フェイクラバーズ 作:かえで
——翌朝 午前10時過ぎ
朝っぱらから、執務室で日課の書類作業に明け暮れていた。
そんなエッジの元に、突然じいが息を切らしながらやってきた。
「わ、若様ぁ!!」
「なんだよ、仕事の邪魔すん」
「——そっ、それどころではございませんっ!! 今しがた、リディア様がエブラーナ城に……」
「リディアが?」
(うそだろ!?)
じいの言葉に、エッジは耳を疑った。
リディアは、エッジが多忙に追われていると思い込んでいる。
公務の邪魔——連絡もなしに、エブラーナ城に訪れるような真似をする女ではない。
そう思っていたのに、一体何があったのだろう。
「……ひとりでか」
「いえ、ご友人と思われる女性おふたりを伴ってお越しになり、城門でお待ちいただいております」
「オレに会いたいって言ってんだな」
「さようです。そういう訳で、こちらにお通ししてもよろしいですな?」
「……ちょっと待て」
じいの話で犯人の目星がつき、脳内でしばしの間、思考を巡らす。
(あの女……! 余計なことしやがって!)
リディアは昨日から、友人ふたりを自宅に呼んで、お泊まり会を開いているはず。
今朝になってから、エッジを冷やかしにエブラーナ城へ行こう。
無駄に口数が多く、向こう見ずな友人の片割れがそう言い出したに違いない。
「あの、若様」
「——断っといてくれ」
「それでは……ええ!? い、今なんとおっしゃられました!?」
思考がまとまり、立ち上がって執務机から離れて出口へと向かった。
予想通りの反応を見せてくれたじいに、一切見向きもせず。
じいがうろたえるのも、無理はない。
まさか、若様がリディアとの面会を断るとは思っていなかっただろうから。
「忙しいんだよ。会ってる暇ねえの」
「お、お待ちください! リディア様がわざわざお越しになられたのに、門前払いとはなにゆえに!?」
「さっき言ったろ。頭思いっきり下げて詫び入れといてくれ」
「そ、それで若様はこれからどちらへ……!」
「急用思い出した。——すぐ戻る」
そう言い残すと、書類作業もじいも放置して執務室を後にした。
「わーかーさーまぁー!!」
背後からじいの叫び声が聞こえてきたが、無視である。
リディアと最後に会ったのは、1週間以上前。会いたいのはやまやまだが。
現在エッジは多忙と嘘をついて、ミストへ行く回数を減らしている。
ここで面会に応じたら、『え、暇なんだ……』と、嘘が見抜かれてしまうかもしれない。
(あいつと会うには、『オレ』じゃだめなんだよ)
この先、リディアは、『エッジ』に会うために、この城にほいほい来てはならないのだ。
§
エッジは、一旦私室に立ち寄り、『隠れみの術』を使った。
それから、窓から脱出して外から城門に回り込んだ。
エッジの姿は誰にも見えないので、目的地のすぐそばに近付く。
(ちょうどいい頃に来たな!)
リディアの友人の片割れ——アリサが、門番の隣に立つじいと対峙するかのように立っている。
アリサの後ろに、リディアともうひとりの友人ライザが控えている。
そんな位置関係から、面会希望を言い出したのは、予想通りアリサとはっきりわかった。
「えー? どうしても無理なんですかー?」
「も、申し訳ございません……! 若様は非常にご多忙の身であらせられますがゆえに……」
じいが何度も深々と頭を下げている。
しかし、アリサの不満げな表情は変わらない。
「せっかく、リディアがこうしてエブラーナ城にやってきたのに、なんか冷たすぎるんじゃありませーん?」
「そ、それは……おっしゃる通りなのですが、な、何分、こちらにも事情がございまして……!」
(いいぞいいぞ! その調子で丁重に帰してやれ!)
じいがあれだけ文句を言っていたのに、上司の命令に従ってくれている。
さすが、長年自分に仕える忠臣だと感心せざるを得ない。
「もう……忙しいから会える訳ないって、ずっと言ってるじゃないの」
「やっぱり、先に連絡を入れておかなきゃだめよ。わたしたちが今やってることって非常識ですもの」
(反対押し切って、アリサが強引にここに突撃しにきたか)
アリサとは対照的に、リディアとライザは明らかに困惑している。
エッジの中で影が薄かったライザは、アリサと違って常識ある大人の女性のようだ。
ところが、背後で口々にぼやく友人ふたりに向かって、アリサが振り返ってこう言った。
「非常識ですってー!?」
「っ!?」
「あ、アリサ落ち着い」
「——だったら、エッジ様だって一緒じゃない!? 今までミストに不意打ちでしか来たことないでしょー?」
アリサに図星を突かれて、エッジはいらいらが募って仕方がない。
(こいつ、減らず口ばっか叩きやがって……!)
