フェイクラバーズ 作:かえで
——ちょうどその頃 バロンでは
満天の夜空を背景に、赤い光が一直線に駆けていく。
雨降りのミストの方角に向かう光の正体は、巡回艇の灯火だ。
灯火は、シドが安全面を考慮して開発した、飛空艇専用の照明器具である。
暗闇で姿が見えない艇の存在を、上空や地上に知らせて衝突や事故を防止する。
(無事に帰ったか……)
エッジは既に変装を解いて、いつもの服装に戻っている。
エブラーナの国有艇のベランダに頬杖をつきながら。
夜空の赤い光——リディアたちが乗っている巡回艇をじっと眺めていたが。
あっという間に光は遠ざかって夜空から消えてしまい、見送りを終えた。
「さーて、今年は何人だったかね。ひい、ふう……」
運転席に戻りながら、記憶を辿って右手で指折り数え始めた。
……本日勝手につとめたリディアの護衛中に、一体何人成敗したかを。
—— —— ——
去年に引き続き、リディアの見えない護衛役を自ら勝手に買って出ていた。
もちろん、リディアは知らない。知る必要もない。
主な仕事は、(リディアに近付く)不届き者の成敗。
バロンの商店街を歩くリディアたちの後を、姿を隠した状態で尾行している間に。
ナンパ野郎が現れたら、みね打ちで気絶に追い込むこと。
リディアに声をかけた者。声をかけるかどうか話し合う者。
リディア(と言うよりリディアの服)を見て、息を荒げるなど異常な反応を見せた者。
以上が、エッジの成敗対象になる。
—— —— ——
成敗された者が路上に倒れる度に、通行人が驚きの声を上げて騒ぎになるが。
見えざる神からの罰にしとけばいいと放置している。
そんな調子で、さくさくっと気絶に追い込んだ結果。本日(今年)は……。
「……38……39……マジかよ……」
指折り数えたら、今年はなんと合計39人の不届き者を成敗していた。
去年よりも3倍以上も増えた。
「よりにもよって、今日あんなもんやりやがって……!」
人数が倍増したのは他でもない。
演奏会の同時刻、野外劇場で『水着美女品評会』が行われていたからである。
バロンで毎年夏に、不埒なイベントを開催して男性客が殺到していると聞いていた。
まさか今年は、演奏会と同日開催だったとは思わなかった。
そうこうしているうちに、運転スペースの出入り口に辿り着いた。
透明な扉を開いて、真っ暗闇の屋内へ入る。
夜目が利くので、難なく舵のそばに近付いてエンジンを掛ける。
音が鳴ると同時に、真っ暗だったスペース内がほのかに明るくなった。
そして、おもむろに舵を切ると、国有艇が垂直方向に離陸を始めた。
「仮眠も出来たし、寄り道すっかな」
舵に取り付けられた、いくつかのボタンを素早く押して目的地を設定する。
指定した場所まで勝手に運転してくれる自動操縦機能を使い、これから寄り道。
—— —— ——
昨年に続き、ギルバートの演奏会も鑑賞した。
エッジが座席に座っていると、なんとリディアたちがすぐ後ろの席に座った。
素晴らしい偶然に喜ぶも、ただの一青年の姿に変装している。
そのため、後ろを振り向いたり、話しかけたりすることが出来ない。
仕方なく開演前まで、後ろに座るリディアたちの取り止めのないおしゃべりを聞いていた。
そしていざ演奏が始まると、すぐ夢の中……仮眠を取った。
—— —— ——
ボタンを全て押し終えて、勢いよく円形の舵を回せば、自動運転が始まる。
既に上空で停止していた国有艇が、ゆるい速度で大きく方向を変えていく。
小さな某島の方角へと船首を向けると、一直線に暗闇の中を進み始めたのであった。
——数時間後
幻獣界は、相変わらず濃灰色の空に覆われていた。
太陽や月星のように、空から世界を照らす光は存在しない。
それなのに四六時中、曇天の昼間並みの明るさを保ち続けている。
なぜそうなのか、エッジは知らない。
強いて言うなら、ここが地上の常識は通用しない『異世界だから』だろうか?
