フェイクラバーズ 作:かえで
——8の月15日 午後5時半過ぎ
年に一度のお楽しみ、花火大会まであと1時間半。
リディアはジャンヌの自宅にやってきた。
ミゼルは花火大会の準備と緊急打ち合わせのために。
例年より早く出かけてしまい不在であった。
蒸し鶏。冷たいかぼちゃのスープ。パンにサラダ……。
夏向けのさっぱりメニューを、ノアとジャンヌの3人でいただいている。
「こんな日に陣痛か。あいつも運がないね」
「予定日。9月の頭だったんだよ……?」
(来るの早いよ……)
夕食1発目の話題は、アリサのことだ。
リディアはジャンヌとノアに一部始終を話し終えてから。
不満たらたらな顔で蒸し鶏を小さく切り、口の中にぽいっと入れた。
—— —— ——
リディアは、エッジがミストに来なくなってしまった。
アリサは、家族よりも友だちを優先するようになった息子たち。
そして、花火大会の仕事を掛け持ちし始めた夫に愛想を尽かしつつあった。
利害一致とばかりに、ふたりは一緒に花火遊びをすることに決めていた。
ライザは、毎年花火大会には家族で参加している。邪魔をしたくない。
リディアは、この日をとても楽しみにしていた。
アリサとふたりで遊ぶことは、そうそう滅多にないから。
『早く夜にならないかしらー』
アリサも本日の昼集合で、お昼ごはんを食べながら何度そう口にしていた。
しかし、世の中はそんなに甘くなかった。
午後4時半過ぎ。アイスの運搬と冷凍作業を終えてから。
リディアとツクヨミが公民館を出ようとした矢先。
ふたりの前に、アリサの長男オリバが慌てたような表情で現れた。
『せんせー大変! かーさんが……!!』
午後4時すぎに、突然陣痛が始まってしまったという。
そして、オリバは母親からの伝言を届けてくれた。
『今日は無理ー。本当にごめーん!』
—— —— ——
アリサは現在、定住医アイリスの診療所兼自宅の一室で。
波のように襲ってくる陣痛で苦しんでいると思われる。
「しょうがないだろ。臨月に入ってたし、予定日にきっかり陣痛が来る訳じゃないんだから」
「そうだけど……」
ジャンヌからの慰めも、この時あまり効果はなかった。
(一昨日のアレで陣痛が早く来ちゃったんだ……!)
リディアは心の中で、自身たちの運のなさを呪いながらも。
アリサへの恨みも垂れていた……。
—— —— ——
一昨日。エブラーナのお嬢さまリンと彼女のお母様が、ミストに現れた。
お嬢さまは、リディアたちに自身の美貌を誇ったが、正直どうでもよかった。
むしろ、田舎娘と言ってくれて嬉しかったのでお礼を言ってあげた。
ノーダメージで終わり、つまらなさそうにミストから帰ろうとする。
そんな母娘をアリサが煽った結果……。
『ど庶民が生意気なこと言いやがって……! その腹かっ裂いてやってもいいんだぞ!?』
リンから怒りの言葉を引き出した上に、刃の先を向けられた。
—— —— ——
(お腹の中にいた赤ん坊が怖くなって、慌てて動き出したんじゃ……)
こんなに早く陣痛がやってきたのは、実はアリサ自身のせいでは??
どうしても、リディアはそう思ってしまうのだ。
「オリバのお母さん、大丈夫でしょうか?」
「経験者も医者もいるんだ。よほどじゃないと大ごとにはならないよ」
「オリバも花火どころじゃないですよね。お母さんのことが心配で……」
ジャンヌがお行儀悪く、スープを音を立ててすする。
一方で、その隣に座るノアが不安げな顔でパンをちぎっている。
(普段仲良くないのに、いい子だなあ)
ノアは悪ガキのオリバと親しい訳ではない。
ミストに来て早々、からかわれていたベスとユノをかばって、オリバと大けんかをした。
それが唯一の接点というぐらいには。
それでもほぼ毎日、同じ部屋で過ごす仲間だからか。
オリバのことを気がかりに思っているようだ。
「あいつに限ってそれはないな」
「たぶん、オリバたちは花火してアイス食べたら、おうち帰って寝るんじゃないかな。ラルフさんは付き添うらしいけど」
「ええ? お母さんのそばで待っていないんですか?」
「オリバはこれで3回目だからなぁ」
「明日も学習や講座があるからね」
「あ、そうだった……」
「アリサのご両親が今こっちに来てるし、おうちのことは心配いらないの」
「子どもなのにどっしり構えちゃって、すごいなあ……!」
オリバを褒め終えると、ノアが小さくちぎったパンをひとつ口に入れた。
(やっぱり、この子はポロムと同じタイプみたい)
ジャンヌと対照的に食事マナーをきっかり守る。周囲への気遣いも出来る。
リディアは、そんなノアに本日も感心するばかり。
ノアは黒魔法の適性はやや低め。
その一方で、既に全科目独学レベルに到達しており、とても頭が良い子どもであった。
現在『学習』では独学か、ベスやユノに理数科目を教えている。
「お産って、どれぐらいかかるものなんですか?」
「4時すぎから陣痛始まったって言うから、そうだね……」
「今日中には生まれるよ」
「そんなに長いんですか!?」
「これでも短い方だよ。ふたり目からは時間かからないって言われてるから」
「初めてだと10時間はかかるって言うぞ?」
「……大変なんですね」
お産の実態を聞かされるうちに、ノアの顔が青ざめていく。
彼はひとりっ子。お産を間近で見た経験がなかったのだろう。
頭が良くても、それについてはよく知らなかったようだ。
「はあーあ……」
そんなノアの隣で、ジャンヌがサラダをぼつぼつ口にしていたが。
突然フォークを机の上に置いて、ため息をつくと頬杖をついた。
やはり、お行儀がよろしいとは言えない。
「どうしたの、おばちゃん」
「……女は男からもっと敬われるべきなのに。この世は不条理だと思ってな」
「出産育児が控えてるもんね」
「それが現実にゃ、嫁や子どもをおざなりにして、若い女や酒とばくちにうつつ抜かす奴が多いからねぇ」
「わかるなぁ。ここにもそういうおじさんいっぱいいるもん」
ジャンヌの男女論は往々にして当たっている。
リディアもミストに戻ってきて、結婚の理想と現実を目の当たりにしたから。
—— —— ——
奥さんのことを、ぞんざいに扱う旦那さんが予想以上に多かった。
奥さんは妊娠や出産、そして育児。
女性しか出来ない、女性がメインのお仕事を抱えているのに……。
この世の全ての夫婦が、死ぬまで仲睦まじく暮らす訳ではないのだと学習した。
§
先日の寄合なんて、まあわかりやすかった。
白魔法講座でミストに派遣される講師が若い男性に決まった。そう発表された途端。
『なんだよ。若くて綺麗な女性にしろって言ったのに……』
おじさん——出席者の男性が、ぶーぶー文句を言っていた。
逆に女性出席者は、『やったわ!』『イケメンかも?』と喜んでいたけれど……。
—— —— ——
小説や架空の話のように結婚したら、めでたしめでたし。
そう思っていたら、とんだ大間違いだった。
「わっ」
「おまえはそんな男になっちゃだめだぞぉ?」
ジャンヌがノアの頭をぽんと叩いた。
将来女性をないがしろにするような男にならないよう、祈願を込めたと思われる。
ノアはジャンヌとふたりでいる時は親子のよう。
ミゼルとも仲がいいが、こちらは割とドライな関係を築いている。
「もちろんですよ。でも、ラルフさんもそんな方じゃなさそうです」
「あの人は、まあアリサひとすじだから……」
「散々頭下げて、いっぱいモノ貢いで、やっと結婚してもらったぐらいだからね」
(それでもアリサは、ギルバートにめろめろなんだよねえ)
立場逆転しているアリサのところはさておき。
リディアがよく知る夫婦は、ほとんどの者が限りなく円満に近い。
セシルやヤン。ライザのところもそう。
伴侶を差し置いて、若い女性になびくような男性はいない。
そして、もうひとり……。
「ミゼルさんもいっしょだと思います」
「……そうだね。あたしみたいな出来損ないに、声をかけてきたのはあいつだけだからね」
「何言ってるんですか。ジャンヌさんは出来損ないじゃありません」
「ははっ、まあとんだ物好きもいたってことさ」
(おばちゃん、そんなこと言わないで……)
ジャンヌが軽く笑った。
しかし、ノアはそれが自嘲だと気付いていないだろう。
—— —— ——
子どもが作れない。
この世には、そんな理由で強い劣等感を抱く者が多い。
そのひとりであるジャンヌは、決して口にはしないけれど。
心の中でアリサをうらやましいと思っているはず。
仮に今リディアとふたりだけで食事をしていたら。
ジャンヌは自らを『女の出来損ない』と称していただろう。
—— —— ——
何も事情を知らないノアに配慮して、あえて『女』を付けなかった。
そんな気丈なジャンヌを見る度に、リディアは胸が痛くなる。
「——それよか、おまえ。今日どうするんだ?」
「えっ」
「アリサと約束してたろ?」
「あぁ、ライザたちと一緒に発着場であそぶよ」
ジャンヌが話題をすぐさま変えてくれた。
出来るだけ、出産や子作りの話題には触れたくないからだろう。
彼女はこういった時になると、すぐ機転を利かせる。
—— —— ——
アリサの話を聞いてライザが、先ほどリディアの自宅までわざわざ来てくれた。
『ベスもユノも喜ぶわ。わたしたちといっしょに遊びましょう』
本日は緊急事態。ライザの夫には申し訳ないが、お誘いに甘えることにした。
—— —— ——
「ボクたちと一緒に花火できますね」
「そうだね。今日はよろしくね」
「はいっ」
ノアも発着場で、ベスとユノと一緒に花火遊びすることになっている。
あとは、ミゼルの代わりにジャンヌは時折広場へ様子をのぞきに行く。
