フェイクラバーズ 作:かえで
—— —— ——
このままお別れを迎えたら
ああしておけばよかった
こうしておけばよかったって絶対後悔する
『あなた』がいなくなる前に
出来ることをやっておかなくちゃ
—— —— ——
——翌日 7の月31日
『——ねえ』
「うわっ!?」
もはや儀式の前準備と化してしまった、目隠し作業の真っ只中。
エッジから声をかけられて、思わずすっとんきょうな声を上げてしまった。
作業中はほとんど無言なのに、話しかけてくるなんて珍しい。
「な、なに。急に……?」
『どうして帽子かぶっていないの?』
1ヶ月ぶりに発せられた、エッジのなんともはがゆそうな偽の声。
いつもならエッジをここに迎え入れる前に、帽子をあらかじめかぶっている。
ところが、今日は帽子をかぶらずお出迎えしたから、不思議に思ったのだろう。
「かぶるのもう辞めたの」
『辞めた? どうして?』
「お部屋の中で帽子って変じゃない」
『そうだけど……』
「2年もこの状態だから、首や身体が勝手に動くようになっちゃったし、もうかぶらなくてもいいかなって」
帽子をかぶる必要がない理由をはきはきと答えた。
うつむく、そっぽ向く、目を閉じる……。
エッジの顔を避けるような動きを身体が覚えてしまった。
『……』
前向きなリディアとは裏腹に、エッジが布を巻いていた手を止めてしまった。
「どうしたの? もう終わったの?」
声をかけてもざあざあ雨降りの音だけしか聞こえてこない。
(あたしに帽子、かぶっていて欲しかったのかな?)
せっかく買ってあげた麦わら帽子をもうかぶらないとは……。
エッジはそう思って気分を害したのだろうか?
「ねえってば」
『……っ』
リディアは後ろ手で、エッジの腰辺りをちょんちょん突いてあげた。
「手が止まってる。早く巻いちゃってよ」
『ごめんね。ちょっとぼおっとしてた』
催促した結果、再び目元をくるくる布で巻き始めた。
そんなエッジに気付かれぬように、小さく息をつく。
(エッジ、あたし以上にあの事件のこと……気にしてる)
—— —— ——
事件から2年が経った。
事件直後にエッジの前で、自分を見失うほど泣き喚いていたリディアはもういない。
一方エッジは、リディアを巻き込んだことで未だ自分を責めているように感じる。
右目の具合をたずねても、相変わらずエッジは『へーき』と答えるだけ。
知りたいことは、しっかり説明してくれるエッジにしては雑な対応である。
あまりに気になって、アスラやミゼルに相談したこともある。
……ふたりとも、好きにさせておけばいい。そう言っておしまいだったけれど。
—— —— ——
(あの日で終わったようなものだから、情報がないのかもしれないけれど……)
エッジが1年前、エミールの助手をつとめていた女性の記憶を話してくれた。
それを最後にエッジの口から、カルミネ関連の話題を聞いたことがない。
「ぼうっとするなんて珍しいね。考えごとしてたの?」
『珍しいのは、リディアでしょ。溜まってるから急かしてきてるの?』
「えっ!?」
『もしかして、自慰では追いつかなかった?』
「やってないよっ!!」
(もうっ!!)
エッジが冗談を言う時は、リディアを本気でおちょくりたいか。
それとも、本音を覆い隠すためにごまかしたいか、そのどちらかだ。
現にこうして声は違うけど、エッジらしく卑猥なことを口にして茶化してくる。
「さっきのは、お部屋の中の話。お墓参りやお掃除の時はかぶってるよ」
『へえ、買った甲斐があったな』
「それにね。あなたに頼りっぱなしじゃなくて、少しぐらいわたしも何かしなきゃ」
友人としての健全な昼の関係と、真っ暗闇の中で恋人まがいに戯れる夜の関係。
アンバランスでもそこそこ満たされていた日常に、いつか終わりがくる。
エッジがいなくなったら寂しくなる。いつ終わりがくるのだろう?
