※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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木枯らしに抱かれて

 

 

 —— —— ——

 本日はクリスマス。

 いつもよりちょっと豪勢な食事をすぐ食べられるように。

 既に居間机の上には、真白なお皿と空っぽのワイングラスが3人分並んでいる。

 冷めても平気なサラダやパンが入った大皿、緑色のワインボトルも置かれている。

 —— —— ——

 

 

——少し前

 

 

 真っ暗闇の外から、時折ひゅうひゅう木枯らしの音が聞こえてくる。

 

「ねえ、おばちゃーん」

「なんだい……」

 

 ジャンヌが居間机の上を、とんとん指で強くつつく。

 その度に、お皿やグラスががたがたっと揺れる。

 

(おばちゃん、すごくいらいらしてる。あたしもだけど)

 聖なる夜の晩餐の準備は、とうの前に出来ている。

 それなのに、ここリディアの自宅の居間は、どこか不穏な空気に包まれていた。

 

「もう7時になっちゃうよ?」

「わかってるよっ」

「おじちゃん、いつ来るの?」

「こっちが聞きたいぐらいだよ!」

「……もうお腹すいたぁ! ごちそう食べたいよぉ!!」

「全く! あの、糸の切れた凧め!」

 

 いつまで経っても待ち人来らず状態に、我慢の限界を超えた。

 椅子にのけ反りながら大声を上げると、ジャンヌが苦々し気な表情で吐き捨てた。

 

(去年より30分も早く出来上がったのに!!)

 ミゼルがここに来ない限り、ごちそうは食べられない。

 リディアとジャンヌは、数十分前からお預けをくらったまま。

 

 しかも、ごちそうを作ったのはリディアとジャンヌだ。

 ミゼルは何もしていないので、余計に腹が立って仕方がない。

 

「今日は寒いから、おじいちゃん寝込んでるのかな?」

「さあね。用が済んでどっかほっつき歩いてんじゃないのか?」

「今年も作戦大失敗だったね」

「炎が苦手だと、こういう時使えないから困ったもんだよ」

 

 ***

 

 クリスマスを2週間後に控えたある日。

 リディアは、ミゼルたちの自宅で晩ごはんをごちそうになっていた。

 

「ねえ、おじちゃん」

「なぁに」

「今年もクリスマス、じいさんち行くだろ」

「うん。昼いちばんに行こうかなって思ってる」

 

 毎年クリスマスの午後。ミゼルは東区画に住む某老人のお宅へお菓子を届けている。

 なおジャンヌによると、そのお宅にお邪魔したら、2時間は帰ってこないという。

 

「昼一は早すぎるぞ」

「夕方お届けに行ったらどうかな?」

 

 リディアとジャンヌは、ミゼルにそう迫った。

 

「どうして?」

「おじちゃんお仕事忙しいじゃない。終わってからの方がゆっくり出来るでしょ?」

 

 ミゼルをいたわっているようにも聞こえるが、そうではない。

 クリスマス当日の夕方限定、ミゼルが邪魔なのだ。

 

 —— —— ——

 昨年のクリスマス。ごちそうの準備中にミゼルが自宅にやってきた。

 ところが彼は火に近付けない。ごちそうを作るお手伝いがほとんど出来ない。

 

『遅っそいなー』

『お腹空いちゃったー』

『出来上がり、なんか雑じゃない?』

 

 手持ち無沙汰だったのだろう。

 ミゼルは、ごちそうが出来上がるまで。リディアたちにいろんな野次を飛ばしてきた。

 せっかく楽しく作っていたのに、神経質な現場監督のおかげで気分が萎えてしまった。

 

 そして今年もクリスマスの季節がやってきた。

 去年の反省とばかりに、ジャンヌとふたりでいろいろ対策を練った結果。

 リディアたちがごちそうを準備している間に。

 ミゼルに某老人のお宅へお菓子を届けてもらおうと考えた。

 —— —— ——

 

 4時にお届けに行ったら、リディアの自宅にくるのは6時過ぎ。

 ごちそうを準備する時間と思い切りかぶる。

 

「でも、その日は毎年昼間」

「——いいから今年は夕方届けに行ってこいっ!!」

「ひっ!?」

「ほら、おばちゃんもこう言ってるし、アドバイスに従った方がいいよ」

「ええ、なんでぇー?」

「うるさい! あたしが行けつってんだから、行けっ!」

 

 ミゼルは終始不審げだったが、妻の圧力でお届け時間を変更していただいた。

 

 ***

 

「邪魔って正直に言えばよかったか?」

「だめでしょ。準備の最初から居着いて、わたしたちに嫌がらせしてくるよ」

「ああ……」

 

 監督不在の今年は、昨年以上に早く準備を終えることが出来た。

 けれど、今度は自宅になかなかやってこない。極端すぎる。

 

「ねえ、おばちゃん」

「なんだい」

「明日から、本当に講座来ないの?」

「あたしの華麗なる引き際見といて、まだ言うのか?」

「ついでにサンダーも覚えちゃえばいいのに、もったいないなあ」

 

(せっかく黒魔法を覚えるいい機会なのに)

 薪要らずの魔法に必要なファイアを、大人も使えるように。

 そんな理由から、ミストではこの秋から、黒魔法講座の受講対象を住民全てに変えた。

 

 —— —— ——

 そして本日。ジャンヌがファイアを習得した。

 もともとブリザドを使えるので、黒魔法への取っつきが早かったのだろう。

 秋から入った大きな生徒の中では、一番乗りだった。

 

 ところが、ファイアを使えるとわかるやいなや。

 ジャンヌは生徒たちの前で、『世話になったね』と卒業宣言。

 そのまま風のように教室から出て行ってしまった。

 —— —— ——

 

「この年から魔法を覚えようと思ったら、実用目的じゃないとやる気が出ないんだよ」

「……もともとやる気ないくせに」

 

 恨みがましくぼそりとつぶやいたら、ジャンヌがぎろりとにらんできた。

 

「うるさいっ!」

 

ぺちん

 

「痛いっ!」

 

 ジャンヌが身を乗り出して、額を引っぱたいてきた。

 

「ひどい! おじちゃんもお母さんもみんな言ってるじゃない!?」

「おまえも、魔法がなかったら掃除する気ゼロなくせに」

「うう……」

「それと同じだよ」

 

 エッジやアリサと違い、ジャンヌは力加減を知らない。

 じんじんする額を押さえながら反論に転じたが、彼女はものともしない。

 

 —— —— ——

 ジャンヌは魔力はたくさんあるのに、じっとしているのが大嫌いな子どもだった。

 黒魔法の授業をさぼり、川遊びや森の探検。男の子との取っ組み合い。

 

 ……魔法より、身体を動かすことに時間を費やした。

 その結果、ブリザドしか使えず『魔力の持ち腐れ』と呼ばれるようになったという。

 —— —— ——

 

「あたしだけじゃない。みんなファイア覚えたら即さようならするよ」

「知ってるけど、辞めないでほしいよ……」

「ガキは大人よりも時間と余裕がある。だから、昔っからミストじゃ、ガキの頃から黒魔法覚えさせてんだ」

 

(ミストに限った話じゃないよね)

 大人は、日々の生活を最優先せねばならない。

 ジャンヌの言うことも間違いではなく、ミストでは黒魔法に熱意ゼロの大人が多い。

 

 そんな中、ファイアを習得後も講座の受講を続ける。

 ライザたち数人の大人生徒が、そう言ってくれたのが朗報であった。

 

「サンダーいじった使い勝手のいい魔法考えたら、戻ってきてやる」

「……感電するだけじゃない」

「まあ、がんばれよ。——さぁて、待っててもしょうがない。探しに行くか」

 