エッジは、ほぼ当日の思いつき——気分に任せてミストを訪れていた。
事前予告してからの訪問は、花火の日と月に一度の夜の逢瀬ぐらいしか記憶にない。
「あたしは、いつもの逆をやっただけよ! なのに、どうして、あたしだけが悪者みたいに言われなきゃならないのー!?」
「ううっ」
「確かに、それはそうね……」
アリサからまくし立てるように反論されたリディアとライザ。
互いに戸惑ったような表情で顔を見合わせている。
「ミッ、ミストのみなさまには……若様が毎度毎度、大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんっ!!」
(やべえ、今にも土下座しそうだ……)
リディアたちのやりとりを眺めていたじいが、またまた頭を深々と下げた。
若様がミストで粗相をしているのではないかと思ったのかもしれない。
「じいやさん、謝らないでください……」
「わたしたち、何も迷惑してません」
「そーそー。実害被ってるの、リディアだけ」
「——アリサのばかっ!」
「これ以上、ご迷惑掛けられないわ。リディア、帰りましょ」
「うんっ」
「あっ!?」
何か決意を固めたような表情で顔を見合わせてから。
リディアとライザが、アリサの腕をそれぞれがしりとつかんだ。
「ちょ、ちょっと!? あんたたち何すんのよぉー!!」
リディアとライザが、アリサをずるずる引きずりながら城門から離れ始める。
「リ、リディア様……!」
「お仕事の邪魔しちゃってすみません。あまり無理しないようエッジにお伝え下さい」
「お忙しいところ申し訳ありませんでした。これで失礼しますね」
「う、ううっ……何と心広きお方たち……!」
城門から遠ざかっていくリディアたちを、じいが涙を流しながら見送っている。
「やだぁー! 離してー!」
リディアとライザのおかげもあって、面会拒否しても角が立たずに済んだ。
……ひとりを除いて。
どうせ、アリサは夜になれば、今のことなんかどうでもよくなる。
放っておいていいだろう。
エッジはそう思いながら、3人が向かった同じ方向へ全速力で駆け出したのあった。
(仕事の帰りってことにしときゃいいな)
§
今年から薬草園の繁忙期に限り、発着場と薬草園間で直行便の運行を始めた。
おかげで、今の時期エブラーナ城の南部にある発着場は、国外からの観光客がとても多い。
エッジは、あらかじめ決めていた目的地に着くと、道端の樹々に身を潜めた。
そこで、『隠れみの術』を解除して、知らぬ存ぜぬで発着場と城を結ぶ大通りに入った。
大通りには、途中途中に東と西にある城下町への抜け道が設けられている。
しかし、エッジがこれから向かうのは、お城がある北方面。
大通りを行き交う人々は、主に城下町目当ての観光客や地元エブラーナの住民。
加えて、巡回艇で任務から帰還、もしくはこれから任務に赴く使用人など、様々である。
「お疲れ様でぇーす」
エッジの前から、お面を付けた若者が走ってきて、すれ違いざまに軽い会釈を交わした。
この若者は、エッジが本日朝一番に任務を命じたばかりのお城勤である。
(あっち着いたら、面を外せよ)
心の中で、その者に向かって上司めいたことをつぶやいた。
若者は、ミンウに黒魔法育成事業を始めさせる工作員として。
これから巡回艇に乗って、ミシディアへ向かうようだ。
城に向かって歩いていると、前から顔なじみのお城勤が次々やってくる。
そして、互いに会釈を交わすを繰り返していた、その時。
「一体何なのよ、あんたたちはー!!」
甲高い女性の声が、エッジの耳にかすかに届いた。
……リディアたちだ。
「強制連行ってありえなーい!!」
「突然、お城に行ったら働いている人たちも困るわ」
「迷惑掛けちゃだめだから止めたんだよ」
「……どうしましょう。直行便1本逃しちゃったわ」
「次の便に乗らないとお昼になっちゃうかも」
「初めてのエブラーナなのよー? ちょっとぐらい寄り道したっていいじゃなーい!」
アリサは、初のエブラーナで調子に乗って城に突撃訪問してきたらしい。
(ああ、薬草園に行くつもりだったのか)
今から薬草園を訪れて、それが終わればバロンへ向かうつもりでいるようだ。
口の悪い女性が、残り2名の常識人に諭される会話から。
リディアたちの本日の予定を、おおむね把握することが出来た。
「ねえ、あの人」
「どうしたの?」
「……かもしれない」
「ちょ、うそー!?」
前方から横並びで歩く3人の異国の女性の姿が、はっきりと見えてきた。
同時にリディアが真っ先にこちらの存在に気付き、アリサの肩を叩いている。
ついに、ご対面の時間がやってきた。
エッジは右足を強く踏み込み、思いっきり高く跳び上がった。
「わっ」
「ぎゃあああー!」
「きゃっ……」
リディアたちの前で着地を果たすと、三者三様の反応が返ってきた。
忍者に触れる機会が多いリディアは、3人の中で最も冷静だ。
アリサは大げさな反応を見せて、怯えるように弱々しい声を上げたのは大人しいライザ。
「ああ、やっぱりツクヨミさんだった……」
『——ご無沙汰しております。リディアさま』
立ち止まったままのリディアたちに向かって、挨拶しながら深々と頭を下げる。
それから顔をさっと上げて、リディアの顔を拝む。
—— —— ——
エッジは今、リディアの瞳を含めた顔全体を至近距離で拝めない。
それが、覆面——『ツクヨミ』だと、目を開かせたリディアの顔を見ることが出来る。
—— —— ——
「こんにちは、お久しぶりです」
(ぜ、全然変わってねえ!!)
リディアがこちらを見てにこりと笑い掛けてくれた。
想い人の顔は、去年のクリスマスから変わらぬ美しさを誇っていて見惚れてしまう。
例え今の姿が、『エッジ』ではなく、『ツクヨミ』だとしても。
リディアが笑い掛けてくれるだけで、エッジの心は満たされるのだ。
「お仕事からの帰りですか?」
『はい。国外の任務から戻ったばかりでございます』
「そうですか……忙しいんですね」
リディアは、『ツクヨミ』の声がセシルの声と似ていると驚かなかった。
これまで何度も『ツクヨミ』と顔を合わせており、慣れたのだろう。
「あたし、間近でツクヨミさん見たの初めてー」
「リディアの言ってた通り、礼儀正しい方ね」
『リディアさま』
「はっ、はい」
『そちらのおふたりは、ご友人の方ですか?』
アリサとライザは、『ツクヨミ』とほぼ初対面である。
ここであえて、リディアにふたりを自己紹介させるよう仕向けた。
「ええ、こちらが——」
声が大きく自己アピール満々のアリサと対照的に。
ライザが小さく頭を下げて、控えめに自己紹介を終わらせた。
「ツクヨミさん。ひとつ聞いていいですかー?」
『はい、何でしょう?』
「ミストのこと、気に入ってくれたって聞いてますけどー」
『はい、そう』
「——それ、嘘でしょー?」
『え……』
覆面は、エッジに対する一種の意識調査も行える点においては、とても便利だと思う。
ツクヨミがミストのことを気に入ってくれた、だから花火大会に今年も参加する。
この女はそれを全く信じていないようだ。
先日行われたミストの寄合でも、ミゼルが話していたではないか。
(そういえば、こいつ……)
その時、この女は、『どーせ、エッジ様の自作自演じゃないのー?』とぬかしていた。
それを思い出した途端、エッジの腹の虫がおさまらなくなってきた。
「ちょっと、ぶしつけな質問しちゃだめでしょ」
「失礼すぎるわ」
「エッジ様が勝手にぶちまけてるだけか。エッジ様に無理矢理言わされてるのか。そこんとこどうなのって、すごく気になっちゃってー」
リディアとライザに注意されても、アリサが聞く耳を持たず不審げな顔で質問してくる。
(この野郎……! いつも『オレ』のことばかにしやがって!)
