フェイクラバーズ 作:かえで
——7の月30日 午後9時過ぎ
リディアたちは本日、お出かけ三昧の一日を過ごした。
エブラーナ西部の薬草園で遊んでから、夕方ここバロンの町にやってきた。
毎年恒例ギルバートの演奏会の鑑賞と楽屋訪問も終わった。
これからミストに帰るために、劇場を後にしたばかり。
「いつ見ても綺麗だね……!」
「ほんとね。今頃ミストはおやすみの時間なのに……」
商店街に入っても、ミストでは見られない夕暮れ時に近い明るい風景が続く。
隣を歩くライザと一緒に、路上を照らす光を眺めながら感嘆の声をもらした。
「でも、ミストはこんな風になって欲しくないなあ」
「わかるわ。毎日これじゃ落ち着かないもの」
—— —— ——
セシルがバロン国王に即位した後。
町やその周辺に様々な店舗や施設が建てられたが、その中に劇場も入っている。
演劇や舞踊にオペラ、演奏の披露を目的とした劇場はバロン城の東側にある。
城の西にある発着場と距離がかなり離れている。
行きも帰りもたくさんのお店が立ち並ぶ、長い商店街を通らなければならない。
観光客や通行人が休憩がてら、商店街のお店に立ち寄り、お金を落とす。
お店は売上が上がる。
そして、国はお店に税金をたくさん納めてもらえる……。
『みんなが得するように、わざといろんなものをそんな配置にして建てたのよー。一石二鳥もとい、一石三鳥ねー』
一昨年、アリサからそんな話を聞いたことがある。
—— —— ——
商店街はこの時間でも営業中の店が多く、店に立ち寄る客が多い。
近い間隔で等しく街灯が配置されており、路上を明るく照らしてくれている。
狭い路地に入らない限り、ランタンや火球魔法を用いる必要はない。
「……そういえば。今年も、『あの人』が観にきてたわね」
「ライザもやっぱり気付いてたんだぁ……!」
「そりゃあ、すぐ前の席にいたらね。『あの人』、とても目立つもの」
げんなりしたような表情に変わったライザと共に、リディアも表情を暗くさせる。
ふたりが気味を悪くするのは、仕方がないことなのである。
—— —— ——
『あの人』とは、去年の演奏会でリディアたちの2列前に座っていた男性客のことだ。
開演前から演奏会が終わっても、ずっとうつむいて座っていた。
座高が高いのか、鑑賞中にその客の後頭部が嫌でも視界に入ってくる。
わかっているのは赤い髪、黒っぽい服、それだけ。
歌やギルバートが目的でもなく、ただ眠りにきたとしか思えない。
—— —— ——
「だんだん近付いてきてるよね」
「来年は、わたしたちの隣に座ってるかもしれないわ」
去年も帰り道の途中、こうしてライザと『あの人』の話をしていた記憶がある。
それから、1年経った本日。
リディアたちが劇場の席につくと、既にその客が前の列の席に座っていた。
「やだよ! あんな人、隣にいたら怖い!」
「害はなさそうだけど、それでも気分はいいとは言えないわよね……」
1年後が思いやられて、リディアは身震いした。
ライザも憂鬱そうに空を見上げている。
その客と一度話す機会があったら、『あなたは何しに劇場へ?』と聞いてみたい。
……聞かないけれど。
「でも、今日もギルバートは歌上手だったね」
「新曲も褒めたら喜んでくれたわ。あの方、本当に歌が大好きなのね」
「毎年、曲作ってるってすごくない?」
「聴く方もだけど、歌う方も同じ曲ばかりじゃ飽きてくるのよ」
(惰性では先が保たないって、ギルバートもわかってるんだ)
高貴麗しき容姿と魅力ある歌声だけでは、5年以上も国外公演など続きやしない。
毎年新たな楽曲を作って披露するのも、人気が続く理由のひとつなのだろう。
もっとも、ギルバートその人に心酔する者も少なからずいるが……。
その身近かつ最たる例。一歩先を歩いている女性をちらりと見やる。
「……こないだもその前も……いなかったのに……若くて賢くて綺麗って、反則……」
(こんな姿、生まれて初めて見るなあ……)
アリサは劇場を後にする前から、リディアたちとろくに口を利かない。
ずっと肩を落として、時折独り言をぶつぶつこぼすだけ。
「もう、アリサったら。いい加減、元気出……わっ!?」
アリサに近寄ろうとしたら、ライザが見えないケープをぎゅうと引っ張ってきた。
すると、リディアに向かって首を横に振ってからこう言った。
「そっとしておいてあげましょう」
「でも……」
「あんな綺麗な娘さんがそばにいたら、落ち込んでも仕方がないわ」
***
——公演終了後
楽屋訪問は、ギルバートのファンクラブ会員のメイン特典である。
演奏会を鑑賞しにきた会員が、公演開始前と開始後に分かれて。
たった5分だけだが、生ギルバート様と楽屋でお話が出来る。
このためだけに、ファンクラブに入っている女性も少なくないという。
会員は付き添い——非会員の客を、最大3名まで連れてくることが出来る。
アリサが会員なので、非会員のリディアとライザも楽屋訪問は可能。
今回リディアたちの訪問時間は、公演終了後に割り振られた。
「次の組の方、どうぞお入りください」
演奏終了後。リディアたちは楽屋の前に並んでギルバートとの面会を待っていた。
「ああ……! もうすぐギルバート様に会えるわぁ!!」
「前に2組いるから、あと10分ぐらいだね」
「……??」
アリサがうっとりしたような表情で、今か今かとご対面を待っている。
その一方、ライザが時折周囲を見回している。
「どうしたの? きょろきょろして」
「……あっち見て」
ライザが指さした方向を見ると、念願のご対面を果たしたのに。
楽屋から出てきたばかりの女性客3名が、全員立ち止まったまま泣いている。
「……ギルバートと会えたから感動したのかな?」
「それがね。さっきから、出てくるお客さんのほとんどがすごく暗いのよ」
「えっ?」
「あの人たちみたいに、泣いていた人も多かったわ」
「何かあったのかな?」
「さあ……?」
ギルバートのことなら誰よりも詳しい人が、身近にいるではないか。
そう思ってアリサにたずねてみたが、もうすぐ生ギルバート様に会えるからだろう。
返ってきた答えは、「みんな感動したんでしょー」という適当さであった。
「では、次の組の方。どうぞ中にお入りください」
「やったわ!」
そうこうしているうちに、ついにリディアたちの番がやってきた。
アリサが喜び勇んで、一番手で楽屋に入ったまではよかった。
「失礼しま」
「——こんばんわ、ごきげんよう」
「……」
「今年も観にきてくれて本当にありがとう」
アリサが身体をかちんこちんに固まらせている。
それもそのはず。
見目麗しいギルバートの背後には、眼鏡をかけた知的な美しい女性が立っていた。
「ギルバート、お疲れさまでした」
「やあ、リディア。久しぶりだね」
「ね、ギルバート。その方、どなた??」
「ああ、彼女は秘書見習いでね。——自己紹介してあげて」
「はじめまして、リディア様。ハルと申します。お噂はかねがねギルバート様から伺っております」
「はじめまして。リディアです」
ハルと紹介された女性から手を差し出されて、握手を交わした。
(秘書見習いってお城で働いている人だよね……ちょっと若くない?)
