フェイクラバーズ 作:かえで
——午後7時すぎ
「遅くなっちゃった……」
朝早くからリディアはバロンへ向かい、獲物——シュークリームを無事にゲット。
その後、ユライシャの自宅にお邪魔した。
夕食までごちそうになってしまい、今はその帰りである。
巡回艇から降りて、真っ先に氷球をジャンヌの自宅に飛ばした。
続けて灯球も浮かばせて、振り返ることなく発着場を後にした。
—— —— ——
本日も、見慣れた飛空艇が発着場の奥に停まっていると。
全く気付かないまま……。
—— —— ——
手提げの紙袋がふたつ。ストールと貴重品が入ったかばん。
どちらの紙袋にも、シュークリームが入っている。
それぞれリディアの分と、事前にジャンヌから頼まれていた分が4個ずつ。
それらを右手で持ちながら、ひとり夜道を歩く。
発着場は、集落より更に南にある。
そこから集落の南端にある自宅へ帰るには、自然と北へ進む道のりになる。
歩きながら、ふいに夜空を見上げる。
すると、幾多に散らばる星の中から、旅人の道標でもある星——北極星を見つけた。
「エッジ、元気してるかなあ……?」
この世は諸行無常。変化するのが当たり前。
エッジから、以前そう教えてもらったことがある。
東から西へ移動する夜空の星々と同じように、人の心も不変ではいられない。
それでも、不動の位置に座して、北で光り輝く北極星のように。
好きな人への思いだけは、変わらないでいたい。
「……ロマンチックすぎない??」
はっと我に返って、そうつぶやいた。
おばあちゃんになっても、にっこにこで食べていそうな甘いもの。
それと一緒のように、エッジのことをずっと好きでいられたらいい。
そう思っておけばいいのに、一体何を……。
乙女思考の自らに呆れていると、視界にさくらの木が入ってきた。
歩いているうちに、集落の入口に入ろうとしていた。
「あ、れ……」
突然、意識が朦朧としてきた。真っ直ぐ歩くどころか一歩も踏み出せない。
脱力感に襲われて、右手から荷物がどさ、どさと落ちていく。
(スリプル!)
この感覚には、とても覚えがあった。……睡眠効果を与える黒魔法を掛けられた。
ぼやける意識の中でそう気付くも、時すでに遅し。
「っ……! 」
猛烈な眠気に襲われて、その場に両膝をついて倒れてしまった。
灯球は他のものに燃え移らないから、火事は免れそうだれど。
(おばちゃん……!! た……す……けて)
氷球に誘導されて、駆け付けてくれるだろう女性の名を心の中で叫ぶと。
意識はぶっつり途切れてしまった。
§
深い眠りについていた意識が少しずつに鮮明になっていく。
(……なんか臭いなあ)
ばらが混じった濃厚な匂いが、鼻腔をくすぐってきた。
好みの香りとは程遠く、不快でたまらない。
『……さま』
(だれ??)
誰かが呼んでいる。アドニスだろうか。
あの男は、石化とストップ以外の状態異常魔法を全て使える。
リディアは、ここ数日アドニスを無視し続けていたから。
とうとう強行手段——魔法で封じ込め——にきたのかもしれない。
(でも、この人。アドニスでもおばちゃんでもない……)
アドニスもジャンヌも、リディアのことを呼び捨てだ。
呼びかけられる声も、ジャンヌにしてはやけに低い。
目の前にいるのは一体誰なのか。……こわごわとまぶたを開いた。
『ああ……! お気付きになられましたね』
黒いフードをかぶった白狐のお面の人物を、灯球がぼんやり照らしている。
その人物が安堵したような声を上げながら、片膝をついてこちらを見下ろしていた。
「っ、ツクヨミさん!?」
驚きの声を上げてから、勢いよく上体を起こした。
なぜ、8と12の月以外、ここにやってこないはずのエブラーナのお城勤がいるのだ?
