※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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エッジ視点


ギブとテイク

 

 

——7の月9日 早朝

 

 

 エブラーナ城が、東に昇ったばかりの太陽に照らされている。

 その裏庭では、刀と刀がぶつかり合う音が響いていた。

 

 エッジと小さな子どもが、忍刀で打ち合いを行っているところだ。

 

 —— —— ——

 子どもは、赤紫の髪を後ろでひとつに縛り、石がついた革ひもを額に巻いている。

 暑い季節なのに、口から上半身までを若草色のマントで覆っていた。

 —— —— ——

 

 エッジは、相手が女子どもでも容赦はしない。

 

「あっ」

 

 相手の忍刀を弾くと、子どもが小さな声を上げた。

 その隙を逃さず、切っ先を相手の喉元にさっと向ける。

 

「……参りました」

「一昨日昨日より長く続いたぞ」

「いえ、まだまだです」

 

 それぞれ忍刀を腰に下げたさやに納めてから、エッジは腰をかがめる。

 それから子ども——ツキノワに向かってこう告げた。

 

「そんじゃ、朝はこれでしまいな」

「はいっ! どうもありがとうございました!」

 

 朝修行の終了を告げられて、ツキノワが頭を下げると。

 途端に額から一筋の汗が流れ落ちて。さっと顔を上げて手ぬぐいで汗をぬぐい始めた。

 

 —— —— ——

 エブラーナ城には、エッジをはじめ、独身かつ使用人がたくさん暮らしている。

 ツキノワはそんな城で暮らす、唯一の子どもであった。

 日々明るく健気に振る舞う彼を嫌う者は誰もいない。

 もちろん、エッジもその中のひとりであった。

 —— —— ——

 

「今日は何すんだ」

「午前は執務室の警護で、午後からは事務室でじいやさんと書類整理です」

「……書類ねえ」

「今年上半期のこの国の流れを知ることが出来ますから、楽しいです」

 

 ツキノワが書類整理を楽しいと言い切って、開いた口が塞がらない。

 こちらはいい歳になった今でも、字の羅列を追うのが面倒でたまらないのに。

 

(6歳とは思えねえ……)

 この子どもは、何ともまあ子どもらしくないことをよく口にするのだ。

 

「……あのさ、ツキノワ」

「何でしょう」

 

 その場にしゃがんで、ツキノワと同じ目線でこう言った。

 

「オレが言うのもなんだけどよ」

「はあ……」

「修行やここの生活が辛くなったら、我慢せずに言えよ」

「辛くないです」

「ちょっとぐらい、なんかあんだろ?」

「ありません」

「おまえの歳ぐらいのガキは、今日も明日も川や山や海で遊びまくりだぜ?」

「そうですね」

「……うらやましくねえのか」

 

 こんなやりとり、今日が初めてではない。

 

 —— —— ——

 全く辛くない。修行がしたい。城の仕事のお手伝いがしたい……。

 ツキノワは、いい歳した大人でもあまり口にしないことを、きっぱり言い切る。

 

『勉強なんかやってられっか。ばぁーか!』

 

 周囲の大人たちにそう吐き捨てて、授業をサボってばかりいた。

 幼い頃のエッジとは、まるで大違い。

 —— —— ——

 

(お城勤になったら、もう遊べねえんだぞ??)

 次にこの子どもが何を言うか、既にわかっている。

 それでもエッジは、同世代の子どもへの羨望がないか。

 ツキノワに、今日も確かめずにはいられなかった。

 

「ボクには遊ぶ資格はありませんし、興味もないです」

「あのなあ……」

「早くお城勤になって、お館様やお城のみなさんに恩返しがしたいんです」

 

 ツキノワが予想通りの回答をしてくれて、それ以上何も言えなかった。

 

 恩返しという、また健気なことを言ってくれるものだ。

 嬉しくなる一方、頭に疑問符が浮かび上がってくる。

 

(引き取るのが早すぎたか……?)

 エッジがこの幼な子を孤児院から引き取ってから、2年ぐらい経つ。

 現在進行形で面倒を見ているが、最近こう思うようになっていた。

 引き取る時期を見誤ったのではないか、と。

 

 —— —— ——

 じいやザンゲツは、もう気付いているだろう。

 将来エブラーナを託せるかもしれない。

 エッジがそう考えて、ツキノワを次期国王候補として教育していることを。

 

 この2年の間。エッジは深夜と早朝に、様々な忍者の技や術をツキノワに教えてきた。

 さすがに昼間は、手の空いたお城勤に代わってもらっていたけれど。

 ツキノワは大人たちの指導を我が身の糧にしていった。

 現在は、お城勤とほぼ変わりないレベルにまで到達している。

 

 1年前からは、城内の各部署で内勤の手伝いもさせている。

 それでも毎日弱音を吐かず、城を駆け回っている。

 ここでは教えることがほとんどなくなり、後は実戦を積むのみとなった。

 —— —— ——

 

 いずれは、お城勤に昇進。何年か経験を積ませたら(略)。

 エッジはそう目論んで、ツキノワを引き取ったはずだった。

 なのに、今になって昇進——初仕事に踏ん切りがつかない。

 

 ***

 

——2年前の春

 

 当時、エブラーナではこんな噂が流れていた。

 

『孤児院に天才がいる』

 

 エッジはそれを聞くなり、城下町の端にある孤児院を訪れた。

 件の幼な子を目にして、すぐ城に連れて帰ることを決めたが。

 その前に、孤児院の院長をつとめる女性と面談することにした。

 

「本当に、あの子を引き取るおつもりですか?」

「ああ」

「っ、そうですか……」

「今まであの歳から忍術を使える奴、見たことねえんだよ。もっと才能が伸ばしてやりてえと思ってな」

 

(風遁を使える奴もそう滅多にいねえってのに……!)