ハルの年齢が気になるも、女性に年齢をたずねるのは失礼なので聞けない。
すると、リディアの考えを知ってか知らずか、ギルバートがこう言った。
「彼女はまだ16歳なんだ」
「16? まだ学校に通ってる年じゃ……?」
「ものすごく頭が切れる子でね。飛び級で大学を卒業したんだよ」
「ああ、そういうこと……」
「この春から文官として働いてくれていたんだけど、いずれはぼくの秘書として正式登用しようと思ってるんだ」
「うそ……」
ギルバートがそう言った瞬間。
アリサが呆然としながら、よろめくように壁の隅に寄りかかった。
声をかけるのもはばかられるほど、茫然自失状態に陥った友人を見て。
なぜ楽屋から出てきた女性客が落ち込んでいたのか。その理由がはっきりした。
(秘書以前の問題かも。若い女の人と一緒にいるってだけで……)
ハルは将来、ギルバートの秘書。確かに彼はそう言った。
けれど、アリサをはじめギルバートのファンは、それを信じず。
ハルはギルバートと将来の恋人。もしくは、将来の王妃さまになる。そう思い込んでもおかしくない。
ただ、本当にこのハルが恋人なのか。将来そうなるのかどうかはわからないけれど。
「あ、あの……話は変わりますが、本日最後の曲……とても素敵でした」
ライザが、放心状態のアリサをそのままに。
曲の感想をつたないながらも、ギルバートに伝えた。
(ライザはファンでも、『ギルバートの歌』のファンだもんね)
面会時間は、たった5分だけ。
この時間を逃すと、1年後まで感想を本人に伝えられないのだから、そうなるのも当然か。
「どうも、ありがとう。そう言ってくれるお客さん、今年は結構多くてね。喜んでもらえたようでうれしいよ」
「とんでもありません……これからも素敵な曲、楽しみにしています」
「ははっ、あまり期待しないで欲しいな」
「来年楽しみだね」
「ええ」
「……」
「……!」
その後も朗らかな雰囲気で会話が続き、あっという間に面会時間が過ぎていった。
ただ、アリサは一度も会話に参加することはなかった。
***
「やっと劇場から出たばかりですもの。今は刺激しない方がいいわ」
「さっき、みんながじろじろ見てきて恥ずかしかった……」
「アリサは声が大きいから余計ね。でも、便利な魔法を思い出してくれたじゃない」
—— —— ——
楽屋を出るなり、アリサがその場に崩れ落ちて、大声でわあわあ泣き始めた。
他にもそんな女性は多かったが、アリサは地声が異常に大きい。
人目が気になって困っていると、ふと『防音結界』の存在を思い出した。
すぐに結界を作り、人目を気にせずアリサを慰めること10分間。
ようやく、落ち着きを取り戻して、つい先ほど劇場を後にすることが出来た。
—— —— ——
「あれは、アリサのために作ったんでしょう?」
「えー? そんな訳ないないっ」
「冗談よ。それなら、前から使ってるもの」
「自分でも魔法が作れるかなあって、適当に作ってみただけなんだよ」
「じゃあ、手作り魔法第1号なのね?」
「そうなんだけど、今日までほったらかしにしてたの……」
リディア初の手作り魔法、『防音結界』は周囲に会話や音がもれない。
しかし、完成直後に数回使っただけ。
今日の今日まで、記憶の片隅に置き去りにされていた。
「まあ、使う機会はないわよね。ひとり暮らしで周りにお家もないもの」
ライザの言葉を聞いて、黙って考え込んでしまった。
(これを使ったら、ふたりにエッジの話を打ち明けられる……?)
リディアはぽつんと一軒家にひとり暮らし。声も音も出し放題。
アリサの大泣き声を抑えようと、数年ぶりに使ってみたが……。
この魔法。実はいろいろ使い道があるのではないだろうか?