エッジは面の下から思いっきりアリサをにらみ、意趣返しすることに決めた。
『僕がお館様に花火のお手伝いを志願いたしました。お館様からは何も命じられておりません』
「うそ……!?」
『僕は仕事柄、世界各地を飛び回っております。数日の間、仕事先で過ごすことも多いのです。そして、この1年近くの間に各地を回った結果、ミストで暮らしてみたいと思いました。普段は仕事に追われておりますから、ミストはそういった空気と無縁なのも大きいかもしれませんね』
「う……」
エッジは、『ツクヨミ』として思いつく限り、ミストを気に入った理由を答える。
アリサに口を挟む隙を与えないよう、それはもう早口で。
「ツクヨミさん、エブラーナにあまりいないんだね」
「仕事仕事でかわいそう……」
『ミストはどこよりも空気が澄んでおります。何と言っても自然に囲まれた、あの風景は目に優しく感じます。住民のみなさまも優しくていい方ばかりです。そういった理由から、どうしてもミストに行く機会が欲しくて、先日志願した次第でございます』
「っ、そ……そうですか……」
エッジだろうが『ツクヨミ』だろうが、『ミストは気に入ってるし、ぜひ行きたい』。
熱意が伝わったのか、アリサをなんとか納得させることに成功した。
(ざまあみろ!)
とても悔しそうなアリサに向かって、面の下でせせら笑う。
この女は普段ミストで会う度に、エッジのことをヒモヒモとからかってくる。
一度でいいからやり返したいと思っていたが、念願叶って言い負かすことが出来た。
エッジがそんな優越感に浸っていると……。
「ツクヨミさん、あれからまた成長したんだぁ」
「ミストのこと、ここまで褒めてくれて……すごく嬉しいわね」
リディアとライザが、嘘混じりの理由をすっかり信じ切っている。
そんなふたりを見て、善人を騙しているような気分にさせられて。
ほんの少しだけ罪悪感を感じて胸が痛くなる。
『……しかしながら、リディアさま』
「はい、何でしょう」
『なぜエブラーナにおられるのでしょうか? 何か城に用事でもございましたか?』
胸の痛みをそのままに、エッジは素知らぬ振りしてリディアに聞いてみた。
「薬草園に行くつもりでいたんですけど……ここに着いてから、急にアリサが、『ついでだしエッジ様に会いにいきましょう』って言い出して……」
「わたしたちが止めても聞かなくて、そのまま強引にお城に押しかけてしまったんです」
『そうだったのですね。お館様とはお会いになられましたか?』
「……いえ。忙しいから面会は無理だって、じいやさんに頭下げられちゃいました」
『仕方がございませんね。お館様は非常にお忙しいようですから』
「そうですか……」
「やっぱり、ああ見えても国王様なのね」
『それで、これから薬草園に足を運ばれるのですね?』
「ええ。この子にどうしてもラベンダー畑を見せてあげたくて」
「リディアから綺麗だと聞いていたので、すごく楽しみにしてたんです」
『薫衣草は、8の月の半ば前に全て収穫されてしまいます。間に合ってよかったですね』
(早く薬草園に行きたかったら、アリサの味方なんかする訳ねえよな)
城門からここまでの様子で判断した結果。
リディア以上に、ライザが薬草ならびに薬草園に興味を持っているように見える。
『今年から薬草園では薫衣草に続いて、ゆずのアイスも売り出しておりますよ?』
ここで、リディアに薬草園のお得情報を教えてあげた。
まさか、自力で薬草園に行くと思っていなかったので、教えていなかったのだ。
「ええっ!? それ、本当ですかぁ??」
『はい。とっても美味しいですよ? ぜひよろしければ』
アイスと聞いた途端、リディアが紺碧の瞳をきらきら輝かせる。
今は明るいのに、そこだけはまるで満天の夜空のようにエッジには見えた。
「よかったわね。新作ですって」
「……でも、どっち食べよう」
「わたしがラベンダー、あなたはゆずにして半分ずつ食べたらどう?」
「……うーん」
リディアが、自身の両頬を手で挟みながらうつむいてしまった。
薫衣草かゆず、どちらを食べればいいか悩んでいるらしい。
(どっちも美味いらしいぞ? オレは味見してねえけど!!)
薫衣草を練り込んだ紫色のアイスは、今や薬草園の名物甘味。
調子に乗ったイナミが、ゆずを練り込んだ薄黄色のアイスも今年から売り出し始めた。
販売を開始してまだ間もないが、こちらの評判も上々である。
『……っ』
「す、すみませんっ !」
『相変わらず甘いものがお好きなようで、何よりでございます』
「またやっちゃった。恥ずかしい……」
ついつい笑みをもらしてしまった。
人生の選択を決断するかのような深刻な表情で悩むリディアが可愛らしくて。
「エブラーナでも、リディアの甘党は有名なんですね」
『はい。リディアさまに甘味を過剰に振る舞わないよう、城内にお達しが出ているぐらいでございます』
「そんなあ……!?」
(嘘に決まってんだろ)
この世の終わりを思わせるかのような悲壮感漂うリディアの表情に、笑いをこらえる。
相変わらず、冗談を真に受ける癖は健在のようだ。
「だめって訳じゃないからいいじゃない」
「そうだね。……そろそろ行こう? また直行便に乗り損ねちゃうもん」
「そうね。——ツクヨミさん、来月よろしくお願いしますね」
「ツクヨミさん、また花火の日に」
『ええ、楽しみにしております。それでは、道中お気を付けて』
別れの挨拶を交わすと、リディアたち発着場へと歩き始めた。
エッジは白狐の面の下から、3人の姿が消えるまで見送った。
(また、『後』でな)
リディアとライザがこちらを振り返り、手を振ってくれた。
どうやら、ふたりは、『ツクヨミ』を難なく受け入れてくれたようだ。
言い負かしてから、アリサはだんまりを決め込んでいたが、まあいい。
リディアたちが視界から消えるやいなや、エッジは北に向かって歩き出した。
程なくして、エブラーナ城に到着。
私室を経由してから、何食わぬ顔で再び公務に戻ったのであった。
——正午10分前
エッジは現在、各地の諜報から届いた報告書を含めた、各種書類に目を通してるところだ。
本日は、これを午前のうちに片付けておかねばならないが、作業もいよいよ佳境。
エッジは残り少なくなった未処理の書類から、1枚ものの薄い紙を手にする。
よく見れば、ダムシアンに常駐する諜報からの定期報告書であった。
「ふーん……ギルバートの奴、ひとりじゃ寂しくなってきたか」
報告書の1行目には、国王のギルバートが2日前から秘書見習いを雇い始めた。
研修代わりに国王と行動を共にし、将来正式な秘書にする予定だと書かれている。
—— —— ——
エッジが各地にばら撒いたエブラーナの諜報は、任務地で日々行われる重要な会議。
加えて、密談や要人同士の会談などを盗み聞きしている。
それらを報告書にまとめて、日々エブラーナ城に送ってくれる。
こうして諜報を使う方が、各地の政治情勢を早く知れる。
—— —— ——
秘書を雇った。そんな内容が、報告書として送られてくるぐらいだ。
現在のダムシアンは、とっても平和だと見える。
「若様もどうです? 秘書がいると便」
「——いらねえ」
「……聞くまでもなかったですなあ」
「邪魔でしょうがねえや」
エッジは、じいの勧めを即座に一蹴した。
—— —— ——
この時間、執務室にじいがいるのはいつものことである。
正午になると、ここに昼食が届けられる。
その前に、処理済みの書類を取りにくるのだ。
—— —— ——
じいがいるから、秘書なんかいらない。
朝の5時半から出勤して、エッジが読む書類全てに目を通しているぐらいだから……。
再び、書類の続き——薄い紙の2行目以降を読み進めるうちに。
エッジの表情がなんとも言えないものに変わっていく。
「……」
「どうされましたかな?」
「いや、別に」
(女ども……あいつも発狂するんじゃねえか?)