 数分前に、幼な子の類まれな才能を目の当たりにしたばかり。

 エッジはやや興奮した状態で、城で引き取る理由を話したが。

 相手——院長の表情が冴えないように見えた。

 

「……引き取っちゃだめなのか?」

「とんでもございません。お館様のご意向に従います」

「それならさ。あいつの経歴、知ってる限りでいいから教えてくれ」

 

 そんなもの、ツキノワ本人から聞けば済む。しかし、彼はまだ小さい子どもである。

 第三者からの事情聴取も必要だと考えていた。

 

「実は私、あの子の亡き母親と旧知の仲でして。あの子の成長を逐一教えてもらっておりました……」

 

 院長がぽつぽつとツキノワの成育歴を語り始めた。

 

 大人並みの知能。そして、ずば抜けた忍者の素質。

 ツキノワはそれらを持った状態で、この世に生を受けたという。

 

「生まれた時から!?」

「はい。さすがに最初のうちは会話出来ませんでしたが、赤子の頃から意思の疎通が可能だとわかり、ご両親は『この子は忍者の天才』だと大喜びしたそうです」

 

 生後2か月から、父親が忍術の指導。

 母親が絵本の代わりに、新聞や一般書を読み聞かせていたという。

 しかし、ツキノワが2歳の頃。両親が相次いで病気で亡くなった。

 親族はそのふたりしかいなかったため、この孤児院に引き取られたという。

 

「ここでは普段何やってんだ」

 

 エッジがそうたずねると、それまで以上に院長の表情が固くなった。

 

「お恥ずかしい話ですが……当院は常時人手不足でして……主に、同世代の小さな子どものお世話を中心に、職員の仕事のお手伝いをしてくれております」

「あんな小さな体でか?」

「いえ。毎朝『変化の術』を使って、大きい子どもに姿を変えております」

 

 身体の自由が利いて、お手伝いがはかどるから。

 ツキノワはそんな理由で、『変化の術』を使うのだという。

 

(あの歳から『変化の術』!?)

 亡き父親の指導がよほど優秀だったのか。ツキノワの潜在能力の賜物なのか。

 それとも、そのどちらもなのか。

 

「そして、みなが寝静まってから、ひとり外に出て修行をしてから眠りにつく……そんな日々を過ごしております」

「子どもひとりじゃ危ないだろ。誰も止めなかったのか」

「何度も止めたのですが、やらないと身体がなまると言って聞かないのです。私たち職員はみな忍者ではありませんから、一度外に出てしまうと追いかけようがございません」

「ああ、そっか……」

「あの子はまだ守られるべき歳なのに。いつも周りを助けてばかり……大人として情けないです……』

 

 院長が半泣き状態でそう話し終えると、嗚咽をもらし始めた。

 孤児院の職員をすぐに増やす。

 エッジは院長にそう約束してから、ツキノワを連れてエブラーナ城に帰ったのであった。

 

 ***

 

 ツキノワは、子どもとしての時間を過ごしたことがほとんどないと言っていい。

 何より当の本人が、既に子どもとして生きることを諦めているようにも見える。

 

(今んなって、あん時の院長の気持ちがわかるようになるって、遅すぎるよな……)

 当時エッジが何より注目していたのは、ツキノワの忍びの才。

 環境が変われば子どもらしさを見せるだろうと、楽観的な予測を立てていた。

 修行と仕事ばかりで無理をさせるのは、いかがなものか。

 じいから何度もそのような忠告をされても、聞く耳を持たなかった。

 

 ところが昇進をいよいよ目前にして、エッジはそれまでの認識を改めるようになった。

 そして一度だけ、ツキノワに子どもとして過ごす時間を与えてあげたくなった。

(つっても、この調子じゃ、どっかに期間限定で預けても、孤児院やここと変わんねえよなあ……)

 

「……様」

「……」

「お館様?」

「あっ、いや、何でもねえ」

 

 ツキノワに呼ばれて、はっと我に返る。

 

「今日は、『変化の術』どうされますか?」

「やるぞ? 今日こそいいもん見せてやるぜ」

 

 エッジは立ち上がり、両手で複雑な印を結んで「『変化の術』」と呪文を唱えた。

 どろんと白い煙が立ち込め、全身を包み込む。

 煙はすぐに消えて、こちらを見上げるツキノワが視界に入ってきた。

 

「どうだ?」

「印は完璧でした……でも、もう半年もこの状態ですね」

「……今日もだめか」

「使えない方はごまんといます。完全ではありませんが、変化出来るだけでもすごいと思います」

 

 ツキノワに遠回しにさじを投げられたように感じて、がっくり肩を落とした。

 様々な術や技をツキノワに教えてきたが、『変化の術』だけは逆。

 不得意な術を使いこなすため、この2年近くツキノワから指導を受けていたが。

 何度やっても、完璧な変化を見せることが出来ない。

 

「今日も付き合わせて悪かった。明日からも頼むぜ」

「わかりました。ボクもお館様の向上心を見習います」

「ああ。そんじゃ、風呂入って汗流せよ」

「はい、それでは失礼します」

 

 エッジから頭を撫ぜられて、ツキノワが嬉しそうにその場から走り去っていった。

 それを見届けると、右脚を踏み込む。

 開けっ放しにしてあった窓から城内へ侵入して、早足で私室に戻った。

 

 鏡台に向かって、自身の姿を鏡に映してみた。

 服装は、いつもの忍者服ではなく黒色の着流し。

 窓から入ってきた風で、カインを黒髪にしたような長い髪がさらりと揺れた。

 

「……なんで顔だけ変わんねえんだ?」

 

 鏡台の上に両手をつき、自身の顔を凝視しながら息をついた。

 

 右頬の傷は残ったまま。鋭い目つきは本来のもの。

 ……『変化の術』を使っても、なぜか顔だけはそのまま。

 仮にリディアがこの顔を見たら、途端に目や胸を痛がるだろう。

 更には、正体もすぐバレてしまうかもしれない。

 

 どれだけ髪型や服装、性別や身体つきが変わっても。

 いくら他人の素知らぬふりをしても。

 顔が変わらない以上、覆面が許される人物に変装するか。

 傷を消すために、これでもかと厚化粧するしかないではないか……。

 

「いや、それでも諦めねえぞ……!!」

 

(いつか完全に『変化の術』を使いこなしてやる!!)

 エドワード・ジェラルダイン、齢36。

 あくなき向上心と体力維持のために、これからも修行を怠らない。そう誓ったのであった。

 

 

——午前11時

 

 

 暦年と共に年度が新しくなるまで、あと半年足らず。

 今の時期から秋に入るまでの間に。新しく雇う使用人を選び決めることになっている。

 

「だめ、次」

 

 午前の日課、書類作業は既に片付いている。

 現在は分厚い綴り物と向き合っている最中である。

 

「またかよ……」

 

 綴り物の正体は、お城勤希望者の応募書類。

 応募締め切り——6の月までに届いたものをひとまとめにしてある。

 

 エッジはこの中から、来月行われる最終選考にふさわしい者を選ばなければならない。

 とは言っても、遅くても来週までに選べばいい。

 そのため、今は応募者全員の『ある項目』だけ確認している。

 

 恐ろしいぐらいの早さで、ページをめくっていった結果。

 

ばたん! 