そのお供をするだろう。
—— —— ——
花火大会は昨年から、主会場の広場ではなく。
サブ会場の発着場で遊ぶ住民が増えてきている。
昨年に続き、今年もミゼルやミストの子どもと大人十数人が。
発着場でツクヨミが行う、花火の打ち上げ作業を見守る予定になっている。
それに併せて、発着場でもおもちゃ花火を楽しめるようになったから。
ライザ一家は家族全員、人が少ない場所を好む。
そのため、去年から発着場で遊んでいる。
ローレルやエライア——ユライシャたち、村から逃げたミスト出身者もミストに来訪。
発着場でこっそり花火を楽しむ予定になっている。
—— —— ——
(来年はアリサと花火出来るといいなあ……)
ミストは、住民のほぼ全員が顔見知り。
わざわざ誰かと約束する必要はないのだが、アリサは胸中複雑だろう。
ライザ抜きでリディアを独り占め出来る、絶好の機会だったのだから。
「それでいいよ。特に今年は発着場にいた方が安全だ」
「……アドニス、今日はトロイアへオペラ観にいくんでしょ?」
「そうだぞ」
アドニスは田舎のお祭りより、華やかで贅沢な観劇の方がお好みのようだ。
(いっそのこと、毎日オペラやってくれないかなあ……)
彼が近所の住民に、『主演女優がすげえ綺麗な子でさ。生で拝めるんだぜ』と自慢げに話していた。
そんな噂が、先週リディアやジャンヌが住む南区画にも流れてきていたし。
今頃、意気揚々とトロイアの劇場へ向かっているに違いない。
「じゃあ、何も心配することないじゃない」
「今度の村長決め、アドニスが出るんだってさ」
「……え、キロンさんじゃないの??」
「あいつは親父に比べて、人当たりはいいだろ?」
「ああ、そうだね……」
よそ者。魔法が使えないか、あまり使えない者を見ると。
キロンは露骨に上から目線の態度を取るが、アドニスはそこまでひどくない。
もっとも、低レベル同士の争いだけど。
「表向きはアドニスにしといて、親父が院政敷くんだよ。——ミゼルに勝てたら、な」
(こんなイメージ悪い世代交代もないよ……)
ジャンヌがそう言ってから、ずずーっと音を立てながらスープをすすっている。
リディアはそれを見ながら、どんよりとした気分になる。
「それ、おばちゃんいつ聞いたの?」
「今日こっちに流れてきた。まだあるぞ?」
「えー?」
「アドニスの奴。村長になったらおまえと結婚するって自分で言いふらしてるらしいぞぉー?」
(結婚……??)
お化けが出ますとばかりに、ジャンヌがおどけたように話した。
リディアは一瞬口を開けたまま。しばらくそれを反すうする。
「う、うそでしょ!?」
がちゃん!!
話を理解するやいなや、大きな音を立てながらフォークをお皿の上に置いた。
「やだもう……ずっと大人しかったのに……!」
「おまえがちっともよろめかないから、村長決めに便乗して外堀から埋める作戦に変えたんだろ」
「何してもよろめかないよ!!」
(どうせ昨日のGを読んだんだ……!!)
アドニスは遊び人。大衆紙を読まない訳がない。
Gの記事を読んで、リンの真似とばかりに当事者そっちのけで。
周囲から重圧を掛けようとしているようだ。
よくもばかばかしいことをやってくれる。
何があってもアドニスと、お付き合いしたり結婚したりする訳がないのに。
***
——昨日
夕方、ミゼルが自宅に2日分の新聞を届けてくれた。
「読んで驚いちゃだめだよ?」
「え」
「じゃあね」
「あっ、うん……」
ミゼルがにやにや顔でリディアに新聞を渡すと、さっさと帰っていった。
(何かびっくりするニュースがあったのかな?)
そう不思議に思いながら、その日の夜。
届けてもらった新聞に目を通していたら、この日の大衆紙Gの一面に目が留まった。
「こ、この人……!?」
そこに載っていた肖像画の女性が、前日ミストに現れたリンにそっくり。
正直なところ、実物よりもやたら綺麗に描かれていた。
更に記事を読んで、ミゼルの捨て台詞の意味がわかった。
—— —— ——
リンは、エブラーナのとても有名なお家のお嬢さま。
自ら新聞社Gを訪れて、記者にこう話したと書いてあった。
『私はエブラーナ国王を愛しております。この先、王妃として祖国と国王を支えるために、逆プロポーズをするつもりです』
リンは新聞を使って、エッジへ告白したようなものである。
(王族って今、エッジしかいないじゃない……)
しかも、その家に生まれた女性は、王族の男性を好きになる。
男性も、王族の誰かを敬愛して部下——しもべになりたがる。
リンもその血にならい、エッジに恋情を寄せている。そう書かれていた。
なお、当のエッジのコメントは一言も載っていなかった。
—— —— ——
あの日。リンとその母親は、ダムシアンのGへ行く前に。
お館様が惚れた召喚士は、一体どんな女なのか確かめるためにミストに来たようだ。
ミゼルに追い出されたのは、計算に入っていなかったかもしれない。
けれど、リディアに美貌で(一方的に)マウントを取れたし。
こうしてGに記事にしてもらったから、無事に目的を達成したと見える。
『もし、あの場で王妃宣言されてたら、あの女のことぶん殴ってたわー。あっ、ついでにエッジ様もぉー』
今日の昼集合の時に、Gの記事を読んだ感想の最後に。
アリサがそんな不穏なことを口にしたのは、ここだけの話。
***
(おじちゃんが負けるとは思えないけど、何があるかわかんないし……)
それよりも問題は、来月の村長決め。
アドニスが、公約のひとつにリディアとの結婚を入れているようなものだ。
もしミゼルが彼に負けた暁には、ミストを脱出せねばならない。
「Gを読んだ奴らがおまえに王様のこと聞くために発着場にやってくるぞ?」
「えっ、わざわざ?」
「仮に王様があの娘と婚約でもしてみろ」
「!?」
「王様が他の女と結婚するためにおまえを捨てた。ついでにミストも用済みになったって、みんな思っちまうだろうね」
「そんなぁ……」
「アドニスは、王様が逆プロポーズを受けると思い込んでる。それに先駆けて、あいつは王様の悪口も言いふらしてるようだぞ」
エッジは9年近くに渡り、ミストの住民から親しまれていた。
頻繁にミストに顔を出して、住民と世間話に興じたり。
誰にも頼まれていないのに、リディアをカルミネから救出してくれたりしてくれた。
国王なのに全く偉ぶらず、花火大会には毎年欠かせない存在だった。
今はリンが、エッジのことを好き好き大好き。そう一方的に訴えているだけ。
しかし、今後のエッジの対応次第では、ミストの住民のエッジを見る目がころっと変わる。
アドニスも、エッジのネガティブキャンペーンを始めたから尚更。
そう言いたげなジャンヌに、リディアは複雑な思いでしかない。
「……それだけでエッジのこと悪く思っちゃうって、ちょっと勝手じゃない?」
「おまえは王様とは古くからの仲間で情があるから、そう感じてもしょうがないね。けど、あたしや他の奴らは違うぞ」
「お、おばちゃんまで悪く言っちゃうの!?」
「花火の契約途中で投げ出して、兄さんに丸投げしてから印象よくないんだよ」
「あぁ……」
「おまえにゃ悪いがね。大抵の奴はあたしと同じ意見になると思うぞ? まあ、何聞かれても適当にあしらっとくんだね」
大きくちぎったパンを、ジャンヌが口の中にほおり込み。
面白くなさそうな顔で、むぐむぐ咀嚼する。
(エッジがみんなから悪く思われるなんて、やだ……)
仮にリンと破談になっても、いつかエッジは王妃を娶るはず。
嫌でも、エッジがミストの住民から悪く思われる未来はやってくる。
ミストの住民総アリサ状態なんて考えたくもない。
それでも、エッジがどんなに悪く思われようが言われようが。
リディアはエッジの人生見守り人として、エッジが決めたことを支持するつもりだ。
ただ、リンはエッジを支えるどころか足を引っ張る女性にしか見えないけれど。
「おじちゃん……」
「む゛ぅ?」
「おじちゃんは、エッジに怒らないでしょ?」
本日のパンはやたら固いのに、大きくちぎったせいか。
未だむごむご咀嚼を続けるジャンヌにたずねてみた。
(新聞届けてくれた時、へらへらしてたもん)
ミゼルまでエッジの悪口を言い始めたら、もはや末期症状と言っていい。
「……っ、あいつは、よそ様のプライベートにゃ関心ないだろ」
ジャンヌがパンを咀嚼しながら、何か考え込んでいたようだが。
やっとそれをごくりと飲み込んでから答えてくれた。
「やっぱりそうだよね」
「あいつがブチ切れるとしたら……ミストがエブラーナから縁切りされた時ぐらいじゃないか?」
—— —— ——
ミストは召喚士育成という要素を除けば、普通の農村と何ら変わらない。
そんな村で、リディアは唯一召喚術や黒魔法を使いこなせる実力者。
他の住民とは違い、やや特殊な立ち位置にいる。
そんなリディアに何かあった時のために。
ミゼルは、エッジがいるエブラーナをとても頼りにしている。
エッジから、エブラーナとの関係を一方的に切られると言うことは。
リディアを完全に見捨てるのと変わらない。
ミゼルにとって、それがエッジに対して何より許しがたいこと。
特殊な幼少期を過ごしたからか。ゼロで頭が良すぎるからか。
理由は知らないが、ミゼルの怒りの沸点は普通の人より倍の倍以上高い。
その分、沸点を超えたら怒り狂う。
先の月の寄合で、リディアや住民はその姿を見て知っている。
もし、ミストがエブラーナから縁切りされた暁には。
ミゼルは知恵を絞って、エッジにとんでもない報復をするだろう。
—— —— ——
(さすがおじちゃんの奥さん……!)
