※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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エッジ視点(次話からリディア視点に戻ります)


いのち短し遊べよこども

 

 

——7の月12日 午前8時

 

 

「ツキノワちゃん。初任務しっかりね」

「はい、頑張ります」

 

 エブラーナ城の中央にある大広間。

 そこにはお城勤や内勤職の者、女中に下男……。

 性別職種を問わず、多くの使用人がツキノワを取り囲んでいる。

 

(愛されてんな……)

 なぜこんなに集まっているのかと言えば。

 約2年、ここに暮らしていた子どもの晴れの門出を見送るために他ならない。

 使用人が、初仕事の者を見送ることはほぼなきに等しいのに。

 

「エブラーナ城のオアシスが……っ、ううう……」

「仕事ですから。泣いちゃだめです」

「いい、いい。ほっとけ」

 

 泣き出した若いお城勤を、ツキノワがなだめようとした。

 しかし、下男に止められている。

 

「これ。巡回艇の中で食べてね」

「あ、ありがとうございます!」

 

 内勤の女性から小袋を手渡された。ツキノワがそれを照れ臭そうに受け取っている。

 すると、見送りの輪の外にいたザンゲツとじいが前に出てきた。

 

「あっちでも修行を続けるのだぞ?」

「もちろんです」

「若様にご挨拶したかのう?」

「はい、朝の修行で済んでいます」

 

 年寄りふたりからのお別れの言葉にも、ツキノワは素直に返事をしている。

 

「子どもひとりで初任務に向かわせるとは……さすがに厳しすぎやしませぬか?」

「若様も何をお考えなのやら」

「付き添ってくれる方はいます」

「はぁ??」

「そ、それは本当か?」

「はい。依頼人の方に説明するために、ボクと一緒にミストに向かうことになっているので、もうすぐここにいらっしゃるはずです」

 

 ツキノワの言葉——付き添いがいる——を聞いた途端。

 じいとザンゲツの表情に、さっと陰りが差したように見えた。

 

「へえ……よかったじゃないか」

「お館様も配慮なさるに決まってるわよぉ!」

「やはり、慈悲深いお方だよ」

 

 年寄りふたりと対照的に、他の使用人はエッジへの賛美を口にしている。

 

(オレはそこまで鬼じゃねえぞ?)

 初仕事かつ子どもをひとりで行かせる訳がない。

 事前にじいたちへ話せば、不審の目でエッジを見てくるのが目に見える。

 だから、ふたりには黙っていた。ツキノワにもぎりぎりまで明かさなかった。

 

「ひとりで向かわせるとおっしゃっていたぞ?」

「いっ、いつ聞いたのだ!?」

「わっ」

 

 ザンゲツが勢いよくしゃがみ、ツキノワの両肩に両手をつかんだ。

 

「……今日の朝修行の前に、お館様から聞きました」

「じい様。まさか……!」

「っ、まんまとやられたわい」

 

 ザンゲツとじいが苦虫を噛み潰したような表情で、互いに顔を見合わせている。

 どうせ、こっそりお館様が何かやらかすと思っている。

 

(ようやく出番だぜ)

 エッジはここまでお別れの儀式を、物陰からこっそりのぞいていた。

 ついに、その場を離れて人の集まりへ颯爽と向かう。

 

『おはようございます。ツキノワくん』

「おはようございます。あの、もしかして……」

『本日ミストに同行するツクヨミと申します。お館様から、きみのお仕事の手助けをするよう命じられております』

「!?」

「なんだと……!?」

『どうぞよろしくお願いします』

「こ、こちらこそよろしくお願いします」

 

 ツキノワは、『ツクヨミ』の正体に気付いていないようだ。

 

(タツミがいなくてよかったぜ)

 ツキノワや他のお城勤は、察知した気配から人物を判別する能力までは持っていない。

 『ツクヨミ』の正体を見破れる者はここには誰もいない。

 

『では、参りましょう』

「はいっ」

 

 じいとザンゲツが、『ツクヨミ』に扮したエッジを、じと目でにらんでくる。

 

(無駄無駄)

 このふたりは前々から、『ツクヨミ』の正体を知っている。

 どうせ、ろくでもないことを企んでいる。

 今そう思っているに違いない。

 

「では、みなさん行ってきます!」

 

 エッジが玄関の扉を開けて、出立を促す。

 すると、ツキノワに大きな声と共に、大人たちに軽く一礼。

 それから、かばんふたつを持って外に飛び出した。

 

「行ってらっしゃい」

「気をつけてな!」

 

 扉を閉めようすると、その隙間からツキノワに手を振り続ける大人たちの姿。

 何とも微笑ましい光景である。

 そんな中、予想通り例のふたりだけは表情が冴えない。

 

(ミストとリディアのことは、全部オレ主導だ! 誰の指図も受けねえからな!)

 そのうちのひとり。じいに向かって、面の下からぎろりとにらみながら殺気を飛ばした。

 

「……ぅ、っ」

 

どさり

 

「じいやさん!?」

「じ、じい様っ!」

 

 じいが、うずくまるように前のめりで倒れた。

 さすが未だ修行を続けているだけある。

 普通なら、殺気に飛ばされて仰向けに倒れていただろう。

 

 ザンゲツたちが慌てて、じいに駆け寄る。

 そんな場面を見届けてから、玄関の扉を閉めたら。

 ツキノワが不安そうな表情でこちらを見上げている。

 

「じいやさん……大丈夫でしょうか?」

『きみとお別れするのが惜しくて、失神したのでしょうね』

 

 ツキノワは、エッジが殺気を飛ばした場面を見ていない。

 心労と偽っても怪しまれない。

 

「そんな……」

『なりません』

 

 扉を開けようとするツキノワを手で制した。

 よほど、じいが心配なのだろう。

 じいは自身の孫のように、ツキノワをとても可愛がっていた。

 深夜の修行を自重するように、時折エッジに注進してきたぐらいだ。

 

『巡回艇の時間が迫っています。あとはみなさんにお任せしておけばよいのです』

「っ、わかりました……」

『さあ、参りましょう』

 

(あんなんで死にゃしねえよ)

 エッジはうなだれるツキノワの肩を叩いて、発着場へと向かった。

 やっぱりじいが心配なのか。ちらちら後ろを振り返る子どもを横目で見ながら……。

 

 

——それから30分後

 

 

 エッジたちは、無事に右回りの巡回艇に乗り込んだ。

 現在は防雨スペース内で、ツキノワへ資料を使って任務説明しているところである。

 ちなみに、この資料。今回の任務に関する超重要ものだが、城からくすねてきた。

 

『……ミストでは本名を名乗らない。変化も解かない。エブラーナとは無関係を装って……』

「……」

 

 あらかじめ資料に目を通していたのだろう。

 ツキノワからは質問もなく、説明はスムーズに進んでいた。

 ところが、ここに来て子どもが黙り込んでしまった。

 

『どうしました?』

「……ボク、どれぐらいミストにいなきゃならないんでしょうか?」

『諜報の場合は、おおむね1年から2年、現地滞在することになっています』

「やっぱり、そうですよね……」

 

 実は、本日の朝。

 お館様として、ツキノワに秘密指令——諜報任務——を口頭で伝えたばかり。

 

 じいをはじめ使用人は、エッジやツキノワが今手にしている資料に記載された内容しか知らない。

 その資料には、諜報の『ち』の字も、任務期間も記載されていない。

 そのため、使用人はみなミゼルの依頼を片付けたら。

 ツキノワは城に帰ってくると思っている。

 

『諜報の仕事は嫌ですか』

「嫌ではありません」

『確認のため、内容を教えていただけますか?』

「……5日おきに、依頼人の自宅にある伝書鳩を使って、ミストの動向を城に送ること。あとは、リディア様が突然ミストの外に出たり、何かトラブルが起こったりした場合、すぐに城へ連絡すること。通信文は、全て依頼人に検閲してもらうこと。以上です」

『その通りです。しっかり励んでくださいね』

 

 ツキノワが秘密指令の内容を答えてくれた。

 

(偉いぞ! しっかり覚えてんじゃねえか!)