 

 綴り物を荒っぽく閉じてから。椅子にふんぞり返って本音をもらした。

 

「なんで野郎ばっかなんだよ……!」

 

 全員分の応募書類のある項目——性別に目を通したが、悲しいかな全て『男』。

 これで8年連続、女性応募者はゼロ。

 エッジが国王に即位してから、女性でお城勤を希望する者は誰も現れない。

 

 見映えがいい。華が欲しい。そんな理由で、女性に応募して欲しい訳ではない。

 イザヨイを自身の手足となる『御伽衆』に昇進させた。

 代わりに、女性のお城勤がついにひとりもいなくなってしまった。

 

 —— —— ——

 最近女性のお城勤にしか任せられない。任せたくない仕事が少しずつ増えてきた。

 

 シビエンのそれが、女性にしか任せられない代表的な仕事だ。

 シビエン前当主イヌイの周辺を探るのに、男性を潜入させるのは危ない。

 後妻メイの毒々しいお色気にやられてしまう恐れがある。

 結果、女性のイザヨイに、シビエンに行ってもらうことにした。

 

 女性にしか任せたくない仕事の代表格は、ミストへの諜報派遣である。

 男は派遣したくない、独身や若い男はもってのほか。

 若い男が住民を装い、ミストに潜入。リディアと顔を合わせる度に挨拶を交わす……。

 考えただけで気が狂いそうだ。

 —— —— ——

 

 お城勤は不定休、なおかつ任務次第では国外に長期間拘束されることが多い。

 男女問わず恋愛する暇がなく、婚期を逃す可能性がとても高い。

 

(イザヨイですら、じいのスカウトだもんなあ……)

 特に女性は、結婚や出産育児を控えている。

 過去にいた女性のお城勤は、それが理由でみんな仕事を辞めてしまったと聞いている。

 お城勤を希望する女性は、エブラーナにはいないのかもしれない。

 こうなったら、じいに策を練らせるか、有能な人材を探してもらうしかない。

 

「失礼いたします」

 

 女性のお城勤ゼロ問題に、エッジが頭を悩ませていると。

 扉を叩く音に続いて、ザンゲツが執務室に入ってきた。

 

「あの、お館様」

「……何か用か」

「ミストからお客」

「——丁重に返せと言ったはずだ」

 

 ミスト、と聞くやいなや。エッジは強い口調でザンゲツを遮った。

 

 —— —— ——

 ミストからの面会客には、『お館様は多忙』と告げて、丁重に返すように。

 7の月の頭に、エッジは使用人にそう伝えていた。

 実質リディアを指すので、みなが不思議そうな表情をする中。

 じいとザンゲツだけは、とても不愉快そうな顔を見せていた。

 —— —— ——

 

「そうおっしゃられると思いまして、拙者も努力いたしました」

「もっと努力出来るだろ。早く戻れ」

「しかしながら、どーーしてもお館様にお会いしたいと言って聞かぬ上に、お泣きになるもので……これ以上、対処しようがなくこちらにお連れいたしました」

「おい待て……!?」

 

 リディアが泣き喚いて、よほど手を焼いたのだろう。

 憔悴しきった表情で、ザンゲツが後ろを向いて扉を開けようとする。

 エッジはそれを見て、勢いよく椅子から立ち上がった。

 

(ここから逃げるか? 倒れて話せねえふりした方が無難か?)

 リディアの前では、セシルの声しか出せない。会う訳にいかない。

 

「どうぞお入りになってくだされ」

「やあ! エドワードくん!」

「!?」

 

 執務室に入ってきた人物が、リディアでなかったことに安堵する。

 ……訳がない。逆にぎょっとした。

 

「2週間ぶりだね。元気してた?」

「ささ、どうぞこちらへ」

「はいっ」

 

 ザンゲツに案内されて、ミゼルが応接机のそばに手荷物を下に置く。

 それから、ソファに腰を下ろした。

 

「おい!! 勝手に中入れるな!」

「すぐにお茶をお持ちいたします」

「あ、お気遣いいただきありがとうございます」

「とんでもありません。では、しばしお待ちくだされ」

 

(無視しやがって! 後でぶっ飛ばしてやる!!)

 執務室から出て行ったザンゲツに、腹立たしさを覚えたが。

 それよりも当の来客に居座られる前に、とっとと帰ってもらわねばならない。

 

「おまえ、一体どういう風の吹き回しだよ! うちを大嵐にする気か!?」

「なんなんだその挨拶は!? 普通『ようこそ』って出迎えてくれるもんじゃないの!?」

 

 ミゼルの国外訪問は珍事。雨を通り越し、嵐が起こってもおかしくない。

 牽制を込めて大声で怒鳴ったが、逆に怒鳴り返されてしまった。

 

(まさか……!?)

 この男は、リディアのミストでの保護者である。

 もうミストに来ない。

 先日エッジは、そんな意味合いの置き手紙を残してミストから去った。

 リディアがそれを話したから、保護者が重い腰を上げて出張ってきたのか?

 

「てめえが勝手にここ来たんじゃねえか。早くミスト帰れ!」

 

 もう一度、帰城を命じるとミゼルが両手で顔を覆った。

 

「う、っ……っ、こんな見た目で……人目我慢して、巡回艇乗ってきたのに……どうして、こんな仕打ちされなきゃならないんだぁああっ!」

「下っ手くそな演技すんな!」

 

 早速、ミゼルが白々しい泣き落としをお披露目してくれた。

 誰が嘘泣きに騙されるものか。

 

「ははっ、バレちゃったかぁ!」

「この野郎……!」

 

 ミゼルが手をぱっと離して、けらけら笑い出した。その仕草だけでもいらいらが募る。

 

「冷たいうちにどうぞ」

「あ、どうもありがとうございます」

 

 帰れ攻撃している間に、女中がお茶を届けにきてしまった。

 

「緑のお茶か。冷たくて美味しいねー」

 

 早速ミゼルが冷茶をすすって、ここに落ち着く気満々である。

 

「……ひとりでここ来たのか」

「そうだよ?」

「嫁は」

「あの人は、しょっちゅうエブラーナ来てるから、今日は留守番。一度でいいからひとり旅やってみたくてね」

 

(こいつがミストから出るってよっぽどだぞ……!?)

