※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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空の下で

 

 

——午後1時半過ぎ 

 

 

 薬草園に到着したが、こちらのお天気も晴れ。

 ところどころ青空に薄い雲が漂うぐらいで、雨が降る気配はない。

 

 園に入ってすぐ。リディアとライザ、ツクヨミは食堂で昼食をとった。

 それから、一番奥に位置する特別展望所を目指して歩き始めた。

 手荷物が増えるから、売店は後回しだ。

 

「ばら園だ!」

「今年も楽しみね……!」

「……ツクヨミさん?」

「あら、どうされたの?」

 

 途中で、一面ガラス張りのばら園にやってきた。

 中に入ろうとしたら、ツクヨミが出入り口から動こうとしない。

 

『僕はここでお待ちしております』

「ばら、嫌いなの?」

『はい。どうぞ、ごゆっくりご鑑賞なさってきて下さい』

「わかりました。行こう、ライザ」

「ええ」

 

(ばらの匂いが嫌いなのかな……)

 リディアとライザは、覆面忍者に見送られて、ばらをたしなみに園の中に入った。

 

§

 

 20分後、橙ばらの鑑賞を終えてエリアから離れた。

 

「オレンジも素敵だったわ……」

 

 ライザがうっとりしたような声を上げている。

 

「白とピンクも可愛かったよ」

「そうね。次は黄色……最後が赤なのね」

 

 案内板には、矢印と共に『黄ばら』と書いてある。

 今年から赤ばらエリアは、一番奥に配置換えされたようだ。

 

(緑は作るのが難しいんだ……)

 ウルキは、今度緑ばらを作る。

 3年前にエッジからそう聞いていたが、今年もそのエリアはなかった。

 

「去年まで、一番前にあった気がするけど……」

「人気がある色だから、今年から後回しにしたのかもしれないわ」

「確かに、ばらと言ったら赤だもんね」

 

 次の黄ばらエリアに向かっていると、突然ライザがこう言った。

 

「あの人、あれでいいと思わない?」

「え? あれってなあに?」

「お面よ」

「……あぁ、びっくりだったねぇ」

 

 先ほど、リディアとライザはツクヨミのご尊顔を拝む事が出来た。

 ……口元だけだが。

 

 —— —— ——

 食堂に入ると、テーブル席にご案内。

 ところが、席につくなり、ツクヨミがこう言った。

 

『お手洗いへ行って参ります』

 

 5分後。戻ってきたツクヨミを見て、リディアたちは驚いた。

 顔全てを覆っていたお面が、顔の上半分を覆った半面に変わっていた。

 ちなみに、デザインは前と同じ白狐モチーフのまま。

 

 食事中、ツクヨミが自身の白い狐の半面を指さしながら、こう話していた。

 

『公共の場で背を向けて食事は出来ませんから、持参してよかったです』

 

(ミストでアイスやお茶をいただいたから、思いついたんだろうなあ)

 食事を終えると、またお手洗いへ。そして、いつものお面に変えてしまった。

 —— —— ——

 

「口はイケメンだったね。なんかてかてかしてたけど」

「たぶん日光に当たらないように、リップクリームを塗っていたのよ」

 

 ツクヨミは敏感肌。

 強い日差しを浴びないように、お面をかぶっていると聞いている。

 

「ああ、肌が弱いから……」

「唇だけじゃないでしょうけどね」

 

 化粧の下地に、おしろい。基礎化粧品……。

 何から何まで、日差し対策専用の化粧品を使っていてもおかしくない。

 ライザがそう教えてくれた。

 

「すごく高い化粧品使ってそう……!」

「お国の飛空艇を乗り回せる人ですもの。それぐらい稼いでいるわよ」

「ライザの言う通りだね。ずっと半面かぶったらいいのに……」

「そうでしょう? いちいちお面を交換しなくてもいいもの」

 

(荷物になるし、邪魔になりそう)

 お化粧して日差し対策出来る。

 それなら、最初から半面をかぶっておけばいいのに、何を隠す必要があるのか。

 いちいち化粧するのが面倒だからだろうか?

 

「あなた、ミストに帰ったらミゼルさんに自慢できるわね」

「聞いたらがっかりするよぉー?」

「お面がツクヨミさんの顔なんだから、あの人もいい加減諦めたらいいのに……」

「わたしたちのことを、『無欲の勝利』って言うんだよ」

「ふふっ、そうね」

 

 ミゼルはツクヨミの素顔を見たがって、何度も本人にせがんで(断られて)いた。

 

 リディアたちは、彼の顔を見たいとひと欠片も思ったことがなかったけれど。

 下半分だけでも、ミゼルより先に顔を見られた。

 そのことで、欲張りは損をするのだと学習出来た。

 

§

 

 ライザと話しているうちに、黄ばらエリアに足を踏み入れていた。

 その途端、ふたりともお面のことはおざなり。

 

「うわぁ、ミニばら可愛い……!」

「ちんまりしていて、親近感沸いちゃうわ」

 

 ふたりで、咲き誇る濃黄色のミニばらを近くでのぞき込む。

 花びらを、ライザが指でちょんちょんつついており、リディアも真似する。

 ばら特有の豪華絢爛があまり感じられない。むしろ、親しみが湧いてくる。

 

「ウルキさん、頑張って作ったんだぁ……」

「あら、黄ばらはずっと前からあるわよ?」

「……そうなの!?」

「ええ。トロイアではね——」

 

 今の今まで、リディアはこの世に黄ばらが存在していると知らなかった。

 ウルキが初めて作った。

 てっきりそう思い込んでいたリディアに、ライザがこんな話をしてくれた。

 

 —— —— ——

 約30年前。当時トロイアの神官をつとめていたある女性が、黄ばらをとても気に入っていた。

 それを知ったトロイア中のばら栽培業者が、その神官が喜ぶようばらを奉納しよう。

 そう考えて、こぞって黄ばらの新品種の開発に全力を注ぐようになった。

 —— —— ——

 

「その名残で、トロイアでは黄ばらは赤の次に人気なの」

「すごいなあ。神官さんってそこまで崇められてるんだ」

「あなたも崇められたら、みんなが好きなケーキ捧げてくれるわよ?」

「そんなことされてまで、ケーキはいーらなーい」

「ふふっ、そこがあなたのいいところよね」

 

 国民が神官を崇拝するトロイアならではのエピソードだ。

 リディアは感心するも、ライザの冗談に冗談交じりの本音でお返ししてあげた。

 

(キロンさんたち……あ、ツクヨミさんもやりかねないや)

 ケーキがもらえるから。そんな理由で持ち上げられたりちやほやされたくない。

 何かの対価でいただく。自分へのごほうびに自分で買う。

 たまに、誰かに善意でおすそ分けしてもらったり、買ってもらう……。

 だからこそ、美味しく食べられると言うものである。

 

「黄色って美味しそうな色だよね……!」

「暖色は食欲が湧いてくるのよ。だから、これはプリンね」

「そうそう!」

 

 ミニ黄ばらを指さしたライザに、リディアは明るく答えた。

 このお花の色は、卵黄を使ったまろやかデザートを自然と連想させてくれる。

 

(白もクリームだし!)

 赤や桃と橙ばらは、いちごやももにオレンジ……。

 花より団子の自覚はある。けれど、気分が明るくなればそれでよし。

 

「あらあらぁ。若いお嬢さんが黄ばらに目を付けるとは珍しいわねぇ」

「あっ……」

 

 背後から声をかけられて、振り向いてみれば。

 やたらふくよかな体型をした熟年女性が立っていた。

 

「——ウルキさんっ!」

「どーも、お久しぶりですぅ。初めてこちらにお越しになった時以来かしらぁ?」

 

 女性の正体は、この薬草園の管理人イナミの妻ウルキだった。

 このばら園の主とは、実に3年ぶりのご対面。

 手を取り合って共に再会を喜んでから。ウルキと初見のライザも、自己紹介を済ませた。

 

「常連さんになってくれたのね、嬉しいわぁ」

「でも、去年はウルキさん見ませんでしたよ」

「あぁ……今の時期は、日中あっち行きこっち行きで忙しいのよぉ」

「そうか、ラベンダーが……」

「でもぉー。ばらが気になっちゃってぇ、今日はこっそり抜けてきちゃいましたぁー!」

「ばらはウルキさんのお子さんなんですね」

「あはははっ、それよそれぇ! 娘も息子も、とうの前に独り立ちしたからねぇ!」

 

 ウルキと笑い合ってから、ライザがやけに静かなことに気が付いた。

 隣を見ると、ライザが怪訝そうに周囲を見回している。

 

「どうしたの?」

「ええ……お客さんがすぐ離れちゃうと思って」

 

 ライザに合わせて、リディアも周囲の様子を眺めてみた。

 

「……ほんとだね。エブラーナの人、すぐ次に行っちゃう」

 

 黄ばらエリアに留まり、ばらをたしなんでいるのは。

 リディアたちを含めた、着物未着用——エブラーナ国外のお客さんばかり。

 逆に、着物着用——エブラーナ在住と思われる、ほとんどのお客さんは。

 素通りか、ざっと見ただけで次の赤ばらエリアに移動してしまう。

 

「仕方がないのよぉ。エブラーナでは黄ばらは人気ないからぁ」

 

 ウルキが困ったような表情で腕を組みながら、そうぼやいた。

 

「……こんな美味しい色なのに!?」

「どうしてですか?」

「黄ばらは、あまりいい花言葉がないからよぉ」

「花言葉?」

「あぁ、やっぱりエブラーナだけしか流行ってないのねぇ」

「……石言葉と同じでしょうか?」

「なあにそれ?」

 

 燃えるような紅色のルビーは『情熱』。

 大昔、薬に使用されていた真珠は『健康』。

 この世で最も硬い石、ダイヤモンドは『永遠の絆』……。

 

 宝石の見た目や硬さ、古くからの伝承など元に。

 それぞれの石に象徴的な意味を込めたものが石言葉。

 ライザがそう教えてくれた。

 

「トロイアでは、人に宝石を贈る時に石言葉を参考にすることが多いのよ。男の人がプロポーズと一緒にダイヤモンドの指輪を女の人に渡す風習が根強いわね」

「だから、ライザもダイヤの指輪はめているんだ……!」

「ええ」

「そうなのぉ。花にもね、宝石のように意味が込められてるのよぉ」

「じゃあ、黄ばらは?」

「『嫉妬』や『薄らぐ愛情』よぉ」

「ああ……」

「イメージよくないなあ」

「待って。他にも『平和』や『友情』って花言葉もあるのよぉ」

 

 ちなみに、黄色のカーネーションの花言葉も『軽蔑』や『嫉妬』。

 恋愛対象の相手に贈るには、相応しくない花だという。

 

「売店にはねぇ。花言葉の本も置いてあるからよかったらどうぞぉ」

 

 ウルキは、ちゃっかり宣伝も忘れなかった。

 

「よかった。悪い意味ばかりじゃないのね」

「ねえ、ライザ」

「……一緒のこと考えてるでしょ」

「うん。アリサの分も黄ばら、買って帰ろ?」

「もちろんよ」

 

 アリサのお好みの色は赤。しかし、彼女はハブ——のけ者にされるのが大嫌い。

 変な気遣いを見せて、彼女だけひとり赤ばらにしたらいじけてしまう。

 友情を表す色に加えて、3人お揃いの花を買ってきたと知れば喜ぶはず。

 

(あとは、城下町でかりんとうセット買えば十分かな?)

