして、ぼくからひとつお願いがあります。来年以降、花火大会の企画をもう少し増やしたいと思っています。何か面白いアイデアがあったらぼくに教えてください。お願いします」
頭を深々と下げるミゼルに、多くの住民がぱちぱちと拍手を送っている。
(まずいな。契約の切れ目が縁の切れ目かよ……)
まさか、ミゼルがエッジの後任を探そうとしているとは思わなかった。
ミゼルはミストの将来を考えているから、こんな提案をしたようだが、個人的には不都合な流れだ。
—— —— ——
リディアやエブラーナほどの思い入れはないにしても。
長年の訪問を経て、エッジはミストにも愛着を持っている。
何かしらの形で関わりながら、この村の変遷を見届けたいと思っている。
—— —— ——
(流れ次第じゃ、ミゼルに直談判しねえといけねえな)
このままでは、花火大会に参加する機会が失われてしまう。
契約終了まであと2年、時間はまだある。
終了後も引き続き、エブラーナが火薬の手配と運搬を担当出来るように持っていかねば……。
§
かねてから考えていた計画の修正と今後の対策に、頭を悩ませるエッジをよそに。
ミゼルの提案はあっさり住民たちに受け入れられ、希望者を募ることで締めくくられた。
その後、花火大会の係決めに移り、リディアは今年もアイス発注担当に立候補。
みんな、彼女のやる気(執念ともいう)を知っているからか、対抗馬はひとりも現れず。
4年連続4回目の担当につくことが決まった。
何はともあれ、ミストの事情も知れるだけでなく、リディアの様子も見ることが出来る。
毎回は厳しいが、今後も寄合をのぞき見した方がいいかもしれない。
……などと、考えているうちに、あれよあれよと時間が過ぎていった。
§
「まだ時間があります。最後に何かご意見や言いたいことがある方がいましたら、挙手お願いします」
余り時間の質疑応答のため、住民たちにミゼルが声をかけた時。
(おいおい、真打ち登場か……)
中央の後部座席に、同年代の住民数人と固まって座っていたキロンがすっと手を挙げた。
キロンはここまでの間、終始無表情で一度も発言はしていない。
「はいっ、それじゃあキロンさん、どうぞー」
リディアたちや他の住民がさっと表情を強張らせる中。
ミゼルがひとり飄々とした表情で発言を勧めると。
キロンが不機嫌そうな表情でおもむろに席を立った。
「——ミゼルよ。各家庭に浴室をつけたのはいいが、薪の消費がえらく増えたな」
快適な生活習慣を手に入れた代償とも言うべきか。
薪を得るために、樹木の伐採が増えてしまった……などなど。
「……このままではミストの樹木が減るばかりではないか」
キロンがミゼルに厳しい口調でそう訴えた。
—— —— ——
2年前の秋、ミストのほとんどの家庭に浴室が設置された。
これは、世界で画期的な試みだと言われている。
一般民の家屋には風呂、いわゆる浴室は存在しない。
風呂に入りたいなら、現状公衆浴場に通うしかない。
ミストにはそんな施設はないので、水浴びか清拭しか選択肢がなかった。
そんな中、2年前にトロイアの会社が家庭用の浴槽を開発した。
その運用テスト地域に、ミストが選ばれた。
無償でミストの各家庭に浴室と共に設置されて、現在に至る。
温まるまでに時間はかかるが、家庭内で風呂が楽しめるのは大きい。
ミスト内での評判は極めて上々で、世界各地に導入される日もそう遠くない話だ。
—— —— ——
(冬は暖炉もあるし、薪がいくらあっても足りねえよな……)
厳しいながらも、至極真っ当なご意見である。
その場にいる者は全員納得し、誰も反論する者はいない。
「……言ってることは間違ってないわねー。冬場の森は木こりが絶えないものー」
「あなた、余計なこと言っちゃだめよ?」
「うん……」