 ミゼルがミストの外に出たのは、たった3回だけ。全て復興が始まったばかりの頃だ。

 8年以上も集落に引きこもっていたのに、突然何があったのか。

 

「ねえっ!」

「なんだよ……」

「リディアさんから聞いたことあるんだけどさ。今、部下の人が隠れながら、きみのこと警護してくれてるんだよね?」

 

 やはり見えない護衛の存在も知っていた。

 

 この男は、あのカルミネの存在を知っていたぐらいには。エブラーナにとても造詣が深い。

 この国を実地で知るリディアから、様々な情報を入手している。

 それだけに留まらず、自力で調べるからまた性質が悪い。

 

「一応……」

「うおおぉ! きみって本当に国王さまだったんだね!」

「……」

「で、どこどこ? どこで見張ってるの?」

 

(今までオレのこと何だと思ってたんだよ!!)

 ミゼルが何気に失礼なことを口にした。

 しかも、見えない護衛の居場所を聞いてくる。それがまたうるさい。

 

「……」

「やあ、ごくろうさま! お仕事頑張ってくださいねー!」

 

 相手をするのが面倒になってきて、エッジは無言で天井を指差した。

 すると、ミゼルが見えない護衛が潜む天井に向かって、手を振り始めた。

 

 謎の客に労われて嬉しいのか。はたまた、客の振る舞いがおかしく見えたか。

 天井からも笑いを我慢する声がかすかに聞こえてきて、机の引き出しを荒っぽく開けると。

 中を埋め尽くしていた青いお札を適当に何枚かつかむ。

 

「じゃれ合いすんなっ!」

「あっ」

 

(仕事の邪魔だ!)

 部屋の中央に向かって、青いお札を投げつけてやったら。

 天井と床のそれぞれ四隅に吸い込まれるようにぺったり貼りつく。

 どうやら多くつかみすぎていたようで、余分のお札数枚がひらひら床に落ちていった。

 

「何したの?」

「結界張った。あっちからはここは見えねえし聞こえねえ」

「へえー、わざわざ密談にしてくれたんだ。気が利くなあ」

「どうやったらそんな発想になんだよ!」

「ははっ! 生まれて初めてのひとり旅で、浮かれちゃってさー。いいところだね、エブラーナっ!」

「……っ、ふざけんなっ! 観光なら城下町行け!!」

 

(何なんだよこいつ!?)

 頭に血が上り、へらへら笑うミゼルに大声で怒鳴った。

 そんなにひとり旅がしたいなら。

 勝手に国に金を落としてくれる、城下町ツアーにでも参加したらいい。

 

「ここ、きみの家でしょ。どうして機嫌悪いの? お腹空いたの?」

「減ってねえよ!」

「あっ、わかった! リディアさんのことを突」

「——もう黙れっ!! マジでこっから叩き出すぞ!?」

 

 エッジがいくら怒鳴っても、ミゼルは全くへこたれない。

 生まれてこの方、恫喝や威圧に慣れているからだろう。

 

 馴れ馴れしさを全面に押し出してくるので、調子が狂ってしまう。

 こちらに会話の主導権をなかなか握らせてくれない。

 ミゼルをやや苦手としている原因がこれである。

 

 ミストでは、この男の本性を知る妻や妹分が制止役に回ってくれる。

 しかしエブラーナには、誰もいない……ミゼルの独壇場だ。

 

「攻撃的だな。お館様はお城の中じゃ無愛想って本当だったんだね」

「それもリディアから聞いたのか」

「ううん。じいやさんとさっきのザンゲツ?さん」

 

(あんの、くそじじいども!)

 どうせ、ミゼルがあの年寄りどもに、事前に面会を取り付けていたのだ。

 ここに来るまで、3人でエッジとの面会にこぎつける作戦を練っていた。

 先ほどのザンゲツの対応は、ミゼルがここに来るための猿芝居に決まっている。

 

 エッジが歯ぎしりしながら、じいとザンゲツに怒りを露わにしていると。

 ミゼルが立ち上がり、目の前にやってきた。

 

「怒っちゃだめだよ。あのおふたりは、きみのことを心の底から心配しているよ?」

「知るか」

「さっきも。きみの友人って自己紹介したら、おふたりが感動して泣いてくれたんだよぉ!」

 

 喜ぶミゼルをよそに、エッジはうつむいて両手で頭を抱えてしまった。

 

 —— —— ——

 最も多くエブラーナ城を訪れた者は、リディア。

 それぐらいには、エッジはこの城に知人友人をほとんど招ばない。

 代わりに、自ら相手の国に出向くようにしている。

 理由はいくつかあるが、じいが『わ、若様にご友人がぁ……』と泣くのもそのひとつ。

 —— —— ——

 

(疲れた……)

 テンションが上がりきっている人間に振り回されて、精神疲労が半端ない。

 

「あれ、どうしたの?」

「頼む……用がねえなら……今すぐ帰ってくれよ……」

「あっ、本日はですね。国王さまにお礼とお願いしたいことがあってやって参りました」

 

 ただの冷やかしでここにやってきた訳ではない。

 ミゼルの来城目的がぼんやりとわかり、仕方なく顔をゆるゆるあげた。

 

「……お礼って、オレなんかしたっけ」

「何言ってんの。きみのお友だちに根回ししてくれたじゃないか」

「ああ……」

 

(すっかり忘れてた)

 何かしらの形でミストに手助けすることは、実質リディアを助けることでもある。

 もはや、日常茶飯事と化している。

 

 —— —— ——

 あれは5の月の終わりだった。

 エッジがミストを訪れたら、偶然ミゼルと路上で出くわした。そして、こんなお願いをされた。

 

『リディアさんが休みの日に、ミストの仕事をお願いしようと思ってるんだ』

『珍しいじゃねえか。何やらせるつもりなんだ?』

『来月11日に、バロンとダムシアン。あとファブールの国王さまに書状を届ける仕事だよ』

 

 『薪要らずの魔法』の存在並びにその魔法がミストの秘匿事項であると認める。

 そんな認可状を書いて欲しいと、各国の国王にお願いするために。

 その日リディアに3ヶ国を訪問させたいという。

 

『きみ、そのお三方と仲がいいでしょ』

『ああ』

『時間や順番はなんでもいいから、その日になるように予定調整して欲しいんだ。あっ、嫌なら断っ』

『——それぐらい楽勝だ。1週間で何とかしてやるよ』

 

 リディアのためになるような頼みを、エッジが拒む訳がない。

 セシルたちに連絡を取り、たった3日で希望通りの日程に調整してあげた。

 —— —— ——

 

「どこからも、即日認可状がもらえるなんて思わなくてさ。ほんと助かったよ」

 

 ミゼルがとても嬉しそうに話している。

 

(さっき、オレを散々振り回してきた罰だ!)

