フェイクラバーズ 作:かえで
——6の月14日
「おじゃましまーす」
明るい声を上げながら、村長専用のお部屋——事務室に入る。
「あっ、授業おつかれ。そこ座って」
「うん」
事務机の対面に置いてあった椅子に座り、ミゼルと向かい合う。
授業が終わってから、ミゼルに事務室に来るように言われていたのだ。
「話ってなあに?」
「Zがね。ついにアレを売り出すんだって」
来月7の月から、アレ——家庭用浴槽が世界一斉販売されることが決まったという。
—— —— ——
浴槽を設置したのはいいが、薪の需要が増えた。
同時に、ミストの森林の伐採も増えて困っている。
トロイアの会社Zに、そんな相談をしたが、なしのつぶて。
定期的に催促しているが、今も全く返事がない。
—— —— ——
ミゼルのZに対する信用は、今も変わらず低いまま。
ただ……。
「そうなんだ。でも、そんな新聞記事見たことないよ」
「前情報だからね。もうすぐ一斉に報じるよ」
「もしかして……いつもの人たちに教えてもらったの?」
「うん。本当にいい人たちだよね」
いつもの人たちとは、Zで働く開発部の社員たちのことである。
—— —— ——
3年前のある日。いつもの人たちがミゼルの元を訪れた。
それがきっかけで、ミストはZから家庭用浴槽の運用テスト地域に選ばれた。
世界に先駆けて、家庭内入浴の習慣が始まってからも。
いつもの人たちは、定期的にミストにやってくる。
ミストのお宅を回って、浴槽の点検や相談に乗ってくれる。
住民ともすっかり仲良くなってしまった。
—— —— ——
(こないだ点検にきた時も、また『上司がすみません』って謝ってくれたし……)
いつもの人たちは、ミストに不誠実な態度を取る上司に手を焼いている。
ミゼルに、発表前の情報を流すぐらいのことはやるだろう。
「……あの人たち、ミストに引き抜きたいなあ」
「引き抜き?」
引き抜きとは、優秀な人材を違うところからスカウトすることである。
「ここで住んでくれたら、『薪要らずの魔法』の呪文を教えてあげられるじゃん」
いつもの人たちは、いくらいい人でもミストの住民でない。
『薪要らずの魔法』の存在を教えてあげられても。詠唱呪文は教えてあげられない。
「それはいいけど、お仕事どうするの?」
「そうだなぁ……毎日ミストのお宅回って、お風呂掃除させちゃおっか?」
「何それぇ! そんなの3日で逃げちゃうよぉ!」
リディアは思わず笑ってしまった。
ミストの住民になればいいと、冗談が飛びだす。
それぐらいには、開発部の社員はみんな本当にいい人ばかりだ。
「……で、そのためにわたしを呼んだの?」
我に返ると、じと目でミゼルを見ながら質問を返してあげた。
「きみにどうしても頼みたい仕事があってね。——はいっ」
「……なにこれ?」
ミゼルから机の上に置いてあった紙を1枚手渡された。
紙一面に何か書かれたそれを見て、首をひねる。
「21日に、ジャンヌさんと一緒にバロンとダムシアンとファブールに書状を届けてもらいたい」
「ええっ!?」
「予定調整はもう終わってる。その日、休みだから別にいいでしょ?」
「おばちゃんが行くなら、わたしはいらないんじゃ……」
リディアが帰郷してから、ミゼルは一歩もミストから出たことがない。
外回りのお仕事は、全てジャンヌが任され……押し付けられている。
「はぁーあ……」
不審げなリディアを見て、ミゼルがため息をつくとこう言った。
「せっかく、ごほうびにザッハトルテまるごと」
「——行きます」
現在トロイアでは、ザッハトルテと呼ばれるケーキが大人気。
濃厚なチョコケーキに、あんずジャムが絶妙なアクセントになっている……という噂だ。
ちなみにリディアは、まだ食べたことがない。
「もういいよ。別に無理しなくて」
「——ぜひ行かせて下さいっ!!」
一度でいいから口にしたかった、話題のケーキ。
それを報酬にすると言われたら、頼みを断る訳にはいかない。
「あ、言ったね? 今、言ったこと忘れちゃだめだよ?」
「忘れないよ。まだお年寄りじゃないんだから……」
「じゃあ、それを読んでみてちょうだい」
「これ、なぁに? 書状の下書き?」
「国王さま宛てのね。……汚いけど」
ミゼルが最後にそう付け加えて、中身を読むよう勧めてきた。
リディアは紙を見つめた途端、顔を引きつらせた。
言われた通り、本当に字が汚い。
「えーと……『この度、トロイアの某企業が……」
(いくら下書きでも、もう少し読みやすく書けなかったの?)
渋い表情で、読みづらい文字を目で追いながら読み上げ始めたが。
すぐに文字の汚さなんかどうでもよくなった。
(Zのことが書いてある!)
そこに書かれていたのは、『薪要らずの魔法』の完成から、現在までの経緯だった。
更に読み進めると、見返り——報酬なしでは、大っぴらに存在を明かせない。
下手に前例を作ったら、リディアが利用されかねない。
ミスト内で秘密にする事情も事細かく綴られている。
ただし、『薪要らずの魔法』の詠唱呪文だけは省かれていた。
「『……以上の事実に関しまして、国王陛下のお墨付きをいただきたく存じます。もし情報が流出して、その犯人が見つかった場合、犯人自ら罪を課す場を、ミスト以外の場所で設ける所存でございます。その際には、ぜひ陛下にその場に立会っていただきたく』……おじちゃん、これ!?」
「Zが動き出したから、こっちも手を打つんだよ」
「でも、この文。それよりもっと前から考えてたように読めちゃうんだけど……」
罰則の内容が、『薪要らずの魔法』完成直後に出された、お触れとまるっきり同じ。
リディアがその魔法を作っていた頃から、ミゼルはこの策を講じていたように感じる。
「『知恵は小出しにしろ』……聞いたことない?」
「エブラーナのことわざじゃない!」
全ての知恵を一度に出し切るより、必要に応じて少しずつ出せばいい。
エッジから教わったことがあるそんな意味のことわざを、ミゼルがしれっと口にした。
「そうだよ? エブラーナは深い言葉が多いよね」
「うん……」
「これなら、犯人も軽い罪をそうそう自分に課せられないでしょ」
「少なくとも、無罪って自分からは言えないね」
リディアから差し出された下書きを受け取りながら、ミゼルがこう言った。
「あとはね。ミストで隠しごとをしている事実『だけ』は、誰かに知ってもらった方がいいと思った」
「昔と一緒になっちゃうもんね」
「ぼく自身、ミストの秘匿事項だとしても全て内々で片付けるのはよくない傾向だと思ってる。きみはどっちがいい?」
「……少しでも風通しがいい方がいいね」
昔のミストは、召喚術を利用されるのを恐れていた。
『来るものは行商だけ、去る者は罰する』という合言葉通り。
とても閉鎖的な社会を築いていた。
「『薪要らずの魔法』は、きみが作った魔法だからね。国王さまお三方は、第三者として申し分ないでしょ」
「だから、わたしにお仕事を頼んできたんだね」
「そういうことです。きみが書状を届けたら、時間はかかるけど認可状を確実に書いて下さるよ」
(あたしの大好物まで引き合いに出すぐらいだもん。よっぽどだよね……)
黒魔法講座の講師だけで精一杯だから。
ミゼルはそんな理由から、リディアにミストの仕事を頼まない。
しかし、今回はリディアが絡む案件なのでお願いしてきたようだ。
「これは住民への念押しも兼ねてるから、今度の寄合で大発表するよ」
「それはいいけど、ここでそんなことする人いないと思うけどなあ……」
「ぼくもそう信じてるけど、村のトップは性善説じゃやっていけません。これぐらい手を打たないと心配だしね」
「……村長さん、大変だね」
(あたしが魔法作るって言っただけで、いろいろ考えて手を打つんだもん……)
普段ミゼルはへらへらしている。
それでも、こういう場面になるとやはり尊敬せざるを得ない。
リディアには、こんな仕事とても出来ないから。
「ははっ! 国王さまに比べたら可愛いもんだよ!」
(国王さま……エッジたちも、いつも大変なんだろうな)
ミゼルが笑いながら謙遜している。
どんな形でも、人の上に立つお仕事は大変なのだと痛感する。
「いいよ。おばちゃんとお城巡りしてくる」
「ありがとう! それじゃあ、ごほうびなしと言うこ」
「——それはだめっ!!」
こうしてリディアは、村として初のお仕事を引き受けることになったのであった。
ザッハトルテまるごと——1ホールと引き換えに。
——6の月20日
毎月2回行われている寄合は、ここのところ平穏な雰囲気に包まれている。
「では、最後にひとつお知らせがあります」
最後の余り時間に、進行役でもあるミゼルの話が始まった。
「先日、新聞を読んで知っている方も多いと思いますが……来月7の月から、家庭用浴槽が世界同時販売されることが決まったそうです。それでですね……」
ミゼルが、昨年ミストに出したお触れの追加事項の説明を行った。
数日前にリディアへ話した内容を、そのままなぞっただけだったけれど。
『薪要らずの魔法』絡みの案件は、キロンたちも容認している。
そのため、今回も異を唱える者は誰もいなかった。
「……それでは、本日はこれでお開きにします。次は来月の10日、またここに集まってくださぁーい」
ミゼルの挨拶を皮切りに、会議室に集まっていた住民が次々と席を立ち上がる。
壇上のミゼルと何やら話をする者。さっさと会議室を後にする者。
その場に座ったまま、隣の席の住民と雑談する者。帰路に着く姿は、てんでばらばら。
リディアたちも雑談が一区切り付いたところで、会議室を後にした。
隣の多目的室へ借りた椅子を置いてから、3人は肩を並べて廊下を歩く。
「今日も平和に終わったわねー」
「うん」
「そうね」
満足そうに大きく伸びをしたアリサが、突然がっくり肩を落とす。
「ねー、リディアー」
「どうしたの?」
「明後日、ジャンヌさんかあんた……どっちでもいいから代わってくれなーい?」
「だめよ。お仕事って言ってたじゃない」
「どっちみち、その身体じゃ無理だよ」
「ああんっ! あたしもギルバート様に会いたーいっ!」
リディアとライザは、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
(うらやましいのはわかるけど……)
先日リディアは、ミゼルから仕事を依頼された。
その時点で、アリサがこうしてごねるだろうと予想していた。
「演奏会たくさん行ったでしょ? それで十分じゃない」
「今年、何回行ったの?」
「15」
「じゅ、じゅうご……?」
「うそぉ……!?」
「でも、もう足りないのー」
ため息をつくアリサを見て、リディアとライザは口をあんぐりさせる。
—— —— ——
アリサの出産予定日は、9の月の頭。それに伴い、今年の夏以降は演奏会巡りを自粛する。
動けるうちに、ギルバートを見溜めしておかねばならない。
主にそんな理由で、年明けから各地で開かれる演奏会へ駆けずり回っていた。
—— —— ——
「それで足りないっておかしいよ」
「せめて年内は我慢しなさいな」
「うう……」
リディアたちからたしなめられて、アリサが唸っている。
半年近くの間で、15回も観に行けばもう十分だろう。
なのに、ギルバート成分がもう枯渇したなんて早すぎる。
「まっ、いいわぁー!」
「えっ」
ところが、アリサが突然晴れ晴れとした表情に変わり、背筋をぴんと伸ばした。
「後で足りない分を、補給したらいーのよっ!」
「ま、まあ、それでいいんじゃないかしら……?」
「切り替え早すぎるよ……」
「それよりも、あんたたち。今日は全然元気なかったわねー?」
寄合中、リディアとライザの表情が終始冴えなかったのを、アリサは気付いていたようだ。
「だって……ねえ?」
