※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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ツキノワ視点


(幕間)ふつうのこども

 

 

——7の月20日 夜6時過ぎ

 

 

 地上を照らしていた太陽は、先ほど沈んだばかり。

 今のミストの西空は、紅い残光に照らされている。

 

 本日はいつもより早く、夕食をとり終えた。

 なぜなら、夜7時から公民館でいつもの寄合が行われるから。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

 

 ミゼルが大きな屋根付きランタンを手にして、玄関先へ向かう。

 

「はいよ」

「お気を付けて」

「ノアも頼むね」

「はい」

 

 現在ジャンヌとノアは、台所でお片付けの真っ只中。

 ふたりは、そこから自宅を出ていくミゼルを見送った。

 

「はいよ」

「はいっ」

 

 ジャンヌが洗い終わったお皿をこちらに差し出してきた。

 ノアはそれを受け取ると、手にしていた布でお皿をごしごし拭く。

 

 —— —— ——

 アガルト出身の子ども、ノアは偽りの姿。

 正体は、エブラーナの忍者のたまごツキノワである。

 

 エッジの命により、1週間前から依頼人——ミゼルの自宅に居候の身。

 ミストでそれを知るのは、この家に住むミゼルとジャンヌだけ。

 さすがにそのふたりにも、真の姿を見せていないし、名も教えていない。

 —— —— ——

 

 依頼人夫婦であるジャンヌとミゼルはとても明るい人間。

 あることを除いて、ノアにとても優しくしてくれる。

 

「……今日も荒れるな」

 

 しばらくして、ジャンヌが別のお皿を洗いながら小さくつぶやいた。

 

「勘ですか?」

「ああ。あいつは今夜ぼっこぼこにされるよ」

 

 吐き捨てるような言葉と反して、ジャンヌの表情は浮かない。

 

 ジャンヌの勘はよく当たる。

 リディアもそう話していた。彼女はノアの護衛対象、かつミゼルやジャンヌの妹分だ。

 

 もっとも、本日の寄合は勘でなくても、大方予想がついている。

 現在、一部住民からのミゼルへの風当たりがとても強い。

 ささいな報告や決め事しようにも、彼らからの反発は避けられないだろう。

 

「心配ですね」

「全くだよ。あいつをいじめていいのは、あたしとリディアだけだってのに……」

「あはは」

 

 ジャンヌの冗談交じりの話を聞いてノアは笑う。

 

(この人が旦那さんにひどいことを言うのは、愛情の裏返しだからなあ)

 ジャンヌは口や振る舞いが雑だ。しかし、誰よりも大事にミゼルのことを思っている。

 ここに来て、たった数日でノアはそう見抜いていた。

 

「どうして、ジャンヌさんは一緒に行かないんです?」

「ミゼルに止められてるからね」

「ああ……」

 

 ジャンヌの答えに納得しながら、積まれたお皿の上に拭き終えた白い円盤を重ねた。

 

(あの人たちと喧嘩するからだ)

 ジャンヌはかっとなると手が出る、荒い気性の持ち主。

 夫にきつく当たる者へ、公の場でつかみかかりそう。

 だからミゼルは連れて行かなかったのだろう。

 

「どーせ、へらへらして帰ってくるよ。——これで終わりな」

「はい」

 

 最後のお皿を拭いていると、ある言葉が頭の中にふと浮かんできた。

 

『強い者は、弱い者を虐げるのではなく、守らなければならない』

 

 これはエブラーナに長く受け継がれている精神。

 ノアが尊敬する、お館様の信条でもある。

 

(ミゼルさんはゼロなだけじゃないか。いじめるなんておかしいよ)

 忍術が使えないから、使わないから。

 祖国エブラーナでは、そんな理由で人を蔑視する者はほとんどいない。

 けれどミストには、わずかに古き悪習——魔法の習得度を基準とする能力主義が残っている。

 

§

 