 もっとも、おみやげがお花だけだと、足りないと文句を言われそうだけど。

 

「緑がなかなか出来なくて、黄ばらを入れてみたんだけどねぇ。国外からお客さんが来てくれてなかったら、今頃閑古鳥だったわぁ……」

 

 今年から薬草園の売店では、ばらを含めて切り売りのお花も売るようになった。

 ところが、黄ばらは完売する日が珍しいぐらい、ばらの中で人気がないという。

 

「ばらは売れなくても、精油やポプリやサシェに使えませんか?」

「お金持ちのお嬢さまが、花びらを浮かべたお風呂に入るかもしれないよね」

「まあ、いくらでも利用法はあるんだけどぉ、黄ばらだけ影の主役なんてちょっと可哀想じゃない?」

 

 そこでウルキは、思いついた。黄ばらを練り込んだアイスを売ろうと。

 今年の薬草園の新作アイスとして、絶賛好評発売中だという。

 

(人気がないからって見捨てない……本当にばらが大好きなんだなぁ)

 宣伝も兼ねたウルキのばらの事情話に、リディアたちは真剣に耳を傾けた。

 

「同じばらなのに、差があるんだね」

「赤が別格ぐらいにしか考えていなかったわ……」

「あなたはトロイア出身だから、尚更悲しくなっちゃうわよねぇー」

「はい……」

 

(露骨だもんね)

 黄ばら対する意識が、故郷とエブラーナで大きな差がある。

 それを知って、ライザの表情に陰りがさした。

 トロイアでは2番人気の黄ばらが、ここでは不人気。がっかりもするだろう。

 

「花言葉ひとつで人気が左右されちゃうんだ……」

「花言葉も、宝石と同じでねぇ。花を渡すことで相手に黙って思いを伝える役割もあるのよぉ」

「黙って……?」

「ええ。特にばらは、本数や葉っぱにも言葉があるのぉ。組み合わせ次第で、細かく相手にメッセージを送れちゃうのよぉ?」

「!」

 

 ウルキの何気ない言葉を聞いた途端。リディアの脳裏に3年前の記憶が蘇った。

 

 —— —— ——

 3年前。このばら園に来た時。リディアはひとりで鑑賞するよう、エッジに勧められた。

 ついでに、かぶっていた麦わら帽子を取り上げられてしまった。

 

 ばらを鑑賞していると、エッジがやってきて帽子を返してくれた。

 そこには、赤ばら4本があしらわれており、当時彼はこう話していた。

 

『ウルキに頼んだんだよ』

 

 —— —— ——

 

 記憶を辿るうちにリディアの表情が固まり、胸の鼓動が早くなる。

 

「贈る相手は異性が多いから、黄ばらは敬遠されがちなんですね……」

「正直なところ、みなさんには花言葉よりも好みでお花を選んで買っていただきたいのぉ。でも、エブラーナではなかなかそうも行かなくてねぇ」

「お気持ちよくわかります」

「ほんとぉ!?」

「宝石言葉重視で、主人からダイヤの指輪を贈られて……少し複雑でした」

「何がよかったのぉ?」

「……サファイアです」

「そうよね、そうよねぇ。好きな宝石ぃ、好きな人から欲しいわよねぇ……!」

 

 お花から宝石に脱線した、ウルキとライザの談義に、リディアは全く入れない。

 なぜなら、頭の中は赤ばら4本でいっぱいだから。

 

(まさか、エッジも花言葉を……??)

 あの赤ばら4本にも、何か意味が込められていたかもしれない。

 

 ウルキはエッジから花と本数を指示されて、あんな細工をしてくれたのか?

 もしや、花言葉を知るウルキがからかって、わざと赤ばらを4本ぶっ刺したのか?

 それとも、花言葉は一切関係がない、ただの偶然の産物だったのか?

 ……気になって気になって仕方がない。

 

「リディア」

「……」

「どうしたの、ぼんやりして?」

「あ、あのね……」

 

 話がひと段落ついたようだ。ライザから声をかけられて、我に返った。

 ゆるゆる顔を上げて、捨てられた子犬のような目で彼女を見つめる。

 

「あ、っ……まさか、あの時の!?」

 

 ライザがはっと目が覚めたような表情に変わった。

 当時のことを思い出してくれたようで、リディアは彼女にうなずいた。

 

 —— —— ——

 あれは、エッジに麦わら帽子を買っていただいた翌々日だったと思う。

 

『見て見てー。エッジに買ってもらっちゃったー』

 

 リディアは飾りがあしらわれた麦わら帽子を、ライザとアリサに見せていた。

 

『あのエッジ様がお花を飾るのね……』

『あれがばら!? 全然似合わないわぁー!』

 

 ライザも軽く驚いていたけれど。

 アリサなんか、げらげら腹を抱えて大笑いしていた。

 —— —— ——

 

「ウルキさん……」

 

(どうしよう、花言葉知りたい……!)

 それも、今すぐここで。

 リディアは勇気を出すことに決めて、ウルキの名を呼ぶ。

 

「はい、なんでしょぉ?」

「わたしが、ここに初めてきた時のこと覚えてますか?」

「ええ。そりゃ、もうはっきりぃ」

「あの時、わたしがかぶってた帽子に、ウルキさんがばらをあしらってくれたんですよね」

「なにそれぇ??」

「え?」

「あなたたちとあの日会ったのって、最初と最後だけよぉ?」

 

 ウルキからの冴えない返事に、肩透かしを食らった気分。

 彼女は何も知らないふりをして、とぼけているようにも見える。

 

「うそ。エッジがウルキさんに頼んだって言ってたもん」

「あなたに嘘言ってどうするのぉ。帰りにあなたにお土産お渡しするまでねぇ。わたし事務所に押し込まれてたのよぉ!?」

「ええ?」

「お館様、器用だから飾りつけぐらい余裕よぉ? 昔、ばらはお花さえ見せときゃ超楽勝って教えてあげたからぁ!!」

 

(エッジのばかっ!! 嘘つき!!)

 ウルキの話を聞いて、エッジに憤りを感じた。

 何が、『ウルキに頼んだんだよ』だ! 

 

「……あの」

「なぁに?」

「エッ、すみません、国王様と……」

「ここじゃ国王様のことは、お館様って呼んでるけどぉ、どんな呼び方でもいいわよぉ」

「その、エッジ様と……古いお知り合いのように聞こえますが」

 

 かっかしていたリディアをよそに、ライザがウルキに素朴な疑問をぶつけた。

 

「そうねぇ、あの人が小さい頃から城下町で見てきたからねぇ——」

 

 ウルキは懐かし気に、エッジのことを妙に詳しい理由を話してくれた。

 

 ウルキは、城下町で花屋を営むひとり娘として生まれた。

 跡継ぎの関係で、イナミはお婿さん。

 ウルキは少女の頃から、親に店番を頼まれることが多かった。

 店番をしていると、幼いエッジが城下町によく現れたという。

 

「エッジは、城下町で何していたんですか?」

「同年代の子どもと遊んでた時もあったけどぉ……大抵は、お菓子屋さんとか、城下町のお店の商品をかっぱらってたわねぇ。じいやさんやお城の人たちに追っかけられて、店にかくまってあげたこともあったわねぇ」

「やっぱり、悪ガキだったんだ……」

「どおりでオリバたちとウマが合う訳ね」

「さすがに思春期に入ると、あまり来なくなっちゃったけどねぇ」

 

(逃げる先を国外に変えたから減っちゃったんだ)

 エッジが多感なお年頃になると、城下町に現れる回数が大幅に減ったが。

 やってくる度に、ウルキの子どもや城下町の子どもたちにお菓子を分けてくれたという。

 

 そして、9年前。エブラーナ城が襲撃された。

 城下町も大きな被害に遭い、ウルキの自宅兼店舗もほぼ全焼。

 それを機に、イナミが西の地でラベンダー畑を開墾したいと言い出したという。

 

「ラベンダーは、比較的涼しい場所が最も栽培に適していると聞いたことがあります」

「ここは絶好の場所だね」

「そうなのぉ! ここで畑を耕していいか、わたしがお館様に持ちかけてねぇ。お許しをいただいたから、夫婦揃って移住して今があるのよぉ」

「だからイナミさんよりエッジと親しげだったんだ」

「イナミさんが大人しいから、ちょうどいいバランスですね」

「そうねぇ。……で、話は変わるけどぉ」

「はい?」

「帽子よ、帽子ぃ。お館様にどんな飾りつけしてもらったのぉ?」

「あ、あの」

「——ピンクぅ? 白ぉ? それともオレンジぃ?」

 

 ウルキがにっこにこ顔で、リディアにたずねてきた。

 アイス何味にしますかぁ?? そう言わんばかりのとても軽いノリで。

 

(赤だけわざと避けてる!)

 なぜ赤を入れなかったのか。リディアは不思議でならない。

 普通ばらと言えば、赤ではないのか?

 

「あ、赤ばらが4本です」

「へえ、そ……い、今なんておっしゃったぁ?」

「『赤ばら』が『4本』です」

「——う、うぇぇっ!?」

 

(関係ありだ!)

 これでもかと単語を強調して、もう一度答えてあげると。

 ウルキが飛び上がるほどの驚きっぷりを見せて、さっと後ろを向いた。

 

「やだぁ……やっぱり、がっつり本気じゃないのぉ……」

「ウルキさん」

「ひぃぃっ!」

 

 何かぼそぼそつぶやいているウルキの背後から、声をかける。

 すると、彼女は身体をびくりと震わせて、恐る恐るこちらを振り返った。

 

「あの、大丈夫ですか……?」

「あぁ、いやぁ……はは……」

 

(逃げられちゃう!!)

 ウルキが引きつり笑いを見せながら、リディアたちから少しずつ離れていく。

 

「じゃあ……わたしは、これで」

「——待ってっ!!」

「ひっ!」

 

 リディアは逃げようとするウルキの服を両手でぐっとつかんだ。

 ふくよかな身体のせいか、ウルキが瞬発力にやや欠けていたのが勝因だ。

 

「ライザ手伝ってっ」

「わ、わかったわ……」

 

 ライザに援護をお願いして、ふたりがかりでウルキを引き留めにかかる。

 

「赤ばら4本の花言葉、教えてくださいっ」

「し、知らないわぁ……!」

「どうして!? 元お花屋さんでしょ!?」

「知らないったらぁ……!!」

「黄色があって、赤がない訳ないじゃないですか……」

 

 泥棒を取り押さえているような光景にでも見えたのだろう。

 何人かの客がなんだなんだと、立ち止まってリディアたちを遠巻きから眺め始めた。

 

(何としてでも聞かなきゃ!!)

 リディアは、見物人の存在に全く気付かない。

 売店で花言葉の本を読めば済む話なのに。

 そのことが頭から抜け落ちていたぐらいには、引き留め作業に必死だった。

 

「いやぁ、それはね」

「——ウルキさんっ!!」

「は、はいぃぃ!」

 

 うろたえるウルキにリディアが一喝して、ようやく作業に終止符が打たれた。

 

「……あぁ、どうしましょう」

「あ、あの……ここじゃ、さすがにちょっと……」

 

 見物人の多さに気付き、羞恥を感じたのか。

 ライザが顔を両手で押さえて、座り込んでしまった。

 ウルキも顔を青くさせながら、リディアたちを裏口に誘導した。

 

§

 

 ウルキに連れられて、リディアたちは園の裏手にやってきた。

 

(少しスリムになった?)

