※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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エッジ視点


女嫌いのバラード

 

 

——午後2時すぎ

 

 

 朝っぱらから、しとしと降っていた雨は昼すぎに止んだ。

 それでも、今も空一面をどんよりとしたねずみ色が覆っている。

 

 —— —— ——

 エブラーナは本日、星祭りの日である。

 この日は、星空を眺める風習がある。

 にもかかわらず、毎年長雨明けを引きずって曇りか雨ばかり。

 —— —— ——

 

 少し狭い荒れ地の空き区画に国有艇を降ろしてから、早数分が過ぎた。

 ここは大陸北部にある、シビエン家の領地内。

 本日午前中、シビエン家本宅のお屋敷で新当主の襲名式が行われた。

 

 じきに、新当主の婚礼の宴が開かれる予定になっている。

 それに出席するために、各所から大小問わず部族のお頭が集まると聞いている。

 周辺には、既に飛空艇がいくつか停まっている。

 

「行くか」

『……』

『打ち合わせ通り上手くやれよ」

 

 エッジは、国有艇の運転席兼防雨スペースの扉を開けながら。

 首をくいと回して、同伴者——ザンゲツに退出を促した。

 

『……』

 

 ところが、ザンゲツがなかなか出て行こうとしない

 

「おい、早く出てけよ」

『あのぉ、お館様……』

「なんだ」

 

 催促したら、ザンゲツがこちらの顔色を窺うように、おもむろに口を開いた。

 

『お館様が、影武者を立てるお気持ちはひじょーーに、よくわかるのです』

「シビエンだからな」

『しかしながら、せっかくの晴れの日でございますぞ?』

「……何が言いたい」

『そのですなあ。せめて……ご自身の口でタツミたちに……祝いの言葉をかけてあげた方が……ふたりも喜ぶと思われますが』

 

 エッジは不快感を隠せず、思いっきり顔をしかめてしまった。

 命令に従わない。それだけで苛立ちを覚えている訳ではない。

 

(こんなオレ、気持ち悪くて見てらんねえ……)

 現在ザンゲツは、『変化の術』を使ってエッジに変装している。

 自分と同じ姿と声で、情けない表情を見せながらへりくだって物を言う。

 エッジがこんな振る舞いを見せたことは、人生一度もない。

 ……演技力に難ありなのが、いらいらの主な原因であった。

 

 —— —— ——

 ザンゲツに自身の影武者をやらせるようになってから、15年ぐらい経つ。

 見てくれや声は、『変化の術』で完璧に再現出来る。

 ただし、内面に至っては未だ未熟。

 演技中に覇気のなさと低姿勢を、ちらほら垣間見せる。

 —— —— ——

 

 ザンゲツには、今日から当面の間。影武者として仕事をこなしてもらうつもりでいる。

 それなのに、毎度毎度この調子では先が思いやられる。

 

『あの、何かおっしゃってくださいませぬか……?』

「もう伝えてある」

『ははぁ、そうでした……えぇっ!? いつの間に!?』

「『隠れみの術』」

『ああっ! お待ちくだされ!』

 

 エッジは印を結び、さっさと姿を隠してやった。

 影武者の質問に丁寧に答えるほど、心は広くない。

 祝宴の時間も近い。ザンゲツは黙って仕事を全うしたらいいのだ。

 

『お、お館様! いずこへ……?』

 

 お館様の姿が消えて、ザンゲツが慌てふためいている。

 エッジはすぐさま、その背後に回って足を上げた。

 

『——早く行けよっ!』

 

どん!

 

『ひぃっ!?』

 

 尻叩きを実践して、ザンゲツを運転スペース外へ強制退場させた。

 同時に任務開始を、言葉ではなく身体を使って伝えてやった。

 

『……無策で乗り込むほど、ばかじゃねえんだよ』

 

 つぶやくようにそう吐き捨ててから、エッジも運転スペースを後にしたのであった。

 

(前準備なしに、シビエン行く訳ねえだろ!)

 1週間前に、ここ——シビエン家本宅の屋敷をこっそり訪れた。

 その時、元部下とその妻へ祝いの言葉を直々に伝えてある。

 

§

 

 シビエン家は、大陸最北端にあるエブラーナ最大の部族である。

 領地は、カルミネの西対岸にある、3つの細長い地形を含めた一画全て。

 ……最大の部族だけあって、めちゃくちゃ広い。

 

 シビエン家の領地には、城下町並みの繁華街や忍者修行施設がある。

 普通なら、両親や祖父母の指導で忍者の修行を積むが。

 シビエンで暮らす幼な子は、日々施設に通ってスキルを積む。

 おまけに、ルビカンテの襲撃による被害も一切なかったときた。

 シビエン家は、その気になればエブラーナから独立出来るぐらいの地力を持っている。

 

 そんなシビエン家から、先月エッジの元に祝宴の招待状が届いた。

 しかし、シビエン家と王家——ジェラルダイン家は、因縁めいた関係がある。

 エッジ自身、シビエンにいい思い出がまるでなく、はじめは出席を断るつもりでいた。

 

 しかし、本日の主役——新当主タツミは、昨年まではお城勤。

 新妻ソイも、この春まで武具開発部で働いてくれていた。

 ふたりには、復興の真っ只中から支えてくれた恩義がある。

 そういった事情から、一応出席することにした。

 ただし、ザンゲツを身代わりにして、当の本人は姿を隠して高みの見物の予定でいた。

 

 ところが、つい1週間前。

 タツミとソイに直接祝いの言葉を伝えるため、こっそりシビエン家本宅を訪れた。

 そこまではよかったが、タツミがこんな忠告をしてきた。

 

「僕の腹違いの妹が……8の月20日で18歳になり、成人の儀を迎えます」

「……おい、それって!?」

「その日以降、妹は父と後妻を伴って、エブラーナ城に突撃訪問。お館様に求婚を迫り続けるでしょう」

「なんだよ……! どっちかが根負けするまで、延々と続くアレがまた始まんのか……」

 

 続けて、タツミからこんな相談を持ちかけられた。

 

「父上の様子がおかしいのです。後妻が何か企んでいるかもしれません」

「どうおかしいんだよ」

「以前と人が変わったと申し上げたらよいでしょうか……お館様ご自身の目で確かめていただきたく、先日そちらに宴の招待状を送らせていただいたのです」

 

 その話を聞いて、エッジは急遽予定を変更。

 昨日ザンゲツへ、こんな命令を下した。

 

「祝宴の途中で抜けて、庭園に関係者全員おびき寄せろ」

「お、おびき寄せぇ!? どうやってですかぁ!?」

「『お館様』なら、ほっといても勝手に集まってくれる。ついでに、誘惑に負けない程度で適当に相手してやれ」

 

 ザンゲツを囮に使い、シビエン家の女性やタツミの父親、その後妻を全員集合させる。

 そして、彼らが一体どういう行動を取るか。

 エッジはタツミと一緒に確認調査することにした。

 

§

 

 午後3時。いよいよ祝宴が始まった。

 エッジはしばらく、広間の端っこで姿を隠したまま見学である。

 

『ほ、本日は良き日にぃ……』

 

 エッジの影武者——ザンゲツが、本日の主役に向けた祝辞を披露している。

 

(おい! みんな怪しんでるぞ!?)