 早朝、お館様から口伝で伝えられただけなのに。

 全く違わず答えたツキノワを、心の中で褒めてあげた。

 

(ツキノワがミストにいるうちに女のお城勤、見つけて育てねえとな……)

 今後ミストに諜報を派遣するなら、エッジは女性以外受け付けない。

 女性のお城勤を増やせ。無理なら、イザヨイみたいにスカウトしてこい。

 昨日、じいにそう命じたばかりであった。

 

「実は今日の朝、それを聞いたばかりで……」

『さすがに直前に言い渡されたら戸惑いますよね。僕もその話を昨晩、お館様から聞いたばかりです』

 

 エッジは『ツクヨミ』の演技中。とぼけたふりを続ける。

 諜報任務の命令を下したのは、この自分のくせに。

 

「でも、ミストに諜報は必要ないと思います。依頼人の方に頼んで情報を流してもらえば……」

 

(あいつなら喜んで、日記みてえに流してくれるだろうな)

 先日、エッジはミゼルにこう言い渡してある。

 預かってもらう子どもには、自身の依頼だけでなく諜報を兼ねてもらうと。

 

 —— —— ——

 バロンやトロイアなど、大国には諜報を複数人送り込んでいる。

 毎日、動向をエブラーナ城に報告するように命じてもある。

 一方、他町村に派遣している諜報はひとりだけ。報告も2、3日に1回だ。

 —— —— ——

 

 どこと比べても、ミストの諜報任務はゆるゆるだ。

 まず現地の人間による検閲があり得ない。

 しかし、ミストはエッジにとって、聖域とも言える場所。

 こうして特別な措置——ルール破りともいう——も、ほいほい取る。

 

『表情が冴えないようですが、ミストに行きたくないように見えます』

「嫌ではありません。ただ……」

『ただ、何でしょう?』

「お館様に、ミストでは少しは羽目を外していい。余裕があれば普通の子どもでいろと言われました」

『よかったですね……! 遊ぶ時間もあるなんてうらやましいですよ』

 

 エッジは大人代表として、率直な感想を述べた。

 大人になっても、遊ぶ時間——仕事以外の時間は欲しい。

 

 エッジだけではない。ザンゲツは言わずもがな。

 ゲッコウも独り身の同志を集めて、定期的に宴席を開いている。

 イザヨイですら、休憩時間になると友人——ハツイと楽しそうに語らっている。

 ツキノワのように、自ら仕事に自ら追われたがる者はほとんどいない。

 

「必要ありません」

『なぜ、そう思うのですか?』

「隠密を使うか、大人に変化して、調査や諜報した方が楽ですし……誰にも迷惑が掛かりませんから」

『きみには学校のような場所に通ったり、普通の生活を送ってもらう。依頼人の方がそう希望されたのですから、仕方がありませんよ』

「……どう羽目を外していいのかわかりません。子どもと遊んだことも……」

『ないのですか?』

「ほとんどありません。だから、怖いんです』

 

 ツキノワがそう答えると、頭を深くうつむかせた。

 告白は罪。そう言わんばかりに申し訳なさそうな表情が、エッジの胸を痛ませる。

 

 城の使用人も、こんな本音を聞いたことないだろう。

 初見の相手だからか。初仕事だからか。

 『ツクヨミ』へ、本音をもらしてしまったと見える。

 

(やっぱ食わず嫌いだったか……)

 食べ物に限った話ではなく、経験についても食わず嫌いがある。

 ツキノワはこれまで、大人側として立ち回ってきた。

 そのせいで、諦めたふりをして子どもとしての経験をするのを怖がっている。

 

『もったいないですね。経験しないまま、終わるのは……』

「え?」

『どんな経験も良し悪し関係なく、きみ自身の成長につながりますよ?』

 

(心配すんな。あいつらも未経験だ)

 ツキノワが不安そうにこちらを見上げている。

 エッジは心の中で励ましの言葉を送ってあげた。

 

 そんな話を聞いて、あの夫婦が呆れる訳がない。

 あのふたりは、長年リディアに接していたが、一緒に暮らしたことはない。

 リディアどころか、子どもとひとつ屋根の下で暮らしたことがないのだから。

 

 ***

 

——3日前 7の月9日 午後

 

『こちらが提示した条件を全て呑まないと、忍者を貸さない』

 

 エッジは、ミゼルの依頼を受けることに決めた。

 交渉に入る前に、彼の分の昼食も準備するよう手配した。

 

「メシと交渉が終わったら、城の武具倉庫と城下町を案内してやるぜ」

「はは、どうも……」

 

 ミゼルにそんな約束をすれば、呆れ笑いを見せていた。

 

(こいつ、なんでオレが依頼受けたか気付いてるよな……)

 訪問当初の塩対応が、一転して破格の待遇に変わったのだ。

 どうせ、心の中で『リディアさんのことになると、すぐ人が変わる……』と、思っていたはず。

 

 昼食を済ませた後、エッジはミゼルにいくつか条件を提示した。

 

 —— —— ——

 1・ミストの花火大会の裏方5年契約を無期限に変更。

 ただし、今後はミストへ行く者が誰になるかわからない。

 2・ミスト今昔事情をエブラーナから去る前に出来る限り自分に教えること。

 3・今日の出来事をジャンヌ以外に口外してはならない。

 —— —— ——

 

 以上全てを、ミゼルは二つ返事で了承した。

 続けて、エッジは4つ目の条件を提示した。

 

 —— —— ——

 4・エッジは事前許可なしではミゼルと面会しない。

 加えて、ミゼルが使用人と連絡を取った場合。エブラーナは、ミストとの関係を断絶する。

 —— —— ——

 

「なんなんだその条件は……!?」

 

 条件を聞いた途端、ミゼルの機嫌が悪くなった。

 

「文句あんのか?」

「ぼくは、エブラーナで友だちも作らせてもらえないのか。しかも、禁を破ったら国交断絶?? 単なる脅しじゃないか」

 

 実質エブラーナ城に出禁と言われたようなものだ。不機嫌にもなるだろう。

 しかし、エッジは今後ここでミゼルに会う気はないので、聞く耳持たずを貫く。

 

「じじいとダチになってどうすんだ。先が見えてるじゃねえか」

「うわぁ……あの人たち、それ聞いたら泣くよ?」

「そんなにダチが欲しかったら、城下町で探せよ」

「いや、まあ……そうなんだけどさあ……」

 

(じいやザンゲツとは手ェ組ませねえぞ!)

 ミゼルがこうして文句を垂れているのは、目的を阻止されたからだ。

 この男は『友だち』と称したが、じいたちと連絡を密に取るつもりでいたはず。

 

 この男は、リディアの保護者同然の存在。

 なおかつ、じいに匹敵するほど頭が切れる。

 エッジに会うために、初対面のじいやザンゲツを味方につけたぐらいには。

 無駄に交流力が高いのも、また性質が悪い。

 

 そんなミゼルが、年寄りふたりと手を組めば。

 エッジの『リディアを影から幸せにしてあげる』計画を邪魔されかねない。

 

「おい。呑むか呑まないか、早く言えよ」

「っ、わかったよ。のめばいいんでしょー? のーめーばぁー!」

「なんだその言い草!?」

「普通、注文つけるのは客のぼくだ! それを、エブラーナのためなんだと思って大人しく聞いてたら、ほとんど私情がらみじゃないか!!」

「っ、その台詞そっくりそのまま返してやるぜ!!」

 

(てめえも個人的な依頼のくせに!!)

 ソファから立ち上がり、珍しく声を荒げるミゼルへ。

 エッジも負けじとばかりに、屁理屈で対抗してやった。

 

 ミゼルははじめから、渋々ながらも条件を呑んでいた。

 それが、4つ目の条件を聞いてとうとう我慢出来なくなったようだ。

 

「きみと一緒にしないでくれ!! ぼくはミストのため……っ?」

「なんだ。続き言えよ」

「きみ、まさか。リディアさんと何か」

「——忍者貸さねえぞ」

「くっ……」

 

(誰だろうが、オレとあいつとのことに首を突っ込ませねえぞ!)

 エッジから『忍者貸さない』というカードを出されて。

 ミゼルが悔しそうな表情で、再びソファに座った。

 

 あらかじめ机の上には、巻物がふたつ開かれた状態で、上下に並べてある。

 エッジはまず、上の巻物に、4つ目の条件の内容を事細かく書き綴る。

 続けて、下の巻物にもそっくりそのまま同じ内容を記し始めた。

 

「わざわざ、そんな契約書いる?」

「オレは約束を守るが、おまえはアテにならねえからな。残しとかねえとこっちの気がすまねえ」

 

(こいつは、難癖つけたり屁理屈こねたりして約束破ってもおかしくねえ!)

