フェイクラバーズ 作:かえで
—— —— ——
ミストは、雨期並びに帰省期間の真っ只中。
昨日からリディアは、ライザと一緒に2夜連続でアリサの自宅でお泊まり。
一夜明けて本日は、昨年に続きエブラーナの薬草園へ遊びに行く。
ただ、アリサはミストでひとりお留守番。
『あんたたちだけずるいわぁー! あたしも行きたぁーい!!』
アリサは朝から不機嫌極まりない顔を見せていた。
ひとりだけ置いてけぼりにされるのが嫌で嫌でたまらないのだ。
けれど、彼女は約1ヶ月後に出産を控えている。遠出は出来ない。
遠出中に何かあったら、ラルフや子どもたちに合わせる顔がないし……。
『お土産いっぱい買ってくるから……』
『本読んで待ってて! ね!』
ライザと一緒に必死で説得した結果。
渋い表情で見送ってくれたアリサに、ほんのちょっぴり後ろめたさを感じながら。
つい1時間ほど前、ミストにやってきた左回りの巡回艇へ乗り込んだ。
—— —— ——
——7の月30日 午前10時半
エブラーナ城の南にある発着場に、巡回艇が着陸した。
異国情緒あふれる城下町巡りか。一面紫が広がるラベンダー畑が見ごろの薬草園か。
それとも、そのどちらもか。
この時期のエブラーナは、国外からの観光客が非常に多い。
リディアとライザも他の乗客に紛れて、巡回艇のタラップを降りた。
エブラーナは本日快晴。上空には雲ひとつない青空が広がっている。
昼夜問わず、強い雨に襲われ中のミストと正反対だ。
「こっちはいいお天気ね……!」
「傘いらなかったね」
天を見上げながらつぶやくライザに、手にしていた赤い傘を見せてあげた。
「いるわよ。ミストに帰ったらまた雨よ?」
「そうだけど……」
貴重品が入ったかばんは必要だけど、傘は邪魔で仕方がない。
「そんなに嫌なら、傘要らずの魔法でも作ったらどう?」
「あ……それいい考え!」
薪要らずならぬ、傘要らずの魔法とは、お上手なことを言う。
ライザの冗談混じりの提案に、乗っかることに決めた。
早速、傘要らずの魔法の素案を脳内で組み立て始める。
「本体は氷でしょ? 風で浮かせて、雨で解けないようにするのも……風かなあ……」
「誰かさんは怒りそうね」
「3人は余裕で入れる広さにするよ」
誰かさん——アリサが『あたしも入れなさいよー』と言うのが、目に見えている。
最初から、3人入れる大きなものを作れば言うことなし。
「……アリサ、あと1ヶ月でお母さんかぁ」
「今もお母さんじゃない」
「怒ってるところしか見たことないから、ぴんと来ないんだよ」
「そうね。全員息子さんだし、一番上の子はやんちゃだから」
「赤ちゃんの音、はじめて聞いたけど……感動しちゃった」
(本当に赤ちゃんがいるんだ……)
昨夜の就寝前。アリサのお腹を触らせてもらうと、時折ぽこぽこ音が聞こえてきた。
それは赤ちゃんがお腹の中で動いてる音だと教えてもらった。
新しい生命が宿っているのを目の当たりにして、興奮していた。
「……」
昨日の出来事を熱を込めて話していたが、返事はない。
隣を見たら、ライザが神妙そうな表情でうつむいている。
「どうしたの?」
「……やっぱり、欲しいのね」
「うん」
(エッジの子ども……欲しい)
主語がなくても、話の流れですぐに察して即座に答えた。
今は『防音結界』を張った状態で会話しているが、あまりにデリケートな問題。
露骨な表現はお互い避けてしまう。
—— —— ——
『……5の月の頭から……こないの』
毎月上旬になると、規則正しく月のものがきっかり訪れていた。
それが突然、5の月上旬を最後に止まったまま。
7の月も終わりに近付いたのに、やってくる気配がない。
いくら周期のズレでも、間隔が空きすぎではないか?
まさかと思い、先日ライザに相談を持ちかけた。
『……中に、出されていたの?』
『最後の夜に1回だけ。でも、きちんと処理してくれてたの』
『それ以外は?』
『あとは……全部直前で、外……』
『そう……あの人、一応避妊はしていたのね』
『するよ。結婚もしていないのに、誰かを妊娠させちゃったらスキャンダルになっちゃう』
一国の国王が、婚前妊娠はまずい。エッジ本人もそう思っていたのだろう。
毎回、果てる直前に外出しを徹底してくれていた。
中に出されたのは、最後の夜。
エッジが果てる前、うっかり告白してしまった時だけである。
リディアが意識を飛ばしている間に、処理してくれていたのだろう。
翌朝目覚めれば、身体の中には残骸らしきものは残ってなかった。
『でもね、どれだけ気を付けていても、男の人のソレが入っただけで妊娠する場合もあるの』
『うそぉ……!』
ライザからそう言われて、驚愕しただけではない。
エッジもだが、リディア自身も妊娠に対する認識が低かった。そう思い知らされた。
『8の月の頭まで待って、それでも来なかったら……花火大会の前に、一度病院で診てもらった方がいいわ』
『病院……?』
『ええ。相手は誰なのかバレちゃだめなのよね』
『うん』
『それなら、ウリエル先生やアイリス先生はだめ。ミストの外で診てもらわないと……』
ミストは狭い村社会。妊娠の検査や出産しようものなら、お相手——父親がすぐバレる。
もしそうなったら、エブラーナやエッジに迷惑が掛かる。
ライザからそんなアドバイスを受けて、しばらく様子を見ることにした。
—— —— ——
このことを知っているのは、ライザだけしかいない。
アリサはただでさえエッジに怒っている。もし、知ってしまったら、今以上に怒り狂う。
それが目に見えているから、今でも彼女には内緒にしてある。
「そろそろ病院探した方がいいわよ」
「うん……ごめんね……」
「急に謝って、どうしたの?」
「自分でも無茶だってわかってるの。でも、もしそうだとしても……」
(エッジの子ども、産みたい)
仮に妊娠していた場合。子どもは、某国の国王の隠し子になる。
リディアは密かに子どもを産み、ひとりで育てるつもりでいる。
……本当の母親はこの自分。子どもにも周囲にもそう明かさずに。
「謝らなくていいのよ」
「ライザ……」
「わたしが出来ることって、話を聞くか育児のアドバイスぐらいしかないもの」
ライザが困ったような顔で頭を撫でてくれるうちに、胸がいっぱいになる。
(ライザがいてくれてよかった……)
リディアの意志を優先してくれているからか。ライザは出産に反対しなかった。
それどころか、出来得る限りの協力を申し出てくれた。
話を聞いてくれるだけでもありがたいし、先輩からの助言もとても助かる。
「本当にズレてるだけかもしれないから、まずは病院で診てもらわなきゃね。決まったら教えて?」
「うん」
長年、月のものがきっちり訪れていた。それは相当珍しいことだとも教えてもらった。
何にせよ、検査前の段階でいろいろ考えても仕方がない。
つわりや味覚の変化をはじめとした、体調の変化もない。
単に周期がズレているだけかもしれないし。
「そうだ……!」
この時、リディアはふと思い立った。
「どうしたの?」
「ローザに検査をお願いしてみるよ」
「そうね……あなたと懇意にしているし、同じ女性だから秘密裏に事を進めてくれそう」
「お泊まり会終わったら、お手紙送ってみる」
「ええ、早いうちにね」
ローザはリディアにとって、最も信頼の置ける人物。
頭を目一杯下げたら、セシルたちにも隠してくれるはず。
(でも、エッジのことだけは隠さなきゃ……!)