「あ、あの。ここは……」
『広場の手前です』
周りを見回すと、夜の闇に隠れているが。
見慣れた風景が、灯球に照らされながらぼんやり広がっている。
「はぁ、よかったぁ……」
最悪の状況を回避出来たことに、リディアは安堵の息をもらした。
目の前にいたのがアドニスではなかった。どこかに連れ去られた訳でもなかった。
「どうしてツクヨミさんがここにいるんですか」
『星空鑑賞のためにここに参りました』
「そ、それだけで!?」
『本日エブラーナでは、天の川を見るのが習慣となっております』
「ええと、確か……七夕って言うんでしたっけ」
『はい。星祭りとも申します』
「夜空を見るなら、エブラーナでいいじゃないですか?」
『残念ながら、毎年この時期のエブラーナは曇や雨模様ばかりでして。この日に夜空を拝むことがなかなか出来ないのです』
「あっ、今年も雨だったんだ」
『はい。いい加減日を変えた方がよいと思いますが、何せ伝統ですからね』
(このひとも息抜きしたいもんね)
ツクヨミは、ミストを気に入ったと公言するぐらいの男である。
ミストは、月末しか雨が降らない。
七夕の日に確実に星空鑑賞をしたいのなら、ここに来るのが一番。
ツクヨミの述べた理由に、リディアは何の疑問も持たなかった。
それからツクヨミが、ここに至るまでの経緯を説明し始めた。
一昨日から遠方の任務についていたが、今日で終わった。
一度エブラーナに帰ってから、一隻空いていた国有艇に乗って、ここに来たという。
「ツクヨミさん、運転出来るんですか!?」
『お城勤は何でもこなせて、ようやく一人前でございます』
「……国有艇を貸してもらえるなんて、すごいですね」
『明確な理由があり、空いていれば自由に借りることが出来ますよ?』
「今日は、どんな理由で借りてきたんですか?」
『ちょ、長距離……運転の練習と……』
「ふふっ、初めて国外に出たんだ」
『お恥ずかしい話です』
ツクヨミがばつが悪そうに頭をうつむかせて、ぼそりとつぶやいた。
それから、淡々とここまでの出来事を話してくれた。
ミストの発着場に国有艇を停めて、夜空を眺めていた。
すると、巡回艇からリディアが降りてくるのが見えた。
立場上、リディアがさらわれる可能性が高いことは、エブラーナでも周知の事実だ。
後を追ってみたら、リディアを抱えた男と、ジャンヌがここで口論していたという。
「やっぱり、アドニスだったんだ……!」
『おそらく、その男がリディアさまに睡眠魔法を使った。奥様はそうおっしゃっておりました』
(非常識にも程がある……!)
これまでミストで人に向けて魔法を使う者はいなかった。
モラルの欠片もない行動を犯した、アドニスに腹立たしい思いでいっぱいだ。
—— —— ——
ミストでは火事が起こる以前から、他人への魔法使用を制限していた。
黒魔法を対人相手に使えば、ダメージを与えるだけ。
ささいな対人トラブルで、魔法でケリを付けていたらキリがない。
『身の危険がない限り、黒魔法は人に向けて使っちゃだめよ』
リディアも小さい頃、エスタからよくそう言い聞かされていたものだ。
—— —— ——
だから、夜道を歩く時には第三者を呼ぶ。侵入防止のため、自宅に結界を張る。
アドニス対策用の魔法も、防衛に徹したものを作ったのに。
『僕が止めに入ると、男はすぐ逃げてしまいました』
「最初っからそうしなきゃいいのに、ばかな人……」
『確かに情けない男でしたね』
エッジには劣るかもしれないが、ツクヨミも強い。
しかも、彼の風貌は見慣れないと、夜は不気味そのもの。
恐ろしい外見な上に、強者の気配を漂わせた男性が現れたものだから。
アドニスは、恐ろしくなって逃げたのだろう。
手を動かすと、指先に何かとぶつかった感触。
ゆるゆると首を動かしたら、地面に空っぽの万能薬のびんが転がっていた。
魔法をかけられた時、手放したはずの紙袋とかばんもそばに置かれている。
『かばん以外のお荷物は、僕が入口に落ちていたのを拾いました』
「ありがとうございます。紙袋……おばちゃんがひとつ持って帰ったのかな?」
『はい。「みやげはいただいておく」、奥様からそう伝言を預かっております』
ジャンヌからリディアを託されて、今ここにいる。
話をそう締め括ったツクヨミに、リディアは首をかしげる。
(おばちゃん、どうしちゃったのかな……)
アドニスを追っ払った。
だからと言って、ジャンヌがツクヨミに後を託して先に帰るとは珍しい。
リディアの目が覚めて、自宅に入るまで見届けるぐらいやるだろうに。
(明日、何があったか聞いてみよう!)