ありていに言えば、考えるだけ時間の無駄ということだ。
異世界の住民が行き交う幻獣の町は、地上さながらの風景が多々見られる。
建物の外壁や地面は茶色で統一されている。
所々点在した建物の内装や外装も、地上のそれと同じ。
……どちらが真似したのか知らないけれど。
そんな町にある、宿屋の看板が掲げられた建物の前にエッジはやってきた。
扉を開いて中に入る。
すると部屋にいる者たちの気配が、それまでと一変して不穏なものに変わった。
(ここも相変わらずだな)
全く歓迎されていない空気を気にも留めず、真正面の奥へずかずか進む。
そして受付カウンターに寄りかかると、人型の男性がぱっと目の前に現れた。
「いらっしゃいませ」
「前といっしょ」
「少々お待ちください」
エッジの短い言葉で全てを察したらしい。男性——宿屋の主人が、一瞬にして姿を消した。
戻ってくるまでに、5分もかからないだろう。
そう検討をつけて、カウンターに頬杖をついて思案にふける。
(どうすっかなあ)
光のカーテンを買うために道具屋に寄るべきか。寄らざるべきか。
『リディアが今度あっち帰った時に買ってきてもらえ』
先日ミストで、ミゼルにそんな助言をしたばかりなのに。
思い付きで行動した結果。リディアより先にここに来てしまった。
(……うちの在庫渡しとくか)
道具屋には寄らない。軽く首を横に振りながらそう結論を出した。
この世界にはあまりいたくない。用が済んだらさっさと地上に帰りたい。
現に今、予想通りと言うべきか。冷たい視線を感じてその方向へ身体を向けると。
竜と人、それぞれを模した子どもふたりからにらまれている。
「ここは人間が来るところじゃないって、何度言えばわかるんだよ」
「……リディアがしょっちゅう来てるだろが」
「リディアはいいの。わたしたちの仲間だもん」
憎々しげに答える子どもたちに、心の中でうんざりした。
(ガキどももこれだもんな。だめだこりゃ)
幻獣界の住民は、みんなリディア以外の人間にとても冷たい。
というより、明らかにさげすんでいる。
—— —— ——
古来より、幻獣界と地上地底の繋がりは希薄なものだった。
唯一ミストの召喚士が召喚術を介して、幻獣と交流していたと言われている。
現在その召喚士は、地上地底合わせてリディアだけしかいない。
しかも、彼女は幻獣界で暮らした経験を持つ、史上初の人間でもある。
いくらセシルが幻獣王リヴァイアサンに、『実力』を認められていようが。
ヤンがシルフたちに気に入られていようが。
ふたりは、リディアのように幻獣界と深く関わっていないし、関わらせてもらえない。
そもそもの話、ふたりはあの戦い以降。ここやシルフの洞窟には足を運んでいない。
—— —— ——
「いい加減、オレも少しぐらい認めてくれたっていいだろ」
エッジは現在、リディアに次いで幻獣界に足を運んでいる稀有な人間と言っていい。
それでも、エッジに対する住民の反応は冷たいままだ。
「人間ごときが、偉そうなこと言うな」
「あーあ、リディアも早くこっちの住民になればいいのになあ」
こっち——幻獣界の住民になるということは、幻獣たちと同じ永遠の命を授かること。
人間、いわゆる地上地底の生き物ではなくなるということだ。
この世界の子どもが、そんな希望を口にする度に。
エッジの胸の内は、もやもや灰色の雲に覆われていく。
—— —— ——
幻獣王リヴァイアサンは、常々こう口にしているらしい。
『リディアには幻獣界の住民として生きて欲しいのう。さすれば、完全に地上を切り離せるのじゃが……』
この世界の王からしてそれなのだから。
ここで暮らす子どもも、同じことを口にするのは当然とも言えよう。
リディアにとって幻獣界は第二の故郷、ないしはご近所さんのような感覚だ。
地上で暮らす人間と同じように、幻獣界の住民たちと接することが出来る。
だからリディアは幻獣界の者たちから愛されている。
……はっきり言おう。
そんな認識を持った人間は、リディア以外誰もいない。
エッジでも『異世界』というフィルターはどうしても外せない。
リディア自身も、幻獣界の住民の総意を知っている。
それでも人として生きる道を選んで、生まれ故郷のミストに帰った。
自身と同じように、幻獣と心を通わせる召喚士を育てるために。
—— —— ——
「リディアさえいれば、召喚士いらないよね」
「ここでみんなで平和に暮らせるのにねー」
「……!」
(あいつは、そんなこと望んじゃいねえぞ!)