(おじちゃん、腹パンされちゃうな。自業自得だけど)

 ジャンヌがおもむろに立ち上がり、玄関に向かった。

 とうとう待ちきれなくなったようだ。

 

「わたしも行く!」

 

 後を追おうとするリディアを、ジャンヌが何とも言えない表情で見ながら。

 玄関そばに掛けてあった、自身のコートに手を掛けてこう言った。

 

「エブラーナの人が来たらどうするんだ」

「大丈夫。少しぐらい待っててくれるよ」

 

(去年はもっと来るの遅かったもん)

 11の月終わりの夜が明けて、朝一番にエッジからこう予告された。

 

『去年みてえにケーキ届けてやっから、楽しみにしとけよ』

 

 一体誰が届けにきてくれるか知らないけれど。

 こんな日にこき使われる、ちょっと気の毒なお城勤に対する労いとして。

 去年と同じく、ジャンヌに頼んでジンジャークッキーを多めに買ってきてもらった。

 今は白い紙袋に入った状態で、台所の調理台の上に置いてある。

 

「それならいいけど。……さっき話したこと、ミゼルには黙っとくんだよ」

「うん、わかってる」

 

 さすがに、外は寒い。

 コートを着ながら忠告してくれたジャンヌへ、素直に返事をした。

 

 —— —— ——

 ジャンヌは、村のあれこれの事情を知る村長の妻である。

 たまに、ミゼルが隠しておきたい話を良し悪し関係なく、こっそり教えてくれる時がある。

 —— —— ——

 

 つい先ほども、そんな話を聞いたばかりだった。

 今回は非常によろしくない内容だったが、心の準備が出来る。

 そう思うと、先に教えてくれてありがたかった。

 

「まあ、年明けには話すだろうが、あたしに抜け駆けされたってすねちま……ん?」

 

 玄関の向こう側から、何やら話し声が聞こえてきた。

 

「やっと、帰ってきた……!!」

「なんかやかましいな。……何しゃべってんだ?」

 

 耳をすませば、ミゼルと誰かが何か押し問答している。

 

『……何をおっしゃっておられるのか、よくわかりません』

「だって、おしゃれでかぶってるのなら、すぐ外してくれるでしょ? そうじゃないなら、断る理由ってそれぐらいしかないじゃん」

『別の理由です』

「そう……別に理由はなんでもいいや」

『でしたら、早く』

『——エブラーナに行けないからバラしようないし、ぼく誰にも言わない。だから、一度でいい。お面外してよ!」

『いくらミゼルさんの頼みでも、断固お断りいたします』

「そんなぁー!!」

 

(おじちゃんがしゃべってる人、もしかしてあの人??)

 何度も馴れ馴れしく頼みごとをするミゼルに対して。

 相手はほぼ淡々とした口調で断っている。

 

「……おじちゃん、悪いところ全開だね」

「前から顔が見たいって言ってたからな。とうとうやりやがったよ」

「見せる気があったら、最初っから外してるよね」

「ああ。いい年した大人が駄々こね。みっともないったらありゃしないねっ」

 

 ジャンヌがコートを脱ぎながら、呆れたように吐き捨てた。

 

 —— —— ——

 ミゼルは自身に敵意がない相手を即、友人とみなして無神経に交流を図ろうとする。

 無駄に高い、彼のコミュニケーション能力を知る者は、ジャンヌとリディアぐらいだ。

 —— —— ——

 

「仕方がないなあ……」

 

 とうとう、ミゼルが諦めたようだと思っていた矢先。

 

「——じゃあ、これなら見せてくれる?」

 

 少しの間を開けてから、ミゼルがなおもこう続ける。

 

「これはね、ここの火事で火傷して跡が残っちゃったんだ」

『左目は』

「もうないよ」

 

 言葉だけですぐわかった。

 ミゼルが黒眼鏡を外して、火傷の傷を相手に見せているのだ。

 当たり前だが、見せられた相手の声は戸惑っているように聞こえる。

 一方、ミゼルの声は、自身の負の歴史を晒しているとは思えないぐらいの清々しさ。

 

「うそ……!?」

「っ、あのばか!!」

 

(自分から傷見せちゃうなんて!)

 反則の行動に出たミゼルに、リディアは驚きを隠せない。

 一方、ジャンヌがコートを壁に引っ掛けるやいなや、玄関へ猛ダッシュした。

 

ばたん! 

 

「——こら!! 何やってんだっ!!」

 

 荒々しく玄関の扉を開く音と共に、ジャンヌの怒声が暗闇に響いた。

 

 室内の明かりと、ミゼルが手にしているランタンの光。

 それらが、既に黒眼鏡を掛けているミゼルと被害者の男性を薄く照らしている。

 

「あーあ、ざんねーん。邪魔が入っちゃった」

 

 がっくり肩を落としたミゼルの前に、ジャンヌがずかずかと近付いていく。

 

「この無神経野郎っ!!」

 

ぼこっ!!

 

「ぐぁっ!!」

 

(ああ、腹パンされちゃった)

 腹に拳を叩き込まれて、ミゼルがうめき声を上げながら、その場にうずくまった。

 

「う、っ……い、痛いよぉ……ジャンヌさぁん……」

「同情引いて、面を外してもらおうって魂胆か!? 兄さんはおまえのダチでも何でもないぞ!」

「い、いや……対価の」

「——黙れっ! おまえが傷を見せるってことは拷問なんだぞ!? 見せられた奴の気持ち考えたことあんのか!」

「ちょっ!? 拷問は言い過ぎじゃない!?」

「だいたい、おまえって奴は……!」

「……!?」

「……!!」

 

 ジャンヌがものすごい剣幕で、夫に一方的にまくし立てている。

 この力押し状態になると、いくら知恵が回るミゼルでも太刀打ち出来ない。

 

(あとは、おばちゃんに任せておけば大丈夫!)

 リディアはふたりを横目に、被害者男性のそばに近付いた。

 無神経な村長がいる村は、もう嫌だ。

 男性がミストにそんな悪印象を持ってしまっていたら、それこそ嫌だ。

 

「あのぉ……」

 

(今年もツクヨミさんが届けにきてくれたんだ)

 頭から足の先まで全身真っ黒黒で、顔には白い狐のようなお面。

 そして、去年と同じ黒い包みを抱えている男性——ツクヨミに、恐る恐る声をかけた。

 

「こんばんは、リディアさま。ご無沙汰しております」

 

 ツクヨミがリディアに気付き、深々と頭を下げてくれた。

 初恋の人と同じ声だったが、怒気は全く感じられない。

 

「すみません……ツクヨミさん」

 

 何はなくても、ミゼルの代わりにまず謝っておかねば。

 リディアは、ばつが悪そうにツクヨミへ謝罪したのであった。

 

 

——10分後

 

 

 辺り一面真っ暗な中、ミストの発着場へと続く道を歩く。

 きらきら満天の星空がミストを包み込んでおり、今夜は雪が降ることはなさそうだ。

 

「ひゃあっ」 

 

 ぴゅうと木枯らしが吹き付けて、リディアの頬を冷気が通り過ぎていった。

 顔はケープで覆われていないので、嫌でも季節を体感させられる。

 

 リディアの頭上をふわふわ浮かぶ、ランタン代わりの灯球は、突風も何のその。

 リディアと隣を歩くツクヨミの姿を、ほんのり照らしてくれている。

 

『リディアさまの……』

「はい?」

『リディアさまの服装は、非常に寒そうに見えますが、実際はそうではないと聞いております』

「ええ。これ、すごくあったかいんですよ」

 