夫を知るに知るジャンヌの予測は納得のいくもの。
心の中で同意するリディアの視界に、ふとノアの姿が入ってきた。
「……」
ノアが、食事の手を止めて大きく顔をうつむかせている。
(まだ半分以上ごはん残っているのに……)
ノアはエッジの名を知っていても、実際に会ったことはない。
それなのに、なぜ知らない人の話でこうも暗い顔をしているのか。
「ノア、どうしたの?」
「え!?」
「手が止まってるよ?」
「ご、ごめんなさい。ぼーっとしてました。——早く食べなきゃ」
ノアが慌ててスプーンに持ち替えると、スープをすすり始めた。
「なんだい、しけた面しやがって」
「いたっ」
「花火が嫌なら、ここで留守番してるか?」
ジャンヌが怪訝そうな表情で、ノアの頭をこつんと叩いた。
「い、嫌ですっ。ここは打ち上げ花火が見られるって聞いて、ボクずっと楽しみにしてたんです」
「それ、本当か?」
「本当です。アガルトの花火大会はおもちゃ花火だけしかなかったんですよ?」
「……打ち上げ花火やらないの!?」
「はい。上空に星があるから、花火上げる必要なんかないって……」
「なにそれ。一瞬で終わっちゃうのに、変なの」
ノアの話を聞いて、リディアは呆れた。
ノアの故郷、アガルトの村には世界最大の天体望遠鏡を備えるコリオ天文台がある。
そのため、天文と密接な関係がある村と言われているけれど。
星空に対抗して打ち上げ花火なしとは、ずいぶんもったいない話である。
「……去年から非公式で始まってんだよなあ」
「っ!?」
ジャンヌが小さい声で何かつぶやいたが、よく聞こえなかった。
しかし、ノアははっと我に返ったような表情で、身体を固まらせている。
「おばちゃん、なんか言った?」
「いや、なんでもないよ」
「そう……」
「さ、もう1時間切った。さっさと食べないと花火が始まっちまう」
「うん」
「はいっ」
リディアとノアは、ジャンヌに促されて食を再開させた。
それから、話題はミゼルの悪口と言う名のからかい話に変わり。
夕食の時間は平穏に過ぎていったのであった。
§
それから約2時間後。5発の打ち上げ花火がミストの夜空に舞い上がり。
今年の花火大会もつつがなく終了した。
リディアは終始発着場にいた。
ライザの家族やノアたちと、おもちゃ花火で遊んで、みんなで打ち上げ花火を鑑賞した。
エライア——ユライシャも約束通り、家族を連れて花火を見にきてくれたし。
ローレル一家と久しぶりに再会した。
しかし、ジャンヌの忠告通り。
Gの記事を見たか、アドニス本人から話を聞いたのか。
『エッジ様が婚約したら、あんたどうする(略)』
『あんた、アドニスのことどう思って(略)』
などと、リディアに聞いてくる住民がまあ多かった。
そのためだけに、わざわざ広場から発着場に来る人もいたぐらいだ。
全て知らぬ存ぜぬで通したが、あまり気分はいいものではない。
何より、花火で遊んでいる間も、親友が陣痛に苦しんでいる。
そう思うと、年に一度の楽しい花火にもかかわらず。
リディアは心の底から楽しむことが出来なかった。
——午後9時すぎ
花火も後片付けも全て終わった。
リディアとライザ、ライザの娘ベスとユノ。そして某1名は、発着場を後にした。
公民館の事務室に寄って、余りのアイス5つを袋に入れてから。
ウリエルとアイリスの診療所兼自宅へ向かっている最中である。
リディアとライザの少し後に、ライザの娘ふたりと某1名——ツクヨミが続く。
「ねえねえ、しろぎつねさん」
ユノが、ツクヨミの腰回りにひっつきながら声をかけている。
『はい、何でしょう?』
白狐のお面からそのまま取ったあだ名で呼ばれたのに。
ツクヨミは全く怒らない。それどころか、ご機嫌な声で返事をしている。
(……もうちょっとひねったネーミングにしようよ)
先を歩くリディアとライザは、肩越しから後ろの様子をちらちら伺いながら。
聞き耳を立てて、ユノの次の言葉を待った。
「えっと、あのね……」
「先生のこと……本当に守ってくれる?」
言いよどんでいるユノの代わりに、姉のベスがたずねた。
すると、ツクヨミはその場にしゃがみ、ベスやユノと目線を合わせてこう口にした。
『当然でございます。暗い夜道をリディアさまひとりでは歩かせられませんからね』
「すごーい」
「それなら……わたしたちの分も、先生守って……おねがい」
「しろぎつねさん、おねがい」
『はい。かしこまりました』
「やったぁ」
「……よかった」
お願いにツクヨミが明るい声で応じてくれたことで。
ベスとユノが大喜びしながら、立ち上がったツクヨミの背中や腕をぽんぽん叩き始めた。
「お姉ちゃん、たのんでよかったね」
「ミゼルさんより……絶対いい人だと思ってたけど……本当にそうだったね」
先を歩いていたリディアとライザは、3人の様子を肩越しから見ていたが。
何とも言えない表情で前を向き、ふたり同時に息をついた。
「あんな呼び方されて、怒ってるんじゃないかしら」
「それもだし、あのやりとり。もう3回目だよ??」
「本当にごめんなさい……ベスとユノのせいで……」
満ちた月と灯球に照らされた、ライザの顔が本当に申し訳なさそうに見える。
「気にしなくていいの。わたしが全部悪いんだもん」
「『短眠の術』が使えなかったら、あの人にお断り出来たのに……」
「どうせ、ウリエル先生は酔っぱらって寝ちゃうだろうし、ラルフさんもくたびれてるから頼み辛いもん。これでよかったんだよ」
ツクヨミに出来る限り聞こえぬように、ライザとひそひそ声で話す。
我を通した自分が悪いのだから、そこまで気にしなくていいのに。そう思いながら。
***
——1時間ほど前
夕食の時は、アリサを恨みがましく思っていた。
しかし、お産は母子ともに命を落とす可能性もある。
人生通算4回目のお産でも、やっぱりアリサが心配でたまらない。
「これが終わったら、アリサの様子をのぞきに行こうと思うの」
おもちゃ花火で遊びながら、リディアはライザにそう告げた。
「そう? なら、わたしも診療所へ行くわ」
「え、ユノとベスは?」
「お父さんと一緒に帰ってもらうか。一緒に連れていくか……どっちにしろ長居は出来ないけどね」
ライザは診療所に顔を出してすぐ帰るつもりだという。
一方、リディアは……。
「わたし、アイリス先生やラルフさんからお許しもらえたら、赤ちゃん産まれるまで付き合っていたいなぁ」
「気持ちはわかるけど、帰りがひとりになっちゃうわよ」
「それなんだよね……」
ライザは先に帰る。そうなると、リディアはひとりで自宅に帰らなければならない。
—— —— ——
ミゼルが人格豹変した、先月後半の寄合が終わってから。
リディアは、アドニスや西区画の住民を更に警戒するようになった。
そのため、ひとりでは昼も夜も極力外を出歩かないようにしていた。
—— —— ——
「それなら、氷球を使ってミゼルさんかジャンヌさんに迎えに来てもらったらどうかしら?」
「何時に産まれるわからないじゃない。真夜中だと起こしちゃうよ」
「やっぱり、あなたも顔を出すだけにした方がいいと思うわ。明日も朝早いでしょ?」
「でも、こういうこと滅多にないし、アリサ心配だし……最後まで近くにいてあげたいよ……」
「困ったわね。あなたを喜んで送ってくれそうな人って、ツクヨミさんぐらいしかいないじゃない」
「あの人は……」
「さすがに今日はだめね」
ライザが適任者としてツクヨミを思いついたが。ふたりで同時に首を横に振った。
あの忍者がこれを聞けば、絶対に行き帰りの護衛を申し出る。
リディアが家に帰るまで、ミストに残るに決まっている。
例え、帰りが午前2時や早朝5時になろうが……ずーっと。
ミストの住民ならまだしも、彼は異国の忍者。そんな無謀なお願いはできない。
「ツクヨミさんには、すぐエブラーナに帰ってもらわなきゃ」
「終わってからの予定、教えちゃだめだね」
「知られたら最後よ? 念のため、ベスたちにも口止めしておきましょう」
帰り道はアイリスの夫で、酔いどれ老医師のウリエルか。
アリサのことが心配で、夕方から診療所にいるラルフ。
どちらかに付き添いを頼むことに決めた。
§
花火大会も無事に終わり、リディアたちは発着場で片付けを始めた。
あともう少しで、ツクヨミにお帰りしてもらえる。
そう思っていたところに、思わぬ伏兵があられた。
「お母さん」
「せんせーい」
「どうしたの?」
「どうした……ええっ!?」
ベスとユノに声をかけられて、振り返ってみれば。
ふたりの背後に、なんと白狐のお面をかぶった忍者が立っていた。
「しろぎつねさんが、せんせいの送り迎えしてくれるって言ってくれたよ」
「よかったね……先生」
『お嬢様方から、お話を伺いました。リディアさまの護衛をさせていただきます』
「あ、あの……」
ベスたちから話を聞いたようで、ツクヨミが護衛を申し出た。
「ベスもユノも、診療所に行くこと内緒って言ったのに……だめじゃない……」
「でも、わたしたちはお母さんと一緒に帰るけど、せんせいはそうじゃないよね」
「先生をきちんと送ってくれそうな人……ツクヨミさんぐらいしかいないんでしょ?」
「まあ、あなたたち……!」
「話、聞いてたの!?」
「うん」
(いつの間に……!)