自他共に認める、ギルバート信者のリディアの友人が、ぱっと頭に思い浮かんだ。
もし、本日のバロンでの演奏会に、ギルバートがこの秘書見習いを連れてきたら……。
それでも、本日バロンに連れてくると決まった訳でもない。
しかも、あの女は3人の子持ち主婦である。
もし連れてきても、これを機に旦那と仲睦まじくやれとしか思わない。
「っし、こいつで終わりだな」
報告書を処理済みの書類の山の上に置き、最後の数枚綴りの書類を手に取った。
これに目を通せば、本日のノルマは終了である。
「突然の急用から無事にお戻りになり、書類全てに目を通し終えられるとは。相変わらず若様が仕事熱心で安心いたしました」
「うっせえ」
どこかからきちんと戻ってきて、仕事に取り組む。
そんな若様に、じいがとっても満足しているようだ。
「……なになに?」
最後の書類は、バロン城にこっそり忍ばせている諜報からの定期報告書。
昨日行われた御前会議の概要が書かれてある。
「……」
(ちょっとこれはやべえな)
報告書を読み進めるうちに、エッジの表情が険しくなる。
先ほどのような秘書を雇うといったぬるいものではなく、いささか深刻な内容だからだ。
—— —— ——
昨日行われた御前会議の議題は、バロンの今年の人口調査の統計結果。
その中で、ある重要な問題が浮き彫りにされた。
5年前からバロンでは、人口調査の際に、ゼロかそうでないかの調査もしていた。
継続した調査の結果、バロン国内のゼロ出生率が増加傾向にあることが判明した。
『遠い未来、この世界の人口はゼロで占められて、魔法が滅びる時代がやってくる』
会議に出席した専門家が、セシルにそう提言したと書かれていた。
—— —— ——
「……うちの人口調査っていつだ?」
「10の月です」
「そん時、ゼロの調査も一緒に始めてくれ」
「かしこまりました」
(対策、ぼちぼち考えねえとならねえな)
人口調査にこれまでなかった、ゼロか否かの質問項目を入れてもらうように手配した。
バロンがこの調子では、エブラーナもゼロ出生率が高くなっているかもしれない。
「ゼロが当たり前の時代が来るかもしんねえって言われても、ぴんとこねえぞ」
「全くですな。じいも若様もそんな時代を見る前にあの世行きです」
「なんも術が使えねえなんて、不便でしょうがねえや」
「しかしながら、エブラーナに生まれてよかったとつくづく思いますな。ミシディアですとそうもいきますまい」
ゼロの忍者も一応いるにはいる。
火遁や隠密、変化の術など知性を要する術が使えない。
それでも、気配を消す、体術武術などに要する身体能力は修行を積めば鍛えられる。
身体を使う戦闘能力においては、ゼロでない一般的な忍者とさして変わりはない。
「ミシディアとバロンは白魔法もあるじゃねえか」
「ああ、そういやそうでしたなあ」
白魔法は強い精神と見えざる神への信仰心が何よりも重要。
知性を全く必要としないので、ゼロでも修行とやる気次第で術を使えるようになる。
だから、ミシディアはさして問題はない。
……問題は、黒魔法や召喚術に依存するミストだ。
(火事の前……)
エッジを友人だと自称するゼロの男が、ぼんやりと頭に浮かんだ。
『ゼロって、神様に選ばれた気がして、時々優越感に浸れるんだよね』
先日ミストを訪れた際、エッジはミストの過去の断片に触れたばかり。
話を詳しく聞いた訳ではないが、あの村でのゼロの扱いは相当ひどかったと見て取れた。
「じいは、ゼロでも全然後悔してなさそうだな」
「8年前に一度だけ。それ以外は一切ございません」
実はこのじいもゼロ。知性を要する忍術は一切使えない。
ただ、修行は現在も続けており、お城勤にやや劣る程度の身体能力の持ち主である。
8年前、じいは心労が絶えなかった日々を送ったであろう。
忠誠を誓った前国王夫妻を守ることも出来なかった。
しかも、エッジが月から帰還するまで、逃げ延びた洞窟で被災民を取りまとめていた。
それも、ほぼひとりで。
「じいは知性と引き換えに、別の能力に恵まれております。それを有効活用してエブラーナに忠誠を尽くし、身を粉にして働いておりますゆえに」
「……なるほどな」
はきはきと答えたじいの言葉には、説得力がある。
じいはゼロである代わりに、自他共に認める優秀な頭脳を持っている。
それを生かして、エブラーナの内政を任せられるぐらいの地位に登りつめたのだから。
「という訳で、じいは常日頃から身を粉にして働いておりますので、明日は2ヶ月ぶりに休暇を取らせていただきます」
「ああ、構わね……」
がっしゃーん!!