いい加減、リディアの気持ちをわかってやれ。子どもたちにそう言いたくなる。
それをぐっと我慢していると、目の前にふっと人型の男性が現れた。
「——お客様。例の場所にと」
「おう、ありがとな。また頼むぜ」
「お気をつけて」
予想通り、たった3分ほどで主人が戻ってきた。
数枚のギル札——チップを渡すと、主人に軽く手を上げて出口に向かった。
(助かったぜ……)
宿屋の主人は、金さえ払えばエッジを邪険にしない。
心の中で何を思っているかは知らないが、商売と言うものをよく理解している。
そうつくづく思いながら、扉を開けようとした、その時。
「——早く地上に帰れよ」
エッジの背後から、子どものひとりが声をかけてきた。
何とも気分の悪い別れの挨拶だが、無反応を貫いて宿屋を後にした。
(幻獣界と波風立たせようもんなら、あいつが悲しんじまう)
こんなことはしょっちゅうだが、反論していたらキリがない。
ここでは、場も数も実力も圧倒的に不利なので、相手にしないようにしている。
宿屋から例の場所に向かう、短い道中ですら。通行人が不審な視線をこちらに向けてくる。
「またあの人間だよ」
「何しに来てるんだろう?」
「ここに攻め込む気で調査してるんじゃない?」
「無理でしょ。人間が僕たちに勝てる訳ないない」
視線だけではない。鋭い聴覚のおかげで、嫌でも住民のひそひそ話が耳に入る。
もう慣れたとは言え、やはり気分のいいものではない。
(貴重な体験だな……)
エッジはこれまでの人生で、他者からさげすまれた記憶がほとんどない。
だから、ここにやってくる度に嫌でも思い知らされる。
人間は普段、こんな感じでモンスターを忌み嫌っているのかと。
身分が高い人間は、様々な事情で低い立場にいる人間をこんな感じで蔑視しているのかと。
「……先行き暗えな……」
リディアは、ミストの住民を中心とした人間と幻獣の交流を望んでいる。
しかし、地上ですら近年異国交流が始まったばかり。異世界交流なんて遠い夢の話だ。
そもそも交流出来るかどうか全く見当もつかない。
エッジは幻獣界のそんな現状を身をもって知りながらも。
針のむしろの環境だとわかっていながらも、時折ここに足を運んでいた。
§
宿屋の主人の指示に従い、例の場所——幻獣図書館の中に入った。
書棚には目もくれず、一番奥へ向かう。
突き当たりの壁に、薄白色に淡く輝いた扉がたたずんでいた。
普段は存在していない、その扉を開いて中に入ると、一瞬目の前が真っ暗になった。
瞬間移動したかのような感覚を経て、暗闇が明けた。
エッジの視界に広がるのは、トロイアの神殿を彷彿とさせる神々しい内装。
生活感漂う、町のあちこちや図書館の空気とは全く違う。
「いらっしゃいませ」
女性の声が聞こえてきて、そちらの方に視線を向ける。
正面中央の壁際にぽつんと置かれている椅子に、熟年の女性が腰掛けていた。
「よう、久しぶり」
「こちらこそ、ずいぶんご無沙汰しております」
エッジは馴れ馴れしく手を上げてから、その女性の前に近付いた。
いかにも女王様が座りそうな、豪勢な椅子に座る女性。
その正体は、幻獣界の女王様。……人間の姿を模っている幻獣王妃アスラだ。
—— —— ——
ここは、アスラの私室を兼ねた応接の間。
エッジがアスラと面会する時は、いつもこの部屋に通される。
アスラは、幻獣界の女王様にしてリディアの育ての母。
シルフと並び、人間に対して好意的な幻獣界の住民でもある。
アスラと初めて面会したのは、リディアが帰郷したいと口にし始めた頃だ。
それ以来、ごくごくたまにここへ足を運んでいた。
もちろん、リディアには秘密で。
—— —— ——
アスラの前にやってきて立ち止まった。その瞬間、そばに椅子が現れた。
「どうぞお座りになって?」
「いや、いい」
「そうですか……」
アスラが残念そうな表情を見せながら軽く手を振ると、椅子がぱっと消えてしまった。
(いくらアスラ相手でも、椅子に座ってゆっくり話出来っかよ)
立ちっぱなしでアスラと話をするのは、いつものことだ。
気持ちはありがたいが、この世界はとてもくつろげるような場所ではない。
「あれから、目の調子はいかがですか」
「……まだ覚えてたのかよ」
「リディアもここに来る度に気にしております。何を聞いてもあなたは平気だと答えているそうですね」
アスラとここで最後に会ったのは、カルミネの事件の少し前である。
(リディアが絡んでることだから、しっかり覚えてんのかね……?)