しかし、ローザにはエッジとの関係を話していない。
話せば、セシルのこともバレてしまうし、彼女は清廉潔白な人間である。
アリサと同じように、エッジに怒りを露わにしそうで……。
§
程なくして、リディアとライザは同じ発着場内の端っこに到着した。
ここは薬草園行きの直行便乗り場。運行時間が書かれた看板が立てられている。
巡回艇から降りた乗客の多くも、こちらにやってきている。
「薬草園行きのお客様はこちらへお並び下さい!」
「二列でお願いしまーす!」
乗艇時の混雑を避けるために、数人の忍者が場所整理を行っていた。
彼らに誘導されて、列に並ぶ。それから、看板を見上げて次の時間を確認した。
「次は30分後かあ」
「ねえ、リディア」
「なぁに?」
「あれ見て」
「……うわぁ」
ライザが指さした方向を見やった瞬間。思わず声を上げた。
着物を着た男性が4、5人集まっている。
彼らは全員、白や黒など色とりどりのお面をつけている。
「お面かぶっている人って、ツクヨミさんだけじゃなかったのね」
「去年は全然いなかったのに、急にどうしちゃったのかな?」
ふいに視線を逸らせば、3人組の女性が視界に入ってきた。
「ちょっとちょっと、あっちにもいるよ」
「……きらきらしすぎじゃない?」
鮮やかな着物を着ている3人の女性は、全員お面をかぶっている。
お金持ちのお嬢さまなのか。ただの派手好きなのか。
お面は、羽や透明な石など飾りがついている。
残念なことに、そのきらびやかさが周囲から浮いて見える。
「目立ってしょうがないね」
「さすがにあれはかぶりたくないわ……」
ライザが困ったような表情で女性たちを見ている。
顔が隠れていても、物珍しげな視線を集めてしまう。
目立つことが嫌いなライザには理解出来ないだろう。
(エブラーナではお面もアクセサリーのひとつなんだ)
3人組の近くにも、着物を着ながらお面をかぶる客がいた。
どうやら、この国ではお面は当たり前になっているようだ。
「……あら」
他にもお面をかぶる客がいないか。リディアがきょろきょろしていたら。
ライザが小さな声を上げてから、肩を揺さぶってきた。
「どうしたの」
「結界解いて——ほら、あっち」
「……ええっ!?」
ライザの指差した方を見やった。
こちらに向かって歩いてくる人物に驚きの声を上げた。
「早く早く、こっち来ちゃうわ」
『う、うん【……』
ライザに急かされて、あたふたしながら『防音結界』解除の詠唱を唱えた。
ぱりんぱりんと音を立てながら、結界が解除される。
『こんにちは。リディアさま、ライザさん』
「こ、こんにちは」
(間に合った……)
音が消えたと同時に、ツクヨミがリディアたちの前にやってきた。
「こんにちは、ツクヨミさん」
『ここでお会いするのは、1年ぶりですね。これから薬草園に向かわれるのですか?』
「ええ。毎年恒例になると思います」
『常連になって下さったのですね。ありがとうございます』
「ツクヨミさんは、お仕事の帰りですか?」
『はい。帰宅途中におふたりによく似た方々をお見かけしたものですから』
ライザが落ち着いたような表情で、ツクヨミと話している。
ところがリディアの心の中は、焦燥と疑念で満ちていた。
(おかしい……! 偶然とは思えない!)
ちょうど1年前にも、こうして仕事帰りのツクヨミに出会っている。
去年も今年も、待ち伏せしていたように思える。
まさかこちらの予定が、黒づくめ忍者に筒抜けになっているのではないか?
そんな邪推をしていると、ツクヨミが小さな声でこう言った。
『よろしければ、おふたりを国有艇で薬草園にお連れいたしますよ』
「えぇ!?」
リディアは驚き困惑交じりの声を上げた。
隣のライザも困惑したような表情で首をかしげている。
『手続きのために、10分ほどお待ちいただくことになりますが。直行便を待つより現地に早く到着いたします』
「そんな……他のお客さんに悪いです」
「ツクヨミさん、お仕事終わったばかりでしょう? お疲れなのに申し訳ないです」
周りの客に聞かれたら『ずるい』と怒られてしまいそう。
誰が言う訳でもなく、3人とも自然と小さな声で話を続ける。
『直行便だけが訪問手段ではありません。僕のことはお気になさる必要はございません』
(ホバーは普通のお客さん乗らない……)
現在お城から薬草園に向かうには、空路の直行便を利用する。
もうひとつ、陸路でホバーで移動する手段がある。
そちらは料金がべらぼうに高く、庶民向きではない。
「でも……」
「ねえ?」
押せ押せのツクヨミに困惑して、ライザと互いに顔を見合わせた。
この月に入ってから、ツクヨミがやたら自分たちに世話を焼いてくれる。
決して嫌ではないが、甘えてばかりでいいのだろうか?
『これでも一応顔がききますから、特別展望所にご案内出来ます』
「……!」
特別展望所の言葉に、リディアの脳内に3年前の記憶が蘇る。
当時空き地だったそこからラベンダー畑、通称紫の丘を眺めたことがあった。
昨年からその場所は、公賓——お偉い人たちしか入れない、特別展望所に変わっている。
(すごい、この人。お城勤の立場を利用する気満々だぁ……!)
自分がいたら、特別展望所に入れる。ツクヨミはそう言いたげだ。
「あの、それって、一般客は入れない場所ですよね……!」
『はい。その通りでございます』
ライザが目を輝かせながら、ツクヨミにたずねた。
「リディア、いいわよね?」
「そうだね。毎回は困るけど今日だけなら……」
今はラベンダーが見ごろ。通常の展望所は客の出入りがとても多い。
リディアはほぼ無人の展望所から、紫の丘を眺める良さを知っている。
薬草好きで静かで落ち着いた環境がお好みのライザは、言わずもがな。
(ラベンダーふたりじめさせてもらおう!)
結局ツクヨミの釣り餌に、まんまと引っかかってしまった格好だが。
リディアとライザは、特別展望所にご案内してもらうことに決めた。
§
ツクヨミは手続きのため、一度お城に帰った。
そして10分後に戻ってくると、リディアたちを空きの国有艇にご案内してくれた。
『どうぞ、そちらの席にお座り下さい』
「はい」
「失礼します……」
リディアとライザは運転スペースの端にある椅子に腰掛ける。
それからツクヨミが舵を回して国有艇を離陸させた。
とっても快適で贅沢な、空の旅の始まり始まり。
§
エブラーナ城を離れてから、5分ほど経過した。
『まさか、おふたりがエブラーナに本日お越しになられるとは。お互い運がいいですね』
「……本当に空いてるのかな?」
『ご心配なさらず。城で確認して参りましたが、本日公賓訪問の予定はございません』
「そうなんですか」
「じゃあ安心ね」
ツクヨミは運転中。前を向いたままリディアの問いに答えてくれた。
(あたしたち……あたしを喜ばせて幸せに出来るからだろうなあ……)
ツクヨミの声がいつもより明るく、はきはきしているように聞こえる。
それだけで丸わかりだ。彼は今の状況にとてもご機嫌だと。
「今日はどんな理由で飛空艇を借りてきたんですか?」
『「賓客の送迎」でございます』
「ひんきゃく!?」
「……わたしたち、ただの観光客ですよ?」
リディアは驚き、ライザも困惑したような声を上げた。
自分たちは要人でも何でもない。
『僕にとって「おふたり」は賓客です。申請もそれで通りましたから問題ございません』
「く、っ……」
(突っ込みたくてたまらないよね)
隣に座るライザが笑いを我慢しながら、首をぶんぶん横に振っている。
リディアはその意味にすぐ気付いたが、何も言わなかった。
「……そういえば、ツクヨミさん」
『はい、何でしょう?』
「こないだは、署名集めのお手伝いしていただいて、本当にありがとうございました」
笑いが収まり、ライザがツクヨミへ半月前のお礼を言った。
彼は2日連続でミストにやってきて、ライザたちのお手伝い。
……リディアの護衛をつとめてくれた。
『いいえ、とんでもございません。お申込みも終わりましたか?』
「はい。返事もいただきました……」
ライザが一瞬にして憂鬱気な表情に変わった。
白魔法巡回指導の申し込みは終わった。
8の月が明けてすぐ、詳細な話し合いをするために。
運営側の担当者がミストにやってくることも既に決まっている。
順調に話は進んでいる。進んではいるのだが……。
「リディア、話していいわよね?」
「うん。今度ミスト来たら嫌でもバレちゃうもん」
『……何かあったのですか?』
「ええ。寄合で、ちょっといろいろありまして……」
「西の人たちが——」
リディアとライザが、ツクヨミに当時の状況を交互に話し始めた。
ライザはちょっとと表現した。しかし、あれはちょっとどころではなかった。
