フェイクラバーズ 作:かえで
——それから約2か月後 6の月上旬
「お先に失礼いたす」
「あっ、お疲れ様です。じいやさんもちょっと前に帰られましたよ」
「そうか。わざわざすまぬな」
「いえいえ。よい休日をお過ごしください」
門番へ挨拶してから、ザンゲツは城下町の南西にある自宅への帰路についた。
明日は月に2回の休暇日。
その前日は、こうして必ず夕方6時で仕事を終えて退城する。
いつもは残務処理や上司の無茶ぶりのおかげで、定時上がりなど望めないけれど。
§
「いつもすまぬな。せっかく早く帰ってきたのに……」
「いいえ。どうぞごゆっくり一夜を明かしてきて下さい」
「明朝には戻るよ。それからはふたりでゆっくりしような」
「ええ、気を付けていってらっしゃい」
帰宅したものの、優しくて美しい妻に見送られて、すぐに自宅を後にした。
(ここを観光地にするとは……お館様の慧眼は正しかったな)
城下町が、夕陽で赤く染まっている。
この時間から稼ぎ時——大人のお店——も多く、客足が途切れることはない。
通りを行き交う人々を眺めながら、先を進む。
—— —— ——
エブラーナ城周辺には、襲撃前から城下町が存在していた。
8年前の襲撃で大きな被害に遭ったが、お館様の主導で復興支援が始まった。
北にある城と、南の発着場を結ぶ大通りを、東西で挟むような造りに変わった。
東西に別れた城下町には、数多くの商店が立ち並び、日々多くの観光客が訪れる。
現在は、大陸西部にある薬草園と並んで、この国の観光名所のひとつとなっている。
—— —— ——
城下町は商店だけでなく、ここで生きる民や城で働く使用人の住宅も点在している。
ザンゲツは、生まれも育ちも城下町。
襲撃で自宅が半壊したが、復興の際に新しく建て直していただいた。
ザンゲツはじめエブラーナの民が、現在安定した生活を送れるのはお館様のおかげだ。
加えて、お館様の数少ない友人が治める、諸国からの支援のおかげでもある。
通りを北へ北へと進んでいたが、質素ながらも新しめな屋敷の前で立ち止まった。
「——夜分遅く失礼いたします」
「ザンゲツ様。お待ちしておりましたよ」
玄関を開けると、初老の女性——じいの奥方が三つ指をついて出迎えてくれた。
「お久しぶりでございます」
「こちらこそ。どうぞお上がりくださいませ」
言葉遣いや所作に気品が漂う奥方の後に続き、廊下を進む。
—— —— ——
本日は、『お館様被害者の会』の会合日である。
明日は、じいもザンゲツも休暇日。
ふたりは共に休暇が重なると、前日の夜は何が何でも定時で仕事を上がる。
そして、どちらかの自宅にお邪魔して、朝まで酒を飲み交わしながら。
日々の上司への不満とこの国の未来を語り合う。
—— —— ——
この会唯一の問題は、会員がちっとも増えずに常に存続が危ぶまれていることだ。
入会条件である、お館様の被害者が一向に現れないので勧誘のしようもない。
「今宵も深酒なさらぬよう、お気を付け下さいませ」
「承知しております」
「主人に付き合っていたら明日に響きます。それでは奥様がお可哀想ですからね」
「ははっ、いやはや……」
(じい様はザルだからなあ)
軽い雑談を交わしているうちに、廊下の突き当たりに辿り着いた。
「あなた。ザンゲツ様がお見えになりましたよ」
「……入ってもらいなさい」
「御用があれば、お呼びください。どうぞごゆっくり」
襖を開けてくれた奥方に会釈で返して、中へ入る。
畳10畳の中央に置かれている座敷机には、奥方お手製の料理の数々が並んでいる。
じいは入り口のそばに座り、こちらに背を向けている。
「失礼いたします」
「遅い」
「何を……相変わらずじい様がお早いだけですぞ?」
「ほれ、早よう座るのだ」
じいに指で席を示されたザンゲツは、向かいの席に腰を落ち着けた。
(いつもより酒の進みが早いな……)
じいの片手には盃、傍らには残り半分にまで減った酒びんが置いてある。
料理には手を付けず、ひとり酒でザンゲツを待っていたらしい。
前回の会合は、今年の4の月。
たったの2ヶ月で、職場環境に疲弊しているのが丸わかりである。
「何やら、ご機嫌が優れぬようですが」
「……話は、そなたが一杯やってからだ」
「はい」
じいが腕を伸ばして、ザンゲツが手にした盃に酒を注いでくれた。
(やっぱり美味しくない……)
