※この作品はR-18です。

フェイクラバーズ   作:かえで

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月影のエレジー

 満ちた月の鮮やかな光が、地上を照らしている。

 星影がかすむほど、南の空できらきら輝くそれは。

 同じ方向にある、自宅への道標にもなってくれているように見えた。

 

 

——深夜0時すこし前

 

 

 アリサと、産まれたばかりの赤ちゃんとの面会を終えて。

 リディアはアイリスの診療所を後にした。

 そして、どこからともなく現れたツクヨミと共に、帰路の途についた。

 

『お子さま、ご覧になりましたか?』

「ええ」

『いかがでしたか』

 

 10分かかるか、かからないかの帰り道のためだけに。

 ツクヨミは、ここまでずっとミストに残ってくれていたのだ。

 

「すごくしわくちゃでした」

『……っ、1年近く羊水の中にいたのです。ふやけていても仕方がございませんよ』

 

 率直な感想を述べると、隣を歩くツクヨミがくすくす笑う。

 

 母親ですら、『お猿さんみたいでしょー?』と言っていたから許して欲しい。

 1ヶ月もすればしわしわもなくなり、肉付きも良くなると教えてもらった。

 

「抱っこもさせてもらったの」

『それはまた貴重ですね』

「すごく小さくて軽かったけど……アリサのお腹の中でここまで育ったんだって思ったら感動しました……!」

 

 今もなお、この手には、その時の感触が残っている。

 リディアは、月の光に照らされた自身の手のひらを眺めながら。

 興奮から上ずった声で、ツクヨミに感想を述べた。

 

 アリサに勧められて、赤ちゃんを抱っこさせてもらえた。

 リディアは出産どころか未婚。

 なのに、赤ちゃんを抱っこした瞬間。この子を守ってあげなければならない。

 そんな思いがうすらと沸いてきた。

 

『よかったですね』

「アリサが『抱け抱けー』って言ってくれたおかげです」

『あの方も、ご立派ですね。4人もお子さんを産むとは……』

「アリサのところがね。いちばんミストの人口増に貢献してくれてるの」

 

 —— —— ——

 元々アリサは、女の子が欲しかった。

 母娘ふたりで、ギルバートの追っかけをするため。それ以外に理由はない。

 

 初めての子どもは男の子。次は絶対女の子を産む!

 ……その一心で妊娠出産を重ねて、ようやく女の子を授かることが出来た。

 —— —— ——

 

 決してミストの人口を増やす目的で、子どもを作ってきた訳ではないけれど。

 本日をもって、アリサとラルフがミストで一番子沢山の夫婦になったのだ。

 

『……アリサさんのご主人をうらやましく思います』

「え?」

『ミストだけでなく、人類の繁栄に貢献できるのです。こうして周囲をも幸せに出来るのですから……」

 

 突然ツクヨミが沈んだ声に変わり、ラルフへの羨望を口にした。

 

(ツクヨミさん……?)

 結婚しない。以前の発言と矛盾していないだろうか?

 ツクヨミの微妙な変化に、浮き立っていた気分が平静に戻ったのもあって。

 リディアは気になっていたことを聞いてみることにした。

 

「あの、ツクヨミさん」

『はい、何でしょう?』

「わたしを待っている間。診療所の近くで修行してました?」

『……なぜ、そのようなことをおたずねになるのでしょうか』

「ウリエル先生がおうちに帰ってくる時、外に誰かいたって話してたの」

『あぁ……!』

 

 まさか、ウリエルに見られていたとは思っていなかったようだ。

 話を聞いて、ツクヨミが額に手を当てて天を仰いでいる。

 こんな表情を見せるのはとても珍しい。

 

『……あの方は大の酒好きと聞いております。酔っていたのではありませんか?』

 

 ツクヨミが額から手を離して、ウリエル酔っ払い説を掲げた。

 

「先生、すごくお酒に強いの。昼間からしょっちゅうお酒飲んで患者さんを診るし、100%に近い度数のお酒も平気で飲むし、お酒のせいでミスしたこと一度もないらしいから」

『そうですか……』

 

 リディアから、ウリエル酔っ払い説をやんわり否定されて。

 ツクヨミが突然その場に止まった。

 

 それに釣られるかのように、リディアも足を止めると。

 ツクヨミが肩を落として、大きなため息をついていた。

 