これまでは、そう考えながら過ごしていたけれど。
これからは、いつエッジが『日常』から消えてもいいように。
後悔を残さないように、出来る限り行動することに決めた。
そのひとつが、帽子をかぶらないことである。
「いつかは、なんとかなるってわかってるけど、今出来ることはやっておき……わっ」
(あたしは大丈夫。だからエッジは気にしなくていいよ)
そんな思いを込めて意思表明を語っていたら、突然身体がふわりと宙を浮いた。
つま先は宙を浮いたまま。両の膝裏と背中が持ち上げられているように感じて。
目隠し作業を終えて、横抱き、いわゆるお姫様抱っこをされたと気付いた。
『人が変わったみたいこと、急に言い出して……何かあったの?』
「別に何もないよ」
『……そう。でも、また一段と『立派な女性』に成長したように見えるよ』
「ほんと!?」
『ほんとだよ。脱走する日もそう遠くないかもしれないね』
「へへっ……!」
エッジに抱えられている、リディアの身体がゆらゆら揺れる。
隣の部屋に移動しているのだろう。
—— —— ——
エッジの夜の顔は、昼と大違い。
からかいや事後の会話の時に、時折昼の顔をのぞかせることがあるけれど。
基本、仮面をかぶるセシルのように紳士的。
だから、お姫様抱っこも平気でやってくれる。
—— —— ——
(至れり尽くせりってしあわせぇ……)
寝室までの道のりなんて、まあ短い短い。
それでも、お姫様気分に浸れるこの時間が好きだった。
しかも、エッジから立て続けに、お褒めの言葉をいただいてしまった。
例えそれがお世辞でも喜ばずにいられない。
『っ、到着』
「ありがとう」
『どういたしまして』
ベッドに運ばれて、その上にそっと寝かされた。
ぎしりときしむ音で、エッジもベッドに上がってきたと思われる。
身体が妙に重みを感じるのは、おそらくエッジが覆いかぶさってきたから。
『それじゃあ、始めますか……』
手を添えられたのか、リディアの右頬にざらざらとした感触。
(ああっ! い、今言わなきゃ!)
口付けをされたら、いよいよセックスが始まる。
徐々にエッジの顔が近付いてきている気配を感じて。
リディアは「ち、ちょっと待って!」と、ストップをかけた。
『何?』
「お、お願いがあるんだけど」
『ここまで来て、辞めるはなしだよ?』
「違うったら。あのね、演技す」
『——だめ』
(けち!!)
エッジに遮られて、お願い——演技するのもうやめて——を言わせてもらえなかった。
浮かれ気分は一気に急降下だ。
「……どうして?」
『ルールだからだよ。最初にそう言ったじゃないか』
「それは知ってるけど。1回ぐらい別」
『——だめです』
「じゃあ、あなたの名前呼んでもいい?」
『ルールだから、だめだね』
「目隠しぐらいは外し」
『——それもだめ』
(さっきから、『だめ』か『ルール』ばっかり……!)
2つめの要望——夜の関係での名前呼び——も、拒否されてしまった。
「始めてからもう2年経つよ? そろそろルール辞めてもいいじゃない……」
『何年でも関係ない。今更文句言い出して、まだ諦めてなかったの?』
エッジがそう言い終えると、ふうっと息をもらす音が聞こえてきた。
何言ってんだこいつ。そう思って、ため息をついたのだろうか?