「どうしたの?」
「……この魔法、寄合で使えるかもしれない」
「……ひそひそ話しなくてもいいわね」
「おじちゃんに怒られなくなる!」
「内緒話も……! こんな便利な魔法を作れるなんて、あなた本当にすごいわ」
「へへ、そう言われるとうれしいなあ」
内緒話をする時は、『防音結界』を使えば怖いものなし。
ライザやアリサと好き勝手おしゃべり出来る。
ひそひそになっていないひそひそ話を、寄合中にミゼルから注意されなくて済む。
(アリサとライザに『エッジが来ないから寂しい』って打ち明けよう!)
ずっと悩んでいたが、『防音結界』のおかげで迷いが吹っ切れた。
ただ、アリサがあの落ち込みようでは、今日は打ち明けるのは厳しいか。
「ライザがファンじゃなくてよかった。魔法があっても、わたしひとりじゃ慰められないもん」
「歌には聞き惚れちゃうけど、ギルバート様そのものは別に……」
「アリサ……ファン、辞めちゃうのかな?」
「アリサは歌もギルバート様も大好きだから、今日のことでファンは辞めないと思うわよ」
「そうだといいね……」
以前はライザも、アリサと一緒にギルバート様と騒いでいた。
しかし、本気でそうしていた訳ではなかった。
***
——1年前
ギルバートの演奏会が終わり、帰り道の途中。ライザが突然こう宣言した。
「ファンクラブの会員、今年でもう辞めるわ」
理由を聞けば、ギルバートのファンのふりをしていただけと言うではないか。
「年に一度だけでも、自由時間が欲しくて……」
「あんたのお義母さん、なかなか許してくれないもんねー」
「あとは、お付き合いを兼ねてみんなに話を合わせていたの……ギルバート様の歌は好きだけど、あの方のことは興味ないのよ。——今まで嘘ついていて、ごめんなさい」
「そんな……謝らなくていいんだよ」
「よく言ってくれたわぁ! ライバルがひとり減って嬉しー!」
ライザが毎年演奏会に行く理由は、友人とミストの外に飛び出して、夜遊びしたいから。
……今のリディアと同じだったのだ。
***
「でも、今年は今まで以上に楽しかったわ。わたし的には演奏会よりもエブラーナだけど」
「……気が早いなあ。まだお泊まり残ってるよ?」
「遠出はもうないでしょう? ラベンダー畑、本当に綺麗だったもの」
「いろんな商品買い占めてたもんね」
「あれだけ品揃えが豊富だと、毎年どころか毎月通いたくなっちゃうわ」
「ばらなら1年中見れるよ?」
「ばらも素敵だったわね。さすがに商品には手が出せないけど……」
(やっぱり、提案してよかった!)
ご満悦そうな表情を見せるライザを見て、喜びがじわじわ胸にあふれてくる。
—— —— ——
ライザは薬草がだいすき。
自宅の裏庭で様々なハーブを育てたり、自分で香水を作ったりしている。
エッジが定期的に、ラベンダーの練り香——薬草園の商品が要か不要か声をかけてくれる。
要なら、次にミストにやってきた時に代金と交換で商品を持ってきてくれる。
ライザもそれを聞いて、リディア経由でいろんな薬草の精油を購入している。
それぐらいの薬草好きが、薬草園に食いつかない訳がない。
—— —— ——
「アリサがギルバートなら、ライザは薬草だね」
「そして、あなたは甘いもの」
「みんなばらばらで、ちょうどいいじゃない!」
「ふふっ、あっちでもこっちでもアイスふたつずつ食べちゃって」
「……その分、ごはんを少な目にしたからいいんだもーん」
くすくす笑うライザに、リディアは口を尖らせる。
「ツクヨミさん。初めてお話ししたけど、いい人だったわね」
「すごく真面目でしょ?」
「ええ。ツクヨミさんに会ったこと、帰ったらミゼルさんにも教えてあげたら?」
「うんうん。おじちゃん、絶対喜ぶよね……アリサはつまんなさそうにしてたけど」
「ふふっ、エッジ様をからかえないってわかったから、面白くなかったのよ」
「『鬼上司』って言うつもりだったんだろうなあ」
***
——午前
朝早くからリディアたちは、ミストを飛び出してエブラーナの薬草園へ向かった。
ミストから薬草園へ行くには、まずは巡回艇に乗ってエブラーナで一旦降りる。
そこから薬草園への直行便に乗り換えなければならない。
ところが、エブラーナの発着場に到着し、いざ直行便に乗ろうしたら。
突然アリサがエブラーナ城を突撃訪問すると言い出した。
エブラーナを訪問するのは初めて。
観光の一環(ついでとも言う)として、エッジに会いに行こうと思ったようだ。
仕事の邪魔になる。連絡なしに訪問するなんて大変失礼。
リディアやライザはそう反対した。
しかし、アリサは聞く耳持たずエブラーナ城に突撃。
エッジとの面会を希望したが、多忙を理由にお断りされた。
その帰り道の途中で、なんと偶然にもツクヨミと出会った。
リディアにはその時、アリサの目の色がきらーんと光ったように見えた。
—— —— ——
ツクヨミが昨年に続き、今年のミストの花火大会にやってくる。
そんな情報を知って以来、アリサはこう言い続けていた。
『どーせ、エッジ様の自作自演じゃないのー? 本人から聞かないと信じられなーい』
ツクヨミが好きで花火大会にやってくる訳はないと判明したら。
『部下いじめ』『暴君』などと言って、エッジをからかってやろう。
アリサはそう目論んでいたのだ。
—— —— ——
そのツクヨミを目の前にして、アリサが黙っている訳がない。
「エッジ様が勝手にぶちまけてるだけか。エッジ様に無理矢理言わされてるのか。そこんとこどうなのって、すごく気になっちゃってー」