『リディアさまのおっしゃる通りです。身体を動かしておりました』

「ツクヨミさん。じっと待つ人だと思ってたよ……」

 

 静か動か。そうたずねられたら、前者と即答するぐらいには。

 ツクヨミは普段じっとしていることが多いのに、珍しい。

 

『そばで待っているのが辛くて……気晴らしにそうしていたのです』

 

 診療所——お産の現場を敬遠していた。

 ツクヨミが苦々しい声で、遠回しにそう答えてくれた。

 

 過去に見せた不思議な挙動や言動と何か関係あるのかもしれない。

 リディアはそう考えて、恐る恐るこうたずねてみた。

 

「もしかして……診療所の中に入らなかったのって」

『——僕の情けない話。聞きたいですか?』

 

 半面の白狐のお面でがら空きになった、口元をかすかに緩ませて。

 ツクヨミがこちらを見つめてくる。

 

 そこから嫌悪や拒絶と言ったものは、一切感じられない。

 けれど、リディアは躊躇してツクヨミから視線を外した。

 

(聞かないほうがいいのかもしれない。でも……)

 この先ツクヨミが何を話すか、大方の予想がついていた。

 それでも、謎だらけの忍者を知るいい機会かもしれない。

 好奇心に駆られて、視線を元に戻してから、こう告げた。

 

「ツクヨミさんがよければ……聞かせてください」

『帰る時間が遅くなります。それでもよろしいのですね』

 

 気が付けば、広場の手前まで来ていた。

 今は真夜中。リディアたちしかいないので静けさが漂っている。

 数時間前まで、ここで花火が行われていたとは思えない。

 

「夜中の2時3時まではかからないでしょ?」

『さすがにそれはございません』

「じゃあ、大丈夫」

『……では、あちらで』

 

 ツクヨミがそう言って、指をさしたベンチに腰を掛けた。

 続けて、右隣に真っ黒お城勤が背中を丸めた姿勢で座るも、うつむいたまま。

 

 しばしの沈黙の後。ツクヨミはこう話を切り出した。

 

『情けないことに、僕は種なし……子どもが作れない身体なのです』

 

 種なしとは、精液に精子がほとんどもしくは全くないこと。

 精子がない以上、子どもを作れない。治療法もないという。

 

 ツクヨミの姿が、以前にここで独身宣言をした時と同じく。

 今にも消えてしまいそうに見えた。

 

(やっぱりおばちゃんといっしょ……)

 性は違うが、彼もジャンヌと同じ悩みを抱えていた。

 その話題において自らを卑下するところもそっくりだ。

 

「……だから誰ともお付き合いしないんだね」

『はい』

「一度もお付き合いしたこともないの?」

『ひとりだけなら』

「え、その方とは……」

『何もしがらみがなければよかったのですが、そうではなかったものですから』

 

 それからツクヨミが、前かがみの状態でうつむいたまま。

 自身の過去を話し始めた。

 

 —— —— ——

 ツクヨミは、そこそこ良いお家の跡取り——長男に生まれた。

 恋人とは、5年越しの付き合い。求婚も難なく受け入れてもらえた。

 順風満帆の人生。

 ツクヨミ本人も恋人も周囲も、みんなそう思っていた。

 

 求婚してから2週間後。

 ツクヨミの実家に、恋人とその両親が結婚の挨拶に訪れた。

 恋人の両親は、ツクヨミと両親に1枚の書類を見せながら、こう話した。

 

『ぜひお宅のご子息にも、婚前に検査を受けていただきたい。そうでなければ、我が娘を渡す訳には参りません』

 

 書類の正体は、恋人が数日前に受けた健康診断の結果。

 身体に異常なし——生殖機能も——と証するものだった。

 

 恋人もツクヨミと同じ、いいお家のお嬢さまだった。

 彼女の両親は、両思いという理由だけで簡単に娘を渡せなかったのだ。

 

 ツクヨミも彼の両親も、恋人の両親からの頼みを難なく了承した。

 どうせ異常はない。気軽に検査を受けたらいい。

 そう思って、後日検査を受けた結果……。

 —— —— ——

 

『相手のご両親から、「子どもを作れない者が娘を幸せには出来ない、どうか娘と別れてくれ」と頭を下げられました』

 

 事務的な語り口調から、よほどツクヨミにとって辛い出来事だった。

 リディアにもそれが伝わってきた。

 