 かちんこちんで祝辞を述べるお館様に、客人がくすくす笑っている。

 首をかしげる者もちらほらいる。

 事情を知る新郎新婦は、笑いを我慢しながらザンゲツに頭を下げていたけれど。

 

§

 

 その後、ザンゲツはしばらくの間、酒を飲むふりをしながら。

 他の部族のお頭と適当に雑談を交わしていた。

 本当に酒を飲んでいたら、後でぶっ飛ばすつもりでいる。

 

 次第に、みんな酒で浮ついてきて場が騒がしくなる。

 開始から1時間も経たずに、どこにでもありがちな宴会と化していた。

 

「おやぁ? お館様ぁ、どちらへ?」

『……風に当たってくる』

 

 隣席の者にそう言い残して、ザンゲツがひとり大広間を後にした。

 

(よし!)

 事前の打ち合わせ通り、ザンゲツが動いた。エッジも大広間から出ていく。

 シビエン家本宅内にある、けやきの間に入り、『隠れみの術』を解いた。

 

「お館様」

 

 程なくして、けやきの間に金髪の若い男が入ってきた。

 

「おう、来たか」

「大変お待たせいたしました」

 

 晴れの衣装——紋付羽織袴を身に着けたこの男こそ。本日シビエン家当主についたタツミである。

 彼の背後には、調査に参加する部下の男性ふたりも控えている。

 

「バレねえように入れ替わってきただろうな」

「もちろんです」

 

 タツミも事前打ち合わせ通り、影武者を立てて宴の席から抜けてきたのだ。

 

「ソイの奴。ぎりぎりまでごねてたろ」

「はい、それはもう。なんとか納得してもらえてよかったです」

「そっか。聞き分けいい嫁もらってよかったな」

 

 エッジは、お城勤以外の使用人の人となりをよく知らない。

 タツミの妻ソイも、『ツクヨミ』として、城内を見回りしている時に見かけたぐらい。

 彼女がどんな人間なのか知らなかったのだが……。

 

 ***

 

——1週間前。

 

 タツミとソイに直接祝いの言葉を贈るため、シビエン家を訪れてから。

 タツミと宴中の調査計画を練っていた時だった。

 

「えー? 私、調査に参加出来ないんですか??」

「ただ見てるだけだぞ?」

「だからじゃないですかっ!!」

「は?」

「泥沼家族関係をすぐ近くで観戦出来る、滅多にない機会なのに! 見れないなんてつらすぎます!!」

「お、お館様、申し訳ございません。ソイはとても好奇心旺盛でして……」

 

 シビエン家の家庭環境をウォッチするため、ソイがタツミと結婚したように見えた。

 後で聞いたら、ふたりとも『恋愛職場結婚です!』と否定したけれど。

 

「新郎新婦がどちらも抜けたらまずいよ。我慢して?」

「あなたには影武者がいるじゃない? だったら、私も影」

「——影武者ひとり仕立てあげるの、どんだけ時間かかると思ってんだ」

「とても宴には間に合わないよ」

「ええー?」

「お願いだから、今回は諦めて。ね?」

「ううう……!」

 

 結局エッジがシビエン家を去るまで、ソイはとても機嫌が悪かった。

 

 ***

 

(あいつにゃ、他の客をべろんべろんにしてもらわねえとな)

 ソイには他にやってもらうことがある。

 そのため、本日の調査員から外れてもらった。

 

「そんじゃ、ちゃちゃっと結界張ってくれ」

「はい。かしこまりました」

 

 範囲内にいる者の存在が感知不可能な結界を、タツミに張ってもらってから。

 男4人は庭園へ向かったのであった。

 

§

 

 庭園の一角にクチナシの樹々が生い茂り、白い花が甘い匂いを漂わせている。

 その側で、エッジと数人の男たちが調査を開始してから早10分。

 

 エッジの影武者を演じるザンゲツが、だだっ広い庭園内を。

 あっち行きこっち行き、さまよっている。

 嫌々仕事をやっているのがバレバレである。

 

『ちんたらちんたらしやがって……! オレらしく歩けねえのかっ!』

『お館様にお叱りを受けた後と変わりませんね』

 

 聞こえもせぬのに、エッジはザンゲツに向かって大声で怒鳴り散らした。

 その隣で、タツミも複雑そうな表情で元職場の大先輩を眺めている。

 

『っ、ふふ』

『ぷぷ……っ』

『君たち、笑ってはなりません。あの方は御伽衆ですよ?』

『だって……お館様のイメージ狂っちゃう、っ……』

『本当は、タツミさまも我慢してるんじゃないんですかー?』

『そんなことありません』

 

(『お館様』が、あんなんじゃ笑いたくもなるよな……)

 タツミから注意を受けた部下ふたりは、それでも笑いを止められないようだ。

 それでも、エッジからは注意はしなかった。

 

『ザンゲツさん。祝辞の時も全く元気がございませんでしたね』

『ここんとこずっとあんな調子でな』

『いや、その前からだと思いますが……』

『つーか、せっかく「御伽衆」に選んでやったってのにさぁ』

 

(昇給が少なかったのが不満なのか?)