 今なら仕返し出来るかもしれない。

 そう思って、椅子にふん反り返ってからこう言ってやった。

 

「てめえが一緒に行きゃ、言うことなしだったのになぁ」

「ぼくは『ミストのかたつむり』ですよぉ?」

「!?」

 

 嫌味を言ったら、嫌味たっぷりに言い返されてしまった。

 知るはずのない、自身の蔑称——『ミストのかたつむり』を用いてまで。

 

「なんで、それ知ってんだよ!?」

「リディアさんから聞いた」

 

(あいつ、チクりやがった!)

 ミストから出ないミゼルを揶揄した、蔑称という愛称。

 それが、『ミストのかたつむり』である。

 エッジが命名したそれを知っているのは、リディアしかいなかった。

 まさか、ミゼルに密告していたとは……口が軽すぎる!

 

「だから、行く訳ないんだよなぁー」

「くそっ!!」

 

だん! 

 

 返り討ちに遭い、悔しさのあまりに机の上を両拳で強く叩いた。

 

「今頃、ミストじゃ大騒ぎしてるかも」

「お忍びなのか」

「うん。ジャンヌさんしか知らない」

「なんで言わね」

「——それより聞いてよ! 一昨日ツクヨミさんがさ。ジャンヌさんやリディアさんを助けてくれたんだ!!」

 

(それ、オレなんだが……)

 一昨日リディアとジャンヌが、アドニスから受けた仕打ち。そして、ツクヨミの活躍。

 ミゼルが情感たっぷり込めて話してくれた。

 アドニスのジャンヌへの暴言だけは省いていたけれど。

 

「……あいつ、ミストに行ってたのか」

「そうらしいね。あれからリディアさん……名前忘れちゃったけど、魔法を受けないように肌身離さずアクセサリをつけるようになったよ」

「リボンか」

「ああ、たぶんそれだね。——もうさ、ふたりともツクヨミさんのことすっかり信頼しちゃってね。特にジャンヌさんの信頼をもぎ取ったのは奇跡だよ?」

「なんで」

「あの人は基本、男って生き物を信用してないから」

「あー、確かに……」

「『正義の味方』は別だけどね」

 

 ミゼルの話を聞くうちに、エッジはいたたまれなくなってきた。

 

(『正義の味方』でも、なんでもねえよ……)

 『ツクヨミ』は妻や妹分を助けた恩人だと、ミゼルは言う。

 しかし、あの日エッジがミストに来た動機は私情だだ漏れ。

 ただリディアに会いたいからだったから。

 

「……そのアドニスって奴、最低な野郎だな」

「いい加減、法律を作らないとね」

「そうだぞ? 村だからいらないじゃ、この先やってけねえ」

「ほんとだね。——まあ、とにもかくにもいろいろ助けていただいて本当にありがとうございましたっ」

 

 ミゼルが頭を下げてお礼を述べてくれた。

 

(これだから、こいつのこと。心底憎めねえんだよなあ)

 この男は、受けた恩に対してきちんとお礼を言ってくれる。

 尖ったナイフのように、エッジに毒を吐き続けるアリサとは大違いだ。

 

「これで、お礼は言えたし。次は……」

 

 ミゼルがそう言ってから、突然駆け出すと。

 応接席のそばに置いてあった手荷物——トランクを持って、また戻ってきた。

 それを足元に置いてから、上からじっとエッジを見てくる。

 

「なんだよ、急に」

「エブラーナでは頼みごとをする時、こうするって聞いた」

 

(土下座か!)

 ミゼルがその場に座るやいなや、両手をついて深々と頭を下げた。

 

「おい、やめ」

「——お願いしますっ!! 当分の間、ツクヨミさんをぼくに貸してくださいっ!!」

「!?」

 

 ミゼルが土下座をした。それよりエッジを驚かせたのは、お願いの内容だった。

 ついに、ミストへ忍者を派遣する必要性が出てきた。

 

「いや……ツクヨミは、さすがにずっと……」

 

 エッジが自由な身分なら、自分が扮した『ツクヨミ』を貸してやりたい。

 残念なことに、エッジはエブラーナをそう何週間も離れられない。

 だから『ツクヨミ』だけは、どうしても貸してやれない。

 

「あっ、待って待って」

「え」

「お城勤?の人なら誰でもいいんだ」

 

(待てよ……あいつ、ミストに寄越せるかも!?)

 ミゼルが要求しているのは、お城勤レベルの忍者。ツキノワでも問題ない。

 もしかしたら、少しでもツキノワに子どもらしく過ごせる時間をあげられるかもしれない。

 

「つーか、忍者に何させんだ」

「え? 氷の球がぼくの家に来た時と、寄合の日にリディアさんの護衛。あとはまあ……いろいろ!」

「護衛はわかるが。いろい」

「——便利屋やってるんでしょっ!?」

「!?」

 

 ミゼルが立ち上がると、机に両手をついて寄りかかってきた。

 あまりの勢いのよさに、エッジまで背をのけ反ってしまった。

 

「忍者って、一歩間違えたら犯罪につながる能力が多いよね。透明人間や変装に盗み聞き……その気になれば、暗殺も出来る」

「おい……」

「今の治世で、その人たちの能力を持て余さないよう、きみは国益稼ぐついでに、国を挙げて便利屋を始めたんだよね?」

「なんでそんなこと知ってんだよ!? じいから聞いたのか?」

 

 昨年からエブラーナでは、要人護衛や諜報に続いて、新しく便利屋業務を始めた。

 ちなみに、ミゼルの指摘はほぼ全て当たっている。

 

 —— —— ——

 密かに人や物事を調査する探偵。

 期間限定で様々な雑事の代行をこなす、何でも屋。

 以前から、それらの職業は小説や舞台で、架空の職業としてよく描かれていた。

 今は、探偵や何でも屋事業を立ち上げて経営している者が、少なからずいる。

 

 忍者の能力を生かすには、これらの職業はもってこいではないか?