 ふたつの巻物は、エッジとミゼルがそれぞれ保存する契約書である。

 今エッジが作っているのは、ミゼルに呑ませている条件に関しての契約書だ。

 正式な依頼——魔法を漏洩した犯人を見つける等——の契約書は、後日、使用人が作るはず。

 

「悲しいなあ、信用ゼロか」

「喜べ。信頼はしてるぞ」

「っ、どうだか……」

 

 せっかく褒めてやったのに、ミゼルがふてくされてしまった。

 

 —— —— ——

 誰がどう見ても、エッジがやってることはおかしい。

 おかしいのに、それでも強気に出るのは他でもない。

 

 ミゼルは奸計によって、村長の座から追い出されたくない。

 アドニスがうろついているのもあって、忍者を借りたくて仕方がない。

 だから、どんなにエッジの私情にまみれた内容だとしても。

 この男は条件を全て受け入れるしかないし、何が何でも受け入れてもらう。

 —— —— ——

 

「ねぇー、まだ条件あるのー?」

「あとひとつだな」

「早く寄り道したいんだけど……」

「もうちょい我慢しろ!」

 

(最後に大喜び出来るんだぞ??)

 残りの条件を呑めば、依頼無報酬を提示して交渉を終える予定だ。

 それからは、武具倉庫や城下町で好きなものを買えばいい。

 この国に金を落としてから、ミストに帰ればよし。

 エッジは条件を押し付けただけでなく、金までふんだくるほど鬼ではない。

 

「で、最後は何ですかぁ……?」

「ツクヨミは無理だが、お城勤並みに使えるガキがいてな。そいつをおまえに貸してやる」

「子ども……??」

「つっても、ガキひとりで野宿させる訳にゃいかねえだろ?」

「……当たり前だよ。そんなの可哀想じゃないか」

「だから、そいつの面倒をおまえが見てやってくれ」

 

 エッジは最後の条件をミゼルに提示した。

 

 —— —— ——

 5・依頼人はエブラーナが貸与する忍1名を預かること。

 任務を終えるまで、その者に家庭的な生活環境を経験させること。

 —— —— ——

 

「その子を、ぼくの家でしばらく預かるってこと?」

「ああ、そうだ」

 

(子を望めねえ夫婦に、子どもを押し付けるのは畜生か?)

 ミゼルたちは、子どもが作れないと公言していない。

 だから、別に構わないだろう。

 何より依頼者と同居なら、連携を取りやすいではないか。

 エッジはそう考えて、条件を提示したのだが……。

 

「いやぁー! ここに来て、よかったなぁ!」

「えっ」

「その子、預かるよ」

「本当にいいのか?」

「ああ。一度でいいから、子どもと一緒に暮らしてみたかったんだ!」

 

 ミゼルが反抗的な態度から一転、諸手を上げて大喜びしている。

 その様を、エッジは複雑な面持ちで眺めていた。

 

(やっぱ、子ども欲しくてたまんねえよな)

 ミゼルは今まで、自身たちの子作りに無関心を貫いていた。

 それがこの反応だ。

 今まで妻に気を遣って、我慢をしていたように見えた。

 

 子作りが出来ない側、そうでない側。どちらも不幸でしかない。

 せっかく条件を受け入れてくれたのに、もやもやしていると。

 

「……あれ?」

 

 突然、ミゼルの表情が固まった。

 

「いいの? 親御さんと離れ離れになるよね」

「あ、それはな——」

 

 エッジは、ツキノワの経緯をミゼルに話した。

 ただし、年齢と本名。次の国王として育成していることを除いて。

 すると、ミゼルが渋い表情でこんなことを口にした。

 

「遊びに興味ない? 子どもらしくないなあ」

「自分は能力が高けえから、遊んでる資格も暇もねえって言うんだよ」

「だめだだめだ。子どもの頃からお国のために尽くすなんて早すぎる。せめて15になるまで」

「——本人が早くお城勤になりてえって言ってんだ。それによ。能力腐らせる訳にもいかねえだろ?」

「子どものうちから能力が高すぎるのも、いいことばかりじゃないね……」

 

(リディアのことも指してるんのかもしれねえな)

 ミゼルがつぶやくように、能力が高い子どもの境遇を憂う。

 エッジには、憂いの対象がツキノワだけではないように聞こえた。

 

「お城勤になっちまうと、二度とガキ扱い出来ねえ。このまま昇進させていいか……少し迷っててな」

「へー、きみも人の子だったんだね」

「うるせえ! 人並みに良識常識はもってんだよ」

 

 この国の者でなくても、相手が『国王』だと多少は遠慮を見せる。

 そんな中、ミストの住民はそういうものが薄い。

 特にミゼルは、エッジへの忖度が一切ない。

 

「それじゃあ、その子にはリディアさんの護衛も兼ねて、公民館に通ってもらうよ」

「……教師やり始めるぞ?」

「黒魔法は未習得でしょ? それなら、バランス取れるじゃないか」

「まあ、さすがにそこまでは……」

「出来るだけ普通の子どもとして過ごさせてあげたいから、調査や張り込みは、それ以外の時間にやってもらおうかな」

 

 そう宣言したミゼルに、何も反論しなかった。

 それどころか、大変ありがたく感じた。

 

(こいつ、気付いてるだろ……)

 エブラーナ城。そしてこの国には、ツキノワを子どもでいさせる環境がないことを。

 

 —— —— ——

 エッジ自身、ツキノワを息子に近い情で目を掛けている。

 しかし、お館様という立場では、してあげられることは限られている。

 せいぜい、修行をつけて忍者としての生き方を導くぐらいだ。

 ツキノワもツキノワで、弱音も吐かず、大人の振る舞いしか見せない。

 —— —— ——

 

 エッジが話した事情だけで、ミゼルがそれを察したように見受けられた。

 

「嫁抜きで勝手に決めていいのか」

「あの人は反対しない。ぼくたちは子どもが作れないって、気付いてるでしょ?」

 

 ジャンヌが不妊体質なのは、ミストでは暗黙の事実。

 リディアも、井戸端会議などで聞いて知っているかもしれない。

 けれど、彼女は後ろめたさから、リディアにそのことを隠し続けているという。

 

「いい加減、リディアにそれ話せよ」

「……一昨日、ジャンヌさん説得した」

 

 —— —— ——

 一昨日の夜。

 リディア(氷球)に呼ばれて、ジャンヌが外に出ていった。

 30分ぐらい経ってから、妻が自宅に帰ってくるなり泣き崩れてしまった。

 

 アドニスから受けた仕打ちを泣きながら話す妻に。

 ミゼルは、早急に不妊体質をリディアに告白するよう説得した。

 結果、ジャンヌは受け入れて、昨晩リディアへ打ち明けたという。

 —— —— ——

 

(アドニスに好き勝手話される前に、手ェ打ったか)

 後ろめたさを感じるぐらいなら、あけっぴろげにした方がいい。

 ミゼルは、一個人としてそう思っていた。

 しかし、妻が頑として譲らず、これまで静観していたという。

 

「別に仲違いしなかったろ?」

「うん。前からうすうす気付いてたって」

「だろうな」

「……ふたりでわんわん泣き始めてさぁ。ぼくも入れてって言ったらハブられちゃった」

「だっせ」

「女性はすぐつるみたがるから。いつもこれだよ……」

 

 自分ひとりだけ仲間外れにされた面白くなさからか。

 呆れ顔で話すミゼルにエッジは安堵した。

 

 これでジャンヌもリディアに対して、後ろめたさがなくなっただろう。

 リディアにだけは、絶対に嫌われたくない。

 あの女の言動から、そう思っている節がちょこちょこ見られたから。

 

「ジャンヌさんは、腕力ではアドニスに勝てるけど、ほとんど魔法使えないし、リボンも持っていないからさ……」

「今までのように、アドニスを腕力だけで追っ払えるかどうか怪しいな」

 

 忍者を借りた際、リディアの護衛をお願いすることにしているが。

 それは、妻も守ってもらうためでもあるという。

 

「それで、夕食はみんなで揃って食べるでしょ? リディアさんもいっしょなら、もっと楽しいだろうなあ。あとは里帰りもさせてあげないとね……」

 

 子を作れない自分たちにとって、いい話が舞い込んできたと思っているのか。

 ミゼルが、この先の計画を楽しそうにしゃべり始めた。

 まるで我が子を得たような喜びを噛みしめるように。

 

「待て待て」

「何?」

「あまりそいつに入れ込むな」

 

 エッジはツキノワに過度に情を入れないよう、ミゼルに忠告した。

 

 今後の仕事に支障をきたさないよう、ツキノワの本来の姿は見せられない。

 姿と名を偽り、ミストに紛れ込ます予定でいる。

 ツキノワが正式にお城勤になるために、ミストから離れたら。

 ミゼルたちだけでなく、ミストの住民とは二度と会うことはない、と。

 

「やっぱり、忍者の特質上そうなるか……」

「別れる時、ジャンヌが駄々ごねちまうぞ」

「ありがとう。ぼくたちのこと心配してくれてるんだ」

「いや、そういう訳じゃ」

「——でも、子どもでいられる最後のチャンスなんでしょ? 全力で接してあげなきゃ失礼だよね」

「!」

「いい思い出、お互いに作れるといいなあ」

 