すぐに盃の酒を一気に呑んだが、ついつい渋い表情を浮かべてしまう。
「そなたも相当溜まっておるな」
「ははっ、顔に出ておりましたか」
じいはにやりと笑みを浮かべて、またザンゲツの盃に酒を注いでくれた。
これは会合特有の現象。溜め込みを吐き出さないと酒が美味しく感じられないのだ。
美味い酒を呑もうと思ったら、やはり例の話題を出してからでないといけない。
ザンゲツは一口だけ口をつけて、盃を机の上に置いた。
「実は午前中、天井の見張りに入っておりましてな」
「……見ていたのか」
「はい。いたたまれない思いでいっぱいでした」
「……未だわしも慣れぬわ」
「あれが国を背負う者の威厳や本来の姿だとしても、拙者は到底喜べませんよ」
(昔のお館様は一体どこへ行ってしまわれたのか)
***
——本日 午前10時
ザンゲツは、最年長のお城勤。城内で見えない護衛をつとめることは滅多にない。
ところが、本日午前中の当番に当たっていたお城勤が急病で休んでしまった。
数年ぶりに代役として、執務室の天井裏に入ることになった。
(秘伝忍術の結界術も使わないとは……)
お館様が、ひたすら無言で書類や各地の新聞に目を通している。
噂では、ここ1、2年のお館様の公務ぶりは非常に真面目と聞いていた。
実際目の当たりにして、やはり噂は本当だったと思わされた。
監視を始めてから1時間ほど経った頃に、じいが執務室に現れた。
「若様。顔色が優れませぬな」
「別に」
「早朝だけでなく、日付が変わるまで、ほぼ毎日ツキノワと修行……ほとんど寝ておられないのではありませぬか」
—— —— ——
ツキノワは、わずか6歳の忍者のたまご。現在お城で暮らしている。
たまごではなく、忍者の天才児と言った方がいいかもしれない。
何せ成長速度が異様に早く、精神年齢は既に大人並みである。
じいに引けを取らぬ頭脳を持ち、忍術も大方使える。
2年前の春。『孤児院に天才がいる』とエブラーナで噂が広まったことがあった。
お館様は、それを聞いて自ら孤児院に出向いた。
そこで風遁を披露したツキノワを、すぐに城へ連れて帰ってきた。
それ以降、お館様は自らの修行を兼ねてツキノワを毎朝毎夜鍛えている。
—— —— ——
「あいつもオレも、『短眠の術』使ってる。問題ない」
「ツキノワはまだ6歳ですぞ? 夜更けから修」
「——用件は何だ」
お館様が、じいの進言を冷たい口調で切り捨てた。
ここまでじいの顔を一切見ず、ずっと机に向かったっきりである。
「シビエン家からの書状をお届けに参りました」
じいもお館様の対応に表面上は慣れたものだ。
遮られたにもかかわらず、怯む様子は見せない。
「……シビエン?」
「こちらです」
お館様が顔を上げて、じいから差し出された巻物を受け取った。
シビエン家とは、古くから大陸北中部を治める、エブラーナ最大の部族である。
「わざわざ星祭りに、新当主襲名と結婚式を同時にやるのか」
「おそらく雨でしょう。それでも、タツミや奥様にとって良き日になるとよいですなあ」
「……」
来月の星祭り——七夕の日に、シビエン家当主がイヌイから息子のタツミにバトンタッチ。
新当主の襲名お披露目と共に、タツミのその妻の結婚式を挙げるという。
—— —— ——
タツミは元お城勤で、ドがつくほどのお館様大好き人間。
復興直後から、お国やお館様のために働いてくれた。
ところがシビエン家当主につくために、昨年の暮れでお城勤を辞めることになった。
最後の日は、周りやお館様がドン引きするのをよそに、大号泣していたのは記憶に新しい。
—— —— ——
「もちろん、ご出席なされますな?」
黙り込むお館様に、じいが出席を迫るのは仕方のないことである。
—— —— ——
約100年前。当時大陸南東部を治めていたジェラルダイン家の当主が、各部族に和平交渉を持ち掛けた。
その結果、血を一滴も流さずに大陸統一を果たして、エブラーナを建国。
その和平交渉にいち早く応じて忠誠を誓ったのが、シビエン家の当主だった。
史実にもそう記されている。
—— —— ——
今も昔も、シビエン家はエブラーナ王家最大の支持勢力である。
祝宴の出席を断ったら、彼らの顔を潰してしまう。
「……祝いの準備。あと、ザンゲツの予定空けておいてくれ」
「かしこまりました。それでは、出席ということで返事を」
(なにゆえ拙者が……??)