『僕がお館様に花火のお手伝いを志願いたしました。お館様からは何も命じられておりません』
ツクヨミからそんな答えが返ってきた。
更には、ミストの魅力について熱弁を振るっていた。
アリサは目論見が外れて、一気にトーンダウン。
それから、ツクヨミと別れるまでだんまりのままであった。
***
「アリサ、本当に怖いもの知らずだよね」
「あの子にとって、ギルバート様以外の全ての人は良くて対等、悪くて目下ですもの。エッジ様なんか怖くないのよ……」
(エッジにもだけど、じいやさんによくあんな態度取れるなあ……)
アリサの強引なやり方を見習おうとは思わない。
けれど、ぐいぐい行く積極さはちょっぴり分けて欲しいとも思う。
「わたしも、少しはアリサを見習って……お義母さんにもう少し強く出てみようかしら?」
「……どういうこと?」
「あと1回ぐらい、あなたたちとお出かけしたくなってきちゃった。説得しようかと思って」
「ほんと? そうしたらまた薬草園に遊びに行けるね」
「ええ、みんなが戻って来たら……」
ぱりんぱりんと氷が割れる音が聞こえてきて、ライザが言葉を切った。
「この音は、もう時間切れってこと?」
「そうだよ。結界、張り直す?」
この音が鳴り止めば、『防音結界』が解除される。
楽屋訪問を終えて、アリサをなだめるために使ってから、もう30分経ったようだ。
「しばらくはいいでしょう。今はアリサ大人しいもの」
「……女の子がギルバートのそばにいただけで、これだもん。先が思いやられちゃうよ」
とても失礼なことを言われているのに、アリサから反論はない。
会話に混ざろうともせず、とぼとぼ歩き続けている。
その後ろ姿からは、精神的余裕が全くないのがよくわかる。
「結婚でもしたら、1か月は落ち込むでしょうね」
「その時は、ライザ。——裏切っちゃだめだからっ」
「その台詞、そっくりそのままあなたに返してあげるわ」
ギルバートのご成婚。
それは同時に、自分たちがアリサのなだめ役になることを意味している。
リディアとライザは、互いに顔を見合わせて苦笑を浮かべたのであった。
§
長い商店街の中間地点を超えても、アリサが元気なく前を歩いている。
そんな彼女の前に、ふたりの若い男が立ちはだかった。
「——お嬢さんたち、ちょっといいかな?」
(チャラい人……)
どちらも顔立ちは悪くない。しかし、耳や腕、指にたくさんのアクセサリー。
派手な服装もあって、軽薄なオーラがぷんぷん漂っている。
片方の男はアリサではなく、リディアの方をにやにや笑いながら見てくる。
気持ち悪い視線を遮るかのように、隣にいたライザがリディアの前に立ってくれた。
「なによー?」
それまで憂鬱そうに歩いていたアリサが、男たちの声に反応して急に背筋をぴんと伸ばした。
「よかったらこの」
「——あたしたちそれどころじゃないの」
「……うわ、っ!!」
(つよいっ!)
強いのは男たちではなく、アリサである。
相手に誘い文句を言わさぬうちに、断り文句を口にした。
更には、邪魔だどけとばかりに、右手で男たちを横に追いやってすたすた歩き始めた。
「ほら、ふたりとも置いてくわよー」
「う、うん」
リディアとライザは男たちに一切見向きせず、駆け足でアリサの後を追う。
「ああっ!」
「待ってく……!?」
背後でどさどさ何かが倒れる音と、女性の悲鳴が聞こえてきた。
それでも、リディアとライザは一切後ろを振り返らず走り続けた。
こういう時は振り返ったら負け。調子に乗ってまた追いかけてくるから。
事前にアリサから、そんなアドバイスをもらっていたのだ。
「すごいよアリサ。あしらい方が手慣れてる」
「さすが、夜遊び経験者だけあるわね」
「……鏡見てから出直してこいってのー」
せっかく褒めたと言うのに、不満たらたらでぼやくアリサ。
……男たちの容姿にとても不満があったらしい。
リディアとライザは渋い表情で互いに顔を見合わせた。
「あなた、目がおかしいんじゃない?」
「病院で診てもらった方がいいよ」
「失礼なこと言うんじゃないわよ! 至って普通よー!」
「今の人、顔だけはそこそこイケメンだったと思うけどね……」
「しょうがないか。みんなギルバート以下に見えちゃうから」
「くっ……!」
ギルバートの名前に反応したからなのか。
それとも、リディアとライザに、歪んだ美顔基準を指摘されたからか。
アリサが再び、首を垂れて黙り込んでしまった。
「……また大人しくなっちゃった」
「いいじゃない。ナンパはしっかり断ってくれるもの」
……今日は、とっても変な日である。
夕方バロンに着いてから、時折騒ぎ声や女性の叫び声が、あちこちから聞こえてくる。
おまけに、先ほども含めるとなんと6回も男性に声をかけられている。
その度にアリサがお断りを入れてくれるおかげで、全て未遂で済んでいた。
「ねえ、ライザ」
「なあに?」
「やっぱり、この服がだめなの……?」
(さっきの人もこれ見てた……)
リディアは自分の身体を覆う透明の布を、軽く指でつまんでみた。
「そ、そうね……実物を見ちゃうと、男の人は……その……やっぱり興奮するものなのよ」
「そうなんだね……」
顔を赤らめて両手で顔を覆いながら、ライザがしどろもどろで答えてくれた。
その様子で、ナンパされる原因がはっきりとわかった。
……アリサから痴女。エッジから水着や下着と称された、この服のせいだと。
「去年は何もなかったから、例のコンテストのお客さんでしょうね」
「……どうして一緒の日にしちゃったんだろう」
(ここは海からすごく離れてるのに。やる必要あるのかな?)