 ツクヨミに見せるように、胸元の透明な布をつまんで前に引っ張ってあげた。

 

 —— —— ——

 上半身を覆うケープは気温や室温に応じて、リディアを快適に過ごさせてくれる。

 暑い夏は冷気を漂わせて涼しい。寒い冬は風や冷気を遮断して温かい。

 ただし、ケープは透明である。

 冬にミストの外へお出かけすると、多くの通行人がぎょっとしながら通り過ぎていく。

 —— —— ——

 

『厚着する必要もないのですね』

「そうです。マフラーもコートもなーんにも持っていません」

『倹約にも一躍買っているのですね。素晴らしいではございませんか』

 

 感嘆をもらすツクヨミを横目で見ながら、つまんでいたケープをぱっと外した。

 

「ツクヨミさんも一年中、同じ服装なんですか?」

『はい、そうです』

 

 ツクヨミは黒の長袖のコートで身を包み、頭は大きめのフードをかぶっている。

 顔もお面で隠して冷気を遮断しており、手のひらしか肌を露わにしていない。

 

「……今の季節はいいけど、夏はそれだと倒れませんか?」

『僕は敏感肌でしてね。日光に当たると肌荒れを起こしやすいので、出来るだけ肌を隠しております』

「お面をかぶっているのも、そのせいなんですね」

『はい。お館様からも許可をいただいておりますので問題はございません』

「そうなんですね。ここのみんなも不思議がっていたから、教えてあげてもいいですか?」

『ええ。よろしいですよ』

 

 肌が弱いのなら、お面をかぶって暑苦しい格好するのも納得が行く。

 リディアだけでなく、ツクヨミの外見に疑問を持つ住民がたくさんいた。

 しかし、この日を境に、そんな者はいなくなった。

 

(お面……)

 自ら話題に出したにもかかわらず、先ほどのいざこざを思い出してしまった。

 みるみるうちに気分が沈んでいく。

 リディアの首も、それと比例するかのように垂れてしまう。

 

「おじちゃんが……」

『はい?』

「おじちゃんが、失礼なことしちゃってごめんなさい」

『ミゼルさんから謝罪をいただいております。謝る必要はございません』

「どうせ、あんなの上っ面だけ。たぶんこれからもしつこく言ってきます……」

 

 確かにあれから、ミゼルはツクヨミにぺこぺこ頭を下げていた。

 しかし、反省しているようには全く見えなかった。

 リディアがそう感じるのだから、ジャンヌも怪しんでいるはず。

 

『ご心配なさらないでください。既に対策を考えております』

「対策? どんな?」

『申し訳ございませんが、内容については言及を差し控えさせていただきます』

「あっ、企業秘密なんですね。それならいいです」

 

 どうしても顔を見られたくないなら、お面の下に化粧をするつもりでいるのだろうか?

 

 —— —— ——

 この秋から、元脱走者の女性エライアが、黒魔法講座の講師をつとめてくれている。

 ただし、彼女の就業条件は何よりも身元を隠すこと。

 偽名を使い、化粧してかつらもかぶって変装した状態で、バロンから通ってくれている。

 —— —— ——

 

(化粧、すごく面倒くさそうなのに……)

 そうまでして故郷に協力してくれるエライアを、リディアは尊敬していた。

 

「あの」

『はい。何でしょう』

「ツクヨミさんは、ミストをとても気に入って下さっていますよね」

『はい。リディアさまのおっしゃる通りでございます』

「すごくうれしいんですけど。対策してまで、ミストに来たいものですか?」

 

 エライアと違って、ツクヨミはミスト生まれではない。

 手間暇かけてまで、何の関わりもなかった村に来たいものなのだろうか? 

 

『いけませんか? ミゼルさんがミストの全てではございませんよ?』

「そうですけど……」

『あの方は、他者との距離感が近すぎるだけで、悪意は一切感じられません』

「無邪気なのは認めます。それでも傷は見せちゃだめですよ」

『そんなことございません。むしろ勇気があると感心いたしました』

「ええっ!? 嘘でしょ!?」

『嘘ではございません。あの傷を、ああも他人に軽く見せるようになるまで、相当な苦労があったのでしょうね』

 

 ツクヨミの声は、嘘をついているようには聞こえない。

 誠実なセシルの声とそっくりだから、そう感じてしまうのだろうか?

 

(褒めすぎだよ)

 ジャンヌいわく、『拷問』——凄惨な傷を見せられたのに。

 ミゼルを高く評価する、ツクヨミに半ば呆れてしまう。

 

「それ、おじちゃんには絶対言っちゃだめです。調子に乗っちゃいます」

『わかっております。厳しめにお相手した方がお互いのためによいでしょう。奥様がいい例ですね』

「よかった。これからも厳しくしてあげてください」

『それより、僕はリディアさまや奥様の方が気になります』

「え?」

『わざわざお詫びを入れたり、お見送りする必要などございませんでしたのに』

「うっ……」

 

(やっぱり忍者って!)

 肘にぶら下げていた白い紙袋を、ツクヨミから指差されてしまった。

 ジャンヌとのひそひそ話を聞かれていたようだ。

 リディアはばつが悪くなり、ぎゅうと紙袋を両手で抱え直す。

 

 —— —— ——

 ケーキを届けてくれたお礼を渡そう。

 そう思って、帰ろうとするツクヨミに玄関口で待ってもらった。

 

 白い紙袋を台所へ取りに行ったら、ジャンヌが中に何かを入れている。

 中をのぞけば、紙で包んだ小さなパイが2個入っていた。

 

『これは……』

『詫びだよ。あんなもん見せられたら神経参ってもおかしくないからね』

『じゃあ、わたしは発着場までツクヨミさんを送っていこうかな』

『穴埋めにはいいかもしれないね。ケーキは見張っててやるから行っておいで』

 

(おばちゃんがそこまでするんだもん。あたしも!)

 ジャンヌに後追いして、リディアもツクヨミの見送りを買って出た次第である。

 —— —— ——

 

「……やっぱり、全部筒抜けでしたね」

『申し訳ございません。どうしても聞こえてしまうのです』

「おじちゃんもばかです。今頃おばちゃんにまた殴られてるはずだし、殴られてもいいです」

『あの奥様は、振る舞いや言葉遣いと反して、良識ある方のようですね』

「ええ。ふたりとも見た目と性格があべこべなんです』

『……っ、ふふ。そのようですね』

 

 ツクヨミがくすくす笑っている。

 2、3回会っただけで、ミゼルたちの人となりを見抜いたようだ。

 

『おじちゃんは、何でもかんでもおばちゃんを頼ったり、こき使ったりするんです」

『奥様は大変ですね』

「火傷のことがあるにしても、限度を超えてるの。だから、わたしはいつもおばちゃんの味方です』

『それでよろしいと思います。ミゼルさんはひとりで立ち回れるでしょうしね』

 

 ジャンヌは暴力的に見えるし、実際そうだ。しかし、手を出す相手を正しく選べる。

 逆に、ミゼルは明朗快活で人当たりがとてもよい。

 その一方で、無邪気を通り越して無神経なことをよくやらかす。

 おまけに、腹の中では一体何を考えているかわからない。

 

「……そういう訳で、これ。また帰りにつまんでください」

『それでは、今年もありがたくちょうだいいたします』

 

 抱えていた紙袋をツクヨミにさっと差し出す。

 すると、今年は素直に受け取ってくれた。

 

(去年はなかなか受け取らなかったのに)

 お菓子をつまみながら帰ることに味を占めたのか。

 どうせ断ってもまた突っ返されるから、最初っから受け取ったのか。

 よくわからないが、拒否されなければそれでいい。

 

『……この手紙は、お館様宛てですね?』

 

 紙袋の中から、ツクヨミが象牙色の無地の封筒を取り出して見せてくれた。

 

「そうです。エッジに渡してもらえないでしょうか?」

 

 ケーキを届けてくれたお城勤に、エッジへ手紙を届けてもらうようお願いする。

 そのつもりで紙袋の中に入れておいたものだ。

 

『はい、かしこまりました』

「あとは、去年と同じクッキーとパイが入っています」

『それが奥様のお詫び品なのですね』

「ええ。パイは星の形をしていてすごく可愛いの。食べるのがもったいないくらいです」

 

(こんなへんてこな名前、誰がつけたんだろう??)