「今日でアリサ最後だもん……」
実はこうして3人で一緒に帰るのは、今日で最後。
アリサは、次の寄合から夫のラルフと交代して、自宅でお留守番することになっている。
「何言ってるのー? たった1年休むだけじゃなーい」
かねてからアリサは、1年後に子連れ前提で寄合に復帰する。そう豪語して止まない。
「まだ言ってる……」
「3年はお留守番しなきゃだめ。赤ちゃんがかわいそう」
「んまー! あんたがアレ使えば解決するって言ってるでしょーがっ!」
アリサがびしっとこちらを指さして叫び、リディアとライザは一瞬きょとんとした。
そして……。
「……っ! あははっ! 降参!」
「やっぱり、『防音結界』はアリサのための魔法ね」
リディアもライザも笑い始めて、ついにアリサへの説得を諦めた。
—— —— ——
『赤ちゃんが泣いたら他の人に迷惑だよ』
『何のために、「防音結界』があると思ってんのー?』
『授乳はどうするの?』
『こっそりおっぱいあげるわよー? 一番後ろだから、どーせ誰も見やしないしー』
『でも……』
『そもそも、出口に近いんだから、何かあったら会議室から出て行けばいーのよ。ひとりぐらい抜けたってわかりゃしないわー』
—— —— ——
これまでアリサは、無茶だと言い張るリディアとライザをことごとく論破してきた。
たかが寄合、されど寄合。
アリサも結局のところ、寄合とその行き帰りの時間が気に入っているのだ。
「代わりに、『昼集合』をがんがん増やすわよー?」
「そうね」
「ゆっくりおしゃべり出来るもんね」
『昼集合』は、ライザが黒魔法講座に通い始めてから、新たに出来た不定期の習慣である。
—— —— ——
ほぼ一日、公民館に詰めているリディアが事前に空き部屋を借りておく。
お昼休みが始まると、ライザやアリサがそこにやってくる。
そして『防音結界』を張ってから、お昼ごはんを食べながらおしゃべりする。
—— —— ——
お昼なら、子どもたちが公民館にいる。何かあっても近くに医者がいるので大丈夫。
アリサはそう言って、昼集合を推している。リディアもライザも不満はない。
「【……」
「さーて、今日も奴はいるんでしょーか……?」
(やだなあ……)
公民館の出口を出る一歩手前で、詠唱を唱えた。
ぱっと現れたランタン代わりの灯球が、リディアの頭上をふわふわ漂う。
いざ出口を出て、門をくぐろうとした。
ところが、進路を阻むように人影が立っている。
「あぁ……」
「げっ」
「やっぱりね」
人影の正体がすぐ分かり、三者三様、不満な声を上げしてしまった。
「やっ、リディア。遅くまでご苦労様」
人影の正体は、端正な顔立ちの若い男性——アドニスであった。
「女性ひとりで、暗い夜道を歩くなんて危ないぞ?」
(またそんなこと言う……)
女性ひとりという言葉に、引っかかりを覚えてならない。
アドニスがこちらに笑みを見せたが、無表情のまま返事もしなかった。
—— —— ——
アドニスは、28歳独身男性。
この春、10年以上過ごしていたトロイアからミストに戻ってきた。
帰郷した翌日。彼はリディアに、『俺と結婚してくれ』とプロポーズしてきた。
もちろん、即座にお断りした。
それから2か月。アドニスは今もなお、こうして寄合が終わる度に。
勝手に帰りを待ち伏せして、勝手に送迎を名乗り出てくれる。
しかし、リディアがそれに首を縦に振ることは一度もなかった。
—— —— ——
「俺が送って」
「——いらないわよっ」
こちらにじりじり近付いてくるアドニスを、アリサが手でぴっと跳ねのけた。
よからぬ男が近寄ってきた時のアリサは、とっても強い。
リディアとアリサは、その点で互いに頼り頼られる関係にどっぷり浸かっている。
そのため、毎回アリサの好きなようにさせていた。
「邪魔しないでくれるかな」
「へえー? あんた、寄合には出ないくせに、女を待ち伏せする時間はあるんだぁー?」
「当たり前じゃないか。レディをエスコートするのが紳士のつとめだからな」
背の高いアドニスが、アリサを上からにらみながら場違いなことを言い出した。
こんな小さな村で、エスコートや紳士淑女もないだろう。
「く、っ……!」
リディアの隣でライザが唇を引き締め、肩を震わせながら笑いを我慢している。
「わたし、レディでもなんでもないんだけど」
「そんな謙虚にならなくてもいいじゃないか」
「あのねぇ……! わたしより労るべき人がここにいるでしょっ?」
「はっ、いらないいらない。3人も産んでるから、頑丈に出来てるよ」
「!?」
経産婦は、送迎の必要はない。
アドニスが妊婦をないがしろにするようなことを、さもや当たり前のように口にした。
それを聞いた途端、笑いを噛み殺していたライザが醒めた表情に変わった。
口無双のアリサに手を焼いているエッジですら、そんなこと本人に絶対言わない。
そもそも、この男。以前から妊婦だけでない。
アリサやライザ本人を目の前にして、既婚女性をばかにすることを平気で言う。
(一発張り倒さないと気が済まない!!)
今まで我慢していたが、もう限界だ。
アドニスをにらみながら、足を一歩踏み出した、その時。
「——行きましょう」
「えっ、あっ……?」
ライザに強く腕をつかまれたことで、頂点に達していた怒りが霧散した。
相手にするだけ時間の無駄。
そう言いたげなライザに、リディアは引きずられる形でアドニスの横を通り過ぎる。
「じゃあ、俺も行くよ」
(来なくていい!)
アドニスがひょいと身を翻して、リディアとライザの後をついてこようとした。
「——ついてくんじゃないわよ! すけこましっ!」
ばちーん!
「っ!?」
アリサが鬼のような形相で、アドニスの頬に容赦なくビンタを食らわせた。
「かっ、顔が傷付いたらどうしてくれるんだっ!?」
アドニスがぶたれた頬を押さえながら、大声で叫んでいる。
「大げさだなあ」
「傷があった方が男らしく見えるわよ」
「むりむりー。ナルシストにそんな度胸ある訳ないものぉー」
「!?」
リディアとライザ、そしてとどめとばかりに。
アリサの捨て台詞を食らい、アドニスが一瞬怯んだ。
「ふたりとも、帰ろ」
「ああっ!! リディア待て……」
リディアたちはアドニスを放置して、早足でずんずん先を進む。
さすがに妊婦には駆け足させられない。
3人は、しばらく先を進んでいたが、ふと立ち止まって後ろを振り返る。
「……追いかけてこないわねー」
「ほんとだね。どうしたのかな」
いつもならアドニスが後を追ってくるか、大声を上げるのに。
珍しく追っても来ないし、声も全く聞こえない。
「ほっときましょう」
「うん、帰ろ帰ろ」
「今日もあたしたちの勝ちー」
よくわからないが、逃げ切り成功。
リディアたちは、安堵の息をつくと歩く速度を落とした。
「リディア。早くアレ使いなさーい」
「うん、【……」
リディアが詠唱を口にしながら、アリサとライザの肩を指でそっと触れた。
ふたりに触れた部分と、地面の一部分がほんのり青く光り続けている。
—— —— ——
アレ——『防音結界』は、詠唱の末尾を変えることで、結界の範囲を自由に変更出来る。
地面が青く光っている部分が、結界の範囲。
リディアを中心とした半球状になっている。
現在は、リディアが目いっぱい両手を広げたぐらいの大きさだ。
リディアが動けば、もちろん結界も一緒に移動する。
結界が適用されるのは術者。そして、術者が詠唱を口にしている最中に触れた者だけだ。
—— —— ——
これで30分の間は、3人が結界内で何を話そうが、会話は外に聞こえない。
本音言いたい放題の時間が始まった。
「にっ、妊婦をばかにするなんて……! 最低だよ!!」
「女のビンタ1発でへなってんだから、情っさけない男ー!」
開口一番、リディアとアリサが思いっきり叫んだ。
「ふふっ……」
「どうしたのー?」
「エス、コートって……! ここは社交場じゃないわ……」
ライザが肩を震わせながら、思い出し笑いしている。
「あの人にエスコートされたくないよ」
「そんなにダンスしたけりゃ、ひとりで裸踊りすりゃいーのよー」
「ふふっ」
「あははっ! 逆セクハラになっちゃうっ!」
このように、『防音結界』の中では、アドニスをばかに出来る。
大声も上げ放題である。
「20年ぐらい魔法や剣の修行やってから、あーいうナイトみたいなこと言って欲しいもんよねー」
「あの人、すごく飽きっぽいんだって」
「遊びしか続かなさそうね」
「あんたも、本当どうしようもないのに目ぇつけられちゃったわねー」
「言っても言っても聞かないの。もう、やだ……」
アドニスによる被害に最も多く遭っている人間。それがリディアだ。
幼少時、アドニスと顔を合わせた覚えがない。名前も去年の年末に知ったばかり。
突然『結婚してくれ』と言われても、リディアは誰とも結婚する気はないから困る。
「わざわざふたつも魔法を作ったものね」
「あれがないとやってられないもん」
アドニス襲来に備えて、冬の間に手作り魔法をふたつ作った。
案の定、毎日どちらかの魔法を必ず使っている。
「でも、ああもしつこいと、カエルぐらいは許されてもいーと思うけどー」
「……キロンさんが黙ってないわよ?」
「ああ、そーだったー。親の七光りさいあくー」
「七光り、親だけじゃなかったんだよ」
「え゛っ!」
父と、今は亡き召喚士の兄。
昔からアドニスは、身内ふたりの威光——ダブル七光りを利用して好き放題していたという。
「お兄さんは、火事でお亡くなりになったそうよ」
「……あいつそっくりだったのかしらー」
「ううん。すごく真面目な人だったって」
「それなら典型的な次男坊じゃないのー? 堅物なあの男の息子とは思えないわぁー!」
アリサが大げさに両手で自身を抱きしめて、不快感を露わにしている。
リディアは首をぶんぶん縦に振って、アリサに同意してからこう言った。
「親ばかって、キロンさんのことを言うのかも」
「えっ、なになにー? 新情報仕入れたかー?」
「うん、最近聞いたばかりなんだけどね」
リディアは、とあるエピソードをふたりに話した。
先日、若い先住民から教えてもらったばかりのほやほやだ。
—— —— ——
火災が起こる1年前。
ある日、トロイアの行商がミストを訪れて物品を売り始めた。
やがて、村を去ろうとした商人に、突如アドニスが弟子入りを志願した。
商人は妻子がおらず、後継者がいなかったこともあって、二つ返事で了承した。
商人がよくても、住民はミストの外に出られない。
なぜなら、当時ミストは『来るものは行商以外拒み、去るものを罰する』村だったから。
どんな理由でも、脱走者は見つかったら処罰される。
普通なら、ここで誰かが止めるか反対の声を上げるところだ。
それなのに、可愛い息子の望みを叶えてあげたかったのだろう。
時の権力者キロンが、当時の村長を説得した。
結果、アドニスは何のお咎めもなく、商人と一緒に正々堂々とミストを飛び出した。
—— —— ——
西で暮らす保守系先住民は、アドニスのことを持ち上げている。
しかし、それ以外の先住民からは遊び人や不真面目といった否定的な意見しか聞かない。
何より、リディアが話した逸話の通り。アドニスが『恵まれた脱走者』だったこと。
そのせいで、非常に悪印象を持たれている。
「まーた、いかにも小説に出てきそうな胸糞エピソードー」
「親のコネで脱走した人が、商人になれるものかしら……?」
「キロンさんの息子だから無罪っておかしいよ……」
話を聞いて、アリサもライザもドン引きしている。
ふたりの反応が普通であって、保守系先住民の感覚がおかしいのだ。
(おじいちゃんは村八分にあって奥さんも亡くなったのに、どうしてキロンさんは怒られないの……?)