「あの、ツクヨミさんのご両親は……?」

『好きにしろと言われましたよ』

「えぇ!? すごく冷たくないですか?」

『家の跡取りを僕から弟に代えましたからね』

 

 すぐ下の弟も、念のためという理由でツクヨミと同じ検査を受けていた。

 異常なしの結果が出るやいなや、跡取りが弟に代わったという。

 

「血を残すために、ですか……?」

『はい。僕は用無しになったと言うことです。相手のご両親よりこたえました』

 

(当たり前だよ……)

 こちらを見ることなく、月に照らされた石畳の地面に話しかけるように。

 うつむいたまま自身の過去を話すツクヨミの姿が、リディアの胸をずきずき痛ませる。

 

 ツクヨミの両親の仕打ちは、どこか他人事と思えなかった。

 なぜなら、一村と一家庭との違いはあるけれど。

 より濃い召喚士の血を残すため。自分たちの保身のため。

 ミストでも以前似たようなことをやっていたから。

 現に今でもリディアに誰々と結婚しろなどと、圧力を掛けてくる者たちがいる。

 

「お相手の方も、そのこと知っていたの?」

『ええ。僕の方からお別れいたしました。その方は別の男性と結婚されて、既にお子さんもおります』

 

 既に終わった話だからか。ツクヨミの事務的な語り草は変わらない。

 それが余計に、もの悲しさを感じてしまう。

 

『これでよかったと思っております』

 

 別れを告げた恋人は、既に別の相手と順風満帆な人生を送っている。

 ツクヨミが叶えてやれない——子を成すことも、その相手に叶えてもらっている。

 これでは別れてよかった。ツクヨミがそう思っても仕方がない。

 

 その後、ツクヨミは居場所のない実家を出るために。

 ひそかにお城勤の試験を受けて合格。

 すぐ家出するような形で城下町に移り住むようになったという。

 

「どうしてお城勤なの? 他のお仕事じゃだめだったの?」

『お城勤は福利厚生も充実しております。辞めない限り、生活の保証を受けられますし、老後の貯えにももってこいです。僕は帰る場所がありませんから、都合が良かったのです」

「おうちも準備してもらえるんだ」

『はい。家賃を一部負担してもらっております』

 

 お城勤は、勤務時間も休日も不規則。場合によっては兵として戦場に赴くこともある。

 以前エッジからそう聞いたことがある。

 

(すごいなあ……)

 危険かつ、一般家庭に比べて家族と過ごす時間が少ない職業だからこそ。

 対価をしっかり支払っているのだ。

 エッジはやはり民思い、部下思い。良い国王だと改めて思ったが。

 今のツクヨミの前では、それを口にしなかった。

 

「お面、肌が弱いだけでかぶっている訳じゃないよね?」

『身元を隠すためでもあります。僕は「変化の術」が苦手でして、変装するしかございません。敏感肌向けの化粧品もありますが、毎日化粧は面倒なのです』

「お面はかぶるだけだから楽だもんね……」

『ちょうど運の良いことに、エブラーナでお面が流行ってよかったです』

 

 お城勤として雇われ始めて、半年ほど経った頃。

 ちょうど2年前のこの日。エッジにミストに連れてこられたおかげで現在に至る。

 

 ツクヨミが話をそう締めくくった後。

 上体をゆるゆる起こして、リディアの方に首を傾けた。

 

『いかがでしたか?』

「……前に一生結婚しないって言ったのも、このせいだったんだ」

『はい』

 

 聖なる夜に声を荒げて、現状への不満を叫んだり。

 先月この場所で、独身を貫くとリディアとライザに打ち明けたり……。

 違和感を覚える挙動を見せた理由が、これでわかった。

 

 —— —— ——

 好きでこんな身体に生まれてきた訳ではない。

 嫌いになったから、恋人と別れた訳ではない。

 生活の場を確保するためだけ。好きでお城勤になった訳ではない。

 どうせ、この身体では相手を幸せにできない。

 だから、結婚なんて考えられない。

 診療所の中に入らなかったのも、経験出来ないことを、そばで感じたくなかったから。

 修行と称して、自宅の周囲を動き回っていたのも。

 アリサたちの声を出来るだけ聞きたくなかったから……。

 —— —— —— 

 