10日前に行われた寄合は、ミスト復興後最大級の荒れ具合だったから。
***
——7の月20日 午後7時すぎ
毎年この日は、翌月に行われる花火の役割分担に時間を費やす。
ところが、西区画在住の保守系先住民が、約4年ぶりに花火大会の中止を訴えた。
「お祭りをやっている場合ではない」
「村の存亡に関わるトラブルでもなし。中止にする必要はないですね」
保守系先住民が魔法漏洩を盾に中止を主張したが。ミゼルはそれを一蹴した。
花火はミストでの数少ない住民の参加行事。なんだかんだみんな楽しみにしている。
他の住民もミゼルに賛同して、中止は回避された。
またもや数で負けてしまい、保守系先住民がふてくされている。
会議室の中央に陣取る彼らを放置して、係決めに入ろうとした時。
「ひとつ報告があります」
ミゼルがそう前置きしてから、こう言った。
「なんとですね。毎年お楽しみの打ち上げ花火に、エブラーナさんが今後もご協力を申し出てくれました!」
「よかったじゃないか」
「今年も打ち上げ花火が見られるのね……!」
会議室におぉー、と歓声が上がったのは言うまでもない。
既にこの頃には、ミストの噂の発信源『マダム』のおかげで。
エッジが魔法漏洩の犯人だと疑う住民はほとんどいなくなっていた。
「あんた、ずっと業者探してたもんなあ」
「ぼくもばかでしたよ。はじめから頼んでおけばよかったんですよね」
「あの人も業者みたいなものだしね」
—— —— ——
『ミストのお祭りだから、住民でやりくりしましょう』
ミゼルはかねてより、そんな目標を立てていた。
しかし打ち上げ花火だけは、素人がそうそう火薬を取り扱えない。
そのため、専門の業者に依頼しようと考えた。
ところが、これまでエッジが打ち上げ花火のセッティングをしてくれていた。
そのため今から業者に頼むとなると、ミストは後発組になる。
花火業者に問い合わせても、9の月半ばまで先約でいっぱいと断られてしまう。
そんな先行き暗い経過を、ミゼルはこれまでの寄合で逐一報告してくれていた。
—— —— ——
一国の国王さまを業者扱い出来るのは、ミストの住民ぐらいだろう。
それぐらいには、エッジはミストではおなじみの人物だという証左だ。
「いつまで?」
「無期限です。ぼくが村長の間はずっと甘えようと思ってます」
「それって、エッジ様が毎年来てくれるってことですよね」
エッジは毎年、おもちゃの打ち上げ花火の火付け役も担当してくれていた。
子ども向けの余興だが、大人からも笑いを取って毎年評判がよかった。
「この先は厳しいと思います。現に今年、国王さまは不参加ですから」
「えー」
「なんでー」
ミゼルの回答を聞くなり、住民が不満気な声をもらした。
「来る気がないから、個人から国に切り替えたのかね」
「そうかもしれませんね。まあいろいろ事情があるんでしょう」
「黒ずくめの……あの」
「ツクヨミさんがひとりでくるのか」
「おそらくそうなると思います。あの人はミストが大好きで、自主的に手伝ってくれています」
「あっ、そうだったね」
「ミストが好きな方が来て下さるなら、ぼくは誰でも大歓迎しますよ?」
ミゼルのあっけらかんとした言葉を聞いて、リディアは少し腹が立った。
(おじちゃんのばか! 冷たいこと言わないでよ!)
花火に来ない。それだけで、ミゼルがエッジを見捨てたように聞こえたのだ。
勝手に友人と決めて、やたらエッジに馴れ馴れしかったのに。
それでも、この場所に何度も訪れる者がみなの印象に強く残る。
ツクヨミはこれからも顔を出すつもりでいるようだし。
いずれは住民の愛着や関心の先も、エッジからツクヨミに変わっていくのだろう……。
§
報告が終わり、いよいよ花火大会の係決め。
毎年この時間は、大会不参加を貫く保守系先住民はみな大人しい。
もちろん、リディアは例年通りアイス担当に立候補。
今年もお役目をおおせつかることが決まった。
「すっかりベテランね」
「そろそろ後進に譲った方がいい?」
「あなた以上のアイス好きが現れるまで、今のままでいいでしょう」
「それなら当分大丈夫だね」
リディアの並々ならぬ甘味への執念は、すっかり有名。
……敵に回したくないのか。今年も対抗馬は現れなかった。
§
「では、あと少ししか時間ありませんが。何かご意見ご要望ある方いらっしゃいますかー?」
スムーズに係決めが終われば、7の月2回目の寄合もいよいよ終盤。
ミゼルが声をかけたが、誰からも返事がない。
「……誰もいないようなので、最後に重大なお知らせがあります」
住民の3分の2以上の署名が集まり、白魔法巡回指導の招致が決定したこと。
前日バロン城にある運営本部に、ジャンヌが申し込みに行ったことが発表された。
ツクヨミの協力もあって、署名集めはたった2日で終了。
ミゼルはこうして、事後報告するために申し込みまで一気に片付けたようだ。
「今は運営本部から、返事待ちの状」
「——白魔法などいらぬ!」
「ここは召喚士の村だぞ!!」
「すぐ撤回しろ!」
「無理です。多くのみなさんがこうして署名したんですよ? それを無下に出来ません」
ミゼルが回収済みの署名用紙を見せつけながら、保守系先住民の訴えを拒否した。
「ならんならん!」
「白魔法を覚えたければ、バロンやミシディアに修行に行けばよい」
(どうしてそんなに白魔法入れるの嫌がるの??)
しかし、この日の保守系先住民はどうも様子がおかしかった。
署名用紙——数を形にしたものを見せつけられたというのに。
彼らは引き下がるどころか、更にミゼルに噛みついた。
「無茶言わないでよ。家族置いて覚えに行けない人が多いんだから」
「巡回指導はそのためにあるんだよ?」
「今更大人が白魔法を修行しても無駄だ」
「ケアルかサイトロぐらいしか覚えられぬ。努力してもレビテドやケアルラ程度」
「——ケアルばかにしないでっ! サイトロも便利だもんっ!」
白魔法をけなした保守系先住民に、リディアは言い返した。
白魔法が使える可能性がある者に、習得する機会すら与えようとしない。
何と心狭い人たちなのだろう、と。
—— —— ——
保守系先住民たちはミストの外に出たことがない。
だから、地図魔法サイトロのありがたみがわからない。
この魔法を使うと、数分の間だけだが世界地図を出現させる。
地図上には、術使用者の現在位置も表示してくれる。
旅のお供には、とっても欠かせない魔法である。
閉鎖的な思想を持つ保守系先住民は、ミストの真なるかたつむりだ。
集落の外には出ないが、外聞に興味があり、人脈を持つミゼルよりも、よっぽど。
—— —— ——
リディアは、いやしの力を使えない訳ではないけれど。
ケアルどころか白魔法を使いたくても使えない。
それもあって、保守系先住民の態度にものすごく憤りを感じた。
「魔法は子どもの頃から教育を施すものだ。それでも黒魔道士も召喚士も片手で足りるぐらいしか育たぬ」
「大人は黙って仕事や家事育児に専念すればよい」
保守系先住民の言い分に、会議室がざわついた。
まるで、大人は一家を養い、村にお金を納めるだけの存在にしか過ぎない。
そう言っているようなものだったから。
「すみません。それでは、ここに住む大半の方がファイアを習得するために無駄な時間を過ごしたように聞こえますが……」
窓際の一番後ろに座っていたラルフが、至極冷静な声で質問した。
ラルフは本を出版したのをきっかけに、幻獣界に興味を持った。
幻獣界の書籍を自力で読もうと考え、古代語の勉強を始めたばかり。
『薪要らずの魔法』を使うために、ファイアを覚えた住民は多い。
リディアには、ラルフがそんな彼らの心情を思いはばかっているように見えた。
「その通りだ」
「え?」
「ミゼルが浴槽の無料設置を受け入れなければ、こうならなかったのだからな」
「それはさすがに極論でしょう!?」
「上手い話にまんまと引っかかったのが悪いのだ」
なんと保守系先住民たちは、ミゼルが諸悪の根源と言い切り。
ファイアを覚えた大人たちの努力や時間を否定した。
「ところで、そなたは白魔法を覚えたいように見受けられるが」
「ええ、出来ればケアルを」
「——減量出来ぬほど意志が軟弱な者が、白魔法を習得出来る訳なかろう?」
「!?」
「まずは痩せねばな」
「……ぅ、っ」
ラルフが、キロンから遠回しに『デブ』と、痛いお言葉を食らってしまった。
子どもたちや妻からの嘲笑と違い、愛嬌や可愛げの欠片もない。侮蔑そのもの。
それが余計にダメージを増幅させたのか。
ラルフががっかりしたような表情で席に着いた。
(今度ローザたちに聞いてみよう。絶対そんな人いる!)