 そう錯覚しそうなぐらい、ウルキが身体を縮こまらせている。

 すると、怯えるような表情でこう口にした。

 

「あ……あ、赤ばらの花言葉はぁ、『あなたを愛しています』……4本はぁ、『死ぬまで思いは変わらない』ですぅ……」

「!」

 

 もしかして、エッジは自分のことが好きなのかもしれない。

 リディアはほんのうっすらとそんな疑念を持っていた。

 ウルキが口にした花言葉は、それを確定に変えてくれた。

 

「こ、こんなの……バラしたようなもんじゃないのよぉっ……」

 

 花言葉を口にしただけ。なのに、ウルキが両手で顔を覆って落胆している。

 

(ここまで来たら……)

 この女性は、エッジと相当古くからの顔見知り。

 もしかしたら、他にも何か知っているかもしれない。

 リディアはそう思って、覚悟を決めた。

 

「お願いがあるんですけど」

「何ぃ……?」

「この際ですし、ウルキさんが知ってること全部ぶっちゃけてもらえないでしょうか」

「んまあっ!! なんて漢らしいっ!」

「えっ!?」

 

 ウルキがそれまでの表情と一変し、ぱあっと顔を輝かせる。

 あまりの変貌ぶりに、リディアは一瞬後ずさりしてしまった。

 

「いいわよいいわよぉ。全部話してあげましょぉ」

 

 聞いて驚けとばかりに、ウルキがにんまり笑みを浮かべながら。

 リディアにずずいと迫り、両肩に軽く両手を添えてきた。

 

「——あなたはねぇ。お館様が『唯一』惚れた女性なのぉ」

「!?」

「あら、まあ……!」

 

 肩からウルキの両手が離れていった。しかし、リディアは呆然と立ち尽くしたまま。

 なぜなら、エッジの初恋の人はリディア。

 ウルキがそう言ったようなものだったから。

 ライザも信じられないと言った表情で、両手で口を押さえている。

 

「い、いつからですかっ!?」

「えー? あなたと知り合ってすぐだと思うけどぉ?」

「うそ……!?」

 

 なんと、『リディアはエッジの初恋の人』に、『ほぼ一目惚れ』まで加わってしまった。

 

(あの時、エッジ……確か27歳……)

 リディアですら、初恋は7歳なのに。

 27歳で初恋は、さすがに遅すぎるのではないか?

 

 しかもだ。ウルキの言うことが本当ならば、あれも嘘かもしれない。

 頭の中が、更に疑問符で埋め尽くされていく。

 

「うそだ……」

「えぇ?」

「それ絶対にうそだよっ!」

「だからぁ、嘘じゃないってぇ。あの方の小さい頃から知ってるけどぉ、ずっと女っ気ゼロだったわよぉ?」

「だっ、だって、自分で自分のこと遊び人とか、女好きとか、女たらしとか、好色とか性豪って言ってたもん! 唯一な訳ないよっ!」

 

 —— —— ——

 リディアは処女を失う直前、エッジからこう言われた。

 

『手当たり次第引っ掛けてきたから、きみぐらいしか残っていないんだよ』

 

 それを聞いて、エッジは国内外の女性にほいほい手を出していた。

 今日この日まで、ずっとそう思い込んでいたのに……。

 —— —— ——

 

「まあ、国外によく脱走してたからぁ、現地の女の人に手を出してたかもしれないわねぇ?」

「——ト、トロイアで噂聞いたことあるっ?」

「ありません。昔はエッジ様が来ても誰も気付かないもの」

「忍者は身元をいくらでもごまかせるわよぉ?」

「あぁ、そうだった……」

 

 ライザとウルキから矢継ぎ早に答えが返ってきて、力なく肩を落とす。

 

(ばかな質問をしちゃった)

 エブラーナは、ゼロムスの戦いが始まるまで世界的に知名度が低かった。

 リディアもエッジと初めて会う直前に、存在を知ったぐらいだ。

 

 ルビカンテにお城が襲われる前。エッジがどれだけ各地で浮世を流したとしても。

 『エブラーナの王子』としての噂は出てこないだろう。

 

「昔はともかく、今はあなたがいるのに手を出すような人には見えないわ」

「うう……」

 

 ライザが『また人の話を真に受けてたのね……』と、呆れているように見える。

 

 リディアの際立った個性でもある純粋さ。

 エッジはそれを利用して、夜の関係を結んだぐらいだ。

 リディア相手なら、自慢を装って嘘をつくのは簡単だろう。

 しかし、どうしてそんな嘘をついたのか。

(もしかして、傷のせい……?)

 

 —— —— ——

 カルミネの事件で、リディアはエッジの顔に傷を付けてしまった。

 事件から数日後の夜。

 突然自宅にやってきたエッジの姿を見た途端、パニックに陥った。

 それぐらいには、当時のリディアは自分を責めに責め、エッジを避けていた。

 

(あの時、抱かれたおかげで……本当に自責、減っちゃったもん)

 カルミネで受けたリディアの心の傷の負担を和らげるために。

 そして、絶好の抱き機会とばかりに。

 エッジは、自身をわざと悪人に仕立て上げてリディアを抱いた。

 

(それから、あたしが何度頼んでも、セシルの仮面をかぶったままだったけど……)

 せめて、声だけでも初恋の男を装ってやろう。

 エッジはそう思って、月でのセクハラと同じように。

 情けをかけて、セシルの演じてリディアを抱いたのだろう。

 

 その翌日は、終始リディアに『人生初のデート』と茶化してきた。

 けれど、それは表向きだった。

 あの日はエッジにとって、最初で最後の『リディアとのデート』……。

 —— —— ——

 

(自分からわざと悪者に……)

 あの時、嘘をついたエッジの真意に見当がついてしまった。

 リディアが呆然と佇んでいると、ウルキがこう言った。

 

「このお嬢さんの言う通りよぉ。ここに箝口令敷くぐらいなのよぉ? あなたが好きな間は、別の人に手を出すような方じゃないわよぉ?」

 

(かんこうれい!?)

 ウルキの話の中に不穏なワードが入っていて、ぎょっとする。

 

 箝口令……それは、ある事柄を他人に話すことを禁ずる命令。

 エッジがエブラーナの民に、口止めを要求していたと言うことだ。

 

「あ、あの……かんこ」

『——リディアさま、ライザさん』

 

 ウルキに詳細をたずねようとしたら、ツクヨミが現れた。

 

 ここまでツクヨミの存在を、リディアたちはすっかり忘れていた。

 リディアとライザが園の中に入ったっきりで、しびれを切らして探しにきたらしい。

 

「ツクヨミさん……」

「ごめんなさいね。お待たせしてしまって……」

『いえ。なかなかお戻りにならないと思ったら、こんなところで……一体何があったのです』

「それが、ちょっ」

「——うぎゃぁぁっ! しっ、『白狐のツクヨミ』ぃぃぃ!!」

 

 待たせた理由を、ライザがツクヨミに話そうとしたら。

 ウルキが振り返って、後ろに立つ彼の姿を目にした途端。

 血相を変えて、ツクヨミの通り名なるものを大声で叫んだ。

 

「ツクヨミさん、有名人なんだ」

「でも、ネーミングが見た目そのままよね」

『そうなのです。本音を言えば、もう少しひねっ』

「——ちょっとあんたぁっ!!」

『っ!?』

 

 安直な通称に、やや不満があるのだろう。

 ツクヨミが首をかしげた直後。ウルキが彼の胸ぐらを両手でつかんだ。

 

「おっ、お館様に監視頼まれてぇ、リディア様と一緒にここに来たのねぇ!?」

 

 ウルキがツクヨミに押し迫っている。

 ふくよかな見た目だからか。ウルキの方が腕力も迫力もツクヨミを圧倒している。

 リディアの目にはそう映った。

 

『いえ、本日は私用でこちらに』

「——嘘おっしゃい! 城に帰ったら、わたしがバラしたってお館様にチクるんでしょっ!?」

『それは……』

「やめてぇ! まだ緑ばら作ってる途中なのよぉ!』

『そんなこと申されましても……』

「紫や青にストライプのばらも作りたいのっ! まだ死にたくないのっ! お願いだから黙っててよぉぉぉ!」

 

 ウルキが泣きそうな表情で、ツクヨミの胸元をつかみ、口止めを要求する。

 まるでバラした者は死刑と言わんばかりだ。

 尋常ではない、ウルキのすがりようにあ然とするばかり。

 

「エブラーナって、怖い国なのね……」

 

 もしや、エッジは独裁者?

 ライザがそう勘違いしているのか、顔を引きつらせている。

 

『ご心配なく。罰金刑で済みますよ』

「あっ、そうなんですか」

「——それも嫌に決まってるでしょぉ!?」

『ちょ、っ……!』

「ウ、ウルキさん、待って待って!」

「なによぉっ!」

 

 ツクヨミの身体を揺さぶり続けるウルキを呼び止めた。

 

「あ、あの……わたしがはじめてここに来た時、なんか変だったのって……」

 

 監視や罰金に死ぬ、暴露に密告、箝口令……。

 先ほどから、物騒な言葉のオンパレードが続いている。

 

 初めてこの薬草園にやってきた時。わずかに違和感を感じていた。

 それと物々しい言葉は、何か関係あるのかもしれない。

 リディアはそう思ったのだ。

 

「そうなのよぉー。5年ぐらいからエブラーナ全土にねぇ、『リディア様の前で、お館様の女性関係並びにお妃お世継ぎ関係について吹聴してはならぬ』って、箝口令が敷かれてるのぉー」

「ええ……??」

 

(そういえば、ここの人たちから、今までそんな話されたことない……!)

 ツクヨミの胸ぐらをつかんだまま、ウルキが不満たらたらに答えてくれた。

 

 —— —— ——

 リディアは、これまで何度もエブラーナにやってきている。

 しかし、エッジとの関係を茶化したり、詮索してきたりする者は誰もいなかった。

 その原因は、リディアがこの国では、大抵エッジと行動を共にしていたからに違いない。

 

『お館様のこと好きですか?』

『いつお館様と結婚されるんですか?』

 

 発令者かつ、最大最強の監視者——お館様がそばにいる女性に向かって。

 お館様との関係を問える訳がない。

 —— —— ——

 

「——どうして、そんなもん敷いたのよっ!」

『っ!』

「リディア様は、お館様の幸せでしょぉ!? 民黙らせて、自分で可能性狭めてどうすんのよぉ! 頭どうかしてるんじゃないのぉ!?」

『ぼ、っ……僕におっしゃられても……困ります……!』

「だったら直接訴えてやるから、さっさと解除してよっ!」

『僕には、っ……そんな……権限はござい、ません、っ……』

 

 顔を真っ赤にさせたウルキが、再び抗議の声を上げながら。

 お館様に見立てたツクヨミの身体をがしがし強く揺さぶる。

 

 ウルキは箝口令そのものに、全く納得していないように見える。

 それ以前に、頭どうかしてる発言が不敬罪に当たりそうな気がする。

 

「ウルキさんやめて。ツクヨミさんは悪くないよ」

「だめよっ! このまま帰したら罰金だもんっ! 下手すりゃここの援助打ち切られちゃうわぁ!」

『ぼ、僕は、っ……リディアさまの……ご意志に従います……っ』

「ツクヨミさん。今日のこと秘密にしてくださいっ」

『……はい。かしこまりました』

 

 ツクヨミが、ウルキにぱっと手を離されると。

 彼女のそばをさっと離れて、温室のガラス壁に寄りかかる。

 

「……どうぞ」

 

 話の続きをとばかりに、ツクヨミが手のひらをさっとウルキに見せる。

 それから、両腕を組んで黙り込んだ。

 

「ありがとうっ、ツクヨミさん」

 

 素直に言うことを聞いてくれたツクヨミに、お礼を述べた。

 

「ウルキさんもう大丈夫。続き話してください」

「ううっ、なんて優しいお嬢さんなのぉっ……!」

 

(イザヨイさんじゃなくてよかった)

 お館様に忠実な、あの女性なら、ウルキの口を本気で塞ぎそうだ。

 

 この覆面忍者は、本当に自分のしもべではないだろうか? 