 ツクヨミは、ないない尽くしの人生を送っている。

 リディアには、そう思えてならなかった。

 

『相手の人、あっさりツクヨミさんと別れちゃったんだね……』

『いいえ。駆け落ちしようとおっしゃって下さいました』

「え??」

『しかしながら、こちらからお別れいたしました』

「そんな……どうして?」

『子どもが作れないという理由で、一度結んだ夫婦の縁を切る事例はどこにでもあります。一時的な感情に流されて駆け落ちしても、結果は見えています。将来的に見捨てられるかもしれないと思ったのです』

「離婚……ですか」

『はい。もともと人間には子を作りたいという本能が備わっております。特に好きな相手との子どもなら尚更です。リディアさまも心当たりがおありでしょう?』

「……」

 

 あなたもお館様とのお子さまが、欲しいと思ったことがおありなのでは?

 そう言わんばかりのツクヨミに、リディアは何も答えられなかった。

 実際エッジの隠し子を産もうと考えた時期があったから。

 

(子ども……欲しかったけど)

 だからと言って、それが理由で別れるのは本末転倒な気もする。

 この世の男と女は、子どもを産むためだけに恋人を経て夫婦になる。そう言ってるようなものだ。

 先日アリサが話していたが、苦しみを共に分かち合うのが恋人や夫婦ではないのか?

 

 とは言え、ツクヨミのそれは既に終わった関係。

 あれこれ言ってもどうしようもない。

 もやもやするリディアをよそに、ツクヨミがなおも話を続ける。

 

『子を成せない僕に、いずれ不満を持ち、愛想を尽かすのが目に見えております。もっとも、彼女に対する思いが、しょせんその程度のものでしかなかった』

「——その程度なんて言っちゃだめ」

『っ!?』

「その言い方じゃ、お付き合いしていた時間が全部無駄だったってことじゃない」

 

 ツクヨミ自身と元恋人……お互いのために、そんなことを口にしたらだめだと思う。

 

 時間は進み、お互い別々の道を歩んでいる。

 既に終わった他人の男女関係に物言いしたくなかったけれど。

 リディアは、どうしても黙っていられなかった。

 

「ツクヨミさんは……その人を不幸にさせたくなかったからお別れしたの。ツクヨミさんなりのその人への愛だったんだよ」

 

 エッジとは恋人でも何でもなかった。

 けれど、9年近く過ごした日々は大切な思い出でもあり宝物。

 エッジも無駄な時間を費やしたとは思っていないはず。リディアはそう信じている。

 もし、ツクヨミと同じことをエッジが話したら悲しくなってしまう。

 

「それにね。子どもの相手をしない人に、お仕事もせずにお酒ばかり飲んで自分の子どもをいじめちゃう人とか……いっぱいいるよ?」

 

(ミストには、そんな人いないけど)

 ざっと見だが、日々新聞に目を通していると。

 我が子に暴力を振るったり、赤子を捨てたり……。

 それでも、人の親なのか?

 そう思いたくなるような『毒親』の記事をよく目にする。

 

 だから、子どもが作れる作れない。

 その1点だけで人間の価値を決めるのはおかしいと思う。

 

『そんな者はごく少数しかおりませんよ』

「そうかもしれないけど、ツクヨミさんはエッジに忠誠誓ってないだけで、お国のために仕事してるじゃない。全然情けなくなんかないよ」

『生きるためにそうしているだけです』

「辛いのはツクヨミさんだけじゃない。おばちゃんも……子どもが……」

 

 この時、リディアはジャンヌの名を出してまで、ツクヨミを励まそうと必死だった。

 彼が何か口にする度に、ジャンヌのように見えて仕方がない。

 ふたりとも、自らを否定しないでほしい。

 

『そういえば、奥様も長年苦しんでおられたようですね』

「はい……」

 

 アリサのお産を待っている間。

 2階から聞こえてくる、戦場のような慌ただしい声を背景に。

 リディアの脳裏に、時折ジャンヌの姿がちらついていた。

 なぜならジャンヌは、こんな経験をしたくても出来ないから。

 

 —— —— ——

 ジャンヌは子どもが大好きで、特に男の子が欲しかった。

 女性を大切にする男性——ラルフのような男——を育てるのが夢だった。

 