「今バラしてみなさい? お湯張り係としてぇ……夜な夜な各家庭巡回させられるかもよぉー?」
リディアは住民に内緒で、お湯を出す魔法を使っているので薪問題とは関係ない。
しかし、彼女以外の住民にとって、薪は必需品だ。
特に暖炉がある冬季は、消費が半端ない。
もし、ここで今リディアがそんな魔法があると言ってしまおうものなら……。
アリサが話した通り、みながリディアに頼り切る可能性が高い。
「そんなの、お金もらってもやりたくないよ……」
「あなたは面倒くさがりだから余計よね」
ライザやアリサからのひそひそ声の忠告に、リディアは素直に応じている。
(こいつらは、リディアにお湯張りしてくれって、一度も頼んだことなさそうだな)
ふたりはリディアに頼めば、毎晩お湯張りしてもらえそうなぐらい、とても仲がいい。
しかし、そんなことよりも、リディアの能力を利用されることを心配しているようだ。
(こいつらがいてよかったな)
リディアとふたりの関係は、自分やローザやセシルのように死線を越えた仲間とは違う。
ゼロムスのことがなかったら、自然と出来ていたはずの親友と呼べる存在である。
子ども時代の大半を幻獣界で暮らしてきたリディアに、普通の親友が出来たのだ。
アリサやライザがひとりの人間として、リディアと接する様は。
まるで自分のことのように、エッジを嬉しく感じさせた。
「そこに気付かれるなんてさすがですね、キロンさん。そのことなら、先月会社さんに問い合わせ済みです。薪を使わなくていい方法を考えると返事をいただいてます」
「遅い」
「えっ」
「このままだとミストの緑が消えてしまうではないか。おまえはこの2年の間、一体何をしていたのだ……!」
厳しさに怒気を混ぜたキロンの指摘に、室内が一気にざわついた。
これまでキロンの八つ当たりの対象は、よそ者——移民だった。
それが、突然ミゼルにも向けられたのだから、みんな驚いたのだろう。
「以前までの村長なら、去年の時点で既に対策を講じて、こんな話題すら出しておらんぞ」
「おっしゃる通りですね。いい勉強になります」
「それだけではない。おまえはすぐ何かと住民に頼る。住民を不安がらせてどうするのだ」
(てめえが不安がらせてるんだぞ!)
そこから、キロンはミゼルにくどくどお説教を垂れ始めた。
一番になりたいがために、上の者に取って代わりたい。
キロンのミゼルへの態度や発言は、男性特有のそんな嫉妬とまるっきり同じ。
(ミゼルをねちねちいじめて、精神的に追い詰めようとしてんのか?)
金の管理が出来ても、村長として好き勝手やれるわけでもない。
向こう4年間は、ミゼルが村長の任につくと決まったばかり。
キロンたちは、ミゼルが自ら村長を辞めるように迫る作戦に切り替えたのだろうか?
「おじちゃん……」
「この場で、ミゼルさんにきつく当たるのは初めてじゃないかしら」
「こないだ、ぼろ負けした逆恨みねー。よーし、あたしも……」
リディアが心配しているが、説教されてもミゼルの飄々とした表情は変わらない。
こうなることを既にわかっていたのか。
それとも、昼間のような威圧的な態度に慣れているのか。
「不安なんて感じたことがないけどな」
「そうよ。住民は不安だって、勝手に決めないで欲しいわ」
普段からキロンの目の敵にされている移民が、次々とミゼルに加勢する。
ミゼルの村長の地位を不動のものにしている最大の要因は、彼らの存在だ。
自分たちの味方を吊るし上げられたら我慢出来ないだろう。
「キロンさん、言い過ぎじゃないか?」
「ただの嫌がらせにしか見えんぞ」
「ミストのことは、みんなで考えるのが当たり前じゃないですか」
「そこまでおっしゃるぐらいですからぁー。キロンさんはぁー、ミゼルさんにぐうの音を言わせない対策をお持ち」
「——黙れ!! おまえたちにミストの何がわかる!!」
(っ! なんだこの気配!)