 3人のお城勤を、今月からじいより権限も格も高い『御伽衆』に出世させてやった。

 他の『御伽衆』メンバー、イザヨイとゲッコウは泣いて喜んでいたのに。

 なぜか、ザンゲツだけテンションが異様に低い。

 

『……ザンゲツさんと代わりたいです』

『おまえがシビエンの奴じゃなかったら、そうしてたんだがな』

『……』

 

 タツミがシビエン家当主にならなかったら、ザンゲツの代わりで『御伽衆』に選んでいた。

 それを聞いてタツミが、無念とばかりに頭をうつむかせた。

 

 —— —— ——

 タツミは、遁術が使えない。

 しかし、その分を他でカバー出来るぐらいには、とても優秀なお城勤だった。

 

 ところが、父親から当主交代を一方的に通告された。

 その準備のために、昨年末で辞めざるを得なかった。

 

『いっ、嫌ですっ!! お館様とお別れしたくありませんっ!!』

 

 最後のおつとめ日は、朝からずっと泣きじゃくり。

 夕方になっても、なかなか城から出ていかない。

 仕方なく、お館様自ら発着場まで出向いてお別れしてあげた。

 そんな(元)使用人、後にも先にもこの男だけ。

 —— —— ——

 

『イザヨイもゲッコウさんも……うらやましい限りでございます』

『お城勤とあんま給与変わんねえよ。当主の方がよっぽど儲かるぞ』

『お金の問題ではございません。お館様直属の部』

『——現実逃避すんな』

『っ……』

 

 厳しい口調でタツミを遮った。

 元部下のことを考えてたしなめたが、一方で心の中で自らを嘲笑っていた。

 

(ずいぶん偉そうなことを言えたもんだな)

 この自分も、エミールに敷かれたレールの上を嫌々歩いているくせに。

 

『自分んとこが今おかしいから、余計そう思っちまうんだ』

『……軽率なことを申しました』

『「御伽衆」を持ち上げるつもりはねえよ』

『よいのですか……?』

『あいつらが、シビエンの当主出来ると思うか?——特にザンゲツの野郎』

 

 意地の悪い表情でタツミの肩を組んでやれば、彼は顔を上げて苦笑いを浮かべた。

 

『……厳しいですね』

『北を任せられるのはおまえしかいねえ。適材適所って奴だ』

 

 実際、エッジは悩んでいた時期があった。

 次期国王候補のひとりとして、『御伽衆』にタツミを入れるかどうかを。

 

 —— —— ——

 しかし、タツミは当時のシビエン家当主のひとり息子であり、後継者。

 城の外にも味方は必要。

 次期国王候補に据えるぐらいなら、シビエン家の当主でいてもらった方がいい。

 エッジは熟考の末、候補からタツミを外した。

 

 なお、タツミは攻撃系の忍術——遁術が一切使えない。

 アンバランスな能力の持ち主だったのも、候補から外した理由でもあった。

 —— —— ——

 

『今の方がよいかもしれませんね』

『それだ。おまえらはこのオレとタメ口利ける特権をゲットしたんだぞ?』

 

 エッジは使用人に対して、事務的な態度を取るようにしている。

 

 —— —— ——

 国の政に密に関わる者たちには、緊張感を与えないといけない。

 お館様がへらへらしているようでは舐められてしまう。

 

 ただし、それ以外の者に対しては以前と変わりない。

 タツミ夫妻はもう使用人ではない。だから、今はくだけた口調で話すし、素も見せる。

 —— —— ——

 

『僕は死んでもそんな口、利きません』

『おまえにゃ期待してねえよ。ソイのこと言ってんだ』

『それでも、素を垣間見ることが出来て嬉しく思います。ソイも喜んでおります』

『そうか。ならいいや』

 

 もっとも、タツミ相手でも完全に心を開く気はない。

 このエブラーナでは、エッジ以外の者は民——守るべき存在だから。

 

『……しかしながら、本当はシビエン家内々で済ませるべき問題ですのに。まさか、ご協力いただけるとは思っておりませんでした。ますます頭が上がりません』

『おまえの妹のこともある。オレもうかうか出来ねえからな』

『……そうですね』

『新婚旅行が終わったらさ。今後の対策練ろうぜ』

『はい。本当にありがとうございます』

 

 屋敷内で行われている祝宴は、現在飲めや歌えの大騒ぎだ。

 今頃ソイとタツミの影武者が、客人にこれでもかとお酒を注いでくれているだろう。

 この先、庭園で発生すると思われる、シビエン家の恥部を客人に見せる訳にはいかない。

 

§

 

『——お館様』

『お、来たか』

『ふたりこちらに』

 

 タツミに声をかけられ、エッジも意識を集中する。

 騒がしい気配がふたつ、ザンゲツ目がけてぐんぐん近付いてくるのを感じた。

 早速、獲物が餌に引っかかってくれた。

 

 —— —— ——

 タツミは、エブラーナで1、2を誇る感知能力に優れた忍者だ。

 聴覚はエッジ並み。嗅覚と気配察知はエッジを超える。

 一度会った他者の顔を覚えると同時に、その者の気配も覚えてしまう。

 気配だけは変えられない『変化の術』や、気配だけ隠せない『隠れみの術』も見破れる。

 —— —— ——

 

『あいつらも声かけるタイミング狙ってたからな』

『諦めの悪い方たちです……あっ』

 

 タツミが半ば呆れがちで、そうこぼしていた時だった。

 

「お館様ぁーっ!」

「きゃあっ! 素敵ぃー!!」

 

 女性ふたりが黄色い声を上げながら、ザンゲツの元に駆け寄ってきた。

 

「お久しぶりございまーす!!」

「お元気していましたか?」

『……ああ』

「本当は欠席しようと思ってたんですぅ。でもぉ、お館様が来るって聞いて取りやめたんですぅー」

「実家に戻ってきて正解ね」

「よかったわぁー」

 

 女どもは甲高い声でわめきたてながら、ザンゲツの手や身体をべったべた触っている。

 このふたりは、タツミの姉。本日付で前当主となった、イヌイの長女と次女でもある。

 

 —— —— ——

 長女はエッジと同じ歳で、現在はトロイアの貴族の妻。

 次女がエッジのひとつ下。数年前にダムシアンの豪商の元へと嫁いだ。

 ふたりとも既に子どもがいる。

 —— —— ——

 

 どちらも、本日は家族を残して、実家に帰ってきたらしい。

 ……お館様に会うために。

 

『相変わらずだな』

『……申し訳ございません』

『謝んなくていいぞ。「オレ」は何もされたこたねえから』

『ま、まさか以前もザンゲツさんが!?』

『当たり前だ。相手なんかしてられっか』

『ああぁ……良い酒を贈らねば……』

 

 身内の無礼が、ザンゲツにまで及んでいる。

 それを知ってしまい、タツミが申し訳なさそうに両手で顔を覆った。

 