逸話を聞いた時、リディアには不条理にしか思えなかった。
自分の子どもがミストの外に逃げた。
なのに、なぜジリアンとキロンでこうも差があるのか、と。
「そういえば、復興の最中。アドニスは一度もミストに顔出さなかったわよー」
「それ、みんなも言ってた。トロイアで暮らしてたなら、火事のこと知っていてもおかしくないのにって」
「何もしてないのに、大きな顔されたらたまったものじゃないわ」
アリサやライザの反応を見る限り。アドニスは移民からもいい印象を持たれないだろう。
いや、既に一部の層からものすごーく嫌われているけれど。
「しかし、リディアが困ってるってのに、エッジ様がちっとも役に立たないのがねー」
「また、そんなこと言って……」
「いいの。エッジには頼るつもりないから」
アリサのぼやきがまた飛び出し、リディアは口を尖らせた。
『防音結界』最大の強みは、何と言ってもエッジの話題をおおっぴらに出せることにある。
—— —— ——
ちょうど1年前。
リディアは、アリサとライザに自身最大の秘密を打ち明けた。
夜の関係から始まり、エッジに思いを告げずにお別れするつもりでいることも。
なぜか、エッジがセックス中はバロン国王の仮面をかぶること以外、全部話したと思う。
—— —— ——
アリサとライザは、リディアが現時点でエッジの元に走らないことをよくわかっている。
だから、告白しろ、エブラーナに押しかけろと言わない。
「エッジ様は十分役に立ってるでしょう。あの人がいるとアドニスは現れないもの」
「いやいや、お守りはねー。肌身離さず付けてなきゃ効果ないのよー?」
「お守り……?」
「ええ。エッジ様は『歩くお守り』よー?」
「……いつものことだけど、ひどい言いようね」
「本当のこと言って何が悪いのー?」
アリサがつまんなさそうに、つんと明後日の方向を向く。
リディアとライザは、困惑した表情で互いに顔を見合わせた。
(確かに『歩くお守り』は、言い得て妙かもしれないけど……)
エッジとアドニスが、直接顔を合わせたことは一度もない。
アドニスは、リディアとエッジが外を歩いていると、絶対にそばに近寄ってこない。
本能で敵わないと感じて、エッジに近寄れない。
それは、アリサのかねてからの推論であった。
「毎日ここに来いって言ってやりたいわー」
「無茶よ。あの人、ミストに来るだけで精一杯なんだから」
「それはわかってるけどー。普通の人ならよかっ」
「——普通の人なら、リディアは好きになっていないわ」
「えー?」
「そうでしょう?」
「うん。エブラーナが好きじゃないエッジはエッジじゃないもん」
ライザの言葉に、リディアは思いっきり首を縦に振った。
リディアがエッジに惹かれた理由のひとつに。
エッジがエブラーナの民を思い、国を背負っているからというのも入っている。
それがないと魅力半減。友人止まりで終わっていたかもしれない。
(こうまで違う反応すると思わなかったなあ)
アリサもライザも、リディアの意志を尊重してくれている。
しかし、口にすることは全く違う。
—— —— ——
もともとアリサは、エッジに対してきついことを言っていた。
それが、『防音結界』の中では更にひどくなる。
本気じゃないならミストに来るな。リディアを中途半端に期待させるな。
……エッジを責める物言いが多い。
本人に直談判してやる。そうほのめかすこともざらにある。
ところが、意外なことにライザはアリサと真逆だった。
エッジの悪いことは言わない。こうしてかばったりもする。
リディアの立場に立って、ものを言ってくれているようだ。
—— —— ——
アリサとライザが、真逆の反応を見せてくれる度に。
戸惑いながらも、人は千差万別なのだと改めて思う。
「今言ったこと、エッジに言っちゃだめだからね?」
「あんたもくどいわねー! あたしが言わないの知ってるくせにっ!」
「もう、かっかしすぎ。念のためだよ」
アリサがきっとにらんできたが、リディアはものともせずからから笑う。
(アリサは絶対言わないもん!)
アリサは、3人だけの小さな世界で本音を言えば、気が済んでおしまい。
騒音防止、本音を言いたい放題……。
誰よりも『防音結界』を有効活用しているのは、このアリサであった。
「悲しぃー。あたし、どれだけ信用されてない」
「——涙出てないわよ」
「演技下手っぴだもん」
「!?」
余計な一言を口にしたリディアに、アリサが黙っている訳もない。
「うるさいっ!」
どん!
「っ、うわっ!?」
横から強い衝撃を受けて、リディアの身体が大きくぐらつく。
しかし、ライザが支えてくれてなんとかすっ転ばずに済んだ。
どうせ、ライザが受け止める。
アリサはそれを見越して、リディアを目いっぱいどついてきたのだ。
「あんたにだけは言われたくなかったわー!」
「もうっ、何すんのよっ」
仕返しとばかりに、アリサの額を指でぴんと弾いてあげた。
「痛っ、たぁーい!! 馬鹿力ぁー!」
力の入っていないデコピンなのに、アリサが額を両手で押さえて大声を上げた。
「大げさだなぁ。アドニスと変わんないよ」
「っ、リディアはアドニスと大違いね……!」
ライザは妊婦を(それなりに)労わるリディアにくすくす笑っている。
騒がし屋のリディアとアリサがかち合ったら、ライザがなんとか収拾をつける。
これが、3人の基本スタイルである。
私事や生活環境に少し変化があっても、出会った頃から変わらない。
こうして3人で周囲を気にせず、更に好き勝手放題言い合える。
アドニスへの不満や、エッジがいない寂しさをこぼすことも出来るようになった。
(『防音結界』さまさま!)
この魔法を思い出したおかげで、ふたりに秘密を打ち明けてから、もうすぐ1年。
アリサと同様に、リディアもこの魔法のありがたみを感じる日々を送っていたのであった。
——翌々日 6の月22日
2連休の初日。リディアとジャンヌはダムシアンに向かった。
ミゼルから事前に指示された訪問順は、午前がダムシアン。
午後にファブール、最後がバロンであった。
場所的には変則だが、どこの国王さまも忙しいので仕方がない。
ダムシアン城を訪れると、ギルバートは相変わらず、秘書のハルを従えていた。
用件を済ませた後、国王さまと昼食を共にしてから、ダムシアンを離れた。
次に訪れたファブールでヤンと面会。こちらも滞りなく用件が片付いた。
残るは、バロン城のセシルひとりだけとなった。
§
「……リディアが利用されるのを恐れているんだな」
「あなたのことを案じてらっしゃるのね」
数分前、バロン城の執務室で、セシルにミゼル直筆の国王さま宛の書状を手渡した。
セシルがローザと共に、真剣な表情でそれに目を通してくれている。
「いつもリディアによくしていただいて、本当にありがとうございます」
「……国王陛下のありがたきお心遣い、痛み入ります」
「あの、そんなに固くならなくてもいいんですよ? リディアのように肩の力を抜いてください」
「……いえ、とんでもないことでございます」
ジャンヌが神妙な面持ちで頭を下げながら、セシルにご丁寧な返事をした。
ローザに声をかけられても、首を横に振って遠慮する。
(に、似合わない……っ!)
ジャンヌの隣に座るリディアは、笑いを噛み殺すのに必死である。
—— —— ——
ジャンヌがミゼルの名代として、時折各国のお城に足を運んでいたのは知っていた。
ところが、一緒にダムシアン城を訪れると、そこにいたのは猫かぶりのジャンヌだった。
そして、ダムシアン城を出るなり、彼女は開口一番こう言った。
『あぁ、疲れた……肩凝ってたまんないね』
リディアはけらけら笑いながら、ジャンヌの肩をもんであげたものだ。
—— —— ——
それ相応の振る舞いをしなければ、ミゼルやミストの面汚し。
ジャンヌはそう考えて、お城の中では猫をかぶっているようだ。
もちろんファブール城でも、ここバロン城でもミストでの面影は全くない。
がつん!
「ぅ、っ!?」
ジャンヌに足を蹴っ飛ばされてしまい、思わず息を詰めた。
「ん?」
「あら、どうしたの?」
「な、なんでもない……です……」
(足だけは、いつもといっしょなんだから!)
セシルとローザが不思議そうにしているが、素知らぬ振りを装った。
机の下での攻防戦を知られたら、ジャンヌから後で仕返しされる。
「——書状の準備を」
「はい、かしこまりました」
セシルが、部屋の隅で控えていた秘書と思われる男性に声をかけた。
男性は一礼してから執務室を出て行ったが、またすぐに戻ってきた。
今度は大きなトレイを手にしており、それを国王さまの目の前に置く。
すると、セシルがペンを取って、トレイに入っていた紋章入りの用紙に何か書き始めた。
(やった、認可状だ!!)