昼間にお願いすると、大抵のことは『しょうがねえなあ』で折れてくれるのに。
夜の時間のルールに関する要望には、一切応じる気はないようだ。
(これじゃあ、キロンさんたちと変わんないよ……)
エッジと、頭の固くて古い人たち——ミストの保守系先住民——が、かぶって見えて。
リディアは腹が立ってきた。
「諦めてなかったっ!! ルールやめて欲しいってずっと思ってたっ!!」
押し問答は、元来感情的になりがちなリディアの叫び声で止まった。
—— —— ——
リディアは生まれてこの方一度も、本来の『エッジ』に抱かれたことがない。
エッジの声でささやかれたこともない。
エッジを求めるがあまり、エッジ本来の名を呼んであえいだこともない。
エッジがどういった顔をしながら、リディアを抱いているのか見たこともない。
夜の関係そのものはいいのだ。
昼の関係の維持目的で、エッジに抱かれることを渋々受け入れたから。
おまけに、恋情を持ってしまい、今に至っている。
許されるのなら、だらだらでもいい。ずっと続いて欲しいと思っている。
だが、ルールは違う。
エッジへの恋情がなかった当初から、演技してまで抱くぐらいなら。
普通に抱いてさっさと気が済んでくれ。そう思っていた。
恋情を持ってしまってからは、エッジに演技を辞めて欲しい。
そんな思いが募るばかりだ。
—— —— ——
『……』
叫んだのにエッジからは返事がなく、今度はそれでいらいらし始める。
そんなリディアの耳元に、突然何かが近付いてきた。
『——ぼくの言うこと、なんでも聞いてくれるんじゃなかったのか』
「ひ、っ!」
『頭下げても何やってもだめ。ぼくはだめとしか答えない』
セシルの声ながらも、ドスの効いた低く冷たい声で。
エッジに耳元でささやかれてしまい、身体を身震いさせた。
夜のエッジ最大にして、最強の切り札『なんでも言うことを聞く』を出されたら。
リディアは何も反論出来ない。
最初の最初に、エッジに都合にいい言質を与えてしまった自分が悪い。
それはわかっているけれど、なぜここまでエッジは拒むのだろう。
「何よっ! 1回ぐらい融通利かせてくれたって……っ!?」
(ああっ、キスされちゃう!)
更に身体へ圧がかかり、唇に何かが触れてきた。
見えなくとも、その何かはすぐにわかる……エッジの唇だ。
「んん、っ……」
エッジは口を封じて、そのまま睦事になだれ込むつもりでいる。
既に両頬をしっかり固定されており、顔を全く動かせない。
「……ん、っ、あん……」
唇が深く重なり合う中、時折エッジが舌先で唇の輪郭をなぞってくる。
なぜか脅迫まがいのささやきの時とは一変して、労わるような感触で。
『は、ぁっ……』
程なくして、そっと触れられるかのような額への口付けを最後に。
どこか切なさを帯びたような吐息をもらしながら、エッジの唇が離れていった。
「く、口で口封じなんてずるい……」
『ルールは絶対に辞めないし、変えない。——わかった?』
「そんなあ」
『まだ言うの!? こうなったら、身体で黙らせるしかないね』
「っ、やあ、んっ……っ!」
結局いつものように、深い口付けが始まってしまった。
このまま睦事に突入されてしまいそう。
ここからは、甘い蜜のような快感を与えられて。
言葉にならないあえぎ声や荒い息をつくだけで精一杯で、お願いどころではない。
『今日は朝まで出来るといいんだけど……』
「!?」
エッジがぼそりとそうつぶやいて、耳を疑った。
(ま、まだ諦めてなかったの!?)
無駄に体力が有り余っているせいなのか。月に一度では到底足りないのか。
エッジは徹夜覚悟で、朝まで抱き続けたいとよく口にする。
しかし、疲れ果てたリディアが先に寝る。毎月そんなオチがついて未達成。
そして、やはりと言うべきか。
今宵も先に、リディアが夢の中へ旅立ち、朝までヤリっぱなしは実現しなかったのだ。
——翌朝 8の月1日
真夏の朝は日が昇るにつれて、室温がじわじわ上がって行く。
昼——本来のエッジとのご対面は、約10日ぶり。
いつものように朝食をとり、食後にコーヒーを飲んでいたら。
エッジから思わぬ話を聞かされた。
「——それ、ほんとなのっ!?」
「ああ」
エッジが自信満々に語った内容に目を丸くした。
なんと、幻獣界でいくら過ごしても時間のズレが起こらない。
そんな方法を発見したというではないか。
「時間のズレのことは、幻獣王さまもわからないっておっしゃってたよ? 文献にも……」