 エッジはそう考えて、便利屋業務を始めることにした。

 現在国内外問わず、個人や団体からの依頼に応じて、お城勤を派遣している。

 なお、暗殺はお断り。

 —— —— ——

 

 便利屋を知っていただけでなく、狙いまで見抜かれていた。

 これがミゼルの恐るべし一面だ。ゼロの代わりに頭の回転が速い。

 以前、リディアに冗談を口にしたことがあったが。

 じいの後釜として、本気でスカウトしたくなってくるではないか。

 ……リディアがミストで暮らしている限り、しないけれど。

 

「聞いてないよ? 違ってた?」

「……ほうびは出ねえぞ」

「おぉ、やっぱり当たってたー」

「誰から聞いた」

「ファブールの知人から教えてもらったんだ。ミストの人はたぶん誰も知らないよ」

「あぁ、逃げた奴と繋がってたんだったな……」

「人脈、大事だよね。それでお客さんゲットして広告費ケチるなんて、きみらしいよ」

「……ほっとけ」

 

 ミゼルにくすくす笑われながら図星を突かれてしまい。

 エッジはばつが悪そうに、頬杖をつきそっぽを向く。

 

 口コミ方式——顧客の評判で噂を広げて新規客をつかむ。

 このやり方なら、広告を出す手間も省けるし、経費もかからない。

 そのため、現時点でエブラーナが便利屋業務をやっていることはあまり知られていない。

 

「いろいろって、忍者に調べ物させんのか」

「そうだよ。これからミストは荒れに荒れるから」

 

(荒れる??)

 ミゼルがそう言いながら、足元に置いてあったトランクの中を開けている。

 何かごそごそしているようだ。

 

「はい」

 

 すぐに1冊の小冊子を取り出して、こちらに差し出してきた。

 

「なんだこれ」

「浴槽の取扱説明書。エ……ああっ、ユライシャの家。今お風呂付けてる最中なんだ」

「もう工事? 早ええな」

「3日から工事が始まって、昨日これを工事の人からもらったんだって」

「……で? これがどうしたんだよ」

「中はどうでもいい。最後のページ見て」

 

 ページをめくるも、取り扱い注意事項やZの連絡先……内容はただの説明書き。

 不思議に思っていると、ミゼルが該当部分を指示してきた。

 

「!?」

 

 指示に従い、最終ページを開く。

 すると、既視感のある文字の羅列が目に飛び込んできた。

 

「おい!!」

「わかった?」

「呪文が漏れてんじゃねえか!?」

 

 エッジは驚かずにいられなかった。

 そこには、ミストの秘匿事項、『薪要らずの魔法』の詠唱呪文が載せられていたから。

 

 —— —— ——

『風呂の湯沸かし、かまどや暖炉にもどうぞ』

 

 呪文の隣にそんなキャッチコピーがででんと載っている。

 

 ファイアを習得しなければ魔法は使えない。

 手で触れれば消えるので、火事の心配もない。燃焼時間は最長1時間……。

 注意事項まで書かれているが、全てリディアが考案したそれとまるっきり一緒。

 —— —— ——

 

「一斉販売から明日で10日経つ。実際に外で少しずつ広まってるみたいだし、ミストの住民に知られるのも時間の問題だね」

「モノは回収出来るが、呪文は一度漏れたら終わりだぞ!?」

「広まるのを見てるだけしかないね」

「……」

「それにさ。犯人が見つかったら、国王さまお三方にどこかに集まっていただかなきゃならなくなった。——目星はもうついてるけど」

 

 苦笑しながらそう話したミゼルは、心中穏やかではないだろう。

 

 エッジもエッジで、この男をさっさとここから追い返してやろう。

 そんな気がすっかり失せてしまった。

 

「ミストに一言あってもいいのに連絡なし。どうもZは信用出来ないと思ってたらこれだ。Zと誰かさんたちはグル。お金も動いてるかもね」

「……誰かさんたちって誰だ?」

「わざとらしいなあ、わかってるくせに」

 

(キロンとアドニスか)

 ミゼルは彼らの名前すら口にしたくないから、誰かさんたちと称しているのだろう。

 しかも魔法の詠唱呪文を漏らした犯人が、その親子だと予測を立てているようだ。

 

「……そいつらとZって、接点あんのか?」

「うん。リディアさんからZの話、聞いたことある?」

「大体な」

 

 —— —— ——

 浴槽(浴室)を、ただでつけてもらったのはいい。

 ところが、薪の消費がかさみ、ミストの緑も減って困っている。

 ミゼルが何度そう訴えても、Zは無視を決め込んでいる。

 

 いつもの人たち——ミストに定期的にやってくる開発部の社員は、みんないい人。

 一度彼らが、ミゼルの薪減った問題に答えるよう、上司に訴えてくれた。

 しかし、下っ端だからか上司から怒られて逃げられてしまった。

 —— —— ——

 

 リディアから聞いていた話をざっくり答えてから、ひとつ質問してみた。

 

「いつもの奴らは、グルじゃねえのか」

「その人たちは、商品を作るまでが仕事でね。ミストのお宅点検も自主的にやってくれてたんだ」

「……担当が違うんだな」

「すぐに連絡取って聞いてみたら驚いてたな。説明書があることすら、上司から教えてもらってなかったんだって」

 

 ミゼルが苦笑しながら、なおも話を続ける。

 

「そうこうしていたら。一昨日、Zの人がミストにやってきた」

「いつもの奴らだろ」

「違う。上の人だよ」

 

 —— —— ——

 その日の夕方。ジャンヌが自宅の裏で庭仕事をしていた。

 それを終えて、家の中に入ろうと玄関に回った。

 すると、やたらいい服を着た男性ふたりが、辺りをうろちょろしている。

 

 男たちは、ジャンヌに気付いてそばに近付いてきた。

 ご丁寧にも、身元——Zのお偉いさん——をしっかり明かした。

 その上で、誰かさん(父親)の自宅の場所をたずねてきたという。

 —— —— ——

 

(あいつらか!!)

 ミゼルの話を聞いて、エッジははっと気付いた。

 

 一昨日、シビエンからミストの発着場に到着した際。

 見慣れぬ男性ふたりが原っぱに立っていたのを、しかとこの目で見た。

 ……すぐ、やってきた巡回艇に乗り込んでしまったけれど。

 てっきりどこぞの新聞記者が、ラルフに取材した帰りだと思っていた。

 

「この春までアドニスは、Zと同じトロイアに住んでたしね」

「上の奴らと接触してるかもしれねえってか……」

「うん。浴槽は売れ行き上々。偉い人が調子に乗って誰かさん家に、『お礼』の挨拶にきたんだと思うよ」

 

 黒魔法の巡回指導は、来年から始まる。

 ファイアを覚えられる環境があれば、更に浴槽が売れること間違いない。

 高性能な浴槽を売るライバル会社が現れない限り、Zは大儲けし続けるだろう。

 

「あっさりバラしやがって……目先の欲にくらんで、魔法が広まったら各所に影響が出るって気付いてねえんだな」

「『薪要らずの魔法』は、飛空艇といっしょだからね」

 