 そんな錯覚まで覚えてしまうぐらいには。

 今ここにいたのが、ツクヨミでよかったと痛感したのであった。

 

§

 

「……わたしねぇ。箝口令のことをずっと舐めちぎってたのよぉ」

「よくよく考えたら大したことないですよね。リディアとエッジ様がいないところではしゃべりたい放題ですもの」

「そう思うでしょお? だから、ちょっとぐらいいいかなって、あなたをからかおうとしたらぁ、お館様に殺気飛ばされちゃったのぉ」

「そ、それで気絶しちゃうの!?」

「忍者はそういう訓練もしてるわよぉ? ただ、お館様のは一味も二味も違うからぁ、普通の人なら後ろに吹っ飛ばされちゃうわねぇ?」

「ええ……!?」

「やっぱり怖くて近付けないわ……」

 

(打ちどころが悪かったら死んじゃうよ……!!)

 ウルキの話に驚いていると。隣でライザが顔を青くしている。

 

「あの時はねぇ、旦那が貧血って咄嗟に嘘ついてくれたのぉ」

「やっぱり貧血じゃなかったんだ」

「これがそう見えるぅ?」

「ご、ごめんなさい……」

「すみません……見えません」

 

 ウルキが自身の胸を叩いて、ふくよかな身体をアピールする。

 リディアたちはばつが悪そうな表情で正直に答えた。

 ウルキの伴侶ならまだしも。ご本人は、血が足りないようにとても見えない。

 

「あははっ、全然気にしなくていいのよぉ!」

 

 ウルキがからから笑いながら、逆にリディアたちをなだめてくれた。

 この女性は、体型と同じく懐がとても大きいようだ。

 

「わたしが気絶させられてから、箝口令の内容が『お館様とリディア様の前で、お館様の女性関係並びにお妃お世継ぎ関係について吹聴してはならぬ』に変わっちゃったのよねぇ」

「更に厳しくなっちゃったんだ」

「そうなのぉ。旦那もそれから、お館様にますますビビっちゃって、ろくに話も出来なくなっちゃったのぉ」

「ええ……?」

「ほんと情けないったらぁ」

 

 気弱な夫を思い出したのか。

 ウルキが呆れたようにため息をついてから、更に話を続ける。

 

「もう10年以上前になるかしらぁ。お館様……あぁ、その頃は若様ね。若様に近付く女だけは腐るほどいたのよぉ」

「玉の輿の中でも最高クラスですものね」

「そうなのよぉ。でも本人は全っ然興味なし。影武者を立ててぇ、その人に求婚をお断りするように命じて、本人はどっかにとんずらしてたのよぉ」

「……影武者の人、かわいそう」

「あなた。ザンゲツさんって方、ご存知ぃ?」

「ええ。お城勤のおじさんですよね?」

「その人が、お館様の影武者させられてたのぉ」

「うわぁ……」

 

 ウルキとザンゲツは、元ご近所さん。

 昔から家族ぐるみのお付き合いをしており、現在も奥さまと文通しているという。

 

「あの人は優秀な忍者なんだけどぉ、人が良すぎてちょっと気弱だからぁ、今も奴隷みたいねぇ……」

 

 うんうんうなずきながら、ウルキが話してくれた。

 ザンゲツの奥さま経由で、彼の裏事情を知リ尽くしているようだ。

 

(その頃から、エッジからひどい扱いされてんだ……!)

 確かに初対面早々から、薄幸感をうすうす漂わせていたけれど……。

 初老の部下が不憫に思えて仕方がない。

 

「まぁ、お館様が逃げたくなるのもわかるのよぉ? 保護者同伴でお城に突撃する女もいたしねぇ」

「……政略結婚ですね」

「ええ。家柄に箔がつくからねぇ」

 

 ガラの悪さと脱走癖はさておき。性格良し、顔もそこそこ良し。

 おまけに王子と来たら、若い女性が群がるに決まっている。

 その中に、本気でエッジと添い遂げようと思って、求婚した女性はどれだけいたのだろう。

 

 リディアに流れる『純血』に、まとわりつくアドニスのように。

 将来、王妃という特別な立場になるためだけに。

 エッジを将来の国王としか見ていなかった女性も多かったかもしれない。

 

「でもねぇ。あの日、お城が襲われて——」

 

 お城を包んでいた炎は、城下町にまで広がった。

 当時たくさんあった他の店舗と同じように、ウルキたちが営む花屋も全焼一歩寸前。

 

 しかもお城の周囲をモンスターがうようよ囲んでいる。

 ウルキたち生き残った民が右往左往していると、使用人が数十名、お城から逃げ延びてきた。

 そして、じいに導かれる形で洞窟に避難したという。

 

「エッジはその時、お城の外にいたって聞いてます」

「そうなのよぉ。避難所に一度顔を出したけど、ご両親探しに行くって、じいやさん振り切って出てっちゃってねぇ」

 

 ウルキの話を聞きながら、頭の中で記憶を蘇らせた。

 セシルたちと一緒に、はじめてエブラーナの洞窟を訪れた時の出来事を。

 

 —— —— ——

 その頃リディアは幻獣界から戻ってきたばかり。

 セシルたちと一緒にエブラーナの洞窟に立ち寄ったら。

 お城や周辺の町が襲われて、避難してきた使用人や民が肩を寄せ合って過ごしていた。

 

『あの……一体何があったのですか?』

 

 セシルが避難民のひとりに声をかけた。

 

『城がモンスターに襲われて、国王と王妃が何者かにさらわれてしまったんだ』

『何ですって?』

『王子……いや、若様は唯一難を逃れたんだが、消えたご両親を探しに洞窟の奥へ向かったし……これからどうなるんだろう』

 

 その後セシルたちと共に洞窟の奥へと向かう途中、王子らしき人物を見つけた。

 それがエッジとの初めての出会い……。

 —— —— ——

 

「それから、お館様と一緒にまた避難所に寄ってくれたでしょぉ?」

「はい。1晩泊まらせていただきました」

「確か、あなたともうひとり女の人がいたのよねぇ。ええっとぉ、金髪で……今バロン王妃の……」

「ローザですか」

「そうそう、その方。でもねぇ——」

 

 エッジは終始、金髪の女性——ローザには塩対応だった。

 ところが、もうひとりの女性……。

 リディアへの対応を見て、避難民一同、目を丸くしたという。

 

「わたしたち、お館様が若い女の人をおちょくって困らせたり怒らせてるのを初めて見たのよぉ」

「だから、わたしと会ってすぐだって……!」

「そうよぉ? まぁ、本人に聞かなきゃわからないけど、わたしたちにはそう見えたのぉ」

 

 仮宿で1泊する前に、リディアとエッジの接点はあるにはある。

 

 —— —— ——

 モンスターに改造された両親と、最期の別れを終えてから。

 エッジは仇を討つため、ルビカンテに勝負を持ちかけた。

 しかし、力の差は歴然としており、瀕死状態に陥った。

 すぐにローザに回復してもらい、事なきを得たけれど。

 再度、敵討ちに行こうとするエッジを、リディアは大泣きしながら止めた。

 —— —— ——

 

(あの時から、あたしのことを……?)

 エブラーナの洞窟に入る直前。

 シドやヤンが、セシルやリディアたちを先に行かせるために。

 自らを犠牲にして敵の足止めとなってくれた。

 

 リディアはそれを目の当たりにしたばかりだったから。

 敵討ちに行こうとするエッジが、自ら死に急いでるように見えた。

 もう誰にも死んでほしくなかった。だからエッジを止めたのだけれど……。

 

「あなたたちが帰ってから、みんなで語り合ったものよぉ? あんなお館様見たことない。お館様があなたに惚れちゃった。あなたが王妃ならいいのにってさぁ……」

 

 その後、当時の出来事と避難した民同士のささやき内容は。

 少しずつエブラーナ全土に広まっていったという。

 

「でも、箝口令はエッジ様が即位して4年ぐらい経ってからですよね?」

「ちょうどその頃、復興が終わったのよぉ」

「忙しくて気付く余裕すらなかったんですね……」

「そうねぇ。いろいろばたばたしてたからぁ」

 

 ウルキがそう答えると、清々しい表情でリディアを見つめてきた。

 

「わたしが知ってるのは、これぐらいねぇ。どう? びっくりしたぁ?」

「はい。それはもう……」

 

 3年前にここを訪れた時は、ばらをあしらった帽子に、ウルキの気絶……。

 不思議な出来事もあったが、白歴史入り間違いなしの1日であった。

 

 本日それらの謎が霧のように晴れたのはよかった。

 しかし、エッジがリディアに恋情を持っていた。

 そんな驚愕の真実に辿り着くことになるとは思わなかった。

 

 月でセクハラしながらも、『立派な女性』とささやいてくれた。

 ミストへの帰郷を促すために、幻獣界に足を運んでくれた。

 言質という卑怯な手を使ってでも、身体を繋げる契約を結ばせた。

 嫌な記憶を抱えた右手を労りながら、毎月抱いてくれた。

 『授業』として、この世で生きて行く知恵を教えてくれた。

 

 ……他にも数え上げたらキリがないけれど。

 動機が『リディアは好きな女だったから』だとわかれば。

 これまでのエッジの言動や行動に合点がいく。

 

「ところでぇ」

「はい?」

「あなたはお館様のこと、どう思ってるのぉ?」

「……」

 

 最後の最後に直球の質問を投げかけられて、少し困ってしまった。

 ぶっちゃけろ。ウルキにそう頼んだのはリディアだ。

 偽った答えを返すのは、筋が通らない。

 かといって、正直に答えたらエッジに迷惑が掛かる。

 考えあぐねた末、おもむろに口を開いてこう答えた。

 

「……エッジは、大切な人です」

「ふふ、そうなのねぇ」

「お話聞かせていただいて、本当にありがとうございました」

 

 あえて『いちばん』をつけなかった。本当の気持ちもぼやかした。

 にもかかわらず、納得してくれたウルキへ感謝の言葉と共に頭を下げた。

 

「あぁ、よかったわぁ。ご本人にお伝え出来たし、もう思い残すことないわぁー」

「だ、だめですよっ! 緑ばら作らなきゃっ!」

「緑はなかなか難しくてねぇ。時間掛かりそうなのぉ……」

「青と紫もお願いします」

「もしかしたら青は作れないかもぉ」

「えぇ!?」

「無理なんですか!?」

「この世界じゃ青ばらは作れないかもしれないって、どこかの学者が発表しちゃってねぇ」

「そんなに難しいんですか……」

「まあ、人生まだまだ先は長いしぃ、頑張ってはみるつもりだけどぉ」

 

(産みの苦しみかあ……)

 どこか疲れているようなウルキの表情から。

 無から有、0から1。新しいものを生み出す難しさが伝わってきたのであった。

 

 

——それから30分後

 

 

 リディアたちは、ウルキと別れてばら園を後にした。

 それからしばらく歩き続けて、ようやっと特別展望所に到着した。

 