(全部片付いても、諜報でしばらくミストに残せるな)

 笑って話すミゼルに、エッジはこんな確信を持った。

 この男は、二度と会えない泡沫の関係でもいい。

 そう割り切って、本気で親代わりになろうとしてくれていると。

 この男と嫁になら、ツキノワを託すことが出来ると。

 

「ぼくも、その子にお願いして、ジャンヌさんから守ってもーらおっ」

「てめえのことはてめえで何とかしろ」

「ぼく依頼人ですけど!?」

 

 その後、エッジは5つ目の条件の補足として。

 『ツクヨミ』を伝令兼補佐としてミストに定期的に寄越すこと。

 子どもには依頼内容が解決しても、諜報でミストに留まってもらうことを申し渡した。

 

「ミストで諜報? 量が知れてるのにいるの?」

「……まあな」

「ってことは、その子は結構長い間ミストにいるんだね」

「本当なら長い休みはやらねえんだが……まだお城勤じゃねえし、今回は特別。そっちの情報は逐一報告させるが、構わねえよな」

「いいよ別に。ミストの内緒情報って薪要らずの呪文ぐらいしかないから」

 

 少しでも子どもと長くいられる。そうわかったからだろう。

 ミゼルは補足事項をあっさり快諾したのであった。

 

 ***

 

『ミゼルさんは非常に辛い経験をされていると聞いています。それでも出来る限り人生を謳歌しようと貪欲に生きておりますよ』

「ミストで起こった火事のことですか?」

『時間はあります。ご本人においおい聞いてみるとよいでしょう』

「はい……」

『何にせよ、子どものきみが既に諦めているようでは笑われますよ?』

「……ツクヨミさんは、依頼人の方をご存知なのですか」

『僕は一度お館様に連れて行かれたのをきっかけに、時折ミストに足を運んでいます。ミゼルさんは非常に人懐っこい方ですから、お相手するのは楽ですよ』

「ああ、だからお館様はボクをその人に預けたのかな……?」

『そうかもしれませんね』

 

 ツキノワに話したことは、ミゼルへの高い評価でもあった。

 死んでも、本人に言う気はないけれど。

 

 あの男は時間を無駄にせず、幸せをつかむことを諦めない。

 火災だけでなく、幼少の頃から辛い経験を経て今を生きている。

 

 —— —— ——

 あの日、交渉を終えてから雑談していた時だった。

 

『そういや、おまえの親も火事で亡くなったのか』

『母親はぼくが12の時に亡くなった』

『父親は?』

『さあ……物心ついた頃にはいなかったから』

 

(父親が誰かわからねえ? 昔の狭っくるしいミストで?)

 ずいぶん奥歯にものが挟まった言い方だったが。

 それ以上、父親のことについてたずねるのはやめた。

 

『……12からずっとひとりなのか』

『うん。早くいなくなってせいせいしたよ』

『は?? なんで』

『母親にはまるでいい記憶がなくてね。物心ついた頃から、毎日ぼろかす言われて、たまに暴力も振るわれてたからね』

 

 当時のミストで嫌われ対象——ゼロで生まれてきたから。それが虐待の理由。

 本当はゼロに生まれてきたくなかった。ミゼルはそう話していた。

 

『ゼロって、神さまに選ばれた気がして、時々優越感に浸れるんだよね』

 

 以前ミゼルはそう明るく話していたが、あれはつよがりだったのだ。

 —— —— ——

 

(あいつは、オレやリディアとは真逆なんだ)

 リディアは、ミゼルに顔の傷すら見せてもらえないぐらいだ。

 あの男の弱い一面を見ることなく、人生を終えるだろう。

 

『きみは、ミゼルさんたちに思ったことを言ってさしあげたらよいのです』

「気を悪くされないでしょうか……?」

『させてあげたらよいのですよ。ごはんがまずい、眠い、ベットが固いなど、多少わがままを言っても許されます』

「ええ?」

『おやつを増やせとせがんでも怒らないと思います』

「ボクは絶対にしません」

『あの方たちなら、なぜせがんでこないと怒るかもしれません』

「それでもボクはお断りします」

『それでよいのです。大人の顔色を窺わない。言いたいことを言える。それらも普通の子どもの在り方だと思います』

「……」

 

 ツキノワは、エブラーナでは大人たちに囲まれて。

 甘えるどころか、大人になろうと背伸びしすぎていた。

 おやつ以外のことで何か思ったことがあれば、我慢せずにミゼルたちに言えばいい。

 1年か半年……短い間だが、それぐらいのことをさせてやりたい。

 

§

 

 説明を終えると、ツキノワは本を読み始めた。

 アガルトの観光本を持ってきており、知識を叩き込んでいるようだ。

 

 —— —— ——

 ミストからの脱走者を父に、現地の女性を母に持つアガルト出身の子ども。

 両親が相次いで亡くなり、父の縁故でミゼルが当面の間引き取ることになった。

 —— —— ——

 

 一昨日の夜。ミゼルからそんな設定が綴られた通信文が届いた。

 そして、一夜明けた昨日。

 ツキノワは朝から晩まで、設定に沿った子どもを装う準備に追われていた。

 

『ツキノワくん。もうすぐミストに到着しますよ』

「あっ、ほんとですね……」

 

 トロイア、バロンを過ぎて、あと10分程度でミストに着く。

 その間に大勢の乗客が巡回艇から降りてしまった。

 雨よけスペースには、現在エッジたちを含めて乗客は4、5人程度しかいない。

 

「それでは、ボクは準備を」

『——お待ちください』

「え?」

 

 『変化の術』を使うため、人目のつかない場所へ向かうつもりだったのか。

 席から立ち上がったツキノワを呼び止めた。

 

「あの……?」

 

(最後に、これだけ忠告しておかなきゃならねえ)

 エッジも席を立ち、その場で片膝をつくと、ツキノワの両肩に手を添える。

 すると、子どもがきょとんとした表情を見せた。

 

『きみは、これからしばらく、「エブラーナのツキノワ」ではなくなります』

「はい」

『お館様が、ミストの人たちから悪く言われていても動じてはなりませんよ』

「どうして悪く言われるんですか?」

『ミストはエブラーナではありません。みながお館様を無条件に尊敬すると思ったら大間違いです』

「あっ……!」

 

 エッジは、ミストで極めて身近な存在になっている。

 住民が話す、エッジの評判は直に本人を知るからこそ、良くも悪くも生々しい。

 逆に他国町村において、エッジは『どこかの国の国王』という薄い認識でしかない。

 そこに住む者たちが、エッジの好き嫌いを口にするのとは訳が違うのだ。

 

 ツキノワも、今までお館様の悪口や陰口を聞いたことがないと思う。

 エブラーナ、特に城内ではそんなことを口にする者はほとんどいないから。

 しかし、ミストはそうではない。これから嫌でも聞くことになるだろう。

 

『どうしても我慢出来ないようなら、ミゼルさんに不満をこぼしなさい』

「……」

『わかりましたか?』

「——わかりました。正体を悟られないように気を付けます」

 

 忍びたる者。正体を怪しまれないよう、耐えなければならない。

 そんな思いを込めて強く言い聞かせると、ツキノワは真剣な表情で返事をした。

 

『最後に大したものではありませんが。僕からのせんべつです』

 

 ツキノワの両肩から手を離して、立ち上がると懐をごそごそ漁る。

 やや汚れが目立つ、1本の巻物を取り出してツキノワに差し出した。

 

「何ですか、これは……?」

『お守りです。はじめての仕事が無事成功するとよいですね』

「あ、ありがとうございます!!」

『かばんの底にでも入れておいて下さい』

「はい。では早速……」

 

 ツキノワが輝かしい笑顔で巻物を受け取ってくれた。

 城でもせんべつをもらっていたが、その時と同じような表情。

 人から何かをもらえるのが、よほど嬉しいのだろう。

 

(使わずに済めばいいがな)

 巻物はお守りでもなんでもないが、あっさり信じてくれてほっとした。

 

『ミゼルさんのお宅には、遅れて顔を出します。また後でお会いしましょう』

「はい。お気をつけて」

 

 エッジはツキノワの元を離れて、スペースの出口に向かいながら周囲を見渡す。

 他の乗客は、こちらを見ていないのを確認してから、両手で印を結ぶ。

 

『……「隠れみの術」』

 

 面の下で小さくつぶやくと、姿を隠してしまった。

 

 

——それから10分後

 

 

 巡回艇がミストに到着した。

 ひとりの子どもが、大きなかばんをふたつ持ちながらタラップを降りる。

 