「おまえは、あっちで暮らした人間第1号様だからな。人間が幻獣界に住むなんて発想自体なかったから、わからねえで終わってたんだろ」
「あっ……」
「なんでもそうだが、初ものってのは新発見の連続なんだよ」
「わたしが、先例を作って行くんだね」
「そういうこった」
—— —— ——
オーディンのように、人間がリヴァイアサンに認められて。
幻獣やその世界の住民に生まれ変わる事例はいくつかある。
しかし、人間が幻獣界で生活したのは、リディアが初めて。
里帰りという地上の風習を見習い、時折人間(リディア)が幻獣界に帰るのも初めて。
リディアは、幻獣界にまつわるものについて、初ものの人間なのだ。
—— —— ——
「おまえ、こっち戻ってきてから里帰りしてっけど。時間ズレたことねえだろ」
「……うん、ないね」
現在リディアは、毎年春と秋に幻獣界に帰り、半日程度そこで過ごしている。
半日経過して帰ろうとすると、リヴァイアサンが帰るなここに住めと嘆く。
そんなリヴァイアサンをアスラがなだめつつ、またいらっしゃいと挨拶してくれて。
幻獣界から地底に戻ってくると、きっかり半日過ぎている。
「大人になった時やセシルたちの結婚式はひどかったのに、今はそうじゃないんだよね」
「だろ? そんで、7年ぐらい様子見した結果、オレはとうとうズレねえ方法に気付いた」
「……どんな方法なの?」
「まあ、単純なもんでな。おまえ、この先もずっとミストで暮らしてえか」
「え? おばあちゃんになってもそのつもりだけど」
「上等。あとはいつものように里帰りやってりゃズレねえよ」
「いつも……?」
里帰りする日の行動を振り返ってみた。
—— —— ——
いつもその日は出発する前に、両親の墓参に向かうため。
花を準備してくれているジャンヌの家へ立ち寄っている。
『この日だけは、どうしてもばくち打ちの気分にさせられちまうんだよ』
『これが最後の会話じゃないことを祈ってるよ』
毎回見送られる前に、ジャンヌにそう言われてしまう。
—— —— ——
「もしかして、わたしの帰りを待ってくれる人がいるからズレないの?」
ジャンヌは里帰りする前から、リディアの帰りを待ち詫びてくれている。
本当にその日中に、リディアが帰ってくるのか。そう不安に思いながら。
—— —— ——
ジャンヌだけではない。
ミゼルもアリサやライザたち……ここに暮らす者は何も言わないけれど。
ジャンヌと同じように、一度帰ったら最後、リディアはもう帰って来ないかもしれない。
そう不安に思ってくれているのかもしれない。
—— —— ——
「そうだ。よくわかったな」
「ちょ、もうちょっと詳しく教えて!?」
「……もともと幻獣界と地上は、時間の流れの速さが違うだろ?」
「うん」
「だから、時間がズレて当然だ。けど、ある条件を満たすと限定的に時間の流れの速さが同じになる」
「その条件が……」
「幻獣界に行く奴、そいつと関わりがある地上の人間……おまえとミストの奴らのことだな」
エッジが一旦説明を切って、コーヒーをすすってから、また話を続ける。
「幻獣界に里帰りしてる間、おまえが『この先もミストでがんばるぞ!』。そんでミストの奴らが、『リディア、早く帰って来ねえかな』みてえなこと思い続けてりゃ、その間だけ幻獣界と地上の時間の流れの速さが同じになる」
今は、セシルやローザをはじめとした戦友だけではない。
リディアと一緒に、これからも地上で生きたい。
そう願う者——主にミストの住民——がたくさんいる。
演奏会、黒魔法講座、召喚士の育成、幻獣たちとのミストでの交流、花火……。
ミストそのものが、リディアを必要としている。
打算抜きに、リディアを必要としてくれている住民も多い。
「ぶっちゃけ、幻獣界行く奴とそいつを地上で見送る奴らが両思いなら、幻獣界に行っても時間はズレねえってこった」
「ミストで先の予定を入れておいたら、ズレが起こる確率がもっと減るかもしれないね」
「泊まりたけりゃ、ちょうど今の時期がいいかもな」
「あ、花火があるから……」
「それもあるが、あっちはケーキやアイスねえだろ? 戻ってきたくてたまんなくなるさ」
「もう! 花火も楽しみだもん!!」
「ははっ! まあ、おまえが心変わりしねえ限り、これからも時間はズレねえと思うぜ」
エッジがそう言って、説明を終えた。
「人の思いが時間の流れを変えるって、すごいね……!」
(思いは奇跡を生むんだ!!)