リディアは過去に、ミシディアやバロンでふくよかな白魔道士を数人目撃している。
ダイエット出来ないから白魔法は使えないは、ただの偏見だ。
「魔法の修行も勉強と一緒でやる気が大事なの。歳なんか関係ないよ!」
前に座っていたミネルバが勢いよく立ち上がり、保守系先住民に向かって訴えた。
「別だ。努力しようが素質がなければ意味がない」
「仕方なく教師になったくせに、偉そうな口を叩くな!」
「っ、何言って……」
キロンたちに泣き所を突かれてしまい、ミネルバが言葉を詰まらせた。
(ミネルバ以上に、いい先生になってから文句言いなさいよ!)
ミネルバはゼロではない。
しかし黒魔法の習得に伸び悩み、10代半ばで教師を志すようになった。
ミストで教職についてから10年近く経ち、教職に誇りを持っている。
その一方で、黒魔法がほとんど使えないことに少し劣等感を感じている。
リディアは以前ミネルバから、そう打ち明けられたことがあった。
「わしらのように、中級を全て覚えてから出直してこい」
「くっ……!」
「もっとも、今更手遅れだがな」
保守系先住民はミネルバ以上の黒魔法の使い手だ。
上から目線の彼らにののしられて、ミネルバが悔しそうな表情で席に着いた。
—— —— ——
黒魔法講座に出席せず、午後も『学習』を選択して会議室で勉学に励む子どもはいる。
ゼロだから黒魔法を習得出来ないから。黒魔法習得に限界を感じたから。
将来魔法と無縁の職業につくために、必要な学力をつけたいから……。
午後の『学習』に参加する理由は、その子どもによって違う。
黒魔法を習得することだけが、子どもにとって全てとは限らない。
それ以外にも、ミストに貢献する方法はある。
だからミネルバの選択も間違っていない。リディアはそう思っている。
—— —— ——
これまで保守系先住民は、何かにつけて文句を言うだけだった。
ところが、ラルフを『デブ』と中傷。ミネルバを『仕方なく教師になった』と切り捨てた。
この日の彼らの言動は度を超えていた。
「能力のない者は金を稼ぎ、村や家庭を潤すことにやる気を注げばよい」
「白魔法ごときに貴重な村の金を使うなど、もったいな」
「——ミストで生まれ育った方の発言とは思えませんね」
「……何だと?」
「白魔法を『ごとき』と称するのは、幻獣王妃アスラ様への侮辱とも取れますよ」
「っ……」
横暴な持論を展開するキロンたちに、水を差したのはミゼルだった。
彼の的確な指摘に保守系先住民はぐうの音も言えずにいる。
なぜならアスラは召喚すれば、ランダムで白魔法を使ってくれる。
それぐらいには、白魔法と非常に密接した唯一の幻獣だから。
(おじちゃん、ずっと大人しかったもん。これぐらい言い返しても許されるよ!)
ぼんやりそう思っていると、ミゼルが更にこんなことを言った。
「魔法を覚える大人よりも、以前のミストを取り戻そうと躍起になる人たちの方が、よっぽど無駄な時間を過ごしていると思います」
「何だと!?」
「わしらを侮辱するつもりか!!」
保守系先住民が一斉に立ち上がり、ミゼルへ怒声を上げた。
主語ははっきりしないが、ミゼルが彼らのことを指しているのは明白だったから。
「ライザくんとリディアさんは、ミストのお宅を一軒一軒を回って、説明した上で賛成の署名を集めました。なのに、あなたたちは説明も聞かず、すぐ追い返したそうじゃないですか? しかも用紙を取り上げて目の前で破る人もいたそうですし……」
「うわぁ、かわいそう」
「話ぐらい聞いてやれよー」
「失礼にも程があるぞ!」
ひどい対応に、その場にいた者が次々と困惑や怒りの声を上げた。
(あの人、しゃべっちゃったの……?)
用紙を破られた。それを知ったら、ライザが悲しむ。
そう思って黙っていたことを、ミゼルが暴露してしまった。
隣のライザにさっと視線を移すと、沈痛な面持ちでうつむいていた。
「……」
「ごめん。でも、おじちゃんにはわたし……」
「……ツクヨミさんね」
「うん」
ライザの指摘通り、犯人はツクヨミだ。
確か彼は、署名集め初日にミゼルに会っている。その時、密告したのだろう。
(まさか、ツクヨミさんが言いつけるなんて……)
口止めしておけばよかった。そう後悔するリディアをよそに。
ミゼルの保守系先住民への正論と言う名の口撃は、なおも続いた。
「時間と共に変わるものは、嫌でも出てきます。頭ごなしに反対するだけでなく、話に耳を傾けて少しは歩み寄りも見せた方が賢明ですよ」
「おまえがわしらに説教する資格はない!」
「文句があるならここから出て行け!」
「ゼロなど、ミストでは使用人同然。よそ者も同等だ。何ならリディア以外、必要ないのだからな」
「!?」
キロンの吐き捨てたような発言に、会議室が一瞬しいんと静まり返った。
保守系先住民たちが初めて公の場で、本音をもらした瞬間でもあった。
多くの住民が険しい表情で、会議室の中央で立つキロンをにらむ。
呆れたようにため息をついたり、頭を抱える住民もいる。
そんな中、突然ライザが立ち上がった。
「い、いい加減に……してください」
「ライザ……?」
「リディアの人生は、リディアのものです……あなたたちが……勝手に決め」
「——黙れよそ者がっ!!」
「ひっ……」
「おまえたちは、純血の召喚士がどれだけミストで貴重な存在なのか全くわかっておらんわ!!」
ライザがつたないながらも、保守系先住民に訴えようとしたが。
キロンに一喝されてしまい、哀しそうな表情で席に座った。
(あたしのために……!)
ライザが寄合で発言したのは、これが生まれて初めて。
自身を含めた移民がさげすまれて、憤りを感じていたはず。
それなのに、真っ先にリディアを思いはばかってくれた。
そんな親友に、よそ者と恫喝したキロンを許せなかった。
「最っ低っ! どうしてそんなひどいこと言えるのっ!?」
「リディアよ。おまえは自分の価値を全くわかっておらん。いい加減目を覚ませ」
「いくら庶民風情を装っても、おまえはその者たちと同等にはなれぬ」
「何それ……」
「幻獣界は他国で言うところの神々が住まう世界だ。あちらからすれば、しょせん地上の人間などちりにも等しい」
「その世界を統べる幻獣王並びに王妃や、伝説と言われていた幻獣神にまで愛され、幻獣全てを召喚出来た者など過去に例がない」
「おまえは本来ミストだけでなく、この世界で崇められるべき存在なのだ」
「!?」
キロンたち西区画の住民が掲げる誇大妄想に近い理想に。
リディアをはじめ、その場にいた者たちは全員あ然とした。
……ただひとりを除いて。
(あたしは神さまでも何でもない!)