 リディアとライザは座った状態で、丘の上から紫のじゅうたんを望んでいるところだ。

 

(『絶景穴場ポイント』から、仰々しい名前に変わっただけ……)

 緑の草原が、一般展望所との間仕切り代わりの樹々に囲まれているだけ。

 3年ぶりに訪れたが、当時とほぼ変わらない光景に少し安心した。

 

「他のお客さんには申し訳ないけど、すごく綺麗ね……」

「あっちよりも綺麗に見える気がする」

「人がいないから余計そう見えるのよ」

 

 去年以上に、薄紫や濃紫のグラデーションに見惚れてしまう。

 やはり、人がいないと感じ方も見え方も変わる。

 ライザも同じことを感じているようだ。

 

「風も気持ちいいよねぇ」

「ええ。ツクヨミさんに連れてきてもらってよかったわね」

 

 風に運ばれてくるラベンダーのかすかな香りが、心地よさを倍増してくれる。

 わあ、きれい……。

 一般客のそんな歓声が、樹々の隙間を抜けてかすかに耳に届く。

 

 今年はちょっと贅沢な気分を味わうことが出来る。

 それもこれも全部、ツクヨミのおかげなのだけれど……。

 リディアは展望所の出入り口そばへ、じと目を向ける。

 

「……あの人も、こっち来ればいいのに」

「あそこがお気に入りなのよ」

 

 ツクヨミはここに入ってすぐ、『どうぞ楽しんできてください』と言ってから。

 特別展望所の出入り口付近で棒立ち状態である。

 

「あんなとこで突っ立って何が楽しいの?」

「あなたの護衛をしてるのが楽しいのよ」

「またそれぇ……?」

 

 ライザがくすくす笑っている。一方、リディアは呆れてものが言えない。

 

(一緒に見たらいいのに、訳わかんない)

 ライザは『ツクヨミはリディアのしもべ』説の提唱者である。

 今のツクヨミは、まさにそれだ。リディアの守り人と化している。

 本人に聞いても、そうほのめかすのが目に見えている。

 

「今日は売店で何買うの?」

「ラベンダーにカモミール、ゆずとクラリセージの精油。あとはお試しにひのきね」

 

 各種精油を組み合わせて、お手製の香水を作ったり。

 自宅で育てているミントで油を自作して、暑い夏をやり過ごしたり。

 お肉料理にローズマリーを使ったり……。

 ライザは日常生活に薬草を取り入れている。

 

「そういえば、さっきひのきの樹があったね」

「ええ。いい匂いしたから欲しくなったの。お風呂に入れたら森林浴気分に浸れそうじゃない」

「今年もまたいいもの見つけたねぇ」

「……あなたはいつものだけ?」

「うん。3つぐらい買っておこうかな」

 

 今年もリディアは、ラベンダーの練り香だけしか買わないけれど。

 ライザにとって、この薬草園は天国とも言える場所でもある。

 去年のゆずに続き、今年もひのきという新しい薬草に目をつけたらしい。

 

「ミゼルさんにも、こないだのお礼に何か買って帰ったら?」

「いらないいらない。おばちゃんたちが買ってくるもん」

「冷たいわね……」

「村長決めまでお預けだよ」

 

 ジャンヌも、本日ノアとトロイアに出かけている。

 

 今頃息子のように可愛がる男の子に、大盤振る舞いしているだろう。

 伴侶をおざなりにしないので、何かしらおみやげを買って帰ってくるはず。

 だからリディアはミゼルには何も買って帰らない。

 

「あの人も、ジャンヌさんたちと一緒に行ってあげたらいいのに……」

「その気がないんだよ。トロイアの図書館で本借りてきてって、一昨日おばちゃんにまた頼んでたもん」

 

 一昨日、リディアはミゼルの自宅で夕食を共にした。

 帰省期間中のお出かけが話題に上がった時。

 案の定ミゼルが、資料を借りてくるようにジャンヌにお願いしていた。

 

 ミゼルは、趣味が遠出の妻を利用することがとても多い。

 ご当地の図書館で資料を借りてきてと頼むのは、もはや日常茶飯事だ。

 それを返しに行くのも、もちろんジャンヌである。

 

「甘えすぎね」

「死ぬまでおばちゃんパシらせる気まんまん。やっぱりミストのかたつむりだよ」

 

 ミゼルは、今月一度だけミストの外に出かけた。

 ついにミストのかたつむり卒業か?

 そう思っていたが、またミストにこもる生活に戻ってしまった。

 

「……」

 

 ふと隣を見ると、ライザがどこか暗い表情でうつむいていた。

 

「どうしたの?」

「今更だけど、わたしたちも……エッジ様にずっと甘えてたのね」

 

 ライザの言葉で、改めて気付かされてしまった。

 

 リディアとライザは今まで、エッジのご好意に甘えていた。

 代金と引換で、欲しい薬草園の商品をミストに持ってきてもらっていた。

 けれどこれからは、こうやって自主調達しなければならない。

 

「ほんと……国王さまこき使うなんて贅沢なことしてたよね」

「いい機会だと思うのよ。年に2、3回はここに来れそうだし、その時買えばいいんだから」

「本当はそれが当たり前だもんね」

 

 長年の悩みの種——小うるさい姑も故郷に帰ったことだ。

 この先、ライザは家族全員でここに遊びにくるだろう。

 

 ライザは以前に比べて行動範囲が広がっている。

 数年前までこうしてお出かけするなんて、本人も思ってもみなかっただろう。

 リディアも、ライザと同じだ。

 当初はエッジと一緒でなければ、ここに来る気はなかったから。

 

「わたし、あそこにいてよかったの?」

「え」

「……すごい話聞いちゃった気がして」

「そんなこと言わないでよ。ライザいなかったらまともに話聞いてられなかったよ」

 

 ウルキから次から次へと、思いもしなかったことを聞かされても。

 思った以上に、あの場で動じることはなかった。

 これもひとえに、当事者ではないライザがいてくれたおかげでもある。

 

「本人が聞いたら、余計なお世話って言われちゃいそうだけど……」

「本人って誰?」

「エッジ様よ。ウルキさんの話聞いたらなんか気の毒に思えちゃって……」

「どうして?」

「生まれた時から生き方が決められているっていうのがぴんとこないのよ。トロイアにも国王さまや王族がいるけど、エブラーナやよその国と全然違うから……」

「そういえば、トロイアの国王さまって他の国に比べて影薄いね」

「神官さまが全部取り仕切っているから、ただのお飾りなの。それに……」

 

 トロイアの国王や王族は実権を持っていない。

 しかも現国王が王族の男性の中から、次期国王を選ぶ指名制をとっている。

 世襲制のエブラーナとダムシアンとは、全く正反対の国だという。

 

「なんとか王家の血を残せたらいいやって感じなんだ」

「神官を選ぶ方がよっぽど大事なの」

「……普段トロイアの王族や国王さまって、何やってるの?」

「予算をいただいているから、のんびりお城で暮らしてるわ。たまに国内外で行われるパーティーに出たり、孤児院や施設のお手伝いをしたり……」

「貴族と変わらないね」

「ただ、そういうことが出来るのは国王やそれに近い方たちだけ。予算があまり回ってこないから、普通に働いている王族の方もいるのよ」

「そっちの方が自由でいいと思うなぁ。——神官さまはどうやって選ばれるの?」

「その時の神官さまたちが話し合って、候補の中から新しい人を選んでいるわね」

「候補??」

「ええ。みんな自分から神官になりたくて勉強や修行された方ばかりよ」

 

(誰から強制された訳でもないんだ……)

 トロイアを治める8人の女性神官の任期は、最長10年。

 誰かが任期を終える度に、メンバーを入れ替えている。

 新しい神官には、神官を志望して長年高度な教育を受けながら。

 厳しい修行を積んできた若い女性が選ばれるという。

 

「……自分の人生、自分でいろいろ決めないと、何のために生きてるかわからないわ」

「だから、こないだの寄合でわたしのこと、かばってくれたんだ」

「ええ」

 

 ライザは生まれながらにして、台本のように決められた生き方に疑問を感じているようだ。

 

『おまえは本来ミストだけでなく、この世界で崇められるべき存在なのだ』

 

 先日の寄合でも、保守系先住民がリディアにそう言ってきた。

 ライザはそんな彼らに反論しようと、その場で初めて発言してくれたようだ。

 

「ウルキさんが、エッジ様は子どもの頃からお城から逃げてばっかりって言ってたでしょう? ミストにあなたに会いにきてたのも、息抜きや現実逃避も兼ねてたのよ」

「……そうじゃないと、花火の余興やらないよね。毎年楽しそうだったもん」

「ここでは裏方の仕事は出来ないでしょうしね。仮に出来たとしても、他の人のお仕事を奪っちゃうから……」

 

 ラベンダー畑を眺めながら、ライザがそう口にした。

 リディアも同じ紫色に視線を移してから。

 2年前に、エッジの両親の墓参へ訪れた時の記憶を振り返った。

 

『国王になると縛りが増えちまうのがわかってたからさ』

 

 エッジの父親は若き頃、そんな理由でお城を抜け出していた。

 国内逃亡を繰り返す中。愛する女性と出会い、王妃として迎え入れた。

 

 エッジも若い頃から、度々お城を脱走していたと聞いている。

 彼の父親と動機は一緒だったかもしれないが、エッジが好きになった女性は異国人。

 しかも生まれ故郷を離れられない、離れる気がない、この自分……。

 

「ミストはエブラーナじゃないから、気にしなくていいもんね」

「あなたを喜ばせられるから、やる気出しちゃうわよ」

「……ねえ、ライザ」

「なあに?」

「エッジが……花火のお手伝いをあんな契約に変えたのって……やっぱり、この国と共にする覚悟を……固めたからなのかな」

「でしょうね」

「あぁ……」

 

 この国を共にする覚悟。それは王妃を娶り、世継ぎをもうけること。

 そして、より良い国づくりを進めて、未来の世継ぎにエブラーナを託すこと。

 

「仮に将来のお妃さまがミストを気に入ったとしても、そうそう一緒に来れないわよ」

 

 箝口令を敷いていたぐらいだ。

 仮に将来のお妃さまがエブラーナの民なら、リディアの存在も知っているはず。

 伴侶が、昔好きだった女が暮らす村に足蹴に通い続けていたら。

 お妃さまも気分が悪いに決まっている。

 

 そうでなくても、エッジがそんな村にお妃さまを連れて堂々と来れる訳がない。

 ライザはそう言いたいようだ。

 

(だからエッジは、ミストとの花火契約を変えちゃったんだ……)

 エッジ個人とミストとの契約から、国とミストへ。

 国王さまの代わりに、別の者をミストに派遣する無期限契約へ。

 エッジは国と共にする覚悟を決めて、リディアと決別した。

 同時に、ミストとも間接的な関わりに変えてしまった……。

 

 エッジがいなくなった原因に思い至り、視界に映る紫がゆらゆら揺れ始める。

 

「リディ……っ、!?」

 

 まぶたから涙があふれて頬を伝い、膝の上にぽたぽた落ちていく。

 エッジが消えた朝、約1ヶ月ぶりに涙を流していた。

 

「あぁ、やっぱり言わなきゃよかった……」

「……!」

 

 泣きながら、何度も首をぶんぶん横に振って、ライザの言葉を否定した。

 その都度、とめどなくこぼれる涙の粒がぱらぱら周囲に散らばる。

 

(ライザのせいじゃない……っ)