 星の形をしたパイ——ヨウルトルットゥも、クリスマスのお菓子である。

 正式名称はとても言い辛く、舌を噛みそう。なので伏せておいた。

 

 ヨウルトルットゥも、本日ジャンヌがバロンで購入してきたものだ。

 ごちそう作りの途中、ジャンヌとふたりで半分こして食べた。

 とってもさくさくしていて、美味しかったのは言うまでもない。

 

§

 

 それからしばらくの間、リディアはツクヨミと共に歩きながら。

 お互いが知る人物の話題で盛り上がった。

 もっとも、ほとんど話し続けていたのはリディアだ。

 それに、ツクヨミがぽつんぽつんと相づちを打ってくれていた。

 

「……そういえば、エッジは元気していますか?」

 

 発着場の入口がいよいよ目の前に迫ってきた。

 ようやくここで、リディアはエッジの話題を切り出した。

 

『おそらく』

「え、どういうことですか?」

『国外の長期任務が続き、本日エブラーナに戻り、お館様と2ヶ月ぶりにお会いしたばかりでございます』

「大変なんですね」

『若くて体力ある者は、国外の任務に回されることが多いのです』

「そうですか……」

 

 話を聞く限り、ツクヨミはこの2ヶ月ぐらいエブラーナにいなかったようだ。

 

『それでも、お館様はお元気そうでございましたよ? ですから、大丈夫だと思われ……』

 

(どうしよう)

 聞くべきか、聞かざるべきか。

 話し続けるツクヨミをそっちのけで、リディアは考えにふける。

 

『リディアさま』

「あっ」

『どうかされましたか』

「あ、あの……ツクヨミさんに聞きたいことがあるんですけど……」

『何でしょうか』

 

(さすがに、他のお城勤の人には聞けないもの)

 本日ここに来てくれたのは、顔見知りのツクヨミだった。

 おかげで、ものすごーく気になっていることを聞いてみたくなった。

 

 しかし、『わかりません』と言われたり、変な反応をされたりしないか心配だ。

 何がって、エッジの知ることにでもなったら一体どうなるか。

 

「たっ、他言無用でお願いしますっ!」

『かしこまりました。お約束をお守りいたします』

「ありがとうございます。——それじゃあ、今エブラーナでは、エッジのお妃さまを探している真っ只中なんでしょうか?」

『え?』

「も、もしかしたら……エッジ……女性の方と……結婚を前提としたお付き合いしているとか……」

 

(聞かなきゃよかった)

 ほぼ無反応なツクヨミを見て、後悔と不安に襲われる。

 それがリディアの声をだんだん小さくさせていく。

 

「聞いたこと……ないですよね……」

 

 最後は木枯らしの吹き風に上書きされて、独り言並みの小さな声だった。

 それでも、鋭い聴覚を持っているツクヨミの耳には届いているはず。

 

『お妃探しについてのご質問には、お答えいたしかねます』

「ごめんなさい。関係ない人に言えないですよね」

『いえ、そうではございません。僕はお館様のお妃探しや女性関係について、全く把握しておりません。ですから、お答えしようがないのです』

「ツクヨミさんでも知らないこと、あるの?」

『しょせんお城勤は一兵卒ですから、そんなものでございます。仮に、お館様にお付き合いされている女性がいらっしゃるなら、既に何かしらの形で世界中に知られていると思われますが』

 

 ツクヨミにそう言われて、リディアは今年の夏の出来事を思い出した。

 

 —— —— ——

 今年の夏、演奏会終了後の楽屋訪問で、ギルバートの秘書見習いの女性ハルと会った。

 

 その3日後、『ダムシアン国王、ついに恋人現る』

 ある新聞に、そんな見出しがついた記事が載っていた。

 後日、ギルバート自らそれを否定するコメントが載った新聞記事が出て、すぐ解決したけれど。

 

『今のご時世ね。あの女のことを、恋人やお妃様候補にでっちあげて記事にしたり、結婚や熱愛の噂が流れてもおかしくないの』

 

 ギルバートのそばに女性がいるだけで、恋人だと騒ぐ輩がいる。

 バロンの町外れで、アリサが話していたことは正しかったのだ。

 —— —— ——

 

 エッジも独身の国王さま。

 ギルバートと同じように、女性の影がちらついただけで新聞の記事にされるだろう。

 しかし、エッジは過去に一度もそういった記事が載ったことはない。

 だとしたら、お別れの日は当分来ないだろう。

 ……そう思ったら、ちょっと嬉しくなってしまった。

 

『僕がお答え出来るのは以上でございます』

「ありがとうございました。丁寧に答えて下さって」

『いえ、曖昧なお答えしか出来ず、申し訳ございません』

「そんな、とんでもないです」

 

 ツクヨミが、本当に申し訳なさそうな声で頭を下げてくれた。

 

(そこまでしなくていいのに……)

 結局、『わからない』で終わったようなものだが、あまり期待していなかった。

 ツクヨミの誠実な人柄のおかげもあって、不満は全くない。

 

『しかしながら、なぜそのようなことをおたずねになろうと思われたのですか』

「……エブラーナのみなさんが、そろそろお妃さまやお世継ぎを待っているかもしれないと思ったんです」

 

(すみません、半分嘘です)

 ツクヨミに話したのは、あくまで表向きの理由だ。

 本当は、大まかでもいいから目安が欲しかった。

 ……エッジがいる日常が、あとどれぐらい続くか。

 

 —— —— ——

 エッジの昼の訪問は、ここ1年で減少の一途を辿っている。

 昔は月に4、5回はミストに遊びにきてくれていた。

 それが今では、月に2、3回にまで減ってしまった。

 ただ、月終わりの夜は必ず自宅にやってくるし、幻獣界への里帰りも続けてくれる。

 —— —— ——

 

 とっておきの一品——ビーフシチューに、まだ『美味しい』と言ってもらっていない。

 夜の関係でルール変更を訴えても、『だめ』と返され、ことごとく空振っている。

 そんな状況で、突然エッジが来なくなってしまうのは嫌だった。

 

『リディアさまのおっしゃる通り、エブラーナの民はお相手の女性やお世継ぎを含めて、お館様の幸せを願っております』

「わたしもみなさんと一緒です。エッジには幸せになって欲しいんです。お妃さまやお世継ぎさま、家族が出来ればもっと幸せになれると思います」

『そうですか』

 

(あたしはエッジの家族になってあげられない。だから、幸せにしてあげられない……)

 幸せへの到達点のひとつ、『家族』を口にしたせいで。

 ふと脳内に、他の女性と子ども——家族と過ごすエッジの姿が浮かんできた。

 リディアが出来ることは遠く離れた地で、エッジが幸せになれるように祈ることだけ。

 

 いつかエッジは家族を作り、ミストに来なくなる。

 それは、色とりどりのリディアの日常が、2、3色にまで減ってしまうようなもの。

 今度こそ、自分自身で日常に色をつけていかなければならない。

 

「……エッジがミストに来なくなったら……寂し……!?」

 

(しまった!)