 ところが、ミゼルと結婚してから、火事が起こるまでの間に流産を二度経験した。

 流産を繰り返すと、不妊につながりやすいと言われている。

 二度目の流産以降、子を宿すことすら出来なくなってしまった。

 

 ジャンヌの不妊体質はミストでも有名な話だった。

 当時のミストは閉鎖的。子どもが出来ないと、周囲はすぐに察してしまう。

 

 ジャンヌは、夫がゼロのミゼルだったのも余計して。

 時の権力者——現在の西区画の住民——から『役立たず』と陰口を叩かれた。

 顔を合わせる度に、嫌味を言われたりした。

 

 それでもミゼルや親友エスタをはじめとした、良き理解者たちの励ましで。

 なんとかミストで暮らし続けていた。

 火災を経て、ミスト復興後。ひとりバロンの病院で検査を受けたが。

 子どもはもう望めないと診断を下されて、ついに諦めた。

 —— —— ——

 

『理解あるご主人様がいらっしゃって、奥様は幸運な方ですね』

「おばちゃんたちのこと、うらやましい?」

『はい。僕があの時、駆け落ちを選んでいた場合に理想としていた未来を、おふたりは実際に送っておられますから』

「……そうなったのは、おじちゃんが火事で大怪我をしたのも大きいと思います」

『ミゼルさんもやはり欲しいと思っていたのですか』

「……おじちゃんは、いろいろあって……おばちゃんほど子どもが欲しいって思ってなかったの」

 

 ミゼルは辛い幼少期を過ごしていた。

 そのせいで、ジャンヌと結婚出来ただけでもう満足していた。

 妻が二度の流産したのをそばで見てきたのもあって。

 気が向いたら、コウノトリが運んでくれるだろう。

 ……それぐらいの期待しか持っていなかった。

 それすらも、ミゼル自身が火災で身も心も障害を抱えてしまい。

 ジャンヌに面倒を見てもらう側に回らざるを得なくなり、消えてしまった。

 

『それでも奥様は、今でも引きずっておられるようにも見受けられますよ』

「……ツクヨミさんの言う通りです。ノアがいなくなったら、おばちゃん、すごく落ち込んじゃう」

『あのお子さんは、いずれミストを離れるのですね』

「ええ。お父さんがお亡くなりになる前に、進路を決める間だけおじちゃんの家で暮らすように言われたらしくて……」

 

 —— —— ——

 ノアは過去にミストを脱走したミゼルの亡き知人の息子。

 妻に先立たれて、自らも病に倒れて、死期を悟った知人がミゼルに息子を託した。

 

 ミゼル夫妻が、子どもと生活を共にするのは生まれて初めて。

 特にジャンヌは、ノアを我が子のように可愛がっている。

 ノアの穏やかな気質は、母性をくすぐられる。

 先日ジャンヌがリディアにそう話してくれた。

 

 しかし、いつかは別れがやってくる。

 現在ノアは、ミゼルたちと暮らしながら将来の進路を決めている最中。

 

 バロンの軍部学校。ファブールのモンク団。ミシディアの修練所……。

 各地の養成施設に年齢制限はなく、子どもから入れる。

 進路を決めたら、ミストを出ていくことになっている。

 —— —— ——

 

(おじちゃんもだけど、ノアもここでの生活は期間限定だって割り切っているもん……)

 ノアの父親がそんな遺言を残した以上。

 いくらジャンヌが嫌だと言っても、覆すことは出来ない。

 

『リディアさまもお近くでアリサさんやジャンヌさんを見ていらっしゃるのでご存知だと思いますが。子どもというものは、それだけ人に影響を与える大きな存在なのです』

「はい……」

『励ましの言葉をかけてくださり感謝いたします。しかしながら、奥様と同じように、僕もまだまだ人間が出来ておりませんから……すぐに達観出来る訳ではございません』

 

 ツクヨミが背筋を伸ばし、こちらを向いて頭を下げてお礼を述べてくれた。

 逆にリディアは申し訳なくなり、頭を大きくうつむかせた。

 

 励まされても何も変わらない。時間と言う薬で、苦悩を手放すことしか出来ない。

 ツクヨミから遠回しにそう言われた気がしたのだ。

 

「っ、うっ……」

『リディアさま!?』

 

 気が付けば、リディアのまぶたから涙がぽろぽろこぼれていた。

 先ほどアリサの前で流した時と違い、申し訳なさや悲しさからくるものだ。

 