ベスとユノも、アリサの様子を見に行くことになっていた。
その際、ツクヨミに言わないよう口止めしていたのに。
ふたりは、花火で遊んでいる最中。母親と先生の会話に聞き耳を立てていたらしい。
「先生……危ないよ」
「わたしたち心配でねむれないよ」
「だから……ユノと相談して……ツクヨミさんに教えてあげようってきめたの」
ベスとユノも母親と同様、リディアのファン。
子どもながら、リディアの身を案じたのだろう。
母親と先生が、他の大人たちと片付け作業をしている隙に。
打ち上げ台の解体作業に勤しんでいた、ツクヨミに突撃していたようだ。
「申し訳ありませんが、今日はお断りします」
『なぜでしょう』
「明日もお仕事あるでしょ?」
『いえ、今日と明日は非番です』
「うっ……」
「いつ産まれるかわかりません。睡眠不足になりますよ?」
『「短眠の術」を使えば、2時間で半日分確保できます』
リディアとライザが、無茶だと止めたにもかかわらず。
ツクヨミは頑として折れなかった。
「ここまで言うんですもの。もうお願いしたら?」
「そうだね……」
ここで断れば、ベスとユノの気持ちも踏みにじることになる。
反論材料も尽きてしまい、リディアたちは折れざるを得なかった。
***
「でも、ベスとユノが男の人に懐くなんて珍しいわ……」
敗因はリディアもライザも、ベスとユノの行動を読めなかったこと。
口止めしたのもあるが、ふたりが男性のツクヨミに話しかける訳がない。
そう思い込んでいたのだ。
「ベスがはっきりいい人って言うぐらいだもん。相当だよ?」
「主人いなくてよかったわ。あんなベスたち見たら、やきもち焼いちゃう……」
花火の最中。ベスとユノは両親かリディアやノアのそばにくっついていた。
それが今はどうだ。
ベスは親しい人以外、他人をほめない。
なのに、ミゼル以上のいい人だとツクヨミをほめちぎっている。
ユノははしゃいで、ツクヨミにしがみついている。
ふたりが父親以外の大人の男性に心を開く姿を、生まれて初めて見た。
「いい加減、わたしのボランティア卒業してほしいよ」
「お礼するってこと?」
「うん……本物のしもべはお給料をもらえるけど、あの人。何もないもん」
(どうせ、やめてって言っても聞かないし……)
リディアは、渋々レベルでツクヨミの行動を容認するようになっていた。
過剰にならない程度で、幸せになるお手伝いを好きにやっていただいても構わない。
ただ、クリスマスの夜にケーキを届けてくれた時以外。
ツクヨミがお礼を受け取らないことが、どうしても納得いかない。
執事や家令……しもべのような職業の人たちは、何かしら報酬をもらっている。
恋人どころか、未だ友人と呼べる関係でもない人から。
善意、かつ無償でお手伝いを買って出られると心苦しいのだ。
「あなたは特にそう感じるでしょうね」
「ギルバートや俳優女優のファンは、きちんとお金を払って見返りいただいてるよ?」
—— —— ——
アリサなんか、年複数回の演奏会のチケット代。愛好会の年会費……。
ギルバートのために、これでもかと(夫が稼いだ)お金を注ぎ込んでいる。
その分、信奉対象のご尊顔と歌声で、精神的対価をいただいているけれど。
—— —— ——
「あの人にお金払う必要はないと思うけど、お礼を拒否するのはちょっと度が越えてるわ」
「そうそう。こっちの気持ち考えてくれないの……」
ツクヨミも、そんなにファンかしもべを極めたいなら。
いい加減お礼を受け取るべきではないか?? そう思えてならない。
「じゃあ、わたしは署名のお礼にフロランタンを渡してあげようかしら」
「それなら、わたしもブラウ」
「——甘いものは、あなただめよ」
「うう」
ライザに遮られた上に、至極的確な指摘で息を詰まらせる。
ライザを見習って、ブラウニーを渡しても意味がない。
どうせ、『あなたが食べてください』と突っ返されてしまうオチが見えている。
下手をしたら、ライザが渡したフロランタンまで、こちらに回ってくる可能性がある。
「っ、ふふっ」
「えー? 何笑ってるの?」
「それに、ね……渡す前に、あなたが全部食べちゃいそう……!」
「っ、そんなことないもーん……」
控えめながらも肩を震わせてまで笑うライザ。
リディアはぼやくように反論したが、自信はまったくない。
出来上がったブラウニーを、味見として一口食べたら最後だ。
調子に乗って甘い甘いと言いながら、ぽいぽい口に入れる。
気が付けば、すずめの涙ほどしか残っていなかった……。
そんな自分の姿を、自ら容易に想像出来るぐらいなのだから。
§
しばらく夜道を歩いていると、診療所に到着していた。
「……!!」
「!!」
「……」
中から、アリサの叫び声が混じった、女性たちの声が聞こえてくる。
「アリサ、辛そう……」
「男の人の声が全然聞こえないね」
「ラルフさんは下で待っているんでしょう」
アイリスの夫ウリエルは、アリサのお産に一切ノータッチ。
今頃どこかの宴会に参加しているはず。
「じゃあ、行こ」
「——お母さん、先生。待って」
「え?」
「どうしたの、ベス?」
アイリスの自宅の扉をリディアが叩こうとした時。
ベスに呼び止められ、リディアとライザが振り向いてみれば。
ツクヨミ、そして彼の腰回りにベスとユノがひっついている状態で。
月明かりと火球に照らされていた。
「ツクヨミさんが……大事なお願いがあるんだって……」
§
それから2、3分してから、リディアが玄関の扉を数度叩くと。
顔を出したのは、予想通りアリサの夫ラルフだった。
「やあ、お疲れ様」
部屋の奥で、女性たちが上げる大きな声を背に浴びながら。
ラルフが笑みをこぼすも、疲労の色がにじみ出ている。
「こんばんわ。余興お疲れさまでした」
「反応どうでした?」
ラルフは花火大会で、いくつかの仕事を受け持っていたが。
妻のお産を知り、他の住民が申し出てくれたおかげで。
ほぼすべての仕事を代わってもらうことが出来た。
唯一任されたのが、広場で行われたおもちゃの打ち上げ花火の点火役。
エッジの後任でもある、子どもを笑わせる難しいお役目である。
ただ、ずっと発着場にいたリディアたちはそれを見ていない。
「……息子のおかげで、なんとか笑ってもらえたよ」
(またオリバに『デブ』って言われちゃったんだ)
ラルフが困ったような顔で答えたことで、当時の光景が容易に想像出来た。
「それよりベスたちまで連れて、こんな遅くにどうしたんだい?」
「アリサの様子を見にがてら、アイスの差し入れに来ました」
「うあぁ、すっかり忘れてたぁ……!」
リディアがアイスが入った袋をさっと見せてあげれば。
ラルフが目が覚めたように、いきいきした表情に変わった。
ラルフはアイスやお菓子、お酒……。なんでもござれの大食漢。
愛妻の身を案じるがゆえに、本日はアイスどころではなかったらしい。
「ラルフさんも、みなさんも食べてないと思ったので」
「赤ちゃん産んだらアリサも食べるかもしれないし……」
「わざわざありがとう。先生たちにも休憩がてら食べてもらおう。どうぞ中に入って」
ラルフに促されて、リディアたちは診療所の中にぞろぞろ入る。
ライザが扉を閉める前に、リディアも一緒に外を眺めてみたが。
ツクヨミの姿は周辺には見当たらない。
「……ベス、ユノ。中に入っても余計なこと言っちゃだめよ」
「はーい」
「わかった」
ラルフが2階の処置室でアイリスと扉越しで話をしている間。
ライザが子どもたちに、ひそひそ声で口止めを促した。
「あの人が、わたしたちにお願いごとなんて珍しいわ」
「何も遠慮する必要ないのにね」
—— —— ——
リディアが玄関の扉を叩く前。ツクヨミから、こんなお願いをされた。
『リディアさまがお帰りになるまで外でお待ちしております。僕が来ていると言うことはみなさんに秘密にしておいてください』
彼はそう言い残すと、ぱっと姿を消してしまった。
—— —— ——
「まだまだミストのお客さん気分が抜けていないのかもしれないわね……」
リディアはうんうんうなずき、ライザに賛同する。
夜更けと言っても、この季節の野外は暑い。
一緒に診療所の中で待っていればいいのに、なぜしないのか?