カルミネでの救助活動や、リディアの話を聞く時間なんて。
永遠の生を持つ幻獣からしてみれば、たった数秒程度の出来事なのに。
「左より見え辛えってだけだ。あいつにもそう言ってんだがな」
「それならいいのですが……」
神妙な面持ちのアスラへ、大したことはないと強調した。
—— —— ——
実は傷の影響で、右目の視力が悪くなってしまった。
視力に左右差があると、それまでより動きが遅くなるかもしれない。
常日頃から忍者はスピードが命と考えているエッジは、修行を1からやり直した。
時間はかかったが、現在は以前とさほど変わらない動きを取り戻している。
—— —— ——
「オレがここに来たの、2、3年ぶりなんだけどよ。ここはどれぐらい時間進んでんだ?」
「そうですね……あなたが最後にここを訪れてから、10年ぐらい経っているでしょうか」
「おお、大分進んでんのな」
やはり幻獣界と地上地底……ふたつの世界の時間は。
リディアが幻獣界に不在の間は、大きくズレているようだ。
「……リディアもここを離れる前は、いつも不安そうにしております」
「だろうな。地上に戻ってみたら、みんな歳取って死んでたらたまったもんじゃねえし」
ふたつの世界の時間がズレる問題は、アスラと会う度に必ず出る話題である。
ズレが起きる原因は不明。
毎回どうにもならないとの結論に落ち着いていた。
「実は少し前に、幻獣神様にお伺いを立ててみたのです」
「どうせ、いい返事もらえなかったんだろ?」
「ええ。この問題は自分でも解決出来ないとおっしゃていましたね」
「さじ投げられちまったか」
もはや打つ手なしとばかりに、アスラが憂鬱そうなため息をつく。
バハムート——この世界の創造主ですら、どうしようも出来ないなら。
本当にどうにもならないのだろう。
(オレの仮説を聞いたら喜ぶかもしれねえが、裏付け取ってる最中だしな……)
以前立てた仮説をアスラに教えようと思っていたが、今回は見送ることに決めた。
下手に期待させてはならない。
「わかってはいるのです。ここでは普段、時間を意識しません。時間のズレを気にするのは、わたくしぐらいなものですし……」
「その調子じゃ、リヴァイアサンも頭でっかちのままか」
「ええ、相変わらずリディアと顔と合わせる度に、ここに戻ってくるよう勧めております」
「ったく、諦め悪りぃ奴だな……!」
「ミストに行けばリディアに会えると何度も話しても、なぜ幻獣界の王が地上に赴かねばならぬと首を縦に振りません」
「よく言うぜ。あいつ、地上に出てきてんじゃねえか」
(この調子じゃ、アスラもリヴァイアサンから地上行きを止められてんだろな)
幻獣王夫妻を除いて、幻獣は地上地底へ自力で移動出来ない。
リヴァイアサンとアスラのどちらか、もしくは両方がミストにふっと現れたら。
リディアの悲願が一歩前進するかもしれないのに。
「あの方にとって、海は庭のようなものです。あの時も、全員救助しようと思えば出来たでしょうに……」
「リディア『だけ』だもんなぁ。やることが露骨だ」
初めてアスラと1体1で顔を合わせた時に、こんな話を聞かされた。
—— —— ——
幻獣王リヴァイアサンは、地上や人間をさげすんでいる。
その一方で、種族問わず女好き。
幻獣界に暮らし始めた経緯からして。
リディアも、リヴァイアサンに見初められた可能性が高いのだと。
—— —— ——
(リディアに嫉妬めらめらになってもおかしくねえのに、よっぽど娘として愛してんだろうな)
リディアには地上で人として生きて欲しい。アスラは夫のこともあって、そう考えている。
しかし、リヴァイアサンをはじめ、幻獣界の住民の総意はアスラと全く逆。
リディアのミストへの帰郷を、リヴァイアサンに許させたこと。
それが娘への精一杯の援護と言うぐらいには。
アスラは、リディアの将来という点では孤立無縁の立場に置かれている。
「召喚士の絶滅や世界滅亡を免れた。そうおっしゃられたら、反論しようがありません」
「んなもん、結果論にしか過ぎねえんだけどな」
「……あの時、命を落とした方がたくさんおられます。本当に気の毒で……」
(偉そうに言ってるけどよ……)
エッジはリヴァイアサンをとても好ましく……はっきりいって嫌いだ。
一方で、感謝しなければならない面もあると思っている。
あんな美しい女と自分と出会わせてくれた。