「あたし……っ、ツクヨミさん、や……おばちゃん、じゃない……気持ち、絶対にわかるわけないのに……偉そうなこと、言って……ごめんなさい……!」

 

 両手で顔を覆い、ツクヨミへ詫びの言葉を途切れ途切れで伝えた。

 

 —— —— ——

 医療技術の進歩により、昔ほど死亡率は下がった。

 しかし、お産は死と隣り合わせ。

 母子ともに命を落とす可能性があることには変わりない。

 

 そんなリスクを受け入れてでも。

 ジャンヌもミゼルとの子どもを産みたかったと思う。

 心ない者たちから役立たず。女として半人前。

 そう罵られて、自らを出来損ないと嘲笑する人生なんか送りたくなかったはず。

 

 子どもが出来ないから。ツクヨミもそれだけで、恋人とお別れしてしまった。

 仕方なくお城勤の道を選び、お面をかぶることで身元と後ろめたさを隠して。

 影のようにひっそりとした生き方を今も歩んでいる。

 

 一方、リディアは出産や育児を経験しないまま、一生を終えるつもりでいる。

 親友のひとりからは、『この世には、ごまんと男がいるのに、もったいなーい』と呆れられた。

 もうひとりからは、『生涯ひとりだけに身も心を捧げるのもアリかもね』と言われた。

 

 恵まれた身体なのに、あっさり出産や育児を諦めるとは……。

 ジャンヌやツクヨミがこの話を聞いたら、贅沢だと思うかもしれない。

 —— —— ——

 

 隣に座っているツクヨミをそのままに、しばらくの間。

 リディアはぐずぐず泣いていた。

 

 リディアの自由にさせてくれたのか。

 それとも、何を泣いているのかと呆れていたのか。どちらかは定かではないが。

 ツクヨミはその間、一度も言葉を発することはなかった。

 

『落ち着きましたか?』

「はい……すみません……」

 

 ようやく、ぐずぐずが落ち着いた頃。

 ツクヨミから声をかけられて、目元をごしごしこすって涙を拭いた。

 

(あたしが泣いてしまってどうするの……?)

 むしろ、泣きたいのはツクヨミの方だろうに。

 

『謝らないでください。月の光のおかげで口を滑らせてしまった僕が悪いのです』

 

 自らの弱さを見せるツクヨミを、リディアは今まで見たことがなかった。

 

(今日は満月だから……)

 満月は人の心を乱す。人を狂気に駆り立てることもある。

 巷ではまことしやかにそうささやかれている。

 ツクヨミも満月の影響を受けてしまって、己の触れられたくない部分を。

 誰かに聞いてもらいたい衝動に駆られたのだろうか? 

 

『どう思われるか不安に思っていましたが、僕のためにお言葉をかけてくださっただけでなく、泣いて下さるなんて……こんな嬉しいことはございません』

「無理しなくていいんですよ……?」

『いいえ。リディアさまはどんな相手にも寄り添い、気持ちを分かってあげられるお優しい方だと思っていましたが。やはり、僕の目に……狂いはありませんでした』

 

 ツクヨミがそう言い終えたと同時に。

 お面の頬あたりから、口元に向かってつうと水滴が流れ落ちた。

 

「ツクヨミさん……?」

 

(どっちなんだろう?)

 額から流れた汗なのか。それとも、目からこぼれ落ちた涙なのか。

 ツクヨミの顔に何気なく右手を伸ばした、その時だった。

 

「あっ」

 

 ツクヨミがリディアの右手をつかんできた。

 

『……もし、願わくば』

「はい?」

『少しの間、こちらを……お借りしてもよろしいでしょうか』

 

 右手を貸して欲しい。思ってみなかったツクヨミからの頼み。

 何か変なことをされるのではないだろうか? 一瞬そう思った。

 けれど、ツクヨミの弱々しい声が、その考えをすぐに打ち消してしまった。

 

「……いいですよ」

 

 それからしばらくの間。

 ツクヨミは何も言わず、左手でリディアの右手を握りしめながら頭を抱えていた。

 

(さっきは泣いてたんだ……たぶん、今も)

 表情は見えない。けれど、リディアはただされるがままにしておいた。

 ツクヨミが、時折身体を小刻みに震わせているのが、右手から伝わってくる。

 

(エッジはこんな姿、ほとんど見せてくれなかったな……)