例のコンテストとは、バロンで毎年夏に開催している『水着美女コンテスト』のことだ。
総勢50人の水着を着た女性が、毎年美しさを競っているらしい。
「たまたま今年は、日にちが一緒になってしまったんでしょう。来年はそうじゃないといいわね」
「うん……」
今日の今日まで、リディアたちはコンテストの存在を知らなかった。
—— —— ——
夕方、バロン城下町にやってきてみると、若い男性が多いこと。
しばらく商店街を歩いていたら。
あちこちのお店に、『第3回水着美女コンテスト』というポスターが貼られている。
アリサが見知らぬ通行人を捕まえて、情報を聞き出した結果。
劇場の隣に設けられた野外劇場で、そのコンテストが行われるという……。
—— —— ——
「早くミストに帰りたいよ」
「そうね……」
しかも、開始時刻はギルバートの演奏会と同じ。
そんな理由で本日バロンの町は、ギルバート見たさの女性だけでなく。
水着美女見たさに、ぎらぎらした若い男まで集まっているのだ。
§
その後もしばらく商店街を歩いていたが。
またまたアリサの前に、ふたりの男が立ちはだかった。
「あんたたち、邪魔よー。どいてちょーだい」
(またこっち見てる)
今度の男たちも、にたにた笑みを浮かべながらこう言った。
「ねー、リディアさまー。ぼくたちと今からお酒飲まなーい?」
「ジュースでも構わないよ」
それを聞くなり、ライザが前にさっと立ってくれた。
男たちに声をかけられる度に、ライザはいつもこう。……まるで、リディアを守るかのように。
「そんな時間ないの。あたしたち主婦だから、早くお家に帰らなきゃいけないしー」
「君には聞いてない」
「リディアさまは独身だから、急いで帰る必要ないよね?」
「ぅ、っ……」
男たちが、リディア『だけ』を標的にしているとわかり、アリサが息を詰まらせた。
—— —— ——
アリサは、こうなることを予想して、あらかじめ数種類の断り文句を準備していた。
門限がある。家族が待っている。そう答えたら、大抵の男は一瞬及び腰になる。
その隙にアリサが相手を強引にどかして、強行突破すると言った手法を取っていた。
—— —— ——
(この人たち、あたしの記事が載ってた新聞読んだことがあるのかも……)
ここまでそれで全て成功していたが、今回は上手くいかなかったようだ。
「リディアさまー。いつも夜はひとりだと寂しいでしょ?」
「朝になったら、きちんと家に送っていってあげるからさぁ」
(あ、朝って……!?)
朝という言葉で、このまま男たちと共にすればどうなるか。
一瞬で見当がついてしまい、背筋に冷気が走る。
このまま、どこかに連れて行って、朝まで夜通し……。
この男たちは、お酒やジュースを釣り餌に、リディアの身体目的で声をかけてきたのだ。
「……じゃあ、あたしたちも連れてきなさいよー」
「えっ」
「ア、アリサ!?」
「この子だけじゃ、酒のつまみには足りないと思うわよー?」
アリサの全くその気のない誘いに、男のひとりが軽く驚いている。
自分たちもついて行くと言えば、諦めるかもしれない。
アリサはそう思って、わざと誘うようなことを言ったようだ。
ところが、男たちは諦めなかった。
それどころか、さげすむような表情でアリサを見下ろしながら、こう嘲笑った。
「ははっ!」
「『中古』にゃ、用はねえんだよっ!」
『中古』は、既婚女性をさげすんだ言葉でもある。
男たちがアリサとライザを侮蔑したのだ。
「な、何ですってー!?」
「ひどい……!!」
アリサとリディアが、男たちへ怒りの声を上げた。
一方、ライザは顔を青ざめさせている。
「おばさんは黙ってろ!」
「……きゃっ!」
「ライザっ!」
前にいたライザが、男のひとりに突き飛ばされて、尻もちをついてしまった。
同時にかばんも地面に落ちて、がちゃがちゃ陶器がぶつかるような大きな音が立つ。
その中には、薬草園で買いだめした精油や香水を詰め込んであるのに。
「さあ、リディアさま。行きましょ」
「やだっ! こっち来ない……離してよっ!」
ライザを突き飛ばした男が、リディアの腕をつかんできた。
抵抗を続ける中、ふと2年前にエッジからいただいた助言を思い出した。
—— —— ——
『何にしろ、一番大事なのは自己防衛だ。おまえもこの先、魔法使って襲われねえようにしろ』
『魔法で……?』
『正当防衛っつってな。そういう時に魔法や物理使って相手が怪我しても罪には問われねえ』
—— —— ——
(許せない!!)