リディアはそう決めてから立ち上がると、ツクヨミに向かって頭を下げた。
「介抱していただいて、本当にありがとうございました」
『いえ、僕は万能薬で起こしただけですから』
「それじゃあ、わたしはこれで」
『——リディアさま』
「は、はい」
『突然ですが。夜空を見るのは、お好きでしょうか?』
「ええ……まあ……」
『よろしければ、少しの間。僕と一緒に星を眺めませんか?』
リディアはすぐに返事をせず、少しの間考えた。
(アドニスのせいで、最近あんまり夜空をしっかり見てないなあ……)
ツクヨミは手間暇掛けて、こうしてミストに来るぐらいだ。
彼はとても、星が好きで詳しいのだろう。
リディアが知らないことを教えてくれそうな気がする。
(あのおばちゃんが、頼むぐらいだもんね!)
ツクヨミは同じ若い男性でも、アドニスみたいな人間ではない。
会った回数は少ない。見た目はうさんくさいけれど、信頼できる人物。
リディアは前々からそう思っていた。
おそらく、ジャンヌも同じだったから、ツクヨミに介抱をお願いしたのだろう。
「いいですよ。お付き合いします」
『あ、ありがとうございます……!』
少々貪欲な知識欲と、ツクヨミへの信頼性の高さが決め手。
リディアが快諾すると、彼はとても嬉しそうな声で軽く一礼してくれた。
§
『国有艇から眺めましょうか』
リディアはツクヨミと共に、再び発着場へ戻ることになった。
(珍しいなあ。忍者って匂いをつけたがらないのに……)
歩いていると、目覚めた時と同じ、ばらを基調とした匂いが漂ってきた。
リディアは興味本位で、すんすん鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ取ったが……。
(うわぁ、臭い……!)
苦手なばらの匂いに、他の香料が混ざり合っている。
何とも言えない濃い香りに、リディアは思わず顔をしかめてしまった。
薬草好きのライザに、これを嗅がせたら泣いてしまいそう。
『……やはり、匂いましたか』
鼻を鳴らしたのを聞かれていたのか。
あまりの不快な匂いに、しかめた顔を見たからか。
ツクヨミが申し訳なさそうな声で、リディアにたずねてきた。
「ばらと何だろう? なんかいろんなものが混ざってて……」
『はい。嫌な香りでしょう?』
「苦手です。まず、ばらが好きじゃないから」
『申し訳ございません。本日はこういうものを好まれる方のおそばについておりましたもので……』
言葉の節々から、ツクヨミが好き好んでこんな匂いをつけた訳でないとわかった。
とても高価なばらを、香水に使えるほどの贅沢が出来る方々。
……貴族や大金持ちの女性のそばで、何か仕事をしていたのだろう。
半年ぶりのご対面となる、ツクヨミとの会話は尽きることはない。
前回と同様に、リディアが話題を振ってツクヨミが相づちを打つ流れで会話が進む。
『そういえば……』
「なんですか?」
途中で、ツクヨミが珍しく話題を振ってきた。
『夕方、異国の方がミストにお越しになられておりましたよ』
「……新聞社のひとかな?」
『どうなのでしょう。すぐ巡回艇に乗り込んでしまったので……』
「それ以外でミストに来るひと、ほとんどいませんけど」
おもてなしするような施設や店をあえて作らないことで。
ミストは好奇心目的で集落に訪問する客を遠回しにお断りしている。
周辺ならまだしも、生活する場に人が押し寄せてきたら対応に困るから。
今はミスト全面協力による、ラルフ初の著作本が売れているからだろう。
その影響で彼の取材にくる新聞記者が時折現れるぐらいだ。