「な、何事!?」
執務室の外——廊下から、何か陶器が割れるような大きい音が聞こえてきた。
危機管理が過剰に徹底しているからか、じいが有事が起こったぐらいの大げさな反応を見せる。
「メシぶっちゃかしたんだろ」
「そうですかな……?」
「気になるなら、様子見に行ってやれよ」
「は、はい。かしこまりました」
じいとは対照的に、エッジは極めて冷静である。
もうすぐ昼食がここに届けられる時間だ。
女中の誰かが運んでいたお膳を落としたのだろう。
「あのぉ、若様……」
「なんだよ」
「休暇を……」
じいが扉を開ける前に後ろを振り返り、休暇をせがんできた。
まるで捨て犬のような弱々しい目つきで、こちらを見ている。
(必死だな……)
じいの休暇は、城での仕事量やエッジの気分で直前に取り消されることが度々ある。
振替休がないのも余計して、若様から直々に休暇の確約が欲しくてたまらないのだ。
「わかったわかった。明日休んでいいから早く行ってやれ」
「はっ!」
(オレは明日夕方からしか出かけねえし、別に構わねえな)
エッジから休暇の確約をいただき、じいが執務室を後にした。
やがて、廊下からじいの怒号が聞こえてきたが、エッジの耳には全く入らない。
明日は、リディアとの月に一度の夜の逢瀬がある。
リディアの日常から『エッジ』が消えるまでに、思う存分リディアを堪能するために。
明日は何をすればよいか、ただれた思考をぐるぐる巡らせていたせいである。
(1回でいいから、朝までヤレねえかな……)
§
少し遅めの昼食をとると、執務室の机に『探しても無駄』と一筆書き残しておいた。
それからまたまた私室を経由して、今度は城の地下にある衣装庫へ向かった。
衣装庫は、通常の地下室4室分の広さがある。
ここには『変化の術』を使えない忍者が任務で姿を偽るために。
年齢性別や国を問わず、様々な衣装やかつらに化粧道具……変装道具が全て揃っている。
現在エッジは、そんな衣装庫の一番奥に、壁一面設けられたガラス張りの棚を眺めている。
その棚には、ありとあらゆるかつらが並べられていた。
緩やかなウェーブがかかった、長い茶髪のかつらが目に入った。
……おそらく女性用だ。
女装経験は一度だけあるが、見知らぬ女性から心ない一言を言われたことがある。
それが今でもトラウマとなっているので、この髪型は論外。
「却下」
(女装なんか二度としねえぞ!)
エッジは不採用を言い渡し、隣に視線を移す。
今度は、ストレートの長い金髪のかつらだった。
「うわぁ、きざくっせ……」
(このオレがギルバートやカインみてえになるのかよ)
旧知の某国王や未だ山ごもりしている竜騎士を思い出し、ぞわぞわ寒気が走った。
もちろん、これも不採用である。
それからも棚に並べられたかつらをひとつずつ品定めした。
しかし、なかなかこれといった髪型が見つからない。
エッジはこの後、城から脱走して国有艇でバロンに向かう。
そこで、気付かれぬようにリディアを護衛する(2年連続2回目)のだ。
—— —— ——
リディアは普段、ミストの集落からあまり出ない。
そんな彼女にとって貴重なお出かけが、毎年夏にバロンで行われるギルバートの演奏会である。
今年の開催日は、本日。
もちろん、リディアは友人ふたりと観に行くことになっている。
エッジは昨年から、その日のリディアの護衛を勝手につとめている。
時間はリディアがバロンに到着してから、帰りの巡回艇に乗るまで、ほぼずっと。
護衛する理由は、露出度が高いリディアの服に他ならない。
昨年、新聞を使ってそれを『服』と世界に認知させた。
しかし、やっぱり水着(下着)にしか見えない。
バロンの町を歩くリディアを狙う、不届き者が必ずいると考えたのだ。
現に、昨年見つけた愚か者は10人。
もちろん、リディアの知らぬ間に全員成敗した。
—— —— ——
エッジは、『変化の術』が苦手なので変装するしかない。
そのため、現在ここで準備の真っ只中という訳である。
「ずっと、『隠れみの術』を使ってりゃ、こんな苦労しなくて済むんだが……」
演奏会の行き帰りの護衛は、『隠れみの術』で姿を隠している。
しかし、演奏会の客として劇場に入場するため、変装もした上でバロン入りしていた。
「休憩してえし、やっぱ変装も要るよな」
(『ツクヨミ』の姿は、バロンじゃ不審者扱いされるしな)
エッジは、ギルバートの歌声を聞くために鑑賞するのではない。
演奏会の客は8割が女性。
リディアを付け狙うような人間が、ギルバートの演奏を観に行く訳がない。
その間は、神経を張り巡らせて護衛しなくても済む。
ギルバートの歌声も仮眠にちょうどよく、休憩時間にもなる。
本日だけならず、今後も『隠れみの術』と変装のダブル体制で(勝手に)護衛する。
エッジがそう思い直してから、引き続き棚に並べられたかつらを品定めしていると。
「——おい、そこの者」
『っ!?』
背後から野太い男性の声で呼びかけられた。
(ば、ばかやろう! びっくりさせんなよ!)
身体を一瞬震わせてから、ゆるゆると後ろを振り返ってみれば。
目の前には、ゲッコウが厳しい表情で立っていた。
「何をぶつぶつ言っておるのだ」
『いえ、別に』
仮にも国王の前で、ゲッコウが偉そうな口の利き方をしたのは他でもない。
エッジは現在、『ツクヨミ』の姿に変装している。
ゲッコウには若い忍者、ぶっちゃけ目下の者にしか見えないからだ。
『何かご用でしょうか?』
「ここの扉が開けっ放しになっていた。のぞいて見たら床に衣装が散らばっていてな。——そなたの仕業か?」
『……っ、申し訳ございません』
—— —— ——
衣装庫を訪れたエッジが、まず手を付けたのは衣装選びだった。
その際にたんすから見つけた衣装を両手で広げた瞬間。
直感で不採用を申し渡して、ぽいっと衣装を後ろに放り投げる。
以後、その繰り返し。
衣装庫の石畳の床には、投げ捨てられた数々の衣装が放置されたまま。
—— —— ——
(こいつ、図体の割にめちゃめちゃ細けえんだよな)
そもそも、ゲッコウの性格からして、ぐっちゃぐちゃに服がばら撒かれている以前に。
部屋の扉が開けっ放しだったことが許せなかったと思われる。
「ここは、そなた専用の倉庫ではないぞ?」
『はい、承知しております』
「それにだな。整理整頓を……」
『……』
「……」
(これが、噂のお説教か……!!)