「……今度のお医者さんの評判はどうかな?」
「すごくいい人たちだよ。ねっ、おばちゃん?」
「……」
ものを書きながら雑談を始めた、セシルの何とも器用なこと。
リディアは感心しながら、隣に視線を向ける。
すると、ジャンヌが黙って二度うなずいて賛同の意を表した。
—— —— ——
火災で唯一の医師を亡くして以来、ミストは無医村状態が続いていた。
3年前から、セシルの計らいで若い医師が村に派遣されるようになった。
医師は、朝早くミストを訪れて、夕方になるとバロンに帰る。
そんな日々を過ごしていたが、そろそろ故郷で開業したいと、昨年国王さまに申し出た。
セシルはその申し出に応じて、ミストの派遣医を募集した。
国王夫妻直々の面接の結果。
ウリエルとアイリスという、共に医師資格を持つ老夫婦が採用された。
そして今年の春。若い医師の派遣医業務が終了。
医師はミゼルやリディアたち住民に見送られて、ミストから去っていった。
—— —— ——
新しい医師夫婦、ウリエルとアイリスはミストの定住医。
なおかつ移民という極めて異色な存在である。
診療所兼自宅として、カイポで医師の修行に励む、ローレルの空き自宅で暮らしている。
「それならよかった。移住を希望したのは、あの人たちが初めてなんだよ」
ミストに移住を希望したことが、国王と王妃のお目に叶った。
ウリエル夫婦が、初日の自己紹介でそう話していたが。
本当だったとわかり、リディアはすごく嬉しくなった。
「ウリエル先生、仲のいい人とよくここにお酒飲みにきてるよ」
「あら、奥様に丸投げはよくないわね」
「大丈夫だよ。あの先生、やる時はやるって評判だから」
(お酒ばっかり飲んでるから、奥さんに怒られてるけどね……)
セシルの言う通り、ウリエルはその界隈ではちょっとした有名人だと聞いている。
「それでね。ふたりともミストが終の住処だって言ってるの」
「早いなあ。まだ3ヶ月経ってないのに……」
「よほど、ミストのことが気に入ってるのね」
ウリエルとアイリスどちらも、ごく親しみやすい人柄だ。
ミゼルやリディアなど、改革派先住民や移民ととっても仲がいい。
そんな雑談を交わしていると、セシルがペンを机の上に置いた。
「これでどうかな?」
セシルから、書き立てほやほやの書状を手渡される。
リディアはジャンヌと一緒に内容に目を通した。
ミゼルのお願いを全面的に認める。ミストへの協力を惜しまない。
そんな内容が事細かく書かれている上に、国王さまの署名もしっかり入っている……!
「完璧! セシル、ありがとう!」
「申し分ございません。本当にありがとうございます」
「大事に残しておいて下さいって、村長さんに伝えてね」
「うん! おじちゃんすごく喜ぶよ!」
リディアは満面の笑みを浮かべて。ジャンヌは深々と頭を下げてセシルにお礼を述べた。
ギルバートもヤンも、すぐに認可状を書いてくれた。
国王さまは多忙。その日のうちに書いてもらえないだろう。
ミゼルからそう聞いていたが、全くそんなことはなかった。
「お仕事の話も終わったことですし……ねえ、セシル」
「ああ、そうだね」
ローザがセシルに、目配せと短い言葉で意思の疎通を図ると。
リディアたちに向かってにっこり微笑み、こう言った。
「よかったら夕食、一緒にどうかしら?」
「えっ?」
……ぴしりと身体を固まらせた音が、隣から聞こえたような気がした。
——午後7時半すぎ
この時間になると日が長い季節でも、さすがに外は真っ暗だ。
「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
乗務員から挨拶されて会釈しながら、ひとり巡回艇のタラップを降りる。
「……】」
ミストの地に降り立つと、すぐさま詠唱を唱える。
そして、ランタン代わりの灯球を頭上に浮かばせた。
ミストで乗り降りする客は、リディア以外誰もいない。
しかし、巡回艇は発航の時間がやってくるまでは、この場で待機する。
—— —— ——
リディアとジャンヌは、セシルやローザから晩餐に誘われた。
『お気持ちだけちょうだいいたします』
ジャンヌは丁寧に断りを入れると、ひとり認可状を持って先にミストへ帰った。
(さすがに、おばちゃんはここにずっといられないよ……)
セシルとローザと親しい訳ではないし、夕食まで猫をかぶり続けるのは苦痛だろう。
どのみち、ミゼルが腹を空かせて待っている。だから、早く帰らねばならない。
バロン城に残ったリディアは、晩餐の時間までローザと近況報告を兼ねて雑談に興じていた。
晩餐はローザに加えて、公務と修行を終えたセシルとセオドア。そしてシドも合流。
ゼロムスの戦いで知り合った仲間がバロン城を訪れたら。
シドが晩餐に加わるのは、もはやお約束となっている。
—— —— ——
「はぁ……【……」
無事に大役を終えた充実感と解放感。
加えて精神的疲労がどっと押し寄せてきて、息をついてから詠唱を唱える。
本日も、どこのお城も敷居が高くて落ち着かなかった。
お城特有の豪華絢爛な内装が、余計なのかもしれない。
エッジがいる安心感も大きいかもしれないけれど。
より質素を追求したエブラーナ城なら、ほとんど何も感じないのに。
(でも、たまにはこんな日もあっていいよね!)
「……】」
長い長い詠唱を終えたリディアの右手のひらから、頭一つ分ほどの球体が現れた。
分厚い氷の球体の中に炎を入れてあるが、灯球の炎より勢いが弱く小さい。
火が苦手なミゼルが見て触れるよう配慮した結果、こうなった。
「おばちゃん、呼んできてちょうだい」
手のひらの上で浮かぶ氷球に話しかけてから、上空に向かってそれを浮かばせる。
すると、氷の球がジャンヌの自宅がある方向へ、ぴゅいっと飛んでいった。
(また、おうちの前で待ち伏せしてるんだろうなあ。やだやだ……)
この春から、リディアはひとりで夜道を歩く時。灯球魔法と一緒に、この魔法も使っている。
なぜなら、アドニスは虎視眈々として、リディアがひとりになる隙を窺っているから。
—— —— ——
これは結界魔法と並び、年明けから春の間にアドニス対策用として作った魔法である。
氷球は、リディアが依頼した者——今の場合、ジャンヌの元に向かう。
おそらく今の時間、彼女は自宅にいるだろう。
氷の球は、自宅の玄関に何度かぶつかって音を立てるはず。
やがて、扉を開けるミゼルかジャンヌへ。その姿をもって、リディアが呼んでいると伝える。
ジャンヌが氷球に触れたら、それは動きを変えてつかず離れずの距離を保ちながら。
ジャンヌをリディアがいる場所まで誘導する。
なお、氷球は制限時間30分を過ぎるか、リディアが触ったら消える。
今からだと、リディアが自宅に着くのと同時にジャンヌと鉢合わせ。
もしくは、自宅に着いてからリディアの自宅へ駆けつけてくれるだろう。
—— —— ——
エンジン音が急にやかましくなった。発航時刻が訪れて、巡回艇が動き出すようだ。
もはや、当たり前の光景なので、いちいち振り返ることなく発着場を後にした。
—— —— ——
……巡回艇が停まっていた、その向こう側に。
見慣れた飛空艇が停まっていたことに、全く気が付かないまま。
—— —— ——
§
頭上に浮かぶ灯球と一緒に帰路を進み、集落の入口を抜ける。
程なくして、視界に自宅が入ってきた。
「うう……」
自宅そばの地面に置かれた、ランタンの小さな光を目にしてひどく顔を歪ませる。
予想通り、アドニスが自宅の前で待ち構えていた。
「おかえり、リディア」
「……」
「仕事にしては遅かったじゃないか。ずいぶん待ちくたびれたよ」
(今日は強行突破出来る!)
本日は運がいいことに、アドニスが玄関の前に立っていない。
通せんぼされないことに少し安堵するも、油断は大敵。
唇をきゅっと引き締めて警戒心を高める。
そして、一目散に玄関に向かい、扉のノブを触った。
「——最近あの国王、全然来ないな」
「……!」
アドニスが楽しそうに話したが何も答えず、扉のノブを力強く握りしめた。
(やっぱりのぞき見してるんだ……!)
エッジがここに来たのは、約10日前。前半の寄合の日が最後だったと思う。
アドニスは、エッジに近寄りもしない。
ここに張り付いていないと、そんなことわからないはずなのに。
「しかも、いつも日の入り前に帰ってさ。ガキかよ」
(やってることが、ストーカーじゃない!!)
張り付きは一度二度だけではない。
そんなことまでほのめかしてきて、背筋にぞわわと寒気が走る。
「毎晩、夜遊びで忙しいんだろうな」
「……おばちゃん、もうすぐ来るよ」
聞き捨てならないことを言われたが、ぐっとこらえた。
そして、アドニスを見ることもなく、彼の天敵である人物の名を出してやった。
—— —— ——
アドニスはトロイアに逃げる前。ミストの若い女性に手当たり次第、声をかけていた。
女性が、アドニスにまとわりつかれて嫌がっている。
ジャンヌはそんな場面に出くわす度に、アドニスを排除していたらしい。
—— —— ——
「ええっ!? マジかよ……」
天敵の名を耳にして、アドニスがうろたえる。その隙に、扉を開けた。
「さよならっ」
「あっ、待て……」
ばたん!!
さっと中に入って強く扉を閉めると、ぎゅうと唇を強く噛む。
(エッジのこと何にも知らないくせに……好き勝手言わないでよ!!)
アドニスに腹が立って仕方がない。
エッジは毎晩、夜遊びで忙しいから早く帰っている。
それなら、もうとっくの前からミストへ来ていない。
国や民のこと、自らの修行や未来を担う後進育成。
エッジはそれらを疎かにしてまで、女性に手を出すような人間でもない。
(同じ女好きでも、アドニスとは違うもん!!)