『記者の方なら、後日どこかに記事が出るでしょう。世間では「異世界への誘い」が話題になっておりますからね』
「ツクヨミさん。タイトルまでご存知なんて、すごいですね……」
『先日購入いたしましたので』
「あっ、ありがとうございます!」
ツクヨミに感謝を込めてお礼をした。
彼がもともとミストのことを好きなのは知っていたが。
まさかラルフの本を買ってくれるとは思わなかった。
『やはり、本場の方が書かれたものは違いますね。それまでの情報が空想に満ちたものばかりだと気付かされました』
「あの本の作者さんね。実はアリサの……」
その後はまたリディア主導の会話に戻り、ツクヨミから話題を振られることはなかった。
(もう、この人。ミストに住め……だめだ、お城勤だもん)
勧めてもいないのに、あの本を買ってくれていた。なんといい人だろう。
ツクヨミの好感度が、右肩上がりに上昇していく。
ミストを気に入り、住民たちに好意を見せる人に悪い人はいない。
いつもの人たち——Zの開発部の社員をミストに引き抜きたい。
ミゼルがそう口にする気持ちがよくわかった。
§
『しっかり捕まっていてくださいね』
「は、はい……」
『行きますよ』
「う、わぁ……!!」
程なくして、ツクヨミがリディアを横抱きにすると。
エブラーナの国有艇の甲板の上までひとっ飛びして、目的地に到着した。
『っ、着きました』
「……すみません。至れり尽くせりで」
『これぐらいどうってことはありません。あちらで眺めましょうか』
「はい」
リディアは身体を降ろしてもらい、ツクヨミが指を差した方へ向かった。
ベランダにもたれかかり、夜空を見上げる。
運のいいことに、今夜は新月。月の光に邪魔されることはない。
あまたの星たちが夜空の主役となり、思う存分光を放っている。
「天の川、綺麗ですねえ……!」
南天で輝く赤い星。
さそり座のアンタレスの近くから、東寄りに北天へ伸びる光の帯が天の川である。
(懐かしいなあ)
意識して天の川を拝むのは、ずいぶん久しぶり。
セシルとローザの結婚式の帰り、エッジに上空から見せてもらって以来だろうか。
『バロンやダムシアンでは、ミルキーウェイと呼ばれているそうです』
「わぁ、甘くて美味しそう!」
『ふふっ、女神の母乳が散らばった跡が名前の由来だと言われておりますよ』
甘党ならではの感想を述べたからだろう。ツクヨミにくすくす笑われてしまった。
「……母乳も甘いからいいんですっ」
ちょっぴり恥ずかしくなって口を尖らせた。
ミルキーの別名は牛乳。飲み物だけでなく、甘いお菓子の調味料に欠かせない。
リディアにとって『ミルキー』は、甘美な響きなのだから仕方がない。
『リディアさまは、七夕に何をするかご存知ですか?』
「えっ、天の川を見るだけじゃないんですか」
『星を模した飾りや、願い事を書いた紙を吊るした笹の葉を家に飾るのです』
「そうなんですか。きっときれいなんだろうなあ……」
『あとは、そうめんを食べる風習が続いております』
「そうめん? なんですかそれ?」
『そうですね……冷えたスパゲティのようなものと思っていただければよろしいかと思われます』
「うーん……」
ツクヨミの説明を聞いて、リディアは首をひねる。
『どうされました?』
「エブラーナでクリスマスが流行らないの、なんかわかるなあ」
『なぜ、そうお思いに?』
「七夕が、クリスマスの代わりなんですよ」
七夕の風習は、ある冬の一大行事のそれと似ている。
笹の葉はもみの木。そうめんとやらはローストチキンに変わっただけだ。
『おっしゃる通りかもしれませんね。エブラーナはあまり他国の文化に追随しませんから』