—— —— ——
アイリスとウリエルにとって、ミストは人生の終の棲家でもあり。
医師としての、最後のおつとめ場でもある。
ふたりの診療所兼自宅は、北に位置するぽつんと一軒家。
元々はローレルと彼の妻の新居だ。
ミストでは珍しい2階建て住宅で、居間はだだっ広く、居間以外に部屋がなんと5つもある。
ローレル夫婦は、子どもがたくさん欲しくて大きな家を注文した。
設計担当のラルフからそう聞いている。
ところが2年前に新居で暮らし始めてすぐ。
妻がカイポ出身という理由で、ローレルの母親に嫌がらせされ続けた。
夫婦はカイポに移住。それ以来、ここはずっと空き家だった。
それが、今年の1の月。春からミストの派遣医として働くように。
ウリエルとアイリスは、バロン国王セシルからそんな勅命をいただいた。
翌日、ふたりはミストに事前見学にやってきて早々から。
ここに定住すると訴えて、ミゼルと共に空き家探しを始めた。
その際、ウリエルがこの家に目をつけたのだ。
『この広さなら診療所に使える。わしはここで暮らしたいのー』
『ぼくの一存では決められないんですよ』
『なぜじゃ』
『今は空き家ですけど、家主がいますから』
『だったら、そいつから許可をもらえばいいんじゃな! ほれ、さっさと居場所教えてくれぃ!』
数日後。ウリエルはカイポで暮らす家主ローレルの元を訪ねた。
『人が住まないと家は痛むぞ? おまえさんが戻ってくるまでわしらがあの家を守ってやろう』
ローレルは、ウリエルの直訴をあっさり受け入れたという。
そして、春にウリエル夫婦がお引越ししてきて現在に至る。
将来ローレルがミストに戻ってきたら、家をお返ししなければならない。
その時ウリエルたちは、どこかに家を建ててミストで余生を過ごすと公言している。
—— —— ——
そんな診療所の広い居間は、待ち合い所も兼ねている。
リディアたちはラルフの勧めで、そこに置かれたふたつのソファに。
大人と子どもに分かれてそれぞれ座った。
「オリバたちは?」
「花火が始まる前に、3人で顔を出したよ。ここからアリサに声をかけてすぐ帰っていったけど」
「……そうですか」
「やっぱりドライなんだ」
「今日は花火があったし、オリバは3回目だから余計だろうね」
居間机の椅子に座りながらラルフが苦笑する。
息子たちは花火を楽しみ、くったくた。今頃眠り始めた頃かもしれない。
—— —— ——
『っ、ううっ……はぁっ……』
『そうそう、その調子』
『いきんじゃだめだよー』
—— —— ——
時折2階の処置室から、お産真っ只中のアリサを励ます声が聞こえてくる。
「アリサには悪いけど、先にいただくとするかな」
「どうぞどうぞ」
居間机に置かれた袋から、ラルフがアイスをひとつ取り出して食べ始めた。
(まだ余ってたし、もっと持ってこればよかったかな??)
リディアがそう思ってしまうぐらい。
ラルフの手にしているアイスが、とても小さく見える。
—— —— ——
今年の花火の締めアイスは、シュガーコーンアイス。
ワッフル生地で作った円錐形の器——シュガーコーンの内側を、チョコでコーティング。
その中に濃厚なバニラアイスを詰めて、チョコでふたをしてある。
シュガーコーンとチョコのパリパリ感を味わいながら。
バニラの甘さを噛みしめることが出来る、ダムシアンの某店の名物アイスである。
—— —— ——
「ごちそうさま」
(早すぎる……!)
たった1分足らずで、ラルフがアイスを食べ終えてしまった。
どこからどう見ても量が足りていない。
「リディアは毎年、いいものに目をつけるよね」
「へへっ、ありがとうございます」
「ラルフさんも食べたことあるんですよね?」
「ダムシアンにいた頃、アリサによく買ってあげてたな……懐かしいよ」
ラルフがそう言って、天井を見上げた。
若き頃の愛妻とのデートに、思いを馳せているように見える。
(ラルフさんは、2個3個ぱくぱく食べてたんだろうなあ)
若い頃。アリサに何かお菓子やごちそうを振る舞う度に。
ラルフはその倍の量や個数を食べていたに違いない。
……などと、リディアがよそ様の夫婦の馴れ初めをぼんやり想像していると。
ばたん! と扉が開く大きな音が、2階から聞こえてきた。
「あぁー、ちょっと休憩ー!」
2階から白髪を全て後ろでひっつめにした、老年一歩手前の女性が降りてきた。
医師であり、この家の半分主。アイリスが居間にきた瞬間。
既知感のある香りが、うっすらと漂ってきた。
ぱあっと顔を輝かせながら、ライザと顔を見合わせる。
アリサが、先日ライザからもらった香水をついに使い始めたのだ。
「先生おつかれさま」
「わざわざ届けてくれてありがとう。早速いただくよ」
「食べて食べて」
アイリスは年齢と見た目と反して、仕草や言葉遣いはとても若々しい。
「上のふたりにも、食べさせてあげなきゃねえ……」
アイリスが居間机に置かれたアイスを手にするやいなや。
手早く包み紙を破って、立ったままでそれにかじりついた。
立ち食なのは、お手伝いをしてもらっている『マダム』のふたりにも。
この後、アイス食べがてらの休憩を取ってもらうためだろう。
「アリサ、大丈夫ですか?」
「聞こえてたでしょ? あんだけ減らず口叩けたら余裕だよ」
「よかったぁ」
「順調なのね」
「はぁー、美味いねー。いい腹しのぎになるわぁー」
ご機嫌よくアイリスがアイスをほおばっている。
アイスほど、夏場にもってこいな食べ物はない。
ごはんも食べていないのなら、もっと美味しいに違いない。
「ねえ、先生。ウリエル先生は?」
「……あぁん?」
(うわあ、おかんむりだ)
リディアが夫の居所をたずねると、途端にアイリスの表情が険しいものに変わった。
「花火行ったっきりで、帰ってきてないんじゃないの。どうなんだい、ラルフ?」
「ずっと広場の隅で宴会してましたね。今もたぶんどこかで……」
ずっと2階にへばりつきの状態では、夫の動向を把握しようがない。
アイリスに首を向けられ、ラルフが苦笑しながら答えた。
「……だってさ。どうせ東の人たちと無礼講してんでしょ」
「ひどいなあ。花火だからってそれはないよ」
「奥さんひとりに任せっぱなしだなんて、かわいそう」
宴会に出ずっぱりで、ここに一度も帰ってきていないらしい。
予想通りで、リディアもライザも呆れ顔。
「あの人、お産は専門外なんだよ。何せ、1回しか立ち会ったことないからね」
「たった1回……」
「それまさか、アイリス先生のお産の時だけ!?」
「そうだよ? もう何十年前か忘れちゃったけど」
「何それ……?」
「今日は祭りで酒呑むにはもってこいだ。あたしが倒れない限り、予定は変えないよ」
苦々しい表情でアイスをかじるアイリスを不憫に思う。
—— —— ——
まだここに来て、たった数ヶ月しか経っていないのに。
ウリエルが大酒豪なのは、ミストですっかり有名である。
何かあった際には、フォローしてもらえる妻がいるから余計かもしれないが。
昼間から飲んだくれの状態で、患者を診ることも多々あるという。
夜になれば、近所の住民の家に出向いて酒を飲みかわすこともざら。
更には酒仲間のおじさんたちと連れ立って、バロンに出向くこともある。
—— —— ——
(あれでも僻地医療じゃ右に出る人はいないって聞くけど、ほんとかなあ??)