 —— —— ——

 まだエッジが王子だった頃。この長女と次女に婚姻を迫られたことがある。

 

 ふたりとも必ず父親を伴い、頻繁にエブラーナ城にやってきた。

 その度にシビエン家の財力をアピールしながら、イヌイが娘を売り込む……。

 当時逆求婚を迫るエブラーナの女性は数多くいたが、一番厄介な相手だった。

 

 もっともこういった女性の相手や断り役を、ザンゲツに全て押し付けていたため。

 エッジ自身はダメージをさほど受けていないけれど。

 —— —— ——

 

(これだから、影武者がいねえとやってられねえんだよなぁ)

 現に本日の祝宴の間。長女も次女も弟とその新妻そっちのけで、ザンゲツばかり見ていたし。

 

「ねえ、今から近くの茶屋に行きません?」

「いいお店知っておりますよ」

『い、いや……』

「宴席でのお館様……大変お辛そうでしたもの。飲み直しにはちょうどいいと思います」

 

 誰のせいでザンゲツが辛そうな顔をしていたか。この女どもは、自覚がないようだ。

 

 ザンゲツは演技力だけ人並み以下だが、他の能力は高い。

 宴席中、この女どもを含めた複数人の女性から。

 舐めるような視線を向けられていたことに気付いていたはず。

 

「ここにいても仕方がないわ。さっさと行きましょ!」

『っ!? タ、タツミに声をかけてからでないと……』

 

 長女と次女が、ザンゲツの両側から腕をがっとつかんだ。

 

 雑談で時間つぶしすればいいだけではないか。

 なぜ、それが出来ないのか?

 エッジはザンゲツの立ち回りの下手さにいらっとする。

 

「何を今更ぁー。とんずらお得意なくせにぃー」

『……』

「タツミなんかほっといていいんですよ。しょせんお父様の傀儡ですから」

「そうそう、わざわざ声かける必要」

「——おまえたち、何をやっておるのだ!?」

「ひいっ!?」

「お、お父様ぁ!?」

 

 長女と次女が、ザンゲツの両脇を抱えて引きずろうとした。

 その時、白髪混じりの初老の男——イヌイが庭園に現れた。

 

「お館様が困っておるではないか。身体を離してあげなさい」

「くっ……!」

「とんだ邪魔が入ったわね」

 

 父親の命に渋々といった表情で、女どもはザンゲツから離れた。

 解放されるやいなや、よほど精神を消費したのか。

 ザンゲツがへなへなとその場にしゃがみこんでしまった。

 

『やはり、父上まで』

『だから!! そこで堂々と立ってろ!……そこ! 「オレ」を笑うんじゃねえっ!』

『す、すみません……くく、っ』

 

 影武者の態度にいらいらする背後で、タツミの部下のひとりが笑い始めた。

 注意したが、笑いが止まらないらしい。

 

『タツミさまぁー。言いたい放題されてますよ?』

『……いいのです。本当のことですから』

『まだ、全員集合じゃねえよな』

『あとは、あの女だけです。もうすぐここにやってきますが……』

 

 じきに問題の人物がやってくる。

 それを待たずして、女どもと父親がばっちばっち火花を散らし始めた。

 

「そもそも、おまえたちがなぜ招待されておるのだ」

「タツミから招待状が届いたからに決まってるでしょう?」

「あいつめ。余計なことしおって……!」

「何ですって!?」

「あたしたち身内よ?? 結婚式に招待されるのが当たり前」

「——残念だったわねぇ!」

 

 イヌイの背後から、赤い振袖を着た黒長髪の若い女がひょっこり顔を出した。

 

「お館様は、あなたたちのモノじゃないのぉー」

「リン!」

 

 リンと呼ばれた若い女もイヌイの娘。タツミと女どもの腹違いの妹に当たる。

 

「お館様と浮気してたって、旦那さんたちに言いつけちゃおっかなぁ?」

「……あんた何言ってんの?」

「茶屋に行くだけで浮気扱い?? 頭どうかしてるんじゃない!?」

 

 よほどリンは、自身の美貌と若さに自信があるのだろう。

 態度や言葉から姉たちへの尊敬や情が一切感じられない。

 

『みてくれは一人前だが……』

『超の超がついた箱入り娘でございます』

『忍者の修行も一切していないんですよー』

『イヌイ様が止めちゃったもん』

『一応姉だろ? よくあんな口叩けるな』

『……リンは姉と思っておりませんから』

 

 タツミが悲しそうな顔でそう答えて察してしまった。

 リンは姉や兄を敬うように育てられていないのだ。

 

「しょうがないよね。あんたたちも一応直系だから、ジェラル……お館様から死ぬまで逃れられないもん」

「ば、ばかじゃないの!? 全員そうだとは限らないでしょう!?」

「そうよ。招待状が届くまでお館様のこと、ずっと忘れて」

「——そこのふたりぃ!! 口を慎みなさいっ!!」

「あっ、お母様ぁ……!」

 

 突然庭園に現れた妖艶な女性が、わめく女どもに一喝した。

 それから、ゆっくりとした足取りで一家内輪もめの輪に近付いてくる。

 

『成り上がりさまだ……!』

『メイさま怖ーい。きらーい』

『さっき初めて見たが、見てくれだけはまあまあきれいだな』

『ええ。しかしながら、あの女はなかなか手強くて……』

 

 これが問題の女性、メイだ。

 彼女は、金の刺繍を施した黒い留袖を抜き襟にして、うなじを大きく開けている。

 長い黒髪を天辺でひとつにまとめ、金銀光るかんざしを4、5本ぶすぶす刺している。

 そんな姿でしゃなりしゃなり歩く様は、まるで遊女のように見えた。

 

 —— —— ——

 イヌイの見目麗しい後妻。

 エッジは今日初めて、そんな評判のメイを目にした。

 

 イヌイの最初の妻は、娘ふたりに次いでタツミを出産。間もなく病気で、この世を去っている。

 

 前妻の喪が明けてすぐ。イヌイはメイを妾として別宅に迎え入れた。

 程なくして、メイとの間にリンをもうけたことは、国内でも有名な話だ。

 

 エブラーナの復興が終わる頃。長女と次女がそれぞれ別の男の元へ嫁いだ。

 その直後、イヌイはリンを認知。

 そして、イヌイとメイは2年前に正式な夫婦となった。

 —— —— ——

 

 ……約20年越しで愛妾から本妻へ。

 タツミの部下が、メイを『成り上がりさま』と称したのも、仕方がない。

 