「マイペースでいいじゃありませんか。クリスマス、やっちゃだめって訳じゃないんでしょ?」
『はい。そのご様子では七夕伝説もご存知ないようですね』
「そんなのあるんですか?」
『はい……』
エブラーナに古くから伝わる昔話。
ツクヨミがそう前置きした上で、夜空を見上げながら七夕伝説なるものを語り始めた。
—— —— ——
星々が、天に住まう神さまたちに支配されていた頃のお話である。
おりひめは、一番偉い神さま天帝の娘。
彼女は毎日、神さまの服になる美しい布をせっせせっせと織っていた。
……そうしているうちに、すっかり婚期が過ぎていたが。
おりひめはちっとも気にせず、毎日機織りに勤しんでいた。
このままでは嫁の貰い手がない。娘の将来を案じて、天帝は結婚相手を探した結果。
娘と同じ働き者が決め手となり、ひこぼしと呼ばれる牛使いの若者に目をつけた。
その後、天帝に引き合わされる形でおりひめとひこぼしは、晴れて夫婦となった。
ところが、ふたりは結婚した途端。朝から晩までいちゃいちゃする日々を送るようになった。
おりひめが仕事をほったらかしたせいで、布不足。
神さまは服を変えようがなく、ぼろぼろを着るしかない。
ひこぼしに放置されたたくさんの牛が、そこらを暴れ回って迷惑をかけまくる。
もしくは、ろくに世話をされぬまま、ばたばた死んでいくか……。
天帝は怒って、おりひめとひこぼしを天の川を境に引き離してしまった。
離れ離れになれば、ふたりは仕事に励むに違いない。
天帝のそんな狙いは大外れ。
ふたりとも引き離されたショックで、仕事に全く手がつけられない……。
—— —— ——
『天帝は悩んだ挙句、おりひめとひこぼしに年に一度だけ会うことを許しました。それからふたりは心を入れ替えて、その日のために仕事を励むようになったと言い伝えられております』
「はじめから、しっかりお仕事しておけばよかったのに……」
『責任も果たさず、好きなことばかりに興じていると手痛いしっぺ返しを食らう。そんな教訓も込められているのです』
「すごいですね。そこまで考えて話を作ってあるんだ」
最良とは言えないけれど、決して結末は悪くない。
おまけに、教訓も込められた七夕の伝説に感心してしまう。
リディアが知る星の神話は、哀しい結末や理不尽なものが多かったから。
『天の川の上に、星がひとつ一際輝いているのがおわかりですか?』
「ええ。こと座のベガですよね」
『それが、おりひめだと言われております』
「それじゃあ、ひこぼしはアルタイル?」
青白く輝くベガを指さしてから、すいと右下に動かすと。天の川を越えたすぐ近くで手を止めた。
そこには、ベガには劣るものの明るい白星——わし座のアルタイルがある。
『その通りでございます。天の川が邪魔をして普段は会えないのです』
「ふふっ……綺麗な邪魔者ですね」
『七夕の日には鳥が翼を広げて、天の川に橋をかけるのです。その橋渡し役が……』
「はくちょう座ですね」
今度はベガから左下、天の川のど真ん中で輝く星——デネブに向かって指をさした。
デネブを含むはくちょう座は、絶妙な星の散らばり具合で構成されている。
白鳥がベガとアルタイルの方向に首を向けた状態で。羽を広げて、天の川を飛んでいるように見える。
『7月7日になると、おりひめがその上を歩いて、ひこぼしに会いに行くと言われております』
「あっ、七夕伝説って夏の大三角のお話なんですね」
『……お詳しい。説明の手間が省けましたよ』
「そんなことないですよぉ」
(やった! 褒められちゃった!)