エッジの説明は、とても納得行くものであった。
なぜなら幻獣界は地上の常識が通用せず、何があってもおかしくない世界だから。
「オレは不思議でならねえけど」
「そんなことないよ。そのおかげで月に行けたんだから」
「ああ、そういうこともあったな……」
「白魔法も同じだよ? 神さまにお願いするんだもん」
ミシディアの海底に眠っていた伝説の魔導船を引き上げたのは。
ミンウたち、ミシディアの白黒魔道士たちの強い祈りだった。
白魔法も見えざる神の奇跡を祈りながら、術を発動させるのだし。
「神なんかいねえっつってるだろ。あんなもん使う奴の精神と引き換えだ」
「また、そんなこと言って……だからローザに回復後回しにされちゃうんだよ」
「はっ、どーせオレは罰当たりですよぉー」
自分は何も悪くない、悪いのはローザ。
口では言わないけれど、おどけた口調からエッジがそう言いたげなのがよくわかる。
—— —— ——
エッジの持論は『神とやらがいれば、ミストもエブラーナも何事もなかった』である。
彼は白魔法を否定はしないが、神の存在を全く信じていない。
神なんかいない。公然でそう言ってはばからない。
ローザはそれを知っている。
そのため彼女は旅をしている間、モンスターとの戦闘を終えてから。
複数人を回復せねばならない時に、無神論者は黙って待ってろ。
そう言わんばかりに、どんなに深いダメージを負っていてもエッジを最後に回していた。
—— —— ——
(ローザは優等生で、エッジは不良みたいだもんね……)
エッジとローザは9割方真逆の気質で、相性があまりよくない。
ふたりとも、目的——世界滅亡を阻止する——が一致していてよかった。
「どっちかが、どうでもいいって思ったら即アウトだ。時間がズレっから、これからも気ィ付けろよ」
「……」
「どした」
「え? どうして前は、地上の時間が進むのがあんなに遅かったのかなって……」
「大人になった時か」
「うん」
—— —— ——
リディアは、ふたつの世界の大きな時間のズレを、過去に2回経験している。
1回目は、セシルやギルバートと共に旅を続けていた頃だ。
海難に遭い、リディアはリヴァイアサンに助けられて、10年ほど幻獣界で過ごした。
その間、地上地底はたった数ヶ月しか経っていなかった。
—— —— ——
「そりゃあ、あん時はみんなてんでばらっばらだったからだろ」
「エッジとも出会ってなかったし、そういえば……おじちゃんたち、わたしが火事で死んだって思ってたって言ってたなあ」
—— —— ——
帰郷後に、ミゼルから教えてもらった話だが……。
リディアも炎に巻き込まれて死んでしまった。
ミストの火災で生き残った住民は、当時みんなそう思い込んでいたという。
リディアと一緒に海難に遭ったギルバートも、トロイアに流れ着いて意識不明。
同じくセシルも、リディアの生存を諦めていた。
—— —— ——
当時はまだ仲間が、今のように集まっておらず、結束力もなかったのも余計だろう。
1回目のズレが起きた原因は、当時地上ではリディアと共に生きる未来を持った者。
リディアの帰りを待つ者が誰もいなかったからだ。
「まだあるぞ?」
「えっ」
「おまえは早くセシル助けてえ、強くなりてえって幻獣界で修行してたんだろ?」
「うん……」
「それもあって、余計に幻獣界の時間速度が加速したんじゃねえの?」
(それもあるけど、本当はセシルたちと同じ大人に早くなりたかったからなんだよ……)
地上と幻獣界は、時間速度が同じだとは限らない。
リヴァイアサンからは、ざっくりとそう教えてもらっていたのだ。
—— —— ——
セシルの力になれるように、早く強くなりたい。
……早くセシルと同じ大人になりたい。
幻獣界で暮らしていた頃は、それはもう、セシルセシルと念じながら、修行を続けていた。
—— —— ——
(セシルのこと……エッジはあまり聞きたくなさそう)
セシルへの恋情から、加速度が倍になったのかもしれない。