お館様がこの自分の名前を口にして、とても嫌な予感がする。
しかし、すぐそれどころではなくなった。
「もうひとつ、こちら。医療部から届いた例の診断……!?」
じいが隠し持っていた大きな茶封筒を出した瞬間。
お館様が勢いよく立ち上がり、じいからそれを乱暴に取り上げた。
すぐに、白と茶色の小さな欠片が床や机の上に次々と落ちていく。
「わ、若様……!?」
じいの叫び声もむなしく、お館様が中身も見ぬまま。
風遁——風の刃で、それを細かく切り刻んでしまった。
「おまえが言うから仕方なく付き合ってやったが、打ち切りだ」
「わ、若様はそれで」
「——いい加減にしろ!!」
「!」
「いくらやっても結果は同じだと、何度言わせる気だ!!」
再考を勧めようとしたじいに向かって、お館様が怒号を上げた。
執務室がしいんと静まり返る。
ザンゲツは、その様子を見て驚愕した。
なぜなら、お館様がじいにここまで怒りを露わにするのは、初めてだったからだ。
「もう諦めろ」
「か、かしこまりました」
「あとこいつ。——休みのうちに目を通しておいてくれ」
「はい、それでは……」
お館様が再び無表情に戻り、引き出しから書類を出してじいに手渡す。
席に着くと、再び机の上の書類に視線を移して、執務室を出ていくじいを見送りもしなかった。
***
「他の使用人にまで、ああでないのが救いだな」
「お館様もそこは考えておられるのでしょう。あれではみなの心が離れていきます」
用件には応じるが、それ以外の話をしない。雑談なんてもってのほか。
現在エブラーナ城内において、お館様が完全に心を開く者は誰もいない。
—— —— ——
城で働く人員が増えて、城の主らしくと思ったのか。
国王という立場が、自然とそうさせたのか。
お館様は、4、5年ほど前から使用人に対して事務的な態度を取るようになった。
そうは言っても、時折ざっくばらんに話して笑顔を見せる時もある。
だから、使用人から不満の声が上がったことはない。
—— —— ——
そんなお館様が、常に喜怒哀楽——素を見せていた相手が。
長年仕える、じいとザンゲツのふたりだったのだけれど。
「あれから、1年経ってもこの調子。もう昔のような若様には戻らぬかもしれぬ……」
「よほど拙者たちに、エミールの真の目的を話したくなかったのでしょうなあ」
***
——1年前 8の月1日 夕方
本日のように非定期会合を経て、たった1日の休暇を終えたじいとザンゲツ。
休暇が明けて、普段と同様に仕事をしていたふたりは、お館様に呼ばれた。
(見えない護衛に聞かれたくないとは、どういった用件なのか……?)
執務室でふたりを待っていたお館様が、青いお札を使って結界を張った。
「ふたりとも、1年前にオレがカルミネから逃げた女の記憶をのぞいたこと覚えているか」
「もちろんです」
「もう終わったことを、今更蒸し返すとは……若様、一体何があったのですか?」
「その時、おまえらに言い忘れていたことがあってな」
お館様がそう前置きして、無表情で淡々と話し始めた。
内容が内容だけに、じいの顔が青ざめていく。
ザンゲツも信じられない思いでいっぱいだ。
「……って訳で、エブラーナは今後禅譲制に移行する。心しておいてくれ」
「は、はは……お館様ぁ……またまた、ご冗談を」
「冗談を言っているように見えるか」
「っ……」
「な、なんと言うこと!! じいは、歴代の国王並びに、お父上お母上様……あの世で会わせる顔がございませぬ……っ!!」
お館様が話し終えた直後、じいがその場で崩れ落ちて涙を流した。
それぐらいには、とんでもないことを聞かされてしまった。
お館様は妃を娶り、世継ぎを残して王家の血を繋いでいく。
例えその相手がリディア様でなくても、それが定石。
そう思っていたじいが泣くのは当たり前だ。
じいだけでない。ザンゲツもだし、おそらくエブラーナの民もみな同じことを思っているはず。
「……お館様」
「なんだ」
「なにゆえ1年前に、それをお話しになられなかったのですか」
ザンゲツは、じいと一緒に泣きたい気分をぐっと我慢して、お館様に質問した。
1年前、じいとザンゲツはリディア様と一緒に。
お館様から、カルミネから逃げた女性の記憶の話を聞いていた。
あの日でカルミネの事件は収束した。
そう思っていたのに、なぜ今日まで黙っていたのだろう?