 子どもの見た目は10歳ほど。

 黒く短い髪を揺らしながら、発着場の入口へに駆けていく。

 そこでは、ミゼルがしゃがみ込んで子どもが来るのを待っている。

 

 子どもは事前に、『黒眼鏡をかけた依頼人が出迎えてくれる』と言われている。

 ミストで黒眼鏡の人間は、ミゼルしかいないから見つけるのは簡単だ。

 そもそもの話、発着場には他に誰もいないし。

 

「やあ。ミストへようこそ」

「……っ、依頼人の方ですか?」

 

 ミゼルの姿を見て、子どもがわずかながらも後ずさりした。

 黒眼鏡や服では隠しきれない、火傷の跡を近くで見たからだろう。

 

 子どもが見せた反応にはもう慣れっこなのだろう。

 ミゼルがへらりと笑い、立ち上がってからこう言った。

 

「そうです。ぼくはミゼル。ついでにここの村長もやっています。これからどうぞよろしく」

「は、初めましてっ。『  』と申します」

 

 ミゼルと子どもが、挨拶と共に握手を交わしている。

 

「あれ? ツクヨミさんも一緒に来たんじゃないの?」

「後でミゼルさんのお宅にお邪魔するとおっしゃって、姿を隠されました」

「ふーん……後ね……」

 

 ミゼルがあごに手をついて、黙り込んでしまった。

 

「はい。ぼくと一緒に降りたと思い……?」

「……」

「あの」

「あっ。ごめんごめん。ぼーっとしてた」

 

 子どもに声をかけられ、ミゼルがはっとしたような表情を見せた。

 

「どうされましたか?」

「いや、何でもない。それより早くお家へ行こう。あんまり遅いと奧さんに腹パンされちゃうからね」

 

 ミゼルが、子どものかばんのひとつをひょいと取り上げる。

 それからふたりで発着場を後にした。

 

「すみません」

「何?」

「ミゼルさんの奥さんは、怖い方なんですか?」

「大丈夫。きみは子どもだから優しくしてもらえる」

「子ども以外には怖いんですね」

「あー、ぼくと非常識な人には怖いし、手も出るかなあ?」

「ミゼルさんは、非常識には見えませんが」

「っ、そうなんだよぉ……! ぼ、ぼくは……鬼嫁の……ストレスのはけ口にされてて……!」

「かわいそうですね……」

 

 ミゼルと子どものやりとりを。

 姿を隠した状態で、後ろから見ていたエッジは驚愕した。

 

(なじむの早すぎるだろ!?)

 ミゼルが、白々しい嘘泣きを見せている。

 にもかかわらず、早速子どもから同情をもらっている。

 今もなお、過去に受けた鬼嫁に対する被害を誇張しながら語っている。

 子どもも子どもで、8割嘘が混じった話を真剣な表情で聞いている。

 

 何はともあれ、後で合流するまでトラブルは起こらないだろう。

 エッジはそう判断して、ミゼルたちを一気に抜かして北へと一目散に向かった。

 

§

 

 それから5分もかからず、ミストの北端にある公民館に着いた。

 ミストに来たのは、七夕の日以来になる。

 何はなくとも、リディアの姿を拝まないと始まらない。

 

 公民館では午前中、子どもが基礎学力をつけるための『学習』が行われている。

 

(夏は、窓が開けっぱなしでちょうどいいや)

 今はがら空き状態の多目的室の隣にある、会議室の窓に近付く。

 エッジは一番端の窓にもたれかかって、リディアの姿を探した。

 

 —— —— ——

 『学習』は、少人数指導を取り入れている。

 子どもたちがいくつかの班に別れて、会議室で違う勉強をしている。

 毎日、正規教師とお手伝いのリディア。そして日替わりボランティア教師。

 合わせて10人前後の大人が、それぞれの班を受け持っている。

 —— —— ——

 

 長いふわふわ翠髪は、とても目立つ。

 エッジは室内を見渡して、リディアを見つけるやいなや自然と顔をほころばせた。

 

(また、ライザのガキどもか……)

 廊下側の前の席で、ふたりの女児——ベスとユノに何か教えているようだ。

 ライザの娘ベスとユノは、たった1歳しか違わない年子の姉妹。

 母親同様ものすごく控えめで口数も少ないけれど、リディアを慕っている。

 ふたりは必ず同じ班になり、ほぼ毎回リディアが指導を受け持っていた。

 

「……で、だから、っ……ここは……」

「せんせい、さんすうとくいじゃないの?」

「うん、あまり好きじゃないの」

「……嫌いなんだ」

「図形は特にね」

 

 ベスとユノから突っ込まれて、リディアがしょんぼりと肩を落としている。

 

 『学習』でのリディアは、黒魔法講座と大違い。

 こうして、子どもに突っ込まれることもよく見られる。

 この時間になると、リディアの『稀代の召喚士』いう肩書きは意味がない。

 

 幻獣や魔法を抜きにした、素のリディアを見たい。

 エッジはそのために、12の月になると朝からミストを訪れて。

 こうして姿を隠して、『学習』をよくのぞいていたものだ。

 

「ベスもユノもすごいじゃない。独学まであと少しだね」

「あっ、ミネルバ……」

「この子たち、今日はずっと算数よね?」

「そうだよ」

「休憩が終わったら、他の先生に代わってもらいましょう」

 

 教師のミネルバが、ベスとユノの指導役の交代を提案した。

 この女性は、公民館につとめる同僚の中でリディアと一番親しい。

 

 もともとミネルバはエッジの近く、後ろの窓際に座るオリバたちを担当していた。

 リディアのたどたどしい授業風景が気になったのか。

 オリバたちに数式の問題を解くよう指示を与えてから、ここにやってきたのだ。

 

「そうだね。お願」

「——いやだよぉ」

「リディア先生がいい……」

 

 ベスとユノがリディアの服をぎゅうと握って抵抗する。

 

「むぅー、わがままちゃんたちねー」

「……はは」

 

 ミネルバがおどけたように、腰に手を当てながら頬を膨らませた。

 当のリディアはそれを見て苦笑している。

 

「ベスもユノもよく聞いてね?」

 

 ミネルバが、ベスとユノの前でしゃがみ込んだ。

 これからふたりに説得を始めるようだ。

 

「なあに?」

「算数と理科。このふたつを黒魔法に例えたら、リディア先生が教えられるのはファイラまで。それで、あなたたちはとっくの前にファイラを覚えちゃってるのよ」

「……」

「これからファイガを覚えるまでは、リディア先生はおやすみ。あたしや他の先生が教えるからね」

 

 ミネルバが黒魔法に例えて、わかりやすくベスとユノに説明した。

 

(学習じゃ、あくまでも先生の手伝いだからな)

 ふたりとも理科と算数の習得レベルが上がってきた。

 そのため、リディアがわかりやすく教えづらくなってきたのだ。

 ここから先は正規教師、いわゆる勉強を教えるプロに代わった方がいい。

 

 —— —— ——

 これは、黒魔法講座にも同じことが言える。

 生徒によって黒魔法習得の進捗にばらつきがあるため。

 あらかじめリディアとユライシャは、相手をする生徒をそれぞれ分担している。

 —— —— ——

 

 そういった事情から、ミネルバの話はとても納得が行くものなのだが……。

 

「もう、リディアせんせいに……おしえてもらえないのぉ……?」

「……ファイラまででいい」

 

(まだ小せえのにリディア信者か)

 ユノが今にも泣き出しそう。ベスの表情も険しくなる。

 ふたりは、リディアと別れるのが嫌だと見える。

 

 別にわからなくても、遅れても。リディアと一緒なら何でもいい。

 いつもふたりはそう思いながら、リディアの指導を受けているのだろう。

 

「ファイガまで覚えたら、算数と理科は独学になるよ?」

「そうそう。それからはリディア先生、ふたり占め出来るよ?」

「……わかった……それまでがまんする」

「がんばろ。おねえちゃん」

 

 リディアとミネルバの説明を聞いて、一時の我慢だとわかった途端。

 ベスとユノが理数系担当の交代をあっさり了承した。

 

 —— —— ——

 『学習』では、ある科目が基礎学力レベルまで到達したら、上がりの状態。

 そして、子どもと親と教師で話し合って今後を決める。

 独学に切り替えて更に学力をつけていくか。『学習』の参加をやめるかを。

 —— —— ——

 

 独学に入ると、教師の付き添いは自由になる。

 ベスとユノはどの科目も独学に入ったら、リディアの付き添いを希望するだろう。

 

「ありがと、ミネルバ」

「んーん、先週折り返し地点超えたから、そろそろかなあって」

 

 リディアとミネルバが席から離れて、ふたりで話をしている。

 