リディアは、エッジにはそのことを話さなかった。
「まあ、結果ゼロムス倒せたからいいんじゃね?」
「そうだね。その次も危なかったけど……」
「あいつらの結婚式があってよかったなあ」
「1週間で半年だもん。そのペースじゃ1ヶ月で2年過ぎちゃう……」
—— —— ——
2回目はゼロムスの戦いの直後だった。
幻獣界で1週間しか過ごしている間に、地上の時間が一気に半年も進んでいた。
—— —— ——
「おまえがあっちで2、3年過ごしてるうちに、オレたちゃ超倍速でみんなあの世行きだ」
「やだやだっ、怖いよぉ!!」
「今はそうやってびびってっけどさ。おまえ、最初はあっちで暮らす気満々だったろ?」
「っ、あ、あの時は、ミストが滅んで、みんなも死んでしまったって思ってたから……」
「だからおまえは幻獣界に骨埋めるだろうって、みんな諦めてたんだよ」
リディア側、地上側両方がそっぽを向いていると、時間のズレが大きくなってしまうようだ。
(でも……)
「エッジも……」
「あ?」
「エッジも、あの時……」
(あの時、みんなと一緒のように、あたしのこと……諦めてたの?)
途中で言葉が途切れてしまった。
もしエッジから『ああ、諦めてたぜ』と言われてしまったら、落ち込んでしまうかも……。
そう考えてしまい、続きをなかなか口に出来ない。
「なんだよ、早く続き言えよ」
「!?」
(ばかっ!! 何聞いてるの!?)
エッジに声をかけられて、はっとした。
たずねる必要ないことを、たずねようとしていたことに気が付いた。
「う、ううん!? なんでもないっ!?」
「ふーん……コーヒーどーする?」
「あっ、ついでにお願いします」
立ち上がったエッジに、視線の高さはそのままの状態でカップを渡す。
それを受け取ったエッジが台所に向かうのを横目に、息をついた。
(途中で気付いてよかった……)
何をばかなことを聞こうとしていたのだろう。
エッジだけは、諦めてなかったはずなのに。
—— —— ——
セシルとローザの結婚式が終わった後。
エッジは身勝手な振る舞いと、強引な手法で善意や本音を隠して。
やさしい夕焼けの赤に包まれた復興中のミストを、上空から眺めさせてくれたではないか。
『あたしがミストを必要としてるの。ミストは、あたしの故郷だもん』
リディアが帰郷を望んだきっかけを作ってくれたのは。
今コーヒーを淹れてくれている、エッジその人だったではないか。
—— —— ——
「ついでっちゃなんだが、オレも実験して何回か成功したぜ」
「実験!?」
「たまーに幻獣界行くから」
「え?? 幻獣界に行って何してるの?」
「ダッシュで町一周。行って戻ってくるだけだ」
「あ、洞窟は修行しがいがあるから……」
「ああ」
幻獣の洞窟内の地面は、歩く人の体力を削ぐ特殊な加工がされている。
モンスターもうろついているが、実力があるエッジなら、洞窟を抜けることは可能だ。
「修行で往復繰り返しても、全然ズレなかったから気付いたんだ」
「そういうことだ」
(エッジがひとりで幻獣界に行っても、時間はズレないよね)
エッジは祖国と民を愛し、幻獣界に住む気がこれっぽっちもない。
エブラーナの民もお館様を敬愛しており、相思相愛の関係だ。
「ねえ」
「なんだよ」
「前からだけど、どうしてわたしにいろいろしてくれるの?」
もし、その仮説が間違っていたら。
エッジはそんな可能性を考えたことはなかったのだろうか?
たかが元戦友の悩みを解消するために。
実験のリスクを無視してまで、何度も確かめてくれたなんて……。
「……」
(前と一緒の答えかなあ)
コーヒーを注ぐ音が止まった。
エッジは黙ったまま、いつものように荒っぽい足音を立ててこちらに近付いてくる。
今のリディアは、エッジの顔を見ることが出来ず。どんな表情をしているか確認出来ない。
更に黙られると本当に何を考えているのか、さっぱりわからない。
またそんな質問するのかよ。
そう呆れているのだろうか?