 次第に、濃厚な香水とクチナシの花が混ざったような得も言われぬ香りが周辺に漂う。

 それは口布を軽く飛び越え、エッジの鼻腔をくすぐってきた。

 

『うっ!!』

 

 あまりの匂いに耐え切れず、口布の上から鼻をつまんでしまった。

 

『なんなんだ! この臭っせえの……!』

『ばらを基本とした、びゃくだん、きゃら、じゃこう、じんこうを混ぜた香水でございます』

『おい、それ……!?』

『全て媚薬の原料です』

 

 エッジは背筋がぞっとした。

 タツミが口にした香料は、男をその気にさせる催淫効果があるものばかり。

 

『祝宴の最中、こんな匂い嗅いだことねえぞ?』

『席を離れてからつけてきたのでしょう。誰に向けて使っているのやら……』

『そりゃあ、イヌイさまでしょ』

 

(ひとりだけ遅れてここに来たのはそのせいか)

 客人たちが酔い始めた。いつでもイヌイといちゃいちゃ出来る。

 メイはそう思って、香水を振りまくってきたというのがタツミの推論らしい。

 

『メイさま。毎日、体身香も飲んでいるとの噂ですからねー』

『……花魁でも、そこまでやる奴そうそういねえぞ!?』

 

 なんと己の体臭を変える丸薬——体身香まで常飲しているとは。

 何から何までエッジの常識範疇を超えていて、頭がくらくらしそうになる。

 

 そうこうしているうちに、メイが花魁のような色気と香を撒き散らしながら。

 イヌイの隣に辿り着くと、長女と次女にこう冷たく言った。

 

「いずれエブラーナの王妃となるリンに、なんという無礼な口を聞くのです! 死に体のおまえたちに、つべこべ言われる資格はありません!」

「し、失礼なこと言わないでちょうだい!」

「あんた、わたしたちと歳変わんないでしょ!?」

「黙らっしゃい。負け組はとっとと広間に戻って、末席で大人しく座ってなさい」

「何が負け組よ! あんたは成り上が」

「——メイに無礼な口を利くな!!」

 

 血の繋がらない母親のメイから、ぼろかすに言われた長女と次女。

 メイに反発しようとしたが、イヌイから一喝されてしまった。

 

「お館様の心をつかめず、シビエンから出て行った者が妻を侮辱するなど断じて許さん!」

「家出じゃないわよ!」

「お館様関係ないでしょ?」

「ええい、黙れ黙れ!! おまえたちは金輪際、シビエン家の敷居をまたぐなっ! タツミに泣きついても出入りさせんからな!!」

 

(これで勘当っておかしいだろ!?)

 イヌイが長女と次女を指差して勘当を言い渡した。

 

『何を血迷ったことを!?』

『そこまで言う?』

『さすがにかわいそうですよー』

 

 いくらシビエン家の血を引いていようが、嫁いだら最後。

 長女と次女は、もうシビエン家とは縁のゆかりもない人間。

 そう言わんばかりのイヌイに、タツミや部下たちも驚きを隠せないでいる。

 

「うそ……」

「お父様……」

「きゃははっ! 縁切りされちゃってやんのぉー」

 

 リンもイヌイの援護とばかりに、手を叩いて姉たちをせせら笑っている。

 

『あれがイヌイの心変わりか』

『はい……』

『娘を邪険にするような奴じゃなかったろ』

『メイを後妻にしてから、リンとメイにますます一辺倒と聞いております。しかし……縁切りまで申し渡すとは……!!』

 

(完全に骨抜きにされちまって、情けねえな)

 エッジが知るイヌイは、前国王に心酔しながらも娘ばかの男だった。

 

 —— —— ——

 イヌイは、目に入れても痛くないぐらい、上の娘ふたりを溺愛していた。

 娘のためなら、例え火の中、水の中。エブラーナ城の中。

 

『どうか、我が娘をぜひ若様の王妃に……!』

 

 昔はエッジ(影武者)の前で、娘のために土下座までしていた。

 —— —— ——

 

 そんな男が、娘たちに手のひらを返す態度を取るとは。

 

「夫のおっしゃる通りよ。早う自宅にお帰り!」

「やだわぁ、お母様。甘っちょろいことおっしゃるのね?」

 

 父親に怒鳴られて、動揺している姉ふたりの真正面にリンが立ちはだかる。

 

「ふふっ……! それなら、リン。別れの挨拶をしてあげなさいな」

「ええ!」

 

 メイに促されて、リンが手の甲を見せると中指を立てる。

 そして、姉ふたりに向かってこうご挨拶した。

 

「——てめえらは、あたしが王妃になるとこ、黙って指くわえて見てりゃいいんだよっ!!」

「っ!?」

「……」

「さっさと嫁ぎ先に帰れクソババア! 二度と戻ってくんじゃねえぞっ!」

 

 リンが王妃候補宣言したのは、エッジの予想範囲内だ。

 何に驚いたかと言えば、男のような汚い言葉遣いに加えて。

 最大の侮蔑の意を表す、中指立てを見せたこと。

 

『ああ……』

『出たー』

『リン様の十八番ー』

 

 タツミたちは、リンの変貌癖を既に知っていたようで、驚いていない。

 だが、エッジは違う。

 

『オレでもあんなポーズ取ったこたねえぞ!?』

『リンの本性は、あれでございま』

『——シビエンの教育どうなってんだっ!?』

 

 リンの本性を初めて目の当たりにして、エッジはタツミにつかみかかった。

 

(完全に育成失敗してんじゃねえか!)

 ここまで性悪な女は初めて見た。ただ媚びるだけの姉たちの方がよっぽどマシだ。

 

『とっ、当家は一切教育しておりません! 母親譲りでございます!』

『あいつらがババアなら、オレはジジイじゃねえか!』

『ざ、残念ながら……そういうことになりますね』

『くそっ……!! 若えのなんか、ごまんといるってのに!』

『お館様もよくご存知のはずです。これがシビエン家直系女性の特徴でございます』

 

 リンはじき18歳、エッジは40手前。

 20近く歳が離れている男と結婚したいのか?