「まだ9歳と8歳なのに、進むの早すぎる……」

「あなたに見てもらってるから余計なのよ。今で、もっとモチベ上がったみたいだよ?」

「……あれ? どこ行くの?」

「教本取りに行ってくるー」

 

 ミネルバはそのまま会議室を飛び出して、リディアは再び席に戻った。

 

 それからしばらくの間、微笑ましい教育風景を眺めていたが。

 数分後、エッジは表情を曇らせた。

 

「……なあなあ、魔法漏らした犯人って誰だと思う?」

 

 エッジのすぐそば。窓際の後ろの席に、オリバたち悪ガキトリオが座っている。

 

「ユライシャせんせーかな」

「ばーか。犯人が毎日講座に来るかよ」

「そうやって疑われるかもしれないから、毎日来るかもしれねえだろ?」

「あっ、言われてみたら……」

 

 ミネルバは、教本を取りに行ったまま帰ってこない。

 ここぞとばかりに悪ガキたちが、ひそひそ雑談している。

 その内容がエッジの耳に嫌でも届くのだ。

 

(今日は12日か……もう広まっててもおかしくねえな)

 翌日10日に開かれる寄合で、『薪要らずの魔法』が外に漏れたと発表する。

 エッジは、ミゼルがエブラーナ城に訪れた日にそう聞いていた。

 

 寄合から2日経っている。

 子どもたちがこうやって犯人探しをするぐらいだ。

 知らぬ住民はもういないだろう。

 

「でも、ユライシャせんせーが村長にチクったんだから違うと思うよ?」

「ってことは、やっぱりエッジか」

「かっこいいけど、目つき悪りぃしな」

「マスク外したら唇腫れてっか、牙でも生えてそーだよな」

「あの顔だもん。バラしててもおかしくないね」

 

 オリバたちがおどけながら話をしている。

 それを聞いて、エッジは面の下で顔をしかめた。

 

(ばか野郎! オレは何してもかっこいいんだぞ!?)

 鋭い目つきと傷が入った顔だけで、この自分を犯人扱い。

 かっこいいなんて褒め言葉は、もはやおまけだ。

 オリバたちに憤慨していると、ミネルバが本を抱えて会議室に戻ってきた。

 

(あーあ、怒られちまうな)

 部屋の様子を見て、ミネルバが鬼のような顔に変わった。

 そして雑談に夢中な悪ガキたちにじりじり近付き、大きく息を吸った。

 

「こら。何しゃべってんのよ」

「ひっ!?」

「なんにも、しゃべってませーん!!」

「問題解きなさいって言ったでしょ。1問も手をつけてないじゃない」

「だってさー!! エッジ、最近全然来ねえから気になんだもーん!!」

「そーだよ。犯人だから来なくなったんじゃないのー!?」

 

 今は授業中。ミネルバは控えめな声で注意したのに。

 オリバたちが大声で叫んで反発したせいで、室内がざわつく。

 

 その場にいたみなが、一斉にオリバたちの方に注目した。

 エッジの名が出たからか、リディアの表情が険しいように見える。

 

「あんたたち、エッジ様のこと疑ってるの……?」

「みんな怪しいって話してるぜ?」

「風呂を売り始めた時と、エッジが来なくなったのがほとんど一緒だって、隣のおじさんが言ってたー!」

「犯人ならミストの裏切り者じゃねーか!」

 

(あいつの予想通りか……)

 オリバたちは、大人の噂話に影響されてエッジを疑っているようだ。

 もっとも、こうなることは既に予想がついていたけれど。

 

 —— —— ——

 先日、エブラーナ城にやってきたミゼルから、こんな警告をされた。

 

『西の人たちはさておき、みんな同族意識を持ち始めてる。詠唱呪文が漏れたって知ったら、同じ住民を極力疑いたくない心理が動く。その先はわかるでしょ』

『真っ先にユライシャとオレが疑われるな」

『でも、ぼくに教えてくれたのはユライシャだからさ……』

『守ってやれ。気分害してミスト来なくなったら、講師がまたリディアひとりになっちまうぜ』

『だから、明日の寄合で漏洩を発表する時にきちんと説明して無実だと訴える。ただ、その分きみにしわ寄せがくると思う……』

 

 今度ミストに来たら、住民のエッジに向ける目が厳しくなっているかもしれない。

 犯人が見つかるまで、何を言われるかもわからない。

 心構えしておいてほしいと、ミゼルから頭を下げられた。

 

『オレは何言われても気にしねえ。たまにしかそっち行かねえし』

『申し訳ない。あんまりきみをかばうと……』

 

 リディアやエッジに肩入れしすぎ。

 保守系先住民から、そう突っ込まれてしまう可能性が高いと言われた。

 

(組織のトップは、よほどじゃねえと何かに肩入れ出来ねえからな)

 一個人ならまだしも、今は村長。

 ミゼルは出来る限り、中立の立場でい続けるしかないだろう。

 エッジは何も文句を言わず、警告を受け入れたのであった。

 —— —— ——

 

 オリバたちの会話を聞いた限り、ユライシャは無事疑いが晴れたらしい。

 

 何言われても気にしない。ミゼルにそう返事したくせに。

 実際耳にすると、さすがに気分はいいと言えない。

 よく一緒に遊んでいたオリバたちだから、尚更かもしれない。

 

 そんなエッジがここにいるとは露知らず。

 オリバたちの疑ぐりの言葉はまだ終わらない。

 

「エッジは誓約書書いてねえしなー」

「リディアせんせーの面子まるつ」

「——エッジは犯人じゃないっ!!」

 

ばん!! 

 

(何やってんだよ!?)

 リディアが勢いよく席を立ち上がり、オリバたちに向かって大声で叫んだ。

 同時に開いた机の上を強く叩き、室内がしんと静まり返る。

 

「リディア」

「せんせぇ……」

「エッジがやる訳ない!! エブラーナじゃバラしたって意味ないもんっ!」

 

 リディアが顔を真っ赤にしている。

 ミネルバやベスやユノが、彼女を不安そうな表情で見つめるも。

 オリバは悪びれもなくリディアへこう言った。

 

「でもさー。お金もうけで、Zとグルだったかもしれないぜ」

「仲介者に売ったかもしれないよね?」

「だったら、今度エッジが来たら直接聞いてみたらいいじゃないっ!!」

「せんせー、ムキになりすぎだよー」

「ってゆーか、エッジは次いつ来るんだよ?」

「そんなのこっちが知りたいよっ!!」

「えー!?」

「せんせーもわからないんだ……」

「い、いつ来るか知らないけど……エッジ……来たら、オレはやってないって……あんたたちに言うもん、っ……!」

 

 反論を終えると、リディアは両手で顔を覆ってしまった。

 

(オレなんか、かばわなくていいんだよ……)

 あたしやあんたという言葉を、この数年、本人から聞いたことがない。

 それを口にしたぐらいだ。今、リディアは感情を高ぶらせている。

 

 きりきり胸が痛くなり、制止を掛けたくなる。

 その一方で、リディアがかばってくれた喜びに浸りたくなる。

 エッジは二律背反の感情を抱えながら、見ていることしか出来ない。

 

「やだぁ、せんせぇ……なかないでぇ」

「落ち着いて、リディア」

 

 ミネルバが、泣き出したリディアのなだめに入った。

 ユノまでリディアに同調して泣き出してしまう。

 

「オリバたち……最低」

「はあ!?」

「どこが最低なんだよー」

「エッジ様に……よくそんなひどいこと言えるね……いっぱいあそんでもらってたくせに……」

 

 なんとベスが、オリバたちへ強い口調で言い返した。

 エッジは、この子どもがここまで長く話すのを生まれて初めて見た。

 

「なんだよ! だんまりベスのくせに! 生意気なこと言い」

「——おまえたち、いい加減にしなさい」

 

 室内に厳しい声が走り、とてもふくよかな男性が入ってきた。

 

「うわぁ!?」

「とーさん、来るの早ええってー!」

「おまえみたいに、毎朝遅刻するよりマシだと思うがね」

 

 男性は、オリバの父親かつミストの幻獣界評論家のラルフだった。

 以前からラルフは、仕事の合間にボランティアで教師のお手伝いに入っている。

 

「な、なんだよ……」

 

 ラルフが緩慢な速さでオリバに近付き、両肩に手を添えた。

 

「おまえを、人の陰口を叩くような子に育てた覚えはないぞ」

「……」

「エッジ様が犯人だと、父さんと母さんが話していたことがあったか?」

 

(あの嫁にゃもったいねえなあ)

 ラルフは体型にふさわしく、器が広く穏やかな男である。

 毎回こうして、言い聞かせるように子どもを叱る。

 

「ないけど。みんな噂してるし。……なあ?」

「うん」

「みんな普通にしゃべるから、嫌でも聞こえちゃうんだよ」

 

 オリバたちが、ばつが悪そうにラルフの指摘を否定した。

 やはり、大人の噂に影響されて、エッジに疑いの目を向けていたらしい。

 

「おまえたちはエッジ様と仲が良かっただろう。あの人が聞いたら哀しむぞ?」

「だって、エッジ最近ミスト来ねえし」

「ミストに来ても遊んでもらってない……」

「いろいろ忙しいんだよ。それに、今は犯人が名乗り出るのを待っている状態なんだ。おまえたちが騒いだら、犯人はますます出てこなくなるかもしれないんだぞ?」

「わかったよ……」

「ごめんなさい」

「おとなしくしまーす」

 

(ミゼルの奴、何考えてんだ!?)