「リディアの前でその話をしろと?」
「ああ、そうでしたな……」
「話聞いてまたぶり返したらどうすんだ」
この国の未来を大きく変えざるを得ない重大な事実は。
リディア様に聞かせるには酷なもの。
リディア様が、お館様に付けた傷——毒がお館様の身体に重大な変化を及ぼした。
結果的に、国としての在り方を嫌でも切り替えざるを得なくなった。
リディア様は故意ではないが、お館様に傷を付けた自責で心傷を負っている。
このことを知れば、お館様の言う通り、更なる自責に駆られることは間違いない。
「ま、まだ確定した訳ではございませんぞ! 我が国の総力を挙げて、若様の身体をお調べ」
「——必要ない」
「なにゆえに!!」
「毒の実験体は、年寄り以外全員成功していた。アスラにも元に戻らないとはっきり言われたからだ」
「それでもいけません! これは、王家並びに国家に関わる一大事なのですぞ!? 口頭で理由を述べられただけで、世襲制を諦めるとおっしゃられてもじいは納得出来ませぬ!!」
泣きが少し収まったじいが、立ち上がると同時に机へ両手をついてお館様に迫った。
じいの言わんとしていることはよくわかる。
ザンゲツもじいと同じ立場なら、同じように勧めている。
お館様の身に起こった変化に関する治療法は、この世界には存在しない。
諦めるにしても、目に見える証拠が欲しい。しかし……。
「てめえ……! オレにアレを受けろってか!!」
「それしかありま……ひっ!」
お館様がじいをぎろりとにらんでから、殺気を飛ばした。
—— —— ——
アレ——検査は原始的な方法で行われる。
その際、相当な羞恥を感じて心痛を伴うことが多い。
—— —— ——
例え、検査を受ける者の正体がばれないと言っても。
一個人の意見としてだが、ザンゲツもあの検査は受けたくない。
お館様も同じだったようで、検査を受けさせようとしているじいを威嚇しているようだ。
「お、お館様っ!!」
「……なんだ」
「他の者へのご説明はいかに。いずれ公表するおつもりなのでしょうか?」
一触即発の空気を回避するために、ザンゲツは慌てて別の質問を振った。
「ない。ほっといてもみんな嫌でも察するさ」
「さようですか……」
「オレからの話はこれで終わりだ。——もう戻っていい」
(休暇の前にお話していただきたかった……)
お館様は椅子をくるりと回転させて、こちらに背を向けてしまった。
サンゲツは、嗚咽するじいを支えながら執務室を後にしたのであった。
***
お館様はこの日以降、じいやザンゲツに対しても心を閉ざしてしまい。
他の者たちと同じ態度を取るようになってしまった。
「……お館様は、じい様に辛辣すぎますよ」
前々から『わしへの態度が他の者に比べて冷たい』と、じいから聞いてはいた。
そして、実際に本日ザンゲツが天井裏から様子を見た限り。
いつお館様が、じいに『黙って仕事だけやってろ』と言ってもおかしくないように感じた。
「わしを恨んでおるのだよ……若様や幻獣王妃の言葉を信じなかったからな」
じいの強い要求に折れて、お館様は毎月2回、検査することになった。
しかし、約1年近くに渡った検査はずっと同じ結果だった。
よほど、腹に据えかねていたのだろう。
ついに本日、お館様が不満を爆発したことで検査は打ち切りになった。
「じい様の判断は間違っておりません。拙者はそう思っていますぞ?」
「……そうかもしれぬが、若様のお心を傷付けたことには変わりはないからのう」
今日まで、お館様に無理をさせたから、あんな態度を取られたり怒鳴られても仕方がない。
じいが自身を責めているように見える。
「エミールに散々かき回された挙げ句、逃げられてしまったのが悔やまれるわ」
「……恨みごとひとつも言えませぬからなあ」
カルミネの事件——エミールは、エブラーナの理想的な未来を奪っただけではない。
お館様から感情まで消してしまった。
—— —— ——
ただし、お館様の変化により、実害を被っているのは、じいとザンゲツのふたりだけだ。
お館様は脱走しても、月終わりの夜以外、ツキノワとの夜の修行までに必ず帰ってくる。
公務も疎かにしないので、問題は表面化されていない。
民を思い、今後もより良き国にする事を考えて、それに則って政を行う……。
お館様の愛国心は変わらない。単に世襲制を諦めただけなのだ。