キロンの怒号が響き渡り、しーんと室内に静寂が訪れた。
離れた場所にいながらも、怒りの気配がエッジのいる場所にも伝わってきた。
よほど、アリサの質問が不都合だったのか。
それとも、彼女お得意の、癇に障るような口調(普段の5倍増し)に腹が立ったか。
どちらにせよ、キロンが移民を徹底的に嫌悪しているのが見て明らかだ。
「キロンさん。その発言、撤回して下さい」
「なにゆえに」
「故郷からミストに移り住んでくれた、移民のみなさんに大変失礼です。みなさんがここに住み始めてから、どれだけ月日が経っているとお思いですか」
「っ……! たった7、8年でミストを知った気になっては困る。誰が撤回するか」
「年数関係ありませんよ。ここのみなさんもあなた並みに深い思い入れを持って、ミストで暮らしてくれています。いろいろ思うところもあるでしょうから、謝罪しろとまでは申しませんけどね」
(これが、こいつが本気で怒った時の態度なんだな)
ミゼルに命令されて、キロンが一瞬怯んだ。
この男の丁寧かつ穏やかな物言いからは、怒気や敵意と言ったものは感じられない。
「そもそも、おまえがしっかりしていないから悪いのだ。こんな状況を招いたのは自分のせいだとは思わないのか」
「……あぁ、ぼくに責任を取れとおっしゃりたいんですね」
「そういうことだ。それが嫌なら会社の返事を待たずに早急に対策を講じろ」
「早急とは?」
「——今すぐだ。以前の村長なら、それぐらいすぐにひねり出しておったわ」
「うーん、今かぁ……」
キロンから無茶な要求をされて、さすがのミゼルもうなり声を上げて即答出来ずにいる。
「それぐらい出来ぬようでは、村長の適性に欠けていると自ら証明するようなものだぞ」
(自分のこと棚上げしやがって……!)
自分以上の無茶振りをかますキロンに、エッジはますます腹立たしさを覚えて仕方がない。
多くの住民は心配そうな表情で、ミゼルを眺めている。
不満を露わにして、キロンをにらむ者もちらほらいる。
兄のように慕うミゼルが、公の場で無理難題を押し付けられて、村長辞職まで迫られている。
さて、リディアはどうするか。
エッジは室内の隅っこにちらりと視線を移した。
(……そりゃ、キレるわなあ)
リディアが顔を真っ赤にして、キロンをにらみつけている。
そんな彼女に、アリサが何かこそこそ耳打ちをしている。
何を話しているのだろうか?
しかし、はるかに小さい声で、さすがのエッジでも聞き取れなかった。
そして、耳打ちが終わると、リディアがアリサから背中をひと叩きされた。
まるで猛獣を檻から解放するようなそれが合図となり、勢いよくその場に立ち上がった。
「あたしが薪要らずの火魔法作ります!!」
「……あちゃー」
リディアがきっとキロンをにらみつけながら、大声で叫んだ。
しかし、ミゼルは助け舟を出してもらえたにもかかわらず。
顔に手を当てて困惑しているように見える。
「それが出来たら、ファイアを使えない大人しかいないおうち以外は薪を使わなくて済むもの! 薪を焚べる見張りも要らないし、樹木の消費も抑えられるはずだよ!」
リディアは風呂以外にも、暖炉や調理にも利用できる炎の魔法を作るつもりでいるようだ。
「それは名案だ。さすがリディ」
「——さすがでも何でもないっ!」
「っ……!」
「おーい、リディアさーん。もう少し落ち着」
「——おじちゃん黙ってて!!」
「ははっ……もう好きにやってちょーだい」
(キロンの煽りに乗せられたようなもんだ。不本意でしょうがねえんだろうな)
リディアから口出し無用を言い渡されて、ミゼルがお手上げとばかりに壁に寄りかかった。
こうなると、リディアが手が付けられないことをわかっているのだろう。
苦笑いを浮かべながら様子を窺っているが、困惑しているのが見て取れる。
「おじちゃんは、忙しくてそればかりに構ってるひまがないの! ひまなあなたと一緒にしないでちょうだい!」
「いや、それをどうにかするのが村ち」
「——じゃあ、キロンさんは何か考えがあったの? ないからみんなに怒鳴ったんじゃないの!?」
「……っ!」
「ただでさえ忙しいのに、暑くてふらふらで頭の回転が鈍ってるあの人が、すぐ案を出せる訳がないよっ!」
「あ、ああ……そうだな……」
歯止めの存在がなくなった、リディアには怖いものはない。
キロンに恐ろしい剣幕でまくし立て、あの人——ミゼルの方をびしっと指差した。
エッジに背を向けた形なので、キロンの表情は見えないが。
後ろ姿だけでも、明らかにうろたえているように見える。
他の住民はにやにや笑みを浮かべながら、リディアとキロンを遠巻きで眺めている。