エッジは、『エブラーナのために忙しい』から、早く帰るのだ。
実際目にしたことはないが、リディアはそう信じている。
後はジャンヌがここに顔を出して帰った後。結界魔法を使えば、もう安心。
自宅を範囲にしたリディア特製の結界には誰も入れない。
しかも、一部を除く全ての男性が結界に侵入しようとしたら。
人が死なない程度の雷が発生する特別仕様になっている。
だからアドニスは近付いてこない。いや、近付くことが出来ない。
「おばちゃーん、早く来てよぉ……」
リディアはぐったりとした表情で、扉に寄りかかりながら。
じきに壊れそうなぐらい、強く扉を叩くであろうジャンヌを待ちわびるのであった。
——翌日 6の月23日
公民館の中にある、多目的室。
その正面中央の天井近くに掛けてある、時計の秒針がじりじり動く。
55、……58、59、0に差し掛かった瞬間。
「——はいっ。時間が来たので、今日はこれでおしまいにしまーす」
「はーい」
「ありがとうございました!」
「先生さよーならー」
午後4時で、黒魔法講座の講義は終了である。
リディアの挨拶と共に、生徒たちが立ち上がる。
小さな生徒たちが挨拶を残して、次々と多目的室から出ていく。
後ろに座っていた大きな生徒数名も、壇上のリディアに軽く手を挙げて部屋を出ていった。
—— —— ——
昨年の9月から、ミストに住む大人も黒魔法講座の参加が可能になった。
今は、のんびり成長タイプの者に加えて、他にも黒魔法を覚えたい者が通ってくれている。
約1年近く、大人の生徒へ指導をしてきたが。
魔法未習得でも素質がある者は、半年前後で習得が可能だった。
そして、ほとんどの者がファイアを覚えるやいなや、講座を辞めてしまった。
以前、ジャンヌが話していたことは当たっていたのだ。
—— —— ——
それでも5人ほどは、毎日ではなくても通ってくれているので申し分ない。
親友のライザもそのひとりだが、あいにく本日はお休みである。
「はい、どうぞ」
「ありがと。じゃ、始めよっか」
背の高いそばかすの黒髪女性が、ほうきを渡してくれた。
「ずるはだめですよ?」
「しないよぉー」
リディアお手製のちりとり魔法は、絶対使わないように。
女性に笑いながら忠告されて、こちらも笑ってお返ししてあげた。
ここは、仮にも公の場である。
手動でお掃除をするのが決まりだから、きちんと守る。
—— —— ——
昨年9月から講座の講師についた、この女性。
本名はエライアといい、本当は金髪で、顔にはそばかすがない。
エライアはミストを脱走して、現在バロンで暮らしている。
頭の固くて古い人たちに、逃げたあの女だとバレたくない。
そんな理由で、自ら名をユライシャと偽って、姿や言葉遣いを変えている。
—— —— ——
これからリディアはユライシャ、もといエライアと一緒に多目的室を手動でお掃除。
終わったら隣の準備室で記録を付けて、1日の業務は終了となる。
「リディアせんせー、しつもーんー」
「なあに、オリバ」
床を掃き始めた矢先。
多目的室に残っていたオリバと男の子ふたりが、リディアのそばに寄ってきた。
こうして講座終了後に、魔法や召喚術の質問をしてくる子どもはちらほらいる。
そのひとりでもあるオリバが、にいと意地悪く笑ってこんなことを言い出した。
「せんせーって、アドニスとエッジどっちが好きなの?」
「!!」
まさか子どもにまで、アドニスのことをつっつかれるとは。
持っていたほうきを、思わず手離してしまった。
かしゃん
大きな音を立てて床に落ちた木の棒が、せっかく集めたちりの小さな山にぶち当たる。
その場にちりがぶわっと浮き立ってしまった。
「ちょっと、あなたたち。リディア先生にそんな質問しちゃだめでしょう?」
エライアがほうきを拾い、リディアにそれを渡しながらオリバへやんわり注意した。
「うわぁ!」
「ユライシャ先生怖ええよ!」
「ヒスばばあだ!」
オリバがヒスばばあ、正式にはヒステリーばばあと揶揄した。
他のふたりも釣られてげらげら笑い出す。
(まだそんな年じゃないし、きいきい怒らないもん! エライアのどこがヒスばばあなの!?)
オリバと、彼と仲がいい子どもふたり。
この3人は、ミストで悪ガキトリオと呼ばれている。
エライアだけではなく、大人からの注意も何のその。
「ちょっとっ!! ユライシャに失礼で……えっ」
子どもたちに叱り飛ばそうとしたら、エライアがリディアを遮ってきた。
すると、とても悲しげな顔で少しうつむきながら、オリバたちにこう話した。
「そうですよね……あなたたちから見たら私なんてばばあですよね」
「え」
「……」
「うるさいこと言ってごめんなさい。今度から気を付けます」
(ええ!? どうして謝っちゃうの……!?)
最後にそう言いながら、健気に微笑んだエライアに、オリバたちが後ずさりしている。
「……お、おいっ、オリバ言い過ぎじゃね?」
「謝ったほうがいいんじゃない?」
他のふたりが言い出しっぺのオリバを肘でついて、謝罪を勧めた。
「ばーか!! 誰が謝るかっ!——おまえら、行くぞっ!」
オリバは号令をかけてから、背を翻して出口に向かって走り出した。
「せんせーさよーならー!」
「こらっ!! ユライシャ先生に謝ってから帰りなさいっ!」
「リディアせんせーもヒスばばあ!」
「!?」
リディアに言い返す隙も与えぬまま。
オリバたちがげらげら笑いながら、多目的室から出て行ってしまった。
(さ、さすがアリサの息子……!)
オリバの辛辣な捨て台詞に、しばらく開いた口が塞がらないでいた。
§
いつまでも口を開けっぱなしにしていたら、帰りたくても帰れない。
程なくして、リディアたちは掃除を再開させた。
邪魔者がいないので、さっささっさと手早くほうきでちりを集めていく。
「……いいなあ、ユライシャは」
無言でちりとり作業を続けていた最中。
リディアはちりとりの手を止めて、ほうきの先にあごを乗せながらぼそっとつぶやいた。
「あら、どこが?」
「だって……切り返し、上手だもん」
エライア(ユライシャ)は、既婚者で息子がいるからだろう。子どもの扱いに非常に慣れっこ。
一方、リディアはすぐ真に受けてしまい感情的になりがち。
あのまま子どもたちが逃げていなかったら、もっと怒鳴っていたと思う。
「『負けるが勝ち』、ですかね?」
「なにそれ?」
「言い負かすことが出来ても、『図星だから必死になってる』って、もっとばかにされちゃいそうです。それなら、自分から認めて勝ちを譲った方がいいと思って——」
周りに人がいる状況で悪口を言われたら。徹底して私が悪いアピールする。
そうすれば、先ほど男の子がオリバに勧めたように。
周りが味方についてくれて、犯人に謝罪を勧める人が現れるかもしれない。
だから、ばばあと自ら認めた方が、結果的に自分の勝ちへ繋がる……。
エライアが話してくれた対処法は、リディアにとって目からうろこものだった。
「すごぉい……! わたしもやってみるよ!」
「必要ありません。あなたにはあなたのよさがありますから」
「えー?」
「あなたは怒っても、その時だけ。翌日には忘れてるじゃないですか」
「それって、わたしも子どもたちと一緒ってことだよね!?」
「でも、8年近く先生やってるでしょう?」
「うん……」
「ミゼルから、これまで目立ったトラブルは一度もないと聞いています。自信持ってくださいな」
「……じゃあ、このままにしとく」
(へへ、嬉しいなあ)
長く講師を続けられているのは、人柄含めてリディアに指導者の適性があるから。
エライアがそう言いたげで、思わずにやけてしまう。
「けど、困ったわね。子どもたちまでアドニスって言い出しちゃって……」
エライアが本来の言葉遣いに戻して、ため息をついた。
「どうせ、アドニスが自分で言いふらしてるんだよ」
「あいつならやりかねないわね。全く……! ここに戻ってきた目的がみえみえなのよ……!!」
エライアもミスト出身。当然ながら、若き日のアドニスを知っている。
当時からアドニスは女好き。ミストの若い女性に取っ替え引っ替え声をかけていたという。
実際に、エライアもそんな経験があったと聞いている。
「そんなに純血っていいものなのかな……?」
「あの人たちには尊く見えるんでしょう」
「純血でも、欠点が目立ったり、性格が悪かったりしたら意味ないのにね」
「そうよ? 私から言わせてもらえば、あの人たちは偏った視点でしか物事を見れないばかな人たちよ」
「そうだよね」
旧態依然の保守系先住民とミゼルの対立も、もちろん彼女は知っている。
リディアに近付くアドニスと、その後ろでちらつく父親たちの狙いも、既にお見通し。
「あなたは、アドニスやあの人たちに負けちゃだめよ」
「……大丈夫。絶対負けないっ」
エライアは現在バロンの民として、ミストに出入りしているため、部外者の立場にある。
ミストをどうこう出来ないが、代わりにリディアをこうして力づけてくれる。
今のミストは過去と違う。自分のように逃げたらだめだ、と。
§
滞りなく掃除も終えて、リディアとエライアは隣の準備室という名の倉庫へ向かう。
「今度ユライシャのお家にも遊びに行ってもいい?」
「お城みたいに至れり尽くせり出来ないけど、それでもよかったらいくらでもいらっしゃいな」
「うんうん。そっちの方がいいもん」
「ふふっ、そういうところ。本当にエスタそっくりね……」
「へへっ」
エライアは、ジャンヌと旧知の間柄。もちろん、リディアの両親エスタとニクスのことも知っている。
夫婦揃って召喚士。もっと贅沢な暮らしが出来ただろうに、ふたりはずっと質素な暮らしを続けていた。
火事が起こる前のジャンヌは、夫より親友のことを優先してばっかりだった。
……など、ジャンヌから聞いたことがない、エスタにまつわる話もよく教えてくれる。
「今日は、あの人来ているのかしら……」
がらっ
そうつぶやきながら、エライアが準備室の扉を開けた。
ところが、中に入らずそのまま立ち止まっている。
「どうしたの?」
「噂をすれば何とやらですよ?」
「あっ」
苦笑するエライアの横から、リディアは室内を恐る恐るのぞいた。
季節柄、風通しをよくするため。少し開けていた窓が全開になっている。
その向こう側から窓に寄りかかっているのは、エッジと思われるらしき人物。
「よう。こっち来るの遅かったな」
「……どうも」
(さっきのやりとり、聞いてたかも……)
飄々とした声でのお出迎えと、エライアのくすくす笑い。
顔は見えずとも、それだけでエッジなのは確実である。
リディアはばつが悪そうに、小さな声で返事をしてあげた。
§
10分少々の事務作業を終えて、本日の業務はこれにて終了。
「また明日ね」
「あっ」
「どうぞ、ごゆっくり」
「うん、また明日……」
公民館の出口で、エライアがリディアへ軽く手を振った。
そして既にそこで待っていたエッジへ会釈してから、早足で帰っていった。
—— —— ——
いつもリディアは、エライアと一緒に帰っている。
ただエッジがミストに来ると、エライアはひとりで発着場へ向かう。
リディアとエッジのことを知らないはずなのに、気を利かせてくれているようだ。
—— —— ——
「お待たせ」
「っし、帰るか」
「うん」
エッジと合流すると、肩を並べて帰路につく。
「今日も晩ごはん、いらないの?」
「ああ。修行が待ってるからな」
「……そう」