 自首期間を設けるとは、一切聞いていない。

 あのふてぶてしいキロンやアドニスが自首する訳がないのに。

 果たして、そんなもの設ける意味があったのか。

 

「はーい! では、ラルフさんが来たことですし、キリがいいので、今から20分休憩にしまーす」

「よーし! 外行こうぜ!!」

「うん!」

 

 ミネルバの一声で、室内のあちこちから話し声が飛び交い始めた。

 休憩とわかれば、子どもは切り替えが早い。席から立つ子どもも多い。

 オリバたちも、意気盛んに会議室から出ようとしたが……。

 

「おまえたちは罰として、この後ばらばらにするからな」

「えぇー!?」

「そんなー」

 

 悪ガキトリオへ、ラルフが班解体の刑を申し渡した。

 

 同い年の仲良しで班を組んでいるので、不本意なのだろう。

 オリバが出口で立ち止まり、憎々しげな表情でラルフに向かってこう叫んだ。

 

「デブがデブになってどうすんだよっ! この1か月で、3キロも太ったくせに!」

「ど……どうしてそれを」

「——デブ離婚したら、俺はかーさんについてくからなっ!」

「でぶ……りこん……」

 

(不憫だな……)

 教師手伝いで入ったラルフが、言うことを聞かない我が子に注意する。

 しかし、衆前で不摂生——『デブ』と言われて逃げられる。

 もはやお約束となった光景に、室内からくすくすと笑い声が聞こえる。

 

「くっ……」

 

 廊下から、オリバたちが大声でデブデブと連呼する中。

 ラルフがその場で両手と両膝をついて頭を垂れてしまった。

 

「ラルフさんっ」

 

 リディアが慌ててラルフのそばに慌てて駆け寄った。

 目はまだ赤いが、既に泣き止んでいる。

 

「いやいや……うちのばか息子たちがすまなかったね」

「こちらこそすみませんっ! よっ、余計なことまた言われちゃって!」

「ははっ……本当のことだ。きみは気にしなくていいよ」

「オリバ、おうち帰ったら説教地獄ですか?」

「そうだね。僕が言わなくても、下の子たちがアリサに言いつけるから」

「そうですか……」

 

 よろよろ立ち上がったラルフに、リディアがばつの悪そうな表情を見せた。

 

(父親が説教すりゃいいんだよ。あの母親じゃ変わんねえ)

 エッジは、説教地獄の存在を疑問視する。

 アリサが説教するからオリバの口の悪さに、より一層拍車が掛かるのだ。

 

「ほらほら、気分転換。お茶飲みに行こ?」

「あ……」

「きょうは、あなたのお部屋の日だよー?」

 

 ミネルバに腕をつかまれる形で、リディアが会議室の出口に向かう。

 すると、そこに小さな姉妹——ベスとユノが立っていた。

 

「ふたりとも、どうしたの?」

「せんせい、げんき出してよぉ……!」

「ばかね……ユノが泣いてどうするの」

「あぁ、ごめんね。大声出してびっくりしちゃったよね」

 

 リディアを見上げながら、ユノがぐずぐず泣く。

 姉のベスが妹をなだめる中、リディアも腰を落としてユノの頭を撫でた。

 

「……先生」

「なあに?」

「わたしたち……エッジ様に……にらまれているみたいで……言葉遣いもすごく悪いし……荒っぽいから……怖くて近付けないだけなの」

「人は見かけによらないって言いたいんだね」

「うん……あの人、悪い人じゃない……絶対に犯人じゃないよ」

 

 ベスがつたないながらも、エッジの無実をリディアへ訴えている。

 

 それを聞いて、当の本人であるエッジはとても驚いた。

 今まで一度も話したこともなく、てっきり嫌われている。

 そう思っていた子どもから、想定外のことを言われてしまった。

 

 —— —— ——

 ミストの子どもは、気兼ねなくエッジに話しかけたり、近付いたりしてくる。

 そんな中、このベスとユノだけは、エッジを見るやいなや、ささっと逃げてしまう。

 —— —— ——

 

「わたしたち、せんせいのなかま」

「……お母さんもいっしょだよ」

「っ、ふたりともありがとう……! 先生すごくうれしいよ」

 

(いい生徒持ったな)

 感極まったのだろう。リディアがベスたちの頭を、自身に引き寄せて抱きしめた。

 自分たちは先生の味方だ。

 教え子からそう言われたら、泣きたくもなるだろう。

 

 程なくして、リディアがベスたちから離れた。

 ミネルバと会議室を後にするのを見届けてから。

 エッジも、隣の隣にある黒魔法講座の控室の窓へ移動した。

 

§

 

 控室の窓が、既に人ひとり通れるぐらい開いていた。

 エッジは何もためらいもなく、窓から室内へ入る。

 姿が見えていれば、不法侵入で逮捕されるところだ。

 

 そうこうしているうちに、リディアたちが部屋に入ってきた。

 別室で紅茶を淹れてきたのだろう。

 それぞれ、湯気があふれるティーカップを持っている。

 

「よかったね。ベスもユノも仲間だって言ってくれたじゃない」

「……ライザの教育の賜物かな?」

 

 今日の相手が、ミネルバでよかった。

 エッジは運がいいと思いながら、会話を盗み聞きする。

 

 —— —— ——

 ここ1年近くはリディアが何を思い、話しているのか。

 エッジはあまり知ることが出来ない。

 

 リディアが知らぬ間に、音が漏れない魔法を考案したのだろう。

 ライザやアリサとの会話をほとんど聞き取れなくなった。

 —— —— ——

 

(口が見えねえと読めねえし……)

 エッジは読唇術を会得しているが、この件には使ったことがない。

 そこまでして会話を盗み聞きするのはどうなのか。

 

「あの人、あなたのこと大好きだもんね」

「うん……わっ!?」

 

 ミネルバが、机にティーカップを置いた。

 すると、対面に座るリディアの首元に抱きつくように巻きついた。

 

「あたしも仲間だよぉー?」

「ミネルバ……!」

 

 一瞬驚いたような顔を見せたリディアだったが。

 味方が増えた喜びからか、すぐに笑みを浮かべた。

 

「花火契約の無期限延長申し出た人が、ミストの足を引っ張る訳ないじゃない。今は外より中の方が怖いよ」

 

 ミネルバもミストの先住民。

 リディアは幻獣界で暮らしたことで、ミネルバと同い歳になったと聞いたことがある。

 

「西の人が、東や南に出てくるって初めてじゃない?」

「あの人たちは幸せよ。昔は、村長や偉い人の悪口なんか大っぴらに言えなかったよ?」

「……そうなの?」

「そうだよ? その分、ミゼルたちがぼろっかす」

「……やっぱり、ゼロだから」

「ばかばかしいでしょ? でも、ミゼルも優しすぎるよ」

「注意ぐらいしてもいいのにね」

 

 ミネルバは、当時のミストのことをよく覚えているらしい。

 話を聞かされて、リディアの表情が暗くなったように見えた。

 

 『薪要らずの魔法』の漏洩をきっかけに、ミゼルの評判を下げよう。

 西の人——保守系先住民が、そう躍起になっているようだ。

 エッジを漏洩の犯人だと吹聴しているのも、おそらく彼らだろう。

 

「あたしに言わせると、いくら魔法が使えても人格が足りないようじゃお話にならないね」

「子どもたちをそんな大人にさせないようにするのも、わたしたちのお仕事だよね。——がんばらなきゃ」

「それだよ。あたしは朝、あなたはお昼。お互い頑張ろうね」

「うん……!」

 

 リディアとミネルバ、指導者ふたりが励まし合っている。

 

(若けえ奴らは、ゼロなんかどうでもいいんだよな)

 数年前、未曾有の被害に遭ったミスト。

 早期に復興を遂げることが出来たのは、ふたりのような生き残った若者のおかげだろう。

 

 その後もリディアは紅茶を飲みながら、ミネルバと雑談をしていた。

 