変わらないと言えば、ザンゲツへの無茶振りも続いている。
ただし、以前と違って『真顔』であれこれ無茶を言われるわ。
文句を口にすると殺気がすぐ飛んでくるわ、ものすごく怖い。
—— —— ——
いくらでも脱走していただいてもいい。
悪びれもなく笑いながら無茶振りをやっていただいて構わないから。
どうか早く元のお館様に戻っていただきたい。
ザンゲツはそう切実に願う日々を過ごしていた。
「明後日、城に行くのが怖いです。また何を言われるやら」
「……これを見ろ」
「はい?」
「明後日の会議で若様が通す案だ。決まり次第、そなたはすぐに若様に呼ばれるだろう」
じいが神妙な面持ちで、傍らに置いていた書類をザンゲツに差し出した。
(執務室でじい様に渡していた書類と似ているな)
ザンゲツは数枚綴りのそれを受け取り、表紙をめくる。
「……な、何ですかこれはぁ!?」
内容を目で追い始めてすぐ、大声を上げてしまった。
酒で浮ついていた意識がぶっ飛ぶぐらい、とんでもないことが書かれていた。
—— —— ——
じいから渡されたのは、お館様自ら素案した組織改革案の印刷物だった。
そこには、7の月から国王直轄の新部隊、『御伽衆』を設立する。
国王が厳選した3名のお城勤は、7の月より異動予定と書かれている。
その3名の中に、なんとザンゲツの名も入っていた。
—— —— ——
「最後まで目を通すがよい」
「はっ、はい……」
続きを読むよう勧めてきたじいが、ここでようやく愛妻料理に手を付け始めた。
(給与が大幅に上がるなら、まだよいかもしれぬが……)
部署異動は、給与面や生活面に多大な影響を与えかねない重要な問題だ。
ザンゲツは、酒も料理もそっちのけで書類を読み進める。
—— —— ——
国王直轄の特殊部隊である『御伽衆』の者は、国王の命が絶対である。
じいやそれ以下の者の命は一切受けない。
逆に彼らへ独断で命を下すことが出来る。
どうしてもという場合、国王の許可が降りれば、彼らの依頼に応えることが出来る。
『御伽衆』の主たる仕事内容は、国王が下す特殊任務。
それがなければ、国王の指示でお城勤と同じ任務や業務に回る。
特殊任務はお城勤以下の地位の者には、決して明かしてはならない。
もちろん、公の記録に残してはいけない……などなど。
—— —— ——
(年寄りの拙者たちを分断するおつもり……いや、違うな)
用紙3枚のそれに書かれた、細かな文字の羅列を追えば追うほど。
ザンゲツの書類をつかむ両腕に力がこもり、震えを生じさせる。
「お館様は、じい様を封じ込めるおつもりですな……!」
ザンゲツはそう言いながら、読み終えた書類をじいに返した。
「さよう」
じいが平然とした表情で一言答えてから、料理をぽいぽい口に運んでいる。
案には納得行かぬが、もはや止むなしと諦めているように見える。
—— —— ——
お館様は自ら考えた制度改革や新案を、会議に提出したことがほとんどない。
お館様の案だからと、ほぼ全会一致で承認されてしまう。
それでは会議する意味がないというのがもっぱらの理由だ。
やる気がない訳ではなく、独裁になるのを恐れてあえて自制しているのだ。
—— —— ——
逆に言えば、お館様の自身案は絶対に譲れないものになる。
他者がそれを覆せる訳がない。
「これでは、誰もお館様に物申せなくなりますよ……」
「何を。そなたたちが物申せばよいではないか」
『御伽衆』は、エブラーナ国内でお館様に次ぐ強い権限を持つということである。
全ての使用人の中で、最上級位に位置するじいよりもだ。
じいはこの国の内政を司るだけでなく、お館様に長年仕える最側近である。
現状お館様に強く物申せる人間は、じい以外誰もいない。
「じい様ぁ……」
「どうした」
「拙者もですがなぁ。他のふたりがお館様に物申せるとお思いですか?」
「そうしない者をあえて選んだのだろうな」
「うっ……」
ある程度、空腹が満たされたのか。
酒びんを手にしたじいが自らの盃に続いて、ザンゲツの空いたそれに酒を注いでくれた。
—— —— ——
ザンゲツもじいに次いで、長く側近をつとめている。
しかし、元来の性格からか、お館様になかなか強く出られない。
そして、書類に書かれていた残りの『御伽衆』は、イザヨイとゲッコウ……。
ふたりは、数多くいるお城勤や使用人の中で、お館様への忠誠心が極めて高い。