保守系先住民は、純血の召喚士であるリディアをミストで尊びたがっている。
そう思っていたら、まさか世界的な崇拝対象に持ち上げようとしているなんて。
「おまえやミゼルは、前々からミストと幻獣界の交流が理想とのたまっているようだが」
「そうだよ? だから、毎年花火やってるんだよ」
「なら、たずねるが。今まで幻獣王がここにお越しになったことはあるか?」
「っ、それは……『まだ』だけど……」
保守系先住民の指摘に反論出来ず、言葉を止めてうつむいてしまった。
幻獣王リヴァイアサンや住民は、リディアが何度幻獣界に里帰りしても。
地上地底世界に加えて、セシルとリディア以外の人間をさげすむようなことばかり言う。
—— —— ——
幻獣と仲良くしたい人がいる。幻獣界に興味がある人はたくさんいる……。
リディアは里帰りする度に、リヴァイアサンや住民をそう説得した。
しかし、毎回一蹴されておしまい。
逆にリディアに早く幻獣界で暮らすよう迫ってきた。
そんな両者平行線の状況を見るに見かねたのだろう。
2年ほど前、リディアが里帰りした時にアスラがこう忠告してきた。
『当面の間、幻獣王や住民へ地上の話を持ち出してはなりません』
地上や人間の話をするのは、リヴァイアサンたちを刺激するようなもの。
下手をすれば、リヴァイアサンがリディアを幻獣界へ強制的に連れ戻すかもしれないという。
そんなことを言われたら、泣く泣くアスラに従うしかなくて。
それ以来、幻獣界に里帰りしても地上の話題を出せない状態が続いている。
—— —— ——
「『まだ』ではない。『もう』無理なのだ」
「そんなことないもん……」
「何を。おまえ以外に、幻獣界の滞在を許された者は一向に現れぬではないか」
「幻獣王がおまえ以外の人間や、この地上に関心がない証拠だ」
「後にも先にもそんな人間は、おまえしか現れないと言うことだぞ」
幻獣界と関わりがある地上の人間は、未だリディアしかいない。
そこをキロンたちに突かれてしまうと、何も言えない。
(あたしだけ……)
両親を含めて、過去に召喚士はたくさんいた。
しかし幻獣界で暮らした経験を持ち、いつでも住民になってもいい。
幻獣界からそんなお墨付きをいただいた召喚士は、誰もいなかった。
この先、召喚士を何人育てたとしても。
リディアのような召喚士が現れるかどうか、全くもって不透明。
ライザをはじめとした移民。そして、ミネルバたち若き先住民。
彼らはみな幻獣界と深く関わっていない、関われない。
お口の女王アリサもおらず、リディアを援護出来る者が誰もいない。
気落ちした住民を見ながら、キロンたちが勝ち誇ったように、なおもこう続けた。
「幻獣王にお越しになってもらいたいのなら、おまえも地上でそれ相応の立場に立った方がよい」
「ど、どうしてそうなるの!?」
「幻獣王は、おまえが一住民でいるこの世界に不満をお持ちなのだ」
「だから、余計に地上を遠ざけておるのだろう」
「わっ、わたしはミストの一住民がいいのっ!! これからも普通に暮らすんだからっ!!」
リディアが地上で崇められ、尊ばれる存在にならなければ、幻獣界は軟化しない。
そう言いたげな保守系先住民に向かって、リディアははっきり言った。
普通の生き方がしたい、と。
「ならば、幻獣王は未来永劫ここにはお越しにならぬな」
「っ……」
「いい加減、無駄なあがきは辞めてだな。わしらと共にミス」
「——いい加減にするのはあんたたちだ!!」
ばん!!
ミゼルがキロンを怒声で遮ると同時に、拳で壁を叩きつけた。
「リディアはどこにでもいる普通の女の子だ! 何が無駄なあがきだ、目を覚ませだ! 勝手な幻想を抱くな!」
ミゼルはそれまで壇上の壁に寄りかかったまま、静観を決め込んでいた。
この日だけではない。長年保守系先住民に対して、好きに言わせておけの姿勢を貫いていたが。
とうとう公の場で怒りを露わにした。
「何をほざく!」
「わしらの話を聞いてなかったのか!」
「女王になりたい子が、ライザと一緒に署名運動するのか!」
「リディアは迷走しているのだ。だから目を覚ませと言っておる!」
「リディアは人より幻獣と仲が良くて、召喚術や黒魔法が得意なだけだ。ぼくはそれを個性のひとつとして捉えている。いくらでも賞賛するが、崇める気は毛頭ない!」
(おじちゃん、ずっと我慢してたんだ……!)
激昂するミゼルを、リディアはおろか、ここにいる者は誰も見たことがなかった。
壁を叩いて一喝しただけ。すぐにいつものミゼルに戻るだろう。
そう思っていたのに、怒りを解く気配がない。
「な、何が個性だ!? 料理や勉強と違うんだぞ!」
「それらと同列に並べるなど、罰当たりだ!」
「あんたたちこそ、地上と幻獣界の10年を同列に並べるな。あっちとこっちじゃ時間の流れの速さが違うことを知らないとは言わせないぞ?」
「ぐ……!」
「昔、あんたたちは『幻獣界を地上と同じ感覚で捉えるな』と説いてたはずだ。——違うか??」
「っ……」
ミゼルの激昂は少し収まった。しかし、保守系先住民へ敵意をむき出しにしたまま。
しゃくにさわるような言い方も続いている。
「……」
ライザが口に両手を当てながら、身体を震わせている。
「どうしたの?」
「あ、あんなの……ミゼルさんじゃない……」
今までと全く違うミゼルの姿を目の当たりにして、ライザが怯えているように見える。
ライザの気持ちはよくわかる。
本当のミゼルは悪人。リディアですら、そんな錯覚に陥りそうになっているのだから。
「……そんな調子ですから、人間とあちらの方々とでは、感情や思考がまるっきり一緒とは限らないんですよ。何なら、人間より極端で複雑かもしれません。ちょうどいい機会ですから、ぼくの個人的な見解を話しておきます」
怒りを解いたようだ。ミゼルがいつもの落ち着きのある、ほどよい敬語に戻った。
そして、みんな聞いてくれとばかりに、会議室を見回しながらこう言った。
「幻獣界のみなさんはアスラ様を除き、リディアさんと子離れ友離れ出来ていませんね」
ミゼルの見解に会議室がどよめき、リディアも耳を疑った。
彼には幻獣界のことでよく相談に乗ってもらっている。
しかし、『子離れ友離れ』なんて言葉、一度も聞いたことがない。
「特に幻獣王様にとって、リディアさんは初めての娘です。それが原因で、幻獣界とミストの交流実現に時間がかかって」
「——おじちゃん、わたしそんなの聞いてないよっ!」
「ははっ、ごめんごめん。ぼくはラルフくんじゃないからさ。今まで恥ずかしくて話せなかったんだ」
偽物の幻獣界専門家が騙ってもおかしくない内容。だから、黙っていました。
そう言いたげなミゼルに呆れたが、黙って席に着いた。
(ラルフさんの顔を立てて黙ってたのかな……?)