そのきっかけを作ったのは、他でもない幻獣界の王だからだ。
仮に何事もなく、偶然どこかでリディアと出会ったとしても。
自分は幼女趣味は持ち合わせていないので、子どもに惚れることはなかっただろう。
(いや、やっぱ無理かも……)
例えリディアが子どもでも、何かしら惹きつけられていたかもしれない。
エッジにとって、リディアの存在は反則のようなもので、常識は通用しない。
「わたくしがミストに向かうこともお許しにならないのですから、困ったものです」
「それぐらいなら、リディアが頼めばあいつも前向きに考えるんじゃねえの?」
「今はそのようなことを申し出ないよう、わたくしが止めております」
「なんで」
「あまりあの方を刺激すると、今度こそリディアを無理矢理幻獣界に連れ戻してしまう恐れがあります」
「……なるほどな」
(そらこいつが、リディアを地上に帰したくなるわ)
何度もアスラと会合を重ねているうちに、エッジも幻獣界の事情に少し明るくなった。
最初は緊張感が漂っていたが、今では世間話のようなノリ。
こうして女王様が、王様兼伴侶に対する不満をこぼすこともしばしば。
—— —— ——
それもそのはず。夫のリヴァイアサンは、この場所の存在を知らない。
知ったところで、入ることが出来ないように、この部屋——空間を創った。
アスラからそう聞いている。
—— —— ——
幻獣王妃が人間と会っている事実を知るのは、宿屋の主人だけしかいない。
よって、これは秘密裏の会合なのだ。
「毎回同じ返事ばかりで、本当に申し訳ございません」
今回も言葉通り、本当に申し訳なさそうに、アスラから頭を下げられてしまった。
「謝んな。オレはおまえが諦めてねえか見にきてるだけだ」
「それだけのために、わざわざここに……?」
「これからもそのつもりだ。ここにゃ、おまえの味方はいねえが諦めんじゃねえぞ」
「そんなこといたしません。これ以上、リディアを悲しませたくありませんもの」
—— —— ——
ミストに帰郷してから、リディアはよくこう口にする。
『せめてミストだけでも、幻獣界と交流が出来るようになればいいんだけどなあ……』
リディアのそんな望みを叶えてあげたい。
しかし、異世界で永遠に生きる幻獣たちの心を動かすなんて容易ではない。
自分では幻獣界の意志を変えられない。それでもじっとしていられない。
だから、エッジは唯一幻獣界でリディアに賛同するアスラに会いにここにくる。
アスラの意思が変わっていないか確認して、釘を刺してから地上に帰る。
—— —— ——
今回も目的は達成したので、話題を変えることに決めた。
……アスラに会ったら、絶対抗議してやろうと思っていたことを。
「話は変わるけどよ。——あいつが今着てる服、なんとかならねえか?」
「服、ですか」
「肌が見えすぎだ。せめてケープに色つけるとか、柄入れるとか、不透明に出来ねえか?」
「出来ません」
「なんで」
「そういった加工をすると魔力吸収どころか、他の効果もなくなってしまいますから」
あっさり拒否されてしまい、エッジは眉をひそめる。
「……あのな。普通親ってのは、娘に色仕掛けさせるような服なんか着させねえの。効果は二の次なんだよ」
「あの子は知性に頼らざるを得ませんもの。色仕掛けさせるつもりもありません」
自分は悪くないとでも言いたげに、きっぱりと答えるアスラにむっとする。
現時点ではアスラは召喚されない限り、地上地底に来る機会はない。
高露出の服が、地上地底ではどれだけ危ないものかわかっていないようだ。
「あの服のせいで、野郎どもからいやらしい目で見られたり、声まで掛けられたりしたんだぞ!? 娘がかわいそうだと思わねえのか!」
「……そのおっしゃりようですと、あなたはそれを見ていただけなのですね」
「そんなことする訳ねえだろ!? 全員成敗したわ!!」
「まあ……!」
「今日なんか、無理矢理連れてかれそうになってたぞ!? あいつのダチが追っ払ったから」
「——さすが、わたくしの見込んだお方ですこと!」
「!?」
「何も言わずとも、既にそうしていただけたなんて……!」
アスラが突然立ち上がり、目を輝かせながらこちらを見つめている。
あらかじめ予想していたことが現実になったとわかり、喜んでいるように見える。
(娘が襲われそうになったってのに、何喜んでんだ!?)