長年ウリエル夫妻は、世界各地に点在する小さな村や町——僻地を転々としながら。
現地で医療に携わっていたという。
そのせいで夫妻、特に夫はその界隈で、とても有名な人物らしい。
医師の修行中のローレルは、当然ながらウリエルの名を知っていた。
だから、空き家をあっさり貸してあげたのだ。
§
「……ベス、ユノ。そろそろ帰りましょうか」
それから数分後。ライザが別のソファに座るベスとユノに帰宅を促した。
今日は花火だったから遅いだけで、今の時間、ベスとユノは既に寝ている。
ふわふわソファが心地良かったのか。
ユノが隣で座るベスの肩に頭をつけてうとうとしていたのを。
お母さんはしっかり見ていたのだ。
「ええ? まだここにいたいよぉ」
「お父さんから……早く帰っておいでって言われてたじゃない」
「やだぁ、まだかえりたくない……」
「明日は国語の日でしょう? 寝坊したらリディアに教えてもらえないわよ?」
「……っ、わかった……おうちかえる」
「いい子ね。じゃ、行きましょう」
ごねていたユノも、リディアの名を出せばすぐ言うことを聞く。
「ライザ……」
「そんな顔しないの。アリサとお話出来たらお祝い伝えておいてね」
「うん、わかった」
本音を言えば、ライザもリディアのように最後までここにいたいのだ。
しかし、まだ小さい子どもを寝かしつけるお仕事が待っている。
「せんせい、気をつけてね」
「明日寝坊しちゃだめだよ」
アイリスとラルフにも労いの言葉を送ってから、玄関に向かうライザたちを見送る。
「しないよ。気をつけて帰ってね」
扉を閉めようとしたら。ライザから『あの人に謝っておいてね』と耳元でささやかれた。
娘たちが大変失礼なことをしたかもしれない。
ツクヨミに申し訳ないと気に病んでいたようだ。
リディアが首を大きくぶんぶん縦に振れば。
ライザは安堵の表情を浮かべて、娘たちと手をつないで帰っていった。
「おい、あんたはまだ帰らないのかい?」
「赤ちゃんが産まれるまで、ここで待ってるつもりなの」
「えぇ!?」
「立ち会いはしないけど……だめかな?」
居残りを口にしたリディアに、アイリスが驚いた表情を見せた。
—— —— ——
『いつ陣痛来るかわかんないけどー。その時ヒマだったら、あんた立ち会わない?』
実は今日の昼集合の時。リディアはアリサからお産の立ち会いに誘われたが。
アリサの身内でもないのに、ラルフたちを差し置いてそんなこと出来ない。
そう考えて、すぐにお断りを入れた。
—— —— ——
アイリスが『マダム』ふたりを、お手伝いに呼んだぐらいだ。
いくらアリサがいいと言っても、子どもや男性に未婚女性……。
お産の現場は、経験者以外お断り。
そんな風潮が根強いというのも、お断りした理由のひとつ。
「あんた、明日朝から仕事あるだろ?」
「1日ぐらい夜更かししても平気だもーん」
「いいではありませんか、先生。僕も朝から『学習』に入りますし」
「うーん……」
「何かお手伝い出来ることがあったら言って? 簡単でいいならごはん作るよ?」
日替わり教師をつとめているラルフからも援護をいただいた。
お産の現場には立ち会えないが、お手伝いぐらいなら出来る。
「ごはんはアイスで十分だし……このままいてくれるってんなら……うーん」
仕事が欲しいというリディアの訴えを聞いて。
アイリスが難しい顔をしながら両腕を組んで、しばらく唸っていた。
「そうだ!」
何か思いついたらしい。アイリスが突然ぽんと手を打ってからこう言ってくれた。
「湯沸かし係、頼んでいい?」
「ほんと!?」
(ほんのちょっぴりだけど、お産のお手伝いが出来る!)
もう少ししたら、赤子の頭が見えてくる。
その時、2階から呼ぶのでお湯をじゃんじゃん沸かして欲しい。
アイリスからのお願いに、がぜんやる気が湧いてくる。
手や道具の消毒。赤ちゃんや母体の清拭。最後のお掃除。
出産の時、お湯はいくらあっても困らない。
ラルフに、時々湯冷ましを作ってもらった。
今はたくさんあるが、お産が終わるとそれもすぐなくなってしまうという。
「けど、ラルフも最後は立ち会うって言って聞かないし、旦那はアテにならないしで困ってたのよ」
「……すみません。毎回お産には立ち会ってるものですから」
ラルフはオリバの時から、必ず最後になると妻の出産を見届けているらしい。
やはり、今回だけやめますとは言わなかった。
「男は大抵嫌がるもんだけどね」
「子どもが生まれる瞬間だけは、妻のそばにいて一緒に喜びたいんですよ」
「……あの子も、あんたのこともっと大事にしてやりゃいいのに」
「今でも十分大事にされていますよ」
のろけるラルフを見て、アイリスが半ば呆れたような表情に変わった。
(アイリス先生、ミストに移り住んでまだ間もないもんね……)
アイリスは、ラルフの底なし沼並みのアリサへの深い愛をまだ理解出来ていないようだ。
ラルフは、女性を大切にするフェミニストと呼ばれる男性。
古い思考——女は男に黙って従え——を好まない。
アリサはアリサで、ギルバート以外の男に素直に従う女性ではない。
良し悪しは定かではないが、相性は最高と言っていい。
ミストの住民たちはそれを重々知っている。
そのためアリサがどれだけギルバートにお熱を上げようが。
ラルフに『デブ、痩せろ』と罵ろうが。
誰ひとりとして、このふたりは離婚するとは思わない。
§
その後アイリスは、リディアに台所の説明をしてから、2階へ戻った。
続けて、『マダム』のひとりが居間にやってきてから、数分経った頃……。
—— —— ——
『ぅ、ああっ!! だめーーっ!! いったぁーーーいっ!!』
『ばか。叫んだら余計痛くなるって何度言ったらわかるんだ』
『ゆっくり息吸って吐きな』
『そんなのっ、無理ぃい、っ! 痛いもんは痛いのーー!!』
—— —— ——
痛みに耐えきれず、大声を上げたアリサが。
アイリスと『マダム』のひとりに怒られている。
お産を和らげる香水を使っても、やはり痛いものは痛いらしい。
「アリサ、怒られてる……」
「気にしなくていいよ。アリサちゃん聞いてないから」
「そうなの?」
「ずっと痛みが続いてるからね。話聞く余裕なんかないよ」
陣痛は、はじめ訪れる間隔が長く小休止がある。
しかし、出産に近付くほど、起こる間隔は短くなっていく。
最終的には終始痛みが治まることはなく、痛みも増す。
アリサは今その段階に入ったばかり。出産を終えるまでこれがずっと続くという。
『マダム』のひとりが、アイスを口にしながら。
出産に至るまでの経緯を簡単に説明してくれた。
「……陣痛って、どれぐらい痛いものなの?」
「あんた、スイカって知ってる?」
「うん。ボールみたいな大きな瓜だよね」
「そうそう。そのスイカを鼻から出すような感じ」
「ええっ!?」
「個人差はあるけど、腰が砕けちまうぐらいだよ」
「そんなに痛いんだ……」
お産の時に何よりも大切なのは、ゆっくりと呼吸をすること。
へそで繋がれた赤ちゃんに、いっぱい酸素が届くようにする。
母体の体力消耗を防ぎ、痛みを逸らすことが出来る。
過呼吸と呼ばれる諸症状が起きるのを防ぐ。
ゆっくり息を吸い吐きすることで、さまざまな効果があるという。
「けどねえ、アリサちゃんにどれだけ言っても聞いてくれないんだよ。あんたも聞いてたでしょ?」
「こんな時でも、口は達者だよね……」
「あの子。気は強いけど、実は痛がりかもしれないなあ」
『マダム』のひとりが、困惑したような表情でそうぼやいた。
(やっぱり、あの時より痛いんだ……!!)