見知らぬ男たちに連れて行かれそうな恐怖より。
友人たちをないがしろにされた怒りの方が勝っていた。
カエルにされても死ぬことはないし、アイテム屋に治療薬が売っている。
男たちをカエルにしよう。そう考えて、黒魔法トードの呪文を唱え始める。
「【……」
「——あんたは黙ってなさい!」
「えっ」
詠唱が終わりに近付いたその時。
突然アリサに怒鳴られて詠唱を止めてしまい、魔法は発動されなかった。
「中古で悪かったなっ! 主婦舐めんなよっ!」
なぜ止めたのか。理由がわからず、ぽかんとするリディアをよそに。
アリサがかばんの中から何かを取り出しながら、男たちのそばへ向かう。
その何かを男ふたりに向けると、ぶしゅうと空気が抜けるような音が立った。
「ぎゃああ!!」
「痛ええ!!」
男たちの顔に、赤のような橙のような霧がかかる。
ふたりとも目元を押さえながら、その場でよろめいた。
「ライザ!」
リディアの腕をつかんでいた、男の手も離れていった。
すぐさまライザのそばへ駆け寄り、身体を起こしてあげた。
「あんたたち、逃げるわよ!」
「うん」
「ええ……」
アリサの号令と共に、リディアもライザも後を追いかける。
「——ばーか!! 死ねゲス野郎っ!!」
アリサが後ろを見ながら、男たちに罵倒を浴びせている。
不穏な言葉も入っているけれど。
中古やおばさんと言われたのだから、これぐらい許される。
「……うっ」
「あ、あのアマ!! 調子に乗りやがっ……ぅ、っ!?」
背後から、どさどさっと何かが倒れる音と複数人の悲鳴が聞こえてきた。
振り返ってみると、さっきの男たちが路上でうつ伏せの状態で倒れている。
「あら? 勝手に倒れちゃったわー」
アリサが立ち止まり、不思議そうな顔をしながら。
男たちが倒れた現場と、自身が手にしている赤い液体が入った容器を交互に眺めている。
「……まあいっか。早く発着場に行きましょー」
アリサに従い、リディアたちは再び歩き出した。
「ライザ、大丈夫?」
「ええ。なんともないわ」
「ああ、よかった……」
「こっちも無事……よかった」
ライザが、かばんの中をのぞいて安堵の息をついている。
精油や香水のびんが割れていないか不安だったのだろう。
「それ、ちょっと見せてくれない?」
「はい、どうぞー」
ライザがアリサから赤い液体が入った容器を渡された。
そして、容器をじっと見つめたり、鼻に近付けてすんすんしている。
「……タバ○コを油で薄めてあるのね。すごいじゃない」
「昔から護身用に持ち歩いてるのよー」
唐辛子を原料とした非常に辛い辛い調味料を元にした、手作りの護身道具。
アリサは、お出かけの時にそれをいつも持ち歩いているらしい。
「催涙スプレーね……ありがとう」
「さすがにこれだけじゃ気絶しないけど、大人しくなってくれてよかったわー。これでだめなら、傘ぶん回そうかと思ってたの-」
(傘やスプレーで対抗するより、魔法で退治した方が早いし確実なのに……)
得意満面に話すアリサに、ライザが感心している。
そんな中、リディアは複雑な思いでいっぱい。
「……どうして止めたの?」
「はぁ?」
「あのまま詠唱続けてトード使ったら、すぐ終わったよ……?」
「……!」
リディアの疑問を聞いた途端。アリサの顔つきがとても険しくなってしまった。
「ちょ、っと!?」
「アリサ!?」
(さっきの人たちより怖い……!)
アリサに腕をぐいとつかまれて、どこかにずるずる引っ張られていく。
何も話さないのも余計して、とっても怖く感じる。
連れてこられた場所は、大通りから外れた暗い店舗の前だった。
「わっ!」
アリサが一足早く営業を終えたお店の壁に、リディアの両肩を押さえつけた。
「な、なに……?」
恐る恐るアリサを見上げる。
暗くてはっきり見えないけれど、ものすごく不機嫌な顔をしているのだけはわかる。
お礼も言わず、またいつもの癖で余計なことを言ってしまったから?
不安なリディアの顔をのぞき込むように、ようやくアリサが重い口を開いた。
「……召喚士リディアさまは、すぐに魔法でカエルにしてくる怖い魔女だって噂が広まったらどうすんのよ」
「大げさじゃない?」
「さっき、ギルバート様の秘書に会ったでしょ」
「う、うん……」
「今のご時世ね。あの女のことを恋人やお妃様候補にでっちあげて記事にしたり、結婚や熱愛の噂が流れてもおかしくないの。あんた新聞読んでるくせに、そんなこともわかんないの?」
「……それじゃ、さっきのことが記事になったら、アリサが悪く言われちゃうじゃない」
「よほど大ごとにならない限り、一庶民は記事にも噂にもならない。でも、あんたは違う。そうなりたいってだけで、実際はギルバート様と似たような立場でしょ」
「……っ!!」
いつもの大きい地声を抑えに抑えて、終始厳しく重い口調。
そんなアリサの指摘は的を得ており、反論出来ず、ただ息を詰まらせるだけであった。
「アリサ、リディアが」
「——こういう時に、誰かがこの子にはっきり言ってあげないとだめなの。あんた出来るの?」
「っ、いいえ……」
「じゃあ黙ってて。この子にお灸据えられるの、あたしかジャンヌさんぐらいしかいないんだから」
ライザに注意されるも、アリサは全く動じることもなく、ばっさり切り捨てた。
—— —— ——
アリサに口で勝てる者は、ミストにはまずいない。
同時に、リディアにここまで厳しく物申す者も、ミストにはほとんどいない。
アスラから、この服をいただいた後もそうだったが。
ジャンヌですら、最後の最後にはリディアに折れてくれる。
—— —— ——
ライザが大人しくなったのを確認してから、アリサが再びリディアの方を向いてこう告げた。
「こっちはね。あんたから、『変な噂振りまかれて怖いから、どこにも出かけたくない』って、断られたくないの」
「!!」
「年に1回しかない、お出かけ潰されてたまるもんですか」
アリサは単に男がうざったいから、断り役を買って出ているだけではない。
リディアが、どこにでもいる娘——普通の生き方を望んでいることをよく知っている。
リディアが魔法で撃退した結果。周囲から誤解されて異端の目で見られぬように。
……年に一度のおたのしみがなくならぬように。
アリサ自身の実体験を元にした撃退法を利用してまで。
自ら前面に出て立ち回ってくれていたのだ。
「ア、リサ……」
ここまでのアリサの行動や言動に、そんな意図が含まれていたなんて。
リディアは感極まって、アリサの名を呼ぶことで精いっぱい。
「……人も多いし、ひとりで歩いてる訳じゃないでしょ。こういう時は、ぎりぎりまで魔法は使わないでおきなさい」
アリサが静かにそう告げると、ぷいと後ろを向いて行き交う人の流れに戻っていった。
「……ぅ、っ」
視界に映る、アリサの後ろ姿が大きく歪む。
(魔法があるから大丈夫だって、何も考えてなかった……情けない……!)