 —— —— ——

 『薪要らずの魔法』が世界各地に広まれば、まず人の生活が大きく変わる。

 その名の通り、薪の需要は間違いなく減る。

 飛空艇の発明以降、それまで長距離移動の主役だった海路が脇役に追いやられたように。

 都会向けに薪や木材を切り売りする者には、相当な痛手になるかもしれない。

 —— —— ——

 

「おまえ、リディアが利用されたのが一番こたえてんだろ」

「……あの魔法。どうして出来たか知ってる?」

「おまえがキロンに寄合でいじめられたからって聞いてる」

「1年前にさ。誰かさんがお風呂をつけたせいで、薪が減ってミストの緑も減ったから、今すぐ対案出せ、出せなかったら村長辞めろって迫ってきた」

「無茶ぶりもいいとこだろ……」

 

(ばかばかしい……オレは何やってんだ)

 実はその日の寄合を、姿を隠して全て見ていたとは言えない。

 仕方なく、初めて詳細を聞いた風を装ったが、むなしくなってしまった。

 

「キロンさんが寄合が終わって帰る前に、ぼくを見て笑ってきてさ。それがずっと引っかかってた」

「!?」

 

 エッジは当時にその場面を見ている。

 まさか、笑われていた本人が気付いていたとは思わなかった。

 

「はぁーあ、リディアさんのミスト愛が利用されちゃったよ……」

「ばかか。あいつはおまえがいじめられてたから魔法作ったんだぞ」

「違う違う。あの子はミストが大好きだ。緑の方が大事さ」

 

(逆に決まってるだろ!)

 謙遜して物を言うミゼルに、エッジは心の中でそう突っ込んだ。

 

 —— —— ——

 村長をクビになれば、次の村長次第ではリディアの平穏な日々は終わってしまう。

 

『自分が死ぬまで、ミゼルには村長を続けて欲しい』

 

 リディアはそんな無茶を度々口にしていたぐらいだ。二の次な訳がないだろう。

 —— —— ——

 

 エッジがそうこう思っているうちにも、ミゼルの話はまだまだ続く。

 

「リディアさんが『薪要らずの魔法』作るって言い出してから、ずっと悩んでたんだ」

「何を」

「何の対策もなしに魔法を公開したら、リディアさんが作った魔法はタダで提供しますって先例が出来ちゃうじゃん」

「あぁ……あいつがなんか言ってたな」

 

 今後リディアが、ボランティアで魔法を作らされる——不当利用——こともあり得る。

 実際リディアが『みんなのために魔法を広めてあげたいの!』と言いながら。

 うかつな判断をしなくてよかったと思う。

 

「キロンさんの笑みも気になる。Zから魔法の見返り……対価をもらおうにも信用出来ないから、『薪要らずの魔法』をカードにうかつに交渉出来ない……」

 

 Zの態度が変わって、見返り交渉が成立するまで。

 結局、そんな期限を設けて、『薪要らずの魔法』をミスト内での秘密にすることに決めた。

 加えて、詠唱呪文が漏れた場合。犯人には、謝罪と自己処罰の刑を下す。

 住民にそんなお触れを出した。

 

 以来、ミゼルは今日まで様子見しながら、Zへ薪の消費が上がった問題に答えるように。

 定期的に催促(※毎回無視)していたという。

 

「実はその時から、国王さまからのお墨付きをもらう構想も立ててたんだよ」

「そんな早くから!?」

「カード一気に切るのもどうかと思って、世界販売するまで待ってたけどね」

「キロンたちへの牽制に残しといたんだな」

「そういうこと」

 

 『薪要らずの魔法』が普及して10ヶ月ほど過ぎた、今年の5の月。

 親しくしていた、Zの開発部の社員からこんな情報をもらった。

 

『7の月から浴槽を売り出すことに決めたようです』

 

 すぐさま、エッジに国王への面会の日時調整を頼み、難なく公認を取りつけたという。

 

「はじめは、売上倍増目的で魔法を作ってもらおうと思って、リディアさんから言質を取ったんだよ。だから、Zもぼくの質問に答えなかった」

「まさか、ずっと前からグルって言いてえのか……?」

「たぶんね。で、ぼくが隙を見せちゃった」

「隙ってなんだよ」

「ミストの中での秘密にすると決めたことだよ。そうしたら、『もっと処罰を重くしておけば、こうならなかった』『魔法の対価を得る手段は他にもあった』『対価を得ていれば、秘密にする必要もなかった』『こうなったのは、みんなおまえのせいだ』……後でぼくを吊るし上げ出来る」

「おまえ、リディアのためにそうしただけじゃねえか。オレがおまえなら同じことするぞ?」

「残念ながら、あの人たちには道理は通用しない」

 

 あの人たちとは、キロンを含めた西区画に住む保守系先住民のことだ。

 よそ者や魔法を使えない者を軽視する。ゼロを蔑視する……。

 彼らは極めて閉鎖的かつ歪んだ思想を持っている。

 ゼロという理由で、ミゼルが彼らに疎まれていたのは、エッジよくも知っている。

 

「そもそも、あいつらはどっちかっつーとミストで魔法を独り占めしてえ側だろ」

「一度ぐらいなら目をつぶる」

「どういうことだ」

「あの人たちは、ぼくに責任を押し付ける……目的のためなら、こじつけやデマ吹聴、なんでもやるよ」

 

(魔法で人を殺してた時代の奴らだから、手段を選ばねえか)

 まずゼロが、純血の召喚士——リディアと懇意にしていることがあり得ない。

 とにかく保守系先住民は、ゼロが気に入らない。

 だから、彼らはミゼルの言うことに反発している。

 ミゼルが呆れ笑いでそう話した。

 

「移民の奴らは、ゼロ気にしてねえだろ」

「だから、今キロンさんたちは少数派なんだよ。数でねじ伏せたらいいと思って、ぼくも好きに言わせてた」

「……」

「なのに、こんな手を使ってくるなんて……! 警戒に警戒を重ねたのに、全部水の泡だ……!」

 

 ミゼルが両手を机について、悔しそうにそうつぶやいた。

 

(悔しくてたまんねえよな……)

 エッジはそれを見て同情してしまった。

 浴槽無償設置の時点で、こうなるのは既定路線だった。

 それが正しいなら、今日まで後手に回っていたことになる。

 

 ミゼルがリディアの平穏な日常を守るためには。

 少しでも権限を持つ、村長で在り続けることが不可欠である。

 卑怯な手を使われて、村長の座を追い出されようものなら。

 リディアの生活も一変するだろう。

 