くどくと話を続けるゲッコウに、エッジは面の下で歯ぎしりする。
—— —— ——
ゲッコウは、ザンゲツに次いで優秀で模範的なお城勤である。
その一方で、とても几帳面かつ神経質で口うるさい。
『説教さえなけりゃ言うことないのになあ』
若いお城勤がゲッコウの愚痴をこぼすのを、エッジは何度も聞いたことがある。
—— —— ——
(このまま説教されっぱなしで終わりたくねえな)
一矢報いるために、エッジは説教を右から左に聞き流しながら思案を巡らせ始めた。
「そもそもお面をつけているなら、変装の必要はないであろう」
『今回の任務では諸事情がございまして、お館様からも許可をいただいております』
「……それを言われたらどうしようもないな」
『なにとぞご理解下さいませ』
エッジは面の下で呆れた表情を見せて、小さく息をついた。
(これのせいで、嫁どころか女ひとりも出来ねえんだろうな)
実際に悪名高いお説教を受けてみて、ゲッコウが未だ独身の理由がよくわかった。
長い、しつこい、同じことの繰り返し……これでは、女も逃げ出してしまう。
「……まあいい。衣装選びから真剣なのは、お城勤としていい心掛けだ。その調子で任務も手を抜かぬようにな」
やっと説教が終わった。
ここから、若いお城勤の会話を参考にして考えた反撃に出る。
『そんなことは絶対にいたしません。ゲッコウさんがよく『念には念を』『石橋を叩いて渡れ』とおっしゃられているではございませんか?』
「おお……! よく覚え」
『——耳にタコが出来るほど聞かされ続けたら、嫌でも覚えてしまいます』
「ぐっ……!!」
(効いてる効いてる)
一度持ち上げてから嫌味ったらしく落としてやると、ゲッコウが息を詰まらせた。
(『ツクヨミは、くそ意地悪いお城勤』って思われたまま帰られっと、これから厄介だな……)
しめしめとほくそ笑んでいたが、ふと思い直した。
悪印象を残さないよう、もう一度持ち上げる必要がある、と。
『お城勤一の剛勇の士、ゲッコウさん直々にご指導を受けることが出来て大変光栄です。今後もご指導のほどよろしくお願いいたします』
説教癖と、エブラーナの人口増加に協力しない独身貴族。
それを除けば、エッジはゲッコウをとても高く評価している。
お世辞でも何でもなく、真っ当な評価……賞賛と感謝の言葉を述べてから頭を下げた。
「そ、そうだな……!」
今にも怒りそうだったゲッコウが、嬉しそうな表情を見せた。
1回落としても、最後に目上の者を持ち上げて従順さをアピールしておけばよい。
これも処世術のひとつである。
『退室する前に、必ず片付けいたします。どうぞご安心ください』
「そなた、名は確か……」
『ツクヨミと申します。国外勤務が多いので、たまにしかここにはおりませんが』
「ならば、ツクヨミ。散らかしたものはしっかり片付けてからここを去るように」
『はい、かしこまりました』
(ばーか。誰がするかっての)
背を向けたゲッコウに向かって、べえと舌を出してやった。
エッジのポリシーのひとつに、『お城の中が散らかっていても、お館様は手を出さない』がある。
なぜなら、エッジがそれをやってしまうと使用人の仕事を奪ってしまうから。
「……全く、今の若者は理解出来ん……お館様もよく覆面をお許しになられたものだ……」
ぶつくさ不満を口にしながら、ゲッコウの気配が衣装庫から離れていった。
(まだ若えのに、じじくせえなあ)
ゲッコウはエッジより少し年下、まだ30になったかならないかだったはず。
ぎりぎり若者の部類に入るのに、やや保守的なの思想の持ち主である。
リディアがよく口にする、『頭が固くて古い人』の予備軍みたいなものだ。
—— —— ——
エッジが、『ツクヨミ』の設定を覆面忍者にしたのは他でもない。
リディアに正体を気付かれないようにするためである。
いくら化粧で顔を変えても、傷を隠しても。
リディアはエッジの顔に反応して、痛みを起こしてしまうかもしれないから。
そして、今後も『ツクヨミ』として行動するにあたり、敵を騙すには、まず味方からの精神。
エブラーナの者にも、存在を周知させておいた方がいい。
そう考えて、定期的にお城の中を、『ツクヨミ』として巡回するようになった。
しかし、ひとりだけお面をかぶっていると目立って仕方がない。
という訳で、半年前に数人のお城勤へ、国内ではお面をかぶって行動するよう命令した。
ゲッコウとタイプが正反対な、頭がやわらかい者や好奇心旺盛な者を選んだのが幸いして。
彼らはみな、面白そうだと喜び勇んで命令に従ってくれた。
そして、現在も覆面忍者を続けている。
午前中に、大通りですれ違った若者もそのひとりだ。
そんな面倒なことをやってのけたのは、リディアのため。
というより、リディアと何が何でも繋がっていたい、エッジ自身のためであった。
—— —— ——
(確か、『誰よりもきみを愛す』だったか……)
偶然にも同じ時期に、覆面忍者と深窓のお嬢様の恋愛活劇小説がベストセラーになった。
その小説の影響で、城外で自ら仮面をかぶる民や忍者も続出。
いまや、エブラーナ全土にわたって、覆面は当たり前という空気が漂っている。
「……いいや、去年といっしょで」
エッジは数歩進んだ先のガラス戸を開けて、赤色の短髪のかつらを取り出した。
(最低でもこれぐらい男臭くねえと変装する気が萎えるんだよな)
ゲッコウのせいで品定めの気が削がれて、去年と同じ男女兼用のかつらになってしまった。
しかし、リディアは劇場内で鑑賞かおしゃべり、どちらかに夢中。
この姿をしたエッジに全く気付いていないので、まあよしとしておく。
(あとは部屋で化粧したら、エブラーナ脱出だ!)