条件反射とばかりに、リディアはうつむいてしまった。
—— —— ——
3の月、突然エッジが体調を崩して、急遽エブラーナに帰ってしまったことがあった。
エッジはそれ以来、夕食を食べずにエブラーナへ帰ってしまうようになった。
ただでさえ来る回数も減っているのに、2時間足らずの短い時間しかエッジと過ごせない。
どうもあの日から、お別れの日——終着点がぐっと近付いた気がしてならない。
—— —— ——
(花火の日までに、エッジが来なくなったらどうしよう……)
早く帰って行くのだから、渾身のビーフシチューもエッジに食べさせてあげられない。
今の季節、月明けの朝食にしようにも、前日作ったら翌朝には傷んでしまう。
確実に食べていただくには、花火の日の夕食しか無理だ。
「わっ」
「悪りぃな」
「……よっぽどの人だもん。他の人に面倒任せられないよね」
頭のてっぺんをぐしゃぐしゃっとかき混ぜられてしまい、手ぐしで乱れた髪を整える。
(暗い顔をしたつもり、なかったんだけどなあ)
これは、この春から始まった、エッジなりの謝罪。
自己都合で、夕食の機会を失くしたお詫びかもしれない。
リディアはそう思っている。
***
——4の月1日
前日——月終わりの夜。
セシルの仮面をかぶったエッジと、いつものようにヤることヤッた。
その翌朝、ふたりで食事をとっていたら。突然、エッジから話を切り出された。
「これから早く帰っちゃう?」
「ああ」
数年前、エブラーナ国内に将来有望な若者が現れて、お城に引き取られてきた。
当初は、手の空いたお城勤が若者の修行を見ていたという。
「そいつの成長が、まためちゃくちゃ速えんだ」
「エッジが……その人の面倒を見ることになったんだね」
「ああ。朝と夜、そいつをみっちりしごいてやろうと思ってな」
「夜の修行時間までに帰らなきゃいけないね」
「そういうこった。勝手で悪いんだが、オレがここ来ても晩メシは準備しなくていいから、さ」
「……うん、わかった」
エッジは国王さまであると同時に、頂点を極めた忍者の頭領さまでもある。
よほどの逸材なら、手塩に掛けて育てたくもなるだろう。
感情はさておき。エッジから聞かされた事情は、納得行くものであった。
***
エッジはその日以来、ミストに顔を出しても夕食の時間に帰るようになった。
よほど、修行と公務に忙しい日々を過ごしているのだろう。
ただ、月終わりの夜だけは修行を休んでいると思われる。
「いい加減、自分の修行ばっかしてらんねえしな」
「……そうだね」
エッジから後進指導の話題が出る度に、リディアはもやもやしてしまう。
エッジも今頃、セシルとその息子セオドアのように。
世継ぎ——子どもに修行をつけていたかもしれない。
今はそうでないけれど、いつかは誰かと結ばれて、実現して欲しい。
予期せぬ不幸に次々見舞われても、エッジは困難に立ち向かい続けている。
そんな彼には、幸せな一生を送って欲しい。リディアはそう望んでいる。
一方で、自身の存在がそれを阻んでいるとも思っていた。
—— —— ——
エッジのお妃候補の記事が載ってやしないか。新聞を読む度にひやひやしているなんて。
先のことや周りのこと。なーんにも考えずに、何気ない時間を過ごす日々が続けばいい。
恋情を持ち得ない頃から、今もずっと心の底でそう思っているだなんて。
エッジは気付いていないだろう。
—— —— ——
「エッジは先生デビュー、遅かったね」
エッジの幸せを願う純粋な思い。自分の身勝手な欲望。
……矛盾したふたつの思いを紛らすように、冗談交じりに偉ぶってみた。
「なんだぁ? 先輩ヅラすんのか?」
「わたしだけじゃないよ。みーんな何かしら先生やってるもん」
年齢はエッジの方が圧倒的に上だが、指導者経験だけならリディアの方が大先輩である。
—— —— ——
未だに山ごもりを続けるカイン。
指導を命じられても、すぐ投げ出すを繰り返しているパロム。
吟遊詩人志望者が全く現れず、誰も指導しようがないギルバート。
仲間うちで後進育成をしていないのは、その3人ぐらいだ。
—— —— ——
「……おまえ、先生何年やってんだっけ」
「8年だよ」
「へっ。ベテランならヒスばばあって言われてもしゃあねえなあ」
「!?」
「あいつらってほんと、怖いもん知らずだよなあ——」
今、絶対勝ち誇ったような顔をしている。
そう簡単に予想出来るぐらい、エッジがせせら笑ってきた。
—— —— ——
『金は、やっぱ国王のエッジだよね』
『顔は、どっちもどっちかなあ』
『でも、歳はアドニスの方が若いぞ? エッジ、もういい歳だろ?』
『村長といっしょじゃなかった?』
『うわ、おじさんじゃねーか!』
『せんせー、結婚してもすぐ未亡人になっちゃうね』
『そっちの方がいいだろ。その後好き勝手出来るぞ』
『せんせー、玉の輿と身近なお手軽婚。どっちがいいんだろうね』
『明日、授業中に聞いてみるか!』
—— —— ——
多目的室から逃げた後のオリバたちの会話を、エッジが再現してくれた。
本人たちの声を使い分けてくれたおかげで、より現実感あるものに感じてしまった。
「あの子たち……!!」
オリバたちがエッジとの仲を勘ぐり、リディアをからかってくることはよくある。
適当にあしらえるようになったので、それは別にいい。
問題は『どっちが好き?』と、エッジとアドニスを単純な比較だけで留まらず。
金、容姿、年齢……細かく比較して騒いでいたことだ。
「オレが圧勝に決まってんのに、どっかの野郎と両天秤に掛けやがってよ。ふてえ奴らだぜ」
(……若さ以外はね)
苦々しげな声から、エッジがアドニスとの対決結果を不服そうに聞こえた。
自身がおじさんと呼ばれていたと知って、ショックを受けたのだろう。
もちろんリディアの中でも、どうしても目に見える年齢以外はエッジの圧勝だ。
……アドニスなんか、比較対象にもならないけれど。
「指導が至らず、すみません」
「悪ガキは言うこと聞きゃしねえよ。ほっとけ」
「エッジもそうだったもんねえ」
「ああ。あいつらも、将来オレみてえな大物になる」
「あははっ! 自分でそれ言っちゃうんだぁ!」
エッジの自己肯定っぷりに、大声をあげて笑った。
名もなき元教育係の日記を読んで、幼少期の彼(一部)を知っている。
時々エッジが悪ガキの片鱗を見せるのが、リディアはとても大好きだった。
「つーかさ。アドニスって奴、そんなに顔いいのか」
「ギルバートに比べたら、ぜんぜん?」
「そんじゃ、オレの圧勝だな」
「……そうだね」
(自信満々だなあ)
エッジが得意げな声で勝ち誇る。自己評価の高さに、呆れながらも同意をしておいた。
—— —— ——
エッジは自身の方が、ギルバートより容姿が上だと思い込んでいる。
しかし、リディアが知る人の中で、最も容姿端麗だと思っているのは、ギルバートだ。
申し訳ないが、エッジは彼より少し劣ると思っていた。
—— —— ——
(エッジを好きになった最大の決め手は、人柄だもん!!)
そもそも、この3年の間。リディアはろくにエッジの顔を見ていない。
にもかかわらず、好きになった。だから、美醜や容姿は二の次である。
「たまに女の人を連れて帰ってくるらしいよ」
「それで、おまえにも近寄ってんのか」
「うん」
「最低だな」
「エッジは、人のこと言えないでしょ……」
「ははっ、そうだったな」
「それも問題だけど、アリサたちを中古とか平気で言ったり、いない人のように扱ったりするのが腹が立つの」
「主婦ばかにしてんのか」
「そうなの。みんなかんかんに怒ってる」
アドニスは、女性に対する基準がおかしい。
美醜や未既婚かで相手を判断して、態度を露骨に変える。
ミストに住む女性は、それを知っているので、ほぼ全員アドニスを相手にしていない。
だから、アドニスは仕方なくミストの外から女性を連れてくるのだろう。
「そりゃだめだな。人の風上にも置けねえや」
「女の人、ばかにしないでほしいよ」
「まあ、そのうちおまえも売れ残りって呼ばれちまうけどな」
「別に何言われてもいいもーん」
エッジ以外の男性と、どうこうなる気もない。独身を貫くと決めている。
そんなリディアにとって、子持ちの女性は尊敬すべき存在である。
売れ残りという表現はひどいが、別にそう言われてもいい。
とにかく、アドニスには自分の周りをうろちょろしないで欲しい。
「そいつも親父といっしょで移民アレルギーか」
「ゼロの人を上から目線でばかにするぐらいで、キロンさんほどじゃないから、アドニスと仲がいい移民の人もちょこっといるみたい」
アドニスと保守系先住民で明確に違う点が、行動力と愛想のよさであった。
彼はフットワークが軽く、移民とも積極的に交流を図る。
「ってことは、そいつら以外からは嫌われてるってこったな」
「女性を敵に回したからね。もうおしまいだよ」
エッジの言う通り、ミストで暮らす8割方の者がアドニスを嫌っていた。
「ゼロをばかにしてるってことは、黒魔法使えんのか」
「初級と状態異常だけ使えるんだって。それ以上は覚える気がないから講座に来ないの。全然ミストのお役にも立ってないし……」
「昼間働いてんのか」
「さあ……? 毎日じゃないけど、昼間もどこかに出掛けてるみたいだね」
「まともな仕事についてるようには思えねえなあ」
(本当にトロイアの商人に弟子入りしたのかな??)
夜は夜で、ここでほとんどやる人間がいなかった宴会を自宅で開くこともしばしば。
静かなミストを好むリディアやライザにとって、あまり気分のいいものではない。
おまけに、自宅に連れ込む女性の相手が違うという噂もある。
ミストのために身元を偽って、バロンから通ってくれているエライアと大違いだ。
「魔法でどうにかしてんだろ?」
「ひとりの時はね。あとはアリサやおばちゃんにお任せ」
「はっ、あいつらのストレス解消にはもってこいだな」
「そのうち諦めてくれるといいんだけどなあ……」
(あんなに苦労して魔法作っ……そうだ!)
エッジがミストにやってきたら、絶対報告しよう。
そう考えていたことを思い出した。
「——ねっ!」
「うぉっ」
「聞いて聞いて!」
エッジの濃紅色のマントを、両手でつかんでぐいぐい引っ張る。
嬉しさのあまり、ついつい力を込めてしまったせいで、エッジの身体がぐらついた。
「ばか野郎! 急に引っ張んなよっ!」
「黒魔法も、来年から巡回指導始めるって!」
「どこでそれ知った」
「おととい、ローザから聞いた!」
「ああ、そうだったな……」
もっと喜んでくれるかと思っていたのに。
エッジの薄い反応に、肩透かしを食らった気分になる。
「知ってたの?」
「ああ。こないだミシディアに行った時に、ミンウからな」
「なんだ……」
つまらなさそうな顔で、つかんでいたマントをぱっと離してしまった。
(エッジはいろんなところに行くから、知っててもおかしくないか……)
リディアは、一昨日バロン城を訪れた時にローザから聞いたばかり。
エッジはいつの間にかミシディアへ足を運び、そこで話を聞いたようだ。
「けど、よかったな。これで召喚術に集中出来るぞ?」
「パロムは派遣されないよね」
「無理だろ。手ぇつけられねえってミンウが頭抱えてたぜ」
「やっぱり、そうなんだ……」
「あれも薄利だが、一応客商売だ。評判ガタ落ちになったら講座そのものがなくなっちまう」
(同じ双子なのに、どうしてあんなに性格が違うんだろう?)