ミゼルはニクスと一緒に白魔法導入を訴えたが、却下されている。
それから20年近くの間。誰か——ライザが、同じ要望を訴えるのをずっと待っていた。
それと同じく、幻獣界専門家のラルフが勘付くまで黙っていたのかもしれない。
「娘を嫁に出したくない父親といっしょのノリですか??」
「ラルフくんの本を読んだ方ならご存知だと思いますが、幻獣界の子孫繁栄は、人間のそれと一緒ではありません」
幻獣界では、成人しても子どもを作らない者はたくさんいる。
幻獣界の王様と女王さまですら、子どもは後にも先にも養女のリディアだけ。
それぐらいには、幻獣界の出生率は極めて低い。
だから、子どもの巣立ちという概念がものすごく薄い。
ミゼルのそんな説明に反論する住民はいなかった。
「ラルフさんの本に載ってたね」
「みんな不老不死だ。人と同じだったら今頃パンクしてたよなぁ」
「幻獣界のみなさんは元来、地上や地底、人間が大嫌いです。せっかくリディアさんが住民になると思っていたら、ミストに帰ってしまったので、地上嫌いに拍車が掛かっちゃったんだと思います」
「こっちにリディアちゃんを取られたと思い込んでるんだね」
「ずっと幻獣界にいて欲しいんだな」
「そうですね。幻獣王を含めて幻獣界のみなさんにとって、親しい者と離れ離れになるのは、おそらくこれが初めての機会です。リディアさんはもう幻獣界に帰って来ないかもしれないと、いつも不安でたまらない。だからリディアさんがミストに遊びにきてぇーと訴えても、聞く耳を持たないんだと思いますよ」
ミゼルの話を聞いて、ほぉぉーと声を上げる住民が多い。
リディアも、『子離れ友離れ出来ていない』説に納得できた。
「他人の心を変えるのって、人間相手でもすごく難しいですよね」
「今がまさにそれだなぁ!」
「そうっ! その通りっ! 異世界の方々が相手なら、もっと難しい。時間もかかると思いません?」
その場にいた者は、みなそうだそうだと口にして、ミゼルの意見に同意した。
相手の心を他者が変えるのは容易ではない。
現に10年近く経った今でも、保守系先住民は未だミゼルを毛嫌いしている。
今、ここで行われている舌戦がそれの身近な実例だ。
「と言う訳で、ぼくはミストと幻獣界の交流については長期的なスパンで見ています」
「長期? どれぐらいですか?」
「……現状リディアさんひとりで手探りの状態ですからね。彼女が生きているうちに、こちらに一度お越しになられたらいいんじゃないですか?」
「そんなにかかるのか??」
「あちらの世界は時間の概念がほとんどありませんから、急いたってしょうがないです。まあ、リディアさんが幻獣界を見捨てなきゃ、いつかなんとかなるぐらいの心持ちで。——ねー、リディアさーん?」
「は、はい?」
「その仕事さ。ぼくは何もここで暮らさなくても出来ると思ってるんだけど」
「!?」
ミゼルに問われて、リディアは目が点になった。
幻獣界と地上の橋渡し役をつとめられるのは、この世界でリディアしかいない。
それでも、幻獣界に足を運ぶことが出来るのならば、どこで暮らしていようが構わない。
召喚士育成に大方の目処が着けば、ミストで暮らす必要はない。
ミゼルがそう暗にほのめかしていると察したから。
「どう? 無理かな?」
「ううん……どこでも、出来る……」
(そこまで考えてくれてたんだ……!)
リディアは胸がじわじわ熱くなるのを感じながら、ミゼルに答えた。
「ならいい。さっきも言ったけど、幻獣界とミスト。幻獣界と地上の交流の実現は、きみのライフワークのようなものだ。焦らず、諦めず、肩の力抜いてじっくり取り組んでくれたらいいよ」
「はい、っ……!」
いつもの間延び声で要請してくれたミゼルに、しっかりと返事をした。
—— —— ——
リディアは、このミストでずっと暮らしたいと思っている。
ミゼルもそれを重々承知してくれている。
しかし、予定は未定。この先どうなるかわからない。
長い人生を掛けて実現出来ればいいお仕事、いわゆるライフワークのために。
リディアをミストに縛りつける気はない。
ミゼルは、自分は保守系先住民とは違う。みなの前でそうアピールするのも兼ねて。
リディアに人生の選択肢を増やすと遠回しに伝えてくれた。
—— —— ——
「よかったわね」
「うん、っ……」
ミゼルの真意をすぐに察したらしい。
隣に座るライザが、リディアの頭を何度も撫でてくれる。
そうされているうちに、感極まってぼろぼろ涙があふれてきた。
(お母さんやお父さん……あの世から見てくれているかな……)
保守系先住民以上に、ミストの住民として生きる移民を。
純血の召喚士のリディアと分け隔てなく接してくれる、元異国人の親友たちを。
魔法の代わりに別の形で、ミストに貢献してくれる若き先住民を。
エスタやニクスの旧知の間柄でもあり、リディアの兄姉代わりでもあるミゼルやジャンヌを。
「——何がライフワークだ!」
「ゼロのくせに、リディアに指示するとは無礼だ!」
「あんたたちは、リディアのこともゼロや移民と同じようにモノ同然にしか見ていない。ぼくの方がよっぽどマシだよ」
「そんな訳なかろう!!」
「リディアもライザも人の言いなりになる人生は嫌だって言ったばかりだろ! そんなに誰かを崇めたけりゃ、トロイアに移住したらどうだ!」
どうやらミゼルが汚い言葉を吐く相手は、保守系先住民だけのようだ。
「愚か者が! ミストの者がなぜ他国の者を崇めねばならぬ!」
「あの方たちは、崇拝されることを受け入れた上で神官をつとめてる。ここよりもよっぽど恩恵を受けられるし、相思相愛でちょうどいいよ」
—— —— ——
トロイアは、8人の女性神官が頂点に立つ女性国家である。
彼女たちは神官が入れ替わる度に、義姉妹の絆を結ぶ。
そのため、姉妹神官とも称されている。
古き時代より彼女たちは、国民から崇拝されながら、税金を納めてもらっている。
代わりに、土のクリスタルを守りながら国政を司り、国民に多大な恩恵を与えている。
トロイアの実情を理解し、了承した上で、厳しい修行を積みながら。
勉学にも励んできた若い女性だけが、女性神官になることが出来る。
—— —— ——
かねてからミゼルは、『住民は出来る限り平等であれ』を理想に掲げている。
ミストはトロイアとは違う。崇拝対象の人間はいらない。
ミゼルは西区画の住民へ、そう意思表明したと言っていい。
「っ、わしらに向かって、なんだその口の利き方は!」
「それがおまえの本性か!」
「知るかよ。能力主義、選民思想ずぶずぶな、あんたたちにいい加減うんざりなだけだ」
「それのどこが悪いのだ?」
「ゼロは古き時代より、ミストを衰退させる者と言われておる。そんな者にミストを任せられる訳がなかろう」
「——おまえはミストの逆賊だっ!!」
「!?」
ミゼルが壇机に両手をついてうつむいてしまった。
キロンから反逆者のレッテルを貼られて、よほどこたえたのだろう。
「あんたらの方が逆賊だろ!」
「文句言うだけで何もしないじゃないか!」
「うるさいっ! よそ者は口を出すな!」
「よそ者よそ者って、ここに来て何年経つと思ってんだ!!」
「文句言うだけなら誰だってできるぞ!」
ミゼルのひどい言われように我慢ならなかったのだろう。
他の住民が、次々と西区画の保守系住民に食ってかかる。
リディアはその争いには加わらず、ひとり思考を巡らせた。
なぜミストで長きに渡り、魔法実力社会が続いていたのか。
—— —— ——
火事が起こるまで、ミストは能力主義社会が続いていた。
黒魔法や召喚術の習得度。召喚士の血を引いているかいないか……。
それで住民の待遇が決まってしまう、何とも不条理なものである。
昔のミストは村長を筆頭に、召喚士本人か、召喚士を配偶者や家族に持つ黒魔法の使い手。
いわゆる権力者と呼ばれる者たちが、全てを取り仕切っていた。
キロンをはじめとした保守系先住民は、過去に権力者の立場にいた。
もしくは、権力者に近しかった者の集まりと聞いている。
権力者は、ゼロ特有の知性以外の分野での突出した能力の高さに脅威を感じた。
だから、保身目的で魔法実力主義社会を貫いてきた。
ゼロの黒魔法や召喚術が一切使えない特性だけを強調して。
彼らを役立たず、衰退させる者と罵り、さげすむことで。
作為的にゼロを差別対象に置いて、日陰者に追いやっていたのだ。
権力者は、そんなゼロに魔法を覚えられたら困るから。
ニクスやエスタ、ミゼルが賛同を集めた白魔法導入案を蹴っ飛ばした。
そして、今も……。
—— —— ——
(この人たちは……単にミストの中でいばりちらしたいだけ!)