 程なくして、ジャンヌがお皿を全て棚にしまい入れた。

 すると、今度は食物かごの中をごそごそ漁っている。

 片付けが終わったばかりなのに、どうしたのだろう。

 そう不思議に思っていると、ジャンヌが楽しそうな声でこう言った。

 

「さーて、ももシャーベットでも作るかぁ」

「え?」

「おまえらの労い用。ブリザドでかちかちにすりゃ楽勝だ」

 

 ジャンヌがかごの中からももをふたつ取り出し、立ち上がった。

 彼女は満面の笑みを浮かべているが、ノアの胸中は複雑だ。

 

(エブラーナにいた頃から、ももは好きだけど……)

 仕事終わりのシャーベット——アイスの一種——は、さぞや美味しいだろう。

 しかし、こんな時間から手間を掛けさせて申し訳が立たない。

 ももはももで、本日行商で買ったばかり。夕食の時にそう聞いている。

 

「……ボクはいいです」

「どうして。もももアイスも、どっちも好きだろ?」

「好きですけど、ももはここでは貴重です。もったいな……っ!」

 

 いらない理由を何気なく口にしていたが、言葉を切った。

 ジャンヌが怒りの気配を漂わせ始めて、すごみのある表情に変わったから。

 

「はぁーあ、やめだやめだぁ」

 

(ああっ、ももが傷んじゃうよ!)

 ジャンヌが吐き捨てるようにそう言いながら、ももを食物かごに投げ捨てた。

 

「どうしてやめちゃうんですか?」

「おまえがいらないって言ったから」

「そんな、ミゼルさんがいるじゃ」

「——遠慮するなって何度言ったらわかるんだ!」

「っ!?」

 

 ジャンヌの怒声を浴びて、身体をこわばらせる。

 

 彼女は忍者でもない。魔法もそんなに使えないけれど。

 怒った時だけは、お館様に匹敵するぐらいとっても怖い。

 

 ジャンヌがノアの目の前にやってきて、その場にしゃがんだ。

 厳しい表情でノアと視線の高さを合わせると、こう言った。

 

「シャーベットを食べたいのか。食べたくないのか。『おまえは』どっちなんだ?」

「……」

「わからないは、なしだぞ?」

 

 ジャンヌが、ちょっとだけいじわるに思えた。

 

(これじゃ、『食べたい』しか答えられないよ……)

 前から、ももが好きだと知られていたのはまずかった。

 『食べたくない』だと、嘘つきとまた怒られてしまう。

 

「た、食べたい……です」

「そうだ。最初っからそう言やぁいいんだよ」

「っ、すみません」

 

 ジャンヌの表情が一気に緩んで、おまえは偉い。

 そう言いたげに、ノアの頭を両手でがしがし撫でてきた。

 

「ガキのくせに、気遣い見せたり遠慮したりすんじゃないっ」

「はい……」

「さっき手伝いしてくれただろ。今日はそれで十分なんだよ」

 

 ノアは、ジャンヌやミゼルにお手伝いを申し出たり、気を遣うことが多い。

 

 —— —— ——

 こう言えば、こうすれば、相手は喜ぶだろう。

 相手が喜んでくれたら、お役に立てたと嬉しくなる。

 

 これは、ミストにやってくるずっと前……生まれて間もなくから。

 ノアの身に染み付いていた癖のようなものだった。

 

 ところが、普通相手から喜ばれるその行いが、この家ではほとんど通用しない。

 仮に、子どもらしからぬ振る舞いを見せたとしよう。

 ジャンヌからは、今のように怒鳴られてしまう。

 ミゼルからは、『ジャンヌさんに怒られるからほどほどにね』と注意される。

 —— —— ——

 

 唯一許されているのが、夕食の後片付けのお手伝いだった。

 これだけは、同居のお礼にさせて欲しい。

 頑としてそう譲らなかったノアに、ミゼルたちが折れてくれた。

 

「……さ、おまえもそろそろ時間だよ」

「はい」

「シャーベット作って待っててやるからな」

「わかりました」

「楽しみにしとけよ?」

 