「ちょっと会議室のぞいてくるね」

「うん」

 

 ミネルバがお茶を飲み干すと、足早に部屋から出ていった。

 

 ひとり残されたリディアが、紅茶をひとすすりした。

 それから、背もたれに寄りかかり、ぼんやり遠くを眺めている。

 この数分の間に、怒鳴ったり泣いたりして精神的に疲れたのだろう。

 

 エッジはリディアの前に回り込むと、その場でしゃがんで頬杖をついた。

 焦点が定まらぬリディアの顔を下からのぞき込む。

 

『よお、リディア』

「……」

 

 愛おしむような表情で、リディアに声をかけた。

 こちらの姿が見えない。声も届かない。返事もないとわかっていながらも。

 

 エッジは本日『隠れみの術』を使ってから、初めて声を発した。

 そして、改めて気付かされた。

 リディアの前では、自然とセシルの声に切り替わってしまうことに。

 

『明日から、ツキノワ……いや、ノアをよろしく頼むぜ』

「……」

 

 昨日までのエッジの教え子は、明日からリディアの教え子に変わる。

 ツキノワ——任務期間中はノア——は、リディアと近しいミゼル夫妻の自宅に身を寄せる。

 黒魔法講座以外でも、顔を合わせる機会は多くなるだろう。

 

 本日、公民館を訪れたのは、リディアにこれを伝えたかったのもあった。

 もちろん、返事はないので、エッジは話を続ける。

 

『……おまえさ、「ノアの箱舟」って知ってるか?』

 

 —— —— ——

 遠い遠い昔、この世界は未曾有の大洪水に襲われた。

 当時、人類は信仰を忘れて大地を荒らし放題。

 天の神がそれに怒って、人類への罰として大洪水を起こした。

 

 神の天罰から逃れる方法はない。

 人々や動物、地上に生きとし生けるものは、次々と水に流されて息絶えていった。

 

 そんな中、一隻の大きな箱舟が荒れ狂う風雨に流されながらも浮かび続けていた。

 

『我は大洪水を起こし、世界を綺麗に洗い流す。箱舟を作ってそなたと家族、そしてありとあらゆる動物のつがいを舟に乗せよ』

 

 箱舟は、ノアという信心深い男性が天の神の啓示を受けて作ったもの。

 結局生き残ったのは、箱舟の中にいた生き物だけ……。

 —— —— ——

 

 『ノアの箱舟』は、聖書と呼ばれる古い読み物に載せられた寓話のひとつらしい。

 聖書はエブラーナでは、ほとんど浸透していない。

 エッジもかろうじて書名は知っていたぐらい。一度も読んだことない。

 

『ミゼルが言ってたが、ノアって名前には「休息」って意味があるんだとさ』

 

 子どもを引き取ることが決まった瞬間。ミゼルはその名前を思い出したらしい。

 これからしばらく預かる子どもに、その主人公の名を付ける。

 あの日、エッジにそう言い残してミストへ帰っていった。

 

『あいつも粋な名前、付けてくれたもんだぜ』

「……」

 

 聞こえない状況だからこそ。リディアにツキノワの偽名の由来を打ち明けた。

 エブラーナの忍者がミストに潜入する。

 それを知る者は、ミゼルとその妻だけ。リディアや他の住民には秘密だから。

 

 —— —— ——

 後日エッジは、ミゼルがその名を付けた理由に気付いた。

 

 ツキノワの初仕事は、最後の『休息』も兼ねている。

 仕事を終えたら、子どもとして過ごせる時間はなくなってしまう。

 

 あの男は、エッジの思いも一緒に込めて、あえてその名を付けてくれたようだ。

 —— —— ——

 

 ツキノワは、ミストから去るまでに気付くことが出来るだろうか?

 ……自身に与えられた、仕事上の偽名に込められた大人たちの思いを。

 

『ってことで、おまえもここの奴らも、ノアの最後の休息に付き合ってやっ……!?』

「……っ」

 

 突然リディアが唇を強く噛んで、身体を小刻みに震わせる。

 夜の宙を彷彿させる双眸が、じわじわにじんでいく。

 程なく決壊を起こして涙が頬を伝い、ぽたぽた机に流れ落ちていく。

 

「……エッジ……バラすわけ……ないもん……っ」

 

 リディアがそうつぶやいてから、机に両肘をついて両手で顔を覆った。

 ひっくひっくと、しゃくりあげる声が部屋に小さく響く。

 

 今ここにいるのは、エッジとリディアのふたりしかいない。

 ただし、そう認識しているのは、姿を隠したエッジひとりだけだ。

 

 オリバたちと言い合いをしてしまった。

 魔法漏洩が発覚したここ数日で、ミストの空気が変わった。

 エッジが語りかけている間。リディアはいろいろなことを考えていたのだろう。

 ……エッジが次に、いつミストに来るかわからない不安も含めて。

 

「っ、……ううっ……」

 

 今すぐ姿を現して、『泣くな』『言わせとけ』と言ってやりたい。

 でも、出来ない。

 エッジは、自らリディアを慰める資格を捨ててしまったから。

 

 —— —— ——

 姿を隠したり、姿を偽ったりして、都合よくミストに現れるだけのくせに。

 ミストにやってきて、直接オリバたちに自身の潔白を訴える。

 リディアのそんな望みも叶えるつもりもないくせに。

 —— —— ——

 

(ほんと、オレって身勝手で最低な奴だよな……)

 エッジは、心の中で自らを罵りながら。

 リディアの姿を見ていることしか出来ない。

 

『オレなんかのために……泣くなよ……』

 

 そうつぶやきながら、右手をふと伸ばした。

 指先が、風に揺れるリディアの翠髪へ触れるまで、あとわずか……。

 

『!!』

 

(誰か近付いてくる!)

 人の気配を感じて、髪に触れる直前で手を止める。

 瞬時に勢いよく立ち上がり、リディアの側から離れた。

 

がらっ

 

「!?」

「リディア、担当決め始めるって!」

 

 リディアが扉が開く音と共にさっと顔を上げた。

 ミネルバが会議室から戻ってきて、部屋の中に入ってきた。

 

「あ……行かなきゃ」

 

 リディアが返事しながら、窓の方に顔を向けた。

 ミネルバに見られぬように、手の甲で目元をごしごしこする。

 

 ベスとユノの担当も代わり、オリバたちもそれぞれ別の班。

 教師たちでどの班を受け持つか、これから話し合いをするようだ。

 

「……もしかして泣いてたの?」

「ううん。目にごみが入っただけだよ。行こう」

 

 ミネルバは怪訝そうな表情を見せるも、それ以上リディアに追及しなかった。

 

「……無理しちゃだめよ?」

「してないもーん」

 

 ミネルバへ笑いを見せてから、リディアが部屋から出ていった。

 

 扉が閉まる音が途切れた瞬間。

 エッジは壁に背を預けた状態で、その場にずるずるしゃがみ込んだ。

 

「……っ、オレは……何やってんだ……!!」

 

 自身の左手で、右手を震えが起こるぐらい強く握りしめながら。

 リディアがいなくなったことで、出せるようになった本来の声で自らを戒めた。

 

 ……リディアに触れたい。

 衝動のままに、動いた右の指先がリディアの髪に触ろうとした。

 その寸前で我に返り、未遂で終わってよかった。

 

 ミネルバが来なかったら、どうしていただろう。

 髪に触るだけでは到底物足りず、それ以上のことをやっていたかもしれない。

 

 姿が見えないから。誰にも気付かれないから。

 リディアに触れてもいいなんて、大間違いだ。

 ただでさえ、姿を隠して盗聴や盗み見。卑怯者の泥沼に足を浸かっているのに。

 これ以上、ずぶずぶ浸かる訳にはいかない。

 

『早く「オレ」を忘れねえと……これからもっと辛くなるんだぞ……?』

 

 エッジのために感情を揺さぶられるリディアに、この自分は甘えている。

 かばってくれたリディアの姿を見て、喜ぶなんて浅ましい。

 

『行くか……』

 

 いい加減、ミゼルの自宅に顔を出さねばならない。

 これから、『エッジ』に代わって、リディアに近付く『ツクヨミ』として。

 

 エッジは力なく立ち上がり、窓に向かう。

 右足を窓の柵に引っ掛けて勢いをつけると、跳ね上がるように外に飛び出した。

 まるで幽霊さながらの脱出方法で、そのまま公民館を後にしたのであった。

 

 —— —— ——

 リディアの日常から、『エッジ』を消すだけでは足りない。

 エッジのために感情に流されてはならない。涙を流すなんてもってのほかだ。

 リディアの心の中からも……『エッジ』を消してやらねば。

 —— —— ——

 

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