 いつかこんな日がやってくる。エッジがそう覚悟して、長年思いを隠し続けていた。

 そのことに気付いて、心を乱してしまった自分が悪い。

 

 —— —— ——

 自分たちは結ばれない。共に添い遂げられない。

 王妃を娶れば、リディアに会いに行けない。脱走も出来なくなる。

 だから、今のうちにミストに脱走して、リディアを味わっておこうの精神で。

 『気が済むまで』。そんな言質をリディアに与えることで、身体の関係を期間限定にして。

 事あるごとに、『リディアは大事な仲間だから』と答えて。

 自国にゆるい箝口令を敷き、ひたすら思いを隠し続けて。

 エッジは1か月前まで、『息抜き』と称してミストに会いにきてくれたのだろう。

 —— —— ——

 

 麦わら帽子に飾った、赤ばら4本。

 それがエッジに出来た、精一杯の思いを伝える手段だったなんて……。

 そう考えただけで胸がずきずき痛くなり、涙がぼろぼろ止まらない。

 

「う……ぅ、っ」

「あら……ツクヨミさん……?」

「……」

「思う存分泣いていいわよ」

「……う、ん……っ」

 

 ライザが何か話しかけてきたが、『泣いていい』しか聞こえなかった。

 

 こういう時、彼女は黙ってそばにいるだけに徹してくれる。

 リディアは言葉通り甘えることに決めて、感情の赴くままに泣き続ける。

 

 —— —— ——

 エッジを好きになるのが遅くて、ごめんね。

 エッジがあたしを好きだと気付くのが遅くて、ごめんね。

 ミストを捨てられなかった恋のいくじなしで、ごめんね。

 セシルのふりをして抱かせてしまって、ごめんね。

 エッジの顔を最後まで見れないまま。お礼ひとつも言えないまま。

 ……お別れしてしまってごめんね。

 —— —— ——

 

 時折涙を手の甲でぬぐいながら、心の中でエッジへひたすら謝罪を繰り返す。

 

 こうやって謝られるために、エッジはリディアと一緒にいた訳ではなかったと思う。

 それでも、エッジとリディアでは思いを抱えていた長さが違う。

 約9年もの間、彼はどんな思いで一緒にいてくれたのか。

 そう思えば思うほど、感謝よりも申し訳なくなってしまって……。

 

§

 

 どれぐらい泣いただろう。思考が定まらないほど、泣き疲れた頃。

 風が吹く度に漂ってくるラベンダーの香りに気が付いた。

 程なくして、穏やかな花の香りのおかげでようやく涙が止まった。

 

「落ち着いた?」

「……う、ん」

 

 ライザが自身のハンカチをさっと差し出してくれた。

 やさしさに甘えて、受け取ったそれで軽く目を押さえる。

 

「人がいなくてよかったわね」

「ごめんね。せっかくのラベンダー畑……台無し……」

「だから、それだけで済んだのよ。ここじゃなかったら、もっと泣いてたわよ」

 

 ライザがリディアの頭を撫でてくれた。

 

 ラベンダーの香りには鎮静、安眠効果がある。

 泣き止むことが出来たのは、風に運ばれてくるラベンダーの香りのおかげ。

 彼女はそう言いたいようだ。

 

「……ありがと……ライザ……」

 

 途切れ途切れで感謝の言葉を口にした。

 もはやライザは、親友を兼ねた母親のような存在になっている。

 アリサの前で母親役が出来ても、ライザの前では無理だ。

 

「あなたが泣いている間に、ツクヨミさんがいなくなったのよ」

「っ、ほんとだ。いつの間に……」

「どこ行っちゃ……あぁ、帰ってきたわ」

 

 どこだどこだとばかりに、リディアとライザが周囲を見回していると。

 黒い人影——ツクヨミが出入り口から姿を現し、こちらに向かってくる。

 何かを隠し持っているのか。

 右手を背中に回したまま、リディアの前で片膝をつき頭を下げた。

 

『……戻りました』

「おかえりなさい。どこ行ってたんですか?」

『売店です』

「ええ?」

「後で寄るのに、わざわざ??」

『はい。——リディアさま』

「え」

「どうぞ、お受け取りください」

 

 ツクヨミが隠していたものを恐る恐る差し出してきた。

 花束らしきものを受け取り、中をのぞいてみれば。

 たくさんの大きなひまわりの花で埋め尽くされていた。

 

「う、わぁ……!」

 

 感嘆の声を上げると同時に、明るい色彩が沈鬱さを吹き飛ばしてくれた。

 エブラーナでは、ひまわりの種は食用油や薬として利用されるらしい。

 もちろんこの薬草園にもひまわり畑があり、既に鑑賞を終えていた。

 

『夏でございますし、お元気で明るいリディアさまにお似合いかと思いまして……』

 

 この後、売店に行く。そうわかっていながらも、ついつい足が動いてしまった。

 忍者が本気を出せば、往復10分ほどで帰ってこれる。だから運動にちょうどよかった。

 ツクヨミが楽しそうな声でそう話してくれた。

 

「ありがとうございます……」

「大きいひまわりね」

『ここでは日輪草とも呼ばれております』

「にちりんそう?」

『日輪は太陽の異名なのです」

「お花を太陽に見立てているのね」

『はい。そうでございます』

 

 花束の中から大きなひまわりが顔をのぞかせる。

 このお花。別名の通り、太陽のようにさんさんとした花を咲かせる。

 リディアには、そんな花がどこかエッジのように見えた。

 

 エッジのジョブは、影に潜む忍者。

 けれど、彼はその頭領さま。だから自らを明るく照らして目立つ存在に立っている。

 同時に、周り——エブラーナを分け隔てなく照らして、民の心の支えとなっている。

 リディアも仮面をかぶる夜のエッジより、昼の方が大好きである。

 

『ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか』

「はい?」

『なぜ先ほど、お泣きになられていたのです?』

「……」

 

 ツクヨミから怪訝そうな声でたずねられて、胸に抱えたひまわりを見つめる。

 

(あたしに似合うから買ってきたは、表向きの理由だよね……)

 ツクヨミは離れた場所にいたけれど、聴覚が鋭い。

 リディアの泣き声が聞こえてきて、元気付けてあげよう。

 そう思って、ひまわりを買いに売店に行ったのかもしれない。

 

「あの……」

『やはりリディアさまも、お館様のことがお好きなのですね』

 

 泣いた理由を、真っ黒忍者に話すかどうか迷っていると。

 昨年のクリスマスに続いて、ツクヨミがエッジへの片思いを指摘してきた。

 その時は速攻で否定して、そのまま終わったけれど。

 

(やっぱりばれちゃってた……)

 7の月に入ってから、リディアはツクヨミの前でぼろをぼろぼろ出している。

 

『他言無用をお誓いいたします』

 

 更にツクヨミが、前回と同じく秘密厳守を一方的に誓ってくれた。

 

(セシルとそっくりの声ってずるいよ)

 ツクヨミなら、自身の胸の内に収めておいてくれる。

 リディアにそう思わせて、『はい、好きです』と言わそうとしてくる。

 

 どうしようもなくなってしまい、隣のライザを見ると。

 

「……もう、いいんじゃない?」

 

 ライザが本当のこと——エッジが好き——を認めるように勧めてきた。

 

 ツクヨミは先ほどウルキの白状場面にも、途中から居合わせていた。

 リディアの気持ちなど、すっかりお見通しだろう。

 これ以上否定しても意味がない。ライザはそう言いたいようだ。

 

「……実は」

 

 リディアは、エッジにまつわるここまでの経緯を、ツクヨミに簡潔に話し始めた。

 

 —— —— ——

 リディアがミストに帰郷して以来。

 エッジが9年近くもの間、ミストに何度も足を運んでくれたこと。

 

 最後に会った日に『すき』と、エッジに告げたこと。

 それ以来、エッジがミストに全く現れなくなったこと。

 

 おそらく王妃さま探しを始めるため、ミストの花火のお仕事を。

 別の者——ツクヨミに託したのだろうということ……。

 

 身体の関係があった。さすがにそれはエブラーナの者には言えない。

 ツクヨミには、友人としてのお付き合いを強調した。

 —— —— ——

 

『そうでございましたか……』

「ごめんなさい。ツクヨミさんはエッジに近い方なので言えませんでした」

 

 終始ばつが悪い表情で、最後にツクヨミに謝罪をして話を締めた。

 

 隣に座るライザは、空気を読んでくれたのだろう。

 リディアを見つめるだけで、最後まで口を挟まなかった。

 

『いいえ。謝らなければならないのは、こちらの方でございます。——お館様がご迷惑をおかけして、大変申し訳ございません』

 

 ツクヨミが片膝をついたまま頭を下げてきたが。違和感を感じた。

 まるで上司の不手際は部下の責任と言わんばかり。

 

「ツクヨミさんが謝る必要ないですよ」

『国を挙げてあなたに隠し事をしたのでございます。しかもお話を聞く限り、あなたがお館様に一方的に捨てられたようにしか見えません。謝罪をしない方がおかしいと思います』

「最後の挨拶はしたかったけど、捨てられたとは思ってないです」

 

 ツクヨミが早口で、エッジを責め立てるようなことを言い出した。

 それを聞いて、自分が悪く言われているような錯覚を覚えてしまう。

 

(やっぱり、この人も一緒……)

 ツクヨミが話したことは、アリサとほとんど変わらない。

 アリサやツクヨミには、エッジは加害者。そして、リディアは被害者に見えるようだ。

 リディア自身は、自分が被害者とはこれっぽっちも思っていないのに。

 

『実はお館様の王妃に、リディアさまを望む民は決して少なくはございません』

「ウルキさんがそんな感じでしたね」

『はい。先ほどの方のように、なぜ箝口令を敷いたことに疑問に思う民は多いのです。しかしながら、民はお館様のご命令に背くことが出来ません』

「みんなエッジのこと大好きだもん。言うこと聞きますよ」

『おっしゃる通りでございます。民は、お館様を盲目的に畏れ敬っておりますので……』

 

 この国の王と民の関係について述べたツクヨミに、思わずかちんときた。

 

 代々この国を治める王族の血を引く国王だから。

 エブラーナの民が、そんな理由だけでエッジを尊敬しているように聞こえたのだ。

 

「……エッジはみんなのために、一生懸命国王さまやってるの。みんなそれを知ってるから尊敬してるんです」

 

 リディアは、復興真っ只中のエッジを近くで見て知っている。

 お城で働く使用人に比べたら、ほんの少しの時間かもしれないけれど。

 

(盲目的なんて言わないでよ!)