地上地底における高露出の服のデメリットを説いてやったと言うのに。
本日の出来事も、雑ながら報告してやったのに。
「……おまえさ」
「はい?」
「まさか、わざとあんな服にしたんじゃねえよな」
苛立ちを隠し切れないエッジへ、アスラがとんでもないことを言った。
「ええ、そうです」
「やっぱ色仕掛けさせてんじゃねえか!!」
「違います。そういう目的ではありません」
「じゃあ、どういう目的なんだよ!」
「リディアの伴侶にふさわしい者を選定するために、あのような服にいたしました。本来ならわたくしが地上に出向いて相手を選り抜いてあげたいのですが、そうは行きませんもの」
「……で? おまえの代わりにオレが変な奴を追っ払えってか」
「おっしゃる通りです。最後までリディアのそばにいられたと言うことは、あなたのお眼鏡に適った方。わたくしも安心して娘を託すことが出来ます」
あの服は、リディアに相応しくないお相手を炙り出すための囮だとアスラは言う。
(オレは、アスラの執行代理人か……!?)
しょせんアスラも、地上の常識からズレた異世界の者だった。
娘を囮にさせる親がどこにいる。 小1時間、親教育をしてやりたい気分だ。
「やり方がおかしいだろ!? やる前にまずオレに相談しろ!」
「それが、ずっとお待ちしていたのに、なかなかお越しにならなかったものですから……」
「う……」
エッジが最後にここを訪れたのは、2年前にカルミネの事件が起こる少し前。
リディアが服を変えたいとすら思っていなかった頃だ。
「娘を守っていただいて、お礼を申し上げます。今後も引き続きどうかよろしくお願いいたします」
「……服を新しくする気は」
「ありません。リディアも大変気に入ってくれておりますからね」
アスラがこちらに向かって深々と頭を下げてから、椅子に再び腰を掛けた。
止めのような一言を食らい、何も言い返すことが出来ない。
なぜなら、エッジはぎりぎりのところでリディアに弱く、最後に折れてしまうから。
「あの……やはり、だめでしょうか?」
(白々しい!!)
こちらを見つめるアスラは、それはもう弱々しげなもので心の中で舌を打つ。
—— —— ——
本日はアリサが前衛に立ち、悪い虫を追っ払い続けていた。
リディアも気付きを得て、ついに来年からストールを持参すると言い出した。
それでも心配なので、来年以降も見えない護衛を続けるつもりでいる。
—— —— ——
この男は、絶対断らない。
アスラはそうわかっていながら、わざと情に訴えてくるような顔をしている。
エッジにはそう見えて仕方がない。
「っ、わかったよ! 虫退治すりゃいいんだろ!?」
「ありがとうございます。よい返事をいただけて光栄ですわ」
「……くそっ!」
アスラに向かって、吐き捨てるように叫ぶと背を向けた。
—— —— ——
娘には、いい結婚相手を見つけて欲しいと望むアスラ。
それ相応の男でないとリディアを託せないので、悪い虫を追っ払うエッジ。
ふたりはリディアの幸せを望む思いが一致しており、いわば同志のようなもの。
—— —— ——
(八つ当たりしても、これぐらいなら許されるだろ!)