 シビエン家直系女性のジェラルダイン家に対する、並々ならぬ執着に言葉が出ない。

 

「ああ、ああ! わかりましたよ! 言う通りにしてやるわっ!」

「行きましょ、姉様!」

「こんな家、二度と戻ってくるものですか!」

「ごちゃごちゃ言ってないで、とっとと出てけよっ!!」

「うるさいっ! あんたとメイのせいで、シビエンはめちゃくちゃよ!」

「お父様も耄碌したわねっ! シビエンなんか潰れたらいいのよ!」

 

 長女と次女が、顔を真っ赤にしながら、一族の終焉を望む言葉を吐き捨てて。

 庭園の端にある通用口から、屋敷を出ていった。

 

「……う、ぅっ、お父様ぁ、お母様ぁ……!」

「おお、よしよし。かわいそうになあ」

「怖かったあぁー!」

 

 姉ふたりが消えて早々。リンがイヌイの胸にしがみついてぐずぐず泣き始めた。

 

(てめえの方が怖えわ!)

 エッジは、リンが嘘泣きしているとすぐ気付いた。

 なぜならリンの目からは、涙が一滴も流れていなかった。

 頭を撫でてくるイヌイに見えないように、舌を出したのも、しかとこの目で見た。

 媚びを売りに売りまくる手法で、母娘共々イヌイに気に入られているようだ。

 

「リンにあんな口を叩くとは、なんてひどい方たち……」

「罰当たりなことまで言いおってからに。なぜ、タツミはあの者たちを招待したのか……!」

「もういいではありませんか。気に掛ける時間がもったいないです」

「そうだな。——リン、ちょっと」

「なあに? お父様」

 

 イヌイがリンに向かって指をくいくいを曲げた。

 顔を近づけるよう促すと、とんでもないことを耳打ちした。

 

「お館様をつばきの間に連れていきなさい。既に根回しは済んでおる」

「もしかして、それ……?」

「本日契りを交わせば、秋に懐妊も判明しているでしょう」

 

 両親公認の下でリンが、既成事実——妊娠を盾にエッジと婚姻する気でいる。

 この3人なら、身体の関係を持っただけで婚姻を迫ってくるだろう。

 

『何だと!?』

『いつの間にそんなことを企てて……!?』

 

 親娘3人のひそひそ話に、聡い耳を持つエッジとタツミは驚愕した。

 

 

 タツミの部下と、遠巻きから親娘を眺めているザンゲツは無反応。

 彼らはエッジたちほど聴覚が優れておらず、おそらく会話は聞こえていない。

 

「あの方は、既成概念に囚われないとの噂。王族初の既成事実婚も難なく受け入れてくれますよ」

「せいぜい子作りに励むのだぞ?」

「さっすが、お父様お母様。いいこと考えるわぁー! 朝まで寝ずで頑張りまーす」

「リンが王妃になれば、シビエン家には怖いものはもうありません。ねえ、あなた?」

「ああ。エブラーナの未来もこれで安泰だな……!」

 

(逆だ、逆!! 滅亡するわ!)

 イヌイがうっとりしたような表情でそう話した。

 耄碌にも程がある。その頭をぶん殴りたい衝動に駆られる。

 

 メイの言う通り、エッジは既成概念に囚われない自覚はある。

 しかし、それをほいほいぶっ壊している訳ではない。

 第三者からの圧力によって、既成概念を覆す気も全くない。

 

『娘に便乗して王家の外戚入りたぁ、ずいぶんな野心家じゃねえか』

『メイなら考えてもおかしくございません。なぜ、父上もあんな女に……』

 

 王妃の実家——外戚の者が、王家に干渉した話は過去に例がない。

 しかし、メイは、相当型破りな女に見える。

 王妃の母を大義名分に、城に頻繁に出入りして国政に物言いしてくるだろう。

 

「お館様。気分の悪うものをお見せして申し訳ございません」

 

 イヌイがザンゲツに近付き、頭を深々と下げた。

 

『いや……』

「お詫びと言っては何ですが。ここからは娘がお相手をさせていただきます」

『なにぃ!?』

 

 お相手と聞いて察したのか。

 ザンゲツが表情を強張らせると、背を翻して屋敷内へ戻ろうする。

 

『オ、オレも中に』

「——お館様行っちゃだめぇ!」

『っ!?』

 

 リンがザンゲツの背後に回って、身体にしがみついた。

 

「あんな騒がしいところ、戻る必要ありません。私と一緒にいた方が楽しいです!」

「今夜は、ご宿泊していただいて構いませんからな」

『い、いや、それは……!』

「まあ、そうご遠慮なさらずに! たまには、エブラーナ城以外で一夜を明かされてもいいではありませんか!」

「戻りましょう、あなた。そろそろ客人の相手もせねばなりません」

「タツミたちがじきに出発するからな。——まま、それではどうぞごゆっくり」

 

 イヌイとメイが身体を寄せあいながら、屋敷内へと戻っていった。

 残されたリンは、ザンゲツの身体から一瞬離れて真正面に向かい合う。

 

『ちょっと待……!』

「ねえ、お館様ぁ?」

『!?』

 

 リンが甘ったるい声で、ザンゲツの両頬に両手をそれぞれ添えた。

 ここまで積極的とは思っていなかったのだろう。

 ザンゲツの顔色がみるみるうちに青くなっていく。

 

「私、お館様のこと……ずーっと前から、お慕い申し上げておりましたの」

『オッ、オレはおまえのこと何も知らねえっ!』

「初対面ですものね。でも、これからじーーっくりお互い知っていけばいいのですよ」

 

 ザンゲツが、リンの誘惑に必死で抵抗している。

 

『……やっと、仕事する気になったか』

『奥様のことを思えば必死にもなられますよ』

『メイさまの娘だ。色仕掛け得意そう』

『イヌイさまも、ああやって堕ちたんでしょうね』

 

 ザンゲツは愛妻家。妻を裏切る訳にいかない。

 他の女とまぐわってしまったら、仕事も何も手がつけられないほど落ち込むだろう。

 

「お館様がリディア様のことをお好きなのはわかっています。でも、私全然気になりませんから!』

『……なぜ、そう思うんだ』

「え? 私の方がリディア様より若くて魅力的だからですよ」

『……』

「余裕で勝てますわよ?」

 

(無敵かよ!!)