もしかして、何かしら『仲間』以上の理由を答えてくれるのだろうか?
「——おまえは大事な『仲間』だからな」
「あ……」
「おい、いらねえのか?」
エッジが戻ってきて、返事と一緒にカップを届けてくれた。
こちらの視界に入るよう、ぐっと手を伸ばしてまで。
「あ、ありがとう……」
両手でカップの側面を包み込むように、エッジからそれを受け取った。
「これもいろいろの一環だ。オレが仲間でおまえは運がいいぜ」
「うん。そうだね……」
予想通り、数年前と一緒の返事で、少し肩透かしを食らった気分になる。
それでもカップに口を付けて、コーヒーと共に残念な思いもごくりと飲み込んだ。
(やっぱり仲間だからだよね。何を期待していたんだろう……)
エッジはそういう目でリディアを見ていないのに。
夜の関係も、身体の相性がいい上に、『今は』これといった女の人がいないからなのに。
「つっても、ここまでおまえひとりだけって条件の話だからな。何人か同時にあっち行ったらどうなるかは知らねえぞ」
「それなら確実に、同じ速度になるんじゃないの?」
「……どうなんだろな。さすがにそこまで追う気力ねえや」
「そうじゃなくても、エッジはいつでも幻獣界専門家になれちゃうよ」
「あんなもんただの予想屋だろ。でたらめなことばっかぬかして金儲けやがって……!」
この近年、異世界研究家や幻獣界専門家なる者が出現している。
エッジが吐き捨てるように彼らをなじったのは、やりたい放題だから。
—— —— ——
新聞や噂で、幻獣界に興味を持ったのだろう。
彼らは独自の研究を著した書物を出版したり、新聞に独自の見解を寄稿したりしている。
的中している部分もあるが、大半はいい加減な内容が多い。
しかも、ミストと関わりがある者は誰ひとりもいない。
こういった記事を載せます、本にしますとミストに挨拶しにきた者もいない。
そう。彼らは単に自身の妄想を使って、お金儲けしているだけ。
—— —— ——
異世界研究家や幻獣界専門家を放置しておくと、幻獣界やミストへの風評被害の恐れがある。
最近ミストでは、そういった声が増えている。
§
エッジと雑談しながら、両手で抱えたカップに時折口を付けてコーヒーをすする。
その合間にリディアは、昨夜の出来事をぼんやりと振り返っていた。
『1回でいいからセシルの演技を辞めてくれ』
『エッジの名前を呼ばせてくれ』
『エッジの顔がちょっと見たいから目隠しを外させてくれ』
(……散々だったなあ)
それらも室内での帽子卒業と同じように。
エッジとのお別れする日がくる前に、ぜひやっておきたいことだった。
しかし、エッジは『ルール』を盾にして、『だめ』でことごとく拒否。
お願いは全て空振りに終わり、結局いつものように抱かれて夜が過ぎていった。
(いいや。許してくれるまでずっと食い付いてやるんだもん!)