謙遜はしたものの、リディアは心の中で諸手を挙げて大喜び。
『なぜそこまでお詳しいのですか?』
「小さい頃、よくお母さんと一緒に星空鑑賞をしていたからだと思います」
北極星やアンタレスなど、等級が高くすぐに見つけられる星々。
夏冬の夜空に欠かせない、夏の大三角や冬の大三角。
他にも星座の神話をいくつか、エスタから教えてもらった記憶がある。
『そうでしたか。お母さまとのよい思い出なのですね』
「でも、全部の星座は知らないってお母さんが言ってたから、わたしもそんなに……」
夜空には80超の星座があると言われている。
リディアが知ってるのは、等級が高い星が入っている有名な星座ぐらいだ。
『僕も一緒ですよ』
「ツクヨミさんも?」
『はい。今の時代、よほど星が好きでないと星座全てを覚えようとする人はそうそうおりません』
「そんなものですか」
『そんなものでございます。むしろ、リディアさまはお詳しい方だと思います』
今は昔と違って、星を頼りに旅をする時代ではないからだろう。
お世辞だろうが褒められたら悪い気はしない。むしろ嬉しくなってしまった。
§
その後、しばらく星空鑑賞を続けたリディアとツクヨミ。
送迎の申し出にありがたく甘えて、ツクヨミを伴い帰路についた。
帰りも星談義を中心に、話題は尽きることなかった。
「——今日は本当にありがとうございました。楽しかったです」
自宅の前に辿り着くと、ツクヨミに頭を下げた。
『こちらこそ、喜んでいただけたようで何よりでございます』
「しっかり星空を眺めたの、久しぶりでした」
『もったいないですね。天の川は、エブラーナでも僻地でないと、はっきり見えませんよ?』
「それ、ミストが田舎ってことじゃ……」
『いいではありませんか。僕は大好きです』
「褒めすぎです。田舎っていいことばかりじゃありませんよ?」
『確かに負の側面もあるでしょうが、それを受容出来るぐらいいい面がたくさんございます。リディアさまがここに留まられているのは、そのせいもあるのではないでしょうか』
きっぱりとした物言いから、ツクヨミがミストに焦がれる理由を察した。
(この人は、普段の生活から現実逃避したいのかも)
田舎は人の喧騒とは無縁。緩やかに時間が流れて、自然と一体になれる。
ツクヨミは好きでお城勤になった訳でない。彼にとってミストは絶好の逃避環境とも言える。
『ところで、夜空を見るのは久しぶりとおっしゃられておりましたが……』
「ええ」
『あの男は、毎晩リディアさまの近くをうろついているのですか?』
よほどリディアに付きまとう男が目に余ったのだろう。
厳しい口調でツクヨミにたずねられて、顔を思い切り下にうつむかせた。
アドニスに襲われかけたことなんか、すっかり忘れていたのに。
一気に現実に引き戻されてしまった。
「わたしの予定に合わせて、家や公民館で待ち伏せしてることが多いです。でも……集落の入口は今日がはじめてで……」
『それでは、外に出て夜空を眺める余裕はございませんね』
「ええ」
『好き勝手させておいていいのですか?』
「それが……」
ツクヨミが最後にミストに来たのは、去年のクリスマス。今日がアドニスと初対面。
リディアはミストの事情も入れながら、ツクヨミへ簡易的に説明した。
アドニスの人となりから、つきまとわれるまでに至った経緯。
なぜ大っぴらに糾弾しないのかなど……。
『難しい問題ですね』
「あの人が見ているのは、わたしが持つ召喚士の濃い血なんです。だから、いくら嫌がっても……」
アドニスは純血の召喚士を伴侶にして、ミストでわがまま放題やりたいのだ。
婚姻した事実が欲しいだけで、リディアから好かれる嫌われることを重要視していない。
そのため、リディアが大嫌いあっち行けと言っても、ちっとも動じない。
薄っぺらい笑顔を貼り付けながら。キザな口説き文句を述べるだけ。
『そういう目的なら、邪険にしてもそうそう折れないでしょう』
「ええ、そうなんで……っ!?」
また目の前で、ツクヨミが片膝をついてひざまずいた。
(この人、何考えてるの!?)