 このリンも、リディアが毛嫌いしているアドニスと一緒だ。

 諦めが悪くしつこい者は、往々にして自己評価が無駄に高い。

 おまけに、何を言っても楽観的に捉えてちっとも動じない。

 

『自信満々だなあ』

『蝶よ花よで育てられたんじゃ、勘違いするよ』

『お館様』

『……なんだ』

『ご覧の通り、リンも姉ふたりと同じ道を歩むつもりでおります。来月からお覚悟を』

『……姉貴以上の強者だな』

『前国王亡き今。父上を制する者は、この世に誰もおりません。影武者だけでは厳しいでしょう』

 

 —— —— ——

 王子時代に腐るほどあった逆求婚。

 エッジが国王に即位してからは、国の復興でそれどころではなく沈静化した。

 リディアへの片思いが、知らない間にエブラーナ全土に知られていたのもある。

 

『お館様が、召喚士リディア様に思いを寄せているらしい』

『人生初の一目惚れ!』

 

 それを知って、負け確の勝負に出る者はなかなかいない。

 ……空気を読まないのは、シビエン家だけだ。

 —— —— ——

 

 約10年ぶりの自称お妃候補は、相当面倒な相手になる。

 それが目に見えて、エッジは頭を抱えたくなった。

 

「片恋じゃリディア様に手も出せないでしょう? お館様もいい加減溜まってるんじゃありませんか?」

『よっ、余計なお世』

「——ですから、私が朝までお相手いたしますっ!」

『何だと!?』

 

 自分はこの女に襲われて、骨抜きにされる。

 ようやく、ザンゲツがリンたちの狙いを完全に察したらしい。

 

「私がリディア様のこと。ぜーんぶ忘れさせてあげます!」

『い、いらん、いらんっ! しなくてい……っ!?』

 

 ザンゲツが慌てて、リンの身体を必死で引き剝がしにかかる。

 しかし、リンは忍者の修行をしていないのに、離れそうにない。

 

「強がらないでいいんですよ?」

『は、離せ……!』

「ね? お館様、私を抱いて? 私のこと……まず身体から知って?」

 

 リンが強引にザンゲツの胸へ顔を押し付けて、うっとりとつぶやく。

 何か仕掛けていたのだろう。メイが撒き散らしていた同じ匂いが、再び周辺に漂い始めた。

 

 ザンゲツは長年の現場回りのおかげで、媚薬類に耐性があるので効かない。

 それでも、リンの色仕掛けにもう耐えられないのか。

 天を見上げて、首をぶんぶん横に振りはじめた。

 

『ギブアップのようです』

『終わらせてやるか』

『では、「影縛り』

『——待て』

『えっ?』

 

 印を結ぼうとしたタツミを止めてから、懐に手を入れた。

 中を漁って、目当てのもの——ガラスの中空管をぐっとつかむ。

 

『口も封じねえとな……っ!』

 

 ザンゲツとリンに向かってガラス管を投げつけた。

 管がぱりーんと砕け散り、中に入っていた銀色の砂が舞い上がった瞬間。

 ザンゲツとリンは、同時にばたばたっと地面に倒れた。

 ……そのままの姿勢で、目を開けたまま。

 

§

 

『——ザンゲツ様はかつらの間へ。リンはひいらぎの間。口を塞ぎ「影縛りの術」も掛けておきなさい』

『はーい』

『では、お館様。失礼いたします』

『これから頑張ってくださいねー』

『はいよ。お疲れ』

 

 部下ふたりが指示を受けると、タツミによって結界の外へ瞬時に追い出された。

 すぐにリンとザンゲツの元に近付き、ふたりを軽々抱えて、庭園から姿を消した。

 

 彼らを見送ってから、タツミがこちらを向いて頭を深々と下げる。

 

『銀の砂時計をお使いになるとは……お館様の早急かつ的確なご判断には感服せざるを得ません』

 

 『影縛りの術』は、麻痺状態に出来ても口を塞げない。

 リンのあの様を見ていたら、ぎゃあぎゃあ騒ぐに違いない。

 ならば、ストップ状態が1時間続く、銀の砂時計を使った方がいいと判断した。

 ストップ状態は時間経過か、白魔法デスペルを使わないと解除出来ないから。

 

『褒めても何も出ねえぞ』

『そっ、そんなものは……不要でござい……ます、っ……!』

 

 タツミが双眸を潤わせ、顔をくしゃりと歪ませた。

 

(くるぞくるぞ……!)

 タツミのこの表情。エッジは彼のお城勤時代に散々目にしている。

 部下たちの前では必死で我慢していたのだろう。

 

『——うっ、うちの者が無礼を働き、本当に申し訳ございませんっ!!』

 

 タツミがその場に座り、両手をついて深々とエッジに頭を下げた。

 

「おい……」

『う、っ……うわあああっ!』

 

(こんな日までこれかよ)

 予想通り、土下座号泣謝罪をされてしまった。

 リンと違い、この男は本気で嗚咽をもらしている。

 

 エッジではなく影武者が実害を被ったのに、この調子だ。

 もし影武者を立てず、本物が餌食になっていたら。

 この男は、今頃どうしていたのだろう?

 やれやれとばかりに、エッジもタツミの前で片膝をついた。

 

『タツミ、頭上げろ』

『いいえ、出来ま』

『——オレの命令聞けねえのかっ!!』

 

 命令と強く言えば、タツミはさながら忠犬のようにエッジの言うことに従う。

 

『……っ』

 

 タツミがおもむろに頭を上げたが、表情は弱々しい。

 目が真っ赤に腫れて、また泣き出してもおかしくない。

 

『な、情けない限りでございます……相変わらず、当家の女性は血に逆らえません……』

『人のこと言えんのか? おまえもオレの犬だろ』

『はい……その通りでございます』

 

 タツミが自らお館様の犬とあっさり認めた。

 それから、手の甲でごしごし涙をぬぐう姿を見て苦笑する。

 

 この男も、イザヨイに負けず劣らずのお館様至上主義者である。

 エッジが『命令だ、死ね』と言えば、すぐに自刃するだろう。

 なぜ、タツミがそうなったのかはしっかり理由がある。

 ……この男は、シビエン家直系の人間だからだ。

 

 —— —— ——

 エブラーナ大陸には、過去に多数の部族が存在していた。

 今日まで血筋が続く部族はいくつかある。

 中でも、シビエン家と王家——ジェラルダイン家は有名な部族であった。

 

 昔からシビエン家の血を引く者は、全員ジェラルダイン家に対して親近感を抱く。

 シビエン家は、実質ジェラルダイン家の下僕(犬)状態だ。

 一方、ジェラルダイン家の者はと言えば。

 今も昔もシビエン家の人間に対して、よくて人並みに好意的感情を持つに留まる程度。

 