アスラの手のひらで踊らされていたことが面白くない。
あの服も、どうにもならないと言われたから尚更だ。
「あの……」
「じゃあな」
アスラからの声かけを適当に返して、鼻息荒く出口に向かって歩き始めた。
地上に戻ったら、10年経っていたなんてごめんである。
そうはならない確信めいたものがあっても、しょせんここは異世界。
用が済めばさっさと立ち去るのが懸命である。
そう思いながら、白く輝く扉の前に辿り着いた。
「お待ち下さい」
扉を開こうとしたら、アスラが呼び止めてきた。
ゆるゆる振り返ってみれば、再びアスラが椅子から立ち上がっている。
前と違うのは、深刻そうな表情でこちらを見ていること。
「なんだよ」
「あなたにひとつ、大切なことをお伝えしなければなりません」
「……言ってみろ」
「『あの時』は、口を慎んでおりましたが……あなたの身体に残されたのは、右目の障害と顔の傷だけではございません」
「……?」
「毒の影響だと思われますが……」
——それから数時間後
日付が変わり、エブラーナ城や辺り一面が未明の暗闇に包まれている。
「よっ……と」
エッジは城門の前でひとっ飛びし、軽々と乗り越えて玄関に向かった。
お館様が帰ってきたのを門番が見たのだろう。
すぐに城内から使用人がわあわあ騒ぐ声が聞こえてきて、にやりと口を歪ませる。
脱走を図ったくせに、こうした正々堂々とした帰城は珍しいが、あえてそうした。
(あともうひと押しだ)
城の者たちの反応を窺うために、玄関を開けて城内の大広間に足を踏み入れた。
「ああっ!!」
「お館様だあ!」
「お館様、お帰りなさいませ」
ゲッコウをはじめとしたお城勤が、エッジの姿を見るなり、わあっと集まってきた。
独身のお城勤は、結婚するまでここで暮らす者が多い。
おそらく、ゲッコウはここが終の住処になるかもしれないが。
「よかったわぁ……」
「これでゆっくり眠れるな」
「みんなー! お帰りになられたぞー!」
その場にいた使用人が、みな安堵したような表情で、各々の持ち場や寝床へ戻っていく。
叫びながら廊下を駆けていく使用人もいる。
「おまえら、まだ起きてたのか」
「遅いお帰りで……!」
「みんな心配していたのですよぉー!?」
この時間に起きているのは、夜番の女中や見張りの者ぐらい。
ほとんどのお城勤は、寝ている時間なのに、やはりみんな起きていた。
「じいは?」
「それが、ザンゲツ殿とふたり揃って、夕方お帰りに……」
「へっ、相変わらず年寄り同士でつるんでんのな」
「お館様がお戻りになるまで帰らないでくださいって、僕たち止めたんですよ? なのに、今日ぐらい許せとおっしゃられて……」
「俺たち不安で不安で、お館様のお帰りを待っていたんですー」
やれやれと言った表情で答えるゲッコウたちと相反して。
エッジは予想が的中し、心の中でにやにやしてしまう。
(やっぱ早く帰ってたな)
お館様を内と外で支える年配の忍者ふたりは、共に明日休暇を取っていた。
このふたりは休暇が揃うと、必ずその前の日は残業もせず、すぐ家に帰ってしまう。
おまけに、エッジも昼過ぎに脱走して、今ここに戻ってきたばかり。
夕方から、城の要となる者が誰もいなくなってしまって。
残された者たちは、今まで慌てふためいていたように見受けられる。
—— —— ——
寄り道して、アスラの元を訪ねたのは、じいとザンゲツが本日早く帰ると知ったから。
仮説の裏付けを取る絶好の機会だと思って、幻獣界に行って帰ってきた。
その結果、エッジが幻獣界にいた時間は体感で30分程度。
幻獣の洞窟の入口に入って、戻ってくるまでの時間もほとんど同じだった。
—— —— ——
(今日……いや、明日の朝だな)
数年前から立てていた仮説は正しかったと判明した。
今まで内緒にしていたが、ようやくリディアに話すことが出来る。
§
ゲッコウたちに休むよう指示を出してから、広間を後にした。
今は変装道具を返すために、地下の衣装庫へ向かっている途中である。
地下の廊下には、ところどころ篝火が焚かれているが、やはりこの時間は薄暗くなる。
お館様の帰還を知って、夜番の者以外は安心してすぐ床についたらしい。
城内の大騒ぎはすっかり収まっており、すれ違う者もほとんどいない。
もし、朝まで帰ってきていなかったら、全員徹夜で帰りを待っていたかもしれない。
(オレが今、ここで死んだら……)
ふと考える。
突然、『国王』がいなくなったら、残された使用人や民は一体どうなってしまうのか、と。