 はっと我に返り、慌てて両手で口を押さえた。

 余計なことを考えていたせいで、ツクヨミにうっかり本音をこぼしてしまった。

 しかも、エッジにすら言ったことがないことを!

 

『リディアさま、あの』

「な、何でもないです!?」

『申し訳ございません。全て聞こえました』

「うわぁ……」

 

 どれだけ小さな声でも、ツクヨミの耳には届いてしまう。

 口に出した時点でおしまいだった。

 

『ご安心下さい。僕の胸の奥にしまい込んでおきます』

「すみません、気を遣わせちゃって」

 

 ツクヨミが秘密をもらさないと言ってくれた。

 それだけでも、ありがたいと思わねば。

 

 気が付けば、すぐ目の前に飛空艇があった。

 ツクヨミが乗ってきたと思われる、エブラーナの国有艇だと気付き、ほっとする。

 

(ああ、やっと着いた……)

 変なことを聞いたこちらが悪いのだが。

 これ以上、ツクヨミと一緒にいると今のようにぼろが出てしまいそう。

 

「これから、ツクヨミさんはまたお仕事なんですよね」

『はい。エブラーナに戻らねばなりません』

 

 —— —— ——

 実は自宅を出る直前、ミゼルがツクヨミにこう声をかけていた。

 

『よかったら、ごちそう食べていかない?』

『お気持ちはありがたいのですが、仕事が控えておりますので、お断りさせていただきます』

『ちぇー、ざんねーん』

 

 食事となると、お面を外さなければならない。

 そんな誘いを、ツクヨミがやすやす受け入れる訳がない。

 —— —— ——

 

 話題も落ち着いたことだ。

 ツクヨミには、このまま気分よく帰っていただこう。

 リディアはそう思って、頭を下げた。

 

「今日はわざわざ来て下さって、ありが」

『——リディアさま』

 

 お別れの挨拶を切り出したら、途中で遮られてしまった。

 

「はい……ええっ!?」

 

 頭を上げて、目に入ってきた光景にぎょっとした。

 なんと、ツクヨミが片膝をついて、頭をうつむかせている。

 エッジにも一度されたことがあるそれは、リディアが苦手にしているものだ。

 

「あの、お願いですから立って下さい」

『これぐらいどうかお許し下さい』

 

(ひざまずく相手が違うよ!)

 辞めるようにお願いしたが、ツクヨミが首を振ってやんわりと拒否してくる。

 

『最後に差し支えなければ、僕の質問に答えていただけないでしょうか?』

「え、ええ」

『リディアさまにとって、お館様はどのような存在なのでしょうか』

「……」

 

 ツクヨミが同じ姿勢を保った状態でたずねてきた。

 それがまた、ど直球の内容で、リディアはがっくり肩を落とす。

 

 —— —— ——

 エッジのことをどう思っているかは、いろいろな人によく聞かれる。

 しかし、からかいばかりなので、リディアも軽くあしらって終わり。

 ここまで丁寧、かつ真剣な物言いで質問されたのは初めてだ。

 —— —— ——

 

 なぜ、こういう時に限って、触れられたくない質問をしてくれるのだろう。

 エッジに報告されようものなら、完全に終わりだ。

 ノーコメントと答えるのが賢明かもしれない。

 

「あの」

『——他言無用をお約束いたします』

 

 内緒にしてくれると聞いて、考えを改める。

 

(やっぱり、ノーコメントや無視は失礼だよね)

 話す者の人が如実に表れる、『言葉遣いは心遣い』とは、こういうことなのかもしれない。

 ここで、ツクヨミを邪険にしてはいけない。

 リディアにそう思わせてしまった。

 

「エッジは……仲間でもあるし、友だちでもあるし……お兄さんでもあるし、家族のようなひとです」

 

(差し支えない範囲で答えたらいいんだもん)

 リディアは、慎重に言葉を選びながらぽつりぽつりと答えた。

 もちろん、『好きな人』だけは抜いて。

 

 すると、それまで石のように固まって動かなかったツクヨミが顔を上げた。

 

『家族なら尚更寂しく感じてしまわれるでしょう。親離れ子離れのようなものでございますね』

「はい。わたしもそうだと思ってます……」

 

 エッジが昔、『特効薬は時間』と教えてくれた。

 時間はかかったけれど、セシルのことを綺麗さっぱり諦めることが出来た。

 今は影を追いたいとすら思わない。

 

 エッジも同じように、彼の生き様を遠くから見守り続けているうちに。

 恋心からくる寂しさは消えていくかもしれない。

 

『日にち薬ということですね』

「はい」

 

 どうやら、ツクヨミが納得してくれたようで安堵する。

 

(ああ! やっと、おうちに帰れる!)

 何せ、ずっとごちそうをお預けにされたままで、お腹がもうぺこぺこだ。

 届けてくれたケーキも早く食べたい。

 

 そんなリディアとは裏腹に、ツクヨミは立ち上がる気配すら見せない。

 それどころか首を捻りながら、大きなため息をついた。

 

『しかしながら、ここまでのお話を聞く限り、僕にはそういった思いとは、別なものもあるように感じられるのですが……』

「……!?」

『もしかして、リディアさま。お館様のことがお好きなのではございませんか』

 

 

——30分後

 

 

 ツクヨミと別れて、リディアは早足で自宅に戻った。

 家の中に入ると、美味しそうな匂い。

 ジャンヌがスープをはじめとした、温かい料理を加熱してくれていた。

 そのおかげで、すぐにごちそうにありつけることが出来た。

 

 普段の夕食よりも、ちょっとだけ豪勢なお料理。

 この日以外、口にしないワインも飲める。

 食後には、お待ちかねのケーキも待っている。

 

「はぁー! やっぱり、お酒おいしぃー!」

「ね、おじちゃん」

「なぁに」

「おじいちゃんのおうちから、帰ってくるの遅かったね」

 

 おじいちゃんとは、ジリアンという名のミストの住民のこと。

 毎年クリスマスの日になると、ミゼルは彼の自宅にお菓子を届けている。

 

 —— —— ——

 ジリアンは先住民にもかかわらず、移民が多く暮らす東区画にひとりで暮らしている。

 しかし、無口で無愛想な男性で、他人と全く交流せず、寄合にも参加しない。

 いわゆるミストで浮いた存在である。

 

 リディアも、ジリアンとは口を利いたことがない。

 ただ、小さな頃に偶然助けてもらったことがあり、悪い人ではないとは思っていた。

 —— —— ——

 

 村長の立場から、一住民——ジリアンの様子を窺うために。

 ミゼルは毎年この日になると、ジリアンのお宅にお菓子を届けている。

 リディアはそう思っていた。

 

「ごめんごめん。きみがいない間、ジャンヌさんにまたボコられちゃった」

「どうして遅かったの? おじいちゃん、寝込んでたの?」

 

 なぜ、ジリアンの自宅からの帰りが遅くなったのか。

 理由をたずねた途端、年に一度の飲酒で浮かれていたミゼルの表情が暗くなった。

 

「……話の最中に泣き出しちゃって、なだめてたんだよ」

「おじいちゃん、ずっとひとり暮らしだよね」

「そうだよ」

「お子さん、いないの? もしかして、火事でお亡くなりになったの?」

「……」

 

 リディアは素朴な疑問を口にしたつもりだった。

 しかし、ミゼルとジャンヌが何とも複雑そうな表情で、お互いの顔を見合わせている。

 

「どうしたの?」

「いや、クリスマスにこんな話するのもどうかと思ってさ」

「教えて欲しいっ」

「ミストの悪いところを凝縮した話だ。続き聞いたら胸糞悪くなるぞ?」

 