 ツクヨミに手を貸しながら。リディアは一生涯の想い人——エッジに思いを馳せた。

 

 この先エッジは、王妃となる女性にこうやって自身の弱さを見せるのだろう。

 エッジをもっと早く好きになっていたら。リディアにも弱さを見せてくれたかもしれない。

 さすれば、少しでも彼を支えてあげることが出来たかもしれないのに……。

 

§

 

『ありがとうございました』

 

 5分ぐらいそうしていただろうか。

 ツクヨミがリディアの右手を離して、軽く頭を下げてくれた。

 

「い、いえ、手を貸しただけですから」

『リディアさまのおかげで、救われたような気がします』

「……大げさじゃない?」

 

 お礼の言葉にリディアはたじろいでしまう。

 リディアのことを、まるで救世主や女神だとでも思っているようだ。

 どうも、この忍者。視野がちょっと狭いように思う。

 

『そんなことはございませ』

「——ツクヨミさんを救ったのは、わたしだけじゃないよっ」

 

 そう言いながら、ぴょんと跳ねるようにベンチから離れた。

 南天の空にこうこうと輝く月に向かって、両手を大きく広げる。

 

「ツクヨミさんの今があるのは、過去のおかげなの。ここに連れてきてくれたエッジや、こーんな綺麗な空気や緑に囲まれたミストや、ライザやアリサ……ここにいる人たちのおかげでもあるんだよ」

 

 ツクヨミを否定するつもりはないが、リディアだけがツクヨミを救った訳ではない。

 

 ここまでミストやミストに関わる者たちと共に、積み重ねて来た過去があったから。

 ツクヨミは救いを求めて、リディアの右手を所望するまでの思いに駆られたのだ。

 

「はじめは真面目でお固い人だったけど、今のツクヨミさん、すごく表情豊かになったよね」

『……』

 

 リディアはくるりと背を翻して、月の光を背に浴びながら。

 ぽかんと口を半開きにしているツクヨミに笑みを見せた。

 

 ミストに来るまでは夢も希望もなく、生を終えるまでの時間つぶしとばかりに。

 よほど灰色がかった人生を送っていたのだと思う。

 それが今では自らこの地を訪れて、喜怒哀楽も少しずつ見せてくれるようになった。

 

『……ありがとうございました。しかと肝に銘じておきます』

「行きましょう。明日お休みでも、早くお家に帰った方がいいもの」

『はい。かしこまりました』

 

 寄り道はもうおしまい。リディアが帰りを促せば。

 ツクヨミも口癖でもある言葉と共に立ち上がった。

 

(今はあたしやミストの幸せのお手伝いをすることで、生きがいを見出してるんだ)

 これまでリディアは、ツクヨミからいただいた数々の善意を重く感じていたが。

 彼の苦悩を知って、これからは今まで以上に受け入れることが出来そうだと思った。

 

 だからと言って、今までもこの先も無償の善意はもうごめん。

 ツクヨミは、子を成せないから、リディアを我が子に見立てているのかもしれない。

 ジャンヌもそういう面はちらほら見られるが、悪いことは悪いと叱ってくれる。

 容赦なく手も出るから、彼ほどひどくはない。

 だから、今日こそはツクヨミに、がつんと言ってやらないと……。

 

§

 

 広場を離れて、数分後。リディアたちは自宅に辿り着いた。

 ようやくツクヨミも、エブラーナに帰ることが出来る。

 リディアは、玄関に背を向けて、ツクヨミに軽く頭を下げた。

 

「『今日は』いろいろありがとうございました」

『いいえ、とんでもございません』

 

(『今日も』の方がよかったかな?)

 お礼を述べた後。頭にそんな疑問がふっと沸いたが、特に訂正はしなかった。

 

「ライザがね。ベスやユノが、ツクヨミさんに失礼なことして申し訳ないって言ってました」

『謝る必要ありませんのに……あんな可愛い娘さんに恵まれて幸せな方です』

「そろそろ、ツクヨミさんに何かお礼しなきゃって、ライザと話してたの」

『お礼、ですか?』

「ええ。ライザはもう考えてあるみたいだけど、わたしはまだ何も」

『——結構です。ライザさんにも不要とお伝えください』

 