自らを恥じる一方。本人以上にリディアのことを考えてくれていたアリサの存在に。
感謝と喜びが込み上げてきて、目を潤ませていると、ライザが肩を優しく叩いてくれた。
「……ライザ」
こちらを見つめるライザの表情は、慈愛に満ちたもの。
どこか、母親代わりでもあるアスラのようにも見えた。
「アリサのこと、逆恨みしちゃだめよ」
「し……ないよ」
「口は悪いし、言い方もきついけど。あなたのことが大好きなの」
「知って、る……ありがと、ライザ」
「お礼を言う相手が違うでしょ。アリサに言わなきゃ」
「……っ」
リディアはぶんぶん首を横に振り、ライザを真っ向から否定した。
(そんなことないよっ!!)
ライザは男どもから守るかのように、事あるごとに盾になってくれていたではないか。
アリサにお礼は言わなければならない。
だからと言って、ライザにその必要がないなんて、ある訳がない。
現に今、ただただ黙ってあふれる涙をぬぐっている隣にいてくれている。
§
「……ちょっとー」
3、4分はそうしていただろうか。
ようやく涙が落ち着いたと同時に、呆れたような声が聞こえてきた。
「アリサ……」
「いつまで友情ごっこしてんのー?」
顔を上げて見たら、自分たちのすぐ隣にぶすっとした表情でアリサが立っている。
(あたしたちのこと、ほっとけなかったんだ……!)
先に向かったはいいが、リディアとライザがいつまで経っても来ない。
業を煮やして、ここに戻ってきたと思われる。
「ぐずぐず泣くのは勝手だけどね。足も動かしてちょーだい。いつまで経っても帰れないでしょー」
「……今日のあなたがそれを言うのはどうなのかしら」
「あたしはそうそう泣かないからいいのー」
自分だって、劇場でわあわあ泣いていたではないか。
ライザからのそんな一言にも、アリサは動じるどころか勝ち誇ったように両腕を組む。
図星を突かれてもへっちゃらなのが、アリサの強みでもある。
「確かに……次に泣くとしたら、ギルバート様が結婚決まった時ですものね」
「……ふふっ」
「何よぉー? ついさっきまで泣いてたくせにー」
「何でもないよ。行こう、早くミストに帰らなきゃね」
自分のことを棚上げしてでも、リディアたちの尻を叩くのはアリサしか出来ない芸当だ。
そして、リディアたちはようやく3人揃って大通りに戻った。
「……ありがとう、アリサ」
「べっつにー? 変な噂が流れようが、あたし『たち』はあんたの友だちやめる気さらっさらないしー?」
口数が少ないのを見越して、ライザも『友だち』に入れてあげる。
そんなところが、実にアリサらしい。
(わたし、アリサとライザの友だちだからね)
ライザと目が合い、笑みを浮かべながら視線でそう伝えてあげた。
すると、笑みを浮かべて返してくれた。
(そうだ……!)
たった今思い付いた決意をふたりに伝えるために、すうと大きく息を吸った。
「……来年からわたし、ストール持ってくる!」
「あら」
「えー? いきなりどうしたのー?」
アリサが驚くのも無理はないだろう。
これまでは、アスラにもらった大切な服を着て、正々堂々外を歩きたい一心だった。
町中では、せめてストールぐらい羽織れ。
エッジやジャンヌからそう言われても、頑として聞かなかった。
そんなリディアの口から、ストールという言葉が出てきたのだから。
「持ってくるだけだよ? 今日みたいに何かあったら服隠せるもん」
「緊急用ね」
「うん!……ふたりに迷惑掛けられないし、わたしもそれぐらいしなきゃ」
—— —— ——
アスラにもらった大切なこの服で、外を歩きたい。
そう訴えた結果、ミストでは受け入れてもらい、何事もなく外を歩いている。
エッジがミスト以外に向けて、この『服』を周知してくれた。
けれど、今日になって気付いた。ミストの外は、ミストと同じように行かない、と。
—— —— ——
(これからもこの服を着て、アリサたちとお出かけしたいもん!)
この先も何にも起こらない保証もないし、ふたりに甘えてばかりもいられない。
せめてストール持参ぐらいしないと……。
「よく覚悟決めたわねー。頑として痴女のままでいたくせにー」
「もう、そんなこと言わないの……」
「まだそれ言うの!? アリサなんかきらいだよっ」
にやにや笑ってくるアリサに、少し腹立たしくなってぷいとそっぽを向いた。
(せめてお色気にしてほしいよ!)