特にイザヨイは、見た目が黒でもお館様が白と言えば、白と言い切る。
一時期よりも治まったが、簡単にそんな予想がつくぐらい、お館様に心酔している。
—— —— ——
「若様はな。わしより権限が強く、自身の目となり足となる分身が欲しいのだよ」
「聞こえがいいですな。単に都合のいい使いっ走りが欲しいのです」
「まあ、そうとも言えるな」
「じい様と拙者が分断される可能性が低いのが唯一の救いですなあ……」
「そなたと共同戦線を張った覚えはないが」
「なっ、何をおっしゃるのですかぁ!?」
「冗談よ、冗談」
「拙者は、じい様を差し置いていばるつもりはありませんぞ?」
「はは、そなたはそんな真似出来んわ」
ザンゲツが、お館様に物申すことはほぼ不可能に近い。
しかし、『御伽衆』の任務内容を、じいには打ち明けられる。
じいに命令されたことを、ザンゲツがじいに命じたように装うことも可能だ。
「それにですなぁ。もう少し……基本給を」
「——諦めろ。名誉と権限を与えてやるから我慢せえとのお心算だろう」
「困ります。こっちは生活がかかっているのですぞ……?」
(これでは割に合わぬ……!)
書類には、『御伽衆』の給与体系も記載されていた。
もちろん、先ほど確認したが、お城勤のそれより微増でしかなかった。
「イザヨイとゲッコウは大喜びだったが」
「せ、拙者はあの者たちとは違います! じい様もお館様の拙者への対応、よくご存知なくせに……っ!」
やけくそ状態で一気に酒を飲み干してから、勢いよく料理に手を付け始めた。
(拙者をミストに連れて行く度に、謝礼を出すのが嫌になったのだ!)
ザンゲツ自身、お館様への忠誠心は高い自覚はある。
しかし、イザヨイやゲッコウと違って、お館様より長く生きている。
何より独り者でなく、一家の大黒柱として愛する家族を養わねばならない。
ふたりのように、盲目的に慕い敬うレベルには辿りつけない。
「若様も世代交代を考えておられるのだろう」
「いや、それはわかりますがなあ」
「……わしもそろそろ隠居するべきかの」
「はいぃ!?」
じいが寂しそうな表情で、不穏な言葉を口にしてぎょっとする。
じいに辞められたらとても困る。
年配者がザンゲツひとりだけになってしまい、『お館様被害者の会』もおしまいだ。
「定年もとうに過ぎておるし……」
「な、なりませんっ!! せめて後任を育成してからお考え直し下され!」
ザンゲツは、必死でじいへ再考を促した。
じいも日頃鬱憤を溜め込んでおり、会合でぐちぐち言う。
しかし、今まで一度も隠居——辞めたいと口にしたことはなかった。
今朝、お館様に怒鳴られたことを相当気に病んでいるのは見て明らかだ。
「そうかな? 今ではどの部署も人気が殺到しておるぞ」
「いや、確かにそうですがなあ……」
—— —— ——
お館様は復興の際に、人口政策以外にも様々な政策を打ち出した。
教育制度を大幅に整備して、後進の育成にも抜かりない。
求人希望者も、以前は忍者の花形職業——お城勤に集中していた。
しかし、現在は事務をはじめに医療、術開発などと言った内勤や専門職も人気が高い。
—— —— ——
「それに、ツキノワもおるではないか」
「あの子はまだ6歳ですぞ? 早すぎます」
—— —— ——
ツキノワは夜更けと早朝の数時間、ほぼ毎日お館様に修行を見てもらっている。
昼間は手の空いたお城勤が、お館様の代わりに座学や各種の術の指導を行っている。
おまけに、ツキノワは1年前から日替わりで、城の各部署を周って仕事を手伝っている。
彼は一度覚えたら、すぐ吸収する頭の持ち主なのだろう。未だノーミスを誇っている。
—— —— ——
子どもらしからぬ多忙な日々を送っているのに、一切不満を口にしない。
そんな純粋で謙虚で健気な子どもは、お館様だけでなく周囲からも好かれている。
「そなたも知っておろう、若様が今のツキノワの歳に何をしていたか」
じいに言われて、ザンゲツは遠い昔を振り返る。
確か、お館様は3歳の頃から忍者の修行を始めた。
そして、5歳から一般教育を含めた帝王学の勉強に入っている。
もっとも、後者は本人の座学へのやる気のなさから、開始数年間は形骸化していたが。
「……ああ、すっかり忘れておりました」
「さすがに内務までは、手をつけておらんかったがな」
「お館様には内務は不向きです」