処女を失った夜。
リディアは破瓜の痛みに耐えきれず、わあわあ泣いてエッジを困らせたぐらいだ。
とても、陣痛の痛みに耐えられないそうにない。
エスタやローザ。ライザやアリサに『マダム』たち……。
これを乗り越えてきた、世の母親たちをやはり尊敬せずにはいられない。
—— —— ——
『くっそっ……! なんで……あたしばっか……っ、こんな痛ぁぁい思いしなきゃなんないのーー!!』
『あたしもこの人も経験済だよ!』
『そ、それぐらい、知って……っ、痛い痛い痛いーっ!! やだもうーー! あたし死んじゃうー!!』
『あんたがこんなもんで死ぬわけないだろう!?』
『ほら、鼻でゆーっくり息吸って口で吐くんだよっ!』
—— —— ——
(ベスとユノがこれ聞いたら泣いちゃう……)
アリサの叫び声や、アイリスたちの怒鳴り声が時折聞こえてくる。
ライザがすぐに帰ったのは、それが大きな原因だと思った。
——午後10時すぎ
処置室にいた女性が、アリサを除いて全員休憩を終えてから、数十分経った頃。
「ラルフ!! もうこっち来てちょうだい!!」
2階から、アイリスの大きな声が聞こえてきた。
「わ、わかりましたっ!」
「なんなんだこの子は! こんな時でも口が悪いっ!!」
ラルフが慌ててふくよかな身体を揺らしながら、階段を駆け登っていった。
(あれだけぼろっかす言われたら……やる気なくしちゃいそうだもんね)
あまりにも痛いのだろう。ババア、悪魔、死ね、うるさい、黙れ……。
実は10数分前から、アリサが人生の先輩のみなさまに暴言を吐くようになっていた。
まだ湯沸かしの声はかかっておらず、産まれる直前でもないのに。
ラルフは、アリサの罵言受け止め要員として早めに呼ばれたのだ。
おそらく、この先は『デ(略)』『痩せろ』が連発するだろう。
待合所にひとり残されて、居間机の上に置いてあったアイスに氷魔法をかけた。
早くアリサも食べられるといいのに、そう思いながら……。
「……】」
ばたーん!
詠唱を終えると同時に、荒っぽく玄関の扉が開く音が聞こえた。
「おおぃ、帰ったぞぉー!」
無精ひげを生やした白髪の男性が、おぼつかない足取りで居間に入ってきた。
ここの半分主で、医師のウリエルである。
花火の打ち上げとばかりの宴会が終わり、やっとお帰りになられたようだ。
「あ、ウリエル先生。おかえ……っ!」
ウリエルがそばにきた瞬間、得も言われぬ匂いが漂ってきた。
リディアは咄嗟に鼻をつまむ。
「うわ、先生お酒くさいっ!」
「鳩おじさんがなぁ、地元からワイン樽を取り寄せてくれたんでなぁ、みんなで全ー部開けてやったわい!」
「もう、あっち行ってよっ!!」
「何言うとるんじゃ。わしゃ、ここの家主だぞぉ??」
ウリエルが身体からアルコールの匂いをぷんぷん漂わせている。
おそらく、口臭も……!
空いた手でしっしと払いのけるも、ウリエルはちっとも動じない。
それどころか酒自慢を繰り広げて、がははと笑い出す始末。
「もう、やだぁ……!!」
鼻をつまみながら、リディアはソファのある方に避難する。
入れ替わるように、今度はウリエルが居間机のそばにある椅子に座った。
こうして露骨に不快を表すのは、リディアだけではない。
ウリエルがミストの女性たちからうざかれる光景は、もはや日常茶飯事。
良い言い方をするなら、全く偉ぶらない親近感沸く医師。
悪い言い方なら、主婦の敵だ。
「そこのアイス食べちゃだめだよ? アリサの分だからね」
「わしゃ、甘いもんは食わん」
「ならいいけど……」
「で? おまえさん。なぜここにおるんじゃ、アリサの付き添いか」
「そうだよ。湯沸かしのお仕事も頼まれたの」
「そうかそうか、若いのに偉いなー」
(だめだこりゃ)
ウリエルは、リディアのやる気を褒めるだけであった。
アイリスの言った通り、お産を手伝う気はこれっぽちもない模様。
「ラルフは?」
「さっき上に行ったばかりだよ」
「……おまえさん、他に誰か連れて来とるだろ??」
「えっ、ライザたちと一緒に来たけど、大分前に帰っちゃったよ」
「……変じゃなあ。さっき外に誰かいたのを見たんだが」
ウリエルがそう言いながら、首をひねっている。
(バレるような場所で待ってたら意味ないじゃない……)
ウリエルが話した誰かとは、間違いなくツクヨミのことだ。
自分がここに来ていることは黙っておいてくれ。
リディアたちにそう頼んできたのは、一体何だったのか?
しかし、ツクヨミから何か頼まれるのは相当珍しい。
そうそう無下に出来ないので、ウリエルをどうごまかすか思考を巡らせる。
「……先生の気のせいじゃないの?」
「違うぞ。しかもな? 風ひとつ吹いとらんのに、樹がえらいざわめいとったんだぞ?」
(じっと待ってられないの??)
ウリエルの話を聞いて、はらはらしてたまらない。
おそらくツクヨミは時間つぶしに、この家のそばで修行——飛んだり跳ねたりしているのだろう。
建物の端っこでじっと待っていると思っていたら、一体何をやっている??
「こんな時間から木登りするとは、物好きな奴もおるもんだ」
「先生、酔いすぎ。幻覚でも見たんだよ」
「それはないなぁ。わしゃ、スピリタスもグラス半分ならストレートでいけるぞ?」
「……何それ」
「世界で一番強いファブールの酒。——度数96%だ」
「それ、もう燃料じゃない!?」
そのままでは到底口にできないものを、よくグラス半分も飲めるものだ。
昔からそのスピリタスとやらを、昼間っからちびちび飲んでいたのだろう。
「うちにも消毒用で置いてあるぞぉー?」
ウリエルの酒自慢に、リディアは開いた口が塞がらない。
お酒を飲んだ後でも、診療が出来るぐらい酒にとても強い。
そんな話を聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
「じ、じゃあ……もうお年寄りだし、ボケ」
「——ばかもんっ! わしゃまだ耄碌しとらんわ!!」
「あと2年で60でしょ? おじいちゃんじゃない!!」
「おまえも言うとる間に三十路じゃないか!」
「三十路はまだお年寄りじゃないもんっ!」
(エッジとそっくり……!)
のんべえ、アルコール中毒……と罵っても、全く怒らないのに。
ウリエルも誰かさんと同じで、年寄り扱いされることを嫌うらしい。
リディアの癖とも言うべき、余計な一言が功を成したのか。
まるで祖父と孫さながらの、子供じみた言い争いを始めたことで。
なんとかウリエルの気を逸らすことに成功したのであった。
§
それから、30分ほど経った頃だろうか。
2階から、アイリスの叫び声が聞こえた。
「リディア! お湯頼んだよー!!」
「はーい!」
リディアは台所に向かい、やかんふたつでお湯を沸かし始めた。
もちろん、それだけでは到底足りない。
2階から聞こえてくる、みながアリサを励ます声を耳にしながら。
アイリスの事前説明通り。居間の隅に置いてあった、たらいや桶に熱湯を入れて。
またやかんでお湯を沸かす……を繰り返す。
(ひどいお医者さんだなぁ……)
ウリエルは居間机から、リディアの働きぶりをにやにや見物するだけ。
白い蒸気と、しゅんしゅん音を上げるやかんを見ながら。
リディアが心の中で、ウリエルへの不満を垂れていた時。
2階から、元気な産声が聞こえてきた。
「い……やったあああーー!」
「アリサ! よく頑張ったよ!」
「これでもう打ち止めよー!」
(女の子だ!!)
その数秒後。アリサの喜び交じりの叫び声と、アリサをいたわるラルフの声。
リディアはそれを耳にしただけですぐ、赤子の性別を判断することが出来たのであった。
——午後11時すぎ
30分前、ミストにまたひとつ新たないのちが産まれた。
待ち合い所の棚にあった、医療本にはこう書かれてあった。
—— —— ——
赤子が産まれた後も、お産は続く。
後産——赤子と母体をつなぐ胎盤が放出されて、はじめて終わりと言える。
母体はお産が終わってからも、子宮から出血する恐れがある。
そのため、最低でも半日は絶対安静にせねばならない。
—— —— ——
『マダム』ふたりとアイリスは、処置室のお片付けとアリサと赤ちゃんの清拭。
リディアが沸かしに沸かしたお湯は、ラルフが2階まで運んでくれた。
それを終えると嬉し涙を流しながら、一旦自宅へ帰った。
「リディア」
「はい」
「アリサが待ってる。こっちおいで」
後片付けに目途がついたようだ。
2階にいたアイリスから呼ばれて、恐る恐る階段を登り、処置室の中に入った。
処置室と言っても、元は普通のお部屋である。
大きめのベッドとふたり分の小さな机椅子。医療器具が置かれた棚があるだけ。
「アリサ、おめでとう……!」
「へへー。念願の女の子ですよぉー」
ベッドですやすや眠っている赤ん坊と共に、アリサが身体を横たわらせながら。
リディアへ誇らしげに笑って手を振ってくれた。
(お産が終わったばかりなのに、元気だなあ……)
言い方は悪いが、産み慣れているからなのか?
それとも念願の女の子で、テンションが上がっているからなのか?