食後のコーヒーの時間が終われば、エッジはエブラーナに帰ってしまう。
次にここに来るとしたら、花火の日までに一度来るか来ないか。
それまでに、ぜひ聞いておかなければならないことがある。
「ねえ」
「あ?」
「エッジの好きな食べ物ってなあに?」
好きな食べ物、好みの異性のタイプ、趣味、特技、将来の夢……。
人は、初対面かつ気になった異性の相手にそういったことを質問しがち。
しかしリディアが、異性相手にこんな質問をしたのは、これが生まれて初めて。
お別れの日までにエッジの好きなものを作り、美味しいと言わせたい。そんな目標を立てたから。
「……そんなもん聞いてどうすんだよ」
(うわあ、呆れてそう)
初対面で質問するようなことを、今更ながらたずねたのだから。
不審げな声で返されても仕方がない。
「ほ、ほら。わたしも人並み程度に作れるようになったでしょ?」
「一応な」
それでも、リディアはめげない。
一品だけでいいから、なんとかエッジから料理名を引き出したい。
「今度は、これって自慢出来る一品が欲しくて……練習しようと思ってるの」
これは『ルール』ではないから、『だめ』なんて言わないはず。
さすがに、『好きな料理はない』『ノーコメント』などとは答えないだろう。
「そんなもん、ブラウニーって奴があんじゃねえか」
「あれはお菓子。わたしが言ってるのはお料理だよ」
確かにブラウニーは、ご自慢出来る唯一の一品である。
アリサたちから、しっかりお誉めの言葉もいただいているが。
お菓子ではなく、食事のメニューでないと意味がないのだ。
(エッジは甘いもの食べても、いつも『甘い』しか言わないもん……)
そもそも、エッジがこうしてミストに来てくれていなかったら。
今でも夕食の調理をサボりにサボって、3食まともに食事しない日が続いていただろう。
エッジに成長の証を少しでも感じていただくには、食事のメニューの方が適しているのだ。
「オレは何でも食うが、別に好きな食いもんはねえな」
「うそでしょ!?」
「裏を返せば、こだわりがねえってこった」
(好きな食べ物がない人っているんだ……)
信じられない答えに驚いたが、諦めない。
食にこだわりがなくとも、この料理はまあまあ、これは美味しくないといった誤差はあるはず。
「おい……」
「お願いっ。『仲間』の料理スキルを上げるためだと思って、何か思い出してよ。ひとつだけでいいから……」
『仲間』を大義名分に、両手を合わせて頭を下げたら。
がちゃんと大きな音が聞こえてきた。
顔を上げてみれば、エッジが手にしていたカップを机に置いて頭を両手で抱えている。
(そういえば……!)
エッジが考え込んでいる中、はっと気付いた。
エブラーナの料理や魚料理を指名されてしまったら、どうする?
—— —— ——
エブラーナの料理の食材は、ミストや近隣のバロンで見られないものが多い。
ミストには、エブラーナ出身の移民がいない。ご指南役がいない。
魚料理も厳しい。ミストの回りには海がない。
魚を入手するには、朝早くからバロンやダムシアンの市場に行かなければならない。
—— —— ——
(あーあ、もう少し質問を工夫すればよかった……!)
はらはらしながら、エッジからの返事を待っていた、その時。
「……おまえが作る奴なら、ビーフシチューか……」
「え」
(何ですって!?)
エッジがぼそりと口にしてくれた食名を聞いて、目を輝かせる。
ビーフシチューは、一昨日友人ふたりから、美味しくなるコツを教えてもらったばかり。
リディアは即座にそれに決めた。
もし『まあまあ』と言われたら、他のコツを教えてもらい、再チャレンジしたらいい。
「あとはミートローフか……豆と肉煮込んだやつぐらいだな」
「レンズ豆と鶏肉の煮込み?」
「おお、それだそれ」
「……っ、あははっ!」
(やっぱりエッジはこうでなきゃ!)
エッジがチョイスしてくれた品々を頭に思い浮かべた途端、腹を抱えて笑い出した。
いかにもなチョイスに笑いのツボが刺激されてしまったのだ。
「笑うぐらいなら聞くなよ……」
「だって……お肉料理ばっかりなんだもん。やっぱり、ふふっ……エッジは、肉食獣なんだって……!」
温厚なギルバートやセシルは、サラダやスープを好んで選ぶイメージがあるのに。
エッジのチョイスは全て肉料理。肉、肉、肉のオンパレード。
まるで、ぎらぎらした獰猛類だ。
「ふふ、っ……弱肉強食……あはははっ……!!」
「この野郎……!!」
不穏な気配を見せるエッジに、全く気付かずひたすら笑い続ける。
過去料理作から、わざわざ選んでくれたエッジに感謝しなければ。
『わたしがここまで変われたのは、あなたのおかげだよ』
自己成長を促してくれたエッジへの感謝を、口頭ではなくお料理で伝えるために。
エッジから、『美味しい』と言ってもらえるように、頑張って作らなければ!
—— —— ——
帽子がなくなったおかげで『どうぞ打って下さい』と言わんばかりに。
がら空き状態のリディアの額に、誰かさんから全く痛くないデコピンを打たれるまで、あと数秒。
—— —— ——
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