床に散らばった服の中から黒い半袖のフードとズボンを拾うと、衣装庫を後にした。
……散らかっているのを放置したまま。
§
「……?」
衣装庫の扉を閉めて、エッジは意気揚々と私室に向かおうとした。
ところが、複数の女の声が耳に入ってきて思わず立ち止まる。
「……!」
「すみません……」
「……!!」
……発信源は、衣装庫の向かい側にある書庫だ。
(うっせえな、ケンカでもしてんのか?)
ゲッコウはじめ、普通忍者が離れた場所の会話を聞くには、意識を集中しないといけない。
しかし、エッジはとても鋭い聴覚の持ち主。放っておいても嫌でも聞こえてくる。
「……!」
「……二度とあんなことしません。どうかお許しください……」
立ち止まったまま廊下から会話を聞いていたエッジは、面の下の顔を大きく歪ませた。
(最近書庫が、女中の説教部屋になってるってザンゲツが言ってたっけ)
4人ほどの女中が、新入りと思われる女中に説教している。
それも仕事に関するものではなく、生意気だうるさいだの人格攻撃だ。
(同じ説教でも、ゲッコウの方がよっぽどマシだな)
ゲッコウの説教は仕事を円滑にするためであり、人格を否定するようなことは言わない。
「——おい、ハツイ」
「え!?」
「うそ!」
「イザヨイさん……?」
「今からじい様のところへ行こう。私も一緒についていく」
突然、イザヨイの声が聞こえてきた。
先回りして部屋にいたのか、新入り——ハツイと呼ばれていた——の助けに入ったようだ。
(最近こいつら、仲いいんだっけ)
ハツイは、1年前に女中の空き要員として雇われた女性。
偶然にもイザヨイを慕い、懐くようになった。
当初イザヨイは全く相手にしなかったが、押しの強さに折れたのか。
今では時間が合えば、庭に出て談笑するぐらいには仲がいい。
以前ザンゲツがそう話していた。
(イザヨイが来たってなると、修羅場になるかもしんねえな)
……様子を窺い、状況次第で止めに入ろう。
エッジはそう決めて、書庫の扉を静かに開けて中に入り、息と気配を潜めた。
「ちょっと待ちなさい!」
「何あんたたちで勝手に決めちゃってるの?」
「邪魔しないでちょうだい」
「……よくそんなことが偉そうに言えるな。あなたたちがつまづくよう仕向けたくせに」
「な……何言ってるの?」
「そこのあなたが足を出したから、ハツイは膳を落としたんだよ」
「うそ……!?」
「イザヨイさん……それ、ほんと?」
「ああ。私が見たから間違いない」
(さっきのあれか!)
正午前に、執務室へ昼食を運んでいた新入りの女中が、廊下でお膳をぶっちゃかした。
30分ほど遅れて昼食を届けてくれた別の女中から、そんな説明と共に謝罪された。
ミスは付き物。どうでもいいと思っていたが……。
当時イザヨイが、その現場をこっそり見ていたと思われる。
「そ、そんなことしてないわよっ!!」
「そうよ。言い掛かりも大概にして!」
「昔からあんたたちは、新人をいじめて辞めさせて、また新人をいじめてを繰り返しているそうじゃないか」
「何ですって? 証拠もないのによく言うわね!」
「昨日、ハツイと入れ替わりで辞めた女中に会って、話を聞いてきたが」
「……!!」
「い、いつの間に……!」
「イザヨイさん、本当に会ってきたの!?」
「調査ぐらい何のことはない。いじめでストレス解消とは、ずいぶん性質が悪いじゃないか」
(こっそり調べてたのか)
どおりで、この5、6年の間に雇った女中が、全員1年足らずで辞めてしまう訳である。
最後に入ったのが、現在イザヨイと仲の良いハツイだ。
彼女はイザヨイとの談笑の合間に、古株女中たちへの不満をそれとなく話したのだろう。
「っ、あなたはお城勤でしょ? 関係ないじゃない」
「女中の仕事に口を挟まないで」
「ちょっと仕事が出来るからって偉そうに。お高く止まりすぎなのよっ!」
古株女中どもが、今度はイザヨイへの不満を本人にぶつけている。
逃げられない事実を突きつけられても、女どもはまだ抵抗する気でいるらしい。
すぐ徒党を組みたがるわ、感情でモノを言うわ……。
女の嫌なところが全開で、エッジは気分が悪くなってきた。
—— —— ——
イザヨイは、お城勤唯一の女性、いわゆるくノ一と呼ばれる者である。
忍者の才能に隙がなく、仕事はほぼ完璧にこなし、見目麗しくまだ若い。
男の嫉妬が上下争いの攻防戦なら、女の嫉妬は無い物ねだりからはじまることが多い。
普段からイザヨイは女性使用人、特に女中たちからこうしてやっかみを受けている。
他者との交流力の乏しさも、やっかまれる原因のひとつ。
イザヨイは復興間もない頃、じいにスカウトされて当時12歳の若さで城に雇われた。
当時から無口で無愛想だったが、同僚に女性はひとりもいなかった。
年上の大人と男ばかりに囲まれて、会話と言えばせいぜいお城勤と仕事の話をする程度。
なぜか、1年ぐらい前から、使用人にやっと挨拶が出来るようになったばかり……。
—— —— ——
リディアの口の悪い方の友人なんか可愛いものだ。
あの女は、こんなことをする暇があれば、ギルバートと戯れる妄想にふけるだろうし。
「じいや様に話せば、お館様の耳に入るでしょうし」
「どうせお館様に褒められたくて、いい人ぶってるだけでしょ?」
(そんなもん、やったことねえぞ)
報告してくれるついでに、部下を褒めたことはある。
しかし、褒めるために部下を呼び付けた記憶はない。
そもそも、イザヨイを呼びつけて褒めようものなら。
女性使用人が、ますますやっかんでしまう。
そういった事情もあって、時給を上げる、難しい任務を渡す……。
エッジは、お城勤をはじめ使用人には、仕事内容や労働条件で見える評価を与えていた。
「いい加減にしてください。イザヨイさんは、そんな人じゃ」
「——お黙りっ!」
「ひっ!」
「それもこれもドジ踏んだあんたが悪いんじゃない」
「っ、すみません……」
「ねえ? この際だし、はっきり言ってやりましょうよ」
「いいわね。ストライキより効果的かも」
「——あなた、お館様のことが好きなんでしょ?」
「……」
女中にエッジへの気持ちを問われて、イザヨイは黙り込んでしまった。
—— —— ——
女性使用人のやっかみに、更に拍車を掛けるのが。
イザヨイの過剰かつ恋情が混ざった『お館様至上主義』であった。
年齢や忍者の才に容姿や仕事ぶり、お館様からの高い信頼……。
女性使用人——特に女中に多い——は、ほとんどの要素でイザヨイを下回る。
それが面白くない上に、イザヨイから相手にもされないので、こうして陰口を叩いている。
—— —— ——
「みんな知ってるわよぉ? 見張り番、代わってもらって天井裏からお館様を見ていたこと」
「……それはもう辞めた」
見えない護衛でのお館様の監視は、イザヨイの最たる悪癖と呼べるものだ。
ただ、今はすっかり影を潜めている。
辞めた時期がカルミネの事件の後と被っていることから。
あの事件現場で、エッジに怒鳴られたのが原因なのかもしれない。
「それでも昔はやってたでしょ」
「暇さえあればずっとね」
「……」
「ストーカーとやってること一緒じゃない。職権乱用も甚だしい」
女中どものイザヨイを責める言葉が、エッジの胸にさくさく突き刺さる。
(オレもあいつのストーカーだよな……)
エッジも公私混同で、忍術を利用した盗聴並びに尾行を度々犯している。
それがミストの住民にバレて、吊るし上げを食らった時に同じことを言われそうだ。
「信頼出来る優秀な部下じゃ、満足出来ないもんね」
「王妃になるには、リディア様が邪魔で邪魔で仕方ないしー」
(この野郎……!! リディアは関係ねえだろ!!)