「バロンは別として、ようやく母娘で追っかけが出来るわー。胎教しておいてよかったぁー」
「下で待ってたけど、びっくりしちゃった」
「何をー?」
「……ラルフさん。アリサに何言われても本当に怒らないなあって」
—— —— ——
アリサは陣痛に苦しみながら、そばにいた夫に向かってこう叫んでいた。
『あんたがギルバート様なら、がんばって耐えるのに!』
大きな声だったので、1階にいても余裕で聞こえてきた。
—— —— ——
それでも夫——ラルフは一切怒らず、最後まで妻を励まし続けていた。
「あれ、お産恒例。あいつももう慣れっこなのー」
「もう、っ……もっと大事にしてあげなよぉ……!!」
アリサが悪びれなくぺろりと舌を出して、思わず笑ってしまった。
ラルフは本当に出来た夫だと思う。
彼が一旦帰宅してから、アイリスや『マダム』たちも同じことを言っていたぐらいだ。
「ラルフはいーのよ、別にー。それより、あんたに謝らなきゃいけないわー」
「どうして?」
「あんだけ花火やろうやろうって騒いでたのにー、あっさり約束破っちゃって……ごめんなさいねー」
正直言って、今年は花火どころではなかった。
花火が終わってから、ここにいた時の方が印象に強く残っている。
だから、アリサが謝る必要はないと思った。
「謝るなんてアリサらしくないよ。来年のお楽しみにしよ?」
「あははっ! 来年から1ヶ月遅れの七夕デートでも始めますかー?」
昼間に恨みごとをつぶやいていたのを棚上げして。
来年の目標に花火遊びを掲げると、アリサと互いに笑い合う。
「はあ……」
ところが、突然アリサが笑いを止めて大きなため息をついた。
「ごめん、疲れてるよね。もう帰」
「——違うわよ。やっぱりあんたにも立ち会ってもらいたかったなーって」
「……今日断ったじゃない」
なぜ立ち会いにそこまでこだわるのだろう?
リディアは不思議でならない。
「あんた、まだ言ってるの? 未婚の女は気絶しちゃうからだめって何度も言ったじゃないか」
「グロいとこ、この子に見せなきゃ立ち会い出来たでしょー?」
アイリスに、アリサが不満をもらしている。
グロいとことは、赤ちゃんが出てくる箇所——性器——のことだ。
その部分さえ見せなければ、未婚女性だろうがお産の立ち会いは可能。
アリサはそう言いたいらしい。
(グロいとこって言うけど……自分のも他の人のも見たことないんだけど……)
そもそもリディアは他人の裸を、ろくに見たことがない。
女性はさておき、男性の身体なんてとんでもない。
エッジとセックスしていたけれど、毎回暗闇の中だった。
だから、男性の素っ裸はもちろん、モノすら一度も見たことがない。
そんな自分がお産の現場に立ち会うなんて、あまりにも刺激が強すぎる。
それもアリサのお誘いを断った一因でもあった。
「お産ってすごく大変だけど、素晴らしいって……立ち会いしなくても、今日ここにいてよくわかったよ」
「でしょー? 産む側も死にたくなるぐらいの痛みに耐えなきゃなんないし、人に手伝ってもらわなきゃ産むのも大変。助け合いの精神。これ大事よぉー?」
「ほんとそうだね。誰かそばにいてもらわなきゃ」
「——お産だけじゃないわよ。子育てもたったひとりじゃすごく難しいの。あたしはそんなこと死んでも出来ない」
「!」
アリサが厳しい口調でリディアを遮った。
リディアは、一瞬目を開かせて呆然としたが。
アリサが一体何を言おうとしていたのかすぐ気付いた。
「ねー、赤ちゃーん? そう思わなぁーい?」
(あたしがエッジの子どもを欲しがってたから……!)
厳しい口調から一転、アリサが隣ですうすう眠っている赤ちゃんの方を向いて。
甘ったるい声をかけながら、ほっぺをつんつんつついている。
—— —— ——
出産や育児は、周囲との関わりが必要不可欠だが、隠し子となると話は別。
隠し子を産み育てるためには、母親ひとりで全てを背負わなければならない。
本当にその子を幸せにしたかったら、母親自身が相当強い覚悟を持たないといけない。
エッジの隠し子を産みたかった気持ちはわかる。しかし、世の中そんなに甘くない。
『妊娠していなかったけど。あんた、それぐらいの覚悟出来てたのー?』
アリサはそう伝えたかったのだ。
—— —— ——
「どうしたんだいアリサー? 高説垂れちゃって」
「4人目でついに母性に目覚めたか?」
今、『防音結界』は張られていない。リディアとアリサの会話を聞いていたのだろう。
後片付けで部屋を出入りするアイリスや『マダム』たちが、アリサを冷やかしたが……。
「何言ってんのー。とっくの前から目覚めてまーす!」
「まー、ああ言えばこう言う」
「減らず口だけは変わんないんだから……!」
アリサから生意気な口を利かれて、アイリスたちは呆れたような顔を見せる。
そんな周囲の反応をよそに。アリサがリディアに向かってこうも続ける。
「……あんたに、出産って奴を見せてあげたかったのよ」
「……!」
小さな声ながらもアリサの真剣な物言いが、リディアの琴線に触れた。
一昨日、妊娠疑惑話を聞かされて思うところがあったのだろう。
しかも、リディアはお産を経験せぬまま一生を終えてしまいそう。
アリサは身をもって、現実を教えたくて現場を見せてあげたかった。
(だから、立ち会えってあたしを誘ってくれてたんだ……!)
アリサのそんな思いを知った途端。双眸がじわじわ潤み始めた。
「でもさー、速攻断られちゃったしー。今日もみんな反対……っ!?」
「っ、うっ……!」
リディアは頬や目元を、手の甲でぐいぐいこする。
結局、涙腺崩壊を防ぎきれず、涙がぼろぼろあふれてきた。
「ちょっと、あんたが泣いてどうすんのよー」
アリサが呆れたような声ながらも、頭を撫でてくれた。
その感触が、あのアリサがそうしてくれているとは思えないほど。
慈しみにあふれているように感じられた。
隣ですやすや眠る赤ちゃんは、これからアリサにいっぱい頭や身体を撫でてもらえるのだ。
なんと幸せなことだろう。
「ラ、ライザも……おめでとう……って」
「ああ、あんた友だち思いだから、代わりに泣いてあげてんのねー」
「う、ん……」
(ありがとう……アリサ!)
アイリスたちがいるから、ここではエッジの話題を出せない。
お礼の気持ちを、ライザからのお祝いの言葉に乗せて一緒に伝えてあげると。
アリサも、リディアの意図を汲み取ってくれた。
「ライザと言えばー。これがまた役に立ったってのー」
「……もうすっからかんだ」
アリサが手探りで枕の下をごそごそ漁り、何かをつかんでリディアに見せてくれた。
ライザがこの間渡したガラスのスプレー容器——香水だ。
手のひらサイズのそれの中身は、既に空っぽ。
「ちょっと、耳貸しなさい」
「う、うん……」
アリサに指でちょいちょい合図を送られて、顔に耳を近付けると。
ひそひそ声でこんなことを言われた。
「お産の間って、何言っても叫んでも許される空気でしょー?」
「痛くてやってられないから、しょうがないんだってね」
「こういう時ぐらいしか騒げないもの。ストレス発散も出来るしさ。これがなかったら本当に痛くてそれどころじゃなかったわー」
「……何それぇ! アリサほんとひどいよぉ!」
陣痛の痛みを和らげて、楽にするため。
ライザが作ったそんな香水を、ストレス発散に利用させていただいた。
ひそかにそう打ち明けてくれたアリサに、お腹を抱えて笑った。
(先生たちやラルフさんがどれだけ迷惑したか知らないでしょ……!)
お口の女王さまらしい利用法が、おかしくてたまらない。
ただ、お産の現場に立ち会っていたら、笑っていなかっただろう。
「ライザも薬草屋始めりゃいいのにー」
「商売にならないもん。やらないよ」
「まー、お客さん。あたしたちだけだもんねー」
「ライザは……わたしたちがだいすきで……いやしたくてたまらないんだよ」
リディアがしみじみとそう話したのは他でもない。
—— —— ——
ローザからいただいた、女性のお悩みに効く各種薬草が配合されたお茶。
ライザからいただいた、女性のお悩みに効くクラリセージ入りの香水。
二枚看板が功を奏したのか。
実は昨日、やっとリディアの元に月のものが訪れてくれた。
—— —— ——
これからもライザは、趣味の薬草や今後習得するであろう白魔法で。
親友ふたりの心身の不調をなんとかするための努力を惜しまないと思う。
「あんた、お手伝いしてくれたんでしょ? よくやってくれたわー。ありがとー」
「ちょっとは役に立てたかな?」
「——のんだくれより、よっぽど役に立ってるわよ」
アリサが冷たく吐き捨てるように口にした。
そののんだくれとは、もちろんウリエルのことである。
「へへ、よかったぁ……!」
「自信持ちなさいよー」
ウリエルは赤ちゃんが産まれた直後から、居間机でうとうとし始めた。
今頃、机に突っ伏してぐうぐう寝ているのではなかろうか?
アリサにぼろっかす言われても仕方がない。
「それでー。あんたにもう一仕事頼みたいことがあるんだけどー?」
(これから、赤ちゃんのお世話で大変だもんね……)
アリサは、これから当分の間不規則な生活が続く。
そんな彼女が今から何を頼んでくるか。リディアも大方予想がついた。
「なになに?」
それでも、素知らぬふりして明るくたずねてみたら。
アリサがにかっと笑って、リディアにこう言ったのであった。
「——アイス、あたしに食べさせてちょーだいっ」
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