これで昨年のクリスマス以来、2回目である。
主君に忠誠を使う騎士のごとくの振る舞いをするなら、相手はエッジだろう。
「またそんなことして! 立っ」
『——僕がリディアさまを守ってさしあげます』
「ふぇっ!?」
ツクヨミからの申し出に、すっとんきょうな声を上げてしまった。
「……魔法がありますから、大丈夫です。必要ありません」
気持ちはありがたいが、頼る気はさらさらない。
誰かに頼るのはミゼルをはじめとした、ここに住む気心知れた者たちで十分だ。
(守る相手が違うでしょ……)
お城勤のお仕事は、国王さまを助けて守ってあげることではないか?。
お城勤である以上は忠誠心が低くても、役目は果たさないといけないだろうに。
『ずいぶん自信がおありのようですね。先ほど、あんな目に遭われたばかりなのに』
「っ、それは……」
『何も気にすることはございません。個人的にこちらへお邪魔した際、人目につかぬよう密かにお守りするつもりでおります。リディアさまは普通にお過ごしになられたらよいのです』
「ツクヨミさんがミストに来るのは大歓迎です。でも、護衛はいらないです」
(そんなのただのボランティアじゃない……)
ツクヨミはミストの自然が気に入った。だから、ここに来ていたはずなのに。
これからはリディアの護衛目的でミストに来るように聞こえてならない。
しかも、密かに護衛するという。それは見返りのない善意の行為ではないか。
『そんなことおっしゃらずに……』
「ひとつ聞いていいですか?」
『ええ。答えられる範囲でしたら』
「なぜ、わたしにそこまでして下さるんですか?」
仲間だから。そんな理由で、エッジが世話を焼いてくれたのはわかる。
しかし、ツクヨミはエッジの部下というだけ。仲間でも何でもない。
世話を焼かれる理由に全く心当たりがない。
『あなたが幸せになるお手伝いがしたいからでございますよ』
「っ、やだなぁ。何言ってるんですかぁ」
『……何もおかしなことを申しておりませんが』
「ツクヨミさんは、まず自分の幸せを探さなきゃだめですよ……っ!」
リディアはぷっと吹き出して、からから笑い始めた。
ツクヨミも冗談で言ったに違いない。きっと今、お面の向こう側で笑っているだろう。
『——リディアさまの幸せは、僕の幸せでもありますから』
「えぇ!?」
驚きの声を上げたっきり、呆然するしかなかった。
そんなリディアの右手を、ツクヨミが左手でつかんで自身のそばに引き寄せた。
(……怪我しちゃったのかな)
ツクヨミの右の親指に、小さな傷を見つけた。
凝固して血は止まっているから大丈夫か。ぼんやりそう思っていると……。
『あなたを困らせたり傷付けたり、あなたの幸せを邪魔する者は……誰であろうと、僕は決して許しません……!』
ツクヨミが声を震わせて、喉から絞り出すように話し終えると。
リディアの右手をそっと離した。
誰であろうと——例えお館様でも、許さない。
そう言わんばかりのツクヨミに、一体どう答えていいのかわからない。
カルミネの事件の詳細を知ったのだろうか?