女中どもが、リディアの名を出して対立を煽ろうとしている。
エッジは堪忍袋の緒が切れて、言い争いの現場に近付いていく。
「リディア様が他の人と結婚して、お館様がフラれるのを望」
「——望んでない」
「え」
「はぁ?」
「お館様の幸せはリディア様と共にあられること。私はお館様の幸せを見守るだけだ」
イザヨイの冷静かつ強い言い切りは、エッジが予想していなかったものだった。
(……ってことは)
これが、今のまごうことなきイザヨイの本音なのだろう。
彼女は私事だと冗談が言えない。嘘もつかない、いや、つけない。
その代わりに黙秘を貫くから。
「ふふっ……!」
「……っ、あはははっ!!」
ついに、エッジの視界に言い争いの現場が入ってきた。
腹を抱えて笑う女中どもに向かい合うように、イザヨイとハツイが壁を背にして立っている。
まるで、いじめの構図さながらの光景だ。
「何がおかしい」
「嘘おっしゃいな」
「強がらなくてもいいのよ?」
(そろそろ終わらせるか)
女中どもの高笑いが落ち着き、エッジはすっと息を吸った。
「いくら忠実に仕事をこなしても無駄よ?」
「そうそう。お館」
『——ご歓談のところ失礼いたします』
「っ!? だ、誰あんたっ!!」
「……どうしよう、覆面忍者第1号よ……?」
「ええ!?」
「うそ……!」
ここに来たのが、お城勤の『ツクヨミ』だと知った途端。
女中どもの顔がみるみるうちに青ざめていく。
『この部屋では、歓談が禁止されているはずですが』
「も、申し訳ありませんっ!!——行くわよっ」
『衣装庫が散らかっておりましたよ? お片付けなされた方がよろしいかと』
慌てて書庫を去る女中どもに、お館様として最後の仕事を与えた。
……散らかしまくって放置してきた、衣装庫の片付けを。
(あいつら全員クビにしてやる!)
イザヨイをやっかみ、陰口を叩く者は他にも大勢いる。
しかし、エッジは黙認している。
妬みや嫉みは、人として当たり前の感情だからだ。
感情抜きに仕事を真面目にこなして、トラブルさえ起こさなければいい。
しかし、今回は目をつぶっていられない。
新人だからという理由で、過去に少なくとも4、5人は辞めていると思う。
新人いじめのために、お城の仕事を滞らせるなんてもってのほかだ。
ぐうの音も言わさない証拠をイザヨイに揃えさせる。
それから、あの女中どもを解雇に追い込んでやることにした。
「助かった。礼を言う」
「ありがとうございます。ツクヨミさん、ですよね?」
『はい。どうもはじめまして』
「噂では、遠方任務が多いと聞いているが」
『ええ。先ほどファブールから戻ってきたばかりでございます』
「そうか……」
『ところで、お二方はどういったご関係で? ご友人ですか?』
「はい、そうですっ!!」
「た、たぶん……」
(ぎこちねえ笑い方だなぁ……)
喜色満面なハツイに腕を組まれてイザヨイが笑顔を見せたが、とても硬い。
笑い慣れていないのが見て明らかだ。
イザヨイにとっては、この女性は生まれて初めての友人。
友人という実感がまだないように見える
『ずいぶん曖昧ですね』
「気が付いたらこうなっていたんだ」
『そうでしたか』
「……早くじいや様のところに行かないと」
「そうですね」
「それではこれで失礼」
「助けていただいてありがとうございましたっ!」
イザヨイとハツイが、お礼と軽い会釈をしてから書庫を後にした。
そんなふたりを微笑ましく見送ると、足元に衣装を投げ捨てる。
そして一仕事終えたとばかりに、その場でうーんと大きく背伸びした。
(あいつ、変わったなあ)
人は出会いで人生が変わるとは、よく言ったものである。
ハツイと出会い、イザヨイの内面にもわずかながらも変化が起こったと思われる。
エッジ以外の他者のために、自ら行動を起こしたのも生まれて初めてだと思う。
少しずつでいいから、他者との交流が広がることを願うばかりだ。
さすればイザヨイは、更に優秀なくノ一として成長出来るに違いない。
「……戻って準備すっか」
大切な想い人に変な虫がつかぬように、バロンへ虫退治に向かうため。
エッジは投げ捨てた衣装とかつらを再び拾って、書庫を後にしたのであった。
—— —— ——
イザヨイの人生を変えたのがハツイならば。
エッジの人生を変えてくれたのは——リディアだ。
—— —— ——
.