ポロムは白魔法の巡回指導の運営のお仕事と並行して、指導に出向くこともある。
一方、弟のパロムは極めて評判がよろしくない。
天才ゆえのプライドの高さが災いして、バロン黒魔道士団の指導もトラブル続き。
事情を知ったミンウが、たった1週間でミシディアに帰還を命じた。
一昨日ローザから、そんな話を教えてもらった。
「そういやオリバの奴。チョコボどうなんだ」
「まだまだだよ。喚んでもじゃれあっておしまい」
「くくっ、おもちゃか」
「気に入られてるから大丈夫だよ。嫌われて逃げられなかったらいいの」
召喚士のたまご第1号候補と名高いオリバは、今年の春にチョコボを喚べるようになった。
—— —— ——
ところが、チョコボは毎回、オリバと遊んだらそれで満足して帰ってしまう。
これでは、まだまだ召喚士のたまごとは呼べない。
しかし、チョコボに途中で逃げられたら契約は失敗。喚んでも二度と現れてくれない。
焦らず気長に絆を深めるよう、オリバへ言い聞かせている。
—— —— ——
「白魔法の指導は評判いいみたいだし、黒魔法も流行ればいいんだけどなあ」
「そういや、とうとう風呂。売り出すらしいな」
トロイアの企業がミストでの試験運用を経て。世界同時に家庭用の浴槽を販売を開始した。
各地の新聞にそんな記事が出たのは、1週間ぐらい前だったと思う。
「ユライシャもすごく楽しみにしてるの。月明けすぐ工事に来るって言ってたよ」
3年前の秋、トロイアのある企業のお誘いのおかげで。
ミストのほとんどの家庭では、世界に先駆けて家庭での入浴習慣が既に根付いている。
バロン在住のエライアは、ジャンヌから入浴の話を聞いたせいで。
記事が出たその日のうちに、企業に連絡して申し込みをしたぐらいだ。
「いいんじゃね? 今もよそにはバレてねえし」
「——やあやあ。リディアさん。おつかれぇー」
「おじちゃん……」
帰路の中間地点でもある広場に入ったリディアたち。
反対側、南方向から糸の切れた凧——ミゼルが近付いてきた。
この男は昼間も事務室を放置して、度々どこかへ出かけることが多い。
「よう、久しぶり」
「あれ珍しー。お姫さまの護衛ですかぁー?」
「たまにゃ仕事しねえとな」
「食いぶち減ったら、ナイトも困るもんね」
リディアを差し置いて、ミゼルがエッジと冗談の掛け合いを始めた。
「ちょっと! またお仕事さぼってどっか行ってたんだ!!」
「失礼なこと言わないでくれる?」
「え」
「ラルフくんちに新聞記者が来てたから立ち会ってたんだよ」
「ま、まさか……取材!?」
「一昨日、新聞読んだぞ。本の評判聞きにきたんだろ」
「そう! よくわかったね!」
ラルフは建築家。そして、アリサの夫かつオリバの父だ。
先月出版された、『異世界への誘い〜幻獣界を知っていますか?』の著者でもある。
—— —— ——
ラルフは普段、ダムシアンやカイポ周辺の建造物の設計のお仕事をしている。
復興直後に新しく建てられたミストの公民館や民家も、彼が設計した。
そのお仕事で出入りするうちに、ミストを気に入ってしまった。
アリサやオリバたちを連れて、ダムシアンから移住した、ミスト最古参の移民だ。
—— —— ——
「ミスト全面支援だから、売れてもらわないと困るんだよ」
「著者は幻獣界ゆかりの地の住民で、監修がリディアなら売れねえ訳がねえよ」
「雑誌にも寄稿して欲しいって頼まれてたよ」
「それじゃあ、偽物の人たちがもっと大人しくなるね!」
「新聞にそいつらの名が消えたら、おまえらの狙い通りだな」
数年前から、活字の世界に自称幻獣界専門家や異世界研究家たちが現れ始めた。
彼らは自ら勝手にそんな立場を名乗っており、一切ミストと関係がない。
ミストの住民は、彼らのことを『偽物』と呼んでいる。
***
——昨年の秋
この日の寄合で、ミゼルが鼻息荒くこんなことをぶちまけた。
「ミストから、本物の幻獣界専門家を輩出しようじゃありませんか!」
住民の中から、ひとり幻獣界専門家にふさわしい者を選び、書籍を出版する。
正しい情報を広めて、専門家を名乗る偽者を駆逐しようと考えたようだ。
—— —— ——
ミストは、自称幻獣界専門家や自称異世界研究家や発言や動向を注視していた。
ところが、彼らが打ち出す幻獣界や幻獣の話は8割方あることないことばかり。
幻獣界に行けば、ゼロの者も知性が増える。幻獣を制する者が地上を制す。
召喚士は、幻獣と心だけでなく身体も通わせる(セックスする)ことも可能。
……などと、憶測とも呼べないことを言い出す輩もいた。
—— —— ——
ミゼルは、よほど腹に据えかねていたのだろう。
住民からも、『好きに言わせておいていいのか』という声まで出てきていたから尚更だ。
「では、ぼくの独断と偏見により、ラルフくんに幻獣界専門家になってもらおうと思います!」
その場で、ミゼルから幻獣界専門家(仮)に選ばれたのが、ラルフであった。
復興当初、ミストでは移民向けに幻獣界の知識をレクチャーする時間を設けていた。
ここに住む者なら、少しやる気を出したら誰でも幻獣界専門家になれる。
そんな多数の住民の中から、なぜラルフが選ばれたのか。
リディアたちには、理由はよくわからない。
妻のアリサも「あの外見じゃ、人気出ないわよー?」と、首をかしげていたぐらいだ。
「僕を寄合に呼んだのは、これだったんですね……」
「そういうことです。という訳で、作家気分で本書いてみない?」
「……無理ですよ。僕は幻獣界のことにそこまで詳しくないですし」
当のラルフは事前に話がないまま。この日の寄合に呼ばれていた。
更に突然、幻獣界専門家(仮)に指名。
当然ながら、はじめは気乗りしていなかった。ところが……。
「大丈夫大丈夫。リディアさんが里帰りする時に、幻獣界で書物を借りてきてもらえばいい。原稿を書き上げた後に間違いがあってもリディアさんが修正してくれるよ」
「いやぁ……それでも」
「——世界中に自分の名前が入った本が出回るんだ。後世に名を残せるし、有名人になれる。きみがその気ならツテも作れる。本業につながるかもしれないよね」
「た、確かに人脈は欲しいです……!」
「あっ。本が売れたら、売上は全部きみのものだから」
「ええっ!? いいんですか??」
「よかったね。奥さんに褒められる機会、そうそうないでしょ?」
「じゃ、じゃあ……1冊だけなら……」
ミゼルの言葉巧みな勧誘に乗せられて、ラルフは幻獣界専門家を引き受けた。
冬に執筆を始めてから、この春に書き上げた。
そして、つい1ヶ月前に書籍が出版されたばかりだ。
***
原稿の修正や付け加えを手伝ったリディアも、監修として本に名前が入っている。
仮に著者だったら、目立ってしまうので匿名を希望していただろう。
けれど、監修はあくまでもサブ。よって、名前掲載を許可した。
「アリサもおうちにいたの?」
「いたけど、ラルフくんの邪魔して良妻賢母アピールしてたな」
「ふふっ、自分の取材じゃないんだから……!」
取材に立ち会うアリサの様子がまざまざと想像出来てしまい、くすくす笑う。
どうせ記者にぺらぺら自分たちの馴れ初めから始まって。
ギルバートへの愛を話し続けていたに違いない。
「旦那、よくあんな女と離婚しねえな」
「あ、それ絶対ないから」
「は??」
「そんなこと言う人、エッジぐらいだよ?」
「ラルフくん。昔はすごくスマートでイケメンだったらしいよ」
「マ、マジか……!?」
エッジは、アリサとラルフの人となりをよく知らないから仕方がない。
リディアもミゼルも誰も、そのふたりの仲睦まじい夫婦っぷりなんか見たことない。
しかしラルフはアリサにべた惚れ。離婚と浮気以外は、妻が何をしようが大抵許す。
だからふたりの離婚など、西から日が昇る並みにあり得ない。
ミストの住民は、そんな根拠のない確信を持っていた。
「結婚してから、あんなになっちゃったんだって」
「ああ、幸せ太りか」
「がんばって痩せたら、アリサももっと惚れ直すのになあ……」
「痩せる気ないでしょ。痩せてなくても4人目作ったんだから」
「設計と物書きの兼業じゃ、もっとデブっちまうな」
「あははっ! アリサかわいそー!」
ラルフは、意中の女性と結婚出来た喜びのあまり、デ……ふくよかな体型になってしまった。
それがアリサの伴侶に対する唯一の不満。たまに『詐欺婚』と自虐している。
「あっ、そうだ。リディアさんにいいお知らせがあるよ」
「なあに?」
「今日ジャンヌさんが、ごほうび買ってくるから楽しみにしててよ」
「ほんと!? やっ」
「——ざんねーん! ザッハトルテ独り占め出来なーい!」
「あぁっ……!」
ごほうびと聞くやいなや、リディアは顔をぱあっと輝かせたが。
すかさずミゼルから笑われて、がっくり肩を落とした。
(エッジがいるから、取り分が減っちゃう……)
なぜ、今日に限ってこうもいいことが重なってしまうのか。
「なんだよ。ザッハトルテって」
「そうだ。きみにも報告しなきゃね。ほらほら、リディアさん」
「えぇ、わたしが??」
ミゼルに肘で身体をつっつかれて、困惑を隠しきれない。
リディアは黒魔法講座の講師以外、ミゼルから村の仕事をほとんど頼まれたことがない。
そんな中、珍しくお仕事——国王さまへの書状のお届け——をやり遂げた。
エッジにそれを話してやれと、ミゼルは言いたいようだ。
「おじちゃんが説明すると思ってたのに……」
おしゃべりは好きだが、ミゼルほどわかりやすく説明する自信がない。
「大役果たしたんだ。エドワードくんに自慢してあげな」
「うう……」
(自慢するようなことじゃないけど)
ミゼルに根負けして、数日前の記憶を辿りながら、渋々説明してあげた。
—— —— ——
セシルとギルバートとヤンの元を訪れて、認可状をいただいた。
それによって、3ヶ国の国王さまに以下の事案が認められた。
当面の間。『薪要らずの魔法』は、ミストの独占かつ秘匿事項。
加えて、ミストの住民はそれを認識した上で、魔法を使っている、と。
更には、そのお三方が、禁を破った者の自己処罰の場に立ち会うことも正式に決まった。
—— —— ——
「なんだよ。オレだけハブられてんのか……」
「そりゃあね」
「エッジは第三者じゃないもん」
ふてくされたようにぼやくエッジに、リディアとミゼルがすかさず言った。
—— —— ——
バロン、ダムシアン、ファブール、エブラーナの4ヶ国は同盟関係を結んでいる。
4ヶ国の国王は時折会合を設けており、4人1セットで動くことが多い。
ただし、今回の件は、エブラーナ——エッジだけ除外されている。
なぜなら、国王さまは、『薪要らずの魔法』の存在も詠唱呪文も知っている。
秘密を固く守るが、何かあれば疑われる。ミストの住民と同じ立場にいるから。
—— —— ——
住民への説明でも、エッジが除外されたことを疑問視する者は誰もいなかった。
「1回のけ者にされただけじゃない」
「いやさ」
「——おじちゃんがセシルたち頼るの、これが初めてなんだよ?」
「何だと!?」
「ははっ……何かと気にかけてくれるし、なんとかやれてるから頼る機会がなくてさあ」
「そういや、セシルが医者をここに寄越してたな」
「そうなんだよね。まあ、ぼくがあの方々に頼るのは今回だけだよ」
「なんで」
「え? 何かあっても、きみがいるじゃん」
「おまえ、どんだけエブラーナ好きなんだよ……!?」
「そりゃあ、エブラーナに出向かなくて済むし。口約束で十分だし、タメ口も利ける。あとは、へこへこしなくていいしね」
満面の笑みで指折り数えながら、ミゼルがエブラーナを頼る理由を挙げていく。
エッジを信用できるから。ではなく、お手軽で気楽なものばかりだ。
「こんな頼みやすい国王さま、世界探しても」
「——ばかにすんなっ!!」
がつん!