それでもなんとかやっていけるように。
エッジは現在進行形で、国の制度を少しずつ変えている。
しかし、現在王族の血を引く者はエッジひとりしかおらず、後継者は不在のまま。
この国の最大の強みは、国王と民が一丸となっていることだ。
後継者なき状態で国王が突如消えてしまえば、一気に国が傾くかもしれない。
「ったく、らしくねえなあ……」
悲観に暮れる使用人や民の姿をうっかり想像してしまい、ため息をついた。
(あんな話聞いたばっかだからだ)
突然死んでも、みんななんとかするだろう。
普段なら楽観的にそう片付けておしまいなのに。
ぼんやりながらも、悲観的な未来を想像して憂いてしまうのは他でもない。
幻獣界から去る直前、エッジはアスラに呼び止められてある宣告を受けたから。
***
——数時間前
アスラが告げた宣告は、エミールの秘書だった女の記憶の一部と同じ内容。
この1年近く、じいとザンゲツ。そして、リディアにひた隠しにしていることだった。
「——知っておられたのですか!?」
「たまたまな。なんで、あの時黙ってた」
2年前、エッジはエミールとっておきの毒に侵された。
生死を彷徨っていたが、リディアがフルパワー状態でアスラを召喚。
幻獣の女王様の力により、一命を取り留めた。
アスラは召喚直後。自身の透視能力——千里眼——で、エッジの身体を隅々まで調べた。
そして毒に侵されたことで、ある身体機能が変化していることに気付いたという。
「……リディアやあの場におられた方は、わたくしのような能力を持っていませんから」
「いや、そんな能力持ってる人間、ほとんどいねえよ……」
「あの時リディアたちは、あなたの生死が気掛かりでならなかったようでした。ですから、口を慎んでおりました」
まずは、本人に告知せねば。そう考えて、エッジが幻獣界に来るのを待っていたという。
「黙っててくれてありがとな。あれ以上に大騒ぎして収拾つかなかっただろうから、それでよかったぜ」
「無情な申し渡ししか出来ず、申し」
「——助けてもらっただけで十分だって、前も言ったろ」
「っ……」
「過去は変えられねえんだ。毒受けた時点で、そういう風に変えられちまったら、さすがのおまえでも治しようがねえよ」
「……顔の傷や視力障害と同じですからね」
「そういうこった。って訳で、引き続きあいつに内緒で頼むぜ」
「ええ、その点はご安心下さいませ」
(リディアが悲しむってわかってるから、アスラは絶対あいつには言わねえ)
これからも互いに秘密を守り通すことをアスラと確認し、エブラーナに帰ってきた。
……秘密を知られたのが、アスラでよかった。そう思いながら。
***
衣装庫に到着し、マントの中で隠し持っていた、黒衣装と赤いかつらを取り出す。
扉を開けてすぐ、それらを粗雑に放り投げて叩きつけるように扉を閉めると。
だんっ!!
重厚な扉を、握りしめた両拳で思い切り強く叩きつけた。
こうなった元凶——今は亡き男に見立てて、まるでその男を殴りつけるかのように。
「くそっ……!」
そう吐き捨てると、扉に寄りかかりながら唇を強く噛む。
—— —— ——
エミールの毒による身体の変化は、地上には治療法が存在しない。
あの時は虚勢を張ったが、アスラの宣告はやはりこたえた。
女の記憶を見終わってから、覚悟は決めていた。
一方で、女の記憶の中でエミールが言った言葉は、虚勢や妄言かもしれない。
どうか間違いであってくれ。心のどこかでそう期待していた。
しかし……。
『顔の傷や視力障害と同じですからね』
過去は変えられない。治療は不可能。昨夜アスラはそう言い切った。
エッジは自身が思い描いていた理想の未来の可能性を、完全に潰されてしまった。
この先待っているのは、こうなりたくないと思っていた最悪の未来だ。
両親を死に至らしめた元凶でもある、エミールによって。
—— —— ——
どれぐらいそうしていただろう。
エッジは顔を上げたが、仮面が張り付いたような無表情で扉に背を向ける。
そして、自室に戻るために深夜の薄暗い廊下を歩き始めた。
(いい加減、じいたちに話すか)
1年間黙っていたが、これ以上ひとりで抱えていられない。
高齢者ふたりは、休み明けの明後日。清々しい顔で城に現れるだろう。
彼らに話を切り出したら、それはもう嘆くだろうが仕方がない。
エッジだって、自身の胸の内に収めたままこの世を去りたい。
けれど、『国王』という公の立場は、それを決して許さないのだ。
(エミールの野郎……オレを殺すことより、こっちがお望みだったんだろうな)
.