恫喝してきたキロンに、リディアが一矢報いてくれているのだ。
そうなるのも当然だろう。
「そんなに文句が言いたいなら、4年後におじちゃんに勝ってからにしてよっ!!」
「わ、わかった……」
リディアがキロンに正論を吐き捨てると、席から離れて壇上に向かう。
まだ怒りが収まらないのか。
だん! と両手で机を強く叩いてから、出席者に向かってこう叫んだ。
「薪要らずの魔法が使いたい人は、秋からあたしの講座に通って子どもたちと一緒にファイアを覚えましょう! ゼロの人以外は時間は掛かるけど、絶っっ対いつか覚えられますっ! みんな、それでいいでしょ?」
リディアの問いに、住民が我こそはとばかりに手を上げて賛成を表明した。
ただし、キロンたちが座る周辺を除いて。
薪が必要なくなると、生活の負担が軽くなる。
そうとわかれば、自ら進んで魔法を覚えたがるのは当たり前。
生徒が増えて、リディアひとりで回せないようなら。
ファイアを使える子どもが、大人たちの教師役に回ればいい。
「——詳しいことは次の寄合で! じゃあ、この話はこれでおしまいっ!!」
話を締めたリディアが鼻息荒く、壇上から降りて元の席に戻る。
アリサたちが満面の笑みで、リディアを出迎えようとしたその時。
「あのさぁ、勝手に仕切らないでちょうだいよ……」
「あ」
最後の言葉ぐらい自分に言わせろとばかりに。
面白くなさそうな声で、ミゼルがリディアを呼び止めた。
ここでようやく我に返ったのか、リディアがゆるゆると首を動かした。
彼女の視線の先には、壇上の机に寄りかかり、頬杖をついているミゼルがいた。
「そんなに司会やりたいの? 譲ってあげてもいいよ?」
「……面倒なのでやりません」
「あと、一応ここ公の場だからさ。さっきの発言そのまま議事録に残すから」
「えっ!?」
「ねっ、書いたよね?」
ミゼルが壇上から、中央一番前の席で終始机に向かっていた記録係と思われる者に声をかけた。
ぶんぶん大げさに手を振る仕草は、記録し終えましたという合図だと思われる。
「すみません……」
「はい、何でしょう?」
彼らのやりとりを呆然と眺めていたリディア。
ばつが悪そうな表情を浮かべて、こわごわとミゼルに声をかける。
「変なところだけ議事録、直してください……」
「だめです」
「どうしてですか?」
「それはね。頭の回転が鈍い村長がいましたって、後世に伝えなきゃいけないからです」
「そんなぁ……!?」
「そのためには、生々しい発言をしっかり残しておかないとね」
会議室内がどっと大笑いに包まれて、羞恥に耐えきれなくなったのだろう。
リディアが顔を両手で覆いながら席に着いた。
(また騙されてやがる……)
場を和ませるための嘘に決まってるのに、真に受けてしまうのはリディアらしい。
しかしまあ、さっきまで頭に血が上っていたと思ったら、表情がくるくる変わるものだ。
そんなリディアを眺めているだけで、エッジはにやついてしまうのだけれど。
「みなさん、貴重なご意見とご提案ありがとうございました。時間が来たようですし、今日はこの辺でお開きにいたします。また次回、この部屋に集まってください」
ミゼルの明るい締めの挨拶と同時に、キロンたち頭の固くて古い住民が、即座に立ち上がった。
みな不満たらたらといった表情で、次々と会議室を後にする。
最後にキロンが出入り口で立ち止まり、室内を一瞬振り返ってから会議室から出て行った。
顔を両手で覆いながら、友人ふたりから慰められている。
そんなリディアに、他の住民たちがお礼や労いの言葉をかけて帰っていく。
何とも微笑ましい光景を視界に入れながらも、エッジは首をかしげた。
—— —— ——
場の雰囲気が明るくなったおかげで、誰も気付いていないようだ。
しかし、エッジはしかとこの目で見た。
室内を振り返ったキロンが、ほんの一瞬だけ勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
言い負かしてきたリディアではなく、記録係の者と話していたミゼルに向かって。
—— —— ——
(……なんで笑ったんだ?)
のぞき見を暴露するようなものだ。誰にも忠告出来ない。
しかし、今回はリディアが助太刀したが、ミゼルもそうそう愚かな男ではない。
今後もキロンへの警戒を解くことはないだろう。
エッジはそう思い、自身の胸に留めておくことにした。
—— —— ——
それから、季節をぐるりと一周した後。
この時、キロンが笑みを浮かべた理由を、エッジは知ることになる。
—— —— ——
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