 今夜はどこもかしこも、クリスマスで騒いでいる。

 けれど、それとは対照的にジリアンの話は決していいとは言えない内容のようだ。

 ふたりが、今ここでリディアに話を聞かせたくないのがよくわかる。

 

「……大丈夫。わたし、もう子どもじゃないよ」

 

 それでも、リディアは続きを話してくれるようにお願いした。

 ふたりには気を遣って黙ってもらいたくなかったから。

 

 すると、ジャンヌが「だってさ」と首を傾けて、ミゼルに続きを話すよう命じた。

 

「……ジリアンさんには、息子さんがひとりいたんだ。でも、リディアさんが生まれる少し前……15年ぐらい前に、同じミストの女性と駆け落ちした」

「えっ」

 

 —— —— ——

 ジリアンのひとり息子は、召喚士のたまご——チョコボを習得済——だった。

 

 息子は、幼なじみのミストの女性と付き合っていた。

 その女性は中級黒魔法まで習得したが、召喚士にはなれなかった。

 

 ミストは当時、がっつり能力主義がはびこっていた。

 濃い血を残すために、召喚士と結婚しろ。

 散々そう言って育ててきたのに。なぜ、能力の低い女性と結婚するのか。

 なぜ、召喚士ではなく、たまごと結婚するのか。

 優生思想から、ジリアンをはじめ、両家の家族や周囲はふたりの結婚に猛反対。

 その結果、息子と女性は駆け落ち。現在も行方不明のままである。

 —— —— ——

 

「おじいちゃん、それでショックを受けて誰とも付き合わなくなったんだ」

「そうじゃない」

「えっ? 他になにかあるの?」

「ジリアンさんたち……逃げたふたりの家族は、ミストで村八分にされたんだよ」

「それ、仲間はずれのことだよね。どうして?」

 

 駆け落ちと言っても、当事者とその家族の問題ではないか。

 村や住民がそれに首を突っ込む理由が、リディアにはわからなかった。

 ……ミゼルから話の続きを聞かされるまで。

 

 —— —— ——

 ミストの歴史上初めて、将来有望な若者——召喚士のたまごが脱走した。

 そのため、駆け落ち直後のミストは事件のように大騒ぎになった。

 

 息子や娘がミストから逃げてしまい、残された両家の家族には、悲劇が待っていた。

 キロンたち、当時の権力者や取り巻き——現在西区画で暮らす保守系先住民——が中心となって。

 ジリアンたちを責め立てたのだ。

 

『もう少し上手く説得出来なかったのか』

『逃げぬようしっかり見張っていればよかった』

『たぶらかすような娘を育てたのが悪い』

『ミストの財産と呼べる、召喚士のたまごをやすやすと逃すなどもってのほか』

 

 両家の家族は、家の外から一歩出たら罪人かのように罵倒される日々が続いた。

 —— —— ——

 

「それまでは、どちらの家族もみんなミストでは高い立場にいたし、ジリアンさんも権力者側の人だったんだよ」

「天国から地獄だ」

「そんなの落差が激しくて、精神的に耐えられないよ……」

「だから、ジリアンさんの奥さんは心労がたたって、駆け落ちから1年後に亡くなった」

「うそ……」

「ジリアンさん、昔は人当たりがよくてはつらつとした人だったんだけど……奥さんが亡くなってから、きみもよく知ってるおじいさんになってしまったんだよ」

「キロンさんたち、ちっとも反省してないじゃない」

「する訳ないだろ」

「反省してたら、今頃大人しく過ごしてるよ」

「悪いことやった自覚もないなんて、ひどい……!」

 

 追い詰めた側の人間——保守系先住民は、何もなかったかのように暮らしている。

 もちろん、ジリアンのことも、まるでいない人かのように相手にしていない。

 

 女性の家族は、全員火事で命を落としている。

 ジリアンが残された家族最後のひとり。

 現在も他者と一切交流せず、唯一心を開くのはミゼルだけだという。

 

「おじちゃんは、どうしておじいちゃんと仲がいいの?」

「うん、それはね……」

 

 ミゼルとニクスは事件以降、ミストの中で立場が悪くなった残された家族をほっとけず。

 それぞれの自宅をこっそり訪れるようになったという。

 

「お父さんも……?」

「あ、さすがにニクスはちょっとの間だけどね」

 

 リディアが生まれて間もなく、ニクスは亡くなったため。

 それからは、ミゼルがひとりで顔を出すようになったという。

 

「お父さんとおじちゃん、本当に仲良かったんだ」

「ニクスは純血の召喚士だったけど、能力主義に全然とらわれなかったからね」

「おまえは顔を知らないからぴんと来ないだろうけど、しっかり父さんの血ィ引いてるよ」

 

 リディアは火災の前、母エスタから父の話をあまり聞いたことがなかった。

 そのせいで、父親がいたという実感があまり持てなかった。

 

(お父さんが、あたしのお父さんでよかった……!)

 帰郷後、ミゼルやジャンヌからこうしてニクスの話を教えてもらうことが増えた。

 その度に、ニクスが父だった、父でよかったという実感が湧いてくる。

 

「おじいちゃん、息子さんに会いたくてたまらなくて泣いちゃったんじゃないかな……?」

「そうかもしれないね」

 

(何事もなかったら、今頃息子さん夫婦やお孫さんと一緒にクリスマスを過ごしていたかもしれないのに……)

 近所付き合いをしていなくても、外からクリスマスで騒ぐ子どもたちの声は聞こえてくる。

 ジリアンは、嫌でもそれを耳にしながら、毎年クリスマスの夜を過ごさねばならない。

 ……たったひとりで。

 

「奥さん亡くしてから、20年近く経つんだ。60超えてるし、歳取って涙腺も弱くなったんだろ」

「もしかしたら、死期を悟っているかもしれないな」

「息子さんたちの行方、探せないの?」

「いや、それが……」

「そいつらと、ミゼルたちとは接点がまるでなかったからな」

 

 どちらの家族も、もともとは権力者側の人間。

 駆け落ちしたふたりも魔法の習得度が高く、ミストでは立場がいい方だったという。

 

「逃げたふたりとも、一度も話したこともなかったんだよ」

「もしかしてそれ、おじちゃんが……」

「ゼロだからね」

 

 駆け落ち事件当時、既にミゼルとニクスは脱走者の手引きをしていた。

 しかし、逃げたふたりはミゼルたちや脱走希望の若者と交流がなかった。

 駆け落ちしたと聞いた時は、思いもよらなかったという。

 

「だから、行方を探そうにもなかなか情報がつかめないんだよ」

「そうなんだ……ありがとう、おじちゃん」

「いえいえ」

 

 話が一段落つき、ミゼルがワインボトルをさっと手に取って栓を開けた。

 

「はいはーいっ! 暗い話はこれでおっしまーい!」

 

 ミゼルがおどけた口調でそう言いながら。

 明るめの黄金色の液体——白ワインをグラスに注いだ。

 よく見れば、グラスの3分の2が液体で埋まっている。

 

「そんなに飲めるの? また酔っ払っても知らないよ?」

「頼むよリディアさぁーん。今日ぐらい飲ませてくださいよー」

 

(無理しちゃって……)

 そう言って、嬉しそうにワインをごくごく飲むミゼルの姿に、胸がつきりと痛んだ。

 まるで、やるせない気持ちをお酒で晴らそうとしているかのように見えて。

 

§

 

 その後、話題が変わったことで、元の和んだ雰囲気でごちそうをいただく。

 ……もっとも、ミゼルがひとりで騒いでいるだけだが。

 