 エッジは、私物や両親の遺品や宝物を売って国のお金に変えていた。

 人手が足りないから。そんな理由で国王がやらなくていい仕事もやっていた。

 国王だからと言って、ふんぞり返っていなかった。

 

 ツクヨミも、この国の民なのに。なぜこうもひどいことを言えるのだろう。

 

『それでも僕は納得行きません。お館様は私情を国政に持ち込み、民の自由を縛ったのです』

「大げさ。わたしやエッジの前だけでしょ? バラしたら死刑でもなかったんだからいいじゃない」

『愛する人も幸せに出来なかったのですよ? そんな方が、民を』

「——わたし、不幸じゃありません」

 

 エッジへのとげのある言い方にたまりかねて、ツクヨミを遮った。

 同時に、ぐしゃりと紙がつぶれる音。思わず花束を強く抱きしめてしまったせいだ。

 

『先ほど泣いていらっしゃったではありませんか』

「あれは、気付くのが遅かったって自分が情けなくなったから泣いてたの」

 

 エッジは出来るだけ長く、リディアと一緒にいる時間を過ごしたかっただけだ。

 関係が終わった。その事象だけを切り取って、不幸と決めつけないで欲しい。

 

「むしろ、わたしはエッジにお礼言わなきゃいけない立場なの」

『なぜですか』

「エッジが箝口令を敷いたのって、わたしへの配慮だもん。ほかにも」

『——敷いた理由は存じ上げませんが。何にせよ、お礼は必要ございません』

「エッジはわたしに告白しないって、ずっと前から決めてたんだと思うの。自分の思いをわたしに気付かれたり、知られたりしたら、わたしに迷惑が掛かると思って……だから、エブラーナのみんなに黙っててくれって頼んだんだよ」

 

 出来ることなら、リディアを王妃に迎えたい。

 エッジも何度もそう思ったことがあったと思う。

 

 それでもリディアがミストを離れられない。離れる気もないことを知っていたから。

 リディアが、別の人——セシルのことが好きだったことを知っていたから。

 セシルを諦めてからも、エッジを友人以上の目で見ていなかったことを気付いていたから。

 エッジはリディアに告白しなかった。いや、出来なかったのだ。

 

『楽観的ではございませんか?』

「エッジなら、それぐらいやってもおかしくない」

『え……』

「箝口令だけじゃない。エッジ、ずっとあたしを気遣ってくれたり、助けてくれたもん」

 

(そうだよね、エッジ)

 リディアはそう言ってから、胸に抱える花束へちらりと視線を移す。

 心の中で、風に吹かれて少し揺れたひまわりに同意を求めた。

 

「エッジがいなかったらね。ミストどころか、こっちの世界にわたし戻ってきてない。今も幻獣界で暮らしてたよ?」

 

 微動だにしないツクヨミへ、リディアは訴え続ける。

 他人行儀な言葉遣いで話していない。そのことをすっかり忘れるぐらいには。

 

 セシルとローザの結婚式の帰り。

 エッジが自家用艇から、夕暮れに染まったミストを見せてくれていなかったら。

 リディアは今も幻獣界で暮らしていたかもしれない。

 

 今こうして、ライザやツクヨミとここにいるのはエッジのおかげ。

 リディアはそう信じて止まない。

 

「ツクヨミさんやわたしも、この子と会っていなかったと思います」

「そうだよ? わたしたち、今ここにいなかったよ?」

『確かに……おふたりのおっしゃる通りかもしれませんが……』

 

 ライザもリディアの援護をしてくれたが、納得出来ないのか。

 ツクヨミが何かごにょごにょ言っている。

 

 リディアがエッジへの恨みごとひとつ言わないから。

 お人好し、甘いなどと思っているのかもしれない。

 

「今のわたしがあるのは、エッジのおかげがすごく大きいの。嫌いになんかなれないし、恨んでもない。だから責める気も起こらないよ」

『それでも……少しぐらいは何か……』

「あたしはね。こうやって、エッジと同じ空の下で、同じ時間を生きられるだけでね。もう十分なの」

『リディアさま……』

 

 恋愛云々はさておき、エッジがいる日常がいつまでも続いて欲しい。

 約9年もの間。リディアはそう考えながら過ごしていた。

 一方で、こんな日常もいずれ終わるだろうと覚悟もしていた。

 もっと早く、エッジの思いに気付いていたら……少々悔いもあるけれど。

 ここまで長く続いたのだから、もう十分だ。

 

「だから、エッジのこと。これ以上悪く言わないでください。——お願いします」

『はい……かしこまりました……』

 

(全然納得してない……)

 ツクヨミの声に感情が全くこもっていない。

 リディアに頭を下げられてしまったから、仕方なく返事しただけだろう。

 

 何にせよ、ツクヨミもいつかほんのちょっとでもわかってくれるだろう。

 ……アリサ並みに期待出来そうにないけれど。

 

「はぁー!」

 

(一応返事してくれたし。終わり終わりっ!)

 ひまわりの花束を抱えながら、その場に寝っ転がった。

 

「っ……泣いたり笑ったり、はしゃいだり……忙しいわね」

 

 リディアの様を見て、ライザがくすくす笑っている。

 人目を気にしなくてもいいのに、これをやらなくてどうする。

 

「一仕事、終わったからね」

「お疲れ様でした」

 

 エッジの擁護は、とても精神を消耗する。

 相手が頑として譲らないアリサやツクヨミだから尚更。

 

 ミストに帰ってから、アリサに本日の出来事を報告するつもりでいる。

 しかしアリサは、ツクヨミ以上に怒るのが目に見えている。

 先ほどのツクヨミへの訴えは、今夜の一仕事に向けての予行演習も兼ねていた。

 ライザはそれをわかっているので、労いの言葉をかけてくれたのだ。

 

「ほら、ライザもっ」

「きゃっ……」

 

 ひとりでごろ寝してもつまらない。

 さっと上体を起こすとライザの腕をつかみ、ぐっと引っぱる。

 引きずるような形で、彼女も草原で寝そべりの刑に処してあげた。

 

(あたしも3年前、エッジに同じことされたなあ……)

 ごろ寝しながらラベンダー畑が拝めるのだから。

 刑ではなく、贅沢なごほうびと言った方がいいかもしれない。

 

「どう?」

「……あら、ラベンダーが見える……!」

「いいでしょ?」

 

 はじめ戸惑っていたライザも、すぐ感嘆の息をもらした。

 

「ツクヨミさんもどう? 気持ちいいよぉ」

『い……いえ。僕は遠慮しておきます』

「そうなの? もったいないなあ」

「わたしたちの前でやらないわよ」

『ライザさんのおっしゃる通りです。忍者足るもの、隙を見せたら終わりでございますから』

 

(真面目だなあ……)

 しばらくの間。リディアとライザはのんびり寝転がりながら。

 たったふたりだけの贅沢なラベンダー鑑賞に浸っていた。

 

 ツクヨミは、リディアのせっかくのお誘いを断って片膝をついたまま。

 ラベンダー畑の方を向いていたので、一応鑑賞していたと思われる。

 

 —— —— ——

 一面広がる青い空。紫のラベンダー畑。抱えている黄色いひまわり。

 それらを順繰りに見ながら、澄んだ空気を肌で感じる。

 風が運んでくれる、ラベンダーの香りを嗅覚でたしなむ。

 

『きれい』

『素敵』

 

 遠くから聞こえる、他のお客さんの賞賛の声に心の中でうんうん共感する。

 —— —— ——

 

 こんな場所があるのを教えてくれたのも、エッジその人だった。

 そう思いながら、ある感覚以外の五感でラベンダー畑を味わう。

 

「あーあ」

「どうしたの?」

「アイスがここにあったら、もっと最高なのになあ」

「だめよ。鑑賞そっちのけにするでしょう?」

 

 足りない味覚——アイスを要求するようなことをほのめかしたら。

 ライザにきつく一蹴されてしまい、頬を膨らませる。

 

「むー、ライザのけちっ」

「ふふっ」

『っ、く……っ……!』

 

(また笑ってるよ……)

 ツクヨミが笑いをこらえる声まで聞こえてきたが、そのまま笑わせておいた。

 

 甘味至上主義を披露すると、いつもこうして笑ってくるから。

 いちいち注意するのが面倒になっていた。

 

「ねえ、リディア」

「なあにー」

「おばあちゃんになる前にいろいろわかって……間に合ってよかったわね」

「どうして?」

「その頃には、エッジ様。あの世に行ってるわよ?」

 

 ライザが珍しく、縁起でもないことを口にしている気がする。

 

 エッジはリディアより10年早く生まれている。

 リディアが年老いた頃。彼は既に生を終えている可能性が高い。

 ライザはそう言いたいようだが、むしろリディアの方が先にあの世へ行くと思う。

 

「っ、あははっ……何それ、極端だよぉ……」

 

 思わず噴き出して笑っていると、ライザが更にこうも続ける。

 

「お花なら、エッジ様にこっそりお礼を伝えられるわよ」

「……!」

「お墓にお花を捧げるより、生きてる間にお礼を伝える方がいいと思うけど?」

 

 おばあちゃんになった頃に、花言葉の意味を知っても遅い。

 『ありがとう』を本人に伝えられない。

 もっと早く気付けばよかった。そう悔やんでも悔やみ切れない。

 だから、今日いろいろなことがわかってよかった。

 そう言いたげなライザに、またまたリディアは笑い始めた。

 

「ふふっ、ほんとだね……! 死んじゃってからじゃ遅いもん……」

「お花じゃなくて、宝石を贈ってあげてもいいのよ?」

「やだ。高いし手元に残っちゃうもーん」

「どっちみち、宝石は『感謝』を意味するものがないから無理なのよね……」

 

 気付くのが遅かった。ではなく、今日気付いてよかった。

 いい風に捉えるよう導いてくれる親友の言葉が、頼もしく感じた。

 

(お花でエッジにお礼を伝えよう!)

 早速、ライザの助言に乗っかろう。

 リディアはそう決めて、改めてひまわりの花束をぎゅうと強く抱きしめたのだ。

 

 

——午後3時すぎ

 

 

 北にあるエブラーナ城。そして、南に広がる飛空艇の発着場。

 このふたつを繋いだ長い大通りを、城下町が東と西で挟み込む。

 大通りの途中途中に、東西それぞれの城下町との連絡通路が設けられている。

 

 リディアたちは薬草園を後にして、発着場に到着すると長い大通りに入った。

 

「楽しかったねえ」

「いろいろあったけどね」

 

 リディアはかばんを腕にぶら下げながら。桃ばらとひまわり。それぞれの花束を両手で抱えている。

 ライザはかばんを肩にかけながら、ミニ黄ばら13本の花束を持っている。

 ツクヨミは、リディアたちが持ちきれない荷物を持って、ふたりの後ろを歩いている。

 

「……アリサ怒りそう」

「内緒にしておく?」

「しないよ。黙ってたら、後でもっと怒られるもん」

「そうよ? おみやげたくさん渡せば許してくれるわ」

 

 薬草園の売店で、黄ばらの花束を三束買った。

 ひとつはお留守番のアリサのおみやげ。残りはリディアとライザの自分用だ。

 

 ばら13本の花言葉『永遠の友情』を、黄ばらの花言葉のひとつ『友情』で重ねがけ。

 親友とお揃いで買うには、申し分ないお花の組み合わせだと思う。

 

 ただ、これだけではアリサに文句を言われてしまいそう。

 そのためリディアとライザは、更なるおみやげを買いに城下町に行くつもりでいた。

 

「わたしね」

「え?」

「あなたがアイスいらないって言うか、ずっとひやひやしてたの」

「……甘いものは別だもーん」

「本当によかったわ。食べなかったら重症よ」

 

 薬草園の名物のアイスには、紫色のラベンダー味と薄黄色のゆず味。

 そして、今年新たに加わった濃黄色の黄ばら味の3種類が売られていた。

 リディアは新作とゆず味のふたつ。ライザは新作を食べた。

 

(来年も黄ばら食べよ!)