「ふっ、元教育係。よくわかっておるわい」
「ははっ……」
お館様は、ツキノワを後継者として見ている。
だから、あの歳から様々な経験を積ませている。
そう言いたげなじいに、ザンゲツはおおむね納得した。
「今思えば、若様はあの幼子を連れてくる前から、この国の遠い先を既に見据えておられたのだろう」
「……記憶を見なくとも、禅譲制にするおつもりだったと?」
「さよう。タツミもシビエン家直系でなければ、『御伽衆』に入れて候補にしていただろう」
エブラーナが禅譲制に変わることを知っているのは、じいとザンゲツだけ。
お館様は天才児を育成するために、ツキノワの面倒を見ている。
他の使用人はそう思い込んでいる。
「……リディア様と共になられたら、元のお館様に戻るでしょうか?」
「そんな日が来たらよいが、来るとは思えぬ。妃候補の事前調査は、王家の恒例行事だったからのう」
「遠い過去にはそれが原因で、破談になったお相手の方もいたようですなあ」
「近年では一般家庭でも、夫婦になったとしても、それが原因で離縁することも少なくないと聞くぞ?」
「リディア様がそれでよいとおっしゃるとは限りませぬしなあ……」
「それよ。若様が既に結婚前提とした交際を諦めていてもおかしくない」
(何もかもエミールのせいで……)
互いに日々の不満を大方ぶちまけ終えて。
リディア様の話題に移るのも、この会合の恒例となっている。
—— —— ——
年々、お館様がリディア様へ大っぴらに接触を図る回数が減ってきている。
去年の夏、せっかくリディア様がエブラーナ城に足を運んでくれた時もそうだった。
意気盛んに面会に応じると思いきや、多忙を理由に面会を断れ。
じいに悪役を押し付けると、どこかへ逃げてしまったという。
—— —— ——
その日の会合でも、じいが『若様が、とうとうとち狂ってしまったわい』と愚痴っていた。
しかし、その翌々日。
お館様から禅譲制移行の話を聞かされたら、あの対応も納得出来る。
リディア様に期待してはいけないし、リディア様を期待させてはならない。
お館様はそう自制を掛けて、面会を拒否したのかもしれない。
「あとは、そなたの『仮説』が間違っていたことを祈るだけよ」
「まだそんなことをおっしゃるのですか……」
「そなたにその言葉、そのまま返してやろう」
じいがため息をついて、やれやれとばかりに額に手を当てている。
—— —— ——
ザンゲツは数年前の会合で、ある『仮説』を持ち出した。
……お館様の愛念対象は、リディア様に違いないと。
ところが、じいはそれをなかなか認めてくれない。
王家——ジェラルダイン家の血を引く者は、特定の人物や事物に強い思い入れ、いわば愛念を持つことが多い。
あのエミールですら、自分の愛念対象はエブラーナ国王の地位。
自らそう明言した場面をしかとこの目で見た。
1年前、ザンゲツとじいはお館様からそんな話を聞いているのに。
—— —— ——
「そなたは、なにゆえそこまで『仮説』にこだわるのだ」
「お館様の閉じた心を開くことが出来る者は、リディア様だけしかいらっしゃらないからです」
お館様には、リディア様と幸せになってほしい。
何も事情を知らぬ使用人をはじめ、国内では未だにそう望む者が非常に多い。
ザンゲツもだが、じいも本当はそうなればいいと望んでいるはずなのに。
「間違っていた方がよい。リディア様が若様に興味がなかったらどうするのだ?」
「っ、それは……!」
「特殊な血に、お館様ご自身も相手も振り回されてしまう。リディア様にとってはたまったものではないぞ?」
「……自然と結ばれるのが一番。じい様はそうおっしゃりたいのですな」
「そういうことだ。——もっとも、先行きは暗いがな」
(じい様は『仮説』が正しいとわかっているが、認めたくないのかもしれぬな)
最後の王族となった、お館様の愛念対象は今もってわからぬまま。
一個人が愛念対象だと、仮に上手く行かなかった場合。
お館様だけでなく、相手をも深く傷付ける恐れがある。
じいはそう言いたいのだろう。
「ミストにもいい加減、諜報を置くよう勧めても聞かぬしのう。若様が、あの地で一体何をしておるのかさっぱりつかめんわい」
「お城勤も出入り禁止ですからなあ」
「そなたぐらいか。——また、あの日が近づいてきておるな」
「……憂鬱です」