「そういや、あの兄さん。何か言ってたか?」

「あ、えっとね。夏にまた来るって」

「ほらぁー! やっぱりツクヨミさん、いい人じゃないかぁー!」

「もう! そうやってまた調子に乗ると痛い目見るよ!?」

 

 諸手を挙げて喜ぶミゼルに、リディアは呆れて仕方がない。

 

 ツクヨミが、傷を晒したミゼルに感服していたなんて話してやるものか。

 明日になったら、ジャンヌにこっそり伝えておしまいにしておくことにした。

 

「適度な距離で付き合わないと、兄さんに嫌われるぞ」

「そうだよ。ミストに来なくなったり、嫌われちゃったりしてからじゃ遅いんだからね」

「接してますよぉー」

「どこがだ!!」

「大丈夫! ぼくの顔じっと見てくれたもん!」

「お面かぶってたらわかんないでしょ……」

 

 満面の笑みで自身を指差すミゼルに、リディアは頭を抱えたくなる。

 よくもまあ、ここまで肯定的に捉えられるものである。

 

「この2年で修羅場を潜り抜けてきたんだ。やっぱり、忍者ってすごいねぇ」

「……だめだこりゃ」

「こういう時、前向き思考はだめだね。全然反省しないんだもん」

 

 —— —— ——

 8年前の火災で大火傷を負ったミゼルは、顔にもひどい傷が残っている。

 黒眼鏡の左側のレンズは不透明になっているぐらいだ。

 決して周囲に顔の傷痕を見せない。

 

 リディアもミストに帰郷してから、ミゼルの素顔を一度も見たことがない。

 ちょっと前に、黒メガネを外してくれるように、お願いしたことがあったが……。

 

『だめです』

『どうして? おばちゃんはいつも見てるでしょ?』

『ジャンヌさんは奥さんだし、もともとへっちゃらだもん。でもきみはそうじゃない。ここに帰ってきた時、ぼくを見ただけで、びえんびえん泣いちゃったでしょ』

『っ、はい……』

『顔なんか見たら気絶確実だからね。見せませんよ』

 

 ミゼル本人からそう言われたら、どうしようもない。

 結局、今でも見れずじまいであった。

 —— —— ——

 

(ツクヨミさんの顔が見たいのなら、他にやり方あったはずなのに……)

 一体何がミゼルを突き動かして、わざわざ自身の傷を他人に見せようしたのだろう?

 

「でもー。ツクヨミさんがお面外さなかったのはー。顔が悪いだけじゃないと思うけどぉー」

 

(お酒、本当に弱いなあ)

 お酒を飲めるのは、今日だけしかない。

 ミゼルが有頂天で話しながら、グラスに白ワインをどばどば注ぎ入れている。

 既に酔いが回っているらしい。

 

「ちょっと、おじちゃん。ペース早いよ」

「……来年から禁酒にするか」

「そこまではかわいそう。——はい、どうぞ」

「ああ、悪いね。——じゃあ、あたしも」

 

 リディアとジャンヌは、互いに顔を見合わせてから。

 お互いのグラスに残りのワインを全て注いで、ボトルを空っぽにした。

 

「おじちゃんに、ほとんど飲ませなきゃいいんだよ」

「あたしたちはザルでよかったな」

「ほんとだねっ」

 

 これ以上、ミゼルに飲ませてはならない。

 下手の横好きならぬ下戸の横好きほど、後始末が面倒だ。

 なみなみに注がれたグラスを傾けて、濃厚で甘い白ワインを味わう。

 ふと、先ほどの出来事がリディアの脳裏に蘇ってきた。

 

(あの人に気付かれるなんて思わなかったなあ)

 

 ***

 

——数十分前

 

『お館様のことがお好きなのではございませんか』

 

 ツクヨミからの質問第2弾は、これまたリディアを困惑させるものだった。

 

「違います」

 

 他言無用を自ら約束してくれたが、これだけは本当のことを言えない。

 お城勤は一兵卒。ツクヨミがそう言っていたが、さすがにエッジに近すぎる。

 

『そうですか。僕の思い違いでしたか』

「ええ」

 

 リディアは、ツクヨミからの問いを重ね重ね否定した。

 しかし、ツクヨミはなかなか帰る様子を見せなかった。

 それどころか、予想だにしていないことを言い始めたのだ。

 

『お館様と離れるのが寂しいなら、その前に見放してあげればよいのです』

「!?」

 

 寂しくなる前にエッジを見捨てたらいい。そうすれば寂しくない。

 エブラーナの民。しかも、お城勤の者が。

 エッジをぞんざいにするようなことを口にするなんて、信じられない。

 

『僕には、お館様の存在が、あなたの可能性を狭めているように思えて』

「——そんなこと言っちゃだめっ!」

『なぜでしょう』

「エッジを尊敬しているんでしょ!? どうしてエッジがかわいそうになること言っちゃうんですか!?」

『僕は一般的な意見を述べただけでございます』

「だからって……」

 

 ツクヨミは、エッジに忠誠を誓ったお城勤ではなかったのか?

 一般的——エブラーナの民や、お城勤という立場関係なし——と言われても納得出来ない。

 

『リディア様もお館様など気になさらず、恋愛をされたらいいのですよ』

「……去年も言いましたけど、本当に興味がないんです」

『それは承知しております。しかしながら、あなたはお若くていらっしゃる。せっかくの人生なのに、今からご自身を縛るようなことをなさるなんて、もったいな』

「——もったいなくない」

 

 リディアはツクヨミを遮って、厳しい口調で一般的な意見に見せかけた彼の持論を封じた

 彼から見たら、もったいない生き方に見えるかもしれない。

 けれど、リディアはそんな風に思ったことはない。

 

『リディアさま……』

「人生は恋愛だけじゃないです。自分で自分を縛っているつもりもありません」

 

 ツクヨミに強く言い切った瞬間。

 リディアの中でほぼ固まりつつあった思いが、確固たるものに変わった。

 

 —— —— ——

 リディアの頭上をふわふわ浮かんで、周囲を薄く照らしてくれている灯球と一緒だ。

 強い木枯らしが吹いても、灯球は飛ばされない。その炎が消えることもない。

 ツクヨミや他の者に何を言われようが、この思いは揺るがない。

 —— —— ——

 

(これからもずっと、あたしが好きなのはエッジだけ!)

 そんなリディアとは裏腹に、ツクヨミは頭をうつむかせてよろよろ立ち上がった。

 

『……情けないです』

「え?」

『あなたに何もしてあげられませんでした。それどころか、あなたのことを何ひとつわかっていなかったのですから……」

「大げさですよ。わたしのこと心配してくれて、嬉しかったです」

 

 力なく話すツクヨミの姿が、今すぐ風に吹き飛ばされてしまいそうに見えた。

 

(あたしと考えがちょっと違ってただけなのに……)

 エッジへの永遠の片思いも固まった。

 むしろ煽ってくれたツクヨミは、リディアにとって恩人なのだけれど。

 

『本当はリディアさまの寂しさがなくなるまで、お話を聞いてあげたいと思っていたのですが……』

「な、何言ってるんですか!? 帰ったらお仕事が待ってるんでしょ?」

『はい。僕はそれを放棄したくても、お城勤である以上、そんなこと出来やしませんから、仕方がございませんね』

「えっ」

『みながみな、志願してお城勤になる訳ではございません。この先、僕はただ命じられるがまま、決められた通りの道を歩くだけの人生でございます』

 

 お城勤が、全員エッジに心酔している訳ではない。

 ツクヨミの言葉の節々から、そう言っているように感じられる。

 

 —— —— ——

 神さまのようにエッジを崇めている節があるイザヨイ。

 真面目に仕事をこなすゲッコウ。

 エッジにやや虐げられながらも、長年お城勤をつとめているザンゲツ……。

 —— —— ——

 