「痛ぁっ!」
「あんま舐めてっと、てめえん家ぶっ壊すぞ!?」
エッジがミゼルの太腿を蹴っ飛ばしたが、怒ってここから離れる気配はない。
「ひゃー。怖い怖いー」
ミゼルは口では怯えながらも、表情は変わらない。
この男は、妻からの鉄槌という名の暴力に慣れている。こんなことでへこたれない。
(仲が悪そうに見えるけど、やっぱり仲良いよね……)
半分本気で半分冗談、男同士の掛け合いを微笑ましく眺める。
—— —— ——
ミゼルが、エッジを頼るのは他でもない。
リディアのことについては、この人が最も頼りになると思っているから。
エッジもそれに気付いている。だから、ミゼルのお願いを受容してくれていると思う。
—— —— ——
「まあ名案じゃね? 利用できるもんすりゃいいさ」
「やったぁ! エドワードくんに褒められ——ああっ!?」
エッジに褒められて、ミゼルが満足げな表情を見せたと思いきや。
はっと我に返ったかのように、大声を上げた。
「まずいっ! まだ用事残ってた!」
「こんなところで油売ってたらだめじゃない」
「気晴らしぐらいさせてちょーだいよ。——じゃっ、ごほうびたのしみにしててねっ」
リディアたちにささっと右手を振り、ミゼルが颯爽と去っていった。
それも、普段滅多に足を運ばない西区画へ。
§
ミゼルの姿を見送ってから。リディアたちも自宅がある南への抜け道に入る。
「落ち着きねえ奴だな」
「糸の切れた凧だもん」
「はははっ!」
言い得て妙とばかりに、エッジが腹を抱えて笑う。
対照的に、リディアは何とも言えない表情に変わった。
「おじちゃん。だんだんエッジとそっくりになってきちゃった……」
「どこがだよ!?」
「すごく賢いところ」
「お、今日はずる入れなかったな」
「エッジは最近ずるしないもん」
「したことねえのに、入れたらだめだろ」
「っ、……うそばっかり!!」
ずる賢さでこの身体を手に入れた男が、何を今更……!
悪びれもなく身の潔白を主張したエッジに、ぷっと吹き出してしまった。
「おじちゃんが、あんなに頭が回る人だって知らなかったなあ……」
(ただの優しいお兄さんだって思ってた)
ミストに帰郷する前。まさか、あのミゼルが村長についているとは思わなかった。
能ある鷹は爪を隠すとは、こういうことを言うのか。
特にローレルとの縁談話以降。ミゼルの切れ者ぶりは目を見張るものがある。
……決して、ミストから出ないけれど。
「……なんかもったいない」
「はぁ?」
「もし、おじちゃんがゼロじゃなかったら、お母さんやお父さんが生きている頃に、村長やってたかもしれない……」
肩を落としたリディアは、ぼそぼそと小さな声で本音をこぼす。
—— —— ——
ミゼルがもっと前から村長だったら、火災は防げたかもかもしれない。
例え火災が起こっても、被害は少なかったかもしれない。
……エスタも死なず、ミゼルもあんな傷を抱えずに済んだかもしれない。
—— —— ——
(過ぎた話を、今更振り返ってもしょうがないんだけど……)
ミゼルの切れ者ぶりを目の当たりにすると、ついついそう思ってしまうことがある。
「——ばぁーか」
「う、わっ」
エッジのおどけたような声が聞こえてきた。
そうしたら突然、肩にぐっと重みを感じた。
エッジがリディアの肩に肘を乗せてきて、思わず声を上げてしまった。
「たられば言ってどうすんだって」
「……わかってるよ」
「ならいい。ほうびに、いいこと教えてやる」
「なあに?」
「ゼロは知性がねえ分、他の才に恵まれる奴が多いんだよ」
—— —— ——
じいもゼロの者で、一部の術——火遁や水遁が使えない。
その代わり、エブラーナの内々の仕事を任せられるぐらいには、相当な切れ者。
シドもゼロで、黒魔法を一切使えない。それでも、飛空艇の発明までこぎつけた。
未だ改良を重ねて、機械づくりの第一人者として名を馳せている。
—— —— ——
このふたりを例に挙げたエッジの話は、すんなり納得が行くものであった。
こつんと頭をひと突きされてから、肩が急に軽くなる。
エッジがリディアのそばを離れて、先を歩き始めた。
風に揺れるエッジの濃紅色のマントを視界に入れながら、後を追う。
「じゃあ、アリサもラルフさんも……」
「旦那はまんまだろ」
「あっ、そうだね」
ラルフは建物の設計のお仕事をしているので、それを指しているのだろう。
「そんで、嫁は政治家向きだな」
「そうだね。口でアリサに勝てる人、ここにはいないもん」
アリサが弁舌に長けているのはよくわかる。
しかし、当の本人の頭はギルバートでいっぱい。
子どもも抱えているので、政治家にはならないだろう。
「まあ、向いてるったって、全っっ然生かされちゃねえけどよ」
「また怒るようなこと言っちゃうんだから……っ」
『全然』の部分だけ嫌味ったらしく強調したエッジに、思わず笑ってしまった。
エッジとアリサは、とても相性が悪い。
反発し合う程度だが、互いに敵意を持っている。
ある意味、相思相愛なので放置しているけれど。
「おじちゃんが賢いのは、ゼロのおかげかもしれないってことだね」
「あいつ、人徳もそこそこあんだろ」
「……」
人徳とは、大雑把にはいい人のことを指す。
(エッジの言う通りかもしれないなあ)
弱いひとや困ったひと、立場の弱いひと。
ミゼルは自分よりも他者優先、なおかつそんな人たちをほっとけない人だから。
「じゃあ、おじちゃんはそのおかげで助かったんだ……」
「おまえ知ってんのか?」
「こないだ、おばちゃんに教えてもらったの」
「あの見てくれじゃ、死んでてもおかしくねえ。ずっと気にはなってたな」
ミゼルは年がら年中長袖を着用し、黒眼鏡を掛けている。
まるで、火災なんかなかったかのように、傷を隠して明るく振舞っている。
(エッジもみんなといっしょなんだ)
だからこそ、どうやって助かったのだろう。そう不思議に思ってしまう。
これはミゼルの姿を見たら、誰もが一度は通る道のようなものだ。
「昔ね。おじちゃんやお父さんの手引きで……ミストからバロンに逃げた人たちが——」
リディアは、ぽつりぽつり途切れながらも言葉を続けた。
—— —— ——
火災当日。バロンの城下町では、既にミスト焼き討ちの話が広まっていた。
それを耳にしたバロン在住のある脱走者が、同胞を集めてミストに向かった。
彼らは生きる場として故郷を捨てただけ。望郷の念は残っていた。
脱走者たちは異国人を装い、夕暮れ時に焼け野原と化した故郷に着いた。
重傷者は、みな息絶えていた。……ミゼルを残して。
彼らにとって、ミゼル(とニクス)は脱走の手引きをしてくれた恩人。
みんなでミゼルを担ぎ、ミストのすぐ近く——バロン領土内の農村の診療所まで運んだ。
そのおかげで、ミゼルはなんとか命を取り止めることが出来た。
—— —— ——
「……今のミストは、奴の行いが報われた結果の現れだな」
「おじちゃんがゼロで生まれたから、こうなったのかもしれないね」
「そういうこった」
(ゼロじゃなかったら……)
キロンたち保守系先住民に、立ち向かわなかったかもしれない。
息子が駆け落ちして、村八分にされたジリアンの元に通わなかったかもしれない。
ミストを離れる者を助けていなかったかもしれない。
村長になりたいと思わず、平穏に暮らしていたかもしれない。
むしろ冷遇されるような弱い立場で生まれ育ったからこそ。
ミゼルはミストを変えたいと思い、行動を起こしたのだ。
過去があるから、今がある。
これはリディアやエッジに限らず、誰にも言えること。
「ま、ミストのかたつむりやってる間は、名村長の称号は与えられねえがな」
(……かたつむり)
ミストという名の殻に閉じこもる、兄代わりの存在。
アリサ並みに失礼な表現で、エッジがミゼルをせせら笑う。
リディアは思わず、「っ、あははっ!」お腹を抱えて笑った。
「おじちゃんに言いつけちゃお!」
「チクったら、あいつをうちに引き抜くぞ?」
「え!?」
エッジが引き抜き——優秀な人材をよそからスカウト——という物騒な言葉を口にした。
リディアや住民たちが平穏に暮らせているのは、ミゼルの存在あってのもの。
ミゼルが消えたら、ミストは終わりだ。
「じいの後任にちょうどいいや」
「ちょ、ちょっと待ってよ……?」
「ついでに嫁も呼び寄せて、家も準備すりゃ言うことなしだな」
おまけに、ジャンヌまで連れていくと言うではないか。
リディアの顔から血の気がさあーっと引いていく。
「だ、だめだよっ!!」
「だめも糞もあるかよ。有能な奴引き抜いて何が悪い」
「じいやさんまだまだやれるもん! 代わりいらないっ!」
風に揺れるエッジのマントを、リディアは両手でぐっとつかんだ。
濃紅色の布をぐいぐい引っ張って、大いに抵抗する。
それでも、エッジはなかなか諦める気配を見せない。
「いつ死ぬかわかんねえぞ」
「おじちゃんはミストから出たら死んじゃうの!」
「魚か!?」
「ミストのかたつむりっ!!」
リディアはつかんでいたマントを、ぶん!と投げ捨てるかのように離した。
(あっ、おばちゃんだ!)
気が付けば、林を抜けていた。
遠くに見える自宅の前に、荷物を抱えた人影が立っている。
……長話していたせいで、ジャンヌを待ち人来たらずにしていた。
「エッジには、ごほうび分けてあーげないっ!」
「おいっ!」
捨て台詞を残すと、自宅目がけて一目散に駆け出した。
もちろん、エッジがすぐ後を追ってくる。
「一口ぐらい、味見させろ!」
「いやだよ。代わりに角砂糖みっつあげる」
「なんだそれ!?」
(冗談に決まってるじゃない)
リディアを驚かせてきた、意趣返しをしてあげただけ。
エッジにも、ごほうびのザッハトルテを分けてあげるつもりでいる。
おすそ分けする量は知れているけれど。
「どうせ甘いしか言わないでしょ? ザッハトルテあげるのもったいないもん」
「おまえ……! 人のこと言えんのか!」
(6、ううん、8等……やっぱり、12等分かなあ)
背後にぴたりと張り付き、何かわめいているエッジに見えぬように。
リディアはぺろりと舌を出しながら、頭を悩ませ始めた。
ザッハトルテをどれくらい、エッジへおすそ分けしてあげるか。
—— —— ——
この時のリディアは何も知らない。
親友いわく、リディアの『歩くお守り』。
……エッジがミストにやってきたのが、この日で最後になるとは。
—— —— ——
.