アリサはとても口が悪い。
先ほど男たちへかけた言葉並みに、ひどい言葉を口にするもしょっちゅうだ。
まだこの服を痴女と表現をするなんて、本当にひどい友人である。
「実際声かけられたんだから、文句言えないわよー?」
「うっ……」
「しかも、あんた。ストール1枚も持ってないじゃないのー」
「あぁ、そうだった……!」
「全く、しょーがない子ねー。代わりにあたしが持ってきて、あんたの手荷物増やしてあげる」
アリサは本当に口が悪いけれど、言葉の中に世話焼きや配慮を混ぜることもある。
その恩恵を受けられるのは、家族や友人……アリサと近しい関係の人間だけ。
「……じゃあ、お願いしちゃおうかなあ」
年1回のお出かけのために、わざわざストールなんか買わなくていい。
そんな配慮をおどけた口調で話すアリサのことが、リディアはやっぱり大好きなのだ。
§
10分後、発着場に到着してすぐ、トロイアから右回りの巡回艇がやってきた。
(みんな、1本前の巡回艇に乗って帰っちゃったのかな)
リディアたちはそれに乗り込んだが、傘を手にする顔見知り——ミストの女性客は誰もいない。
それでも、ここまで来たら変な目で見る男たちもいない。
「席取ってくるー」
「お願いね」
雨よけスペースの席を確保するために、アリサがタラップを駆けて甲板へ向かった。
アリサの後ろ姿を視界に入れながら、リディアは隣を歩くライザに話しかける。
「元気になってよかった……ね、ライザ」
リディアへの叱責以来、アリサは失恋同様の痛手から回復した。
彼女は3児の母であり、夫もいる。ギルバートに全てを捧げられない。
いつまでも落ち込んでいても仕方がない。そう思ったのだろう。
「ほんとね。今夜はお泊まり出来ないかと思って、少しはらはらしてたのよ」
「……あれが本当のファンの姿なんだろうね」
「ギルバート様も歌手冥利に尽きるんじゃないかしら」
ギルバートは生き甲斐。死ぬまでファンを続ける。
発着場に着く直前、声高らかにそう宣言した時のアリサは、かっこよく見えた。
「ね、ね。お泊まりの醍醐味って、夜寝る前にベッドで本音を語り合うんだよね」
「ええ。だいぶ前にアリサがそう言ってたわね」
「それでね。ミストに帰ったら、ふたりに大事な話があるの」
「そうなの?」
「……だから、今日は早く寝ちゃだめだからね」
「大丈夫よ。どんな話なのか楽しみにしてるわ」
(寝る前に、ふたりに打ち明けよう!!)
今夜もアリサの自宅にお泊まりすることになっている。
そこで、自身最大の秘密——エッジとのこと——を、ふたりに話す予定でいる。
「わたしも大事な話じゃないけど、あなたたち伝えたいことがあるの」
「なあに? それも寝る前に話す?」
「いえ。——さっき、アリサが友だちって言ってたけど、わたしはあなたとアリサのことを親友だと思ってるの」
「それ、ほんと!?」
「おこがましいかも、わたしは、あの子のように叱ったり出来ないから……」
「そんなことないよ。ライザにはライザのよさがあるの、わたし知ってる」
思いがけないライザの告白に、嬉しさで胸が震える。
後にも先にも親友なんて、ローザ以外に出来ないと思っていたのに……!
「それじゃあ、わたしもライザとアリサの親友でいてもいい?」
「当たり前じゃない」
「ああ、よかったあ……! これからもよろしくね!」
「ええ。こちらこそ」
—— —— ——
ライザとアリサと仲良くするようになってから、7年近く経つ。
最初は寄合の行き帰りで、取り留めのないおしゃべりをするだけだった。
それが長い月日を経て、誰にも言えない秘密を打ち明けよう。
そう決意させてくれるまでに至った。
—— —— ——
ライザもリディアと同じように、リディアたちと長く付き合っているうちに。
ふたりは親友。そんな自信を持つようになったのだろう。
「それでね……あなたには悪いんだけど……」
「え?」
「わたし、あの事件に少しだけ感謝してるの」
「……!」
2年前、リディアがエミールにさらわわれた事件のことだ。
「あれがあったからこうしていられるし、親友だと思わせてくれたと思ってるのよ」
「ライザ……」
確かにライザからしてみれば、あの事件は吉兆だったかもしれない。
リディアたちはミストの中で、隙あらばいつも行動を共にしている。
しかし3人揃って外に遊びに行く機会は、この日だけ。
特にライザは、自由時間がこの日の夜だけしかない。
ギルバートのファンと偽らずに、3人でここに遊びにきたい。
ライザは毎年そう思いながら、リディアを誘ってくれていた。
……あの事件が起こるまで。
(あれから、もう2年なんだ)
エッジに傷を負わせて、顔を見ることが出来なくなった。
あの事件はライザの言う通り、リディアにとって嫌な思い出だ。
その一方で、自身の変化や成長を促されるきっかけになった。
こうして、ライザたちと毎年バロンに行くことだってそう。
ライザから、親友だと認めてもらえたことだってそう。
温室育ちから脱出するために『立派な女性』になって、いろいろ習慣づけたこともそう。
……この2年の間で、たくさん得られたものがある。
「早く行きましょ。アリサ、怒るとお義母さんみたいに怖いから」
「うん、そうだね」
……早くと言っても、リディアとライザはふたりとものんびり屋。
なので、歩く速度もさして上がらない。
ライザと一緒に、アリサの後を追いながら、リディアはひとり思案にふける。
(何にもしないまま、エッジとさようならしたら後悔しそう……)
エッジとの関係が終わる日が、いつかやってくる。
けれど、ただその日を待つだけでいいのだろうか?
思いは伝えないし、ほのめかすようなことも口にしない。
それ以外で、後悔のないように何か出来ることはないだろうか?
§
「お待たせ」
「……おっそいわねー」
程なくして、雨よけスペースに辿り着くと、やはりと言うべきか。
アリサがふてくされた顔をしながら席に座っていた。
「はしっこ取ってくれたのね」
「ありがと。アリサ」
「本当、あんたたちって歩くの遅いんだからー」
(すごいなあ……)
アリサは、残りふたり分の席を確保しただけではない。
ミストに着いたらすぐ降りられるように、あえて端っこを取っている。
「ほらほらー、他の人の邪魔になるから早く座りなさい」
「はーい」
「そうさせていただきます」
口は悪いけれど、世話焼きな親友がぶすっとしながらも着席を勧めてくれた。
リディアとライザは互いに苦笑しながら、席に腰掛けたのであった。
(さすがにアリサみたいに、お城へ突撃は出来ないなあ……)
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