 ツクヨミはリディアが知るお城勤たちより、エッジへの忠誠心が低い。

 志願してお城勤になった訳ではないのなら。

 エッジをぞんざいにするようなことを口にしてもおかしくない。

 

「でも、夏の花火はツクヨミさんが希望を出したんですよね」

『はい。それが精一杯の抵抗でございます』

「そうだったんですか……」

 

 ぴゅうぴゅう木枯らしが吹き止まない中。

 それに煽られるような形で、ツクヨミがくるりと背を向けた。

 

『そこからもっとはみ出したいのに、仕事や立場や身分……僕を取り巻くものが許してくれない……っ!』

「あの、ツクヨミさん」

『……だ』

「え」

『——どうしてこんな生き方しなきゃならないんだっ!!』

「!?」

 

 後ろ姿と共に声を震わせていたツクヨミが最後に振り絞った声で、木枯らしが止んだ。

 吹き過ぎた後のしんとした静寂が辺りを包み込む。

 

「……ツクヨミさん」

『ああっ、大変申し訳ございません。僕としたことが、つい取り乱してしまいました』

 

 リディアの声で我に返ったのか。

 ツクヨミが大きく息をついてから、振り返るとリディアに深々と頭を下げた。

 

「大丈夫ですか?」

『はい、私事で少々厄介な事があったばかりで……どうか、本日のことはお忘れ下さい』

 

 ツクヨミは日頃から、既定路線の人生に嫌気が差している。

 その時、リディアはそう感じた。

 

『ここまで送ってくださり、本当にありがとうございました。ミゼルさんと奥様にもよろしくお伝え下さい』

「はい……あまり、無理しないようにして下さいね?」

『こんな僕にも労いの言葉をかけてくださるとは……! やはり、あなたはお優しい方ですね』

「いえ、そんな」

『——それでは、また「夏」に』

 

 そう言い残して、ツクヨミが目の前から瞬時に消えた。

 

 上空高く舞い上がり、そのまま国有艇に乗り込んだ。

 リディアがそう気付くまでには、数分もかからなかった。

 

 ***

 

『——どうしてこんな生き方しなきゃならないんだっ!!』

 

(あんなに声を荒げるなんて……何があったのかな?)

 親に命じられて、無理矢理お城勤にさせられたのだろうか? 

 すれ違いの恋人と喧嘩でもしたのか? はたまた身分違いの恋を患っているのか?

 

 何にせよ、リディアに何も出来ないまま、仕事のために祖国に帰らなければならなかった。

 それが引き金となって、普段抱えている不満が爆発したのかもしれない。

 

「——どうしたぁ?」

「え」

「ザルのくせに顔が赤いぞ。風邪引いたか?」

「な、なんでもないっ」

 

 意外な一面を見せたツクヨミに思いを巡らせていた。

 ジャンヌの一声ではっと我に返り、慌てて首をぶんぶん横に振る。

 

「あー、もしかして、ツクヨミさんに口説かれちゃったぁー?」

「ばかじゃないの? そんなのある訳ないでしょっ」

 

(火事が起こらなかったら……)

 純血の召喚士の血を残すための、自身が望まない愛のない婚姻。

 一歩間違えれば、ツクヨミと同じように既定路線の人生を歩んでいたかもしれない。

 もっとも、母親やミゼルたちの手助けを得ながら、もがいていたとは思うけれど。

 

(おじちゃんも……)

 目の前で顔を真っ赤にしながら、茶化してくるミゼルもそのひとりだ。

 火災が起こらなかったら、ゼロのせいで不遇のままミストで一生を終えていたかもしれない。

 

「おばちゃん、そろそろケーキ食べよう」

「切り分けてやるから、ナイフもこっち持っておいで」

「うん!」

 

 ケーキを食べるため、立ち上がったリディアにジャンヌが声をかけてくれた。

 

「——酔っ払いの人にはあげないからねっ」

「ちぇー。まだ怒ってる」

 

 箱を取りに台所へ向かいながら、ミゼルに冗談ながらもきつい一言を言ってやった。

 

 ミストの未来を考える村の長としてのミゼルと、普段……特に今日のミゼルは別である。

 この男のせいで、自分たちがどれだけツクヨミに気を使ったことか。

 少しぐらい思い知らせてやらねばならない。

 

§

 

「今年は、どんなケーキかなあ……!」

 

 リディアはわくわくしながら箱を開けて、ジャンヌと共に中をのぞき込む。

 そこには、ただ焼いただけの大きな茶色のパンのようなものが入っていた。

 

「これ、アリサが分けてくれるケーキ!」

「パネトーネだな」

「そうそう、それっ!」

 

 今年はダムシアンのクリスマスケーキ。

 ……ではなく、クリスマスパン菓子だった。

 

 パネトーネは、洋酒に漬けたドライフルーツをふんだんに使った発酵パン菓子。

 リディア大好物のクリームは、添え物としていただくこともある。

 それがなくても、十分美味しい。

 

「あっ、クリームがおまけについてる!」

「へえ。あの兄さん、ずいぶん気が利くじゃないか」

 

 ジャンヌが箱の中から取り出した、三角状の大きい白い袋に目を見張る。

 店頭で別添えのクリームを注文出来たのか。

 ツクヨミは、それをわざわざおまけにつけてくれたようだ。

 

「じゃあ、ありがたくいただこう」

 

 ジャンヌがパネトーネを切り分けて、それぞれの席に皿を置いた。

 

「うん! いただき」

「——ちょっと待ってよぉ!」

「なんだい、うるさいね」

「ぼくだけ量おかしくない!?」

 

 リディアたちがいざ食べようとしようとしたら、ミゼルが横槍に入ってきた。

 

 それもそのはず。ミゼルに充てられたパネトーネは、まあぺらっぺら。

 お騒がせの罰として、ジャンヌがわざと1センチ程度の薄さに切り分けたから。

 

「被害妄想か幻覚でも見えてんだろ」

「酔っ払ってそう見えるだけじゃないの?」

「しかも、ぼくだけクリームなしってなんなの!?」

「贅沢言うんじゃないよ! 分けてもらえるだけありがたく思いな!」

「……女って、怖ーい」

 

 リディアとジャンヌに冷たくあしらわれて。

 ミゼルが不満たらたらに、パネトーネを口にし始めた。

 

(女の仕返しは怖いんだからね!)

 去年から始まったクリスマスの晩餐は、ミゼルが足を引っ張ってばかり。

 これぐらい許されてもいい。

 

「いじけちゃったね」

「先が思いやられるよ」

「えー? 実は、この後楽しみにしてるくせにぃー」

「……ほっといてくれ」

 

 にやにや笑みを浮かべながら、ジャンヌに指を差したリディア。

 照れ隠しとばかりに、ぷいとそっぽを向いてしまった

 

(おばちゃん、可愛いなあ)

 自宅に戻れば、更なるお楽しみが待ち構えている。

 ミゼルは去年に比べて、酔いが回っていないようだし、よい一夜を過ごせるだろう。

 

 ちょうど1年前から、ジャンヌやミゼルと、時折こうして夕食を共にするようになった。

 それすらもなかった頃に比べたら、賑やかしい夜を過ごすことが増えた。

 本日はちょっと大騒ぎしたこともあったが、それもまた一興か。

 

(ありがとう、エッジ!)

 クリームをべったりつけた、甘くしっとりとしたパ……ケーキを口にしながら。

 リディアは、今年もまた聖なる夜に華を添えてくれた誰かさんに向かって。

 心の中でお礼を伝えたのであった。

 

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