寄合が始まってから、ここまでに渡る保守系先住民の発言。
加えてミゼルとの言い争いで、リディアは彼らの真の狙いを悟った。
崇拝と言いながら、召喚士のリディアを利用しているだけ。
ミストで圧倒的な優位に立つことばかり考えて、ミストのことを何も考えていない。
きっと過去の権力者たちもそんな感じだったのだ。
「……」
「とうとう何も言えなくなったか」
「やっと己の立ち位置を認めたな」
ミゼルは住民同士の言い争いにも参加せず、ずっと壇上でうつむきっぱなし。
それに気付いた保守系先住民が、ミゼルを指さしながらせせら笑う。
「……なら」
(おじちゃん……?)
それまで黙っていたミゼルが、ようやくうつむいたまま何かつぶやいた。
声が小さくて何を言っているのか。リディアたちには聞き取れない。
「なんだ? 聞こえないぞ」
「——そんなにぼくを追い出したいなら、9の月に村長決めをやろうじゃないか!! ぼくが負けたらあんたたちのお望みどおりミストから出てってやる!!」
「おじちゃん!?」
「無茶言うなよ!」
「何言い出すんだ!」
(何考えてるの!?)
キロンたちに指さし、怒声を上げたミゼルにリディアや住民たちが驚きの声を上げた。
村長決めの前倒しを行うだけでない。
結果次第では、ミストを出ていくとまで言い切ったのだから。
「おい、自首はどうすんだ!?」
「……分けて考えて下さい。この人たちは犯人が自首しても、ぼくを責めます」
「よくわかっておる。自首したところで、騒ぎの元凶はおまえだ。その責は消えぬぞ」
「ミゼルよ。その言葉に二言はないな?」
「ああ」
「……行くぞ」
キロンの号令で、中央に座していた10名ほどの保守系先住民が立ち上がった。
よほど、ミゼルに腹を立ったのだろう。
住民が鼻息荒くしながら、次々と会議室の後ろの扉から出ていく中。
最後尾を歩いていたキロンが、扉の前で立ち止まると。
ミゼルをにらみつけながらこう言った。
「覚えておけ。ミストから必ず叩き出し」
「——やれるもんならやってみろよ」
「っ、ゼロのくせに、いい気になるな!!」
ばたん!!
キロンが捨て台詞を残して、廊下に出るやいなや扉を閉めた。
その瞬間、扉が壊れそうなぐらい大きな音が立つ。
扉のすぐそばが定位置のリディアたちは、思わず身を震わせた。
(おじちゃんを扉に見立ててたんだ……!)
まるでおまえを潰してやると言わんばかりに。
キロンは憎しみを込めながら、大きな音を立てて扉を閉めた。
リディアにはそう思えてならなかった。
「いやぁー。申し訳ない。声を荒げちゃって……」
「二重人格なんですか?」
「違いますよ。記憶あります」
「あんた、人に怒れるんだな」
「すげえかっこよかったぞ」
「ほ、本当ですかぁっ!?」
「帰ったら、嫁さんにえれえもん見たって話さねえとな」
「うわぁ……! かっこいいって言われたの、何年振りかなぁ……?」
(ばっかじゃないの! おばちゃんに普段から言われてるじゃない!)
住民から賞賛されて、ミゼルがぱあっと表情を明るくした。
そうそう周囲からかっこよいと言われることはないから、余計かもしれないけれど。
「おじちゃんのばかっ!!」
「ええっ、なんでぇ!?」
「ミスト出てくって、自分から言ってどうすんのよっ!?」
「いや、負けるつもりはないんだけど」
「あいつら狡いんだから、何するかわかんないよ? あんたがいなくなったら、リディア置いてけぼりになるじゃない!?」
リディアやミネルバが今後のことを口々に叫んだ。
ここにいる者全員が、諸手を挙げて賞賛する訳ではない。
何もなければ賞賛してあげたいが、ミスト今はそれどころではない。
「大丈夫大丈夫。なんとかなりますってー」
(またこれだよ!)
どれだけ抗議されても、ミゼルがジャンヌの口癖を引用してへらへら笑うだけ。
すっかり頭お花畑に戻ってしまった。
「村長決めをやるにしてもさ、来月やりゃいいじゃないか」
「9の月です。訂正すると、あの人たちがまた怒りますしね」
「だからって、1ヶ月は長いですよ。仮にミゼルさんが負けたら」
「——毎度毎度話していますが、そこはみなさんの判断にお任せしますよ。ぼくが絶対正しいとは限りませんし、どんな結果でも甘んじて受け入れます。みなさんも秋になったら、村長決めに参加して下さいね」
ミゼルがラルフを遮ってまで、演説と村長決めの参加をお願いしてから。
壇上から住民たちに小さく頭を下げている。
—— —— ——
演説は過去に数度行われた村長決めの前に、必ず口にしていたこととまるっきり一緒。
これを寄合で一度話したら、村長決めまでミゼルは演説しない。
どうかぼくに票を入れて下さい。どうぞよろしくお願いします。なんて言ったことがない。
—— —— ——
それでも今回は、ミスト追放がかかっている。
投票して下さい。それぐらい言えばよかったのにと思う。
「では、今日はこれにてお開きにします。みなさん長時間おつかれさまでした」
心配そうな表情を見せる出席者をよそに。
ミゼルが、いつものぬるい挨拶で寄合を幕引きさせた。
気が付けば、予定終了時間が大幅に超えてしまっている。
仕方なしにみな立ち上がり、ぞろぞろ会議室を後にしようとした、その時。
「ああっ!? みなさん! 花火の準備忘れないでくださいねー!」
ミゼルに声をかけられて、みんな察したに違いない。
もし、8の月に村長決めを行ったとしよう。
そこでミゼルが負ければ、花火大会は即中止になる。
彼は花火大会を決行するために、それが終わった9の月に村長決めをやるのだと。
§
その後ライザは、白魔法巡回指導の運営本部との連絡係をおおせつかることになった。
ミストの白魔法に関する担当者でもある。
ミストでの白魔法はビギナー向け。そんなに肩肘張らなくていい。
やる気のある住民にやって欲しい。家事育児優先でいい。
何かわからないことがあれば、黒魔法や召喚術担当のリディアに聞けばよい……。
『魔法初心者の主婦でも大丈夫』アピールが効果てきめん。
ライザは最終的にミゼルの要請を受諾したのであった。
***
『よかったですね。お仕事までいただけるなんてそうそうありませんよ?』
「でも、ミゼルさんが負けたら白魔法講座は中止になります」
「おじちゃんたちも、ミストから出てっちゃう」
「花火もやらせてもらえないでしょう」
「ミストが終わっちゃいます……」
(あたしもミストにいられないよ)
ミゼルの敗北は、古き悪しミストの復活。同時に、リディアの平穏な日常の終焉でもある。
すぐさま、あのアドニスと婚姻を結ばされるに違いない。
もしそうなれば、ミゼルたちと一緒にミストを出て行くか。幻獣界に戻るか……。
『心配なさらなくても、ミゼルさんはみなさんに慕われているではありませんか』
「そうですけど、心配で……」
「絶対負けないとは限らないですもの」
『しかしながら、あの方も怒るんですね。ずっと我慢してたのなら相当タフな方ですね』
「ミゼルさんが怒ったの、はじめて見ました」
「ガラ悪かったよね」
「ええ……すごく怖かったわ」
頭からお花を取っ払った、あの時のミゼルにほんの少し恐怖を感じた。
(ちょっとエッジみたいだった)
以前は脱走者の支援をしており、ミストでは悪人だった。ミゼルが自身をそう称していた。
先日の寄合で見せた言葉遣いや振る舞いは、保守系先住民を憎悪しているように見えた。
その逆もしかり。キロンたちも終始憎しみに満ちた目でミゼルをにらみつけていた。
とても怖い人だとわかっても、リディアはミゼルに感謝しかない。
***
——約1週間前
問題の寄合から数日後。リディアはミゼルにこうたずねた。
「どうして、急にキロンさんたちに怒ったの?」
「キリがないから言わない」
「えー?」
「代わりにニクスとエスタのお話をしてあげましょう」
それからミゼルが、両親との関係を打ち明けてくれた。
「エスタやニクスはぼくの近所で暮らしていて、小さい頃からすごくお世話になったんだよ。その時からふたりとも、『普通の生き方』が欲しいって愚痴ってたんだ」