(村長が、とてもいい人なのが救いだなぁ……)
ザンゲツは一昨年、昨年と、『ツクヨミ』としてお館様にミストへ連れて行かれている。
そこでは、花火の打ち上げとそれに伴う片付けをさせられている。
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初年度の一昨年は、だだっ広い草原でたったひとりで。
花火の打ち上げ器材を組み立てて、花火を3発打ち上げてから片付けていた。
ところが昨年は、村長と子どもたち数人が作業に立ち会ってくれた。
上司に手伝ってもらえず、ひとりで作業させられて気の毒だから。
村長は、そんな理由で立会いを企画したと話してくれた。
そんな気遣いがなかったら、わざわざ誰かを演じて孤独な作業なんかやりたくない。
暑い中で、暑苦しい服装でいなければならないわ。
夕食も塩むすび(妻のお手製)を持たせてもらえず、兵糧丸だけだわ……。
—— —— ——
2ヶ月後、ミストで花火が行われる頃には『御伽衆』に昇進している。
今後は、お館様から個人的に謝礼をいただけなくなるだろう。
『御伽衆』の昇給も微々たるものだったし、デメリットが多すぎる。
「確か『ツクヨミ』だったな。あれも謎よのう」
—— —— ——
お館様は、時折『ツクヨミ』の姿で城内をふらふらしている。
『「オレ」じゃ、みんないい子ぶっちまう』
お館様が、『ツクヨミ』を演じるのは、城内の職場実態を知りたいからだという。
実際に古株女中の新人いじめを発見し、女中の職場環境改善にも貢献した。
彼に会って、話(相談)をした使用人も少なからずいるぐらいだ。
—— —— ——
もちろん『ツクヨミ』の正体を知っているのは、じいとザンゲツだけだ。
「ああ、話は変わるがな。そなた、星祭りの日は心しておくようにな」
「あ、あの……お館様は拙者を連れてどうするおつもりなのでしょう……?」
「イヌイの末娘が、8月で成人する」
「ええっ!?」
「まーた、奴が娘を連れて、連日城にやってくるぞ?」
シビエン家に対する、お館様の過去の対処が脳裏によぎって。
ザンゲツは頭を抱えてしまった。
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シビエン家、特に直系の者は、みな王家の者に惹かれる気質を持っている。
シビエン家現当主イヌイには、長男タツミに加えて3人の娘がいる。
長女と次女は、過去にお館様に逆求婚(父親同伴)したことがあった。
おそらく、末の娘もそうなると爺は言いたいのだろう。
—— —— ——
(また影武者……!!)
タツミの結婚式には、長女も次女も嫁ぎ先から戻ってくるはず。
過去と未来の自称お妃候補が、その日一堂に会するだろう。
そんな場所に、お館様が自ら好き好んで出席する訳がない。
結婚式当日、一体何をやらされるか自ずと想像がつき、涙腺がゆるんできた。
「せ、拙者ぁ……昇進したくなんか、ありませぬ……っ……うう……」
「そなたもわしも、現状より環境が悪化するだけだからのう」
「年輩者に対する扱いが……ひどすぎます」
人生経験豊富な年輩者は、世間一般的には年少者から敬われる風潮なのに。
エブラーナ城では真逆……こんな職場環境、辛すぎる。
涙をにじませながら、口に料理を運ぶザンゲツとは対照的に。
じいが達観した表情でくいと酒をあおり、満足そうに笑みを浮かべてからこう言った。
「……やっと美味くなってきたな。そなたももっと呑むがよい」
「は、はいっ」
じいが酒びんを手にして、ザンゲツに盃を持つよう手で合図した。
「おっ、『お館様被害者の会』、このまま継続ですぞ!!」
この会合があるから、辛い職場環境も多少和らいでいる。
加えて、お館様の側近を長く続けていられるようなものだ。
「はははっ! 御伽衆に昇進したら、改めてわしにそう命ずるがよい!」
ザンゲツと同じ思いだったらしく、じいが高笑いの声を上げながら。
自身の盃にも酒を注ごうとしたが、酒びんからは一滴も出てこない。
「……おや?」
「もう出ませんなあ」
「なんだなんだ……今日はえらい早かったのう」
たった1時間足らずで、酒びん1本分を完飲してしまい。
じいが渋い表情に変わってしまった。
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