リディアを巻き込んだ。そんな理由で、エッジを許していなさそうにも感じ取れる。
『……帰ります。遅くまで付き合っていただき、誠にありがとうございました』
「あっ、待って」
『?』
「あの……」
その場で立ち上がったツクヨミを呼び止め、がさごそ紙袋の中を漁る。
「これ……帰りに食べてください」
中から包装紙に包まれたお菓子をひとつ取り出し、ツクヨミに差し出す。
『これは一体何でしょう?』
「バロンで大人気のシュークリームです」
『いいえ、結構でございます』
せめてもの労いのつもりで、差し出したお菓子を触ろうともせず。
ツクヨミが首を軽く横に振って、やんわりと拒否した。
「どうして? 甘いもの嫌いですか?」
『嫌いではございません』
「それなら……」
クリスマスの時は、お菓子を受け取ってくれた。
それなのに、なぜ今日はだめなのか。
『本日は私用ですから、受け取れません』
「そんなの関係ありません。受け取ってください」
『いいえ』
「これ、並んで買った価値があったもん。すごく美味しかったですよ? こんな季節だから、ずっとブリザドかけて冷やし続けてました。食べてもお腹壊しませんから」
『……』
(ほんと真面目な人だなあ)
公私をしっかり分けているのだろうが、それではこちらの気が済まない。
—— —— ——
実はバロンのお店で、エライアの分もシュークリームを購入していた。
そして、エライアの自宅にお邪魔してすぐ。おみやげにこのシュークリームを渡した。
『あなたも食べたいでしょ?』
部屋に通してもらってから、なんと気の利くことに。
エライアが、お茶と共にそれを出してくれた。
—— —— ——
エアイアのお宅で味は確かめた。傷まないよう鮮度管理も怠っていない。
味も鮮度も申し分ない。
ツクヨミに受け取ってもらえるように、リディアは懸命にアピールした。
『ふふっ……』
「??」
『そこまでおっしゃられるのでしたら……』
何が笑いのツボにハマったのかわからない。
それでも、アピールが功を奏したらしい。
ツクヨミがくすくす笑いながら、シュークリームをやっと受け取ってくれた。
リディアがそう安心していたら。
『——ありがとうございます』
「あっ!」
『お気持ちだけで十分でございます』
受け取ったばかりのシュークリームを、ツクヨミが紙袋の中にまた入れてしまった。
「何するんですか! 戻しちゃだめっ!」
『僕はあなたからお礼をいただくために、星空鑑賞に誘った訳ではございません。お菓子も、あなたに食べてもらった方が幸せでしょう』
「だからって」
『——それでは、また』
「ああ、待って!……行っちゃったぁ」
受け取らない理由を一方的に述べてから。
ツクヨミが背を翻して、瞬時にリディアの前から姿を消した。
「……リボン、探さなきゃ!」
我に返ったリディアは、慌てて自宅の中に入る。
逃げたアドニスが、またここに戻ってくるかもしれない。
今から家探しして、リボンを見つけなければならない。
ツクヨミのことを考えている暇はない。
—— —— ——
リボンは、身に付けるだけで全ての状態異常を防ぐアクセサリ。
この世にふたつしかない極希少ものである。
現在は、ローザとリディアがそれぞれひとつずつ預かっている。
これならアドニスによる、不意打ち状態異常魔法に対抗出来る。
—— —— ——
あの異国の忍者は、いつミストに来るかわからない。
そもそも、アドニスとの問題と何ら関係がない人物を巻き込んではならない。
(それに……好きな人や恋人が出来たら辞めちゃうでしょ)
先ほどのツクヨミの行動や発言は、しょせん一過性のものだ。
いずれ、他に守りたい存在が出来るだろう。
—— —— ——
この時、そう考えていたリディアは、何も知らない。
とうの前から、ツクヨミが時折ミストに紛れ込み。
リディアを密かにアドニスから守っていたことを。
—— —— ——
.