「わたしと同じだったんだ」
「けどニクスは純血で、エスタもお母さんが召喚士。小さい頃から周りから期待されていて、ミストから逃げたくても逃げられなかった」
「ああ……」
「だったら、ミストを中から変えたらいいって考えたんだ——」
ミストを変える足がかりとして、村に白魔法を取り入れよう。
エスタとニクス、ミゼルはそう考えて、村中駆けずり回ったという。
結果はお察しだったけれど。
「それから、ニクスとエスタは晴れて結婚した」
「……お父さん、すぐ死んじゃったんだよね」
「家族と一緒に普通に過ごしたいって思ってた矢先だったからね。しかも、突然だったから、エスタはそれはもう落ち込んだよ」
その後、エスタはひとりでリディアを育てることになった。
娘に『普通にしていたらいいの』と言い聞かせながら。
自宅とその周辺だけだが、小さな『普通の世界』をつくった。
ミゼルや親友のジャンヌと協力して、娘に嫌なミストを極力見せぬようにしていた。
リディアは帰郷まで、ミストの薄暗い過去をほとんど知らなかったのはそのせい。
数年後。エスタを火災で失い、ミゼルは幼なじみの遺志を引き継いだ。
自ら村長になることで、能力主義のミストに終止符を打った。
「そうこうしているうちに、きみが幻獣界から帰ってきた。しかも、ニクスやエスタと同じ『普通の生き方』がしたいって言うじゃない。あの時は喜んだなあ……!」
ミゼルはこのミストで、リディアの望みも実現させるために。
長年、保守系先住民と渡り合ってきたという。
***
ミゼルは普段ほとんど過去を話さない。おそらく彼の話は本当だ。
両親の思いは時間を経て、ミゼルに受け継がれている。
思いの力は偉大だ。リディアに改めてそう思わせてくれた。
「あれが本性だったら、怖いわ……どうしましょう」
「おじちゃんは怒りの沸点がすごく高いから、普段通りにしてたら大丈夫だって、おばちゃん言ってたよ」
「そうなのね。よかったわ……」
ライザが胸をなでおろしたような表情を見せた。
彼女も娘のベスとユノと同じ。荒々しい気配を漂わせる人が大の苦手である。
寄合でミゼルが激昂していた間、ずっと怯えていたぐらいだ。
§
その後も、リディアたちはツクヨミと雑談を交わしていた。
『もうすぐ到着いたします。上空から絶景を眺めるよい機会ですよ』
運転手にそう声をかけられて、リディアとライザは運転スペースを飛び出した。
無人の甲板上を軽やかな足取りで進み、船頭付近のベランダに寄りかかる。
「ひゃー、気持ちいいー!」
狭い場所にいた閉塞感と多少の気疲れを、強い風が吹き飛ばしてくれた。
「誰もいない飛空艇って初めて……!」
「ふたりじめしてるみたいでしょ!」
「たまにはこういうのもいいわね」
(1年早かったらアリサも乗れたのになあ)
ライザが目を輝かせながら、上空から地上を眺めている。
ほぼ貸し切り状態はさぞや新鮮に違いない。
—— —— ——
寄合の日以降、ミストでは保守系先住民が更にミゼルの悪評を広めるようになった。
それに乗せられる者はほとんど現れない。
ミゼルは、今回も言わせてやれの精神で静観を決め込んでいる。
それでも、この数日リディアは気分が悪かった。
兄同然の存在を、けなしにけなされて悔しくてたまらない。
ミゼルをいじめていいのは、ジャンヌとリディアのふたりだけなのに。
ライザもリディアと同じように、今後に強い不安を感じている。
ミゼルなきミストでは、白魔法習得が不可能になる。
リディアの今後の行く末も気になって仕方がないらしい。
たくさんのお土産を引き換えに、アリサに必死でお留守番をお願いしてでも。
リディアとライザは、気分転換も兼ねてどうしても薬草園に行きたかったのだ。
—— —— ——
「ツクヨミさんも気を使ってくれたのね」
「お互い息抜きにはちょうどいいもん」
ツクヨミと仲が良くなったと言っても、ふたりとも彼に気を使ってしまう。
ツクヨミもひとりになりたくて、上空からラベンダー畑を見るよう勧めてくれたと思う。
「でも、賓客には笑っちゃったわ」
「わたしたちって、あの人の目にどう見えてるのかな」
「あの人は、あなたのしもべになりたいの。だからあなたは、お嬢さまやお姫様ね」
「ええ……??」
「わたしは、あの人の同僚ってところかしら?」
風になびく髪を片手で整えながら、ライザが笑みを浮かべている。
(ライザはあたしのしもべじゃない。親友だもん!)
リディアはライザに申し訳なくなり、うつむいてしまった。
彼女はとうの前から、ツクヨミの過度なリディア信仰を見抜いている。
—— —— ——
ツクヨミは、リディアとライザでは対応が少し違う。
リディアには『さま』、ライザには『さん』をつけて呼ぶ。
先ほど、ツクヨミがリディアとライザを賓客を表現した時。
『わたしは賓客じゃなくて、リディアのおまけですよね?』
ライザはツクヨミにそうツッコミたかったのだ。
けれど彼女は、大人の女性。それを我慢していたと思う。
—— —— ——
「そんな顔して、どうしたの?」
「いいなぁ。わたしも『さん』呼びがいいよ」
「お願いしたらいいじゃない」
「前にお断りされちゃったの」
「やっぱりアリサと同レベルね……」
ため息をついたリディアの隣で、ライザが苦笑している。
「アリサやツクヨミさんは、重いの。信者みたいだもん」
「……言われてみたらそうかもしれないわね」
アリサとツクヨミの違いは、きゃあきゃあ声を上げるか、上げないか。
反応の大きさぐらいしかない。
同じファンでも、アリサやツクヨミとライザでどうしてこうも違うのか??
やはりライザはリディアの親友前提だからだろうか?
愛する家族がいるからか?
ならばツクヨミも、ライザのようにリディアの友人や親友になるか。
伴侶や恋人をゲットしたら、自然体のファンに変わってくれるのだろうか??
(アリサのように、家族や恋人公認のファンになってしまったら……)
「ライザは優しすぎるよ。アリサならブチ切れてるよ?」
「……怒る理由ある?」
「だって、『さん』と『さま』で分け」
「——それが目立つだけじゃない。あの人は区別しても差別はしないわよ」
「差別……」
1年前に訪れたバロンでの出来事や、アドニスの振る舞いが脳裏によぎった。
—— —— ——
あの男たちは、独身女性とそれ以外で態度を露骨に変えた。
経産婦のアリサを労わりもしなかった。
既婚女性をナンパ対象から外して『中古』と呼ぶ。
まるで、そこにはいない人のように空気同然の扱い……。
—— —— ——
(もし、ツクヨミさんがあの人たちと同類だったら……)
リディアだけを国有艇に乗せて、ライザを置き去りにしていただろう。
ツクヨミは、人以下の扱いはしない。
だから、ライザはリディアと区別されていることに嫌悪感がないようだ。
「アリサもキレはしないわよ。延々と文句を言うでしょうけど」
「そうだね。アドニスや去年バロンにいた人たちより全然いい人だね」
「ばかね。その人たちと比べたらツクヨミさんがかわいそうよ」
「うっ……」
「そうね……わたしが怒るなら、主人に同じことされ……あっ」
「どうしたの?」
「ほら、あれ見て!」
水たまりのように見えた小さな紫が、まるで泉から湖に変わるように。
ぐんぐん大きく広がっていく。
「ラベンダーだぁ……!」
「いつ見ても綺麗ね……」
紫広がるラベンダー畑——1年ぶりの薬草園にもうすぐ到着する。
リディアとライザは、ベランダから濃い紫を視界に入れながら。
きゃあきゃあ声を上げ続けたのであった。
国有艇が着陸するまで、ずっと……。
—— —— ——
この時、リディアは知る由もない。
気分転換も兼ねて訪れた薬草園で、この後とんでもない真実を知ることになるとは……。
—— —— ——
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