 今後は無償の善意を辞めて欲しい。

 ツクヨミへ遠回しにそう伝えようとしたところ。

 遮られたような形で拒否されてしまい、露骨に不満な顔を見せる。

 

「……またそれですか?」

『いけませんか?』

「どうして、そんなに嫌がるの?」

『以前にもお話しましたが、僕はみなさまから対価やお礼をいただくためにやっている訳ではございません』

「ツクヨミさんは、それで満足かもしれないけど。わたしたちは与えられてばかりじゃいやなの」

『気になさらなくてよいのです。思う存分甘え』

「——わたしは、あなたの赤ちゃんじゃないっ」

『っ!』

「赤ちゃんは、お乳をのんでお父さんやお母さんに守られたり、お世話をされて甘えたりするがお仕事だけど。わたしそうじゃないもん。ライザも同じこと思ってるよ」

『リディアさま……』

「人と人との関わりは、ギブアンドテイクって言うじゃないですか? 少しだけでいいから、ツクヨミさんに何かお返しさせてください」

 

 産まれたての赤ちゃんは無垢で無力だ。

 親や周囲の大人たちが守ってあげないと、生きていけない存在。

 

 自分たちはツクヨミと出来る限り、対等な関係でありたい。

 赤ちゃんのように、一方的にお世話されるような関係は全く望んでいない。

 本日得た経験を基に、ツクヨミに口を挟む隙すら与えないぐらい。

 リディアは早口でまくしたてるかのように訴えた。

 

『あの』

「——リクエストがあれば、叶えられるように出来る限り努力します。何か教えてください。お願いしますっ」

 

 最後に頭を深く下げたが、そのままの姿勢に留めておく。

 かしこまりましたと言われるまで、頭を上げてやらない。

 

『……』

 

 ツクヨミは何も答えてくれない。

 どうやって自分を言い伏せようか、考えているのかもしれない。

 

「あの……やっぱりだめですか……?」

 

 頭上げたい。いやだめだ。いい返事をもらえない限り、じっと我慢。

 反応が見たくて、頭を上げたい衝動を我慢しながら。

 リディアは、そのままの姿勢でツクヨミに恐る恐る声をかけた。

 

『……かしこまりました』

「ほんとっ!?」

 

 しばしの沈黙の後に、ようやくツクヨミから出た言葉に。

 リディアは飛び跳ねるように顔を上げた。

 

 折れた、折れた! ツクヨミがとうとう折れた!

 しもべポーズや、『さま』呼びを、散々辞めろと言っても頑なに拒否するのに。

 これは譲歩出来る案件だったようだ。

 

『本当です。今度こちらにお邪魔する時までに考えておきます』

「ああ、よかったぁ……」

『楽しみにしております。ライザさんにもそうお伝えください』

「はい、わかりました!」

 

 威勢よい返事をしながら、このことをライザに伝えることに決めた。

 

(お礼を渡すタイミングをうかがうように言っておかなきゃ!)

 フロランタンをツクヨミに渡しても、タイミング次第ではこちらに回ってくる気がする。

 それでは意味がない。

 

『どんなものになるか楽しみにしておいてください。——それでは、また』

「あっ!」

 

 ツクヨミがいつものご挨拶を言い終えるやいなや。

 リディアの前から、いつものように消えてしまった。

 ツクヨミの消えた後をぼんやりと眺めながら、ここまでの数時間を顧みる。

 

『今年の花火は、ある意味思い出に残るわよ』

 

 以前ライザが話してくれた通りだった。

 いのちが生まれる現場に少しでも携わることが出来た。

 正体不明の覆面忍者の人となりに、ほんの少し触れることも出来た。

 

「あっ、早く休まなきゃ……!」

 

 満月が真南から少し西に傾いている。

 それを視界に入れた途端。現実に一気に引き戻される。

 ……明日も朝から公民館。ベスやユノに国語を教えなければならない。

 

 ベスとユノは、小さくて力がない自分たちの代わりに、ツクヨミに護衛をお願いした。

 リディアと一緒に、診療所で出産を見届けたかっただろうに。

 小さくて睡魔に勝てず、お母さんに説得されて早く帰った。

 寝坊なんかしたら、そんなベスたちに合わせる顔がない。

 

 リディアは慌てて玄関を開けて、約半日ぶりに帰宅と相成った。

 ……知らないうちに、とんだ勇み足を踏んでいたことに、気が付かないまま。

 

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