 やや歪な関係だが、古来よりジェラルダインとシビエンは友好関係を築いていた。

 ところが、エブラーナが建国されてから。

 シビエン家の直系に生まれてきた者は、傍系の者に比べて。

 ジェラルダイン家への下僕度がよりひどくなった。

 

§

 

 大陸統一前。当時シビエン家は女性が当主をつとめていた。

 女当主は、当時のジェラルダイン家の当主——後の初代国王に思いを寄せていた。

 残念ながら、あっけなくフラレた。

 その後、女当主は一族の将来を考えて傍系の男性と結婚して子をもうけた。

 しかし、生を終えるまで初代国王に未練たらたらだったと言われている。

 

 それ以降、女当主の血を引いたシビエン家直系者の下僕度が更にアップした。

 しかもその特徴は性別によって違う。

 

§

 

 直系の男は、ジェラルダイン家の誰かひとりに対して強い敬慕を抱く。

 その者に、終生忠誠を誓って部下になりたがる。

 

 タツミの敬慕対象は、もちろんエッジである。

 タツミの父イヌイは、前国王——エッジの父親。

 イヌイも息子と同じように、当主につくまでお城勤として働いていた。

 

 男はまだいい。問題は直系の女だ。

 こちらはジェラルダイン家の男ひとりに、必ず恋慕を抱く。

 その男以外に、注意関心が向かないぐらいの深ーいレベルで。

 

 直系の女は成人すると、必ず相手に求婚や交際を申し込む。

 相手に恋人や嫁がいようがお構いなしだ。

 フラれても、相手の男を死ぬまで思いを寄せ続ける者が多い。

 過去に、独身のまま生を終えた女も何人かいたと聞く。

 

 前当主イヌイの3人の娘の愛慕対象は、全員エッジである。

 現在、ジェラルダインの人間はエッジしかいないから、嫌でもそうなる。

 

 過去にジェラルダインの人間が、シビエン家の女性と婚姻を結ぶどころか。お付き合いした例はない。

 ご多分に漏れず、エッジもシビエンの女に何の感情も沸かなかった。

 しかし、シビエン家はそうもいかない。

 長女と次女の求婚攻撃は、どちらもまあしつこかった。

 イヌイを同伴して、半年ぐらいお城に通い続けていた。

 

『息子が嫌と言っておる。諦めろ』

 

 前国王が見るに見かねて、自身の犬——イヌイに命令してくれた。

 そのおかげで、なんとか結婚を免れたようなものであった。

 —— —— ——

 

(オレや王家を支えてくれるのはありがてえけどよ……)

 エッジはシビエン家に対して、あまりいい思いを持てない。

 シビエンに生まれたから。

 そんな理由でエッジに惚れた、イヌイの娘たちが全部悪い。

 

『メイを徹底的に洗うか。ありゃ、相当性質悪りぃ部族の血ぃ引いてるぜ』

『……お館様』

『あいつらとっちめてやったら、姉貴どもも帰ってこれるだろ? シビエンもまともになるだろ』

『ぜひ協力させてください。お館様もリンとの婚姻を回避出来るでしょう。利害一致でございます』

『そうだな。頼むぜ』

 

 ジェラルダイン家は、エッジの代で終わる。

 将来シビエン家の者たちも、血に振り回されなくなる。

 このことはさすがに、タツミには話していない。話すつもりもないけれど。

 

『お帰りになられますか?』

『ああ。用が済んだからな』

『ならば、出口までお見送りいたします』

 

 互いに立ち上がってから、タツミが右手である方向を指し示した。

 その先には、姉ふたりが出て行った通用口がある。

 

『ザンゲツどうすんだよ。リンはいいが、イヌイとメイに気付かれたら終わりだぞ』

『この後、僕たちが「お館様」は体調不良と偽って、責任をもってザンゲツさんの自宅にお送りいたします』

 

 祝宴は終わるのは夜遅く。しかし、タツミとソイは日が沈む前に新婚旅行へ出発するという。

 

(ハネムーンねえ)

 小型艇で、3泊4日の世界巡りの旅……。エッジにとっては全く縁のない行事だ。

 それでも、タツミたちがちょっぴりうらやましい。

 

『寄り道する暇ねえだろ』

『いえ。本日は城下町の宿に泊まる予定でございます』

『は?? 初夜がそこでいいのか!?』

 

 本日の宿泊先は、エブラーナ城の城下町。

 そう簡単に言ってのけたタツミに呆れてしまう。

 

『ソイと一緒に決めましたので問題ございません。明日以降、国外に飛び出します』

『……本当にいいんだな?』

 

 本日の主役が消えても、どうせイヌイやメイが客人の相手をするので問題はない。

 あちら様もタツミたちがいなくなるのを見越して。

 朝までエッジ(影武者)を拘束して、既成事実を作ろうとしたはず。

 エッジは、タツミの提案に乗っかることに決めた。

 

『はい。例の場所に向かうなら早い方がよいでしょう』

『!!』

『気分転換なさりたい。そう思ったのですが、違いますか?』

 

 タツミが、エッジのこのあとの行動をさらっと言ってくれた。

 リディアの顔が見たい、声が聞きたい、せめて気配だけでもいいから感じたい。

 一度城に寄って、ザンゲツを置いてからミストへ行くつもりでいたのだ。

 

『……そこまで見抜かれちまったら、お手上げだ』

 

 エッジは苦笑を浮かべながら、降参とばかりに両手を上げた。

 

『お館様の幸せは、僕の幸せでもございます。それぐらい予測出来ますよ』

 

 にこりと笑うタツミからは、何の裏も策略も感じられない。

 しかも、いつぞやイザヨイが書庫で口にしたことと、同じことを言ってのける。

 

(イザヨイをここに寄越すか……)

 イザヨイやこの男から、この自分が一体どんな風に見えているのか知らないけれど。

 このふたりが協力したら、あの毒々しい母娘とイヌイを何とか出来るはず。

 

『そんじゃ、お言葉に甘えるとすっか』

『はい。それではこちらへ』

 

 先を歩くタツミに続き、エッジも通用口へ向かう。

 ふと見上げた空は、やはり一面厚い雲に覆われている。

 

(シビエン対策は、明日から考えよ)

 ミストでなら、エブラーナでは決して出来ないひとり星祭りが確実に出来る。

 媚薬だか催淫だかで穢れた身も、ミストの空気が祓い清めてくれるに違いない。

 

 元部下に甘えた瞬間から。エッジはミストに行きたくて、矢も盾もたまらなくなっていた。

 

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