 ジャンヌがノアの頭をひと撫でしてから立ち上がった。

 

「リディアのことも頼んだよ」

「任せてください。——それじゃ、行ってきます」

 

 ノアは玄関に向かい、扉を開けて外に飛び出した。

 

 ミストの西を紅く照らしていた残光は消えて、空は闇色に覆われている。

 辺りは真っ暗闇だが、ノアは夜目が利く。手持ち灯りを持つ必要がない。

 

「——今度同じこと言ったら、ビンタかますから覚悟しとけよ!」

「ええっ!?」

「気を付けてなぁー」

 

 駆け出した途端、見送りの言葉をかけられた。

 ぎょっとして振り返ると、ジャンヌが底意地の悪い笑みを浮かべている。

 ぶんぶんうなずいてから、前を向いて走り続けた。

 

 忍者の修行を積んでも、痛覚がない身体には出来ない。

 心と同じように、叩かれたりして傷つけられたら痛い。

 

(そういえば、ジャンヌさん。ミゼルさんの顔には、張り手したことないなあ)

 ミゼルはほぼ毎日、妻から蹴られるか、腹にパンチされている。

 それを近くで見ている身としては、ジャンヌのビンタは避けたい。

 

 —— —— ——

 ノアは特殊な出自を持つせいで、子どもとしての思い出がほとんどない。

 むしろ、早く忍者としてお館様のため、国のために働きたい。

 思い出を作る必要はないと思っていた。

 

『明日から、ミストでミゼルから依頼された仕事と当分の間諜報をやってもらう。それ以外は出来る限り、普通の子どもとして過ごせ。——いいな』

 

 お館様から初めて任務を命じられて、ミストにやってくるまでは。

 —— —— ——

 

(今は子どもとしての最後の『休息』なんだ……)

 実際に子どもとして暮らしてから、1週間ほど経った。

 大人に何度も怒鳴られた。子ども同士で言い合いをした。お友だちも出来た……。

 

 生まれて初めての経験をする度に戸惑ってしまうが、決して嫌ではなかった。

 そして、この任務を命じてくれたお館様。『ノア』と名付けてくれたミゼル。

 ふたりの思いを無下にしないよう心がけていた。

 

§

 

 駆け足で西へ向かっていたが、突然立ち止まった。

 きょろきょろ暗闇で包まれた周辺を見回しながら、周りの気配を探る。

 この時間、寄合に参加する住民は、既に公民館に着いている。

 もしくは、その近くを歩いているはずだ。

 

「『隠れみの術』」

 

 誰もいないことを確認してから両手で印を結び、呪文を唱えて姿を消した。

 更に西へと進み、五軒続いた民家の一番北端——調査対象の父親の自宅——で足を止める。

 父親はひとり暮らしのため、部屋の明かりは点いていない。

 

 —— —— ——

 ツキノワが『アガルト出身のノア』と姿も名も偽り、ここに来てから約1週間。

 これまでは、調査対象である某親子の行動や言動を監視していた。

 

 しかし、今日はミゼルの勧めで、父親の自宅に家宅捜索にやってきた。

 父親は息子と違い、ほとんど外に出ず、唯一の外出機会が寄合だ。

 ちょうど今からの時間、家探しにもってこい。

 

 その後、公民館に移動して、リディアを密かに護衛。

 彼女の帰宅を見届けたら、本日のお仕事は終了となる。

 

 家宅捜索とは聞こえがよく、実質不法侵入。犯罪である。

 悪事を暴くという大義名分がなければ、やりたくないし、やらない。

 —— —— ——

 

 いわれのない疑いを掛けられていたお館様。ゼロなだけで中傷される優しい依頼人。

 ……ふたりの汚名を晴らすために。

 ノアは懐から金属棒を取り出して、民家に侵入を試み始めたのであった。

(証拠になるもの見つけなきゃ!)

 

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