「あの親子が魔法をバラしたって証拠を、忍者につかんでもらおうと思ってんだな」

「その通り。——どうか、これで頼まれてよっ!!」

 

 ミゼルが足元に置いてあったトランクを、勢いよく執務机の上に乗せた。

 

「まさか、そん中に金が入ってんのか……??」

「うん。さすがに依頼料の相場まではわからないから、適当に詰め込んできた」

「!?」

 

 トランクの中を見せられて、エッジは目が点になった。

 しわは目立つが、ギル札が整理整頓された状態で隙間なく並んでいる。

 

「もしかして、偽札だと思ってる?」

「いや、そういう訳じゃねえけど……」

「ほらほらー? みーんな本物だよぉー? これで足りる?」

 

 ミゼルがギル札の束をぺらぺらめくって、全て本物のお札アピールしてくる。

 

「逆に余るぞ?」

「えっ? そんなにお安いの?」

「ああ」

 

 お金の話は、じいに丸投げ。エッジも相場は知らない。

 それでも、このトランクにあるギルを適当に換算しても。

 依頼1件分として足りないどころか、有り余るのは一目でわかった。

 

「つーか、みんなおまえの金かよ」

「そうだよ」

「いつの間に、こんな貯めたんだ」

「……あー、やっぱりわからないか」

「!!」

 

 黒眼鏡を外したミゼルに素顔を見せられて、ぐっと息を詰まらせた。

 向かって左半分は端正な顔立ち。

 反対側は、こめかみから頬まで肌が焼けただれて原型を留めていない。

 

 以前エッジは、『ツクヨミ』で、この男の素顔を見たことがあった。

 改めて明るい時間に見ると、やはり目も当てられないぐらいひどい。

 

 嫌がらせや誘導……。何にしても、自ら傷を晒した者に失礼に当たる。

 エッジはそう思い、視線を逸らさなかった。

 

「これのおかげで、ぼく自身はお金には困ってないんだよ」

 

 ミゼルが自身の目があった箇所を指さしながら、明るい声で答えた。

 彼の素顔を見るのは二度目。しかし、当の本人の態度は、前と同じ。

 これっぽっちも悲壮感を感じさせない。

 

「そっちの目ェ、見えてんのか」

 

 一度『ツクヨミ』でたずねたことがあり、既に答えを知っているが。

 『エッジ』としては初見なので、改めて左目の状態をたずねた。

 

「柱が刺さったから取った」

「あ……」

 

 そこには、もう眼球がない。

 見たくても見ようがない——片目失明ということである。

 

「その柱がさぁー。また、あっちあちに燃えててさぁー。あの時は地獄だったよぉー!」

 

 ミゼルが笑い話のように話しながら、黒眼鏡を再び掛けている。

 エッジはそんな振る舞いを見て言葉を失う。

 

(なんでそんなに明るく話せるんだ?)

 古い思想を持つ輩から仕打ちを受けたこと。

 それが、傷や後遺症が残ったことより、よほど悔しくてたまらないように見える。

 

「……それ、リディア見たことねえよな」

「ない。これからも見せない」

「なんで」

「あの子の思い出の中のぼくは、ハンサムで優しい近所のお兄さんだからだよ。綺麗な思い出はそのままにしておきたいじゃない」

「へっ、自分で言ってりゃ世話ねえや」

「再会してすぐに、この姿見ただけで泣いてくれたからね……これ以上、泣かせたくないんだ」

 

 顔の傷を他人が見ると、みんな直視に耐えられなかった。

 目を逸らしたり、目元を押さえたりする。

 そして、うち半数の人がミゼルを哀れんで泣いてくれた。

 リディアもそうなるのが目に見えているから、死ぬまで見せないという。

 

「ぼくの顔を直視してくれた人は、きみでふたり目なんだ」

「……そうか」

 

(ツクヨミと今日……オレだけ??)

 目を逸らさずに見ることが出来る者が、エッジだけしかいないという。

 もう少しぐらいいてもよさそうなものなのに。

 

「ってことは、こいつはバロンからの見舞金か」

「正式には賠償金。火事で生き残った民ひとりずつ、バロンから賠償金が支払われた。怪我の具合に応じて額が決められているから、ぼくが最高額かな? あとは毎月生活費もいただいてる」

 

 大きな後遺症を負った。そんな理由で生活費の支給はミゼルだけ。

 おまけに支給は無期限だという。

 

(片目でも障害には変わんねえ。これぐらいしてもらえるか)

 この男は、終生バロンから生活を保証されているということだ。

 

「このお金は、もともとミストに寄付するつもりで貯めてたんだ。今は村のお金じゃないってだけ。これでミストがよくなれば言うことないよ」

 

 ミゼルがトランクのふたを閉めながら、話をそう締めくくった。

 

(相当な覚悟をもって、ここに来たんだな)

 自身の貯蓄は、実質ミストのお金という認識を持っている。

 長年閉じこもっていた、かたつむりの殻——ミストから抜け出して。

 負の歴史とも言える顔の傷までエッジに見せてきたぐらいだ。

 

「……わかった。おまえに忍者貸してやる」

「ほんと!?」

 

 リディアの幸せに繋がるのなら、手を貸してやらない訳がない。

 良返事が聞けたからか。ミゼルがそれはもう輝かしい笑顔を見せた。

 

「いやぁー、本当にありがとう!!」

 

(オレはそんなに甘くねえんだよなあ)

 目の前で大喜びする男を見ながら、心の中でほくそ笑む。

 エッジは清廉潔白な善人でも、くそ真面目な堅物でもない。

 

「ここまで来た甲斐があっ」

「——まだ早ええぞ」

「え」

「オレが出す条件。全部呑めたら、の話だ」

 

 エッジの話を聞いた途端。先ほどまでの喜びはどこへやら。

 ミゼルが不服そうな表情に変わったが、エッジは気にしない。

 

「待ってよ。ぼくが条件出」

「——忍者貸して欲しくねえのかよ」

 

(条件を全部受け入れたら、タダで忍者を貸してやっから。これぐらい許せよ)

 こちらに都合のいい環境や状況になるように。ここぞとばかりに、条件を提示してやる。

 

「くっ……! さすが忍者のお偉いさん。ずる賢いなあ」

「うるせえ、あっちで交渉始めるぞ」

 

 席を離れたエッジは、底意地が悪い笑みを浮かべながら。

 ミゼルの肩を叩いて、応接席に戻るよう勧めたのであった。

 

「ついでに、Zも潰してやろうぜ」

「冗談きついなぁ……」

 

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