 黄ばらアイスは、お口の中でほんのりばらの風味が広がる濃厚なバニラ味。

 ばらを味覚でたしなむなら、ばら茶よりもよっぽどいい。

 

「黄ばら……アイスは美味しかったけど、やっぱりかわいそうね」

「花言葉が悪いよ。悪いの目立ちすぎだもん」

「お友達にも花を贈る風習があればね」

「そんなのやってるところあるかな……」

 

 ライザが、エブラーナにおける黄ばらの不遇を憂いて。

 両手で抱えるミニ黄ばらの花束を、寂しそうな表情で見つめた。

 

(プリンみたいで美味しそうなのに)

 人生初の黄ばらとご対面したリディアですら、おかしいと思っている。

 数種ある花言葉の一部が強調された結果。

 こんな美味しそうな色を、みんな敬遠するなんて……。

 

§

 

 程なくして、大通りの左側に矢印入りの案内看板が見えてきた。

 左の通路に入れば、西の城下町へ。

 このまま真っ直ぐ大通りを行けば、エブラーナ城だ。

 

「それじゃあ、わたしたちこっちなので」

 

 リディアたちは振り返り、半歩後を歩くツクヨミに声をかけ、軽く頭を下げた。

 リディアとライザは、ツクヨミとここでお別れである。

 

『え?』

「お荷物ありがとうございました」

 

 ツクヨミが不意打ちを食らったかのように固まっている。

 自身とリディアの傘を返してもらおうと、ライザがツクヨミへ手を差し出した、その時。

 

『お、お待ち下さい』

「なんです?」

『荷物が多いですから、このまま付き添いいたしますよ?』

「……」

『そ、それが終わりましたら、おふたりをミストに……送り届けるつもりでおりますし……』

 

 ツクヨミの声は、何ともまあ弱々しく小さい。

 リディアと困惑した表情でライザと互いに視線を交わした。

 

(今日はだめなんだよ)

 ツクヨミは、リディアたち……いや、リディアとお別れするのが嫌でたまらないようだ。

 彼はリディアに関することだけ、とてもわかりやすい人間。

 お面をかぶっている意味がないくらい、感情を露わにする。

 

「お気持ちはありがたいのですが、今日は本当にここまでいいです」

「また何かの機会に、がっつり甘えさせてもらいますから」

『それでも』

「——今からツクヨミさんに、大至急お仕事を頼みたいの」

『仕事ですか……?』

「ええ。だから、今日は本当にごめんなさいっ」

『……かしこまりました。そういうことでしたら、何なりと僕にお申しつけください』

 

 うだうだしていたツクヨミが、たった一言でお別れをあっさり受け入れた。

 

(ばっちりじゃない!)

 殺し文句の威力、おそるべし。

 肝心要のお仕事——幸せのお手伝いをしていただくために。

 リディアはすかさず、ある花束をツクヨミに差し出した。

 

「じゃあ、このお花。今からエッジに届けてもらえますか?」

『えぇ?』

 

 珍しくツクヨミが驚いたような声を上げた。

 桃ばら5本をかすみ草で囲んだ花束を渡されたら、まあ驚くだろう。

 お花を男性に贈るのも珍しい。しかも花の色がいかにも女性向きの桃色だから。

 

『これを届けろとおっしゃるのですか?』

「そうですけど」

『これは、リディアさま用のお花ではなかったのですか?』

「違います。エッジ用に買ったの」

 

 不思議そうな声でたずねてきたツクヨミに、きっぱり答えてあげた。

 ……エッジに感謝を込めてお花を贈ろう。

 リディアはそう思って、あえてこのお花を売店で選んだのだから。

 

『……何か、ご伝言は』

「ないです」

 

(エッジなら、見ただけでたぶんわかるもん)

 リディアは、展望所の次に向かった売店で花言葉の本(未購入)を読んでみた。

 売店で売っている、20種類ほどの切り売りのお花の中で。

 感謝を送るのに、ふさわしい花言葉を持ったものがないか調べて、検討した結果。

 

 桃ばらの花言葉『感謝』。ばら5本の花言葉『あなたに会えて本当によかった』。

 更に『感謝』を、白くて小さいふわふわかすみ草で重ねがけすることに決めた。

 我ながら素晴らしいチョイスだと思っている。

 

『お渡しするだけでよろしいのですね』

「ええ。よろしくお願いします」

『……はい。かしこまりました』

「じゃ、行きましょうか」

「うん」

「今日は本当にありがとうございました。花火楽しみにしてます」

「ひまわりありがとうございましたー」

『はい。どうぞお気を付けてお帰り下さい』

 

 本日は運転手と薬草園でのご案内役。おまけに荷物持ち役まで買って出てくれた。

 なんともまあ甲斐甲斐しい覆面忍者に、リディアたちは手を振りながら。

 西城下町につながる連絡通路に進んだのであった。

 

§

 

 連絡通路は、大通りと違って人を5人並べたぐらいの幅しかない。

 通路の両側は、細い木で組まれた荒い斜め格子の垣根が設けられている。

 まっすぐ歩けば、自ずと城下町に辿り着くことが出来る。

 

 数歩歩いたところで、リディアたちは立ち止まる。

 ツクヨミが棒立ちで、まだ自分たちを見送っていやしないか気になったのだ。

 

「……いないね」

「ね? ぎりぎりまで言わなくてよかったでしょう?」

 

 恐る恐る振り返ったが、ツクヨミの姿はなかった。

 リディアの早急の依頼をこなすために、さっさとお城に向かったのだろう。

 

「ライザすごい……! 効果てきめんじゃない!」

「先に言っちゃうと、あの人はいじけると思ったのよ」

「さすが経験者。考えることが違うなぁ」

 

 リディアとライザは、お互い顔を見合わせてくすくす笑った。

 あの殺し文句の発案者はライザだ。

 

 —— —— ——

 ばら園でウルキに会ったことがきっかけで。

 リディアはエッジの思いを知ってしまった。

 ライザの勧めもあり、エッジにお花を無性に贈りたくなってしまった。

 

 早く桃ばらを届けて欲しい。お城に着いたらツクヨミとお別れしよう。

 そう決めて、薬草園の売店内でライザと作戦会議を開いた。

 ツクヨミはその間、売店の外で待っていたから何も知らない。

 

 ツクヨミは、城下町での荷物持ち。そして、ミストへ送っていくつもりでいるだろう。

 

『わたしたちは城下町に行きますけど、ツクヨミさんはエッジにお花を届けてもらわないといけないから、大通りでお別れですね』

 

 売店を出てすぐに、ツクヨミにそんなことを言ったら、間違いなくいじける。

 下手をすれば、国有艇に乗ったら城下町に寄らずにミストへ直行するかもしれない。

 だから……。

 

『これから城下町に行きます』

 

 ツクヨミに、このあとの予定を聞かれてもそう答えておけばいい。

 そして、別れ際に『今すぐ』と『大至急』を入れて、お仕事を頼めば。

 お互いに、後腐れなくお別れ出来るはず。

 —— —— ——

 

 ライザは以前、署名のお手伝いのお断りを入れたら。

 ツクヨミにいじけられて、署名用紙を奪われたことがある。

 彼女はその経験を元に、ツクヨミのしもべ心理を利用したのだ。

 

「やっぱり、ライザが朝言った通りかも……」

「え?」

「ツクヨミさん。しもべやってる時、すごくいきいきしてる」

「そうよ? あの人の生きがいは、『あなたを幸福にする』ことですもの」

「えー……」

「このお花。ツクヨミさんらしいチョイスよね」

 

 ライザがそう言いながら、ひまわりの花束をちょんちょん軽く指でつついてきた。

 その途端、記憶の奥に押し込めていた、ある言葉を思い出してしまい。

 表情を暗くさせてしまった。

 

 このひまわりは、リディアの幸せのお手伝いをしたいツクヨミからの暗なる伝言。

 ライザはそう言いたいようだけれど……。

 

「あら、ひまわり嫌だった?」

「違うの。もうひとつの方だったら、どうしよう……」

 

 売店でライザと花言葉の本を立ち読みした時。

 ひまわりの花言葉もついでに調べてみたら、2種類あった。

 

 —— —— ——

 ひとつはライザの言った、『あなたを幸福にする』。

 もうひとつは、『あなただけを見つめてる』。

 ……太陽を追うように、向きを変える花の習性から採用したと思われる。

 —— —— ——

 

 売店で立ち読み中。『あなただけを見つめてる』を目にして。

 リディアは顔を引きつらせたのは言うまでもない。

 

 元気で明るい自分に似合うから、ツクヨミはひまわりを買ってくれた!

 花言葉関係ない! そうだ、そうに決まってる!

 無理くりそう結論付けて、ひまわりの花言葉を記憶の片隅に押しやっていた。

 

「重度のファンなら、あれもアリでしょう」

「重度やだ。ライザぐらいがいいっ」

 

 実際のところ、ライザはほどほどちょうどよい感じ。

 親友とファンを上手く使い分けているようにも感じる。

 けれどツクヨミはライザと違う。こっちが及び腰になる時もしばしば。

 

「……嬉しいこと言ってくれるわね」

「あっ、あれはだめだめっ。一歩間違えたらストーカーだよ?……【……」

 

 ライザが、ぱあっと輝かしい表情に変わった。

 その隣で、なんでも好き放題会話が出来る『防音結界』の詠唱を唱える。

 

 あなたはファンのあるべき姿。

 信奉するリディアから、そんなことを言われたらライザが喜ばない訳がない。

 

「……】はい、張ったよ」

「ありがとう。じゃあ、行きましょう」

「うん」

 

 『防音結界』を張り終えて、再び歩き始めたライザの後に続こうとしたら。

 ふと遠くにたたずむエブラーナ城が視界に入り、足を止めてじいと見つめる。

 

(……近付けないや)

 まるで見えないいばらが、お城を取り囲んでいるように見える。

 一時だけ身近に感じられた、エブラーナ城の敷居が再び高くなってしまった。

 

 このお城の主——エッジと自分は、やはり住む世界が違う。

 自分たちは、身分という頑丈で高い壁に阻まれている。

 生まれながらのそれを、エッジもリディアも壊す勇気はなかった。

 

 それでもリディアは、国を愛するだけでなく。

 民を思い、民に慕われている『お館様』のエッジが大好きだ。

 

 エッジにはエブラーナをもっといい国に、民をもっと幸せにしてあげて欲しい。

 自分は海を越えて、遠く離れたミストからエッジとエブラーナを見守っていく。

 今までも、そしてこれからも……ずっと。

 

「がんばってね……エッジ」

 

 リディアは、エブラーナ城を視界に入れながら。

 そこにいるであろうエッジへ、小さな小さな声でエールを送った。

 

 エッジも長年葛藤しながら、リディアと一緒にいてくれたのだと思う。

 それでも、未来のために国と共に生きる覚悟を決めたのだ。

 セックスで絶頂の真っ只中に、口を滑らせてしまった形だけれど。

 リディアの思いを知り、満足してミストから消えたのかもしれない……。

 

「リディア」

「あっ」

「範囲出ちゃうわよー」

「ごめんごめんっ」

 

 ライザに名を呼ばれて、はっと我に返った。

 結界の範囲から出ぬよう、立ち止まってくれているライザの元に早足で追いつく。

 

(……喜んでくれるといいなあ)

 もうすぐツクヨミが、お花で感謝の言葉をエッジに届けてくれるはず。

 リディアは淡い期待を胸に抱えながら、更なるおみやげを求めて。

 ライザと肩を並べて、城下町へ向かったのであった。

 

 —— —— ——

 リディアははじめ、赤ばら4本をエッジに贈ろうと考えていた。

 けれど、重荷になるかもしれない。

 『今更遅っせえよ』と呆れられるかもしれない。

 だから桃ばら5本にしたなんて、エッジが知る日は来ないだろう。

 —— —— ——

 

(お花は贈らなかったけど……あたしは『エッジを愛してる』、『死ぬまで思いは変わらない』よ)

 

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